私の父、シーゲル・クラインが死んだ。
その事自体は私にとってはどうでもいい事だ。
取るに足らない、昨日の夕飯の献立は何であったか
という程度の事実に過ぎない。
肉親の情愛などというものはこの世で最もくだらぬ迷信のひとつであり
唾棄さえすべき代物である。
シーゲル・クラインの生物としての役割は
より高位の存在である私を生み出した時点で既に終了している。
しかし、そんなだしがらのような男でもそれなりの役には立った。
茶のだしがらという物も匂い消しや民間療法などに使えるが、
あのだしがらの如き男も、その死を以って最後の役割を終えた。
シーゲル・クラインは死んだ。
何故か?と問われれば私はこう答えよう。
「私のために死んでくれたのだ」と。
彼の死により私は『肉親を亡くした悲劇の歌姫』という肩書きを
手に入れることができた。
群集心理を操作するシンボルとして、これ以上無いステイタスである。
素晴らしい。
私は、最後の残りカスまで私のために役立ってくれた父に感謝しよう。
「くくく」
と、そこまで思い描いてから、私は孤を描いた己の口元を指で抑えた。
おっと――『はかなき歌姫』の笑顔にしては多少はしたなかったか。
しかし、愉快で仕方ないのであるから、それを抑制する事は美容に良くない。
モニターの向こうで演説しているのはプラント評議会のエザリア・ジュールである。
都合のよいことに、必死で私を擁護し、全てを父の企みと誘導する
内容の演説であった。
もちろんそれは評議会によって決定された内容の物であろうが――
私は、エザリアが心から『そうあって欲しい』と願いつつ演説している事を
彼女の表情から見て取った。
おやおや、私の信望も随分と厚いものだな。
ああ、もしかすると…以前一度、息子と共にプライベートでまみえた時があったが
その事をいまだ引きずっているのだろうか。
親子揃って権威に弱く、情に捉われ、思い込みが強い。
コーディネーターの欠点が如実に現れた、好例だ。
このような劣った種を残しておく気は、さらさら無い。
今回の一連の計画のほぼ全てを、私がデザインしたと知った時。
銃口をその身に向けられた時。
彼女がどのような顔をするだろうかと考えるだけで頬が紅潮してしまう。
できれば、その引き金は私が引きたいものだ。
男はすべからくミドリムシ以下の原生下等生物である。
私の持論であるが、今の所それが覆されたためしは無い。
ダコスタをはじめとする優秀なコーディネーター兵は、
私の憂いを秘めた表情のみで操り放題に操れる。
私が行けと言うだけで、命を捨てて、盤上の駒と化してくれる。
お陰で、私は個室でゆっくりと楽しいコントを見ることができるのだ。
「いい加減にしろ!何も判らぬ子供が何を知った風な口を聞くか!」
はは。その『何も判らない子供』にザフト最強のMSを気軽に渡したのは
あなた自身でしょうに、パトリック・ザラ閣下。
その結果がこれなのですよ。本当に楽しいお方だ。
「何もお判りでないのは父上では有りませんか!?」
いやいや、よくぞここまで私の思い通りに成長してくれたよアスラン。
キラ・ヤマトを取り込んでおいたのはやはり正解だったな。
「あの女、ラクス・クラインにでもたぶらかされたか!」
…ほう、さすがはコーディネーターの頂点に立つ人間だけはある。
私の野望を、僅かながらも感じ取っているようだな。
くく、しかし、あなたの欠点は、常に後手に回ってしまう所だよ。
「そうして力と力でただぶつかりあって、それで本当にこの戦いが終わると
父上は本気でお考えなのですか!?」
見たまえ。最早アスランの思考はここまで愚鈍なる物に膨れ上がった。
おためごかしの平和というキーワードに縛られ、本質を見極めず、異質の
考えを受け入れられぬ狂信者だ。
私の洗脳技術の最高傑作の前に、あなたの言葉はもう届きはしないのだよ。
アスラン、お前のやってきた事が、力で捻じ伏せる以外の何者でもないと、
最強のジャスティス無しに成し得はしないと気付かない貴方ではなかったはずなのに。
嗚呼、よくぞここまで愚直に肥大してくれた!
パトリックは、最も信頼していた息子の背信に、急激に激怒したようだ。
…ナチュラルを滅ぼす?
ははは!
馬鹿奴、だから貴方は敗北するのだ。
その言葉が売り言葉に買い言葉だったにしても、
もう『私の』アスランには決定的発言だよ。
気付かないのか?愛する息子の顔が見る間に貴方への憎悪に染まっていくのを!
これでお膳立ては揃った。
肉親同士の殺し合い。
ローマ帝国でもそうそう見られることは無かった、至高のアトラクションが
楽しめるということだ。
一体どうしてお前達は私をこんなに楽しませてくれるのだろうか?
楽しすぎて可笑しすぎて、困ってしまうではないか。
踊れ、踊れ。
私がそう命じずとも、お前たちは勝手に滑稽な踊りを見せてくれるのだ。
真っ赤に焼けた、鉄の靴を履いて。
エターナルのブリッジに入ってきたアスランに、私は無邪気ともいえる表情で抱きついた。
父との諍いで傷ついたアスランの心の、拠り所として。
無垢な私を見て、アスランは困惑しつつも無意識下に私の笑顔を刷り込む。
その無垢なる笑顔に、アスランの餓えた愛情はたちどころに満たされるであろう。
程なく、ザフトの部隊がエターナルを追って来た。
「全チャンネルで通信回線を開いてください」
私は毅然と言い放つ。
「私はラクス・クライン。願い未来の違いから、私達はザラ議長と
敵対する者となってしまいました――」
無論、これでザフト兵が止まるとはいかな私でも考えてはいない。
この通信の真の狙いはふたつ。
ひとつは精神的に疲弊しきっているアスランに対する洗脳の増強。
そして近くに待機しているであろう、我が『兵力』に対する救援信号――。
堪えるのは、ほんの少しだけでよかった。
私の『剣』キラ・ヤマトが、最強のMS・フリーダムで駆けつけ
戦局を一瞬で覆してくれたからだ。
見るがいい、この圧倒的力を。そして恐れおののき、私を讃えよ!
攻撃の余波で船が揺れる。
アスランにもたれかかり、彼の保護欲を掻きたてる事を私は忘れない。
この『ひ弱な私』を、アスランはジャスティスで戦う時も思い出し、
身を呈してエターナルを死守してくれる事であろう。
戦闘は、すぐに終結した。
程なくアークエンジェルと合流し、安全を確保する。
アンドリュー・バルトフェルドとキラの関係も
私の洗脳に浸りきった者同士、和解するのは困難な事ではなかった。
オーブの要人カガリ・ユラ・アスハだが、
『強い女』である私に対し、早くも畏敬の念を抱いている。
こいつは容易く私の術中に陥りそうだ。
そして、私は忠実なる『犬』キラ・ヤマトの頭を撫でてやる事にする。
あえてアスランにその姿を見せてやる事で、心理的コントロールを謀る。
今のところ、キラをアスランの上位的存在として扱ったほうが
計画には都合が良いからだ。
「父が…死にました…!」
涙腺を操作して水と塩分を溢れさせ、私はキラに抱きついた。
ありがとう、シーゲル・クライン。
おかげでキラは益々私に対する信頼を強め、私の駒として
動いてくれる存在となるよ。
歓喜の涙を流しつつ、私は輝かしい未来を夢見る。
フリーダム、ジャスティス、そしてエターナル。
私が永遠に握る自由と正義。
この比類なき『力』さえあれば、私の計画は必ずや成就する。
私の最終目標である『オペレーション シュブ・ニグラス』。
その達成まで、あと僅か――。