富野関連の対談や発言を書き込むスレ2

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43通常の名無しさんの3倍
返  信

私は、辛い思いをしたことがありません。
おじいちゃんもおばあちゃんも既に亡くなりましたが、命の順番に還っていきました。
身近な人の理不尽な死や事故、悪意、もちろん戦争による別れの経験もありません。
だから、富野さんがかつて、自分を痛めつけ過ぎて、家から一歩も出られないような
数年間を過ごされたと聞き、そんなにまで傷つくということがどういうことなのか、想像
もできませんでした。
奥さまが、「それでも、<コンクリートの上じゃなく>土の上だけは歩けたのよ、気持ち
いいって。」と、その時のことを話して下さいました。でも監督は、そう思ったことすら
覚えてない、と、おっしゃっていました。数年間、霧の中にいたような感じだと。
傷ついた心の有り様を思いやるのは、私には難しく、それよりも、心を閉ざしていても
足のウラは土の柔らかさを覚えていたということに、人間の不思議を感じました。
ターンAという作品に関わりながら、私は、富野さんがいっとき癒された、土を踏んだ
ときのハダシの感覚のことを、ずいぶん長いこと考えていたように思います。
44通常の名無しさんの3倍:03/02/06 23:46 ID:???
クラクフで収容所跡を訪ねたとき、誰かを痛めつけてやろうという暗い情熱を何年も
ずっと持ち続けることは、私にはできないと思いました。
それが他人に差し向けられたものでなく、自分自身を傷つける力だとしても同じこと
です。幸せな者が思わせぶりに悲しみを語ったところで、それは下品なこと。
不幸を知る人にも納得してもらえる音にするために、と、眉間にしわを寄せるうち、幸せ
であること、今ニッコリと笑えるということを恥じている自分に気づいたりもしました。
私は愛されて育った記憶があり、何か大きな力に守られていると感じていて、土の
暖かさを知っている。そんな音を、富野さんに届けたかった。わたしがそうである、
というより、すべての人間に、そう感じる権利があるという思いを込めて。
文章は本業ではないので・・・・。
劇場版のエンディングに流れるすべての曲たちが、ラブレターへのお返事です。
また、一緒に遊びたいな。

                                          かんのようこ