――これからどうなってしまうのか。まったく先が見えない。
わたしは、わたしたちはどうなるのか?どうすればいいのか?――
昨日、わたしの勤める会社は秘密組織「ショッカー」の人体実験場
となった。わたしたちの知らぬ間に、社内には「ナノロボット」と
呼ばれる人工の細菌のようなものが散布され、気づいてみると
社員のほぼ全員が苦しみ悶え、肉体を醜く変形させて死んでいた。
実験を生き延びたのは社長と秘書のわたし、たった二人だけだった。
ジャガーの扮装をした「ショッカー」の男はわたしたちを「選ばれし者」
と呼び、悪趣味にも花束まで差し出した。だがわたしには自分を
そんな風に見ることはできなかった。理不尽な実験の対象に選ばれ、
無辜の命を落としていった社員たちへの哀悼。そんな残虐な行為を行う
組織への怒り。そしてその中で自分だけ生き延びてしまった、という
罪責感のような感情。それらの気持ちが先に立った。
実験後、わたしたち二人は半ば強制的に自動車に押し込まれ、今いる
施設に収容された。わたしたちは着ている衣服を下着まではぎとられ、
別々に引き離されて、「最終調整」と呼ばれる処理を受けさせられた。
ぬるぬるする気味の悪い液体の入った水槽に浸けられ、幾度となく
信じられない強さの電流を流される拷問。それは「不統一なナノロボットと
改造組織を協調させ統合する」ことを目的とする処理である、とジャガーの
男は言った。「要するに、肉体が完全に生まれ変わるための下準備だ」と。
たしかに、電流を受けるたび、自分の体が少しずつ自分のものでは
なくなっていくような、いや、それどころか人間の体ではなくなって
しまうような、不気味な感覚が増していった…。
――否。実のところわたしの体はもはや人間のものではなくなって
いるのだ。あの実験を生き延びたわたしたちの体はすでに「改造」
されており、わたしと社長はジャガーの男と同じ「改造人間」として
生まれ変わっている、というのが男の説明だった。
生まれ変わった、と言われても、特別に力が強くなったとか、感覚が
鋭くなったとか、そのような自覚はなかった。しかし男によれば
「最終調整」を経て、「仮面」を着けるとき、改造組織は活性化し、
わたしの体は本来の力を発揮するという。
「仮面」――最終調整の終わった者は仮面を装着する。そのとき
「改造された人間」は真の「改造人間」として心身ともに覚醒する。
男はそう説明した。そしてわたしの最終調整は終わった。間もなく
わたしの元に「仮面」が届けられ、わたしはそれを着けて「宣誓式」
に向かわなければならない。
わたしは一向に乾く気配のない水槽の液体に濡れた裸身のまま、
何もない薄暗い小部屋で、床にうずくまりひざを抱え、「宣誓式」
への招きがいつくるのかと怯えている。
「宣誓式」が終わるまで、服を着ることは許されない。首領の前で
新たな存在へ生まれ変わる、という象徴的な意味があるのだという。
少し前、一人の少女が同じ運命を先にたどった。同室の先住者
であった彼女もまた非道な「実験」の生き残りで、わたし以上に
繊細で傷つきやすい心の持ち主だった。死んで行った友人たちを悼み
理不尽な運命を嘆き悲しむ心に満ちていた。その彼女に黒い男たちは
強引にセミのような「仮面」をかぶせようとした。少女は泣きわめき
抵抗した。恐らく彼女もまた、「仮面」をかぶってしまった改造人間が
こうむる変貌を、見知っていたに違いない。
抵抗も空しく、「仮面」をかぶせられた彼女の肉体は硬直し、
やがてその場に崩れ落ち、泣き声もぴたりとやんだ。しばらく
うずくまっていた彼女は、やがてゆっくり立ち上がると、
誰に導かれることもなく、自ら「宣誓式」へと向かって行った。
しばらくして、「仮面」を脇に抱えて帰って来た彼女の顔付きは、
もはやあの繊細で傷つきやすい少女のものではなかった。その目には
狂気が宿り、口元には冷酷で傲慢な笑みが浮かんでいた。彼女は
改造人間として選ばれたことに感謝し、死んで行った友人たちを
「愚民」と呼ぶ、「ショッカー」の一員へと完全に変貌していた。
扉が開き、異様な人物が姿を現した。私同様裸で、しかし顔だけに、
昆虫を思わせる奇怪な「仮面」をかぶっている。そしてその手には銀色の
トカゲのような醜悪な「仮面」が抱かれている。
――ああ、顔は隠れていても、この体は忘れようがない。わたしを
何度も愛してくれたこの体。あの人。風見社長だ。風見社長が、
「仮面」をかぶり、わたしを迎えに来たのだ。改造人間として覚醒し、
わたしをあちら側の世界へ引き入れるために。
「私はもう宣誓式を済ませた。これが君の『仮面』だ。これを着け、
栄光あるショッカーへの、永久の忠誠を誓う儀式に向かいたまえ」
風見社長の声も、狂信と傲岸な自尊心に満ちていた。やはり以前の
彼とは別人だった。たしかに彼は、部下たちの死にわたしほど痛烈
には心を痛めていなかった。そして上昇志向の強い実業家らしく、
「選ばれし者」という言葉に敏感に反応してすらいた。しかし、
車の中での社長は「ショッカー」という組織への疑問、その強引な
やり口への憤りもはっきり表明していた。そして以前の彼は
冷静な自己批判の目を決して失わないバランス感覚をもっていた。
だが今の彼にそのような揺れや柔軟性はまるで感じられない。
「仮面」がこの人の心を変えてしまったとしか思えなかった。
「私のようなひねくれ者とは異なり、君のような純粋な女性は
必ずや、ショッカーの崇高な理想への絶対の忠誠を誓えるはずだ」
そう言いながら社長はわたしに歩み寄り、銀の仮面を差し出した。
「いや!そんなものかぶりたくありません。それをかぶってしまったら、
わたしはわたしでなくなってしまう。そんなのいやなんです!」
風見志郎であって、風見志郎ではなくなってしまった仮面の男は
わたしの言葉に何の返事も返さず、無言でわたしを壁に押し付け、
強引に仮面の中にわたしを押し込もうとし始めた。奇怪な仮面舞踊。
わたしは恐怖と悲しみの涙を流しながら必死に抵抗した。
「いやです。!やめてください!そんなものかぶりたくない!」
だが、未だ覚醒していないわたしが、覚醒した改造人間の力に
かなうはずはなかった。わたしの顔は丸く開いた漆黒の闇の入り口へ、
ゆっくりと飲み込まれていった。
仮面が装着されたとき、わたしの体に強烈なエクスタシーが走り、
これまで体験したことのない強大な力が体内から沸き上がるのを
感じた。わたしは最初その強大な力に戸惑い、恐れを感じた。しかし
すぐ、それがほかならぬわたし自身の力であること、そしてその力を
与えてくれた者こそ「ショッカー」であることを、はっきり悟った。
恐怖は消え、この上ない歓喜が込み上げてきた。そして、「選ばれし者」
という言葉の意味を初めて明瞭に理解した。理屈ではなく、
生々しい身体感覚として、その言葉の意味を深く感じ取ったのだ。
――そうなのね!これが「選ばれし者」であるということなのね!
このような者たちによって世界を作り変えることがショッカーの
使命!そしてわたしは、その一員として活動する改造人間!!――。
選ばれなかった者たちへの軟弱な同情心は急速に色あせていった。
地べたをはいずり、そんな感情に囚われていたさっきまでの自分には
決して想像もつかない高みに、今の自分が位置していることが明確に
理解できた。彼らと自分が全く別の存在であることは、もう疑う余地の
ない自明の理だった。ショッカーの偉大な事業への賛美が心を満たした。
わたしはすっくと立ち上がり、風見社長、いや「ホッパーボーグ・
ヴァージョン3」の方へ顔を向けた。言葉は不要だった。
「覚醒したようだね。さあ、宣誓式へ。君の手足となる6人の
仲間も待っている。旧式だが、優秀な連中だと聞いている」
わたしは無言でうなずき、宣誓式へと向かった。そこで待つはずの、
偉大なるショッカー首領のお言葉を待ちわびながら。
<…で、冒頭の全裸シーンへつづく>