銀英伝(に代表される初期の作品)と創竜伝(に代表される最近の諸作)とは何が違っているのか。それは、葛藤の有無である。
銀英伝では、主人公ラインハルトは姉アンネローゼを皇帝に奪われ、友キルヒアイスは自らの判断ミスが原因で命を落とすなど、
ラインハルトには様々な障害が待ち受けており、希望が叶わないが故の悩みもあった。
他方で創竜伝では、主人公たち(始は無論のこと、それより年少の続、終、余も当然含め)が無敵の竜王であることも手伝い、この手の悩みを抱えている様子は全くうかがえない。
この点は創竜伝に限らず現在田中芳樹が執筆している諸作にも言えることであり、例えばアルスラーン戦記も、物語としてみれば、
万能軍師ナルサスと無敵の勇者ダリューン(その他のアルスラーン陣営の人物も多かれ少なかれ人間離れしているが)のせいで勝負の行方が見え透いており、盛り上がりに欠けること甚だしい。
さて、田中芳樹はこの手の葛藤をしっかり書けるのに書かないのか、それとも書けないのか。
銀英伝では書いていたから書けると思いたいところだが、実際のところ、
少なくとも田中芳樹が思い入れをもって描こうとする主人公については、書けないのではないだろうか。
銀英伝の主人公は(おそらく田中芳樹自身の人格が投影されている)ヤンではなくラインハルトであるが、
ラインハルトについては女性に人気が出ることを予想するなど、多分に意図的に作り出したキャラクターであり、
作家として彼にまつわるドラマを構想することもできたのだろう。
しかしヤンについては、自身の思い入れが手伝ってか、彼にとって厳しい二者択一を迫られ、
どちらを選んでも後悔にさいなまれること間違いなしといった場面には遭遇していない。 田中芳樹の分身であるが故に、直面しがたい課題は免除されたのだ。
田中芳樹にとって不幸なことに、ヤンは多くの人に受け入れられ、高い人気を得た。
ヤンのようなタイプを主人公とした小説を書いても、商売として成功することが見えてしまった。
それでも銀英伝直後は、作家としての意識が強かったのか、
タイタニアのように、田中芳樹の分身的キャラクター(ジュスラン)を田中芳樹が嫌うであろう支配者側に設定するという新たな試みも見られていたが、
その続刊が出ないのは、おそらく今ではその後が書けなくなってしまったのだろう。
結局書き続かれているのは、創竜伝や薬師寺涼子シリーズなど、
田中芳樹が作中に自らを投影したキャラクターが、気分のいい世界で、都合のいい活躍をするものばかり。