頭から熱いシャワーを浴びながら、私はだんだんと落ち着いてきていた。
あの時。状況とか理由とか、そういうのを全く考えずに行動してしまった。自分でもワ
ケが分からなかった。
……ううん、一つだけ分かっていたのは、あの人が困っていたって事。なにか危ない状
況だったって事。それだけで多分、私が行動を起こすのには、十分だったのだろう。
浴室がシャワーの湯気で真っ白になる。目の前にある鏡も曇って、自分が今どんな顔を
しているのか分からない。
……軍の人が、銃を持ってた。……射殺も、って。……あの人を、追ってた。……レイ
が、撃ってきた。……あの人が、命を狙われて。……私は。
――きっと私は、とんでもないことをしちゃったんだろう。
「……お姉ちゃんに、迷惑、掛かっちゃうな……」
軍が追っている人間に協力してしまったのだ。向こうからすれば、私は立派な共犯者だ。
シャワーを止め、溜め息を一つ付く。
「……だめ、だよね……私」
だって、こんなにも胸は恐怖でいっぱいなのに、私には後悔の気持ちなど微塵もないの
だから……。
簡易乾燥機に掛けておいた服はもう乾いていた。小さいのにパワフルだなぁ。なぜかそ
んな事を思い、少しだけ笑ってしまう。
小さな街にある小さなホテル。
私たちは這々の体でここまでたどり着き、とりあえず落ち着く場所と、雨で濡れてしま
っている身体をどうにかしようと、ここにチェックインした。
「あの、お待たせしました」
シャワーから出てみると、アスランさんはジッと、窓のそばで外を睨んでいた。濡れた
上着を脱いでもいなかった。
「あの、風邪、ひきますから。アスランさんも、はやく」
散々譲り合ったあげくに、私が先にシャワーを使う事になったのだ。
「ああ……。分かった。すまない」
短く言って、アスランさんは浴室に向かった。
どうしてあの人が追われていたのか。理由は分からない。でも理由なんて別になんでも
よかった。自惚れかもしれないけど、だって私は、あの人の役に立てたのだから。
――そう。
私は、あの人のことが、好きだ。もうずっと前から、好き。
アスラン・ザラ。
アカデミーの頃からその名前は何度となく耳にした。ジャスティスのパイロットでフェ
イスで英雄。ふーん、すごい人なんだなぁって。ただ漠然と思ってた。
でも、そのすごい人が実際に目の前に現れたのだ。
それまでは大して興味なんてなかったのに、あの人に対するみんなの反応や、その射撃
の腕を見せられたりして、興味が出てきてしまった。
最初はただの好奇心だった。でも、あの人について調べれば調べるほど、「アスラン・
ザラ」がどれだけすごい人なのかを知ることになった。そして気付けば、私の目はもうあ
の人から離れなくなっていた。
しばらくして、アスランさんがシャワーから上がった。赤服の上着は脱いで、Tシャツ
姿だ。
「あの、どうぞ」
私は冷蔵庫から缶のオレンジジュースを取り出して、一つをアスランさんに渡した。
「ああ、ありがとう……」
浮かない顔。
当然だよね……。今までいたところに、仲間に――レイとシンに、命を狙われたのだか
ら。
……私はなにをしゃべればいいのだろう。ジュースのプルトップにうまく指が入らない。
指が震えていた。相変わらず、私の身体は恐怖を感じているみたいだ。
「……はい」
「え?」
アスランさんは、一発で開けた自分のジュースを私に差し出し、変わりに私のジュース
を取り上げた。
「まだ、口付けてないから」
「……あ、ありがとう、ございます……」
私は顔がみるみるうちに紅潮するのを自覚した。
こんな時に不謹慎だけど、か、かっこいい、とか思ってしまった。優しいんだなぁ。
二人、無言でジュースを飲んだ。
雨はまだ止みそうにない。せまいツインの部屋に雨音だけが響いていた。
「……そうだったんですか」
アスランさんから事の経緯を聞かされた。でも、私には関係なかった。だって、もう決
めてしまったのだから。
「それで、これからどうするんですか? アークエンジェルを捜すって言ってましたけど
……」
そんなに簡単に見つかるだろうか。いや、それよりもあの艦は本当に無事なのだろうか。
「ああ……。ザフトに投降する気はないし、そうなるともう選択肢は限られてる。アーク
エンジェルに行って……あとは、それから考えるさ」
アスランさんはとても悲しそうな、でもとても優しい目をしていた。まるで、穏やかな
悲しみ。そんな目。だから私は――。
「このまま二人で逃避行ー、なんてのも選択肢にありますか?」
わざと、おちゃらけて言ってみた。ちょっとでもこの人に笑って欲しいから。
「……キミには本当にすまないと思ってる。こんなことに巻き込んでしまって……」
スルー。
「……それと、本当にありがとう。俺が無事なのは、キミのおかげだ」
アスランさんは、私に頭を下げた。
そっか。そうだよね……。この人からすれば、私は被害者なのだ。自分のせいで、ひど
い目に遭わせてしまっている。
実際、客観的に見て、私の立場は相当なものだろう。大げさに言えば、人生が狂ってし
まった。そんな感じかな。――逃亡扶助。捕まったら……。
――でも。
「やだな、気にしないでくださいよ。私が勝手にやった事ですから」
「しかし――」
「いいんです。初めて、アスランさんのお役に立てました。私、満足してるんです」
「……キミ……」
むぅ……。ひょっとしてこの人、私の名前を覚えてないんじゃ……。ううう。考えてみ
れば、私が一方的に彼について知ってるってだけで、今まで話したことなんてほとんどな
かったしなぁ。いやでも名前くらいは……。オペレーターやってたんだし。
――あ、でもそういえば格納庫でレイに「メイリンは」って言ってたっけ。……すごか
ったなぁ。あっという間にレイの銃を撃ち落として。私に手を差しのべてくれて。……か
っこよかったなぁ。
「メイリンです。そう呼んでください。さっきからアスランさん、キミキミって」
「え、あ、ああ……。すまない、メイリン」
アスランさんは、まだ半乾きの髪をかき上げながら、少し困ったような顔をした。そし
て、すぐにまた沈黙が訪れる。
少し癖のある柔らかそうな髪に、モデルみたいに端正な顔。スマートな身体つき。その
経歴。……モテない要素など見当たらなかった。私のお姉ちゃんも気があるみたいだし、
実際、なんだかいい雰囲気だったし。……ああ、それにラクス・クラインの婚約者でもあ
るんだ。
……とても私なんかが、届く相手ではない。でも、想うだけなら……ダメ、かな。
「……えーと、アスランさん。あの、聞いてもいいですか?」
沈黙に耐えられなくなって、私は口を開いた。そうだ。私はもう、決めたのだから。
「え、ああ。……なに?」
俯いて考え事をしているみたいだったアスランさんが顔を上げた。私のことなんか、眼
中にないみたいだ。そんなこと、分かってる。
「えっと、その……アスランさんと、お姉ちゃんって……その、やっぱり、そうなんです
か……?」
「……そうって……俺が、ルナマリアと? なんでそうなる……」
アスランさんは、やれやれと首を振った。
「だ、だってなんか、その、仲よかったじゃないですか。いつも一緒にいたし……」
「はぁ……気のせいだろ。妙な勘ぐりだ」
全く素っ気ない答え。
……なんだ、違うんだぁ。私は、自分でも驚くくらいにホッとしていた。お姉ちゃんの
片思いってことなんだ。よかった……。
「あ、じゃ、じゃあ、今、お付き合いしている人って……あ。ラクスさん、ですよね、あ
はは……」
こんな状況なのに、こんな話題。馬鹿みたいな質問をしているのは分かっていた。でも、
ほかに話題なんて見つからないし。ホント、自分でもあきれてしまう。しかしアスランさ
んの返答は、私の予想とは全くの別物だった。
『まだ話していないことがあったな……』
そう言って、アスランさんの口から語られた事実。
とうに婚約は解消されていること。偽物のラクス・クライン。
多分、私にとって、これは決定打になったのだろう。
「……そろそろ休もう。メイリンも、疲れただろう。同じ部屋で、申し訳ないが……」
――決めたのだ、私は。
覚悟は出来ている。もうキャンセルなど出来そうにない。したくもない。
後悔なんてするものか。たとえ後悔したってそれでもいい。だって、仮にやり直しが効
いたとしても、私はきっと同じ選択をするだろうから。今の私のこの気持ちは、絶対に嘘
なんかじゃないから。
――私は、この人のそばにいたい。
たとえ、この人がそれを望まなくても。
私のことを好きじゃなくても。
私が、そうしたいのだ。
もう、決めたのだ。
「あの、アスランさん、私――」
そして、物語は動き出す。
※メイリン・ホーク『髪をほどくのは、あなたの前でだけ』(民明書房)より一部抜粋。