【嵐の中で】第69次厨腐攻略戦【輝いて】

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380通常の名無しさんの3倍
民主社会における私たちの人権は「誤り得る自由」も含んでいる。
「誤り得る自由」が認められず、「正解する自由」だけしか認められない社会というのは、
人間が知的であったり倫理的であったりする可能性が損なわれる抑圧的で暗鬱な社会である。
そのような社会では、「正解」を語っている人間が、
それを「正解」であると決定したときの手続きの適法性や妥当性について検証する権利は
「誤りかねない人間」には決して認められないからである。
人々はしばしば判断を過つ。
それはしかたのないこととして受け容れなければならない。
というのも、今「人々はしばしば判断を過つ」と言ったが、
そう言っている私の判断の合法性を私自身が基礎づけられないからである(間違っているのは「私」で、
正しいのは「人々」の方なのかもしれない)。
「私が正解で、あなたがたは誤答をしている」と決定する権限が私にはないし、あなたにもないし、誰にもない。