子供の頃から『肉に挟まれる』のが好きだった。
親戚のおばさんやおねーさんにじゃれついて、ハグされたり足でカニ挟み
されるのが大好きだった。
小5の頃、親父が単身赴任で3年間家を空けることになった。
小6の頃、まだ精通は無かったのだが、何故かひどくムラムラする時があって、
そんな時は、ダメだと思いつつも母親と一緒に寝かせてもらい、寝入った頃に
母親のふとももにしがみついて寝るようになった。
普段の母は宗教狂いで、ひどく厳しい人だったが、その時だけは何故か嫌がらずに
俺のしたいようにさせてくれた。
味をしめた俺の行動は次第に大胆なものになっていき、最終的には母親の股の間に
自分の身体を差し入れ、ちょうど肩車するような形で両のふとももに抱きしめられる
ような態勢にまでなった。
母はネグリジェ派で、いつでもすべすべした肌と吸い付くような甘美な圧迫感を
甘受する事が出来た。
そんなことをされて当然母が寝ている訳が無い。「何バカなことやってるの」と
いつもたしなめられたが、その声に昼間の厳格さは無かった。
「ごめんなさい」といつも謝ったが、この甘美な感触を手放す気は毛頭無かった。
俺の後頭部には母の股間があったが、不思議と下着の下には全く興味が無かった。
その中に女性器がある事は知識としては知っていたが、そこに素晴らしい快楽が
潜んでいることなど全く知らなかったし、勃起はしていたがそれを使って快楽を得る
方法も知らなかった。
ただひたすらに、母のやわらかさと熱を感じていたかった。
そのやわらかさが、普段は畏怖の対象であった母が示してくれる唯一の愛情のように
感じられたからだ。
自分が熱いドロドロとしたスープの中に溶け込んでゆくような、奇妙で心地よい
感覚に包まれながら、俺は夢の世界へと落ちていった…。
そんな生活も、親父の単身赴任が終わって帰ってきたのを境に終わりを告げた。
人より遅い精通が来たのもその頃だ。
思えばあれは、俺の人生で一番最後に許された『甘え』だったと思う。
今では結婚もして息子もいる身だが、年上好み、ふともも好きは未だに変わってない。