アルスラーン戦記の続編をマターリと待ち呆けるスレ

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632名無しは無慈悲な夜の女王
>>627
マジ。
ミスラ(ミトラ)は元々アーリア人の契約と友情の神様で、性格を同じくするバビロニアの司法神シャマシュ
(ウトゥ、ミシャルとも)と同一視された。(ハンムラビ法典はシャマシュに奉納さてたもの)
シャマシュが太陽神でもあることから、ミスラも太陽神となった。
太陽は冬に一度死んでから再び蘇るという考えから、冬至の祭りが太陽神ミスラの誕生祭りとなった。
12月25日なのは単なるキリ番でしょう。1日を分単位で計る時計のない時代にしては精度だね。

また、古代中東には「我が身を食物として捧げて人々を救う」農耕・作物の神と、
その妻ないし母(しばしば両方を兼ねる)である女神の信仰があって、具体的にはドゥムジとイシュタル(イラク)、
タンムズ(=アドニス)とアスタルテ(=アフロディテ)(フェニキア)、アポロンとアルテミス(≒レト)、
ディオニュソスとゼメロ(=セメレ)、アッティスとクババ(3つとも小アジア)、ドゥサレスとアラー(パルミラ)
などで、オシリスとイシス(エジプト)やコレーとデメテル(ギリシア)もこのバリエーションと言える。
このうち男神の多くは農耕の労働力である牡牛の化身とされ、祭儀では生贄に牛が捧げられた。
ただし、牛は貴重かつ高価であるため、血と肉をワインとパンで代用する事も多かった。
(ちなみにクババはカーバ$_殿の語源)

一方、イランにはサオシャントという「三千年ごとに訪れる世界の終末に現れて人々を救う」救世主伝説があり、
そしてこの両者が「人々を救う」という点を軸に習合されて、救世主であるミスラ神が作られた。
多分に政治的意図があっての習合で、アレキサンダー大王が始めてマルクス・アウレリアス帝の頃に完成された。
もちろんこの神の地上での化身は皇帝自身。
そしてこの設定をまんまパクってミスラにイエスという人格を与えたのがキリスト教。
だからイエスの誕生を祝いにミスラの神官であるマギが現れる。
キリスト教の二大祭のクリスマスはミスラ神の誕生日の流用であり、
復活祭は農耕神(特にアッティス)の復活、つまり春の訪れを祝う祭りの変形。
ミスラは追い出されたわけではなく、ミカエル(ミトラ・エル)としてキリスト教の守護者とされた。
633名無しは無慈悲な夜の女王:2005/12/28(水) 15:42:17
女神の方は、特にイシス、キュベレー(クババのギリシア名)デメテルを核にして、
ビブロスの女神であるマリ(海=マリンの語源)に集合された。海の民であるフェニキア人は、
自分達の女神アスタルテをマリと同一視しており、交易相手の女神も同じものと考えていた。
(ギリシアでも海の泡から生まれたアフロディテは航海の守り神でもあった)
今でもビブロスの遺跡には上記の女神の大半がマリと一緒に祭られている(地道な営業活動だなぁ)。
お分かりでしょうが、このマリを人間に置き換えたのがマリア様。その際、母は聖母マリア、
妻はマグダラのマリアとして分けられた。(流石に近親交配はまずいよねw)
処女受胎はキュベレーからだし、ガブリエルが告知に来るのはヘルメスがディニュソスを救う話、
旅先の(家畜小屋に使っている)洞窟で生まれるのは上記の男神の出生譚を組み合わせれば出来上がるし、
布教・奇跡・迫害・復活の場面はディオニュソス(≒タンムズ)やオシリスの神話にそっくりのシーンがある。

キリスト(メシア)というのは「油を塗られた者」の意味で王の称号なのは有名だけど、
これはシュメールのお祭りで子孫繁栄・豊作祈願の為に王様が女王または巫女とセックスする行事があって、
すべりを良くするために*ンコに油を塗ったのに由来する。当然ながら、生まれた子は神との交わり、
すなわち処女受胎によって生まれたと考えられたらしい。(子孫繁栄・豊作祈願・・・・あまりにも直接行動w)
また、大地母神の神事は洞窟や地下墓地で行なわれる事が多かったそうで(子宮のイメージだそうな)、
初期キリスト教がカタコンベを愛用していたのはこのパクリであり、迫害を避けるためと言うのは、
後の時代になってから他の宗派へのネガティブキャンペーンの疑いが濃厚。
迫害を受けるわけがないデメテル教もカタコンベ愛用者だし、イシスは墓にこだわるエジプトの神です。
(*にはチ、マいずれを入れてもOKです)

救世主ミスラ信仰は東にも伝わり、クシャーン朝時代に仏教に取り入れられて弥勒菩薩になった。
(ガンダーラはクシャーン朝の領土だった)