● J・G・バラード ●

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37名無しは無慈悲な夜の女王
浅田彰:バラードの『ミレニアム・ピープル』

歴史の過程において、否定性――たとえば近代でいえばプロレタリア階級
の反体制闘争は、歴史を前進させるエネルギーだった。
だが、歴史が終わってしまえば、それは「用無しの否定性」(バタイユ)
となり、無益な爆発を繰り返すばかりだろう。
私は『20世紀文化の臨界』(青土社)で今は亡き日野啓三とともにJ・G・
バラードの軌跡をたどったことがあるが、それ以後の作品である『コカイ
ン・ナイント』(1996年・邦訳新潮社)、『スーパー・カンヌ』(2000年・
邦訳新潮社)、そして最近の『ミレニアム・ピープル』(フラミンゴ社)
の三部作は、そのような爆発を扱ったものとして位置づけられる。
そこではプロレタリア階級の搾取や貧困はもはや問題ではない。
むしろ、専門職についた豊かな中産階級が、何の理由もなく――強いて古い
枠組みで言えば管監視社会における生の意味の喪失に抵抗するかのように、
暴力を爆発させるのである。