1 :
大人になった名無しさん :
2008/01/23(水) 03:54:28
/\___/\ / / ヽ ::: \ | (●), 、(●)、 | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | ,,ノ(、_, )ヽ、,, | < ま〜た始まった | ,;‐=‐ヽ .:::::| \_______ \ `ニニ´ .:::/ /`ー‐--‐‐―´´\
3 :
大人になった名無しさん :2008/01/23(水) 12:33:33
これは殺人犯の精神鑑定に 使われた話らしい。 お父さん、お母さん、息子のある平凡な3人家族がいました。 ある日、お父さんが不慮の事故で亡くなってしまいます。 その葬式で、お母さんは何を思ったのか、葬儀に来ていたお父さんの会社の格好いい人に一目惚れしてしまいます。 数日後、お母さんは自分の息子を殺してしまいました。 なぜ、お母さんは自分の息子を殺したのですか? 考えた人は下の結果に進んで下さい。 ↓ 「息子が邪魔だから」90何%の人がそう答えるそうです。 そう答える人は正常らしい。 ↓ でも宮崎努と酒鬼薔薇聖人はそれとは違う答を言ったらしい。 しかも2人とも同じ答。 ↓ 「息子の葬式で、またあの人に会えるから」
結婚するのに邪魔だから息子を殺すと答えるのが正しいなんていう鑑定に本当に信憑性があるのか疑う
5 :
大人になった名無しさん :2008/01/25(金) 20:14:24
俺正直この話何かの本で見たことあるぞ・・・ 確か古本屋だったような・・・・・ いや・・・・ハローバイバイの奴か・・・・
sage
sage
8 :
大人になった名無しさん :2008/02/03(日) 16:50:05
鳥肌立った…
sage
sage
sage
12 :
大人になった名無しさん :2008/02/27(水) 16:14:58
セピアではない件
sage
>>5 砂糖菓子の弾丸は打ちぬけない
桜庭一樹の小説にも出てた。
sage
sage
保守
保守
19 :
大人になった名無しさん :2008/03/31(月) 13:28:53
20 :
大人になった名無しさん :2008/04/10(木) 16:57:47
あぃよ
21 :
大人になった名無しさん :2008/04/10(木) 22:47:27
俺の祖父は医者だった。 っていっても金はなく家はボロボロで食事なんか庭の野菜とお茶漬けと患者さんからの頂き物だけ。 毎朝4時に起きて身寄りのいない体の不自由なお年寄りの家を診察時間になるまで何件も往診して回る。 診察時間になると戻ってきて待合室に入りきらないで外まで並んでる患者さんを診察していく。 昼休みはおにぎりを片手にまた往診。 午後の診察をこなし食事をすませてまた往診。 夜中に玄関口に患者が来たり電話があればいつでも駆けつける。 一年365日休みなど無かった。 自分の体調が悪くなっても自分を必要としている人がいるからと病院にもいかず診療を続け無理矢理家族に 病院に連れて行かれた時にはもう手遅れ。 末期がんだった。 でもどうせ治らないなら入院はしないと痛みをごまかし死ぬ間際まで往診続けてた。 遺産なんか何もなし。残ったのはボロボロの家だけ。 聞けば治療費を支払えない人ばかりを診察・往診していてほとんど収入なんか無かったんだって。 でも葬式のとき驚いた。 患者だけで1000人ぐらい弔問に訪れ、中には車椅子の人や付き添いの人に背負われながら来る人もいた。 みんな涙をボロボロ流して「先生ありがとう、ありがとう」と拝んでいた。 毎年命日には年々みんな亡くなっていくからか数は少なくなってきてはいるけど患者さんたちが焼香に訪れる。 かつて治療費を支払えず無償で診ていた人から毎月何通も現金書留が届く。 いつも忙しくしてたから遊んだ記憶、甘えた記憶など数えるぐらいしかないけど今でも強烈に思い出すことがある。
22 :
大人になった名無しさん :2008/04/10(木) 22:47:47
それは俺が厨房のときに悪に憧れて万引きだの、恐喝だの繰り返していたとき。 万引きして店員につかまって親の連絡先を教えろと言われて親はいないと嘘ついてどうせじいちゃんは往診でいないだろ と思ってじいちゃんの連絡先を告げた。 そしたらどこをどう伝わったのか知らないけどすぐに白衣着たじいちゃんが店に飛び込んできた。 店に着くなり床に頭をこすりつけて「すいません、すいません。」と土下座してた。 自慢だったじいちゃんのそんな無様な姿を見て自分が本当に情けなくなって俺も涙流しながらいつの間にか一緒に土下座してた。 帰り道はずっと無言だった。 怒られるでも、何か聞かれるでもなくただただ無言。 逆にそれがつらかった。 家にもうすぐ着くというときふいにじいちゃんが「おまえ酒飲んだことあるか?」と聞いてきた。 「無い」と言うとじいちゃんは「よし、着いて来い」と一言言ってスタスタ歩いていった。 着いた先はスナックみたいなところ。そこでガンガン酒飲まされた。 普段仕事しているところしか見た事がないじいちゃんが酒飲むのを見るのも、なによりこんなとこにいる自体なんだか不思議だった。 二人とも結構酔っ払って帰る道すがら川沿いに腰掛けて休憩してたらじいちゃんがポツリと 「じいちゃんは仕事しか知らないからなぁ。おまえは悪いことも良い事もいっぱい体験できててうらやましい。 お前は男だ。悪いことしたくなることもあるだろう。どんなに悪いことをしても良い。ただ筋の通らない悪さはするな。」 と言われてなんだか緊張の糸が切れてずっと涙が止まらなかった。 それから俺の人生が変わった気がする。 じいちゃんのような医者になるって決めて必死で勉強してもともと頭はそんなに良くは無いから二浪したけど国立の医学部に合格した。 今年晴れて医学部を卒業しました。 じいちゃんが残してくれたボロボロの家のほかにもうひとつ残してくれたもの。 毎日首にかけていた聴診器。あの土下座してたときも首にかかっていた聴診器。 その聴診器をやっと使えるときがきた。 さび付いてるけど俺の宝物。 俺もじいちゃんみたいな医者になろうと思う。 長文失礼しました。
23 :
大人になった名無しさん :2008/04/10(木) 22:58:18
>>22 じいちゃんを超える医者になれ。それが何よりの供養だ。
そして、いい話をありがとう。
部活で一緒で後輩だった君の、ほっぺを触ったり、ストーブであったまったり、ねこと遊んだり。 熊本行きのPAで就職の相談の電話がきたことかな。 結局ダラダラ話して笑って電話終わらして。 彼氏がいるとかいないとか結局聞けずに好きともいえずに 二回もすれ違って結局いまじゃ音信不通 だけど、ありがとな。あの頃に戻りたい。 今もまだ想っている自分が情けないよ。
>>22 世の中、学力があるというだけで医者の道を選ぶ人がたくさんいると思う。
本当の志を持ったあなたみたいな人が、医学の道へ進んで欲しいと心から
思います。
26 :
大人になった名無しさん :2008/04/12(土) 01:44:35
27 :
大人になった名無しさん :2008/04/12(土) 12:33:36
自分の身体を優先にしてれば、もっと沢山の患者を助ける事ができただろう。
28 :
大人になった名無しさん :2008/04/17(木) 00:08:11
>22 素敵な話をありがとう。 泣いてしまいました。 おじいちゃんはきっとあなたが 医者を目差した事、自分の背中(おじいちゃん)を見て目差してくれた事、晴れて医者になれた事… とても喜んでますね。 そしておじいちゃんの信念を受け継ぎ、あなたがおじいちゃんのような医者になったら もっともっと喜んでくれると思います。 頑張ってくださいね!
29 :
大人になった名無しさん :2008/04/18(金) 05:17:06
先日ばあちゃんが亡くなりました。 俺は今実家を離れて学校に通っているので、夜中に電話でその事を伝えられました。 俺が高校の時に足を悪くして以来、ずっと車椅子だったばあちゃん。 丁度その位から手術やらを何回もするようになって、一気に体調を崩し始めた気がする。 ばあちゃんと俺は昔は仲がよかった。 けど、大人になっていくにつれ何故だかばあちゃんとうまく話せなくなってきた。 目上と話すのに気を使ってしまうようになってしまっていたから、ばあちゃん話すのを避けていたのかもしれない。 いつのまにか、俺は自分からばあちゃんに話し掛けなくなっていた。
30 :
大人になった名無しさん :2008/04/18(金) 05:40:21
今年になってすぐ、母から電話。 ばあちゃんはもう長くないかもしれないと伝えられた。 医者の見立てでは、延命措置をとってもあまり変わらないかもしれないとのこと。 母は医者にその事を聞かされたとき 「延命処置するのと何もしないなら、どっちが楽ですか?」 と尋ねたらしい。 ばあちゃんは母にとっての実母。ばあちゃんが歩けなくなってからは、母は懸命にばあちゃんの面倒をみてた。 自分の睡眠時間を削って、夜中に何度も起きていたのを知っている。 母は体が丈夫ではなく、久しぶりに会ったりすると、はっきりと体調の悪さがわかった。 父は義母であるばあちゃんの介護にはノータッチだったが、母は何の文句も言わず1人で面倒を見てた。 俺自身夏休みに実家に帰っても遊んでばかりで、何も手伝ったりしていなかった。 俺は電話でばあちゃんの話を聞いた時、そんな資格もないのに 「延命措置を取ればもしかしたらまだ生きれるんじゃないか」 と母に意見した。何も手伝ってない俺には言えた事ではなかったが、母は穏やかな口調で 「今の治療でさえ大変やのに、延命措置を取ったらますます苦しくなる。 変わらんなら、おばあちゃんをもう苦しめたくないんよ」 と言った。 ばあちゃんの大変さをわかっている母だから言える言葉だった。
31 :
大人になった名無しさん :2008/04/18(金) 05:52:59
母の電話を受けてから俺はすぐに実家へ帰った。 ばあちゃんに会えるのはこれが最後かもしれないと思ったから。 母は電話で、今のばあちゃんを見たらびっくりすると言っていたが、本当に驚いた。 ばあちゃんは綺麗な人だったが、体は痩せ細り頬はこけ、目は虚ろで、人相が随分変わっていた。 聞けば、ここ数日何も話さず、家族の顔も認識していないらしい。 病は気からという言葉は本当で、あまり人と話さず刺激がないため、一気に症状が進行したのだ。 ばあちゃんはもう、自分で物を食べる事もベッドから起きる事もできなくなっていた。 こんなになるまで俺は何もしてこなかったんだ。後悔した。 俺は実家にいるあいだずっとばあちゃんに話し掛けた。 そして先日。ばあちゃんは亡くなった。桜が丁度満開になって、温かくなってきた時だった。
32 :
大人になった名無しさん :2008/04/18(金) 06:17:33
通夜の前にばあちゃんの顔が見たくて、急いで実家に戻った。 化粧をしてもらい綺麗な顔。お気に入りの着物を着てばあちゃんは静かに寝てた。 覚悟してたし、ばあちゃんの姿見ても泣かないかなと思ってたけど、すぐ涙でてきた。 心の中で、 「ばあちゃんごめんね、ごめん。ずっと何もできなくてごめん」 何度も謝った。 通夜と葬式でアホほど泣いたけど、喪主だった母の葬式の挨拶がいつまでも心に残った。 「母は足を悪くして以来、車椅子での生活でした。 不便な生活を強いられ、不満もあったと思います。 体調を崩してからは、食事も色々と制限され、大好きなお茶も飲めなくなり、恨めしい顔をされたこともありました。 それでも、苦しい闘病生活に弱虫で泣き虫だった母が泣き言を言わず耐えてくれました。 苦しまず楽に最期を迎えられたのがせめてもの救いです。 丁度去年の今頃、母と2人でお弁当を持って花見に行きました。とてもきれいな桜で、母と2人で来年も見に来ようねと話しておりました。 ありがたい事に、戒名に春と光という文字を頂きました。 今頃母は車椅子から解放され あー、やれやれ、やっとやわ と言いながら、春の光の中を、自分の足で歩きながら桜を眺めていると思います」 泣きながら話す母の姿に、涙が止まらなかった。
33 :
大人になった名無しさん :2008/04/18(金) 06:34:42
昨日色々片付けをしてると、母が何やら届いた荷物を開けていました。 何が入っているのか見てみるとそれは、カロリーを取るための桃のジュースや、血圧をあげるゼリーなど 食事制限で好きなお菓子なんかが食べれないばあちゃんのために母が注文していた商品でした。 「あー、これ全部そうやわ 間に合わんかったなー」 と苦笑いの母がとても寂しそうに見えました。 高校の時から音楽の道に進むと決めていた俺をばあちゃんは応援してくれて 「うちの孫は将来歌手になるんよー」 ってよくご近所に自慢してたっけ。 俺がもっと話し掛けて一緒に笑ってたら、ばあちゃんまだ元気だったかな? ずっと後悔してます。 つまらない話を長々と書いてすいませんでした。 どこかにこのモヤモヤした気持ちを吐き出したかったんです。
34 :
大人になった名無しさん :2008/04/18(金) 13:50:15
うちの親父今年の命日で丸七年になっちゃうんだけど 親だから言う訳じゃないけど死んでからも誰からも悪口言われるような人じゃなくて 絵に描いたようないい人とか優しい人だった 記憶にある怒られたことも消防の頃面白半分で万引きしたのがバレた時とか ホントに悪いことをした時くらいだった この親父、昔から日記とか認めてたような人で 死んで遺品整理してたら高校〜社会人(結婚するまで)のが出てきたのよ 大学の頃のはダブりそうだとか書いてあって 息子と同じようなことやってたんだなって泣きながら読んでて お袋と結婚するまでの一年間の部分なんか 「○○さんに早く逢いたい」「早く結婚したい」とか 挙げ句、どうやら親父にとって初めての女性がおかんだったらしく 読んでるこっちが恥ずかしくなるような内容が認めてあったわけよ まさか10年後くらい先に産まれる息子に しかも自分が死んでから読まれるなんて思ってなかったろうけどww それ読んでお見合い結婚で一緒になった人で こんなにも馬鹿正直におかんを愛してたことが判ってすんごく嬉しかった その恥ずかしい内容の日記はおかんも恥ずかしいだろうから 今でも俺が持っちゃってる 親父ももっとおかんと一緒に居たかったろうし 生前は忙しすぎて定年なったら旅行とかもしたかったみたいだった 俺もなんとか結婚できて、しかも親父と違って恋愛結婚だしw 自分の奥さんの幸せと親父が果たせなかったお袋の幸せ 未来に産まれてくるであろう自分の子供の幸せ 重いけど背負おうと思います。多分それも幸せだと思うから なんか支離滅裂駄文すいませんでした 何となく自分に言い聞かせたかった
35 :
大人になった名無しさん :2008/04/18(金) 22:29:36
↑ 文才がなさすぎて何が言いたいのかわからん。 そういう意味では22は文才がある。 起承転結きちんとしてるし読むものを引き付ける書き方をしている。 ただダラダラ長いわけでなく伝えたいことが簡潔にまとまっている。
文才とかどうでもいいんだよ・・・・ここは創作文芸板じゃねえんだぞ。 読みとこうとする努力さえするなら十分いい話だった。
37 :
大人になった名無しさん :2008/04/20(日) 01:35:58
俺の一才下の妹は、よく出来たヤツだった。 成績が、とかじゃなく人間的にっていうか。 明るいし、誰とでもすぐ仲良くなれる。「M(妹)ちゃんはええねえ! いつもニコニコして元気で優しくてなぁ!」と近所や学校でも褒めちぎられ る事なんてザラだ。そのうえ顔も可愛い。 一方の俺は鉄男経由のアニヲタで、俯きがちの根暗で、友人も極少、赤面症の ダメ人間www「ほんまあのMの兄ちゃんなんか?」「お前なんか捨て子や!」 とからかわれる事もあったし、妹の同級生からも「こんなお兄ちゃんでM ちゃん可哀想やわ〜」「気持ち悪い〜」と笑われた。 だから俺は、かなり妹に辛くあたっていた。 お前がそんなんだから、俺のアラが目だつんだ。お前さえいなけりゃ。 「金輪際、俺の妹だって言うなよ!」 そう言った事もあった。妹は泣きそうな顔をして、何も言わなかった。 妹はよく俺の事を友人に言っていたのだ。 「Iくん(俺の名前。妹は昔から俺を”くん”付けで呼ぶ)って超頭いい の!何でも知ってるんだから!」 と、自慢していた。確かに俺は成績はよかった。勉強が好きだったから。 だが俺には、妹のその行動が皮肉にしか思えなかった。どうせ俺はガリ勉だ よ、そう言いたいんだろ、お前みたいに友達が多くないから、勉強のが楽し いんだよ…! 俺はそんな考えしかもてないような捻くれたダメ人間だった。 そんな中、イジメが悪化した。 (続く)
38 :
大人になった名無しさん :2008/04/20(日) 02:03:01
当初、幼い頃から外国にいたせいか、いまいち日本語や日本特有のカスタム に慣れていなかったため「ガイジン!」や「非国民!」などとからか われていた(これらは妹も言われていた)。俺は受け流せずに心を閉ざして しまっていた。西の田舎の方だったので閉鎖的な文化があったのかもしれない。 俺は日本人そのものを嫌悪するようになっていたのだ。だから言い返さなか ったし、無反応を決め込んでいた。 だが、そのうち「からかい」では済まなくなっていった。 詳細は省くが、とにかく俺がとある件の「犯人」にしたてあげられた のだ。いくら俺が違うと叫んでも、誰も聞いてくれない。 「お前しかおらんやん!」「白状せえ!」「ガイジンは手癖が悪くて かなわんな」「キャハハハハ!」 怒鳴り声、高圧的な笑い声、教師も疑わしげな表情をしている。まあ、 普段から無愛想で、「お前らの事なんて好きじゃねえよ」的オーラを出 している男子を信じろっていうのも無理な話かもしれないが。 皆の怒号と注がれる軽蔑の眼差しに耐え切れずに、俺は教室を飛び出そ うとする。「逃げんなや!」男子がそれを阻む。「最低やな」女子がヒソ ヒソとこちらを見ながら言う。気が狂いそうだった。周りがみんな敵なの だと悟る。パニック障害の発作が出そうだった。 その時。 「Iくん、帰ろ!」 の声とともにドアを開け放ったのは… 目に涙をためて、顔を真っ赤にした、妹、だった。 ランドセルも背負わず、体操着のまま、今にも泣き出しそうな顔で俺に 手を差し出す妹の姿を、俺は忘れる事は無いだろう。 俺は、吸い込まれるように妹の手を取った。妹はぎゅっと握り返して きた。そして、クラス中をキッと睨みつけ、 「you people are so pathetic!! screw you!!」(アンタら最低よ! みたいな意味ですな。ホントはもっと汚い言葉を使ってたwww) と泣き叫んで、俺の手をひいて駆け出した。上履きのまま、学校の外 へ出て家へとそのまま走った。おいおい授業中だぞ、と思うくらいに 俺は落ち着いていた。パニック障害の発作も引っ込んだようだった。 (続く)
39 :
大人になった名無しさん :2008/04/20(日) 02:27:54
その後もたいへんだった。家にたどり着いた妹は母親に泣きながら抱きつき、 英語で(この時期妹は興奮すると英語しか出てこなかった)泣き叫んでいた。 だが母親は英語がそこまで分からないので「?」。 担任や校長が説明に来ると、妹がいちいち噛み付く。 「Iくんを庇わなかったくせに!」 「男子が乱暴していたのに止めなかったくせに!」 「「ガイジン」って言われてるのに、何も注意しないくせに!」 妹の怒りは凄まじく、当の俺は隣で黙っていた。本当に情けない兄貴だ。 妹が、言いたい事を全部言ってくれている。あんな下らない疑いを一片 たりとも信じず、俺を信じている。少しも疑っていない。 妹はたまたま体育の帰り道に俺の教室の前を通ったらしく、その際に教室 の騒ぎを聞きつけて、飛び込んだらしい。Iくんがそんな事する筈が無い と。ひどい、と。上級生の教室なんて入るのも恐いだろうに…。 「ヒッ」 隣で突然、妹の喉が鳴った。そしてそのまま床に倒れた。びくっと身体が 大きく震えた。 「M子!」 俺は妹に駆け寄る。泡を吹いている。息が出来なくなると思い、俺は必死 に泡をぬぐった。それでも泡は出てくる。俺はぬぐう。俺は泣きながら 「死ぬな!」と叫びながらぬぐっていた。 (続く)
40 :
大人になった名無しさん :2008/04/20(日) 02:51:13
妹はひきつけを起こしていただけだった。子供はよく起こすらしい。 だが病院のベッドに横たわる妹の顔色は悪く、俺は傍を離れなかった。 両親も傍にいた。 妹も、住み慣れたのんびりした国(豪州)からいきなり日本に移住し て、相当のストレスを溜め込んでいたらしい。無理していたのだろう。 自分だけでもたいへんなのに、情けない兄貴は苛められているときてい る…。俺の事をからかわれて、喧嘩をして怪我をする事も多かったのだ とその時母に知らされた。 「Iくんは優しいからね、人をぶてないからね。私がぶつの」 そう言っていたらしい。 俺は泣いた。 妹の優しさに。思いやりに。こんな兄貴なのに全幅の信頼を寄せてくれ ている事に。俺自身よりも俺を信じていてくれることに。あんなに酷い 事を言ったのに、変わらず俺を慕ってくれることに。 なんて大きな存在なんだろう、と俺は思った。震えが来る程だった。 こんなに小さい妹なのに、何てでかい存在だ…。 大切にしなければいけない、と俺はその時明確に、強く思った。 いや、誓った。 本来なら、俺が守るべきなんだ。 その後、転勤族の我が家はアルゼンチンに数年滞在し、東京へと落ち着い た。東京では、俺はすんなりとなじめた。やはり俺にとって、日本の田舎 は恐怖だ。東京は、よそものに優しい。生粋の東京人は、よそものを受け 入れるのに慣れているからだろう。 俺は恐らく、日本で住めるのは東京か横浜だけだ。あとの場所に住むく らいなら北京に住むってくらい。 そんな俺たちは、高校生になった。 (続く)
42 :
大人になった名無しさん :2008/04/20(日) 18:41:11
友人もぼちぼち出来て(といっても秋葉原でしか自分を解放出来ないアニヲタども のみなのだがwww)、俺は穏やかな日々を送っていた。相変わらず自分に自信は なかったが。 東京で、俺は中高一貫の男子校に、妹も中高一貫の女子校に進学した。 二人とも一応、都内では名の通った進学校、いわゆる御三家だ。妹は頭が良い方で はあったが、御三家に受かるまでとは思わなかった。唯一勝っていた勉強ですら抜 かれるのでは…などと心配するほどに、俺は情けないままだった。 俺が守るなんて誓っておいて、俺はなんにも行動に移せていなかった。 妹はあのまま成長した。優しく明るくよく笑う、東京でも彼女は評判のいい娘 さんだ。ちょっと服装は派手になったが(茶髪にピアス)、それを感じさせな い程におおらかで素直だった。 ある日の事。 家に帰ると、玄関に靴が綺麗にたくさん並べてあった。そして二階からはキャッ キャッと明るい笑い声。そこへおめかしした母が現れ、 「あらI、お帰り。あのね、Mのお友達が来てるんだけど、ママは今日パパとご飯 食べにいくのよ。だから夕飯、ピザが出前とっていいからあの子達と食べちゃって ねー」 予算は一万円よ、などと言いながら母は出て行ってしまった。 俺はその場に固まった。 妹の友人は、写真で見た事がある。華やかで可愛い、長いセーターに短いスカー トの今時の子達だった。頭もよくて可愛い、私達が世界の中心よと、自信に満ち 溢れた、気の強そうな女の子達だった。 恐い。 そう思うと同時に、妹が不憫になった。こんなキモイ兄貴がいるって分かった ら、友人達に引かれるだろう。妹だって嫌だろう。 このまま連れの家に行こう。 妹も恥ずかしいに違いない。あんな華やかな妹に、こんなヲタで気弱でダメな 兄貴なんて似合わない。 そう思ってドアに手をかけた瞬間、 「あれ?」 背後から声がした。
43 :
大人になった名無しさん :2008/04/20(日) 19:02:09
(↑の続き) そこにいたのは、妹とその友人と思しき人だった。妹と同じで、気が強そうで 華やかで、パッチリした目をしていた。 やばい。早く逃げなきゃ。 俺は自分の家なのにも関わらず「し、失礼します」とボソリと言って出ていこ うとした。 「Iくん! お帰りー!!」 妹はいつも通りに右手を高々とあげて駆け寄ってきた。その声に、他の友人達 も二階から降りてきた。ポカンとした顔をして、こっちを見ている。 馬鹿だな、お前何やってんだよ…こんな貧相でキモイ情けない兄貴がいるの嫌だ ろうって思って静かに出て行こうとしてんのに!何でそんな笑顔で駆け寄ってく るんだよ。何で俺の腕つかんで家にあげようとすんだよ。 「これ、私のお兄ちゃん!」じゃねえよ、近所の兄ちゃんですって言い訳も出来 なくなっちまったろうが。 その時、クスっと、友人達が笑った。 あたまの中が真っ白になる。 ほらみろほらみろ!言われるぞ!「つかアンタの兄貴きもくね?」「やばいって もしかしてオタクってやつ?」「笑えるんだけど!!」とかって言われるぞ… ごめんごめんごめんよM子、もっと早く出て行けばよかった――― 「M子、いい年してお兄ちゃんを”君”付けすんなよー!」 「I君なんて呼ぶから親公認の彼氏かと思ったんだけど、お兄ちゃんかよww」 「マジビビったわ。普通に二股じゃん、って思っちゃった」 と彼女たちはコロコロ笑った。 妹が俺の事を名前で呼ぶものだから、どうやら彼氏だと誤解したらしい。 というか妹は彼氏がいたのだな…まあいてもおかしくはないが。 複雑な思いだったが、妹が全く恥ずかしがらずに、普通に俺を兄だと紹介してく れた事に、俺は何だかとても嬉しくなると同時に、恥ずかしくなった。 俺は、妹を疑っていたのだ。この期に及んで。
44 :
大人になった名無しさん :2008/04/20(日) 20:36:23
家の外で俺を褒めるのも、俺に同情しているから。 俺によく勉強の質問をしてくるのも、プライドだけは無駄に高い俺に気を遣って いるから。 俺に何かと相談事を持ちかけてくるのも、兄貴を立てようと思っての事だと。 捻くれたダメ人間の俺は、何処かそう考えていた。 妹も、本心では俺を見下しているに違いない。恥ずかしがっているに違いない。 きもいって思ってるんだろう。ダメな人間だと思っているんだろうって。 あの時、上級生の教室に勇気を出して入ってきてくれたっていうのに。 担任と教頭っていう大の大人相手に怒鳴りつけてくれたっていうのに。 引きつけを起こすくらいに、怒ってくれたのに。泣いてくれたのに。 俺のために。 そこまでしてくれたのに、俺は妹を疑っていたんだ。 ごめんな。 甘くみてたよ、お前のこと。 こんなダメ人間でも、お前は愛してくれんだな。 俺はその日の夜、妹たちに好きなだけ出前をとらせた。 「予算あるんじゃないの?」 妹が心配そうだが、気にするな、足が出た分は兄ちゃんが払ってやる! それを聞いた友人達も「おとこまえー!!」「さすがMの兄ちゃん!!」と嬉 しそうだった。 結局その晩は予算の二倍遣ってしまった…。 でもその後、妹とその友人達から連名でプレゼントを貰ったので、まぁいいか。
45 :
大人になった名無しさん :2008/04/20(日) 21:02:27
妹の存在を大きさを再確認した後、俺は変わらなければと思った。 部活に入った。 試合に出られる事はあんまり無かったけど、妹が応援に来てくれるのが 嬉しかった。でも試合会場でナンパされたり、部活仲間に話題にされて ばかりだったから心配だった。でも、「俺の妹だ」っていうのが誇らし かった。 人前に出るバイトを始めた。 どもる癖と赤面症で苦労したけど、妹になんか高いものを買ってやりた かったので頑張った。今までも誕生日とクリスマスはちょっとしたもの (花とかぬいぐるみとか)をあげてたけど、その時は2万の香水セット を買った。デパートのお姉さんと一緒に見繕った。sweet sixteenだった ので特別なものをあげたかった。 妹は「ギャー!!」と叫んで喜んでたwww その後、お互い大学生になって、俺は院に、妹が勤めだした。 大手商社の総合職。営業。 まさか妹が先に家に金を入れるようになるとはなwww 相変わらずのダメ兄貴だw 仕事の悩みなんて当時の俺には分からなかったけど、研究で遅くなって 家に帰ると、妹が食卓で難しい顔をして座り込んでいる事がしばしば あった。俺は人の話を聞くのも話をするのも上手くないから、何もアド バイスは出来なかった。だからお土産に買って帰ったコンビニのケーキ やアイスを「食うか」と言う事しか出来なかった。 時々泣いていたな、お前。泣きながらアイス食ってた。 そんなに辛いのか。だったらやめちまえ。どいつがお前を泣かしてんだ。 周りが悪いに決まってる。お前は悪くない。 そう言うと、妹は余計に泣いてしまった。 あわてた俺は、「そ、そそそ、そういえば、俺が今研究してる―――」 と何故か研究内容を話しだす始末www バリバリ文系の妹に分かるわけねっつのwww だけど妹は泣き笑いして聞いてくれた。
46 :
大人になった名無しさん :2008/04/20(日) 21:20:09
「M子さんは、よくお兄さんの話をするんですよ」 目の前の青年ははにかみながら、俺にそう言う。 「そうなんですか」 「はい。昔から何でもお兄さんに相談してたって。勉強にしたって何にしたっ て、とても丁寧に話を聞いてくれるんだって。小さい頃、周りの友人の兄ちゃ ん達は、妹や弟と叩いたりイジワルしたりしたけど、Iさんは絶対に自分にそ んな事しなかったって」 妹を叩く?んな事するわけないだろ。一体何処の世界に、妹を叩いたり意地悪す る兄貴がいるっていうんだ。 「ふうん…」 「兄貴風をふかしてえらそうにしないで、おもちゃでもお菓子でも、何でも最 初に選ばせてくれたって。穏やかで優しくて、何に関しても自分を優先してく れたと」 俺はそんなに物欲が無いんだよ。妹の方がお菓子が好きなんだし、そんなのは 当たり前だ。そんな事で俺を褒めるな…。 「へえ…」 「何があっても絶対に自分の味方でいてくれるから、相談するととても心強か った、だから何でも相談したんだって。頼りになる、自慢の兄貴だって、いつ もそういうんですよ」 妬けますよ、とそいつは笑った。 自慢の兄貴だって。 俺が? 笑わせるじゃないか、M子。 こんなに情けないダメ兄貴を捕まえて「自慢」? 26年間一緒に生きて、結論がそれか?ファイナルアンサー? 「だから、ご両親とは別に、別途お兄さんからお許しをいただきに参りました」
47 :
大人になった名無しさん :2008/04/20(日) 23:48:46
>>46 それで、それでどうなったの、
続きを聞かせて。
48 :
大人になった名無しさん :2008/04/21(月) 00:20:03
許すだ? 何を? 「M子さんを、僕に下さい」 …誰が許すか!! だいたいお前、妹をどれくらい知ってんだ。お前が妹の何を知ってるって 言うんだなんにも知らないくせに何も知らねえだろうがあぁっ!! こいつはな、結構だらしないぞ。人の服を勝手に寝巻きにしたり人が取 っておいたレア地ビールを勝手に飲んで酔っ払ってたりするしだな… そ、それに結構わがままだぞ。人がやっとの思いでUFOキャッチャー で取ったFFのキャラのぬいぐるみ、平気で自分のもんにしてるんだぞ。 しかも無断でだ!別にいいけど! あと人がニュース見てるのに、勝手にバラエティにチャンネル変えて 「いいじゃーん」の一言で済ますんだぞ? 別にいいけど! それと、俺も読みたいのに、新聞を会社に持ってっちまうんだぞ? 「コラ!」っつっても「ごみーん☆」で全部済ませるぞ?? あと、自分でホラー映画借りてきて恐くなったもんだからって、 「Iくんも一緒に起きてて!」って、俺はなぁ、研究続きで徹夜してた んだぞ…!結局付き合ってしまったしな! あとなあ、あいつは気が強そうに見えるけど、結構溜め込むからな。 ああいう一見明るいヤツの方が、俺みたいな準ひきこもりの甘ったれより よっぽど我慢して苦労してんだからな。 あいつは簡単に弱音を吐かないからな、あいつが話し出したら最後まで 全部聞いてやれよ。口は挟むなよ。うんうん、って相槌だけ打て。 あいつが泣いたら、止めるな、泣かせてやれ。 人前であんまり泣けないヤツだから。 …つーかお前は泣かすなよ! あとあと…そうだ、優しくしてやってくれよ。これ大事。 あいつはいい子なんだ。優しくされて当然なんだ。 M子さんは優しい…?ほざけ!お前は妹の優しさの1億分の一もまだ味 わっちゃいねーんだよ。あいつを甘く見るな。あいつの優しさはある意味 無敵だぞ?そのうえ無尽蔵ときてる。どれだけ俺が救われてきたと思って んだゴラァ!!! あと、最後に。 妹の愛情を全部信じてくれ。嘘みたいな、でかすぎる愛情を貰うだろうけど、 絶対に疑うな。あいつは冗談で人に好意を示すような人間じゃない。 黙って妹の愛に包まれてろ。 妹の笑顔を信じればいいんだ。 許婚の横で、M子、お前随分と幸せそうだな… なんか泣いてるけど。 かすんで見えない。
49 :
大人になった名無しさん :2008/04/21(月) 00:56:39
先日、その妹の結婚式だった。 素晴らしい式だった。 教会に新婦が入ってきた時、「私は幸せです」と言わんばかりの笑顔に、何で だろうな、皆が泣いて笑っていた。すごいな、お前の笑顔は。周りまで幸せに してるんだな。 親父がすげえ泣いてたぞ。料理にほとんど手をつけず、酒ばかり煽ってた。 新郎が手紙を読んでる時も、おうおう泣いてて俺が支えてなきゃならんかった。 「一生大切にします」って言った時に、「当たり前だ…っ」ってぼやいてたww 俺は意外に冷静でいられた。 式には俺の顔見知りも何人かいたし、泣いたら格好がつかないからぐっと堪えて いたのが事実なのだが。親父やおふくろが泣いていたから、逆に落ち着けていた のかもしれない。 妹が両親への手紙を読む。もう親父がやばいww もう号泣。普段は寡黙で恐い男 なのに、「M子ぉ、M子ぉ、行くなぁ」って。子供みたいに。 「続いて、新婦より、新婦のお兄様へのお手紙です」 …へ? 俺は固まった。 普通、新婦が挨拶すんのは両親だろ。何だよ、今なんか、「お兄様」って言わ れなかったか? 壇上を見ると、妹が、M子が、こっちを見ていた。泣いていた。 …何だよ。 「お兄さんへ」 何だよ、お兄さん、って。お前、そんな風に呼んだ事なかったじゃないか。 いつもIくんって呼んでたのに、何だよ、それ。 「私は今この瞬間も、お兄ちゃん離れが出来るかどうかが…とても心配です」 この時点でもう、妹の声は震えていた。 「社会に出て、私はいかにIくんに甘やかされていたかを知りました。 Iくんは何でも私に譲ってくれていましたね。新しい家に引っ越した時、大 きい部屋がいいと ごねる私に「うん、いいよ」と譲ってくれました。 Iくんのモノなのに、私が「欲しい」と言うと、「いいよ」と何でもくれま した。小さい頃から、今の今まで、ずっとそうでした。 人は私を我侭だといいますが、その原因の大半はIくんのせいですね」 おい、そこは笑うところだろ…? 泣いてちゃ駄目だろ。しっかり喋れよ…。 手が震えてるのが見える。 本当は人前が苦手なんだよな。知ってるぞ、俺。本当は上がり症なんだよな。
正直言って気持ち悪い
51 :
大人になった名無しさん :2008/04/21(月) 14:18:19
52 :
大人になった名無しさん :2008/04/21(月) 16:51:30
続き希望!
続きを聞かせて下さい。
54 :
大人になった名無しさん :2008/04/22(火) 15:42:02
おねがい 続き おねがい 続き
>>50 のクソヤロウの所為で…
この流れを見ると50に同意せざるをえない
56 :
大人になった名無しさん :2008/04/27(日) 00:38:16
57 :
大人になった名無しさん :2008/04/27(日) 00:47:45
オレさ、木曜日に正社員の面接行ったのね。もうこれで20数社目。 今まで全部駄目だった。 それで、その日は車でしか行けないところだったんで、 オフクロが仕事を休んで付き添ってくれた。 駐車場の社内にオフクロを待たせて面接してもらった。 出てきたのは社長と人事課長。社長が絵に書いたような悪人顔でさ。 鼻くそほじりながら履歴書見て「職歴なし?あんたもう30だろ?」 「バイトなら経験あるっていったって職歴なしは職歴なしだろう?」 「うちでそんなの雇うわけないだろ?もう帰ってくれ。用はないだろ。終わり終わり」 車に戻るとオフクロは面接には触れず、「また寒くなるんだって、今ラジオで言ってた」 「ごはん食べて帰ろうか」って。 無言のままうどん屋に入ってカツ丼食べた。 そしたらオフクロが「受かるといいねー」って言うからさ、オレ、答えに困っちゃってさ。 で、いろんな言い訳考えた末に、正直に、「いや、駄目だったんだ、今日も」といった。 そしたらオフクロ、「また次も送っていくよ、カツ丼、あんまりおいしくなかったね」だって。 ・・・・今頃になって泣けてきたよ。・・・・情けねーなー。・・・就職してーなー・・・・。 ・・・・・・・・今まで何やってたんだろうな、オレは。・・・・・・・・・・
60 :
大人になった名無しさん :2008/05/01(木) 11:27:02
がんばれ! おかんを喜ばせてやれ
中学の頃に、好きな子がいたんだよ あたまも良くて、可愛かった 幼なじみでさ、よく遊んだ でも、ある時気付いたんだ 俺みたいに勉強もできない、運動もだめ、すぐにへまをして足を引っ張る こんな落ちこぼれと付き合って幸せなのだろうか? …って 同級生に頭が良くて、イケメンで、運動もできる子がいた しかもよく話をしていた 俺は決めた 彼女を諦めて彼に譲るって それでさ、思い切って借りていた時点とか漫画本とか一気に返したんだよ で、何故かその1週間後に俺引っ越したんだ 別にショックなんかじゃないぜwww もう諦めたんだしwwww でもね、この話を思い出すたびに目から水があふれてくるんだwww 今もあふれて止まらないやww
62 :
大人になった名無しさん :2008/05/11(日) 12:41:52
63 :
大人になった名無しさん :2008/05/11(日) 16:18:17
おれが保育園の頃、 保育園で自分ちのばあちゃんとおにぎり作って食べる会みたいなのがあった。 でも、うちのばあちゃんはそのちょっと前に亡くなってて俺だけばあちゃんがこなくて泣いてた。 そしたら知らないばあちゃんが一緒におにぎり作ってくれたんだ。そのばあちゃんも孫がいなっかたらしい。 ずっと泣いてる俺の頭なでながら、やさしく声掛けながら一緒におにぎり作って食べてくれた。 俺はなんだかうれしくてもっと泣けて来たな。 その時お礼言えなかったのがすごく悔しい。
64 :
大人になった名無しさん :2008/05/12(月) 17:19:21
あの頃携帯があったらなーと今でも思う。
あっても、俺の場合聞きだせる立場にはなれないような気がする。 固定電話は向うの親が出るし、いろいろ緊張したなぁ。 でも、今じゃ個人情報保護のため、そういう電話番号もわからないままかもと考えると、 それで良かったのかなぁとも思える。
66 :
大人になった名無しさん :2008/05/13(火) 10:09:53
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67 :
大人になった名無しさん :2008/05/14(水) 15:50:37
いい話
今更ながら49の続きが読みたい
69 :
大人になった名無しさん :2008/05/23(金) 00:17:58
来月俺は結婚する。相手は元付き合っていた彼女の妹です。元付き合っていた 彼女は2年前に天国に旅立った。彼女は母を幼いころに交通事故で亡くしそれ以来 父と妹と一生懸命に生きてきた。その父も他界してからは姉妹で暮らしていた。 俺が姉と出会ったのは大学合格後の春休みに一人旅に出たときだった。大阪から東北を1週間旅行 した。2日目に秋田の男鹿半島に向かった。春は近いというのに海は大荒れだった。 大荒れの中海沿いを歩いていると一人の女性が寂しそうに海を眺めていた。 「こんにちは」 と声をかけてみた。しかし気づかないのかただ海を眺めていた。なにかお祈りをしているかのような姿だった。 もう一度声をかけてみた。今度は俺のほうを見た。しかしその目はにらみつけるようだった。 「寒いですね」 続けてそう声をかけるとまた睨んできた。さすがに気まずくなって黙っていると女性は叫びだした。 「どうして!」 そういった。そして俺から離れようと駆け足でぬかるんだ道を走り去ったときだった。雪に滑って転んだ。 俺はあわてて駆け寄った。 「大丈夫ですか!」 そう声をかけた。今度はうつむいたまま黙っている。足を見るとどうやら捻挫をしたらしく一人で歩くと痛み があるようだった。 「家はこの近くですか?」 そう聞いてもただうつむいていた。
70 :
大人になった名無しさん :2008/05/23(金) 00:33:30
だんだんと雪が強くなってきた。どうにかしてこの女性を近くの民家まで連れて行って応急処置をしてもらわなくてはならない。そう思って 彼女を見た瞬間だった。彼女は泣いていた。足が痛いから泣いているのか?泣く理由がわからなかった。 そして俺は決断した。 「僕におぶさってください。近くの民家に連れて行って手当てをしてもらいましょう」 そういうと少しびっくりしたような表情を見せた。雪が強くなってきたので彼女をお姫様抱っこするような感じで歩き始めた。 彼女を持ち上げたとき、ずいぶんと軽いと感じた。だから15分ほど吹雪の中を歩いていたのだがそれほど苦にはならなかった。 民家に行き、彼女の怪我の手当てをお願いした。民家にはおばあさんが一人だった。突然の訪問にもかかわらず傷の手当てをしてくれた。 しかも暖かいきりたんぽまでご馳走してくれた。 礼を言って民家を後にするとバス亭に向かった。彼女はこれからどうするのか聞いてみたがまったく言葉を発しなかった。ただ、俺がバス で帰りますのでというと何も言わずについてきた。 バスに乗り込むと彼女が3つ前の席に座った。乗客は俺と彼女の2人だけだった。 バスは暗い夜道を海沿いに走っていた。窓の外には暗い冬の日本海の景色が見えていた。代わり映えのしない景色を彼女はじっと眺めていた。 その後姿を見ていろいろ考えてみた。この人はなぜあんな寂しいところで一人でいたのか、なぜ怒り出したと思えば泣いたりしたのか、わからなかった。 ただ彼女の姿を見ていると寂しさでいっぱいだった。無表情だった。 まさかこの人は自殺をしにきたのかと突拍子もないことを思った。そんな考えをあわてて否定した。 どんな理由があるにせよ、俺はこの人を家まで送ってあげようと思った。そしたらもうこの人と係わり合いになることもないだろう。
71 :
大人になった名無しさん :2008/05/23(金) 00:39:37
72 :
大人になった名無しさん :2008/05/23(金) 00:45:10
あるバス亭に近づいたときだった。彼女が降車ベルを押した。バスが止まるとゆっくりと前のドアに向かう。料金を払おうとして彼女が困っていた。 財布がないようだった。 「財布、転んだときに落としたんですかね?」 そう聞くとまたうつむいてしまった。俺は彼女の分の運賃も払ってバス停を降りた。 「家はこの近くですか?」 と聞くと彼女は1件の家を指差した。バス停から100メートル先の家まで肩を貸すような感じでゆっくりと歩いた。 家の玄関まで来た。どうやら一人暮らしのようだった。 「じゃあ俺はこれで失礼します」 というと無表情のまま何も言わずに家の中に入っていった。 俺はそこから近くの駅まで歩いていった。 とにかく変わった人だと思った。何も話をしないし、ずっと暗い表情だった。彼女に何があったのだろうか、何か悩みでもあるのなら 手助けになってあげたい、俺はなぜかそう思った。でも俺に何ができようというのか。秋田には旅行に来ているのであってあと5日もし ないうちに京都に帰ってしまう。何かしてあげたいというのも彼女にとってはおせっかいなのかもしれない。 もう彼女は俺の名前も住所も知らない。彼女と会うことは二度とないだろうそう思った。 しかしこの5日後に偶然にも再会することとなるのであった。
73 :
大人になった名無しさん :2008/05/23(金) 00:48:47
>>71 セメント?ケーフェイ?どういう意味ですか?
>49の話が気になる…
75 :
大人になった名無しさん :2008/05/29(木) 21:34:30
69は泣ける話になりそう。続きおながいします。
15年前の話です。 今でもそうだが人付き合いの苦手なオレは、会社を辞め一人で仕事を始めた。 車に工具を積み、出張で電気製品の修理や取付の仕事。 当時まだ携帯電話は高価で 俺は仕事の電話をポケベルに転送し、留守電を聞いて お客さんに連絡するという方法しか取れなかった。生活さえギリギリだった。 ある日 母親が九州の実家から関東の俺の家まで訪ねてきた。遠くから来た親を いたわることもせず、無愛想な俺、ホントにバカだ。俺を心配し、掃除、洗濯 料理を 作り山ほど食糧を置いて母は帰郷した。バカ息子は見送りもしない。 仕事から帰宅した俺は母の手紙を見つけた。「仕事頑張って下さい、少しですがこれで 携帯電話でも買って声を聞かせて下さい。」手紙にはお金が同封されていた。 手紙を手に俺は、わあわあ泣いた。 カメラやメールなんて出来ない。メモリーも50件しか入らない初期の電話。 でもこの電話にどれだけ助けられただろう。俺には最高の宝物。 母の日に電話を送った。ちゃんとお礼をいわなければ。 「おかあさん どうもありがとう」と。
77 :
大人になった名無しさん :2008/05/30(金) 00:55:09
スレチかもしれんが書かせてくれ。 あれは俺が5〜6歳の頃の夏…確か幼稚園だったと思う。 ある晩もの凄く腹が痛くなり、寝ていた親を起こし酷い腹痛を訴えた。 両親は俺に正露丸を飲ませたが、腹痛は治まらず夕飯を全部吐いてしまった。 次の朝早くに病院に連れて行かれすぐに精密検査。 その病院では手術はしないで投薬治療で二週間程入院した。 寝たきりで遊びたい盛りの俺は退屈だったのを覚えている。 しかしやっぱり体調は良くならない。 病名は…詳しくは忘れたが腎臓と膀胱を繋ぐ管の一部が異常に細く、 そのせいで腎臓の横に水の袋が出来てるんだと。 比較的近くの病院で手術する事に。 着いた先の病室は個室じゃなくて一般の病室だった。 しかも前の病院とは違い、ある程度規律があったが自由に動けた。 これが嬉しくて仕方ない。 俺は人と話するのは苦手では無かったので、 一緒の病室になったおじさんやお婆さんや高校生のお姉さんお兄さんによく可愛がってもらった。 年が近い男の子もいてよく遊んだ。 俺がこの病院に来て少し経った頃、 隣のベッドの高校生のお姉さんが退院したかそれとも別の病室に移ったかは分からないが そのベッドが空いた。 看護婦さんは「ここに○君(俺の名前)と同じくらいの女の子来るよー」って言ってた。 どんな病気かは忘れたがとにかく俺の隣のベッドに来た。 最初は恥ずかしそうにしてたが半日もすれば打ち解けて仲良くなっていたんだよな。 思い出補正もあるが可愛い子だったと思う。 次の日はその女の子、もう近くの病室の人と打ち解けてた。 俺の事をを随分気に入ってくれて 夜になるとベッドの脇についてるカーテン閉めようとすると 「閉めないで〜…」とか言ってくる。何で?って聞いたら「…顔見たいから」とか言ってくる。 俺は当時ガキだったから女の子なんて全然意識してなかったから「?」と思いながらもカーテン開けたままにして寝てたなあ。 (今思えば凄く惜しい事した気がする) 続く
78 :
大人になった名無しさん :2008/05/30(金) 00:56:26
続き 話は病室に戻る。 その病室では親父が買ってきてくれたドラクエのカードゲームがちょっとしたブームになってた。 俺とその女の子と同い年くらいの男の子やら高校生のお兄さんやら いつの間にかこっちの病棟に戻ってきたお姉さんや俺の両親やその子のおばさんまで一緒になって 皆でドラクエのカードゲームやってんの。 傍から見たら実に変な構図だ。ガキや若者、中年のおじさんおばさんが一緒になって夢中でカードゲームやってるw うわあ負けたとか言いながらなw それが・・・なんというかすんごい暖かかったんだよ。 俺が薬苦くて飲めなくて泣いてたら高校生のお兄さんが応援に来てくれる、とか日常茶飯事だった。 なんというか大きな家族が出来た気分だった。 病院って結構孤独なイメージあるかもだけど俺はその病院では決して独りじゃなかった。 皆で一緒に頑張って退院しようっていうかそんな雰囲気が常にあった。 その後俺は大きな病院に移って手術を受け退院した。 皆退院したりもっと大きな病院移ったり・・・元気でいるだろうか・・・。 高校生のお兄さんお姉さんはもう30過ぎか・・・ 俺の隣のベッドに来た女の子・・・俺より先に退院して「また会おうね♪」って手を振ってくれた・・・(結局会えず仕舞いだが) もう働いているんだろうか・・・それとも大学に行ってるか? 俺と同じ病室にいた人・・・中には命に関わる病気もあったんじゃないだろうか? だけど俺は生きていて欲しいと強く願う。 何故なら・・・俺達は短い間だったけど一つの「家族」だったんだから・・・。 駄文スマソ(´・ω・`)
79 :
69 :2008/06/01(日) 00:00:54
72の続き その後、青森、岩手を旅して最終日がやってきた。 朝6時に青森駅に到着した。ここから大阪まで走る特急に乗るためだ。 朝6時にあわただしく電車に乗った。車内は20%ぐらいの乗車率で空いていた。 電車は弘前、大館を停車して秋田を過ぎた。秋田を過ぎてまもなくトイレに行くために席を立った。 用を済ませて自分の席に戻ろうとするとき、背後から声をかけられた。 「こんにちは」 振り返ると見たこともないほどきれいな女の人がたっていた。単なる挨拶だろうと思い軽く挨拶をした。 「こんにちは」と返すと席に戻ろうとしたときだった。 「先日はどうも」 と女の人が言った。俺は目の前にいる人に見覚えがなかった。ポカ〜んとしていると 「こんなところでまた会えるなんて偶然ですね」 はて、どこであったのかと考えている。 「私は...4日前に入道崎で助けていただいた。。。」 そういわれてもまだわからなかった。しばらくの沈黙の後、女性が少しうつむいた。 その表情で気がついた。
80 :
69 :2008/06/01(日) 00:25:34
「ああ、あのときの人ですか」 「先日はお世話になりました。」 そういうと彼女はにっこりと笑った。入道崎で助けたときとはまるで別人だった。 今目の前にいる彼女は明るい表情をしてきれいな服を着てとにかくしゃべっていた。 入道崎では彼女は「どうして!」という叫び声にも似たような言葉しか発していなかった。 あまりの変わりように唖然としていると彼女のほうから誘ってきた。 「私は3号車の指定席にいるんですがあなたは?」 「7号車の自由席です。」 「どこまで行くんですか?」 「京都までですよ」 「私は大阪までですよ。それまでご一緒できますね」 このように今回は彼女のほうから積極的に話しかけてきた。入道崎のときとはまるで反対だ。 結局彼女が俺のいる席の正面に座ることになった。それから京都に着くまでの11時間2人で話 すことができた。 自己紹介からはじまり、お互いの趣味のことなどを話した。聞くと彼女は東京の女子大生で3年生だといった。 ということは俺よりも2歳年上ということになる。春休みなので秋田に帰省しているが今回は大阪にいる彼女の 叔母が入院したのでそのお見舞いのために電車に乗ったのだという。なんという偶然! 11時間も話すことはないだろうと思っていたが次から次へと話が進んだ。とても楽しい時間だった。 新潟を過ぎ、金沢を過ぎても話が尽きることはなかった。 福井を過ぎてまもなく、俺は気になっていたことを聞いてみた。 「なぜあんな寂しいところにいたんですか?何をしていたんですか?」 こう聞くととたんに彼女は黙ってしまった。下を向いてゆっくりといった。 「あの時は・・・ただ海をみたかったの。。。。」 寂しそうにひっそりとそう言った。 しまった!この質問はしてはだめだったのかと思ったがもう遅い。それからは 話が途切れてしまった。 窓の外が暗くなり始めた。この日は青森からずっといい天気だった。敦賀を過ぎて左手に琵琶湖がみえはじめた。 次の停車駅は京都だった。昼間なら琵琶湖の青い湖面が楽しめるのだがこのときはもう暗くて琵琶湖は見えない。 山科のトンネルに入った。車内アナウンスがまもなく京都に着くことを告げている。 楽しかった。でも入道崎にいた理由を聞いてからはほとんど話さなくなった。その質問をしたことを後悔した。
81 :
69 :2008/06/01(日) 00:29:45
山科のトンネルを列車が抜けた。席を立った。 お互いの連絡先はまだ知らなかった。 「もう一度会いたいです」 その一言が言えずにいた。 京都駅に着いた。ホームに下りるとドアをはさんでむかいあわせになった。 「あああ・・・ううう・・」 声にならない声を発した。発射ベルがなった。そのとき彼女が言った。 「ねえ、手を出して!」 突然のことだったが手を出すと手を握られた。そのときドアが閉まった。 ゆっくりとホームを離れていく電車を見送った。 とうとういってしまった。もうこれで会うこともないだろう、そう思った。 なんかとても疲れたのでしばらくホームで休むことにした。 ベンチに腰を下ろすと手に紙切れを握っていることに気がついた。 くしゃくしゃになった紙を広げてみた。そこにはこう書いてあった。 「また会いたいです。私の連絡先を書いておきます」 彼女の携帯の番号と住所が書いてあった。これでまた彼女に会えるチャンスを得た。 俺はニヤニヤして階段を駆け上がり転んで足を捻挫した。
82 :
69 :2008/06/01(日) 00:30:13
山科のトンネルを列車が抜けた。席を立った。 お互いの連絡先はまだ知らなかった。 「もう一度会いたいです」 その一言が言えずにいた。 京都駅に着いた。ホームに下りるとドアをはさんでむかいあわせになった。 「あああ・・・ううう・・」 声にならない声を発した。発射ベルがなった。そのとき彼女が言った。 「ねえ、手を出して!」 突然のことだったが手を出すと手を握られた。そのときドアが閉まった。 ゆっくりとホームを離れていく電車を見送った。 とうとういってしまった。もうこれで会うこともないだろう、そう思った。 なんかとても疲れたのでしばらくホームで休むことにした。 ベンチに腰を下ろすと手に紙切れを握っていることに気がついた。 くしゃくしゃになった紙を広げてみた。そこにはこう書いてあった。 「また会いたいです。私の連絡先を書いておきます」 彼女の携帯の番号と住所が書いてあった。これでまた彼女に会えるチャンスを得た。 俺はニヤニヤして階段を駆け上がり転んで足を捻挫した。
名作の予感。。。
84 :
大人になった名無しさん :2008/06/02(月) 22:14:46
69に出てくる特急って白鳥のことか? スケールの大きなストーリーになりそう。 鉄道板から来ました。
85 :
大人になった名無しさん :2008/06/10(火) 14:30:12
おい!69続き楽しみにしてるぞ!!
俺なんて49の続きも読みたくて待ってるのに・・・
87 :
大人になった名無しさん :2008/06/12(木) 20:54:20
俺なんか49も69も待ってる 待ってるからな
88 :
大人になった名無しさん :2008/06/12(木) 22:39:53
69を読んで電車男を思い出した。
楽しかった記憶というと、いつも思い出すのは、高校時代のことだ それ以前にも幸せな記憶はあるのだけれど、一番って決めてしまうと、 高校時代しか思い浮かばない。 私は父親がずいぶんなDQNだったらしい。生後10ヶ月程度で父母は離婚し 母は私と2歳上の姉を連れて祖母の家に戻った。 祖母は私たちの世話はやってくれたが、基本的にねじくれた性格の人で 物心付かない私たちを捕まえて「お前は人間じゃない!絶対に幸せに なんかなれない!」等ストレス解消にわめくのはしょっちゅうだった。 姉は朗らかな性格で学校内の人気者になったが、私は陰気な性格で あまり友人も出来なかった。姉が私のことを面白おかしく周囲にばらまくので 年上の人が何故か私のことを知っていて、からかわれたりもした。 (全学年が聞くクラス放送で「私の妹はゴジラみたいです」と流された 恨みは一生忘れられない) 小4になったとき、姉が網膜剥離になり、手術が必要だと聞かされた 友達は少ないながらも、平和な毎日を送っていた私は、引っ越しによって 状況が一変した。 その引っ越し先で、今でも馬鹿だと思うのだが重大なヘマを犯して、 私はいじめられっこになった。 いじめられっこになった私は、昔の写真ばかり懐かしむようになった。 それが「自分だけが不幸」な姉には気に入らなかったらしい。古い 友人の写真をこれでもかと破かれた。学校でしかもらえなかった、 行事の写真で、小4で引っ越した私には卒業アルバムもない、そういう 写真だった。特に妹なので写真は少なく、今残っているのは数枚だ。 そんなとき、誰が助けてくれただろう、親も助けてくれなかったのに。 そう、誰も助けてはくれなかった。 姉の病気は何度も再発し、中学で(成績のことで)ちょっとした有名人になった私は 性的ないじめを受けた。男の子とろくに話も出来ないような子だったのに。 それについては、姉が「妹が迷惑を掛けた」と思い込んで謝らせる、という 異常事態があった 時過ぎて高校、部活に入った。漫画イラスト研究部だ 優しい先輩や同級生に恵まれて私は幸せだった そんななか、病気病気で追いつめられた母親が、私の頭を金槌で殴るという 異常事態が起きた。 1週間は意識不明だった。誰も病院になんて連れて行ってくれる筈もなかった。 2週間は経って、やっと部活に戻れた。そして昼、先輩はこう言った。 「なーお(仮名)、フライいるー?」 一番安いからあげ定食を頼んだ私への言葉だった。 私はぽろぽろと涙をこぼした。
馬鹿みたいだ。何で泣ける?私の家は姉の病気で苦労ばかりで、 私はたくさんの友達をもてるほど良い子じゃなくて…… そう思ったら、ぼろぼろ泣けてきた。本当に泣けた。先輩は困ってた。だけど嬉しかった。 あの時の嬉しさは、何とも形容できない。 「アホやなぁ。なおは」 普段なら高いプライドが邪魔する言葉も、自然に受け入れられた。 そこ(学食)で泣いたことが噂になって、何人か理由を尋ねに来たけれど 受け入れなかった。周囲の何人か、放っておいてやれという言葉を聞いた、 その人達には分かりそうな苦労が、あの子達には分からなかっただろうから。 10年は経った今では、分かっているのかも知れないが。 あの日から、からあげ定食が大好きになった 今でも心からへこんだ時、からあげ定食を頼む。 悲しい記憶と、優しい記憶が合致していて、少し悲しい
91 :
大人になった名無しさん :2008/06/15(日) 19:24:02
俺が消防の頃の話 同じクラスに黒田平一(仮名)、通称クロベーってヤツがいたんだ。 クロベーの家は母子家庭で母親とクロベーと弟の3人暮らしだった。 クロベーの一家は、親戚の家の離れに間借りして、風呂は母屋のを共同で使わせてもらっていた。 クロベーの母ちゃんは、その親戚の家業を手伝う形で生計を立て、 女手一つで一家を支えていていた、所謂、貧乏な家庭だったんだ。 制服のズボンとかも何年も同じのをはき続けてるから丈が短かったり、 体操着なんかも所々破れたりしてんだ。 しかもクロベーは軽く池沼気味で、ギリ普通のクラスって感じで体も小さく、 万年ハナタレで勉強やスポーツは大の苦手でだった。でも、すげーいいやつなんだ。 いつも笑顔を絶やさず、優しくてクロベーはクラスの人気者だったんだ。 そんで、クロベーは虐められることもなく、無事小学校を卒業し中学校へ進学した。 そして俺は、中学でもクロベーと同じクラスになったんだよ。 クロベーはスケッチが好きで、休憩時間になるとテラスに出て、 よく風景を写生してたんだが、クロベーの場合は太陽を写生したりするわけ。 目を細め、太陽を直視しつつ、すげー色使いで太陽だけをスケッチするんだよ。 すると、この様子を見た他の小学校出身の連中がクロベーを虐め始めたんだ。 虐めっつっても、暴力を振るったり無視したりするわけではなく、 クロベーの突飛な発言や行動をからかったりする程度だったんで 俺もそこまでは気にはいなかった。
92 :
大人になった名無しさん :2008/06/15(日) 19:24:29
そんなある日、授業参観の案内があったんだよ。クロベーの母ちゃん は仕事が忙しく、消防の頃から殆ど学校行事に参加していなかっ た。クロベーは運動会の時も、弟と二人教室で弁当を食べていたんだ。 ところが、親戚の粋な計らいで、今回はクロベーの母ちゃんが来るら しい。クロベーは満面の笑みで俺たちに、そう報告した。 そして参観日当日、どこの親も、一張羅でめかし込んで来るわけ。 当然俺の母親もスーツで来てたんだよ。 そんな中、いよいよ授業が始まるって時にクロベーの母ちゃんがやっと登場。 仕事の最中に学校に寄った様子で、ピンクのジャージに紺のヤッケを羽織ってる。 急いで走って来たらしく首に掛けた手ぬぐいで額の汗をぬぐいながら、 場違いな雰囲気に遠慮がちに教室に入って来た。将に貧乏丸出しである。 でも、クロベーの顔を見ると、そりゃー嬉しそうにニコニコ笑って張り切ってたよ。 そんで、授業開始、その日は担任の女教師による日本地理の授業だったんだ。 程なくして、先生がこんな問いかけをした・・・ 「北海道の旭川市は稚内と比べると南に位置するにも関わらず冬季 の気温が低いのはなぜか?」この中学生には難しい問いかけに一同 沈黙する中、なんとクロベーが「はい!!」と高らかに張り切って 手を上げたわけ。 普段からクロベーの突飛な回答に困惑していた先生も「しまった!!」 つー表情。先生は「では、黒田くん」と已む無くクロベーを指したんだ。 クロベーの回答は以下のようなものだった・・・ 「稚内には牧場がいっぱいあって、牛がたくさんおって、その牛の息が 集まって空気が温くなります」と、言い放ったんだ。
93 :
大人になった名無しさん :2008/06/15(日) 19:25:08
当然、保護者含め一同大爆笑。するとクロベーの母ちゃんが言った 「いいぞ平一!!」てな。 そんで次の瞬間、無言でクロベーのところにツカツカと寄って来て、 ハナタレだったクロベーの鼻水をチーンと手ぬぐいでぬぐったわけ。 笑い声は一気に静まり返り、一同呆然とする中、クロベーの母ちゃんは 何事もなかったような涼しい顔で教室の後ろへと戻った。 俺は、なんだか妙に感動して、胸がジーンと熱くなるような感情を覚えた。 けど、周りのやつらの反応は違ったね。 この一件は、クロベーの虐めを激化させる引き金となってしまったんだ。 「貧乏人」「不潔」に始まり、クロベーの母ちゃんを中傷するような酷い 言葉を浴びせ掛けられたんだ。 腕力に自信のあった俺と連れのHは、そのたびにクロベーを助け、 虐めている連中を一喝した。 しかし、俺たちの見てないところで虐めは更にエスカレートし、靴を隠したり、 筆箱に残飯を入れたり、無視したりと陰湿なものに移行していった。 しかし、クロベーは気にする様子もなく、淡々と笑顔ですごしていたよ。
94 :
大人になった名無しさん :2008/06/15(日) 19:26:46
そんなある日、クラスで盗難事件が発生した。 ある女子生徒が、鞄の中に入れていた、現金の入った封筒を盗まれたと 騒ぎ出したんだ。 すると、クロベーを虐めてた連中の一人が「貧乏人の黒田に違いない」 と騒ぎ立てやがったわけ。 移動教室の時、おっとりしたクロベーはいつも最後まで教室に残ることが多く、 それが疑われる要因になったってこと。 俺とHは必死に「クロベーは人の物を盗んだりするようなヤツじゃない」 と訴えたが、生活指導の強面教師は、クロベー犯人説を真に受けて クロベーを尋問しやがった。 身に憶えのない容疑に、クロベーは「知らない」と否定したが、 状況証拠のみでクロベーの尋問は続き、語彙の乏しいクロベーは、ただ 「知らない」と言い張るばかりで、生活指導の教師の心証を悪くしたようである。 そして下校時間を過ぎ、その日の取調べは一端終了し、クロベーは仮釈放となったんだ。 ところが次の日、あらぬ冤罪を掛けられた息子を弁護すべく、クロベーの 母ちゃんが職員室に乗り込んで来たんだよ。噂を聞きつけた俺とHは、 急いで職員室に様子を見に行ったんだ。 そしたら、クロベーの母ちゃんは嗚咽して、生活指導の教師にすがりつき、 泣きながら叫んでるんだ。 「あの子じゃありません!あの子は人の物を盗むような子じゃないんですっ!!」てな。 噂はあっと言う間に全校を駆け抜け、野次馬達が集まって来たんだ。 汚い格好で嗚咽するクロベーの母ちゃんを見て「あいつら共犯に違いない」 などと心ない噂が学校中を駆け抜け、クロベーに対するイジメや中傷は更に激化したわけ。 この事態にさすがのクロベーもシュンとした様子だった。俺とHは、 クロベーを励まし勇気づけ、更に冤罪を晴らすべく真犯人を探し聞き込みを開始したんだよ。
95 :
大人になった名無しさん :2008/06/15(日) 19:27:10
しかし、なんの手がかりも掴めず、クロベーに容疑が掛かったまま一週間を過ぎたある日、 担任の先生から思わぬ報告があったんだ。 紛失した現金入り封筒が見つかったと・・・・ なんと紛失したと思われていた封筒。実は、その女子生徒の勘違いで鞄の奥にあったんだよ。 でもあまりに騒ぎが大きくなったんで今まで言い出せなかったが良心の呵責に苛まれ、 その子は、泣きながら担任に事の顛末を告白したんだ。 「黒田くん、疑いを掛けてごめんね」と担任から報告を聞き終えた瞬間、 Hのヤツが突然立ち上がり「うおっー!!」叫びながら走り出し、クロベーが犯人と最初に 疑いを掛けたヤツにいきなりドロップキックをブチかましたんだ。 続いて俺も立ち上がり、助走をつけて、そいつにラリアットをブチかましたんだよ。 まるで、ゴディ・ウイリアムズ組みてーな見事なコンビネーションでな。 続いて、その取り巻きのヤツら含め3人をボコボコにしてやったんだよ。 すると心の優しいクロベーは俺達を止めるべく「やめて!!」と割って入ってきて、 俺達は「おまえは悔しくないんか!!」とクロベーを払いのけ、更に連中をどつきまくったんだ。 そんで、俺達は駆けつけた生活指導の教師に取り押さえられたわけ。 当然、死ぬほど怒られたよ。俺達は何度も生活指導の教師にぶん殴られたんだ。 そんで親も呼び出されこっぴどく怒られた挙句、俺達がどついたヤツらの家を一軒一軒、 親と一緒に頭下げて回らさせられたんだ。 行く先々の家で俺たちは罵倒され、それでも親に無理やり頭を抑えつけられ俺たちは頭を下げた。 正義のヒーローのつもりが、自分の親にまで迷惑を掛けてしまい、俺はその理不尽さに 一人悔し泣きしたんだ。
96 :
大人になった名無しさん :2008/06/15(日) 19:27:32
ようやく、ほとぼりも冷めたある日、クロベーが俺とHの所にやって来て、こう言った。 「今日うちの母ちゃんが二人にご馳走したいって、だから遊びにおいで」と言うんだ。 別に用事もなかった俺達は即座に了承したわけ。 そんで放課後、俺達はクロベーの家に行ったんだ。だが、まだお母さんは仕事から帰ってなくて、 家にはクロベーと弟しか居なかったんだ。 俺達は仕方なく、ファミコンはおろか、テレビすらないクロベーの家で母親の帰りを待ったんだよ。 いい加減に待ちくたびれた18:00を過ぎた頃、クロベーの母ちゃんが帰ってきた。 「みんな遅くなってごめんね、いまご馳走するからね」と手に下げた買い物袋をテーブルに置くと エプロンを付け何やら料理を始めたわけ。 暫くすると「ぷーん」とカレーの匂いが漂って来た。 「やったカレーだ!!」クロベーの弟が嬉しそうに叫んだ。 程なくして、クロベーの母ちゃんが「おまたせ!!」と鍋に入れたカレーを持ってきたんだよ。 それと餃子も出て来たんだが、よほど好物だったのか、クロベーも弟も餃子に歓喜の声を上げたんだ。 俺達にとっては、ご馳走と言うには、ほど遠いメニューだったが、貧乏なクロベーの母ちゃんにしたら 精一杯のもてなしだったことだろう。 腹も減ってたんで俺達はとりあえず食べることにした。 カレーに肉はなく、刻んだ魚肉ソーセージと玉ねぎとジャガイモニンジン、そして、なぜかシイタケが 入っていたが、どうやらこれが黒田家のデフォルトらしい。 だが、味はうまかったので俺達は豪快にカレーを流し込んだんだよ。 そんで暫くするとクロベーの母ちゃんがスプーンを置き、静かに口を開いて俺達にこう言ったんだ。 「あんた達、平一を助けてくれてありがとう、これからも友達でいてね・・・」 そう言うと、声を上げて、うぉんうぉん泣き出したんだ。 俺もなんだか悲しくて、そして嬉しくって、涙が溢れて来て、声を上げて泣いたんだよ。 Hも釣られて、みんなでカレーの味も判らなくなるほど泣きじゃくったんだ。 一言もしゃべらず、ただカレーを食べながら声をしゃくりあげて泣いたんだ・・・・ クロベーだけは笑ってたな。
97 :
大人になった名無しさん :2008/06/15(日) 19:27:56
そんで、それから中学校3年間、俺とHはクロベーを守ったんだ。 そして、卒業を迎え、俺とHは地元の高校に進学、クロベーは県外へ就職することになってたんだ。 俺とHはクロべーに別れの言葉を告げたんだ 「もう俺達は、おまえを守ってやれない、これからはお前が母ちゃんを守っていくんだ」 そうクロベーに言った「わかった」と力強い言葉がクロベーから返ってきたんだ。 その言葉に俺達は安心してクロベーと別れたんだ。 それから数年後、県外に落ち着いたクロベーは、母ちゃんと弟を呼び寄せ、 3人で一緒に暮らしはじめたんだ。あのクロベーが、なんと頼もしいことだろうか。 だが、俺の記憶はあんときのままだ・・・。 今も思い出すクロベーの屈託のない笑顔。あいつには幸せになる権利があるんだ。 あれから四半世紀が経ち、今は、俺も家族を持ち、子供を育てる父親となった。 俺は子育てで悩んだ時、いつもクロベーの母ちゃんの事を思い出す。 親ってのは、どんなにブサイクで恰好悪くても、子供の味方して守っていかなくちゃならないんだと・・・。 長文、駄文失礼しました。おわり・・・
98 :
大人になった名無しさん :2008/06/15(日) 23:55:10
>>97 いい話だ!
今はクロベーと交流はないの?
ハンセン・ブロディ組だったら、生活指導の教師ものしてやれたのにな。
99 :
大人になった名無しさん :2008/06/16(月) 10:21:15
>98 ごめんコレ パート1のコピペ何だわ
100 :
大人になった名無しさん :2008/06/17(火) 01:39:57
子供が2人いる。でも、本当は、私は3人の子持ちだ。 18歳の春に娘が生まれた。 結婚してくれると言った父親は、結局認知すらしてくれなかった。 若い私にとって未婚のシングルマザーは大変な役割だった。 何で産んだんだろう、どうして子育てなんかしてるんだろうと、 そんな格闘の毎日だった。 それでも、娘はすくすくと成長してくれた。 初めて書いてくれた私の顔、赤いランドセル。 それは秋の日の突然の出来事だった。 前夜、やけに娘がべたべたしてきた。 大して寒くない日なのに、寒い寒いと言った。 熱を測っても熱はない。早く寝なさいと添い寝した。 「ママ、ありがとう。ママ、大好き」 娘は私に抱きついたまま眠りに落ちた。 やっと開放されたなと、正直私はホッとした。 少しテレビを見て、私も娘の横で寝た。 翌朝、娘は目を覚まさなかった。起こしても起こしても目を開けなかった。 解剖、そして、事情聴取。 事件性なしと判断され、原因不明の突発的な心臓発作と説明された。
101 :
大人になった名無しさん :2008/06/17(火) 01:50:46
火葬場では、焼かないでくれと棺にすがりついた。 娘の焼却炉の前で、半狂乱で泣き喚いた。 小さな骨が娘のものだとは到底思えなかった。 突然の独身貴族。突然与えられた年相応の自由。 けれど価値観はまるで違っていた。 そのうち笑うようになり、けれど夜になると涙もこぼす。 小学生を見ると辛かった。 けれど、親と言うのは勝手なものだ。 娘の死から2年で結婚し、去年3人目の娘を産んだ。 幼稚園児と赤ん坊の育児にへこたれそうになる。 あの子がいてくれれば、今頃話し相手になってくれただろうと、 今頃何歳になってるはずだと、この頃毎日考える。 あの子がいなかったら、こんなにも娘たちを愛せなかった。 あの子がいなかったら、子供がこんなに大切と思えなかっただろう。 あの子が死ななかったら、私はもっともっと自分勝手な親だったろう。 ありがとう。ありがとう。生まれてくれて、ありがとう。 いなくなって寂しいよ。今でも寂しいよ。 辛くて辛くてずっと封印してきた言葉をこうして書けるのは、 この子達が生まれてくれたおかげだ。
>>101 泣けた………
娘さん、残念だったけど、今でもあなたの中で生き続けてるんだね
ママ大好きな娘さんがママに愛されていて、とっても幸せだと思うよ
今の子供達を大切に育ててね。こういうのも何だけど、良いお話をありがとう
103 :
69 :2008/06/19(木) 10:07:01
それから1ヶ月と少しが経過した。4月の終わりごろになった。 俺は連絡先を書いた紙を渡されたのだが、まだ1度も連絡をしていなかった。 彼女のほうは俺の連絡先を知らないので、俺が彼女に連絡をしないと前に進まないということになる。 それまでに何度か電話しようと思ったが緊張したのか、手が震えた。 いろいろ考えてみた。彼氏がいるんだろうか、東京では一人暮らしなんだろうか。 そんな時大学入学時に友達になった加藤が家に遊びに来た。 一人暮らしをしていた俺は加藤が腹が減ったというので買出しに出かけ帰ってきて 簡単なものを作ってやった。そんな時、加藤が「電話がかかってきたぞ!」 といった。 あわてて電話を取った。 「はい、どちらさんですか?」 「ゆうこです。」 「ゆうこ??どちらのゆうこさんですか?」 「秋田のゆうこです」 「あきたゆうこさん?はあ?」 まだ誰だかわからなかった。ふと電話の近くを見ると彼女の連絡先が書かれた紙がおいてあった。 それで彼女だとわかった。 どういうことかというと、加藤がメモを見つけてそこにいたずら心に電話をしたという。 電話でGWに大阪に会う約束をして電話を切った。 「おい、なんや、それは彼女か?」 と加藤がニヤニヤしながらいう。 「そういうわけでは・・・」 「まあええ、好きな人には猛烈にアタックせなあかんな」 加藤にすべて見透かされていた。 とにかく加藤の計らいによって彼女と会うことになった。
104 :
大人になった名無しさん :2008/06/19(木) 20:45:59
69きたー 加藤いいキャラだな。 早く続きが読みたい。
106 :
大人になった名無しさん :2008/06/19(木) 22:23:32
107 :
大人になった名無しさん :2008/06/19(木) 23:37:40
69ヘ ここでやってくれ。 長いと嫌われるのかな?
108 :
69 :2008/06/19(木) 23:45:18
ここに書き込むと迷惑でしたらほかに移ります。
109 :
69 :2008/06/19(木) 23:54:58
再会はGW中だった。彼女が大阪にいた。新大阪駅で待ち合わせをしていると間おなく 彼女が声をかけてきた。 「お久しぶりです」 そういう彼女を見るととてもきれいだった。この人は会うたびにきれいになっていくような気がした。 大阪はあまり詳しくないという彼女にどういうところに連れて行ったらいいかわからなかったが 通天閣、アメリカ村、といったところを中心に案内した。 梅田に来たときだった。駅前の観覧車に乗りたいと彼女が言った。 順番待ちするときに辺りを見回すとカップルだらけだった。俺と彼女もほかの人から見ればカップルに見えるのかな などと楽しいことを考えると観覧車に乗る番が来た。 観覧車に乗り込むと、2人きりになった。俺は妙に緊張した。どきどきした鼓動が彼女に聞こえるのではないかと思った。 観覧車が頂点に来たとき彼女がにっこりと笑った。 「私も同じ気持ちだから」 ドキッとした。どういう意味なのか、聞くのも野暮なので聞こえない振りをした。 その日は8時ごろに別れた。
110 :
69 :2008/06/20(金) 00:07:32
その後もメールやチャットでコミュニケーションをとっていた。 夏休みが近づき、彼女が話を持ちかけてきた。 「今度、秋田に一緒に行きませんか?」 「いいですよ」 「話しておきたいことがあるんですよ」 と神妙に話していた。 そして秋田に行く日が来た。大阪から寝台に乗って翌朝、男鹿の彼女の家に着いた。 初めて会った日に彼女を見おくっていったとき以来に来た。ベルを鳴らすと扉が開いた。 彼女の家に上がった。このとき家には中学生ぐらいの女の子がいた。軽く挨拶すると女の子は2階に上がって行った。 「今のは私の妹。あまり話をしない子なので・・・」 彼女がそう言った。そういえばこのときまで、彼女の家族については聞いたことがなかった。妹がいるというのも初 めて聞いた。というのも、それまで彼女は自分の家族のことは話そうとはしなかった。 少し休憩して彼女が一緒に海を見に行こうといった。 家から少し歩いたバス停まで行き、バスを待った。バスが来た。入道崎行きだった。 入道崎といえば彼女と初めてだった場所だった。 この日は晴天に恵まれて夏ということもあり海岸は海水浴に来ている人がいた。 バスから見える車窓を彼女は案内してくれた。
111 :
69 :2008/06/20(金) 00:18:45
バスが入道崎に着いた。そして彼女が案内するように先を歩いていく、15分ぐらいするとそこは まさしく俺が彼女と出会った場所だった。あの時は海は大荒れで雪が積もっていて周りの景色を 見ることはできなかったがこの日は、青い空に届きそうな真っ青なきれいな海が広がっていた。 そして海を見つめた彼女が語りだした。 「私があなたとここで初めてあった日はね。。。私の父の葬儀が終わった翌日だったの。私の父は 過労だった。数年前に父は友人の借金の連帯保証人になったの。しかしその友人はある日突然行方 不明になった。当然借金は父が払うことになった。父は漁師だった。とても貧乏だった。その上借 金に負われた。借金を返すために自分の船を売ったの。それでも東京の大学に通う私に仕送りをし てくれた。父は朝から夜遅くまで一生懸命に働いた。でも返せない借金もあって。。。 それで取立屋がきたりもした。中学生の妹は日々怖い思いをしたみたいであまり話をしない子にな ってしまった。そしてある日父は仕事場の工事現場でいきなり倒れたの。脳溢血だった。しばらくは 入院してたんだけど結局あっけなくなくなってしまった。
112 :
大人になった名無しさん :2008/06/20(金) 00:27:44
69待ってたぜ… 心置き無くやってくれ
113 :
大人になった名無しさん :2008/06/20(金) 00:29:33
>>111 色々いうやつがいると思うが、気にせずに書いてくれ。
114 :
69 :2008/06/20(金) 00:34:34
そこまで一気に話をした彼女が黙って俺の目を見た。 俺はどうしていいのかわからずただ黙って聞いていた。 「この場所はね、私の思い出の場所なの。私が小さいころ母と父と私と妹の4人で よく遊びに来たの。でもあなたと始めてであった日は私は悔しさと憎しみでいっぱいだった。 いつも優しい父がなぜあんな苦労をしなければならなかったのか、借金だって父が作ったもの ではない。父に借金があるとわかると周りの人たちも白い目で見るようになった。だから思った。 この世にいい人なんていない、誰も私たちや父を助けてくれなかった。もう人なんて信じないそう 思った。そしてあの日この場所に来た。ずっと荒れ狂う海を見ていたらなぜか旧にさみしくなって。。。 そしたらあなたが声をかけてきた。最初はうっとうしいと思ったわ。だから私はあなたから逃げようとした。 でも私が雪道に足を滑らせて転んだとき、あなたは泥だらけになりながら私を助けてくれた。 あなたに抱えられてここから帰りのバス亭まで向かう途中、涙が出てきた。 こんなにも一生懸命になって私を助けてくれる人がいるんだなって。」 俺がそんな重要な役割を果たしたとは思えなかった。彼女の話を聞いてはじめてあったときの日の彼女の態度が わかったような気がした。 「家の前まで送ってもらったとき、疲れもあってあなたにおれいもいわずにお別れした。家に帰ってしばらく考 えてみたら、もう一度あなたに会ってみたいなと思ったの。でもあなたの名前も住所も知らない、あなたが私を 訪ねてきてくれない限り一生会えないと思うと悲しくなった。でもふと玄関を見ると1冊のメモ帳が落ちてたの。 悪いと思ったけど中身を見るとそれはあなたの旅日記だった。そこに旅行の日程が書いてあって3日後に青森から 特急に乗って京都に帰ることが書いてあった。だから私はこの特急に乗ればもしかしたらあなたに会えるんじゃな いかと思った。」 「それであの電車で再開したんですね」
115 :
大人になった名無しさん :2008/06/20(金) 00:39:25
69 うおー なんかわし今泣いてるよ!!いい話だなあ!! ゆっくりでいいから早く続きを♪
116 :
大人になった名無しさん :2008/06/20(金) 21:37:04
いいはなしだな〜 映画化してくれよ49とか69とか。
117 :
69 :2008/06/20(金) 23:11:09
「そう、だから本当にあなたに会えたときはうれしかった。それからずっと電車の中で話してた 時は楽しかった。でもあなたになぜあの場所にいたのかを尋ねられたとき、答えに困った。正直に話すと 重い話だから嫌われるかとおもって。あの場所にあなたと出会わなかったら私あのときどうなってたかわ からない。もしかしたらあの崖から・・・」 そういって彼女は話すのをやめた。俺はただじっと聞いていた。しばらくして一気に話し始めた。 「電車が京都に着く時にタイミングを見計らって連絡先を書いた紙を渡した。あなたが連絡してくれるかは 半信半疑だった。でも連絡してくれることを祈ってた。そして連絡がついて大阪で会ってから今まで、コミ ュニケーションをとってきて、あなたにだんだんと惹かれていったの。」 「僕だって・・・」 そういうと彼女はにっこり笑って砂浜を走り出した。海に足をつけて海水をかけてきた。 その笑顔で無邪気な姿に俺は思った。 「この人はもう大丈夫だ。」 俺はこの人がますます好きになった。
118 :
69 :2008/06/20(金) 23:26:09
大学1年の夏は始めて彼女ができたときだった。結局夏休みは2週間ほど秋田にいた。いろんなところに行った。 夏休みが終わり、大阪と東京の遠距離恋愛が始まった。チャットで話すことが多かった。 冬が近づく11月下旬ごろ、冬休みに秋田に行くことを約束した。 12月20日ごろ秋田に行った。ここで彼女の今まで知らなかった意外な一面を知る。 彼女がいきなりスキーに行こうと言い出した。近くにいいスキー場があるといった。 俺はスキーはまったくできない。それでも一緒にスキーに行くことにした。 スキー場に到着すると、俺は準備をした。準備が整ってゲレンデにでた。すると彼女はいない。 探しているとすごいスピードで俺のほうに向かってくる人がいた。それは彼女だった。 「スキー初めて?教えてあげる。」 そういうと板の履き方から親切に教えてくれた。滑ってみると転んでばかりだった。彼女に手を とられながらへっぴり腰で恐る恐るすべる俺は情けない姿だった。 朝から夕方まで滑っているとなんとなく俺でも滑れるようにはなった。 ナイター設備の照明が照らされると彼女に上級者用のコースにつれられた。俺はふもとで待っていることになった。 彼女はリフトに乗っていった。斜面の上のほうを見ていると赤いスキーウェアーの彼女が見えた。合図とともに一気 に急な斜面を滑っていった。周りのどのスキーヤーよりも華麗に滑っていた。まるで雪上の天使のような感じだった。 斜面を一気に降りると俺のところまで来た。 「私はスキー大好き。私の夢はスキーでオリンピックに出ること」 そういった。周りの人が声をかけてきた。彼女はこのスキー場ではちょっとした有名人なんだという。 いろんな人から話しかけられて、またそれに答えているの彼女を見るとうれしくて仕方なかった。
sien
120 :
大人になった名無しさん :2008/06/21(土) 19:07:16
スゲー こりゃ名作だ! 69の人柄のよさがにじみでてる
121 :
大人になった名無しさん :2008/06/21(土) 21:44:29
神戸市東灘区の無職毛利義一さん(61)が五月に自宅マンションで刺殺された事件で、兵庫県警東灘署捜査
本部は二十一日、強盗殺人容疑で指名手配していた中国籍の住所不定、無職の少年(19)を逮捕した。調べに
対し、毛利さんを刃物で刺したことなどは認めているが、「殺すつもりはなかった」と供述しているという。
捜査本部によると、少年は事件発覚後の五月十三日に中国に帰国していたが、再入国の情報があり、捜査員を
関西国際空港に派遣。二十一日午後一時すぎ、同空港に到着した少年を取り押さえたという。
調べでは、少年は五月九日夜、毛利さんの両手に手錠をかけ、胸や首を刃物で刺して失血死させた上、キャッシュ
カード一枚を奪った疑い。
現場近くのコンビニエンスストアの現金自動預払機などで、毛利さんの預金口座から現金百数十万円が引き
出されており、捜査本部は防犯カメラの映像などから少年を特定、指名手配していた。毛利さんは一人暮らしで、
捜査本部は二人の面識の有無など詳しい経緯を調べている。
ソース
神戸新聞
http://www.kobe-np.co.jp/news/jiken/0001159883.shtml
122 :
大人になった名無しさん :2008/06/21(土) 22:43:36
このスレで小説を書くのは、やめてください。
123 :
大人になった名無しさん :2008/06/22(日) 11:57:40
124 :
大人になった名無しさん :2008/06/23(月) 17:06:21
69の話が読みたくて毎日ここに来てるのだが、待ち遠しくて仕方ない。 ところで、その彼女というのは最後は亡くなってしまうのか…どうなるんだろうか? これからすごいのが来そうな予感。
125 :
大人になった名無しさん :2008/07/01(火) 22:24:38
待ち遠しい
126 :
大人になった名無しさん :2008/07/02(水) 00:24:01
続きはまだか!!わしゃ、続きが読みたいぞ
127 :
大人になった名無しさん :2008/07/02(水) 03:52:31
俺には可愛い彼女がいた 性格は素直でスタイルも良かったが周囲からは 「えwあの女と付き合ってるのwwwお幸せにw」とよく馬鹿にされた 彼女は頭が非常に弱かった 高校を中退し、通信制の学校を4年かけてやっと卒業、まともな職にもつけず 派遣会社で毎日を繋ぐどうしようもない女 おまけに中学時代から周りの男に騙されては性欲処理に使われていた 友人の紹介で彼女と付き合い始めたのだが、これは、彼女が妊娠しても俺に責任を押し付けられる という算段があっての事だったらしい 付き合って1年は仲良く過ごしたがやはり彼女といるのが恥ずかしくなっていった 周りの目を気にしていたのは言うまでも無い 彼女は俺に甘えたり、俺の気を引こうとしていたがそれも逆にウザく感じるようになった 大学で良い結果が出せないことでイライラしていた俺は彼女に冷たくするようになった ある日胃腸炎で寝込んだ俺の家に彼女が来る事になった 嫌な予感はしていたが全く予感は的中した 皿は割る、洗剤はこぼす、まだ乾いてない洗濯物をベッドに放り込む、お粥は煮えすぎて不味い 極めつけは、俺が大事にしていたエンタープライズ(戦艦)のプラモをぶっ壊したことだ 棚を掃除しようとして落っことしてしまったらしい 俺は完全にキレた。「もう、何やってんだよ!!死ね!帰れ!」と叫び彼女を突き飛ばした 彼女は泣きながら「ごめんね」とつぶやいて玄関に消えていった
128 :
続き :2008/07/02(水) 03:52:57
それから一週間後、彼女は交通事故に遭った 連絡を受けて病室に入ると、医者が「ご家族の方ですか?」と言ってきた 俺は首を横に振った。「お友達?良かった、家族の方と連絡が取れなくて困ってたんです」 そう言って医者は彼女の酸素マスクを取って一言残して部屋を出て行った 「手を尽くしましたが今夜が最後です」 どれだけ時間が経っただろうか、深夜になり彼女が目を覚ました 崩れてゼリー状になった目から血が混じった涙がこぼれた 「ゆう君(←俺)・・・」彼女は俺の手を握った。もう、握るというほどの力も無かったが 「・・ゆう君のこと考えてたら・・・私、信号見てなくて・・・」 彼女の息が荒くなった 「・・・・ゆう君の家、また行っていい?仲直り・・」 「いつでも来いよ・・元気になったら」 彼女はニコっと笑った 「・・・ゆう君・・」 「料理も掃除も教えてやる。でもその前に怪我治せ・・・おい!」 彼女は死んでいた その後のことは良く覚えていない 医者と看護士が慌しく入ってきて死亡判断?のような事をやっているのを眺めていた そして気がついたら彼女は棺桶に入っていた のろのろと病院に来た家族の人たちは冷めた表情だった 葬式も告別式も身全てが事務的だった。悲しんでる人はいなかった 「ああめんどくさい」と愚痴るやつもいたと思う 後日、家族の人に頼まれて彼女の家を整理しに行った 古ぼけたアパートで部屋も狭かった。相当質素な生活をしていただろう 机に日記帳があったので開けてみると下手な字で俺との出来事が書き込まれていた 日付は交通事故の前日で止まっていた。涙が止まらなかった 「ゆう君の大せつなエンターぷラいずをぷラモデルやさんでつくった みせの人にてつだってもらったけどじょうずにできたかな あしたはこれをもってゆう君のいえにゆこう おかゆもそうじもれんしゅうしたから ゆう君は、よろこんでほしいな」 今、彼女の墓は吉祥寺にある もし願い事が一つ叶うなら、この愚かな俺に、もう一度彼女を会わせて欲しい
嘘って言って下さい。涙が止まりません
130 :
128 :2008/07/02(水) 10:03:24
>>129 嘘です ってか釣られてんじゃねぇwww
こんな話ホントにあるわけねぇだろwww
m9(^Д^)プギャー
131 :
大人になった名無しさん :2008/07/02(水) 13:52:22
128はハショリすぎだ。69から読んでるが文体が違う
132 :
大人になった名無しさん :2008/07/02(水) 15:43:55
そうじゃないだろ 69は長々とだらだらと書きすぎで簡潔にまとめる文章力がないだけ。
133 :
まだ知らない人はコレ見て怒れ!! :2008/07/02(水) 17:55:47
【ニュー速報+板からきますた】口コミで出来るだけ多くの人達に広めて下さい!!! 69:名無しさん@全板トナメ参戦中 :2008/06/30(月) 17:36:03 ID:2aGz0rPl0 【世界中から信頼される日本記者クラブの毎日新聞が英語版で、世界に向けて9年間も発信していた記事】 ■思春期の受験生の集中力を増すために母親はフェラチオで息子の性的欲望を解消する ■日本人の若い女性はファーストフードを食べると性的狂乱状態になる ■日本人主婦は皆コインランドリーに附属のコインシャワーで売春している ■日本のティーン(10代)たちはバイアグラを使ってウサギのようにセックスをする ■少女嗜好が発達した日本では、小学校に通うごく普通の少女たちが放課後、売春婦として働いている ■日本の看護婦たちは通常、病院内にバイブレーターを持参し、仕事柄、アナル開発に興じている ■日本人女性の55%は、出会ったその日に男と寝る ■20才から35才の間の日本人の4分の3がセックスの写真やビデオを撮ったことがある ■漁師経験者談;日本人は何とでもセックスをする ■24時間オルガズムが止まらない病気で苦しむ日本人女性の数が増えている ■六本木のあるレストランでは、コックは食事の前にその材料となる動物と獣姦する ■福岡の米祭りは、顔にベトベトの白い液体を塗るため、AV業界が「顔射」と呼ぶものによく似ている ■日本の最新の流行:70歳の売春婦 ■老人の売春婦の人気にもかかわらず、日本では小学生の売春婦にも仕事がある ■ほとんどすべての漁師は海でマンタとSEXしている ■男色は日本の伝統。八坂神社では女装祭りを行っている ■日本男子は柔道や空手の部活で男相手に童貞を捨てている ■日本の首相は結婚生活ではなくオナニーで政権が取れると言っている ■横浜の女装祭りはゲイの宣伝になる ■かつてパールハーバーと南京大虐殺を起こした日本政府が、児童性愛者向けのマンガを作ってオタクを自衛隊にひきつけようとしている ■熱海の伊豆山神社のある木は、屠殺人の木またナギと呼ばれ、その後イザナギと呼ばれたが、 ■イザナギは神道伝説の神話の神であり、日本列島は彼のこぼした精液から生まれた
>>130 は偽者
俺が本物
ID出ないから分からんけど
>>128 はあるブログに掲載されてたから転載した
そこには80年代の日本で、障害者が社会的に認められてない時の話って書いてあった
本当かどうかは知らん
135 :
大人になった名無しさん :2008/07/03(木) 01:35:53
128みたいな話が話が載っているサイトぜひ教えてください。
136 :
大人になった名無しさん :2008/07/03(木) 18:54:58
69の話もコピペなのか?
137 :
大人になった名無しさん :2008/07/04(金) 22:46:38
おい!69 まだか〜
138 :
大人になった名無しさん :2008/07/04(金) 23:45:52
そして、結婚した。 【第一部 完】
139 :
大人になった名無しさん :2008/07/05(土) 01:49:43
才能の無い芸術家は多々いるだろう。 才能の無いことに気が付いていない芸術家はそうはいない。 ある意味、泣ける話。
140 :
大人になった名無しさん :2008/07/06(日) 13:03:52
吊しアゲ
141 :
大人になった名無しさん :2008/07/07(月) 00:22:35
゙
142 :
大人になった名無しさん :2008/07/09(水) 14:39:01
69のはなしは最後は涙が止まらなくなるよ。切なすぎる
143 :
大人になった名無しさん :2008/07/14(月) 19:40:24
49まだか〜
144 :
大人になった名無しさん :2008/07/20(日) 14:47:10
49や67は他行ったのか?
145 :
大人になった名無しさん :2008/07/21(月) 01:57:05
69の話だったら別スレで話題になってた。 ここで書き込まれているのは全体の4分の1ぐらいかな。
146 :
大人になった名無しさん :2008/07/21(月) 03:08:54
別スレとはどちらに? ただ読みたいのに…
147 :
大人になった名無しさん :2008/07/22(火) 19:55:39
69の話は泣ける2ちゃんねるに登録し
148 :
大人になった名無しさん :2008/07/22(火) 23:36:59
1.プールにいるときのおしっこって、中でしちゃう派? 2.トイレに行くけど、脱がずにそのまましちゃう派? 3.トイレに行って、股のところだけずらす派? 4.トイレでちゃんと脱いででする派? 5.その他 色々聞かせてくださいな
149 :
69 :2008/07/23(水) 00:43:12
別スレとはもう1年も前になるのですが、まだ覚えていた方がいるとは・・・ 大学3年の春、彼女は大学を卒業した。卒業後の進路は東京の企業だった。 社会人になった彼女は実業団でもスキーの選手として国体を目指していた。 社会人になると時間が取れないのかなかなか会えない、話もできない日が続いた・ 夏休みに再び再会することになった。猛烈に暑い日だった。待ち合わせ場所の井の頭公園に 現れた彼女は変わっていた。学生とは違った雰囲気だった。以前は夏に会うときはワンピースが好きらしく 少し子供っぽい服装をしていたがこのときは違った。少しいやらしい言い方になるが脚線美をみるのが 楽しみだった。しかしこのときから彼女はズボンばかりはくようになる。 井の頭公園の路上パフォーマンスを見て歩いていると彼女は疲れたといった。 ベンチに座り込んでいた。20分ぐらい休憩した後ベンチを立ったときだった。彼女がいきなり転んだ。 何かに躓いたのだろうと考えたが足を引きずるように歩いている。 「大丈夫?」と聞くと「なんでもない」という。しかし足を引きずるような歩き方をしている。たぶん転 んだときに捻挫でもしたのだろうと思った。 しかしこれは怪我ではなかった。
150 :
69 :2008/07/23(水) 00:49:33
夏の東京での再会は1日だけだった。夜に両国の花火を見て別れた。 それから時は過ぎ10月になった。それまで毎晩のようにチャットで話していたのが 急につながらなくなった。メールもつながらなくなった。そんな状態が1ヶ月続いたときだった。 いきなりメールが来た。 内容は、病院に入院したとのことだった。翌週に急いで東京の病院に向かうと彼女は整形外科の病棟に 入院していた。練習中に大怪我をしたのだろうか、心配になって病室を訪ねると個室だった。そして彼女は眠っていた。 しばらくすると病室に彼女の叔母さんという人が入ってきた。大阪のおばさんだった。 彼女は両親はすでに他界し、妹しか身内はいないので頼れるのはこのおばさんだけだった。 そしてなぜ入院したのかを早速聞いてみた。おばさんが口にした病名は意外なものだった。
151 :
69 :2008/07/23(水) 00:54:48
「骨肉腫」 聞いたことのない病名だった。骨にできる腫瘍だという。彼女の場合はひざに骨肉主ができていた。 腫瘍といえば癌というイメージがあったが、やはり悪性の腫瘍だという。治療法は抗がん剤での薬物 療法である程度腫瘍を小さくしてから腫瘍を取り除くという。腫瘍がひざの関節の周りに大きくでき ており、腫瘍を取り除いた後は人工関節をつけることになるという。 ショックだった。人工関節をつけたら元通りにスキーはできないだろう、ましてや彼女の夢である国体、 さらにはオリンピックの夢もなくなるだろう。残酷すぎる。
152 :
69 :2008/07/24(木) 01:32:45
病室に戻るとまもなく彼女が目覚めた。 「ああきてくれてありがとう」 だがその後の言葉が続かなかった。彼女にはすでに病気のこと、手術により人工関節になることを 告知しているという。さすがに元気がなかった。 手術の日はやってきた。大阪から急いで駆けつけその日はずっと見守っていた。およそ5時間に及ぶ 手術が終わり病室に戻ってきた。そして麻酔から醒めた彼女がいった。 「足が痛い、さすって」といった。 手術をした足が痛いのは当然だろうと思ってさすってみようとした。そこであることに気がついた。 ひざから下の部分がなかった。足が切断されていた。 実はすでに人工関節ではだめなほど腫瘍が広がっていた。 彼女はしきりに切断された足のひざが痛いといった。これは足はすでになくなっていても脳がまだ 足があると錯覚していて痛み出すのだという。その日はおばさんと交代で足をさすっていた。
153 :
大人になった名無しさん :2008/07/25(金) 22:09:04
このはなし最後に感動の嵐の予感
154 :
大人になった名無しさん :2008/08/08(金) 10:01:21
hο∫hμ..._〆(゚▽゚*)
すでに感動。。。 つづきはまだ?
156 :
大人になった名無しさん :2008/08/08(金) 23:18:20
イラネ
映画にしよう!
糞ストーリーいらね
160 :
大人になった名無しさん :2008/08/09(土) 21:26:34
69ってさ、自作の小説をここで披露してるだけなんじゃないの? その内容は痛いっていうかなんていうか・・・
仮にそうだとしても、こんな過疎板の過疎気味のスレで長いだの文才ないだの、 文句ばっか言ってる輩より、よっぽどスレにとっても住人にとっても有用じゃない? 俺は最終的に泣けたり切なくなったりできればそれでいい。 一言一句真実である必要さえない、一体2chに何を求めてるんだよ。
2ちゃんには真実を求めている。 仮想ストーリーなどいらない。 仮に仮想ストーリーであったとしてもそれが感動できるならまだしも 69の話は感動すらできない。自分では最高のないようだと思っているんだろうけど そういうところが痛々しい。 49の内容は最高なんだがな。
163 :
大人になった名無しさん :2008/08/12(火) 16:48:13
小学校1〜2年生まで自分は感情の起伏の無い子供だったらしく、 両親がとても心配してよく児童相談所や精神科みたいな所に連れ ていかれていた。 その時も面倒くさいとも楽しいとも思った事は一切無く、自閉症気味 と診断されていたそう。 今親に聞くと、赤ん坊の時からめったな事では泣いたり笑ったり する事も無かったとか。 でもきちんと人の話は聞くし、知能も高かった事から親以外からは大人 しい良い子だという風に受け入れられていて、上手く言い表せない自分 の両親は心配しながらも、少し不気味に感じることもあったそうだった。 でも自分の爺さんは、そうやって不安がる両親に対して「こいつには こいつのペースがあるんだ。放っておけ」と言うだけだった。 別段爺さんは自分を甘やかす事も無く、だからと言って無視したり虐待 するでも無かったけれど、婆さんと両親は爺さんを冷たいと怒っていた。 ある日、爺さんが風邪をこじらせて肺炎になり入院した。 母親に連れられて見舞いに行ったとき、母親が花を花瓶に入れる為に 病室を出て行った。 自分と爺さんが二人だけで病室にいて、何も話す事は無く物音一つしなく て二人共動く事も無かった。 ふと自分の頬の側の空気が動き、見ると爺さんが青い小さなみかんを自分に 差し出していた。 それをそのまま機能的に受け取って、爺さんも自分も何事も無かったように 母が来るまでじっとしていた。 そのみかんをどうしたかは記憶が無い。 きっと家族の誰かが食べたんだろうとは思うけれど。
164 :
大人になった名無しさん :2008/08/12(火) 16:49:27
爺さんはそれから少しして死んでしまい、お通夜も葬式の時も何も感じる事は 無かった。 初七日が過ぎ、爺さんの仏壇に供えていた青いみかんを何の気なしに母親が 自分に与えて、自分も受け取ってその皮を剥いた。 青いみかんのしゅわっという香りとみかんの水分が自分の周りに漂った瞬間、 自分の喉の奥が急に詰まったように痛くなり、胃が固まって震えるような感覚に 襲われた。 生まれて初めての感覚に驚き、声を上げようとしたけれど喉が潰れたような感じ になってうめくような声しか出てこない。 その時初めて「助けて」と思い、うずくまっていると顔が濡れている事に気が ついた。 触ると目からぼたぼたとどんどん涙が出てくる。 自分のうめき声に驚いた母親が慌てて自分に駆け寄ってきたのがわかった。 母親に必死にしがみ付き、自分の世界が壊れていくような恐怖を感じ、身体を 硬くして叫び続けていた。 母の暖かい腕が自分に巻きついているのを感じ、温かい手のひらが頭や顔や体 を撫でてくれているのを感じ、そしてだんだん落ち着いていくのが判った。 どこか痛いのかと心配する母と父と婆さんの顔を見て、口が自然に開いて、 しゃくりあげながら「ありがとう」と言葉を発していた。 顔の筋肉が引きつって、あんなに苦しかった胸の中がだんだん温かく柔ら かくなっていくのがわかった。 両親と婆さんが驚いた顔をして、とたんに皆が今度は泣き出した。 「ありがとう」と言って自分は笑ったらしい。 爺さんが、感情を出しやすくしてくれたんだと婆さんと母親が言っている。 父親も自分もその事がどうとか何も言わない。 でも爺さんの仏壇に毎日毎食、皆が食べるものと同じお膳を備える事を一日 も欠かす事は無い。
165 :
大人になった名無しさん :2008/08/12(火) 17:06:32
長いんだが(゚Д゚)ゴルァ!させてください・・・ ばあちゃん(゚Д゚)ゴルァ! 四年ぶりに田舎帰ってその帰り際に押し問答で押しきられた封筒の厚さがおかしいと思ったら 5 0 万 もはいってましたよ(゚Д゚)ゴルァ! 渡されるとき変だな変だな〜って思ってましたよ(゚Д゚)ゴルァ! 1万円でも漏れには大金なのに 5 0 万 て何事ですか(゚Д゚)ゴルァ! 漏れはちょっと前に事故で死にかけて、今すげー金欠ですよ でもな、ばあちゃん 何やってんですか(゚Д゚)ゴルァ! 50万てばあちゃんその金稼ぐのにどれだけ苦労しましたか? ばあちゃんが作ってうってる野菜ひとふくろ100円ですよ(゚Д゚)ゴルァ! ひとふくろたった5本の胡瓜だけれどそれをつくるのにばあちゃんどれだけ苦労しましたか(゚Д゚)ゴルァ! 曲がった腰更に曲げて草取り水遣り肥料遣りに支え作り袋詰だって楽じゃないですよ(゚Д゚)ゴルァ! ばあちゃん、体きついって、頭痛い腰痛い足痛いって言ってるじゃないですか(゚Д゚)ゴルァ! ばあちゃんの胡瓜はばあちゃんの命すり減らして作ってますよ(゚Д゚)ゴルァ! 金額も金額だけど、金の価値はそれだけじゃないですよ(゚Д゚)ゴルァ! 漏れはばあちゃんの命を喰ってるようで涙が止まりませんよ(゚Д゚)ゴルァ! 田舎にも帰らず28P300円でフォモ本作って売りさばいてたりしてごめんなさい(゚Д゚)ゴルァ! 漏れの本とばあちゃんの野菜は価値が違うよ 四年ぶりに会ったばあちゃん、ちっちゃくなって 声もちいさくなって前はきりきり働き者だったのに頭痛いってずっと寝てましたよ(゚Д゚)ゴルァ!
166 :
大人になった名無しさん :2008/08/12(火) 17:07:07
医者いってください 整体いってください 頼むから! 頼むから、ばあちゃん! 「被爆者手帳で医療費ただだから気にせんで」って 医療費ただでも交通費はただじゃないじゃないですか(゚Д゚)ゴルァ! 「あんたが生きててくれて嬉しいん。 このお金で車買い、今使わなくても結婚資金にすればいいから」って(゚Д゚)ゴルァ! ばあちゃん(゚Д゚)ゴルァ! 自分どうすればいいですか(゚Д゚)ゴルァ! 結婚資金どころか相手もいないですよ(゚Д゚)ゴルァ! ばあちゃんを安心させて喜ばせてあげたいのにそれすらできませんよ(゚Д゚)ゴルァ! 使えません、使えませんよ(゚Д゚)ゴルァ! 受け取っちゃったんで返せませんよ(゚Д゚)ゴルァ! かえしたらばあちゃんきっと悲しむ でも返したいですよ(゚Д゚)ゴルァ! 漏れはどうしたらいいですか(゚Д゚)ゴルァ!
167 :
大人になった名無しさん :2008/08/12(火) 17:07:28
漏れは悪い孫ですよ ばあちゃんにそんなことしてもらえる価値なんてないですよ 四年も田舎に帰らなかった自分(゚Д゚)ゴルァ! 帰らなかった間にばあちゃんすげーちっちゃくなってるじゃないか(゚Д゚)ゴルァ! 手の骨とかポキンて折れそうですよ(゚Д゚)ゴルァ! 漏れにはなんてことのない四年だったけど ばあちゃんが年をとるには十分すぎる年月なんだな(゚Д゚)ゴルァ! ばあちゃん、ばあちゃん、しんじゃ嫌だ しんじゃいやだよう ずっと生きてて漏れに孝行させてください(゚Д゚)ゴルァ! 漏れに背中もませてください 手つないで坂道歩かせてください(゚Д゚)ゴルァ! ひいばあちゃんひいじいちゃん、事故のとき漏れを助けてくれてありがとう! まだばあちゃんまだ連れてかないでください(゚Д゚)ゴルァ! 次の休みは年末だ(゚Д゚)ゴルァ! 祭りにはいかねえ 田舎に帰るよ ばあちゃん待っててな(゚Д゚)ゴルァ! いっしょに温泉行こうな 漏れ少ない給料がんがってためるよ(゚Д゚)ゴルァ!(゚Д゚)ゴルァ!(゚Д゚)ゴルァ!
168 :
大人になった名無しさん :2008/08/13(水) 16:09:24
(゚Д゚)ゴルァ
彼女の足がないのに足をさすってる69 せつないぜ
170 :
69 :2008/08/14(木) 21:35:52
彼女の足が切断されたのを彼女が目の当たりにしたのはその翌日だった。 そのとき俺もいた。おばさんと3にんだった。意外にも平気そうな顔をしていたのには おどろいた。しかし、夜にこっそりと病室を訪ねた時彼女は泣いていた。 きっと俺とおばさんの前では心配かけたくないとの思いで勤めて明るく振舞っていたのだろう、 翌日、病院の近くで雑誌や日用品を買って彼女の病室を訪ねた。ベッドの上で焦点の定まらない視線を 天井に向けていた。無気力、そんな感じだった。こういうときはどうしたらいいのだろう、励ますにしても どうやったらいいのかわからない。いろいろ考えていると彼女のほうから声をかけてきた。 「ねえ、別れてもいいんだよ、足のない女の子と付き合ってもこれから先大変なだけよ」 突然そんなことをいった。俺はなぜか病室を抜け出してしまった。
171 :
69 :2008/08/14(木) 21:44:55
翌日朝早くに再び病室を訪ねた。すると彼女は病室にはいなかった。しばらく待っていると彼女が戻ってきた。 表情は明るかった。 「話があるの」 と神妙に言った。すると彼女は引き出しから雑誌を取り出した。この雑誌は前の日に俺が買ってきた雑誌だった。 数ページ開いたところで手渡された。 「ねえ、この写真の人どんな人かわかる?」 俺はじっくりとその写真を見た。スキー選手が急な斜面を滑っている写真だった。迫力のある写真だった。 「外国人のスキー選手?」 というと 「もっとよくみて」 と彼女が言った。 しばらくじっと見て気がついた。 「ああ、片足・・・」 そして写真の下の記事に目をやった。写真の人はプロのスキー選手で事故で片足を切断したという。 でもスキーが大好きでずっと滑り続けてついにはパラリンピックに出場を決めた人だという。
172 :
69 :2008/08/14(木) 21:52:30
「私、足を切断したらもうすべておしまいだと思ってた。大好きなスキーももうできないと思った。 でも私スキーが好き。もう一度チャレンジしてみようと思う。国体やオリンピックは無理だけど。 そう、私の夢はパラリンピックで金メダルを取ること。」 そうきっぱりと言い切った。このときの彼女の表情は一生忘れることはできないだろう。 それから数日たってリハビリが始まった。義足をつけての歩行練習はつらいものがあった。なんども 倒れながらも何かに取り付かれたように一心不乱にリハビリを続けている。サポートする人たちも 「今日はこれぐらいで終わりましょう」というと、まだまだとリハビリを続けていた。 病室に戻った彼女を見ると腕にあざを作っていた。転んだときにつくったあざだろう。病室に戻っても 廊下でリハビリをしていた。すこしやりすぎではないかと俺は心配したがおばさんは、「あの子の好きに やらしてあげてほしい」といった。 復帰への長い道が始まった。
173 :
69 :2008/08/14(木) 22:03:47
退院の日を迎えるころには転ばずに歩けるようになっていた、さすがはスキーヤー、運動能力がすごいと思った。 退院したのは10月末、秋田に帰ればまもなく初雪を迎える。会社を退職した彼女はさっそく練習を始めた。 スキー場がオープンすると同時にすべる練習を始めた。その初日だけ秋田に行き、彼女の練習を見守った。 俺は彼女にスキーを教えられてこの日には結構滑れるようにはなっていた。しかし義足をつけたりはずしたり、 試行錯誤しながら滑ろうとする彼女を見ると悲しくなった。何度もまともに立ち上がることもできない。それでも 何度も懸命に立ち上がろうとした。結局この日は立ち上がる練習で終わってしまった。 「こんなんじゃいつまでたっても滑れない」 彼女はこういうんじゃないかなと俺は思ったが違った。 「1回でも立てただけでもよかった。今年中には軽く滑れるような気がする。」 なんと前向きなんだと思った。そしてこのとき、彼女ならできると確信した。
174 :
大人になった名無しさん :2008/08/15(金) 14:01:00
いい話だなあ!! 69映画化してくれよ
いい話だ
176 :
大人になった名無しさん :2008/08/15(金) 23:12:44
これ最後に彼女亡くなるんでしょ? これから感動のあらしが来る予感
177 :
69 :2008/08/16(土) 01:41:15
それから2年が過ぎた。また冬がやってきた。俺は社会人になり、仕事が忙しくなり 大阪と秋田での遠距離恋愛はつづいていた。会えるときはお盆、GW、正月ぐらいとなった。 久しぶりに2人でスキー場にいった。そこで彼女のすべりを見た。 急な斜面を片足ですべっていた。2年でこれほどまで上達するとは思わなかった。もちろん 努力があっての上達だった。彼女は再び働きだした。仕事帰りに水泳をして体力を維持していた。 彼女は足を切断する前でもスキー場では有名だったが、切断した後はさらい有名人になっていた。 誰もが彼女を暖かく見守り、そして彼女の夢であるパラリンピック出場を応援していた。 この年の12月に青森で行われる大会に出場を決めていた。 2日目も急な斜面を猛烈なスピードで何度もすべていた。急な斜面の頂上から滑ってきてふもとにいる 俺のところまで滑ってくる。それを何度も繰り返していた。 昼前の休憩には入る前のラスト1回ということで滑りはじめた。最初はうまく滑っていたが斜面の中腹 あたりでコースを外れた。そのまま転んでしまった。 近くを滑っていた人があわてて助けに入った。俺も駆け出した。 彼女はぐったりと倒れた。救急車が呼ばれ病院に直行となった。 病院へ着くと検査が行われた。その結果は意外なものだった。
178 :
69 :2008/08/16(土) 01:48:02
右腕骨折、これは転倒の衝撃が原因だった。それに加えて高熱で肺炎になっていた。 朝は元気だったので肺炎というのは意外だった。 詳しい検査を受けて後日その肺炎と思われたものが予期せぬものだった。 「肺転移です」 こういわれた。骨肉腫の肺転移が起こった。医学辞書などでは肺転移を起こすことが かかれてあったのでそうなる可能性があることは知っていた。しかし手術から3年が 過ぎ、もう転移の可能性はないと思っていた。
179 :
大人になった名無しさん :2008/08/17(日) 01:17:18
このはなしはここからが本格的な感動のあらしになるね。 それにしても人少ないな。みんなはどう思っているんだろうか?批判のほうが多いのか?
180 :
大人になった名無しさん :2008/08/17(日) 01:20:21
2時間ドラマ向きだけど、話がちょっとステレオタイプだなぁ。 もう少し捻りが欲しいね。 男性の心が揺れるような事件の挿入が望ましいと思う。
つーか、いい話だとは思うがハッキリ言ってフィクション臭い
>>69 の出会いの時点ですでにリアリティが無い
スキー場では有名人だとか言い切ってるし、片足になったのも周知っぽいし
これだけ限定できる材料があれば特定できるんじゃねーの?
182 :
大人になった名無しさん :2008/08/17(日) 09:10:12
出会いの場面はリアリティあると思うけどなぁ。 まあこれからの展開に期待。
地元でも無い土地の海を見ながら辛い過去を思いやる ここまではいい だが、見ず知らずの男に声を掛けられてスルーしたのに 「どうして!」 なんのドラマの脚本だよ おまえがどうしたんだよ 初対面の時点で軽くスルーされていながら話かけ続けることが出来る性格のわりに 相手から渡された連絡先には自分から連絡できないってのも違和感がある 友人だろうとそんなメモ見つけて勝手に連絡とるような人間がいるかよ
69はもうここに書き込むな はずかしい みてられない ここのみんなの批判を見ればわかるだろ
185 :
大人になった名無しさん :2008/08/17(日) 14:50:07
去年3月に定年を迎えた父に兄と私で携帯電話をプレゼント。 退職前は携帯などいらんと言っていたがうれしそうだった。 使い方に悪戦苦闘の父に一通り教えてまずメールを送ったが返事はこなかった。 その6月に脳出血で孫の顔も見ずに突然の死。 40年働き続けてホッとしたのはたったの2ヶ月。 葬式後父の携帯に未送信のこのメールを発見した。 最初で最期の私宛のメール。私は泣きながら送信ボタンを押した。 私の一生の保護メールです。 「お前からのメールがやっと見られた。 返事に何日もかかっている。 お父さんは4月からは毎日が日曜日だ。 孫が生まれたら毎日子守してやる。」
自分的にかなりせつない話しを一つ。興味無い人はスルーで。 俺の出身地は当時日本で最も共産党員が多い市で、 しかも同じ地区内に公明党員がわんさかいるという非常にあれな環境だった。 少し離れた地区にいくといわゆる「地」の人間で固められた自民党地区もあったが うちの地区はまるで境界線でも引いたようにスパッと共産/公明とわかれていた。 選挙がある度に二つの熱心な党員が無党派の人間を巻き込んで毎度トラブルを起こしていた。 俺の家庭はというと親父は頑なに国労を貫き通す鉄道マン、お袋は世間知らずのお嬢様で 頼まれると断れない性格らしく、一時期聖教新聞と赤旗新聞を同時に取っていた。 で、いつのまにか熱心な共産党員になってしまい(多分良くしてくれていたババアが共産党の幹部だった) 生協は始めるは近所にビラをくばりまくるはで今思えばかなり痛い状態だった。 話しは少し飛ぶが俺が小学生の時近所に凄いかわいい子がいた。 その子(以下Aちゃん)はクラスも同じで席も近かった事もあり 仲良くなっていつのまにか二人で遊ぶようになった。多分初恋だったと思う。 ある時地蔵盆があって俺は意気揚々と友達と出かけたが肝心のAちゃんが見当たらない。 誰に聞いても茶を濁したような答えで要領を得ない。 しばらくしてせめてお菓子だけでも届けてあげたいと思い、ジュースやらポテトチップやらを 隙を見てゴッソリくすねた俺はAちゃんの家へと走った。 ドキドキしながらチャイムを鳴らすとAちゃんのお袋さんが顔を出して出迎えてくれたので。 Aちゃんにお菓子をもって来た事を伝えて「何故Aちゃんは地蔵盆に来ないのか?」 そう聞くと一瞬顔色が変わったが「Aちゃんは風邪を引いて寝ている」と言われ俺は帰らされた。 せめて夜の盆踊りぐらい来れないかと思った俺はAちゃんの家の前に立ち尽くしていたのだが、 しばらくして家の中から怒鳴り声が聞こえてきて、Aちゃんが大泣きしていた。 多分地蔵盆に行きたいとねだるAちゃんに、あんな奴と付き合うなと Aちゃんのお袋さんが怒っていたんだと思う。
187 :
186 :2008/08/17(日) 15:14:35
続き 怖くなった俺は走って地蔵盆の会場へと戻った。 帰ってくると何人かの大人に「どこに行ってた」だの「勝手にいなくなるな」 等々色々言われて俺は泣き出してその日は家に帰ってふてくされて寝てしまった。 夜、近所から盆踊りの音が聞こえてきて目を覚ました俺は一人地蔵盆の会場に行ってみた。 しかしそこにAちゃんの姿は無くて、大人が酒盛りしたり親子が楽しそうに踊っているだけで 肩を落とした俺はまた一人家に帰って行った。 当時うちは地区の持ち回りの班長だったので親は二人とも地蔵盆を取り仕切っており家にいなかった。 一人で貰ったお菓子をつついていたのだが、その時家のチャイムが鳴った。 出てみるとAちゃんだった。 Aちゃんは泣いた後みたいで目の周りが真赤になっていた。 そして俺が昼間持っていったお菓子の袋を「お母さんが返して来なさいって」と言ってうつむいたまま俺に差し出した。 俺はどうしたらいいかわからなくて「俺の家で一緒に食べよう」と言ったが Aちゃんは「お母さんに怒られる」「食べたら病気になると言われた」と言ってお菓子の袋を半ば強引に俺に返すと 走って自分の家に帰ってしまった。 当時の俺には何が何だかわからなくてただ、ただ茫然としていた。 いわずもがなAちゃんの家は熱心な学会員でこの時の事情を理解したのはずっと先の事だった。
188 :
186 :2008/08/17(日) 15:15:35
連投、長文スマソ この時の事を俺は言っちゃダメな気がしてずっと黙っていた。 それからしばらくは気まずくてAちゃんと遊ぶ事も話す事も無かった。 当時の俺は自分がバカだからAちゃんのお袋さんに嫌われているものと思い込んでいた。 (実際リアルにテストで0点を取るようなバカだった) ある日図工の時間に各自新聞紙を持参するよう言われた時があった。 (多分、粘土工作か何かの授業) 究極にバカだった俺は家にあった古新聞の山から何故か聖教新聞と赤旗新聞を同時に 持って行くという行為を犯した。 今思えば担任の先生の顔が引きつっていた様な気がする。 でいざ皆が先生の指示通り机に新聞を引き始めたのだがAちゃんはずっとうつむいたまま 新聞を忘れたのだった。 俺はここぞとばかりにAちゃんに新聞を貸して上げた。 こともあろうに赤旗新聞を…。 Aちゃんは「ありがとう」と久し振りに俺に笑顔を見せてくれた。 その日の放課後少年野球に入っていた俺は学校で練習をしていたのだが家に帰ってみると 何やらAちゃんのお袋さんとうちのお袋が玄関で激しく言い合っていた。 後で聞いた話しだが俺が貸したその新聞をAちゃんが家に持って帰ったらしい。 (多分出来上がった粘土細工を新聞に包んで持って帰り、お家の人に見せましょうみたいなノリ) んなこんなで俺は次の日からAちゃんに一切口を聞いてもらえなくなり激しくへこんだ。 俺の初恋ははかなく散った。
189 :
186 :2008/08/17(日) 15:17:09
これで最後、後日談 時が過ぎて成人式で俺達は再開した。Aちゃんは立派にどこぞのキャバ嬢みたいに成長し 高卒でDQN工場に勤めていた俺は周りの大学生のノリについていけず すっかり浮いてしまい、夜勤明けで一睡もしていなかったので早々に帰ろうとしていた。 帰り際Aちゃんが声を掛けてくれた「一緒に写真撮ろう」って。 正直嬉しかったがどうせそんな写真すぐ捨てるだろうと思い「さっさと撮ってよ、俺眠いから」と そっけない態度を取ってしまった。 するとAちゃんは「明後日引っ越すんだ私」と言って友達にデジカメを渡すと 俺に身を寄せてピースして控え目な声でこう言った。 「もうここにはいられないんだぁ、学会員皆この地区から身引いてるから… 私は興味無いんだけどやっぱ親がね」 なんて答えたらいいかわからない俺をよそに写真が撮れるとAちゃんは俺から離れて 「家に送るよ」と言ってくれた。 「あの人誰だっけ」と言う友達に「初恋の人だっちゃ」と答えてAちゃんは去っていった。 これをきっかけにAちゃんと恋が…なんて事は全く無い。 その写真は今でも送られてくる事もなく、俺は共産党員に囲まれながら今でも何とかやってる。 世の中そんなにうまい事いかんな。 長文誠に申し訳ない、お付き合いいただいた方に感謝。
中二の時、大阪から転入してきたDくん。 妙に気が合っていろんな話をした。 でもからかわれるのがいやで話をするのは放課後。 場所は屋上にでるドアの前だった。 汚いマットに座って毎日下校時間までいろんな話をした。 夏休みも私の家の前や近くの河原でほぼ毎日話しをした。 兄が”お前ら付き合ってるのか?”って誤解するくらい会ってた。 友達の話や好きな人の話、他愛のない話ばかりだったけど とても楽しくて大切な時間だった。 3学期になってからDくんはボーッとする事が多かった。 心配だったけど聞かれたくないようだったので何も聞かなかった。 2月のある日、いつものようにマットに座って話をしていたら Dくんが突然抱きついてきた。 抱きついたまま声を殺して泣いていた。 びっくりしたけどしばらくそのままでいた。 そしてDくんはいきなり立ち上がって 「今日はもう帰るわ、バイバイ」といって階段を下りていってしまった。 そしてDくんは何もいわずに次の日に転校してしまった。 夜逃げ同然でこっちにきて、ここにもいられなくいなって夜逃げした、と Dくんの近所に住んでいた子が教えてくれた。 あの切ない泣き方は今でも忘れられない。
193 :
他スレで見つけた泣ける話1 :2008/08/18(月) 22:48:54
俺の高校3年間を通じての恋人は、ほしのあきそっくりだった。 ほしのあきは165cmということらしい。俺の彼女、美来は高1のときにそのくらいの身長だった。 ほしのあきそっくりというのは童顔で細身の巨乳だったということなんだ。 俺は同じクラスになった彼女が、背が高くほっそりした童顔の女の子だと感じたものの、 俺の好みではなかったので、実は全く関心がなかった。俺はきりりとしたきつめの目をした女性が好みだった。 当時でいえば女優の中島ゆたかみたいなちょっと悪女っぽい大人の雰囲気の女性に憧れていた。 だから美来のことは眼中になかった。彼女は明るく世話好きで人気があったし、勉強もよくできた。 体育の時間に女子と一緒にグランドに出たとき、彼女の胸がただものではないことに男子全員が気づき、俺の周りは 「おい、H(美来の姓)、ブルンブルン揺れてるぞ、すげぇなぁ」と言っていたが、俺は巨乳(当時そういう言葉は なかった)にもそれほど関心がなかったので、特に反応しなかったと思う。 5月下旬の中間考査が終わった日に、俺は美来から手招きされた。それまで親しく喋ったこともなかったので、何事かわからず、 俺は彼女に歩み寄った。すると周囲に素早く目を走らせた彼女はさっと俺にメモを渡した。その場で見るのはまずそうな気がして、 何気なく歩いて廊下に出てから見た。「今日の放課後に■(地名)の●(店名)に来て下さい。どうしてもお話したいことがあります」 と書かれていた。一瞬俺ラブレターかなと思ったが、俺と親しく話したわけでもないし、彼女から俺に親しく話しかけてきたこともない。 すると彼女と仲のよいE美が、俺を・・・・と思った。というのはE美は細身のきりりとした顔立ちで、俺は好きというわけではなかったが、 ついついE美とよく話していたのだった。 俺は指定された●に出向いた。そこには美来が待っていた。 「ごめんね。試験の後なのに。あのね」と彼女は何か言いそうになり、「うん、その前に何か飲もうよ、わたし奢るから」と店員さんに合図した。 俺は自分の好みで紅茶を頼んだ。美来はそれを聞いて「あっ」という表情になり「私も」と同じものを頼んだ。 俺はかなり紅茶好きだった。だから●にあるような「紅茶」とだけ書かれたメニューでは美味しいものが飲めないと思っていたが、 日頃の好みで頼んだのだった。 紅茶が運ばれてくるまで俺は話すことは無いし、彼女も黙っていた。変な緊張感を漂わせている彼女に俺はいらいらした。 彼女の童顔も俺をいらつかせるのだった。 紅茶が運ばれてきた。ひとくち飲むと彼女は「ふぅ」と息を吐き、「わたし、T田君(俺)とつきあいたい!」と大きな声で言った ので、俺は思わず周囲を見回してしまった。彼女は立て続けに言った。「高校の入学式で会った瞬間にこの人だって思った。運命だって。 同じクラスになったときに死ぬほど嬉しかったし、傍でT田君を見ていて、思った通りの人だったので、本当に運命なんだって思った。」 そして俺が答える間もなく「ね、いいでしょ!」と同意を求めてきた。 俺は断りにくくなった。彼女の上気した満面の笑みを見ていると、仕方ないなと思い「いいよ」とOKしてしまった。 だが紅茶を飲み終わってからはどうすればいいのだろう?そう思ったが、彼女との話は尽きなかった。話しているうちに 性格的にも俺と凄く相性がいいことがわかり、俺は驚いた。俺にとっても運命かもしれないと思った。俺は正直に最初は 断ろうと思ったこと、だけど美来の笑顔を見ていると断れなかったこと、でも話しているうちにこんな出会いがあるのか と驚いたこと、今このとき美来を本気で好きになってしまったことを話した。 美来は笑っていた。その日の内にお互いのことは語りつくすくらい語り合った。
194 :
他スレで見つけた泣ける話2 :2008/08/18(月) 22:49:40
翌日から二人並んでの登校。俺の周りは「おまえ、どうやって落としたんだ?全然関心ないみたいだったのに。H島なんか、 喋っていて感触がよかったので申し込んだら、あっさり断られたんだぞ、運命の人がいるからって。おまえかよ、運命の 人って」とN野は呆れ返っていた。 俺と美来はいつも一緒だった。毎日一緒に登校し、一緒に下校した。だが平日はずっとくっついているわけでもなかった。 美来はしっかり者で、平日はちゃんと予習・復習するなど真面目だった。だが休日は遊びまわった。彼女の巨乳を振り返る 男性は多かったし、童顔とのアンバランスな魅力に俺もとらわれていった。 期末考査が終わって、二人で海に行ったときには彼女の水着姿はビーチで注目を集めていた。飾り気のない彼女はスクール水着 だったが、多分それが男性をそそったのだろう(今はそうだと理解できる)。普段からそんなにおしゃれをしない彼女はTシャツに ショートパンツが夏の定番で、ほとんど変わらなかった。
195 :
他スレで見つけた泣ける話3 :2008/08/18(月) 22:50:50
翌日から二人並んでの登校。俺の周りは「おまえ、どうやって落としたんだ?全然関心ないみたいだったのに。 H島なんか、 喋っていて感触がよかったので申し込んだら、あっさり断られたんだぞ、運命の人がいるからって。 おまえかよ、運命の 人って」とN野は呆れ返っていた。 俺と美来はいつも一緒だった。毎日一緒に登校し、一緒に下校した。だが平日はずっとくっついているわけでもなかった。 美来はしっかり者で、平日はちゃんと予習・復習するなど真面目だった。だが休日は遊びまわった。彼女の巨乳を振り返る 男性は多かったし、童顔とのアンバランスな魅力に俺もとらわれていった。 期末考査が終わって、二人で海に行ったときには彼女の水着姿はビーチで注目を集めていた。 飾り気のない彼女はスクール水着だったが、多分それが男性をそそったのだろう(今はそうだと理解できる)。 普段からそんなにおしゃれをしない彼女はTシャツにショートパンツが夏の定番で、ほとんど変わらなかった。
196 :
他スレで見つけた泣ける話3 :2008/08/18(月) 22:54:41
ゴメン。2が重なってしまったから、これが本当の3ということで------ 俺はキスしなければと焦っていたが、俺と美来の間にはもうそれも不要であるような気がして、先延ばしにしていた。 本当はキスを求めて嫌われるのが怖かったのだ。だけどチャンスがきた。体育祭が終わって二人で帰っていると、 雨が落ち始めた。降り方がどんどん強くなったので、俺と彼女は公園の屋根つきのベンチで雨宿りしていた。 土砂降り状態になり、視界がとても悪くなった。「風邪ひかないようにしないとね」と美来が体を寄せてきたので、 抱き寄せていきなりだったがキスをした。美来は驚いて体を離したが、俺の目を見ると、今度は自分から抱きついて キスをしてきた。大雨の中、二人で何度もキスをした。雨のカーテンが周囲から俺達を隠してくれていた。それを美来に 言うと、「素敵だね、雨のカーテンって」と嬉しそうだった。 その日、なぜか美来を両親に紹介したくなり、家につれて帰った。彼女は両親を前にしても朗らかだった。 父は「可愛い子やなぁ。おまえの学校はがりがりのがり勉ばかりかと思ったけど、あんないい子もおるんやな」と 彼女が帰ってから感心していたし、母も彼女に「本当に素直な可愛いお嬢さんで、どうしてあんたなんかと付き合うのか 不思議やわ」と言っていたが、俺は美来から俺に言い寄ったことは言わずにおいた。 俺と彼女は何度もキスを繰り返したが、セックスには進まなかった。彼女の巨乳は俺を夜な夜な悩ませる存在になっていたが、 そこだけは踏み越えないようにしようと心に決めていた。
197 :
他スレで見つけた泣ける話4 :2008/08/18(月) 22:56:32
こうして2年間が順調に過ぎ、交際開始当初は背の高さがかわらなかった俺達は、俺の急速な伸びもあって、 美来が2cm伸びたものの、かなり背の高さに差ができた。美来が並んでいて、俺を見上げるときの視線が 可愛くて仕方が無かった。 俺は幸福だった。将来は美来と結婚するのかなとさえ思った。美来も「こんな家に 住みたいね」などと言うことがあり、明らかに俺との将来 を意識していた。 5月だった。美来が倒れた。貧血だということだったが、俺は胸騒ぎがした。 大事をとって検査のために入院するという彼女のもとに駆けつけた。翌々日彼女は退院した。 彼女から打ち明けられた。「白血病だって」と明るく。俺は美来が死ぬんだと思った。 そう思うともう涙が止まらなくなり、声を上げて泣いてしまった。 「本人が泣いてないのに、おかしいよ。わたし、一度も泣いてないんだから。よし闘うぞ!って 思ったから。絶対に死なないわ」 こうして美来の闘病が始まった。俺は神様に祈った。俺の命を削って美来に与えて下さいと。 だが病状は好転しなかった。夏休みには入院して本格的な治療をすることになった。 美来から彼女の家に来て欲しいといわれたのは夏休み直前だった。 「もしかするとね、わたし、もう帰って来れないかもしれないから、 今日、たぶん最初で最後の思い出を作っておきたいの」 俺にはそれが何かわかっていた。俺は美来を抱き締めた。キスをした。 「ダメだ。美来がよくなってから、そのときにきっと・・・だから必ずよくなって・・・」 俺はまた泣き出してしまった。彼女は俺から離れると服を脱ぎ始めた。 「私の全てを見て。覚えていて。必ず帰ってくる」と彼女は微笑んだ。俺は彼女に歩み寄り また抱き締めた。
198 :
他スレで見つけた泣ける話5 :2008/08/18(月) 22:57:39
俺は毎日を彼女の病室で過ごすようになった。そこで受験勉強もしたし、彼女に乞われることは何でもやった。 もう泣かなかった。彼女は言った。「こんなに大切にしてくれる人がいるんだもん、必ずよくなるよ」 彼女の勘は鋭い。だから俺はそれを信じた。 夏休みが終わり、秋が来て冬になった。俺はずっと彼女に付き添った。彼女の両親は俺を気遣ったが、俺は 自分の受験結果よりも彼女が治ることが先決だった。 共通一次試験を終えて、俺は希望の大学を受験できるだけの点数をとることができた。その大学に入れば、 彼女のもとに通うことが出来る。その一念で勉強したのだ。 彼女も喜んでくれた。明らかに彼女の病状は好転しつつあった。俺が志望校に合格し、それを彼女と共に 彼女の家で祝うことが出来た。そのときのことだ。彼女のお母さんが「この子は本当に言い出したら聞かないし、 大胆というか向こう見ずというか。でもT田君がしっかりしてたからよかったわ。」俺は何のことかわからなかった。 彼女のお父さんも笑っていた。そしてお父さんが説明し始めた。「入院の前日に美来が明日H樹さんとひとつになる、 なんて言い出してさ」そこでお父さんはゲラゲラ笑った。俺はあっと思った。美来は「もう!わたしは真剣だったん だから、笑うこと無いでしょ!」と怒った。お父さんは「ごめん、ごめん」と謝って「わたしは死ぬまでに愛する人 と何もしないまま人生を終えるのはいやと真剣に言ってね、父親としてはこんなことを娘に言われるとは思いもしな かったし、聞きたくもないような話なんだけど、病気が病気だったし、娘にとって本当に最後の願いかもしれないと 思ったんで、好きにしなさいと言ったんだよ」と言い、「でも君が娘を大切に思ってくれ、娘に生きる希望と戦う勇気 を与えてくれたんだ。本当にありがとう」と最後は涙声になった。お母さんも涙を流しながら、「T田君のお陰よ」と 言ってくれた。 その後、美来は検査を受けなければならなかったものの、とりあえず「治癒」という診断を受けた。医師もすごく運が いい、医学的には手を尽くしたので、あとは患者の生命力次第だったといったそうだ。 彼女は卒業はできたものの、大学受験は1年遅れになった。それでももともと勉強のできる子だったので、俺の後輩 として入学してきた。 その年には医師から「完治とみていい」と言われた。俺の両親も交えての祝賀会で、美来の父親が例の話を披露した。 俺は恥ずかしくて何も言えなかった。というのはこのときは既に美来とは何度もセックスしていたし、「治ったらする」 という話まで出てくるのだから、双方の両親の前で「めでたくやっちゃいました」と宣言しているようなものだったからだ。 俺の父親などは「おかしいですね。こいつにそんな自制心があったとは。私の子供じゃないかもしれません」などと言う始末 だったし、母親まで「この子はそんなカッコいいことができるわけがないですよ。美来さんが美談にしてくれただけで、本当は 体の調子でも悪かったか、極度に緊張していたんだと思いますよ」と笑いをとろうとするのだった。 もう40歳近くになったけど、今でも美来は童顔で巨乳だから、振り返る男性は多い。彼女もほしのあきの活躍を見て、私も 今からグラビアに挑戦しようかななどと言っている(実際に大学2年のときに某大手プロダクションにスカウトされたが、彼女は 断った)。 実は彼女が入院前に全裸になったとき、「やろう」とその瞬間は決意したのだけど、なぜかできなかった。今そうなれば、彼女は 永遠に戻ってこないと思った。でも実はその姿を思い浮かべてオナニーしたことは何度もあるし、彼女とセックスするようになっても、 あの姿が一番エロティックだったように思っていた。
199 :
大人になった名無しさん :2008/08/19(火) 09:09:39
また白血病ですか?ありきたり ネタだろ ツマンネ
小さい頃、両親に『どうして母さんと父さんは結婚したの?』と聴いたことがある。 『お見合いだよ』と教えられた。その時は納得したが、大人になってから何か疑問を抱くようになった。 ただ、自分達の恋愛を子供に話すのが恥ずかしくて、嘘を教えられたと思うようになったからだ。 天国でもう一度2人に聴いてみようと思う。
201 :
大人になった名無しさん :2008/08/19(火) 20:47:13
>>199 君の反応が「ツマンネ」
俺には泣ける話だった。
202 :
大人になった名無しさん :2008/08/19(火) 21:07:47
ほしのあきの話にくらべたら69の話はバカみたいにおもえてくる。
泣けるかどうかわかりませんが、個人的には涙の思い出があります。 中2で同じクラスになったR穂に対して、僕はお互い好きなんだろうな、という 感触を抱いていました。たとえば僕が級長になった1学期には彼女が進んで副 級長を務めてくれたし、2学期の運動会では男子リレーの鉢巻を女子が作るこ とになったのだけど、彼女が僕の分を作ってくれ、当日は飲み物まで用意して くれりしたようなことがあった。
中3になって1学期は再び僕の「政権」だったが、彼女は副級長にはなってく れなかった。僕はちょっとガッカリしたけど、修学旅行の班編成のときに級長 と副級長は必ず別の班になるという決まりがあったので、彼女はそれを考えた みたいで、班編成では僕と同じ班になったし、初日のお弁当も彼女が作ってく れた。僕は僕で彼女の荷物を持ったりしたから、周囲も僕と彼女はカップルの ように見ていた。
だけどお互いにシャイだったため、一度も「好き」とか「つきあって」みたい なことは言わなかったし、土曜日の午後も学校にダラダラ残って一緒に過ごす ものの、他のクラスメイトも数人一緒だったり、日曜日にデートするようなこ ともないままだった。 僕は同じクラスになる前から彼女を知っていたし、彼女もまた僕を知っていた けど、自分がいつ彼女を好きになったのか、いまひとつはっきりしなかった。 彼女がいつから僕に好意的な行動をとるようになったのかも当時ははっきりと わかっていなかった。 当時思っていたのは、たぶん新しいクラスになった日の朝、登校中に彼女が友 達とのおしゃべりに夢中で、つい車道に大きく踏み出した時に、真後ろにいた 僕が「危ない!」と言って彼女の腕をつかんで歩道に引き戻したことに感謝し てくれたからではないか、ということだった。危なかったのは車にはねられる ということではなく、彼女の歩みの先には犬の糞があったからだ。
修学旅行でも周囲が僕と彼女を二人だけにしてしまうこともあったが、僕たち はそれに慣れていないので、すぐにクラスメイトのもとに戻ってしまった。 夏休みになり、来年の高校受験に向けて本腰を入れていた僕は、一度でいいか ら彼女とデートしてみたいと思っていた。でもシャイな僕は一度も彼女に言え ず、電話もかけなかったから出校日まで一度も会わなかった。 出校日に彼女とその友達(僕の親しい)から野球観戦に誘われた。僕と女の子 2人という組み合わせは奇異だったが、後からわかったのは、その友達が仕組 んでくれたデートだったということだ。僕は野球部ではないものの、プレイに は自信があったし、体育の時間にやるソフトボールでは不動の4番打者だった。 だが長距離打者ではなかった。今で言えば千葉ロッテのサブローみたいなタイ プで、勝負強く、ミートがうまい確実性の高い打者という位置づけだった。僕 は彼女がルールをよく知っているのに驚いたし、一度も退屈そうにせずに熱心 に観戦したことに感心した(試合はライオンズVSファイターズだった)。試合 を見終わると、一緒にいたクラスメイトは用事があるから、ここで、と去って いった。気を利かせてくれたのだが、当時の僕と彼女はそれには気づかず、二 人で球場の近くにいても何もすることがないし、お腹もすいたから、と初めて 二人でレストラン(ファミレスというのが中学生らしい)で食事をした。そし てそのまま帰宅した。
その後も僕と彼女は二人で会うようなことはなく、二学期の運動会でもまた鉢 巻を作ってくれたり、飲み物を用意してくれたりしたが、それ以上には進まな かった。 11月は恒例になっている3年生のソフトボールのクラスマッチで、僕はチー ムの4番として、彼女にタイムリーヒットを打つ姿を見せたいと思っていた。 リーグ戦で5試合戦うのだが、僕のバットは快調で3試合連続でタイムリーヒ ットを放ち、7打点を稼いでクラスは3連勝した。明日が4試合目という日の 夜、担任から電話があった。受話器をとったのは僕だった。担任の切迫した声 が耳に飛び込んできた。「おい、K(僕)、落ち着いてきけよ!M(彼女)が交 通事故に遭った。G病院に入院したんだ。それでおまえに会いたがっているんだ が、今から行けるか?」僕は目の前が真っ暗になり、受話器を持つ手が震えた。
「今から迎えに行くからな」と担任が言ったのは覚えていたが、それからどうや って病院に着いたのかはいまひとつ思い出せない。そのくらい動転していた。 彼女はベッドに寝ていた。脳挫傷ということだった。彼女の両親が「数日間の内 に頭の中に出血がなかったら大丈夫らしい」と教えてくれた。命には別条はない ということで安心した。「ごめんなさいね、R穂がうわ言でK君の名前を呼ぶもの だから、夜遅いのに・・・」とお母さんは申し訳なさそうだった。お父さんが僕 に「これ」と手渡してくれたのはお守りだった。僕は試合毎に彼女から新しいお 守りを手渡されていたが、どうやら彼女はそれを買いに行った帰りに車にはねら れたらしい。僕はショックだった。涙が出た。そして絶対にタイムリーヒットを 打ってクラスを勝利に導くと心に決めた。そのとき彼女が目を覚ました。僕に気 づいた彼女は笑った。「ごめんね。お守りを持ってたのに、はねられて。全然お 守りじゃないね」と話す彼女に僕は安心した。彼女は続けた。「明日はホームラ ンを打って。フルスイングでかっ飛ばして。そうしてくれたら元気をもらえそう」 「わかった。絶対に打つから」と思わず僕は彼女の手を握り締めた。が、彼女の 父親がいることに気づき、慌てて手を離した。父親が「明日、店を休んでも応援 に行くから!」と僕の肩を叩いた。これはプレッシャーになった。
翌日、相手チームのピッチャーの球は速く、当てるのが精一杯という感じで、僕 らは得点できず、反対に失点を重ね、6回表の攻撃までに4対0になっていた。 しかし相手チームのピッチャーが制球を乱し、フォアボールを連発してノーアウト 一塁二塁のチャンスになった。ここで3番のAが当たり損ねではあったが、センター 前に落とし、二塁ランナーは一気にホームインして1点を返した。そして僕だった。 僕は彼女のお守りを握り締めた。担任が「フルスイングだ!」と僕に向かって怒鳴っ た。それまで全くタイミングが合わなかったのだが、もう迷わずに思い切りフルスイ ングするしかないと決めたら、気持ちが落ち着いた。一球めは外角低めをかすめるス トライク。見送った。二球目は外角だがコースも高さも甘かった。僕のフルスイング が見事にボールをとらえ、センターの右にライナーが飛んだ。完全に外野を抜いて、 ボールは転々としていた。楽々のホームランだった。同点。僕はお守りにキスをした。 担任と目が合って、思わずお守りを隠したが、担任はクラス全員に向かって、「おい、 KはMから貰ったお守りにキスしたぞ!」と大声で言い、クラスは凄い盛り上がりを見せ た。6回裏もランナーを出しはしたが、サードが深い位置からファーストの僕に送球し、 間一髪でアウトにしたり、センターが左中間の打球をランニングキャッチしたりと好プ レイ連発でムードは最高になっていった。彼女のお父さんも声をからして応援してくれ た。 7回表は9番からの攻撃だった。だが簡単に三振に打ち取られた。一番は粘ったものの、 ファーストへのファウルフライだった。二番も粘ったがショートゴロで三者凡退に終わ っていまし、いよいよ7回裏だった。ここで失点すればサヨナラ負けだ。 だがこの回からリリーフしたサードのA(三番打者)がヒット1本を許したものの、抑え た。
延長戦となり、8回表はその三番のAからだった。Aはフルスイングが持ち味だったが、こ の日は当たり損ねばかりだった。打席に向かう時、「後は頼むな」と僕に言った。そして 初球をセーフティバントした。これが決まった。相手のピッチャーは疲れも出始めていた ようだし、このヒットで明らかに動揺したようだった。僕は初球を狙うことに決めていた。 そして初球は真ん中やや内角よりの高めという絶好球だった。フルスイングした僕のバット はボールをレフトの遥か頭上に運び、これもホームランになった。遂に勝ち越した。 その裏、Aが三者凡退に切ってとり、僕たちは勝った。ボールは学校の備品だったが、僕は お構いなしに日付とクラスマッチで二本のホームランをR穂のために打ったとマジックインキ で記した。担任の許可を得て、すぐにお父さんの車で病院に向かった。 R穂に無言でボールを手渡した。彼女はそれを見て涙を流し始め「ありがとう、ありがとう」 と何度も繰り返した。「もう私、治った」と言う彼女に父親までもらいなきし、僕の手をとっ て「ありがとう」と言うのだった。僕はヒーローになってしまった。柄でもなかったが、この 話は担任から全員に伝えられ、翌日登校すると拍手で迎えられた。その日は最後の試合だった。 全員でR穂に勝利を届けよう!と僕たちは燃えた。僕はフルスイングではなく、チームバッティ ングに徹して、ライト前に2点タイムリーヒットを、センター前にも2点タイムリーヒットを放 ち、僕たちは7対3で5連勝を飾った。この試合もお父さんは応援に来てくれた。 彼女は1週間で退院し、自宅療養も1週間で学校に復帰した。優勝したときのボールには寄せ書 きをして彼女に届けていたが、それはクラスの宝物ということで、彼女が学校に持ってきた。 「お父さんが撮ったビデオで見たけど最後の試合はフルスイングしなかったわね」と彼女は僕を 睨んだ。「私はフルスイングする人が好きなのに!」と言われた僕は落胆したが、「でも勝つため にヒット狙いだったんでしょう?」と僕の顔を覗き込んだ。「Kのパワーは4試合目でしっかり見た し、あのホームランで痛みが飛んでいくようだったから、5試合目のバッティングは許してあげる」 といたずらっぽく笑った。後ろからAが「おい、K、フルスイングする場面だぞ!」と背中を叩いた。
シャイな僕「空振りかもしれないけど・・・」とそこまでしか言えず、手を差し出した。彼女がそれ をしっかり握り、見ていたクラスメイトが「ヤッタァー!」と歓声を上げた。「よし!記者会見だ!」 と誰かが言い、僕と彼女は教卓を前にして椅子に座らされ、喋りのうまいSが「えー、それではクラス マッチで見事に首位打者と打点王を獲得され、MVPに選ばれた(これは学年の企画でやっており、僕は ホームラン王を一本差で逃していたが優勝チームで16打点を上げたのでMVPだった)K選手にお聞き します。婚約についてひとことどうぞ」とやり、またまた盛り上がった。そのとき数学の授業のために Y先生が教室にやってきたが、様子を見て「続けれ」と言った。僕は「チームメイトが懸命に出塁して くれたので、それをホームに返すことに徹して・・・」と言い始めたのだが、「婚約の件は?」と合い の手が入り、「えー婚約したわけではありませんが、今後のことは二人でゆっくり話し合いたいと思い ます」と言うと、「キスのご予定は」と女子のNが言った。僕が「いや、そういうことはだな・・・」と 真面目に答えようとしたのを彼女が遮り「近々予定しています」と言ったものだから、盛り上がりは最 高潮に達し、キスコールが起きて、Y先生までがワルノリして「せっかくや。ほっぺにチューくらいやれや」 と言ったので僕は呆気にとられていたら、彼女が僕の頬に軽くキスして、クラス中が大騒ぎになり、結局一 時間は4試合目と5試合目の話に終始して、Y先生も「受験前の息抜きや。次の時間はビシッといくで」と 笑っていた。 その日は僕と彼女が二人で帰らなければ、クラスが納得しないので、彼女を家に送り(確認部隊がついてきた からキスするようなこともできない)、12月の終業式の日、クリスマスイブに僕と彼女は目出度く初キス をした。場所は彼女の家。午後から数人でパーティを開くことになっていたので、その前に済ませたし、プレ ゼントも交換したのだった。僕からは愛用していたファーストミットとポーチ、彼女からは定番だが手編みの マフラーだった。 僕と彼女は別の高校になったが、高3の夏までつきあった。その後、受験を迎えて疎遠になり、僕の進学先が 遠方だったので、自然消滅した。
その後、僕たちは3年間没交渉だったが、ひょんなことから再会し、再びつきあう ようになった。 やはり僕にはR穂だった。今でも同窓会の度に僕たちの話は必ず語られ、盛り上が っている。
213 :
大人になった名無しさん :2008/08/20(水) 00:23:21
『重大な話がある』といわれて彼女の部屋に行くと5歳のカギ♂がいた。 彼女とは結婚を考えていたので、ややこしいことになったな思ったが、 ずるずると交際を続けた。プロポーズするかしまいかものすごく悩んでいた。 ある日、ガキを連れてUSJに行くことになり駅で待ち合わせをしていた。 駅について2人を発見。宗教の勧誘かなにかに捕まっている。彼女は困ってる様子だ。 早く行って、追い払ってやろうと思った、その瞬間! ガキが前に立っている男の急所を強打し、こう叫んだ。 ガキ『どっかいけ!!アホウ!!』 男はそそくさと退散していった。 俺『お前やるな!母ちゃん守ってやったな!!』 と褒めてやった。すると、 ガキ『お前が守ったれ!アホウ!!』 生意気なガキだが、今は俺の息子だ。
>>213 それ、泣けるのか??
まぁ、面白い話ではあるが。
215 :
大人になった名無しさん :2008/08/20(水) 23:35:56
このスレの中で一番の駄作は69の話 最強なのは49
217 :
大人になった名無しさん :2008/08/21(木) 05:46:16
一昨年ばあちゃんが死んだ 最後に会ったのは俺が中学生の時だったかな 葬式の為に20年越しでばあちゃんの住んでた田舎に行った 次の日遺品の整理をする為に俺とお袋、それと叔父の三人で もう誰も帰って来る事の無い家を訪れた じいちゃんは戦争でとっくに亡くなってたし ばあちゃんも亡くなる1年前からボケもあって入院してたから 実際には誰も住んでなかったその家の中は埃だらけだった それなのにまるで昨日までここで生活していたかの様な光景 洗った食器がそのままの台所 新聞が広げられたままの食卓 部屋の隅に畳まれたままの布団 そして小さな冊子が乗ったままの小さなちゃぶ台 叔父がその冊子を手に取って 「こんなものくらいしか楽しみが無かったんだなぁ」 と言って、声を上げるでもなく静かに涙を流してた 近寄って覗いてみると、お袋と叔父の若かった頃の写真、それとまだ子供だった頃の俺の写真だった 写真は指紋だらけで、カラーだったはずの写真は全部色褪せてセピア色になってた ばあちゃんは足腰が立たなくなってから入院までの間 テレビもラジオも無いこの部屋のこのちゃぶ台で 俺達の昔の写真を手に取って眺めながら一人で何を想ってたんだろう そう思うと辛かったけど、何とか涙は堪えた ばあちゃん ばあちゃんには会いたいけど、もう少しだけ待って欲しい 俺にはまだこの世にやり残してる事があるんだ 俺はお袋が死ぬまで生きなきゃならない それが親不孝ばかりだった俺にも出来る、唯一の親孝行だからね
>>217 漏れの婆ちゃんはモラハラまみれのクズだったが、なぜか泣けた
婆ちゃんっていい人と悪い人の差が激しいよね
69 最高だぜ!
>>217 20年間もばあちゃんひとり暮らしで放置してたのかよ
最低だな
222 :
大人になった名無しさん :2008/08/28(木) 22:40:06
69は他に移ったね。 あちらでは結構好評?
223 :
大人になった名無しさん :2008/08/29(金) 01:21:56
他ってどこ?
224 :
大人になった名無しさん :2008/08/30(土) 14:13:08
携帯からスマン 息子達!元気そうだな! 実はお父さん、木の下でビール飲みながら見てたんだよな。 二人とも大きくなったな。野球も上手になってビックリしたよ! 別れた時には幼稚園だったな。今は中1と小4… お父さんとお母さんは、お互い再婚して、君たちには新しいお父さんができたな。 もうね、会えないと思ってた。もちろん君たちも子供なりに分かってると思う。話しは出来なかったけど、すれ違う時にお尻を『ポンッ』って叩いて合図くれた時は嬉しかった。 涙が溢れそうになった… お前たち!いつまでも元気に育つんだぞ! 次、偶然に会えた時も合図を頼むな! 凄く嬉しかったからよ! また会いに来いよ!楽しみに待ってるから! 最高の夢をありがとう
225 :
大人になった名無しさん :2008/08/30(土) 19:10:57
>>224 面会権無いのか?
離婚理由がお前の有責だったの?
227 :
大人になった名無しさん :2008/09/03(水) 00:41:36
去年の12月27日におじいちゃんが亡くなりました。 超わがまま×頑固×変わり者のくそじじぃで、 旅行に連れて行けっていうから、長崎までの両親3人とのツアーを計画して、 宿とチケットをネットで手配したら、前日に調子悪いから行かないとか言い出すし。 (いつものわがままなんで、病院に強制的に連れてって、 お医者さんのお墨付をもらったら、結局行った) 仕事休みの週末には銭湯に連れて行けだの、 びっくりドンキー(変人なんでハンバーグとか大好き)に連れてけだの、 わがまま言い放題。 なのに、去年の12月27日にいきなり、死んじゃった。 朝起きたら、冷たくなってるの。 (たぶん、大動脈瘤破裂) いきなり、いなくなっちゃったから、実感わかなかったんだけど。 亡くなって、部屋の掃除してたら、年末年始のテレビジョン特大号が出てきて、 開いてみたら、年明けの番組に赤丸でチェックが打ってあるの。 篤姫なんて、毎週赤丸チェック。 玉木宏が出るから見てるとか言ってるけど、 本当は毎回おじいちゃんのこと思い出しながら くそじじぃの代わりに、両親と3人泣きながら見てます 苦笑 玉木宏は日曜に初めて出てきたけど(だから思い出した。)、最後まで見るからね、おじいちゃん☆ でも、悔しいから、内容は教えてやらん。
228 :
大人になった名無しさん :2008/09/04(木) 20:46:13
69の話し別スレにて完了 最後のこれでもかという感動の嵐には参った。 感動をありがとう! ここにも別スレのリンクはってもいいかな?
その別スレが分からないから是非貼ってください
230 :
大人になった名無しさん :2008/09/04(木) 20:55:48
231 :
大人になった名無しさん :2008/09/05(金) 08:17:31
232 :
大人になった名無しさん :2008/09/05(金) 18:15:40
埼玉の育児放棄の鬼母事件。 6歳長男の「全部ボクが悪い」発言には、涙が止まらん。
うん、
>>100 を何度読んでも泣ける
若いお母さんで、突然死なんて警察にも疑われて悲しい思いしただろうに
今一生懸命母親やってると思うと凄いなって思う
俺は母子家庭だった。 5歳のころ父は他界、母は一人で俺と妹2人を育ててくれた。 小さいころから父がいないことで寂しい思いをした。そしてなによりも母は朝から晩まで 働いていたがパートの身分なので月給は少なかった。 妹2人はよく母の手伝いをしていたが俺はひねくれ者だったので貧乏なのは母が悪い、と いつも母の前で言っていた。そんなことを言われても母はいつもこういっていた。 「貧乏でも家族4人で暮らせるだけで私は幸せだよ」 俺は貧乏なのがとてもいやだった。中学生になると給食がお弁当になった。 母は朝早くに家を出て行くがその前に必ず弁当を作ってくれた。しかし俺は弁当の中身が気に入らなかった。 ご飯に梅干、おかずはないときが多かった。
236 :
大人になった名無しさん :2008/09/08(月) 01:36:24
>>235 母にとって息子は亡くなった父の代わりなんだよ
本当は息子に頼りたかったのに
親不孝した分、これからは母ちゃんを大切にしな
237 :
235 :2008/09/08(月) 12:17:30
父がいないことで小さいころからいじめられた。それは中学になっても同じだった。 だからますます母に反抗した。今振り返れば貧乏だけど家族4人幸せな生活だった。 思いでは俺の誕生日になると毎年母が手作りのケーキを作ってくれた。買えばいいじ ゃんと思ったが買うよりも作るほうが安上がりらしい。そんな貧乏性なところも俺は 気に入らなかった。 俺の誕生日がやってきた。15歳だった。いつものように母がケーキを作っているところを見た。 「ケーキなんていらねえよ」 ぶっきらぼうにそういったが母は黙々とケーキを作っていた。 突然母がいった。 「バニラエッセンス買うの忘れたわ。ちょっと買ってくる」 ちょっとといっても俺の家は山奥でバニラエッセンス売ってるスーパーまでは 山道を自転車で片道30分かかる。
238 :
235 :2008/09/08(月) 12:23:50
俺は家で留守をしていた。母が買い物に出かけて10分後ぐらいに突然大雨になった。 雷雨が激しくなった。母は傘を持っていかなかった。心配した妹がかさを届けに行くと家を 出て行った。 2時間後、その妹も帰ってこない。夜8時になって近所のおじさんが俺を予備に家まで来た。 「大変や、あんたのお母さん事故にあったで。」 とりあえず病院に向かった。 山道を下るときに路面の水溜りにスリップしてガードレールを飛び越えて10メートル下のがけに 転落した事故だった。 病院では集中治療室に入っていた。医者の話では頭を強く打って意識不明状態だった。 それから2日後、医者が言った。 「あなたのお母さんは脳死状態です。助かる見込みはありません」 俺は愕然とした。
239 :
235 :2008/09/08(月) 12:28:48
誕生日のケーキの材料を買うために事故にあった母はその翌日正式な死亡となった。 母の葬儀が終わり俺は親戚の家に引き取られた。 それから3年が過ぎた。俺は高校を卒業し就職することになった。そこで1通の貯金通帳 を渡された。 「これはね、あんたのお母さんがあんたのために少しずつためていたお金だ。好きなように使いなさい」 といわれた。 中を見た。 350円、560円、1010円などの入金があった。それも毎日あった。 貧乏なはずなのに、自分で買いたいものもあるはずなのに、それを我慢して貯金してくれていた。
240 :
235 :2008/09/08(月) 12:30:25
そして今28になった。結婚もした。妻と母の墓参りに行った。そのときに立派な墓を立ててやった。 たくさん利子をつけてちいさいけれど墓石のある墓を立ててやった。
241 :
大人になった名無しさん :2008/09/09(火) 00:04:47
大していい話でもないんだけど。 このスレ読んでたら思い出したから書かせてクレ。 幼なじみの明ってやつが居たんだけど、保育園の頃からガキ大将で 小学校の高学年の頃には、中学生の不良たちとつるんで 原付バイクを乗り回したり、集団で万引きなんかしてて 地元では(田舎ということもあり)知らない人は居ないってぐらいの ワルになっちゃってた。 その後、中学生になると、ますます明の暴走は止まらず 400ccのバイクに乗って通学したり、気に入らない先生に暴力をふるったり まさにやりたい放題。体も当時の中1にしては飛びぬけて大きく 一部の人を除いて、上級生でもビビッて目も合わせないような奴になってた。 だけど、俺も含め同じ小学校出身の同級生や後輩に対しては、変に威張ったりとかは一切せず 学校で会えば「よう!Kちゃん(俺の消防時代の呼び名)お前ちゃんと勉強してるか?」 なんて、無邪気な笑顔で話しかけてきてた。 保育園のころから知ってる俺たちは、明は妙に正義感が強くて弱いもの苛めを絶対にしない 根はとってもいい奴ってことは知っていた。
俺たちは中3になり、みんな受験に向かっていた。 俺も例外ではなく、ほぼ毎日の塾で勉強の日々を送っていた。 その頃には、明は学校でもあまり見かけなくなり、噂では 卒業したら地元のヤクザに入るんだと言われていた。 結局、明は卒業式にも来なかった。 それから数年経ち、俺は公立高校を卒業して大学へ進学が決まった。 みんなそれぞれ進路が決まり、地元を離れる奴も多かった。 そこで、同じ小学校出身の奴らでささやかなお別れ会?見たいなのをする事にした。 俺も幹事の一人になった。 さっそく卒業アルバムを見ながら、一人ずつ連絡をして回った。 「明はどうする・・・?」 誰ともなく言い出した。正直、俺も言われるまで明の事は忘れていた。 「よし、俺が連絡つけてみるわ」 言ったのは、俺だった。みんなは少し困惑したような顔をしたが 「あいつも、あんなんなったけど、みんな小さい頃からの仲間やん」 という言葉で、みんなも頷いた。
明の実家に電話をかけてみた。 「おかけになった電話番号は現在使われておりません・・・」 考えてみたら、誰も明の家に行った事はなかった。 ご両親も、そういえば会った事ない。 思い出した、授業参観や運動会には、お婆さんが来てたんだ。 小学校の低学年の頃、その事を誰かにからかわれて 明が泣きながら大暴れしたんだった。 「ほな俺、なるべく心当たりを探してみるわ。みんなも頼むな」 そう言って、その日は解散した。 翌日、明の家があった辺りに行ってみた。 同じような平屋の家が何軒も並んで建っている地域だった。 何とか記憶を辿って、確かここだったかな・・・と言う家の前に立った。 猫の額ほどの庭は荒れ放題、家にも人が住んでいる気配はなかった。 ただ、幼い頃に見た記憶のある明の自転車が錆付いて転がっていた。 その時、自転車で通りかかったおじさんに声をかけられた。 「なんや兄ちゃん、その家に用事か?」 「あっ、すんません、ここに住んでた○○明は・・・」 「おう?明やったらもうおれへんど。」
「あの、居ないっていうと・・・」 「去年死んだがな。街の方でヤクザやっとたけどな、薬のやりすぎでな。あれワシの身内やねん」 「えー・・・・・」 それ以上言葉は出なかった。 「兄やん明の友達かなんかか?」 「あ、はい。保育園から一緒やって、今度みんなで会おうゆう話しがあって、それで・・・」 「ほうか・・・。ちょっと遅かったのう。あれもアホやでのう・・・。」 しばらく無言で立ち尽くしていた俺に、おじさんが言った。 「兄やん、時間あるんけ?」 「え、あ・・はい。」 「ほなちょっとワシんとこ来いや。明の小さい頃の写真やら何やらあるから」 俺は黙っておじさんに付いていった。 やはり、同じような平屋の住宅だった。促されるままに居間の上がった。 おじさんは、小さなダンボール箱を持ってきた。 開けてみると、小学校の卒業アルバムが一番上にあった。 昨日、連絡する為に何度も見たヤツだ。
開いてみた。なんかいっぱい落書きがしてある。 よく見ると、一人ずつの顔写真の下に、当時のニックネームが手書きで書かれている。 いつ書いたのかはわからなかったが、かなり汚い字で、誤字もかなりあった。 俺の写真に下には”Kちゃん”と書いてあった。 卒業アルバムの下には、ジャポニカの自由帳があった。 開いてみた。 おそらく、小学校の2〜3年の頃に書いたと思われる日記みたいなのがあった。 学校での事や、虫取りや魚釣りに行った事なんかが汚い字でびっしりと書いてあった。 ある日のページで俺の目は止まった。 「きょうかっこうでばあちゃんのことおバカにされて友だちをなぐった。それおばあちゃんにゆうたら めっちゃおこられた。友だちはだいじにせなあかんいわれた。なんでわいには母ちゃんも父ちゃん もおれへんの。」 思わず声をあげて泣いてしまった。 明よう、お前辛かったんやな。寂しかったんやな。 すまんかった、最高にええヤツやったのに。
やべー、号泣してしまった…
Black乙
250 :
大人になった名無しさん :2008/09/14(日) 00:11:22
どこで泣くの?
最近、動画共有サイトのコンテンツを削除するのは反公共的で反倫理的な 悪いことのように思えてきた。論拠が「違法だから」じゃ弱すぎる。悪法に加担する国賊だ。 行政だって本気で取り締まってないだろう。警察だって各省庁だって 現状認識くらい出来ているはずだ。だけど無意識的に彼らは現状を見逃している。 著作権の話をするときに拝金主義に偏りすぎているから、ビジネスの話ばかりになる。 「みんなが作品を享受できる」という共産主義の夢を、ネットは蘇らせてくれた。 だからもっと声高に「万人が情報にアクセスできる事はいいことだ!!」 「削除するのは平等を妨害する悪い行為だ!!」と社会に訴えるべきだと思う。 そして削除要請するような金の亡者となった企業には、「コンテンツをコピーレフトにしろ!」 と圧力をかけ続けるのが、社会正義なのである。 すでに経済も社会もそうなっている。あとは一人一人の考え方を変えるだけなんだ。 情報社会のニュータイプになれるかなれないかは、君の考え方次第なのである。
252 :
りーぶ :2008/09/18(木) 18:13:39
恋ばな話せるイラネ
254 :
大人になった名無しさん :2008/09/29(月) 17:31:09
すっかり人いなくなっちゃったね 49や69批判がでてからいやになった?
また短パンかよ。
256 :
大人になった名無しさん :2008/10/07(火) 15:42:35
揚がれ
257 :
坂井輝久 :2008/10/08(水) 02:16:14
短パンマン死ね。 名古屋大嫌いになった。
259 :
大人になった名無しさん :2008/10/12(日) 01:35:43
保守age
短パンってなんや!
261 :
大人になった名無しさん :2008/10/14(火) 06:54:11
なんか・・・寂しくなったなぁ・・・ 俺もいろいろあったけど泣ける話じゃないし。
短パン厨
保守
264 :
大人になった名無しさん :2008/11/01(土) 00:04:52
保守age
265 :
大人になった名無しさん :2008/11/03(月) 01:21:49
保守
266 :
大人になった名無しさん :2008/11/04(火) 00:35:26
短パン
保守
268 :
大人になった名無しさん :2008/11/10(月) 08:44:22
今日よ 俺の養父におとんって言ってやったんだよwwwwww そしたら養父がいきなり泣き出しやがったのwwwwww そしたらどうよ? 俺もなんか突然泣き出しやがんのwwwwwwwwwww 真冬の縁側で男二人が会話もなく鼻水だらだら流しながら泣いてんのwwwwwwww
269 :
大人になった名無しさん :2008/11/10(月) 08:44:58
俺ね 小学校4年生の時にね両親が交通事故で死んだのよwwwwwwwwww なんか弟と妹も一緒に死んでやがんのwwwwwwwwww 俺突然天涯孤独だよwwwwwwwwwww ビックリしたねwwwwwwwwwwww 母方の祖父ちゃんがいい人でよ、なんか俺を引き取るとか言い出したんで引き取られたのよwwwwwwwwwww そしたら中学校1年の時に祖父ちゃんもあっけなく逝ったねwwwwwwwwwww ちょっwwwwwおまwwwwwwww そっからマジ大変wwwwwwwwwww 中学生ながらにこの世の世知辛さを知ったねwwwwwwwwwww 親戚たらい回しっていやマジでタライを回したわけじゃなぜwwwwwwwwwwww いい人もそこそこ居たけど大半はアレだアレ、お前らそれなんて昼ドラの登場人物?みたいや奴らばっかwwwwwwwwww 俺親戚の引きよえぇえええええええええええwwwwwwwwwwww 中学校3年になるまで転校に次ぐ転校wwwwwwwwwww 俺謎の転校生wwwwwwwwwwwwwwwww でも勉強だけはしてたんだぜ?家に帰りづらいから図書館に通ってたら暇だっただけだけどwwwwwwwwwwwwww そしたら中学3年生の3学期の頭だよwwwwwwwwwwwwwwww なんか遠縁の夫婦が俺引き取りたいとか言い出してんのwwwwwwwwwwwwwwwwwww 何このお人好しwwwwwwwwww
270 :
大人になった名無しさん :2008/11/10(月) 08:47:55
で俺、まんまと引き取られてやんのwwwwwwwwwwww 馬鹿じゃね?普通疑うだろ?何か裏があるんじゃないかとか、でも俺疑わない馬鹿だからwwwwwwwwwwww そしたらこの夫婦、鬼いい人wwwwwwwwwwwwwwww ほんと鬼みたいにいい人wwwwwwww 迷惑かけられませんのでバイトして家賃いれますとか俺が親切にも提案してやったのよwwwwwwwwwwwwww 鬼のような形相で怒られたねwwwwwwwwwwwww 家賃なんかいらんわボケ、そのかわり家族の一員なんだから家の仕事してもらうからなってwwwwwwwwwwwww そっから俺の仕事は犬の散歩と風呂洗いwwwwwwwwww うはwwwwwww俺テラ家事手伝いwwwwwwwwwwwwwww 犬テラカワイスwwwwwwwもっふもふにしてやんよwwwwwwww で引き取られて一ヶ月、朝から養父と養母がスーツ着て俺待ってんのよwwwwwwwwwwwww 養父が、なんやねんこれは?って俺に進路相談のプリント見せてるのwwwwwwwwwwwwww ちょっそれ俺の部屋のゴミ箱に捨てた奴wwwwwwww俺のプライバシーwwwwwwwwwwww ゴミ箱は男の香り満載って皆までいわすなwwwwwwwwwww 俺産まれて初めての三者面談wwwwwwwwwwwwwwww 教師がなんか俺の事メッチャ褒めるwwwwwwwwwwwwwww こいつは境遇にも負けずに勉強してます、大変かとは思いますが高校に行かせてやってくださいって 教師が養父と養母に頭さげてんのwwwwwwwwwwwwwwwwww ちょっおまwwwww机に額擦りつけるぐらい頭さげんのは良いけど、お前のハゲ散らかしてる頭頂部が眩しいwwwwwwwww 眩しさに負けて俺涙目wwwwwww教師自重しろwwwwwwwwwwww そしたら養父だよ養父 突然凄い事言い出すのwwwwwwwww 失礼なこいつには大学まで行って貰うとかwwwwwwwwwwwww お前俺の人生勝手にきめんなwwwwwwwwwwww
271 :
大人になった名無しさん :2008/11/10(月) 08:50:19
なんか教師と養父母テラ意気投合 俺となりでポカーン 仕方がないんで俺テラ勉強 図書館に行くのも面倒なんで家で勉強 養母の夜食テラウメェwwwwwww ジャコと鰹節の黄金コンビ、おにぎりに突っ込むだけ ハイハイ無事高校合格 養父母がなんか俺の隣で泣いてんのwwwwwww お前周り見てみろ、どこの親も泣いてねぇってwwwwww 高校生活マジ楽しすwwwwwwwwww 転校ばっかりだったから諦めてたクラブ活動ってのをやってみたwwwwwww 剣道マジ楽しいwwww篭手とかマジくせえぇえええwwww なんか大会とかで養父母ガチ応援テラ恥ずかしすwwwwwwww でも経験の差、俺だいたい2回戦か3回戦止まりwwwwwww 一度ちっせぇ大会で準優勝したら夕食テラ豪華wwwwwwww 養父、普段飲まない酒のんでメッチャ笑ってるのwwwwww 酔っぱらって俺にビール進めて養母に怒られてやんのwwwwwザマァwwwwwww でなんだかんだで高校3年だよwwwwwwww 楽しい時間って過ぎるの早すぎwwwww時間の流れマジ自重しろwwwwww 大学受験マジ大変 俺頭いいじゃん?だから国立とか狙ったのよ、フヒヒサーセンwwwwwwww なんか体壊すんじゃないかってくらい勉強したのwwwwwwww 養母とかすげー心配してんの、国立じゃなくても良いのよ、とかwwwwww 俺すげー甘く見られてるwwwwwww国立ぐらい楽勝ざまぁwwwwwww で俺無事合格wwwwwwwww 体重も6キロ減らしてダイエットも同時に成功wwwww テラウマスwwwwwwww
272 :
大人になった名無しさん :2008/11/10(月) 08:56:54
大学!テラフリーダムwwwwwwwww 必修以外は自分の好きな授業取れるってナニソレwwwwwwww 中学校3年の時の担任に報告wwwwwwwww 教師電話口で号泣wwwwwwハゲ頭の眩しさで涙目になった時の復讐完了wwwwwwwww 俺テラ孔明wwwwwwwwwwwww 1年目は愚民共のレベルにあわせる為に忙しかったからあっという間に過ぎたwwwwwwwwww 養母また心配してやんのwwwwwww勉強も良いけどもっと遊んでもいいのよってwwwwww お前は相変わらず俺を甘く見てるwwwwww俺の野望の邪魔すんなwwwwwwww 俺弁護士になって俺みたいな糞ガキなんとかすんのwwwwwwww んで将来そいつら集めて秘密結社結成wwwwwwwwwうはwwwww俺テラ頭よすwwwwwwwww で2年目 突然養母が倒れやがったwwwwwwwwwwwwww ベットに寝ながら養母 第一声が勉強はいいの?ってやっぱお前俺甘く見過ぎwwwwwww で病名は?って訊いたら胃ガンとか言い出すのwwwwwwwwwww カーテンから入ってくる夕日が眩しすぎて俺涙目wwwwwwww 看護師ちゃんと仕事しろwwwwwwwwww 養父がなんか勘違いして俺の肩ガッチリ抱いてんのwwwwwwwww ちょっwwwwwwお前も涙目wwwwwカーテンから漏れてる夕日自重wwwwwwwww で養母 半年後あっけなく死亡wwwwwwwwwwwww マジあっけなく死亡wwwwwwwwwww 長く苦しむとかそんなん無いのwwwwwwwwwwww ドラマとかだとガンとかでも結構持つじゃねぇかとwwwwwwwwwww 死因は寝てる時に戻した吐瀉物が気管に入って緩やかに窒息死wwwwwwwwww 俺、その間ベットの隣のソファで寝てんのwwwwwwwwwwwwwwwwww 俺の鈍感力最強wwwwwwwwwwwww
273 :
大人になった名無しさん :2008/11/10(月) 08:58:53
で養母の葬儀 集まった親戚が話してんのwwwwwwwwwww ちょっお前ら昼ドラの連中wwwwwwwwwwwww あの子は人を不幸にするわねってwwwwwwwww お前ら人の悪口はもっと大声で言えwwwwwwwww そしたら養父突然大声だしやがんのwwwwwwwww うちの息子の悪口言ったボケはどいつじゃぁってwwwwwwwwww お前痩せすぎの眼鏡のくせに口調ヤクザwwwwwwwしかもテラ葬儀中、マジ自重しろwwwwwww ちょうど入ってきた坊さんが硬直してんじゃねぇかwwwwwww坊さんも空気読めwwwwwwwwww で焼き場 養母骨wwwwwwwwマジ骨wwwwwwwwwほんと骨wwwwwwどうしよマジ骨wwwwwwwwwwwwww どうすんのよ俺wwwwwwwハシが震えて持てないのwwwwwwwwwwww 喉がキュッとなってんのwwwwwwww声でないのwwwwwwwwwwwwww 養母がね骨なのよ 葬儀が終わって暫くたって つか今日ねwwwwwwwwwwwwww 養父がね庭みてんのwwwwwwwwww 庭手入れする人いなくてマジカオスwwwwwwwwww なんか背中がスッゲェ小さいのwwwwwwww 俺が後ろにいんのも気がつかねぇのwwwwwwwww ボソボソなんか言ってるのwwwwww頑張ったねぇwwwwwwとかwwwwwwwww で俺だよ俺 土下座wwwwwwww産まれて初めての土下座wwwwwwwwwwwwwwwwwwww 隣で寝てたのに気がつけなくて御免なさいってガチ謝罪wwwwwwwwwwwww おでこに畳の痕が付くくらい土下座wwwwww俺土下座にも手加減無しwwwwwwwwwww そしたら養父が俺の首根っこ掴んで引きずり起こすのよwwwwwwwwwww 俺はお前のなんだぁってお前大声すぎwwwwww近所迷惑考えろwwwwwww あいつはお前のなんだぁってお前二度も大声出すなwwwwwwwwww で俺ここはエアー読んだねwwwwww空気をカラケとは読まない俺天才wwwwwwwwww 養母に対してずっと出せなかった勇気を今こそ振り絞る時だと悟ったねwwwwwwww でも俺馬鹿wwwwwwホント馬鹿wwwwwwww恥ずかしくなっておとんとか言ってんのwwwwwwwwwww お前そこはお父さんだろって自分で突っ込んだねwwwwwwwwwwwwwwwww
274 :
大人になった名無しさん :2008/11/10(月) 09:01:27
そしたら
>>268 ですよwwwwwwww
なんかもう訳わかんねぇのwwwwwwwww
鼻水とか粘性のないのがボタボタ落ちんのwwwwwwwwwwww
うぉおおおおおって言って二人で泣いたねwwwwwwww
うぉおおおおおってwwwwwwお前ら気でも高めてんのかとwwwwwwwwwww
でだwwwwwwwww
あぁwwwwwwそのなんだwwwwwwあれだあれ、おとんねwwwwwwwwww
おとんがね養母にも今度言ってやってくれって言われてねwwwwwwww
おうって男前な俺は男前にグッシャグシャな顔で答えたわけなんだけどねwwwwwww
言った手前ね、もうなんつーの弱音とかね、おとんに吐けないわけねwwwwwwwww
まぁこれが最後のレスなわけでオチっつーオチも無くて釣りでもないわけなんだけど
最初はどっかのスレッドでがーーーーっと書いてスッキリしようと思ったんだけど
突然、今から俺が書くような事を書かれたらスレッドの空気が悪くなると思って自分でスレッド建てて
まぁ俺の我が儘で意味不明なレスを付けるのもあれなのでなんで今から書くような事を書いたのか
分かるように説明したわけなんだけどね
275 :
大人になった名無しさん :2008/11/10(月) 09:02:27
おばさんごめんなさい 病気に気がつけなくてごめんなさい 喉を詰まらせたのに気がつけなくてごめんなさい 心配ばっかりかけさせてごめんなさい 勇気が無くてごめんなさい おかあさんって呼びたかったです 本当に呼びたかったです でも怖くて出来なかったんです返事が無かったらどうしようかと思うとどうしても言えませんでした だからこっそり貴方が寝てる時にお母さんって呼びました 俺があなたが生きている間に言えた時はその時だけです後悔してますごめんなさい お母さん大好きです、本当に大好きです お母さんの作ってくれたジャコと鰹節のおにぎりが大好きでした 家に帰って暖かいご飯が美味しかったです、お母さんのだし巻き卵が大好きでした お母さん大好きですお母さんお母さんお母さんお母さんお母さんお母さんお母さんお母さんお母さんお母さん お母さんお母さんお母さんお母さんお母さんお母さん俺のお母さん俺のお母さん うん、だなOK俺のお母さんだ 途中から自分でも訳わかんなくなって誤字でも探そうかと思ったらすげぇ文章になってるよwwwwww俺テラ電波wwwwwww うし!スッキリした!まさに俺の我が儘だけのスレッド とりあえず週末に墓行って言ってくる お前らマジで親は大事にしろよじゃぁな!
276 :
大人になった名無しさん :2008/11/10(月) 20:23:20
277 :
大人になった名無しさん :2008/11/10(月) 20:26:20
>>268-274 _, ._
( ・ω・) ・・・
○={=}〇,
|:::::::::\, ', ´
、、、、し 、、、(((.@)WWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWW
278 :
大人になった名無しさん :2008/11/11(火) 01:27:09
>>268-275 やばいやばすぎる
明日絶対目が腫れてる
今年一番泣いた
お父さんを大事にね
>>268-275 やばい、仕事サボって読んだ俺
アクビで涙目になったってごまかしたwww
泣かすつもりはないけど。 俺今年で高校生になりました。毎日すっごい充実してます それもこれも全部今いる彼女のおかげなんですけど。 その彼女が俺の彼女になるまでの話、聞いてください。 高校の入学式のとき、クラスで自己紹介したんです。 へんてこな自己紹介だったんですけど、それが逆にウケまして、 その場に溶け込めたんです。 それから毎日新しい勉強とか始まったり、部活とか始まったりして、ただただ学校生活を楽しんでたんですけど ある日、Kが話しかけてきたんです 「あ、(自分の名前)だよね?よろしく!」って。 俺は少しきょどって「はい」って返事したんだけど、なんとなくそのときにすげードキドキして それが始まりだったんですけど。 次いきますね
そのあとも何度かKと話したりするようになって、仲良くなったんです。 追い風のように、席替えの話が上がりまして、でも俺のクラスは担任が勝手に席を決めるので 俺はどうにもできなかったんです でも、すっごい偶然がおきたのかわかんないんですが、Kと前後の席になったんです これがキッカケでアドレス聞いたり、さらに仲良くなりました 友達以上恋人未満まで発展したんです。自称ですけど。 さらにさらに、初めての気持ちが俺にも生まれちゃいまして。 好きになったんです。Kのこと。 次にいきます
最初は信じられなかったんですけど、何するにしてもKのこと考えてたり なんとなくですが、じんわりと好きが高まってきまして。 KもKで、メールにしてもクラスで話してるときも、ほかの男とは違う感じがしたんです。 またまた追い風のように、Kの昔からの親友が俺に、Kは俺のこと好きなんだよって。 うれしかったです。うれしくて、その衝動で、俺、告白しちゃったんです でもKは、まだ気持ちの整理がつかないって、泣きながらごめんって。 俺も言葉にするには難しすぎて、何も返せませんでした。 なんか悪いことしたなーって思うくらい落ち込んだりして。 これでKを恋愛対象として見れないと思うと、つらくてつらくて。 でも、またまたまた追い風が吹いてですね 次いきます
なんと、Kはそれでもやっぱり俺のこと好きな気持ちは変わらないって、Kの親友が また教えてくれたんです。信じられないけど、あきらめなくていいって言ってくれました。 でも、Kから告白させてあげてって、Kのペースにあわせてあげてっていわれたんです。 なので、好きを少しの間忘れて、友達のまま、両思いのまま平行線になったんです これが実はとてもつらくてですね、何度も悩んで悩んで。そのたび励まされて。 いつまでたってもKから告白されずに夏が過ぎて冬に入るころでした。 俺、我慢できなくて、全部吐き出しちゃったんです。そのときの思いを。 次いきます
そしたら、Kは泣きながら、ありがとうって。 俺はそれがうれし泣きなのかどうなのか分からなくて。 でもKは俺に全部素直に話してくれて。 元彼とのトラウマが治らない事、仮に別れた後のことを考えると怖いこと。 でも俺は、俺にとっては最後の好きな人でいいって本気で思ってるんだって。珍しくまじめに言ってみたら、 Kはもっと泣いちゃって。でも少ししてすぐに泣き止んで、今度は笑ったんです 次いきます
まぁその日はそれで終わったんですけど。その一週間後にですね。 Kとデートする機会ができたんで、二人でゲーセンいったんです 色々と遊んで、遊んで、はしゃぎ疲れたので外に出ようって。 どこにいこうか全く考えてなかったので、近くの公園へいったんです Kと二人きりには慣れてたんですけど、その日はなんかいつもと違うKだったので、いやに緊張しました ベンチに二人で座りながら、学校での出来事とか、どーでもいい話してたらですね。 Kが無言になったんです。雰囲気で分かりました ようやく、告白してくれたんです。ここまでなんと6ヶ月かかりました。 俺は、そのときの言葉とかいろんなのかみしめてたら、うれしくてうれしくて。 次いきます
元彼とのトラウマは、少しずつでいいから忘れるって言ってくれて。 じゃあ、ずっとそばにいてもいいの?って聞いたら、恥ずかしそうにうなずいてくれて。 後のことはよく覚えてないんですが、なんだか、待っててよかったなあって。 一度も嫌いにはならなかったんですけど、何度も無理やり嫌いになろうとしてたぐらい好きだったので これからはカップルとして、二人で生きていくと思うとめちゃめちゃ楽しみだし、 その一方でめちゃめちゃ不安なんですけど。でも、Kとなら喧嘩したって仲直りできる自信があります。 何度でもぶつかりながら、ゆっくりでもいいので、好きを深めていきたいです。 K、本当にありがとう。大好きです
287 :
大人になった名無しさん :2008/11/16(日) 11:34:23
スレ違いじゃなくて板違いだな 来る所間違ってるよ 純情恋愛か恋愛サロン行け 晒しアゲ
288 :
大人になった名無しさん :2008/11/16(日) 17:11:40
オチを期待してたOZL てか、次いきますっ的がチトうざい。
次いきます
短パンマン
小学校上がってからいじめられるようになった。 視力が下がり、眼鏡をかけはじめたのが原因だった。 親も先生も助けてくれなかったけど、保育園の頃から変わらず仲良くしてくれた子がひとりだけいた。 4年生の時。 「転校するんだ」と言われた。 何も気の利いたこと言えなくて、家帰って泣いた。 最後の日、くれたガラス球と「俺がいなくなっても自殺とかするなよ」の言葉、ずっと大切にしてる。 ありがとう、元気でやってるよ。 そっちも元気でね。
小学1年のころの思い出です。 学校から帰るとき、いつも一緒にいる女子がいた。家が近くて、 待ち合わせしていたわけじゃないけど、なんとなく毎日手をつないだりおしゃべりしたりして ふたり並んで下校してた。 冬になったばかりのころ、その年初めての雪が降ったある日、 彼女が帰り道の途中にあった月極駐車場(石ころだらけの)に突然入りこみ、 石ころをひとつ、宙に放り投げた。幼い僕は不思議に思って、 「どうしたの?」と尋ねた。すると、彼女はいつも通りの笑顔でこう言った。
「あのね、うちのお父さん、病気なの。だから、ここの石さんにお願いしてるの。 お父さんの病気が治りますように、って。この石を投げて、落ちてくるまでに お願い事が言えたら、願いは叶うんだよ。これ、○○君にだけ教えてあげる。 絶対秘密だよ。」 僕は何も言えなかった。僕は、とりあえず一緒にひとつお願いごとをしてその日は家に帰った。 その晩、僕は寝付くことができなかった。 僕は彼女の親父さんの病名を知っていた。 「悪性リンパ腫」たしかそんな名前だった。 年が変わる頃、僕の願い事は叶った。怪我で入院していた祖母が 帰ってきたのだ。嬉しかったのに、どうしてか寂しかった。 新学期、学校にいつも一緒だった彼女の姿はなかった。 「あの子のお父さん、急に容体が悪くなって、昨日入院したのよ。」 母からその話を聞いたとき、僕の足はあの駐車場に向かっていた。 1つ。2つ。3つ。いくつもいくつも石を投げ、何度も何度もお願いした。 僕は知っていた。いつかこんな日が来ることを。 ただ、こんな日はあともうちょっと後のことだと思っていた。
始業から一週間後、彼女は学校へやってきた。 「おはよう。あのさ、お願い、・・・」 その後は聞けなかった。 「大丈夫!」笑顔で答えた彼女の眼は真っ赤だった。 僕の願いが叶った時、彼女の願いは叶えられなかった。 僕は自分を責めた。僕は彼女の願いを横取りしてしまったのだ、そんな風に 考えるようになっていた。 ふたりで毎日歩いたあの道を、いつしかひとりで歩いていた。 それから数日後、彼女が引っ越してしまうということを聞かされた。 そして僕の足はまたあの駐車場に向かっていた。 そこの石の中で、一番丸くて、一番白くて、一番すべすべな石を、 日曜日の朝から五時の鐘が鳴るまで探し続けた。 次の日、僕は初めて学校を遅刻した。
引っ越し業者のトラックはすでにやってきていた。 「どしたの○○君。今日は学校でしょ。」 「これあげる。」 昨日一日で見つけた石の中で、最高の石だった。 「ごめんね。」 彼女が泣いた。大声をあげて泣いた。初めて見た彼女の涙だった。 僕の着ていたトレーナーが彼女の涙と鼻水でグシャグシャになった。 「僕のこと、忘れないでね。」 「ありがとう。ありがとう・・・」 彼女の唇は、涙の味がした。 母親に促され、彼女は泣きながらトラックに乗り込んだ。 トラックの窓越しにまだ泣いている彼女に、僕は笑ってほしかった。 結局、僕が見た彼女の最後の笑顔は、真っ赤な眼をしたあのときの笑顔だった。 僕はあれから、できるだけ笑顔で生きようと思った。 いつか彼女と再開するとき、笑顔で会えるように。 今、彼女は笑っているだろうか。 あの石には、そうであるよう願いをこめてある。 長々と読んでくださり、 ありがとうございました。
すみません追記 295の「彼女の唇は涙の味が」っていうのは 顔面を押し付けてきた彼女の唇が自分の口にヒットしたので・・・ えっとノロケに見えたらごめんなさい。 思えばあれがファーストキスでしたが、恋愛感情は全くなかったので。小1ですし。 荒れそうな気がしたので釈明しておきます。(最初から書かなきゃ(ry
297 :
大人になった名無しさん :2008/12/04(木) 14:03:21
過疎スレで謝るな
298 :
大人になった名無しさん :2008/12/12(金) 14:35:11
830 名前: 水先案名無い人 [sage] 投稿日: 2006/04/15(土) 10:19:53 ID:b9QGIJW20
188 :('A`):2006/04/13(木) 20:01:15 0
俺は凄い美人の幼馴染がいて案の定中(挨拶程度)→高(ほぼ会話なし)と疎遠になっていったのだが
上京して大学生で一人暮らししてる時突然電話してきて
「今度、東京に住むことになったの(短大出で就職したらしい)
知り合いが居なくて心細いからあーくんの近くに住みたい」
最初冗談かと思ったんだが、本当に上京してきて、一緒に部屋探してあげて
同じマンションの空き部屋に住むことになった。
青春期の時が嘘みたいに昔みたく仲良くなって、ほとんど毎日俺の部屋に居た。
実家が隣なので里帰りも一緒。でも、恋愛とかエロいことは一切なかった。
本当に中のいい友達。
こないだその子の結婚式に出ました。
お酌をしに行って「おめでとう」って言ったら
不意に涙が出た。その子も泣いた。
理由はわからない。幸せになって欲しいと心から願う。
831 名前: 水先案名無い人 [sage] 投稿日: 2006/04/15(土) 10:38:03 ID:78WB4AfA0
>>830 ええ話や…
832 名前: 水先案名無い人 [sage] 投稿日: 2006/04/15(土) 12:11:08 ID:BvdP8vNt0
>>830 切なくてすごくいい
188がほんとにいい人っぽい
833 名前: 水先案名無い人 [sage] 投稿日: 2006/04/15(土) 12:12:00 ID:POdCaDDQO
>>830 これ見て思い出した。
私の友達にも異性の親友がいた。
結婚式の時も普通に新婦の友達席にいた程。
私も新婦を通じて何度か会っていたので、
少し酔った感じのその人は、
「旦那を紹介したのは自分だ。」と私に話していた。
キャンドルサービスをしている新婦を見つめるその人の顔は、まるで娘を送り出す父親の顔。
少し悲しそうな笑顔で…こっちまでキュンとした。
後日この事を話したら、新婦は目に涙を溜めてた。
引きヲタ童貞キモ豚ニート【空宮 汐兎】の一日(一生) 起きてすぐに親の金で買ったゲームを、親の金で買ったPCで、親の金で買ったタバコを吸いながら実況プレイ録画(しかも耳障りなキモ声・喋りも面白くない)。 そしてその30〜60分もある動画ファイルをニコニコ動画に投稿する(ちなみにプレミアム会員。その料金の出所も親の金)。 投稿中にもまたプレイ録画。そしてまた投稿・・・朝から晩までずっとこれの繰り返し。 眠たくなったら寝る。起きたい時に起きる。毎日これの繰り返し。親もあきらめている。 引きヲタ童貞キモ豚ニート【空宮 汐兎】の一日(一生) 起きてすぐに親の金で買ったゲームを、親の金で買ったPCで、親の金で買ったタバコを吸いながら実況プレイ録画(しかも耳障りなキモ声・喋りも面白くない)。 そしてその30〜60分もある動画ファイルをニコニコ動画に投稿する(ちなみにプレミアム会員。その料金の出所も親の金)。 投稿中にもまたプレイ録画。そしてまた投稿・・・朝から晩までずっとこれの繰り返し。 眠たくなったら寝る。起きたい時に起きる。毎日これの繰り返し。親もあきらめている。 引きヲタ童貞キモ豚ニート【空宮 汐兎】の一日(一生) 起きてすぐに親の金で買ったゲームを、親の金で買ったPCで、親の金で買ったタバコを吸いながら実況プレイ録画(しかも耳障りなキモ声・喋りも面白くない)。 そしてその30〜60分もある動画ファイルをニコニコ動画に投稿する(ちなみにプレミアム会員。その料金の出所も親の金)。 投稿中にもまたプレイ録画。そしてまた投稿・・・朝から晩までずっとこれの繰り返し。 眠たくなったら寝る。起きたい時に起きる。毎日これの繰り返し。親もあきらめている。
l川川川川川川川川云三、:::::::::::::::ヾミ从从川川川川川川川川川川 l川川川川川川 У 二二”'''=::::::::::::::::=''”二ヽ从川川川川川川川 | 川川川川川У:: =三エェミ }::::: :::::::zェエ三  ̄^ヽ川川川川川 川川川川/:::::: `ー‐” /::::: :::::“ー‐ V川川川川 川川川川::::::... /:::::: l川川川 Y川川川::::::::::... ノ::::::::: 、::.... l川川 ヾ川川|:::::::::::::.. (_::::: _)ヽ::..... 川川 ヾ川川ヽ、 :::::::......./::::::::⌒ー―⌒ .....\::::::...... . 川 `"'''''l:::::::::::: {::::ZZzzzzzzzzzzzzZZ:::} 川 ヽ::::::::::: ::::`=エエエエエ=´ /-、
保守
302 :
大人になった名無しさん :2008/12/22(月) 16:01:44
年末だし切ないから揚げ
303 :
大人になった名無しさん :2008/12/26(金) 14:37:19
俺の体験ではなくて、消防の頃に目撃した、未だに、お そらく一生忘れられない 両親のセクースの話で恐縮なんですが・。 20年くらい経った今でも、昨 日のようの ことに思い出します。 少学5年の夏休みが終わりの頃でした。 いつも のように飯を食って風呂に入って 一旦寝たんですが、なんか夜中1時頃になっても寝つけません でした。で、何か 食おうかなと思いつき、1階の居間に行くことにしました。 階段 を降りかけたところで、両親の寝室のドアが5センチくらい開いていて、何やら 騒がしい(?) 声が聞こえました。 俺は、既に何回も、声と気配を感じたり目撃していたため、ある意味 (?) 慣れていました。 時には、部屋に帰ってオナーニのおかずにしていたので。(笑) だからその時も、 「あ、またヤってるのかな。でもドアしめろよな〜 !」と、半分ムカ ツキながらも、いつものようにスケベ心がムクムクわいてきたので、抜き足差し足で ドアの隙間 に近寄り、息を潜めて、中のようすをうかがいました。 この日は、月の光がとても明るく て、部屋の中はわりと鮮明に見えました。 ベッドの上で、パジャマ姿の父が、あ お向けに寝ている母に覆い被さるように していました。 セクースする前かした後かはわかりません が、抱き合っていました。 何故か母はすすり泣いていました。 そんな母を父は抱き、キスした り頭を撫でながら、 「大丈夫や。 何も、心配すんな。○○(俺)も○○(妹)も、ええ 子やから。」 「俺がついとるから、何も心配すんな。大丈夫、大丈夫。 愛してるから。待っとる から・・」 「心配すんな○○(母の名前) 愛しとる!俺がついとるから! 」 などと、大きな 声で語り かけていました。 やたらと 「大丈夫」とか「心配すんな」を繰り返す父に 、俺は何か、いつもと違う雰囲気を 感じていました。 なんか、切羽詰った雰囲気でした。 その後、母が半分叫ぶように、 「○ちゃん(父の名前)、私怖い・・!嫌や〜。お願 い、ずっと抱いてて!怖い!」と 言いました。そしたら父が、 「アホ!おまえがそんな弱気 でどうする!絶対戻ってこような、大丈夫やから!」と 叫ぶように言い、なんか、父まで泣き声 ぽくなってきて、二人で抱き合って大泣きし はじめました。 俺は唖然としましたが 、目が話せなくてそこから動きませんでした。
304 :
大人になった名無しさん :2008/12/26(金) 14:38:20
しばらくしたら、母の泣き声がなんか 喘ぎ声ぽくなってきて、フッと見ると、いつの間にか パジャマを脱いだ両親がヤってました。 父は何度も母の名前を呼び、今まで見た事も ないような優しいしぐさと声で、母を愛撫していま した。 母は喘いでいるだけでなく、 やっぱり泣きつづけていました。 「絶対直る から。絶対良くなるから。俺がついてるから! がんばって治そうな。 正月になったら、また○ ○(俺)と○○(妹)とお前で、グアムあたり行こうか!なぁ!」 と、父が母に語りかけ ました。 その時になって、俺は母が何か病気かケガをしていて、ちょっとヤバイ事になっ てる のだということを、初めて知りました。母ちゃんヤバイんか? どんな病気なんや? 何なんだ一体!! と、激しく動転しましたが、俺は何故か一歩も動けず、声も出せ ないまま、 両親をそのまま見ていました。 そうこうしているうちに、母がいつのまにか父の上に乗り 、腰を動かし始めました。 ふとんがほとんど剥がれていて、揺れるオパーイが月の光で丸見えでし た。 母は泣いているようにも笑っているようにも見えました。 「○ちゃん(父)と結婚して、私とって も幸せや・・。」 みたいな事を、母は言いました。 何故かその言葉で、俺は、勃起しながら泣 いてしまいました。 その後、どのくらいその場にいたか覚えてませんが、気付いたら俺は自分の 布団で 泣いてました。 その夜は、結局一睡もせずに終わってしまいました。 その 翌日、ばあちゃんが家にきました。 母は、「お母さんしばらく病院いくから、ばあちゃんに ご 飯つくってもろてね。」みたいな事を、普通に明るく言い、病院に行きました。 俺は、頭が真 っ白になりました。妹は全然わからないみたいで、「いってらっしゃーい!」と 元気に送り出しま した。 母は、そのまま入院し、11月に亡くなりました。 末期の膵臓ガンでした。3 8歳でした。 父は、男手ひとつで俺と妹を育てあげ、妹を嫁に出した4年前、母のところに行き ました。 俺は今、嫁さんとこの家に住んでます。 心なしか、両親の寝室(今はほとんど 物置(?) に行くと、嫁さんとケンカしていても、優しい気持ちになり、すぐに仲直りできる感 じがします。 嫁さんもそう言ってます。 長文失礼しました。
305 :
大人になった名無しさん :2008/12/29(月) 23:55:26
今日さ、うちの店に結婚決まったって人が来たんだよ…幸せになって欲しいなぁ。 たかだかパブのボーイが書く話だけど聞いてくれ 俺さ、明晰夢のスレにも届かない想い書いたんだ…でもさ、叶わない未来より叶う未来を祝福したいんだ。 本気で祈ったよ貴方の幸せ…頼むから絶対幸せになってくれ…頼む… どっかのゲームじゃないけどさ、俺がもらうはずの幸福全部やるよ…本当は俺が欲しかったものなんだけどな、俺じゃ得られそうもないんだ…だから名前も知らない貴方に全部やるよ。 本当の想いさえマトモに伝えられないゴミクズより。
保守 あけおめ、ことよろ
307 :
大人になった名無しさん :2009/01/06(火) 15:37:57
どこに書いていいかわからんので 母が逝った ホントあっと言う間だった。 風邪は万病の元? 皆そう言うよね。思い知ったよ。 確かに風邪はひいてたよ。 だが1月1日朝洗濯物干してたのに3日の朝には冷たくなってた。 救急車呼んだよ。乗せるまでもねぇとよ。死後7時間くらいたってるかもだと バカ言ってんじゃねぇ! その時間は覗いて呼吸音確認してんだよ! そのまま警察呼んで、検死してもらったよ。 死因不明?ホントそう書いてあんだぜ、会社への連絡表に死因記入する際なんて書くか途方にくれたよ。 連絡する人する人皆絶句、親戚連中も飛んできた。皆同じ事を言う。「信じられない」と 一番信じられないのは俺達家族だ。あと本人もかも、多分絶対分かってねえと思う。 指にケガして絆創膏貼ってる。これ貼った時はまだ元気だった・・・ 正月連休今日で終わり。連休入った時には考えもしなかった・・・ 紅白見てた、除夜の鐘聞いた。まだ元気だった・・・ でも今いない 告別式も終わって、家ん中ちょっと片付けてこれ書いてる 親父はボーゼンとしてる。姉はまだ泣けないでいる。 2009年 なんて年の始まりだ。
308 :
大人になった名無しさん :2009/01/06(火) 18:08:16
>>307 なんつったらいいかわからん・・・。・゚・(ノД`)・゚・。ウエエェェン
とにかくおまいのカーチャンのご冥福を祈る。
309 :
大人になった名無しさん :2009/01/07(水) 19:54:46
>>307 どこに書いていいかわからんので
とにかくどこかに書かずにはいられない
おまいさんの気持ちが痛いほどわかる。
俺も昨年4月に親父を亡くしたが
未だに受け入れられない
短パンマン名古屋はえぇらしい
ここで最も泣ける話は69と49だな。 2つとも批判的な書き込みによって途中で終わってるね。 続きが見たかったのに・・・批判したやつ恨むぞ。
313 :
sage :2009/01/11(日) 10:53:26
314 :
大人になった名無しさん :2009/01/11(日) 16:38:24
明らかに268だろ 一番は 49と69も好きだけどね
小学生の頃、私は酷くトロい子だった。 運動は苦手、食べるのも遅い、とにかく何もかも要領が悪い。周りの子から「のろま」と呼ばれていた。 それで全く自分に自信が無かったが、一年生の半ば、授業で書いた読書感想画で賞を取った。 当時担任だった先生がそれをめちゃめちゃ褒めてくれて、 「君は絵がすごく上手だ。確かに走るのは遅いし給食食べるのも遅いけど、 君の絵は才能だよ。それ一つだけで、君は素晴らしい子なんだよ」 と言ってくれた。 それがきっかけで絵が好きになり、毎回何らかの賞を取る事が出来て 自分に自信も付いた。 小学校を卒業する直前、その先生が交通事故で亡くなった。 お葬式に行ったら、先生の奥さんから 「うちの人、家でもあなたの絵をすごく褒めてたよ。あなたにはそういう道を進んで欲しいって、いつも笑いながら言ってたよ」 と聞いた。 先生が見てくれてると信じて絵を描き続け、今は美大にいる。 先生がいなかったら、今の私は無いと思う。 先生、本当にありがとうございます。 長文失礼しました。
短パンマン
こっそり保守させていただきますね♪
318 :
大人になった名無しさん :2009/01/17(土) 21:16:52
>>315 そんな素晴らしい先生に会えて幸せ者ですね♪
私は小さい頃から劣等感の塊だったし、特別自慢できるようなこともなく、もう23になります。
私にはそんなでかい存在の人はいないけど、今まで出会ったたくさんの人のおかげでいまの私がいることに改めて感謝しようと思いました。
ありがとう。
短パンマン名古屋・・・
なんかここ、作り話好きな人が携帯小説書いてるだけじゃないか? もう少し短くわかりやすくしてほしい
小説でも、実話でもどっちでもいいけど、 仕事先で色々あってメゲてたけど、このスレ読んで元気出てきた。 そして、家族大切にするよ。ということで、保守させてください。
短パンマン
323 :
大人になった名無しさん :2009/01/20(火) 11:12:56
>>320 >もう少し短くわかりやすくしてほしい
子供よの〜pgr
324 :
大人になった名無しさん :2009/01/21(水) 06:49:17
先日押入れの掃除を母としていた。 押入れの奥から、父の昔のアルバムなどが入った段ボールがあり 掃除の途中だったが整理しようと思いおもむろにあけて中身を見た。 中には昔の道具箱のようなものあった。 なんでも物をとっとく父らしく中にはいろいろ給料明細や 手帳や封筒がごちゃごちゃと入っていた。 アルバムには昔の父の写真が入っていた。アルバムの他に寿みたいな 文字が印刷された物があり見たら、父の前妻との結婚写真だった。 うちの父は今の母とは再婚だ。前妻は病気で亡くなったとゆうことは 中学の頃、偶然知った。3人兄弟で一番上の兄は父と前妻の子だった。 母に気を使ってか、前妻の写真は私はほとんど見た事がなかった。 初めて見る前妻の写真は長身でなかなかきれいな人だった。 前妻は母の母の姉妹だったので、母は●●ちゃんだわなんて 懐かしそうに言っていた。 その写真を結婚式をあげていない母に見せるのは 戸惑っていたが、何年も前なんだからといっていた。 他の写真を母が見ているうちに私は道具箱の中の社名が入った封筒の中を 出したら、手紙のようだった。 ○○さんへ いつも○○さんには食事をごちそうになっていますね。 先日ふだんクールな○○さんがお酒がはいってすごく話しやすく なっていましたね。
325 :
大人になった名無しさん :2009/01/21(水) 06:57:33
短い手紙だったがたぶん結婚前のものなんだろう。 他にもデートの内容の手紙が何通かあった。 それと薄い紙がありそこに書かれたのは死亡診断書だった。 父はこのときどんな気持ちだったんだろうか。 その手紙などは母には見せなかったが、当時の父の心境を 思うと切ない気持ちでいっぱいになった。 お酒を飲むと陽気になるのは昔から変わってないんだなとか。 自分の今の悩みがすごくちっぽけに感じられた。 父も母も私は尊敬している。
マジレスすると、死亡診断書を役所に提出しないと火葬埋葬許可証が貰えなくて 火葬すら出来ない筈なのだが
328 :
大人になった名無しさん :2009/01/21(水) 23:57:05
一年前ぐらいのことだった。 机の引き出しを整理していると、一通の手紙がピンクとクリーム色の封筒に入っていて、「わたし○○(僕の名前)がすきです」と子どもっぽい字で書かれていた。 何だろうと思い手紙をよく見ていると送り主の名前が書いてあり、その名前を見たとたんに、すべてを思い出した。 ー幼稚園の頃ー 僕は、ある女の子と仲がよかった。 しかし、その女の子は重症のインフルエンザで、死んでしまったのだ。 幼い頃の僕は泣き続けた。 一生で、一番泣いたと思う。 それから7年が過ぎ、手紙が出てきた。 うちの母は詳しいことを知っていて、7年間知らなかった真実を、聞かされた。 その女の子は死ぬ直前まで、僕のことを言っていたと言う。 僕は、気づいたら泣いていた。 また、あの時のように。
329 :
大人になった名無しさん :2009/01/22(木) 08:07:27
一年前ぐらいのことだった。 机の引き出しを整理していると、一通の手紙がピンクとクリーム色の封筒に入っていて、「わたし○○(僕の名前)がすきです」と子どもっぽい字で書かれていた。 何だろうと思い手紙をよく見ていると送り主の名前が書いてあり、その名前を見たとたんに、すべてを思い出した。 ー幼稚園の頃ー 僕は、ある女の子と仲がよかった。 しかし、その女の子は重症のインフルエンザで、死んでしまったのだ。 幼い頃の僕は泣き続けた。 一生で、一番泣いたと思う。 それから7年が過ぎ、手紙が出てきた。 うちの母は詳しいことを知っていて、7年間知らなかった真実を、聞かされた。 その女の子は死ぬ直前まで、僕のことを言っていたと言う。 僕は、気づいたら泣いていた。 また、あの時のように。
330 :
大人になった名無しさん :2009/01/24(土) 13:18:18
全ての始まりは、友達のS畑さんが亡くなった時だった。 俺より一年上で、家庭環境がイマイチの彼とは、何かと話しが合い、何とも無い話を し、新宿等、田舎者の俺に新しい世界を見せてくれた人だった。 ところが、2学期になると、彼は学校を休み勝ちになってきた。段々と会う機会お無くなり、 俺も自分ことで忙しく、なれない都会でアクセクしていた時、彼の死を知らされた。 電車とホームの間に転落し、引きずられたということだった。目撃者も無く、自殺の可能性も あった。その日、彼は、姉と会う約束をしていたのだが、会う約束の駅を通り過ぎ、学校の最寄 の駅でのことだった。どう見ても、そんなに広い隙間があった様には思えなかったし、やはり自殺 の様に思えてしまった。 あの時、もう少し何か出来なかったのか?そう思うと悔しくて仕方なかった。それに追い討ちをかけた のが、学校の連中だった。元々目立つ人じゃなかった上に、学校も休み勝ちだったせいで、皆他人事の 様な顔で、その話を聞きながら、ザワザワ雑談をしていた。それが余計に悔しくて、こんな薄情な連中とは 会いたくも無いと思うようになり、事故の怪我の後遺症、進路での悩みも重なって、段々俺も学校から足が 遠のくようになった。
331 :
大人になった名無しさん :2009/01/24(土) 13:25:10
そうやって、体調も優れず、やることも無い、所謂ニート状態の俺に、取り敢えずアメリカに 来る様に!と強引にチケットを送ってきたのは、当時アメリカ勤務だった父だ。 何もする気もせず、嫌々パスポートを取りに行き、ビザの手続きをし(当時はビザが必要だった)、 シカゴ郊外、インディアナ州、グリフィスに辿り着いた。 今まで見たこともないユッタリとした、雄大な大地に驚き、颯爽と走り抜けるアメリカ車達に 驚いた。こんな世界があるのか・・・と、何か新しい発見をした気がしたものだった。
332 :
大人になった名無しさん :2009/01/24(土) 13:37:33
ある日、自転車で10マイル先にある、ショッピングモールに足を伸ばした。 が、運悪く、工事現場の鉄板を踏み抜いて、タイヤをパンクさせてしまった。 幸いモールの近くだったので、取り敢えず修理キットを買い、修理してみたが、 穴が余りに大きくパッチではどうにもならなかった。 ソレを見ていた11歳くらいだろうか?金髪の女の子が、チューブ交換しようと言って、 俺をスタンドに案内してくれた上に、ピットで工具を借りてくれた。 日も傾き始めた頃、二人で手を真っ黒にしながら、後輪のチューブを交換した。 当時、余り英語が喋れなかったのが悔しくて・・・10マイル先から来たってことを言うと 驚いてたっけ・・・。 季節柄、街はハロウィーン一色。ヒンヤリとした空気の心地よい中西部の秋の夕暮れの中を、 何とも言えない幸せな気分で、家路についた。 その後、英語と自動車整備を勉強し、20年後の現在、海外で整備士として勤務 している。 出来ることなら、もう一度彼女に会って、この話をしてみたいものだ。そして、 アメリカ行きの切っ掛けを作ってくれた瀬○さんにも、本当に感謝をしている。 一度実家を尋ねたことがあったが、もう連絡先も分からなくなってしまっているが・・・。
いつも短パンマン
保守
335 :
大人になった名無しさん :2009/01/28(水) 08:57:25
昔小学校のときあなたが転校してきて 最初驚いた、他の子と違って 声も低かったし、細くて… 私ね、なぜかあなたと 仲良くなりたくなって はなしかけたんだ それが最初。 覚えるかな?映画の犯人が ワインコレクターとソムリエ だっていいあったの。 あとゲームの話しもたくさんして たくさんあそんだよね…? あなたがさよならをいわずに 私の目の前から いなくなったことが凄く驚いた 学期が変わってから引越ししたの 聞いてめちゃめちゃないたんだよ? あなたがいなくなって私は居場所を 失った、あなたの愚痴ばっかいって 嫌いになろうと、わすれようと したんだよ?…だけどね、 好きでたまらなくて、忘れられなかった いまでもあなたは大切な私の初恋の人。 中学校の修学旅行のとき 車に乗ってたとき 名前よんでくれたよね? 車走っててとめられないで修学旅行中だったから、本当ごめんね、 今の私は本当に大切な人と巡りあって恋人はいるけど、それでもあなたが初恋の人なのはかわらない事実。 また私をみかけたら笑ってくれるかな? 名前、よんでくれますか? また、笑い会いたい あの日みたく、
336 :
大人になった名無しさん :2009/01/28(水) 12:44:07
これが噂の・・・
>>326 亀だけど実話です。物語作れるほど、想像力ないんでww
診断書はなんか薄かったので控え的な
物かもしれません。思い立って書いてしまったので文章も
めちゃめちゃですいませんorz
えぇ〜ん(涙)
339 :
大人になった名無しさん :2009/01/31(土) 22:34:16
18歳都立高校卒業。 中小企業に就職。 24歳、同じ会社に勤めていた36歳の男性社員の相談に乗り、250万貸す。 半年後、彼は行方不明。 消費者金融でお金を借りて彼に貸していた為、結局25歳で自己破産。
短パンマン
保守
保守
短パンマン
保守
345 :
大人になった名無しさん :2009/02/10(火) 09:13:08
無駄に保守してレス消費すんな こんな過疎板1ヶ月放置しても落ちねーよ VIPかなんかと勘違いしてないか? あと保守するんならageろ
346 :
大人になった名無しさん :2009/02/11(水) 01:15:49
ageてあるやん?
一番泣けてくるのは・・・仕事がない・・・
348 :
大人になった名無しさん :2009/02/14(土) 01:22:46
>>69 の話に出てくる女性は田坂○美さんですか?
知り合いで同じような人がいたので。。。
たんなる偶然かな?
349 :
大人になった名無しさん :2009/02/14(土) 15:29:43
昨日振られた
350 :
大人になった名無しさん :2009/02/16(月) 22:50:19
一昨日掘られた
351 :
大人になった名無しさん :2009/02/17(火) 15:10:35
バレンタインの日に振られた おわた
貧乏がつらい。
353 :
大人になった名無しさん :2009/03/03(火) 10:55:48
文章ヘタでスマン。 幼稚園の頃、父親の知り合いの飼犬が子供を産んで、その中の一匹を貰った。 私は、違うのがイイって言ったんだけど母が一番コロコロに太ったのを選んで 連れてかえった。 白いからシロって安易な名前付けたのは自分。 だけど、みんなシロじゃなくて(シ)ロンちゃんって呼んでた。 小学生の時、ロンちゃんが風邪ひいたかなんだかで、いつもは室外で飼ってたんだけど その時は室内に入れてた。 家が三階建てで三階にロンちゃんを寝かせてた。 学校から帰ってきてロンちゃん見に行こうかと思ったんだけど 三階まで上がるのめんどくさいな〜って上がらなかった。 それから夜に父が帰ってきてロンちゃん見に行ったらもう死んでた。 もしかして、自分が帰ってきてすぐに見に行ってたらまだ生きてたかもしれない。 一人ぼっちで逝かせちゃった事、帰って来た時点でもうダメだったとしても すぐに気付いてあげれたかもしれないのにメンドクサイってだけで 行かなかった事。 もっと散歩とかもちゃんと面倒みてあげれば良かったとか色々 もう後悔しても遅いけど、未だに後悔してる。 缶詰咥えて、抜けなくなっちゃったり、脱走して近所の幼稚園の人気者になってたり 飼ってたうさぎが死んじゃった時、一緒に泣いてくれたりアホ優しい仔だったなぁ。 オスなのに今日が命日なあたりもなんかロンちゃんらしすぎる。 3/3は、端午の節句と言うより自分にとってはロンちゃんの命日なんだ。 いつか自分が死んで、ロンちゃんにもう一回会えるなら イの一番に思いっきり謝って、それからめいいっぱい 一緒に遊んであげたい。 あと、これ書きながら思い出したけど、私が命名するペットは大抵が短命。 姉が名前付けた猫は今年で17年目の春を迎えると言うのにww もうペットの名前は付けないよ。悲しすぎる。
三年前に婆ちゃんが亡くなった。 婆ちゃんは元気な頃はかなりの読書家で、遺った沢山の文庫本を、婆ちゃんにはかなわないが読書が好きな私がもらう事になった。 婆ちゃんが亡くなって半年位経った頃、遺品の中の「金色夜叉」を読んでたら、メモ用紙が数枚挟まってた。 見ると、母、父、爺ちゃん、私の名前が、婆ちゃんの字でびっしり書いてあった。 婆ちゃんは亡くなる数年前から痴呆が始まり、お見舞いに行っても「あら、どちら様?」と言ったり、友達や看護士さんと家族を混同したりしていた。 たまに正気に戻ると「家族を忘れるなんて」と泣いた。 多分、何回も名前を書いて、すっかり忘れないように頑張ってたんだろう。 そう思うと切なくなって、メモ握りしめてわんわん泣いてしまった。 そのメモ用紙は、今も大事にしまっている。
355 :
大人になった名無しさん :2009/03/05(木) 10:44:18
>>353 愚痴かよwwwオマエのことなんてシラネwww
356 :
大人になった名無しさん :2009/03/05(木) 11:41:17
昨日電車に乗っていたら痴漢に間違われた。
357 :
大人になった名無しさん :2009/03/05(木) 20:16:07
ちょうど去年の初めに、母さんが死んだ。 俺は一人っ子で、大事に育てられたんだと今ならはっきり言える。 特別に溺愛されてたような実感もなかったし、よく怒られた。 俺ってば遊びたい欲求ばっかり優先して、家に帰るのも0時を過ぎてから。 母さんも父さんも寝てるし、休みの日は夕方まで寝て、起きたらまた遊びにいく。 そんな日々の繰り返し。 そしたらお母さん癌だって。 もう真っ白だったね、自分自身をまじで殺したいと本気で思った。 それからの闘病生活、手術はできないほど進行してたから放射線と抗がん剤の化学療法。 ただの一度たりともお見舞いは欠かさなかった。仕事の日も、定時で一度抜けてバイクで 見舞いに行って、また戻って仕事してた。 いつでも笑顔だった母さん。 俺が行くと絶対に笑ってくれた。 俺の家族ってばどいつもこいつも人の心配しかしてなくてさ、 父さんは俺の前で絶対泣かなかったし、弱音もはかなかった。 母さんも笑顔を絶やさなかった。痛いのに、苦しいのに。 俺も両親の前では泣かないようにしたし、支えてやろうって。 お母さんが死んだ後、父さんと二人で泣いた。 生まれて初めて父親の泣いてるとこ見たんだよ。 二人で抱き合った。 涙も止まらなかった。 父さんって、淡白な人だからわかんなかったけど、実は母さんのことめちゃくちゃ 愛してるんだなって知って余計に悲しくて… そして母さんの葬式が終わって、遺品を整理してたらふいに父さんが 「おい、これお前のや」 といって何か紙みたいなの渡してきた。 めっちゃくちゃ汚い画用紙でできた二つ折りのボロけた紙には 「おかあさんへ」 「おかあさん、まいにちごはんつくってくれてありがとう」 クレヨンで、死ぬほど汚い字で書かれてた。 小学校一年生の時に俺が書いた手紙。 18年間、後生大事に持ったみたい それ見たら涙とまらんくなったwww もうねww無理だよww泣くなっていうほうがww ずるいよおかんww お母さんがいなくなって寂しい お母さんがいなくって辛い お母さんに会いたい お母さん愛してる なんつか本当に俺愛されてたw 世界で一番俺を愛してくれてた人。 まだお母さんのところには行けないけど、父さんとふたりで元気でやっています。
カリスマと呼ばれてた元上司が・・・工事現場で旗振ってた。 リストラは厳しいな。
361 :
大人になった名無しさん :2009/03/22(日) 04:59:00
ひぃばぁちゃんが亡くなるちょっと前に、まるで懺悔のするかのように私に話してくれたお話。 ひぃばぁちゃんはそりゃーもう、気の強い、たくましい人だった。 隔世遺伝だか何だかで、その性格はうちの母にしっかりと受け継げられている。 それに対し、ばぁちゃん(ひぃばぁちゃんの娘)は気立てのいい、優しく穏やかな人だったらしい。 でも、ばぁちゃんは若くして、ガンで亡くなった。 ばぁちゃんの死は家族に絶大な衝撃を与えたと聞いている。 それほど、良き妻であり、良き母であった人らしい。 ばぁちゃんは幼い頃からそんな感じで、 ひぃばぁちゃんに口答えはおろか、逆らったこともないらしい。 もちろん、親子喧嘩になったこともないと言っていた。 いつも、穏やかでにひぃばぁちゃんに従順な子だったという。 だからこそ、ひぃばぁちゃんは娘の行く末が心配で 娘の意見なども聞かずに、地主さんの息子さんとの縁談をさせた。 もちろん、娘も文句一つ言わずにそれを受けた。 お相手はばぁちゃんの事を大層気に入り、縁談は順調に進み結納も済んだ。 いざ明日は嫁入り!と、いう晩にばぁちゃんはひぃばぁちゃんにこう言ったそうだ。 「お母さん、やはり私は嫁ぎたくないんです。」 後から思えば、それはばぁちゃんの最初で最後の反抗だったらしい。 とても申し訳なさそうに、泣きそうになりながらの物言いだったんだという。 でも、ひぃばぁちゃんは理由も聞かず、すごく強い口調でそれを咎め、黙らせてしまった。 翌日、何もなかったかのように嫁いでいった娘に安心してると 夜になって、家に「先生」という人(多分、どっかの教授なんだと思う)がやってきて 「娘さんを僕に下さい!!」 と求婚してきたそうだ。 先生は随分と前からばぁちゃんと恋仲で、結婚を誓った仲だったらしい。 でも、嫁ぐことを知らなく、たまたま求婚してきたのが嫁いだ日の夜だったのだ。 ひぃばぁちゃんは事情を説明して、先生にはお帰りになってもらった。 他に愛する人が居たことを、ばぁちゃんは死ぬまで誰にも話さなかったらしい。 ひぃばぁちゃんも、先生があの夜求婚してきたことは誰にも言わなかったという。 どうしてあの夜、娘が嫁ぐのを嫌がる理由を聞かなかったのか。 どうしてあの娘の初めての反抗を、強い言葉で咎めてしまったのか。 普段、反抗なんて絶対しない心優しいあの娘の気持ちをどうして汲み取ってやれなかったのか。 ひぃばぁちゃんはその事を人生で一番後悔していると言っていた。 ばぁちゃんに似てるという私に話すことで、懺悔のつもりだったのかもしれない。
小学生の頃、秘密基地を作るのが校内での流行だった。 田舎だからボロ小屋とか防空壕、山の中とかに段ボール持ち込んで。 でも下級生がいい所見つけて基地作っても、すぐ上級生に見つかって占拠されたり破壊されたり。 それでも自分のグループはあちこち基地を作り続けてた。 何回目かの基地は山の中で、雨風凌げる木の穴みたいな所だった。 作って数日後、放課後に行くと、そこに知らない汚いオッサンが寝てた。 置いてたお菓子が食われてて、自分らはオッサンを叩き起こして猛然と抗議した。 するとオッサンは、小学生の自分らに頭を下げて謝ってくれ、ポケットからこれまた汚い十円玉を出し、一個づつくれた。 そしてニコニコ笑い、「良かったら俺をここの管理人にしてくれ」と交渉してきた。 人が良さそうな笑顔だったし、なんか可哀相になって、自分らはそれを了解した。 オッサンは時々いなかったけど、大抵はいつも基地にいて、出所不明の果物とかをくれたりした。今になって思うと、畑から盗んでたんだと思う。 それでも基地を改造しててくれたり、横の木にブランコ作っててくれたりで、いつの間にかオッサンと自分らはいい友達になってた。 しばらくそんな生活してたが、ある時、基地が上級生に見つかった。 が、上級生は管理人のオッサンにビビって逃げて行き、基地は占拠されずにすんだ。 自分らはオッサンを褒めたたえたが、その時の上級生がオッサンの存在を親にチクったんだ。 翌日、大人達によってオッサンは追い出され、基地も「危ないから」と撤収させられた。 数日後、道端でうろつくオッサンを見つけて話しかけたら、オッサンは 「ごめんなあ、ごめんなあ」 って泣いた。なんだかよくわからなかったけど、自分らも泣いた。 オッサンはその後行方をくらまし、どこでどうしているかもわからない。 ただ、自分にとっては、今も友達だ。 あれから十五年以上経つけど、オッサン元気にしてたらいいなと思う。
363 :
大人になった名無しさん :2009/04/01(水) 16:07:59
なかなか良い佳作
あまりセピアじゃないけどとりあえず。 スレチとかだったらごめん。 俺の誕生日は3月20日なんだ。 3月20日って、地下鉄サリン事件があった日であり、イラク戦争開戦日でもあるんだ。 つまり、俺の誕生日はいろんな人が死んでるんだ。 だけどたくさんの人が死んだ日、てよりも俺には一人の人間の命日である事の方が大きかった。 いかりや長介の命日。 俺は小さい頃からドリフが大好きでさ。 その中でも、長さんが何故か一番好きだった。 本来嫌われ役の長さんなんだけど、俺は何故か好きだった。 だって、面白かったじゃん。 みんな笑ってるし。 ちょっと憧れたな。俺面白くなかったから。 ある年の誕生日、浮かれた気分で帰ってきてテレビつけたら、長さんが死んだ、てニュースが流れたんだ。 それ見て、唖然としたよ。 一瞬、自分の誕生日だということ忘れたわ。 で、その日は号泣した。 元気そうにしてた長さんの姿思い出すたびに泣いた。 後日放送された葬式での、加藤茶の話でも泣いた。 あまりに号泣してて、家族からも心配された。 それだけ、俺の中の長さんはでかかったんだ。 今でも、誕生日になるとまずは黙祷してる。 長さんが死んだのは中学生の時。 もう大学生。つまらない、とよく言われていたあの頃とは別人のように変な奴になった。 回りを笑わせるのが好きだ。自分が、長さんの変わりに人を笑わせていられる気がして。 自己満足かもしれないけど、これが俺なりの長さんへの追悼なんだと思う。 お笑い芸人になる!と言ったら全力で反対されたよ。 流石に、親としてはそれは嫌なんだろうな。 結局、普通に大学進学しちゃったし。 今は、お笑い芸人じゃなくても人を笑わせられる職業探してる。 どんな相手でも笑わせることが出来る。 長さんがそうだったように、俺もそうなりたいと思っている。
俺が進路で悩んでたとき言われた言葉 「仕事ってのは誰かの笑顔を作る事なんだ。芸人は今の笑顔を作り、教師は未来の笑顔を作る。 今も世界のどこかで、拳銃持って戦っている人たちも誰かの笑顔を作るためにやっているんだ。 でも、どうせなら殺しあう両方を笑顔にしたい。それができるのは教育だけなんだ。 だから、俺は教師になったんだ。 お前は誰を笑顔にしたいんだ?」 この言葉を聴いてお笑いの道をスパッとやめて教師になってしまいました。 泣ける話じゃなくてスマン
芸人を小バカにする話にしか見えない
自分>365じゃないが、数年前まで教師やってた。今は予備校講師。
それでいろんな教師見て来たが、本当にいい教師ってのは周りの評価とか気にせずに生徒の進路を何とか叶えようと頑張ってた方々だな。
進学校なら大学に行かせないと、かなり周りからの評価が下がる。落ちて浪人ってのはしょうがないけどね。
だから「アーティストになりたい」とか「芸人になりたい」とかの夢を叶えたい系の話を諦めさせて、大学に行かせるのが大概の教師。
>>365 の教師みたいにちょっと感動的な話をしたらチョロい。自分もよく諭して進路変更させた。
だけど、本気で生徒が言ってるなら、稀にだが全力で応援する教師もいた。
一緒に親御さん説得したり、あっちこっちの芸能プロ調べたり、オーディション調べたり、と。
中にはプロになったOBもいて「先生のおかげです」とお礼にくる元生徒もいた。
>>365 がどっちの教師かは知らないが、生徒を本当の意味で幸せにしてやってくれな。
余り泣ける話じゃないかもしれないけど、自分の高校受験の話。 筆記が終わって、次の日に面接を受けた時の事。 すげぇアガリ症の俺はこれ以上ないぐらい緊張してた。 もう頭真っ白で脈拍が半端じゃない。 実際、面接中に何聞かれたかも覚えてないから余程緊張してたと思う。 そんな俺でも、未だに忘れてない事が一つだけある。 周りの奴だって皆ガチガチだったから、空気の重い控え室。 そんな空気を一瞬で変えてくれたのが、高校の先生だった。 「大丈夫だ、もっと落ち着いていきなさい」 そう言われた時、その場が急に和んだんだ。 で、上で言った通り聞かれた事何も覚えてないけど俺は無事受かった。 高校に入ってすぐ、俺はその先生にお礼を言いたくて事務室に行ったさ。 覚えてる限りの特徴を言って、やっとその先生が誰だかわかったんだ。 けど、一足遅かった。 俺の入学と同時に、その先生は転勤になってたんだ。 結局、高校の3年間でその先生に会う事は出来なかった。 でも多分、その先生の事一生忘れないと思う。 あの先生の一言がなかったら、今の俺はいないから。 本当に、有難う御座いました。 俺、元気にやってます。
369 :
大人になった名無しさん :2009/04/02(木) 16:58:23
>>364 今の大学生がいかりや長介好きってかなり無理があるwwwでもイイハナシ
370 :
大人になった名無しさん :2009/04/02(木) 17:14:20
短パンマン★出てきた。
>>370 >>69 の話は個人のHPに掲載されていた実話のストーリーなのだそうです。ただ、ご本人は
文章を書けない人らしいので文体としておかしいところがあるのはご了解くださいとか断
ってた気がする。
いまこの話はHP自体がなくなっているので見ることはできないようです。
ここに掲載されている以降の話ですが、2人が出会った場所で2人の思い出を回想する
シーンは次から次へとやられました(泣かされた)。
どこかに全文うPしてもいいんだけど勝手にうPしていいのでしょうか?
私は
>>49 の話の続きが知りたい
373 :
大人になった名無しさん :2009/04/07(火) 10:50:49
それは残念だな。このスレのパート1から見てるが49と69ほど続きが見たかったのは久しぶりだった。 まあ他にもいいはなしあるから楽しみにしてるよ。
374 :
大人になった名無しさん :2009/04/07(火) 15:41:08
>>69 のホームページの作者は眼の難病でその仲間が来ていて結構たくさんの人がこの話を
見てたみたい。なかなかの反響で話題になってた。
全文うPここにすればいい?それともほかの所に?
今気づいたんだがちょっとここに掲載されている文体と違うんだが・・・別人が自分なりに
アレンジして掲載してるんですかね?
それにしても
>>49 の話の続き誰か知らない?
376 :
69 :2009/04/09(木) 09:20:48
できれば止めていただきたい。もうそっとしておいて下さい。
>>376 には悪いが、やっぱ一度読み始めたものは最後まで読ませてください
378 :
大人になった名無しさん :2009/04/09(木) 14:54:54
続きが気になるんだよね ここは普通にドラマ化してもいいはなしがあるから毎月覗きにきてる。
>>376 はここに書き込んだ69じゃないでしょ。
痛いストーリだからここにもう書き込んでほしくないね。
380 :
大人になった名無しさん :2009/04/10(金) 01:55:39
>>380 それは違うんだよな。
69の話はいっぱしの小説を書いているつもりなんだろうけど実は見も中身も文章も
へたくそなんだよな。
>>376 は本物の69ではないだろうが痛いから書かないでほしいということをわれわれ
に代わって代弁してくれているんだ。
>>381 ウザイ
ここはお前の為のスレでもなければ
お前の判定が必要なスレでもない
勘違いDQNは消えて下さい
383 :
大人になった名無しさん :2009/04/10(金) 17:56:18
49や69の話の続きが読みたい人がいるだけなんだから嫌なら見なければいい。
給食の時間、向かいは好きな子 メニューは食パン、牛乳、焼きそば、肉だんごだったかな。 まず、牛乳を飲む。うめぇ!!!!と同時にどうやら気管につまったようだ。 アワテナーイアワテナーイ、と思いながらもむせる俺 心配して背中をさすってくれる友達、好きな子。ああ、俺は幸せ者だ。 そんな幸せを噛み締めていた瞬間、今度はくしゃみをしてしまった。 急だったので手をふさいだ時には遅かった。 一面、なんと鼻血入りの鼻水、牛乳 皆笑顔が真顔に。 そしてふと目をやると向かいに座るあの子の食パンが俺の鼻血により、所々赤い斑点にデコレーションされていた。 その日から卒業するまで、その子とは二度と口を聞かなくなってしまった。
この季節になると思い出すことを吐き出させて。 昔から親と、特に母親と上手くいかなかった。 小生意気で口が立ち、かつ強情だった性格も原因なのだろうけど 結構早い段階(4〜5歳くらい)から、ケンカの度に 虐待に近い暴力を受けていたり、でも父はそれを止めてくれなかったり。 実家を出るまでは、家族の中で自分が孤立している印象しかない。 そんな私の唯一の味方は父方の祖父だった。 通学路に祖父の家があったのでよく遊びに行っていた。 親子ケンカで家をたたき出されて夜中に泊まりに行ったこともあった。 母は親戚一同に私のあることないこと言っていたようだけど 親戚の集まりの際、そんな状況になっても 「(私)は優しくていい子なんだ」と言ってくれたと叔母から聞いた。 涙が止まらなかった。
386 :
385 :2009/04/14(火) 01:19:40
大学で上京して、年に数回しか実家に帰らなくはなったけど 祖父には帰る度に顔を出しに行ったり、お土産渡したり。 そんな中、就職して1年目の冬。祖父が倒れたと聞いた。 「もう最後の冬かも知れないから帰ってこい」と実家から連絡があった。 ビクビクしながら大晦日過ぎに実家に行くと……元気な祖父の姿。 「なーんだ元気じゃん」と拍子抜け。祖父はニコニコしていた。 1月4日くらいだったか。両親&兄弟は外出、私は夕方から同窓会で出かける予定。 祖父の晩酌用に何か作っておいてと言われて、だし巻き卵を作った。 ちょっと卵多すぎて、固くなっちゃってごめん、と出したら 「晩酌ができて、孫に肴も作って貰えて、ワシは幸せだ」と言った。 ちょっとテレながら、何いってんのと言いつつ家を出た。 その2ヶ月後。祖父がまた倒れたと聞いた。 今度の病状は深刻らしい。でも私は正月のこともあっていまいち信じられなかった。 「早く見舞いに来い」と言われたが、実家は都内から片道5時間の距離。 仕事がおそろしく忙しく、月の休みが1〜2日の状態だったので そのうち行こうと思いながら日が過ぎていく。 4月頭。両親から電話があった。 「もっと早く、きつく“帰ってこい”と言えば良かった」と父。 祖父は、私のことももう会ってもわからないかもしれない、という状態だった。
387 :
385 :2009/04/14(火) 01:21:52
どうにか1日だけ仕事をやりくりして、実家にすっとんで行った。 空港から病院に向かう車の中で、父が今の状況を淡々と話した。 もうすぐ植物状態になるかもしれないということ。 そうしたら、延命処置をするかどうか選択しなくてはいけないこと。 病院に行くと、呼吸器やらチューブに繋がれた祖父がいた。 人間、こんなに短期間にやせ衰えて人相が変わるのか、というくらい 以前の祖父とは別人のようだった。 見た瞬間に涙が止まらなくなった。 祖父のベッドの周りには、祖父の姉妹が集まって手をさすりながら 「がんばれ、がんばれ」と言っていた。 私は泣きながら「ごめんなさい」と言うのがせいいっぱいだった。 もっと早く来られなくてごめんなさい。 そして、こう思った。もう、がんばらなくていいよ、と。 こんなに管に繋がれて、身動き取れなくて。何よりも人に気を遣われるのが 嫌で気ままな祖父だから、辛いだろうと思って。 ほとんど何も言えないまま、泣きながら病室を出た。 でも。実はこんなことも頭の片隅によぎってしまっていた。 祖父がもう長くないのは確実だ。 でも、私は2〜3日したら、仕事で10日以上家に帰れない状況になる。 タイミングによっては、葬式に出られないかもしれない、と。 こんなことを考えた自分に、死ぬほど自己嫌悪したけど。 でも両親も諦めモードで葬式の準備をしていて、ああ、 人が死ぬのってこういうことなんだ、と思った。 その日の遅くに都内に帰ってきて、寝て。 次の日の朝、母からの電話で起こされた。 「祖父が昨夜、私が帰った後に息を引き取った」と。
388 :
385 :2009/04/14(火) 01:23:24
仕事は奇跡的に、通夜〜葬式に参加できる状況だった。 職場からそのまま帰省するようなスケジュールだったけど。 1〜2日ずれたら無理だった。 自宅で安置されている祖父を見て、また涙が止まらなかった。 もしかしたら、私の気持ちをくんでくれたのだろうか。 そんな事を思って。祖父の棺の前でずっと泣いていた。 両親とは未だに少しぎくしゃくしている。 でも、あなただけは、きちんと私を愛してくれたという実感があるから 私はなんとか生きていけてます。 もっと美味しいだし巻き卵食べさせてあげたかった。 そして病室であんなことを思ってしまってごめんなさい。 もう何年も経つのに、未だにあなたのことを思い出すと泣いてしまうよ。 言いたいことは山ほどあるけど。 本当にありがとう、おじいちゃん。 長文スマソ
389 :
大人になった名無しさん :2009/04/14(火) 20:49:09
69の話ってそんなに感動的な話しかなぁ? 俺には5流小説家の駄作にしか思えない。
390 :
大人になった名無しさん :2009/04/25(土) 16:08:42
頼むから69の続きうpしてくれ
391 :
大人になった名無しさん :2009/04/26(日) 04:56:17
わしも69の続きがみたいのう…
392 :
大人になった名無しさん :2009/04/26(日) 16:20:05
393 :
大人になった名無しさん :2009/04/26(日) 19:50:09
69の自演ばっかりだな。
394 :
大人になった名無しさん :2009/04/26(日) 21:33:09
21歳新婚です、ちょっと長くなるかもしれないけど私も書かせてください。 これは高2の所まで遡ります。 クラスの中心とまでは行かないけど、それなりに大きな集まりのグループに属して毎日楽しかったです。 でもある時を堺に私の高校生活は地獄と化しました、お解かりかもしれないですけど虐めです。 クラスの中で権力のあった女の子(kさん)がおりまして、そのkさんが好きだった男の子(y君)が ある日突然、私に告白をしたのです。 私的には「まぁ皆が言うように格好良いよね」という風にしか感じておりませんでしたし、当時の私は 違うクラスの男の子を片思い中でした。 そんな状況だったので、ゴメンなさいとy君を振ってしまったのです。
短パンマン名古屋はえぇらしい?河村新市長だがねぇ〜
69の創作文は、冒頭部分が複数のスレにも載っていたよね(無視されていたけど)。 このスレで反応が少しあったから連載し始めたというのが、作者の本心でしょう。 プロの小説家になるのは無理なレベルだよ。
嘘をつくな。仮にそうだとしてもプロの小説家になるために書き込みしているのではないと思う。 文句ばっかりいって叩いてないで嫌なら見なければいいのに。 さみしい奴だなお前さんは。
398 :
大人になった名無しさん :2009/04/29(水) 16:43:07
>嫌なら見なければいいのに。 違うだろ69が脚光浴びるのが許せないんだよ。 嫉妬だ、嫉妬。だからそんな理屈アイツ等に通用しません。 諦めてスルーして下さい。
ヽ人人人人人人人人人人人人人人人ノ < > < 嫌なら見るな! 嫌なら見るな! > < > ノ Y´`Y´`Y´`Y´`Y´`Y´`Y´`Y´`Y´`Yヽ / ̄(S)~\ / / ∧ ∧\ \ \ \ (゚Д゚ ) / / \⌒ ⌒ / )_人_ ノ / / ∧_∧ ∩ ( )) ( ; )ω  ̄ ̄ヽ γ⌒ ⌒ヽ  ̄ ̄| |  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
400 :
大人になった名無しさん :2009/04/29(水) 18:59:49
俺は素直にいろんな話を見たいんだよね。駄作でもなんでもいい。みんなが駄作といっても自分にとってはいい話におもうことだってある。 69は青森にいる彼女との遠距離恋愛を思い出した。まあ俺にとっては続きがみたい話だな。 それより49の続きはどうなったの?
401 :
大人になった名無しさん :2009/05/05(火) 00:07:19
69はダラダラうざいんだよ 長ったらしくて涙が乾くんだよ
402 :
大人になった名無しさん :2009/05/05(火) 14:06:58
69はキモイ さっさと消えろ!!
403 :
大人になった名無しさん :2009/05/06(水) 20:56:30
69ウザイ ここはお前のスレではない。
404 :
大人になった名無しさん :2009/05/09(土) 15:38:36
212 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 23:19:06 大学合格を果たした俺は入学前の春休みに大阪から東北へ一人旅に出かけた。 秋田の男鹿半島のある岬で一人の女性が寂しそうに海を眺めて何かを祈っているようだった。 「こんにちは」と声をかけるとびっくりしたように俺のほうを見て睨んでくる。気まずい雰囲 気になりながらもさらに話しかけた。 「今日は寒いですね。」 女性は何も答えない。そして耐え切れなくなったのか急に走り出した。その時であった。女性が 雪道に足を滑らせて歩けないでいる。あわてて駆け寄ってみると女性は泣いていた。足が痛くて ないているのだろうか。とりあえず人のいるところに女性を負ぶっていくことにした。
406 :
大人になった名無しさん :2009/05/10(日) 04:35:05
貧乏がつらい
消防の頃の友達との苦い思い出です 消防の頃、幼馴染のNとは家族ぐるみの付き合いだし仲よくてよく遊んでた。でも 幼少の頃ってグループ分けが盛んで俺もあるグループに入ることになったんだ。 で、Nをハブれって事になった。まぁよくある虐めだ。 ハブらないと今度はお前なって言われ止む無く加担した。心の中では「これは不可抗力 だ。しょうがない。自身保全の為だ」とおもいながら。 Nにとっては深く傷ついたとおもう。本人は少しシャイなやつだったから多くは語らな かった。後日、Nの弟に「お前が兄貴ハブったから、兄貴おかしくなったじゃないか!」 と言われたっけ。Nとはクラスメートだったけど互いの溝は埋まらなかった。 ある日事件が起きた。Nが別の友達とふざけ合っててガラス戸に突っ込んで怪我を した。俺は狼狽した。その時間帯自習になって教室はガヤの喧騒に包まれた。 俺は無意識に叫んでいた。「っせーよ!おまいら」 俺はクラスの中で目立つ方じゃなかったのだが、この時ばかりは友への想いが通じた のか皆想いを汲んでくれて静かな自習となった。 しばらくしてNが教室に戻ってきた。俺の挙動が耳に入ったのかNは俺の方を見た。 無言だったが目は「心配してくれたんだな。サンキューな」と語ってたようにおもう。 その件の後もNとの距離は縮まる事もなく中学から別々の学校へ… ただ一言あやまりたかった。Nを傷つけた事が悔やまれてならなかった。 最近、風の便りでNの近況を知った。 借金を繰り返し色んな地を転々としているとのこと。 その後、彼に何があったかは知らない。ただ幼少の頃の記憶が起因とするなら… N、本当にすまない。 俺は自分の過ちを今でも後悔している… 駄文スマソ
408 :
大人になった名無しさん :2009/05/20(水) 00:19:21
これは「泣ける」という話ではない。 = = = = = 今年は親父の17回忌である。 親父が亡くなったという電話が御袋からあったのは夜だった。以前、脳卒中で倒れたりしていたので そんなに先は長くはないと思っていたが、いざ事が起きてみると泡をくってしまう。救急車で病院に 運ばれたが、救急車に乗せる前に既に事切れていたということで警察での検視が必要であった。 ということで亡くなった親父のもとに家族が集まったのは、真夜中の警察署であった。御袋、弟、赤ん 坊を抱えた我が女房はわんわん泣いていたが、これから何をどうやって、とにかく葬式を出さなくちゃ ならないし、だけど葬式なんか段取りしたことないし、まずは泣きまくっている家族を今夜はどうして 落ち着かせれば良いのか。色んなことが頭の中を巡って、悲しいというより「こりゃ大変なことになる」 という感情が強かった。
409 :
大人になった名無しさん :2009/05/20(水) 00:21:12
そうこうして警察署で話をしたり聞いたりしているとやはり生理現象は起きるもので、一人便所へ向かった。 5つか6つ、アサガオの並んだ真夜中の警察の手洗いで一人小便をしていると、気が緩んだのだろうか 無性に泣けてきた。親父の色んなことが思い出されてきて、こらえてもこらえても涙と鼻水と声が出てきた。 小便も終わってある程度泣いたら幾分、気分が楽になった。「長男がしっかりしとかんと」とハンカチで 目と鼻をぬぐって深呼吸をして便所の扉を開けて外に出たら、そこに立っていたのは親父の担当をしてくれた お巡りさんだった。少し小太りで警官の制服に黒ぶちの眼鏡を掛けていた。自分も御手洗いに行こうとして 便所まで来たら、中から私の泣き声が聞こえたに違いない。互いに黙礼をして入れ替わった。
410 :
大人になった名無しさん :2009/05/20(水) 00:23:24
今も、あの便所の外でかしこまって立っていたその姿、その気遣いは忘れられない。警察官という職務上 慣れた場面ではあったろうけど、慣れてしまうと遺族の気持ちに頓着しなくなることも考えられることである。 あんなお巡りさんが日本のあちらこちらで、日本の夜を守っていてくれるから、安心して今日も高いびきを かいて寝られるのだと思う。 今自分が、あのお巡りさんくらいの歳になった。
411 :
大人になった名無しさん :2009/05/20(水) 00:28:08
412 :
大人になった名無しさん :2009/05/20(水) 09:35:39
うちの母が作るミートソースは、目茶苦茶旨かった。 家族全員大好物だったんだが、そのレシピを聞かないうちに急性白血病で亡くなった。 亡くなって数年経った時、父が「あのミートソース食いたいな」と急に言い出した。 私も弟も食べたかったので、あの味の再現をしてみようという事に。 ベースは某メーカーの缶詰ミートソースだというのは知ってた。 が、そこに何を足せば母の味になるのかがわからない。 私と弟で色々とブレンドし続け、三日くらい連続で夕飯ミートソーススパゲティ。朝もミートソーススパゲティ。 そろそろ飽きが来る……って時に、弟が作ってみたミートソースが、偶然母のと同じ味になった。 最初は皆で「コレ!コレだよ!」と絶賛しながらがっついてたが、 次第に言葉が無くなり、食べ終わる頃には皆して泣いてた。 今でも母の月命日には、絶対にそのミートソースを食べる。
414 :
大人になった名無しさん :2009/05/20(水) 13:44:22
>>413 いい話だね そのレシピ参考までに教えて
415 :
大人になった名無しさん :2009/05/20(水) 15:03:45
小学生の頃、大好きだった両親が離婚した。 私は、父親の元に残る事になりました。 そして、家から出て行く母に「お母さん!」って叫びました。 母は私に、「本当はアナタの、お母さんじゃナイの…」って応えました。 以来、いっさい連絡は有りません。 遠い昔話ですけど… でも、私にとっての「お母さん」は、アナタだけです。
416 :
大人になった名無しさん :2009/05/20(水) 23:20:44
417 :
か :2009/05/20(水) 23:49:18
あ
418 :
69 :2009/05/23(土) 00:46:12
自分の話の続きって書き込んでもいいですか?
どうぞ
420 :
69 :2009/05/23(土) 10:00:50
じゃ書き込みますね
421 :
大人になった名無しさん :2009/05/23(土) 23:11:04
627 名前:大人の名無しさん 投稿日:02/04/20 14:08 ID:ietIbiLR 彼との結婚を私(25歳)の父と母は猛反対していました。 彼は昔両親を亡くして、祖父母に育てられていました。 そして4年前祖父が亡くなり、彼は32歳になる今まで84歳の祖母と二人暮しでした。 それが反対の理由でした。 「何も結婚してすぐに介護が目の前にあるような結婚をする事はない」と。 結婚を申し込みにきた彼と彼の祖母ににもそう言い放ったんです。 その2日後でした。 彼の祖母が置手紙を残していなくなりました。 仕事から帰った彼からの電話で、私達は必死で探しました。 探して探して探して 空が明るくなりかけた頃、彼の祖父の眠るお墓の前に座りこんでいる祖母を見つけました。 歳も歳だったので衰弱し、そのまま即入院になりました。 その事がきっかけで、私の両親も私達の結婚を許してくれ 結婚式はせず、すぐに籍だけをいれました。 もう10年近く前の話です。 祖母は入院後1ヶ月ほどで亡くなりました。 その時の手紙です。
422 :
大人になった名無しさん :2009/05/23(土) 23:12:03
●●へ(彼の名前) ばあちゃんは本当に貴方がかわいかった。 貴方のお父さんとお母さんが死んだ時 私のこの先の人生は貴方の為に使っていこうと心に誓いました。 ばあちゃんは年であるしお金もない 何も何も持ってはおりません。 貴方への愛情だけです。 そして貴方はばあちゃんの事をとてもとても大切にしてくれた とてもとても良い子に育ってくれました そして人生の伴侶となるべき相手を見付けました。 でもばあちゃんがそれをじゃましているんだね。 幸せになってください。 ばあちゃんは貴方を育てる事が出来た事がとてもうれしいです。 とてもとても幸せでした。 妙子ちゃん(私)と、どうかどうか幸せになってください。
423 :
大人になった名無しさん :2009/05/24(日) 00:19:43
今は幸せですか?
短パンかよ
ジミー大西の波乱万丈で話してたこと ジミー大西は小学校3,4年まで人前でしゃべったことがなくて 休憩時間も一人、鉄棒を御輿を担ぐ棒に見立てて、 一人でお祭りの真似をして遊んでるような少年だったらしいんだけど そんな奴だから、苛められてたらしいんだが その中で一人だけジミーと接してくれる女の子がいたそうだ そんなジミーは、その子のことが好きになって学校もちょっとは楽しくなった 夏休みに入って、夏休みがあけた日に 大好きな子とまた会えると思って、彼女の席を見るとそこはものけのから 先生が入ってきてみんなに大事な話がありますとのこと 先生「○○さんは病気で亡くなりました」 ジミーは「亡くなった」の意味が分からず、彼女はずっと帰ってくるものだと思ってたジミー少年 その日から毎日誰よりも早く学校に来て、彼女の花の水を変え そして、また家に帰ってまた学校に行くという生活を続けた 席替えになり、奇跡的にその彼女の席に座ることになったジミーが 何気なく机の中を探ってみると女の子のハンカチが奥のほうから出てきたらしい ジミーは今でもそれを大事に持っているんだそうだ
426 :
大人になった名無しさん :2009/06/22(月) 11:02:33
何処に今の気持ち書きなぐったらいいかわからず彷徨ってきました。 スレチだったら御免なさい 某ネットゲームRPGで四年前に出会った実名も声も知らない方 それぞれ気の合う人達でコミュニティ形成してたのに 私の居たコミュニティに人間関係のトラブルが有って その方は、以前居たコミュニティからウチへ来て、まとめてくれました。 ゲームの世界とはいえ、人が集まればトラブルは人の世の常 何時だって、その方に支えてもらいコミュニティ維持をしてこれました。 そうこうしているウチに、去年の今頃、その方のお兄さんが病気で逝去され 仕事の忙しさと重なりゲームする時間が減ってきてました
427 :
大人になった名無しさん :2009/06/22(月) 11:12:17
お兄さんが逝去されて間もなく、新しお子さんを授かり その方は暗さの中にも新しい光を見いだし、前向きでした ゲームの世界ではくだらないギャグで場の空気を和ませたり 近親者の不幸なんて微塵も感じませんでした そして月日は流れ、今年の三月頃になり、あまりゲームする時間もなくなった矢先 コミュニティの掲示板に入院したという旨の書き込みが 退院したら、またゲームしながら療養するから宜しくね!と・・・ それっきり顔ださず、先日ご一緒にプレイしていた 奥様が、その方のキャラで顔だし、キャラの中の人である 旦那さまが亡くなられた事を話して下さいました。 コミュニティ掲示板の書き込みから一週間後だったそうです
428 :
大人になった名無しさん :2009/06/22(月) 11:20:53
私がコミュニティ掲示板の書き込みみて、返事書いたのは一週間後でした 病床で返事まっててくれたんじゃないのかと思うと胸が張り裂けそうでした 一番世話になってたはずなのに、何で・・・涙が止まりません 顔も名前も声も知らない、キャラ名しかしらなかったのに こみあげてくるのは無力感と、悲しみ ゲームだから妙に一歩突き放した人間関係が故に 何も出来ない歯痒さだらけになるなんて思いもしませんでした。
429 :
大人になった名無しさん :2009/06/22(月) 11:30:25
何時か、オフ会でも二人でしようぜ!と言ってくれたま 実現不可能になってしまった現実と、越えられないゲーム世界と現実の壁 感謝、悲しみ、憤り、無力感 色んな感情が交錯しつつも、何処か一歩距離を置いたヴァーチャルな世界 もっと早くオフ会できてれば、掲示板の返事すぐしておけば・・・ 自戒の念にかられて涙が止まりません ネットゲームで始まった出会いだけど、人の世のリアルの出会い以上に 活字で暖かい時間を貰いました 暖かい思い出ありがとう。 忘れません。 スレチだったら御免なさい
430 :
大人になった名無しさん :2009/06/22(月) 18:47:08
ネトゲ廃人キタ━━゚+.ヽ(≧▽≦)ノ.+゚━━ ッ ! ! !
廃人以外にはどうでもいい自称感動話乙
金が無いのが一番泣ける俺。
短パンお手上げ┐('〜`;)┌
434 :
大人になった名無しさん :2009/07/08(水) 00:17:37
もう10年も前だが、嫁が交通事故で死んだ 警察から電話があった 身元確認で白い布を取り、顔を確認し、警察の人に嫁と二人にして欲しいとお願いした 嫁に痛くなかった?とか、子供は寂しがるねとか話かけて、手をずっと擦っていた 冷たい手を擦れば暖かくなり、生き返るかもと 凄い馬鹿な事だけどずっと手を擦っていた 警察官に止められるまで擦っていた でも全く泣かなかった 俺は冷たい人間なのかな
>>434 ありえないくらい冷たいな 考えられん これで良い?
436 :
385 :2009/07/27(月) 03:24:43
ささやかな出来事だけど。 物心ついたときから両親と折り合いが悪くて、しょっちゅう 家を叩き出されるような大ゲンカをしていた。 今から思えば、自営業の経営が上手くいかなかったり、曾祖母の 介護問題だったりと、両親もストレスが溜まっていたのだろう。 ケンカと言っても、実際は父や母が私を一方的に殴ったり蹴ったりして (今だと下手したら虐待で逮捕レベル) こちらが命の危険を感じて家から飛び出す。 でも次の日にはほとぼりが冷めていて、またふとしたことで 両親のどちらかが怒って…という繰り返し。 自分の家が若干他と違うことは気づいていたけど、田舎だし、中学生だし、 今さえじっとガマンしてれば。高校卒業したらこの地獄も終わる。 だからそれまで、死なない程度にガマンしよう。そう思っていた。 中三の夏休みのことだった。ふとしたことがきっかけで父を怒らせた。 それは私も多少は悪かったのだけど、たまたま虫の居所が 悪かった父は尋常じゃない怒り方をした。どんなに泣きながら謝っても 殴られ、蹴られ、立てないまま腹部を何度も蹴られた。 そして出て行けと言われた。リアルにこのままじゃ死ぬと思った。 仕方なく荷物をまとめて祖父の家に出て行った。
437 :
436 :2009/07/27(月) 03:26:19
あ、名前違うスレにカキコしたときのママだった… 436です。すいません。 学校は夏休みの補習中だった。 家に帰ることは許さないけど学校は行け、が親の命令だった。 普段は1〜2日したらほとぼりは冷めてるのに、このときは親父も 今思うとさすがに気まずかったのか、「帰ってこい」の声はない。 2日目の朝、祖父の家から学校へむかった。線路沿いの道をとぼとぼ歩きながら このまま帰れないんじゃないだろうか、と途方に暮れていた。 その時だった。 「おはよう」 どこからか声がした。びっくりして声がした方を見ると、 信号待ちの車の中から、同い年くらいのジャージ姿の男の子がこちらを見上げている。 びっくりしていると、信号が変わった。運転している父親らしき人が 「知り合い?」と聞いているのが見える。彼がどう答えたかは聞こえなかった。 あっという間に車は走り去った。部活に行く途中だったのだろうか?
438 :
436 :2009/07/27(月) 03:27:32
ただ、一声かけられただけだった。 あまりにもしょげた顔で歩いてたから、からかおうと思ったのかもしれない。 でもあの時の私には、たった一人きりで、誰も味方がいなくて、 孤独で絶望に満ちていた私の世界に「違うよ。一人じゃないよ」 そう言ってくれた、救ってくれたような気分になった出来事だった。 その瞬間まで冗談抜きで、死んでしまいたいと思っていたくらいだったから。 たった一言の挨拶で、人は救われることがある。 その数年後、なんとかその生き地獄を無事脱出して、五体満足で生きている私は 自分もいつか、そんなことができればいいな、と思いながら毎日を過ごしている。 長文スマソでした。
439 :
69 :2009/08/02(日) 21:50:57
がんの転移が見つかると長くはないということは知っていた。自分のおじいさんがそうだった。 彼女もじきにそうなるのかと思うと悲しかった。 肺炎は1週間ほどでおさまった。そして肺転移という事実を彼女のおばさんが彼女自身に伝えた。 長くはないということは彼女もわかってるのだろう、長くて6か月という事実・・・ クリスマスになった。彼女は抗がん剤の治療を受けながらも必死に闘っていた。 そしてスキー場に出かけた。 以前のように滑ることはできなかったがそれでもおれよりはうまく滑っていた。 夜になり、外に出てみた。空には満天の星空だった。 「もしできるならもう一度大会に出てみたい。でもそれも今となっては無理なこと。 あと4年ぐらい命があるのならパラリンピックにも出られるのにね」 とても悔しそうな彼女の姿を横から見ているだけだった。
440 :
69 :2009/08/02(日) 21:56:48
それから3ヶ月後、3月の終わり、その時はきた。連絡を受けて大阪の病院に駆け付けた。 周りの呼び掛けに対してもほとんど反応はしなくなっていた。 「今夜がやまでしょう」そう医者が言った。 そして夜になった。ちょっと咳込んだ感じになった。苦しいのだろうか。そして何かをつぶやいた はっきりとは聞こえなかった。 「ゆ・・・き・・・」 今度ははっきりと聞こえた。雪といったのだろう。 死ぬ直前になっても自分が滑っている夢を見ているのだろう。 それから数分後、彼女は亡くなった。 窓の外には小雪が舞っていた。
短パンまん
442 :
大人になった名無しさん :2009/08/17(月) 00:06:52
うちの父は昔から私の帰りが遅くなると駅まで迎えにきてくれた。 それが小学生の頃はたまらなく嫌で、わざと親に帰宅時間を知らせなかった日があった。 ホームから出ると、愛知では珍しく雪が降っていて、ひどく冷え込んでいた。 その日、駅の外で待っていたのは父では無かった。 父が出張で不在、祖母も病気だった為、祖父が体に鞭打って迎えに来てくれていたのだ。 当時、祖父は既にガンが全身に転移していて、もう長くはないからという事で最後の自宅療養の為に帰宅していた。 後から聞いた話だと、爺ちゃんは雪の中、暖房も付けずに30分以上待っててくれたらしい。 ・・・罪悪感で死にそうになった。 当時、両親が離婚したばかりで、祖母と祖父は私を不憫がってとても甘やかしていてくれた。 しかし私は、いつしかそれを当然のように受け取るようになっていた。 爺ちゃんが病気になる前は、罪悪感どころか感謝すら感じず、むしろ傲慢にも文句すら・・・。 爺ちゃんごめん、本当ごめんなさい・・・こんな孫でごめんなさい。 恩返しもできないまま逝かせてごめんなさい・・・(´;ω;`) 前スレ789 ヒョロヒョロのじいちゃん を、ほんわか2ちゃんねるで読んだら書き込まずには居られなくなりました。 長文すみません。
443 :
大人になった名無しさん :2009/08/17(月) 02:58:35
名古屋はエェで!
444 :
大人になった名無しさん :2009/08/17(月) 03:31:39
誰しもそういう話はある 悪い事したなって思ったら反省して、ちょっとだけでいいから、人に優しくしようぜ、出来る範囲でいいからさ。 俺は1日一個するようにしてる。バスで席譲るとか 車運転中は自分の前に車を入れるとか金掛からないちょっとした事 当たり前の事だけど自分で出来る事をしてるよ。
445 :
大人になった名無しさん :2009/08/18(火) 07:01:58
>>444 444のような人が増えると世の中暮らしやすくなるのにね。
446 :
大人になった名無しさん :2009/08/25(火) 15:26:03
なんか、書きたい。でも文才がなくてすいません。そして、長くてごめん。 俺、生まれたときから両親がいなくて、 親戚も付き合いはあったものの引き取るという人はおらず ずっと施設で暮らしてた。 もちろん小学校には普通に通ってて、 低学年の時にはそれなりに友達もいた。 だけど、毎日同じような服を着ていたり、 「施設の子」という事もあり、大人たちには徹底的に嫌われていた。 施設の生活は結構自由で、望めば外出もできたし 友達の家にも普通に遊びにいけた。 でも友達の家に遊びに行った時に「○○君いますか?」と尋ねても、 その親に断られることがほとんどだった。 ドア越しに、「あの子と遊んではダメ」と言っているのがよく聞こえたよ。 そんな言葉を聞きながら小学生時代を過ごしていたから、 自然に話しかけてくる奴なんていなくなっていった。 苛められなかったのが良かったのか悪かったのかはわからない でも、学校に一日いて、一度も口を開かない日ってのも何回もあった。 自分を呪ったね。 いやほんとに。よく漫画とかで「呪われた子」ってのが出てくるけど、 俺がほんとにそうなんじゃないかって思っていたよ。 ものすごい孤独を感じていたんだと思う。 独りで生きなきゃって思ってたし、親がいないのは悪だって思ってた。
447 :
大人になった名無しさん :2009/08/25(火) 15:26:50
そんな俺に家族ができたのはちょうど小学校を卒業するとき。 なんでも、生前俺の父親の親友だったって人が訊ねてきて、 その人に引き取られることに。 もちろん、その人がどんな人かは分からないし、 何で一緒に生活するかもわからなかった。 中学に上がる頃という事で、自立心も出てくる頃、前よりも自由な生活をさ せてもらえるという事もあり、新聞でも何でも配って少しでもその生活を長 続きさせようといろいろ考えたもんだ。(賃貸アパートだったもんで) でも、中学生がバイトなんて保護者の都合がないとよっぽど認めてもらえる ものでもなく、保護者となったその人にお願いしたところ、 最初に無言で殴られた。 人生で初めて大人に殴られた。 でも、それは悪いものではなかったんだよね。 それでその人は、 「今までよく頑張った、これからはやりたいことをやればいい。 欲しい物があるならばできる限りこたえてやる、 我儘を言ったっていいんだ」って言ってくれた。 何の得があって俺と生活するのかわからなかった。 でも、ある日その人の奥さんのお墓参りに行った時に、 「こいつが俺の息子だ、これからは3人家族だ」 って言いながら手を合わせてるその人の言葉を聞いて、 「俺が家族」って興奮したよ。 俺には縁のないものだと思っていたから。 んで、中学校を転校して一転誰も俺のことを知らない土地へ。
448 :
大人になった名無しさん :2009/08/25(火) 15:37:42
でも、それまでの経験上クラスメイトに近づかないし 自分から話しかけることもなかった。 きっとそうやって自分を守っていたんだと思う。 そんな生活をしているうちに、中学の3年間があっという間に過ぎて、 進路を考える時期に、おれはもちろん就職して、夜間学校でもいこうと決め てた。 でもその人は普通の全日制の高校に行かせてくれると、 そうでなければだめだと言ってくれた。 涙が出た。 高校生活は楽しかった。 こんなに楽しい時間があっていいのかと思ってしまう程楽しかった。 土地に慣れてきたという事もあって、友達もたくさんできた。 バイトをすることは許してくれなかったけど、それが嬉しかった。 ホントに楽しかった。修学旅行にも行けたし、部活の合宿にも行けた。 嬉しかったってゆーか、幸せだった。 その人に行かせてもらったわけじゃない。普通の子と同じように、 同じ感覚で当たり前のように学校の行事に参加できたのが 最高の贅沢のように感じたよ。 そんな楽しかった時間はあっという間に過ぎて、三年生の夏。次の進路を考 えなければならない時期に。 大学に行くとお金がかかることは知っていたし、そんなつもりはなかった。 勉強だけはしていたので、働きながら資格を取って行こうと思っていた。 そんな時に、その人が倒れた。
449 :
大人になった名無しさん :2009/08/25(火) 15:39:24
原因は癌。膵臓が悪い? じゃあ治してくれよ。 恩人なんだよ。 俺の親父なんだよ たった一人の家族なんだよ 「俺が死んでも、保険と貯金で、学費と生活費は賄える、だから好きなことをしろ」ってなんですか? 諦めないでよ。 俺、やっと夢を見れるようになったのに、将来のことを考えてるのに、 家族として、これからも生活したいのに。 何にもいらないから。 貴方のおかげで知った幸せを、あなたが奪うのですか? もう一人にはなりたくない。 「誰よりも優しくなれ」って言うけど、俺親父みたいに優しくなれるのかなぁ? だけど俺決めたよ。医者になる。 俺が頑張るから、親父も頑張ってくれ。 一生のお願いです。初めてのお願いです。生きて下さい。
>>446 もし実話なら、書いたことをすべて親父に言いなさい
自分の口で言葉にして伝えなさい
それが親父が生きてきた証になるから
そしてこれからも生きていく力を与えなさい
451 :
大人になった名無しさん :2009/08/26(水) 03:20:31
俺もちゃんと伝えるべきだと思うぞ。 良い事書こうとしても言葉が見つからん。
452 :
446 :2009/08/26(水) 11:16:04
そうします。 これからの事も含めて、話をしてきます
電話を取ったのは当時五歳の娘だった。「おとう、電話。」 子機を受け取って「もしもし・・」 「もしもし、私。覚えとる?N・Yやけど・・・」中学の同級生。 「実は・・・Kちゃんなんやけど・・・」Kちゃんと言うのは、俺が高校時代に付き合ってた女の子だ。 俺に逢いたがっている。 入院している。 あと僅かな命。 同級生は電話の向こうですすり泣いていた。 「ご主人も子供もおるやろ?俺にも同じように嫁や子がおる。二十年近くも昔の、それも学生の頃、子供の頃の話しやないか」 「旦那さんが是非って」同級生は入院先と面会可能な曜日と時間を俺に告げた。 「わかった。旦那さんのおる時間に、お前も一緒に行ってくれ」携帯番号を告げて電話を切った。
見舞いに行ったのは翌週だった。 「Mさんですか?Kの主人です。お忙しいところをご無理を言いまして。」 挨拶の後で中庭みたいな所に案内された。 「Mちゃん?」俺の方を見てKは言った。ご主人と同級生はいなくなった。 元々が色白だったが 更に青白くなっていた。付き合っていた頃は40キロ台後半だったが 出産してから50キロを越えて10キロ以上痩せたと言っていた。 色々と思い出話しをして 彼女はよく笑った。俺は長居をしても体に障ると思い、その場を辞そうとした。「次、いつ会える?」 昔、いつも帰り際に彼女が言った言葉。いい歳をして胸がときめいた。
車椅子を押して ご主人の所にKを連れていった。 ご主人は、少し待っていて欲しい、と言い残しKを病室へ連れていった。 戻ってきた、ご主人は「本日はお忙しいところを云々・・」と礼を述べた後、とんでもない事を言い出した。 「まだ外出許可が出る。」「妻に付き合ってやって欲しい」「妻が望むなら抱いてやって欲しい」 「あんたアホかな?貴重な時間なんやから、お子さんやアンタと過ごしな!」二歳上の ご主人に言い返した。
しばらくたってから 俺は同級生N・Yに呼び出された。恐らく 再びKの見舞いに行くのだろうと思っていたのだが。 待ち合わせの場所にはKがいた。俺は直ぐにN・Yに電話した。 N・Yはすぐ近く、俺の姿が見える所にいるらしい。騙し討ちを詫びた。俺も病人を放置できずKに歩みよった。
俺はKに 外出時間と食事を聞いた。 「何処に行きたい?」 「昔よく行ったとこ」 いつも待ち合わせした喫茶店。お互いが通った高校、一緒に買い物をしたショッピングセンターやデパート。 中には すっかり姿を変えてしまったところもあった。 その日はメイクのせいか顔色も良く、彼女が あと僅かな命だとは信じられなかった。 懐かしい場所、懐かしい人、懐かしい日々。 あっという間に、帰る時間になった。 「Mちゃん、ありがとう。ごめんね。今、奥さんと私と どっちが好き?」 「なんで 私達別れたんやろ?」彼女は涙声で言った。俺は何も答えずにいた。N・Yに電話をして 三人で病院に戻った。 ご主人は居なかった。病室で 彼女を抱きしめた。それ以上はできなかった。 来年は来ない。と言われていた彼女は その後1年半程 生きてくれた。 何度か デート?もした。葬儀の時に 彼女の両親とも久しぶりに会った。「ありがとう」と言われて戸惑った。 彼女の娘さんは中学生になっていた。出逢った頃の彼女にそっくりだった。 ご主人には 「貴方のお陰で 子供達に少しでも母親を ・・・」終いは涙声で聞き取れなかった。 俺も泣いた。「すいません」一言詫びた。
458 :
大人になった名無しさん :2009/08/28(金) 19:07:38
↑なんか違うと思うんすけどー。
短パンまん
待ち遠しい
462 :
大人になった名無しさん :2009/09/01(火) 10:40:32
ついさっき見た夢の話だが、今までで最大級のショックだったので書く事にする。 自分(高校1年)と母親は、自分が中学の時から別居していて、約三年ほど経っている。 家族からは一切聞こえないけど、知ってる友達とかからは離婚とかそういう話も聞くようになってる、 ぶっちゃけ結構ヤバい時期かもしれない。 そんな時、三日前俺はインフルエンザにかかった。 新型かどうかは分からず曖昧で、五日間の出席停止になった。 苦しかったが、ある程度我慢していたら大分楽になり、熱も下がって落ち着いて来た。 感染して三日目の昼。 ふらつくので二度寝すると、案外あっさり眠れた。 気がつくと自分は、母方の祖父母の家で食卓を囲んでいて、 みんなで鍋をつついている。そこには、祖父、祖母、俺、飼い猫と母。 「この肉団子俺が作ったんだ。」とか言いながら、笑って食べている俺。 母も笑って食べていた。 が、不意に母が、「ねぇ、○○○の誕生日いつだっけ?」と訊いた。 一瞬「えっ?」と聞き返す。が、祖母が応答する「9月15日じゃなかったかしら」 違う。 母の答えを、少し不安ながら待っている。 母は「確か9月5日だったわ。」 それを聞いて、俺は食卓から背を向けて座っている飼い猫に抱きつき泣き続けた。 長い間離れてしまったから、母は俺を産んだその日すら忘れてしまったのか。 泣き続ける俺。 しかし、気がつくと毛布にくるまって号泣していた。 起きても、不安で不安で泣き続けた。
463 :
大人になった名無しさん :2009/09/01(火) 12:34:13
前に、「死のう」と決意してリビングで最後の一服してたら なぜかトイレでもないのに母親が起きてきた話があって…しみじみ「堪」て凄いなと思ったら俺も昨日同じような事あった。 寝室は隣の部屋なんだけどさ、昨日夜にまたどうしても辛くて自暴自棄になって包丁で床傷付けたり自分の体傷付けてたんだ、「誰かが背中押してくれれば心臓に突きつけてる包丁も刺さって死ねるのに」とか思ってた、母はもちろん寝てた。 でも朝起きてきて、いつもより元気無いし悲しそうなんだよ・・・でさ聞いたら「俺が仕事の事とか先の事で凄く悩んでる、その姿を私が見て悲しい夢見た」って言ってたんだよね、しかもその夢見たって言ってる時間帯がちょうど自暴自棄になってる時だったんだ。。 全然どうでも良い話で申し訳ないんですがやっぱり母親の堪て凄いなと思いました。
464 :
大人になった名無しさん :2009/09/02(水) 13:45:32
>>463 今は大丈夫なんだろ。
俺も人に騙されて、全財産と仕事無くしたりして
自暴自棄になったりしたが何とか生きてる。
辛い事も多いがお互いに
頑張ろうぜ。
465 :
大人になった名無しさん :2009/09/02(水) 20:36:23
>>464 ありがとう。
自分も失うものあったけど、あなたと比べるとぬるい
お互い頑張ろう!!
いい歳して失業した。
467 :
大人になった名無しさん :2009/09/03(木) 10:51:01
俺の母方のおばあちゃんはつい2、3年前からアルツハイマー(老人ボケ)になった 最初のうちは症状は軽かったが、夜に徘徊したり、あり得ないとこで小便したり、食べ物に変なもの入れたり散々だった おばあちゃんは福島に住んでて、俺ら家族は埼玉に居るからおばあちゃんは老人ホームに入居した でも全然会ってないためか最近俺のこと忘れちまったらしい 俺の名前を母が言っても、誰?状態で、写真見せても分からないらしい 家事を独りでやってたおばあちゃんの背中は曲がって腰も痛いはずなのに、寝付けない俺をおんぶしてくれたっけな 眠くて仕方ないのに、昔話を何時間も話してくれたっけな 大学が受かったときも母親よりも喜んでくれて、わざわざ会いに来てくれたっけな あーやばい涙出てきた ごめんなばあちゃん 俺の事忘れてるだろうけどばあちゃんに会いに行こうかな 前に実況板にも書いたけど、老人ボケに苦労してる人はもう一度考え直してほしい 忘れられるって想像以上にキツいぞ
自分にとっては、泣ける思い出。 子供の頃から、友達を作るのが苦手だった。 小学校の時、登下校はいつも一人だった。 仲の良い友達はいなくて、いつも一人だった。 そんな自分を、担任の先生が心配したのか、家庭訪問の時 母親に「友達がいない、いつも一人でいる」と言っていた。 母親には、「○君と△君っていう仲の良い友達いるよ」って 嘘ついてたから、母親はショックを受けていた。 そんなある日、同じクラスの少し話せる人が誕生会を開くから 来てと誘ってきた。もう、舞い上がったよ。 母親にすぐ報告した。母親はめちゃくちゃ喜んで、一緒に そのクラスメートへの誕生日プレゼントを一緒に買いに行った。 何時間も悩んで、その子の好きなスポーツブランドの ハンカチと文房具を選んで、包んでもらった。 当日、母親がお菓子をいっぱい持たせてくれた。 待ち合わせの場所に早めに着いて、ワクワクしながら待ってたんだけど 時間をすぎても誰も来ないんだ。 ずっと待ってたよ。だって、その子の家わからないから 学校で待ち合わせてたんだもの。 ず〜っと待っても来なくて、どうしていいかわからなくて。 夕方になって、寒くて寒くて家に帰ろうと思ったんだ。 プレゼントとお菓子の袋どうしようって思った。 途中の公園で捨てようと寄ったら、その子がいたんだ。 他の友達と一緒に。一瞬、待ち合わせ場所間違えたと思った。 俺を見るなり皆が「やべ〜!!逃げろ!!!」って笑いながら 走っていった。何が起きたかわからなかった。 からかわれたんだ・・・そう分かった時、悔しくて悔しくて 泣きながらプレゼントやお菓子を何度も何度も踏みつけた。 家に帰ると、母親が笑顔で「楽しかった?」って聞いてきた。 絶対、本当の事言えないと思った。また嘘をついた。 「すごく楽しかったよ!ケーキ美味しかった!」って。 あ ダメだ また泣けてきた
469 :
大人になった名無しさん :2009/09/04(金) 03:19:12
金がないのが一番悲しス:-<
471 :
大人になった名無しさん :2009/09/08(火) 00:25:39
泣けるかどうかわからないけど。私の 私が中学になる頃から母の体調が悪くなってきた。 名前が長くて難しいから覚えてないけど先天性なんとか。 肝硬変みたいなものって教えてもらった。 一年に一回くらいかな?一週間くらいだから別になんとも思ってなかった。 すぐ直るんだろうって。 それが高校2年くらいに急に悪くなった。ずっと入院してた。 どんどん顔が黒くなって目も黄色い。 やつれていって怖くてぜんぜんお見舞いにいけなかった。 体育祭と文化祭にやっと外に出られるくらい。 それでも明らかに病気って感じだから休んでほしかった。 高校三年生の夏頃、もうやばいってんで生体肝移植することになった。 生きてる人から生きてる人への移植。 三親等以内に母と同じ血液型が三人しかいなかった。 母の弟。母の姉の息子、つか私のいとこか。で、私。 嫁入り前というか女の子にそんな事できないと言って弟(以下叔父さん)にお願いした。 私は別にいいって言ったんだけどね。 当日、手術前に会えるっていうから学校行く前に会いに行った。超早起き。 しかも学校間に合わないから5分しか話せない。 慣れない都心の地下鉄で泣いた。なぜか泣いた。 旨くいくかって不安とか、これでまた一緒にご飯食べれるとか出かけられるとか。 今考えるとあまり親離れできてねーなー。 時間通りに学校着いたのにサボりました。すんません。 保健室の先生は事情知ってたから、泣きながら喋ってた。今日でやっと終わるんだー的な事を。 今思い出した。この頃友達ともうまくいってなかったんだ。 だから保健室に頻繁に出入りしてた。学校マジで行きたくなかったんだ。
472 :
大人になった名無しさん :2009/09/08(火) 00:27:09
適度に学校を済ませて、そのまま病院へ向かった。その頃にはもう手術が終わってるって言ってたから。 病院に着くと、入り口に父の兄がいた。電話しようとしてた。 私を見つけて「お母さん手術中止になった」って。 マジで鳥肌ものだった。泣きそう。待合室みたいなところ言ったら皆いた。 正月かってくらいいた。母方のもいたから正月以上だね。 どうやら、麻酔を入れた叔父が心不全になって心臓が止まったらしい。 心臓マッサージして、肋骨も折って、足に電気が通ったのかな?太ももがバックリ割れたらしい。 母はお腹あけて待ってたから急いで閉じたんだって。開き損。 集中治療室で家族4人。医者の話を聞いてた。母は半分寝てたけど。 兄は今にも医者に殴りかかりそうだった。私は頭悪いから話全然ワカンネ。 医者の話も終わって、4人でポツンとしてた。兄と父とでなんか話してたけどさっぱりワカンネ。 トイレ行く振りして待合室に行った。親戚の人が皆いてなんか色々声かけてくれた。 うずくまって大泣き。ホントガキだね。だれか慰めてくれるとか思ったんだろうね。はずかし。 結局叔父さんも入院。むしろまともに歩けなくなった。運転もできない。仕事もまともにできなくなった。 金は全部負担。入院費とか奥さんの宿代とか。生活費を毎月入れたり。元々金ないのに。
473 :
大人になった名無しさん :2009/09/08(火) 00:29:17
そうこうして秋になった。 学校で文化祭の準備で忙しかった。就活とか家の事とかでマジ参った。友達ともまだギクシャクしてたけど少し増しになったかな。 うけを狙った発言をしても静かにならないくらい。でもなんか怖くてなかなか話しにくい。 ある日母が一時退院して来た。帰ってきたら私の大好物のすき焼きが用意されてた。 凄い嬉しかった。今でもすき焼き食べるとじんわりくる。 食べてる最中母が「お母さん今年中だって。」なんて言うから何かと思った。 「叔父さんが駄目だったでしょ?でも移植しないと今年中なの。 (いとこの名前)兄ちゃんは結婚したばっかだし起業したでしょ? 頼みにくいって言うのもあるけど、私ちゃんがよければ私ちゃんから貰いたい。 駄目なら明日100万持っていとこ兄ちゃんのとこへ頼みに行くから。」 私は前からあげるって言ってたの知ってるくせに!確信犯すぐる。 そしたら泣き出しちゃった。何言うかと思ったら 「お父さん残していったら私ちゃん迷惑でしょ?」とか言いやがった。 父は悪い人じゃないけどなんだか面倒な人。ご飯作れないし。 だから、泣きながら卵まみれの牛肉食ってうんって言ったら、母にも父にも笑われた。正直すぎるって。 100万がすき焼きですんだよ!
474 :
大人になった名無しさん :2009/09/08(火) 00:31:18
高校三年生の冬休み。正確に言うと12月24日(まじでw)一キロの内600グラムあげた。 写真見せてもらったけど私の肝臓プリップリw肉屋に並んでてもいい。 母のは焦げたレバーみたいだったよ。石みたいだった。 私の手術のときも色々あったけど。なんか生々しいからやめとく。 何もかもうまくいかない時期だったから、死ぬ事とか考えてた。リスカとかしてた。甘いけど。 正直手術して知らないうちに死んでたらいいなって思ってOKしたって言うのもある。 でもなぜか手術したら、色々うまくいったんだ。 友達も普通どおりになったし、就職も決まったし、バラバラになってた家族の絆、って言うと恥ずかしいけど戻ってきた。 何より母の体調が物凄くよくなった。手術してもよくなる人はあまりいないらしい。 顔色も目も真っ白。本当によかった。 母とおそろいの傷は気味悪がられるけど、なんとか生きてます。 正直今のほうがつらい日々を送ってるけど、五体満足で生きてるんだもんね。何もいえないよ。 長々とすみませんでした。文章もうまくかけなくてごめん。 スレチだったらスマソ。
475 :
大人になった名無しさん :2009/09/08(火) 03:03:47
もうちょっと文章まとめたほうが、又批判好きが色々書いてくるから。 移植しても助からない人もいるんだし、よかったじゃないですか。 うちのすき焼きは豚肉だ。
476 :
大人になった名無しさん :2009/09/08(火) 15:54:15
>>468 君は毒親に育てられたんだね。
友達が居ないのに、居るフリをして親を安心させようとする。
要するに君の親は、君が良くて当たり前で、悪い状況の君を愛していない訳。
それを知ってるから、そういう嘘をついてまで、親を安心させようとするんだよ。
友達が居ないのも、生まれて最初の人間関係=親との人間関係につまづいた結果。
478 :
大人になった名無しさん :2009/09/09(水) 01:06:25
金がないこれが一番泣ける。
479 :
大人になった名無しさん :2009/09/10(木) 04:24:49
↑↑確かに金が無いのは一番泣ける。
>>474 叔父さんは気の毒だけど
お母さん元気になって良かったじゃないか
あなたにも幸あれ
481 :
大人になった名無しさん :2009/09/11(金) 21:35:28
44 癒されたい名無しさん 2008/06/11(水) 18:08:52 ID:GRbyR4Qj 俺の話、書いても良いですか? 俺は2年程前にうつ病にかかりました。服薬もしたし、会社も休んだ。 でも全然良くならないんだよ。 食事も摂れないし眠れない。苦しくて苦しくて仕方が無かったんだ。 ある夜、「もう無理だ」って思って自殺をしようと決意した。 両親が寝静まってから持ってる限りの眠剤と酒、それと包丁。 眠剤飲んで、酒飲んで、首を切ってしまおうと思ったんだ。 2月の深夜3時頃だったと思う。 家族で過ごしたリビングで最後のタバコで1服して、「さぁ、やるか」と思って。 遺書と預金通帳も用意した。暗証番号のメモも置いといた。 少ないけれど貯金があるから。葬儀費用とかはこれでまかなってもらおうと。 その時、母親の勘かなぁ トイレでも無いのに母親が起きてきたんだよね。何故か。 俺の居たテーブルの前に座って。置いてある眠剤とかを一瞥して。 何も言わなかったよね。二人して。それからどれ位経ったかなぁ・・・ 母親が自分の着てたハンテンを「寒いだろ」って俺に着せようとするんだよね。 「もう子供じゃないんだから」って言ったら一言。 「年がいくつになろうと、アンタはアタシの子供だよ。 世界にひとりしか居ない、アタシだけの子供だよ・・・」 年甲斐も無く号泣したよ。 絶対うつ病、治そうと思ったよ。 …何かじゃ証明出来ないものがあるんだね
>468 泣けるけど救いになるオチがないんだなw 友達いないのは現在進行形なのか? ('_')ウヌヌ
483 :
大人になった名無しさん :2009/09/13(日) 22:22:01
親の勘て…。。凄いとかのレベルじゃないな…
484 :
446 :2009/09/14(月) 15:02:09
中学を卒業してから、働くまでは 友達が一人もいなかったし、誰かと遊んだこともなかったよ。 親がいないってことで、友達の親にまで嫌われる始末。 「あの子と遊んではダメ」というセリフをよく聞きました。 僕が何かしましたか? 暴力をふるいましたか? 何か盗みましたか? 親がいないという事はそれだけで悪なのでしょうか? お金がなくて、高校にも行けないというのは、それだけで悪なのでしょうか? たった一人の身内も死んでしまいました。 これから、僕はたった一人だ。 家庭を築くのが夢でした。
485 :
大人になった名無しさん :2009/09/14(月) 19:42:14
>>481 これをYouTubeにupしてくれ
泣ける
>>476 等身大の文章で、なんというか感情が直に伝わってきました。
素直な人なんだね。あなた。
死の最後の瞬間、兵士達が叫ぶのはイデオロギーでも罵詈雑言でもなく、ただ母である。
短パンまん
貧乏が一番つらい
痛風たん(*´Д`)ハァハァ
セピアと聞いて勝手に昭和か!と飛んできたら愕然としたぜ。 せめて恋系の泣ける話は専用スレでやってはどうだろう? そっちの方が整理してやれるかと思いまするー
何で「息子に殺されそうになったから」は答えに入ってないんだろうな 「息子が邪魔だから」と半々位で居そうなのに
安価付け忘れたから意味不明になった
494 :
大人になった名無しさん :2009/11/23(月) 17:07:36
あげ
>>468 昨日たまたま目にとまったので読んだんだけど
さっき思い出したらまた泣いてしまった
似たような経験があるわけじゃないんだけど
文章から気持ちとか情景が伝わってきた
人を思いやれる人なんだろうね、お母さんも優しいね。
短パン
497 :
大人になった名無しさん :2009/12/03(木) 17:10:37
498 :
大人になった名無しさん :2009/12/08(火) 22:02:49
なける
499 :
大人になった名無しさん :2009/12/08(火) 22:17:15
たんぱんいらん
500 :
大人になった名無しさん :2009/12/09(水) 04:59:52
>>468 酷い奴らだな。
おそらく、そいつ等は大人になってもロクな大人になってないよ。
君はきっと心の優しい人なんだろうね。
きっと君のほうが数段人として皆から愛されるだろう。
今もこれからもずっと...。
お母さんを大切に...。
(泣)
501 :
大人になった名無しさん :2010/01/06(水) 02:50:33
夕暮れ時
502 :
大人になった名無しさん :2010/01/10(日) 11:14:19
>>468 500に同じ。
そんな奴らと友達にならなくて良かったな。
悪い奴らもいるが世間にはいい奴の方が多いから、
必ずいい仲間ができるもんよ。
あんたは、「みにくいあひるの子」だったんだよ。
立派な白鳥になれ。
503 :
大人になった名無しさん :2010/01/11(月) 23:33:08
今日失恋しました 彼女とは中学の同級生で気になってましたがシャイな自分は結局何も行動を起こせなかった。 高校のとき彼女からメールがきて、なんと向こうから告白された。 めっちゃ舞い上げったよ。 でも自分の不注意ですぐに高校のやつにばれた。当時、いじられキャラだった自分はすぐにそのことについていじられたよ。 そのいじりはしだいにエスカレートしていき、いろいろ精神的に病むようになった。 今考えると他愛もないいじりだよ。写メ見せると趣味悪いとか、いつヤるんだとか、どのくらい愛してんのとか…。 でも耐えられなかった。 自分は弱かった。 付き合って一カ月もせずに別れを切り出してしまった。 彼女は泣くというより少し怒っているように見えた。 その1ヶ月後にはいじりはなくなった。でも罪悪感と自分への嫌悪感が膨らんでいった。 なんで別れてしまったんだろう。 彼女を好きだったんじゃないのか…。 弱い自分を攻め立てた。 だからたまにメールして自分の気持ちを伝えようとしたんだ。彼女はこんな弱くて最悪な自分に明るく接してくれたんだ。 10通くらいのメールのやり取りを年3〜4回した。 でも伝えられなかった。 時間がすぎ3年もたってしまった。 今日の成人式、3年ぶりの再会。 彼女はむこうから話しかけてくれたけど三言くらいで終わってしまった。 家に帰ったあとまた後悔した。 だからもう一度メールした。数通ほどしたあと、決心したんだ。 自分の気持ちを伝えなきゃって。ダメで元々、弱い自分から卒業しなきゃって。 伝えたよ。 自分が弱かったこと、3年間の思い、そしてまた付き合ってほしいって。 結果はゴメンだった。 遅すぎだよな。 自分は 「これで吹っ切れたよ。幸せになってね。」 って伝えた。 彼女は 「○○もね。いい友達でいよう。次の同窓会のときにはお互い幸せになってよ。」 と言ってくれた。 やり取りが終わった後、泣いてしまった。 返信だって只の強がりだった。結局、弱い自分を卒業できなかったと思う。 けど一歩進んだと思うしかない。三年間ずっと立ち止っていた自分から。 けどしばらくは泣きたくなる気持ちが続くだろう。 弱い自分を卒業できるのはまだ時間がかかると思う。 2月に二十歳になる。少しずつ進んでいくよ。 そして次の同窓会のときには幸せになってやろうと思うよ。 長文&駄文だったけど読んでくれた方、ありがとう。
504 :
大人になった名無しさん :2010/01/12(火) 00:53:16
つーか、何で会って告白しないの? そんな大事なことをメールで伝える時点で結果は見えていたような・・・。
コミュニケーションを取れない大人がまた一人・・・
私が派遣仕事をしていた時。 上司は有能だけど、とっつきにくい無口な人で、私はいつも冷ややかに見られているような気がして苦手でした。 ある時、私は仕事のデータを他分署の方に頼みに行った所、その時は「すぐにまとめて渡すから」と快い返事を頂きました。 ところが
夕方になってその課の上の人が怒鳴り込んできたのです。 「今、忙しいのに。派遣の仕事の手伝いなんてしてる場合じゃないんだ。 どうせ、どうでもいいような仕事だろ。」と。 私は頭を下げながらも悔しさで身体が震えていました。 その時、私の後ろから大きな声がしました。 「今の言葉は聞きづてならないな。」 いつも無口な私の上司でした。
「この人はいつも一生懸命仕事をしてくれている。私は派遣だからとどうでもいい仕事を頼んだ事は無いんだ。私の部下を馬鹿にした言い方は止めてもらいたい!」 上司は私のためにきちんと反論してくれたのです。 相手は「ばかにしたわけではない」と言い訳しながら「忙しかったのでつい」と言いながら戻っていきました。 私は叱られたショックと上司の態度が嬉しかったのとで 涙が止まりませんでした。
「いつまでも泣くな」と言った上司はいつものぶっきらぼうな上司でしたが
510 :
大人になった名無しさん :2010/01/23(土) 12:54:53
悔しかったろうな。 そんな高慢な態度をとる奴こそ最低野郎だ。 大事なのは自分がそんな人にならない事じゃないかな。 いいボスだね。
511 :
大人になった名無しさん :2010/01/26(火) 17:18:18
いきなりカキコしやす。私の体験した泣ける話聞いてください。 あの子は俺と大学のゼミが一緒で、研究なんかをやるうちに仲良くなりました。そのうち二人で遊ぶようになり俺は、意を決して告白しました。彼女の返事は 「ごめん、付き合えない」 でした。すごい落ち込んでそれからは何もやる気が起きませんでした。そんな矢先その子から話があるといわれ待ち合わせをして会いました。その子は俺に 「学校やめたの。家の事情で。。明日実家に帰るの」 「最後だから会いたかった」 と言いました。彼女はすごい泣いていました。俺も泣いてしまいでも 「俺、お前のこと好きだ。どこにいてもかまわないから付き合ってくれ」 そう言いましたが、返事はやっぱりダメでした。そして彼女を駅へ見送りに行きました。涙をこらえるのが辛かったです。 それから半年くらいしたある日、あるおばちゃんが俺を訪ねてきました。それはなんと彼女の母親でした。彼女の母親は俺にこう告げました。 「あの子、一ヶ月前に亡くなったのよ。。。」 彼女は、心臓に病気を患っていたのだ。でもどうしても大学で研究をやりたいということで定期的に通院しながら、大学に通っていたとのことだった。 大学を辞めたのも病気のせいだったらしい。生前彼女は俺に渡してほしいと一通の手紙を書いており、彼女の母親は俺に手紙をくれた。 大好きなOO君へ 突然、ごめんなさい。私は重い病気で長く生き れないとおもうので手紙を書きます。 じつは私も好きでした。告白されたときうれしかったんだよ。 本当にうれしかったのにこんな体だから迷惑だと思ったんだよ。 突然いなくなってごめんね。。できるならあなたのそばにいたかった。 あなたのそばでずっと笑ってたかった。結婚して年取ってもずっと一緒に いたかった。ごめんね。ごめんね。ごめんね。本当に幸せだったよ。 手紙の文字が滲んで見えた。俺はあの子に何一つ幸せにしてやれなかった。彼女の苦しみを考えたら涙がとまらなかった。 俺はつい最近仕事をやめた。リストラだった。辛いとき空を見たらあの子が笑っている気がした。そしたら思い出してしまった。 長文すいません
512 :
大人になった名無しさん :2010/03/14(日) 22:10:58
過疎ってるな
513 :
大人になった名無しさん :2010/03/15(月) 21:43:53
中学生ですが??? 俺の学校には、先生に今日あった事などを 書くノートがあるんです。 俺は前はよくボランティアとかに参加したりしてたんですが、 今学期に入って、ほとんど参加しなくなったんです。 そんな中、三年生を送る会みたいのがあって、 それもなんだか面倒臭くて参加しませんでした。 その事がずっと気になっていて、 「参加しとけば良かったかな。」 と、嫌悪感がとてもありました。 なので前述のノートにその事について書きまくりました。 何日たっても返事が返ってこないので、 俺自身もその事をすっかり忘れていました。 そんなある日、給食当番の準備を他の人よりも少し早めにやっていたら、 担任の先生に、「N(俺のイニシャル)は十分がんばってる。」 と、突然言われ、最初は、「え?」という感じになってしまいましたが、 「ノート読んだよ。」と、言われ、 ハッとなりました。 一言だけど、とてもジーンとなりました。 ありがとう!先生!
514 :
1 :2010/03/15(月) 23:28:03
生物学的には両親のいない子供は存在しないが、 社会学的には両親のいない子供が存在する。 僕は物心ついた頃から児童養護施設で暮らしていた。 親がいると会える喜びがある反面、 親の都合で施設を入ったり出たりして、 子供は振り回されるばかり。 その点、僕みたいに両親がいないと、 ずっと施設で暮らせる分、心の平静を保つことができた。 あの頃の記憶は今でも強烈かつ鮮明に残っている。 親から「じゃあ、またね」と別れを告げられ、深夜まで泣き続ける子。 もう絶対に会いに来ないお母さんを待ち続ける子。 次お母さんに会える日を何十日も前から指折り数えている子。 そんな子に社会の風は冷たい。 両親の来ない授業参観、両親のいない運動会。 養護施設に対する強烈な偏見。 友達の家に遊びに行ったら、 「うちは4人までしか入れないから○○君は入れない」と突き帰されたことなんて何度もある。 服が汚れているとすぐに「養護育ちは」と言われるから、 身なりにも態度にも気をつける子供時代だった。 少しでも隙を見せると社会は「だから養護育ちは」という刃物で僕らの心を切り裂いた。
515 :
2 :2010/03/15(月) 23:35:06
中卒で働く子も多かった。 養護施設の職員はいい人も多かったが、 実の両親ではない。 だから「中卒で働く」という僕らの仲間を本気で止めてくれる人はいなかった。 同時に、ここから抜け出したいという気持ちがあったのも事実だろう。 確かに劣悪という環境ではなかったが、 職員の中には「恵まれない養護施設の子供に優しくすること」で満たされている人間も多かった。 そういう人間は感情の起伏が激しかったり表裏が激しく、 僕らは子供の頃からそういったものに敏感になっていた。 差別は駄目だ。そう叫ぶ社会に差別はあり、 私たちは養護施設の職員です。彼らの心にも暗い部分はあった。 虐待もあった。人身売買みたいな就職斡旋もあった。 社会に出ても親がいないということで冷たい世間の波に負けてしまうやつもいた。 僕は幸い成績がよく公立の普通科に進むことができた。 そして大学へも。 大学全入時代なんていわれているが、 養護施設では大学や短大にいける人間なんて10人いても1人いればいい方という状況。 みんなが当たり前のように大学に進学するとき、 僕はただただ大学で勉強ができることがうれしかった。 同時にみんなの代表選手だから絶対に負けられないという気持ちもあった。
516 :
3 :2010/03/15(月) 23:46:22
僕の育った施設は施設を出たら戻ることは決してない。 普通の学校みたいに卒業生がやってきたりとか、 ヤンキー母校に帰るみたいなこともない。 それはこの社会で生きていくためには過去を切り捨てなければならないことを15や18の頃には知っているから。 たとえその時に知らなくとも僕らはそのことを社会に出てすぐ知ることになるのだ。 施設を出るとき、ずっと施設で働いていて打ち解けていた職員に聞いてみた。 この時を逃したら永遠に聞けなくなるような気がして両親のことを聞いてみた。 「僕のお父さんやお母さんは誰なんですか」 彼は言葉を選びながらでもゆっくりと、お前も聞いてきたかというような慣れた口調で話してくれた。 物心つく前に役所に置き去りにされていてここへ来た“らしい”と。 でもこの子をお願いしますという親なりの強い気持ちはあった“らしい”と。 “らしい” なぜかこの言葉が強く心に焼き付いていた。 それから働きながらの大学生活がやってきた。 僕が司法試験を目指し始めた頃、ロースクール構想が現実のものとなった。 その後は僕も過去を切り捨てて普通の20代を過ごす事になる。 大学を出てローに入って新司法試験も合格することができた。 司法修習も終わり、今は弁護士として働いている。
517 :
4 :2010/03/15(月) 23:53:53
最近、自分が直接受け持った事件ではないが、 親が警察に逮捕され残された子供が養護施設に預けられるというケースに出会った。 犯罪者の子供だなんて烙印を押されれば子供の人生まで潰れるわけで、 その子供は「役場に届けられた“らしい”。親は子供のことを最後まで大事にしていた“らしい”」 という肩書きを付されて養護施設に預けられたとボス弁は話してくれた。 子は親を選べないからなぁとこの世界にありふれた不条理を嘆くボス弁を前に、 僕は血の気が引いていくのが分かった。 “らしい” これは曖昧でいい加減な言葉だ。 法律の世界でこの言葉を聞くときはその背後に確かになっては困ることが隠されている場合が多い。 だが、その“らしい”はこの矛盾に満ちた社会で生み出された、 やさしさの断片のような気がして僕はならない。
518 :
大人になった名無しさん :2010/03/16(火) 15:34:57
そこそこ長文の割に
>>517 が何を言いたいのかさっぱり分からん
客観的にみても泣ける話じゃないし なんなんだこれはひょっとしてまだ続くのか?
1-4は場かばかばかばかbかばかばかbかばかばかば k氏ね死ねいsえいし視ね 捨て子視ね 所詮養護施設粗朶著wwwwwww
誰か3行ぐらいで簡単にまとめてクレ
tes
いつまでも絶えることなく 友だちでいよう 明日の日を夢見て 希望の道を 空を飛ぶ鳥のように 自由に生きる 今日の日はさようなら また会う日まで 信じあうよろこびを 大切にしよう 今日の日はさようなら また会う日まで また会う日まで
524 :
素直になりたい名無し :2010/06/05(土) 03:43:06
文才ないのに失礼>< 私は今不登校です。 私には、大切な友達がいます ずっと支えてくれたたいせつな。 ある日相変わらず学校に行かない私の携帯に1通のメールが届いたいつもの大切な友達からの何気ないメールだと思った。 開いてみる絵文字はなくメール長文メール。 Date 3/25 from ooo sub Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re: Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re: Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re: Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re: Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re: Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re: Re:Re:Re:Re:大好き。 Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re: Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re: Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re: Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re: Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re: Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:
525 :
素直になりたい名無し :2010/06/05(土) 03:44:06
-------------------------- このメール何通目だとおもう?大切なきみとの1000通目のメールだよ 毎日メール出来てうれしい。 いつもメールはあたしからばっかで時々返ってこないと嫌われたかと焦るよ。 いつか君はあたしに言った。 あたしがリストカッットをした日。 きみは夜中なのに来てくれて、あたしに怒鳴った。そしてなきながら良かったてつぶやいて泣きくずれるあたしをきみはずっと支えて くれた。その日メールで *************** 質問だよ 君には大切な人がいる? 君には友達がいる? 今君の近くに誰がいる? 君はどこを見てる? 君には全ての愛が分かる? 私には大切な人がいる。 私には友達がいる。 今私の近くには家族がいる。 私は地面を見てる。 私には全ての愛は分からない。 もし大切な人への気持ちが一方通行でも君が支えてくれた。本とは友達なんて口だけなのも、嘘も分かってる。 けど、君はただ人生の道を少し踏み外しただけ。でもそれも道にわ変わらない。 人生は歩き続けなきゃいけない。歩かなきゃ。 死ぬトキは、少し疲れて歩くのを止めただけ。でも振り返ると、すごく昔に足を止めた仲間がいる。 いっぱい歩いたはずなのに。 そいつは(君が歩いた時間はこれくらいなんだよ) と言う。 確実に今日きみは私を頼ってくれた。隣には私がいた。 ほんとはね、学校で軍団の真ん中にいる君のこと大嫌いなんだ。 なにかあるとすぐ軍団の皆と喋って、、 でも学校以外のきみは大好きなんだ。いつも強い自分を演じなくてもいんぢゃない? きみは強いから。疲れたら私のとこでその硬いベールを壊して いっぱいわらォ 夜中にコンビニでおやつか買って 公園で語って笑うのもありさ。 だから自分を大切にして 自分にとって価値のある今を生きて **************** 君にも同じ質問するよ。 あたしたちが歩いてるのってすごく短いそれをきみは家に閉じこもって過ごすの? もったいないよ 自分にとって一番価値のある今を生きてって言ったよね きみわかわれる。 あたしたちがであったのは60億分の1の奇跡。 出会うべきだったんだよ。 だから一緒に笑って過ごそう。 ---------------------------- それから少しずつ学校に行くようになりました。 最後に1つ 頑張ってとか頑張るとか 努力って言葉とか皆は好き? あたしはきらい
じゃあ無気力でイ`
短パンマンが一番泣ける
トレパンマンは?
529 :
大人になった名無しさん :2010/06/20(日) 00:54:41
保守
短パンマンが・・・
初等部6年の時、厳しいけど論理的で生徒思いの担任がいました。 卒業式が終わって「帰るまえに挨拶して。私の生徒としてみんなと話せるのは最後だから」 と言ってくれたのは泣けた。 さよなら言ったらもう生徒じゃないと思って帰りたくなかったな。 「学校のこと忘れて、休みを楽しんで」って、私があいさつしたら、言われた。 先生ありがとう。今までで最高の年でした。 駄文失礼しました。
駄文も何も意味がよくわからんのですが?
533 :
大人になった名無しさん :2010/06/30(水) 21:57:15
2chとか初めてでまったくよくわかりません レスするのも始めてです ここに書くことかも違うかもしれませんし 文体などおかしいところがあるかもしれませんが見てほしいです 最初に言いますが僕は中二の男児です ある日…といってもおとといの話ですが 学校に行きたくなくて、休んでしまいました 別にいじめられてるとかそういうわけじゃないんですが ただネガティブ思考で嫌われてるのかな、とか ちょっとした理由です。 学校では出来るだけ明るく振舞ってますが布団に入るといつも孤独感が襲ってきます まあそれで学校休んだんです。 親とかにも迷惑かけたし心配させたと思います ごめんなさい 学校をサボったら親は怒りました。 パソコンやケータイは取り上げられてしまいました ただ寝てるのもつまらないし、暇なのでゲームをしていました。 Nin○endo DSのソフト「おいでよ ど○ぶつの森」 わからないかたはググってくれたらいいかもしれません 一日中、ゲームをしていました 親はもう学校に行かなくていいと怒鳴ったので僕はグレて部屋に引き篭もってました。 そして夜、ゲームもかなりやり込んだころ、 なんとなく日付を彼女の誕生日に設定しました。 そしてスタートしてすぐ、間違えて高価なアイテムを消去してしまいました。 でも、僕はセーブをしないで電源を消してアイテムを守ろうとしました。 そしてなんとなくショックだったのでボーっとしてたらいつの間にか海岸にいました。 そして目の前に「メッセージボトル」というアイテム メッセージボトルは何かメッセージを書いて海に流したあとに通信をすると、 相手の海にそのメッセージボトルが届くというアイテムです めずらしいな。と思い拾ってみたら送り主は「○○○」(親友の名前) この親友とは小学生の時から一緒で、中学では部活も一緒、家も近いしよく遊ぶ仲です そしてメッセージ 「あなたはいまなにをしていますか ぼくはバスケットをれんしゅうしています。 ゆめにむかって、いっぽぜんしん!!!。 ■〜6−1〜○○○」(■=小学校の名前) そうか。俺とお前でバスケをやって有名になる それが夢だった 通信を最後にしたのは、小学生の頃です 親友の2年前のメッセージが 彼女の誕生日(ゲーム内でですが) 元気の無い僕に元気を与えてくれました 奇跡、偶然、よくわかりません 僕は今日、学校帰りに○○○と遊びました。 ありがとな。○○○。
534 :
大人になった名無しさん :2010/06/30(水) 23:44:04
だから何?
535 :
533 :2010/07/01(木) 00:09:24
2ちゃんねるには心の優しい人が少ないのでしょうか
536 :
大人になった名無しさん :2010/07/01(木) 00:47:13
幼稚園から中学まで一緒だった女友達がいた 高校で別々になり疎遠になっていたけど大学受験に失敗してたのは知ってる。母親が自殺したことも他の友人から聞いていた。 彼女はその一年後、母親と同じ場所で同じ死に方をした そして私は何も出来なかった 背恰好が似ていて、誕生日も名前の順でも近かった私たちは同じグループになることが多くてすぐ仲良くなった 性格はまるで逆だったからいつもいる仲良しグループは別々だったけど行事の時はなぜかいつも同じ担当になってた 音楽祭・ピアノ担当になって彼女は課題曲「翼をください」を私は自由曲「モルダウ」を弾いた 陸上大会・対抗リレーの1番手が私、彼女が2番手 二人のタイムがほぼ同じだったのでスタートで私が好位置につけてそれを維持するのが彼女の役目にいつもなっていた 部活3年間、クラブ(クラブは年ごとに選び直せた)もずっと一緒だった 二人で一緒に何かをすることがとても多かった 友達っていうより縁って感じだったかも… 「ごめんね」っていう遺書があったそうだ 通夜も葬式も連絡が来たのに行かなかった 行きたかったのに行かなかったのは彼女の死を受け入れられなかったからだと思う ものすごい後悔している ありがとうとさよならを言わなきゃいけなかったのに… お墓参りに行こう 私には家族が出来た 仕事真面目で懐深い優しい旦那さんと、ちっちゃい怪獣みたいな女の子がいる。 先月で1歳になった まだまだ話したいことがたくさんある 都合のいい解釈かもしれないが、なんとなく彼女も待っていてくれてる気がする もう一度会えば、悲しい思い出がきっと楽しかった思い出になる。 やっと気付いた、遅くなってごめん。
是非、お墓参りしてあげてくださいな。
538 :
大人になった名無しさん :2010/07/01(木) 20:37:16
全然遅くないですよ。 彼女との思い出を大切にしてあげて下さい。
539 :
大人になった名無しさん :2010/07/03(土) 02:40:56
537さん・538さん>> 誰にも話せなくて、ずっと後悔しながら引きずってた気がします。 ここに書き込んでよかった ありがとうございます
540 :
大人になった名無しさん :2010/09/28(火) 23:35:14
あげげ
541 :
大人になった名無しさん :2010/09/30(木) 23:27:12
もう大昔の話。15年前くらいかな。 はじめの頃は仲良かったけど、いろんなトコロがイヤになって嫌いになった友人がいた。 同じ大学を推薦入試で受けることになったけど、 嫌ってることがバレるのが、女子の世界は面倒くさいので、 ずっと機嫌取ったり仲良くしていた。 見学にもいった、静岡から京都まで泊まりで。 受かったのは、そいつだけだった。 卒業するまで地獄のようだった。 そいつには好かれていて、卒業文集に書いてと頼まれ、 気の利いたコトを書いた。 「アンタと別れるのが1番さみしいよ〜」とそいつは言った。 私も笑って「うん」なんて言った。 最後まで何機嫌取ってんだよ... 「この人、私に好かれてると思ったまま卒業するんだ。 私の行きたかった大学に楽に入学するんだ...」 悔しくてたまらない。 時々思い出しては悔しい気持ちが止まらない。。。 馬鹿みたいだ。自分が機嫌取ってたのが悪いのに。。 それから嫌いになった人には態度に出てしまうようになり、 「結構冷たい人」って思われることも... 「言わぬが花」とも言いますが、 こんなに悔しいなら、 嫌いならはっきり嫌いと言った方が良かったのかな?... なぜか数年に1度思い出しては、ひとりでムカムカしてるw。 これが数ヶ月続く。 悔しくてたまらない泣ける思い出。
542 :
大人になった名無しさん :2010/09/30(木) 23:31:21
>>468 ひどいね、そいつら。
そいつらは、いつか大事だと思った人に同じことされるんだ、ざまーみろ!
痛みを知ってるあなたはきっと素敵なおとなになる。
543 :
大人になった名無しさん :2010/09/30(木) 23:54:52
1年以上も前のレスに返事を出してもな・・・
544 :
大人になった名無しさん :2010/10/22(金) 20:18:57
あげ
545 :
大人になった名無しさん :2010/10/22(金) 20:28:31
ブルーハーツ
546 :
大人になった名無しさん :2011/02/20(日) 09:52:32.79
卒業にまつわる思い出を語ろう
547 :
大人になった名無しさん :2011/02/20(日) 16:46:46.84
親友が制服のボタン全部なくなったのに、 自分は綺麗なままで泣いたな
548 :
坂井輝久 ◆C6YlvmPsWE :2011/02/20(日) 17:00:41.54
卒業生のブルマを大量ゲットしたとき嬉しくて泣いたな。
549 :
大人になった名無しさん :2011/02/21(月) 00:14:02.53
坂井は来るな
550 :
大人になった名無しさん :2011/02/21(月) 01:09:49.42
卒業式の後、焼却炉に突っ込まれた卒業写真を引っ張り出して破いては少しづつ 燃やしていた。当番がまわってくると掃除の時間は大変だった。 なぜ持ち帰らないかと言うと重いから。別にとっておきたいほどの思い出もない。 駅のゴミ箱が制服でいっぱいで毎年苦情がきた。卒業生だから何を言っても無駄。 既に進路が決まった相手に教師の脅しは効かない。 もちろん、駅のロッカーに私服を置いといて、トイレで着替えて邪魔な制服は捨て て行くんだが。気のきいた女子は売り払っていたらしいがね。男は売れないし。 無理やり卒業式に出席させるのにあれやこれや。実に陰湿なことをやってたな。
【友人代表】 おとといの朝、少し寝坊して朝練に遅刻しそうになったから、お前の家に電話出来なくて、 「朝練に行く。」と伝えといてと頼んで家を出た。 朝練を終えて教室で話をしていた。すると、いつものとおり先生が教室に入ってきた。 そして、「今日残念な事がありました。」と言った。 先生はこの言葉をよく使うので、あまり気にしなかった。 そして、お前の名前が出てきて、昨日死んだと言っている。 俺は、心臓が一瞬止まった。耳を疑った。気が付いた時には、汗を沢山かいていた。それから、 その後は頭の中が真っ白であまり記憶がない。 そして、部活を早めに終えて家に帰った。家では母が泣いていた。やっぱり本当だと思った。 それから、お前の家に行ってお前の顔を見た。死んでるなんて思えなかった。 家に帰っても頭の中は真っ白で、何が何だか分からなかった。 次の朝起きると、目から涙が溢れ出た。それから、お前の事が頭の中へ浮かんできた。 涙も次から次へ出てきて止まらなかった。 お前と知り合ったのは小学校1年1組で同じクラスになった時からだ。 俺は遠くの保育園から来たので友達がいなかった。 おまけに、体は大きいくせにいじめられて、泣き虫で、運動神経は最低中の最低で、頭もあまり良くなかった。 お前は人気があって、走るのは速いし、塾にも行っていないのに一番頭が良くて、面白くて明るくて、そして誰よりも優しかった。 俺は、そんなお前に憧れていたし大好きだった。
で、終わり?
小学校2年の時、友達もいなかった俺の誕生日にチョロQをプレゼントに持って来てくれた。 その時の600円というのは、俺達にとって大変な金額だった。とても嬉しかった。 3年生の時、一緒にサッカークラブに入った。やはりお前は上手で俺は下手だった。 4年生の時、いとまんに入った。やっぱりそこでもお前は大会に出れるようになったけど、 俺は幼稚園児達と一緒に練習していた。 5・6年生になって俺は野球クラブに入ったが、 やはり下手で、いつも皆で野球をやる時は、最後にジャンケンで、要るとか要らないとか言われてた。 だけど、お前にけなされた覚えはない。こんなに差があるのに友達でいてくれたお前を、俺は大好きだった。 お前は私立の中学校の受験に受からなくて、また一緒の学校に行ける事になった。 中学校に入学してからも、ほとんど一緒に登校したし、部活のない日は一緒に帰った。 昨日の通夜には行かなかった。家でタオルを咥えてこの文を書いていた。 お前は俺にとって命よりも大切な友達だ。
朝、遅刻をすると内申書に良くないと言って一緒に走った。お前はよく遅れて来た。 今でも後ろを振り向くと、後ろから走って来る気がする。 玄関で待ってると、「○○ちゃん」と呼んでるお前の声が聞こえてきそうな気がする。 今、お前をこうして見ていると、「冗談だ。」と言って、笑いながら起きてきそうな気がする。 起きてきて欲しい。数えきれない程の人達が、こんなにも悲しんでいる。お前は自慢しなかった。 俺がテストで良い点を取った時は褒めてくれた。俺が悪口言われている時は庇ってくれた。 お前は自慢しなかったけど、これだけ沢山の友達を持って、これは自慢した方がいい。 よく、『喧嘩する程仲が良い』って言うけど、あれは違う。俺とお前は喧嘩した事がないからだ。 時々遊びに来いよ。夢でも、幽霊でもいいから、盆と正月は必ず来いよ。 俺が死ななきゃならない時は、三途の川まで絶対来いよ。今度話す時、お前は天国、俺はプロ野球の話をしよう。 最後にもう一度言うけど、お前は俺にとって命より大切な友達だ。 いつまでも友達でいよう。
555 :
大人になった名無しさん :2011/06/07(火) 12:10:26.66
あげ
母を亡くしたのは俺が二十歳の時だった。 当時、妹はまだ高校生で、いわゆる“お袋の味”は大半が失われてしまった。 だけど、母が作ってくれたカレー、うちのカレーのレシピだけは俺が教わっていた。 母が生きていた頃と同じあのカレーを作れるのは俺だけ。 だけど、親父は再婚したし、妹はカレー自体があまり好きではないので、作る機会が無い。
泣けるコピペ見てて思い出した体験談 どこに書き込めばいいから分からないからここに投下 中学生の時障害者体験っつーのがあった。目隠ししたり、車いす乗ったり、割と本格的。 その中で点字を学ぶ授業があった。講師はサングラスをかけた、目の見えない人。 決められた文字を打つのが割と忙しくて、授業終わりに余った紙をあわてて、 「これ余ってます!?いいですよね!?」と奪うようにもらって点字を打って、 「ありがとうございました」と書いて講師の人に渡した。 でも慌ててたから「ありがとうござました」になってて、その人が一字一字読んでいるうちに 気がついて、顔からファイヤー。しかし、講師の人は泣きだして、紙を握った手で私の手を握り、 感謝しまくってた。片づけでどたばた忙しい中泣いている人がいる事態に気付いて、 いじめっ子が「お前泣かせてんじゃねーよバカ」みたいなことを言ってきたが、 私は講師の人の優しい声と、涙と、手の感触で半ば幽体離脱状態。 誰かがいじめっ子をいさめてた気もするが、私にはそんなものいらなかった。 つい流れで「泣かせてしまってごめんなさい」と言った気もするが、それは私の感覚じゃなかった。 担任の先生に褒められた気もするが、それでも私はどこかに行っていた。
何かこう、書くのは難しいんだけど、幸せの絶頂だった。 記憶の中の感覚はほとんど消え失せてる癖に、手の感触は覚えてるし、 講師の人のことも覚えてる。「あ、り、が、と…ありがとう?ありがとう…?」 と確認してたことも。 びっくりするくらい感謝されたが…あの人覚えててくれてるかな。
560 :
sage :2011/08/26(金) 13:59:22.59
復活
561 :
大人になった名無しさん :2011/08/26(金) 14:02:14.38
te
俺んトコは田舎で私立小学校に通ってる奴は珍しかった。と言うか皆無に近かった。 Hを見掛けるようになったのは俺が五年生の頃だった。
バス停から歩いてる姿はよく見掛けたんだが、誰も声を掛けなかった。 ある日誰かが「あいつ誰?」って言ったが、誰も知らない。「聞けばいい!」 俺は「お〜い!お前、○○小学校行ってんの?家どこだよ?××町だろ?」 Hは少し戸惑いながら話しだした。四年生で親父の転勤で二学期から××町に住んでる。 「なぁ、帰って何してんだよ?遊ぼうゼ!」田舎の子供は学年関係なしだ。 Hは町の仲間になった。帰りに俺達の姿を見ると自分から声をかけてきた。 「○ちゃん!野球やろう!」とか
俺は六年生になって「学校は違っても××町の子供だから!」と言ってHを子供会に勧誘した。 Hの親父さんが俺の家まで礼を言いに来た。 祭りやキャンプ、Hはすっかり俺達の仲間だった。夏休みの地区対抗のソフトボール大会はHの活躍で優勝した。
二学期が終わり子供会のクリスマスパーティーや餅つき大会にもHは普通にやってきた。 が、Hは元々××町に血縁が居る訳でもなく、親父さんは転勤族だ。 俺達六年生は卒業式を終えて少し早い春休み。Hと親父さんが俺の家に別れの挨拶にやってきた。 Hには母親はいなかった。親父さんの転勤には必ずついて行かなければならない。Hの親父さんは涙を流して「ありがとう。」と俺に言った。 転校は三回目。私立の小学校ばかりで地元の子供と友達になれたのは初めて。 Hも泣いていた。「○ちゃん、ありがとう。○ちゃんが俺のコト呼んでくれた日、一生忘れないよ」 「おい、ちょっとまて!俺達は子供だぜ?友達だぜ?お礼なんて言うなよ!」
俺は子供会のお別れ会にHを呼んだ。本来は中学生になる俺達のお別れ会だ。 田舎だから転校していく奴なんか、ほとんどいない。六年生+H君のお別れ会が終わってHは新しい街へ、俺達は中学生になった。 それから三十年近くがたった。その間、Hのコトを思い出す回数は何回あったか? 俺は高校を出て地元の会社に就職。普通に働いて、普通に遊んで、結婚して、至って普通の生活をしてた。 そんな平凡な日常が勤務先の倒産によって破壊された。
失業保険を貰いながら必死に職を探した。 しかし、田舎には職はない。十を越える会社に面接を受けに行ったが、アラフォーには厳しかった。 ある日、近郊の大手製造業か期間社員を募集していた。採用人数は多いが年齢がどうか? 建前上は年齢制限はNGだが 実際は若い者が有利なのは明白だ。俺はダメ元で応募したら面接の通知がきた。 今までは、例の〜お祈りします。って結ばれる通知だった。
指定日に面接に行った俺を迎えてくれたのはHだった。 ドアを開け「○○です。よろしくお願いいたします」 「○ちゃんだろ?俺、H!昔××町に住んでたH!覚えてない」 さすがに当時のようにタメ口で返事は出来ない。 Hは他に二人いた面接官に「俺の恩人なんだ。内定でいいな!○ちゃん来週から来てよ。」 「ありがとうございます。一生懸命頑張ります。よろしくお願いいたします」 「○ちゃん。辞めてよ!Hさん!とか絶対に言うなよ!○ちゃんが俺にしてくれたコト忘れたコトないよ。また友達で居れるよね?」 Hの顔を潰す訳にいかない俺は一生懸命働いている。 H課長は正規登用に推薦してくれた。
Hは大学を出て、今の会社に就職したらしい。 会社を選ぶ時に ○県に事業所がある!コトが決め手だったと言っていた。 「○ちゃん?俺、××町に家建てようと思ってるんだ。今、会社の借り上げだから・・・」 俺に酒をつぎながらHは言った。 「本社採用だろ?総合職だろ?転勤は?」 酒をつぎ返し言った俺に、「俺さぁ、故郷ってないのな?××を故郷にしたいだよ。○ちゃん達とさぁ、遊んだトコをさぁ。」 「部長には成れんだろうし、転勤あっても子供置いておきたいし帰ってきたいんだ××町に。」 Hは再び××町民になり、仲間になった。
570 :
坂井輝久 ◆C6YlvmPsWE :2012/01/18(水) 09:31:46.41
いい話じゃねえか
あの子を救って欲しい。 あなたの事はあなたが救ってあげて欲しい。 俺に先生は言った。 登校拒否になるほどのいじめを受けた俺は奴を憎んでいた。 先生の言葉で翌週、学校に行き、奴に死にたい事を伝えた。すべてをぶちまけた。 俺は泣いた。 奴も泣いた。 先生は笑っていた。 奴は俺を信じてくれた。 やはり先生は笑っていた。 月日が経った。 今人間関係で悩んでいる。 天国の先生に恥じぬよう、俺はもう負けない。
>>571 最後の2行だけで充分だ。ありがとう。暖かい気持ちになれた。
573 :
大人になった名無しさん :2012/01/27(金) 00:10:24.18
>>572 自分の実話になります。
いじめる奴がいけないけど、僕のケースでは、細かいところで他を拒絶していたのがいじめのきっかけでした。
きっかけは僕が他の誘いを受け入れない態度を知らずに取っていたのが原因です。
前に踏み出すチャンスをくれた恩師への感謝を表現したくて書いてみました。
もし自分のようにいじめにあっている人がいたら、他のせいにせず自分にも原因があったことを、変えようとする勇気を持っていただきたい!
574 :
大人になった名無しさん :2012/01/30(月) 01:16:21.91
いじめの問題はデリケートで難しいよね
ユーカリの葉… 他校での体育会でちょっといろいろとあってね…。 もういっさい場違いだし、化粧しても多分無理だけど…
>>573 今度は最後の一行だけで充分だ。
不器用だけど一生懸命前向きに、真っ直ぐ生きていこうとしている姿勢が見て取れる。
清々しい気持ちになれた。ありがとう。
あげ
578 :
大人になった名無しさん :2012/03/08(木) 21:12:42.39
あげ
579 :
大人になった名無しさん :2012/03/08(木) 21:13:45.20
突然すみません おまいら良い恋しているか?
580 :
井上博士 :2012/03/08(木) 21:58:58.76
ウンコに恋してますwww
582 :
大人になった名無しさん :2012/03/22(木) 03:47:40.06
小学校から一緒に遊んでいた先輩の娘が、重い心臓の病気だとわかりアメリカでの 臓器移植が必要だと聞いた・・・。 当時、今の都知事も小さい子供の国内での臓器移植について記者会見で話題にするほど 有名な話だ。 俺たちは法外な手術の費用に面喰いながら、仲間に声をかけて募金活動を始めた。 募金箱を持って駅前にたつと、「私の知り合いに、同じ病気で子供を死なせた仲間がいる、がんばれ!」 と言って財布から1万円入れてくれたおじいさんがいた。 ちょっとヤンキー風な兄ちゃんが照れくさそうにポケットに入ってた小銭を入れてくれた。 こぎれいな格好した人たちにはあんまり届かないのか、見向きもされない・・・。 しばらくして、二人とも保育園くらいの小さな姉弟が俺の前に来た。 見ると、おねえちゃんは1000円を握っている弟の手をつかみ、募金箱に入れさせようとしている。 一言どうぞ使ってくださいな!って言ってた。 かがみながら箱を前に出してありがとうと受け取った。 姿勢を元に戻してその先に視線を向けると、満面の笑みで子供を見ている母親の姿があった・・・。 失礼だとは思うが、おそらく余裕のある暮らしをしているような雰囲気ではなさそうな 親子だった。 二人が母親のもとに近づいていくと、母親はしゃがみこんで二人の頭を撫でて よかったねとうなずいている。 この瞬間から、駅前で号泣しました・・・。 子供の手術も成功して、もう6年たちました。 あの親子の思いも無駄にはならなかった。 俺は、困った人が目の前にいたら目をそらさないと誓った日でした。
>>582 まったく泣けないうえに、ツマらないとさえ思えてしまうのはなぜだろう。
実際はどうあれ、文章から「所詮他人事」的な雰囲気が感じられるからか。
募金者に対しての感情も、他人事であるが故の傲慢さが見え隠れしてて不愉快でしかない。
文章は下手でもいいから
>>571 みたいなのがまた読みたいな。
書いてあることはなんだかよく分かんないけど、伝えたいことはしっかり胸に響いてくるようなのを。
584 :
大人になった名無しさん :2012/03/23(金) 02:23:45.91
>>583 傲慢ですか?
やらないよりはましだろ?
これで、あんた自身なんもやったことなければもっと傲慢だよね?
そうではないことをいのるけど・・・。
溺れた人がいたら真っ先に飛び込む、腹を空かした人がいたらパンをあげる。
余裕がある人間が当たり前のようにやる。
あなたにはつまらんかもしれないが、自己満足でもいいじゃないか。
そんな馬鹿な俺を見て、周りの人間に気持ちが伝わって、小さな活動が大きな活動に
変わってみんなが幸せになるかもしれないんだぜ?
昔、溺れた高校生を飛び込んで助けたことあるけど、何百人といるなかで飛び込んだのは
俺と知らない子供が二人だよ。
助けた後、疲れて砂浜に横になってたら聞こえてくるんだよ・・・。
俺ならこう助けたぜ!とか下手なことして自分が死んだらどうすんのかね?
とか言ってんだよね。
やりもしないやつが、そんなこと言ったらだめだよね。
そんなこと思い出したね。
まあ、泣ける話じゃないが、傲慢と書かれて俺が泣けてきたよ。
585 :
大人になった名無しさん :2012/03/23(金) 16:19:03.14
>これで、あんた自身なんもやったことなければもっと傲慢だよね? >そうではないことをいのるけど・・・。 これは書かない方が良かったかもね
586 :
大人になった名無しさん :2012/03/23(金) 20:25:43.01
ウノにしましょう
そこまで昔でもないけどさ 彼女なんて一生出来ねえと思っていた俺が、奇跡的に結婚して子供が産まれた。 とにかく少しでも稼ごうと思って一生懸命働いてたら知らない内に嫁さんと溝が深まってたんだ。 当時の俺からしたら嫁さんと子供が大事だから躍起になって働いてたわけだし 「少しは家にいたらっ!」なんて言葉、素直に家にいて欲しいって言えよ、寂しいってい言えよ 女って勝手だなぁぐらいにしか思ってなかった。 その日の朝も出勤前に玄関で口論して、泣きわめく子供見ながらなんだか嫌になってポスト見てたの そしたらなにか入ってる様子だったから内側から取り出し口の扉を開けてみた。 なんにも書いてない無地の封筒。普段、新聞も取ってないから俺も嫁さんもポストなんか確認しない。 いつから入っていたのか分からず裏を返すと「出産祝いです」とだけ書いてある。 中を見るとクシャクシャの千円札が5枚と、5千円札が1枚で計一万円が入っていた。
誰が入れたかはすぐに分かった。他の知り合いからは出産祝いなんかとっくにもらっていたし、 直接連絡してこずにこんなやり方する奴なんか一人しかいなかった。 変わった奴でかなり仕事出来るくせに高卒で就職した会社を3年ほどで辞めた後は定職につかず ふらふらと至る所でフリーターしてる俺のツレだ。 嫁さんもそいつのことは知ってて彼女時代から何回も一緒に遊んだし、結婚してからも 新婚時代は家に呼んで一緒に鍋囲んだりしてたが久しく連絡もしてなかった。 嫁さんも封筒入れたのがそいつだって気付いたらしく、急に泣き出して座り込んでしまった。 俺がこんなんだから人が離れて行くんだ! だからあの人も直接尋ねてくれなかったんだ! って。 俺はまだ独身だったツレが変に気を使ってくれただけだろうと思って改めて封筒除いてたら 底に百円玉が1枚と十円玉が2枚入ってることに気付いた。 多分、缶コーヒー代を別に入れてくれてたんだろう。1万円は祝儀だから家の金になる。 でも120円ぐらいなら俺の小遣いとして嫁さんも認めてくれるだろうと粋な計らいをしてくれたんだと思った。
「アイツ、昔から変なとこだけ気が回る奴でさー」そんなことを嫁に言いながら 俺はこうして祝ってくれる奴がいるんだから喧嘩止めようなんてその場を収めようとした。が、嫁は怒り始めた。 「バカじゃないの! アンタ!?」 俺はわけが分からず黙っていると「なんで五千円と千円なのか分からないの!?」とさらに泣き出した。 そう言えばおかしな祝儀だなぁと思って改めて封筒を見つめる。 「あぁ、まぁ普通、一万円札だよなぁ・・・しかもクシャクシャだし」 「コーヒー代まで入れてくれる人がそんなおかしなお金の入れ方するわけないじゃん!! アンタが千円札5枚、私に黙って自分の財布に入れても気付かないからでしょ!!」 そんなんだから人の気持ちに気付かないんだと散々罵倒されてとりあえず出社した俺は鬱になった。 そこでようやく気付いた。俺が独身時代、寂しくなかったのはアイツがいてくれて 彼女が出来て結婚してから寂しくなかったのは嫁さんがいてくれたからだ、と。 懐に入った金を好きなだけ使って、アイツと飯を食いに行ったころを思い出して泣いた。 独身時代金がなければ母ちゃんが作ってくれた飯を食った。 パチンコで負けた時はアイツが奢ってくれた。 結婚してからは嫁さんが作ってくれた飯を食っている。 小遣いがなくなったころにアイツが缶コーヒーを奢ってくれた。
591 :
大人になった名無しさん :2012/04/13(金) 22:32:57.62
難しい
592 :
坂井輝久 ◆C6YlvmPsWE :2012/04/13(金) 23:25:49.15
>>590 別れてないよな?
別れたっていうオチはやめてくれよ。
593 :
大人になった名無しさん :2012/04/14(土) 00:33:31.03
>>590 続きは明け方ですかね。待ち遠しいです。
594 :
大人になった名無しさん :2012/04/14(土) 01:38:59.81
ここで一曲 井上博士は糞を喰う♪ ヘイヘイホー♪ヘイヘイホー♪
俺がコンビニでバイトしてた頃、五年くらい前の話だ。いつも父親と来る女の子がいたんだ。 今ブレイクしている子役の子達にも負けないくらい可愛い子だった。 店のおばさん連中もその親子が来るのを楽しみにしてたんだ。人懐っこい子で俺もお兄ちゃんって呼んでくれてた。 小学校に入って直ぐ、ちょうど今頃だった。女の子と父親はお別れにきた。 俺は時期が中途半端だったので訳ありだなと思った。 その年の夏休みだ、女の子と父親が店に来た。お兄ちゃんって嬉しそうに来てくれた。 だが女の子は明らかに健康には見えなかった。
>>595 の続き
その女の子は元々日本人離れの色白だったが、その日の白さは色白と言うより蒼白だった。
俺は何か病気なんだな?学校に通えないような病気だったんだな?と思った。
それから年月は流れ、俺は就職してバイトを辞めた。家は近くなのでコンビニには時々、客として顔をだしている。
おばさん連中は生き残っているが、あの親子を見た話は聞かなかった。
俺達はゲスな詮索をして悲しい話を聞きたくないこともあって、あの親子を記憶から消そうとしていた。
>>596 の続き
俺は三月に仕事を辞めた。どうしても我慢できない事が続いて、先輩と同期と三人で辞めた。所謂、ブラック企業ってヤツだったんだ。
三人はそれほど仲が良かった訳でもないが、先輩に「一度遊びに来い!」と誘われた。 先輩は九州の出身で独身だ。
俺と同期は断る理由も無く、二人で九州へ遊びに行った。先輩の実家は自然豊かなところだった。俺達は渓流釣りをしたり
夜は会社時代の話をして呑んだくれて過した。帰りに空港まで送ってもらう途中だった。 愛煙家の先輩が煙草を買うとコンビニに寄った。
>>597 の続き
立ち寄ったコンビニは、俺がバイトしていた店と同じだった。別に珍しくもなんともない、日本中にあるんだから。
ところが、車内にいた俺は目を疑った。 "エマちゃん?" エマちゃんと言うのはバイト時代、あの女の子におばさん連中が付けたあだ名だ。
由来は勿論、ハリー・ポッターからだが、通じるのは当時のバイト仲間だけだ。
俺は車を降りて店内に入ろうとする親子を追った。父親が俺に気が付いて"あっ!"と言う顔をした。
女の子も俺に気が付いて「コンビニのお兄ちゃん!」と駆け寄ってきた。 あれから何年も経っている、女の子は四年生くらいのはずだ、
しかし、身長は120pを越えたくらいで一年生か二年生くらいにしか見えなかった。
>>598 の続き
俺は先輩と同期に少し待ってもらい父親と話をした。詳しい病名は言わなかったが、病気で入退院を繰り返していたこと。
母親の実家がこっちだと言うこと、そして何より、すっかり健康になったことを聞いた。
俺は親子の写メと俺と女の子の写メを撮った。別れ際に「もう少ししたら○○のおうちに帰るからね、また行くからね。私ね、高校生になったらコンビニでアルバイトしたいの!」と再会の約束をした。
帰って早速、おばさん連中に写メを見せた。泣いてるおばさんもいた。
そして俺はオーナーに、もう一度バイトさせてもらえないか?と話した。
オーナーは不動産に穀物商など手広くやっているオーナーだ、フランチャイズ店も幾つか持っている。
オーナーは"給料安いぞ!"と言って自分の会社に正規で雇ってくれた。
600 :
大人になった名無しさん :2012/04/27(金) 17:58:26.88
>>595-
>>599 泣けないまでも感動系の良い話であろう雰囲気は醸し出しているものの、ゆとり世代特有の
文章力でそれが台無しになっているのが残念だ。
挙げればキリがないが特に酷い、いや気になったのが
「今ブレイクしている子役の子達にも負けないくらい可愛い」
「おばさん連中は生き残っている」
という表現。もはや失笑を通り越し頭痛までしたほどだ。ケータイ小説や他の板ならいざ
知らず、ここはセピア板。
オジサンたちを感動の涙に沈めたければ今少しの修行が必要ではないかな。
無闇にハードルを上げる事は無かろう 玉石混合でいいではないか
602 :
大人になった名無しさん :2012/04/27(金) 21:53:10.51
600さんはハードルが斜め上なだけだと思う。 そんなおかしな文章表現ではないよ。 続きお願いします。
603 :
大人になった名無しさん :2012/04/28(土) 08:20:49.66
それを理解しようとする努力も必要では? 人生は死ぬまで修行の場です。 頭痛がするほどなら見ないほうがよろしいかと・・・。 修行が終わった大先輩に言ってもアレか・・・。
604 :
大人になった名無しさん :2012/04/28(土) 08:32:28.97
あんたも、今という現状を理解する努力が必要だ。 頭痛がする? 修行が足りんよ・・・。
新札が出たのに新札のデザインにケチを付けて、頑なに旧札を使い続けるタイプ
606 :
大人になった名無しさん :2012/04/30(月) 02:43:57.96
朝起きて。 ご飯食べて。 夜寝た・・・。
泣ける
で600様はどちらのエライ先生で?
子供の頃の話だ。同じ学校に外国人の子がいた。多くは近郊の自動車部品工場で働く親を持つ、南米系の子供だった。 そんな中に1人だけ、フィリピンの女の子がいた。日本に長くいるらしく日本語もペラペラだった。 結論から言うと、女の子の親はジャパ行きさんだったんだ。 夕方近くの公園に、マイクロバスが何台もきて、外国人の子供達の親が帰ってくる。同じ時間帯に女の子の母親は迎えのマイクロバスで出勤する。 俺の部屋からは公園が見える。夜、何の気なしに窓の外を見ると、女の子が地面に何か書いて1人で遊んでいた。
610 :
大人になった名無しさん :2012/06/08(金) 04:43:48.13
僕が高校生の時の話、ある女の子と付き合う事になった。 中学の頃から何度か女の子に告られることはあったけど、それまで一度も女の子と付き合ったことは無かった。 別に相手の女の子がタイプじゃないとか、興味が無いとかそう言う事じゃ無く、ただ怖かったから。 女の子を笑顔にさせる自信も無かったけど、一番の理由は自分の持っている病気でみっともない姿を見られる事が怖かった。 病名は癲癇(てんかん)。最近、世間を騒がせた例の病気。 僕は今まで自分の病気を他人に隠したりした事は無い………。 でも、発作が起こる時は少しの前兆。その直後、意識を失ってしまう。 たいてい目が覚めた時は、病院のベッドの上で色んな人に上から覗かれながら目が覚める。 口の中は軽い怪我をしていて鉄の味がする。全身は脱力状態でしばらくは立ち上がる事も出来ない。 そして、若干の放尿。発作が起きた場所や状況によって、体のどこかに打身や怪我をしている。 こんな姿、彼女になってくれた人に絶対見られたくなかった。 高校生の最後の年、ある女の子が僕の事を好きでいてくれてる事を知った。 多感な年頃って事もあり、何となく自分でもこのままじゃいけない。 学生の内に一度くらい女の子と付き合ってみたい。 そんな焦りに近い感情から、好きでも無いその女の子に告白をしました(卑怯者です)。 勿論、自分の持っている病気の事も打ち明けて、それでも構わないと言ってくれたので付き合う事になりました。 付き合い始めて3日目、彼女は僕の病気を調べて、ほぼ把握してくれていました。 まだネットも無い時代で、かなり大きな本屋にでも行かないと置いていない、ぶ厚い専門書くらいにしか病気の事が記されて無かった様な頃に。 何故…? なんで……?? どうやって調べた………??? 彼女の母親は、市内でも結構大きな病院の外科看護婦長さんでした。 母から専門書を借りて、教わりながら調べてきてくれていました。 付き合い始めてみると情が移ると言いますが、その通り、付き合う内に僕は彼女にぞっこん状態になっていきました。 進学の年です。彼女も僕も進学をどうするか考え、よく話し合っていました。 僕は、ほぼ決まっていたのですが、彼女は少しの間悩んでいました。 僕の為に、看護婦になる道を選択したいと考えてくれていたようでした。 しかし、彼女の母親が看護婦で大変な仕事である事を知っていて、今まで母と同じ道を選びたくは無いと常々考えていた為、悩んでいました。 でも、悩んでいたのも束の間。看護婦の道を決断してくれました。こんな僕の為に…。 僕はデザイナーになるべく専門学校へ。彼女は看護学校へ進学が決まり。程なくして自然消滅的に分かれてしまいましたが、 その後も時々、連絡を取り合っています。 今では彼女も立派な看護婦さんとなっています。勿論、僕もデザイナーとして日夜頑張る日々を送っています。 高校生の頃の淡い淡い思い出です。
>>609 の続きだが、俺がフィリピンの女の子に気が付いたのは丁度、今頃の季節だった。
雨が降っていても、女の子は公園にいた。窓の外を見ている俺に姉が何を見てる?と聞いてきた。
俺は毎晩公園にいる女の子を指した。 姉は1人ぼっちで可哀想と言い2人で公園に行った。女の子は姉に話し掛けられて母親を待っていると言った。
母親は夜中まで帰らない。1人で家にいるのが嫌で、いつも眠たくなるまで公園にいると行ってた。 姉が家にと誘ったが、女の子は首を横に振った。
それから女の子は学校でも話しかけたり、手を振ったりしてくるようになった。俺は友達に冷やかされたが、姉の知り合いだと言った。
俺達姉弟だけではなく近所の子供とも公園で主にミニバスをして遊ぶようになった。
ミニバスをしていると、1人また1人と家に帰る。人数が少なくなると女の子は寂しそうな顔をした。
613 :
大人になった名無しさん :2013/07/28(日) NY:AN:NY.AN
上げ
最近2chまとめを読むのが趣味になりかけてきたのと先日亡くなった兄の命日でまたちょっと思い出したので記念カキコ 自分の家庭は両親と兄二人自分(末娘)の家族構成5人だった 上の兄二人は自分よりも歳が離れすぎていて感覚的には上に兄弟いるけども一人っ子的な感じだった(長男と次男が1歳差、次男とは9歳差離れている) 自分が物心ついた時には二人とも中学生で思春期真っ盛りだったせいか一緒に仲良く遊んだ思い出はほとんどと言ってもいいぐらいなかった あっても冬に昔(幼稚園ぐらいの頃)住んでた公住の近くに除雪した雪でちょっと遊べる滑り台作ってみたり、玄関先に大きなかまくら作ってそこに閉じ込められたってことぐらい (このことは凄い忘れられなくて今でも覚えてますwたまに母と話をすると兄二人は忘れて遊びに行ってしまい母が気付くまで自分一人かまくらの中で泣いてたそうw) 小学校に入って1年の後半辺りからちょっとからかわれるなどの軽いいじめが始まった(本格的にいじめだと感じるようになったのは2年生頃らへん) 急激には変貌しなかったもののゆっくりと悪化し続け5、6年になる頃には自分の給食をいたずらされたり病原菌扱いされたり女子からは悪口男子からは殴る蹴るが当たり前だった 小2ぐらいだった頃に長男は既に家を飛び出してて地元にはいなかった 両親は共働き、次男は近くにある高校(歩いて3分ぐらい)の友達と家でちょい問題起こしたけど 地元の土建関係の会社に就職していた 自分が学校に行く頃には家には誰も居ない状態 自分はそんなこともあって両親が居ない時はいじめが辛くて学校に行きたくなくて無断欠席をするようになってしまった(親休みの時は学校行きたくないと駄々こねても渋々行かざるをえなかったけども) そんなこんなあって中学高校と進学したけどもいじめの連鎖は消えず結局高校卒業するまで続いていたがそこんとこは割愛させていただきます
615 :
614 :2013/08/29(木) NY:AN:NY.AN
長男はたまーに『お宅の息子に金使われた、慰謝料払え』っていう女性からの脅し?のハガキが来てたけどもかなり年上の奥さん(子連れ)貰って更に自分の子供が生まれ 次男は自分が高校生の頃に付き合ってた彼女(こちらも年上)と結婚した 次男夫妻は1度流産してしまったものの男の子が一人生まれた その甥っ子が生まれて間もない頃次男が倒れて入院した・・・病名はリンパからくる白血病とのこと (こないだお墓参りに行った時母と話していたら今年の24時間テレビのドラマが次男とほとんど状況似ていたらしくなんで(次男の)命日に見なくちゃいかんのだと愚痴ってましたが) その兄も闘病虚しく甥っ子が3歳になる年に次男は天国に旅立って行ってしまいました そして兄の仮通夜、通夜、葬式と流れていきその中で弔問された方で高校卒業後に同じ職場で働いてた方とお話する機会がありました 相手『もしかして次男君の妹さん?』 自分「え、ええ・・・はい、そうですけど」 相手『おっきくなったねぇ〜』 自分「???」 親族や兄の親しい人達が話しているのを聞いてると急にそういう風に聞かれたので最初は何かと思いましたが話を聞いてみると通学路が兄達の仕事で通る道だったそうで ランドセル背負ってた頃、自分がとぼとぼ帰宅する姿を見て凄く心配してたという話をしみじみと聞かされてその頃の辛かった記憶が蘇ったのと兄が亡くなってしまった悲しさに人目も憚らず号泣してしまいました 生前は両親は共働きだった為ほとんどほったらかしでしたがその話を聞いて陰ながらも次男が見守っていてくれてたこと、ずっと孤立してたので誰も味方がいないと思っていた自分をずっと心配してくれていたことに それを知ってから暫くは兄を思い出す度に涙がこぼれて辛かったです 来年、甥っ子が中学生になります 父親がいないことを理由にいじめられることも少なくなかったと思います・・・がそれでも素直で真っ直ぐな子に育って良かったなと思います 稚拙で読みにくくてすみませんでした(´・ω・`)
プレステ2をずいぶん前に買って、おとーさんとドラクエ、FFで遊んでた。 お父さんは数年前に他界。 今でもゲーム機の中で生き続ける「パパゴン」退院したらまた遊ぼうって 約束したのにな。辛いわ。此処でしか会えないなんて。
>>616 いいね。
だらだらと説明くさいだけのレスが多かったが、久々に泣ける話に出会えたよ。
ありがとう。
619 :
大人になった名無しさん :2013/11/29(金) 21:12:57.55
620 :
大人になった名無しさん :2014/09/07(日) 11:55:38.09
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621 :
大人になった名無しさん :2014/12/02(火) 21:37:01.43
上げ
622 :
大人になった名無しさん :
2014/12/03(水) 01:14:36.02 俺も上げとくわ