○ほしのこえって言うかセカイ系
ほしのこえの感想を書いておきます。考えがまとまったとか、そういうレベルではな
いので感想をメモ程度につらつらと。
まず、ほしのこえをみて、加野瀬さんのところの「セカイ」という言葉があるという
タイトルの意味がようやく分かったり。今更なんですが。で、「セカイ」っていうのは
ケイタイの電波が届く場所なんだって漠然と思っていた。、とつながっていくわけです
ね。確かに言葉のリズム、つながり、流れはすごく気持ちがよいですね。見終わった感
想はまた違ったものだったのですけれど。
ラストにいたる流れに関して言えば、トップをねらえ!に近いような。しかし、トッ
プをねらえ!のラストでは、地球に帰ってきた、という安堵感と同時に、そこでの出迎
えの言葉から、とんでもなく未来に帰り着いてしまった、という避けようのない現実が
示されており、距離は離れていながら心は通じ合えていると感じながら終わるほしのこ
えとはまるで反対のことではないかと感じました。こんな状態でもあの人のことを想っ
ている“私”が好き、という部分がどうしても強く感じられて。(物理的、時間的に)
離れていても心が通じ合っている(ラストのお互いの心情を述べている部分が交互に出
てきて重なっている、というのはそういうことでしょう)とお互いが思っていても、そ
れはやっぱり幻想だと思われ。分かり合えることが出来ないのが前提で、それでもそれ
を埋めようとする部分にこそ、人間という存在のすばらしさがあるのではないですかね
。それを分かり合えているよ!とあっさりと勘違い(現状を肯定)してしまったらそこ
から先には進めない。それはある意味、幸せかもしれないが、なんか違う。てなことを
思ったけれど、それは本当なのかなあ。
THE MATRIXでは、本当の世界はこんなんじゃない、と苦しい戦いに挑んで
いったわけですが。本当の世界でなくても楽できて楽しければいい、という考え方もあ
りなのかも。正しい世界を求めるあまり、あの世界での多くの一般人を苦しい現実社会
に引き戻していいのか。THE MATRIXの無邪気さは“正しさ”のみに焦点が当
たっていて、“正しい”世界を取り戻す俺=ヒーローとなっているところなわけで。そ
の世界を取り戻した後の多くの人間にとっての苦しみ(想像だけれど、あの世界ならそ
うでしょ?)はどうなるのか。3部作といっていましたから、3作目のラストがどうな
るのかわかりませんが。俺はどう思っているのよ?という話になると思いますが、前者
よりなんだけれど、あまりにも難しい問題なので自分の中で答えが出ないです。世の中
に明らかな正義なり解答というものが存在して、それが絶えず示されているのならこん
なこと考えなくてもいいのにねえ。
などとどうしようもないことを考えていました。前述のとおり、見終わった時の感じ
はあまりよいものでは無かったです。この感じは、上遠野浩平作品、西尾維新作品、う
えお久光作品、最終兵器彼女あたりの読後感と似た感じですね。加野瀬さんも指摘され
ていますが、若年層を中心に受けている作品(だと思う)にある種の傾向があるのでし
ょう。どういう違和感かといわれれば、核心をついた言葉は出てこないけれど。とりあ
えず、この作品には本当にセカイには二人しか存在しない。そのことが何よりも強烈な
違和感として感じられました。それは製作環境によるものなのかもしれないけれど。
それから、セカイ系つながりで西尾維新作品でつらいなと思う部分というのは。こん
]なに駄目な“ぼく!”と自己言及・自己否定を先にやってしまっているところ。これ
で回りからの突込みを結果的に回避してしまっている。それを意識しているのかどうか
は知らない(恐らく作者は意識している)けれど、これは居心地が悪い。先にいいわけ
ありきのような。
散々いろいろ書いてきましたが。書いてきた俺自身が、真剣30代シャベリ場てな感
じで格好悪いですね。そこにある結末をそのまま受け取れずにこれだけいろいろ妄想で
きるほうがドリーミーなんでしょうか。とりあえず、今回のはあんまりなので、また何
か書くでしょう。