「ホヤスズメバチよ。東北分室の壊滅作戦は順調か?」
「私以外の仙台基地常駐職員42名、他の地区の構成員2名、
外部構成員21名はすでにホヤ人間化、または脳改造が済んでいます」
「大量の人材を確保できたのは何よりだが、『同盟』の精鋭の割には
優秀な改造素体が少ないようだな。正規の改造人間としての適合者は
今のところ4名しかいないと聞いている」
「これまでは常駐職員が主だったからです。彼らは事務職や研究職が
専門で、それほどの身体能力を備えた者は含みません。真に有能な
人材はこれから本格的に狩り出す外部構成員の中に多いのです。
成果が出ましたらまたご報告いたします」
「なるほど。期待しているぞ!」
毛里美弥子はアンチショッカー同盟外部構成員である。同盟本部から
給与を得る正規の構成員ではなく、一般市民として同盟に対し善意の
協力を提供する立場だ。彼女は広瀬葉子同様、かつては有能な諜報部員で
あったが、葉子とほぼ同時期に同盟の存在を知り、同盟の活動に強く共感し、
スパイを引退した。だが彼女は葉子のように拘束の多い常駐構成員として
働くことを嫌った。そして「本業」としてスーパーのアルバイトを
するかたわら、単独で調査や人命救助を行う道を選んだのだった。
多くの外部構成員が同盟からある程度の金銭的援助を受けている中、
情報以外の援助を一切拒む彼女のような外部構成員は珍しかった。
ゲルショッカー結成後、この仙台でも不穏な勢力は活発化していた。
特にこの数日ほどはゲルショッカー絡みと思われる事件が飛躍的に
増え、ただならぬ事態の進行を予感させていた。外部構成員の中では、
仙台基地がゲルショッカーに乗っ取られたという噂すら飛び交っていた。
美弥子はそれらの噂を、恐怖による過剰反応の産物として相手にして
いなかったが、とはいえゲルショッカーが何か企んでいることは
明らかであり、「本業」そっちのけで独自の調査活動に専念していた。
「毛里美弥子さん、あなたに住居不法侵入と窃盗の嫌疑がかかって
います。申し訳ないのですが、ご同行頂けますか?」
「あ、すみません!そういうことなら、またお邪魔します」
美弥子はヘビースモーカーらしいハスキーな声で快活な返事を返し、
何度か「世話」になったことがある警官に従った。「裏家業」の絡みで
このようなことはたまに生じる。おとなしく出頭しておけば「さる筋
からの圧力」というやつですぐに放免される。美弥子は素直にいつもの
交番に向かった。このような愚直な国家権力との関わりは、超国家的
暗黒組織との戦いの中の「心休まるささやかな休息」ですらあった。
交番の奥の部屋で調書にサインしていた美弥子は、ふと足下の床に
違和感を感じ椅子から飛び退いた。床には大きな落とし穴が開き、
椅子が吸い込まれていった。息をつく間もなく、天井から捕獲ネットが
落ちてきた。美弥子は前に飛び出し机を踏み台にジャンプしてドアに向かい、
ノブに手をかけた。ノブから強力な電流が流れ、美弥子は気を失った。
かつて実直な警官であった戦闘員二人は、驚きと共に美弥子を見つめた。
「まさかドアノブまでたどり着く人間がいるとはな」
「Aクラス適合者以上の存在――Sクラス適合者か。将軍に報告せねば」
麻酔を打たれ本格的に眠りについた美弥子を「パトカー」が運んでいった。
行き先はゲルショッカー秘密基地と化した旧「同盟」仙台基地だった。
美弥子は真っ暗な部屋の中で目覚めた。全身が何かで固定されている。
しかも、どうも自分は全裸の状態らしい。「改造手術」という言葉が頭をよぎる。
――あの善良だった警官たちは明らかにゲルショッカーの手先にされていた。
そしてわたしを罠にかけここに運んだ。それは多分、わたしを改造人間に
するため。幸い手術はまだのよう。ここがどこであれ、早く逃げねば…――。
館内で放送が鳴っていた。
「『同盟』外部構成員による襲撃発生。通電設備に異常。予備電源も使用不能。
復旧までの見通しは約三十分。総員赤外線スコープを装着し敵に備えよ」
――ここは敵の基地。そして異常事態が発生している。多分あいつと
あいつが行動を起こしたんだろう。…この拘束からどうにか逃れることさえ
できれば、脱出のチャンスは十分にある、ということになるわね…――。
美弥子は普段から鍛えている筋力をふりしぼり、見えない鎖を引きちぎろうと
手足の力をふりしぼった。
何度か試みる内に、どこかでキュインというかすかな音が聞こえ、手足が
自由になった。気のせいか手足がなんとなく重い。しかし通常の動作ができる
程度には動く。美弥子はまず手探りで室内を探索し、運良くライターを
見つけ出すと、室内を照らして様子を調べた。
――この部屋…この間取り…まさか…――
美弥子はこの部屋を、いやこの建物をよく知っていた。そしてゲルショッカー
が自分をこの建物に運んだ、という事実が意味することを素早く理解した。
――…噂は本当だったわけか。葉子や梁子は無事かしら?それとも、もう…――。
葉子たちの運命を気にかけつつも、美弥子は次の行動に移った。脱出経路を
勘案した上、手術台の上に椅子を積み上げ、天井裏に侵入したのである。
――素手での脱出は危険すぎる。武器と、後は服を手に入れなきゃ――
天井裏ごしに美弥子が向かったのは、対ゲルショッカー兵器研究室だった。
基地が以前のままならば、そこには役に立つ武器の試作品が保存されている。
そして、保存が難しく、かつそのまま人類征服用の兵器に転用しうる装備を
敵が簡単に移動することはないだろう、という見込みがあった。
美弥子は研究室に到着し、中を警護している、変わり果てたかつての職員
二人を不意打ちで気絶させた。そしてライターで室内をさぐり、ケースに入った
「対怪人用レイピア」というフェンシングの剣のようなものを探り当てると、
散乱している書類その他に火を放ち、武器を手に屋根裏に戻り、出口を目指した。
――けっきょく、服は見つからずじまいか――
そんなことを思いながらも無事、山奥の廃屋の秘密出口から外に出た
美弥子を待ちかまえていたのは、ホヤスズメバチであった。
「腕は全然なまってないわね、美弥子。でももう終わり、ピュピュー!」
「あなた…まさか葉子?…そうか。脳改造を、受けてしまったのね…」
美弥子はかすかに涙ぐんだ。葉子ほどの強靱な精神力の持ち主が脳改造を
施された場合、かえってその影響は深く徹底的になる。元の人格が復帰する
可能性は皆無に等しい。美弥子はそれを知っていたのだ。
「…いいわ。わたしが、あなたの魂を救ってあげる!」
話しながら二人は戦闘状態に入っていた。生身の人間と改造人間。普通に
考えて美弥子に勝ち目はない。しかし、並外れた反射神経をもち、最新鋭の
対ゲルショッカー兵器を手にした美弥子は、相手と互角以上の戦いを行った。
攻撃から素早く身をかわしつつ、怪人に立て続けに剣を浴びせたのである。
対怪人用レイピア。それは実験中偶然生まれた特殊な薬品を練り込んだ、
超合金製の剣である。改造細胞を壊死させ、怪人の身体組織に深刻な
ダメージを与える力をもつ。薬品の正確な成分すら解析できておらず、
全世界で今ここだけにしかない、貴重な武器である。
「ふふ!あなたは、明らかにある一箇所をかばっている!」
ひらりと舞い、ホヤスズメバチの前に立った美弥子は、そう言いながら、
全身傷だらけになっているホヤスズメバチの右胸に、深々と剣を突き刺した。
美弥子の裸身もまた傷だらけであったが、勝負はついたようだった。
「多分、ここには自爆用の爆弾か、自己溶解液が詰まっている。爆弾ならば
一緒におさらばだけど、悔いはないわ。溶解液なら、完全にわたしの勝ち!」
「ピュピュー…。美弥子、腕を…上げたわね」
「あなたの腕が落ちたのよ。事務仕事のし過ぎと、改造された肉体への過信ね」
自壊用溶解液に浸食され、ホヤスズメバチの肉体は溶け始めた。
胸に刺さったレイピアも飴のように溶け崩れていった。
「さてと。わたしは行くわ。早く本部に仙台基地の惨状を報告しなきゃ」
「ピュ…ピュー…。できる…ものですか」
「何よ?…どういうこと?」
肉体が溶解する苦痛をこらえながらホヤスズメバチは続けた。
「あなた…は、改造前のわたしと…同じ勘違いを…してるみたいね。
あなた…はもう生身の人間じゃない。脳改造まで…完了した完全な改造人間。
今の…ままではその体は停止し、改造細胞…が腐り始める。機械部分を
早く…完全起動しなければ、あと十数分…で…あなたは死ぬわ」
「でたらめ言わないで!脳改造なんて!わたしはわたしのままよ。体だって…」
「それ…はあなたの機械部分が完全には…起動していないから。
あなたは多分…お得意の馬鹿力で…むりやり人工骨格を…動かした。
筋肉の…生体電流が機械部品に逆流し…緊急用予備電源が…セーフモードで
動作し…一時的…に…ちょうど、人間の力程度の…動作が…できる程度に、
動けた…のね。…でも、そんなに…動いてしまっては…もうじき…停止する。
……そうね……。わたしの…命と…引き換えに…あなたを…正常起動…
…させて…あげる」
崩れかけたホヤスズメバチは、そう言いながら、乳首から少量の溶解液を
発射した。美弥子の腰の皮膚が溶け、内部にあった赤い、キノコの傘の襞を
思わせる、異形の開口部が姿を見せた。
「あなたの…充電口は…ここ。今…電流を通して…あげる」
美弥子が身をかわす間もなく、股間から長く伸びた触手が赤い開口部に
取り付き、強烈な電流が注ぎ込まれた。美弥子の体内のサイボーグ部品が
本来の動作態勢に入り、改造細胞が活性化を始めた。傷が見る間に治癒し、
脳内の装置は美弥子の脳に悪と服従のパルスを発信し始めた。美弥子は絶叫した。
美弥子の皮膚は黒く、硬く、しわだらけになり、胴体には昆虫のような
体節が形成され始めた。手足は黄疸でも出ているような病的な色に
変化し、その変色はさらに進行した。
「ギギ…こ、この体は……」
「その体……お気…に召す…はずよ。だって…」
脳内の変化も進んでいった。
美弥子もまたホヤスズメバチとなった広瀬葉子同様、高い知性と
強い意志、そして堅固な正義感の持ち主だった。美弥子は自分を
侵食する悪の心、すなわち倫理感覚の衰弱と無軌道で破壊的な欲望の
膨張に恐怖を感じ、それに流されないための足場を必死に求めた。
「恐ろ…しい…で…しょう?」
溶解が進み、言葉を発するのも辛そうなホヤスズメバチは、しかし
心から愉快そうに美弥子に話しかけた。
「自らの…強大で…破壊的な…欲望が…解放されて…いくと…いうのは、
わたしたちの…ような…人間に…は、とても…恐ろしいことよ…ね」
電源を使い果たしたホヤスズメバチ、いや広瀬葉子は、今や生体部分の
筋肉と脳のみを働かせ、美弥子に語りかけていた。
「母な…るゲルショッカーだ…けが、そのおぞま…しいあなたの…心を
受け入れて…くれる。そ…の破壊の欲望を…未来を…開くための…希望
として…活用してくれる。さ…あ、ゲルショッカーに全てを…託しなさい!」
美弥子は首を振り続けた。しかしその力は少しずつ弱まってきた。
「ゲルショッカーにすがりたい!でもそれは絶対してはならないの!
だってゲルショッカーは両親の仇!この悲しみと怒りは決して消せない!」
「あ…なたのご両親が…亡くなって…しまったことは確かに…不幸なこと。
あな…たはそれを精一杯…嘆き悲しんでいい。で…もその『責任』を
ゲルショッカー…に負わせるのは…愚かなことよ。ゲルショッカー…は
善悪の彼岸に立つ…存在。ご両親…の死はあなたが…家族愛という人間的
弱さ…から解放されるための…試練。そしてそれは…誰も…が克服できる…
試練では…ないわ。あな…たは選ばれ…たのよ。愚かで…愛らしい民衆が、
同じような悲しみを…蒙らない理想社会を…作るために必要…な尊い犠牲、
そ…れが…あ…なたと…ご両親…だった…のよ」
「ああ!そうなのね?わたしはゲルショッカーを信じていいのね?」
「そう…よ。天国…の…ご両親…も…人類を…導く…尊い…礎になれた…
…こと…を…今…では…喜んで…いるはずよ」
「あああ…偉大なるゲルショッカー!偉大なる首領閣下!!」
最後の心の防壁が崩れ、美弥子の心にゲルショッカーへの忠誠心が
なだれを打ってあふれかえった。美弥子の表情は赤子のように安らかに
なり、やがて抑制を解かれた邪悪な欲望が彼女の心に固く根付いた。
美弥子の目は急速に複眼化し、中央には単眼が形成され、触覚が伸びた。
頭部は緑色の角質層で覆われ、顔の下半分は昆虫の口を思わせる奇怪な
人工骨格に覆われた。最後に首の皮膚の一部が伸び、ピンク色に
変化してだらりと垂れ下がった。
「『変身』…が…完了した…ようね。もう…思い残す…ことは…ないわ」
満足そうに言い終えるとホヤスズメバチは完全に液状化し、姿を消した。
残された美弥子はゲルショッカーの一員として覚醒したことの喜びに
興奮し、歓喜の叫びを上げていた。もともとハスキーだった声は
さらに低くなり、声の持ち主の性別すら判然としなくなっていた。
「ギギギーッ!!ゲルショッカー万歳!首領閣下万歳!!」
もはや毛里美弥子はどこにも存在しなかった。そこにいたのは、
クラッシャーを全開にし、溶解液を撒き散らして狂気の咆吼を続ける
完成態のバッタ女、またの名をショッカーライダー6号であった。
南米のアンチショッカー同盟本部。
「日本の東北分室がゲルショッカーに乗っ取られた模様です。抵抗
活動はありますが情勢は絶望的かと」
「やむをえん。東北地区の構成員とのコンタクトは以後一切遮断、と
各方面に至急告知せよ。仙台基地に出向した構成員も同様だ。以後
彼らすべてを敵勢力と見なし、発見次第抹殺せよ。基地も放棄する」
「何度目でしょう?我々が優秀な人材を集め最新の施設を整備すると
奴らにすべて奪われる、という事例は?これではまるで我々は
ゲルショッカーに人材と基地を提供する外郭団体ではありませんか」
「悪趣味な冗談はやめたまえ。…そう。このテープさえあれば、
我々にはまだ反撃のチャンスはあるのだから」
そう言って極秘のテープを掻き抱くようにしながら、リーダーと
おぼしき人物は、壁の世界地図の東北地区に貼られた「同盟」を
表す"A"の磁石をオセロのように裏返し、「ゲルショッカー」を
意味する"G"を表にして貼り直した。
<了>