「SEED失敗の理由を考える」の失敗の理由を考えるスレ

このエントリーをはてなブックマークに追加
俺はガンダムと言えば∀が一番だと思うのだが、そんな自分の観点から少々長文を書いても良いだろうか?

正直な話、富野監督はSEEDを否定してると思う。キングゲイナーを見ていてそう感じたのだが。

∀において、ターンXが“シャイニングフィンガー”という武装を持っていたこと、
ギンガナム隊のMSが“モビルトレースシステム”で操縦されてたこと、
月に残っていた黒歴史のデータに“Gガンダム系のデータ”が多かったこと等を見ていて、
「あぁ富野は今川泰宏という監督の作った『Gガンダム』という作品を尊敬してるんじゃなかろうか?」と思った。
何故Gガンダム系統な敵をラスボスにしたか?
それは∀という作品によって、『Gガンダム』という作品を超えたかったからではないか?と思ったからだ。

そもそも何故富野監督にGガンダムを尊敬する要因があるか?を考えると、
Vガンダム、それ以前のガンダムの存在があるのではないかと思う。

「勇者ライディーン」「無敵鋼人ダイターン3」「無敵超人ザンボット3」等を作っていた頃の富野監督は、
どちらかと言えば若手な部類だったと言える。 そしてそれ故にこれらの3作品は、
世間の注目を浴びたかと言えばある程度は浴びただろうが、ブームを起こすほどは浴びていなかったと思う。
それ故にこれらの3作品では、富野監督は結構好き勝手ができたのではないか?と推測される。

そんな富野監督が注目を浴びるようになったのが『機動戦士ガンダム』という作品なわけだが、
これもテレビ放送された時はそれほど人気は無く、打ち切りになってしまった。

この頃の監督は、ある程度は名も知れ渡りつつあった頃とは言え、まだ好き勝手出来た方ではないかと思われる。
しかし、放送終了後に人気が出てきて、映画版も作られたりした事から、富野監督に対する評価も上がってくる。
作品の人気が出てきた事により、スポンサー側の出してくる要望が増えてくる。
ガンダムとZガンダムの間の時代、つまり「戦闘メカザブングル」「聖戦士ダンバイン」「重戦機エルガイム」等を手がけてた頃、
世間ではガンダムの人気が出てきていた。富野監督本人は、ガンダムという作品をガンダムだけで終わらせていた。
だが、世間の視聴者とプラモデルによって儲けを出していたバンダイというスポンサーは、それを許さなかった。

彼らの声は、「ガンダムの続編を作ってくれ」という事であった。
こうなるとガンダムは、富野監督のものであって富野監督のものでなくなってしまう。
以前なら好き勝手の許されていた作品制作だが、スポンサーや視聴者の期待は、そういった好き勝手を許さない。
人気が出ると言うことはそういうことである。結果生み出された作品が「Z」であり「ZZ」だった。
そしてそんな人気に押されて自由に出来ないながらも、富野監督は「アムロとシャアの戦いに決着をつけさせる」
という譲れない線を引き、「逆襲のシャア」でガンダムという作品を完結させようとした。

しかし、ガンダムと言う金ヅルを手放したくないとバンダイは考えていた。
そこでSDガンダムという形で、ガンダム人気を更につなげようとした。
そしてSDガンダムを作る以上、富野監督にも新しいガンダムを続けてもらわなければならない。
そうしたバンダイの陰謀によって、殆ど予算も無い状態で作らされたのがF91であった。
F91でガンダムブームを再燃させようとしたバンダイは失敗した。

この頃、視聴者やスポンサーの意志で無理矢理ガンダムを作らされ、ノイローゼ気味になっていた富野監督の中には、
ある一つの思いが浮かんでいた。「スポンサーも視聴者も、ガンダムという作品が好きだから、続きを出して欲しいと思う。
それならば、見るのも嫌になるような、ガンダムを嫌いになれるようなガンダムを作ればいい。
そうだ、ガンダムを否定してしまえば良いんだ。ついでにSDガンダム等にうつつを抜かしてるおこちゃまどもに、
本物のガンダムというのがどういうものか見せてやろう。」その考えの上に作られたのが「Vガンダム」であった。
そして、富野監督は、こう考えながら「Vガンダム」を作っていた。「ガンダムはこれで最後にしよう。」
しかし、バンダイはそれを許さなかった。ガンダムをどうしても続けて欲しいバンダイは、サンライズにかけあった。
「富野監督にはもうガンダムを作る気はありません。違う監督でならば」とサンライズは承諾した。

そして富野監督の代わりとして就任したのが今川監督であった。彼は富野監督を尊敬していて、
富野監督の作ったガンダムという作品が好きだった。 それ故に、富野監督の思想(富野イズム)を根底に置いた上で、
自分の描きたいガンダムを描く、という手段をとった。それが「Gガンダム」である。

そして「Gガンダム」は、富野イズムを根底に置いてはいたが、「今川監督の好き勝手」というのが大きくあった。
Vガンダムの頃からのノイローゼを引き摺りながら「Gガンダム」を観た富野監督は、制作者としての初心を思い出す。
「勇者ライディーン」「無敵鋼人ダイターン3」「無敵超人ザンボット3」・・・「機動戦士ガンダム」・・・「重戦機エルガイム」
そういった作品を作ってた頃、まだ好き勝手に作品をいじくれた時代の事を。 そして、初心に戻ってみようと考える。
そのためにまずしなくてはならない事それは、ニュータイプの否定だった。

富野監督は、「機動戦士ガンダム」において「ニュータイプなど存在しない、ニュータイプ能力は本来人が持つ能力(底力)である」
と描いたつもりでいたが、世間の人々はニュータイプを人間より優れた者と認識してしまっていた。

当時「Gガンダム」「ガンダムW」「ガンダムX」と3年連続でガンダムがテレビ放送される事が決まっている状況で、
富野監督が新しいガンダムをテレビ放送する余地は存在しなかった。そこで「テレビが駄目なら漫画でやろう」
「しかも中途半端に終わっていたF91を完結させよう」「その上でニュータイプも否定してしまおう」
という三つの考えの末に生み出されたのが「機動戦士クロスボーンガンダム」だった。
また「ニュータイプの否定」は、奇しくも「ガンダムW」「ガンダムX」の両作品においてもなされていた事であり、
意図してか意図せずか、そこにも富野イズムが存在したわけである。
クロスボーンガンダム終了後、富野監督は考えていた。「これからは初心を取り戻して、好き放題に作品をいじくる監督になろう。」
そして、そう考えながらノイローゼからの立ち直り第一作目として作り上げた作品が「ブレンパワード」であった。
「ブレンパワード」は、ガンダムのように万民の評価こそうけなかったものの、富野監督を理解する者の間では高い評価を受けた。
それは、「富野監督の中で何かがふっきれた」と言うことを感じた人たちからの評価であった。

富野監督はその勢いで、新たな作品の制作に取り組む。そのコンセプトは、
「今までに存在したガンダム、自分が作ったガンダムも、他の人が作ったガンダムも受け入れてしまおう。
そして今川君のように、好き勝手に作品をいじくりつつ、ニュータイプを否定しつつ、ガンダムという作品に決着をつけ、
もう二度とガンダムという 作品がうまれてこないようにしよう。そして今川君の作った、Gガンダムを超えるガンダムを作ろう。」
というものであり、そのコンセプトの基につくられたのが∀ガンダムであった。

そう、富野監督は∀ガンダムで
・ニュータイプを否定 → ニュータイプ能力など存在しない、あれは本来人間の持つ底力なんだ
・ガンダムに決着をつける → 今後ガンダムと言う名の付く作品を作る必要は無い。
という二つのことをしたのである。

そんな富野監督からみれば、ガンダムSEEDという作品は否定したニュータイプを再び出され、
「もう出てくるな」と思っていたガンダムという名前の付いた作品を生み出した、完全に富野イズムに反する作品なのである。

そう、ガンダムSEEDは、富野監督に否定された最低のガンダムなのである。

以上、長文にて、富野イズムというものを書かせてもらいました。