城戸君…。
あなた、何の為にこの世界を守ろうとして命を落としたの?
この世界は守るだけの価値があったの?
桃井令子は空を見上げ小さく呟いた。
『人殺し』 『死ね』 『化け物』
令子の目の前、荒れて廃墟化した喫茶店の壁には、憎しみの言葉が何百と書き記されている。
刃物で文字が抉られた壁にそっと手を置く令子。
…それでも形が残っているだけ、ましかも。
先に取材した神崎邸は放火で焼け落ち、煤けた瓦礫だけが地面に突立っていて…。
──あの雪の日の後。
怪物による街の破壊と殺戮の後には、
今まで確かだと信じていたものを失った人々が残された。
傷付けられた者、残された者の、行き場の無い怒りは癒される事無く、暗く澱み、増していき
遂にその重さに耐えられなくなった時に暴発した…。
吹き荒れる黒い思いは、誰かを生贄にその熱を鎮めるしかなかった。
人々は、神崎に、優衣に、ライダー達に、その責任を求め
ライダーに関した多くの場所や人が多大な被害を蒙った──。
人が街に与えた無残な傷跡を前に、つい弱音を吐いた自分に喝を入れると
令子は気持ちを引き締め、令子個人から報道記者桃井令子に心を戻し
冷静にカメラを構え始めた。
2003年1月19日。
『この戦いに正義は無い。そこにあるのは純粋な願いだけである。その是非を問える者は…』
中心街で起きた信じ難い出来事の第一報が飛び込んできた時、
OREジャーナル編集長大久保大介は眠さ半分興奮半分で徹夜したまま
城戸真司から告白された「仮面ライダー」の話をまとめあげている最中だった。
大久保から報せを受けた令子はすぐに城戸に連絡を入れたが
幾ら携帯を呼び出しても繋がらないので、使えない後輩の事は諦め
島田奈々子に城戸宛の伝言を託すと浅野めぐみと二人だけで銀座に向った。
現場を一目見た瞬間、今までの軽いお喋りも途絶え呆然となる令子達。
容赦無く砕かれた窓ガラスや、ヒビの入った建物、まだ燃え続ける車…。
あちこちに飛び散る赤い飛沫…。横たわる物言わぬ幾つもの身体…。
爆弾テロでも起きたのかと思わせるその惨状に、令子は言葉を失い、
最初は「すごーい!」を連発していためぐみでさえ
場の持つ深刻さに飲まれたのか、おとなしくデジカメを回し出した。
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同時刻。浜崎実加は、昼休みに学校の食堂のTVで
遠く東京で起きた大惨事に紛れて小さく報道された「連続殺人犯射殺」のニュースを見た。
浅倉威の名前に顔色を変えた実加に気を使い、級友達は今日は早退するよう彼女に勧めた。
怪物を警戒し寮まで見送ってきた保健の先生に
実加は明るく「大丈夫です」と告げたが、女医はすぐに
この子は快活そうに見せようと精一杯元気良く振舞ってるだけだと気付き、心を痛めた。
凶悪な殺人鬼の死に世間が凱歌をあげたその夜
世界でただ一人、浅倉の為に泣いた少女が居た。
午後遅く、足取り重く令子は編集部に戻った。
一心不乱にキーを打ちながら時折こぼす令子の愚痴から、
約束の場所に北岡秀一が現れなかった事を知った奈々子達が騒ぎ出した。
めぐみと奈々子は訝しがる令子を強引に車に乗せ、大急ぎで北岡の法律事務所に駆け付けたが
時すでに遅く、動かなくなった北岡を前にめぐみは絶叫し、奈々子は床にしゃがんだ。
遺体を前にすすり泣く奈々子と、泣き喚くめぐみを見ながら
令子はまだ事態が飲み込めなかった。
「こうなる事は前から知ってたの」と、涙でくしゃくしゃになった顔で奈々子が告げても、
令子はまだ目の前の姿の意味を受け入れる事が出来なかった。
白いバラを一輪胸に乗せ、ソファーに横たわる北岡。
まるで眠っているように穏やかなその顔を見てるうち、
古いレコードの針飛びの様に途切れ途切れに令子の耳に甦る
北岡の悪戯っぽい誘いかけや、不意に真剣になった時の厳しい口調、
意外に無邪気な笑い声、調子外れな鼻歌、そして…
── I see trees of green, red roses too
── I see them bloom for me and you....
北岡を待つあいだレストランで流れていた「What a wonderful world」の一節。
ゆっくりと浮かんでは消えていくそれらに合わせ、瞳にも映しだされる様々な場面。
北岡さん…。私、あなた自身の事、あなたが心に抱いた思いを、まだ知らない…。
北岡さん…。あなたともっといっぱい話しておけば良かったって、そう思っても…。
北岡さん…。北岡さん…。北岡さん…。
…私はまだあなたの事を何も…。
過ぎ去った幾つもの思い出が、熱い雫に身を変えると
令子の頬をゆっくりと滑り降りていった。
大久保が令子の取材を元に記事を執筆してる最中、警察から城戸真司に関する報せが届き
やっと気分を落ち着かせ化粧を整え直した奈々子のアイラインを再びぐだぐだに崩した。
警察から戻った奈々子もめぐみも令子も、三人共沈み込んで仕事がはかどらなかった。
大久保はとっておきのシャレでみんなを笑わせようと試み、かえって沈黙を呼び込んだ。
不機嫌な顔で、それでも無理に場を明るくするのは止めて淡々と記事を打ち込み出す大久保。
その姿に向って「真司君があんな事になったのに…編集長って冷たい」と呟くめぐみ。
「バ〜カ言ってんじゃないぞぉ?生きてる俺達が動かなきゃ誰が動く?俺達は記者だ。
貴社の記者が帰社して、機関車みたい馬力上げてスクープ書かないでどうするよ?」
「編集長。そのシャレも氷河期」奈々子もトーンが低いまま机に突っ伏して呟き返す。
編集長とめぐみ達とのやり取りを聞いた令子はすっと立ちあがり、取材に行きますと告げた。
「編集長の言う通り記者の努めは報道する事です。ここでぐすったら真司君に申し訳無いわ」
「いいからさ令子。無理すんな。泣きたい時は思いきって泣け。お前が一番涙をこらえて
耐えてるのは判ってるって。それでお前が心を壊したら、真司だって浮かばれねえよ」
泣きたいのは大久保も同じだったが、目頭を押さえる令子の姿に笑いかけると入力を続けた。
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何が起きているのか、何が起こったのか。人々には見当もつかなかった。
それでも多量に残された現場の映像は、事件以上に世間を震撼させた。
携帯や監視カメラに残された、人々を襲う怪物の姿、何も無い窓から化け物が這い出る様子。
その異形を叩き落し炎で焼き尽くす赤龍と、異形に突進し食らいつく巨大蝙蝠。
ふいに鏡が砕けるような亀裂が身体に走ると塵のように消えて行く全ての怪物達。
常識を覆す怪奇現象を前にして、専門家も宗教家も揃ってお手上げ状態だった。
混乱の中で事件の真相を知るのはOREJの社員だけだった。
報道の使命感に燃えた彼らは寝食を忘れ力を注ぎ、そうして突貫で出たOREJ緊急発売号と共に
仮面ライダーとミラーワールドの物語が人々の前に全貌を顕した。
TVでは何度も、城戸真司のインタビュー映像が流された。
その大元はOREJに掲載された動画で、
大久保がせめて城戸の軌跡を残そうと腕によりをかけた解説を添え
変身の様子と告白とを中心に連載形式に仕上げた記事から、TV局が無断借用した物だった。
異形に変る城戸真司の姿に人々は息を飲み、
淡々と語られるその内容に驚愕し、
そして…多くの人々が、帰らない肉親や友人や愛する者の死を
城戸の言葉から知った。
須藤雅史の…
芝浦淳の…
佐野満の…
仲村創の…
斉藤雄一の…
ポトラッツ教授の…
浅倉の実弟、三原暁の…
試着室や骨董店やその他街中で突然消えた人達の…
須藤逮捕に向かった刑事達の…
生き物好きと評判の大森さんの…
明林大学の学生の…
元会社社長の竹内真理の…
フェリーの乗客や船員達の…
浅倉を護送した警官達の…
帰りを待ち続けた人々は悲しみに沈んだ。
花が大好きで優しかった中村先生の死を知って
ショウコとチサトは何日も泣き続けた。
堀口ゆかりは父の死をはっきりと知らされ唇を噛んだ。
病み上りの母親を心配させまいと、回りにはいつも笑顔を見せていたが
胸が塞いで毎日が辛かった。
ふいに、先生や吾郎ちゃんに会いたくなって法律事務所を訪れてみたものの
緑でいっぱいだった庭は枯れて荒れ果てていて
封印された事務所の扉には「立入禁止」のプレートが打ち付けられていた。
その様子に酷くショックを受けたゆかりは、父の時でも流さなかった涙を初めてこぼした。
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由良吾郎の行方に付いては何も判らないままだった。
吾郎の父母や兄弟達は、戻らない吾郎の事を思って胸を痛めたが、
たとえ雇用主と凶悪犯の死からおおよそが推定できたとしても
それでも事実が明らかになるまでは吾郎の帰りを待とうと皆で決めた。
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香川教授の死は確定した。クリスマスも正月も迎える事無く、
ひたすら父の帰りを待って寂しく過ごした香川裕太には残酷な報せだった。
すすり泣く裕太の傍らで、香川典子は静かに夫の死を受け入れた。
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街は悲しみに覆われた。
事実が判っても、それで何か変る訳ではなかった。
消えてしまった人を待ち続ける辛さに変りは無かった。
そして何が起きたのか明確に判っていても、痛みが和らぐ訳でもなかった。
シアゴーストやレイドラグーンに目の前で知人を奪われたり、
それらに傷付けられた人々もまた同じく悲しみ苦しんだ。
神崎士郎の設定したタイムリミットが過ぎて怪物が一斉に消えたとしても、
鏡の中、闇の奥、そこにまだ怪物が潜んで居るかもしれない恐怖。
肥大する鏡恐怖症や、失踪を怪物のせいにする殺人者、そこここで怪物を見たと言う流言。
鏡の向こうを恐れる気持ちから、瞬く間に人心は荒れだした。
怯える者はミラーモンスターを倒したライダーに救いを求め、
ライダー達を神格化して崇める事で安心を得ようとした。
カードデッキの模造品を御神体にしたり、ライダーを名乗る教祖があちこちに出現した。
夜中に怯えて泣く子供達に、仮面ライダーが怪物から護ってくれると告げて安心させる母親。
だが、母自身はライダーの存在やライダーの正義を心から信じる事が出来なかった。
そして、須藤についての証言や「契約モンスターもまた人間を餌として欲しがる」との言葉に
恐怖を覚える者も少なからず居た。
…それなら、他のライダー達も須藤と同じ様に、
てっとり早く人間を契約モンスターの餌食にしていたのではないか?
一度生まれた疑惑はどす黒く膨らみ、やがて疑惑は噂に、噂が確信に変っていくと
ライダーの名前は一転して、英雄から怪物使いの悪鬼に変貌した。
ライダーに関わった者は糾弾され、残されたライダーの家族や友人は酷く中傷され、
中には身の危険を感じ引越しや隠遁を余儀なくされる者も出た。
「俺があの記事を書いたのは真司の為なのに!何でこんな事になるんだよ、畜生!」
ライダー達の名前は伏せた筈だったが、何時の間にかインタビューの「完全版」が出回った。
元データをハッキングした明林大マトリックスの生残りの仕業と思われたが証拠は無かった。
あんな低スキルの連中にいいようにされてと奈々子は悔しがり、リベンジを試みた。
ライダーの名の下に行われる煽りと暴力、インチキ宗教の横行。
命懸けで城戸が残したかった物と、真逆な結果に大久保は失望した。
城戸真司の誇りとライダー達の詳細な情報と引き換えに大金と名声を得たのと同じだった。
大久保は虚しさを抱え、コメントを避け続けた。
…江島教授と香川教授はどれだけこの惨劇に荷担していたのか?
…神崎士郎と共同で作り上げた怪物について、どれだけの認識があったのか?
歪んだ疑いは亡くなった教授達も容赦無く黒く染めていき、
根も葉もない噂はじわじわと彼らを悪魔の手先に仕立て上げていった。
大学側も遺族達も、必死の思いで疑惑の打消しに駆け回ったが、
不運な事に、野生化したサイコローグに襲われた者の証言から
香川教授が契約モンスターに人間を餌として与えていた疑惑が浮かび上がった。
証言がニュースで流れた直後、清明院大学は暴徒に襲われ
香川研究室の資料も資材も根こそぎ破壊され持ち去られた。
江島研究室の唯一の生き残りだった女子学生も、
病床から復学間も無い身にも関わらず連日実験の責任を問いただされ誹謗中傷され続け、
追われるように大学を去った。
学校へ行けずに閉じこもる香川裕太の耳に、口汚い野次がひっきりなしに届いた。
投石と罵倒は昼夜を問わず続き、巡回の警官もその大半を止める事が出来なかった。
裕太は「お父さんの似顔絵」を抱きしめて、
(わるいかいぶつからぼくたちを守ってくれたお兄ちゃん、
お母さんを泣かせるわるものがまたきたよ。おねがい。お母さんをはやくたすけにきて)
と、いつか見た龍の姿に祈った。
「それは違いますよ。うちの子が自分の欲の為に
ひとさまを傷付けるような真似をする訳はありませんもの」
気が強そうだが顔立ちの整った年配の婦人が反論する。
「でもですね、奥さん。清明院大学の研究室から発見されたこの資料には、
あなたの息子さんがライダーに変身する姿が残されてるんですよ?
これをどう説明します?」
司会者が下卑た半笑いを浮かべ手の先で示すモニターには、
素早い動作で四角い板をかざし、その身を異形に変える青年の姿が映し出される。
「馬鹿馬鹿しい。それがどうしたって言うんでしょう。
この子が形を変えたからと言って、即、人を傷付けて回ったとでも言いたいんですかね」
「仮面ライダーは自分の欲望を叶える為に、
最後の一人になるまで互いに殺し合ってたそうじゃないですか?だったらねえ…?」
「それに彼ら香川研のメンバーは、目的の為なら殺人をもやむなしとの認識があった、と、
そんな事実を裏付ける証拠もあるそうじゃないか」
モニターは次々と、青年に続いて白衣の男や丸顔の学生が異形に変る様子を映し出し、
そのたび婦人は眉を上げ反論を続けた。
ニュースショーは既にリンチの様相を帯び、ライダー関係者の吊し上げ会に成り果てていた。
ただ、司会者の予想以上にゲストはしぶとく、
笑い者にする為に呼ばれた婦人は毒舌と筋の通った反証で抵抗を続けた。
(…私はこんなに気丈でいられない)
息子の死を知っても打ちひしがれる事なく、
その名誉の為に戦う母親の姿をTV越しに見ながら百合絵は思った。
佐野商事は、新社長の佐野がライダーだった事が知れて苦境に立たされていた。
百合絵の父は寝る間も無く対応に追われげっそりと痩せていき
彼女はそんな父親を見るのに忍びなかった。
── 疫病神。
── はした金の為に女の子を殺そうとした危険人物。
── なんという人選ミスを!あの男を社長として迎えたばかりに我が社は!
満さんを罵る声は世間だけでなくて社内にも溢れてる…。
リモコンの再生ボタンを押す百合絵。もう何度見たか覚えていない。
画面の中、城戸真司が佐野を最期に見た様子を語り出す。
「…刺されて。『逃げろ!』って言って、佐野を逃がしたけど…でも…佐野はそれっきり…。
俺やっぱ、あの時ちゃんと助けてやれば良かったって…。何度も何度も…」
「そんなに後悔するぐらいなら、どうして満さんを見捨てたの?」と城戸に問いたかった。
会社や自宅に押しかけて来た集団に怖い思いをさせられ、社員達のギスギスした態度に困惑し
父親がふと漏らした佐野への愚痴に酷く傷付いた百合絵。
百合絵はあれから何度も訪れた橋にまた足を向けていた。
満さんの呼びかけが聞えた気のするこの橋に居れば、いつかきっと…。
あのライダーのひとは、満さんが襲われた所を見ただけで
そこから先を見ていないから…。
満さんはどこかで傷付いた身体を休めて、騒ぎが収まるのを待って…。
そしていつか帰って来る。
そう信じていたかった。
ほんの僅かな間の出会いだったけど
あの人は、私の運命の人だと思うから…。
橋の上に立つと、怪物から護ってくれた佐野の事や、雨の中で佐野の帰りを待ち続けた事が、
ついさっきの事の様に鮮明に百合絵の心に浮かんできた。
何かも夢だったら…満さんと出会った以外夢だったらどんなに良かったか…。
揺れる水面。
きらりと光る反射の中に、百合絵は佐野の姿を見付けた気がした。
満さんはさっき見た白衣の男の人や学生達と挨拶を交わしていて
丸顔の学生と満さんが楽しそうに笑って話だして…。
私服の満さんは、少し痩せてたように見えて
洗いざらしの貧しい服にスーパーの買い物袋を手に下げ
そして…笑顔だけは変わりなくて…。
満さんは私に気が付くと嬉しそうにニコっと笑って
こちらに向かって手を振って…。
幻は一瞬で消えてしまった。
どこにも無い筈の幸せそうな光景に、どこかで聞いた歌の一節が、ふっと甦る。
”── And I think to myself, what a wonderful world ──”
”…そして私は心に思います。なんと素敵な世界なのでしょう…”
そうね。待ってばかりいても仕方が無いから。
私の方からそちらへ行けば良いんですね?
ここではないどこかに、みんなで幸せに暮らしてる世界があって。
そこには満さんが居て、きっと手を広げて私を迎えてくれるから。
水音。
持ち主の手から離れた傘が、そらに舞った。
城戸君、あなたが守ろうとしたものはなに?
城戸君、この世界は守るだけの価値があったの?
城戸君…。
城戸君?
「馬鹿な真似はよしねえ」
痩せて眼鏡を掛けた人相の悪い中年男が百合絵の手首を掴んだ。
川に落ちた傘が流されて行くのを、ぼうっと見送る百合絵。
「あんた今、つまらん事ばしょっと思ーたんじゃなか?」
「いいえ。川を見ていただけです。みなもが光って綺麗だったから…」
男は眉間に皺を寄せると、百合絵の手を離さず半ば強引に車に押し込むとアクセルを踏んだ。
百合絵はどこへ連れて行かれるのか考えるのも億劫で、もうどうでも良くなっていた。
遠くの町の墓地で、墓に手を合わせる男を黙って見つめる百合絵。
墓石は新しかったが石の表面は傷だらけで、急な力を掛けられた様に少し歪んで立っていた。
百合絵に聞かせるつもりがあるのかないのか判らない調子で男は独り言を始めだした。
「こいつは、怪物に人を食わせるような人間じゃなか。そんな非道な真似するわけなかと」
墓に刻まれた名は、百合絵が繰り返した見た映像の語り手の物だった。
「以前になー、こいつと北岡に命ば救ってもろーた事あるとよ。
ちぃと強情な真似するけん、さんざくらわして脅したすぐ後だったのにな…。
化け物の事なんか誰も信じんから黙っとった。いま酷い言われ様のあいつらだけんど、
根はお人よしの大馬鹿たい。本当に馬鹿で、馬鹿で…」
言葉に詰まった男はハンカチで鼻をかむとそのまま独り言を続けた。
やっと出会った城戸に向って「どうして満さんを助けてくれなかったの?」と、
問いかけようとして言葉を止める百合絵。
決して見捨てたわけじゃないんですね?
あの時悲しそうに辛そうに語っていたのは、偽善ぶった演技とかでなくて
満さんの事も、救えなかった大勢の事も、
心から悲しくて辛い自分の痛みとして受けとめていたからなんですね…。
「私は大滝。あんたの父さんたぁ縁がある者たい。オヤジさん、あんたの様子心配しとった。
あの人あれでもしたたかな古狸ばい。嘆かんとも会社盛り返す手ぇ幾らでも考えてあると。
だからオヤジさん事ぁ心配せんでも良か。それに許婚の事は気の毒だけんど、いつま…」
説教なのか独り言なのか判らない話しは、ぼつぼつと続いた。
意図的なものにせよ偶然にせよ、ここに連れられた事で負の思いの多くが解け消えていた。
家まで送られながら、あの場所に導いて頂いて感謝していますと百合絵は頭を下げた。
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喫茶店の店長はカラカラ笑った。
「じょ〜おだんじゃ、ないわ!あたしゃこれぐらいで凹んだりしないって。
ピラミッド探検中に砂漠で食料と水が尽きて苔で命を繋いだ時を思や、ど〜って事ないわ」
「ここは落ち着くなー。お茶はうまいし、おば…もといお姉さんは話し上手だし。
良い環境でキーを叩くと構想がスッと浮かんで次のベストセラーも間違い無しってもんよ」
「お世辞言ったって、なんにも出〜やしませんよ〜だ」
「違いねえ。調子に乗りすぎたらお姉さん怖いからなー。踏み台代わりはもう勘弁って」
店の片隅のTVの中、幾人かの男女が年配の婦人と共に手にパネルや書類を持って語りだす。
「でもこの人、俺をでかい蜘蛛の化け物から助けてくれたんですよ」
「この人、私をモンスターから救ってくれて。そして運命は変えられるって言ってくれて…。
私、今こうして居られるのもこの人たちのおかげなんです」
「たまたまでしょう?たまたま通りすがりに餌を捕獲しただけじゃないんですか?」
「ライダーの気紛れを有難がるなんてねー。勝手な思い込みを広めると陰で笑われますよ?」
意地の悪い質問や嫌味な混ぜ返しの前で、自信無く首を傾げ、時々顔を曇らせ、小さく怯え、
それでも命の恩人の為に声を上げる人々の姿を、横目で見ながら牛乳をゆっくり混ぜる店長。
「恵里ちゃん、アッサムミルクとスコーンを4番の席にお願いね」
「はい、沙奈子さん」
原田拓也は、考えていた。
あのカードを使って変身してたら、オレもライダーで有名になれたのかな?
でも、ゆだんして食べられたり、なぐられたり、苦しくてコワい戦いはイヤだな…。
ライダーの悲しみと残酷を目に焼き付け、蝙蝠の兄ちゃんへの憧れもまだ胸に焼き付いたまま
あれからずっと考え続けた。遊んでる時も、悪ふざけやカンニングの最中も、
カードを手にする機会がまたあればライダーになるかどうか、
もしライダーになったらどうするか、もしライダーにならないならどんな理由かを考えた。
幾ら考えても、答らしい物が見えても、その答が本当に正しいか間違ってるか判らなかった。
一人で考えても正解は出ないので、自分で判らない答を探すため苦手だった本も読み始めた。
「拓也君、最近落ち着きが出て積極的に質問もします」と、担任は笑顔で拓也の母に語った。
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少年は、命を賭けて自分と父とを救ってくれた青年の死の様子と、
その際に「先生…」と呟いてこぼした涙を忘れる事が出来なかった。
何度もTVに映される虎の仮面は、少年にとっては紛れもないヒーローだった。
「…どうやったら英雄になれるのかな?…」
一筋の涙を浮かべて冷たくなっていった青年の呟きを何度も思い返す少年。
ぼくが大人になったら、お兄さんみたいなえいゆうになってみんなをまもるから。
ぼくはお兄さんのなりたかったものになるから。
だから、なかなくていいよ。わらってよ。
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香川裕太は涙を溜めたまま眠りについていた。
何か楽しい夢でも見たのか少し笑った。「お父さん…」
「…うん…お兄ちゃん、ありがとう。ぼく、がんばるよ…」
「おねえちゃん?なにしてるの?」
「お花を…。大好きな人に供えているの。お墓の代わりにこの樹に。
誰もあの人に花をあげないと思うと寂しいから。
…でもあの人は受け取ってくれたから」
「わたしも、おはなをあげていーい?」
「うん。いいよ」
「はい、あげる。これは、おねえちゃんのおはなー。
これは、おねえちゃんのだいすきなひとのおはなー。
これは、わたしのだいすきなおにいちゃんのおはなー」
「未来ちゃ〜ん!おうちに帰るわよー」
「はーい! おねえちゃん、ばいばーい!」
「ばいばい。またね。 …ありがとう」
花で遊ぶ少女達の会話に微笑みを浮かべ、
シャッターを押し掛けて指を止め首を振る令子。
この子達を「和み」「癒し」とかの安易なテーマで撮っちゃ駄目。
本当の事は見た目では判らない…。
「悲しみから立ち直る少女」とか、「平和を祈る子供たち」とか、
他人である私が、勝手で知ったかぶりな解説で綺麗にまとめてしまって語るのは
おこがましいもの。
傷を与えられた街。傷を与えられた人々。
少しづつ騒ぎは収まり表面は回復しつつある。
だがその奥に深く残る痛み。他者には説明出来ない痛み。自分でも把握出来ない痛み。
その痛みが癒える日はいつ来るのだろうと令子は思った。
少女が去る姿を目で追い、ふと樹を振り返った令子は
懐かしい水色のジャケットをそこに見た気がした。
大きな樹にもたれかかり、
供えられた花を手に取ると楽しそうに眺めるジャケットの青年。
いつのまにか青年は子供達に囲まれている。
子供達は手に持った花を青年の側に置く。
「これは私の大好きな先生のお花」
「これも私の大好きな先生のお花」
「これはわたしが世界で一番大好きな、べんごしの先生とアメをくれたあのひとのお花」
「これはわたしをレストランでたすけてくれた、おにいちゃんのおはな」
「これはわたしのきえたママのためにないてくれた、おにいちゃんのおはな」
「これはオレのカッコいーにーちゃんの花」
「これはぼくのそんけいするお兄さんの花」
「これはぼくのだいすきなお父さんとお兄ちゃんの花」
「これは私の愛するあの人に捧げる花」
「これはわたしにみらいをくれた、おにいちゃんのおはな」
「これは ぼくたちわたしたちに みらいをくれた あの人たちの花」
花に埋もれて青年は笑っている。
どこかで聞いた曲を口笛に乗せる。
── I see trees of green, red roses too
:
:
── And I think to myself, what a wonderful world
── Yes, I think to myself, what a wonderful world....Oh yeah
令子は目を閉じたまま樹を見つめる。
まぶたの裏に映る光景は、幻だと判っている。
…そう。目を開ければそこには何も無い。いつもの風景がそこにあるだけだと判っている。
それでも今は、二度と見る筈の無い笑顔が無心にこぼれる様子を見ていたかった。
青年は調子外れの声で鼻歌に詞を付けて歌う。
── 木の緑や花の赤 君達の目に輝いてる
── 俺には見えるよ 何て素敵な世界だろ
── 青空には白い雲 澄んだ朝と静かな夜
── 俺には見えるよ 何て素敵な世界だろ
── そら高く虹が広がり 道行く人の顔にも映ってる
── みんなが手を取合い 「大好きだ」って言ってる
── 今は泣いてる子供達 君達が大人になる頃
── 俺よりもっともっと 多くを学んでるから
── やがて訪れる素敵な世界
── そうだよ何て素敵な世界なんだろ…本当に素敵だな
強い風に樹がしなり、木の葉や草が舞いあがった途端、声も姿もふいに消える。
令子はそっと目を開け
まわりを見渡した。
城戸君 この世界は守るだけの価値があるよね?