仮面ライダー鎧武 Part50【お前は犠牲によって救われている】
22話で何が起きたか(そのいち)
十代でも大人になってしまう人はいるし、一方で何歳になっても子供でありつづける人もいる
子供と大人はどちらが善くて、どちらが悪いという関係ではなくて、
ただ大人になってしまうということは寂しいことだ
主人公のコウタは子供であることと大人になることの中間に位置していて
鎧武はコウタが大人になってしまうことの物語だ
コウタが大人になってしまうということは別れが訪れるということでもある
ただ、それはクウガの五代雄介のように最後にはコウタが旅立つということではない
そうではなくて、大人になるということは一緒に旅立てなくなってしまうということなのだ
旅は終わらない、仮面ライダー鎧武は仮面ライダーが最後に誕生する物語ではない
22話で何が起きたか(そのに)
コウタ(豪傑)
自分で体験したことから言語的に説明可能なモデルを作る
間違った認識から間違ったモデルを作りがちな反面、間違った部分を修正することも得意
何も犠牲にせず世界を救おうとする人
ミッチ(戦術家)
聞いた情報を分析して少しだけ先読みして計画をたてる
自分の都合を優先しがちという欠点があって大局観に欠ける
大切な人のために世界の方を切り捨てる人
カイト(戦略家)
何の情報もない所からいきなり結論だけを考える
論理展開が謎で結論が乱暴になるかわり妙に後の状況に符合する
もっとも少数を切り捨てて乱暴に世界を救おうとする人
22話でコウタはミッチとカイトの考え方を身につけた
これでもうコウタはミッチに助言を求める必要がないし、もうカイトの背中を追いかけ回す必要もない
感じること考えること疑うこと、すべて揃った