>>44=
>>43だろうか?
ならば答えよう。
私が「ボヘミアンガラス・ストリート」の一巻を読んだ時の歓喜は説明しがたいものがある。
平井和正は未だに新境地に達することのできる精神の瑞々しさを持っていると思ったからだ。
しかし、巻を重ねて、私は落胆するようになる。
そこには読者を歓喜させる「物語」がなかったからだ。
人物造形や人物の感情を重要と明言してしまった作者は大失敗を仕出かした。
登場人物の描写にばかり躍起になり、多くの一般読者が求める「物語」を忘れてしまった。
私は読み続けながら、苛立ちを覚えた。
「おれは、なぜ、ポルノ小説など読んでいるのだろう?」と。
主人公は救い難く色ボケした少年としか思えなかった。
神さま、白いソアラ(?)などのワードが生かされているともとても思えない。
もう一つの大きな失望は「あとがき」であった。
言い訳がくどくど書いてあった。
私は「ボヘミアンガラス・ストリート」は、てっきり「平井版きまオレ」だと思っていた。
漫画「きまぐれオレンジ・ロード」に惚れて惚れて惚れ抜いた平井和正という「おっちゃん」が、恋の熱情に突き動かされて「平井版」を書いたものと思っていた。
それはそうだろう。主人公の少年や彼を取り巻く少女のタイプがそっくりなのだから。
しかし、作者はあとがきでそれを否定するかのような説明をくどくど繰り返していた。
私は読み終えた小説がつまらなかったことよりも、そちらの方がショックだった。
なぜ作者は「きまオレ」との関係をきっぱり切るかのようなことばかり書くのだろう、と。
それは自らの鼻の高さが事実を誤魔化そうと高説めかした卑怯な行為としか思えなかった。