「橘さん……」
ギャレンが開けて行った、第一コーナーの壁の大穴の傍らで、
ブレイドは呆然と立ち尽くしていた。
背後を駆け抜けてゆくマシンたちの爆音も、観衆の声も、今の彼の耳には届かない。
壁の向こう側は、荒れ狂う日本海に面した断崖絶壁になっており
そこから海に転落したギャレンの行方は、杳として知れない。
――俺が、間違っていたのか?
吹きすさぶ潮風の中、剣崎は想う。
あのクウガですら、パラシュートという奥の手を使って見事なコーナリングを決めた。
橘のクラッシュで怒り心頭に達したレンゲル睦月は、
「もういい! 俺は行きます!」と言い残し、
カリスが取り出していたフロートのカードを奪ってラウズし、空を飛んで先行集団を追って行った。
『これはバイクテクニックを競うレースなんだ』という自分の青臭いこだわりが無ければ、
もっと早くにカードを使ってさえいれば、
あるいはこの事態は避けられたのではないのか。
そんな理不尽なまでに強烈な自責の念と、
だからと言って今さら拘りを捨て去ることもできない不器用な思いが
剣崎の脳裏をかけめぐりせめぎあう。
そんなときである。
橘が通過していったと思しき地面にバラ撒かれていたカードが
急に海から吹き上がってきた突風にめくられ、
そのうちの一枚が、剣崎の目の前に飛び込んできた。
「これは……」
とっさに受け止めたそのカードの図案を、剣崎は知っていた。
知ってはいたが、長い戦いの日々の中でも滅多に真近で見る機会はなかったカード、
ギャレンが変身する際に使う、ダイヤカテゴリーのエースだ。
葛藤に麻痺した剣崎の心の中に、そのカードは呼び起こした。
初めてそのカードを目にした時の記憶。
在りし日の先輩橘が、自分に語って聞かせたある訓示のことを。
――それはまだ剣崎が、仮面ライダーブレイドとして実戦に出る前のこと。
「……卑怯くさい……?」
そう聞き返した橘の顔に怒りの色は無かったが、
剣崎は、ついムキになって言い募ったものだ。
「だってそうじゃないですか。
カテゴリーエースって、それだけでも結構強いんでしょう?
その力を使って変身してるのに、封印した他のアンデッドの力まで使うなんて、
俺ー、なんかあんまりフェアじゃないと思うんですよね」
そのとき橘が浮かべた笑みが、剣崎の脳裏に今、まざまざと蘇る。
「ああ、たしかにそうかもな。
だがな、剣崎。
全てのアンデッドが、己の種の繁栄のために持てる力を出し尽くして戦うように
俺たち仮面ライダーも、持てる力の全てを出し尽くして戦う。
ラウザーで、封印したアンデッドの力を使う能力も……
その、『持てる力』のひとつだとは思わないか?」
――現在。
「……橘さん!!」
剣崎――仮面ライダーブレイドは、決然と顔を上げた。
折りしも、遠いどこかでジェットスライガーの爆発した音が、そんな彼の背中に響いて消える。
「……決めたのか」
今まで、ただ無言で背後から見守っていたカリスが問い掛ける。
「ああ」
振り向きざまに引き抜いた『マッハ』のカードを手に、愛車ブルースペイダーに歩み寄る剣崎。
『MACH』
頼もしい合成音声と共に新たな力を得たブルースペイダーにまたがり、叫ぶ。
「俺は全ての力をかけて戦う……橘さんの分まで!!」
ブレイドと、彼が投げて寄越したマッハのカードで同様に愛車を強化したカリスは
再び走り始めた。
今も走り続けているクウガとの距離は、もはや絶望的なまでに遠い。
だが、必ず追いついてみせる。
――そうだ剣崎。諦めるな! 最後の最後まで、全ての力を振り絞って走り続けるんだ!
どこまでも澄み切った青空の彼方から、そう自分を激励する橘の声を
剣崎は、たしかに聞いた気がしていた。
剣崎が、橘の「流れ的に普通死んでいるだろう」状況を通じて人間的成長を遂げたのと、ほぼ同じ時点。
「なに!?」
観客席でひとり、レースの行方を占っていた手塚海之は驚きの声をあげた。
双眼鏡で、遠く離れたキャッスルドラン上の響鬼の戦いを固唾を飲んで見守っていた明日夢が、
おもわず振り返って問い掛ける。
「ど、どうしたんですか?」
「このまま行けば、誰かが死ぬ」
「ええっ!?」
客観的に考えればむしろ、
これだけ色々あった現時点で誰1人として死亡を確認されていないことの方に驚くべきなのだが
とても素直な明日夢は心底驚いた。
「だ、誰が……」
「分からない。だが、1人じゃないな……」
「な、何人なんですか?」
手塚は目を閉じた。
『俺の占いはあたる』が口癖の彼らしからぬことだったが
彼は今、自分の占いの結果に、生まれて初めての疑問を感じていた。
つかの間の逡巡の末、彼は謎めいた言葉を口にした。
「……『2.5人』だ」