第8話「傷」
「っと…これで頼まれてたもんは買い終わったかな。」
自動ドアが閉まる音を背中に聞きながら、シンは手にしたビニール袋を軽く揺すった。
ざっと千円ほどの商品が詰まったそれは、値段の割にはずっしりとした重さで彼の手に食い込んでいる。
ったく…特売だからってこんなに買う事ないだろ。
そう口に出さずに呟くと、シンは手の中で赤黒くなりかけているビニールの位置をずらした。
…今、彼がいるのは市内で有名な大型スーパーだった。
今日、ここを訪れたのは勿論店の買い出しに他ならない。
だから、いまの彼は両手に重い荷物を抱えながら、広い駐車場をトボトボと歩く…。
という何ともヒーローらしからぬ醜態を晒しているのであった。
…あの人も出てきたって言うのに、こんな事してていいんだろうか…オレ。
先日、自分の前に現れたかつての師、アスラン・ザラの事を考えるシンの表情は自然と険しいものになっていた。
しかし…傍からしてみれば、その顔はどう見ても食い込んでくる荷物の痛みを堪えようとしている様にしか見えない。
ミジメだ…そう一人ごちるとシンは背中に哀愁を漂せながら、再び歩みはじめようとする…と、
「ちょっとぉ、待ってったら…シン!!」不意に聞こえた自分を呼ぶ声にシンは背後に首をめぐらす…そこには彼と同じように重そうな袋を手にしたルナマリアの姿があった。
彼女が友人のよしみでこうしてシンを手伝ってやるのは、そう珍しくない事だった。
「あんたと違って、あたしはか弱い女の子なのよ?自分勝手に先行かないでよね。」
細い眉を釣り上げて抗議を訴えるルナを前に、彼はハイハイと投げやり気味に応えると
追い付いてきた彼女と二人、並んで歩き始めた。
「…ところでさぁ、シン…ちょっと聞きたい事あるんだけど?」
「な、何だよ?急に…。」
スーパーを出てから数分ののち、それまで他愛もない会話を続けていたルナの表情が何かを思い出したのか…急に変わった。
それに答えようとするシンの口調は、体の奥底からジワジワと押し寄せる嫌な予感に上擦ったものになってしまう。
「この間、あんたと一緒だったあの格好いい人…何て言う人?」
ブッ!!
いつかはこの質問が来ると予想してはいたものの、いざ訪れると予想以上に動揺するものだ。
盛大に唾を吹き出し、顔を白黒させるシンに汚いわねぇ…と、呟くとルナは答えを迫るかの様にその目を細めた。
「ど…どうだっていいだろ、ルナには関係ないって。」
「はぁ…アンタ、本当に女心っての知らないのね。」
シンの苦し紛れの言い逃れを小馬鹿にする様な表情とため息で一蹴すると、ルナマリアは夢見る乙女の顔で二の句を繋ぎ始める。
「いい?あんたみたいなお子様には分かんないかもしんないだろうけど
女の子は大人の男性に憧れを抱くもんなのよ…この意味、分かるわよね?」
…だと思ったよ、やれやれ。
シンは少し呆れた顔で、キラキラした眼差しで夢の世界へ旅立っている友人を一瞥すると、
こんな事もあろうかと用意しておいた言葉をしぶしぶ、口にした。
「あ、あの人は…さ、アスラン・ザラ。
前にオレが住んでたトコで世話になった人だよ。まぁ、先輩ってヤツ?かな…。」
さほど嘘はついていないよな…などと思いながら、台本通りの台詞をたどたどしく言い終えシンは隣のルナの顔色を盗み見る。
…当の本人はフーン、アスランさんかぁ…と呟きながら憧れの人物について情報を得る事が出来、満足した様子に見える。
ふう…これでひと安心、そうシンがひと息つこうとした瞬間だった。
「じゃあさ…どこに住んでるとかも知ってるんでしょ?随分親しそうだったし。」
…たったあれだけで、乙女の好奇心を満たすなどどだい無理な話だったのである。
シンは自分の背中を冷たい汗がツ…と流れるのを感じていた。
ん…何だ?
アスランに関する更なる情報を引き出そうと、
自分に詰め寄るルナの肩越しにシンは奇妙な光景を目にしていた。
「うぅ、う…。」
「だい…じょうぶ?」
そこには…ゴミ箱のそばにうずくまる水色の爽やかな色合いの頭髪とは対象的なボロボロの衣服を纏った青年と、
彼を気遣って顔色を覗きこもうとこちらに背を向け、しゃがんでいる金髪の少女がいた。
そんな奇異な組み合わせの二人と関わり合いになるのを恐れるかの様に、
休日の昼下がりの歩道を行き交う雑多な人の波は誰一人として、その場に近寄ろうとはしない。
まるで、その光景はそこだけ…ポッカリと穴が空いているかの様である。
「あ…どうしたんだろ、あの人達。」
自分の背後を強い眼差しで見据えるシンに気付き、ルナもまた彼らの方を眺め、小さく囁いた。
「ねぇ…行こう?あの男の人、血出てるよ。」
その曖昧な言葉が何を意味するかは彼女の瞳が語っていた。
そこに浮かんでいる感情…それは畏れだ。
彼女が言う様に青年の額には一筋の血の流れがあったし、
更に身に纏ったボロ布の様な衣服にもうっすらと血の滲みがあった。
その格好はどう見ても、マトモな人間とは云い難い…。
シンはルナの提案通り、他の群集と同じようにきびすを返しその場を立ち去ろうとした…しかし、
あの娘…似てる?
今まで青年の様子を見ていた少女が助けを乞う様にクルリと背後を振り返り、周囲をキョロキョロと見渡す。
胸元から首までが露わになったドレスのうえで頼りなげに瞬く、少女の眼差しにシンは軽い既視感を覚えていた。
似てる…誰に、マユ…?
そう、そのどこか危うげな雰囲気を放つ少女の瞳にシンは今は亡き最愛の妹、マユの姿を垣間見ていた。
何考えてんだオレは…クソっ、あの娘はマユじゃない…。
そう思い、少女の瞳から目を離そうとする…しかし、心の奥底から沸き上がる衝動には杭がえそうにない。
いつの間にか、二人は若干の距離を置いて静かに見つめ合っていた。
「ちょっと、シン!!」
気付いたときにはシンの足はルナの呼び止める声も無視して、二人に近付いていたのである。
「………?」
近寄ってきた自分をキョトンと何の他意もなく直視する少女の視線を間近で受け、
シンは一瞬、その無邪気さに恥ずかしさを覚え頬を赤らめた。
しかしすぐに気を取り直すと、思いついた言葉を口から絞り出す。
「…その人怪我してるみたいだけど、知り合い?」
「…わからない…でも、苦しそう。」
シンの言葉に少女は首を横に振る。
そして苦しげに呻く青年を見つめ、その顔を辛そうに歪めた。
「ねぇ…病院に連れて行ってあげたら?」
いつの間にか背後に立っていたルナマリアがポツリと呟いた。
彼女もやはり彼らの事が気掛かりだったのだらしい…ただ、最初に行動を興す勇気がなかったのだろう。
「えっと、どこが痛みます?自分の名前…言えますか?」
ルナの言葉に後押しされ、シンは青年に声をかけてみた。
「ヴェイア…だ、怪我なら心配ない。」
シンが発したのはどこか場違いな言葉であったが、ヴェイアと名乗る青年の返事は案外しっかりとしたものだった。
ヴェイア…だって?
ポツリと告げられたその名前にシンは聞き覚えがあった…確か、先の戦争で名を馳せた傭兵の名がそんなものだった気がする。
しかし、その雄々しい英雄と目の前でこうして血塗れで弱々しく喘ぐ青年の姿はどうやっても結び付く事はなかった。
グゥド・ヴェイア…戦場に現れてはいくつもの戦果を挙げていった伝説の傭兵。
戦場で彼の赤い戦闘服を見たものは皆、恐怖に慄いたという。
コーディネーターだって話を聞いた事もあるけど…。
一旦、打ち消した疑いがシンの頭のなかをグルグルと駆け巡る。
ルナマリアが救急車を呼びに表の通りに去ったあと、そこには依然として苦悶の色が濃いヴェイアと彼を気遣う少女。
そして険しい顔をしたシンが残された。
「…げんきに…なるかな?」
ふと、少女が心配そうにポツリと呟く。
シンはそんな彼女を安心させようとこわばっていた表情を敢えて、明るいものへ変えようとした。
しかし、その変化は途中で止まる…シンの目はある男たちの一団を捉えていた。
四、五人ほどの彼らは一見して何の変哲もない一般市民にしか見えない。
しかし、シンにしてみれば彼らが放つ特有の雰囲気は隠しても隠しきれるものではない。
やがて彼ら、コーディネーターの一団はシン達の前で立ち止まると
暴力に無縁な人間ならば、たちどころに震え上がってしまう様な視線をこちらにぶつけてきた。
…そんな威圧的な態度とは裏腹に、彼らの口から出た言葉は意外にも紳士的なものだった。
「彼は僕達のツレでねぇ、こんなところにいるなんて意外だったな…。
手間を掛けさせたみたいですまんが…引き渡して貰えると有り難いな。」
リーダーと思しき、褐色の肌の男は自分達にひるむ事なく強い視線を返してくるシンに慇懃な調子で告げた。
「わざわざ、お仲間を引き取りにきたのか…組織の幹部ともあろう人がね。
案外ヒマなんだな、ザフトってのもさ。アンドリュー・バルドフェルド…いや、砂漠の虎さん?」
シンは男の言葉に取り合う事なく、挑む様に強い言葉を吐き捨てる。
そう…彼の目の前にいる男はザフト最高幹部の一人にして怪人の作戦行動、指揮を採る砂漠の虎…バルドフェルドだった。
「ハッハッハッ…参ったな、これは手厳しい。
しかし…ライダーにそうまで言われては、こちらとしても黙って引き下がるワケにはいかないな?」
シンの言葉に一瞬、愉快そうな声をあげたかにみえたバルドフェルドは、次の瞬間にはゾクリとする笑みを顔に浮かべていた。
そして無言で背後の部下に合図をすると、高見の見物をする様に腕組みをしスッと後方へ引き下がった。
「…君はこの人を連れて逃げるんだ!早く!!」
シンは事態をいまいち飲み込めていないらしい少女に、この場を立ち去る様に短く告げると、
向かってくるザフトの戦闘員に立ち向かうべく構えをとる。
シンの言葉を理解したのか少女はヴェイアの手を引き、フラフラと歩き始めた。
そうはさせじと、戦闘員はその姿をジンに変え、邪魔なシン目掛けて飛びかかってきた!!
「ちぃっ…たぁぁりゃあっ!!」
ブン、ブゥン!!グシャッ!!!!
左右同時に襲い掛かってきたジンにシンは力を込めた両の拳を裏拳にしてお見舞いすると、
続けざまに軸足を使った回し蹴りを二人の体に叩き込む。
二体のジンは体をくの字にしながら吹っ飛び、近くの壁にぶち当たるとグッタリとして動かなくなった。
「やるねぇ…その年でそこまでやるなんて尊敬しちゃうなぁ。」
一瞬のうちに部下を二人も片づけられたというのにバルドフェルドには少しも狼狽えたところがなかった。
…というよりも、この状況を楽しんでいるかの様に見える。
「いい機会だ…僕とお手合わせ願おうか?仮面ライダーインパルス!!」
そう叫ぶと彼はその体の内側に隠された力を解放する様に拳を腰の近くで握り、それを勢いよく前へ突き出した。
陽炎の様に揺らめくエネルギーを纏いながら…次第にその体が人ならざるもの、改造人間のそれへと変化していく。
「…はぁっ!!」
周囲の建物をビリビリと揺るがす様な裂帛の気合いとともにバルドフェルドの体が眩しい光を放った。
「なるほど、だから…虎か。」
変身を遂げたバルドフェルドを見やり、シンが小さく呟く。
そこにいたのは鋭利な爪に燃え立つ様な黄金の毛並み、ジン同様にギラギラと輝く単眼の下からニョッキリと突き出た牙。
まさしく、虎そのものへと身を変じたバルドフェルドの姿があった。
「フ…久しぶりに楽しめそうだ、行くぞ少年!!」
背中で踊る尻尾で鞭の様にコンクリートの大地を叩きつけると、
バルドフェルド…いや改造人間、タイガーラゴゥはインパルスへの変身が完了したシンに猛然と襲い掛かってきた!!
「来い!!」
インパルスは気合いともに空中へ飛びあがると、タイガーラゴゥの鼻面に拳の連打を浴びせようとした。
「面白い!!」
先制攻撃を受けたにも関わらず、怪人は挑発的な言葉を呟くやいなや、
負けじとその凶悪な爪を立てながらインパルスの連打に自らの拳をぶつけていく。
ガスッガスッ!!ドガッ…ガスッガスッ!!
両者は息がかかり合うくらいの至近距離で互いに相手の攻撃を自らの拳で相殺していく。
二人の拳の応酬が絶え間なくたて続ける激しい打撃の音は、いつしかその場の他の物音を圧倒し…支配していた。
「キャアアア!!」
!?…しまった!!
その支配を破ったのはあの少女の絹を裂くような悲鳴だった。
シンはバルドフェルドにはめられた事を悟り、内心ほぞを噛むと後方に飛び退こうとする…だが、
「おっと、そうはいかないな!!」
ピィシャァァン!!
組織の幹部の地位は伊達ではない。
敵の焦りを読んだタイガーラゴゥの尾が唸りをあげて、インパルスの無防備な胸を叩きつける。
「ぐっ…!!」
不安定な状態に強力な一撃を喰らったシンはそのまま吹き飛ばされ、
地面に背中から叩きつけられるしかなかった。
「…どうしたんだ、もう少し楽しませてくれ。」
インパルスを見下ろす、バルドフェルドは余裕綽々に口中から伸びる鬼の様な牙を見せ、ニヤリと笑う。
くそぉ、このままじゃ…二人が!!
「ぐるぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「!?…まさか!!」
…シンが二人が絶体絶命の危機に陥った事を強く感じた瞬間だった。
先ほど、少女の悲鳴が聞こえてきた方向から今度は奇怪な雄叫びの様な声が聞こえてきた。
それを聞き、余裕の色を浮かべていたバルドフェルドの顔に驚きの色が浮かんだのをシンは見た。
ヒュゥゥ…ズンッッ!!
轟音をあげ…対峙している二人の間へ空中から何者かが降り立つ。
「ジンか!?…いや、違う?」
シンの言うようにその姿はジンを連想させる。
しかし、鳥類を思わせる背中から生えた手羽先の様な突起物、単眼といった部分はそっくりであったが、
両者の間には決定的な違いがあった。
彼の腕はまるで蟹の様に膨らみ、そこから動物の雄特有である角の様なものが生えていたのだ。
よく見れば、そのマスクもジンとは違う静かな凶暴さを感じさせるものである。
突然の出来事に唖然とするシンを前に、謎の改造人間は着地の為しゃがんでいた状態から、ゆっくりと立ち上がっていく。
「グゥルル…。」
彼は低い唸り声をあげ、周囲を圧倒する様にぐるりと弊睨した。
と…彼の単眼が怪人化していたバルドフェルドを捉え、そこに殺意の気配が芽生える。
「ギィァァァッ!!グゥルアァァァアッッ!!!!」
「むぅ…やはり失敗作か、ここは一つライダーの力をアテにさせてもらおうかね。」
怪人の恐ろしげな吠吼を前にしても、バルドフェルドは冷静そのものだった。
躊躇いもなく変身を解除し、いつの間にか近くに来ていた車へ飛び乗ると窓から顔を出し、
追い縋ろうとしていたインパルスに冗談めいた口調で語りかけた。
「あ〜、僕の相手よりそいつを何とかしないと駄目なんじゃないかな?
放っておいたら、本能のままに暴れるだろうから…それ正義の味方としてはマズいんじゃないかね?」
「!?…どういう事だ!!」
「君にそこまで教える義理はないよ、じゃあまた会える事を祈ってるぞ…少年。」
それだけ言い終わると、バルドフェルドは運転手に車を急発進させて、あっさりその場を立ち去っていった。
「…早い!!」
謎の怪人の動きはこれまで相手にしてきた怪人のそれとは比べものにならない程、素早く強力だった。
バルドフェルドが立ち去って、怪人が次に目にするのは残されたインパルスしかない。
当然、奴は獣じみた雄叫びをあげながらライダーに襲い掛かってくる。
ギィン…グシャアッ!!
その腕から伸びた角が振るわれる度に、周囲の至る所が瞬く間に両断されていく。
それは攻撃というよりも獣が本能のままに暴れ狂っているかの様だった。
…暴風圏を思わせる暴走を続けるこの怪人に近付く事は即ち、死と同義語であると言えよう。
ギィン…バシュッ!!
再び、怪人の凶刃が振るわれる…今度は路上に停めてあった乗用車の屋根がキレイさっぱり吹っ飛んでしまった。
何か…何か手は!!
心の中で沸き起こる焦りと恐怖にシンはなかなか、次の手を思いつけないでいた。
「………あ。」
「っ!?あの子、どうして戻ってきてるんだ!?」
不運なときには悪い事が重なるもの…理由は定かではないが、あの少女がこの場に舞い戻って来てしまっているではないか!!
「ヴェイア…いた。」
こんな状況にも関わらず、破壊されたばかりの車の影から顔を出しながら、
何が嬉しいのか…少女は柔らかい笑みを浮かべている。
「グル…グルァァァ!!」
新たな玩具を見つけ、怪人が歓喜の叫びをあげつつ走りよっていく!!
「ッ!?…やめろぉっ!!」
この距離からでは、到底庇いきれるものではない…。
シンはマユに似た少女を失う事に絶叫するしかなった。
静か…な…あの夜に…
不意に破壊された車から先の一撃が回線を狂わせたのか…ラジオが鳴り出す。
それは聞き慣れない、しかしなぜか懐かしい印象を抱かせる女性ミュージシャンの歌だ。
その歌声はなぜか、こんな状況にも関わらずよく聞こえた…と、
「え、ウソ…だろ?」
怪人はその動きを止めていた。
まるで、流れる音楽に耳を澄ますかの様に…。
やがてその体から小さな光が昇り…そこには、あのヴェイアが立っていた。
彼は流れる歌に聞きほれる様にうっとりと目を閉じ、立ち尽くしている。
一方、少女はといえば調子が良くなったようにみえるヴェイアに気をよくし、
歌に合わせてハミングしていた。
まるでその光景は先程までの出来事は全て、シンがみた白昼夢だと言わんばかりだ。
「何が…どうなってるんだ…。」
理解し難い事実を前にシンはそう小さく呟くのみだった…。