政教分離
欧米→「教会は政治にタッチするな。」(宗教的自由の保障)
宗教は行動規範そのものだから、違う宗教との交流はもともとタブー。
それでも無理を承知で、宗教的寛容を選択する。
内面と外面を峻別して内面は問わない。精神の自由を持つ権利の保障。
(内面は、悪魔であってもよい。外面的な法的秩序さえ守れば、差別をなくす。→これが宗教的自由
もともと別の神と契約を結んだ異教徒は、交流不可能な悪魔であり、殺すべきもの。生存させてはならない存在だった。
個人の思想を問題にするのは、同じ宗派の内部の人間だけで、外部の人間には権利がない。
日本→「政治は宗教にタッチするな。」(思考の自由の否定)
政治家というものは無宗教でないといけない。(逆差別・単一思想の押し付け)
靖国神社に参拝するかしないかは、個人の宗教の問題であって、政治的拘束とは関係がないのに問題になる。(中国・韓国も日本と同様に宗教的自由を否定している)
政治家の内心の思想が問題とされ、宗教的自由を剥奪するしてもかまわない。
ジャーナリストには、個人の宗教問題・心の内側の思想の善悪を批判する権利があることになる。
(つまりジャーナリストは個人のプライバシーを侵害してもかまわない!)