あの日…エルピー・プルがまだ子供でいられた頃。
彼女はどんな夢を見たのか
素描エルピー・プル
絵・北爪宏幸
協力・銀河剽六
まるしー日本サンライズ・創通エージェンシー
からだが、フワッと浮いた。
アッと思った時、少女は温かい空間にとり
まかれた自分を感じていた。肌をつつみこむ
温かい液体、夢の中で空中を漂うようなもど
かしい浮遊感、そして乳白色の霧…。ずっと
昔に、これと似た場所で、長い長い眠りをむ
さぼっていた。とっても気持ちいい。自分が
誰で、昨日まで何をしてたのか、いや、つい
さっきまでのことも、何も思い出せない。
「私は誰だろう」そうした感覚すら、少女は不
安ではなかった。むしろ、胸のずっと深い部分
で、この状況を楽しむ気持ちが芽生えていた。
ココハ、アタシガウマレタバショニ、ニテ
ル――
少女がそう気付いた時、ポシャン!と音が
して、少女をつつんでいた液体に波紋が起っ
た。液体の表面をおおっていた、乳白色のア
ワがゆらめく。その波紋が広がるにつれて、
頭の中の霧が少しずつ晴れてゆく。ふいに、
少女は、すべてを思い出していた。
アタシノナマエハ、えるぴぃ・ぷる――コ
コハ、あくしずノナカニアル、にゅうたいぷ
ノケンキュウジョ、ダ――
そう気付いた時、少女は幸福な夢から急に
現実に引きもどされた。楽しい手品の種明し
をされたようなさみしさが、胸をしめつける。
そう、少女の名はエルピー・プル。彼女は、
宇宙要塞アクシズの中で、モビルスーツ戦用
のニュータイプ戦士候補生。昼夜を問わぬ「実
験」の被験者であった。
プルは、まだ子供だ。
彼女を「管理」している青年はグレミー・
トトという。彼もまた、背がスラリと高いだ
けの、少年の面影を残した男だった。その顔
立ちも、声も、甘く優しい。だからといって、
プルはグレミーに親しみをおぼえなかった。
コノヒトニハ、ドコカハイリコメナイトコ
ロガアル――
プルはまだ10歳に満たない。身長も、140セ
ンチを切る。長身のグレミーの前に立つと、
プルの目はいつも、彼の手を見るかたちにな
る。目や口ではなく、手を見ながら、グレミ
ーの「指示」を受けるのが、プルのくせだ。
そうすると、いろいろなことがわかってくる。
グレミーの言葉は優しい。物腰はノーブルだ。
だが、その手、手の表情が、こわい。全体的
な印象と、彼の手の無遠慮で、粗野な動きは、
まったくそぐわないものだ。プルには、それ
が面白かった。だから彼女は、グレミーの語
る対人論やら精神論を聞きながら、つい彼の
手の動きにひきつけられてしまう。それは醜
いが、妙にプルの心をとらえるものがあった。
ユガンデイル――
プルの知るはずのない、そんな言葉が、彼女
の頭の片隅をよぎる。グレミーはどこか「変」
なところがある。その「変」なところは、プ
ルの「変」なところと似ている。だからプル
はグレミーが嫌い。
プルは知らず知らずのうちに、そんなこと
を考えるようになっていた。
闇の中に、細長い箱がひとつ、浮かび上が
る。長さは2メートル強。表面のガラス板を
透かして、内部をうかがうことができる。非
常灯の緑がかった明りは、ほどよく調節され
箱の中の少女の長い眠りをさまたげることは
ない。切れ長の大きな瞳を優しくふさぐ瞼。
勝気そうな眉。細く鋭ったあごの先端(じゃ
れついて、押しつけられたら、さぞや痛いだ
ろう)、まるで死んでいるかのように、その少
女は夢をむさぼっている。
アレハ、アタシ、ナノカシラ?
明け方の浅い眠りの中で、プルはよくそん
な少女の夢を見た。夢の中で、眠っている「自
分」を見つめる。少女は、目覚めたためしが
ない。ひっそりと息づくその寝顔を、プルも
また夢の中で、息をひそめて見つめ続ける。
少女はプルに似ている。自分自身なのかも知
れなかった。友達がいないプルにとって、
夢の少女は、ただひとりの同年代の同性だっ
た。友だちとのつき合い方を知らないプルは
声をかけて少女を起こしてしまうのが怖い。
コノコガ、ユメカラサメテ、アタシトカオ
ヲアワセタラ、ナカヨシニナレルカシラ。ソレ
トモ――
いつもプルは、そんなことを考えながら、
少女の枕もとで頬づえをつくのだった。やが
て、夢の中で眠りに落ちたプルは、現実の世
界で目覚め、ベッドから飛び出す。
プルの頭の中に、もう夢の中の少女はいな
かった――。