改造室への長いチューブは間もなく終点を迎える。
もう何も考えたくなかった。考える気力もなかった。
この人と同じモノになる。そして「つがい」を形成する。
このモノに抱かれるモノとして生きる。それが私の運命。
それに逆らう力も意欲もない。受け入れるしかない。
…でも、このモノは何なんだろう?あの人なの?
あの人と同じ顔。あの人だったはずの別のモノ…
わたしは何の表情もなくこちらを見ているモノに、
声をかけずにはいられなくなった。
「ねえ。洗脳されるってどういうこと?どんな気持ち?
わたしにはわからないの。あなたは地球で生まれ育った
地球人。それを忘れているの?あんなに抵抗したことも
忘れるの?覚えているなら、なんで今は平気なの?
どうやって納得しているの?」
「ワタシガオマエノ言ウ地球人デアルコトハ、モチロン
記憶シテイル。改造時ノ記憶モ保持シテイル。ダガ、
ワタシノ見ルトコロ、改造時ノワタシノ反応ニ
不可解ナ点ハ何モナイ。99ぱーせんと以上ノ地球人ガ
同様ノ反応ヲ示スト報告サレテイル。ワタシノ反応ガ
ゴク標準的ナモノデアルコトハ確認済ミダ」
「そんなこと聞いてるんじゃない!あなたの気持ちが
聞きたいの!地球人のあなたが、地球人であることも、
むりやり改造されたことも覚えていて、なのにどうして
喜んで宇宙人の奴隷なんてできるの?疑問はもたないの?」
「質問ノ意味自体ホトンド理解デキナイ。ワタシハ
地球人ダ。未改造ノ地球人ハ改造ニ対シ激シイ抵抗ヲ示ス。
ダカラ強制ガ必要ダ。強制ハ合理的ナ処理ダ。マタワタシガ
地球人デアルトイウ事実ト、ワタシガ他ノ地球人類ヲ
『主』ノタメノ資源トシテ搾取スルコトトノ間ニハ、
イカナル論理的矛盾モナイ。他方、『主』ノ道具トシテ
ぷろぐらむサレタワタシガ『主』ノ意向ニ背クコトハ、明白ナ矛盾デアル」
同じ日本語を話しているはずなのに、まるで話が通じない。
わたしはもう一つ気になって仕方がないことを聞いた。
「じゃあ、わたしのことは?
わたしのことはどれぐらい覚えているの?」
「オマエトノ接触ノ記憶情報ハスベテ保持シテイル。
ソノ大部分ハ不合理マタハ理解不能ナ動作ト言動ノ羅列ダ。
特ニ、交尾行動、シカモ繁殖ト無関係ナ交尾行動ヲ
目指シテナサレル繁雑ナ交渉行為ハ、不合理ノ度合イガ大キイ」
まわりくどい言葉の意味を理解できたとき、
わたしの中に猛烈な怒りがこみあげてきた。
――汚された。大事な思い出を。二人だけの、甘く、
謎めいた、かけがえのない時間。それがこの虫けらには
「交尾行動ヲ目指シテナサレル繁雑ナ交渉行為」
にしか映らないのだ。こいつはもうあの人ではない。
あの人があの思い出をそんな風に見ているわけがない。
こんなモノとの「交尾」を想像して濡れかけた
自分が恥ずかしくなった。痺れていた頭が急激に
はっきりしてきた。そして、宇宙人全体への怒りと
闘争心が沸き上がった。――あの人を永久に奪った
憎い奴ら。わたしは負けない。仇はとるわ。どんなに
肉体をいじり回されようと、心だけは渡すものか。
何としても洗脳に抵抗しおまえらを壊滅させてやる。
「ありがとう。あの人にお別れを言う決心がついたわ」
「不可解ナコトヲ。オマエノ『アノ人』ハココニイル。
肉体ヲ強化シ、不合理ナばぐヲでりーとシ、
優レタ制御しすてむヲ導入シタ以外ハ、オマエガ
交尾シタガッテイタワタシノママダ。ソシテワタシハ、
ツガイトシテオマエノモトニイツヅケル」
虫けらのたわごとはもう耳に入らなかった。
わたしは戦う。なんとしてもこいつらをたたきつぶす。
今はもういないあの人のために。
改造室に着くと、あの虫けらは部屋の奥に姿を消した。
それから何十分たっても改造手術は始まらなかった。
改造室の様子も、感情レコーダを通して見たときとは
少し様子が違っていた。ガイダンスはあの虫けらから
散々受けたから、ガイダンス役がいないのは当然かも
しれない。だが、例えば脳に接続されるコードを
繋ぎに来る気配がない。天井の注射器もセットされて
いない。周囲の補助装置の類も準備されていない。
――何これ?「準備完了」とか言ってたのに。
これこそ「不合理」じゃないのかしら。
だがこれは格好の機会だった。わたしには他の
捕虜にはない利点がある。ガイダンスは素体に
「これから何をするか」は教えても「どうやって」
については何も教えない。だがわたしはそれを
知っている。つまりレコーダの疑似経験によれば、
あの人の感情は、強烈な性的快感と激しい苦痛、
それによって意識が空白になった瞬間、少しずつ
消されていった。可哀相なあの人は何も
わからないうちにあっというまに虫けらに
されてしまった…いや、虫けらに乗っ取られ、
この世からいなくなってしまった。だが、
その仕組みを知ってさえいれば、もしかすれば
何か抵抗できるかもしれない。心の準備くらいは
できるだろう。――ひょっとしてレコーダの装着を
勧めたのは、あの人の最後の意志だったのかも
しれない――。そんな想像もわいた。
苦痛の方に大した対応はできない。だが
苦痛による感情消去は補助的なものだった気がする。
注射は平気な方だし、ともかく気を失わないことだ。
問題は性的快楽だ。オーガズムに達しない、
あるいは、肉体は達したような反応を示しても
精神が平静、という、可能なのか不可能なのか
よくわからない状態になれれば、ひょっとすると
感情の消去をやりすごせるかもしれない。少なくとも
男性のように単純明快な仕組みになはっていないから、
何とかできる余地は大きいような気もする。
そして今のわたしは性的快楽なんかとは正反対の
心境にある。これは大きな強みだ。
実はわたしはあの種のぬめぬめした虫っぽいモノが
生理的に大嫌いなのだ。さっきは中身があの人だから、
「愛の力」で克服できた。あの人だと思えたうちは
欲情さえ覚えてしまった。だがアレが本物の虫けら
だとわかったとたん、あんなモノと交わってしまった
ときの感触が気持ち悪くてたまらなくなってきた。
いいだろう。さっきまでのように興奮している
ふりをしてやろう。そのまま「演技」を続ける。
そして心の中ではあの気持ちの悪い感触を
思いっきり再生して、全身に虫酸が走るような、
心理状態に自分自身を追い込む。足りなくなったら
ナメクジとかカエルとか蓮乳とか、気味の悪いものを
総動員して、快楽とは程遠い精神を維持し続けてやる。
宇宙人の機械にそんなものが通じるとも思えないが、
今思いつく手立てはそれぐらいだった。
結局二時間ほども、わたしは空っぽの手術室で
ただ寝かされていた。その間に、わたしの心は
色々と準備を完了していた。
だが、奥の扉から出てきた「人」を見たとき、
それらの準備は一瞬で吹き飛び、わたしの心は
激しい動揺、その他あらゆる感情で満たされ、
混乱状態に陥った。
「…あなた…どうして」
そこには、改造される前と同じ体、そして
改造される前とまるで同じ表情を浮かべた
あの人が立っていたのだ。いや、一点だけ、
あの人ではないという確かな証拠があった。その人は
あの巻き貝のような男性器を生やしていたのだ。
「準備に手間取ってしまってごめん。
ぼくも知らなかったんだが、君の改造には色々と
新しい試みがなされるらしいんだ。ひとつはこれさ」
子供っぽい笑顔でにっと笑い、親指で自分を指さした。
あの人だ。全くあの人のしぐさだ。
「よくできてるだろ?外形擬態の方は、まあ
地球人が思うほど難しくはないんだ。すごいのは
この感情擬態さ。『主』はぼくの付けてた
感情レコーダと君とのやり取りを徹底的に解析して、
自動的に人間の感情反応そっくりの外的反応を生成する
エミュレータを作ったんだ。感情レコーダのときには
ブラックボックス扱いされていたアナログ情報が
完全にデータ化された。音声レコーダから楽譜を
作り出したようなものだ。そして、感情レコーダの
場合には少し生じてしまった「逆流」もなくなった。
擬態感情は装着者の精神に一切影響しない。実際、
何も感じないまま自動反応が起きているだけなんだ。
完成版では、装着者には必要に応じていつでも
停止する権限が与えられる。ただし僕の場合は
試用段階なので、権限は与えられていない。
――さて。ガイダンス終了だ。これで君はぼくの中身が
『全くの虫けら』であるという知識を得たわけだ。
さあ、どの程度の「錯覚」が起きるのかな。データを
とらせてもらうよ。楽しみだな」
そう言うと、あの人のだった・もうあの人のではない・しかし
あの人にそっくりな人は、わたしに感情レコーダをセットした。
「もう一つの実験はこれ」
そう言うとその人は天井からたれているノズルを
引き寄せ、その先端を自分の背中に突き刺した。
「偉大なる『主』は携帯洗脳改造装置を開発中だ。
これはそのためのデータ集めというわけだ」
そう言ってわたしに近づくと、背中のノズル付近から
束になったケーブルを取り出し、その先端を
わたしの首の後ろにそっと固定した。何かが刺さり
侵入してきたが、大した痛みはなかった。それから、
その人はとても柔らかにわたしに覆いかぶさった。
「いくよ」
やさしく官能的な声。いつもの「始まり」の合図の言葉。
今日のそれはわたしの人間としての人生に幕を引く合図。
…ああ、なんてこと。理性ではそれがわかるのに、肉体が
ついていかない。やめて。その目で見ないで。その声で
話しかけないで。…忘れちゃだめだ。このしなやかで
すべすべした肌の下には、ぬめぬめした虫けらの皮膚…
…でも…まったくあの人のままだ。ホクロの位置まで同じ。
汗も出てきた。かすかな体臭も。とてもなつかしい香り…
その人はわたしに唇を重ね、それから首筋、そして
耳たぶに舌を這わせた。…ぬめぬめした蟻男がわたしを
襲いにきた…そう思い込もうと努力する。感じては
いけない。感じてはいけない。感じてはいけない。
――この言葉は呪文だった。唱えれば唱えるほど
感じてしまう。いけない。いけ…ない…
男の舌はわたしの乳首に伸び、同時に指が、すでに
じっとりと湿りかけてきた下腹部の部分に触れた。
いつもと同じ、なつかしい手続きが順々に進み、
わたしの視覚と聴覚と嗅覚と触覚、さらには味覚は、
意地悪な官能の誘いに必死に抵抗した。
それははかない抵抗。わたしの意志とは無関係に、
わたしの肉体は快楽の山を登り始めてしまった…。
…次の瞬間、わたしは絶叫していた。一瞬、意識が
空白になった。胸から下の全体に激痛が走ったのだ。
男の前半身全体から太い注射針が何本も伸び、
それがわたしの身体に突き刺さっているのである。
「ふふ、びっくりしただろ?ちょっと意表をついて
やらないと君は意識を飛ばしてくれなそうだったからね」
間もなく注射針から大量の薬剤が射出され、同時に
男の全身がまばゆいグリーンの光に包まれた。
猛烈な熱が私の身体を襲う。わたしはまたも絶叫し
苦痛にもがき苦しんだ。
「これだと背中の方が不十分だからね。『主』は
苦肉の策で出力を危険値ギリギリまで上げたらしいよ。
まあ、多少のやけどは改造が終われば治るからね。
あとで、ちゃんと後ろからもやってあげるよ」
言い終わる前に男はいつの間にか固く鋭く勃起した
生殖器を、まだ完全には準備の済んでいない女性器に
強引にねじ込んだ。普通の痛みだけではなく、子宮の
奥に、傷ついたようないやな痛みが生じた。多分血が
出ていた。鋭い先端が突き刺さったのだ。
「ぼくの装備は試作品なんだ。これから性細胞移植を
しなきゃいけないんだけど、よく使われている
カプセルタイプよりできが悪い。こうやって、移植前に
組織をある程度損傷させないと定着しにくいんだ」
そう言うと男性器を抜いては膣のあちこちに突き刺し、
切り裂く、という作業を繰り返した。わたしは何度も
絶叫し、そのたびに頭が真っ白になった。
「さて、移植用性細胞をつけて、と」
男はやはり背中から薄いゴムのようなものを取り出し、
それを生殖器にクルクルとかぶせた。
「しばらくすると僕の生殖器が移植用に活性化する。
それを挿入すれば君の女性器も憧れのアレに生まれ変わる。
楽しみだなあ」
男はわたしの顔を覗き込んだ。あくまでも優しい笑顔。
プレイの最中のちょっと下卑た言葉遣いまでそのまま。
でももうコレをあの人だと思うことは決してできない。
わたしは恐怖に引きつった顔でソレを見つめた。
「お次はこれだ。こんな粗悪品、早く捨てちゃえよ」
そう言うと、擬態した指を突き破って伸びてきた鋭い爪を
左目にずぶりと突き刺し、こね回した。自分でも
信じられない声を上げてわたしの意識は一瞬遠ざかった。
世界の左半分が真っ暗になり、どろりと粘液が出てきた。
「すぐに最高級品が生えてくるよ。紫外線も認識できるし
解像度も比べ物にならない。きっと満足するよ」
ふと残った目で体を見回すと、すでにもう体が
人間の体ではなくなりかけている。皮膚の至る所から
粘液がしみ出し、染み出た部分を中心にぬめぬめした
青黒い皮膚になっている。いやだ。自分の皮膚が
最高に気持ちの悪い生き物の皮膚に近づいている。
いやだいやだいやいや。わたしは我を忘れて絶叫した。
「さあ、もう一方も、いくよいくよいくよ」
ギュッとつぶったまぶたごと、男は右目をえぐった。
「ふふふ、こうやって緊張しても痛みは増すんだよね」
たしかに、わたしの意識はまた一瞬失われた。
「触角細胞も刺激してあげなきゃ」
男は指の第二関節からねじのようなものを突出させると、
それを眉間の上のあたりに押し当て、骨に食い込むまで
ぐりぐりとねじ込んだ。作業は左右計二回、ゆっくりと
容赦なく続けられた。じわじわと続く苦痛に、わたしの
思考は麻痺した。
「お疲れさま。『苦痛』のメニューはこの辺で打ち止めだ。
さて、どうかな。もう半分くらい、いったんじゃないかな。
裏側を焼かなきゃいけないからちょっと体位を変えよう」
擬態した蟻男はわたしを逃がさないように注意しながら
エネルギーバリアをゆるめ、わたしをうつ伏せでひざを折った、
要するに後背位の姿勢に固定し直そうとし始めた。
少し間の抜けた作業の間、わたしには自分を見つめ直す
わずかな時間ができた。
――「もう半分くらい」とはつまり感情消去の話だろう。
虐待のあいだ、わたしはほとんどなすがままにされ
何度も気を失いかけた。多くの感情を奪われてしまったに
違いない。正直、自分で自分の心を見つめるのが怖い。
…そうか。恐怖感は残ってるわね…うれしくないけど。
課長の心を覗き見ているときと異なり、今のわたしは
実際に何と何の感情を奪われたのか、はっきりとした
自覚がなかった。こちら側に感情があるときは、課長の心と
自分の心を比較して、何が消えてしまったのかを
確認することができた。今はその比較ができないのだ。
漠然と、心の全体が液状化し始めたような不気味な感覚。
人間の発達させた複雑で精妙な感覚が、ただの原始的で
不定形な本能的衝動に置き換えられていく感覚。まるで
精巧に発達した手足や目が、アメーバの偽足や
原始的な光受容器に置き換えられていくような…。
バリアの操作が複雑なのか、擬態蟻男の作業は
もたもたと進まない。わたしはこの時間を利用して、
敵と「戦う」道がまだあるかどうか、なるべく冷静に
検討しようとしはじめた。
人間の心を丸ごと残す、という道はもう閉ざされて
しまった。「人間らしい心」という言葉から連想される
感情、例えば「こまやかな気遣い」「温かな共感」、
そんな言葉はコトバとしては思い出せても、もう
かさかさの記号としか理解できない。今のわたしが
人間社会に戻されて、たとえ外見が元通りになっても、
もうまともな社会生活は送れない気がした。
信じられないほど空気が読めない女、とんでもなく厚顔な
偽善者――そんな社会不適格者になっているに違いない。
それでも、たぎるような侵略者への憎しみ、そして
あの人への強い愛情、この感情だけは、まだ十分に
残っているのを感じた。レコーダの疑似体験でも、
強い思いほどなかなか消えなかった。
強い思いは心の中のあらゆる思考に浸透している。
だからこそレコーダによって、あちこちに潜む
感情の名残りを活性化させ、つきとめては消去する、
そんな作業が必要なのかもしれない。そう思った。
…ふと、わたしはありえないほど冷静に状況を
分析し始めている自分に気づいた。
感情が原始的な本能に退化し始め、理性や言葉と
かかわりあう力を失いつつあることで、逆に、
理性的な思考が感情に歪められずに進むように
なっている。そういうことらしい。
実際、こうやって冷静に反省してみると、
人間の感情というのは色々と「不合理」な歪みを
認識に加えていたのだということに気づいた。
自己欺瞞、希望的観測、現実逃避、好き嫌いによる
買いかぶり、みくびり…人間の感情がどれほど
現実に目をふさぐか。それに気づざるを得なかった。
通常の改造素体にはこんな冷静な反省をしている
余裕があるとは思えない。苦痛と快楽の洪水の中、
退化しつつある感情に押し流され、わけのわからない
うちに人間の心を失ってしまうしかないはずだ
――あの人がそうだったように。
わたしがこんな冷静な思索を進められているのは、
この擬態蟻男の変則的な作業がもたもたしている
からに過ぎない。まもなく再開されるはずの
苦痛や快楽の渦に巻き込まれれば、またこんな
冷静な思索を巡らすことはできなくなるだろう。
――この冷静な思考を利用できるのは今しかない。
何をすべきか、全力で考えよう――。
また多くの感情が奪われることは覚悟せねばなるまい。
だから、最低限譲れない感情に絞り、それだけは
何としても守り抜く、というやり方を選ぶべきだ。
その感情とは「侵略者への憎悪」と「あの人への愛」。
この虫けらではなく、いなくなった「あの人」への愛。
この二つの感情を、それだけを全細胞に焼き付けよう。
――さあ、第二ラウンドだ。
わたしの決意に呼応したかのように、
擬態蟻男の愛撫が再開された。
「待たせてごめん。再開だ」
蟻男は後ろからしがみつき、乳房をまさぐりつつ、
再び注射針と光線の責めを浴びせた。気の持ちようか、
実際に出力が落ちたか、さっきほどの苦痛はなかった。
蟻男はさっきまでと同じ、甘い言葉と優しく激しい
愛撫を加えてきた。
――バカじゃないかしら。あんなことされたあとで、
まだ素直にひいひい感じるとでも思ってるの?――
わたしは目の前のモノの虫けらぶりに軽く呆れた。
そして予定通り「演技」を始めた。乾いた愛液は、
大量にあふれる粘液が多分ごまかしてくれる。
そう。肉体の変貌は容赦なく進んでいた。
改造眼球と触角の形成はほぼ完了した。
新しい異様な視界が広がり、見たくもない
肉体の細部がいやでも目に飛び込んできた。
皮膚の変質は終わることなく続いている。
表面は青黒くぬらぬらと両生類のように変わり、
指先その他あちこちに、昆虫の肢の剛毛に似たものが
生えている。爪はやはり節足動物のような
鋭い黒い爪に変わっている。
背中ごしに見ると足のおやゆびが何倍にも肥大し、
他の指は昆虫のかぎ爪のようなものに退化している。
おやゆびの爪は厚皮化し、爪というよりひづめのようだ。
かかとの角質層も何センチもの厚さに伸びている。
最終的にあの「ハイヒール」ができあがるのだろう。
体毛は薬剤の作用ですべて抜けた。立てた太ももの
内側を、粘液に乗った恥毛がゆっくりと流れてきた。
髪の毛はゴッソリと落ち、代わりに生えてきた、蜂や
蛾の体毛のような紫の毛が下向きの顔にかかった。
「ここだけは薬が違うんだ」
乳房をまさぐる擬態蟻男の手のひら全体から、
無数の微細な針が伸び、突き刺さった。
今回、苦痛はなく、痒いような感覚が覆った…
「あ…やだ、なにこれ!!いっ…いっ…いっちゃ…」
…それが凝縮された性感だと気づいたのは少し後だ。
乳房の全体から体験したこともない快楽が流れ込み、
わたしは一瞬で果ててしまった。
――またやられた…。心の液状化がはっきり
進んでいた。もう普通の日常生活もできなさそうだ。
「あざーす!近ごろどーよ」
そんな耳慣れたあいさつすら、ふと思い出すと
意味が全く分からない。――今は午後よ?
それに一体具体的に何がどうだと言っているの?
何を聞きたいの?不可解。不合理…
――もう気を抜いてはならない!こんな虫けらに
感じるなんてこと、もう二度とあってはならない。
わたしは決意を新たにした。そろそろ、課長の心を
奪った、あの「移植用性細胞」が来る頃だ。
宇宙人への憎悪とあの人への愛情で心を一杯にして、
虫けらのセクハラに耐えなければならない。
「セクハラ」という言葉は雑居房のダニ男を
連想させた。ちょうどいいわ。虫けらとカエルと
ナメクジの外に、鳥肌のネタがひとつ増えた。
生理的な不快感と嫌悪感はまだ退化せずに
残っている。これで心を満たして、快楽なんて
感じるすき間をなくしてやる。その上で「演技」を
してこの虫けらをだます。色々しくじったけど、
これで当初の計画どおりだ。
「いいかい?入るよ」
「あああ、いいわ…入って」
もうわたしにとってこいつはただの虫けらだった。
人間の皮の下のぬらぬらした皮膚が透けて見えた気がした。
わたしの大事な部分に、巨大で生温かいナメクジが
挿入された。ああ気持ちが悪い。
「ああ…きもちいいいわ」
ナメクジはカエルに変態し膣の中をかき回し始めた。
うう、われながら悪寒が止まらない。
「ああん、ぞくぞくするぅ」
カエルはわたしの運転する自転車に轢かれ、内蔵と
内蔵の中の汚物が撒き散らされた。うう、吐きそう。
「あああああああ、もうだめ!いっちゃう」
グチャグチャのカエルはグチャクチャのままで
激しく動き始め、あのダニ男の声で卑猥な言葉を発し始めた。
『よう。姉ちゃんよう。すました顔して、実は
濡れ濡れじゃねえの。おれももういきそうだぜ、ほれ』
「…ああ、濡れ濡れだね。ぼくもいきそうだよ」
…そうそう。虫けらにはダニのせりふがふさわしいわ。
わたしはおおげさなよがり声をあげながら、
勝利の可能性を感じた。快楽を感じないわけではない。
あれから達してこそいないものの、心の液状化は着実に
進んでいる。守り抜くと決めた二つの気持ち以外、
何の感情も残らないかもしれない。でも、それだけあれば
十分だ。わたしは宇宙人を憎み、そしてあの人が愛した
地球を守る。その気持ちさえ消されなければ、わたしは
地球を守るためにこの身を捧げる。それでいい。悔いはない。
感情レコーダは回収されないうちに事故を装って
壊してしまおう。この虫けらどもを騙すのは多分簡単だ。
…だが、勝利が目前になり、再びあの冷静さが
戻ってきたわたしに、恐ろしい疑惑が生じてきた。
それは、実はずっと以前から感じていて、でも必死に
封じ込めてきた疑惑だった。だが、理性と感情の
つながりが切れ始めた今、もう自分をごまかし
続けることができなくなっていたのだ。
――あのダニ男とあの人は、そしてこの虫けらと
あの人は、本当にそこまで違うんだろうか?――
絶対に問いかけてはならない疑問だった。
さっきこの虫けらが発した、あのダニ男そっくりの
セリフ。考えて見ればあれはエミュレータによって
生成されたセリフなのだ。つまりたとえ擬態であり
何の感情もこもってなくとも、あの人の言葉なのだ。
――ならば、あの人とダニ男のどこが違うのか?
冷静に見て、感情レコーダで覗き見たあの人の
記憶は、そこまで「美しい」ものだっただろうか。
あの人の目から見たわたしたちの思い出は、
この虫けらが口にした「交尾行動ヲ目指シテナサレル
繁雑ナ交渉行為」そのものではなかったか?
あの人の思い出の中心にあったのは、
わたしの心ではなく、わたしの肉体ではなかったか?
虫けらの言葉にわたしがあんなに怒ったのは、
それが「図星」だったからではないのか?
――ならば、あの人と虫けらのどこが違うのか?
疑惑は確信に変わり始め、あんなに守ろうとしていた
「あの人への愛」が、感情消去を待つまでもなく
薄れ始めてきた。――いやだ。嫌い。男なんて嫌い!
大嫌い!男なんてみんな虫けら!いやだ!いやだ!
でも女だって同じだ。あの隣の女性だって、
横の内気な少年に色目を使っていた。いやらしい!
薄汚い!嫌い!人間なんて大嫌い。人間なんて、
一皮剥けば虫けらと同じ。いやだ!
わたしの感情は暴走しかけていた。
守ろうと決意していた二つの感情。その一つ、
「あの人への愛情」が色あせ、快楽の海の中で
液状化し始めた。
わたしはもう一つの感情、「侵略者への憎悪」
だけは手放してはならないと必死になった。
これを手放せばもうわたしはわたしでなくなるのだ。
――侵略者をたたきつぶす。虫けらは大嫌い。でも
人間も虫けら。虫けらは嫌い。人間でいるのもいや。
奴隷生物もいや。いやいやいやいや。全部いや!
消えて!全部消えて!消してやる!消してやる!
わたしの感情はその対象を見失い始めていた。
このままではいけない。我を忘れてしまうことが
一番危険だ。冷静にならなくては。この状況での
最善の選択。それを合理的に計算する。今のわたしは
それができるはず。さあ。考えて、わたし!…
擬態蟻男とのセックス、あるいは、快感による
わたしの洗脳作業もそろそろクライマックスだった。
わたしは、憎悪の心をたぎらせ、冷静に計算を進め、
なおかつ外面的には快楽にもだえる演技をする、
という離れ業をしなければならないのだった。しかし、
今やその中で「演技」が一番楽な作業になっていた。
たぎる憎悪の気持ちがすでに快楽の居場所をほとんど
なくしていた。微弱な快楽にほんの少し心を液状化させ、
それに大げさに反応していればそれでよかった。
そしてその演技がこの虫けらに実装されたあの人の目を
完全に欺いている自信があった。――実のところ、
演技は初めてではない。わたしのような優しい女ほど
「演技」は上手なものなのだ。
「ああ、いく!いく!あああああああああああ」
激しい痙攣とともに大量の愛液が流れ、わたしは一瞬
失神した…ふりをした。
「感情消去終了!と。
これよりドライバのインストールをするよ」
終わった!わたしは自分の心を点検し、色々と様変わり
してしまったものの、やはりわたしがわたしで
あり続けていることを確認できた。まずは勝ったのだ!
わたしは続く作業への心の準備を行った。
脳につながれたケーブルから「何か」が流れ込んで来る。
「ダウンロード終了。あとは起動だ。すぐに『主』からの
最初の命令が来る。その受信が起動の最終キイだ。
起動したら早速エッチなこといっぱいしよう。約束だよ!」
――その仕組みならば、ひょっとしたらアレが
試せるかもしれない――。わたしは好都合だと思った。
一応、わたしの中にたぎる強い感情は、多分「服従心と
恐怖心のドライバ」を不活性化させるだろう、という
見通しがあった。だがそれでは不安定だ。
それ以上のことができるならばそうすべきなのだ。
触角が宇宙人の通信を受信し、「命令」のダウンロードが
始まる。――できそうだ。「送信」は不可能じゃない。
わたしは強い想念を宇宙人の回線に送信した。パーソナルな
回線だからこの蟻男には傍受されていないはずだ。
「ちょっと話を聞いて!取引しましょう」
「不良品カ。自ラ欠陥ヲ申告スルトハ合理的ダナ。
スグニ再洗脳ノ指令ヲ出サネバ」
「待って。わたしの心を見てちょうだい。これでも
再洗脳の必要なんかある?」
「…高水準ノ『地球人類ヘノ憎悪』ヲ確認。稀ナ事例ダ」
――そう。それがわたしに残された「人間的感情」の
最終的な姿。わたしの感情と理性が到達した結論が
それだった。わたしははわたしであり続けるために、
憎悪の最大の矛先を人類に向けることを選択したのだ。
もはや醜い虫けらにしか思えなくなっていた人類を
「売り渡す」ことに大した迷いはなくなっていた。
わたしの人類への愛はあの人への愛と共に永久に
失われていたのである。
「稀少事例トシテ、感情れこーだノ分析を推奨。
ソレデハ再洗脳ノ指令ヲ…」
「待ってよ。あんたは誰?宇宙人じゃないの?責任者出して!」
「ワタシハ暗号名地球救済作戦実行用汎用こんぴゅーた。
『主』ヨリコノ方面ノ作戦指揮スベテヲ委任サレテイル。
ワタシガ責任者ダ。がいだんす終了。再洗脳ノ指令ヲ…」
「いいから、その『主』とかいうやつに繋いで。再洗脳前に
わたしのデータを送って確認してもらって。…そうだ。
その前にわたしのデータでシミュレーションしてみてよ。
今のわたしと洗脳後のわたし、実戦投入時、どちらの
作戦成功率が高いか」
「不可解ナ提案ダ。ダガタシカニ前者ガ高イ場合、オマエノ
再洗脳ハ不合理ナ選択デアル。…計算開始…前者ノ数値ハ
後者ノ18倍…再計算ノ必要アリ…再計算終了。…作戦変更。
再洗脳ハ保留。要求ヲ受理。『トリヒキ』ノ内容ヲ説明セヨ」
「わたしを指揮官にしてちょうだい。地球侵略のために
働くわ。不安ならば『反逆への恐怖』の方はインストール
してもいい。反逆なんて絶対にしないから大丈夫。
ただし、これ以上の感情消去は停止して。わたしの
今の高い能力は、感情退化がさらに進めばなくなる可能性が
大きいわ。それから、『服従心』のインストールもやめて。
わたしは自由でいたいの。わたしの望みはもっともっと高い
存在に進化すること。奴隷はいやだけど、人間でいるのも
いやになったの。人間も奴隷生物も大嫌い。あなた方の
『主』だって嫌いだけど、今は一番嫌いじゃないわ。
むしろその仲間入りをして宇宙を駆けめぐってみたい。
広い宇宙で自分の可能性を試したい。地球では
試したくても試せなかった。なまじ美人に生まれると
そういうことがあるのよ。あの人もわたしを部下として
評価してたわけじゃない。ひょっとすると追い抜かれるのが
怖くて恋愛でごまかしたのかもしれない。…まあ半分は、
楽な生き方を選んだわたしのせいなんだけど。…分かる?」
一部は感情の矛先を向け変える自分への口実、一部は本音だった。
「…続ケロ。『主』ヨリでーたノ請求ガ来テイル」
「…だんだん解ってきたの。地球人の感情はたしかに
いろいろ不合理だけど、改造人間が言うほどじゃない。
改造人間だって十分不合理。人工的に改造された生物だから、
ある方が便利な感情までなくなっている。多分あなたたちは、
改造人間と未改造の人間に連帯をさせないために、わざと
必要な感情まで消しているのよ。そして、そんなことを
思いつける種族は、多分、地球人とは違うかもしれないけど
色々余分な感情をもっているはず。そうでなくちゃ侵略や
戦争なんてできない。わたしは奴隷でも地球人でもなく
その中で自分の力を試してみたい。その世界に入ってみたい。
そのためなら地球の一つや二つあげるわ」
「面白い。事故の産物にしても、興味深い個体が生まれたものだ」
「あなた、宇宙人ね。やっぱり人間みたいな話し方をするのね
…と思ったけど違うか。感情エミュレータね。まあいいわ、
聞いて。言っとくけど、そろそろあの石頭のコンピュータと
ロボットと奴隷生物だけじゃやってけないわよ。
もっと頭を使える幹部が必要。例えばあの洗脳プログラム、
あんなシステム、絶対隠れた『不良品』が出てるわ。
感情エミュレータを実戦配備して徹底的に洗い出さないと
大変なことになるわよ。
どう?最初の作戦としてわたしに任せてみない?」
「いいだろう。こちらもいつまでもコンピュータに任せず、
誰か指揮官を回す予定だった。だがそんな辺境の奴隷狩り
など、誰もやりたがらなくてね。地球人の言い方で
言えば渡りに船だ。反逆抑止プログラムはちゃんと
インストールさせてもらうが、あとは任せよう」
辺境云々の言葉はかなり屈辱的だった――「屈辱」か――。
意外にいろいろな感情が残っているのだと気が付いた。多分、
「憎悪」にくっついてきたのだろう。一方、思いやり、優しさ、
愛情、その種の感情はウソのように消えてしまった。あの
虫けらのような男、そして虫けらのような人類への思いと共に
蒸発してしまったようだ。
通信が終わり、残っている感情が保護され『崇拝』ドライバが
インストール前にデリートされた。『恐怖』ドライバは
インストールされたが、とりあえず反逆しようとしなければ
心理構造を改変することはなさそうだった。
そして当面、わたしに反逆への意志はなかった。
わたしは外面的には正常にインストールされた奴隷生物
という建前になった。前例がないからである。ただし、
「管理者権限」を与えられ、正常な奴隷生物を任務のために
自由に接収できることになった。
感情面に関してはエミュレータを二つ装備することになった。
奴隷生物の無感情エミュレータと、わたしの感情レコーダを
もとに復元された人間感情のエミュレータである。その他、
予定されていたいくつかの装備も実装された。「本当のわたし」
を知る者は今のところあの宇宙人とコンピュータだけだ。
「改造素体十万八号は、ただいまをもって
奴隷生物九万九千八号百八号として完成した。
起立し、ただ今届いた『主』からの命令を復唱せよ
…なんか結婚式みたいだね。どきどきするな」
――ほんっと、うるさい虫けら。早く擬態切れよ。
「『主』カラノ命令ニ従イ、ココニ私ハ宣誓スル。
ワタシハ主ナル種族ノ生存ト繁栄ノタメニ、奴隷生物トシテノ
全能力ヲ駆使シ、永遠ニコノ身ヲ捧ゲルコトヲ誓ウ」
「おめでとう!最初の命令を伝えるよ。
君には簡易対人洗脳改造システムの試作型二号機が実装
されている。リアルタイム自律学習型で、改造手術中に
僕のデータを吸収し、改良版として成熟しているはずだ。
その試運転としてこの僕の外形擬態、および感情擬態の
解除を行うこと。一種のシミュレーションだね。ふふ。
なお、この装置の装備者にはドライバとして
『拡張再生産本能』が組み込まれてる。つまり人間を見ると
洗脳改造して自分の同類に変えたくてたまらなくさせる欲望だ。
いつもと違う快感に出会えるよ。ふふふ。ガイダンス終了」
――あら、面白そう――。わたしはちょっとしたいたずらを
おもいつき、思わずそう言いそうになった。そして自分に
残っている感情がずいぶんと偏っているいることに改めて
気づいた。――やだわ、なんかこういう悪趣味な感情しか
なくなっちゃったみたい。こんなので「さらなる進化」
なんて大丈夫かしら――そんな不安が頭をもたげかけたが、
思いつきを早く実行したかったので悩むのは後回しにした。
「了解。――その前にちょっと準備させてね」
わたしはまず自分の外形擬態を行った。改良型なので
この虫けらみたいな面倒な手間は不要だ。
「??わからない、それは命令と何の関係があるのかな??
理屈に合わないよ。筋が通らないよ…」
虫けら課長は混乱している。エミュレータを外したら
「不可解だ、不合理だ」を連発しているに違いない。
「それからこっち。ちょっといじらせてね」
わたしは課長虫の首筋に爪を差し込み、管理者権限で
動作を停止し、ベッドにバリアで固定した。
それから再び管理者権限で記憶データを操作し、
覚醒させた――。
おれが目覚めたのは殺風景な部屋だった。おれは
多分素っ裸、腰にシーツ一枚という状態で、何か
見えないベルトのようなものでベッドに固定されていた。
記憶がはっきりしない。おれは宇宙人が作ったと
噂されているムカデ型ロボットに捕獲され、円盤の中に
運ばれた。円盤の中には宇宙人としか思えない、昆虫と
人間の中間のような生物がいて、色々な作業をしていた。
おれは衣服をむしり取られ、ベッドに寝かされ、そして…
…よく覚えていない。恐らくその後麻酔か何かで眠らされ、
この手術室のような場所へ運ばれたのだろう。
おれが回りを見回していると、部屋の奥から
信じられない人が姿を現した。あのとき、ロボットの
魔手から救えたと思ったおれの恋人だった。しかも
おれと同じ全裸の姿だ。
「き、君も結局拉致されてしまったのか?
救えなかったのか。許してくれ」
言いながら、色々な違和感を感じた。なぜ彼女は縛られて
いない?おれを助けに来た?しかしなぜ裸なんだ…
「ここは侵略者の前線基地の一つよ。侵略者はここで
拉致して来た地球人に手術を行い、地球侵略の尖兵に
改造しているの。あなたが会った昆虫のような
生物はみな拉致された人間のなれのはて。一切の
人間的感情を消去され、原始的な本能以外には、
宇宙人への服従心と反逆への恐怖の感情しかもたない、
柔順で合理的な奴隷生物。そしてもうじきあなたもそうなる」
この女は…おれの知っている彼女ではないのか?
…まさか彼女はすでにその改造とやらを受け…。おれは
底知れぬ恐ろしさに包まれた。そんなはずはない。そんな…
「…そしてね。正確には、あなたはとっくに改造されてるの。
ある理由があって一時的にその姿に戻っているだけ」
「デタラメを言うなこの宇宙人!」
「デタラメかどうか、これを見るといいわ」
女はシーツをはぎとった。そこにあったのは、人間のもの
とは思えない、先のとがった細長いペニスが、
ゆるい円を描いて鎌首をもたげかけている姿だった。
「あらやだ、この状況で半立ち?あなた、そういう
趣味だったの?知らなかった」
女は意味不明の独り言を言った。
「ここだけが今の本当のあなた。今からわたしが完全に
元通りにして上げるわね。うふふふ。ガイダンス終了!」
わたしは、特に意味はないがなんとなく両腕をクロスさせ、
外形擬態を解いた。課長は恐怖と悲しみの絶叫を上げた。
わたしは無感情擬態と対人洗脳改造装置を起動させた。
とたんに目の前の人間がとてもいやらしい「獲物」に見えてきた。
――ちょっと、これやばいわよ。感情エミュレータに
行動を抑止する機能はついてないんだから、擬態して
町中でこんな機能起動させたら見境なく人間を
襲い始めちゃうわ。改良の余地ありよ!
「マズハ外形ノ解除カラダ」
わたしは課長の上に馬乗りになり、まず首の後ろに
手を当てて神経ケーブルを装着し、次に首筋にかみつき、
薬剤を注入した。擬態解除用だから少量だが、
体内にジェネレータを仕込めばちゃんと人間一人
改造できるようになるらしい。
薬剤を注入しながらわたしは発光した。擬態解除だから
やはり短時間でいい。外形擬態がみるみる解除されていった。
課長は自分の姿の変貌にうろたえ、怯えていた。
「コレデオマエハ元ノ姿ニ戻ッタ。虫けらが虫けららしい
姿にもどったってわけ。あははは」
「この宇宙人が!貴様も虫けらだろう」
しまった。うっかり地の声がでちゃった。気をつけなきゃ。
あとで記憶を消しておかなきゃね。
「不可解ナコトヲ。ワタシハオマエガ愛シタ女ダ。
肉体ヲ強化シ、不合理ナばぐヲでりーとシ、
優レタ制御しすてむヲ導入シタ以外ハ、オマエガ
交尾シタガッテイタワタシノママダ。ソシテワタシハ、
ツガイトシテオマエノモトニイツヅケル」
――言ってやった言ってやった。ああ楽しい。
「――外形復元終了。続イテ感情消去ト再起動ヲ開始スル」
ようやく改造人間のセックスをゆっくり堪能できる。
それがとてつもない快感を伴うことは改造中の体験で
何度も気づかされたことだ。だがあのときはナメクジと
カエルとダニ男――そうだ。あの男を再生させて、
本物のダニ人間に改造して、若い女性を襲わせるのも
面白いかもしれないわ――が邪魔して、ゆっくり
味わえなかったのである。
――で、ここはやっぱり言葉責めがはいらないとね。
わたしは洗脳を効果的に行うためというよりは、自分自身が
楽しむために、人間感情エミュレータを起動した。
「うふふ。ただいま。また起動してみたわ」
「…なんなんだ、お前は…」
「よく聞いて理解してね。わたしの内面はさっきのまま。
人間の感情を一切もたないし理解もできない虫けら。
でも人間社会に潜入するにはそれでは不便も多いわよね。
そこで偉大なる『主』は人間の感情を分析してエミュレータを
開発したの。これがあれば人間の感情的な反応を
自動認識して、感情的反応の偽物を作り出すことが
できる。でもそれは外面だけ。わたしがどんなに
笑っても泣いても、中身のわたしの虫けらの心には
一切届かない。体が勝手に反応しているだけ。不思議でしょ」
…言いながら急激に空しくなってきた。よく考えたら
この課長の感情も擬態なのだった。中身の虫けらは
無意味で不合理な文字列と動作に首をかしげている
だけなのだ。――もう、さっさと片付けてしまおう。
「さあ、これからわたしはあなたと交尾するわ。
絶頂に達したとき、あなたの人間的感情はすべて
消去され、あなたは反逆の恐怖と服従の快楽にのみ
支配される奴隷生物として復活するのよ」
「いやだ、やめろ、おれに触るな!奴隷なんていやだ!
誰が侵略者の手先になんてなるものか!」
「ふふふ、不合理ね。だがその愚かな思考回路から
今解放してあげるわ。感謝なさい」
――ああばからしい。感情消去ったって、エミュレータの
スイッチを切るだけなのにね。おおげさね。
…それにしても、崇拝の快楽ってそんなにいいのかしら。
なんだか興味があるわね。まあ絶対にお断りだけど。
わたしは人間だったときの通りに虫けらを責めた。
抵抗しながらも課長の巻き貝は徐々に硬度を増し
とうとう完全な太い針のようになった。
「うふふ、あなたも好きねえ。わかってるの?
わたしはあなたを洗脳しようとしている宇宙人の手先。
射精しちゃったらあなたの人間の心は消えてしまうのよ」
「ああ、いやだ、そんなのいやだ…いっそ殺してくれ」
「そうだ、これ切っちゃいましょうか。生えてくるまでは
人間でいられるわ。生えなければ一生人間でいられるかも」
硬度が少し落ち、ほんの少しカーブした
「やだ、冗談よ。ほら」
わたしは口で刺激し、硬度を回復させた。実は面白いから
感情を身体制御システムに接続してしまっているのだ。
別に感情を「感じる」ようになるわけではないが、
課長の心のエミュレータが身体を支配することは可能なのだ。
うっかり「不良品」でも作ってしまったら叱られてしまう。
「いくわ。さあ」
わたしは改造女性器に蟻男のペニスの先端をあてがい、
身体を垂直にして一気に体重をかけた。
つるん、という独特の感触と共に世界が裏返った。
改造女性器には膣としての穴が最初から空いている
わけではない。丸く中央がくぼんだ形の女性器の、
中央部の肉を針状の男性器が貫く、というのが
我々のセックスである。オスメスもその性器が貫通する
一秒あまりの瞬間に信じられない絶頂感を味わう。
ただしそれはオーガズムではなく、その先の段階への
入り口である。人間のようにその感覚を再び味わおうと
腰を上下させても、決してその感覚は帰らず、むしろ
高まった興奮が急速にしぼんで終わりである。
貫通したペニスは中央の空室で激しく吸引される。
この段階で初めてペニスの海綿体組織が肥大する。
空室一杯に広がったペニスと、空室の壁は、
それぞれ筋肉の力で動き始める。この段階になり
人間のような腰の動きも加わる。最終的に
ペニスの先からもう一段細い針が伸び、
それが深部の肉を突き刺すとき、オスメスともに
最後のオーガズムを迎え、深部の肉の奥にある
輸卵管へ射精が起きる。同時に、常時生産されている
卵子に受精し卵が形成される。
――なるほど。知識のない人間の女には無理だ――。
わたしは改めてそれを確認した。
わたしたちは第一段階の余韻を長い間味わいながら、
ペニスが十分な大きさになるのをゆっくりと待った。
それからわたしは人間のようにあのひとにしがみつき
身体をこすり合わせた。通常時の何倍もの粘液が
互いの体を濡らしていた。あの人はどういうつもりか
縛られた状態でわたしの乳首に舌を伸ばし、それを
丹念になめた。わたしもあの人の乳首をなめた。
わたしはそっとバリアをゆるめた。人間の感情に
制御権を与えたままの危険な状態だが、わたしは
この人が愛撫以外の行為をしないだろうという
理屈抜きの直観があった。恐らくそれはあの人にも
伝わったはずだ。そういう理屈を越えた共感が
そこには成立していた。あの人は手を乳房に、背中に、
肩に回し、快楽をかみしめるようにわたしをなでまわした。
わたしもそうした。いつまでもそうした。
第二段階が終わりにさしかかり、第三段階が近づいていた。
かつて愛した人が口を開いた。
「ありがとう。人間の心で君と交尾できるなんて思って
なかった。君を思って僕は改造後だれとも交尾して
いなかったんだよ。さよなら。もう僕のことは忘れてくれ」
言い終わると同時にあの人は果て、あの人のエミュレータは
停止した。抜け殻の虫けらは黙って横たわっていた。時限式の
わたしへの専従プログラムを起動させてある。
直属の『主』としてのわたしの命令を待っているのだ。
…今の最後の言葉は何だったのか。あんなプログラムを
組んだ覚えはなかった。記憶の前後関係からして、
あの場面が再生されるはずがない。いや、あの時期の
感情記憶は、レコーダにも本人の脳にも残っていないはずなのだ。
――いくら考えても納得の行く説明はつかなかった。
考えてみれば、あの人はもともとわたしを保護区に
送り、一生関係を断つつもりだったのだった。そう、
わたしが誘惑しなければ。そのずっと前、前妻への
滑稽なまでの操をからかい、誘惑したのもわたしからだった。
すべてわたしのせいなのだ。急にそれを思い出した。
わたしは何か取り返しのつかないことをしたような
気がしたが、今のわたしにはそれが何だったのかをはっきり
読み解くだけの感情リテラシーは失われていた。エミュレータが
大粒の涙をポロポロこぼし始めたので、ここはつらい場面
らしい、ということが察知できるだけだった。
エミュレータの涙は一向に止まらなかった。わずらわしい。
そう思いわたしはエミュレータを切った。驚いたことに
涙は止まらなかった。わたしも泣いていたのだ。
ただそれは、普通の人間の悲しみではなく、もっとずっと
間接的で淡い感情らしかった。つまり、あの人への愛、
あの人への哀惜、そんな、この場面にふさわしい感情が
わたしから永久に失われたことへの欠乏感のような
感情だったようだ――一度退化した感情は宇宙人の技術でも、
再生はほぼ不可能なのだ。外的なエミュレーションまでは
比較的簡単でも、本人に感じられる感情を取り戻すことは、
脳を赤ちゃんから育て直しでもしない限りは無理なのである。
――こんな淡い感情が、今のわたしにはふさわしい――
そう思った。そしてこれは多分、わたしが擬態なしで
流す最後の涙だろうと思えた。
わたしはこれから暗号名地球救済作戦の責任者として
奴隷生物の指揮をとらねばならない。そしてそのための
最初の任務を遂行せねばならないのだから。
不良品、出来損ない。その種の洗脳未遂者が一定数いる
という可能性は濃厚だった。これからは、洗脳実行時に
感情レコーダによる「残り火」消去にあたる作業を
義務化する必要があるだろう。エミュレータによる解析
を使えば一カ月は一時間に短縮される。
それから、疑わしい改造人間の目星をつける必要がある。
例えばあの風俗嬢。今思えばあのやりとりは真剣にわたしの
命を救うためのものだったように思える。改造人間には
ありえない心理だ。マークする必要がある。
それから…そうだ…
「『課長』、あなたわたしの馴致洗脳時に『感情を隠す
鉄の掟』とか言っていたわね。あれはだれのアイデア?
あなたの創作?」
「ワタシニ接触シタ『不良品』ガ自爆直前ニ口走ッタ
文字列デス。感情れこーだノ選択デ採用サレマシタ」
やはりそうか。なにか地下組織のようなものがあるに
違いない。用心して、網を張っていこう…。
「不良品」の摘発は単なる基地の防衛以上の意味がある。
まずそれは、洗脳システムの不備についての生きた情報
である。情報を得て洗脳システムはさらに完璧になる。
第二に、ほとんどの不良品は直ちに検出され、あるいは
快楽の海に飲まれてすぐに再洗脳される、ということを
考えると、潜伏している「不良品」たちは、宇宙人の監視を
くぐり抜け、洗脳未遂の事実を隠し通せるような知力、判断力、
胆力、行動力等を備えている公算が大きいことになる。
彼らを「味方」につければ頼もしい戦力になるに違いない。
わたしは「不良品」の中から有能な補佐役を引き抜き、
「幹部」組織の中枢を固めるつもりでいた。
そのためにも、反乱はもちろん、自爆などという
もったいないことを彼らにさせてはいけないのだ。
巧妙に一人残らず生け捕りにして、感情レコードを
保存した上で、徹底的に再洗脳せねばならない。
「さあ『課長』、いくわよ!」
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――暗号名地球救済作戦の中心的指導者として、「課長」
「風俗嬢」「ヲタク」などのコードネームをもつ冷酷な幹部を
従え、地球人類を恐怖のどん底に突き落とし、やがて
本星への反乱と本星住民の総奴隷化により強大な権力を握り、
さらには宇宙全域を恐怖と混沌に陥れた、コードネーム「OL」、
通称「破滅の女王」――その初めての任務の開始だった。
<了>