OVER THE RAINBOW制作委員会Part3

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ザクホバー(MS−06J/Ha・Hb・Hc)
ザクUJ型は、地上戦にチューンされた優秀な機体である。
しかし、オデッサ戦以後、激戦により、脚部に致命的な損傷を受け、
歩行が不可能になった機体が続出していた。
こういったザクは使える部品のみを回収したり、そのまま破棄されたりしていたが、
一部のザクは現地スタッフの判断により、下半身のホバークラフトへの改修を受ける事となった。
ドムの実戦データ回収結果より、ホバーの有効性が認められたのだ。
接続改造自体は、既にザクタンクで行なわれていたので問題は無かった。
問題だったのは、肝心のホバークラフト部だったのである。資源も資材も禄に無く、
開発期間も余裕が無かった。撤収作戦は、明日にでも始まろうとしていた。
上層部は、開発中止を命じた。開発主任は、新型MSドムを見て思った。
ホバーには機動性がある。あれだけの機動性があれば、ザクはもう一度戦える。
開発部主任は、無理を承知で英断を下した。マゼラトップを分解したのだ。
連邦軍にMSが存在しなかった戦争初期において、マゼラアタックのその奇抜な分離戦法は、
64式戦車相手に多大な戦果をあげた。しかし、連邦主力がMSになって、
マゼラアタックの運用そのものが疑問視されてきたのだ。
分離機構そのものが非常に複雑な整備を必要とする為、退却戦時には運用できない可能性が高かった。
もともと小・中破したマゼラアタックは廃棄する予定だったのだ。
マゼラトップ砲をザクUJ型に配備し、残ったエンジンを用いて、下半身の作成が行なわれた。
完成したのは、大規模撤退戦の2日前であった。
資材を最大限に用いて、合計4機製造された。強行偵察用のA型が2機。近接戦闘用のB型と、砲撃支援用のC型が
それぞれ1機づつであった。
しかし、あくまでも現地での採用だった。歴史からは抹殺された。
開発主任であった技術少佐は、後にデラーズフリートに参加している。自らの理論実践の為、
メルザウン・カノーネ開発スタッフに加わった。その後の行方は、わからない。
ヘーッドラーイ テールラーアーイ タービーハーマダ オワラーナーイー