僕が<北岡>を作った理由(ワケ)
「まずね、北岡が登場する前に登場したライダーが、みんな貧乏くさかったんだよ(笑)。
ま、真司も蓮も須藤もさ、なんか金があるようには見えないだろう?
だからキャラクターの差別化を図ろうと思ったんだよね。
で、弁護士ならリッチだろうし知的なイメージもでるかなと。
ほら、知的なキャラもいないじゃない? で、弁護士なら新聞記者にも事件にも絡めるし、使い勝手がいいかなあと思ったんだよね」
こうして誕生したのがスーパー弁護士・北岡秀一、その人だった。
「で、さらにちょっとヤな奴にしたかったのね。
地位も金もあって、頭もいいし、かっこいいし、金持ちなんだけど、どっかいけ好かない……
そんなキャラクターにしたかったんだよね」
しかし、北岡を誰が演じるかを事前に知っていたわけではない。
「キャラクターを書く前に役者に会うってことはほとんどなくて、プロフィールの写真を見てたくらいかな。
でも、放映を見て、ぴったりハマったかなとは思った。
そういうのは嬉しいよね。
北岡のダブルのスーツとかは別に俺が指定するわけじゃなくて、
監督とかスタッフが似合うものを決めるんだ。でも良かったよね、あの衣装も」
そして、実際に二人の役者と会ったのは、ずいぶん後のことだとか。
「初めて二人に会ったのはね、映画の完成祝いのパーティがあって、そのときだな。
それまで、画面で見てるだけだったからね。
由良吾郎に関してはね、最初、白倉が、変な役者がいて、あまりに面白いんでキープしてあるって言ってて、じゃあ、そいつのイメージで書いていいか、って聞いて書いたんだ。
だからさ、最初、吾郎の台詞に『…………』が多かったのはさ、なんかまともにしゃべることができなくて、
どこかぼくとつで不気味な男のつもりで書いたんだよな。
(中略)
「でもさ、実際放映を見たら、あんなイイ男じゃない?
で、弓削君に会ったら、全然変じゃなくて、むしろ好青年だったし」
そのせいか、北岡だけでなく、吾郎自身も真司を始め他のライダーたちと関わるようになっていく。
「とはいっても、あいつ北岡命だから他のライダーに情を移すことはないんじゃない?
ああいうタイプはさ、すごい忠誠心が強いからなかなか人に情を移さないけど、一度移したら、めったに他に移さないよ。
25話で、ふたりの関係をちょっとだけ書いてるけど、あれは後から考えたことなんだよね。
実はさ、ふたりの出逢いも交えて、過去からの話だけで一本、書こうかと思ったんだけど……なんだか野暮かなと。
……野暮っていうか、なんか重くなっちゃいそうでさ。だからあえて会話でさらっと流そうみたいなことはあったけどね」
その後、メインライターである小林靖子氏が、吾郎が初めて北岡の戦いを見て泣くという話を書いている。
初めて目にする、北岡の命をかけた実践を前に、吾郎の苦悩は深まったのではないだろうか。
「うーん……もし戦いを見てしまったことで吾郎が自分を責めたとしたら、なお北岡への情が深まったっていうことだから、それでよかったよね。
結局、どこまでいっても吾郎は北岡に忠誠を誓っているからさ」
『龍騎』における北岡の存在価値(レゾンデートル)
夏に公開された劇場版『龍騎』で、北岡は、ある選択をする。
「あの選択は非常にらしくて好きなんだ。
あれは残りの時間を大切にするっていう意味じゃなくて、ライダーの戦いを通して、
人生のはかなさに気付いちゃったというかさ、執着が解けちゃったということなんだよね。
北岡ってさ人間の欲望とか贅沢を愛している奴じゃない?
それがきっとむなしくなっちゃったんじゃないかな。
欲望自体にうんざりしたというか……すごく北岡らしい選択だと思うね。
多分ね、北岡とゴローちゃんが好きな視聴者はいいヤツだよ(笑)。
いや茶化してるんじゃなくて、たぶんね、あのふたりの在りようって、理解するのが難しいと思うんだよ。
人間の深みとか切なさとかそういうものを背負っているからさ。
北岡とか吾郎みたいなキャラクターが存在できることはやっぱり『龍騎』っていう番組の懐の深さだと思うよ。
……なんて、自分で言うのもなんだけどさ(笑)」
もうひとつの最終回(エピソードファイナル)
9月にはゴールデンタイムに放送された『龍騎SP』の脚本も手掛けた。
「あれはもう、せっかくスペシャルなんだから違うことをやろうという話があって。
で、俺が何を書きたかったかというと、ライダーをたずね歩く真司ってのを書きたかったのよ。
みんなのところに行くんだけど拒否されて、
実は最初に喧嘩した蓮こそが仲間だったと最後に知るっていう構造の話を書きたかったの。
『龍騎』本編ってさ、物語の構造上、
最後に誰かひとりが生き残らなくちゃいけないから途中の段階で答をだしちゃったらいかんのよ。
言葉、悪いけどさ、受け手を満足させちゃいかんのよ。
引っ張って引っ張って、ああ、そうなるのかっていう結末を見せちゃだめな気がするのね。
だから映画はあえてああいう形で終わりにしたんだけど、SPは別物だからある意味<ひとりが残る>という答が出せた」
確かに次回に向けての<引き>は連載ものの宿命だろう。
その言葉どおり、劇場版は<先行最終回>という切り口で賛否両論を巻き起こした。
ともすれば、それはリスクのともなう挑戦だったのではないだろうか。
「だからさ、昔から俺は、脚本家に必要なのは勇気だ!って言ってるんだけどさ(笑)。
ま、映画が当たってよかったよね。結果オーライじゃない?」
実に天晴れな答え。
しかしその一方で物語を紡ぐ者として、完結させたいという葛藤はなかったのだろうか。
「ない。おれ、プロだから」
あっさり言ってのける姿は、とてつもなく潔い。
そして、印象的だったのは『龍騎SP』での仮面ライダーベルデ・高見沢逸郎の言葉。
誰よりも<権力>を愛する彼は真司に向かって言い放つ。
「人間はすべてライダーなんだよ」と。
「あの台詞はぜったい書こうと思ってたんだよね。
あのね、『龍騎』の世界ってのは普段、社会で行われていることなのよ。
別に特別なことじゃない」
だからこそ生々しく、痛々しいと感じる受け手も多いはず。
「そう、結局ライダーが13人集まってバトルロワイヤル、つまり殺し合いをするわけだから、
キャラクターは現実味に乏しいほうがいいんだよね。
これで本当にいそうなヤツがでてきてたら辛いじゃない。
たとえば浅倉とか北岡とかがいたほうが番組としてはいいんじゃないかと思うんだよね。
ほら、真司って本当にいそうじゃない?
だからこそ周りは非現実的な方がいい。そこは気をつけて書いてるね」
役者との出逢いが生む奇跡(ミラクル)
「今、来年の新番組を作ってるけどね、また違っておもしろいよ。
未だかってないライダーになるから」
毎年、そう語り、そして実現させていく。
そのモチベーションはいったいどこにあるのだろうか。
「おもしろさ、かな。あとは危機感。
だってさ、ライターってひとりでやる仕事だからさ、一匹狼じゃない。
自分が頑張るしかないから。
『アギト』書いて、『龍騎』書いて、アニメもいろいろやってるけど、未だに気分は新人、って感じ(笑)
……というかさ、毎年、なんか新しいことに挑戦できるのはやっぱりたのしいよね。
まあ苦しいことも多いけどさ」
そして、名キャラクター誕生の秘訣を聞いた。
「それはさ、やっぱりいい役者との出逢いだよね。
例えば『シャンゼリオン』では黒岩役の小川くんとかさ、
役を理解してそこに幅を持たせてくれる役者がいてくれたからだよね。
北岡に関して言えばさ、俺の中で、ちょっとだけオカマ入ってるっていうか、
言葉尻とか言い回しが大事なんだけど、涼平くんは、それをうまぁ〜く嫌味な感じのトーンで表現してくれてるよね。
なんかね、俺、多いんだよ。作ったキャラクターと役者がリンクすることが。
たとえば『アギト』で小沢澄子を演じた藤田瞳子とかさ。そういうのってなんか嬉しいよね。
ゴローちゃんはね、今、北岡に対しての愛を実にうまく表現してるよね。
心配で心配でしょうがないとか、心から尽くしたいとか、そういう空気がでてるよなあって思う。
北岡もゴローちゃんもすごい愛してる。
だから好きだって言ってくれる人がいるのは嬉しい。ライター冥利に尽きるよね」