裁鬼さん達が主人公のストーリーを作るスレ

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閉鎖された道路
表向きは工事中とあるが、それはその先の山に魔化魍が出た為だった
閑散としたアスファルトを照らす太陽の光を、二つの異形の影が遮る
「ぐっ……」
山の道に投げ出されたのは山吹色の左右非対称の鬼面を持つ鬼――蛮鬼だ
「大丈夫?」
「受け身は取りました」
彼の後ろで軽妙な着地をして見せたのは吹雪鬼だった
「グルルル……」
二人を見下ろす敵意の固まりは、頭部から背中にかけて鋭い針をいくつも持っていた
魔化魍・ヤマアラシである
「ガッガッ……」
その巨体では飛び降りることが出来ないのを知ってるのか、憎々しげに地面を蹴り上げて石を落としてくる
「威嚇よ。当たらないわ」
「わかってます」
蛮鬼はその音撃弦『刀弦響』を正眼に構えて対峙する
「ギィィ!!」
ヤマアラシに変わって飛び降りてきたのは童子と姫であった
「ヴァアッッバッ!」
同時にヤマアラシの特徴である、その背中の無数の針が二人の鬼に向かって飛来する
「だぁ!」
蛮鬼は横に避けながら、追ってくる針を刀弦響で捌き続ける
一方の吹雪鬼は華麗な身のこなしで針を避けつつ、ヤマアラシとの距離を縮めていた
「グルル……!!」
捌く一辺倒の蛮鬼は兎も角、確実に自分に近づいてくる吹雪鬼に焦りを感じるヤマアラシに向かい吹雪鬼は跳躍した
だが
「ギャア!!」
「!!」
飛びかかってきた童子に吹雪鬼はしがみつかれる
「グルルヴァアッ!!」
しめた!とでも言いたげな表情をしながら、ヤマアラシはその全ての針を吹雪鬼に向けて狙いを定める
「離しなさいよ!エッチ!」
童子を振りほどこうと吹雪鬼は焦るが、童子とてこの好機を逃がそうとするものではない
「グバアァア!!」
何百……いや何千もの針が吹雪鬼に向かって牙を剥いた
「……なんちゃって」
「ギ?」
「お触りの代金は高く付くわよ!」
吹雪鬼は渾身の力で右腕を振りほどくと、童子のみぞおちに鋭い肘突きを暮らさせた
そこから流れるような動作で一本背負い
「ゲェェエアアブェェェ!!」
大地に叩きつけられた童子の背中には無数の針が刺さっていた
吹雪鬼に楯代わりにさせられたのだ
「ギィ……」
その残酷な戦い方にヤマアラシですら一瞬怯む
その瞬間、ヤマアラシは腹部に焼け付くような熱を感じた
「グェ……?」
まるで全ての感情を忘れたかのようにヤマアラシは自らの腹部を見る
そこには姫を串刺ししした『刀弦響』がまざまざと刺さっていた
「ガ……ガアァァァァ!!」
怒りを取り戻したヤマアラシは『刀弦響』を投擲した蛮鬼を睨み据える
「ゲェェガヴァヴァァァ!!」
背中の針を蛮鬼に向けるが、蛮鬼は恐れもせずに向かってきた
それもそのはずだった
「これくらいしか残ってない針なら……」
「ギ……!?」
何時の間にやらヤマアラシの背に飛び移った吹雪鬼が、ヤマアラシの針をまるで雑草をむしり取るかのように引き抜く
「ぎゃああぁぁぁう゛ぁヴァジョベエアアァアガガァ!!」
山に住む鳥たちが一斉に飛び立つ程のヤマアラシの叫喚
ヤマアラシの最大の攻撃はこの針による攻撃だが、撃ち尽くした後すぐに生えてくるほど便利には出来ていない
当然、吹雪鬼と蛮鬼の、いや、鬼の魔化魍対策のマニュアルとして突く弱点はソコだった
「いくぞ……」
刀弦響を握りしめた蛮鬼が低い声で言う
「ウギ……」
「次はもっと……優しい動物に生まれ変わりなさい」
吹雪鬼は言い残すと、ヤマアラシから離れた。ここからは蛮鬼の独壇場だった
「音撃斬!冥府魔道!!」









「ミッションコンプリート!」
ディスクアニマルを回収した蛮鬼は若干上気した顔で言った
冷静沈着をモットーとしてる蛮鬼だが、まだ21才という青年なのでこれくらいは良いだろう
「アイチチ……!」
「どうしました?!吹雪鬼さん!」
車の影で着替えてる吹雪鬼に駆け寄った蛮鬼は慌てて顔を逸らした
「す、スミマセン」
セーターの裾から吹雪鬼の生足が見えたからだ
「ん?やだなぁ、そんなに目をつぶらなくても。ホラ、ちゃんと穿いてるって」
「め、めくらないでください!早くズボン履いて」
「そんなに見たくないの……?」
「そうじゃなくて!」
明らかにからかわれてると感じてるが、どうしようもない蛮鬼は取りあえず頭の中で円周率を数えていた
「今日は白だよんv」
「……!!サインコサインタンジェントーーー!!」
蛮鬼の絶叫で、せっかく戻ってきた鳥たちはまた空へ旅立っていった
「着替え終わったからコッチ向いて良いよ」
「……本当ですか?」
「私は蛮鬼くんを信頼してるから、蛮鬼くんも私を信頼してほしいな」
そういう言い回しをされては蛮鬼は反論も出来ない
「いや、さっきのアレは静電気がビリってきたからさーアハハ」
もうすぐ桜が咲く季節ではあるが、閑々とした山の温度は底冷えする寒さだった
「斬鬼さんとか、雷使いだから静電気感じないのかなぁー?いいよね〜」
「そんなこと、聞いてみなくてはわかりません」
「冷たい返事。だから私はこんなに厚着しなきゃなんない」
言いながら、胸元をパカパカと開けて空気を入れてる吹雪鬼の、その胸元とチラリと映った白い絹に再び蛮鬼は目をそらした
そんな蛮鬼を見ながら、どうして自分の周りの男はこうもウブなのか?いやそれとも自分がウブな男が好きなのかと
顔を崩さずに考える吹雪鬼である。結論としては「まぁ、面白いからいっか」なのだが
「そう言えば鋭鬼くん、今頃吉野に着いてるころかしら?」
査問会に出頭するために本部である吉野に鋭鬼は今朝向かったのだった
勝手に自分一人の責任にしたのは今思い出してもムカツクのだが、お土産に昔行きつけだった
和菓子屋の和菓子を沢山買ってくる事で手を打ったのだと、吹雪鬼は笑いながら蛮鬼に話した
「……随分と鋭鬼さんのこと、気にかけるんですね」
「ん?だって危なっかしいじゃない?彼」
生き生きといた顔で、その赤く血の通った唇から鋭鬼の名前を出す吹雪鬼に蛮鬼は呟いた
「僕も……危なっかしければ吹雪鬼さんに気にかけて貰えますか?」
「え?」
「なんでもありません。忘れてください」
早口で言い立てると、蛮鬼はケースにディスクアニマルをしまった
「………」
いつもは種類別にディスクを並べる几帳面な蛮鬼が、その時はおおざっぱに仕舞い込んでいた








「……何時間歩かせるんだ?」
駅で鋭鬼を迎えた本部の『金』である高寺という人物は、面倒くさそうに鋭鬼に一枚の紙を渡した
それは鋭鬼が今日泊まる場所の地図なのだが……

       | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
       |                4 |
       |                  |
       / ▲←この山の麓ら辺  |
       /                /
     /               /
     /               /
    /              / 
   /□■□[駅]■□■□ /
 /             /
  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

「わかるかーーー!!」
地図の示す方向にただひたすら歩き続けて3時間、ようやく鋭鬼は不平を漏らした。人が良すぎである
(やっぱり、今回の件で嫌われてるのか?)
日が暮れて段々肌寒くなってきている。盆地は気温を溜めやすい
ましてもう山に入っている訳で、鋭鬼は両腕を手で擦った
「勝鬼さんみたく半袖で正気な人じゃないんだけどなー」
常時半袖で生きる同僚の姿を思い浮かべながら、鋭鬼は溜息をついた




スポーツバックを肩にかけて歩く鋭鬼の後ろ姿を二、三の影が見据えていた
「あれってさ……」
「だろうな……」
山伏の格好をしているが、その装束の色は漆黒だった
修験者というよりは烏天狗といった格好に近い
「ちょっと試してみない?」
「よせよ」
「そんなんだからいつまでも主席になれないのよ」
「別になろうとしてるわけじゃない。俺は今の位置が丁度良い」
二つの影は二、三言い合いをすると、一方が覆面を直すと鋭鬼に向かって跳びだした

「は〜喉乾いた〜。でも自動販売機なんてないよな〜」
鋭鬼は再び溜息をつく
「あれ?そういや財布何処だっけ?アレ?アレ?」
慌てて体中を叩き始める鋭鬼。ようやくカバンのポケットに入っていた財布を見つけるが慌ててたせいか落としてしまう
「ああもう!手がかじかんでるせいだ」
埒もないことを言って身をかがめる
――ストン
「は?」
いきなり目の前に突き刺さった物体。黒光りするそれは……
「これってクナイだよね?あり得なクナイ?」
「流石は本物の鬼ね……私の気配に気がついてさりげなくかわしてみせるとは!」
「!!」
鋭鬼の首筋に冷たい感触
声の距離からしてそれほど長い刃物ではない。小太刀であろう
「オニオニ(オイオイ)物騒なもの突き付けないでくれよ。鬼って何のことですか?」
変身で失敗したばかりなので、出来るだけとぼけてみるのだが通じないらしい
「………」
鋭鬼は困った。何が困ったって、沈黙が一番苦手なのに、相手がそれ以上何も話してこないのにだ
「あのさ、仮にも鬼である俺がこうも簡単に後ろを取られるってあると思う?」
「どういう……」
「後ろ、見てみろよ」
ハッと振り向く影に向かって鋭鬼は当て身を繰り出す
「うっ!?」
「馬鹿正直なんだから」
小柄な鋭鬼では当て身の威力は弱いが、それでも常人以上の筋肉によって生み出された瞬発力は相手を吹き飛ばすのに申し分ない
「これ、物騒だから仕舞っておくよ」
「なっ…」
山伏の持っていた小太刀を腰に差すと、その異形を鋭鬼は見つめた
「天狗でも雪女でもない……まして童子や姫というわけでもない」
「疾ッ!」
山伏の掌拳が飛んでくるが、鋭鬼は半身をずらしてかわした
(二連撃だな)
「疾ッ!」
予測通り、山伏は攻撃をかわされた体制から右足を軸に回し蹴りを展開する
(型通りの動きだが……)
「射ァ!!」
身をかがめて回し蹴りを避けた鋭鬼に向かって、山伏の足は踵落としを実行してくる
ホーミングミサイルのように、しつこく素早く追いかける山伏の足が鋭鬼の肩に直撃する
「う……」
が、その足は元々鋭鬼の頭を狙っていたものだった
「いい体術だ。でも俺みたいなチビに回し蹴りは動作が大きすぎる」
鋭鬼は山伏の顔面に突きだした正拳を離しながら忠告してみせた
「すっぴんを晒して貰おうかな?」
鋭鬼が笑う。しかし有無言わせぬ強い口調でだ
「……失礼しました。関東から査問会に出頭されにきた鬼の方ですね?」
そう答えた声は高く、女の声だった。先程は声を作為的に低くしてたらしい
「キミは……」
「近畿の猛士の『と』が一人、壬生美岬(ミブミサキ)と申します」
軍隊における敬礼のような構えと口調で答えたモノだから、鋭鬼も釣られて背筋を伸ばしてしまった



「ここ、酒呑院寮は猛士本部が出資者となって『角』や『飛車』『金』の育成をおこなっています
 と言っても、創設してまだ十年もたってないのですが……」
自主訓練をしていた所、酒呑院とは逆の方向に向かう鋭鬼を見つけたのだと壬生は説明した
「酒呑院の名前の由来となった酒呑童子を倒した源頼光の配下である頼光四天王は鬼だったとも伝えられています」
「……衒学趣味は壬生の悪いところだ」
壬生と自主訓練をしていた信貴山真矢(シギサンシンヤ)が抑揚のない声で茶々を入れる
その言い回しが壬生の勘に障ったか、押し黙って信貴山を睨み付けたのだから鋭鬼としては居心地が悪い
先程からずっと黙ってる三人目である名和永禮(ナワナガレ)は一向に助け船を出そうともしない
これが日常茶飯事なのか、元々名和が無口なのか、会ったばかりの鋭鬼には計りかねることばかりであった
山の麓道にそびえ立つ建物は、古さは感じられるが、それが気品とも取れる荘厳な建物であった
町中にあれば浮くだろうが、木々に囲まれていると、まるで推理小説にも出てきそうな異世界の空間だった
「もともと院長である光厳寺先生の家の建物なんですけどね」
鋭鬼が感想を言うと、壬生は短く答えた。それ以上は信貴山の言うところの衒学趣味にされられてしまうとでも思ったのだろう
最近では珍しいポニーテールまんまな髪型を揺らして先頭を歩いていく
聞けば、ここの候補生の内主席だという
よくよく自分は才女と縁があると思いながら、すこし気が張りすぎてる感じのする壬生の背中が微笑ましい鋭鬼だった
「関東の鬼って、知られてる?」
「一応、現役の鬼の名前は教えられます。けれども有名と言えば……」
鋭鬼が信貴山に話しかけた時、壬生の足が止まる
何のことはない、目的の場所についたのだ
「院長、失礼します。関東の……鋭鬼さんをお連れしました」
院長室と書かれた部屋の前で、きびきびとした動作と声で壬生は言うと、扉を開ける
「関東じゃ、先ず宗家の威吹鬼さん」
壬生に続いて部屋に入る鋭鬼に、信貴山は続けた
「それから響鬼さん。この二人ならここの人は大抵知ってますね」
「ふぅん…」
当たり前も当たり前だが、自分の名前が無い。少し悔しいというのが本音である
「それから裁鬼さんと斬鬼さん……それに吹雪鬼さんですね」
「吹雪鬼さんが?」
言っては失礼だが、各地を転々とする吹雪鬼は同業の鬼では名こそ知れ、学生の間では知られづらいでのはないかと思っていた
鬼になった最短記録保持者の響鬼や関東一の弦使いを競った裁鬼と斬鬼に並ぶほどの名声があるとは……
「“七弾”も有名ですし……それに、ウチの院長の愛弟子ですから。吹雪鬼さんは」
「え?」
吹雪鬼の師匠……考えてみれば、それが居るのは当たり前も当たり前なのだが
人と人は思いもがけないところで出会うものだと、鋭鬼は単純に驚いていた
「ようこそ。初めまして。いや、来るのが遅くて心配してました。貴方は悪い人だ。初対面の私をこんなに心配させるなんて」
「え…あ…すみません……」
「あ、別に嫌がかって言った訳ではないのですよ。私がここの院長である光厳寺光太郎(コウゴンジコウタロウ)です」
手を差し出した男は、細目で面長の顔をしていた。といっても目が垂れ気味で微笑みを絶やさないので
生き仏のような穏やかさを感じさせる男だった。歳は四十と幾つかと言ったところか
一つ気に入らない所があるとすれば、並み以上に背が高いことだった







生活の上での注意点と空き時間に生徒との修行につきあうという約束を二、三約束したあとで
光厳寺はお茶を啜りながら「あと他に質問はありますか?」と訪ねたので鋭鬼は数度逡巡したあと
ついに切り出した。その間、光厳寺はただニコニコと笑って鋭鬼を見ていたのをよく覚えている
「えっと……吹雪鬼さんの師匠なんですか?」
「ん?」
予想してなかった質問だったのか、光厳寺は一瞬目を丸くすると
「あぁそうだよ。そうか、いま関東にいるんだったね……あの子は」
“あの子”という言い方に、立ち入る合間もなさそうな程の親愛の響きを感じた鋭鬼はそれだけで口を噤んでしまう
「もう…十年もなるんだなぁ……。あぁ、つい感慨に耽ってしまった」
「あの……どうして吹雪鬼さんは鬼に……」
昔、吹雪鬼が語った言葉を思い出す。“鬼になった理由を話すと初恋まで話さなきゃならない”と
吹雪鬼との会話は些細なことでもよく覚えてると、自分でも呆れるが
「ん?結構、長い話になるよ。お酒は飲むかい?」
「いえ、下戸で……」
「ではもう少し茶菓子を持ってこよう」
立ち上がる光厳寺を見上げながら、一つぬぐい去れない思いが鋭鬼にはあった
この男こそが吹雪鬼の初恋の人ではないかと一抹の不安……
まさかと思うのだが、光厳寺の吹雪鬼を呼ぶ声がそう感じさせてしまう
茶菓子を取りに行って戻ってくるまでの時間が鋭鬼にはとても長く感じた






苛ついていると耳たぶを擦るのが蛮鬼の癖だった
「間に合いそうにありませんね……」
魔化魍を退治したあと、“たちばな”で威吹鬼の弟子であるあきらの高校合格のお祝いをやる予定だったのだ
現役大学生である蛮鬼と吹雪鬼の二人は威吹鬼に頼まれたこともあって、あきらの家庭教師をしたりもしていた
「渋滞にガッチリ捕まっちゃったわね〜」
「すいません。もっと空いてる道を選んでいれば……」
運転席の蛮鬼が律儀に頭を下げる
「ふむ……まぁ、お祝いは逃げないって。なんなら後で威吹鬼くんと私達とあきらちゃんでやってもいいんだし」
「それはそうですが」
前の車のランプが消える。僅かに動く車。再び止まる
「あきらちゃん、高校受かって本当に良かった。っていうか、受験受けてくれてよかったって感じ?」
「そうですね」
猛士としての生き方に全てをかけてるようなきらいのあるあきらは、当初は高校を受験する気が無かったらしい
ただ、威吹鬼が言った方がいいと言ったので、尊敬する師匠の言うことならばと
そこは素直で真面目なあきらは不平も言わずに一心不乱に勉強をした
「ちょっと一途で思い詰めやすい子だからね……そういう時期は誰にでもあるけど」
「吹雪鬼さんにもあったんですか?」
「ん?」
腕の時計を見てから、吹雪鬼は背もたれに深く腰をかける
「長い話になるけど、暇つぶしにはいいでしょ」
「どんな話なんです?」
「私が鬼になるまでの話よ……」







――1995年 初夏
京都の小料亭の一室に若き日の文室光太郎は呼ばれていた
呼び出した主は目上の方なので早めに付こうと足を運んだのだが、どうやら先に待っているらしい
廊下を渡りながら、木々に残る僅かな桜色に趣きを感じないではいられない
「久しぶりだな、光太郎」
着流しを着た粋な壮年の男が座って待っていた
いや、その逞しい肉体に騙されそうになるが、角張った顎に生える髭の多くは白い
「これは……荒鬼さんも御息災で何より」
荒鬼と呼ばれたその男は短く頷くと、顎で光太郎を座るように促した
「修行は進んでるか?」
「はい。夏の会合の頃には吹雪鬼を襲名してると思います」
荒鬼は向かいに座る光太郎は慇懃な声で答えた
威圧感のある自分の前でも物怖じしたことが一度もなかったこの光太郎のことを荒鬼は非常に買っている
「そのことだがな……単刀直入に言おう」
「何か?」
「頼みたいことがある」
頭を下げた荒鬼に、これは容易ではないことだと光太郎は察したが
光太郎も荒鬼には随分世話になったし、常日頃から父とも慕っている荒鬼の頼みならば多少の無茶なことでも聞いてやる気持ちでいた
「俺の婿になれ」
「は?」
「頼む」
短く区切って言うと、荒鬼は両の手を畳に付けて頭をさげた
「あ、頭を上げてください」
「では聞いてくれるか?」
「いや、しかし、頭を上げて貰わなくては詳しい話も聞けません」
丁度その時、料理が運ばれてきたものだから、物凄く恥ずかしかったと光太郎は今でも記憶している
「今の俺には息子がいない」
「……はい」
荒鬼の息子は魔化魍退治の際に命を落としている。もう十年以上も前になるだろう
「娘の小佐夜が一人だが……あれを鬼にするわけにはいかん」
それは光太郎もよく知っている。荒鬼の妻との約束なのだ。一人残った娘だけは鬼にしないとの
「俺もいい加減、鬼を続ける歳でもなくなった。だが、半端な者には“荒鬼”を継がせるわけにはいかん」
近畿の鬼は総本部があることからか、その多くが代々鬼を襲名してきた家柄であることが多い
特にこの目の前にいる男の鬼の名、荒鬼は宗家を支える四柱家とも呼ばれる格式の高い家であった
「俺は生まれてこの方、お前ほどの男を見たことがない。あるいはそれは俺の不幸かも知れん」
「恐縮です。しかし……」
事情としては判るが、光太郎の家――吹雪鬼も又、先祖代々から続く鬼の家である
「私は吹雪鬼を襲名するために育てられてきました。今は代理として姉が吹雪鬼を名乗っておりますが」
「そなたには弟もいよう。それに、元はと言えば荒鬼は吹雪鬼の本家筋にあたるではないか」
格としては確かに荒鬼の方が上である。傍目に見れば悪くない話でもある
「吹雪鬼の名は……宗家である威吹鬼から山吹鬼らのように“吹”の名を拝領した家でございます。
 格は下がりましょうが、私はその名に誇りを持っております」
「済まなかった。だが、その誇りを承知で頼みたいのだ」
どうやら“頼む”とは言ってるものの、断らせる気がないらしいと光太郎は察して、どうしたものかと眉をひそめた
「小佐夜の気持ちも無視して……」
「アレはお前ならば祝言をあげても良いと言っている。お前が気に食わんのなら結婚をしなくても構わん」
「方便から入るとは、随分と回りくどいことをしたようで……」
「言うな」
「ご心中察します……」
とは言ったが、続く言葉が出てこない
他に弟子を育てて……などという方策などハナっから頭にないのだろう
ハッキリ言って、引くも地獄、行くも地獄である
断れば非道く男を下げる事になるだろうし、自分は生涯この事で後味の悪い思いをひきづるだろう
そして、自分が荒鬼を継がないとなれば、この向かいの男は決して他の男に荒鬼を継がせず、ついには荒鬼が途絶える事になる
かといってここで「判りました」と答えれば、文室の、吹雪鬼の親族から何やらから何と言われるかも判らない
最悪、勘当も覚悟した上で答えなくてはならないが、それは吹雪鬼の嫡男として育てられた自分の半生の否定だ
「難しい事を押しつけていることは判っている。一両日置こうか」
「いえ、この場で決めます……」
「それでこそ、俺が見込んだ男だ」
それから何分、何時間たったか判らない
しかし、したたり落ちる汗が、初夏の草の匂いを乗せた涼やかな風に当てられて、こんな時だというのに気持ちよかった
「……では」
「うん」
「……これにて、この場より光厳寺光太郎を名乗らせて頂きます」
それだけ言うと光太郎はスッと立ち上がり、出された料理に箸も付けずに立ち去った
そのススとした動作に、改めて光太郎に感心しながら、荒鬼は彼の後ろ姿に向かって頭を下げた










1995年は阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件が起きた年だった
「今年はよいことが続かないな……」
「まだ半分じゃないか。気の滅入ることをいうな」
「う、ん…まぁ、いいことが無いわけじゃない。俺達みたいな若輩も夏の会合に参加出来るというのは異例の事だ」
盛夏の熱い日差しの下で、吉野の本部に勤める若い二人は語り合っていた
「だがな、高寺」
「何だ?」
「ああいう陰気な事件はなぁ……」
「判っているさ。陰の気は魔化魍を呼ぶ。今年や来年の初めまでは忙しくなるだろうな」
アイスコーヒーを飲み干すと、高寺は白倉に「そろそろ行こう」と促した
今年に入って代替わりした総本部の本部長はなかなかに刷新的で、年に1回魔化魍が活動しない日におこなう大総会と
夏至と冬至の日におこなう総会に、希望者全員を入れるとした人だった。総本部で『金』に成り立ての高寺と白倉には全くありがたい事だった
「おい、大変だぞ!」
そんな二人に、彼等と同期の『歩』である男が衝撃の事件を伝えた
「百士鬼が返り忠だ!柊鬼、壱鬼、怒鬼……三人もやられた!」
「なんだって……!?」



その年の夏の総会は重々しい空気で始まった
「………」
「皆の者、すでに聞いてはいよう……」
そう一言目に放った総本部長の顔は、夏の強い日差しに照らされて、苦渋がその場に居た全員に判るほどだった
「何故……百士鬼さんが……」
百士鬼とは当然面識があった。弟も又しかりで、非道く狼狽えていた
「ただ抜け出すなら兎も角、不意打ちで三人も同僚の鬼を手にかけている……鬼祓いは免れないだろう」
「兄上……そんな」
「俺はもう荒鬼だ。兄と思うな」
おそらく、鬼祓いには宗家の鬼たる威吹鬼が――和泉稲妻が当てられるだろう
(もし……その時は、俺も名乗りを上げよう)
荒鬼の格ならば、威吹鬼を鬼祓いでサポートするのは順当な役であるはずだ
「兄上……百士鬼さんを……」
「救ってくれと頼むのなら、その男には頼まない方がいいぞ」
袖にしがみつくような弟に釘を刺したのは朱鬼であった
「荒鬼はすでに百士鬼の殺し方を考えているからな」
「!!」
弟のまさかという目に、沈黙で答える。要らないことをする女だ。だが大した洞察力であもある。年の功か
(勝てるかな……)
百士鬼はベテランと言っていい。天狗や雪女との戦闘経験もある
「……では、百士鬼を破門とし、鬼祓いを行う。行う鬼は威吹鬼!良いな。異論のある者は名乗りをあげよ」
静かに手を挙げた。だが、以外だったのは自分以外にもう一人手を挙げた男が居たことだ
「威吹鬼では不安が残ります。一対一で百士鬼に確実に勝てるでしょうか?」
その若い男は公衆の面前で言い放った
(ものには言い方というものがあるだろう……)
彼の言い分は尤もな訳だが、仮にも宗家たる威吹鬼に向かって「貴方では役不足だ」と言い放つに等しい
和泉稲妻は良くできた人間だから起こりもしないだろうが、その周りの人間までそうはいかない
「本部長……」
別段、その若者を助ける気でもなかったが、ややっこしくなる前に発言をすることにした
「百士鬼は地形をよく心得ています。威吹鬼さんに余計な負担をかけない為にも、私がサポートで入りたいと思います」
「なるほど」
同じ若輩でも、“荒鬼”の言葉には耳を傾けるのが組織というものだ
「兄上……」
「俺のようになりたくないと言うのであれば、鬼にはならないのだな」
本来は吹雪鬼を継がなくていい弟に、今では重圧がかかってることを済まなく思いながら
だがだからこそ手厳しい指導をしなくてはならないとその時は思っていた
「では次の議題だが……開いた三人の鬼を埋めなくてはならない。今いる『と』の中から三人選考を行う」
「反対です!」
「お、おい高寺……」
またあの青年だった。隣の同じくらいの男が出過ぎる彼を止めている
(高寺というのか……)
「現在の『と』の中で変身を習得してから1年以上の人は居ません!そんな未熟な人達を『角』に昇格させるのは危険です
 まして、魔化魍との戦闘で使い物にならなくなってしまえば、対価費用としてこれほど悪いものは……」
「言葉に気をつけたまえ!!」
思わず立ち上がっていた
「また君たち二人かな?」
総本部長は何やら楽しげであったような気もするが、こんな時に周りに気を配る余裕など無かった
「人は物ではない。費用として換算するものでもない!」
「……すみません、言い過ぎました」
案外あっさりと謝った。俺はこの男に対しての評価を変えるべきかも知れないと思いながら続けた
「とは言え、私も彼の意見には賛成です。そのような学徒動員のようなことは……」
「うむ。もっともなことだな」
本部長の感触は良かったように思われた
けれども、その日出た結論は
「現在の『歩』から『角』を三人だす。異論は許さぬ。これは決定事項だ」
「な……」
「尚、その選定に関しては以下の者に一任する。先ず、朱鬼……」
「は!」
「それに荒鬼に高寺君だ。期待してる」
(何を……!!)
思わず立ち上がろうとした俺を抑えたのは朱鬼だった
「冷たい言い方だが、猛士というのはああいうものだ」
猛士という言葉を組織と置き換えても良いかもしれない
俺は若かったから、その割には賢しかったせいもあって、理解できても到底納得は出来なかった



「それから……」
話に一区切りを置いた頃には、光厳寺の持ってきた一升瓶は半分ほど無くなっていた
その外見に似合わず、酒豪らしい
半日歩き続けた鋭鬼は空腹でもあってので、茶菓子の殆どを一人で平らげてしまった
「百士鬼は一度美濃の国境で逃した。跡を追って関東に入った所で鬼祓いに成功した
 尤も、百士鬼にトドメを刺したのは朱鬼で、彼の最期や何故猛士を抜けたのかまでは判らない
 あるいは、その最期を見届けた朱鬼は知ってるかもしれないが……私が知らなくても良いことだ」
言葉を区切ると、光厳寺は一升瓶を見て飲み過ぎたと感じたか、コップを置いた
「そのまま関東に入った。もう一つの任務である鬼に昇進させる『と』探しがあったからね……
 先に言ってしまえば……私はキミに謝らなくてはならないかも知れない
 その『と』こそ……キミの先代の鋭鬼なのだから……」
「!!」



「ココまでは私が師匠に又聞きした話……」
「鬼の裏切り者……百士鬼……」
「とても強い鬼だったそうよ。当時最速の鬼と呼ばれ、響鬼さんの紅のようにその人も百士鬼・黄金っていう形態を持ってたって」
蛮鬼は吹雪鬼の話を聞きながら、百士鬼の気持ちを考えようとした
何を思い、猛士を抜け、かっての仲間を傷つけたのか?おおよそ理解しがたい行動だった
「私はその時……まだ中学生だった……」
「吹雪鬼…さん?」







「かざはなー、何ボーっとしてんのよ?自由時間終わっちゃうでしょ?」
その言い方はいい加減辞めて欲しいと言ったところでどうしようもない
自分の名前は“ふうか”なのだが、“かざはな”と読める。愛称が本名より長くなってどうするのかと抗議したこともあったが
「“かざはな”の方が何て言うの?こう…綺麗じゃん?」
じゃあ“ふうか”という名前は綺麗じゃないのかとも言い返したくもなるのだが
「はいはい、待ってよ〜」
冬木風花は自棄が混じった顔で同級生の所に向かった
「電車、乗り間違えないでよ……」
どこか抜けている友人に向かって注意した。そんなんだから、自分はシッカリしようとしているウチに
仲間内で保護者的な扱いで頼りにされてしまうわけなのだが
「だから〜、そっちの電車じゃないって!!」
まぁ、しっかりしている事は悪くない。中学生活に一度きりの修学旅行なのだから
東京駅の中で、間違った線に乗ろうとする友人達を見咎めながら風花は思った


(……だっていうのに)
東京の電車は何でこんなにも混むのだろう……呆れながら、まぁそれでも賑やかに会話する私達も大した物だと考えてると
お尻の辺りにゴツゴツと角張った手…男の手の感触が当たる
いや、当たるだけじゃない。スルスルと撫で回して来る
ガッツリ食いついてくる訳ではなく触れるか触れないかの位置にある手が逆に嫌悪感を感じさせる
(コノッ……!)
体中の血が逆流し、沸騰しそうだった。見かけこそ清楚でお淑やかな片田舎のお嬢様な風花だが、中身はそうは出来ていない
初めての東京でこんな出来事にあって竦んでしまうような心臓も持っていない
爪が食い込む程、拳を握った風花であったが電車が減速していく反動で蹌踉めいた
次の瞬間、満員電車の扉が開く
(あっ……そういう卑怯な事!)
電車を降りる者、乗る者、こうなっては犯人が何処にいるか判らない
(悔しい!!)
そんな風に意識が別の所にあったからだろう。友人達からはぐれ、人の波に押されてホームに降りそうになった
「きゃっ!」
「風花!?」
電車のドアが閉まる。「まずい!」そう思ったとき、視界が急に進んだ
「わっ?!」
――プシュー
背後からドアの閉まる音がする
「大丈夫?」
関西のイントネーションで聞いてきたのは、風花の手を握って引き寄せてくれた男だった
年は二十代後半に見える。自分から見てすでにオジサン以外の何者でもない年齢だが、どことなく若々しい
格好がというより雰囲気がだ。それでいて老成したような表情も垣間見せる不思議な男だった
背が高い。自分も女性としては標準以上で男より大きいときもあるが、見上げてみるしかない身長差があった
「……どうも」
凄く不機嫌な声だと思った
痴漢の犯人を取り逃がしたからだとは理解してるが、それと助けてくれたこの男は全くの無関係だ
「……楽しい修学旅行で嫌な思い出を共有する必要はないだろう」
「高寺さん?」
連れの男が口を開く
「さっきの駅で降りていったが、警察より怖い人が追っていったので安心しろ」
それだけ言うとその男は、助けてくれたもう一人を引っ張って人混みを移動した
同時に友人達が近づいて話しかけてきたから、あの男はそういう雰囲気が嫌いなのだろうと納得した





痴漢を殴り倒した朱鬼は、虫けらでも見るような目でその男を見た後タクシーを拾うために道路に出た
(百士鬼……)
美濃で百士鬼を取り逃がした後、鬼候補の『と』選考の為に先に関東に入っていた朱鬼は
威吹鬼と荒鬼の追う百士鬼に網を張る役をやっていた
結果的に朱鬼が倒してしまうことになったのだが……
『終わら…ないね……人間、鬼、魔化魍…螺旋地獄を現世で彷徨い続ける……』
(黙れ!)
『どれほど…魔化魍を憎んでも……その炎で焼いても……焼け残った灰は再び形をなして現れる……』
最期の百士鬼の顔は何故か安らかそうだった。勝手な男だ。自分だけ楽になって逝った
――カツン!
「!!」
「鬼の割には悪い顔つきをしてるな」
朱鬼の足下に投げつけられたそれは、一見何か判らなかったが、所々焼けこげてない所を見るにディスクアニマルのなれの果てだと確認できた
「童子と姫のオリジナルか……」
「街中で変身するのか?」
変身音弦を構えた朱鬼に、時代錯誤の大正風の格好をした男女が訪ねる
「生憎、私の優先順位はお前達の抹殺だ」
「そうか。それはよかった」
「私達も遠慮しなくていいと言うわけだ」
男女がそう言いはなった直後、反対の車線に止めてあった車が突如炎上する
「!!」
朱鬼が振り向いた時に見たのは天高く舞い上がったあと、ビルの屋上を駆けていく火の玉だった
「カシャか……ハッ!」
慌てて前を向く朱鬼。そこに男女の姿はやはり無かった
「未熟だ……」
焦げたディスクアニマルを踏みつぶして悪態を付くと、朱鬼はポケットベルを取り出して荒鬼と関東支部である“たちばな”に連絡を入れた




「運わるすぎぃ〜」
隣の友人が嘆くのも無理はないと、風花は思った
「なんで私達の乗ったエレベーターが停止するかなぁ……」
「まぁまぁ、いい土産話でしょ?」
人混みにも飽きたし……等と前向きには考えているが、そこは年頃の女の子なのでもっと買い物を楽しみたかったと思わないでもない
風花達が入った複合施設は5階と6階が工事中だったことから、このエレベーターの停止もその関係で
すぐに元に戻るだろうと楽観的に考えていた
しかし
――ガコン!
「え?」
天井から大きな音と、揺れを感じた次の瞬間だった
身体が一瞬フワリと無重力の様な感覚の後、身体全身全てを押さえつけられたような衝撃が奔ったのは
「う……」
エレベーターの線が切れて落下したのだと認識したのは暫く後だった
「みんな……大丈夫?」
反応がない。気絶してるようだった。中には頭から血を流してる者もいる
風花は武道をやっていたお陰か、上手く受け身をとれたといったところらしい
フラフラと揺れる視界の中で風花は手すりに足をかけながら、天井を開けた
身体が柔らかいとことがひょんな事で役立ったと、こんな状況でも笑ったのだが
暗いはずのエレベーター外部の空間は赤日の光と熱さで満ちあふれていた
「なん…なの?」
「人?……出てくるな!!」
「え?」
鉄の箱の中に響く声を辿って上を向くと、そこには太陽があった
それは日常で見る太陽ではない
理科の資料集や図鑑に載ってるような、赤々と燃え広がり、コロナやプロミネンスを吹く火玉としての太陽だった
「え……」
それが向かってくる
「逃げろ!」
さっきの声が再び命令する
「ドコによ!それに……友達がまだいるのよぉ!!」
「判った!」
それは非道く頼もしげに聞こえた声だった


「判った!」
光太郎は……いや、荒鬼はカシャに迫られる少女にそう叫ぶと、渾身の力で鉄柱を蹴った
重力と反動で落下するカシャを追い抜くと、少女を庇うように立つ
「荒鬼になってからは吹雪鬼の技は余り使いたくないのだが……」
気を両手に篭めると、荒鬼の手が凍りで守られる
「迷惑な所に……逃げ込んでくれた!」
「ギ……」
カシャを受け止める荒鬼から霧が巻き上がる
「ギギギィ!!」
カシャは回転を止めると、荒鬼の手を足蹴りして間合いをとった
「貴方……人間なの?」
助けた少女が、晴れた霧から覗く荒鬼の姿に驚愕の声を上げる
「後で説明はする……先に答えから教えておくと……鬼だ」
「ギャアァァアアアアァァ!!!」
カシャが唾液を撒き散らしながらその鋭い爪を荒鬼に向けて飛びかかる
「鬼?」
少女が訳のわからないといった顔をするのを横に、荒鬼はバックルにささった音撃棒を抜く
「音撃棒“烈旋”」
「太鼓の撥?」
音撃棒を選んだのは、一番被害が少なくて済むからだ。また夏の魔化魍には相性が良い
荒鬼は本来、管の鬼である
尤も、管しか出来ないような男に先代の荒鬼がその名を託す筈がない
「ハ!」
烈旋でカシャの攻撃をいなしながら、音撃鼓『竜巻』を取り付ける
「音撃打“金剛飛燕”!!!」
勝利を確信しながらも、決して力を緩めることのない一撃がカシャに放たれた



「出来れば……エレベーターの線を切る前に倒して欲しかったですね」
“たちばな”の店内で電卓を弾く高寺は、カシャによる損害とエレベーターで怪我をした女子中学生の治療費を計算して溜息をついた
「もう一週間も前の事を、いい加減しつこいな」
荒鬼が高寺に向けて苦笑いするのだが、それでいて睨み付けられたような感覚を与えるのがこの男だった
「東北の朱鬼から文が届きました。『角』に昇進させる『と』としてお墨付きに値する者がいたそうです」
「それを先に言え」
「一応、我々も承諾を得なければ本部には回せませんが」
「朱鬼さんが認めたなら俺は文句は言わないよ。新潟から朝一でやってきたのに、また……秋田だっけ?遠すぎる」
荒鬼は新潟にいる『と』に合って、『角』への昇進に耐えうると判断してきたばかりだった
「再来年には新幹線が開通しますから、随分と近くなりますよ」
「へぇ……」
高寺という男は人間というよりは機械と言った方が納得出来るほどの情報量と計算力を持つ男だった
裏腹に、正確は酷くつっけんどんで、いい加減な個人主義者だった
「その『と』のデータです。目を通して置いてください」
渡された履歴書に荒鬼は目を通す
「冬木藤千代。女。使用音撃は太鼓。コードネームの希望は奮鬼……女性らしくないコードネームだな」
美人なのに……と履歴書を投げる
「……ん。今の言葉は忘れてくれ」
「今の?“美人なのに”と言う言葉ですか?」
「恐妻家と言うわけではないのだが……結婚したばかりなのに、随分と長く家を空けてしまっていて俺は後ろめたいのさ」
憫笑を見せる荒鬼にも高寺は無関心だった
「兎に角、後一人と言うわけです。鋭鬼さんを待ちましょう」
後一人の候補はすでに上がってた
鋭鬼の弟子である江戸英太郎である
今回の鬼不足に付いて鋭鬼に話したところ、鋭鬼は

「あぁ、俺もそろそろAGEなんで元の江夏衛二に戻ろうと思ってたんよ」
「あ、いや、そうではなくて……」
「師匠、それでは鬼の数が増えないでしょう?」
扇子を片手にパンパンと畳を叩いてはしゃぐ鋭鬼を、弟子である英太郎が嗜めた
「あぁ、そうか。でもまぁ、鋭鬼を譲っても“ええき”に!とは思っとったわ」
「師匠……」
「天鬼の奴がよ……」
一回り年上である天鬼を呼び捨てにしながら、鋭鬼は続けた
「アイツの弟子の裁鬼が結構いい働きをしてやがる。面白くねぇ。俺の弟子も結構やれるってトコをみせてやりてぇな」
「では……」
鋭鬼の強烈な個性に当てられて閉口している高寺がまとめに入ろうとすると、鋭鬼はそれを遮った
「まだだ。コイツは後一年は手元に置いておきたいってのが正直な気持ちだ
 技はまだ荒削りだし、何よりコレが無い」
と言って荒鬼に付きだしたのは扇子だった
「は?」
「だからぁ、センスがないって言ってんだよう。笑いのセンスが」
「笑い……」
高寺が冷笑して見せるが、鋭鬼は頓着しない。むしろ英太郎の方が高寺を睨み付けていた
「が、俺も猛士に世話になって長い。ま、俺も猛士の為には結構骨を折ったがね。マジで何回か折ってるぞぉ!」
ガハハと品無く笑う鋭鬼にも嫌な顔一つせずにいる荒鬼が高寺は理解できなかった
人格者という一言で片付けられるような思考回路が高寺にはない
「というわけでよぉ。ま、一週間くれや。みっちり修行させて取りあえず鬼としての格好はつくようにコイツをするからさ」


それから丁度一週間である
「勢地郎さん、みたらし一つ貰えますか?」
店の奥に向かって荒鬼は注文するのだが、返事がない
のれんを押し上げて中を覗くと、勢地郎が電話の受話器を置いたところだった
「あぁ、悪いんだがねぇ……」
「魔化魍ですか」
すぐに出ましょうと駆けだした荒鬼が開けたドアの前に二人の男が立っていた
「丁度良いときに調度してきたぞ!新しい鬼を!パンパカパーーン!」
「鋭鬼さん!」
「そう呼ばれるのも、今日までだろうよ」
一人で盛り上がる鋭鬼を横に、英太郎が魔化魍の場所と種類を聞いた
「結構街に近いですね……どうしました?」
「いや……朱鬼さんに恨まれるかなと思ってさ」
出現した魔化魍の名前はノツゴだった
朱鬼とは因縁が深い








(……鬼)
夜行列車に乗っていた身体は節々が痛かった
「……なぁんで来ちゃったんだろ?」
好奇心は人並みにある方だと思ってはいたが、学校を休んでまで東京に……あの鬼に会いにきた
(人知れず、人を襲う魔化魍と戦ってる……鬼という人達……)
あの後、あの男に――偶然にも電車で助けてくれた男だった人に教えられた鬼の事を反芻する
「アテもないくせに……私は何がしたくてココに来たんだろう?」
冬木風花は呟いた
冬木風花はちょっとした名家に生まれた。江戸時代から続く家の次女で
少し年の離れた姉の名は藤千代。この時知るよしもないが、彼女は鬼になった
そして一回り年の離れた芙実という妹がいた
祖母は男子が欲しがっていたのだが恵まれず、その分、女としても冬木の人間としても恥ずかしくないようにみっちりと鍛えられた
台所に立てば料理人として食べていける程の料理を作れるし、袴を穿いて薙刀をを持てば並の剣士では相手にならないほど強い
礼法作法や琴、生け花、習字、詩歌などもお手の物で、学問においても優秀な成績で通ってきた
それは三姉妹共通してることだが、どうしたことか姉である藤千代は随分と破天荒な性格に育ったし
風花も又、常識人ではあるが良い子ちゃんではないつもりでいる
まだ将来の事を考える程には成長していない。ただ、鬼に出会ったことは僅か15年の人生において尤も鮮烈な出来事だった


ノツゴの鋭利な角が英太郎の腹を貫いていた
「英太郎さん!!」
慌てて助けに入ろうとする荒鬼を鋭鬼が押しとどめる
「死んだらそれまでだ……」
「それはそうですが」
「信じろ。俺を信じろ。俺が育てた英太郎を信じろ!」
そこまで言われて荒鬼に反論の術はない
「お……おおぉぉ!!」
「英太郎!ノツゴは捕食を行う時に口を見せる!そこが弱点だ。口を狙えは朽ちるぞ!」
串刺しのまま振り回される英太郎に鋭鬼のアドバイスが届く
「判り……ましたぁ!」
英太郎はあえてノツゴの角を食い込ませると、距離を縮める
「食いたきゃ食いな!ただし、音撃鼓だがな!!」
英太郎は音劇鼓『白緑』を投げ込むと童子に展開させた
「キャシュアァアァ!?!」
「音撃打……」
鋭鬼より渡された二本一対の音撃棒『緑勝』をL字に構える
「必殺必中!!」
清めの音がノツゴに響き渡る
だが……
「ノツゴを倒すには力不足だな」
もがくノツゴの尻尾の攻撃を払いながら音撃を続ける英太郎変身体を見ながら、高寺は冷静にいった
「ノツゴは上級の魔化魍といってもいい。あれで充分合格だ。新人に一人でシフトを組ませるわけでも無いしな」
荒鬼は言うや否や、音撃弦『光魔』を鞘から抜いた
ノツゴに最も効果のあるのは弦である
音撃震『牙忍』をセットすると荒鬼はノツゴに向けて駆けだした
「音撃斬…閃光結晶!!」
「ギュアアァファガオアオアガジグギャバァ!!」
いつ聞いても魔化魍の断末魔は気持ちの良いものではない
そう感じながら荒鬼は最期の一掻きを鳴らした
後に残ったのは肉片になった魔化魍と、それが暴れて無惨に折られた木や砕けた岩、抉れた大地だけであった
「ギ……ギィ!」
「童子と姫か……逃げたどころで魔化魍を失ってしまえばいずれ消える運命だろうに……
 まあいい。あとは英太郎さんを応急手当をして病院に運ばないと」
高寺が事務屋らしくテキパキと手配しようとしてると、その肩を荒鬼は強く掴んだ
「童子と姫は俺が追いかける」
「要らないでしょう。どうせ……」
「“どうせ”何だ!!」
荒鬼の怒声に眉をひそめる高寺
「万が一にも犠牲者が出たらどうなる?現場を知らない人間が口を出すな」
「……失礼しました。どうぞ。英太郎さんの手当は俺達に任せて」
高寺は抑揚のない声で荒鬼の手を退けた
「……少しは俺にむかついたらどうだ?」
「どういう意味です?」
「普通はムカツクもんだと言っている」
今は余計な口論をすべきでないと思いながら、荒鬼は話してしまっていた
「俺は凡百な人間じゃないつもりなので。荒鬼さんこそ、随分と人が出来たお人柄で」
「コレは地だ」
「俺もです」
こんな辛辣な自分が自分の中にあったとのかと驚嘆していたのは荒鬼の方だった
「悪かった」
「早く童子と姫を追いかけてください。ここは街にも近い」
今度は一般市民に被害者を出さないように……と存外に含んでるように感じられたのは自分の卑屈さだと荒鬼は思い、駆けだした






路上に、それも余り人も車も通らない場所に踞ってる人を見れば助けるのが当たり前だろう
ただし、その踞ってる者は人間ではなかったのだが
「大丈夫ですか?」
風花は声をかける
泥まみれで着ている服もボロボロであったが、それで素通りするほど人が悪く出来ていない
「……う…」
「今、誰か呼んできま……」
「シャアァ!」
首の皮一枚で風花はその者が繰り出した手刀を避けた
日頃の鍛錬の成果だが、これほど鋭い突きにあったのは初めてだった
それに、その伸びた爪は人外の物だった
「シュアアァ!!」
その者の皮膚は硬化し、嘗め光る鈍色となって風花を襲った
「コレって魔化魍?運が良いの、私」
慌てて距離と置くと、家の蔵からくすねてきた小太刀を抜く
「でも分が悪いみたい……」
本当なら槍か日本刀を持ってきたかった所だが、目立つしかさばるので護身用に選んだのが小太刀だった
「懐に入れば……」
アスファルトを尺取り足で距離を詰めると、風花は一気に跳躍し小太刀を大上段に構えた
「ヤァ!!」
童子も釣られて両手を上に向ける
「かかった!」
風花は腰を逸らしながら、腕を引きつけて童子の開いた胴体を狙う
これが日本刀なら胴を真っ二つにするどころだが、小太刀なので、一旦胸に寄せてから一突きを入れる
「ギャアァ!」
「やった!」
余り嬉しくない童子の返り血を浴びながら、風花は勝利の笑みを漏らした
だが
「ギュワアアァ!!」
童子は怒り狂って風花を睨み付けた
「嘘……」
同時に風花は死ぬと思った
逃げれない間合いに入ってたし、この化け物を人間の尺度で考えた自分の愚かさに怒りを通り越して呆れた
どうやら自分は、自分や周りが認める程大した人間ではなかったようだと、何故かそれが一種の欣快にもなって押し寄せた
そでれいながら、どこかボンヤリと他人事のように「死ぬのはいやだな……」と思った
「ガァ!」
――タァーーン
「……ァ?」
風花に向かって吼えた童子は刹那、銃声と共に脳漿をぶちまけて倒れた
「大丈夫……か?」
駆けつけた異形こそ、風花の探している……鬼だった
「間違いない……あの時の鬼だ」
日が暮れかかって、青みがかった荒鬼の身体が何とも言い難い色をなしていた
それが一層、彼をこの現世の者には思わせない不可思議なモノかであるような感覚を風花に与えていた
「あの少女か!?」
荒鬼も気づく
「三度も出会って、三度も助けられた……凄い偶然だね」
「あ…あぁ……」
童子の返り血を浴びた少女が、屈託無く笑う姿に、荒鬼は不覚にも頬に朱が刺すのを感じた
妻に悪いと思いながら、美しいモノを美しいと感じられる人の感性は素晴らしいモノだと
どこか突飛な考えで、自分を許していた
「なんで……ここに居るんだ?」
中学校の修学旅行が一週間もあるななど聞いたことがない
だとすれば何故彼女がココにいるのか
「もう一度会いたかった。何でかはわかんないし……こうして会ったらどうでもよくなったよ」
風花は地面に腰を下ろすと、赤い光を通す黒髪を揺らした
「弟子に……なるか?」
昼と夜の隙間で世界が錆朱色に染まる
そんな刻だったからか、荒鬼は自分でも思いもよらない言葉を吐いていた
「え……」
“弟子”の意味もわからない風花はただきょとんといった顔している
その顔はただの童女の顔だった
「いや…忘れろ」
自分のようにそれが運命なら兎も角、何も知らない少女が鬼になる必要はないのだ
さっきの英太郎、自分が追っていた百士鬼、そして目の辺りにしてきた朱鬼の姿が、全てではないにしろ鬼の姿だ
「忘れないよ……」
「何?」
「もうすぐ……夜になる。月がでる」
「それがどうした」
年の割に大人びいた顔をすると、荒鬼は改めて風花を観察していた
「月は太陽のことをきっと知らないんだろうね」
「ん?」
「月が太陽の輝きを知ってしまったら、月は恥ずかしくて輝けなくなってしまうでしょ?」
太陽はもうその半分を大地の胸に埋めていた
「太陽を探しに来たのか?」
「太陽よりもっと強い光を探しに来たの。きっと」
「……月も太陽の事を知らない。太陽は自分の身を焦がして光りを発している。それより強い光ならなおさらだ」
荒鬼は顔の変身を解いた。始めた会った時とは違ってどこか寂しそうな顔になったと風花は感じた
「いい大人なんだから責任とってよ。弟子にしてくれるんでしょ?」
華やいだ声で荒鬼を追いつめる風花を、それこそ大人の傲慢さで睨んだ
「鬼は各地方で受け持ちがある。俺は近畿の鬼だ。東北に住むキミを弟子にするには不都合だ」
「もう少し、いい女になってから来いって事?」
風花は荒鬼の否定を肯定に受け取って、更に生意気に答えてた
「その時になったら、考えてやる」
“人が出来た”のはやはり地だ……愚にも付かない答えを返した荒鬼は考えた
手厳しく返した方が自分の為だったのだが、そうも出来ないように生まれたらしい

その日、英太郎は“鋭鬼”を継承し、引退を暫し先延ばしにした先代鋭鬼は“延鬼”というコードネームを名乗った






「それが……」
「あやまらなきゃと……ちゃんと修行を終わらせてから英太郎くんに鋭鬼を継がせたかった」
光厳寺は鋭鬼に向かって頭を下げた
先代の鋭鬼が……英太郎が魔化魍との闘いで命を落としたのはそれから数年後の事で、彼が責任を感じる必要も無いだろう
鋭鬼はそう思ったし、それが普通の反応だろうにと、鋭鬼は逆に光厳寺を好意の目で見た
「実ははじめましてと言ったが、先々代の鋭鬼さんの葬式の時にキミを垣間見た事がある
 ……出来れば、こうして猛士として会いたくなかった。どうして……みんな鬼になろうとするのか……」
鬼を育ててる者のセリフではない。だというのに、その言葉がこれほど似合う男は居なかった
そう感じるまでに重厚な存在感を見せる。それはこの男が並の過去を背負ってる訳ではないということだろうか
「遅くなってきた……もう少しだけ続けて、今日は終わろう」





――1996年、春 京都
日傘をさした着物を着た女性が歩いていた
流石は千年王城……古風なものだと感心しながら、あのような人ならばこの判りにくい町もよく知っていようと声をかけた
「すいません」
「はい?」
年の頃は二十代後半といった頃だろうか
振り返ったその顔は、スッと通った鼻と、艶やかな白磁の肌が小顔にキリリと張り締まったようだった
一言でいうならば美人なのだが、やや厳しい感じを与える女性だと感じた
笑えばまた印象が違うだろう……そう頭で考えながら、風花は訪ねた
「ここら辺で荒鬼という名前の人の家を知りませんか?」
「荒鬼……それは光厳寺光太郎のことですね?」
「え?えっと……たしかそんな名前だったかも?知ってるんですか?」
顔だけでない。言い方も随分とハッキリと、迷いなど一つもないかのごとく言う
よく通る声が、切り口上と相まって非道く威圧してくる
「私は荒鬼をよく知っていますが、貴方のことは知りません。どういう用が荒鬼にありますか?」
「弟子入りです」
風花は負けないように強い口調で答えた
「聞いていませんね。でも嘘をつく必要もないでしょう。つくならもっと上手い嘘もありましょうし」
整った眉を微動だにせずにその女性は言いはなった。やはり無駄に手厳しく感じる
「案内する間に貴方のことを聞かせて貰いますがいいですか?」
「構いません。聞かれて困ることなんてありませんから」
「それは嘘でしょう?そんな人間は居ませんよ。それはそれとして、先ず名前から訪ねましょうか?」
「冬木風花といいます。季節の冬に木、風花と書いてフウカと読みます」
「雅な名前ですね。私が知らない名前です。そう、私の名前は小佐夜と申します」
小佐夜はカツカツと草履下駄を鳴らすと歩き始めた。そのペースはあくまで自分のペースで人に合わせようとしない
「弟子入りと言いましたね」
風花が「はい」と答える前に小佐夜は続ける
「あの人が認めたという事ですか?」
「半分」
「半分?」
「後の半分は押しかけです。百の文より一の行動ってばっちゃも言ってたし」
歩く速度を変えないまま、小佐夜は風花をじろしろを見定めるような目で直視してくる
「荒鬼の事をどう思ってます?」
「どうって……まだよく知らないし……」
「よく知らないのに弟子になろうと?」
風花は言葉につまる
「よく知らなくても、感想の一つや二つはありましょう。好きや嫌いと単純なことでもいい
 私は貴方の事を嫌いではありませんよ。ボヤボヤとしてるわけでもないし、勘の強い方でもない」
どこも同じのように見える曲がり角を小佐夜は曲がる。風花は慌てて付いていくと小佐夜は信号を待っていた
「目標……です」
「目標?あの男が?」
「というより、鬼が、です。けど私は鬼をあの人しか知らないし、あの人に……こう、運命的なものを感じます
 目標もなく努力することは、とても辛いことでした。何のために自分を磨かねばならないのかと
 それでも邁進できる自分は少し異常だと感じますが、目標が見つかったら人並みになれるかと」
才能は働かせる場所が無ければ腐ってしまうか毒になってしまうだけである
反対に無能な働き者こそ害悪にしかならないものはないが
「働き者の才覚者は参謀にまでしか慣れませんよ」
「は?」
「似たもの同士ですかね。荒鬼と貴方は」
信号が青に変わる
風花は知るよしもないが、この門を右に曲がれば光厳寺邸はすぐそこである
しかし小佐夜は左に曲がった
「荒鬼という鬼は……猛士発足前から受け継がれてきた由緒正しい鬼の名です
 代々光厳寺家の跡取りが継承してきました。ですから貴方は荒鬼のコードネームは継げませんよ」
「はぁ…」
由緒正しいと言われても、猛士や鬼のありがたさがよく判ってない風花に敬えというのは酷だ
「ま、今の荒鬼のように婿養子という手もあります。貴方の場合は嫁入りですね」
「なっ……そんなこと!……婿養子?そう、だよね……結婚しててもおかしくないか」
「………」
何をガッカリしてるのだろうと風花は自分の心が判らなかった
そんな風花をよそに、小佐夜は続ける
「今、宗家の三男である伊織さまの後見人も拝命しています。ま、貴方が弟子入りできたなら、伊織さまは兄弟子といったところです」
「伊織……」
「最近では……鬼殺しの荒鬼と陰口を叩かれてます。一年前の百士鬼の鬼払い、
 それから本部の意向を伝えて、現役の鬼に破門や引退を勧告する役割を最近ではもっぱら請け負わされていますからね
 実力があると言うことです。その鬼が反対して攻撃してきてもねじ伏せられる実力があるということですから
 もちろん魔化魍も倒していますが。本部も後ろめたいのか、関東から戻ってきた伊織さまの後見などという名誉を与えましたよ」
誰に悪意が向いてるのか判らない言い方だった
荒鬼のようにも思えるし、本部のようにも思える。あるいはその両方か、誰でもないのかもしれない
「あと…そうそう。もう一つ荒鬼の陰口と言えば、随分と気位いの高い奥さんを持ってと笑われておりましょう
 荒鬼の妻はね、先代の荒鬼の娘でした。幼少のころよりなかなかの才幹があって、打てば響くような会話を子供ながらにしていました
 荒鬼は兄が継ぐつもりであり、別段鬼の修行をする必要もなかったのですが、
 先代の荒鬼はおもしろがって兄と一緒に鬼の修行に彼女を連れ回しました。それは彼女にも楽しいことでした
  ところが、ね。先代荒鬼の息子というのが父のサポートで魔化魍と対峙してるときに攻撃を受けて帰らぬ人になりました
 先代の荒鬼の妻は泣き崩れ……一時はひどく夫に対して罵詈雑言、怨嗟呪詛の言葉を吐いたものでした
 誰が一番辛いか判りますか?それを見ていた一人残された娘です。兄を失い、父を呪う母を見なければならなかった娘ですよ」
風花は言葉を発せずにただ聞いていた
「……その娘は、鬼になりたかった。死んだ兄の代わりに、死んだ兄が安心できるように。そして自分の為に
 例え兄が荒鬼を継いでも、別の名で鬼になろうと思っていましたから。子供心に
 だから、兄が死んだ後は彼女は彼女なりに必死になって修練を積んでいました
 けれど、息子を失った先代荒鬼の妻は、一人残った娘だけはもう危険な目に遭わせず、ただの女として幸せになって欲しいと望みました
 そういう母の思いを、娘はどうして裏切れましょう」
再び曲がり角に差し掛かった。横に見える信号が黄色に点滅してるから、
もうすぐ横断歩道を渡れるだろうと思ってると、小佐夜は普通に右に曲がったから風花は少しあせった
「それで、荒鬼の血を絶やすことは出来ないと思った先代の荒鬼が連れてきたのが今の荒鬼です
 筋目も悪くない……元々は吹雪鬼を継ぐ文室家の嫡子でしたから
 それだけなら、娘は反発したことでしょう。自分より劣る者が本当は自分が手を伸ばして取るつもりだった
 荒鬼の名を軽々と取っていったのですから。それはまぁ、思慮足らずな事ですけど
 彼とて、吹雪鬼を継ぐ筈だったのに先代荒鬼の横やりで、無理矢理に婿養子です
 でもそういう彼の気持ちに気づけないほど、まぁ娘の心も幼かったのでしょう
 今の荒鬼――文室光太郎の事は娘はよく知ってました。幼なじみともいうか……光厳寺と文室のままなら
 それは淡い恋心の成就だったでしょう。文室光太郎はそれこそ兄をも勝るような努力と才覚を持ってた方でしたから
 非道い話です。筋目も悪くなく、鬼としても私より優れ、荒鬼の名も持っていった。娘に残ったものはなんでしょうか」
「………」
「そういう捻じ曲がった娘――妻の、ついつい辛辣になる言葉に一々怒りもせずに付き合う荒鬼を見るに、自分に矮小さを感じずには居られないでしょう
 でもね、その娘はそういうことでしか、もう夫に甘える方法を知らないのですよ……着きました」
名家だけあって光厳寺邸は、なかなかに古く立派な建物だった。
もっとも、風花の家も同じ事がいえるので気後れはすることがない
「ありがとうございました」
「……荒鬼は良い人ですよ。師事すれば、よい鬼になれるでしょうね。鬼になりたいですか?」
相変わらずの切り口上で彼女は聞いてきた
「はい。光厳寺小佐夜が、子供の頃に憧れたように」
風花もまた、負けないように強く答えた




風花が訪ねてきた後、もう光厳寺の家にすっかり馴染んだ荒鬼は夕食を居間で取っていた
「約束はしたが……忘れるようにしていた」
「ひどい人」
茶碗に御飯を盛った後、荒鬼に差し出した小佐夜は笑いもせずに返した
「むぅ……まさかコッチの高校を受けるとはな。追い返す口実が思い浮かばん」
向かいに座ってる和泉伊織も、その幼い顔を捻っているようだった
「もしや、追い返す策でも考えていますか?伊織さま」
「はい」
ハキハキとした声で無邪気に答える伊織だったが
「そういう事は、幼い者が考えることではない。子供が大人になろうとするな」
婚約からもう一年経とうとしてるが、荒鬼と小佐夜の間にまだ子はない
けれども荒鬼は存外子供好きな性格で、かつ教育好きな性格のようだった
「いいではないですか。なかなか将来有望に見えますが」
「うん?」
「後ろめたいことでも?」
性格はコレだが、旧家のお嬢様として教育を受けてる小佐夜は俗に言う女の仕事を嫌がる訳ではない
煮魚の禅を運んでくると、荒鬼と伊織の前に並べて、あとは自分も食事を取ろうとする
「まさか自分の半分も生きていない娘に……」
「あら、彼女が娘だから後ろめたいのですか……」
「………」
ここで「キミがそう言うことを気にするのではと思った」等と言おうものなら
小佐夜は際限なく言葉の端々から揚げ足を取り始めてチクチクと一々正しい事を言い始めるだろう
それが判ってるから荒鬼はただ黙った
悪い女ではない。まぁ、男にとってよい女でもないが
「男は忍耐だな、伊織」
唇を曲げて伊織に荒鬼は愚痴る
まだ十かそこらの伊織は、生真面目に「はい」と答えたのだった
(うぅん……歳は離れてるが、兄弟弟子で競い合わせるのは悪くないな)
明日、再び訪ねてくる風花を弟子に迎え入れる決心が付いた荒鬼だった




――それから数年
その日、高校から帰ってきた風花(当初は寮に住んでいたが、今は光厳寺邸に住み込みで暮らしている)は
玄関に荒鬼以外の男物の靴があることに気がついた
「鬼を……辞める?」
「それで威吹鬼の名を伊織に継がせたいと思って……」
「判りました。伊織を宗家にお返しします」
客間で荒鬼が話していたのは威吹鬼――伊織の兄である和泉稲妻だった
孔明(昨年生まれた荒鬼の一子)の世話で手が離せない小佐夜に変わって
茶菓子を持って行った風花は偶然にも二人の会話を聞いてしまう
「辞めるんですか?まだ現役でいけるでしょう?」
「いや……どうも性分じゃないんで……」
と相変わらず人見知りの激しいこの青年は、風花の目も見ずに答えた
「それで、今度の任務には伊織を連れて行こうと思いまして……戦ってる“威吹鬼”の姿を見せておきたいんです」
「“任務”?魔化魍退治ではなく……か?」
荒鬼は綺麗に手入れしてある顎を撫でた
初めてあったときも三十幾つに見えなかったが、今でもそうだ。二十後半で通ると風花は思った
一方の風花は、昔から早熟であったが、最近ではめっきりと大人になった。美しくなったと言い換えても良い
それでいて男っ気がなく、割かし荒鬼にべったりなものだから、要らぬ噂まで立てられている
まぁ、荒鬼に対して恋愛感情がないかと言われれば正直な話、嘘であると風花は自覚していた
「朱鬼さんの件、ようやく決定しました」
「威吹鬼さんと俺が狩り出されるあたり……破門ということだろうな」
「はい……」
朱鬼が弟子である財津原蔵王丸ごとノツゴを攻撃した事件は、当の蔵王丸が事の子細を黙していたせいもあって、
本部の決定が難航していた。結論としては蔵王丸の傷は精密検査の結果、音撃によるものに間違いないと判断され
朱鬼は懲罰査問会を待たずに破門に決定した……それが前日の話である
「破門か……査問会ぐらい開いてやればいいだろうに」
「朱鬼さんが大人しく現れると思いますか?」
「……そうだな」
後で聞いた話だが、朱鬼の破門を急いだのは高寺であった
高寺と白倉は今や、若くして本部での重要な職にある出世頭だった
「それで……です。朱鬼さんが大人しく捕まるとは思えません。だから偽の情報を流します
 『ノツゴ』が出たと……おびき寄せたところで、朱鬼さんを拘束します。僕と荒鬼さんと吹雪鬼さんで」
「姉さんもか……」
吹雪鬼の名は、未だ荒鬼の姉が代理で継いでいた。もうすぐ弟も継ぐのに申し分ない力量になるだろう
荒鬼はあれだけ教育好きな男であったが、この弟だけは一度も指導をしていない
光厳寺の人間として文室に関わるのは無用というけじめらしい
「三人だけではなく、“飛車”や“と”もサポートします」
「まるで獣狩りですね」
風花が冗談めかして言ったのだが、威吹鬼と荒鬼は黙ったままだった







山里の小屋に隠れた荒鬼は、朱鬼が誘き出されるのを待つ間、隣の高寺に声をかけた
「コレを考えたのもお前だそうだな」
「えぇ……」
「後味が悪いぞ……」
「余り味覚は重視しない方ですから……」
いまではデスクワークが主な高寺が、現場に来るのは珍しいことだった
この男は近ごろでは内部粛正と経理改革で辣腕を振るっている
どうやらこの男は中央集権主義者だったようだ。個人主義と組織主義が同席してる
魔化魍に対するために強力な鉄の組織を作り上げる……それがこの男の理想だった
高寺の持つ携帯電話が鳴る。このころはまだ珍しいソレを、組織に取り入れたのも高寺だった
「……吹雪鬼さんは間に合わないかもしれません」
「そうか」
理由を聞く必要もない。事実として間に合わないということがあるだけだ
吹雪鬼のサポーター兼弟子である弟の事を思えば、こういう汚れ仕事を見せないで済んで良かったと思わないでもない
「そういえば、白倉と吹雪鬼さんは……随分と仲が良いようで」
「意外だな。人の噂に興味がある奴だとは思わなかったが?」
「噂に鈍感な者が組織を運営するのは不幸ですよ。ま、一番よく聞く噂は俺の悪口ですが」
けろりとした顔で高寺は話す。反対に白倉は良い噂を多く聞く
彼は人当たりが良く、後輩の面倒見も良いことで人気があった
「それと同じくらい聞く噂が荒鬼さんと風花の不倫疑惑ですが」
「人の弟子を呼び捨てにするな」
「そんな事言ってるから……来たみたいですね」
現地の「歩」に案内される女性の姿は間違いなく朱鬼だ。殺気走ってるのは相手がノツゴと聞いたからか
後は、荒鬼他、反対側に潜んでる風花や、威吹鬼らの包囲網に誘い込むだけだ
「よし……いいぞ……上手くやって……」

「キシャアァァァァァァァァァァァーーーー!!!」

「何!?」
「ノツ…ゴ?!」
競り上がった大地の殻を破って現れたのは、サソリのような尻尾とクワガタムシのようなツノ、巨大な身体をもつノツゴだった
「馬鹿な……本当にノツゴが現れたというのか……」
「高寺、作戦は中止だ。待機してる鬼全員でノツゴを仕留める。他のスタッフは村人を避難させろ」
当然のことながら、ノツゴが出たというのは嘘の報告なので村人は残ったままだった
「駄目です」
「!!?」
いつのまにやら背後に居たのか、若い男が立っていた
見覚えが無いわけではない。たしか白倉が可愛がっていた本部の「と」だ
「これも作戦の内です」
「何!」
荒鬼は高寺を睨み付ける
「知らない……俺は知らないぞ!!」
荒鬼が初めて見る高寺の慌てた顔を余所に、その男は極めて事務的な声で辞令を伝えた
「現時点を以て、本作戦の指揮官は白倉さんに移ります。これは本部の決定です」
それで全てを察したのか、高寺は壁を強く叩くと絞りだすような声で呻いた
「あのクソジジィども……ッ!!」



あのノツゴを追い込んだのは本部の別働隊だった
ノツゴと朱鬼を戦わせて両方が疲弊、あるいは一方が一方を倒した後に、もう一方を拘束する
「拘束……?」
「現時点で本部にノツゴの生きたサンプルがないからな。好ましい事態は、ノツゴが朱鬼を倒すパターンだ」
白倉が言い終わるか終わらないかの時に、風花は彼の襟首を掴んで壁に叩きつけていた
「ふざけるな!その為に村民の皆さんは……」
「人柱さ……」
「お前は魔化魍か!童子か!姫か!どれにせよ人間じゃないでしょう!!」
「風花さん!」
風花と一緒に待機していた伊織が、彼女を抑えようとする
それを振り払う風花の柔らかい脇腹に冷たい鉄が当たる
「生身で鉛玉を喰らえばただでは済まない……」
「白倉さん……そんな人だったの」
かろうじて言い返す風花とは対照的に、伊織はまさしく開いた口が塞がらないといった感じだった
「私だって好きでやってる訳じゃない!こんな作戦!」
村全壊の責任は、作戦の前責任者である高寺が負わされる
高寺の失敗を白倉がフォローして大事には至らなかった……それが本部の用意したシナリオだった
「それを……呑んだの?」
「断れなかった……私がやらなくても、別の誰かがやるだけだ」
「白倉ァ!」
「免罪符になる訳じゃない!だが、高寺に引導を渡すのは私の方がいい。本部に恩を売って……私がアイツの代わりに登り詰める!」
「そんなことじゃ…ないでしょう!」
細身の腕のドコにこんな力があるのかと思うほどのパンチが白倉の頬を殴りつけた
「人が死ぬかもしれないんだよ……それを守るのが鬼でしょう!猛士でしょう!」
すぐさま白倉の部下が風花と伊織を拘束しようとした
「離せ!」
「拘束はいい!変身音笛を奪え!」
それは宗家の伊織を拘束する訳にはいかないという判断だったのかも知れない
けれども、白倉にそこまで冷徹な命令を下せるとは思えなかった
この命令は彼の甘さと優しさだろう
「!!」
しまったと思ったときにはもう遅かった。風花と伊織の音笛は奪われる
「キミが一番聞き分けが無いと思ってた……そして、無茶して出ていって死ぬかも知れないとも」
「自分の手を汚さないで沢山殺しておいて、目の前で一人救ったからって……」
「偽善だろうと……多少は心が軽くなる」
「吹雪鬼さんをワザと遅れさせたでしょう?」
心底軽蔑するような顔で風花は白倉を見下ろした。伊織もまた、無言で白倉を睨んでいた
銃口が風花を向いている
「何も……言うまい」
「言う立場にないんだよぉ!!」
風花は叫んだ





「わあああぁぁあぁぁ!!」
ノツゴに叩きつけられた朱鬼は、身体をトタンの小屋に埋めながら憎き仇を睨んだ
「ノツゴ……おのれ……ノツゴォ……」
そんな朱鬼など眼中に無く、ノツゴは暴れ回り、村人を追い立てていた
もっとも、村人の安否など眼中に無いのは朱鬼も同じであったが
「えっ……どうして?」
その凄惨たる舞台に、裏方で待機する役者も含めて出尽くしたかと思われた
だが、その現れた二人は確かに出演予定の二人だった
「吹雪鬼かッ!?」
オフロードバイクに跨った吹雪鬼とその弟の姿に、それでも手を出すなと気勢をあげる朱鬼
「……朱鬼さんを抑えといて。おかしいな?どうして威吹鬼さんや光太郎がいないの?」
弟に指示を出しながら、変身音笛を吹雪鬼は鳴らした


「どうするんです……?」
嘲笑うことが白倉への抵抗だった。流石に隣の伊織はそういう相手を罵る芸当が出来る育ちではないようだったが
「うぅ……」
「あのノツゴ、強いですよ。突然変異種みたい。朱鬼さんも歯が立たなかったんだから……」
風花が挑発したその次の瞬間、外を見張っていた白倉の部下が声を上げる
「吹雪鬼さん!」
次に聞こえたのは、建物の中まで聞こえてくる吹雪鬼の悲鳴だった
「!!」
声にならない声を上げた白倉と同時に、風花は周りにいた白倉の部下を蹴り倒すと外に向かった
「待て!」
「待たない!」
掴みかかる白倉の部下を伊織が食い止める
「風花さん!行って!」
「音笛も無しにぃ!」
「あるからやるんじゃない!私が猛士で学んだことよ!」



「シィー…ヒィー…シュー…」
吹雪鬼の呼吸は明らかにおかしかった。ノツゴの攻撃で貫かれた胸が痛々しい
呼吸器系がやられたのだと、吹雪鬼を抱える文室変身体は焦った
「大丈夫!?」
「冬木さん!」
風花が駆け寄る頃には吹雪鬼の変身が解けていた
もはや鬼の身体を維持する気力すらないのだ
危険だ……吹雪鬼の裸体を着ていたパーカーでかくしながら、文室変身体に安全な場所に移動して応急手当をするように支持した
「でも冬木さん……」
「これ……借りるわよ」
吹雪鬼の変身音笛だ
特に認証とかは必要のない代物、問題ないはずだ
振り返れば、ノツゴに強襲する威吹鬼と荒鬼が居た
「風花!危険だ、手を出すな!」
荒鬼が背中越しに命令するが、聞くつもりはなかった
あの背中……あの背中を見て彼女の人生は変わったのだ
ここで守られては、ここの数年の意味が無くなる
冬木風花は変身音笛を吹いた
氷雪が風花を包み、裂帛の気合いと共に弾け飛ぶ
「ハァッ!」
現れたのは縹色に白のラインを持つ鬼……見習い
「せ、成功したぁ〜」
若干気の抜けた声を出しながら、吹雪鬼の音撃管『烈氷』を手に取り、ノツゴに向かって駆けた
実を言えば、最近変身できるようになったばかりで、三回に一回は失敗してたのだった
(私ってば昔から悪運が強いってばっちゃが言ってたもんね!)
「風花!」
この荒鬼の言い方は、決まって風花を怒るときの言い方だった
この時も風花は怒られる!?と思った。しかし
「管の鬼の三重奏を決めるぞ!」
「師匠……」
「良いんですか?荒鬼さん!」
威吹鬼が確認する。風花に出来るのかと
「こいつは……鬼だッ!!」
ノツゴのツノを蹴り、木の上に身を構える荒鬼
「出来ます!」
威吹鬼と荒鬼と自分が丁度正三角形を描く位置に風花は陣取った
「うぅ……」
「!!」
瓦礫の下敷きにされた村人の姿がソコにはある
魔化魍に対する怒りが荒れ狂う龍のようになって風花の全身を奔った
「風花!力むな!」
「師匠……ッ!」
「お前のここ一番での勝負強さ、買ってるぞ!」
威吹鬼、荒鬼、風花変身体がそれぞれ音撃鳴を音撃管に装着する
ノツゴの身体には威吹鬼と荒鬼の撃った鬼石が嫌と言うほど埋め込まれてはいるが、果たして堅い殻に覆われたノツゴに効くかどうか……
否、三人の音撃が共鳴すれば効かないはずが無い!
「音撃射…疾風一閃!」
「音撃射ァ鬼岩一閃!!」
「音撃射!凍衷華葬!!」
山に笛の音が共鳴し響き渡る
「ビェギュシャアァアアーーーー!!!」
(いける!)
荒鬼が手応えを感じた時だった
(音撃が弱まった!?)
威吹鬼が風花変身体を見る
(……うっ……初めての音撃には……スタミナが足りない……ケドォ!!)
腹に力を為、大地を力の限り踏みつけた
強い意志。鍛えられた身体、地球と共鳴する感覚、その三つが響くとき、鬼は初めて清めの戦士となれる
(頑張れ……風花ァ!)
風花ならば出来る。荒鬼は疑わない。信じておのれの音撃を一層強く吹いた
――ブワッ!!
ノツゴの巨大な身体が宙に巻き上げられた
三方からの風が上昇気流を起こし、絡み合い、竜巻となってノツゴを引き裂こうとしていた
「ギュブエェエェーーーーー!!」
遠心力によって贓物が身体の外に引っ張り出される苦痛をノツゴは味わっている
だが、その苦痛ももうすぐ終わる
自らの死をもって……
魔化魍に理性があるかは判らない
ただ、諦めにも似たようにノツゴは暴れるのを辞めた
ある種の静寂が訪れる
だがそれはただ一人の復讐者によって破られた
「ノツ…ゴォォオォォォ!!」
(朱鬼さん!?)
(余計なことをっ)
(えっ……)
朱鬼は音撃弦『鬼太樂』を構えると、上空のノツゴに向かって怒声を発した。それはまるで獣のような声
「音撃奏ォォォォォォォォ震天ンンッ動地ィイィィィィ!!!」
矢のような速さでハーブ型の音撃弦から放たれた清めの音がノツゴを突き上げる
「ギュギャゲァアアァァァァーーーーーー!!」
「威吹鬼さん!風花!音撃をやめろ!!蓄積された余剰エネルギーが爆発を起こすぞ!!」
ノツゴの断末魔に掻き消された荒鬼の声は悲痛だった
そして
――カッ!
光が満ちた






後には惨々たる光景だけが残った
焼けこげた木造家屋、焦げ付いたトタン、もう二度と実をなす事はないだろう柿の木
そして、多くの呻き声
元から犠牲者を想定してた猛士の救急活動は早かった
けれども取り返しのつかない……
「引き継ぎは完了した。本部での事務処理が残ってる。一緒に来てくれ、高寺」
白倉の感情を殺した声に、高寺は黙って従った
「アンタ達、待ちなさいよ!こんな事するからみんな死んじゃうんでしょう!!」
それが風花の精一杯の叫びだった
風花も又傷ついていた。添え木をした腕を、首から吊している
「朱鬼の護送は任せます」
風花の怒りを受け止めずに、白倉は威吹鬼にいった
直接の元凶である朱鬼はうなだれたまま、動かない
流石にこの事態に答えてるのだろう
逃走防止に張られた封印の札と、身体を巻く鎖が、罪人のようだっった
「まだ……鬼を続けたいか?」
傷ついた風花の肩を荒鬼が抱きしめる
「言ったはずだろ。強い光は……」
「今更やめることが出来ないのは見ればわかるじゃない。魔化魍の事を知ってしまっては戦うしかないじゃないの!」
「風…花……。冬木風花……」
荒鬼は風花の艶やかな髪を煤で汚れた手で抱いた
鬼になって……後味の悪いことばかりじゃなかった
妻や子を愛していたし、魔化魍を倒して人に感謝されるのは嬉しいことだった
和泉伊織やこの冬木風花の師匠になれた事は幸福な事だった
だから……
「俺は……これからも鬼だ……」
「私もです……師匠……」


そんな二人を仰ぎ見る伊織に、兄である威吹鬼は声をかけた
「伊織……悪かったな」
「いえ……とても……勉強になりました……」
風花よりもさらに若い……なのに気を張ってるその肩を威吹鬼はポンと押さえつけた
「気を張るな。……命を大事にしろ。他人のも、自分のも。それ以外はもっと楽に構えてていい」
「こんな時にそんなことは……」
「こんな時だからだ。な?伊織。お前の笑顔はいい顔なのだから」
弟の今にも泣き出しそうな顔を見ながら、威吹鬼は戦う決心をした
鬼として魔化魍と戦うのではなく、宗家の人間として猛士と戦うことを





夜も更けたというのに“たちばな”の店内から明かりが漏れていた
「ま〜だやってる。案外、主賓のあきらちゃんは帰ったあとで弾鬼くんあたりがどんちゃん騒ぎしてそうだけど」
「……あの、その後はどうなったんです?」
「ん?ちょうど区切りがいいとこで“たちばな”に着いたじゃない?また今度ね」
吹雪鬼は助手席のドアを開けると、蛮鬼に「早く早く」と促した
弾鬼ほどではないが、吹雪鬼も馬鹿騒ぎは嫌いじゃない
その笑顔に何やらはぐらかされた感じもしないではなかったが、蛮鬼は諦めて車を降りることにした
荒鬼の事などは調べれば幾つかの事は判りそうだが、吹雪鬼の“また今度”を蛮鬼は楽しみにすることにして車のエンジンを切った







「今日はここまで……かな。私も帰って妻や子の顔を見たいしね」
院長室の机のライトを消すと、光厳寺は微笑した
その笑顔が今は寂しそうに見える
「査問会は気にしなくていいよ。そんなに手厳しい罰があるとは思えない
 ま、ゆっくり京都奈良見物をしていくといい……暇が出来たら私が案内しよう」
光厳寺は鋭鬼が泊まる部屋の鍵を出すと、案内するといって部屋を出た
その後ろ姿を追いかけながら……吹雪鬼も、こうして彼の背中を見ていたのかと愚にもつかない思いが鋭鬼の頭をぐるぐると回った
「ここだよ。端の部屋になるね。眠たいだろう?……というか、一応ここは寮だから、生徒達に模範を示して貰わないと」
お酒を飲んだからか、光厳寺はほんのりと赤い顔をしていた
寝ろと言われたが、彼の話を聞いた後で寝れるだろうか……
今は放っておくと現れる光厳寺への見当違いな嫉妬を抑えるので精一杯な鋭鬼には判らないことだった







―― 仮面ライダー鋭鬼 十二之巻 ――
「 仮面ライダー吹雪鬼 壱 〜鬼を継ぐ者〜   完 」