一夜明け、光太郎は街の図書館に来ていた。昨晩遭遇した、生きる屍について調べるためだ。
これまで戦った怪人にも人を操るものはいたが、人間の死者を蘇らせるような術を使うものはいなかった。
何か手がかりは無いものかと、オカルト関係の本棚を漁る。
狼男…違う。鬼や魑魅、魍魎の類…違う。
何冊かそりらしい本に目を通したが、どうも手応えが感じられない。
死者が蘇って怪物となるような文献は幾つか目についたが、どれも光太郎が遭遇したものとは性質が違う。
―――奴らは人を襲っていた…何の為に?
本棚の前で腕を組み、頭を捻る。
「俺って頭悪いからなあ」
その時、不意に悪い予感が背筋を走った。同時に、一冊の本が棚から滑り落ちる。
気になって、その本を手にとってみる。タイトルは「吸血鬼 ドラキュラ伯爵の系譜」と記されている。
パラパラとページを捲り、内容に目を通した瞬間に光太郎の表情は一変した。
「これは…」
あるページで、光太郎の指は凍り付いていた。
そのページには吸血鬼によって血を吸われ、操り人形と化した人間…「グール」のことが記されていた。
この街で起きる猟奇殺人事件の被害者は、ことごとく全身の血を喪失して死に到っていることが頭を過ぎる。
光太郎の中で、確信が生まれた。
「これまでの事件はドラキュラ…吸血鬼の仕業に違いない!」
再び走る、不吉の予感。光太郎はそれに従い、図書館の出口に向けて走り出した。
日が暮れる時間。
赤いランドセルを背負った、小学校中学年ほどの少女が帰宅の途についていた。
小学生が帰るには、いささか遅い感があった。
近頃起きる事件に関しては学校や親からも注意されているが、彼女には根拠の無い自信があった。
自分に限って襲われることなんてない…確かに、子供ながらに注意を払ってはいた。
今日は寄り道をした為に夜になってしまったが、帰宅路には明るく、人通りの多い道を選んだ。
もう少しで、家の近くの公園にさしかかる。そこまで行けば、もう安心だ。
公園の入り口まで来た時、薄暗い電灯の下に、一頭の犬が座っているのが見えた。
彼女は犬が飼いたかったのだが、親に反対されて実現していない。
せめて、少し触るぐらいなら…そんな軽い気持ちで、少女は犬に近づく。
かなり大型の、黒い犬。
少女の視界の奥で犬が前かがみの姿勢を取る。
次の瞬間、砂袋がぶつかるような鈍い音がしたと思うと、犬の姿は消えていた。
「とおぅっ!」
間一髪、犬が少女に飛び掛る寸前で、光太郎は犬を掴んで跳躍していた。
そのまま空中から、犬を地面に向けて放り投げる。犬は一瞬で姿勢を建て直し、公園の敷地に着地。続いて光太郎も着地した。
牙を向き、低い唸り声を上げて、犬は既に戦闘態勢を取っている。先刻に読んだ本の中では、吸血鬼は動物を使役することがあると記されていた。
犬の全身から放たれる殺気。だがそもそも、これは「犬」なのだろうか。
光太郎が目の前の「犬」の形をしたものから感じるのは、ただ純粋な闇の思念。命の息吹や、生き物らしい感情などは一切無い。
それは、光太郎がこの街に来るきっかけとなった不吉な感覚に良く似ていた。
―――こいつは闇そのものだ!
右手を空に掲げ、変身の体制を取ろうとする。
その時、風が吹いた。一陣の疾風が光太郎の頬を掠めた直後、対峙する犬の後方に一つの影が見えた。
白い、人影。
「生憎だけど、そいつは私の獲物よ」
金髪、赤い瞳、白い服を纏った女。どこか風景から浮いているような、得体の知れない存在感があった。
光太郎と対峙していた犬が女の方に目配りしようとした次の瞬間、犬の体は細切れにされ、粘液状に溶けて消滅した。
―――この女は…
身構える光太郎に向かって、女はゆっくりと歩いてくる。
「昨晩の戦い、見せてもらったわ。ゴルゴムの世紀王さま」
どこか茶化すような口調の女に対して、光太郎の表情は一層厳しくなる。
ゴルゴムという単語が、眠っていた記憶と感情を大きく揺さぶった。
「貴様…何故それを!」
女は立ち止まり、腰に右手を添える。傍からすれば、不適な態度のように見える。
「あら、私たちの世界じゃ有名だけど?かつて地上の夜を支配していた暗黒の民ゴルゴムと、その長である創世王のことは」
女の言葉や気配から、光太郎は確信していた。この女は人間ではない。それも、相当な力を持っている。
「私の得た情報だと、そのゴルゴムと創世王も、一人の世紀王さまの反乱で滅んだみたいだけどね」
口元に薄笑いを浮かべる女。この女が吸血鬼だとすれば、放っておくことはできない。
「貴様…吸血鬼か!」
「そうだけど?」
軽い口調の返答。
それ以上のものは、光太郎には必要ない。
右手を掲げ、体の前で十字に切る。光太郎の全身に、太陽の力が漲りだした。
「変身!」
光がスパークし、輝きの中で光太郎の体が変わっていく。黒い装甲、真っ赤な瞳、金属色のベルト。
戦うために生まれ変わった、太陽の戦士。
「俺は太陽の仔、仮面ライダーBLACK RX!罪無き人々を殺める吸血鬼は俺が許さん!」
RXに変身した光太郎を見ても、女は何ら動じない。さも当然のように、むしろ呆れるように眺めている。
「あらあら…随分な言い草ね。一体なにさまの…」
「問答無用!」
跳躍。その勢いを保持したまま、RXの飛び蹴りが放たれた。
突然の動作に、女は避ける暇すらない。
「RXキック!」
エネルギーをまとい、更に回転を加えた強烈な両足キックが、女の腹部に直撃した。
「なっ、かっ!!?」
衝撃を受け切れず、両足を地面に擦りつけながら、大きく後方に仰け反る。
だが、クライシスの怪人を一撃で虫の息に追い込んだRXキックといえど、この女に対してはさほど効果がないようだ。
すぐに体制を整え、言葉を続ける。
「何よ、世紀王のくせに人間の味方のつもり?本当に何様のつもりよ」
女の目が金色に光り、RXの周囲の空間がぐにゃりと歪む。
「むっ!」
RXが殺気に気付いた次の瞬間、コンクリートの敷き詰められた地面が粉々に砕け、辺りは粉塵に包まれた。
粉塵の向こうを睨む女。RXの気配は、完全に無くなっていた。
「世紀王といっても、大したこと…」
言葉は途中で途切れ、女は後方へ大きく跳躍する。
同時に女の足元から伸びた腕と、その腕に握られたブレードが、女のいた空間を切り裂いた。
その腕は、地面を這うアメーバ状の塊から伸びている。やがてその塊は形を変え、青い戦士となった。
「俺は怒りの王子、バイオライダー!」
RXは女の攻撃の瞬間、バイオライダーに変身しし、回避行動を取っていたのだ。
「形状変化なんて…やっぱりあんたは化け物よ!」
女はバイオライダーへと飛び掛る。長く伸びた爪が胸へと突き刺さり、同時に四方からの炎がバイオライダーを襲った。
炎に包まれながら仁王立ちするバイオライダー。だが、ダメージは全く無い。そればかりか、突き刺さったままの女の爪は砕けてしまった。
炎の向こうには、先ほどとは異なる、硬質の装甲を持った戦士がいた。
「俺は哀しみの王子、ロボライダー!俺の体には炎も爪も効かん!」
ロボライダーそのまま左手で女の手首を掴み、右手に持った銃を向けた。
「ボルティックシューター!」
逃げることも適わず、エネルギー弾が女の体に撃ちこまれた。そして女の体を投げ飛ばし、RXへと再変身する。
女は依然として大したダメージは負っていないようだった。変わらぬ調子で、言葉を投げかけてくる。
「やっぱりあなたは超常の力の持ち主…暗黒の主、世紀王よ!それがどうして人間なんかの為に戦うのよ、頭がおかしいんじゃないの?」
間髪入れず、RXは女の言葉に反論する。
「俺は世紀王ではない!人類の自由と平和の為に戦う、仮面ライダーだ!
このキングストーンの力は、平和に生きる人々の笑顔を、貴様らのような奴らから守るための力だ!」
何ら怖気づくことのないRXの言葉に、女の表情が初めて曇った。
「人間じゃ無いのに人間の味方…?他人を守るための力…?なによそれ…解らないわよ…」
一変した女の様子に、RXも気付き、攻撃の手を休めた。
―――この女…悩んでいるのか?
「人間の味方だと…愚かな奴…」
全く予期せぬ方向から、男の声が聞こえた。
「それほど力を持ち、人間など遥かに超越した存在となってまで、下らぬ情にしがみつく…」
明かりすら届かぬ暗がりの奥から、何かが這い出てくる。
ゆっくり、ゆっくりと、それは近づいてくる。
「何を迷う真祖の姫、アルクェイド…何を血迷う世紀王、ブラックサン…」
大きな人影が、マントを羽織った男の形をした闇が、姿を現した。
「ネロ…」
アルクェイドと呼ばれた女吸血鬼が、その闇を見て言った。
「ネロだと…?貴様も吸血鬼か」
問うと同時に、RXの目がネロの体を透視する。その体内には、無数の獣が…否、獣の形をした「闇」が蠢いていた。
―――こいつは!
その「闇」達は先刻、少女を襲おうとした犬と同質のものだった。ネロは無言のままだったが、もはや答えは火を見るより明らかだった。
「貴様…き、さ、ま、があああああっ!」
「出来損ないの超越者…我は貴様とは違う…」
片目でRXを睨むネロ。RXの答えは、既に出ている。
「人の心を失ってまで、俺は力を得ようとは思わん!」
目の前にいる、人の形をした「闇」。
それが全ての事件の原因。多くの人達を殺し、その家族を果てしない悲しみに陥れた、真に倒すべき敵。
RXの五体に、怒りと力が漲る。
「太陽の力をその身に蓄えたその体…我らにとっては天敵に等しい…」
「俺は太陽の子、仮面ライダーBLACK RX!太陽の輝きは暗黒の夜を終わらせ、眩いまでの夜明けを呼ぶ!
闇に染まった心は光によって消え去ると知れ!」
「死ね、太陽の化身…」
ネロの体から放たれた無数の獣がRXに襲いかかる。熊が、獅子が、狼が、数えきれないほどの牙が噛み付く。
闇の塊が、RXを覆っていく。
「うおおおおおっ!リボルケイン!!」
RXの体内から生まれた光の柱が、一瞬にして獣達を消滅させる。
光の柱はRXの手に握られると、実体を持ってその姿を変えた。
ネロは更に獣の塊を放つが、RXはその中をリボルケインを突きたてながら突進する。
闇の獣は太陽の輝きの前に力を失い、その波を切り裂いて、RXはネロへとリボルケインを突き刺した。
「ぬっ…ぐうううううっ!」
太陽のエネルギーが体内に打ち込まれ、ネロの体が崩壊していく。
「悪夢はこれで終わりだ!」
リボルケインを抜き取り、RXの体が振り返る。RXが背を向けると同時にネロの体は倒れ、大きな爆発が起きた。
数百年の時を生きた強大な吸血鬼は、太陽の光の前に潰えたかに見えた。
「す、凄いわね…」
一連の戦いを、アルクェイドは固唾を飲んで見守っていた。
むしろ、そうすることしか出来なかった。
あそこまで高いレベルの戦いの間に割って入るのは、アルクェイドにとっても危険なのだ。
万一、リボルケインの一撃を受けてしまえば、相当なダメージを受けるのは避けられない。
RXの戦い振りに軽くため息をついてから、ささやかな拍手を送った。
「お見事。流石は世紀王ね。良い経験になったわ」
「お前…」
RXは警戒を解いてはいない。アルクェイドもまた、吸血鬼に変わりはないのだ。
アルクェイドも、それを見通している。肩をすくめてから、軽い調子で話し出した。
「安心して。私は人を襲わないわ。あんたが倒したように、吸血鬼を殺すためにこの街に来ただけだから」
「そんな言葉が信じられるか!」
「なら、暫くニュースを見るといいわ。もう猟奇殺人は起こらないはずよ。私は人を殺さないんですもの。
もし、また殺人が起こるようなら、その時は私を殺しに来るといいわ。尤も、私以外の吸血鬼の仕業かも知れないけど」
暫くの沈黙の後、RXは穏やかな調子で口を開いた。
「そこまで言うのなら、信じよう」
「あら、簡単に信じちゃうのね」
「例え人間でなくとも、心があれば通じ合える。それにお前からは、悪意は感じられない」
人でないものと心を通じ合えることは、RXも解っていた。なによりRX自身も、人間ではない肉体に人の心を持ち続けている。
「心が通じ合える、か…」
何か考えるように静かに呟いたアルクェイドに背を向け、RXは変身を解いた。
良くは解らないが、この吸血鬼も何か葛藤しているように見えた。
かつて、光太郎が改造人間と人間との間で揺れ動いたのと同じようにも見えた。
しかし、光太郎は何も言わない。
光太郎には光太郎なりの答えがある。あの吸血鬼にも、自分だけの答えがあるはずだ。
その答えは、他人が指し示すものではない。そうして辿り付いた答えの正否は決めるのも、自分自身しかいない。
光太郎には、別の土地で新たな戦いが待っている。アンノウンによる殺人は依然、継続しているのだ。
力を持たない人々を守る為に戦う。それが、仮面ライダーとしての使命なのだから。
この街での戦いは、アルクェイドの成すべきことのような気がした。
漠然とした直感でしかないが、これ以上の犠牲は最小限に食い止められるようにも思えた。
人の形をした、心の欠けた吸血鬼。
彼女も自分のように、大切なものを与えてくれる人々に出会えるのならば―――
一瞬、そんな考えが光太郎の頭の中を過ぎった。
バイクで走り去る光太郎の背中を見送った後、腕を組んだままアルクェイドは安堵の溜息をついた。
「なんとか、うまく言いくるめられたわ」
ネロの爆散した場所。そこには、焼け焦げた跡が残るだけだった。
確かにネロは死んだ。しかし、それはネロの分身の擬態だったことに、RXは最後まで気付かなかった。
「あいつらを殺すのは、私の役目よ」
まだ夜は明けない。街は闇に包まれたままだ。
金髪の吸血鬼と直死の魔眼の少年が出会うのは、もう少し未来のことだ。
終