あたしは全裸でベッドに縛り付けられ、とても明るい部屋の中にいた。
首の後ろには、脳に直接接続されているという複雑な機械。天井からは無数の太い注射針。
ベッドの周囲にも怪しげな器具がいっぱい並んでいる。
足下には芸人だかアナウンサーだかの「なれの果て」がいて、あたしにこれから施される
「改造」についてご親切にも解説をたれている。だがこんな女にいちいち説明されなくとも、
あたしが何をされるか、おおよその見当はとっくについている。
そう、あのゴミ溜めのような雑居房に十日もいれば、それはいやでもわかることだった…
宇宙人に誘拐され、あの不愉快な「雑居房」に押し込められて三日目、収容された人間が
部屋の端から順々に姿を消し始めた。たしかにその前も、あたしの隣の上品なお嬢さんや、
その隣の下品なクソ野郎などが突発的に姿を消すことはあった。だが今回のは違っていた。
…あのお嬢さんは気の毒だった。あのお嬢さんの前にも、襲われて悲鳴を上げた女性が
襲った男性ごと射殺されたのを二度は見ていた。彼女も見ていたと思っていたのだが、
眠っていたのか、知らなかったようだ。結果、彼女も大きな悲鳴をあげて抵抗した。
あの場で射殺はされなかったものの、今頃はあの男の死体と共に分解処理か何かに
回されてしまっているに違いない。人間の心をもたない看守たちは、
異常な動きをする人間全てを一律に「危険分子」と見なし、抹殺するのだ。
辛く腹立たしいことだが、死にたくなければ、襲われてもじっと堪えなくてはならない。
あの子もそれを分かっているものと思い「ひどいよね」という話をしたが、何か勘違い
させてしまったのかもしれない。ならば間接的にあたしにも責任はある。胸が痛んだ。
あたしの反対隣はまだ十代のウブな少年で、明らかにあたしの肉体に関心をもち
もじもじしていた。この坊やならそんなに厭でもなかったし、我慢しきれず暴発したあげく
射殺、なんていう展開は絶対に厭だったから、あたしは身体を許してあげた。
それは三日目頃にはもう雑居房の普通の光景で、「突発事故」は急速に減っていった。
――だが、三日目から始まった「退所」はこれまでの「突発事故」とははっきり違っていた。
むしろ予め決められた正常なスケジュールのように、規則正しく進んでいったのだ。
「退所後」の運命に気づかされるようになったのもそう遅いことではない。姿を消した人が
あの、身も心も昆虫のような気味の悪い生き物に「改造」されて姿を現し、「順番待ち」の
人間を監視したり、機械の操作やらなにやらの「業務」を開始したからである。
いずれ自分の順番が来る、ということに気づかない方がおかしいのだ。
それでも、実際に自分の順番が近づくにつれ、いやでも恐怖と絶望は増していった。
あたしの前の列がとうとう空っぽになり、自分の番が片手で数えられるようになってからは、
安らかに眠ることもできなかった。浅い眠りの後「突発事故」で一人いなくなっていたのに
気づいたときは、誰を恨んでいいかわからない、わけのわからない怒りが湧いた。
そして十日目、あの愛しい内気な少年がベッドの上に見えないロープで縛られて
「退所」してから2時間のあいだ、あたしは多分人生の中で一番長く辛い時間を過ごした。
気の狂いそうな恐怖だった。…いつ?今?まだ?いつ?今?まだ?いつ?今?まだ?
いつ?今?まだ?いつ?今?まだ?いつ?今?まだ?いつ?今?まだ?いつ?今?まだ?
いつ?今?まだ?いつ?今?まだ?いつ?今?まだ?いつ?今?まだ?いつ?今?まだ?
いつ?今?まだ?いつ?今?まだ?いつ?今?まだ?いつ?今?まだ?いつ?今?まだ?
いつ?今?まだ?い…何の前触れもなくあたしは見えない力でベッドに押し倒され、
床ごと地下に吸い込まれて、暗く長いトンネルを「改造室」へと運ばれた。
「――以上、改造素体ヘノ必要ナがいだんすヲ終了スル…」
意外にも、不必要に長い前口上を聞かされている内、あたしは段々肝が据わってきた。
偉そうなことを言っているが結局あんただって宇宙人に調教されて喜んでる馬鹿なロボット。
あたしがあたしでいる内に…そう「あたしの目が黒いうちに」、一言言ってやらなきゃ
気が済まない。そんな気分がむらむらと湧いてきた。
「ふん!この虫けら!おしりかじり虫!せいぜい飼い慣らされて蜜でも集めてな。
あたしはあんたとは違うよ!この心は誰にだって渡しゃしない!あたしだけのものだ!
あたしを改造なんかしたことを後悔させてやるからね。覚悟しときな!」
反逆分子として「処分」されてもいいと思った。今までこう出来なかった意気地のなさが
逆に情けないとすら思えた。
「不合理ダ。だガすぐにソノ愚かナ思考回路カラ解放しテやろウ。『感謝』するがイイ」
どうやら、反逆分子として処理されることなく改造されてしまうようだった。
実際、あんなハッタリが実現するとはあたし自身思ってはいない。もうじきあたしは
いなくなり、その代わりの別の生き物が「製造」される。だがそれはずっと前から
分かり切っていたこと。その前にせめてもの反抗が出来たんだ。それでいいか。
「…改造手術ヲ開始スル」
注射針がいっせいに突き刺さり、股にはなまぬるい粘着質のものが押し当てられた。
続いてまぶしくて熱い光線の照射。同時に注射針から大量の薬剤が注入され始めた。
股の物体はしばらく「前戯」を加え、あたしが十分に濡れると、棒状に変化し
うねうねのたくりながら奥に侵入してきた。同時にクリやびらびらにも入念な、
多分地球のどんな男もかなわない巧妙なテクで責めが続いた。しかも機械は、
あたしのあえぎ声や身のくねりをちゃんと学習し、微妙に「指使い」を変えてきた。
注射と光線の効果もすぐ現れた。大量に注入される薬剤がまるで溢れ出たかのように、
皮膚の数カ所にぬめぬめした粘液がしみ出始めた。そしてしみ出た箇所は
青く変色し、人間の皮膚とは全然違う物質のように変わっていった。やがて
体中の至る所に青い斑点が浮かび、もとのままの皮膚はほとんどなくなった。
それでも粘液の流出は収まらず、なおも容赦なく皮膚の変色と変質を進めていった。
皮膚のなかで乳房だけは丸く線でも引いたように元の色と質感を残していたのだが、
やがて縁から黒、黄色、黒、と同心円が形成され始め、人間の皮膚とも他の部分とも
また違う、柔らかく弾力のある材質に変わっていった。同心円が乳首まで達すると
乳首だけはマニュキアでも塗ったように真っ赤な色に変わった。そしてこの部分だけは
なぜか、少なくとも表面上は、人間の皮膚と変わらない質感のままだった。
額にはむずむずした感覚が発生し、頭蓋骨の両面に触覚が伸び始めたのが分かった。
そして伸びた触角が脳の内部にアンテナとして接続されたことを本能的に知らされた。
目はひどい痛みと共に破裂し、何も見えなくなった。その後、目の奥で
「何か」が蠢き、育っていくのが感じられた。やがてテレビのチャンネルを
変えたように、急に視界が回復した。四番目の見慣れない色と、それと他の色の混色の、
信じられないくらい多くの色が増え、ものの細部もずっとはっきり見えるようになった。
股間の装置もただの高性能バイブではなさそうだった。今やそれがあたしの大事な部分と
一体化し、それに置き換わり始めているのがわかった。このまま置換され、最後には、
あの何の変哲もないのに妙にいやらしい、イカの口のような、ウオノメのような、
変な形に変えられてしまうのだろうと思った。
「続いテ、どらいばノいんすとーるに移ル」
たしか、宇宙人への「服従の喜び」と「反逆への恐怖」を植え付けるとか言っていた。
それが始まるのだろう。いよいよ年貢の納め時。あたしも一匹の虫けらに成り下がるか。
だが、半ば意外、半ば予期したことだったが、あたしは自分の「改造手術」とやらが
あの女が言ったとおりには進んではいないことに、すでにはっきりと気づいていた。
――つまり、あたしの感情は無傷のままで、消されたりしてはいないのである。
やがて「インストール」が始まったが、それは強烈な服従心とか恐怖心とかとは
ほど遠いものだった。宇宙人の命令が聞こえるようになり、「実行しろしろ、
しないとひどいぞ」という催促やら脅しやらの気持ちもたしかに伝わるのだが、
洗脳というほど強力なものだとはとても思えなかった。
どうやら、あたしの洗脳は失敗したままで終わったらしい。各種装置が外され、
宇宙人からの「命令」が届くにいたって、あたしはそう確信した。
「改造素体九万八千七百五号ハ、ただ今ヲもっテ奴隷生物九万八千五百六号としテ
完成しタ。起立シ、ただ今届いタ『主』からの命令ヲ復唱せヨ」
けっこう殺された素体がいるものだと呆れつつ、あたしは起立し「復唱」してやった。
「『主』カラノ命令ニ従イ、ココニ私ハ宣誓スル。ワタシハ主ナル種族ノ生存ト
繁栄ノタメニ、奴隷生物トシテノ全能力ヲ駆使シ永遠ニコノ身ヲ捧ゲルコトヲ誓ウ」
…大暴れしてやろうかとも思ったのだが、危険が大きすぎると思い、やめにした。
むしろこのまま洗脳されたふりを続け、逃亡、そしてその後で反撃のチャンスを伺おう。
あたしはそう考え、極端すぎるほど抑揚のない声を装い、クソ宇宙人の「命令」に従った。
洗脳失敗の原因には心当たりがある。あたしは筋金入りの不感症なのだ。
この十年近く、仕事で何百人という男を相手にして、一度も「感じた」ことがない。
「演技」がひたすら上手になっていっただけだ。そしてどうも宇宙人の「感情消去」と
それを前提に進められる「服従心と恐怖心のインストール」は人間の性的快楽を
鍵に発動するシステムらしいのだ。まさか宇宙人の機械を「演技」で騙せるなどとは
自分でも思っていなかったのだが、あれはそういう仕組みの機械だったらしい。
こちらをイかせようとしているのは明らかだったから、サービスで最高級のよがり声をあげ、
何度も「イった」あげくに「失神」までしてやった。それが効いたようなのだ。
それ以外にも、わざと痛い刺し方をする注射他の「苦痛」も洗脳の条件をつくる効果が
あったらしい。だが、「M奴隷」の仕事も多かったせいか、乗り切ってしまえたようだ。
まあ、そんな商売があるなど、合理性一点張りのあいつらの想定外だったのだろう。
でもあたしだって、生まれてから一度も「感じ」たことがないわけではないのだ。
十代前半の秘められた一人遊び。あのわずかな時期、あたしは初々しい快楽に浸った。
…だがそれがクソ親父に見つかり、クソ親父のいやらしい指と舌のせいで、
あたしの快楽は多分永久に封印されてしまった。クソ親父が事故で死んで、
上京後ほとんど詐欺同様の仕方で風俗の仕事を始めてからも、技術は上がったが
嫌悪感は消えなかった。やめようやめようと思いつつ十年近く続けてしまった。
「これも天職かも」と吹っ切れたのはごく最近だ。
…辛気くさいことを思い出してしまった。過去を振り返るのはやめよう。
その日から、あたしの命がけの「演技」の日々が始まった。
今までは「感じていないのに感じているふり」だったが、いまや
「感じているのに感じていないふり」をせねばならない。
意外だったのは、改造人間たちがあたしの異状にほとんど気づいていない
らしいことだ。なんどかへまをして感情を表に出したことがあったが、
何の反応もなかった。感情を読み取る能力がなくなってしまった連中には、
ただのノイズとしてしか認識されないらしいのだ。
むしろ、警戒すべきは捕虜の人間である。人間なら、ちょっとした仕草からでも
ほとんど直観的に、あたしが感情を失っていないことを読み取ってしまう可能性がある。
もちろん、読み取った人間にただちに何かをされることはない。むしろ励ましてすら
くれるかもしれない。だが、その人間は明日には冷酷な奴隷生物になっている
かもしれないのだ。そして、感情を読み取る力は奪われても、あたしの心が人間のまま、
という「知識」はちゃんと携えていて、それを宇宙人にを告げ口するに違いない。
だから、あの上品なお嬢さんを特殊素体観察室、通称「独房」で見つけたときには、
動揺を隠すのに本当に必死だった。どうも殺されたのではなく、何か特殊な実験を
されるため隔離されているらしかった。それが射殺されるより幸福なことかどうかは
分からないが、この子には生きていて欲しいと強く思った。だから冷酷な昆虫を装い、
忠告まがいのことまでしてしまった。気づかれていないことを祈るしかない。
演技の日々の中、あたしは人間としてしてはならないこともいっぱいしてしまった。
拉致ロボットの発射作業、改造手術の実施、それに「反逆分子」の射殺…。
初めて人を殺したときは吐き気をこらえ「有機廃棄物集約カプセル」つまり個室トイレに
駆け込んだ。――全裸で暮らし、あちこちで開けっぴろげにやりまくっているくせに、
トイレだけは密閉度が高いのだ。排泄物の臭気が触角のセンサーを鈍らせるかららしい。
トイレでの一人の時間、あたしは自分に戻り、脱走の計画やその他 の作業を行った。
一番の大仕事は「自己手術」だった。
改造後まもなく、あたしは重大な異変に気づき始めていた。どうも、不感症が
治ってしまったような「感じ」がし始めたのだ。もちろん「試す」のは危険すぎる。
未完了の洗脳プログラムが再開してしまう可能性があるからだ。もともと心因性だから
大丈夫かもと思っていたが、神経のつなぎ方も色々といじくられてしまったのだろう。
そして状況は切迫していた。あたしの改造人間としての「貞操」は風前の灯だったのだ。
雑居房の男ども以上に性欲旺盛な蟻男どもがあたしへの求愛行動を繰り返しており、
これ以上断るのは「不合理」だった。しかもその前に、あたし自身が「試して」しまう
誘惑に抗しきれなくなる危険だって、正直、ないとはいえなかった。
…今の内に、何とかしなくてはならない。
あたしは意を決して、鋭利な爪とインストールされた解剖学の知識を駆使し、
トイレで「手術」を敢行した。外形はそのまま、内部の肉をえぐり取り、
同時に感覚の鈍いお尻の肉を切りとり、移植する。余った肉は食べてしまった。
――驚異的な再生力で傷はすぐに癒えたが、感覚は鈍いまま。手術成功だ。
あたしは何も感じないその部分に色々なワザをかけて試してみた。それから早速、
前から誘いをかけてきていた蟻男数人にOKを出した。はじめは恐る恐る、
やがて自信をつけ、豪勢な演技で何人もの蟻男から遺伝子を吸い取ってやった。
一番強引でしつこい蟻男が、かつての内気だった坊やだと気づいたときは少し悲しかった。
交尾の後はほとんど強制的に産卵ブースに移送され卵を産まされた。保存された
無数の卵。これがいっせいに孵化する日…。嫌な想像がいつも浮かんだ。
格納庫の中の小型円盤の奪取が、あたしの脱走計画だった。
格納庫の位置も円盤の場所も、インストールされた知識に組み込まれていた。
しかし、それら正規のルート以外の道を見つけ、侵入する計画を立てる必要があった。
そんなルートの情報は与えられていないから、頭の中の地図と、迷路のような
現実の艦内を照合し、自分自身で見つけ出さねばならない。任務の合間に観察を重ね、
トイレの中でパズルを解くようにそのデータをつなぎ合わせ、あたしは可能なルートを
絞り込んでいった。
その日、あたしはついにこれというルートを見つけた。
格納庫を見下ろす廊下の窓から、円盤の手前まで伸びる「経路」を発見したのだ。
文字通りの道ではない。改造人間の握力、脚力等を駆使して配水管や壁の継目を
伝って円盤まで行けそうな経路である。インストールされた知識によれば、
円盤は亜空間移動で簡単に母船の外に出られるらしい。操縦用ドライバも脳内にある。
あれに乗れさえすれば勝ちなのだ。今からは無理だが、明日ちょうどあの辺を巡回する。
明日!現実味を帯びた「決行」を前に、あたしは興奮し様々な思いを止められなかった。
地球に帰ったらどうしよう。こんな姿で人前に出ることはできない。それに、
侵略者に手を貸した裏切り者にそんな資格もない。でも地球のために出来ることはある。
人知れず、一体でも拉致ロボットや改造人間を倒す。そうして人間を一人でも多く救う。
改造された身体はライダースーツか何かで覆い、顔はメットか仮面で隠す。
…ライダースーツじゃなくて、レオタードとメイクとサングラスでもいいかな。
何にしても出来ることはあるはず。頑張らなきゃ!我知らずガッツポーズをとっていた。
捕虜のいる区画から遠く離れているから、滅多なことはないはずだった…。
「人間のまねがお上手ね」
そのとき、まるで人間のような口調で一匹の蜂女の声が耳元に響いた。
蜂女は手に熱線銃を持ち、あたしのすぐ後ろに立ちはだかっていた。
ここまで近づいて気づかなかったということは、意図的に個体識別信号を
オフにしていたに違いない。ただごとではない。まずは「演技」するしかない。
「ナ、何ヲ不合理ナコトヲ言ウ。理解不能ダ…」
「うふふ。ばればれよ。そこらへんの奴隷生物は騙せても、わたしは騙せないわ」
よく見るとあたしの隣にいたあの上品なお嬢さんだ。「独房」が空になったから
抹殺されたか、「保護区」へ行ったか、それとも改造されたか、どれかだろうとは
思っていた。結局改造されたらしいが、それにしてもどうもおかしい。
改造人間にしては感情が豊かすぎるのだ。だからといって「味方」だとも
思えない。逃げるか?しかし熱線銃で撃たれるのがオチだし、どのみち捕まる。
一撃で殺す?…できるかもしれない。悲しいがそれしかなさそうだ。
あたしが脳内シミュレータを起動し戦闘態勢に入ろうとしたとき、
あの優しく素直なお嬢さんだったはずの蜂女が、憎々しげに口を開いた、
「ふん。風俗嬢が、やりすぎで不感症になって、それで洗脳が未完了、
どうせそんなとこでしょ。品のない茶番ね!あはははは」
典型的な偏見とキメツケ。人の痛みも悲しみも想像できない幸福なお嬢様。
それがあの女の正体だったのかもしれない。あたしは頭に血が上り、
シミュレータは動作不能に陥った。こみ上げる怒りをこらえきれずに、
あたしは感情むき出しで罵声を発した、
「こ!この世間知らず!あ、あんたなんかに何がわかるの!」
「ふふふ。不合理ね。あんな感情操作で自ら正体を現すなんて、人間てホントに不可解!
――九万八千五百六号における起動異常の事実を確認。確保する」
言葉が終わる前に女は乳房から粘液状のネットを発射し、あたしは壁に貼り付けられた。
「あんたも人間の心が残ってるんじゃないの!?なんで宇宙人の味方なんかするのよ!」
「あなたみたいな出来損ないと一緒にしないで。あなたのみたいな不合理なシステムは
インストールされていないし、理解もできない。わたしはね、最新型なの。
感情擬態システムを実装されているのよ。人間の感情的反応を検知し、
適切な応答を表情筋、汗腺、涙腺、脈拍等の調整により形成、
さらには日本語辞書への介入も行う。それにより、人間やあなたみたいな不良品に対し、
わたしがまるで感情をもっているような錯覚を引き起こす。優れたシステムよ。
『主』の技術力は、ある素体の一カ月の観察データだけから、
こんな精巧なエミュレータを完成させたの。外形擬態システムと組み合わせれば
人間社会への潜入工作も可能。作戦の幅が広がるわ。
…そうそう!あなたを確保したんだから、もうこんな煩わしいもの要らないんだった」
女は首のうしろのスイッチのようなものに手を伸ばした。
とたんに、それまでの感情豊かな態度は姿を消し、女は普通の蜂女に戻った。
「オマエノ場合、再いんすとーるは不要ダ。起動装置ノ修理ノミデしすてむ再起動ガ可能。
ヨッテ、コノ場デノ修理作業ノ実施ガ最適ト判断スル。――修理班!」
すぐに修理班が到着し、機械そのものの手つきであの移植用性細胞を性器に装着し始めた。
「…や、やだ…やめろ!…やめて!!」
修理班は立ち去り、細胞が活動を始め、あたしの損傷部位は急速に修復され始めた。
それを見て、蜂女は何か思い出したように再び首のスイッチに手を伸ばした。
「やだ、忘れてた!こいつのせいで不合理な動作が増えて困るわ。
貴重なサンプルなんだから、今のうちにレコードしとかなきゃね」
そう言うなり女はあたしの首の後ろに爪をねじ込んだ。
「…そう…十代のころに父親に…。ごめんなさい。ひどいことを言ってしまったわ。許して」
蜂女は涙まで流してみせた。これは擬態だ。虫けらが何も理解せず自動反応しているだけ。
…それが分かっていながら、あたしの心は揺らぎ、彼女を許そうという気持ちすら湧いた。
たしかに、人間の感情とは不合理なシステムなのかもしれない。ちょっとだけそう思った。
「…するとあなたの場合、蟻男による再起動失敗の危険が0.00002くらいはあるわけね…」
…もう何もかも終わりだ。あたしは今度こそ完全な奴隷生物にされてしまう。
あの2時間の気の狂いそうな感情がよみがえった。今度はハッタリの希望もない完全な絶望。
もはやタンカを切る気力もなく、あたしはあの坊やのようにただ泣きわめいていた、
「いやだ!いやだ!再起動なんて厭!あたしは地球に行くの!i行って地球を救うの!」
「うふふ。…いいわ。あなたにも擬態機能を実装してもらいましょう。開発中の、
簡易対人洗脳改造装置もね。一緒に、「地球救済作戦」を進めましょ!」
知っていた。その名は「地球侵略作戦」の暗号。地球人類と地球環境の破滅的搾取の計画。
地球を守る戦士でなく、お客を襲い洗脳改造する淫らな蜂女…絶望的な未来が浮かんだ。
「…そろそろ修理完了ね。蟻男じゃ不安だから、再起動はわたしが実行してあげる。
各種ドライバは完全に書き込まれているから、一回のオーガズムですべてが終わるわ。
恍惚の瞬間、あらゆる人間的感情は無意味なバグとして完全にデリートされ、あなたにはもう、
あの不合理なシステムを解読することも、形成することも、永久に不可能になる。
その必要もなくなる。同時に『主』への服従のためのシステムが正常起動するから。
その停止もアンイストールも永久に不可能。――以上、ガイダンス終了!」
蜂女は「いたずらっぽい笑み」を浮かべた。あたしから恐怖と絶望を引き出す感情擬態だ。
「いやいやいやいや!宇宙人の奴隷なんて絶対に厭!」
「うふふ。不合理ね。でもすぐにその愚かな思考回路から解放してあげるわ。感謝して」
「…いや!いや!……それがいやなの!…それが…いやなの!……わかって…お願い…わかって…」
涙も声も枯れ果てたあたしは、無意味と分かっている嘆願をうわごとのように繰り返した。
彼女はカバーを外した。ぷるんとしたピンク色の、傷一つない改造性器が再生していた。
あたしの絶望は増した。もう駄目。もちろん理屈では、今度もまた達しさえしなければいい。
でも絶対に無理だ。一目で分かるが、この女は下手なプロよりも好色で貪欲な快楽追求者。
それに比べて今のあたしは、異常に「耳年増」なだけの、うぶで未開発な十代の生娘と同じ体。
多分ひとたまりもない。そしてあたしは、感じてはならない、達してはならないと思えば思うほど
ますます急速に快楽の坂を登り詰め、あっと言う間に果ててしまうに違いない。
そんな女の生理と心理は誰よりも知っている。…無理だ。絶対に無理だ。
蜂女は「穏和な笑み」を浮かべ、耳元に口を寄せ、「甘い声」でささやき始めた。
「ねえ、想像してみて!あのころのあの甘美な快楽。それがもうじき、
『主』への崇高な崇拝心と一体になり、浄化され、あなたの胸に永久に刻まれるの…」
抵抗する気力も尽き果て、ぼんやりとしてきたあたしの頭に、彼女の声は甘く響いた。
そして十数年ぶりにうずき始めたそれに彼女の指がのびる瞬間を、いつのまにか、
今か今かと待ち始めている自分に気づいていた…
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