No.1671 フロム・エーの富野インタビュー(後編) TY
2002 年 2 月 25 日(月)00 時 30 分 23 秒 JST
以下は、フロム・エー関東版の2002年2月28日号に掲載された富野インタビューを、
私なりに整理したものです(「」内は原文と完全に一致しています)。
ではどうぞ。
>・約10年間の低迷期とその間に学んだこと
> 体調を崩し、欝病に近い経験をする
> →自殺も考えたが、怖くてできなかった。
> →「人間は簡単には死ねない」と学び、「死んで楽になるのは汚い」と思うようになる。
> →「死の瞬間を想定して生きていけば、これから自分が何をすればいいのかわかるはず」と気づく。
>・ではどのように死にたいのか?
> 「普通に死にたい」←普通に死ねるならば、その瞬間も怖くないはずである
> →普通に死ぬとはどういうことか?
> →死の瞬間に、まわりに誰もいないのは寂しい
> →どんな人に囲まれて死にたいか?
> →1.家族に側にいて欲しい
> 2.自分の死を悲しんでくれる愛人が欲しいと想像する
> →愛人とは、自分の作品を愛してくれるファンのこと。
> →ファンが自分の死を悲しんで葬式に来てくれるならば、
> 「生き返ってでも抱きしめてやる!」と考えるようになった。
>
>・死の瞬間(どんな人に囲まれて死にたいか)を想定することで、
> これから自分が何をすればよいのか(自分の作るべき作品がどんなものか)がわかった
> →「普通に死ねるような作品を作り続けなければならない」
・ガンダムの名前が、∀の鑑賞者を限定するのではないか?(←インタビュアーの質問)
→∀の欠点はタイトルがガンダムであること、というスタッフの言葉がうれしかった。
→「絶対に10年後には、もっと多くの人に『∀』は伝わる」
→心配はいらない
・∀は『地獄の黙示録』に負けておらず、『2001年宇宙の旅』も超えている
・∀は、自分だけの力では作れなかった。
→「自分が少しだけ引いた形で関わることによって、いろいろな人の力を借りてできた作品」
・次回作は普通のロボットもの。人畜無害なものを作りたい
・新作は、夏ごろ公に。
※「」部分は、フロム・エー サーズデー 平成14年2月28日号
(発行:リクルートフロムエー)P110〜111「人生の前編後編」より引用
上の>の富野は当にディアナそのもの。
1、約10年間の低迷期の富野
コールドスリープ技術で睡眠と覚醒を繰り返して若さを保っているディアナ
2、> 「普通に死にたい」←普通に死ねるならば、その瞬間も怖くないはずである
「普通に生きて死んで行きたい。そうすれば「今までのような悲しみ」を味あわずにすむ。
そして何よりもそれが人間として自然なことなのだ。」と思ったディアナ
「順々に死んでいくというのはとても厳粛で自然な事なんだ、っていう観念は
育っていくだろうと思う。
そういう時代に向けて「∀」という作品で、人生の総論を21世紀最初の年に
発表できたらそれはいい事だなと思うんです。(100%コレクション2より)」
3、→どんな人に囲まれて死にたいか?
> →1.家族に側にいて欲しい
> 2.自分の死を悲しんでくれる愛人が欲しいと想像する
> →愛人とは、自分の作品を愛してくれるファンのこと。
> →ファンが自分の死を悲しんで葬式に来てくれるならば、
> 「生き返ってでも抱きしめてやる!」と考えるようになった。
自分の最期を見届けてくれるようディアナはロラン(自分を慕ってくれている人間)に頼む
「「当初の重さと痛さがディアナに集約されています。
その意味でディアナは最後まで「痛い」ですね。
「∀」のラストには童話的な残酷さがありますが、ある意味、幸せな 終焉 でもあるんです。」
ロランに見取られてディアナが死ぬことを「予測できる」最後のシーン
ロラン「おやすみなさい、ディアナ様」
「童話的な残酷さがありますが、ある意味幸せな終焉」
で、上の考えに至った時、目から鱗がぼろぼろと落ちてきた。
ディアナ=富野=富野ガンダム
キエル=W,G,Xを創ったサンライズスタッフ=富野を離れたガンダム
ロラン=我々ガンダムファン
(ディアナカウンター=月=「ガンダム」 地球=ロボットアニメ)
・ロランは月で産まれ、ムーンレイスの統治者ディアナに憧れ
地球に降下してからはディアナと瓜二つなキエルにも憧れるようになる。
・ディアナは興味本位でキエルと入れ替わる。
・キエルでもディアナカウンターを十分に統治できるようだ。
・ディアナは最後キエルに「月」を託し、地球での「死」を選んだ。
(最後のシーンは当に今の富野そのものなんだということ。)
何故∀の物語はガンダムでなければならなかったのか?
何故黒歴史にG,W,Xが含まれる必要性があったのか?
何故ディアナとキエルは似ていたのか?
その理由がやっとわかったよ・・・・・。
つまり逆境にあった自分を描いた作品が∀ガンダムであり
「ガンダムのことは頼んだよ」というメッセージも込められていたようだ。
ピンチ(逆境にあった自分)を逆にチャンス(それを作品に反映する)にせよ!
日本経済も∀を見習うべきと言っていたのはこういうことでもあったわけね・・・。