「もう手遅れよ。いま埋め込んだ強化心臓が送り出す血液が、アナタの身体を内側から造り変えていくわ」
テンニョは得意満面の笑顔で言った。
「放っておいてもアナタは人間ではなくなるの。これから先の手術は、変化を正しい方向に導くためよ」
「たッ……正しいって何よッ!? 勝手に人の身体を改造しようとしてッ、ふざけないでッ……!!」
喚く真琴を嘲るように、テンニョは「オホホホホ……!」と高笑いする。
「アタクシがアナタを改造人間として完璧にしてあげるわ! 完璧な海蠍(ウミサソリ)女にね!」
「さッ、サソリッ……!?」
真琴の顔が引きつった。
「……イヤッ! ヤメてよッ、そんなッ……サソリなんてイヤァァァッ!! 悪魔ァッ! 人でなしィィィッ!!」
「オホホホホ! 好きなだけ罵るといいわ! アタクシには褒め言葉にしか聞こえないけどね!」
テンニョに眼で合図されて、執刀医がカートから移植用の新たなパーツを取り、真琴に示した。
親指ほどの大きさの塊だった。黄色と紫の斑な色をして、ぬめぬめと照り光っている。
「せっかく形のいいオッパイだから、丸ごと取り替えるのは、もったいないと思って」
テンニョが説明する。
「乳腺の代わりになる毒液腺だけ移植してあげるわね。海蠍女にふさわしい猛毒オッパイになるように!」
「イヤァァァァァッ! そんなのヤダッ!! ヤメてェェェェェッ……!!」
真琴は絶叫したが、執刀医はためらうことなく哀れな少女の右乳房の下側にメスを突き入れた。
「ヤダァァァァァッ! アアアアアッ!! アアアアアアアアッ……!!」
執刀医がメスを動かし、切り口がさらに広げられていく。
真琴自身に見える角度ではないが、乳房の下から流れ出す血を見れば何をされているかはわかる。
ニィッと眼を細めて執刀医はメスを置くと、真琴の乳房の中へ毒液腺を押し込んだ。
「アアアアアッ!! あたしの身体にッ!! ヤダッ!! 出してッ!! 変なモノ入れないでェッ……!!」
だが執刀医は真琴の左乳房の下も同じように切開して、毒液腺を押し詰めた。
「……うゥゥゥッ!! ぐゥゥゥゥゥッ……!!」
真琴は、ぎゅっと眼をつむって歯を喰いしばる。
不気味なバケモノじみた心臓に続いて、毒を生み出すという怪しげな器官を身体に埋め込まれてしまった。
こうして徐々に自分の身体は、サソリの怪物に造り変えられていくのだろう。
「さて、心臓の機能が完全に置き換わったようね」
テンニョが真琴の胸の切開部を覗き込み、微笑んだ。
真琴の身体に押し込まれた強化心臓は、すでに大動脈や大静脈など周囲の組織と融合していた。
ぶよぶよと不気味に脈動しながら、少女を海蠍の怪物へと変える呪われた血を吐き出している。
一方、真琴の本来の心臓は、どす黒く変色して萎びてしまい、ピンポン玉ほどの大きさになっていた。
「古い心臓はいずれ周りの組織に吸収されて消えてしまうけど、ついでだし切り取ってしまいましょうか」
テンニョの言葉が合図になり、執刀医は真琴の切り開かれたままの胸にメスを挿し入れた。
「やだァッ! もうヤメてッ! あたしの身体をオモチャにしないでェェェッ……!!」
真琴は絶叫したが、執刀医は容赦なくメスを振るい、彼女の「人間としての」心臓を抉り取った。
萎縮しきって黒い塊と化した心臓が、真琴の眼の前に示された。
真琴は絶望で眼がくらむ思いだった。
「あァァァァァッ……!、あたしのッ、あたしの心臓ッ…!!」
「海蠍女になるアナタに人間の脆弱な心臓なんて必要ないのよ」
テンニョが笑顔で告げる。
「それと、もうじき人間じみた弱い心も消えてなくなるわ。アナタは身も心も強く完璧な改造人間になるの!」
「ふざけないでッ! 誰があんたの言いなりなんかにッ……殺してやるッ!!」
真琴は喚いた。
「サソリ女になったら、アンタを殺してやるッ! アタシを改造人間にしたことを後悔させてやるッ!」
「オホホホホ! その調子よ! 怒りや憎しみが改造人間としてのアナタを、より強く美しく変えるわ!」
「……ぐゥゥゥッ……!!」
真琴は歯軋りする。テンニョの言う通りなのだろう。
恐怖に囚われていた自分の心を、いつの間にか憎悪が支配している。
このまま心まで怪物に変わってしまうとしたら、自分という人間が生きてきた意味は何なのか……?
「……もうヤメてぇっ! 智花たちは帰らせてもらえる約束でしょぉっ!?」
智花が泣きながら叫んだ。
「そのために真琴が残るんじゃないのっ!? 智花は、いますぐ帰らせてよぉっ!!」
「オホホホホ! みんなの犠牲になって改造されてるお友達を置いて、アナタはいますぐ帰りたいわけね?」
テンニョが念を押すように言って、智花はためらいなく叫ぶ。
「だって、そういう約束でしょっ! 真琴が自分から残るって言ってくれたんだからぁっ!!」
「智花ッ、アンタッ……!」
真琴の顔が強ばった。
事実としてはその通りだ。真琴が自分から、みんなの身代わりとして残ると申し出た。
だが、自分ではなくてもよかったのだ。智花でも理恵でも、三人のうち誰か一人だけ残れば。
それなのに自分が犠牲になった。恐ろしい手術を受け、おぞましいサソリの改造人間にされようとしている。
なぜ智花はそれを当たり前のことのように言うのだ? 自分だけ無事に逃げて当然と思うのだ?
アタシがサソリ女になろうとしているのに、なんであの娘は……!?
「人間は追い詰められると本性が出るわねえ。見ていてホントに飽きないわ」
テンニョが、くすくすと笑って言った。
「だからアタクシ、改造手術は必ず被験者の意識を保ったまま行なうし、連れがいれば見学させてあげるのよ」
「殺してやるッ!! オマエなんか殺してやるッ!! 殺すッ!! 殺すッ!! 殺すッ……!!」
真琴が喚き散らして、テンニョは「オホホホホ!」と笑い、
「それはアタクシに向かって言ってるの? それとも、お友達に向かってかしら?」
「みんな殺すッ!! 皆殺しにしてやるッ……!!」
「ま……真琴っ!! やだっ、真琴が真琴じゃなくなっちゃうっ……!」
理恵が悲鳴のように叫ぶが、あとは言葉が続かず泣きじゃくる。
「オホホホホ! 誰も彼も殺してやりたくてたまらないのね? なら、そのための武器をあげるわ!」
テンニョの目配せを受けて、執刀医が新たなパーツを真琴に示した。
鈍い鉛色をしたそれは紛れもなく蠍の鋏脚であった。
ただし、人間の肘から先ほどの大きさがある。
テンニョが真琴の右手に触れ、腰をかがめてその甲にキスをした。
「よく日に焼けてるけど、指が長くて綺麗な手。でも、もうお別れよ。海蠍にふさわしい鋏と交換してあげる」
「勿体ぶらないで早くやりなさいよッ!! その鋏でアンタの首を捻じ切ってやるからッ!!」
憎悪で顔を赤黒く染めて真琴が怒鳴り、テンニョは、くすくすと笑って、
「いい覚悟ね。じゃあ、綺麗なお手手にサヨウナラ」
執刀医が医療用の鋸を手に、ニィッと眼を細めた。
鋸の刃を、真琴の右腕の肘のやや上に当てて、ぐっと力を入れて引く。
切り口から、じわりと体液が溢れた。
それはもはや人間の赤い血ではなかった。赤黒く濁った、改造人間の体液だった。
「やめてっ! お願い、もうやめて! 真琴が真琴じゃなくなるなんて、そんなのやだっ……!」
理恵が泣き叫ぶ。
「もうイヤぁっ! 帰らせてよぉっ! 智花はもう関係ないでしょぉっ!? 約束が違うわよぉっ……!」
智花が喚き散らす。
その間も鋸は真琴の腕に深く喰い込んでいき、やがて――
切り離された腕が手術台から転がって、ごとりと鈍い音を立てて床に落ちた。
「……ああああああああっ! 真琴ぉっ……!!」
理恵が悲鳴を上げる。
「やだぁぁぁぁぁっ! もうやだぁぁぁぁぁっ……!!」
智花は、ぎゅっと眼をつむって顔を背ける。
執刀医が鋸を置き、助手役の手術着姿の女に手伝わせて鋏脚を真琴の腕に繋いだ。
「……ぐゥゥゥゥゥッ……!」
真琴が呻く。
心臓を埋め込まれたときと同様に、麻痺していた右腕の感覚が鋏脚を繋がれた途端、じんわりと蘇ったのだ。
かちかちと鋏が噛み合わされた。
「……動くッ!? か……感覚がある!? アタシが、動かせる……?」
真琴は眼を見張る。
そう、右腕に繋がれた鋏が動いている。真琴自身の意志に応じるように。
テンニョは腰をかがめて真琴の顔を覗き込み、少女の髪を撫でながら囁きかけた。
「アナタの新しい腕だもの、思い通りに動いて当然でしょ? じきに完全に馴染むから、もう少し待ちなさい」
「……アタシの、新しい腕……? アタシの思い通りに動く……アタシの武器……?」
かちかちと右腕の鋏を鳴らしながら、真琴の眼が熱っぽく潤んでいく。
改造人間の体液が脳まで浸透し、思考が闇に染まりつつあるのだ。
テンニョは、にんまりと笑いながら力を込めて言った。
「そうよ! 強くて美しいアナタにお似合いの新しい腕、海蠍の鋏よ! とても素敵!」
「……強くて、美しいアタシ……、ウミサソリ女……」
「鋏だけではないわ! アタクシはアナタを、もっと強くて美しい、完璧な海蠍女に変えてあげられる!」
「……もっと強くて美しい、完璧なウミサソリ女に、アタシは変わる……」
「それでもアナタ、まだアタクシを殺したいかしら? 改造手術が終わるまで、よく考えてみることね!」
テンニョはからかうように、つんっと真琴の鼻の頭を押してから、執刀医に頷きかける。
執刀医が再び鋸をつかみ、真琴の左腕も肘の上で切断して鋏脚を繋いだ。
もはや真琴は、抵抗や拒絶、あるいはテンニョへの呪詛を口にしなかった。
海蠍の怪物へ生まれ変わる呪いの儀式に、従順に身を委ねていた。
両脚が膝の上で切断され、鋏脚と同様の鉛色をした新しい脚のパーツに置きかえられた。
見た目はブーツに似たその脚の先には、鎌の刃のような鋭い爪が生えている。
さらに下腹部が切開されて、子宮と卵巣が摘出された。
それは人間としての母性を根こそぎ奪い去る仕打ちであったが、真琴は眉ひとつ動かさなかった。
代わりに怪物の卵を産み出す新しい卵巣を埋め込まれたときは、「はぁっ……」と恍惚の吐息を漏らした。
移植された器官が身体に馴染む感覚が、もはや心地よかった。
胸と腹部の切開面が縫合されて、その上に鉛色をした革のようなものが貼りつけられた。
「これはアナタの身体に定着すれば、敵の攻撃を跳ね返す甲殻になるの」
テンニョが説明する。
一辺が十数センチほどの甲殻の素材が、真琴の首から下の肌を覆うように何枚も貼り合わされた。
競泳選手であった少女の引き締まった肉体が、美しい輪郭はそのままに鉛色の甲殻で覆われていく。
甲殻の素材には正確に継ぎ合わされる部分と、意図的に重ねられる部分とがあった。
正確に継ぎ合わされた部分は自然に融合し、重ねられた部分を区切りとして節足動物に似た体節を構成する。
甲殻が皮膚に癒着していく感覚に、真琴は陶然と酔い痴れた。
「……はぁっ……んんっ……んくぅ……んはぁっ……!」
身体の前面の処置が終わると、執刀医と助手が真琴をうつ伏せにした。
腰がメスで切開され、露出した尾てい骨に継ぎ合わせるように蠍に似た尻尾が移植された。
先端に鋭い針を備えたそれは、両腕の鋏や両脚の爪と同様に強力な武器となるだろう。
それから背中側にも甲殻の素材が貼り合わされて、真琴の首から下で生身の部分はなくなった。
真琴の身体が仰向けに戻された。
「最後はアナタの可愛い顔を、もっと素敵な海蠍の顔に変えてあげる」
少女に与えられる最後の改造パーツは、テンニョ自らの手で示された。
口元を除いて頭部全体を覆うマスク状のものだった。
全体は鉛色をしており、蠍の体節を思わせる筋がいくつか走っている。
左右の眼を覆う部分には昆虫の複眼を巨大化したような器官が一対、備わっている。
頬からは小さな鋏に似た角が突き出しているが、それは蠍の鋏角を象ったものだろう。
海蠍女にとっては周囲を探知するレーダーアンテナとなり、また獲物を襲う牙ともなる器官である。
テンニョから説明されなくても、真琴には本能的にそれがわかった。
何故なら、海蠍女とは真琴自身であるから。ようやく真琴はそれが理解できた。
アタシは強く美しい海蠍女! その最後のパーツを早く頂戴! より美しく完璧なアタシになるために……!
執刀医と助手が左右から手を貸して、真琴を起き上がらせた。
人間の姿のときは麻痺しきっていた身体は、僅かな痺れが残るだけになっていた。
最後のパーツを与えられることで――完璧な海蠍女に生まれ変わることで、すっかり回復するだろう。
鎌状の爪が備わった新しい脚を床について、真琴は立ち上がった。
痺れ以外の違和感はなかった。当然だ。自分の――海蠍女自身の脚で立っているのだから。
執刀医が真琴から離れて、手術室の隅に置かれていた姿身を運んで来た。
ブティックに置かれているようなキャスター付きの全身鏡だった。
真琴はそこに映る自分の姿を眺めた。
海蠍女にふさわしく変貌した首から下と比べて、人間のままの顔は滑稽でしかなかった。
テンニョが真琴の後ろに立って、鏡の中から微笑みかけてきた。
「生まれたままの自分の顔は、これで見納めよ。覚悟はよくて?」
「……はい」
真琴は頷く。否やのあろう筈がない。
「ヤメてぇっ! 真琴っ!! 真琴ぉぉぉっ……!!」
理恵の悲鳴が手術室に虚しく響く。
テンニョは、にんまりと笑うと海蠍女の最後のパーツを真琴の頭にかぶせた。
髪が、眼元が、鼻と頬が鉛色の甲殻に覆われ、真琴は口元以外、人間らしい面影を喪ってしまった。
いや、その口元さえも肌が蒼白く変じ、唇は毒々しい紫に染まっていく。
「……キシィィィィィィィィッ!!」
完全な変貌を遂げた海蠍女が、歯を剥き出して笑った。
彼女が真琴という名の少女であったときからは想像できない、狂気を孕んだ姿だった。
「オホホホホ! おめでとう、海蠍女! 完璧な姿を手に入れたわね!」
高笑いするテンニョに、くるりと向き直って海蠍女は片膝をつき、頭を垂れた。
「アタシを強く、美しく生まれ変わらせて頂いてありがとうございます、プリンセス・テンニョ!」
「いちおう訊いておくけど、まだアナタはアタクシを殺したいと思っているのかしら?」
にんまりと笑って訊ねるテンニョに、海蠍女も、ニィッと口角を吊り上げて、
「無知を罪と仰せなら、どうぞ罰を下さいませ。ですが、いまのアタシはプリンセスの忠実な下僕(しもべ)」
「なら、その忠誠を証明してみせなさい。アタクシ、いくら見た目が可愛くても頭の悪い子は嫌いなの」
テンニョは言うと、車椅子に拘束された少女の一人に視線を向けた。
海蠍女は、その視線の先を追い、ニィッと笑う。
笑いかけられた相手――智花は悲鳴を上げた。
「ま……真琴ぉっ!? イヤだぁっ!! こっち来ないでぇっ!!」
「智花も、理恵も……アナタたちには感謝してるわ」
かちかちと両腕の鋏を噛み合わせながら、海蠍女は智花へ近づいて行った。
「アタシが海蠍女に生まれ変わるチャンスを譲ってくれたんだもんね」
「そ……そうだよぅ! そう思ってくれるなら、早く智花を解放してよぉ、ねぇ……!」
愛想笑いを浮かべて言う智花に、海蠍女は口元に残忍な笑みを浮かべたまま首を振り、
「ダメよ。アタシは人間ではなくなったけど、アンタへの憎しみの記憶は、しっかり残ってるの」
「に……憎しみって何でよぉっ!? 真琴が自分から身代わりを申し出たんでしょぉっ!?」
「それを当然と思うアンタの身勝手さよ。人間だったときのアタシは、つくづくバカだったわ」
海蠍女は右腕の鋏を伸ばして、智花の首を挟んだ。
「やっ、やめてぇっ……! 苦しぃっ、苦しいってばぁっ、真琴ぉっ……!」
泣き叫ぶ智花に、海蠍女は顔を近づけ、
「アンタみたいなクズを、ずっと友達扱いしてやってたんだもの」
「真琴っ! ヤメてっ! そんなの真琴じゃないよっ!」
叫んだ理恵に、ニィッと海蠍女は笑いかける。
「当たり前でしょ。アタシは海蠍女、もう真琴とかいう人間じゃないんだから」
「助けてぇっ!! ねぇっ、助けてよぉっ!!」
智花はテンニョに向かって救いを求めた。
「真琴をバケモノにしたんだから、もう充分でしょぉっ!? 約束が違うわよぉっ!!」
「オホホホホ! アタクシ、実験台にならなかった子を必ず無事に帰らせてあげるとは約束してなくてよ?」
テンニョは嘲るように笑う。
智花は半狂乱で、たったいま自分がバケモノと呼んだばかりの相手――海蠍女に再び慈悲を願った。
「ねぇっ、真琴ぉっ、友達でしょぉっ!? 悪いのは智花じゃなくて、真琴を改造した人たちじゃないのぉっ!?」
「だから改造されたこと自体は感謝してるのよ、アタシは」
海蠍女は、ニィッと酷薄な笑みを智花に向けた。
「赦しがたいのはアナタという愚かな人間の存在と、それを友達と思い込んだ人間だったときの自分自身よ」
そして、左右の胸から紫色の毒液を噴き出した。
「ギャアアアアアアアアアアッ!! ギョァアアアアアアアアアッ……!!」
全身に毒液を浴びた智花は身を引き裂かれたかのように絶叫した。
「智花っ!! ああっ!! あああああっ……!!」
理恵も悲鳴を上げる。
智花の全身が、たちまち紫色に染まった。頭を仰け反らせて白眼を剥いた。
ケープの袖と裾の先から覗いた手足が枯れ枝のように干からびていく。仰け反らした顔も同じ末路を辿る。
マスクの下でニィッと眼を細めた手術着姿の女が、智花の車椅子を押して手術室の外へ運び出した。
「……あああああ! あああああ……智花ぁ……!!」
理恵は、がたがたと震えていた。
そして海蠍女の視線が自分に向いたことに気づき、びくんっと大きく身を震わせた。
だが、すぐに諦観したかのように引きつった笑みを浮かべて、言った。
「真琴が怒るのも、当然だよね……。私、真琴なら自分が実験台になるって申し出るとわかってたのに……」
首を振りながら、うつむき、
「それなのに、黙ってた。真琴を止めようとも、自分が身代わりを申し出ようともしないで。ずるいよね……」
「キシィィィィィィィィッ……!!」
海蠍女は歯を剥き出して笑った。命乞いなど聞き入れるつもりはないのだろう。
理恵に歩み寄り、その首へ右腕の鋏を伸ばす。
だが、テンニョが止めた。
「待ちなさい、海蠍女。お友達の話を聞いてあげるのよ」
「キシィィィッ……!?」
歯を剥き出したまま振り向く海蠍女に、テンニョは、にっこりと微笑みかけ、
「アタクシが何のために人間を改造してるのだと思う? 自分の頭で考えないロボットは、必要なくてよ?」
「……キシィィィィィ……!」
海蠍女は、ゆっくりと鋏を下ろした。
その様子を見た理恵は、哀しげに笑った。
「もう、本当に真琴じゃなくなっちゃったんだね? 真琴だったときの記憶はあったとしても別人なんだね?」
「…………」
無言で向き直った海蠍女に、理恵は、にっこりと微笑みかけた。
かつて大事な友達だった相手に。
「でも、真琴じゃなくても覚えてるでしょう? 私たち……真琴と私、小さい頃から、ずっと一緒だった。
中学のときに智花が転校して来て、三人で遊ぶようになったけど、その前はいつも、いつも二人で遊んでた」
「……それが……」
海蠍女が口を開く。
「それが、どうしたというの……?」
「どうもしないよ。ただの昔話。あなたにその記憶があったとしても、もう思い出す必要もない話。
だって、あなたはこれから、私を殺しちゃうんだから」
理恵は、くすっと笑って、
「あー、涙が止まんないのに、手が縛られちゃってるから拭けもしないや。頬がむず痒い」
「……くだらない」
海蠍女は吐き捨てた。
「命乞いにもなりはしない。頭の悪い女はプリンセスのお気にも召さないわ。お許しが出ればすぐにでも……」
「……悔しいのよ! 真琴が真琴だったうちに言えなかったことが!」
理恵は叫んだ。
「だからせめて真琴の記憶を持ってるあなたに言ってやりたいの! もう何の意味もないことだとしても!」
「……何を言いたいというの?」
苛立たしげに訊き返す海蠍女に、理恵は泣きながら笑って、
「智花が私たちと一緒に遊ぶようになったきっかけ、忘れてないわよね?」
「くだらなすぎる話ね。アタシ……人間だったときのアタシに、智花がラブレターを寄越したのよ。
女同士で、何を勘違いしたか」
「でも優しい真琴は、ただ断るんじゃなくて、友達としてならつき合ってもいいと答えたんだよね?
本当に真琴は優しかった。それ以来、はっきり言ってトラブルメーカーの智花を、ずっと見捨てなかったもの」
「女のアタシにフラれた智花は、次からはくだらない男を追いかけ回してたわ。つくづく頭が悪い女だった。
プリンセスが見限ったのも当然よ」
忌々しげに言った海蠍女に、理恵は、くすっと笑って、
「本当はね、私も真琴に告白したかったんだよ? 智花に先を越されて、できなかったけど」
「…………」
海蠍女は口を引き結んだ。表情が消えた。
だが、それはもしかすると、彼女に僅かでも人間じみた感情が残っていることの証しかもしれなかった。
そうでなければ理恵の告白など嘲笑をもって一蹴したことだろう。
その感情とは、困惑、だ。
理恵は、にっこりと微笑んだ。
「だって真琴、どんな男の子よりも格好良かったんだもの。それに、真琴は優しいから……」
「…………」
沈黙している海蠍女に、理恵は笑顔で言葉を続ける。
「智花のラブレターなんて何年も前の話だけど、向こうを断ったのに私にOKの返事はしなかったでしょうね。
少なくとも智花の見てる前では。だから、智花には早く彼氏を作って、私たちから離れていってほしかった。
そうすれば……智花さえいなければ、真琴も私の告白を断らなかった筈だから」
「……馬鹿馬鹿しい」
海蠍女は口を開いた。
「そんな告白、何の意味もないわ。アタシの記憶にある限り、真琴という人間に同性愛の趣味はないもの」
「そうだとしても真琴は断らなかった筈だし、私の恋人として振舞う努力もしてくれたと思う。
転校して来て三日目で、いきなりラブレターを寄越した智花よりも、私は真琴と、ずっと長いつき合いだもの。
私を傷つけるような返事は、真琴はしなかった……できなかった筈。そうじゃない?」
「くだらない。たとえその通りになったとしても、真琴という人間はアナタを愛してるわけじゃないでしょ?」
「それでもよかった。真琴を他の誰かに奪われちゃうくらいなら」
笑顔のままで答えた理恵に、海蠍女は再び口をつぐんで――
しばらくしてから、海蠍女はテンニョに向き直った。
「……プリンセス。アタシには、人間を忠実な下僕……海蠍兵に変える能力が備わっている筈です」
「そうね、そういう風に改造してあげたわ」
にこにこしながら答えて言うテンニョに、海蠍女は頭を下げ、
「いまここで、その力をテストしてよろしいでしょうか?」
「存分になさい。アナタに自分で考えろと言ったのはアタクシだもの。止める理由はなくてよ」
「ありがとうございます」
海蠍女はもう一度、テンニョに頭を下げると、理恵を車椅子に拘束していたロープを鋏で断ち切った。
「……真琴?」
怪訝な顔をする理恵に、海蠍女は告げた。
「逃げてもいいわよ。アナタに……理恵に、まだそのつもりがあるならね。アタシを置いて逃げるつもりが」
「でも、あなたはもう真琴ではないんでしょう?」
理恵が訊き返すと、海蠍女は、ニィッと口元に笑みを浮かべ、
「アタシを真琴という人間と重ね合わせて見てるのは、アナタ自身じゃないの?」
「逃げなかったら、どうなるの?」
「実験を受けてもらうわ。アタシが受けたのと同じような実験を」
「それを聞かされても私が逃げないと、あなたは思ってるんだ?」
「だから逃げてもいいと言った筈だけど?」
「…………」
理恵は、ごくりと唾を呑み込んで、言った。
「……逆の立場なら、どうしたかしら? 私が先に改造人間にされて、真琴にも仲間になるように迫ったら?」
「アタシが……人間だったときのアタシなら、どうしたかということ?」
「真琴ならどうしてた?」
「人間のまま死んだほうがマシだと思ったかもしれないわ」
海蠍女は真顔になり、答えて言った。
「でも、いまみたいに理恵の気持ちを聞かされてたら……たぶん結局、逃げられないでしょうね」
「優しいんだ、やっぱり真琴は」
理恵は微笑んだ。
「ありがとう。いまはウミサソリ女なのに……ちゃんと真琴の答えを教えてくれて」
「アナタの気持ちを利用したいだけかもしれないわよ。アタシは忠実な下僕を作ろうとしてるんだから」
「それでもいい。下僕でも奴隷でも、私が真琴に選んでもらえたというだけで」
「……そう。それなら、待ってなさい」
海蠍女は、理恵から一歩、離れて立った。
肩幅くらいに脚を開き、ぐっと唇を引き結んで、全身に力を入れる。
「……くッ……ぐゥゥゥゥゥッ……!」
海蠍女の脚の間から、ソフトボールほどの大きさの白っぽい半透明の球体が産み出された。
べちゃりと、それは床に落ちて弾け、中から鉛色をした蠍のようなモノ――海蠍兵の幼体が姿を現す。
海蠍女はそれを拾い上げて、理恵に示した。
「これを身体に寄生させてあげる。そして理恵は、アタシの従順な下僕――海蠍兵に生まれ変わるの」
「わかった。ちょっと待って……」
理恵はケープを脱ぎ捨て、海蠍女の前に裸身を晒した。
小柄ながら均整のとれた肢体で、胸を張って立ってみせる。
剣道で鍛えた身体である。段位は高校生としては最高の三段だ。
真琴が同性に性的な興味を抱いていないことは聞かされた。
しかし海蠍女であるいまは、改造人間の実験台としてではあるが、この身体を必要としてくれているのだ。
理恵には、それが誇らしい。
「いいわ。お願い」
にっこりとして、理恵は海蠍女を促した。
海蠍女は手にした幼体を理恵の胸元に近づける。
理恵は微笑みのまま、それを待ち受けていたが――
「……待って」
不意にそう言うと、海蠍女の肩に手をかけて、背伸びしながら唇を重ねた。
海蠍女はそれを避けることも、払いのけることもできた筈だが、しなかった。
理恵は眼を閉じて、しばらく海蠍女の――かつて真琴という名の少女であった相手の唇の感触を味わった。
それから、いったん唇を離して、
「……愛してる、真琴。この気持ちは、絶対に忘れないから」
そう囁くと、再び唇を合わせた。
海蠍女は理恵と唇を重ねたまま、相手の胸に幼体を押し当てた。すると――
幼体の歩脚が、尻尾が、たちまち長く伸びて理恵の身体に巻きついた。
「……かはァッ……!?」
頭を仰け反らせて理恵は喘ぐ。
幼体の胴体もまた巨大化して、理恵の裸身の前面を覆うように、ぴったりと貼りついた。
伸びた脚と尻尾とは、背中と尻に絡みついて融合する。
怪物の鋏脚(前肢の大きな鋏)と鋏角(頭部にある鋏状の角)は理恵の頭をめがけて伸びた。
それは少女の頭を取り巻き、ヘッドギアのような形状で融合した。
「……くゥッ……うゥゥゥゥゥッ……!」
理恵は呻き、背を丸めて両手で頭を抱え、二、三歩、後ずさる。
この時点で理恵は、まだ顔と手足は露出したままであったが、その肌が徐々に蒼白く染まっていった。
両脚は膝から先が鉛色に変じ、皮膚は硬化して指が癒着し、ブーツを履いているようなかたちになった。
その足先からは、海蠍女のものより少し小ぶりな鎌状の爪が生え伸びた。
さらに両腕の肘から先も硬化しながら鉛色に染まり、両手は大きく膨らみ、それぞれ鋏を形作った。
ヘッドギアの下の髪は、ポニーテールはそのままで全体が紺色に変化した。
最後に、腰から蠍のものに似た尻尾が伸び、その先端から鋭い針が突き出した。
「……くァハッ……!?」
がっくりと、その場に片膝をついて、荒い息をする。
肌の色さえ眼をつむれば、伏せた顔は人間の少女の面影を残している。
左右の二の腕と、両脚の太腿も甲殻には覆われず、生身に近い見た目である。
しかし鋭い爪の生えた脚、蠍に似た尻尾、何より両腕に備わる鋏は、彼女が何者であるかを示していた。
もはや理恵という少女の存在は永遠に喪われ、海蠍兵と呼ばれる女戦闘員が、ここに誕生したのだ。
「……はァァァァァッ……!」
大きく息を吐いて、呼吸を整え、女戦闘員は顔を上げた。
ニィッと口角を吊り上げて、琥珀色の瞳を主人に――海蠍女に向けた。
「浅ましい真似をいたしました。お怒りなら罰をお与え下さい、御主人様」
「プリンセスの御前よ。以後慎むことね」
海蠍女が答えて言うと、テンニョは、くすくすと笑って、
「あら、可愛いところを見せてもらえて、アタクシは満足してるわよ」
「ありがたいお言葉。プリンセスの寛容に感謝しなさい」
海蠍女が言って、女戦闘員は頭を下げる。
「……はい」
「そんな堅苦しくしなくていいのに、ふたりとも。アタクシは《ペット》には寛容な飼い主なのよ?」
テンニョは、にんまりと笑って言った。
「憎悪の裏返しである愛情もまた、改造人間をより強く美しくするの。ライダーたちとの戦いで学んだ教訓よ。
だから、リエ? いまは主人となった海蠍女――マコトへの愛情を、アナタは決して忘れないこと」
「……はい!」
女戦闘員――リエは、テンニョへ深く頭を下げた。
テンニョは海蠍女へ視線を向け、
「それから、マコト? 優しさは両刃の剣よ。使い方を誤らなければ、リエのような忠実な下僕を得られるわ。
でも、それで隙を作ってはダメ。いまのアナタは主人の立場で、お友達への自己犠牲は求められていないの。
それでも何かを守りたいと思うなら、アナタ自身が強くなりなさい」
「……はっ!」
マコトも片膝をついて、頭を垂れる。
テンニョは、ふふっと笑い、
「せっかくアタクシの《ペット》にするんだし、ふたりに名前をつけてあげたのよ、リエとマコトって。
人間のときの名前そのままだけど、構わなくてよね?」
「……はっ!」「……はい!」
「いいお返事。素直でとても可愛らしくてよ」
揃って答えたマコトとリエに、テンニョは満足げに頷くと、手術台の脇で控えていた執刀医に呼びかけた。
「ここの後片付けは任せたわ。それと訓練室へ《標的》を十匹ほど回すように手配して」
「……はい」
執刀医は、ニィッと笑う。
テンニョはマコトとリエを振り返り、
「世の中には、いなくなっても誰も困らないクズ人間がいるのよね。さっき殺させたお友達はマシなほう。
ドラッグやアルコール漬けで奴隷にもならない連中だけど、捕まえるのは簡単だから訓練の《標的》に使うの。
せっかく強くて素敵な改造人間になったのだもの……その鋏や爪や毒針で、誰か切り刻んでみたいでしょう?」
「……ええ、ぜひとも」「……プリンセスが殺してもいいとおっしゃる相手なら」
改造人間となった二人の少女は、ニィッと狂気を孕んだ笑みを見せる。
「オホホホホ! ふたりとも、いい顔よ! それでこそ強くて美しい改造人間だわ!」
テンニョは勝ち誇るように高笑いしながら、マコトとリエを従えて手術室を出た。 【終わり】