「まさか、うちの地下にこんな部屋があったなんて…」
門矢小夜が驚きの声を上げる。
「ゴルゴムの基地から移設したものです。ここで小夜様に、兄上への復讐を
果たすために必要な力を手に入れる、そのための儀式を受けてもらいます」
小夜をこの部屋へ導いた男、月影がそう説明する。
「儀式?」
小夜はそう問いかけながら部屋を見回す。薄暗い部屋に、用途のよく分からない
機械が配置され、天井からは黒いゴムチューブのようなものが何十本も垂れ下がっている。ひどく禍々しい空気に満ちた部屋で、小夜は胸を圧迫されるような不安感を覚える。
そんな不安感を抑えながら、小夜は問いを続ける。
「…分かったわ。まず、何をしたらいいの?」
月影が淡々と、しかし有無を言わさぬ口調で答える。
「まずは、その衣服をすべて脱ぎ捨てて、生まれたままの姿になってもらいます。
力を得るために、小夜様は生まれ変わる必要がある。そのための準備です」
小夜の鼓動が早まる。ただならぬ「儀式」を自分はこれから受けようとしている
らしい。とはいえ、小夜には兄への復讐という大きな目的がある。「そのためなら、
何でもする」という約束をつい今しがたこの人物と交わしたところである。拒む
べきではない。…加えて、小夜には、この男性にならば、肌をさらし、さらに
ひょっとしたらそれ以上の何かをされることになっても、それは構わない、
という思いも、拒みがたく湧き始めていた。
「服を脱げばいいのね?」
小夜は覚悟を決め、ためらいながらも着衣をすべて脱いだ。そしておずおずと
月影の方に向き直った。月影は穏やかな目で小夜の目を見つめている。妹か娘を
見るようなその目に、安堵と共に軽い失望も覚えながら、小夜は月影に再び質問した。
「脱いだわ。次は何を?…儀式って何?」
月影はやはり淡々と説明する。
「これから小夜様には、私の同族に生まれ変わってもらうことになります。
ゴルゴム怪人、いえ、ゴルゴム大怪人・ビシュムが今日からのあなたの名です」
怪人、という言葉に小夜は激しく動揺する。そして、月影は「私の同族」と
言った。ということは……。
小夜は急いで確認する。
「月影さん、あなたも怪人なの?」
深くうなずいた月影が口を開く。
「その通りです。お見せしましょう」
そう言って月影は奇妙なポーズをとる。すると月影の全身からシュウシュウと
蒸気のようなものが吹き出し、その姿がバッタに似た異形の怪物に変形していく。
変形を終えた月影が言葉を続ける。
「これがゴルゴムの一員として改造された、私の真の姿です。あなたにもこれから、
このような姿に生まれ変わってもらうことになります。あなたが望む復讐のために、
これは必要な手段なのです」
創世王としての鎧をまとわず、あえてバッタ男としての真の姿を露わにした
月影ノブヒコは、やはり淡々とした口調でそう告げた。
月影の真の姿を目の当たりにした小夜はがくがくと震えだし、今にもその場に
へたり込みそうになっていた――この人がただの人ではないだろう、ということは
うすうす察していた。でも、本物の怪人だったなんて。…そして、そして、
わたしも怪人にならなければいけないなんて……!!――。
不安と恐怖が小夜を押しつぶしそうになる。この場を去り、部屋に戻りたい、
という言葉が今にも小夜の口から漏れかける。
しかし、その言葉がさやの口をついて出ることはなかった。それは一つには、
小夜の心に渦巻く兄への強力な復讐心が、恐怖心を押しのけたためであり、
もう一つは月影が発する強力な威圧感が、抵抗を許さなかったためである。実をいえば、
兄である士への強い復讐心そのものも、月影の巧みな心理誘導の産物なのであるが、
小夜にその自覚はなかった。
「…お兄ちゃんに復讐するために必要なのね。なら、わたし、怪人にだってなるわ!」
決然としたその口調と裏腹に、小夜の足はがくがくと震えている。
満足そうにうなずいたバッタ男は、壁のスイッチを操作する。すると部屋の
中央に丸いスポットライトのような照明が当てられる。それを指さして月影が言う。
「では、その丸い照明の中央に進んで下さい。小夜様の改造手術を始めます」
改造手術、というその一言が小夜を改めて戦慄させる。傍観者としてではあっても、
幾多の世界を巡り見てきた小夜は、「改造手術」がいかなるものであるかを十分に
知り尽くしていた。受けてしまえば二度と元には戻れない、永久に消えない改変が
今から自分の肉体に加えられてしまうのである。
それでも小夜は、気付かぬまま月影に吹き込まれた「決意」に押しやられるように
足を進め、スポットライトの中央部に足を運んだ。それを確認した月影が機械を
操作しながら宣告した。
「改造手術、開始!」
天井から垂れ下がっていた黒いゴムチューブのようなものが、生き物のように
のたくりはじめ、小夜の手足と胴体に巻き付いた。
「ひっ!」
なま温かく、ぬるぬるとした黒いチューブ、あるいはむしろ触手と呼ぶべき
物体に絡みつかれた小夜は、思わず悲鳴を漏らす。
巻き付いた触手は小夜の手足と胴体を締め上げる。やがて下半身に絡みついた
触手が上部に引き上げられ、小夜は地面に対して水平に吊り下げられる体勢になった。
絡みついた触手は小夜の全身に密着、あるいはむしろ、ほとんど癒合した。
続いて触手はびくん、びくん、と脈動を始め、小夜の体内に「何か」を
絶え間なく注入し始めた。
「…あ、あああ…」
苦痛と共に全身から送り込まれる形容しがたい感覚が、小夜にこれまで
発した覚えない種類の声を強制した。そうして、禁断の古代の秘術が、
小夜の体液を、さらには細胞そのものを、人ならざるものに置き換えていった。
相当な時間が経ったあと、月影が壁のレバーに手をかけ、それを引き下げ
ながら言う。
「強化細胞の定着完了。これより細胞の活性化を行う」
その言葉と共に、人間ならば一瞬で消し炭になるであろう高圧電流が
小夜の全身に流される。
「ぎゃあああああああ!」
電撃によってこれまでをはるかに超える苦痛が小夜の全身を走り、小夜は絶叫する。
さらに電撃が止んだ後も小夜の苦痛は止まない。身体がカッと熱くなり、
やがて全身がバラバラになりそうな痛みが襲いかかる。肉体の構造が
組み替えられ、大怪人の姿への変形が始まったのである。
髪の毛は真っ白な剛毛に生え替わっていった。全身を紫がかったウロコが覆い、
両の乳房には怪物の口のようなものが形成された。手の爪は鋭くとがり、
両腕にコウモリを思わせる翼が成長し、足は真っ黒なブーツのような、
ごつごつした硬質の皮膚に覆われた。尾骨からはカギの着いた細い尾が伸び、
その顔は仮面を思わせる半透明の硬い皮膚に覆われ、顔の右半分には
黒い不気味な文様と、青い皮膚が広がっていった。
「変身」が完了し、ぐったりとした虚脱状態のまま、変わり果てた肉体をぼんやりと
認識しているした小夜、いや大怪人ビシュムの耳に、月影の冷酷な声が響く。
「続いて、脳改造を開始する!」
その言葉と共に、小夜の頭部にこれまでとは違った触手が巻き付き、
頭蓋骨と一体化して、その内部に何かの操作を施し始めたのを小夜は感じる。
その次に小夜が感じたのは、唐突に自分の内側から湧き上がってきた
どす黒い衝動であった。大怪人としての残酷で獰猛な本能が、小夜の脳の
奥深くに植え付けられ始めたのである。
自分の中に見る見る広がっていく凶悪な衝動、血を好む倒錯した嗜好、
そして麻痺していく良心や良識を、小夜は恐れおののきながら見守るしか
なかった――ああ、わたし、心まで怪人になってしまう。…もうだめ。もう、
人間のように考え、感じることができない!――。そんな不安と、失われていく
人間の心を惜しみ、つなぎとめようとする気持ちの傍らで、新たに生まれた
どす黒い喜びに陶酔し、歓喜する新しい心がむくむくと成長していった。
当初、怯えと戸惑いに包まれていた美しき大怪人の顔に、徐々に喜びと
尊大な自信の表情が浮かび始めた。
やがてすべてが終わり、大怪人が目を開く。そこに浮かんだ邪悪な微笑みの
中には、つい先ほどまで存在していた、小心で繊細な少女の面影はどこにもなかった。
足を拘束していた触手がゆっくりと下り、大怪人ビシュムに生まれ
変わった小夜を再び地上に立たせた。全身の触手が外れ、シュルシュルと上に
戻っていく中、ビシュムは部屋の入り口近くに置かれた姿見を目にし、目を輝かせた。
「これが生まれ変わった私!?素敵!素敵よ!月影さん!」
「これからはシャドウムーン、と呼んで欲しい。それが私の真の名だ」
そう答えた月影、いやシャドウムーンに目をやり、ビシュムは首を傾げて言う。
「あら?その姿は何?まるで仮面ライダーみたい」
「仮面ライダー」という言葉をまるで汚物の名を口にするように発した
ビシュムの言葉通り、月影、いやシャドウムーンはいつのまにか銀色の
創世王の鎧を身にまとっていた。
「この姿が私の完成した姿だ。先ほどの姿は、怪人になる、という君の覚悟を
見極めるためにあえて選んだ、私の幼体ということだ」
「ふうん。でも、わたしはさっきの方がいいなあ…」
ビシュムとなった小夜の感性は、すでに大怪人のそれに変質していた。
シャドウムーンはそんな小夜の対応を満足げに確認しながら、黒い石の
ついたペンダントを取り出し、言った。
「君の当面の役目は、大怪人としての破壊活動ではなく、大神官として
この『地の石』を守護することにある」
「大神官?」
「そう。その姿はエネルギーの消耗も大きく経済的ではない。大ショッカーの
基地の中では大神官の姿で過ごす方がいい。できるかね?」
「…なんとなく、できる気がする。やってみる」
そういって精神を集中させたビシュム。やがて広がっていた頭部の剛毛が
硬度を失ってはらりと落ち、肩に広がった。そして全身を巫女のような装束が覆った。
ただし、その顔には依然、半透明の硬質の皮膚と禍々しい文様が広がっている。
まるでメイクの具合をを確かめるような仕草で鏡の中の自分の顔を眺めていた小夜は、
首をひねって言った。
「うーん、まだちょっと、怪人ぽいなあ…」
そう言うと再び精神を集中させる。やがて顔の文様は消え、皮膚も
見たところ普通の十代の少女のそれに戻り、髪の毛も黒になる。
シャドウムーンが怪訝そうに尋ねる。
「その姿は?」
それを聞いた小夜は、少し前の彼女ならば決して浮かべることがなかったはずの、
邪悪で冷たい笑みを浮かべて言う。
「うふふ。これはお兄ちゃんを追いつめるための一つの策略。実の妹が
身も心も怪人に改造されて、二度と人間には戻れない、と知れば、いくら
お兄ちゃんでもショックのはず。わたしはお兄ちゃんのそんな絶望の表情が
見たい。だけど、物事にはタイミングも必要。お兄ちゃんのダメージが
一番大きくなるだろうその瞬間まで、わたしの本当の姿は見せないでおくの。
まあ、切り札というところね。うふふ……」
* * * * *
結局小夜が「切り札」を使うタイミングを見つける前にすべては決着した。
小夜と兄は和解し、シャドウムーンは死んだ。
兄を想う気持ちを取り戻した小夜は、自分の肉体に施された、取り返しの
つかない変容については伏せたままにしていた。見たところ全く以前通りの
妹の姿に、士は何の疑問ももたなかった。ディケイドライバーによる変身に
慣れている士が、改造人間の悲しい運命についてそれほど深い理解を
もっていなかったことが、その理由の一つかも知れない。
それゆえに士は、自分の殻を破り外に飛び出そうとする妹の、その一見
屈託のない笑顔の背後にあるおぞましい衝動にも、気付かないままであった。
実のところ、兄との和解後も、シャドウムーンが小夜に施した脳改造は
解けたわけではなかった。元来のブラックの世界にいたシャドウムーンが、
信彦として杏子や克美を思いやる気持ちと、創世王としての残忍で冷酷な心を
同居させていたのと同じことである。
* * * * *
とある世界。快活そうな男性とおとなしそうな少女が並んで歩いている。
話の様子からすると恋人同士ではなく兄妹であるようだ。
その前の空間が歪み、落ち着いた服装の小夜が現れる。その胸にはシャドウ
ムーンが最後の力で確保し修復した地の石が下がっている。
小夜が口を開く。
「うふふ、あなた、わたしの友達になってくれる?」
きょとんとした顔で少女を見つめる二人の前で、少女はコウモリに似た
恐ろしい怪人に姿を変える。悲鳴を上げる妹。妹を守ろうと、蛮勇を奮い
怪人に立ちはだかる兄。
歪んだ笑いを浮かべた大怪人ビシュムが、吐き捨てるように言う。
「あなたは邪魔」
言いながらその鋭い爪を真横に振る。次の瞬間、兄の首がごろりと落ち、
地面に転がる。
「きゃああああああ!いやああ!お兄ちゃん!!」
悲鳴を上げる妹にビシュムが近づき、言う。
「さあ、邪魔者はいなくなった。わたしのお友達になってもらうわ」
言いながら妹を抱きすくめ、その首筋に牙を立てる。少女の皮膚は紫色に
変色し、口からは牙が生え、その目から生気と意思が失われていく。
牙が抜かれたとき、妹はもう大怪人ビシュムに忠誠を誓う異形のものに
すっかり変貌している。そして、この世界をビシュムに奉仕する世界に
作りかえるための密かな工作を行うため、人混みの中へ消えていく。
そんな少女をうれしそうに見届けながら、ビシュムはまた違う世界に旅立つ。
――あらゆる世界を自在に旅するのみならず、あらゆる世界を
その場に居ながらにして透視する力を備えた、全知全能に近い怪物。
そんな恐ろしい存在を、士は解きはなってしまったのであった。
<了>