先週、親友が死にました。
小学時代は、俺も彼も裕福とはいえない家庭だったので
ファミコンも家に無く、平日は学童保育所に預けられていた。
鉄ゴマの技を競ったり、模様が剥がれて砂色になった
サッカーボールを蹴ったりして終日あそんでいた。
学校でミニ四駆が流行ったときも、2人とも本体は持ってたけど
カスタムパーツを買うこともできず、
ダンボールで組み立てたコースや滑り台走らせてたっけ。
中学時代、俺はタバコやらカツアゲやらが横行する学校についていけず不登校になった。
新聞配達をしてお金を貰えるようになり、スト2と読書に没頭した。引きこもりだ。
彼はサッカー部で頑張って部長になり、県大会出場までチームを引っ張っていってた。
それでも彼は暇が出来ては遊びに来てくれ、その時だけは俺も外で遊んだ。
高校は、俺は業者テストの偏差値さえあれば単願受験できる私学になんとか合格し
彼はスポーツ推薦で市立に入った。
高校を卒業し、彼は福祉の仕事がしたいとろうあ教育の教員になるべく北海道の大学へ進学した。
しかし在学中に父を亡くし、一人になってしまった母のためにやむなく中退して、彼は戻ってきた。
そして彼は、昼は俺と彼が通っていた学童保育所(児童館になっていたが)で
ほぼボランティアのような給料で働き、夜はガソリンスタンドで遅くまでバイトしていた。
そして夏休みに入ったばかりの先週、学童のキャンプで川に流され、帰らぬ人となりました。
急遽戻ってきた児童たちは全員泣いてました。
半ば呆然とするなか、俺にすごい良くしてくれたおばさんのためにも葬儀の手伝いをする中
俺の母が、1枚のはがきをもってきました。
2005.夏 長瀞にてー
彼がキャンプから俺に宛てた絵はがきだった。
「涼しくてサイコー」
彼が俺にくれた最後のメッセージ