★★★総力特集 元月光赤軍メンバーの贖罪の日々★★★
●一目置かれる無期懲役囚
「最初、まさかあのハゲ上がった汚いおっさんが、有名な月光赤軍のレントン・サーストンさんだとは思いもよりません
でした」
塔州中央刑務所で5年の刑期を終え、今年出所したばかりのS氏(50歳)は獄中での大物囚人との交流を振り返り
述壊する。
今から40年前の1月3日の雪が降り積もる日、首都郊外のいさま山にある州軍保養施設「いさま山荘」に管理人を
人質に取って6人の月光赤軍メンバーが立てこもった。その様子は全州へ生中継され、当時小学生だったS氏も
釘付けになっていたという。
「当時、総括ゴッコが流行りましてね『いじめっ子に、総括だ!といってリンチにされ、不登校になった。私が人生を
踏み外したのはあの頃』という話をレントンさんにすると、大粒の涙を流しながら土下座をして『申し訳ない…申し訳
ない…』と何度も地面に頭を擦り付けて謝るんです。これがあの恐ろしい月光赤軍のレントンさんかと目を疑いましたよ」
そんな元月光赤軍メンバーであったレントンの獄中生活はどんな感じだったのだろうか。
「基本的に模範囚です。ただ、新人が虐められてるのを見ると、どんな強い奴にでも食って掛かってましたね。だから
囚人達にも官にも信頼は厚かった。レントンさんを悪く言う人は一人もいないと思いますよ」
●間違いだった革命闘争
リンチによる被害者の中には、レントンの内縁の妻だったエウレカ(当時15歳)もいた。
「夜中に時々泣いていました。革命闘争は間違いだったとも常々話していました。ただ、まだ当時は14歳だったですし、
周りの異常な大人が洗脳してしまったんでしょうね。本当に異常な人たちばかりだったそうですから、不幸な境遇
だったとしか言いようがありません」
不幸な境遇と言えば、レントンの父親も姉も軍関係者、祖父は小さいながらも最先端技術を持つ軍需工場を経営
していた。そのため帝国主義と資本主義に対する少なからぬ反発を抱えていたのかもしれない。
「それはあったと思いますよ。ただレントンさんは改心していました。日曜には欠かさず自分の手で殺めた人に対し
祈りを捧げていましたし、手記の出版で設けたお金も全て被害者に送っていたようです」
去年10月13日未明、レントン・サーストンは独房でシャツを喉につめ窒息死しているのが発見された。自殺であった。
その夜は古来より十五夜といって満月の美しい夜とされているが、血塗られた元革命戦士は死ぬ前に月光を見、
何を思っていたのであろうか。