山本弘part13

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962927
>>956
>君の言っていた大学は余程特殊なところだったんだなあ。

あそこ(>>952)で漏れが述べたことは実は一種の試金石でして。
大学なり、なんなりで卒業論文一本仕上げた学生ならあれで十分通じると
漏れは確信しています(最近は指導教官がほとんど代作するというアレな
学校もあるそうですが)。

>この「前提」が不適切だと言うならば根拠を出せ、と
>皆言っているんだが、山本も君も
>「許されてはいけない」「不誠実」「論外」とか言うだけで
>何等具体的な根拠を示してくれないんだよな(笑)

で、漏れの方はその反応で知りたいことが
大体分かっちゃったりするわけです。
「なぜにこの人達は柳田氏批判の論旨が飲み込めないか」ということが。

ただ、上記のような言い方が逃げ口上にしか見えない視点が存在する
ことは理解します。
で、それをこちらが「わかりやすい形で」説明する義務があることも。

まー、一番手っ取り早いのは堅物系の著者が書いた「卒業論文の書き方」
とかいうハウツー本を繙いてみることでしょうか。

原典主義、資料の網羅、事実の記述と主観の記述の峻別、引用の作法とか
色々書いてると思いますが、これらがいわば「学術の掟」とでもいう物です
(「学術」としたのは人文系の科学も含めてという意味です)。

で、こういうのを日数かけて肌身で学ぶと、「ここまではセーフ。
ここからはアウト」という「掟」の解釈が知らずと身に付きます
(交通法規と実際の車の運転の違いと言えば近いでしょうか)。
963続き:04/02/02 18:05

一例を挙げれば、

「君の論文は英語の文献からも引用しているようだが」
「はい」
「フランスの学術誌に君が根拠とした説を否定する論文が載っているのだが」
「はい?」
「なぜに君の論文には書いてないのかね」
「フランス語は……」
「君がフランス語を読めるかどうかは関係ない。論文とはそういうものだ」
「……」

まあ、これは相当に意地悪なツッコミで、そのフランスの論文の翻訳は
入手可能で(もちろん店に売ってるわけではありませんし、日本語訳でも
ありませんが)、だからそれを落とすようじゃ駄目だよ、というくらいが
本音な訳ですが。

もちろん、いつもいつもこれではたまりませんが、その結果、
「流れにそって20キロオーバー」と「対向車線を逆走」の
重さの違いが分かるようになってくるわけです。

で、柳田氏に関して言えば、
「あれは(科学を名乗ってやるには)ちょっと行き過ぎじゃなかろうか……」
と考える人が出てくるわけです。学術のそういう掟に触れた人の中には。
(でもそれでわざわざ批判本を書くのは余程の変わりモンでしょうナ)。