「――でも、もう一人の子にも訊いてみないと……、いまちょっと、いないですけど……」
「もう一人って、君たち三人で来てんの? ちょうどいいじゃん、俺らも三人だし」
「みんなで遊べば、ぜってー楽しいって」
「やろうぜビーチバレー、せっかくコート借りたけど、野郎ばっかじゃ盛り上がらねーからさ」
「うーん、どうするぅ?」
「えっ? いや……」
夏休みの海水浴場では珍しくない光景。
ナンパ、であった。声をかけたのは二十歳前後の三人組の男たち。
いずれもよく日に焼けて、髪は茶髪か金髪で、いかにも遊び慣れて見える。
声をかけられたのは十六、七歳の二人の少女だった。
パラソルの下で休んでいたところに男たちが近づいて来たのである。
少女の一人はウェーブのかかった栗色の髪をカチューシャでまとめ、大人びた顔立ちで一見、お嬢様風。
だが、凹凸に富んだ身体に赤いビキニを纏い、自分の魅力をよく理解しているようである。
男たちの誘いに乗り気で、仲間の同意を得るために「どうする?」と訊いているのが彼女であった。
名前を智花(ちか)という。
もう一人は身長一五〇センチと小柄ながら、手足がすらりと長く均整のとれた身体つき。
髪はポニーテールで、紺色のスポーティーなワンピース水着に身を包んでいる。
学校では剣道部に所属。果敢な攻撃が信条だが、いまはナンパ男を前にすっかり気後れしている。
チャラチャラした男など相手にする気はないけど、どうやって誘いを断ればいいのかが、わからないのだ。
異性に対して奥手な彼女の名前は、理恵(りえ)といった。
少女たちのうち一人は乗り気だと理解した三人組は、ここは押しの一手とばかりにまくしたてた。
「ウマいヘタは気にしなくていいよ、どうせお遊びだし、俺らもそんな慣れてるわけじゃないし」
「そうそ、砂の上で足とられっからさ、体育でバレーが得意とかでも関係なくなるし」
「いっそ俺ら男だけ罰ゲームありでもいいぜ、負けたチームの男は他のみんなに、かき氷か何か奢んの」
「女の子は負けても奢ってもらえるってこと? ねえ、面白そうだよ!」
智花までが男たちに同調して、困った理恵は考え込むふりをしながら辺りを見回した。
「……でも、私たちだけで勝手には……。……あ、真琴(まこと)が戻って来た!」
理恵には救いの神が現れたように思えた。
こちらへ近づいて来るのは身長一七五センチ前後、短く切った髪に日焼けした顔の人物だ。
ロングTシャツの裾からは、艶やかな褐色の引き締まった脚が伸びている。
三人組は初め、相手が男か女かわからずに身構えた。野郎のコブ付きだとすると面倒である。
こちらは三人だし喧嘩になっても負ける気はしないが、騒ぎになってナンパを続けられなくなるのは困る。
しかしよく見れば、相手の凛々しく整った面立ちは女性的な線の細さを備えていた。
それに何より水気を吸ったTシャツは、下に着ている水着に貼りついて胸の膨らみを示している。
男たちは薄笑いで眼を見交わした。
ちょっと遊ぶだけだし、よく見りゃ美人だし、悪かねーよな?
この状況から早く逃げ出したい理恵が、声を上ずらせて三人目の少女――真琴に呼びかけた。
「ねえっ、真琴! 脚どうだったっ?」
「クラゲの仕業だってさ。でも手当てとか言って監視所のオヤジ、アンモニア塗ってオシマイ。すげえ手抜き」
真琴はクラゲに刺された右の太ももを軽く叩いてみせてから、男たちに視線を向けて眉をしかめ、
「……えっと?」
「ああ、いま俺ら、一緒にビーチバレーやらないかって誘ってたとこ」
男たちは真琴に愛想よく笑ってみせた。
「そうそ、お互い三人だし、二人ずつペア組んで対戦したらちょうどいいじゃんって」
「コートとボールも借りてあるからさ、みんなで遊べば、ぜってー楽しいから」
赤ビキニの巨乳はすでにオチてるし、ポニーテールも押しの一手でオトせるだろう。
このボーイッシュな娘は手強そうだが、しかし、こいつさえ上手く言いくるめれば……
「……ああ、ごめんなさい。あたしたち、もう帰るところだから」
真琴はさっぱり謝っているようには聞こえない事務的な口調で言った。
しかし断られるのは織り込み済で、男たちは愛想笑いを崩さない。
「ええっ、まだ一時ちょっと過ぎたばかりじゃん?」
「いったいどこから来てんの? 帰るにしても早すぎじゃね?」
「もうちょっと遊んでいこうよ、せっかく海に来たのにもったいないじゃん? みんなもそう思うよねえ?」
男たちに話を振られ、智花と理恵は答えに詰まる。
「えーっとぉ……智花はいいと思うんだけどぉ、みんながどうかなぁ……」
「……私は、その……あんまり……」
「あたしたち、きのうから来て結構遊んだし、それに、もうじき親が迎えに来ますから」
真琴がきっぱりと言って、男たちの愛想笑いは苦笑いに変わった。
「そっか、親と一緒か。じゃあまあ、しょうがねーな」
「俺ら地元だし、またこっちに来て会うことがあれば、遊ぼーぜ。親と一緒じゃないときに」
「じゃ、気をつけて帰れよな」
三人組は去って行き、真琴は「……はあっ」と、ため息をついた。
それから智花を、じろりと睨み、
「きのう智花が自分で言ったんじゃん、つまんない野郎にナンパされてもシカトしようねって?」
「でもぉ、きのう声かけてきた人たちより全然カッコよかったしぃ、ビーチバレー楽しそうだしぃ……」
智花が口をとがらせて反論し、真琴は、やれやれと首を振る。
「あんなチャラ男相手にして、ビーチバレーごっこだけで済むわけないじゃん」
「そうかなぁ……向こうはオトナだしぃ、こっちが若いの見ればわかるしぃ、最初はメール交換くらいで……」
「そんなわけないでしょ、夏の海のナンパだよ?」
男たちがいなくなって平静さを取り戻した理恵が、ぴしゃりと言った。
「メル友からとか面倒なことは抜きで、エッチしたいだけに決まってるでしょ!」
「そんな悪い人たちにも見えなかったけどなぁ、地元の人とか言ってたしぃ……」
未練がましい智花に、真琴と理恵が口を揃えて、
「悪いヤツにしか見えねえよ!」「どう見てもヤリ逃げのチャラ男でしょ!」
「そうかなぁ、真琴たちがそう言うなら、そうなのかなぁ……」
智花はそれでも夏の恋を諦めきれない様子だったが、真琴は放っておくことにして、
「あたし、もういっぺん泳いでくるから」
と、Tシャツを脱いで水着姿になった。帰るとか親が迎えに来ると言ったのはナンパ男を追い払う方便だ。
引き締まった体躯を包むのは鋭角なハイレッグの競泳用水着である。色は鮮やかなマリンブルー。
彼女は水泳部員であり、水着とのコントラストが際立つ褐色の肌は普段の練習の賜物だった。
一泊二日の海水浴で、いま以上に日焼けはしないと思うが、万が一のこともある。
いつもと違う水着の跡が残るのは格好悪いので、部活の練習で使っている競泳用水着を持参したのだ。
ハイレッグに周囲の(特に男の)視線が集中することは気にしていない。
そんなことは大会で慣れているし、海に入ってしまえば身体は隠せる。
ちなみに普段の練習と大会出場時とでは、ハイレッグとスパッツタイプで水着を使い分けている。
タイムは新型のスパッツタイプのほうが縮まるが、価格が割高なため普段からは着られない。
水泳部員にとって、シーズン中に毎日着用する水着は消耗品なのだ。
「あっ……私も行く」
と、理恵が立ち上がって、智花が「えぇーっ」と渋い顔をした。
「智花ひとりにする気ぃ? だったらビーチバレー、智花だけでもオッケーすればよかったぁ」
「なによ、智花はもう泳がないつもりなの? せっかくサーフマットも借りたのに」
理恵が呆れて言うと、智花は口をとがらせて、
「だってぇ、さっきも真琴と理恵だけどんどん遠くまで泳いでさぁ、サーフマットじゃついていけないのにぃ」
「あれは悪かったと思ってるよ。じゃあさ、今度は智花のそばでしか泳がないから」
苦笑いして言う真琴を、智花は拗ねたように上目遣いで見て、
「今度は裏切らないでよねぇ。智花だけカナヅチだからって、もう仲間外れは嫌だからねぇ」
「わかったわかった」
真琴と理恵は顔を見合わせ、やれやれと苦笑いした。
「――朝はホテルで着替えてきたけど、帰りをどうするか考えてなかったのは失敗か」
「無料の更衣室のシャワーは水だけだもんねぇ、きのうはホテルでシャンプーしたからよかったけどぉ……」
日が傾いてきて、真琴たち三人は引き上げることにしたが、着替えの前のシャワーが問題だった。
公営の無料更衣室にもシャワーはあるが、お湯が出ないので髪や身体を洗うにはつらい。
かといって、軽く水で流しただけで帰るのは乙女心が許さない。
シャンプーと石けんでしっかり洗わなければ、髪も身体も潮でベタベタになるのだ。
貸しパラソルとサーフマットは返却したが、タオルと着替えを抱えて水着姿で立ち往生という状況。
どこかでお湯のシャワーが借りられないか訊いてみるからと、理恵は海の家の一軒に入って行った。
真琴と智花は、理恵が戻るのを待っているところだ。
「ホテルに戻ってシャワー貸してもらう? チェックアウト済だけど頼んだらダメかな?」
「貸してもらえるのかなぁ、あそこまでちょっぴり歩くしぃ……」
「借りられるかどうかもわかんないのに面倒か。なら、あきらめて水のシャワー使うしかないじゃん」
「えぇーっ、それもヤダぁ、冷たいからちゃんと洗えないもぉん……」
そのとき海の家から理恵が出て来て、真琴と智花に呼びかけた。
「ねえ、ここでお湯のシャワー貸してくれるって! かき氷か何か注文すればシャワーは無料でいいってよ!」
「おっ、理恵ナイス! よくやった!」
真琴が拍手すると、理恵は照れたように赤くなり、
「さっきは真琴に頼りきりだったから、男の人たちに声をかけられて……」
「あんなチャラ男どもは適当にあしらっとけばいいのよ、もう会うこともないだろうし」
真琴は言って、海の家を見やり、
「それにしても、こんなプレハブみたいな海の家で温水のシャワーが出るんだね」
「海岸の上にある旅館からお湯を引いてるみたい、ここの人の話だと」
「なんでもいいよぉ、早くシャワー浴びようよぉ、もう髪が乾き始めてベトベトだよぉ……」
智花が口をとがらせて言い、真琴と理恵は、やれやれと苦笑し合う。
海の家に入って行くと、時間が遅いせいか店内にいる客は二組だけだった。
かき氷を食べている子供連れの若夫婦と、ビールを飲んでいる中年男の二人組だ。
五人ほどいる店員は揃いの紫色のTシャツとホットパンツ姿の若い女性たちである。
空いているテーブルを拭いたり、座敷の席に掃除機をかけたりして、きびきびと働いている。
店員の一人が理恵たちに気づいて、にこやかに声をかけてきた。
「あ、いらっしゃーい。シャワーはその奥だから、貴重品があれば先にロッカーに入れて鍵をかけてね」
「はいっ、ありがとうございます」「おじゃましまーす」「おじゃましまぁす……」
店の奥にある女子ロッカー室は、少女たちの予想以上に綺麗だった。
「わあっ、結構キレイ! きっと改装したばかりかな、キレイなほうがお客さんも集まるし」
「でも海の家の外見からは想像つかなくて、客を集めるには意味なさそうじゃん」
「キレイな分には文句ないよぉ。あ、シャワーも全部個室だ、すごぉい!」
六つあるシャワーは、それぞれ個室として仕切られていた。
周りに泡が飛ぶ心配をする必要もなく、存分に髪や身体を洗えそうだ。
「アソコに入った砂を洗い流してる恥ずかしい姿も、他人に見られなくていいよね」
にやりと笑って真琴が言うと、理恵はきょとんとして、
「えっ、砂なんて入る? その……アソコに?」
「入るじゃん。海で泳いだあとは、じょりじょりでしょ」
「私、海水浴は小さいとき以来だし、よく覚えてない……」
「中学のときは、このメンバーでよくプールに行ったけど、海は初めてだもんねぇ」
智花が笑って言う。
三人はそれぞれ荷物からシャンプーとボディソープを出して、ほかのものはロッカーに入れて鍵をかけた。
「じゃ、またあとで」「うぃーっす」「出たらかき氷、食べようねぇ」
少女たちは一人ずつシャワーの個室に入り、ドアを閉めた――
海の家の厨房には、客席から見えない位置にモニターが六台、設置されていた。