ちょっと前に読み終えた。
このスレで繰り返されてるが、塵理論がよくわからん。
繰り返されているのになんでまた書くんだ、過去スレ嫁と言われそうだが、
このスレの書き込みよりもずっと下のレベルで分からない。
俺が勝手に理解した内容は・・・・
人間の囚われている因果律は主観に過ぎない→
因果律を取り払った状態で認識した世界では、無限のパターンを
とり得る自分のバージョンが存在している。
もし自分が認識している因果律が突然切断され、しかもその切断を認識できなかったら→
そもそも切断という考え自体が間違っている。因果律は存在せず、
単に無限の自分のバージョンの中に自己を認識するバージョンがいくつもあるだけである。
従って客観的にある存在が突然意識を切断されたなら→
観察者から見てそこで因果律が途絶えているように見えても、
その存在は主観的には次の自分を認識する。
なぜなら存在とは「自分を認識する」パターンが無限の中に
ばら撒かれている状態であり、それらが存在として意味を持つようになるのは
「はじまりの意識」というばら撒かれた意識の共通認識によって
主観的に並べられているからである
従って「始まりの意識」に相当するエデンの園配置は必須となる
という風に理解したんだけど・・・訂正を求む。 正直あんまり
よくわからなかったのできもちわるい読後感だった。
合ってると思うけど「はじまりの意識」っていうのがよくわからない
塵理論において主観とは個絶した断片群である事象の塵の集合を
連続した一つの現実の流れとして認識するもの
ばらばらな無数の点を繋いでいけば無数の線が引けるわけだけど
その線を引いていく、もしくは引かれた線の上をたどるようにして存在しているのが
その因果を唯一の現実とする主観っていう感じ
本当はは線っていうのは点の集合であって
真に客観的な視点から見下ろせば、実在しない「線」を作り出してるのは主観そのもの
でも普通は線の上の主観にとって現実とは疑う余地なく一貫した流れだから
自分が無数の点から点へジャンプして因果を構築してるっていう意識はない
あくまで自分(と自分を含む全ての現実)は確定された線の上にあると思ってる
だからもしある線をいきなり切断してやったとしても
その主観が自分が死んだ(本当は「存在しなくなった」)と納得してない場合
つまりそれまでの線の上の現実に充分なリアリティというか説得力があった場合
主観は無数の点の中に、それまでの線と齟齬なく繋がる「続きの線」を自ら見出して
自分にとっての「現実」を継続していく
なんていうかあくまで主観は引かれた線の上で存在するもので
意識それ自体塵のように分断されてばらまかれてるってのではないと思う
計算実験中にダラムが「今自分の意識は塵化している」って感じる場面があるけど
それはそういう客観的状況?が他のところに存在するって認識から得たものであって
主観的には意識の分断みたいのは知覚してないよね
作中に出てきた「エデンの園配置」はセル・オートマトン世界を構築するための装置で
塵理論によって成立する順列都市自体と直接かかわるものじゃなかった
まあ最終的にはエデンの園配置から始まった新たな「線」の方が
順列都市の現実より強固になって、当初の関係が覆っちゃったわけだけど
長文書いちゃったけど合ってるかはわからない、失礼
なるほど、では「順列都市」では、「主観」は次の自分を探し出す、
という説明なんだね。そこの所が良く分からなかったので
かなり混乱してしまった。
その瞬間瞬間で、とり得る自分を無限のパターンの中から選択していると。
エデンの園配置については、塵理論から考えて、ダラムが居た現実にも
「エデンの園配置」があったと考えるべきだと思うんだけど、どうなのかな。
ともかく丁寧なレスありがとうございました。
>>945 エデンの園配置からTVCセル・オートマトン宇宙を創ったのは、塵理論が正しいことを証明するため。
TVCの成長過程を辿り返して行くと、それ以上数学的に辿り返しようがないエデンの園配置に行き着く
=TVC宇宙を「発進」させた過去(別の世界の)が存在しなければならない。
すなわち、塵理論が正しい、となる。
別にエデンの園から始めなくても、塵理論が正しければ「発進」はできるわけだが、その場合その
新たな世界の中で、「別の世界のダラムが世界を発進させた」という創造論よりも、もっと説得力の
ある合理的な「世界の成り立ちの説明」が存在しうる。そうなると、ダラムはただの妄想狂として片
付けられてしまう。
ところで、オートヴァース上のランバート人たちは、自分たちの「世界の成り立ち」を、「別の世界
のダラムが発進させた、TVC宇宙上のオートヴァース上の惑星ランバート」などとというややこしい
説明に勝る、合理的な説明をつくりあげて圧倒してしまった。このランバート人の宇宙にとっては、
「宇宙のはじまりの状態」は彼らの理論構築によって「時間を遡って創られた」(万物理論でも同じ
ロジックが出てくる)わけで、そういう意味では、どの世界にもエデンの園配置は「ある」。
したがって、世界の成り立ちを遡って、エデンの園配置に辿り着いたとしても、「別の世界の誰かが
宇宙の種子を確かに播いた」という証明になるのかどうかは、結局怪しくなってくる。作中ではそこ
まで言及されていないけど。
>>946 そうか!ランバート人は自分たちの万物理論を発見して、基石になったのか。
TVCとしてのエデンの園配置でなく、
最後に探求すべきと提示されたルールとしての
エデンの園配置なら一つなのかな・・・。
949 :
JSB:2006/11/30(木) 23:26:44
>>946 >したがって、世界の成り立ちを遡って、エデンの園配置に辿り着いたとしても、「別の世界の誰かが
宇宙の種子を確かに播いた」という証明になるのかどうかは、結局怪しくなってくる。作中ではそこ
まで言及されていないけど。
いや、これはまさにイーガンが作中でいいたかったことだと思うぞ。
以前SFマガジンに載ったイーガンのインタビューで、「順列都市」の主題が
まさにこれだといっていた。
また、この小説のラストのほうにマリアかだラムの言葉で
「創造者は絶対的ではありえない」との発言があった記憶がある。
絶対無限大数と絶対零置の極限を思考世界で横断しようとした
ラッカーの長編を思い出すな
なるほど・・・
つまりこの作品の根底にあるのは「人間原理」なんですね。違うかな。
952 :
名無しは無慈悲な夜の女王:2006/12/01(金) 14:02:37
なるほどね
何が違うかなだ知障
話についていけない人が自己紹介乙
マジで価値ソフトが欲しい。
勤労という価値ソフトが。
956 :
946:2006/12/01(金) 22:54:06
>>949 すまん、記憶がかなり曖昧になっていたが、そういえばマリアの台詞に、
「創造者という考え方が崩壊した」というのがあったな。
957 :
JSB:2006/12/01(金) 23:37:08
>>951 >つまりこの作品の根底にあるのは「人間原理」なんですね。違うかな。
あってるよ
「宇宙消失」「順列都市」「万物理論」の3作品は
「主観宇宙論3部作」だとイーガンがインタビューで発言している
>>944 > 塵理論において主観とは個絶した断片群である事象の塵の集合を
> 連続した一つの現実の流れとして認識するもの
この「認識するもの」を「動かしてるもの」は要らないのかな?
小説のフェーズが違うような気がするけど、ディアスポラでは
精神種子のシェイパー列は「それだけでは何の意味もなく」
「ポリス-子宮」仮想マシンが解釈実行---マシンの大元は
分子素子の動作がそのマシン語を解釈実行して、、
ワンの絨毯も絨毯巨大分子の成長=解釈実行があって始めて、、
これを強引に塵理論に当てはめるとお「事象の塵の集合」を
「解釈実行する主体」があって始めて認識する主体が存在できる
ような気がするのですが、、は要らないのでそうか?
JSBウザ
960 :
944:2006/12/02(土) 11:32:10
>>958 主観っていうのはソフトまたは演算結果の模像みたいなもので
それを実現するハードというか仕組みが必要だっていうこと?
というよりダラムが現実の正体として看破した「互いに無関係な事象の塵の海」の
そのさらに「外側の現実」があるはずだ、それも考えるべきだって言いたいのかな
主観って書いちゃったけど、塵理論では主観とか主体っていうのは
塵の順列組み合わせの一つ一つのパターン(944で線って言ったやつ)を指してた(はず)
そのパターンそれ自体が意識?を持ったら我々が主観と呼ぶものになる、という感じ
でもそこから先というか、解釈実行主体みたいな上のレベル?については言及されてない
(または自分の頭では読み取れなかった)
個人的にはパターンが意識を持つ、主体・主観になる理由ってのは偶然だと思う
もしくは意識を持つということこそが塵の中でパターンであるってことだとか わからないけど
『順列都市』では、事象の塵の孤絶な累積っていうのが現実の正体
あくまで話はその上で展開してその上で終わってると自分は受け取ってそう読んでた
その「外側」まで考えるのは、それこそ別の話になっちゃう気がする
ごめん、自分の頭ではこの程度
・・・ところで前に思ったんだけど、仮に塵理論が正しくて、
ホワイトノイズみたいな塵の集合体を主観が紡ぎあわせてるのが
この世界なんだとして・・・
このとき、もし同じ塵を繰り返し数えることが許されるとしたら、
最低0と1の1ビットの塵さえあれば、そこからあらゆる時間も空間も
敷き詰めれることになるんじゃないかな?
なんというか、タペストリーを織るみたいに。
限られる。
963 :
JSBウザ:2006/12/02(土) 23:20:47
>>961 >最低0と1の1ビットの塵さえあれば、そこからあらゆる時間も空間も
>敷き詰めれることになるんじゃないかな?
おまえ、前述のイーガンのインタビューを読んだ上で書いてないか?
読んでないでそこまで考えたのなら相当すごいぞ
インタビューでイーガンは
「0と1が一つずつあれば、あらゆる世界を記述できる。
それらを再利用すればいいのだから」と言っていたぞ
964 :
961:2006/12/02(土) 23:29:18
>>963 まじで?
なんか嬉しいなw
・・・てことは塵理論の塵ってのも実は一ビット、ってことか・・・
量子論では確か、同じ種類の粒子同士は互いに区別できない、んだよな?
その1ビットの塵を再利用、って話から、この世のすべてはたった一個の
究極基本粒子があらゆる場所に同時に出現して存在させている、ってのを思いついた。
…ものすごく働き者のメイドさんがたった一人で大きなお屋敷中を切り盛りしてる様子が
思い浮かんだんですが。
・陰陽1ビット
・それをつむぐ主観
がこの世の原材料すべて、ってことか。
なんか世界の仕組みがわかってしまった気がした
967 :
JSBウザ:2006/12/02(土) 23:52:50
>>965 >この世のすべてはたった一個の
>究極基本粒子があらゆる場所に同時に出現して存在させている、ってのを思いついた。
それは、ノーベル賞物理学者のファインマンがすでに提唱している
(違う物理学者だったかな?)
同種類の素粒子が区別できない理由は、その素粒子は実は一つしかなく、
それが4次元(3次元空間+時間)を自由に移動するので
複数あるように見えるって説だったような
969 :
名無しは無慈悲な夜の女王:2006/12/03(日) 03:08:03
で、あれは、実質的には何日くらいには本屋にならんでるの?
粒子と反粒子の対消滅
たとえば電子と陽電子が対消滅してガンマ線出す現象を時空図で見ると
未来に進んでた電子・陽電子が未来から来た光に弾き帰されて過去にむかってくことと変わらないとか
弾き帰されたのが陽電子・電子
光子対も同様
ウザウザJSB
>>972 何かと思ったら読みやすさが、かw
そりゃ超えてもおかしくなかろうw
たかがSF作家
それ程高い目標でもないしな〜w
>>967 ファインマンの著書で、ホイーラー教授のアイデアから実用性のある部分だけを盗んで
ファインマンダイヤグラムを完成させたと言ってた。
ホイーラーは遅延選択実験で人間原理を検証した人。
読みやすさで勝負したらイーガンはむしろダメな方だと思う
ばかだよなあ
読みやすさじゃなくて日本での出版作品数で勝負すればいいのにw
短編はむしろ読みやすいんだけどな
>>973 イーガン並の難解なテーマに挑みながら、それを理解させる点で
イーガンを超えている、という意味でしょう。読みやすさだけなら
ラノベにも劣りますから。
>>972 面白いテーマなので読んでみたいと思います。むか〜〜〜しガキのころ
「サイバーナイト」つう同氏の小説を破り捨てた経験があるので
非常に懐疑的ですが。
JSB氏の書き込みは非常にありがたい。インタビューまで読まんもの。
ありがとうございます。
JSB自演ワロスw
981 :
名無しは無慈悲な夜の女王:2006/12/04(月) 18:08:31
サイバーナイトテラナツカシスw
これのゲームを買うために、彼女の出演する演奏会を
すっぽかして下校した事がある
……ああ、今は航海してるさorz
ところで次スレ発進まだ?
山本周辺の信者アンチ本人は自分のスレから出てこないでくれる?
983 :
JSB自演ワロスw:2006/12/04(月) 21:02:51
一個人がイーガン越えたっつったら越えたことになるのか
イーガンに書かせたら喜びそうな話題だね
梅梅
小飼弾か
埋め・・・ということで好きな短編でも挙げてみる
ぼくになることを
ルミナス
適切な愛
最近イーガンは燃えにかたむいてきたと思う。万物理論くらいから。一周してガオガイガーみたいになったらとワクテカ
いやいや宇宙消失も順列都市もちゃんと燃えるぜ
「この俺じゃなくていい。他の奴を選べ」とか
「幸せでいるなら、彼らは俺なのさ」とか
確かに熱血じゃないけどね
祈りの海を読み終えた
やっぱ表題作だけあって、素晴らしいですねー
橋の描写の影響でえっちな夢を見たが
その後の神の存在を、全て脳内麻薬のせいだと
否定するくだりは、読んでいてゾクゾクしました。
誰もが一度は体験する出来事だと思うけど
すっかり忘れていた感傷を、呼び覚まされる様な感覚は
読んでいてとても気持ちの良いもんでした。
テンポも良かったし、話も分かりやすくて(・∀・)イイッ!!
順列都市が次に控えてて不安ですが
どうかサラっと読み終えれるよう、祈っております。
中学生は読まなくていいよ。
15日楽しみだねぇ