わたしたちの戦いの上での連係プレーには日々磨きがかかっていった
が、二人の間の個人的な感情の行き違いや衝突はむしろ増えていた。
そんなある日の戦いの後、もはや惰性に近い「エネルギー補給」を
終えた後、猛がとても言いにくそうにしながら、こう切り出した。
「なあミツコ、オレたちはたしかにダブルライダーで、ショッカーと
闘う戦友だが…その、恋人同士ってわけじゃあ…ない。そうだろ?
今のこれだって、お前の命をつなぐために必要な処置というだけだ…」
そう言うと猛はカバンをごそごそと探り始めた
「実は少し前からこういうものを試作していたんだ…いつまでもオレ
なんかとこんなことをしないと生きていけないというのは、決して
お前のためにも幸福なことじゃないと思うんだ。これがあればお前は
自分一人で生きていけるはずだ。コンセントにつなげば、電気代は
食うし時間もかかるが、ちゃんとチャージできるようになっている」
そう言うと猛は、カバンの中から、大人のオモチャ屋で売っている
電動コケシにコードやらプラグやらが装着されたような装置を取り出し、
わたしに渡そうとしてきた。それを見たわたしは頭に血が上り、
あのときの倍以上の勢いで猛に平手打ちを食わせた。部屋の壁に
めり込んだ猛に向かい、わたしは目に涙を浮かべ、立ち上がって言った、
「ばかぁ!この鈍感男!無神経男!ベンジョコオロギ男!」
そう言い放つとわたしは全裸のまま仮面ライダー2号に変身して部屋を
飛び出した。そして誰の目にもとまらない速さでホテルを出ると、バイクに
またがり、やはり誰の目にもとまらない速さで家に帰った。そうして
ベッドに突っ伏してわんわんと泣いた。
ひとしきり泣いて天井を見ながら、服をホテルに置いてきてしまった
ことに気づいた。お洒落も全然していないなあとぼんやり思うと、久々に
ショッピングにでも出かけて、手当たり次第にものを買いあさって、
憂さ晴らしをしてやろう、というアイデアが浮かんだ。最近ショッカーも
比較的おとなしいし、たまには戦士の休日というのも許してくれるよね。神様。
思い立ったわたしは早速、高校以来の悪友で、同じく東京に出てきている
皆子に電話をかけ、明日一緒に買い物に行こうと約束をした。
皆子とのショッピングの一日は本当に楽しかった。最近余り気味だった
仕送りを大量につぎ込んであれこれと服を買い、喫茶店でケーキを
沢山注文して、皆子相手に、無粋で無神経で鈍感な「恋人」の悪口を
さんざんぶちまけた。皆子はけらけらと笑い、うんうんと相づちを
打ってくれた。本当に変わらない、いい友達だ。
夕方、荷物を沢山抱えながら人気のない路地を二人で歩いていると、
ショッカーの戦闘員が現れてわたしたちを取り囲んだ。わたしは皆子を
かばって楯になり、戦闘員を自分に引きつけようと挑発した。
「ふん、いまごろご登場ってわけ?ちょうどいいわ。お昼にケーキを
食べ過ぎちゃったからね」
そう言って振り返り、皆子に声をかけた。
「皆子!わたしは大丈夫だからあなたは逃げ…う…」
皆子はわたしの背中に何か針を刺していた。その顔には戦闘員の証で
あるサイケデリックな隈取りが浮かび上がっている。
「新開発の改造人間用の麻酔剤だって。よく効くようね」
「皆子…あな…た…いつ…どうして…」
「あなたの行方を見失ったショッカーは、あなたの交友関係をチェックし、
めぼしい人物をマークしていたの。わたしもその一人だったのね。
昨日あなたからの電話があってすぐ、拉致されて戦闘員に改造されたの。
人気のない場所に来るまで、こんなに時間がかかってしまったわ」
「…皆子…ごめ…ん…わたしの…せいで…」
「何言ってるの?わたしは感謝してるわ。あなたのおかげで偉大な組織の
一員になれたんですもの」
「…ああ…あなたは…もう…脳改造…されて…しまっているのね…」
「そうよ。わたしはもう不完全な脳を改造してもらった。そしてあなたが
可哀想な未完成品となって苦しんでいることを知らされた。大事な友達を
助けてあげられて、うれしいわ」
…違う…違う…だめだ。もう皆子は人間の言葉が通じない存在に
変えられてしまった。そして、このままでは、わたしも…。絶望感に
うちひしがれながら、わたしはその場に倒れた。薄れゆく意識の中、
車の音が近づいてきたのが分かった。
目を覚ましたとき、わたしは全裸の人間体であのときとそっくりの
手術台に拘束されていた。股間の充電口には猛のものより一回りか二回り
太いプラグが挿入されている。力がどんどん抜けていくから、「充電」
ではなく「放電」の最中のようだ。
「放電終了。これより蒼井蜜子の改造手術を再開する」
…再開?そうか。わたしや猛は脳改造の直前に脱走した。やつらから
すれば、これは中断していた処理の「再開」なのだ。あのとき中断して
いた時間が今また流れ出すのだ。
あのときとまったく同じように科学者が小型ノコギリを手にして、
それにスイッチを入れる。いやだ!このままではわたしは脳改造されて
しまう。心まで怪人にされてしまう。わたしは怯え、そして後悔した。
――ああ神様。わたしが間違っていました。ルリ子さんへの下らない
やきもちで、猛への見当違いな八つ当たりで、世界平和のために戦う戦士
としての使命を見失っていました。
――猛はルリ子さんが好き。そんなこと、最初から分かっていたこと。
それに、あの充電プラグだって…そりゃ、大人のオモチャはないと
思うけど…でも、わたしを思ってしてくれたこと。猛だっていつ命を
落とすかわからない。そうなったときにわたしが一人で生きていける
ように。そう考えて作ってくれたはずだ。充電は充電。セックスは
セックス。充電にかこつけて猛の肉体を独占しようとしたわたしが
ずるかっただけだ。そして皆子。わたしが気を抜いて買い物なんかに
皆子を誘ったせいで、皆子はショッカーにさらわれて戦闘員に改造されて
しまった。わたしのせいだ。全部わたしのわがままのせいだ。
ぎゅっと目をつぶってわたしは祈った。
――ああ、神様お願いします。もう一度奇跡を。神様!いえ、仮面
ライダー!わたしを助けに来て!あのときと同じように!わたしは
反省しています。助かったら、今度こそ平和のためだけに戦います!
だからお願い!猛!助けに来て!タケシ!
祈りも空しく、無情なノコギリがわたしの頭蓋骨に当てられた。麻酔の
せいか痛みはない。強化皮膚のおかげで、さほどの出血もない。
絶望がわたしの心を固くした。淡々と、まるで人ごとのように、わたしは
天井のライトの鏡面に映った、自分の頭蓋が切り取られていく様子を見ていた。
頭蓋が取り外され、わたしのピンク色の脳味噌がむき出しになったとき、
遅ればせの「奇跡」は起きた。あのときよりも何テンポか遅かったけれど、
ちゃんとあの人は来てくれたのだ!わたしの目に涙がこみ上げてきた。
よかった!今ならまだ十分に間に合う。この科学者たちを倒し、
取り外された頭蓋をもう一度つけてくれればそれでいい。デタラメな
話だけど、改造人間の再生力と生命力によって、それでちゃんともとに
戻るはずだ。
「タケシ!信じてたわ!助けて!」
わたしの声は弾んでいた。
だがそのとき、手術台の真横に、天井から透明な壁が降りてきて、
仮面ライダーの行く手を塞いだ。
「ふはははは、仮面ライダー1号、待っていたぞ。その防弾樹脂はお前の
力をもってしても簡単に破ることはできない。この狭い部屋では
ライダーキックも放てまい。お前の仲間がわがショッカーの一員に回帰
する様をそこでとくと眺めるがよい。その女の脳改造が終わったら、
次はお前の番だ。わははははは」
首領の声が響いた。いつの間にか科学者はあの禍々しい改造頭蓋を
培養液から取り出し、わたしに迫っていた。
「いやだ!脳改造なんていやだ!」
「ミツコ!ミツコ!ミツコぉぉ!」
仮面ライダーはあのときの扉のように、透明な壁に何発もライダー
パンチを放った。だが柔構造の樹脂でできた壁は、ぐにゃりと変形した
かと思うと、何事もなかったかのように元通りになった。
黄色と黒の改造頭蓋がとうとうわたしに装着された。強化細胞の
再生力が働き、改造頭蓋はわたしの頭蓋骨に癒合していった。わたしの
心を絶望が覆った。もうおしまいだ。わたしの脳にはショッカーの機械が
埋め込まれてしまった。この機械が動き出せば、わたしは完全なショッカー
怪人になってしまう。わたしは目に涙を溜めて、透明な壁にパンチを
放ち続けている猛を見た。
「タケシ…ごめん…わたし…わたし…」
天井から無情な声が響いた。
「蜂女、再起動開始!」
股間に挿入されたままのプラグから、再び電流の注入が始まり、あのとき
にはほとんど感じなかった性的快感がわたしの全身を貫いた。わたしの
肉体は急激に変身を始め、頭蓋骨の黒と黄色の細胞も活性化を開始した。
強化細胞は鼻の方にまで拡がり、触角が太く、長く成長した。
そして全身を駆けめぐる電流は、頭蓋内の脳改造装置を起動させた。
「ぁぁぁぁぁああああああああ、いやあぁぁぁぁぁ!!タケシ!タケシ!
助けて!たすけて!」
「ミツコ!ミツコ!やめろ!ショッカー!やめろぉぉぉぉ!」
電流と共に、まず、わたしの心にあれほど熱くたぎっていたはずの
「正義」への思いが急速に色あせ始めた。それがとても大事な何かである
こと、自分はそれを守らなければいけないこと。そういう知識は残って
いるのに、かつて自分がどんな気持ちでそれを守っていたのか、急速に
思い出せなくなってくのだった。
だが本当に深刻な変化はそれに続いて生じた。頭蓋の機械から、
わたしの心の中にどす黒い衝動が注ぎ込まれ始めたのだ。…いや、
それは違う、とすぐに気づいた。わたしの心を満たし、固く根付こうと
している、肉欲、嫉妬、独占欲、破壊衝動、憎悪、殺意、そういった
暗く歪んだ思いはどれも、わたしの心の奥底から浮かび上がってきたもの
だった。ちょっとしたタガが外されただけで、わたしの心はいとも簡単に
歪んだ邪悪なものに変わりかけているのだ。それこそが本当の自分だった。
わたしは、そう認めることをつきつけられていた。
「…やだ…こんなわたしはいや!こんなわたしいやだ…助けて、タケ…」
わたしは猛にすがろうとした。たとえ身体は透明な壁に隔てられていても、
猛の勇気と優しさが、闇に蝕まれていく自分の心を支え、救ってくれる
のではないか。そんな希望にすがろうと、わたしは猛の方に顔を向けた。
…だがそのときわたしは思い出してしまった。あの華奢な少女を、
わたしを改造した女科学者を、何のためらいもなく撲殺した仮面ライダー
1号の姿を。手術台に横たわるわたしに拳を振り下ろそうとしていた
あのピンク色の目を。…こんなどす黒い存在になってしまったわたしを、
あの人はもう救ってはくれない――そう気づいた。
今のわたしは、怯え、ためらい、抗いながらも、すでに残忍な破壊衝動、
後ろ暗い憎悪と殺戮の甘美な誘惑に惹かれ始めている。この黒いものが
わたしの心から消えることは多分もう永久にない。この先、この闇に
もっと深く飲み込まれることはあっても、引き返すことは永久にできない
――なぜならその黒いものこそ本当のわたしだからだ。
わたしは樹脂にひびを入れ始めた猛から顔を背け、反対側の壁を見た。
闇に光るあの目がたまらなく恐ろしく感じられ、直視できなかった。
――あの人はもうわたしを救ってはくれない――わたしはあの人から逃げ始めた。
――どうしたらいい?わたしはどこへ行けばいいの?どうしたらわたしは
救われるの?――
改造されて以来、最大と思える苦しみと不安がわたしを締め付けた。
心が異形へと変じていく、その恐怖はあの残忍なメスよりも深くわたしの
胸をえぐった。
――どうしよう。わたし、わたし………………………
<<ショッカーの元へ来るのだ>>
突然、神々しい声が頭の中に響いた。わたしが顔を向けた反対側の壁に
高々と掲げられたショッカーエンブレムが、厳かな光を放っていた。
<<ショッカーはお前を救うことができる。改造人間の支配する
理想社会の中にこそお前の居場所はある。ショッカーはありのままの
お前を肯定し、お前に真の存在意義を与えることができる。さあ、
蒼井蜜子、いや蜂女よ、ショッカーの元へ来るのだ。来るのだ…>>
その言葉は、長いトンネルの出口にある神々しい光だった。わたしには
何かが分かりそうな気がしていた。わたしはそれを捕まえようと夢中で
その光に向けて走った。改造されてからずっとずっと感じていた苦しみ。
今まさに頂点に達した異形としての苦しみ。その苦しみの克服、そして
解放がそこにはある。そんな確かな予感を胸に、わたしは光へと続く細い
道を夢中で走った。もう後ろは振り返らなかった。
そしてその時がやってきた。わたしは光に追いつき、光に包まれ、
すべてを悟った。胸を締め付けていた苦しみがすうっと消えていった。
――ようやくわかった。わたしはやはり「未完成品」だったのだ。
肉体が改造された以上、精神も改造されねばならないのは当然のこと
なのに、その大事な部分が欠けていた。だからあんなに苦しかった。
それだけのことなんだ。でもそれももう終わった。わたしは完成された。
正常な改造人間としてようやくこの世に生まれたのだ!歓喜が心を満たす。
薄暗い部屋の中、わたしの複眼が輝いた。わたしはゆっくり上体を起こした。
「蒼井蜜子よ、お前は何者か。言ってみろ」
ショッカー首領の穏やかな声がわたしに命令を下した。
「わたしは、ショッカーの改造人間、蜂女。首領、わたしはあなたに
永久の忠誠を誓います」
わたしを改造し、そして救ってくれた偉大なお方。このお方のためなら
命など惜しくない。素直にそう思えた。
ずっと鳴り響いていたがつんがつんという音にわたしは気づき、横を見た。
仮面ライダーのパンチがあちこちにひびを入れ、強化樹脂製の壁は
まさに砕かれる寸前だった。
――仮面ライダー、本郷猛。今のわたしには、その存在の不自然さ、
グロテスクさがはっきりとわかった。改造人間なのに、脳だけがまったくの
未改造。そして、改造人間でありながら、人間を守るために改造人間の
殺戮を繰り返す狂った戦士。気持ち悪い!そんな存在、あってはならない!
昨日までの自分が、この不完全な存在と一緒に、そんなおぞましい行いを
喜んで行っていたことに、わたしは心底寒気を感じた。
――人間に生存価値がないとは思わない。だが、ただの人間を守る
ために、優秀な素体に高度の技術をつぎ込んで作り出された改造人間を
殺戮するというのは、明らかに何かをはき違えている。そう、愛犬家が
犬を愛するあまり人間を殺して回るような、それどころか、心まで
犬に成り下がってしまうような、そんないびつな存在が本郷猛であり、
さっきまでのわたしだったのだ。未改造の混乱した脳には、そんな
簡単なことがわからないのだ。
「ミツコ!ミツコ!目を覚ましてくれ!ショッカーなどに魂を売り
渡さないでくれ!」
遂に壁を突き破り、涙声で訴えかけるライダーの姿は滑稽だった。
混濁した脳を抱えているのはそっちなのに。いびつな未完成品の仲間が
いなくなって寂しがっているだけなのだ。早く何とかしてやろう。この人も
脳改造を受けさせて、苦しみから救ってあげよう。そんな思いが湧いた。
「タケシ!さあ、次はあなたの番よ。だだをこねないで、ここに横になりなさい」
わたしは猛に手をさしのべた。多分わたしの脳改造を見せつけ、
絶望感を与える、という目的で、あえて待機させられていた戦闘員たちが、
今やライダーを取り囲んでいた。
「ミツコ!ライダー2号!目を覚ますんだ!頼む!」
いきなり場違いな名で呼ばれたわたしは、思わず吹き出した。
「ふ、そんな下らない名前、たった今返上するわ。わたしは改造人間・
蜂女。そしてもうすぐお前もバッタ男として完成する!」
今の猛ならば簡単に拘束できるだろうとわたしは踏んでいた。他の
怪人ならばいざしらず、この男はわたしを相手にためらいなく必殺技を
繰り出すことはできない。そんな冷徹な計算がわたしにはあった。
実のところ、わたしの麻酔をあのタイミングで解き、脳改造したこと自体、
すでに基地におびき寄せられていたライダーに最大の戦意喪失効果を
与えるための、巧妙な作戦だったのだ。今のわたしにはよくわかった。
だがライダーの方にもその自覚はあったらしい。
「…脳改造がどういうものであるかオレは知っている。オレは君と
戦わねばならない。…だが、まだ、君と戦う決心がつかない。きっと
オレの拳は鈍るだろう。だから…」
そう言って背を向け、戦闘員をなぎ払いながら基地の外に走り出した
のだった。
「追え!捕まえろ!捕まえて、本郷猛の改造を完了させるのだ!」
わたしは戦闘員に命じ、自らもライダーを追った。
「蜂女よ、表にお前専用の高性能オートバイを用意してある。サイクロンに
匹敵する馬力を誇る機体だ。存分に使うがよい」
首領のお言葉に従い、わたしはサイクロンで逃走を始めたライダーを
追った。互いにバイクに乗ったまま、わたしたちは並の改造人間には
まず不可能な闘いを繰り広げた。だが結局わたしは破れ、わたしと大破
したバイクを残し、ライダーは去っていった。
それからわたしは、首領がわたしの帰還を信じ、保留しておいてくれた
毒ガス作戦の指揮に当たった。仮面ライダーに対しては近々大規模な作戦
――バッタ男第2号の製造らしい――が始動するので、対ライダー用の
積極的な行動は取らなくてよい、という通達だった。わたしはもどかしさを
心の一部で感じながらも、首領の命令を遂行する喜びに突き動かされ、
着々と作戦を進めていった。
本郷と再会したのは、城南大で行った、科学者の拉致作戦でのことだった。
本郷の母校であるから発覚するリスクはもともと高かったのだ。
本郷が現れたのは、わたしが目当ての科学者以外の、研究室にいた助手や
学生を皆殺しにした直後だった。殺人の後の「充電」に異様に興奮することに
気づいたわたしは、最近余計な殺人をしてしまう癖がついていたのだった。
眠らせた教授を抱え、殺人の余韻を味わっているわたしに、本郷が低い声で言った。
「…ミツコ、お前、何をした?言ってみろ!何をした!?」
本郷の震えた声は、どうやら怒りを押し殺しているらしいと気づいた。だが、
わたしはそれが何に向けられているのかよくわからず、本郷の妙な質問に一瞬
きょとんとした。それから、たしかに今回も快楽に走り過ぎたなと思い至った。
「そうだった。ここは城南大。中には優秀な人材もいたかもしれないわ。当面
必要がないからって、見境なく殺してしまうのはもったいなかったかも…」
「そんな答えが聞きたいんじゃない!自分がしたことちゃんと直視して
いるのか?これを見て、本当に何も感じなくなってしまったのか!?」
その言葉を聞いたとき、世界の外側から飛び込んできたような未知の
感情がわたしの心をよぎり、心を揺すぶった。そして、自分は何か大事な
ことを忘れていなかっただろうか。何か大きな思い違いをしていなかったか。
そんな不安がかすかに芽生え始めた。
だがそのときだ。頭蓋の中の機械部品がキインとパルスを発した。
わたしの頭は一瞬真っ白になり、半ば不随意的な哄笑がわたしの腹から
あふれ出た。
「あっはははははははははははははは」
笑い終えたとき、わたしの心は完全に平静を取り戻していた。
「たわごとを!本郷猛。博士は頂いていく。さらばだ!」
追いすがる本郷とわたしはもみ合い、わたしは教授を奪われてしまった。
わたしはこの場を退散することにした。密かに教授に仕掛けておいた
催眠装置が、ちゃんと教授をアジトまで運んでくれるはずだったからだ。
本郷は追わなかった。代わりに、遠ざかるわたしの背中に向け、こう叫んだ。
「もうお前はミツコじゃない!ましてや仮面ライダー2号でもない!
オレは決意した。次に合うときがお前の最後だ!覚悟しておけ、蜂女!」
その言葉は、かつてのパートナーへの別れの言葉だった。わたしと
別れて…そう、わたしと別れて、本郷はあの女、緑川ルリ子のもとへ
行くのだ!突然そんな連想が働いた。同時に、ルリ子を抱く本郷の姿が
頭に浮かんだ。どす黒い嫉妬がわたしの心を焦がしていった。
あの再会の日から、わたしの心は乱れ、バランスを失っていた。
本郷の影がわたしを迷わせているのだ、と思えた。本郷と、そしてあの
憎らしい緑川ルリ子をどうにかしなければ、このもやもやは消えないだろう
と思った。わたしは毒ガス計画は着々と進めるかたわら、計画進行中の
偶然を装う形で、本郷とルリ子に対する計画を密かに進めた。ルリ子の心に
深い傷を負わせ、同時に本郷の改造手術を再開する、そんな計画だった。
わたしの計画はまずは順調に進んだ。わたしは、ルリ子に向けて微弱な
指向性超音波による催眠誘導を行い、遅かれ早かれ影村めがね店で
サングラスを購入したくなるように仕組んだ。やがて、狙い通りおびき
出され、囚われたルリ子を追って、愛しくて憎い男が現れた。わたしは
戦闘員にルリ子を拘束させ、ナイフを突きつけさせた。ガスの人体実験
を見た本郷はわたしを問いつめた。
「何でこんなひどいことをするんだ!」
「毒ガスがどうしても要るのだ。世界征服のために」
それは首領の至上命令。疑うことなど許されない。本郷は吐き捨てるように言った。
「そうか、それでお前が工場長ってわけか」
ライダー2号も堕ちるところまで堕ちたものだ、と言いたげだった。
わたしは耳を貸さず、本郷に新型麻酔の針を向けた。
「本郷猛、この毒針の注射を受けよ。この娘の命と引き替えにするのだ。
だがお前を殺すわけではない。麻痺させてお前を完全な改造人間に
するのが楽しみなのだ」
完全な改造人間!もうじきわたしたちは再び同志になる。わたしたちは
ショッカーが樹立する、本当の意味での「世界平和」を目指す戦士として
また共に戦う!――そんな高揚する気持ちは、しかしわたし自身が立てた
作戦そのものによって、ぐじゃぐじゃにかき乱された。
「よし。刺せ!…その代わりにその人を!」
降伏した本郷に、わたしはいとも簡単に麻酔針を刺すことができた。
…だが、わたしは何がしたかったんだろう。ルリ子のために脳改造すら
あえて受けようと言ってのける、こんな本郷が見たかったのだろうか?
…わからない。…もういい!さっさと殺してもらう!改造人間として完成した
この人に、あの女を真っ先に殺してもらおう。それですべて終わる。そう思った。
…結局、本郷猛再改造計画は失敗した。あの男の精神力と、「特訓」
と称する地道な自己改造の効果を、わたしは甘く見すぎていた。あの男の
肉体は日々進歩していたのだ。わたしと共に戦っていた頃よりも、さらに。
それでもルリ子に一矢報いてやることだけはできた。完全な覚醒状態で、
記憶もはっきり残る状態で、ルリ子を催眠誘導し、本郷に猛毒をもらせる
ことに成功したのだ。改造人間の本郷があんな毒で死ぬわけはない。
だがそれを知らないルリ子が、自分が犯してしまった罪により、心に
深い傷を負えばそれでいい。――わたしのどす黒い嫉妬心は、
いくばくかの癒しを得ることができた。
そして決戦。一切の迷いを断ち切った本郷は、並みいる戦闘員たちを
一蹴したあと、保護色を使って接近していたわたしを難なく補足し、
わたし自身の剣でわたしの羽根を切り落とした。それからわたしたちは
剣での戦いを交えた。蜂女としての特殊能力の筈の剣技を、この特訓馬鹿は
完全に自分のものにしていた。わたしはすぐに劣勢に追いこまれた。だが、
本郷は剣でとどめをさす気はないようだった。剣を捨てた本郷は、
最後の言葉をわたしに投げた。
「蜂女、お前みたいに人間の自由を奪い、平和を乱すやつは断じて許さん」
本郷の声は震え、舌は少しもつれていた。「仮面」の下で涙を流して
いるのだとわかった――そう。手術台の上のわたしに、拳を振り下ろそうと
したあのときのように。
何かがわたしの中で訴えた。――この、猛の決意を無にしてはだめ!
猛の迷いを断ち切ってやらないと!――
その声に従い、わたしはことさらに猛を挑発する文句を言い放った。
「何をこしゃくな、来るか!」
そしてわたしは挑発のポーズのまま、ライダーキックが命中するのを
静かに待った。一瞬後、強烈な衝撃で全身の機械と組織がずたずたに
なったわたしは、大きな叫びを上げながらもんどり打って崖下へ転落して
いった。そして体内の溶解液が急速にわたしの身体を溶かし始めた。
わたしの叫びは苦痛の叫びでも恐怖の叫びでもなかった。それは、喜びの
歓声だった。キックにより 頭蓋の機械が停止したせいか、わたしはようやく、
自分のもっとも奥底にあった願望に気がついたのだった。
――そうだったのか。わたしは、ずっとずっと、このときを待って
いたんだ。あの人が、こうしてわたしを殺してくれる日を!――。
その日をわたしはずっと待ち望んでいた。脳改造されて、心の中まで
完全な怪物になってしまったわたしを、こうして無に帰してくれることを、
心の一番底にいたわたしはずっと待っていた。今やそれがはっきりと
わかった。脳改造が終わり、手術台を降りてあの人と戦おうとしたとき、
バイクの上で死闘を繰り広げたとき、そして城南大で、あの人が来る
ことを半ば予想しながら残忍な殺戮を繰り広げたとき。わたしはずっと
それを待っていた。脳改造されたわたしはとても狡猾で、そしてあのひと
はとても優しい人だったから、わたしの密かな願いは、こんなにも
叶うのが遅くなってしまった。それだけなのだ。
…いや、実のところわたしは、改造手術を受けてしまったときから、
早く死んでしまいたいと密かに願っていたのかもしれない。あのまま、
あの人に頭蓋をたたきつぶされてしまっていればよかったと、密かに
ずっと思い続けていたのかも。あの人はとても強くて、辛い運命を
引き受けて戦っていた。わたしは結局駄目だった。そんな運命を引き受けて
生き続ける勇気を最後まで本当には持てなかった。弱虫のわたしは、
心の奥で死にたい死にたいとずっと思っていたんだ。自分で死ぬ勇気も
ないまま。だからありがとう、猛。
――猛、人間をいっぱい殺したわたしも、同族をいっぱい殺した
あなたも、決して天国に行くことはないね。ルリ子はきっと天国に行く
から、地獄では邪魔者はいないね。先に行って待っているよ。わたしの
分までしっかり戦ってね。さよなら。
そしてわたしは泡となり、液体となって、地面に吸い込まれていった。
<了>