「うーん・・・気持ちいい」
うんと伸びをして新鮮な空気を胸いっぱいに吸う。
高原のひんやりとした空気が肺の中にしみこむようだ。
目の前に広がる森と湖の景色もすばらしい。
こうして出かけてきたことが茜(あかね)は心からよかったと思えた。
「どう? 来てよかったでしょ?」
ヘルメットを脱いでハンドルに引っ掛ける智子(さとこ)。
赤いライダースーツが高原の緑に映えている。
「うん、よかったぁ。バイクでドライブなんて初めてだから不安だったけど、来てよかったよ」
茜もヘルメットを脱いで髪を梳く。
「もう、バイクの場合はツーリングって言うのよ。ドライブは車の場合」
「あ、そうなんだ。知らなかった」
智子に指摘されて素直にうなずく茜。
今回初めてのバイクでの遠乗りに参加した茜は、参加してよかったと感じていた。
「智子、茜、こっちこっちー」
博子(ひろこ)と香苗(かなえ)が呼んでいる。
四人は同じ城東大学の学生で、バイク好きの博子と香苗に引っ張られるようにして茜もバイクを乗り始めたのだった。
自動販売機で炭酸飲料を買い喉を潤すと、遠乗りの疲れがすうっと引く。
不安だったツーリングも、仲のいい友人たちのおかげで楽しいものになっていた。
「そういえばバイクの調子はどう? 中古だから不安だって言ってなかったっけ?」
智子が茜に聞いてくる。
「うん、それがね、いい人にめぐり会っちゃったの」
「「いい人?」」
三人が一斉に茜を見る。
「うん。立花さんって言ってスナックのオーナーさんなんだけど、先日エンジンの調子が悪くて立ち往生していたら、どうしましたって声かけてくれたの」
茜はそのときのことを思い出す。
バイク初心者の茜は突然止まってしまったバイクに途方にくれていた。
そのときに声をかけてくれたのが立花藤兵衛だった。
たまたま車で通りがかった藤兵衛は、止まったバイクを前にどうしたらいいのか困っていた茜に声をかけ、持ち前の技術でバイクを直してくれたのだ。
どうもほんのちょっとしたことだったらしく、部品を交換することもなく機嫌を直したエンジンに茜は驚いた。
お礼を言う茜に藤兵衛は、ちょっと照れながらもたいしたことではないと言いその場を後にしようとしたが、茜は今度ツーリングに行くことを告げてバイクの調整をお願いできないかと申し出、渋る藤兵衛にバイクの調整をしてもらったのだ。
「へえー、スナックのオーナーさんねぇ」
「うん、すごく渋くてかっこいい人よ。ああいうおじさん好きだなぁ」
茜は本気でそう思う。
恋するとまでは思わないが、人生の先輩としてああいうおじさんにはあこがれるのだ。
「はいはい、茜はおじさん好きと」
「もう、そんなんじゃないって。今度みんなにも紹介するわよ。バイクのことすごく詳しいんだから」
「はいはい」
むきになる茜に三人は苦笑する。
湖畔でのひと時は楽しいものだった。
「ねえ、あれ何かしら」
突然博子が林の中を指差した。
残りの三人がそちらを向くと、林の中で人影がちらほら動いているのが目に入る。
茜は最初ハイキングにでも来た人たちだろうと考えた。
だが、どうもそんな雰囲気ではないことがすぐにわかった。
全身を黒尽くめにし、ベレー帽をかぶった男たちに加え、大きな頭に六角形の複眼をつけ角を生やした異形の化け物が歩いていたのだ。
「ひっ」
そのあまりの異様さに、茜は声を押し殺すことができなかった。
「きゃぁぁぁぁぁ」
声を押し殺せなかったのは茜だけではなかった。
香苗も大きな悲鳴を上げてしまったのだ。
だがこのことで黒尽くめの男たちがこちらを向く。
茜たちのことが気付かれたようだった。
「逃げるよ。早く」
口元に手を当てておののいている香苗の腕を引っ張る智子。
茜もすぐに自分のバイクに駆け寄る。
なんだか知らないけれど見てはいけないものを見てしまった気がする。
このままここにいてはよくないことになりそうだ。
四人はそれぞれバイクにまたがり、急いでエンジンをかけていく。
その間にも黒尽くめの男たちは林から彼女たちのほうへと向かってくる。
焦る気持ちを必死で抑え、どうにかヘルメットをかぶって走り出す。
ほかの三人も次々とバイクをスタートさせ、湖畔の駐車場を飛び出した。
バックミラーに映る黒尽くめの男たちの姿が遠ざかり、茜はホッと胸をなでおろした。
「きゃあっ!」
湖畔から山道に差し掛かったところで、突然先頭の智子が転倒する。
「危ない!」
急ブレーキをかけて間一髪巻き込まれるのを回避する茜。
後続の二台も急ブレーキで停止する。
「智子、大丈夫?」
すぐにバイクから降りて転倒した智子のバイクに近寄る茜。
だが、奇妙なことに気が付いた。
転んだバイクと智子に、奇妙な白い紐のようなものが絡まっているのだ。
「な、何これぇ? ねばねばして取れないよ」
智子はバイクと自分に絡まる白い紐を何とかして剥がそうとしているが、どうやら紐がくっつくようで取れないらしい。
「待ってて、今手伝うわ」
茜は智子にへばりついた白い紐に手を伸ばす。
「きゃあっ」
「いやあっ」
そのとき背後の二人が声を上げ、茜は振り向いた。
すると、博子と香苗にも白い紐がまとわりつき、二人は地面に転がってもがいている。
「えっ? 何なの?」
何がなんだかわからない茜。
だが、茜にも白い紐が降りかかり、体の自由を奪ってしまう。
「きゃあっ」
思わず茜も倒れこみ、ねばねばする紐に身動きが取れない。
必死でもがいても、もがけばもがくほど紐は絡まってくるのだった。
「ほほほほほ・・・逃げられるとでも思っていたのかしら」
山道の脇の林から声がする。
「だ、誰? 誰なの?」
紐に絡まれながら、博子が叫ぶ。
あわよくば誰かに助けに来てもらおうというものだったが、このあたりはめったに人が来ない穴場のため、彼女たちのほかには誰もいない。
「ほほほほほ・・・私は偉大なる組織ショッカーの改造人間蜘蛛女。お前たち、おとなしくしなさい」
林の中から現れた姿に茜は息を飲む。
それはさっき見た異形の人影。
毛むくじゃらの頭に六角形の複眼を三つ重ね、額には角のような触角が伸びているが、口元には赤い唇が笑みを浮かべている。
赤と緑の縞に覆われた体には毛がところどころ生えているが、そのラインは柔らかく、腰はくびれて形よい胸がつんと上を向いていた。
すらりとした脚も赤と緑の縞模様に覆われているが、ひざ下は黒いロングブーツを履いたようになっており、高いヒールが足を綺麗に見せている。
背中に網目模様のマントを羽織ったその姿は、まさに蜘蛛と女性の見事な融合というべきものだった。
「そんな・・・バイクで逃げたのに・・・」
「ほほほほほ・・・そのようなもので逃げおおせるはずが無いわ。樹木を伝えば簡単なこと」
智子のつぶやきにわざと答え、ゆっくりと歩いてくる蜘蛛女。
腕を組んで彼女たちを見下ろしている。
「うふふふ・・・でもお前たちは使えそうね。素体捕獲のための手駒になってもらおうかしら」
「私たちをどうするつもりなの?」
「いやぁっ! 助けてぇ!!」
茜は恐怖に震え、香苗は泣き叫ぶ。
「お黙り! さあ、お前たち、この娘たちを連れて行きなさい」
「「イーッ」」
いつの間にか現れた黒尽くめの男たちが蜘蛛女に敬礼する。
蜘蛛女の糸に巻きつかれた茜たちは、なすすべもなく連れて行かれてしまうのだった。
******
「う、ううーん・・・」
ひんやりした床の上で目を覚ます茜。
気が付くと彼女は下着だけの姿で寝かされていた。
「ヒャッ!」
あわてて起き上がると、周りにはほかの三人も同様に下着姿で寝かされていることがわかる。
「お、起きて。みんな起きて」
すぐに手近な智子から順にみんなを起こす。
下着姿だが同性同士だしほかに着るものもなさそうだ。
三人はすぐに目覚めて自分たちが下着だけであることに驚愕する。
だが、手近には何もなく、どうやら地下室か何かのようで窓一つない。
コンクリートの壁と床だけで、一面が鉄格子になっている。
まさに牢屋というしかない部屋で、彼女たちは自分が捕らえられてしまったということを実感した。
「どうして・・・どうしてこんなことに・・・」
香苗がさめざめと泣き始める。
お嬢様な所がある香苗には、こんな状況は耐えられるものではないのだ。
「香苗・・・」
いつも仲のよい博子が香苗のそばに座ってそっと肩を抱く。
茜も泣き出したいほど不安だったが、泣いても仕方がないと思いグッとこらえていた。
「鉄格子の向こうは廊下か・・・その先はちょっとわからないね」
鉄格子を掴んでその向こうを覗き込んでいた智子が振り返る。
こういうときはいつも冷静な智子の存在が頼もしい。
「鍵もがっちりかけられているし・・・ちょっと抜け出せそうに無いわね」
「そう・・・」
だが、あからさまに抜け出せないといわれるとちょっとがっかりしてしまう。
博子と香苗もうつむいてしまった。
「これから私たちどうなるのかしら・・・」
「わからない。わからないけど・・・きっと身代金目当てかもしれない」
茜の質問に智子はそう答える。
それが一番わかりやすい理由だからだ。
それ以外の目的など想像も付かない。
せいぜい陵辱されることぐらいだが、それならとっくにされているはずとも思えた。
「身代金ですか? 父に・・・父にお願いすれば何とかなるかも・・・」
銀行の支店長である香苗の父ならばそうかもしれない。
だが、それにしたって香苗以外の身代金を払いはしないだろう・・・
一般企業の係長である茜の父には身代金など無理な相談だ。
「ほほほほ・・・どうやら目が覚めたようね」
「ひいっ!」
「きゃぁっ!」
突然現れた蜘蛛女に茜たちは悲鳴を上げる。
黒尽くめの男を二人従えながら、蜘蛛女は腕組みをして鉄格子越しに茜たちを眺めていた。
「あ、あなたたちはいったい?」
「私たちをどうするつもりなんですか?」
「出して! ここから出してください!」
口々に訴える茜たち。
だが、蜘蛛女は悠然と構えて口元に笑みを浮かべていた。
「ふふふふ・・・私たちはショッカー。偉大なる首領の下、世界を支配するすばらしい組織よ」
「ショッカー?」
「世界を支配?」
蜘蛛女の言葉に唖然としてしまう茜たち。
だが、それが狂者の妄想とは思えない迫力を持っている。
「お前たちにはこれから改造手術を受けてもらうわ。私ほど徹底したすばらしい改造手術ではないけれど、それでもショッカーの一員としての能力は充分に発揮できる体になるの。どう? 素敵でしょ?」
「改造?」
「手術?」
思わず聞き返してしまう。
この蜘蛛の化け物が何を言っているのか茜たちにはさっぱり理解できないのだ。
「うふふ・・・すぐにわかるわ。改造手術のすばらしさが」
「あなたも改造されたというの?」
「ええ、そうよ」
智子の質問に対する蜘蛛女の答えは、茜たちを驚かせた。
この蜘蛛の化け物が元は人間だったというの?
茜には信じられないことだ。
「私は器械体操をやっていただけのつまらない女だったわ。でも、私は偉大なるショッカーに選ばれて改造手術をしていただいたの。
ふふふ・・・見て、この体。最高だと思わない? わたしはもう人間なんかじゃ無いわ。偉大なるショッカーの改造人間蜘蛛女なのよ。ほほほほほ・・・」
口元に手を当てて高笑いする姿に茜は唖然とする。
狂っているわ・・・
そうとしか思えない茜だった。
「さて、おしゃべりはこのぐらいね。まずはお前。出なさい」
組んでいた腕を解き、香苗を指差す蜘蛛女。
「ええっ?」
香苗を真っ青になって博子の腕にすがりつく。
「な、なぜ彼女なの?」
博子が香苗をかばうようにして抱きしめた。
「ふふ・・・その女が精神的にもろそうだからよ。改造にそぐわないと判断されるかもしれないわ。不用品は早めに処分したいのよ」
冷たい笑みを浮かべて言い放つ蜘蛛女。
それを聞いた四人は青ざめて言葉が出なかった。
「さあ、その女を連れ出しなさい」
「「イーッ!」」
奇声を発して牢内に入ってくる黒尽くめの男たち。
その間もほかの三人が逃げ出せないように蜘蛛女が見張っている。
「いやっ! いやぁっ!! お願い、助けてぇ!!」
香苗は博子から引き離され、無理やり黒尽くめの男たちに連れ出されてしまう。
入り口を再び閉ざし、香苗を引きずるようにして連れて行ってしまう蜘蛛女たち。
後には残された三人のすすり泣きだけが響いていた。
******
どのくらい時間が経っただろうか・・・
泣き疲れて放心したようになっていた三人は、牢に近づいてくる足音に気が付いた。
顔を上げた三人は、牢の前に再び蜘蛛女と黒尽くめの男たちがいることに気が付いたが、そこにもう一人加わっていることに驚きを隠せなかった。
「香苗?」
「香苗なの?」
博子と智子が口々にそうつぶやく。
新たに加わっていたのは先ほど連れて行かれた香苗だったのだ。
だが、その姿は連れて行かれたときとはまったく違っていた。
体にピッタリとした黒いレオタードを身に着け、網目のタイツを穿いている。
腰には赤いサッシュを、首にも赤いマフラーを巻き、何より異様なことに顔に赤と緑のペイントをべったりと施しているのだ。
「香苗・・・その姿はいったい?」
「ほほほほほ・・・お前たちのお友達は、我がショッカーの女戦闘員に生まれ変わったのよ。そうでしょ? 女戦闘員18号」
「イーッ! そのとおりです蜘蛛女様。私は偉大なるショッカーの一員、女戦闘員18号です。イーッ!」
蜘蛛女の問いかけに右手を斜め上に上げて答える香苗。
あまりのことに茜たちは声が出なかった。
「ふふふ・・・さあ、次はお前よ。女戦闘員18号、その女を引きずり出しなさい」
茜は目の前が真っ暗になる気がした。
蜘蛛女が指差したのは茜だったのだ。
「イーッ! かしこまりました蜘蛛女様」
いまや相手側の一員になってしまった香苗が牢内に入ってくる。
そしておびえる茜を無理やり引きずりだそうとするのだ。
智子と博子が止めようとするが、香苗は信じられないほどの力で智子と博子を引き剥がす。
そして茜の腕を掴むとそのまま牢の外へと連れ出した。
「やめて・・・お願い香苗・・・やめてぇ」
茜は必死に抵抗する。
だが、香苗の力はとても強く、振りほどくことはできなかった。
「おとなしくしなさい。お前は偉大なるショッカーに選ばれたのよ。光栄に思うことね」
べったりとフェイスペイントを施した香苗が冷たく笑う。
先ほどまでの香苗とはとても思えなかった。
やがて茜は薄暗い部屋に連れ込まれる。
そこには円形の台がしつらえられ、周囲にさまざまな機械類が明滅していた。
そして白衣を着た不気味な男たちが台の周りを囲み、茜を待ち構えているようだった。
「いや! いやぁっ!!」
何とか逃れようとする茜だったが、香苗だけでなく黒尽くめの男にも腕をつかまれ逃げることができない。
とうとう茜は台の上に載せられ、両手両脚を枷に嵌められるのだった。
「お願い・・・助けて・・・許して・・・」
誰に助けを請うているのか、誰に許しを得ようとしているのかもうわからない。
ただ茜はこの状況から逃げ出したかった。
早く悪夢から覚めたかった。
「これよりこの女の戦闘員への改造を行なう。細胞強化薬と補助機関の埋め込み開始」
香苗同様に赤と緑に顔をべったりと塗った白衣の男たちが茜に群がってくる。
下着を取り去り、腕に注射をし、メスを輝かせて切り刻む。
茜にはもう何がなんだかわからない。
体が火照りむずがゆいような痛いような微妙な感覚が全身を走る。
麻酔のせいなのか頭はぼんやりし、体のあちこちをいじられているのが気にならない。
しばらくそうした状態が続いたのち、白衣の男たちは満足そうにうなずきあう。
そして、用意された衣装を着せ、頭部にリングをはめ込んだ。
衣装は女戦闘員用の強化レオタードと網タイツ。
頭部のリングは簡易脳改造用のリングである。
やがてリングが明滅すると、茜の中に奇妙な気もちが浮かんできた。
私は選ばれたのだ。
偉大なるショッカーの一員として選ばれたのだ。
世界は偉大なる首領様のもの。
ショッカーこそが世界を支配する組織。
自分はその尖兵となって働かねばならない。
それこそが喜び。
それこそが生きる全て。
私は偉大なるショッカーの女戦闘員。
明滅の終わったリングをはずし、手足の枷もはずされる。
茜はゆっくりと立ち上がり、ブーツを履いて赤いサッシュとマフラーを巻いていく。
その顔には改造終了の赤と緑のフェイスペイントが塗られ、口元には冷たい笑みが浮かんでいた。
『改造が終了したようだな』
頭上のワシのレリーフが明滅し、重々しい声が響いてくる。
茜はスッと右手を上げ、背筋を伸ばして敬礼した。
「イーッ! 私は偉大なるショッカーの女戦闘員19号です。ショッカーに永遠の忠誠を誓います」
もはや彼女は茜という名前ではなくなっていた。
******
「ふふふふふ・・・あれが今回のターゲット、本郷猛よ」
蜘蛛女が背後に控える女戦闘員たちに指し示す。
そこにはバイクに乗って颯爽と疾走する一人の青年がいた。
「彼こそ我がショッカーの改造人間にふさわしい素体。さあ、お前たち、あの男を拉致してくるのよ」
「「「イーッ! かしこまりました、蜘蛛女様」」」
いっせいに右手を上げて敬礼する女戦闘員たち。
その中にはかつての茜を始め四人の姿が混じっていた。
彼女たちは何のためらいもなくヘルメットをかぶると、バイクにまたがり走り出す。
偉大なるショッカーのために本郷猛を拉致するのだ。
与えられた任務に向かう女戦闘員19号は幸せだった。
END