ニュータイプ1988年1月号から。
●ストーリー・メモ
シャア・アズナブルが、アムロにサイコ・フレームのアイデアを渡したのは、
贖罪の意味もあるが、傲慢の現れでもある。
アムロにしても、それがわかっていて、その不利な状況と言うものを呑み込んで
倒して見せなければならない敵であった(敵になっていた)。
そのための両者の運命は辛いものだろう。
その間に、アムロは、妻ベルトーチカ・イルマとの関係を保ちながらも、
新しいニュータイプ、クェス・パラヤと関与して、
なぜ、アムロがシャアと戦わなければならないかが語られる。
かつて、シャアは、独裁を決意し、その決意に至る過程にララァ・スンがいたのである。
そして、シャアにはララァをアムロに略奪されたという強迫観念がある。
誤解である。
が、アムロもまたララァに支配されている自分を自覚するから、
シャアの挑戦を受けて死んでいくのである。
しかし、アムロは、シャアを倒す過程で、現実的な人間関係を維持して、
良い父親になろうとした。
ベルトーチカの愚直な女性としての部分の勘が達成させたことであろう。
が、シャアは、メスタ・メスアと出会ってもそれはできなかった。
共に才能論が走りすぎたのである。
ここに、男上位の社会に見えても、女性が支配する関係が見えるものとしたい。
つまり、本質的には保守的に見える女性が、現実を超える力を持っていると語られるのだ。
男はもともと戦争と言うはっきりとした状況でしか才能を発揮できない動物なのではあるまいか?
それ故に女性は、現実では悲しみを乗り越えなければならず、
ベルトーチカはアムロの子を抱いて次の世紀を待つのである。
死ぬのはやさしいのであるが、それは、現実逃避である。
このことがガンダムを拘束しているという感覚を呼び起こしたいが、
悲劇で終わる物語が、ロボット物のジャンルに必要かどうかは疑問である。
以上はコンテ執筆前の設問である。