いよいよそのときが来てしまう。わたしは何も考えられず、ただ
泣きわめいていた。はかりしれない恐怖と悲しみを抱えながら、
わたしは何も身につけない全裸の状態で、好きでも何でもない
いやらしい男に抱きすくめられていた。男は涙と鼻水で顔をくしゃくしゃに
して、わけのわからない言葉をわめきちらしながら、やみくもに
腰を振り続けている。そしてその下のわたしも、涙をとめどなく
こぼしながら、同じようにわけのわからない言葉をわめきちらしていた。
十日前のことだ。わたしは一卵性双生児のように仲のいい親友と
部活から帰る途中だった。家は向かい同士。中三になるまで同じクラスで、
何をするにも一緒の二人。そんな私たちが世にもおぞましく悲しい運命を
共にすることになってしまったのはせめてもの幸運なのか、最大の不幸なのか。
――わたしたちは二人一緒に、奇怪なムカデ型のロボットに捕らえられ、
空飛ぶ円盤の中に連れ去られてしまったのである。
夕暮れの人通りのない裏道。背後から音もなく近づいたロボットに
最初に捕らえられたのは親友が先だった。ロボットはちょうど人間が
羽交い締めをするように親友の背後から組み付き、細長い無数の機械の
腕を親友の手足にからめた。悲鳴をあげてもがく親友を見捨てて逃げる
なんてできなかった。わたしは勇気を振り絞ってロボットに向かい、
どうにかしてからみつく触手を引きはがそうとした。だけど次の瞬間、
わたしは自分自身の手足が非情な機械の腕に絡め取られてしまった
ことに気付いた。もう一台のロボットが私の背後からやはり音もなく
忍び寄っていたのである。
空しくもがき続けるわたしたちを抱えて、二台のロボットは静かに
上昇を始めた。そして上昇と共に、わたしたちを押さえつけているその
機械の腕が微細な振動を始めた。何が起きているのかはすぐに分かった。
振動にさらされたわたしたちの制服の部分が、見る間にぼろぼろの
綿ごみのように切り刻まれていったからである。ロボットはそうして
振動する腕でわたしたちの全身を撫で回し、まずは制服を、次に下着を、
最後に靴と靴下をただの糸くずに変えて吹き飛ばしていった。そうして
地上の建物がまだ見える高度の内に、わたしたちは完全な裸にされてしまった。
わたしたちを裸にし終えると、ロボットの動きは少し変わった。
全身を拘束している腕の振動はいまや緩やかになり、腕の先端がほぐれ、
羽毛を思わせる微細なブラシ状に変形した。そしてその金属製とは思えない
柔らかな繊維がわたしたちの全身を撫で回した。さらに一部の腕はわたしの
口をこじ開け、中に入ってきた。腕は奥歯の金属の詰め物を外した。どうやら、
ボディチェックの類をしているのだろう、と見当がついた。ボディチェックは
喉からその奥へ進み、さらには口以外の開口部のチェックも始まった。
わたしたちの両足は左右に大きく開かれ、お尻の穴と、それから、女の子の
大事な部分の穴が丸く広げられて、その中に触手が挿入され始めた。
気持ち悪さと羞恥心と屈辱がわたしたちの心を満たした。
悪夢のような「身体検査」が続く内にもわたしたちは上昇を続けていた。
やがて家が豆粒ほどに見える高さに達した頃、軽いめまいのような感覚が
生じ、目の前の空気がぐにゃりと歪んだかと思うと、巨大な空飛ぶ円盤が
忽然と目の前に現れ、わたしたちを収容した。
円盤の中にはわたしたちと同じようにさらわれてしまった人間が
収容されていた。そして先ほどと同じめまいに似た感覚が起きるたびに、
ハッチが開き、新しい犠牲者を収容していった。そして最後のめまいの後、
機体のどこかから鈍い振動と低音が響き、強烈な加速度がかかるのが分かった。
少なからぬ時間加速が続いた後、不意にキインという強烈な高音と共に、
目の裏側にまばゆい光が走り、加速が不意に停止した。
不愉快な浮游感と共に、この円盤がわたしたちを乗せて、とても遠くへ
移動を始めたのだということが直観的に分かった。そして、この冷酷で
凶暴なロボットたちの主が、誘拐した人間を簡単に帰すはずはないだろう、
という確信に近い予感が生まれた。
泣きわめく声も枯れ果て、放心状態に近い状態になっていたわたしと
親友は互いの目を見て、お互いに同じ予感を感じたことを瞬時に察した。
わたしたちはそんな仲だった。そして二人はどちらからともなく、
また声を上げて泣き始めた。ムカデロボットにとても恥ずかしい姿勢で
固定されたまま…
何時間か後、先ほどとは反対向きの加速度が生じ、停止した。
それで、円盤が宇宙のどこかにある目的地に着いたことが分かった。
宇宙人の母星、あるいは前線基地なのだろう。わたしたちは円盤の天井に
開いた丸い扉から、ロボットに抱えられたまま「搬入」されていった。
長いチューブを抜けると、わたしたちの頭上に異様な光景が広がった。
とても広い天井に、大勢の人たちがやはり全裸の姿で貼り付けられている。
ほとんどの人々が無気力で絶望的な表情のまま、わたしたちが出てきた
床下を眺めている。そのところどころに、抱き合い、絡み合う男女の姿が
ある。そんな衝撃的な姿を目にしてしまうと、自分たちが裸である、
という事実がことさらに意識され、こらえようのない恐怖感と羞恥心が
心に湧きあがってくる。
ロボットが天井まで上昇したときにようやく、その「天井」が「床」であり、
わたしたちの入ってきた側こそこの巨大な牢獄の「天井」だったのだと気づいた。
扉をくぐった後のどこかの地点で、重力が逆向きになっていたのだ。
ロボットは着地すると、床から飛び出しているチューブを取り上げた。
直径三センチほどのゴムのような素材の半透明のチューブで、先端が
先細りの形状になっていおり、表面にはオイルのようなものが塗ってある。
周囲を見て、自分たちに何がされるのかを知ったわたしたちは
枯れ果てた声を振り絞り、ロボットの頑健な腕の中で何度目かの無駄な
あがきを始めた。だがロボットは容赦なくその触手でわたしたちの肛門を
大きく開くと、チューブの先端を穴の中に挿入した。挿入の直後、チューブ
表面から無数の糸のようなものが射出され、お尻や腰を覆うように貼り付いた。
糸は皮膚に接着され、あるいはもっと言うと皮膚の一部になってしまった感じが
した。皮膚をはがす覚悟をせずにこのチューブを引き抜くことはもはやできない
だろうということが直感的に分かった。
ロボットは次に同じような繊維で両足を縛った。足かせだった。
さらに同じ繊維で織られたらしいシートを首の周りや口の中など、全身の
何箇所かに貼り付けた。後で分かったことだが、各種衝撃から肉体を
保護する性質があり、舌をかみ切ったり首を絞めたりして、自殺することを
防ぐ効果があるのだった。そうして仕事を終えると、ロボットはようやく
あの呪わしい腕からわたしたちを解放した。…いや、「解放」ではない。
腕からは外されたが、肛門と両足に外れる見込みのないゴム状の枷がはめられている。
わたしたちは、宇宙のどこかの牢獄に囚人としてつながれているのだった。
ロボットたちはそうして最後の仕事を終えると、再び天井の穴へ吸い込まれて
姿を消した。これからまた地球へ、新たな犠牲者を狩りに行くのだと思った。
わたしと親友は何もできないままそれを見せられる悔しさで、枯れ果てた
と思っていた涙をまた流した。
――でも、いずれわたしたちも、ここにいる「先客」同様、無気力で鈍い
絶望感しか感じられなくなるのかもしれない――
わたしたちの目には、「先客」たちのあきらめきったうつろな目が
いやでも目に入ってきていた。
わたしたちと同じ円盤に収容された犠牲者たちは横一列に並べられていた。
間仕切りなどは何もなかった。栄養補給と排便は肛門のチューブを介してなされて
いるらしかったが、排尿についてはその場で垂れ流さねばならないようだった。
「先客」たちがそうしいるのにならい、柔らかい床でやむを得ず用を足すと
あっというまに吸収され、さらりとした状態に戻る。それでも何となく
臭いだけは染みついていくような気がする。
一つの円盤に収容された犠牲者たちは、部屋の奥から「到着順」に一列ずつ
並べられているようだ。私の左隣には中年男性、右隣には大学生くらいの男性が
固定され、その男性の右隣に親友は固定されていた。彼女のさらに右隣にはやはり
大学生くらいの男性。円盤で離れた区画にいたのか、どの顔にも見覚えはない。
周囲を見ると、どの列もこのようにおおむね男女交互という配列になっている。
…そして、少なからぬ場所で、ときおり男女の交わりが始まるのをわたし
たちはいやでも見せられることになった。拘束具の長さが、その程度の
自由行動を許しているのである。わたしたちの胸は、宇宙人への恐怖とは異質な
不安で激しくざわめいた。
この巨大円盤での「ルール」らしきものをわたしたちが悟ったのは
拘束された直後のことだった。
左隣の中年男性が、その左の二十代くらいのきれいな女性を強姦しようとした。
周囲で繰り広げられている狂態に反応したのだと思われた。女性は悲鳴を上げ、
激しく抵抗した。そうして痛々しい争いが始まったとき、どこからか真っ黒で
ぬめぬめした皮膚をもつ異様な生物が駆けつけた。そして銃らしきものを取り出すと、
争い合う二人に向けた。次の瞬間、二人の姿はなくなり、二人のいた場所には
嫌な臭いを放つ、黒こげになった肉塊が二つ転がっていた。おぞましいことに、
その、人間の原型をとどめない黒い肉塊は、約一時間、この世のものとは
思えないうめき声を上げてから沈黙した。
「見せしめ」の意味があるのは明らかだった。
宇宙人だと思われる怪生物は、それ以外にも、抵抗や反抗心を示す人間を
容赦なく黒こげにしていった。その中にはあのときと同じく、強姦未遂に
及んだ男性が、相手の女性ごと焼き殺される、というケースもあった。
しかし、苛立たしいことに、女性が抵抗さえしなければ、性行為をする分には
「処刑」の心配はないらしかった――それがこの牢獄での「ルール」であるらしい
ことを、ごく短期間に皆が学んだ。
わたしたちが宇宙人に何かをされる前に、男という名の凶暴な野獣に
襲われてしまうのは時間の問題だった。
最初の犠牲者は親友の方だった。ある日、親友の向こう側に拘束されている
大学生が、何の予告も、弁解もなく、突然片手で親友の口を手で塞ぎ、
無表情な目で彼女をにらみながら、親友の乳房を揉み始めたのである。
凍り付く親友。男は一言言った。
「抵抗するなよ。死にたくないならな」
男の手はそのまま足と足の間に伸び、無言で体を固くし、せめてもの抵抗を
する親友の両足をこじ開け、無言の脅迫を続けながら、やがてこの円盤内の
至る所で行われている行為を、親友に対して行い始めた。
わたしは固唾を飲んで見守っていた。それしかできなかった。わたしは
間違っていたのだろうか。親友を救うために、二人に割って入り、
制止すべきだったのか。そんなことをしたら三人とも黒こげにされるだろう。
…親友のためにこそ、それはできない。……だがこれは言い訳だろうか?…。
そんなぐじゃぐじゃな思いを抱え、もはや直視できない二人から目を
背けたとき、わたしのすぐ右隣の大学生がぽつりと声をかけてきた。
「…ひどいね」
思わず声の主に目を向けるわたしに彼は続けた。
「あんな奴じゃなかったんだけどな。こんな状況でおかしくなっちまったん
だな。ごめん」
その彼の友人らしい「あんな奴」は、親友の上で腰を動かし、得意げに言っている。
「俺は上手だろう?場数は少ないが…というか、ゼロだが、色々と研究したからな」
右隣の大学生は悲痛な面持ちでそれを一瞥して、また目を背けた。その様子を
見たわたしは、辛い中にもかすかな救いを見いだした気がして、返事を返す。
「いえ、何もあなたが謝ることは…」
大学生は首を振り、こちらを向いて、わたしの手を握って言葉を続けた。
「ごめん!でも無理もない。俺だって怖いんだ!このまま俺たち、どうされ
ちまうんだ?部屋から消えていった連中が、無事に地球に帰っているなんて
とても俺には思えない。きっと、実験台にされて、そのまま殺されちまって
るんだ!」
その通りなのだろう。彼らが友好的な宇宙人であるとはとても思えない。
そう思ったわたしは、大学生に相づちを打とうと口を開いた。
「そうよね…」
だが、言い終える間もなく、大学生はいきなりわたしの方に身を乗り出し、
わたしを抱きしめた。
「だろ?そう思うだろ?俺、怖いんだ!怖いんだ!」
大学生の体の勢いでわたしの上半身は床に倒された。怖いという思いに
嘘はないのだろう。だとしても、どうも雲行きがおかしい。
「怖い!怖いんだよ!怖いよう!怖いよう!」
うわごとのようにそうつぶやく大学生のあそこは固くいきり立っていた。
そしてその男は、彼の友人とまったく同じ手つきでわたしの乳房を揉み始め、
まったく同じ手順でわたしのあそこをいじり回し、さらにその先の作業を
開始した――そして、わたしの処女は奪われた。
「ごめん、ごめんよ…」
あれから一週間。この下らぬ男は「怖い」と言ってはわたしを押し倒して
自分の欲求を満たし、ことを終えると「ごめん、ごめん」と詫びを入れる。
腹立たしいのは、この男が半ば本気で怖がり、半ば本気でわたしに詫びている
らしい、ということだ。自分が彼の友人同様、単に欲望のままに行為に
及んでいることを、都合よく自分の心に隠しているらしい。同レベルの
あさましい行為を繰り返しながらも、自分は友人よりも紳士的な対応を
とっている、と本心から思っているように見える。それが許せない。
小学校のクラスなどで、いじめの先頭には立たずに、それでもいじめの
行為だけは人一倍率先してやるようなタイプに違いない。
相変わらず親友を脅しつけては犯しているあの男とこの男、どちらが
卑劣だろうか?
…どちらも救いようのない卑劣漢だと言うしかない。比べるだけ時間の無駄だ。
そんなことをぼんやり考えながら、わたしは頭の別の部分で、
昨日あたりから感じている妙な胸のざわめきの正体を考えあぐねていた。
胸のざわめきは、どうも昨日からこの牢獄の監視役になった宇宙人を
見るたびに起きるようだった。青い皮膚の、多分メス型の宇宙人だ。全裸の、
ぬめぬめした粘液を浮かべた皮膚、真っ赤な複眼、緑の唇、太い触角、
蜂の胴体のような模様の乳房、漏斗のような奇怪な生殖器。「蜂女」
とでも呼べそうな怪生物である。
その姿に胸がざわめくたびに、なぜ今頃?といういぶかしさが湧く。
宇宙人の姿はたしかに異様で恐ろしい。だが、人間の適応力というのは
恐ろしいもので、三日も経つ頃には見慣れてしまっていたはずだ。
だが、わたしは今頃になって何か異質の恐怖を蜂女に感じ始めている。
正確に言うと、「この」蜂女に、得体の知れない恐怖を感じているのだ。
わたしの感じた胸のざわめきの恐るべき真相は、その直後に判明した。
わたしたちの列の最右端の男性が、蜂女に話しかけたのだ。
「きみ…きみなんだろ?僕だよ!わからないのか!」
蜂女は何の抑揚もない声で返事をする。
「ワタシはオマえガ言ウ通ノ存在デアリ、マタワタシはオマエが誰デアるカ
認識シテイる。ダガその事実ノ確認ニ合理的根拠ヲ認メらレナイ。
コレ以上の返答ハ不要と判断スル」
その声には聞き覚えがあった。わたしたちの連れてこられた円盤で、
すぐそばにいたカップルの女性だ。相手は必死の形相で蜂女に話しかけて
いる男性。そして、その女性はつい昨日、泣きわめきながら床に吸い込まれ、
この部屋から姿を消していた…。
事実と事実が噛み合い、恐ろしい真相が浮かび上がってきた。わたしは
愕然として、だらしない顔で眠りこけている隣の男の頭越しに、親友に
声をかける。
「ねえ!まさか、あの宇宙人…」
親友もすでに二人(?)の会話に耳を凝らしていた。そして、涙を溜めた
目をわたしに向け、寝込んでいる男をまたいで、わたしに抱きついてきた。
「…いやだよ!わたし、いやだ!…」
わたしたちはひしと抱きしめ合い、自分たちの待つ恐ろしい運命に
怯えながら泣き続けた。
――この「牢獄」から順々に姿を消し続けている人間たち。彼らは、
あの異様な姿の、そして人間の心が何一つ残っていなそうな、不気味な
生きものに作りかえられてしまうのだ。殺されてしまわない限りは順々に。
そう。列の端から順々に。やがてあの無口で卑劣な男も、親友も、
饒舌で卑劣な男も、そしてわたしも、無機質な昆虫人間に改造されてしまう。
それがここに連れて来られた人間の末路なのだ…。
恋人を改造された哀れな彼氏の狂乱した声が響き、わたしたちは
体を上げ、声の方を見た。
「いやだ!僕は改造なんていやだ!いっそ殺してくれ!君にならば
殺されてもいい!反抗すればいいんだろう?こうか?こうか?」
哀れな男は立ちはだかる蜂女の足に、へろへろした拳をぺちんぺちんと当てる。
「……不合理ナ……」
蜂女の声に、ごくかすかな悲しみの色調を感じたのはわたしの錯覚だろうか?
蜂女はその言葉と共に、かつての恋人に銃を向け、男を真っ黒な肉塊に変えた。
そして聞くに堪えない叫びを発し続ける肉塊に見向きもせず、蜂女は去っていった。
順番は近づいていた。あの野獣に等しい男が、乙女のような情けない声を
あげながら姿を消し、次の親友が「ここを去る」瞬間が近づいていた。親友は
隣の男ごしにわたしの手を握りしめながら泣いていた。隣の男は親友の方に
手を出そうとはせず、ややぎこちない姿勢で自分の「誠実さ」と「優しさ」
をアピールしたがっているようだった。わたしたちには、それがくだらない
「オス同士の縄張り意識」にしか見えなかったのだが…
それから親友は、わたしの目を見て、嗚咽の下からかろうじて声を発した。
「…わたしたち…親友だからね!…たとえ二人怪物にされても…やっぱり…
…親ゆ」
親友の言葉が終わらぬうちに、わたしの手は弾き飛ばされ、親友の体は
目に見えない障壁に包まれた。そしてそのまま、やはり目に見えない鎖で、
便器でもあったベッドに固定され、ベッドごと地下に吸い込まれ、
どこかに連れていかれてしまった。
「たとえ二人怪物にされても、やっぱり親友でいよう」
彼女が言おうとしたそんな言葉は、冷静に考れば絵空事でしかない。
わたしたちは怪生物、いや「改造人間」たちの生態をいやというほど
見せつけられていた。人間だった頃の記憶は残っている。しかし、人間らしい
感情は痕跡すら残っていない。痛みや快楽のような単純な刺激に反応する
ことはできるが、それを除けば、彼らが「主」と呼んでいる宇宙人の命令と、
その命令を遂行する最適な手段だと判断した事柄以外のものに対しては何らの
関心ももたない。なまじ人間の言葉が通じ、人間時代の記憶が残っている分、
その不気味さ、異質さはより際立つ。
悲しいことだが、今頃は親友も、肉体だけでなく精神まで、さっきまでの
彼女とはまるで違う生きもの、あんな「人間らしい」約束など、お決まりの
「不合理ダ」の一言で切り捨ててしまうモノに、作り変えられつつあるに
違いないのだ。彼女自身、それは百も承知で、それでも夢想を言葉に
することで、ほんの少しでもそれが現実に近づけばいいと、そんな気持ちで
あれを言おうとしたに過ぎないのだ。わたしが逆の立場でもそう言ったに
違いない。…だから、よく分かる。
卑劣な男は何かを惜しむようにわたしの胸にむしゃぶりついてきた。
いつもの「怖い怖い」すら口にせず、意味のない狂乱の叫びを上げている。
男の恐怖が伝染したのか、わたしもまた泣き叫び始める。絡み合う男女の
狂態は、事情を知らない人が一見すれば快楽の宴に見えなくもないかも
しれない。だがよく見ればその目は恐怖に見開かれ、激しい動きにも
関わらず顔面は蒼白で、そして男の股間の突起物は完全に萎縮し、その
激しい腰の動きが何らの刺激も産み出していないはずだということが
わかるだろう。
いっそここでこの男に抵抗し、男もろともあの光線に焼かれるのが
いいのではないだろうか。そんな一瞬浮かんだ思いは、強い本能的な恐怖と、
親友との「約束」へのとてもかすかな期待によって妨げられる。
唐突に、のしかかっていた男が自分のベッドに引き戻される。
「そのとき」が来たのだ。
「いやだ!いやだよ!助けて!おかあちゃん!」
子供のように泣き叫ぶこの男が、恐がりであるのは嘘ではないのだろう。
あまりに幼児めいたその対応がかえって滑稽で、思わず憫笑が湧いた。
それがほんの少しだけ恐怖を遠ざけた。だが一瞬後、姿を消した男が残した
沈黙と共に、とてつもない恐怖が揺り戻す。人間じゃなくなる!十数年
大事に育ててきたこの体が、あの青黒くぬめぬめした化け物の肉体に
作りかえられてしまう!家族や、クラスのみんなや、憧れていた先輩への
温かい気持ち、未来へのワクワクする思い、ほろ苦い思い、全部全部
消されて、代わりに不気味な昆虫の心を植え付けられてしまう!いやだ!
いやだ!助けて!改造されたくない!改造なんて、されたくない!
「やだよう!やだよやだよやだよやだよやだよ…」
うずくまりわめき散らすわたしは、どういうわけか両手を自分のあそこに
運んでいた。さっきの醜い行為が中断されて以降、どうしようもない違和感と
不快感があそこに残っていたからだ。うずくまってあそこをかきむしっていた
わたしは、いつのまにか、あおむけで、体をのけぞらせながら、両手の指を
変な風に動かし始めていた。
「ああん!やだよう!やだよう!やだよやだよやだよやだよ!ああん!」
不意に体が固定され、目の前が真っ暗になった。そしてわたしは真っ暗な
トンネルの中をどこまでも運ばれていった。意味のない叫びを上げながら。
トンネルが終わり、気がつくとわたしは真っ白な部屋の中央に横わっていた。
いつのまにか、頭部にはヘルメットのようなものが装着されていた。
足の方向にある扉にふと目を向けたわたしは、思わず息をのんだ。
扉から運び出されていたのは、奇怪な死に方をした人間の遺体だった。
全身に大きな黒い瘤のようなものができ、その表情は苦悶に歪んでいる。よく
見るとその遺体はつい先ほど姿を消した、わたしの横の卑劣な男だということに
気が付く。それで、わたしの「順番」が妙に早く回ってきた事情を察する。
つまり、この男の改造は失敗したのだろう。一握りの憐れみと、ほのかな
復讐心の満足、それに強い恐怖が心を満たした。
やがて、わたしの頭の方向から、足音と共に抑揚のない女の声が聞こえてきた。
「心配シナくトモ、改造ノ失敗率ハ、スデニ0.0000001ぱーせんとヲ下回ッってイタ。
今回の失敗カラノでーた収集ニヨリ、現在、確率ハ更ニソノ10000分ノ1ニマデ低下シタ。
モハヤ事実上、失敗ハ不可能ニ近イ数値ダ。オマエノ改造ハ確実ニ成功スル」
声の主が何者であるか、わたしはすぐにわかり、激しい動揺に襲われた。
やがてその姿が視界に入ってきたとき、とうとう涙がぽろぽろとこぼれてきた。
その無機質な蜂の怪物が、紛れもなくかつての親友だったとわかったからだ。
わずかの間に、彼女のやわらかですべすべで白かった皮膚は、両生類のような
ぬるぬるする青黒い皮膚に置き換えられてしまった。そして、その繊細で優しい
心は、感情のない無機的な異星人の手先の心に作りかえられてしまったのだ。
親友はどれほど抵抗したのだろうか。死にものぐるいで抵抗し、自分のままで
い続けようとしたに違いない――悔しかったよね。わたしも悔しいよ――。
自分の分身のようなその親友の運命は、ただちにわたしの運命をも暗示する。
――次はわたしの番なんだ。次はわたしの番。次はわたしの番……
とうに無感覚になったと思っていた全裸の皮膚。ひんやりした空気にさらされた
その無防備さが、今さらのように頼りなく、恐ろしくなり、細かな震えが全身を包む。
やがて親友だったモノが無表情に口を開く。
「間もなク、オ前の改造手術ガ始まる。人間ガ発達させた無用デ複雑ナ感情はすべて
消去スル。オマエに残されるのハ我々同様、生物トしての基本的ナ感情や欲求、
肉体的苦痛の回避ヤ、動物的本能ノ充足のようナ、爬虫類か昆虫程度ノ単純で機械的な
感情と欲求だけニナル。強烈ナ痛ミと快感ガ、お前ノ感情ヲ消しテいクダロう」
悲しくおぞましい生き物が、忌まわしい予告と共に近づいてくる。
「その後ニ、やハり我々同様、我らが『主』ヘノの『服従の喜ビ』と『反逆の恐怖』
トイウ強力な感情またハ『どらいば』ヲいんすとーるスル。それニより、オマエハ
我々と同じようニ、『主』カラ与えられた命令ヲ知性的計算に基づいテ実行スル、
優秀な奴隷生物として完成スル。コの…」
そう言いながら悲しき侵略者の尖兵がわたしの横に立ち、脇腹に指を当てる。
「…脆弱ナ肉体も、不合理な精神モ、間モナく徹底的に作リ変エラレる。そシて…」
両生類か軟体動物のような粘液性の、しかし哺乳類の生温かさをもつ指が押しつけられた。
反射的に鳥肌が全身を走った。直後に、そんな自分の反応に対し、かつての親友への
申し訳ない気持ちが湧き上がる。だが同時に、その感触がもう、間もなく自分自身の
身体の一部になるのだという事実を、文字通り皮膚感覚で突きつけられたことに
わたしは気づく――もうじき…わたしも…こうなっちゃう……
「…オ前ハ『主』ノ道具としテ、改造素体ノ捕獲、資源ノ徹底収奪、反乱分子ノ
殲滅ヲはじメとすル、各種の活動ヲ開始すルことニなル」
とうに推測がついていたこととはいえ、はっきり断定されるのはこれが
初めてだった。それは最悪の可能性だった。わたしたちがここに連れ去られた
のは、ただの人体実験や、まして善意の介入などではない。ここは侵略者の前線基地。
わたしたち、地球人であるはずのわたしたちは、ここで侵略者のために働く道具に
改造され、「服従の喜び」に駆り立てられながら嬉々として地球人を狩り、
環境を破壊し、あるいは地球人を殺戮する存在にされてしまう。運悪くあの円盤に
捕らわれた何の罪もない人々は、恐ろしい侵略者の道具に作りかえられ、
新たな犠牲者を狩るために駆使される――…そして…わたしも…今から…
変わり果てた親友、少し未来の自分の分身が、一呼吸おいて再び口を開く。
「――以上、改造素体ヘノ必要ナがいだんす終了。続いテ、改造手術、開始」
言葉が終わるのと同じ瞬間、天井から何本もの注射器が降りてきて全身に
深ぶかと突き刺さった。背中にも同じように針が刺さったのを感じた。同時に
猛烈に熱い、まばゆい光線が全身に照射されはじめた。わたしは思わず
悲鳴をあげた。続いて恐怖がわき起こった。これは「ガイダンス」で
告げられていた、「感情消去」の一部に違いなかった。強烈な痛みで意識を
空白にして、少しずつ人間らしい感情を消していくのだろう。
注射と同時に、下半身でも処理が進行していた。台からラグビーボールを
縦割りにしたような白いカプセルがせり上がり、局部にあてがわれた。中には
生ぬるい粘着性の物質が詰まっているのが分かった。
――これが動き出したら……――
わたしは、それがどのような感覚を生み出すかを予期し、快感もまた
感情消去につながるのだという「ガイダンス」を再び思い出した。
あの黒くふくれあがって死んだ男にいじり回され、その後自分でかきむしった
名残の痛がゆい感覚が、まもなく始まるであろう処理のおぞましさに
微妙な陰影を与えていた――感じたら…感じてしまったら…わたしの心は
その分だけ人間でなくなってしまう。人間じゃなくなる。人間の心が消える…
わたしのおののきを、快楽の予感へのじれるような本能的渇望が縁取った。
そして、その事実自体が、その結果として待つ心の喪失への恐怖を倍増させた。
皮膚のあちこちでは、光線と注射の恐るべき効果が早くも現れ始めていた。
注射は絶え間なく運動を続け、皮膚のあちこちに突き刺さり、そこに大量の薬剤を
注入し続けていた。やがて、まるで注入された薬剤が染み出すように、皮膚に青い
斑点が広がりはじめた。じとじとと広がる粘液は光線によって硬化し、その上に
また別の粘液が覆う。こうして、いつ果てるともなく薬剤が注入され続け、皮膚が
着実に青黒い粘着性の物質へ変質を続けていく。同じ違和感はさらに体表のみならず
体内にも止むことなく浸透していく。
――だが、ふと奇妙なことに気づく。太い注射針が何度も刺さっては抜け、
抜けては刺さる。そこに灼熱の太陽に似た強い光線が間断なく降り注ぐ。
当初それはとてつもない激痛だったはずなのだが、徐々にその痛みが
鈍くなってきた気がする。眼球を破裂させられる、という残酷な処置を
されたときにはさすがに頭が一瞬真っ白になってしまったが、しかし
それすらも、膜に覆われたような鈍さがあった。
そしてもっと怪訝なのは、下半身での処理だ。柔らかい物体がしきりに
動いているのは確かなのだが、予告されたような、そして普通ならば
確実に生じるはずの、性的刺激はいっこうに感じられない。味気ない
機械的な運動だけがやはり厚い膜を隔てたように感じ取られるだけだ。
反射的に生じた「失望」を押し殺しながら、わたしはそれでも警戒を
怠らなかった。よくわからないが、これは宇宙人の何らかの策略なのでは
ないか。こうして一時的に快感を「堰止め」ておき、一気に放出させる
つもりじゃないのか…。
そのとき、変わり果てた親友が口を開いた。
「そノ強烈ナ痛覚ト快楽ガ、お前ノ不合理ナ感情ヲ徐々に消去すル。そシて、
おーがずむニ達しタとキきに、処理ハ終了スる。抗イ、隠そウとしてモ無駄ダ。
検出機械ガお前ノおーがずむノ兆候ヲ着実ニ識別すルまデ、処理ハ続ク。
――以上、警告終了」
――そうなのか…
わたしは、奇妙な無感覚状態が与えた冷静な心理の中で、侵略者の「警告」が
色々と大事な情報を漏らしていることに気がついた。
まず、この無感覚状態は正常な「改造」の一部ではなく、何かのアクシデント
らしいということだ。そして、「検出機械」とやらが、わたしがオーガズムに
達したと判断すると、洗脳は終わるらしい。ならば…
「…あ、あ、あふ……いや……そんなこと………言わないで……我慢……
できなく……なっちゃうよぅ……」
わたしは、さも、自分が今まで痛みと快楽をこらえつづけていたかのように、
そして、もはやそれに限界が来たかのように、自分が「感じて」いるふりを
し始めた。自分がそこをこんな風にいじられたらどうなるかを想像し、
その想像通りの演技を始めたのだ。
「…やだよう……もうやめて!…いやだよ…これ以上続いたら……あ!…」
身をよじらせ、呼吸を荒げさせる。実際、顔が上気し始めたようだ。
ひょっとすると意識にのぼらないレベルで、肉体が本当に反応している
のかもしれない。
うまくいくかどうかはわからない。あんまり早くても怪しまれるだろう。
だが、うまくいけば、肉体の改造はやむを得なくとも、心までやつらの
手先になることは避けられるかもしれない。そうすれば……目の前の彼女の
無念を晴らすことができる。わたしたちをこんな風にしたやつらに、復讐
することだって、できるかもしれない。
わたしは慎重に演技を続けた。
「……痛い!…でもきもぢいっっ…あぐ…んぐ…」
迫り来る絶頂に抗しきれないように身をよじり、そしてそれに必死であらがう
ふりをする。汗や脈拍など、生理的な反応はちゃんとついてきてくれている。
「……あ、あ、あ、らめ……い…い…いっちゃ…ぅ…ぅ…ぅぅぅううううう!」
びくんと体をのけぞらせると、ちゃんとあそこが蠕動してくれた。何の
快感もなしにだ。わたしはどうやら、わたしが普通なら感じるとおりの動きを
「演技」できたようだった。
放心し、感情が消えたような顔つきで呆然と天井を見ている。あながち演技
でもない。本当に感情が消えたわけではないが、大変な緊張を強いられる作業が
終わり、どっと疲労が襲ったのは事実だ。
親友だった「奴隷生物」が計器をチェックしている。わたしは、「検出器」の
判定を待ちながら「放心状態」を続けた。
「…感情消去、終了。コレよリ、『どらいば』ノいんすとーるニ移ル」
機械は停止したが、胸のざわめきをこらえるのが大変だった。感情を
消されなかったとしても、結局「ドライバのインストール」とやらは
避けられないらしいのだ。
わたしは実際に「イッた」後と同じ虚脱状態の中、もう、なるようになれ、
という投げやりな気持ちで次の処理を待った。
しばらくして、心のどこかにぽつりと小さな、しかし底知れぬ深さをもった
穴が空き、一瞬そこから猛烈な「圧力」が生まれ、何か大きなかたまりが
心の中に押し込まれたのを感じた。そしてまたすぐにその穴は閉じた。
「いんすとーる完了。改造素体七百四十八号ハ、ただ今ヲもっテ奴隷生物
六百六十四号としテ完成しタ。起立シ、『主』からの命令ヲ復唱せヨ」
言葉と同時に、改造を行っていた装置が自動的に外れた。そして
言われたとおりに起立しながら、「命令の復唱」という唐突なリクエストに
内心うろたえ、そして、先ほど心に押し込まれた「何か」に注意を向けて
さらにうろたえた――ちょうど、デスクトップの見知らぬフォルダをクリック
したら、見慣れないファイルが大量に表示された感じだ――わたしの心の中に、
大量の見たことも聞いたこともないはずの知識が、まるでずっと前から知って
いたかのように、整然と整理されて並んでいたのだった。
わたしは表情を変えないように注意しながら、「主からの命令」を検索し、
復唱した。
「『主』カラノ命令ニ従イ、ココニ私ハ宣誓スル。ワタシハ主ナル種族ノ生存
ト繁栄ノタメニ、奴隷生物トシテノ全能力ヲ駆使シ永久ニ献身スルコトヲ誓ウ」
ちょっと抑揚がなさすぎてかえって怪しまれるかもしれないなと思ったが、
気づかれた様子はないようだった。そしてわたしはようやく、自分の洗脳が
失敗に終わったらしいという事実を実感し始めた。
たしかに、「インストール」された「服従ノ喜ビ」と「反逆ノ恐怖」という
「ドライバ」は起動を開始していた。だが、それはまるで先ほどのあそこへの
刺激のように、まるで膜を隔てたような、気の抜けた強制力しかもたなかった。
奇妙に鈍かったとはいえ何度か襲った激痛は、わたしの人間としての繊細な
感情をある程度削ってしまったに違いない。しかしこのくらい感情が残って
いれば、「ドライバ」が心を乗っ取ってしまうことはないのだろう。
昔の親友が事務的な口調で告げた。
「ソレでハ、がいだんすノ任務ヲココニ引き継グ」
そう言ってくるりと向きを変え、部屋を出て行った。つまりはそういう
順序でこの任務が回っていくのだ、ということは言われる前に宇宙人からの
指令で分かっていた。
泣きながら運ばれてきたのはわたしの左の四つ向こうにいた、十七歳だと言っていた
少女だった。清楚な顔立ちの美女で、しかもモデルのようにすらりとしているのに
胸は豊満、という、うらやましい容姿の女性だ。
わたしたちの間にいた三人はもうこの世にはいない。隣の二人は到着してすぐの
例の強姦未遂事件で「処理」された。その隣にいた男性はとても勇敢で誠実な人だった。
横にいる絶世の美女に手を出すこともせず、ある日決然と宇宙人に抵抗の意を示し、
「処理」を受けた。黒こげの塊にされてからも、意志の続く限り毅然とした言葉を
しばらくは発していた。…いい人ほど早く死んでしまうのかもしれない。
手術台の少女は近づいてきたわたしに気づいたようだった。そして泣きながら
訴えてきた。
「ねえ!わたしがわかる?いやよ。改造なんて受けたくない!お願い!お願い!」
激しく胸が痛んだ。このままいけば、この少女は「奴隷生物」にされてしまう。
否、「このままいけば」どころではない。このわたしが改造手術開始の指示を
出すのだ。つまり、わたしはそれを出さないこともできるのだ。
…しかし、そんなことをしたらどうなる?わたしは失敗作として処刑されるか、
改めて洗脳を施されるかどちらかだろう。いずれにしても彼女は改造される。
…でも、せめて、人間として彼女に詫びるべきだろうか?それが人間としての
義務ではないのか?
…いや、それは絶対にしてはならない。この少女の改造は多分成功する。
そうなったらどうなる?わたしの心が人間のままだ、という事実を宇宙人に報告するに
違いないのだ。わたしは多分まれな例外だ。あの男の改造が失敗したように、
まれな確率で生じた「失敗作」に過ぎないのだ。
わたしは、感情を押し殺した「奴隷生物」の口調で少女に答えた。
「お前ガ何物カはヨク理解しテいル。ワたシの左側にいタ改造素体七百五十二号ダ。
ダガそノ事実と、改造ヲ拒否すルといウお前ノ意志トノ論理的関係ハ不明。返答不能」
力無いあきらめが少女の表情を覆う。涙腺が除去されていてよかったと思う。
…でも、これでいいんだ。どうせ改造されるなら、あきらめ、現実を受け入れた方が
まだ楽ではないか?
わたしは自分でも奇妙なほど冷静な推理を働かせながら、「ガイダンス」を始める。
「間もなク、オ前の改造手術ガ始まる…」
インストールされたマニュアルに従って定型文を読み上げていく。
「…単純で機械的な感情と欲求だけニナル。その後ニ、やハり我々同様…」
何となく奇妙な違和感を感じながらも、淡々と定型文を読み上げ、
運命の宣告まで一息に言い終える。
「…『主』カラ与えられた命令ヲ知性的計算に基づいテ実行スル優秀奴隷生物として
完成スル――以上、ガイダンス、終了。続いテ、改造手術ヲ開始スル」
注射針が突き刺さり、強烈な光線が照射される。まったく不意をつかれたらしい
少女が、この世のものとも思えぬ叫びを上げる。ほぼ同時に、局部に台から
せり上がってきたカプセルが密着する。
そう。彼女はこれから何が起こるか全く知らない。心の準備をする間もなく、
訳の分からないまま、痛みと快楽で空白になった意識から、人間としての感情を
はぎ取られ、同時に肉体を改造されていくのだ。
カプセルの中の生殖細胞が活動を開始したのが分かる。痛みと恐怖の叫びとは、
明らかに違うトーンの声が混じり始めたからだ。
「…え?……え?……何これ!!…ぁ………ぁ……あ…あ…あ!…」
不意を衝かれた女性が、急激に溺れていくのがわかった。わたしはそれを見ながら、
複雑な思いを抱いていた。
この少女の左隣にいたのは若いカップルだった。二人は、残り少ない時間を惜しむ
ように、愛を語り合い、交わり、また愛を語り合っていた。当然なのかどうかは
わからないが、その男性が反対隣のこの少女と性的交渉をもつことはなかった。
初めて気づいたのはどれぐらい前だったか、左側からかすかなあえぎ声とくちゃ、
くちゃ、くちゃという音が定期的に聞こえるようになった。両隣である、カップルと
わたしが寝静まったのを見計らって、「自分を慰め」ているのだった。
こんな風に女が受け身にならざるを得ない環境だと忘れてしまいそうになるが、
女の子だって性欲はある。周囲でさんざん「見せつけ」られていた彼女は、
激しい欲求不満に陥っていたに違いない。そんな彼女に、この生殖細胞移植機が
どんな意味をもつのだろう。全く予想もしていなかった快楽にひとたび溺れて
しまったら、もう引き返すことはほとんど不可能に違いない。あれほど焦がれていた
快感に飲み込まれながら人間でなくなるのは、多少なりとも幸福だろうか…
…ここまで考えたとき、奇妙なことに気づく。ガイダンスの中に、洗脳がどのように
なされるのかのはっきりした情報はない。なのになぜかわたしはそれを知っていて、
それに対する「心の準備」がちゃんとできあがっていた。
それがなぜだったのかをはっきり思い出す前に、奇妙な後悔の念が浮かんでくる。
わたしは早々と彼女を救う手段などないとあきらめてしまった。だが、本当に
そういう手段はなかったのか。例えば…
わたしは侵略者にインストールされた知識を検索し始めた。
――そう。まったくないこともないんだ。例えば、感覚を遮断する物質を
それとなく彼女に注入すれば…彼女はわたしと同じ条件に置かれることになる。
つまり、洗脳を免れることも不可能ではない。
……そうだ!手はあったのだ。…いやだ!なんであんなに簡単にあきらめちゃったん
だろう!ちゃんと考えれば、もっとちゃんと考えてさえいれば……
「……あぁぁぁぁぁ!お願い!もうやめて!!いっちゃぅぅ!!いっちゃうよぅ!!」
わたしは、急速にその皮膚の色を変えながら、信じられない声を上げて快楽に
身をよじる少女を見ながら、激しい後悔に襲われると同時に、奇妙にも、
何か漠然とした大きな希望が心に芽生えかけていることに気づいた。
――感覚遮断剤の注入と洗脳の経過の予告…それって、まさにわたしが
されたことではないのか?…わたしが今、やれたかもしれないことを、さっき親友が
わたしのためにやってくれた……とは…考えられないだろうか??
肉体改造の完了を待たず、少女の洗脳は終わってしまったらしい。昆虫に限りなく
近づいた、無表情なモノの肉体を、なおも注射針と光線が作りかえ続ける。
やがて肉体改造も終了し、手術台の上には青い皮膚、同心円上の模様の入った
乳房、太い触角、赤い複眼、ブーツのような足、そして漏斗のようないやらしい
女性器を備えた、異形の化け物――今のわたしと同じ――が横たわっていた。
わたしは定型文の指示を発した。すらりとした足と豊満な乳房、清楚な顔立ちは
そのままの、おぞましくも美しい「奴隷生物」が立ち上がり、「主」への忠誠を
心からの賛意をもって誓っていた。
わたしは「引き継ぎ」を終え、「主」に指示された次の任務にそそくさと向かった。
さっき思いついた仮説を早く確かめられる機会を、わたしは待ちわびていた。
チャンスはすぐに来た。次の任務は親友と同じ部署だったのだ。とはいえ、
うかつなことはできない。すべてはわたしの思いこみで、彼女がやはり正真正銘の
完成した奴隷生物だという可能性も十分あるからだ。
任務は、工場で生成されたムカデ型ロボットの足を束ね、箱に詰めるという
地味な作業だった。人間の処刑とか改造とか、胸の痛む仕事でなくてほっとした。
…といっても、この仕事も結局は人間の拉致の手助けなのだが。
とてもいやだったのは、彼女を犯していたあの男も同じ部署だったことだ。
これでは確かめようがないし、もうこの男とは関わりたくなかった。
親友を見ると、彼女が彼女のままならば当然感じそうな不快感を見せることもなく、
黙々と作業に従事している。わたしはその一事が、もう決定的な絶望の証のように
感じ、そんな動揺を押し殺しながらやはり黙々と作業を続けた。
そうして二時間ほど経ったときのことだ。あのいやな男が、アームを束ねる
バンドを収納していたカバーに足を滑らせた。二十センチほどの、黄色くて細長く、
内側がぬるぬるしているカバーはたしかに危ない代物だった。改造人間は基本的に
この種の不注意をしないようにできているのだが、改造直後の調整期にある場合、
まれにこういう事故は生じうる。
不運、いや…幸運なことに、男の転んだ先には鋭い金属板が立てかけてあった。
男は金属板にもろにつっこみ、生殖器から右の腰のあたりまで、つまり右足一本
まるごと、ざっくりと切断された。蟻男は奇声を上げながら激痛にのたうち回る。
複雑な感情はないが、こういう原始的な反応は残さないと生体維持に都合が悪いのだ。
わたしは「修理班」を無線で呼び出しながらも、内心残酷な喜びで満たされていた。
いい気味だ。親友を、あんな目にあわせたんだ。このくらい当然の罰だ。
そう。それほど大した罰でもない。痛みそのものは人間だった頃に劣らず激しい
だろうが、このくらいで改造人間の生命が危険にさらされることはないのだから。
そのときだ。わたしの前にいた親友の肩が小刻みに震え始めたのがわかった。
震えは止まず、だんだん大きくなった。そして「修理班」が到着したとき、
かすかに「ぷ」という声がたしかに漏れた。
わたしは思わず耳を澄ました。「修理班」は意に介さずに男を担ぎ出していく。
その横で、声は断続的に続き、少しずつ大きくなった。
「…ぷっ……ぷっ……くっ…くっ…くくくく、ぷぷぷぷ…」
「修理班」が部屋を立ち去ると、親友は腰を折り、お腹を抱え始めた。
「…あはっ…あはっ…あはははは!…見た!?見た!?…さっきの格好!
くくく、あは…ば、バナナの皮で…つ…つるんって…!!」
最後の一言でわたしも冷静な判断力が飛び去り、わたしの方にも芽生えていた
笑いの衝動に身を任せた。
「…あは!…み、み、見たよ!…ば、バナナの皮!…あは…あは!」
笑いすぎて息ができない。後はもう二人でお腹を抱えながら、その場に
うずくまり、色々と溜まっていたものをすべて放出するまで無心に笑い続けた。
それから二人は想像上の涙をぽろぽろとこぼしながら、固く抱き合った。
「…くすン。よかっタ!…洗脳、されてないね!」
「…されなかったよ!…麻酔薬とか、説明とか、色々やってくれたおかげだよ!」
この倉庫には八時間後の交代時間まで誰も来ない。声も漏れない。それは
二人とも分かっていた。だから心おきなくお互いの感情をさらけだすことができた。
わたしたちは抱き合い、手をつなぎ、大きな試練を二人でくぐり抜けられたことを
喜び合った。肉体は醜く改造されてしまった。感情もいくらか削られてしまった。
でも、ちゃんと大事なものを守り抜けた。人間の良心を失わず、宇宙人の手先に
なることに抵抗できたのだ。
いくらか落ち着いてくると、親友に聞きたいこと、言いたいことがいくつもあった
ことを思い出し、とりあえずノルマの作業に戻りつつ、親友に話しかけた。
「わたしはあなたのおかげでこうやって人間でいられてる…心はね。でも、
あなたは?どうして洗脳されなかったの?…あの男の助けがあったとも思えないし…」
「あの男は完全な奴隷。宇宙人ノ手先よ!…だケど、たしかに、あいツのおかげと
言えなくもないわ。…あいつの乱暴でへたくソな責めでめちゃくちゃにされたせいで、
あそこがすっかりダメになっちゃったのよ。多分、心と体の両方デ。だから何にも
感じなかった。痛みハ別だけどね」
痛々しい話だ。そして、痛みに対して全く無防備だった親友の感情が、わたしより
少し多めにすり減っているのが分かり、なお痛ましかった。こんなあけすけな
物言いをする子じゃなかった。話し方もちょっとだけ変だ。それに、「笑い」は
普通にできるけど、「微笑み」を忘れてしまったようだ。わたしに合わせて無理に
作ろうとしているけど、とてもぎこちない。
そんな思いはしかし心に秘め、話を続けた。
「わたし…あなたと同じことができたはずなのに、思いつけなかった!あのお姉さんも
救うことができたのに…」
「仕方なイわ。わたしヨりも時間がなかっタんだし。それに…」
「…それに?」
「…あのお姉サんは、わたしじゃなかっタでしょ?」
「………そうだね」
その通りだった。親友は改造素体がわたしだから、真剣に、真剣に、対応策を
考えたのだ。そして多分、立場が逆だったら、わたしは間違いなく同じこと思いつき、
実行していた。ある意味、ひどい話だが、事実だ。わたしたちはそういう仲なのだ。
わたしはもう一つ気になっていたことを聞いた。
「そういえば、さっきの含み笑い、我慢できなかったのは分かるんだけど、でも、
まだ『修理班』がいたのに、大丈夫なの?」
「大丈夫。あいつら、感情をなくしたと同時に感情を読み取る力を失っているのよ。
初期調整中のノイズだくらいにしか思っていないわ」
その通りなのだろう。だけど…
「だけど!あいつらはいいとして、わたしは?万が一にもわたしが洗脳されているとは
思わなかったの?いくらなんでもばれるわ。…そんなに、あの作戦に自信があったの?」
「ちがう!」
親友はとても強く抗弁した。
「ちがうよ!自信なんて全くなかった!ただわたしはね、もしもあなたが人間の心を
失っていたら、わたしも…」
「もういいよ!」
わたしは親友が皆まで言い終える前に、その手をぎゅっとつかみ、先を続けるのを
制止した。…そのせりふは、とても嬉しいものだけど、でも、人間が口にしては
ならないせりふだと思えたのだ。
怪しまれてはいけないので、わたしたちは侵略者の片棒をかつぐノルマを黙々と
こなしながらもおしゃべりを続けていた。話は二人の「これから」に移っていた。
「性的刺激ガ感情消去のカギ。処置は中断していルだけで、新しい刺激が来れバ
いつでも再開さレるわ。二人とも今は無感覚だケど、これがいつまでも続く保証は
なイ。だから、誘われても、断らなきゃ、だめよ」
改造人間たちは場所を問わず、見境なく「交尾」をする。オスの蟻男も、メスの
蜂女も共にだ。とはいえ強引にではなく「自由契約」だ。断れば必要以上に
強制してはこない。改造人間たちはみな強力な生物兵器でもある。万一衝突が
起きれば大惨事になる。それは互いに了解されているのだ。
「だけど、いつまでモ断り続けていタら怪しまれる。いずれどウにかしないと
いケない。…手はいくツかあると思う。改造人間ノ解剖学をよク研究して、
いい方法を探しマしょう」
親友は感情が削られた分、頭の回転が速くなったようだ。でもいつまでも聞き役は
くやしいので、こちらから別の計画を振る。
「それより、こちらから討って出る計画は?とてもいやで、悲しいことだけど、
この身体をうまく使えば、ふつうの人間にはできないことができるよ。…例えば、
このムカデロボットに紛れて地球に戻って、ロボットたちから人間を助ける。どう?」
親友は少し考えて、それから意外な返事を返してくる。
「ねえ。いずれローテーションで、わたシたちにもあの『処刑者』の仕事が
回っテくるわね?」
考えたくない話だ。何でそんなことを急に言うんだろう?わたしが黙って親友の
顔を見つめると、親友はにんまりと笑った。「にんまり」は消されていないようで、
ぞっとするくらい自然な笑みだった。やっぱり少し前とは違う。改造人間の
冷たい心が、ちょっとだけ入ってしまった気がする。
「あまり気に病まなくトも大丈夫。『反逆指数』の評価基準は読んダ?なんだカ
あやふやデ、どうとでも運用できソう。こちらの裁量デ、ロクデナシのケダモノ男を
反逆者に仕立てることなんて、簡単そウよ」
感情が削られたせいなのか、あの男から受けた心の傷がとても深いからなのか、
親友の語気には何とも言えないすごみがあった。わたしはふと、さっきの
「バナナの皮」は彼女がわざとあの危険な場所に置いたのではないかと思えてきた。
それに、もしかしたら、わたしの横の男のあの改造失敗は…
…詳しくは聞くまい。いまさらどうでもいいことだ。でも、少なくとも今の
話は、彼女の人間の男どもへの復讐ではあっても、わたしたちをこんなにした宇宙人への
復讐ではない。いったい、何が言いたいんだろう?わたしは親友を見つめるしかなかった。
「…もちろん、処刑は口実。本当の目的は別にあルの。ねえ。考えてミて!
不穏分子のもとにユっくり近づきながら、あノ無味無臭の感覚遮断剤を、
まき散らして歩クの。通り道にいる改造素体たチに、マんべんなく…」
「…………あ!」
わたしはまるっきり意表をつかれた。それが意味するのは…
「反乱だわ!」
「そうよ。大規模なナ反乱軍がかなリお手軽に調達できル。どこまでうまクいくかは
わかラない。ひょっとするト、簡単に馬脚を現すようナ素体は外した方が無難かも。
少数精鋭デ…」
「いいえ!全員よ!見捨てていい人間なんていないよ!」
「…いいワ。詳しいことはまた考えましょウね!」
いつのまにか交代の時間だった。わたしたちは倉庫を出て、交代の改造人間に
進捗状況を報告する。次の部署は離ればなれだ。さっきとは違う。ここはもう
恐ろしい敵のまっただ中。これからずっとこの中で敵を欺き、場合によっては
味方を欺きながら生きていかなくてはいけない。心細かった。もうちょっとだけ、
親友と話していたかった。次にいつ会えるかすら分からないのだから。
だけど、声をかけるわけにはいかない。脳波通信も傍受されかねない。
でも、ちょっとだけ、つながりの余韻が欲しい。そんな念を込めて親友の背中を
見送る。
わたしたちは双生児のような親友だ。わたしの思いは彼女の思いだ。彼女は、
振り向くことはしないで、代わりに、そっと手を上に出し、Vサインを作ってくれた。
二人が同じ思いであること。そしてお互いがお互いのそんな気持ちをちゃんと
わかっていることを、その仕草は示してくれた。よかった。二人なら、
やっていけそうだ!わたしの心に勇気が湧いてきた。
奇跡だろうか?チャンスはとても早くやってきた。地球時間で丸一日経つか
経たないかの間に、「処刑者」のローテーションが回ってきたのだ。しかも、
親友とペアという配置だ!作戦もちゃんと練っていないけど、でも、
二人ならなんとでもなるという大きな自信があった。
少し早く来すぎたのか、親友はまだ姿を現してはいなかった。わたしの気は
せいていた。親友はなんだか慎重な作戦を提案していたが、わたしの意見は違った。
チャンスのある内に、少しでも多くの可能性の種を蒔いておくのが一番なのだ。
わたしは素体収容室に降り立つと、巡回するふりをしながら無味無臭の
感覚遮断ガスを全身から散布して回った。仕事中に体内プラントで合成した改良型で、
改造用生殖細胞に触れたときに初めて効力を発するタイプだ。
散布を無事始められて、わたしはほっとため息をついた。わたしに言わせれば、
「少数精鋭の反乱軍」なんていう親友の計画は、慎重なようでいて実は相当な楽観論だ。
侵略者の正体が何なのかすら、改造された今でもさっぱりわからない。次に何が
起こるかもわからない。そんな中では、今できる最大のことを、できるときに
やらないとダメなのだ。これがどんな結果になるかは何とも言えない。でも、
大きな混乱が起きることはたしかだ。わたしたち二人にできるのは、多分そこまでだ。
そんなことを考えながらなおも散布を続けている内に、ようやく親友が姿を
現した。わたしの方を見ながら、2メートルほど近づいたあたりであのぎこちない
「微笑み」を浮かべ、それからVサインを出してくれた。思わずゆるみそうになる
頬を引き締める。たしかに今周りにいる素体たちは仲間になってくれる可能性が高い。
だが、簡単に無防備になってはならない。未改造の改造素体こそ、最大の警戒対象だ。
それは、精巧な感情検出器を備えた、未来の改造人間なのだ。
そんなことを考えている内に、親友の腕が下げられ、その顔がぞっとするほど
無表情で無機的なものに変わった。昆虫の顔!そして次の瞬間、親友の乳首から
何かが高速で発射され、わたしに命中した。わたしの手足は麻痺し、その場に
崩れ落ちた。
その後一分と経たないうちに「修理班」が駆けつけ、麻痺したままのわたしを
連行し始めた。その間、親友…は、わたしのすぐ横にいた二十代前半の女性の局部を
無造作にまさぐり、それから脳波で管理者に連絡した。イレギュラーに、その女性は
床に吸い込まれ、あの暗いトンネルの中へ消えていった。それから、少し遅れて
到着した「調査班」に指示を出した。わたしが例の薬品を散布したまさにその区画を
「調査班」は正確に突き止め、管理者にデータを送信した。
親友…に何が起きてしまったのはほとんど明らかだったが、わたしの意識は
その現実を拒んだ。わたしは「調査班」に連行されながら、顔を引きつらせつつ
笑顔を作り、話しかけた。
「ねえ。冗談はやめようよ。あ、ひょっとしてわたしが洗脳されたかもしれないと
思って、用心したの?大丈夫だよ!わたしはわたしのままだよ!そこにいるのは、
ひょっとして『お仲間』?一日で反乱軍を組織した?すごいね!」
我ながら、楽観論どころではない。妄想だ。だが、舌は止まらない。
「見てくれた?昨夜一晩で合成したんだ。生殖細胞との接触で活性化するんだよ!」
「親友」の表情がほんの少し変わる。その特性までは検知できなかったんだろう。
「ねえ!黙ってないで何か言ってよ!早く麻痺を解除してよ!今敵が来たら
わたし、捕まっちゃうよ!」
「親友」はようやく口を開いた。わたしの方を見もせずに。
「ワタシハ幸運ダッタ…」
わたしは馬鹿話をやめ、「親友」をじっと見た。「幸運」って?
「『管理者』ハ中枢ヲ持たナイこんぴゅーたダ。ソノ機能ハ、地球侵略ニ有用ナ
でーたヲひタスラ収集シ、蓄積シ、重ミ付ケすルダケダ。ダガそノ成果ハメザマシイ
モのダ。管理者ニハ、地球人ノ行動ぱたーんヲ理解シテ予測すルコトハデキなイ。
ダガ、個別ノ事例ヲ着実ニ収集スルコトニよッテ、高イ精度ノ予測ガ可能ダ。
ワタシニトッて好適ダッタのハ、カツテ『Vさいん』ヲ用イた『不良品』ガ
一体検出サレテイタことダ。ソノトキ以来、管理者ハ『Vさいん』ヲ掲ゲタ
奴隷生物ヲ必ズ『再検査』ニ回ストいウ事項ヲまにゅあるニ付加シタノダ。
昨日ノワタシノ『Vさいん』モすぐニ奴隷生物六百六十五号ノ目ニトまリ、
ワタシハ直チニ再検査ニカケラれタ」
あんなはっきりした含み笑いは見逃すくせに、さりげないVサインは見逃さない。
気持ちが悪い。アメーバみたいな不気味なシステム…。
「不運ダッタのハ…」
今度は「不運」か…。わたしはなんだか意識がうつろになった気がしてきた。
話している間にも「修理班」と「親友」は歩き続け、わたしたちは今やあの
改造手術室の前まで来ていた。
「…不運ダッタのハ、オ前トイう不良品ノ検出ト確保ガココマデ遅延シテシまッタ
コトだ。…ヤムヲ得ナカッタ。ワタシハ興味深イ事例ダッた。快楽洗脳ノ中断状態ヲ
維持シタママ、十数時間ノ間、痛覚刺激再処置、全身ノ生体解剖、各種脳内物質ノ
投与等、多方面カラノ分析ガナサれタ。サラニソノ後生殖細胞ノ再移植ト活性化ヲ
何度モ施シ、入念ナ快楽洗脳ガヤハリ十数時間続イた。最終的ニワタシノ洗脳ガ
完了シ、オ前トイう不良品ノ存在ガ『管理者』二明ラカにナッタノハ、
二十数時間モ後ノコトニナッテしマッタノダ」
淡々とした口調に耳を傾ける内、想像上の涙がぽろぽろとこぼれ始めた。わたしが
「反乱軍」を夢想し、嬉々として新型感覚遮断剤を調合していたとき、親友は
十何時間もの間、拷問に等しい人体実験を受け、そして、それから「快楽洗脳」を
受けさせられたのだ。心の傷のせいで、そして、多分わたしを守るという
強い意志の力で、洗脳は十何時間も長引いた。でも結局最後に、親友の
人間の心は強引に洗い流されてしまったのだ。
「ワタシノ情報ヲ得ルと『管理者』ハ直チニ、オ前ヲ素体収容室ヘ配置シた。
ソしテオ前ガ準備シテイルデあロウ感覚遮断剤ノ検出ノ準備ヲ始メタ。
コレハワレワれニトッてノ新タナ前進デあル。オ前ノ行動ノ分析ニヨリ、
『不良品』ノ製造確率ハマタ大キク低下スルコトだロウ」
陰鬱な気持ちが襲った。クモの網にかかった蝶々のように、わたしたちがもがき、
あがき、こざかしい知恵を使えば使うほど、網はわたしたちにより強く絡まる。
アメーバのようなコンピュータは新しい反応を学習し、同じ過失を二度は繰り返さない。
親友が思いついた手を別の誰かが思いついても、それがうまくいく見込みもうない…
改造手術室の中では、先ほど姿を消した若い女性が、早くも半ば蜂女化して
横たわっていた。その目にはほぼ完全な人間の感情と、強い意志の光が宿っていた。
「負けない!こんな体になっても…人間の心だけは失わないわ…絶対!」
なんだか痛々しい。「修理班」がその姿を冷静に観察し、報告する。
「感覚遮断剤ノ効果ヲ確認。続イテ、改良型生殖細胞ノてすとニ入ル」
わたしはぞっとする。あまりにも早い。これが敵の力なのだ。
未だ白い皮膚がところどころ残る半蜂女の股間に新しいカプセルが装着される。
「何?何なの?………………」
装置が作動する。何が起きつつあるか察した女性は、唇をかみしめ、まだ人間のままの
目をつぶり、衝き上げてくる波をこらえようとしている。やがて目から血が流れ、複眼が
形成されても、まだ身じろぎ一つせず、唇をぐっと噛みしめている。
だが、張りつめた糸はやがて切れてしまう。満潮になったダムが決壊する。
――正直、そこまでの性的快楽というものがどんなものであるのか、わたしの
貧弱な経験では想像がつかない。だが目の前にいる女性がそういうものを感じつつ
あるというのは多分間違いがないが、実感が湧かないのだ。だがそれは起きている。
唇を噛み、眉間にしわを寄せ、全身を固くしていた女性のからだががくんと弓なりになる。
こらえきれなくなった女性はもはやじっとしていることができなくなり、体をくねらせ
快感を逃がそうとする。息づかいが激しくなり、触角はぶるぶると痙攣し、全身からは
大量の粘液が流れ出す。半ば放心状態で粘液にまみれた両足をこすり合わせる。
――もう、だめだ…
暗澹たる気持ちのわたしの心を、狂おしい女性の声がさらにかき乱す。
「いやだ!……はあ……はあ……いやだ!いやだ!いやだぁぁぁぁぁあああ!」
これまでにない激しい痙攣が全身を襲う。がっくりと脱力した女性の目に、
かすかにまだ人間の心が残っている。あえぎながら、か細い声が漏れる。
「…ごめん…ごめんね…ごめん……あたし………あたし………あ……た……」
声が途切れると、そこにはもうあの昆虫の顔しか残らない。おきまりの復唱が
始まるが、それはもう何の感情もわたしに掻き立てない。
最後の「ごめん」とは誰に対して言っていたのだろう。きっと、収容室にいる恋人か、
友達に対してだったに違いない。他の皆が怪物にされても、たとえ体が改造されても、
心だけは絶対に失わないでいよう。友達でいよう。そんな約束をしたに違いない。
収容室の至る所でなされ、そして、約束をした当人ですら、それが叶うとは
思っていない約束。……いや!少なくともわたしたちの約束は、いったんは
叶ったのだ!少なくとも一瞬、わたしたちは叶った約束を喜び、困難だけど
たしかに開けた未来に立ち向かおうと、新しい約束を結んだのだ…
やるせない無力感が心を覆う。そんなわたしの気持ちに追い討ちをかけるような
言葉が、以前親友だった改造人間から発される。
「一ツ質問ニ答エヨ。オ前ヲ捕縛シタ際ノアノ表情筋ノ配置ト『Vさいん』ハ
『管理者』ガオ前ノ捕縛ニ最適ナ行動ぱたーんトしテ算出シタモのダ。
改造人間同士ガ真剣ニ戦イ合ウ事態ハ非常ニ危険ダ。ソれヲ回避スル手段トしテ
算出シタのダ。ダガ、『管理者』モワタシモ、イカナル機構デソレガ有効ナのカ、
マッタク不明ナママそレヲ行使シタ。地球人ノ行動ぱたーんノ集積でーたカラ、
タダソレガ最適ダト理由モナク導カレタノダ。答エヨ。アノ行動ぱたーんハ何カ?」
見えない涙があふれるのは何度目だろう。親友には、もう、こんな簡単なことも
理解できなくなってしまったのだ。…そして、もう、すぐ、わたし自身が、同じような
不気味な生き物に、今度こそ完全に変わってしまうのだ…
あのかわいそうな女性…わたしのせいで改造される順番がひどく早まって
しまった、不幸な女性…だったモノが、無表情に「復唱」を終え、何かの任務に
出かけていった。「修理班」が空になったベッドに淡々とわたしの体を固定する。
基本情報をインストールされ、知りうる情報をほぼ知り尽くしているわたしに、
もはやガイダンスは不要だ。改良型生殖細胞が装着され、痛覚刺激専用のダミー針が
無造作に降りてきて、全身に突き刺さる。
「ぎゃあっ!」
自分でも信じられないぐらいの悲鳴を上げる。意識が一瞬点滅し、感情が削られたのが
予感される。こんなにも痛いものなのか!親友は、これに耐えたのか…
「ぐっ!」
間欠的に襲いかかる激痛に思考を途切れさせながらも、わたしは、果たして自分に
親友のまねができたのだろうかと思いめぐらす。だが、多分わたしがあのときの
親友だったら、やっぱりできたに違いないと思う。同じ絶望的な状況でも、
あのときと今では違いすぎるのだ。
「ひいいいいいいっ!」
最後の激痛と共に、痛覚メニューの終了が告げられた。自分の心が荒涼たる砂漠に
近づいたことをおぼろげに察する。…だが、多分今ならまだわたしは人間だ。がさつで、
無神経で、「空気の読めない」社会不適合者にしかなれないかもしれないが、十分人間だ。
「あ、あ、あ、あ…」
だが休む間もなく快楽の刺激が襲う。さっきまでここに寝ていたあの女性が何を感じて
いたのか、今やわたしは実感している。荒れ狂う快感のうねり。意識をかき乱し、
飲み尽くそうとする野蛮な欲動。
…なんとかしなくては。親友は十五時間ももちこたえたのだ。こんな…
「あふぅ」
……こんなに早くイってしまったら…
わたしはさっきの女性のまねをして唇を固く噛みしめ、全身を固く硬直させる。
荒々しいうねりに翻弄されないように。いやらしい触手に、心の中まで侵入されない
ように。気持ちを遠くに向け、そして、あのつまらない男にもてあそばれた
悪夢の日々を想起する。その連想がわたしの情欲に一気に水をかける。わたしは
不快感の中に軽い満足感を見いだす。まだ、まだ大丈夫。わたしの心は
わたしのままだ…。
そのとき、唐突に改造生殖細胞のカプセルが除去されるのを感じる。思わず
下半身に目を向けると、カプセルを妙な仕方で自分のあそこにあてがっている
「親友」がいた。
「親友」が何をしているか、すぐにわかった。カプセルの中身に一種の形状記憶
繊維を組み合わせることで、「親友」のあそこに、まるで蟻男のようなペニスが
形成されていたのである。
「親密ナぱーとなーニヨル刺激ノ方ガ快楽ガ倍増スル。単純ナ動物的習性ダ」
改造された性器が初めて「正しく」使用される。彼女の疑似ペニスの鋭い先端が
表面の皮膚を文字通り指し貫き、内部に侵入する。世界を覆っていた膜がぺろりと
向けたような奇怪な快感が全身を駆け抜け、わたしは意味のない叫びを上げる。
「おお…おおおおお……」
深く挿入された疑似ペニスはわたしの内部で膨張する。快楽の受容体が一息に
拡大し、圧倒的な快楽のうねりがわたしを襲う。
「ああああああああああ」
心の中にもうほとんど感情が残っていないことに気がつく。存在しない感情を
認識したからではない。感情のネットワークが押し戻していた、あの「服従の
喜び」と「反逆の恐怖」を、もはや希薄になった感情が跳ね返せなくなってきている
ことに、突然気づいたのだ。
わたしはその不気味な、人間の心とはまったく異質な制御システムの存在感を
強く感じ始めた。
「服従の喜び」とりあえず呼ばれているが、本当のところ、それは人間の喜びや
その他一切の感情とはまったく異質な力だ。機械とも動物とも違う、不気味な
何物かの運動に同調して動く、衝動であり引力。
同じことは「反逆の恐怖」にも言える。それは人間的な恐怖とはまったく
異質の、未知の非物質的斥力だ。
全く相容れない制御システムだから、人間的感情が肉体と心を制御している間は、
何かよそよそしいデータのようにしか感じられない。だが、感情がある程度希薄になり、
もう心を構築できなくなると、感情を吹き飛ばすように新しい制御システムが心の中心を
乗っ取る。そうなってしまうと、もう感情を感じることも、読み取ることも、
理解することもできなくなる…。
体の上の生き物は、お互いの体からとめどなく流れ出す粘液を塗りつけるように
肉体を密着させ、ゆっくりとなで回す。
「オ前とワタシハ、密接ナ交友関係ヲ結ンダぱーとなーデアリ、ソノ親密サハ
幾タビカ、マるデ男女ノヨうニ肉体的交渉を持ツマデニ至ッテいタ。ソノワタシガ
このヨウニ、オ前ニ刺激ヲ与エテイル。オ前ハ快感ヲ感ジルに違イナイ」
…ばか!…ばか!
たしかに全部本当だ。とても自然な成り行きだったけど、でもそんなに何度も
じゃない。彼女の部屋で一度、わたしの部屋で一度、素体収容室で一度。今を
除けば、それで全部だ。
…でも…でも全部本当のことだからって…それをそのまま言葉にして、どうするの!!
わたしの中の人間の知識があきれ、嘆く。だが、今のわたしの心は荒野だった。
繊細な感受性はほとんどすり切れてしまっていた。そんなわたしには、親友の
あきれるほどわかりやすい言葉が、強く訴えた。感動により、快感が倍増する。
――もう…だめだ…――。
もう引き返せない。できるのは、運命のときをほんの少しでも遅らせること
だけだ。残りわずかな人間としての意識――わたしは最後に何を思えばいいんだろう。
そのとき、自分の上で腰を動かしている浅ましい生き物が、やっぱり、それでも、
自分の親友なのだ、という事実に突然気がついた。そして、あのとき親友が
言いかけた言葉が、今のこの自分ならば、とても素直に言えそうな気がしてきた。
「…ねエ」
改造人間は黙っている。わたしは、自分自身の声が相当程度無機的になってしまって
いることに気づく。
「ねエ。聞いテ。あノとキ、言いかケたよね――『もしもあなたが人間の心を失って
いたら、わたしも…』。仮定ガ現実になっちゃっタけど、ワたシからも、今なら言えルよ!
わタシはね、あなたガ人間ノ心ヲ失うなら、わたしも……わたしも…人間の心なんて……
…いらないよ!」
「…………」
「…………」
親友は何も言わず、わたしも黙っていた。それから親友は腕をわたしの後ろに回し、
ぎゅっと抱きしめた。そしてわたしにそっと口づけをして、そして、そして、
たしかにはっきりとこういった。
「…ありがと!」
幻聴じゃなかった。単なる機械的な反応でもなかった。その一言だけは、
昔と変わらない深い情愛がたしかに籠もっていた。感情が枯れ果て、
「服従の喜び」と「反逆の恐怖」が心の中心にしっかり場を占めても、
洗い流されずに残った、かすかな人間らしさ。侵略者の触手を跳ね返す力は
ないけれど、吹き飛ばされることもなく残ったかけら。それが、そこにはあった。
もう、すぐ、わたしは自分でも理解できない異質な怪物に変貌する。
異物を押し返す感情の壁はとても薄くなって、今にも破れそうだ。
未知の暴力はすぐそこに迫り、心の中心に居座るときを待っている。
もう抵抗できない――だけど、だけど、そんな未知の世界に、
今の、この「うれしさ」を持って行けない?持っていって、やはり怪物に
なってしまった親友と、大事な宝石のようにそれを守り続けるぐらいの希望は持てない?
――持てるに決まっている!さっきの親友の言葉がその証拠だ。そしてわたしたちは、
双生児よりもよく似た友達だ。だから希望はあるのだ。うれしい。うれしい。うれしい!
――その感情が、人間としてのわたしの最後の意識を、温かく色取った。(了)