>>627 マジ。
ミスラ(ミトラ)は元々アーリア人の契約と友情の神様で、性格を同じくするバビロニアの司法神シャマシュ
(ウトゥ、ミシャルとも)と同一視された。(ハンムラビ法典はシャマシュに奉納さてたもの)
シャマシュが太陽神でもあることから、ミスラも太陽神となった。
太陽は冬に一度死んでから再び蘇るという考えから、冬至の祭りが太陽神ミスラの誕生祭りとなった。
12月25日なのは単なるキリ番でしょう。1日を分単位で計る時計のない時代にしては精度だね。
また、古代中東には「我が身を食物として捧げて人々を救う」農耕・作物の神と、
その妻ないし母(しばしば両方を兼ねる)である女神の信仰があって、具体的にはドゥムジとイシュタル(イラク)、
タンムズ(=アドニス)とアスタルテ(=アフロディテ)(フェニキア)、アポロンとアルテミス(≒レト)、
ディオニュソスとゼメロ(=セメレ)、アッティスとクババ(3つとも小アジア)、ドゥサレスとアラー(パルミラ)
などで、オシリスとイシス(エジプト)やコレーとデメテル(ギリシア)もこのバリエーションと言える。
このうち男神の多くは農耕の労働力である牡牛の化身とされ、祭儀では生贄に牛が捧げられた。
ただし、牛は貴重かつ高価であるため、血と肉をワインとパンで代用する事も多かった。
(ちなみにクババはカーバ$_殿の語源)
一方、イランにはサオシャントという「三千年ごとに訪れる世界の終末に現れて人々を救う」救世主伝説があり、
そしてこの両者が「人々を救う」という点を軸に習合されて、救世主であるミスラ神が作られた。
多分に政治的意図があっての習合で、アレキサンダー大王が始めてマルクス・アウレリアス帝の頃に完成された。
もちろんこの神の地上での化身は皇帝自身。
そしてこの設定をまんまパクってミスラにイエスという人格を与えたのがキリスト教。
だからイエスの誕生を祝いにミスラの神官であるマギが現れる。
キリスト教の二大祭のクリスマスはミスラ神の誕生日の流用であり、
復活祭は農耕神(特にアッティス)の復活、つまり春の訪れを祝う祭りの変形。
ミスラは追い出されたわけではなく、ミカエル(ミトラ・エル)としてキリスト教の守護者とされた。