――昔、ぼくが住んでいた家――

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1大人になった名無しさん
先日、十数年ぶりに私が子供の頃住んでいた家に立ち寄る機会があった。

見知った町並みは、わずかに変化していたものの、
記憶の中のそれと大きく変わる事は無く、
別段迷う事も無く、私は進んだ。

その場所に近づくにつれ、足は自然とその歩みを速める。

最後の角を曲がり、あの小路へと入った。

そこには、見知らぬ小奇麗な家があり、
中から、楽しげな笑い声が静かに漏れ聞こえていた。
2大人になった名無しさん:03/10/16 12:02
俺が昔住んでた家は藁葺き屋根のボロ屋だった。
4大人になった名無しさん:03/10/16 13:10
(´・ω・`)ションボリなスレですね
5くりう ◆kuriu7uP3. :03/10/16 13:53
奥の細道・冒頭の句ってなんだったけ?
6大人になった名無しさん:03/10/16 13:56
百代の
7ヘロ:03/10/18 11:48
小学校から帰るときは一番安全な普通の道を通って帰ってきなさいと言われていた。
けどやっぱり好奇心旺盛な時期だったので、色んな道を通って帰ってた。

玄関を入るとおばあちゃんが仁王立ち。
うおーこえぇ〜と思いつつ、普通の道かえって来ましたとう嘘をつく。
でも嘘だと見抜かれて怒られてた。

違う道から帰るときは決まっておばあちゃんが玄関で仁王立ちしてた。
なんでわかるんだーって、エスパー扱いしてたなー。

今でもいけないことをしたとき
玄関開けるとおばあちゃんが仁王立ちしてそうで怖くなる。
一人暮らしだからそんなわけはないんだけど。

明日帰ったら
玄関に立って待っといてくれないかな。
そして思いっきり叱ってくれないかな。あーなつかしい。早く帰りたいなー。
8大人になった名無しさん:03/10/18 12:17
親友が引っ越した後、彼の住んでいた家が外装そのままで焼肉屋になった時は複雑な気持ちになった。(´・ω・`)
9大人になった名無しさん:03/10/18 12:35
私が6歳の頃に祖父が破産し、大きな家を出された。
今はどこかの会社の寮かゲストハウスのようなものになっているそうだ。
3年ほど前に偶然そこを通りかかった。
記憶にあるよりも庭の木々が大きくなっていて、歳月を感じた。
10大人になった名無しさん:03/10/18 14:02
僕の生まれた家は。。。解体されて今はもうない
次に住んだ家は。。。。やはり解体されて今はない
今住んでいる家は。。。ある意味家庭が解体されている

つらい
>>10
元気出せ
オイラが消防の頃は日〇の社宅住まい
転勤で越してからもう30年以上経つ
日〇の座間工場閉鎖であの社宅もどうなったのやら・・・
社宅の裏の林には防空壕があった
奥には日大の乗馬クラブがあった
どうなったんかなぁ・・・
公団住宅ですた
14大人になった名無しさん:03/10/20 03:59
大阪市の南のほう、四つ橋線沿線の、戦前からの小さな商店街に家があった
親の転勤で3歳で海外に引っ越し、6歳の夏戻ってきて、その1ヵ月後に新しい家を買い
二度と戻らなかった
1ヶ月の間だけ、その町の小学校に通った
給食も制服もない日本人学校から大阪の小学校。カルチャーショックだった

商店街は長く大きく、風呂屋、本屋、米屋、みんな知り合いだった
しょっちゅうどこかのおばさんと話をしてた
向かいのクリーニング屋の上級生と野球をした
給食の食べ方を教えてくれた女の子の家に誘われた。文化住宅だった。近くの公園へ自転車で遊びに行った
家は祖母が経営する下着屋で、薄暗い店内にガラスケースが並んでいた
お客さんが来たところは覚えていない
二階にはおばの一家が住み母とは仲が悪かった

祖母はその後も店のある家に残っていたが、2年後手放してうちに越してきた
あの町に戻る機会はもうなかった

最近、用事で近くに行き、時間があったので発作的にその町に行った
2時間で来れたのに、20年間一度も来なかった
商店街はまだあったが、驚くほど道が狭かった。小さい頃だったので大通りだと思ってた
まだやってる店は少し。どこも古ぼけていて暗く、客も人通りも子供の声もなかった
いくつかの家は建て変わり、真新しいマンションに変わってしまっていた
むかしの家の場所には店はなかった。築10年くらいの普通の家が2軒建っていた。
みんなどこに行ってしまったのか、と思った
15大人になった名無しさん:03/10/20 04:03
3歳まで住んだアパートの1階部分は893が経営するスナックだった。
おやじさんの腕には派手な入れ墨があった。
錆びた階段の黒い手すりと、おやじの墨が記憶にうっすら残ってる。
いつも一人で庭の月山に登ったりしていた。
砂利がいっぱいあって、飛び石をはねてとんだ。
17セコイヤ ◆/HPxgo5b4o :03/10/20 08:31
。・゚・(ノД`)・゚・。何か「思い出に残る食事」スレみたいな予感・・・
18ずぶり:03/10/20 22:58
四国の外れに住んでいた。
かやぶき屋根の平屋。土間あり,練炭コンロあり,農具小屋あり…
ぽっとん便所だったっけ。風呂はもちろん薪で焚いた。

敷地は100坪ほど。ど田舎だったので恐ろしく安かったらしい。
農具小屋では近所のおばあさんが首つって死んでたなんてホラー話あり。

庭にはヤマモモ,グミ,金柑に枇杷。真っ赤なグミ,甘ーい枇杷,取りまくって
ジャムにしてもらったヤマモモ(サイコーにウマい)…
すぐ裏は山。山中駆け回り,どんぐりを拾い,椎の実は炒っておやつに,
そういや栗も取った。なんだか何でもあったような気がする。

つい先日,親父が旅行がてら見てきたらしい。家は朽ち果てて押しつぶされ,
庭も荒れ放題…
話を聞いていたら涙があふれてきた。
思い出とともに山に帰ったらしい。
19大人になった名無しさん:03/10/21 18:14
近所の畑のあぜ道の突き当たりにはえてたグミとクワの実は
木に登ってよく食べたなあ。
柿の木は折れやすいから登なって親によく言われた。
祖父母の家を改築した時に枇杷の木を3本切り倒してしまって惜しいと思った。
20大人になった名無しさん:03/10/23 03:54
大好きだった公園、新しくなって見る影なくなってた・・・・。
21大人になった名無しさん:03/10/26 23:21
教師の両親と、教職員住宅に住んでいた。いくつかの棟が立ち並ぶ団地だった。
そこで隣に住んでいた老教師の夫婦が面倒を見てくれて、遊びに行くと妹と俺に
すいかを切ってくれた。
はじめて女の子と手をつないで帰ったりチューされたり女同士のグループ間の抗争w
に巻き込まれたのもその団地。
親の転任で引っ越して以来行ってないが、現在そこは閉鎖され、住人のいない住宅が
廃墟となって取り壊しもされないまま丘の上に朽ちた姿を晒してるらしい。
元住人としてはなんとも切ない・・・。
22大人になった名無しさん:03/10/26 23:28
アパートやってた。ウチが管理人室だったから4部屋、他は2部屋×5室
20年近くやってたが取り壊して新しい家を建てた。

ショベルで壊す日は見に行けなかった、、、
23大人になった名無しさん:03/10/28 18:43
生まれてから4歳まで住んでいた家に行ってみたとき(これもかなり昔だが)
周囲には色々と新しい建物ができており、家の敷地は荒れ放題で草ボーボー、あばら家みたいになっていた
なんか寂しかった。あの頃よく一緒に遊んでいた子達はいまどうしているだろう?
24大人になった名無しさん:03/10/28 23:29
もう無いだろうなー、幼稚園の頃住んでた若竹荘。
ふた部屋借りて隣は祖父母が住んでた。
あの頃遊んでくれたお兄さんどうしたかな。
晴れた日は二階の通路から小さな富士山が見えるのが嬉しかったなー
小6まで親子6人で住んでた4K風呂無しの借家
自分が小4位までは台所が土間で蛇が出てた
汲み取り便所の間口が大きすぎて危ないからと
お袋がついてきてた そんなほろ苦い思い出の建物も
数年前に解体され今は駐車場に 先日通りがかった時
仕切られた白線で車4台分程しかなかったんだと分かり
涙が出そうになった。
26大人になった名無しさん:03/11/07 00:03
今から20年前、小6のとき、一家で夜逃げをして西日本を転々とした。
夜逃げする前に住んでいた、神戸のニュータウンにあった一戸建ての家を思い出すと
泣けてくる。好きだった本もピアノも植木や旅行先のお土産のグラスも、友達も
全部おいてきた。
>>26 つらいね・・・。

小3まで過ごした大阪の下町を最近見に行きました。
渡ったらいけない!と言われたロータリーを通って
『ゼッタイにみつからない』と自慢だったかくれんぼの公園へ。
・・・なんだよ。大人の目線でまるみえじゃん。

探すふりしてくれてありがとう。母さん。
28大人になった名無しさん:03/11/16 02:00
最近、昔住んでたマンションの近くで働くようになったので、会社の行き帰りに
よく我が家のあった部屋を探します。
しかし街も変わったもんだな。10年ほど見ないうちにマンションや駐車場だらけで
セピアな思ひ出を灰色の日常で上書きする毎日です。
ガキの頃横浜のはずれに住んでいた 
国道246号線沿いのしょぼいマンション 賃貸だったのでマンションの住人はウチも含めてほぼ地方出身者
北海道から九州まで
色んな人が住んでたなー たまたま親同士の出身地が同じで俺と学年が同じだったヤツがいてそいつとよく遊んだっけな、アイツ元気かな
部屋がまたすげー狭いの何の リビングに二人分の学習机  しかも台所にトイレがあって親父が気張ってる
音を聞きながら朝飯を喰らう毎日、夜寝るときは家族で雑魚寝 家にベットのあるヤツがうらやましかった。
 ウチの上空を爆音で飛んでく厚木基地の米軍機、近所に
墜落したこともあったとか、ベランダの外に広がる無機質な社宅群、どこかの家のピアノの音、西側の窓からみた大きな夕焼け 天気のいい日は 
富士山も見えた。 エアコンもない熱帯夜 窓全開で家族で川の字になって寝たあの日の自動車の騒音と排気ガスの鼻をツンとさす匂い・・・・
親父の転勤で引っ越して随分経ったが今は一体どうなってることやら。
おれは厨房のころ、ばあちゃんちに居候してた。家庭の事情ってやつ。
昼間でも薄暗かったけど、でもどこか懐かしい感じのすごく良い家だった。
夏は冷たい廊下が気持ち良かった。
おれがいた部屋は2階の一番奥でほんとに狭かったけど当時の夢で一杯の部屋だった。
もう今はない。
更地になったのを見るのが辛くて一度も行ったことはなかった。
今はどうなってるんだろうな。
あの頃が一番楽しかったな。
女の子が柔らかくてすぐ泣いちゃうのを知ったのも
煙草を吸い始めたのも、みーんなあの頃のことだ。
たった一人で夕方のテレビ見たりして寂しかったけど懐かしいな。
たまには墓参りに帰ろうかな。
そう思ってまた1年とか過ぎちゃうんだろうな。
劇的リフォームを見てると、
何だか無性に腹が立ってくる。

不便な家は、そこに文化を産む。思い出を産む。

起伏のない家には、物語は生まれないし、
光だらけの家では、感情を育まない。
32大人になった名無しさん:03/11/23 00:10
↑それよかあの予算でこんな改築できるわけねーだろと小一時間
33大人になった名無しさん:03/11/23 01:20
嫁姑問題で一時期団地に住んでたことがあった。
小さい頃の事なので良く覚えてはいないんだけど、
狭い一間に家族4人で住んでたっけ。

結局実家に戻ったけど、
母ちゃん、何度も俺を連れて家出しようとしたっけ。
でも、今ではちゃんと仏壇に手を合わせてる母ちゃんは偉いと思う。
34大人になった名無しさん:03/11/23 01:43
埼玉の北のほうに10年間住んでいた。転校するとき「手紙送るからな」
と言いあった友人たちとも疎遠になり、ついに11年が過ぎた。東京の
大学に入った自分は、ついにこの間、意を決してかつての友人たちと会っ
てみようと決めた。

その町並みは11年を経ても、ほとんど変わってはいなかった。変わった
のは自分の感覚だった。「こんな狭い町が自分の全世界だったのか」とい
う驚きが胸に去来した。そして、友人の家が、あった。逡巡した後に呼び鈴
を押してみる。友人が出てきた。「‥‥」一瞬のうちに、誰が来たかを理解
してくれた。その友人が別の友人を呼び、何人もが再会を祝ってくれた。
こんな経験ができる自分は本当に幸運なのだと思う。
>こんな狭い町が自分の全世界だったのか
非常によく解る…
36KAMON  ◆9awzJSYC0I :03/11/29 02:14
電車の窓から 見える赤い屋根は
小さい頃僕が 住んでたあの家
庭に埋めた柿の種 大きくなったかな
クレヨンの落書きは まだ壁にあるかな
今はどんな人が 住んでるあの家

背伸びしてみても ある日赤い屋根は
隠れてしまったよ ビルの裏側に
いつかいつか僕だって 大人になるけど
秘密だった近道 原っぱはあるかな
ずっと心の中 赤い屋根の家


NHK教育の「ふえはうたう」内の歌「赤い屋根の家」です。
何かこのスレの雰囲気にぴったりだったので。


最初は、小さなオフィスビルの最上階に住んでいたのですが、
引っ越したあと、ある日突然どピンクに塗られていてびっくりしたことがありました。
3階のおばちゃん元気かなー。
3734:03/12/03 05:44
そして今、はるかに広い世界を知ったはずの自分も、
相変わらず小さなことで悩んでいる‥飛躍のときは
いつ来るだろうか。
38大人になった名無しさん:03/12/03 15:38
幼稚園まで住んでた家、取り壊して林になったと思ってたのだが
久々に見に行ったら土台と玄関がまだ残っていた。
雑草の中に、見覚えのあるタイルの風呂桶もあった。
敷地がすごく小さく感じた。
39道楽民 ◆VUkSYQWLx2 :03/12/03 20:18
階段上りきったところの横手に屋根裏みたい空間があって真っ暗だった(けっこう奥行きありそう)
10年近く住んでいたけど怖くてそこに入っていったことがないなー
よくかくれんぼとか家の中でやってたけど、ふとんが入った押入れの中ばっかに隠れてた
40大人になった名無しさん:03/12/03 23:16
炭坑の住宅、炭住で育った。東北の炭坑の町。
小4の時、閉山。一気に人が減った。
貧乏ってわからなかったが、外へ出てうちのレベルが痛いほどわかった。
本当に小さな家だった。そこに家族6人、じいさんの入院費用が払えなくて
親戚に借金、借金を返すのがやっとの生活で父親も母親も必死だったのだろう。
わたしは子供の時の記憶がどうしても思い出せない。思い出したくないらしい。
家族で旅行とか楽しかったことなど何もなかった。どん底の生活だった。
でも、必死 生きるのに必死 脱出するのに必死だった。
去年の秋に親父、今年の夏に母親を送った。
独りになっちまったなぁ と感じた。
炭住跡地に行った。
ただ、草が茂る空き地が広がっていた。
生活に追われていた親父とお袋に涙が止まらなかった。
 
41大人になった名無しさん:03/12/06 12:28
切ないスレだね…  (´・ω・`)ショボーン…
ボロいアパートに住んでました。
床の畳はふわふわ、台所はコンクリート、狭い部屋に親子4人で一杯一杯。

でもあの頃のほうが心が裕福だった。
43大人になった名無しさん:03/12/06 16:40
六畳一間。台所が二畳くらい。トイレはしゃがみ式。お風呂は銭湯へ。
親子3人暮らし。
今、一人で暮らしいてるアパートも六畳一間だけど、
あの頃は今より、部屋が広く感じたものだった。
>>42
> でもあの頃のほうが心が裕福だった。
ふーむ・・・
45大人になった名無しさん:03/12/07 15:28
川崎市多摩区の西三田団地って、30年前から変わってないよな。
今度、お正月に実家に帰った時、
昔住んでた所にも寄ってみようかな…。
8年くらい前にちょっと見に行ってみた時には、
周辺も既にボロボロに寂れてたけど。
47大人になった名無しさん:03/12/08 02:05
このスレのみんながうらやましいような、なんというか
うちは持ち家だがいろいろ事情があってねぇ
築後40年の家に住んでいた、同級生から「ぼろ、ぼろ」ってバカにされて泣いて帰ったこともあった
「なんでうちはぼろなんだ?」って両親に泣いて訴えてたこともあった
小学校5年のとき、家を改築した。土地の関係で古い家を少し壊した
その時の写真を見ると、死んだ爺さんがすっきりしたような、それでいてさびそうな顔をしていた
親父も寂しそうなそれでいて、嬉しそうな顔をしていた。子供の俺にはわからなかったが。
今思えば・・・
戦前は山を持ち、嫡男の爺さんは小学校も通わず商売を勉強し、大学出の弟に破産寸前まで追いつめられた爺さん
戦後、ばあちゃんが死んで自暴自棄になって心臓を壊した爺さんを助けるため、東京の大学を辞めて家を継いだ親父
2人のいろいろな想いがこめられた「ぼろ家」が壊される瞬間の写真だったんだって思う
その「ぼろ家」が壊れて13年。新築の家も12年目。
俺はこの家にどんな思い出を残すんだろうって思うと、ちょっと考え込むこのごろw
48大人になった名無しさん:03/12/08 02:14
2004年カレンダー、注文受付中。
http://www.tcn-catv.ne.jp/~diet/calendar.html
49大人になった名無しさん:03/12/10 00:28
親が転勤族だったため、いろんな所をあちこちと
思い出も出来たけど良い思いでは少ない・・・子供ながらに色々考えはあった
どうせまた引っ越しだろ?友達なんていらない!って・・・
一つ印象に残ってる場所、空き地のドラム缶は秘密の隠れ家。
親と喧嘩してそこに行くと同じくらいのトシの女の子が泣いてた。
同じ理由だった、一緒に泣いた・・・
あの子、どうしているだろうか・・
50大人になった名無しさん:03/12/13 14:42
おまいら、ここ見れ。
ttp://w3land.mlit.go.jp/cgi-bin/WebGIS2/WF_AirTop.cgi?DT=n&IT=p

マンションが建つ前、みんなで遊んだ空き地。
改築される前の小学校。
そして当時○歳の自分が中にいるであろう自宅。
みんなそのまんまここには残ってるぞ。

やべ、なんか涙が出てきた・・・。
51気付き@幸せ掴む:03/12/13 19:16
自分の人格を高めて「徳」を積まないで、富である金品のみを積もうなどと考えてはなりません。
肝心な徳を失っていては砂上の楼閣となった現象の富は、私たちの生活に豊かさと安心と幸福を
保証するように見えながら、実は様々な心労をもたらすものです。例えば、それは権力を保証する
ように見えながら何時しか嫉妬や羨望と勢力争いとを生じることになります。それは幸福を保証
するように見えながら不幸を招来し、永遠を約束しながら僅かな間にして消え去るのであります。
人格や品性が低く大きな器を得るだけの相応な「徳」の乏しい者が必要以上な「富」を獲得すると
き、富は彼を富ましめるよりも彼を破壊する方向に働くことになるものです。
様々な災難から逃れ幸せを掴むには、何時、如何なる場合も人格や品性、徳の高さが要求される。
この件に関する出典の説明があるHP↓に注目。参考にしよう。危機が近し心して暮らそう。
ttp://www.d7.dion.ne.jp/~tohmatsu/
↑NG指定しますた
53フサギコ:03/12/18 17:36
僕の生まれた家は。。。今日解体されました
54大人になった名無しさん:03/12/26 20:31
ここの30です。
よもぎ饅頭をコンビニで買ったらばあちゃんの家を思い出したんで書きます。
ばあちゃんの家はよもぎの香りだったことを思い出したんです。
それだけです。
懐かしいあの頃。何でだろう。
ひとりでさびしかったし、夕方暗くなってくると不安になったのに。
黄色い電球。高い天井。静かな家。夏の夕方にはセミが鳴いた。
55あぼーん:あぼーん
あぼーん
56大人になった名無しさん:03/12/29 01:57
昔は金持ちだったから立派な家に住んでたなぁ。。旅行も沢山したし、高級外車にも乗ってたっけ。でも、父親の会社が倒産して離婚。それからは母親とマンション住まいに。今も昔には無かった別の幸せはあるけどね。
57大人になった名無しさん:03/12/31 14:48
不況だ、なんだと言いながら、今の生活は物質的には豊かになったと思わん?
今の生活で昔に戻ったら結構裕福なほうだよな、なんて思う。
でも、心の豊かさはどうなんだろうね?
58大人になった名無しさん:03/12/31 17:31
築60年、土間あり七輪あり火鉢あり井戸あり雨漏りあり、
無論ボットン便所で、夜は鼠が走り回るわ開かずの間があるわ
絵に描いたボロ屋。周りの民家も戦前から建ってるような家ばかりだったが、
区画整理で今は一面まっさらな駐車場になった(しかもこさえたのにガラ空き)。
写真を撮らなかったことが悔やまれてならない。
59大人になった名無しさん:04/01/11 06:20
イイスレ賞を進呈しよう。cd−rにとっとこう。
60大人になった名無しさん:04/01/12 22:26
>>50
遅レスだが、ここを教えてくれてありがとう。
61大人になった名無しさん:04/01/14 12:06
引っ越して昔住んでいた家が取り壊されて以来すごく後悔しています。
何でもっと写真を撮っておかなかったのか。
最近毎日のようにそこを通り昔の良かった思い出を偲んでます。
どうやらペットロス症候群と同類の症状が出ているようです。
何かいい治療法でもないもんでしょうか。
>>61
愛欲に溺れる
5年に一度は引っ越している私だが、夢の中で帰るのはいつも同じ家。
1歳から12才まで住んだ一軒家で、近くに雑木林があった。
その中をつっきる小道は学校への近道だった。
グミや山桜の実を取って食べたりした楽しい思いでが沢山ある町だった。

今は雑木林はマンションが建ってて、家も新しいのに建て替わっているのに、
夢の中では大人になった今の自分が、あの小道を通ってあの家に帰る。
64大人になった名無しさん:04/01/14 15:07
   わたしもイイスレ賞を進呈

  読んで涙流したスレは初めて。
 気取らずに書いてる文章って 凄いね
>>50
漏れの実家のへんはいまのほうが空き地だらけだよ
66大人になった名無しさん:04/01/19 16:34
おととし、15年ぶりに幼稚園のころ住んでいたアパートを見に行った。
新幹線と特急で4時間、それだけのために。
駅からアパートまで、昔とは違い驚くほど近い。
通った幼稚園は、建物は残っているものの使われていないようだった。
そしてアパートは、取り壊しの工事が始まっていた。いちばん東端の、住んでいた部屋だけがまさにこれから取り壊されるために
残っていた。
前日に突然見に行こうと思いついたのだけれども、アパートが最後に呼んでいたのかな…と思った。
>>66
泣けるね・・・
68ふう:04/01/21 04:56
正月に弟が、兄さんこれ覚えてるかいと出してきたのは
船の舵のようなペンダントだ。
二人とも小学生だった頃、病弱だった母とお祭りの夜店で買って貰った物だ。
おれも、メッキが剥がれガラス玉も数箇所抜け落ちているが、捨てられずずっと持っている。

無くなった母と暮らした家は、無いかもしれないが風景だけでももう一度見たくなった。

近くの母とよく買いに来たパン屋。
いつも買うのは片隅の台に置いてある、茶色の紙袋に入った300円のを一袋だけ。
クリームパン、アンパン、ジャムパン全部中身が、はみだしていたりしている。
こげの強いメロンパン そんなハネ品ばかり一杯入っている。
「おかあさん、いろんなのが入ってる袋まだあったよ!」
ニコニコして持ってくる弟。

店を出て、おれ達に「お店の中で大きな声、出すんじゃないよ」
悲しそうに静かに話す母の言葉の意味が、おれにはなんとなくわかった。

母のいない]マス、二人の貯金箱をはたいて
イチゴが載ったショートケーキを、二つ買って ロウソクも二本つけて下さいって
言ったら、「これは]マスのプレゼントだよ」ってショートケーキより大きな、
板チョコもくれた店のおばさん。

その、パン屋さんも無くなってた、 一言お礼が言いたかった。
69大人になった名無しさん:04/01/21 13:05
>>50
いいサイトを教えてくれてありがとう

みんな、自分の家を上げてみない?
まあ他人のを見ても面白くないかもしれんが、意外と面白いかもしれないので。
とりあえず言い出しっぺが上げてみる。
ttp://w3land.mlit.go.jp/cgi-bin/WebGIS2/WC_AirPhoto.cgi?IT=p&DT=n&PFN=CSI-75-5&PCN=C3&IDX=3&PNO=1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17,18,19,20,21,22,23,24,25,26,27,28,29,30,31,32,33,34,35,36
昭和50年10月21日火曜日、漏れが5年生くらいか。平日13時だから、昼休みが終わる頃かな・・・
小学6年生まで住んでいたアパート。
8畳ほどが3部屋の続き間で、裏には小さい庭があった。
最近聞いてみると、田舎とはいえ月3万だったらしい。
2階建てで10部屋あった。
東京なら一軒家が10軒は建ちそうな駐車場。学校から帰ると意味もなく外に出ていた。

一緒に小学校行こうねって言ってたけど小学校上がる前に引っ越しちゃったあやちゃん元気かな。
いつも泣かせててごめんね。

落っこちたことのある階段。乗り越えては怒られていたフェンス。
久しぶりに見ると、どれもこれも小さく思えた。
>>68
泣かせないでくれ・・・仕事中なんだから・・・
72ふう ◆Fuu/6Lut5I :04/01/21 21:43
>71さん 泣かないで下さい。 
これは、「昔、ぼくが住んでいた家」の楽しかった一人語りなんですから。

パン屋のあった跡を、右に曲がると通った小学校が見えてくる。
この小学校の運動会の朝、父が特製だぞと 朝早くから太巻きを作ってくれた。
弁当のふたの上の「すまん」と書いた紙に目が止まり、開けて見ると
父が、みようみまねで作った、でろでろのチラシ寿司みたいな太巻きに
半熟もいい所の、ゆで卵の黄身が染みていた。

あわてて、弟の所に行ったが 弟は笑いながら級友とすでに食べていた。
多分、上手に出来たのを選んで弟に入れたのだろう。
俺は一人家に戻って、母が好きだった紫色の桔梗が咲く小さな庭を見ながら食べた。

もう三人しか座ることがない、四角いちゃぶ台には
「お帰り、二人とも良く頑張ったね」と、父が書いたメモと
ちょっと黒く痛んだ、バナナが置いてあった。
73ふう ◆Fuu/6Lut5I :04/01/21 22:23
さりげなく戻った、午後からの運動会。
それは俺ら兄弟には、一大事な種目があるのだ。

父兄同伴競技、 父は仕事でいない 母は空の上から見ている。
親との二人三脚、弟は担任の先生と力いっぱい走った。

俺は、全校生徒父兄の全面で 一人で思いっきり突っ走ってやろうかと考えていた。
自分達の班が呼ばれて、それぞれの親達も出てきた。
突然、「さあY君、お母さんの分も一緒に頑張って走るよ。」
隣近所の同級生のKさんのお母さんだった。
同級生のお母さんと走るのは、すごく恥ずかしかったけど だけどちょっと・・・。
Kさんはお父さんと走った、ゴールは俺の方が先だったけどKさんのお母さん喜んでた。

娘が負けたのにさ。俺、ちょっと遅く走れば良かったのかなって思ったよ。

7463:04/01/21 23:46
町に一種の連帯感があったところっていいよね。
うちは引っ越し魔なうえ親が見栄っぱりだったから、
近所付き合い的にはどこに住んでても孤独ということでは一緒だった。
だからこそ、幼少時に一番長く住んで同年代の友達と野山で遊んだ
あの町、あの家に、心はまだ住んだままなのかもしれない。
75大人になった名無しさん:04/01/22 00:19
>>50
S49年のとS58年の見たけど田んぼと畑と空き地が多かったなあと。
あれだけいた蛍やキリギリスや玉虫やカエルはどこ行ったのか。
今では同じデザインのマンションやアパートや舗装された駐車場だらけ。
こんな変わり方したら人の心もすさむんじゃないかと思った。

古き良き時代にはたしかに地域にいい意味での連帯感があった。
今あるのは悪い意味の個人主義でしかない。
>>74
私が小学生の頃住んでたところもすごくいい雰囲気の連帯感があった。
町の運動会とかも、負けたって楽しければいいじゃんって感じで。みんなが家族みたいな。

でも隣の地区に引っ越したら、そこはみんな見栄っ張りで意地汚くてすごく戸惑った。
運動会でも、勝つことしか考えてないし、負けたら責められたし、
レクで行ったプールのロッカーの鍵が一個なくなった時、最後までなくした人を探し出してた。
そんなのみんなで割って弁償すればたいしたことないのに・・・

ちょっと隣に行っただけなのにこうも違うのかと思った。
やっぱり環境で人間は変わるね。
>>73
Kさんのお母さんって
学級会スレに書いてあった川子さんのお母さん?

なんか、しみじみしたな・・あったかいね
78ふう ◆Fuu/6Lut5I :04/01/23 06:25
>77さん
そうです、          あっちも見てたんだw
79大人になった名無しさん:04/01/23 13:10
お父さんじゃなくてお母さんが走ってくれるとこが憎いね
80大人になった名無しさん:04/01/24 00:06
映画でこの手のノスタルジーを味わうならシチリアが舞台の「ニューシネマパラダイス」だな。主人公もシブイ
81大人になった名無しさん:04/01/24 00:33
>>80
イイネ!!
あの雰囲気はまさにセピア
>>80
俺も好きだ。でも金曜ロードショーだかで放送されたやつは大幅に切られてた。
83大人になった名無しさん:04/01/25 00:35
小さい頃住んで居たのはピカピカの白い壁のマンションだった。
だけど先日見に行ったら薄汚れてひび割れたコンクリの壁だった。
建ってから30年以上たってるんだもんなあ。
84蒼蒼:04/01/26 02:40
子供の頃に住んでいた社宅は9棟まであって、それとは別に独身
寮もあった。夏にはそこの駐車場で盆踊り大会。
里山のすぐそばなので、夏には灯火にカブトムシが飛んでくる。
近くの畑を借りて野菜を植えて楽しむ人もいた。

工業地域で交代制で働くお父さんたちは時々厳しいがけっこう
頼り甲斐があり、お母さんたちは付設の小さな公園や駐車場で
遊ぶ子供を夕餉の時間に窓から呼んだりしていた。

あの頃が懐かしいです。5階の2DK。ベランダからは小学校が
見下ろせた。春の夜にはカエルの声がうるさかった。
今はその社宅に住む人もずいぶん少なくなり、自分のいた7棟は
数年前に取り壊されました。

帰省した時に見物に行って、携帯で写真を撮って廻りました。
社宅に上っていく坂、使われなくなったバス亭、まだ残っている
いくつかの棟、小さな神社。
集会所の写真を親に見せたら懐かしがっていましたね。
>>84
読んでオモタこと。
人件費かさんでも人海戦術で雇用があった時代の方が、
経済がまわるから結果として儲かってたんじゃないかと・・
スレちがいな話題なのでsage
86大人になった名無しさん:04/01/27 13:39
今社宅はその役目を終えた?のか取り壊されたり、住民が半分位しかいな
かったり、廃墟になってたりしている。
日本の高度成長期には地方から出て来て家賃の安い社宅に住んで貯金できたが、
今地方から来た人は家賃が給料の1/3はするアパートを借りなければならない。
今いるホームレスのほとんどは高度成長期に地方から出稼ぎに来た人だ(首都圏
在住の者は家はあるんだからホームレスにはならない)。
社宅の安い家賃のおかげで貯金して持ち家を得た人は多い。
そう考えると社宅が無かったらもっとホームレスが増えていたのかもしれない。

話は変わるけど、黒○播磨の頑なにまで社宅(一戸建ての物も多数)を取り壊
さない姿勢は神の領域だと思う。人なんてほとんど住んでないのにだ。
周辺は住宅地で駐車場が不足してるにも関わらず広大な敷地の原っぱすらその
ままなのは凄いの一言。駅からも近く土地の値もかなりな場所なのに。
そこ以外の社宅も近くにあるがそこは住民が一人もいないのに(そこもすごく
敷地が広い)社員がまめに手入れまでしている。
87蒼蒼:04/01/28 01:12
友達が引っ越す時は、転勤よりもおうちを建てた時の方が多かった。
引っ越した友達とは年賀状のやり取りをしていたがいつしか絶えた。
今でも付き合いがあるのは1人だけ。少し寂しい。

家を建てて社宅から出て行くのがみんなの夢だった。なのに懐かしい。
風呂を焚く時、ハンドルを回して着火した面倒くささまでもが。
嫌なことは多くあったはずだが、思い出すのは楽しかったことばかりだ。
子供だったからなおさらかもしれない。

>>85
社宅全盛期は、おうちを買うためにお金を貯めて貯めて、でも苦しい
やりくりの中からカラーテレビやビデオデッキなど当時の新製品の家電
とかを買ってた時代ですね。1世帯当たりの消費が少なくても、多数が
一斉に購買すれば経済は循環しますね。

>>86
場所によっては社宅を一般向け賃貸にした所もあるようで。それにしても
黒○播磨…すごいですね。気合でしょうか。
8886:04/01/28 23:35
>風呂を焚く時、ハンドルを回して着火した面倒くささまでもが
沸かしたまま放っておくとお湯が沸騰してて風呂の蓋が溶けたりしてたな。
今住んでる家の風呂はボタン一つでお湯張りから設定温度まで全て自動。
かき混ぜるのも自動なのでかき混ぜ棒も捨ててしまった。

>多数が一斉に購買すれば経済は循環しますね
金あってもこれすごく欲しいという物が少ないような気がする。
昔は家にビデオが来たり新しい自転車買って貰った時なんかすごくうれし
かったけど今はそんな気持ちになれない。飽食で物が溢れる世の中じゃ
無理な事かもしれないけど今の子はちょっとかわいそうだと思う。
年金制度も滅茶苦茶だし益々購買意欲が減るのは仕方ない。
89大人になった名無しさん:04/02/03 18:07
どっか遠く(といっても今だと大したことない位なだけど当時学区外に行く
事は犯罪だった)から帰った後社宅の敷地に入る時の安心感は良かった。
敷地内に自分の世界があった。あの子供にとっては広い空間はかけがえない。
社宅や団地だと明確な敷地があるからテリトリーが広い感じがするかもね。
うちは戸建てだったが、高台の中腹にできたすりばち状のくぼ地に建っていたので
その小さなすりばちの中(町内会が一つあるくらいの範囲)が見える坂の入り口まで
くると、帰って来た〜という気になった。
91大人になった名無しさん:04/02/04 23:22
2ちゃんねるではじめて泣かされた。
俺がガキの頃に住んでいた公団住宅(いわゆる団地)へ久々に
行く機会があった。懐かし〜、このオンボロ公園まだ残ってたのかぁ
とか言いながら近所をうろうろしていて、ふと気がついた。
あれ?ここって、山崎パンの店だったはずじゃ…
呆然と立ち尽くしていた俺に見知らぬオバハンが声をかけてきた
よく見ると、さんざん世話になったHさんだった。
「山崎パン…つぶれちゃったんか?」と訊いてみた。
「もうずいぶん前にここのオバアチャン亡くなってるのよ…」
いつも店番していたバアチャン、上1玉下5玉の旧式ソロバンで
おつりを計算していた。でも、俺の暗算のほうが圧倒的に速かった。
「すごいねえ、将来は学者さんになれるよ」といつも誉めてくれた。
ごめんな、バアチャン。俺…無職だよ。
>>50のリンクで町検索して、いまも住んでる地域を見つけた。
昭和40年代の活気ある町並みが脳裏に蘇ってきたーよ。(つД`)

じいちゃんの経営する町工場もはっきり写ってた。あの頃は工員さんも
いっぱいいて、いけいけどんどんで景気がよかった。大手にシェアを奪
われて家内制手工業に移行したあと、引退したじいちゃんはあっという
間にボケてしまい、深夜に工場を徘徊するようになった。

ずっと仕事人だったから、職場以外に自分の場所を見出せなかったらし
い。一度すっ転んで、額から血を流しながら泣いていたじいちゃんを見
た時、よくわからないけど悔しくて俺も泣いた。
94大人になった名無しさん:04/02/08 23:16
小学生の頃住んでいた家は、東京の山手の下町にある、マンション。
もう18年位前 それでもそこは築20年以上。
4階建ての4階で、エレベータなんてものはついてなかった。
ふうふうと高い階段を、まわりながら上がって、1階につき2部屋ずつの右側の部屋がうち。
3畳ないくらいのキッチン。12畳くらいの居間。6畳の寝室。
安月給の父には大分無理した家賃。
古くて、お風呂場には小さな虫が沢山出てた。カビもたくさん。
でも、隅田川の花火がちいさくみえる、大きな窓がついてた。
トイレも洗面所もせまくて、古作りだなぁというのが小さな私にも
わかった。
でも、東京タワーが見えて、天気の良い日は富士山までみえるこの部屋を
私はとても好きだった。
母のスカートをはき、鏡台のまえでくるくるとお姫様ごっこをしたのも
この頃だ。
学校から歩いて6分くらい。親友の家はお寺で、裏道を嬉しそうにそこまで歩いた。
駄菓子屋さんをおぼえた。坂の多い町で、でも子供だった私には、
しんどいよりも、その坂を上りきって見下ろす、その町が好きだった。

昨年。
東京に勤め始めた私は、真っ先にその町にいってみた。

もう40年近くたっているであろう前の私の家は、
いまだ、そこに健在だった。
白く塗りなおした壁、オートロックになった玄関。
それだけが、月日のたったことを教えてくれた。
すこしほっとして、小学校への道をたどると、、、

そこには、私の通った学校が、幼稚園が、
まったく、違う建物で、建っていた。

すこし、切なくなって泣いた。

アーバンコートの、剥けば剥がれる舗装。
鉄板をはがして夏になると現れるプール。
一周、200mなんてない、グラウンド。
かどぶつけをした花壇。。

なくなるってこういうことなんだな、と思った。


すみません。長文で。駄文でした。失礼しました。
都会の学校は建て替え進んじゃうよなぁ。
そういや廃校になった学校が少なからずもある。
家が無くなっても、学校があるから面影残ってるけど、
学校も無くなったらもう面影は全くなくなっちゃうなぁ・・・
>>93
泣きますた。。・゚・(ノД`)・゚・。
小学校三年生まで長屋の団地に住んでいた。
母は父方の両親とうまくいかなくて、
兄が生まれてすぐ父と母が逃げるように引っ越してきた家だった。

お正月は正方形の小さい炬燵に家族四人で縮こまって迎えた。
石油を買えないから、ストーブが使えないわ、隙間風は吹いてるしで
もう本当になんでこんな家に生まれてきたんだろうって
そればっかり考えてた。

庭に面した窓にはいつも家族みんなの靴が並んでいた。
玄関から出入りすることなんて滅多になかった
誕生日に買ってもらったばかりの靴を野良犬に持っていかれてしまって
大泣きしていたら隣のおばちゃんがみかんをくれたことがあった。

父は世話はしない癖に木を植えることや植物の種をまくのが好きで
狭い庭には春、桜とチューリップ、それからたくさんの花が咲いた。
花の名前はひとつひとつ父に教えてもらったはずなのに、今は思い出せない。
母は、「植えたら植えっぱなし、蒔いたら蒔きっぱなし・・・」と呆れ顔で笑っていた。
兄は暖かくなると庭に虫が来ると父を睨んでいた。
私は本当にあの庭の春が本当に好きだった。

あの家はまだあの場所にあるし、見に行こうと思えば行ける距離にある。
でも、もうあの庭はない。
桜の木は切り倒されてしまったし父と母は別れた。
だからあの家にはもう行けない。
お家帰りたいけど帰れない。
帰れないってわかってるけど、私は帰りたい。
あの家に帰りたい。
98大人になった名無しさん:04/02/09 05:05
一昨年、実家が立ち退きにあった。
何十年も昔からの市の整備だとかなんとか。

どうみても道作る必要ないだろ?
ここに道とおして交通量ふえるか?

仕事で離れてた俺は荷造りに休みとって帰った。
実家には親父独り。お袋は他界しててもういない。
俺も親父も無言で荷造り。
家を壊す時は仕事で立ち会えなかった。
姉ちゃんが帰ってきて親父に付き添った。
親父は静かに泣いていたらしい。
親父とお袋が苦労して立てた家はもうない。

この間、はじめて実家跡にいってみた。
野ざらしの跡地が、そのまま残ってた。
道はできていない。
99大人になった名無しさん:04/02/09 10:08
俺、春休みになったら小学校時代に住んでた町に行って写真取り捲って来る予定
思い出の場所が多いから多分何時間もかかるだろうなぁ
団地の中で写真とってたら不審者って事で通報されたりしないか不安
実家。本当に住宅地で歩いて3分のとこに小さなパン屋があるだけ。
静かなところだったが、車道は車の往来が激しくしかも見通しの悪いカーブの道だった。
小5年の時、その道で同級生が車にはねられた。命は、助かったが2年ほど植物状態のまま回復せずに亡くなった。
学校全体で、入院中の彼に励ましの手紙や、募金をしたことをはっきり覚えている。
その後道は渋滞緩和のため、道幅を広くし見通しも良くなったらしい。
もう少し、早くしてくれればしんちゃんは死ななくて済んだのかもしれない。

お棺に事故の時握っていた血で汚れたチョロQが入っていた。
>>99
もしとってきたらうpきぼんぬ
102100:04/02/09 10:37
↑ 家のこと書き忘れた。もと実家は、一戸建て。小さい時からバーさんが
寝たきりに近かったので一階にバーさんと両親の部屋2階を子供部屋にしてた。
バーさんの介護もとうとう限界に来て、ウチを売って引越しバーさんは病院へ。
だいぶ前に、母から元、家はアパートが建ったらしいと聞いた。
どんどん不幸自慢になってるね。
いーじゃんか不幸自慢。藻前もやれ?
自己陶酔には不幸自慢が一番
106大人になった名無しさん:04/02/09 15:47
>>101
いいけど俺別に写真に詳しいわけじゃないし、見てもつまらないと思うよ
>>93
(つД`)
108大人になった名無しさん:04/02/09 22:51
小学校に上がる前、親父の仕事の都合で
フェリーで三十分程の離島に住んでいた。

二十数年が経ち、その島に本土との橋が出来た
すっかり大人になり、車も持っていた俺は
ワクワクしながら、昔住んでいた借家を見に行った

行ってみてビックリした、道は綺麗に整備され
子供のころは軽トラしか走っていなかった島に
沢山の大型車、そして行楽客 海岸には大量のゴミ

いやな予感を抑えつつ、昔の借家に向かう
裏通りの細い道に入り遠い記憶をたどりつつ
ようやく見覚えのある、お寺の前にたどり着く
車を停め、そこからは歩いて昔の家を目指す事にした

仲の良かった友達の家、
石垣の塀は昔のまま、
その先の木造の公民館、これも昔のまま
しかし、その先にあるはずの借家・・・
影も形もなくなくなり、広い道路になっていた
呆然として、暫くそこから動けなかったよ

長々とスマソ
109大人になった名無しさん:04/02/09 22:54
道路になるとつらいよな(´・ω・`)
110大人になった名無しさん:04/02/09 22:56
>>50のリンク先で俺が以前住んでた場所を見てみた
・・・まだ空き地だった、何も建ってなかった
111大人になった名無しさん:04/02/10 02:29
>>110
その自治体の名前知りたい。だんだん本気で腹が立ってきた。
どこの自治体だそんなふざけた事業をしてるのは。
>111
すべて自治体のせいにする前に、よく考えろよ。
何に怒っているんだか・・・。
>>112がなぜこんなレスをつけたのかわかりません。
114大人になった名無しさん:04/02/10 12:43
生まれてから12歳まで住んでたボロアパート。
近くには某企業の社宅がずらりと立ち並んでいた。
貧乏だったけど幼馴染も友達もたくさんいて楽しかった子供の頃。

この前、近くを通りかかったので寄り道してもらった。
十数年ぶりに見るアパートは、リフォームされてて
外観は案外キレイだった。
ただ、立ち並ぶ社宅はボロボロの廃墟と化していて
ひどく泣けてきて困った。
いや、本当に>111が何に怒っているのか判らないだけさ。
何で自治体が出てくるんだろう?
>111は単なるレス番間違いだろ
>108へのレスじゃないのか

俺の実家は祖父が事業に失敗して家屋敷も取られて、
親父が廃建材寄せ集めて建てた家だった。
もう建て直したいんだけど、
宅地が道路に接していないので建て替えができない。
ゆくゆくは生まれ育った土地を手放さなければならないと思うと泣ける。
いや、>>110>>98なんだろ。だから>>111は自治体に怒ってんのさ。
>>112もよく考えろ。
IDのない板だし、>>110=>>98があってるのか分からんからな、
決め付けイクナイ

まあ、>>111がそのように考えたんだろうってのは推察できるが。
119112:04/02/10 14:57
なるほど。
>110=>98ってのは想像もしていなかった。
>50のリンク先の写真はすべて平成2年度以前のものだからな。
一昨年引っ越した>98と>110が同一人物とは恐れ入った。

俺は>110と>111しか見ておらず、立ち退き云々は念頭に無かった。
さらに>110は住んでいた家が建つ前の写真を見たのだと思い込んでた。
少なくとも写真は10年以上前のものだしな。
で、宅地に家を建てるも空き地にしておくのも土地所有者の勝手だろ?と思った。
で、>111は自治体に文句言うしか能がない糞サヨかと考えた。
でも本当に何に対して怒っているのか分からなかったので、
それとなく聞いてみようかと思った。
こういう手合いを正面から煽ると一般人に理解できない言葉で帰ってくるから、
絡め手で>112のレスをしてみた。
さらに少しでも穏便になるよう>115や自演の>116のレスをした。

無い頭絞ってそれなりに考えてはいたんだが、
スレの流れを見てなかったのが悪かったようだ。
申し訳なかった。
>>119
つーかさ、
>>50のリンク先の写真はすべて平成2年度以前のものだからな。
>一昨年引っ越した>98と>110が同一人物とは恐れ入った。
この辺無用な煽りとも取れるから気ィつけた方がいいよ。
超頑張れ、超ログと空気嫁。
121117:04/02/10 15:33
>さらに>110は住んでいた家が建つ前の写真を見たのだと思い込んでた。
あ、そうかもな。こっちこそ悪かった。
122110:04/02/10 16:17
あのさ、俺>>98じゃないんだが・・・
俺が昔住んでたところって新興住宅地で、あのサイトにあった写真は家が建つ前、造成の段階だったわけ
それで家も何も無かったわけね(通ってた小学校はあったけど)
で、なんか>>111が意味分からないことで怒ってたから触らぬ神に何とやらで様子見てた
ちなみに俺が引っ越したのは10年前のことです

って言ってもID無いから証明できないんだよね・・・
123110:04/02/10 16:18
とりあえず分かりにくいレスしてすまんかった
つーか漏れんち田舎すぎて載ってねぇ・・・
>>122-123
納得。
セピアはマターリやろうぜヽ(´ー`)ノ

ちなみに俺の家は、国土交通省のサイトではずーっとあるんだが、
今はもう無い。でも、国土交通省のサイトがあれば、いつまでも
あの路地や町並みが思い出せるよ。
12763:04/02/11 04:25
うちもあのサイトには写真が残ってる。家の前のささやぶも残ってて、
夢の中でいつも通る小道があるあたりもうつっていて、
なんだか泣けて来た。
引っ越しが多かったので行った先々見て来たけど、最初の町がいちばん田舎だったな。
サイトの写真の古い方でも小1くらいの頃だったのに、
あんなに畑や山ばかりのところに居たのだろうか、とちょっとびっくり。
あと、次に住んだとこが上空から見ると墓に囲まれてて
違う意味でびっくり(((( ;゚Д゚)))
古里は遠きにありて思うもの
そして 悲しくうたうもの
よしや 
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆうぐれに
ふるさとおもい涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかえらばや
遠きみやこにかえやばや
130大人になった名無しさん:04/02/14 13:18
4歳頃まで古い六畳二間の市営住宅に住んでいた。家の中は白黒写真で確認しても
かなりボロイことが分かる。それでも若い両親は小さな俺を抱っこしてうれしそうな笑顔で写っている。
まさに小さな幸せを感じていたんだろうな。
131大人になった名無しさん:04/02/14 17:33
漏れが生まれた家はとにかく広かった。
祖父が建てた和洋折衷の家。一番多い時で4世代、直系傍系
12人も住んでたけど、ゴチャゴチャしてたという記憶は全然ない。
あの頃を思い起こしてみると、とにかく「来客」と「人寄せ」の
機会が多かった。冠婚葬祭も可能な限り家でやってたし、
前触れ無しに親類が来て何日も(時には半月近く)
泊まってくなんてこともよくあった。
盆や正月、お節句の類の年中行事もまめにこなしてて、
今から思えば、どれもこれもかなり本格的にやってたよ。
でも家の年寄りの死後、あの家を売って引越した時から、
かつて当たり前だと思ってたそれらの生活習慣がどんどん失われていった。
今じゃ盆や正月もすっかり簡略化。七夕の笹も鯉のぼりも、
お雛様も五月人形も飾らない(というか今の家が狭すぎて飾れない)。
あの大きな家を出たことで、漏れの家族は過去を受け継ぐ事に
失敗しちゃったんだろうな。今の生活は気楽だけど、どこか味気ない。
132大人になった名無しさん:04/02/15 01:12
このスレにレスした人達、今でもその家残ってますか?
俺住んでた社宅は残念ながら残ってなくて跡地にも施設建ったから土地を
買う事すら無理なのでもどかしい。
ああ良スレだぜここ・・

学校から家までの道は今でも鮮明に思い出せる
帰り道好きだった女の子の目の前で
気を引きたくてわざと転んだりして・・w
いろいろな事で「もう、疲れた…」と思ってた仕事帰りに
ふと、昔住んでた家を見に行こうと思った。
学校に通ってた頃の帰り道をゆっくりと歩いてみた。
変わってしまった景色に「ああ、やっぱりあの頃はもうないんだな」って思ったけど
家の周りだけは、まったく変わっていなかった。なにもかもがあの時のままで。
家の窓から見えてた夏みかんの木もそのままあった。
皆と遊んだ路地も靴隠しの時に絶好の隠し場所だったアパートも
虹を見るため皆して駆け上った階段も全部全部残ってた。
涙でた。頑張らなきゃって思えた。あの家にいた時に抱いてた夢を叶えておいて
なに疲れたとか言ってんだって思って…今も頑張れてる。残っててくれてありがとう…
>>133
ホントに怪我したんだな。
生まれた時から18歳までで7件家がある。その後の5件は一人で住んでる。
6件は借家。1件は自分の家だったけど家が事業に失敗して売り飛ばされた。
どこも自分の家だと思う。思い出もあるし。
でも地元に帰ってつい足を向けるのは生まれた家。
幼稚園くらいまでしか住んでないけど、鮮明に家の中を覚えてる。
私達の次に住んだ人たちはずっと住んでる。
中を見たいなあって思って怪しまれない程度に玄関を見たりしたけど、
やっぱり怪しかったのか次に住んでる人に睨まれた。けち。

もうじき結婚します。へへへ。
やっぱり最初は賃貸だけど、私の家なんだって安心して思えるよう…。
>>136

オメ!
138大人になった名無しさん:04/02/16 05:05
何年か前に子供のときに住んでいた家の近所へ行った。
いま住んでいる家とはそう遠くも無い距離。
でも、ずいぶん都内を離れていたこともあって、不思議な気持だった。

一回目は深夜に友人と車で。
そのときは昔よくお散歩をした公園で遊んだだけ。
でも初めて補助輪のない自転車に乗ることに成功した道をみつけて、友人に自慢した。

二回目は昼間に自転車で。
例の公園と、それから自分の住んでいた家へ。
家はもう無かったけど、同じ敷地に小さな女の子が住んでいる家が出来ていた。
昔遊んだ女の子の家がまだあって、丁度その子の両親が自転車で帰宅したところだった。
なぜか大量発生しているオウムを指差して「最近おおいのよ」と親切に説明してくれたけれど、私が誰かは気がつかなかった。
無理も無いけど。
139良スレage:04/02/16 05:27
ふと目が覚めると窓に夕焼け
妙に寂しくて目をこすってる
そうか僕は日差しの中で
遊び疲れて眠ってたのか
夢の中では青い空を
自由に歩いていたのだけれど
夢から覚めると飛べなくなって
夕焼け空があんなに遠い
ああ僕はどうして大人になるんだろう
ああ僕はいつ頃大人になるんだろう・・・
140大人になった名無しさん:04/02/16 15:16
武田鉄也でつか(´∀`)良スレ〜
母子家庭で、普段は祖父の家で預かってもらっていた。
ちょっと薄暗いけど、本がいっぱいあって、勉強を見たりかまってくれた祖父がいたあったかい部屋。
祖父の死後、祖母が伯父一家と暮らすために、家は取り壊されて、二世代住宅に。

今年の年始、従兄弟たちの相手をしながら、祖父の部屋の会った辺りに行った。
もう、あのあったかい部屋はないんだなと思うと泣けてきた。

142大人になった名無しさん:04/02/17 09:47
俺が生まれたときから小学5年の頃まで住んでた家は、
少し長い袋小路の両脇に立ち並んだ家々の中のひとつだった。
俺の家の前の道を通る人は皆その近辺の家に用がある人、というか
近所の住民ばかりで、よそ者はあまり通らない場所だったので、
その小路に入ると、何とも言えない安心感を感じたなぁ。

夏の暑い日に近所の友達と鬼ごっこやらをやってると、近くの老夫婦が
俺たちにキンキンに冷えたトマトジュース(たぶん自家製)を振舞ったり、
せんべいやカミナリおこし等の和風のお菓子を配ったりしてた。
今思えばその夫婦の息子さんだったのだろう、30歳ぐらいのおじさんも時々顔を出して
子供らのプロレスごっこの相手をしてくれた。

俺が住んでた家は2戸建て住宅で、隣のうちからは薄い壁を隔てて
赤ちゃんの泣き声が良く聞こえた気がする。
それと同じように、俺のお母さんが俺を怒鳴った声も、向こうには丸聞こえだったんだろうな。
柱には俺と妹が幼児の頃にペンで書いた落書きが…。家を明け渡す時に消した記憶は無いから、
今もそのまま残ってるんだろうか。新しい住人に見られたと思うと、ちょっと気恥ずかしい。
その後、その家には母子家庭が入ってきたそうだが、彼らはあの家で
どんな思い出を作っているんだろうか。
143大人になった名無しさん:04/02/17 14:05
橋の下。
144大人になった名無しさん:04/02/18 18:16
>>50のリンク先で実家を見てみた。
20年前に火事で全焼してしまった家が写ってた。泣けた。
当時でさえ珍しかったかやぶき屋根の古〜い家。
写真も火事で焼けてしまって残ってなくて、記憶にしかない家。
50さん、ありがとう。
145大人になった名無しさん:04/02/19 22:33
>>50のリンク先、見ました。実家が写ってました。

田んぼの真ん中の通学路。
40分、延々と歩いた。退屈だと思ったことは一度もなかった。

仲良しだった友達の家。
お父さんが事業に失敗して、一家は離散したと聞いた。

ピアノの先生の家。
途中にいじめっ子の家があるので、まわり道ししてた。
雨の日に転んで、楽譜が泥だらけになってしまってべそかいた。

私の家。小さい小さい家。
父が、砂場と花壇を作ってくれた。

その家から引っ越す時、「今度は広い家に住める!」とはしゃいでた。
こんな貧乏くさい家はもういや!と。

でも、住宅購入を考えている今、思い浮かべるのはまずあの家。
たったふた間の家に4人が押し合いへし合いしてた、あの家。
146大人になった名無しさん:04/02/20 01:43
泣ける
都心のど真ん中、高いビルの間に申し分けなさそうに建っていた家。
せまくて、いつもビルの陰。
住人は少なくて、学校は1学年1クラス。
余った教室の方が生徒のいるクラスよりも多かった。
治安も悪くて、毎日パトカーが何時間かに一回通って、
月に一度はどこかでヤクザの小競り合いがあったりした。

時期はちょうどバブルの真っ最中。僕らは地上げにあった。
家のあるところに新しいビルが建つ計画が立って、僕らは出なければならなくなった。

引っ越してから、何度か家を見に行った。
足場の中でだんだん形を失っていく家。
ありがとう、さようならって何度も心の中で言った。

何年か後、バブルがはじけて結局ビルは建たなかった。
あれからまた人がいなくなって、小学校は廃校になった。
だだっぴろい駐車場のままでも、僕には家のあった場所がはっきりわかる。
解体中、こっそり貰ってきた壁の一部は、今でも宝物だ。
俺の生まれた町はとんでもねえ様変わりだ。
小学の時までいたんたが駅の風景は駅員が切符を切っていたのに、
今じゃ無機質な自動改札、いつ変わったんだよ。
駅の周りのぼろい店も無くなって変わりにビル、団子屋と立ち食い蕎麦屋も
綺麗さっぱり消えちまってる。
家の方に向かえばところどころ変わっているけど、スーパーと八百屋は残ってた。
坂を登って路地に入れば友達の家が無くなってアパート、公園もない。
んでもって家に到着、ある意味びっくりだ、なんとまだボロ家が残ってた。
けどだれも住んでなさそう、壁にコケが毟ってるし。
目の前がすぐ学校で遅刻はしなかった、けど家からもう少し距離があったと思ってたけど、
案外近いもんだった、不思議な感じだった、なんちゅーかそれで自分が大きくなったんだな〜、
って思ったもんだ。
けど、ほんと何もかも変わっちまって寂しいもんだ。
友達がたくさんいた団地は取り壊されて、学校もどうやらなくなるらしい。
ほんと過去って奴は、自分の中にしか残されないんだな。
>50のリンク先で小学校1年まで住んでた社宅を見て来た。
家の前のだだっぴろい空き地。
今はあまり見かけない、大きな倉庫みたいな薄暗い建物に
個人商店が何軒か入ったスーパー。
いつも塀を乗り越えて遊びに行っていたとなりの子の家。

何年か前に営業で十数年ぶりに行ってみたら消えていた場所が全て写っていた。
通学路に良く吠える犬がいて凄く恐かった事とか(しかも奴には脱走癖があった)
近所の病院は診察に行くといつもカンロ飴くれた事とか、
廃屋に侵入して秘密基地ごっこやってた事とか、
なんだか色々思い出した。
記憶は、きっかけさえあれば鮮明に甦るものなんだな。
150sage:04/02/23 00:52
中学2年まで住んでいた一軒家。
昔風の、平屋建ての家で、建ててから大分時間が経っていたから、
隙間風もすごかったけど、広くて、小さな庭には梅や松の木や、
たくさんの植物が植わっていて、とても好きな家だった。
引っ越しのきっかけは、大家さんとの家賃のトラブル。
二重にお金をとられて、もうこれ以上住むのもしんどいと親は思ったのかもしれない。
引っ越しした後すぐに、梅も松の木も切り、家も壊してしまい、駐車場にしたと聞いた。

高校2年のとき、色々と悩んでいた頃、親に申し訳ないことをしてしまって家に帰ることができなくて、
雪が降る中、なぜかその家のあった所へ行っていた。
その時はそこしか行くことができなかった。

やっぱり家はなかった。あの木もなく、敷地には砂利が敷かれ、車が数台とまっていた。
でも唯一残っていたものがあった。隣の敷地とを分けていたブロック塀。
ちっちゃい頃よじ登ってよく遊んでいた塀だけが残っていた。
しかも、夏に家族で花火をしたとき、花火で塀に書いた苗字が残っていた。
とにかく泣いた。泣きながら帰った。
あそこに行ったのは、いやな事を忘れて小さい頃に戻りたかったからかもしれないって今は思う。

今でも夢にみるのは、今の家でなく、もう存在しないあの古い家。
151150:04/02/23 00:55
ごめんなさい…間違えてしまった…
1歳まで住んでた家:マンション建てるんで立ち退き
4歳まで住んでた家:マンション建てるんで立ち退き
6歳まで住んでた家:マンション建てるんで立ち退き
11歳まで住んでた家:アパート建てるそうで立ち退き
15歳まで住んでた家:一戸建て建てるそうで立ち退き
今の家:あと2ヶ月で出て行けとのこと
153大人になった名無しさん:04/02/23 12:38
>>152
すげーな・・・

立ち退きって手当てみたいのくれるんだろ?当然
>>153
立ち退き料もっと上げろっつっていつまでも立ち退かんかったりしたら、
その家を避けて新しい道路やら団地やらが
建てられたりすることもあるらしいから、引き際を見極めるのも大事だそうだ。
昔住んでいた家は、普通の家と造りが少し変だった。六畳と四畳半の部屋がある建物が
2組。その間を渡り廊下がつないでいる。その渡り廊下部分が玄関になっていて、入ると
いきなり渡り廊下に登らなきゃならない。その廊下が地面から80cm位あるもんだから、
子供だと結構大変。まさに敷居の高い家だった。俺が高校に入る頃に取り壞して、新しい
家に建て替えてしまったけれど。
俺が社会人になってから、お袋と昔話をしていて、昔の家の亊が解った。

鷄 小 屋 だったそうだ(汗)

両親が結婚する時に、親戚の方から貰い受け、改造して人が住めるようにしたんだそうで。
親父が日曜大工が好きで、基本的な改造が終わってからも、あちこちいじりまわしていた
らしい。
今となっては写真でしか見ることは出来ないけど、懷かしくもあり、苦笑いしたくもあり
複雜だったりする。
私が幼稚園を卒園するまで住んでいたマンションはきったなくて周りは工場
ばっかで空気も汚れてた。
ゴミの日のゴミ捨て場は異常に匂って、そこに捨てられてた人形の目が怖かったのを
今でも覚えてる。
それでも記憶に残ってるのは良い思い出ばかり。
よくお父さんとバイクやチャリンコに乗せて公園まで行ってた。
お菓子欲しさに紙芝居のおじさんを追っかけて、夕方のサイレンが鳴って慌てて
家に走り帰った。
私の生まれた総合病院にママンが入院して、手術の立会いに行った時、ふと
バスから景色を眺めていたら懐かしさのあまり涙が出て来た。
両親も健在だし幸せなのは何一つ変わっていないけど、あの頃の日常はもう帰って来ないと
思ったら妙に悲しくなった。
競争しながら家に一緒に帰ったママン。今は車椅子で走る事も出来ないけど、
心は病まずあの頃と同じくらい元気。
孫の顔見るまで長生きしてね。
157大人になった名無しさん:04/02/28 22:03
都市近郊で生まれたものの感覚と考えです、リンク先。若干個人情報ある
けど、まあいいや。社内の講話で使用したものです。
http://www.geocities.jp/tamo2_2/toushu_jikkenbeya/koko30nen.html
去年の彼岸に15年ぶりに小1〜小6まで過ごした家を見に行った。
もう残っていないだろうと思っていたが、坂を登り、昔の家に近づくうちに
妙な違和感に気付いた。記憶に残ってる住宅配置図そのままなのだ。
家の見た目は少し変わっていても、それぞれの家のある場所、
空き地の会った場所が全く変わっていない・・・。
今思うと、かなり無理やり斜面を造成して作った住宅地だったので(しかも隣は大規模な墓地)
新築して住もうってヒトがいなかったってことか・・・。
俺の家は基本的な原型は同じだったがリフォームされ、空家だったはずの隣の家と
渡り廊下で結ばれ、土建屋?の資材置き場兼自宅のようになっていた。

彼岸でにぎわう公園墓地に隣接した、15年間時が止まった住宅地。
写真をこっそり撮った後(一応他人の家だし。)
親父とキャッチボールした家の前の通りは実は車のすれ違いが出来ないほどの
細い道だったのか・・・と変な感慨にふけりながら煙草を一服し、600km離れた
自宅へと車を走らせた・・・。
159大人になった名無しさん:04/03/12 00:28
僕はこの3月に19歳になり、4月からは大学2年生になる男です。
僕が小学校の2年生まで住んでいた家は、毎日何かしらの虫が出るボロい家でした。ひどいときは風呂場にゲジ(ムカデのでかいバージョンみたいな虫)
が出たこともあります。まだ小さかった僕にとって、そのような虫を駆除してくれる母や4つ上の兄はとても頼もしい存在でした。今住んでいる家より敷地は
小さかったけれど、狭いぶん家族が密集することができたのでとても温かい家でした。
その家と隣の家の間には赤レンガで作られた壁があり、兄はそこに野球のボールをなげつけて壁当てをして遊んでいました。兄が楽しそうにボールを投げる姿
を見ては、『大きくなったら野球選手になりたい』と言っていたのを思い出しては、ひそかに応援していました。
10年ほど前に引っ越したその土地は現在道路になってしまっています。もう赤レンガの壁はありません。僕が誤って落とした果汁グミが1個へばりついたあの
レンガはもう存在しません。『壁当てばっかりやってたらレンガが崩れちゃうよ』という母の心配事も聞くことができません。
前にも書きましたが、弟の僕でさえまもなく19歳。兄は23になりました。壁当てをやったり、1日30分までと決められたファミコンをやりすぎて親に怒
られたり、兄とやったゲームに負けて腹を立てて泣いたりすることはこの先ないでしょう。

もう戻れないあの時間。

いつのまにか、僕は大人になりました。
160大人になった名無しさん:04/03/12 00:57
幼稚園年長〜高2。
家族初めてのマンションで、しかも窓の広い3階。

そこまではいい。
問題は、すぐ下を京急線が通っていたことだ。
電車が通るたびに、ごごおおおおおおという大音量の音。
その度にテレビのボリュームを上げる、大声になる、録音がぶちこわしになる(たまに)
でも子どもだったのでそれが普通だと思っていた。

そして下の兄貴と共用の、6畳の子ども部屋。
ついたてを立てて背中を向けて机に座っていたのだが、
しょうもない事ですぐ喧嘩してついたてをゴンゴン倒しあう。
キレた親は工事屋を呼んで壁を作ってしまった・・・。
約3畳の細長い部屋・・・さらに取り付けられたアコーディオンカーテン・・・

でも、よく夢に見る。懐かしい。
161大人になった名無しさん:04/03/24 03:43
あげてみましょうか
162大人になった名無しさん:04/03/24 16:48
とあるマンションに住んでいたが
阪神大震災で倒壊→取り壊し
163大人になった名無しさん:04/03/26 00:15
辻堂にある団地に住んでいたよ。
当時は子供がたくさんいて、目の前の芝生や棟の間にある公園で子供同士で遊んでいた。
最近は、未就学児は子供同士で公園になんていってはいけないんだよね。
あの頃は牧歌的だったなぁ。
公団団地なのに、スーパーが紀ノ国屋だった。
幼稚園にはバスで通っていた。外国人の園長先生のいるキリスト教系の幼稚園だった。
間取りは2DK。転居して30年ほどたつけど、今でもなぜか住所はおろか、
電話番号まで言える。そうだよね。生まれて初めて覚えた電話番号だったのだから。
164大人になった名無しさん:04/03/26 00:50
偶然、小学校まで住んでいた町に立ち寄った。(現在は10駅ほど離れたところに住んでいる)
ちょうど通っていた幼稚園の近くだったので、かつての家までの道を歩いてみた。

母親に手を引いてもらって歩いた、あの無限の長さのように思われた坂が、ほんのちょっとの距離だった。
背の高い植木のせいで見えなかった道すがらの家の中が、横目で見るだけでのぞけた。
土曜の昼にいつも買っていたパン屋は、コンビニになっていた。

たった十五年しかたってないのに。
一人暮らしをしてみると、
自分が如何に良い家に住んでいたか良く解った…

苦労知らずの坊ちゃん言われてもしゃぁないか_| ̄|○
いや、炊事洗濯くらいは出来ますよ?
え、俺の家?俺が10歳の時に火事で燃えてしまった。逃げ遅れた母が死んだ。
それから8年間、父に育てられてきた。
色々あったけど、幸運にも学費が安い国立大学に合格できた。
んで、今は一人暮らしの為の準備を色々している。

父さん、今までありがとう。そしてこれからもよろしく。
母さん、これからも俺を見守っていて下さい。



焼けた家の跡には何があるか知らない。はっきり言って見るのが辛い。
167大人になった名無しさん:04/03/30 10:32
>>166
父さんを大切にして。母さんはきっと見守ってる。
168大人になった名無しさん:04/03/30 11:07
>>50のリンク先だけど…ウチの方は昭和50年のものがあるけど。
場所によっては平成のものしかないのかな?
169大人になった名無しさん:04/03/30 13:44
自分の家じゃないけれど、
小学生のころよく遊びにいってたおじいちゃんおばあちゃんの家。
当時いえもまばらだった新興住宅街の高台からは川の流れや
遠くを走る電車が見えた。よく地図を見ながら窓際でお菓子を食べて
眺めていた。
夕方おじいちゃんが仕事から帰ってくると喜んでおじいちゃんを迎えに
バス停まで迎えに行った。遊びに来ている孫のためにいろんなお土産や
おもちゃを山ほど買ってきてくれた。高校のグランド沿いの道は遠くに
山が見えて夏は虫の音が心地よかった。

今もおじいちゃんもおばあちゃんも健在だがめっきり歳をとってしまった。
懐かしい家はもうだいぶ前に売り払い都心のマンションに引っ越した。
今その家は知らない人が住んでいて街も住宅が増えて田舎臭さは無くなっている。
とても幸福な子供時代を過ごさせてもらってた。ありがとう。
170大人になった名無しさん:04/03/31 00:00
私が住んでた家は、木造の平屋だった。
友人には大きな家の子がたくさんいて、自分だけボロ家なのが恥ずかしかった。
風呂もない、トイレはポットン・・・。
でも今のようなコンクリートジャングルより味があったな。
隣の市に引っ越してから何度か見に行ったけど、
昔あったドブ川が埋め立てられ、田んぼが信号付きの道路に変ってた。
あの田んぼにはザリガニが多くいて、友人や兄や母や祖母と捕りに行ったのに。
路地を探検するのが大好きで、兄と路地の地図まで作成した。
大人になって隣の市に引っ越したけど、兄は「ここが良いから」と元の家に残った。
数年後、取り壊される事になり、その頃は未練はなかったのに
今になって色んなことが懐かしく思い出される。
今、私が一人暮らししているこの公団と、あの家の間取りはほぼ同じ。
でも楽しく過ごした家族はここにはいない。
あの貧しかった時代に戻りたいとは思わないが(今も貧しいが)、
でも、もう一度家族と暮らしてみたい。
母が待つ家に帰りたい。仕事を終えた父に「お帰り」と言ってあげたい。
171大人になった名無しさん:04/04/02 23:26
泣ける2ちゃんねるからこのスレに来て
>50のリンク先で自宅周辺を探してたら4枚あった
1つは74年俺が生まれる前。引っ越してくる前
次が79年。俺の家が載ってる。引っ越してきた年だ
そして84年。火事で自宅が載ってない
89年にまた家が載っている
なんか、節目ごとに写真があってびっくりした
172大人になった名無しさん:04/04/09 23:09
>170
自分の家も、木造の平屋で、トイレはボットン。
おまけに薪で沸かす風呂だった。
父は田舎の公務員で特別貧乏という訳では無かったが、
二人の息子の教育に金をつぎ込もうとして
(田舎なので大学は必ず下宿して都会に行かなくてはならない)、
家とかに回す金は無かった。
僕自身は自分で言うのもなんだが、運動も勉強も出来る優等生で、
そういう子はいい家に住んでいるんでしょ、みたいな周りの雰囲気が
何故か有って、僕は自分の家を友達に見せるのが凄く嫌だった。
そんなことを気にするのは男らしくないんだが、自分の性格のせいもあるのだろう。
自分の部屋はなかったし、オモチャなんかも買ってもらえなかった。
みんなが持っているようなステレオも無かったし
(レコードも聴くことが出来ない)、
テレビゲーム、ビデオ、ウォークマンも無いのが引け目だった
。好きだった子が、貸してくれたレコードも聴くことがないまま
、聴いた振りして返した。
自分の力ではどうすることも出来ないので、とにかく勉強して良い大学に行って金持ちになりたいと思っていた。
大学は医学部を選んだ。
家庭教師なんかで金回りが少しは良くなったのでステレオ、テレビゲーム、ビデオ、ウォークマンは自分で買った。
働き始めると思ったより医者の給料は良くなかったが、5年で実家を立て直すことが出来た。
その頃には家に対しての引け目は感じないようになっていたが、
自分の中の何かが満たされたような気がした。
親の方針を否定することは出来ないが、
ただ、子供の頃にもっと物質的に満たされた生活をしたかったなという気持ちは持ち続けている。
俺の小さい頃は、家を借りることもできず、アパートでもなく、
「間借り」して生活していた。

今の時代は、間借りなんて聞いたことないだろう?
174大人になった名無しさん:04/04/12 03:14
良スレ。
自分はいかに親に感謝しなければならないのか
改めて判った気がする。
175大人になった名無しさん:04/04/12 04:39
先日行ってきたよ、幼稚園まで住んでいた家。某70年代末期建設のコーポ。
1階角部屋で、6畳程度の小さな庭がついていた。
外装は塗り替えたようだが、面影は変わっていなかった。隣が空き地なのもそのまま。
垣根の椎の木に混じって、昔おふくろが静岡の実家の農家から株分けで持ってきて
植えたと思われる南天が、すっかり大きくなっていた。
その南天のさらに株分けは、現在の我が家のベランダの大きな鉢に植えられている。

それから3歳のときに一人でふらふらと駅前の本屋に出かけて、親が血相を変えて
探しに来たという曰くのある本屋にも寄ってみたが、とにかく狭くて暗いのと、
良く見るとところどころ禿げてぼろぼろになった木の本棚が哀愁を誘った。
そういえばこの辺の棚においてあったファミコンの必勝本を買ったなーとか思いながら。
近くにはもっとりっぱで明るい内装の本屋も数軒あるのに、あれで経営を続けられるのだろうか。

他にも公園とか見てきたけど懐かしかったな。
幼稚園時代「きりんこうえん」と呼んでいたのに、そのキリンの首の遊具が
無くなっていたのはちょっと悲しかった。
あと昔からずっと来ていた移動トラック八百屋が、その日もいたのには感動した。
住んでいたのは1985年までね。
今から5年位前に行った時に、家はまだあった。幼稚園入る前かなあ、蜘蛛の巣つつこうとしたら勢い余って天上に穴開いた。まだあった。w
おれが赤ん坊の頃二重サッシの段差から落ちて頭突きでガラス割った(その時の事はよく覚えてる)サッシから見える木は色が抜けて白くなっていた。
一歳位の時はひんやりしたそこに隠れてマッチの火薬を喰ったものだ。
まだ2歳頃だろうか、風呂は青いタイル張りだったが親父がそれ砕いて新しくした。2歳の頃、図鑑で電球の仕組みを理解し、推測が正しいかの実験として、
アルゴンガスが抜けたら直ぐにフィラメントが焼き切れてしまう事を証明しようと夜中に懐中電灯を持って家の裏行った時もこのタイルの破片があった。
この頃のドラえもんのエンデイングの歌の一部は
「ごらんよあの空をながめていると、だれかさんの笑顔に見えてくるよ。」
だった。
流しには本来は外灯用の電球がついていて、ギラギラしてて眩しかったなぁ。米びつの臭いが大好きで顔っこんでたっけ。裏の苔の臭いも大好きだ。
引っ越す前に栗の木は切ったから無かった。でもおんこの実(おまんこの実?)はまだある。砂場も石油タンクもある。
家はロバパンという所でパンを買っていた。その道の途中にダッチェスという会社がある。
その会社の看板は今見ても非常に気持ち悪い。本厚木文化会館近くでダッチェスを見掛けて思い出した。
クロハマという人の家まだあった。ここの家は玄関入ると広い暗い空間があり正面と左に扉があり右には階段がある。階段のある壁には何かをかける
木で出来た、ドキュモの黄色いチンコのマークを横にした様な形の帽子掛けらしきものがあるが、昔は少しでも暗い所に一人で居る事は恐くてまるで出来なかったのと
それの形が気持ち悪くて、ギュンギュン迫って襲われる恐怖に駆られたので、それにギュンギュンと名付けて、一人では決して入れなかった。
この家の向かいは知らないじいさんの家で、自閉症の俺はそれが悪いとはわからず何くわず入って行った。
そしたらじいさんが、外のランプ型の電灯とそっくりの形した紅茶の飴をくれた。まだ幼稚園入ってない頃の事だ。
俺はこの町で6年暮らしたんだよなあ。町並みはある程度変わっていて、俺が延々ぐるぐる回りながら家から水を撒き散らしながら歩いていって遊んだ場所はすっかり舗装されていた。
そこにはエンジン音がボロンボロンうるさい軽ジープが2台あったはずだ。だが、一日中上を見て雪虫潰しをしてた場所は残ってた。学校も相変わらずだった。
たぬき小路には俺が生まれて初めて感電した場所がある。だが確認する暇は無かった。
自閉症の俺が育った場所。
ここより4年位も長く居た湘南を地元と認識する事は到底出来ない。人が攻撃的だし。
やはり俺が地元と呼べるのはそこだけなのだ。
何年か振りでばあちゃんの家の跡を見て来ました。マンションになってました。
おれが居候していた部屋があった場所には、やっぱり部屋があって。もちろん新しくなったのだけど。
それでもそこには明かりが点っていて。その部屋の人はやっぱり同じようなことで楽しかったり、悲しかったりしてるのかな。
そんなことを思いました。
でもね、そこには庭もあったんだ。こおろぎが鳴いてた。その鳴き声があの頃どれだけ支えになっていたか。
夜になると真っ暗だった近所の町。携帯もメールもなかった頃。たった一人だった。遠くを走る夜汽車の音。
今年はきっと墓参りに行くからね、ばあちゃん。
漏れが住んでたアパートが近い内に取り壊しになり(´・ω・`)
うちの近所のオンボロ社宅がとうとう取り壊される模様。

2年くらい前に人がドバッと居なくなり、
干してある洗濯物から察するに、30部屋に3世帯くらいしか
残っていなかったんだけど、いよいよ立ち退きさせられちゃったみたい。

別に自分が住んでいたワケじゃないけど、
見慣れた昭和の残滓が、またひとつ消えていくのは、
やっぱり寂しい物ですね。
182大人になった名無しさん:04/05/01 00:39
亀レスだが
>>159で泣いた!想像できるよその情景…
電車の窓から 見える赤い屋根は
小さい頃僕が 住んでたあの家
庭に埋めた柿の種 大きくなったかな
クレヨンの落書きは まだ壁にあるかな
今はどんな人が 住んでるあの家

背伸びしてみても ある日赤い屋根は
隠れてしまったよ ビルの裏側に
いつかいつか僕だって 大人になるけど
秘密だった近道 原っぱはあるかな
ずっと心の中 赤い屋根の家
184大人になった名無しさん:04/05/06 22:22
age
185大人になった名無しさん:04/05/07 19:11
30年前、0〜3歳まで住んでたアパートがまだあった。
ヒトも住んでる。
バラみたいな模様の窓ガラスもそのまま。
郵便ポストに、10円玉でスリスリして貼り着けた電車のシールもそのまんまだ。
あまりジロジロ見てるとやばいので、すぐに立ち去った。
とっても月並みだけど、十年以上前のガキの頃に住んでいた家を訪れて、そのあまりの狭さと小ささに衝撃を受けた。

見上げるような高さだった建物はこぢんまりと。駆け回っていた公園は庭みたいに狭く……こみ上げてくる感慨があった。

取り壊される寸前だったから、今はもう無いんだろうな。
あのころに戻りたい。
>>68
「2ちゃんねる・ぷらす」掲載おめ

泣いた
3年前、専門学校に通う為仙台へ行った。
入学して2ヶ月位経った日に、0歳から幼稚園を卒園する直前まで住んでいた団地へ立ち寄った。
テニスコート、団地内の公園、団地の外観。何もかも昔のまま残っていた。
電車が走ってる風景もそのままだった。3歳の頃、電車見たさに足場代わりのゴミ箱から落ちて
利き腕を骨折した事は今も覚えてる。
それと向かいに住んでた人は今も居ると言う事を親から聞いたのだが、いきなり会うと迷惑が掛かると思い会うのをやめた。

土日は団地内の公園付近は遊んでいる子供たちでごった返していたが、今は殆ど居ない。
行ったのは一回だけだったものの、毎週土曜になると来てくれた紙芝居家のじいちゃんも印象的だった・・・
お菓子を買わない子には絶対見せてやらない、そういう人だった。
そんなじいちゃんも数年前に他界・・・ちょっと寂しかった。

規模は小さかったけど夏には団地ぐるみでお祭りをやったっけな。
とにかくここに住んでいた時が一番楽しかった。

父親も当時は会社が週休二日制だったので、一緒に遊んだりいろんな所へ連れてってもらったな。
いつかは自分が生まれ育った思い出深いこの団地に住みたい・・・そう思った。
ウチの親は何故か「仙台に居た時の事は思い出すな」っていうけどそれは無理だよ。
こんな思い出の場所を忘れるなんて出来ないよ。
189大人になった名無しさん:04/05/15 01:04
今年24になる私がそこから離れて、もう14年も経ってしまいました。

それは東北最北端の青森のさらに北の方。そんな田舎の町に住んでいました。
私が住んでいたのは棟割の県営住宅。丁度、二階建ての小さな家が五つ程並ん
だものがいくつか有るタイプの県営住宅でした。窓からは七竃の並木道が見え
ていて思い出す度に鮮明に七竃の赤い実が浮かびます。

よく遊んだ女の子の友達。私の住んでいる団地からはちょっと離れた家に住ん
でいた彼女とは家族ぐるみの付き合いをしていました。しかし小学四年生の冬
に父の仕事の関係で転校する事になり、そうしてそこで過ごす最後の春休みが
来ました。まだ雪の残る道をその女の子と歩きながら、彼女は「もうきっと会
えないんだね」と言いました。私が「そうだね」と言うと、彼女は「でも手紙
は書けるからさ」と笑ってくれました。その時私は彼女の目も見ず「そんなこ
と言ってもきっと高校生位になったら忘れちゃうよ!」としか言えませんでし
た。

最後の日にトラックからみた彼女の精一杯の笑顔を見た時、死んでしまう人を
見ているような気持ちにさせました。そうして私はそこから離れました。

新しい土地で過ごす残りわずかな春休み。道をいくら歩いても遊ぶ友達も無い
し新しい家も落ち着かず、ただ闇雲に新しい通学路の道を何度も往復しながら
私の居場所はここじゃない、と思っていました。だってここには七竃が無いか
ら。あの七竃の見える場所が私の帰る家なのに。そう思いながらどこに向かえ
ばいいのかわからない私がいました。

あれから数年。あの時言った言葉はその通りになってしまい、高校に入る頃に
は手紙のやり取りもなくなっていました。…あんな事言わなきゃよかった。本
当に言った通りになってしまいました。

今ではこっちで友達もたくさん出来て楽しく暮らしていますが、七竃を見ると
あの頃住んでいた家に帰りたく思います。話ではもうその団地も無いそうです。
190大人になった名無しさん:04/06/05 05:52
懐かしい、小学校時代の町並み。

大きく変わっていた高校時代、周囲のDQNと「昔の町はこうだった」「何を、この変人何いってんの?」
と口論になってからも、もう、5年が過ぎた。

色んなことがあった。
小さなアパート。
親父が雑木林の隣を挟んで前住んでた長屋の隣に経つアパートができるのを今か今かと、待ちに待って、
とうとう長屋のご夫妻に追い出されて、電気もまだきてないのに住み始めたアパート。
かわるがわるに入れ替わった御二階。女子高生、看護婦、時には893の銃撃戦もあった。

近所には可愛がってくれた人たちがいっぱい居た。
母親よりも慕ってた近所の姉ちゃんもいた。
当時、その姉ちゃんが病気に苦しんでるなんて知らなかった幼稚園時代。

カブトムシとかが居た雑木林が火事で燃えた頃、俺は、姉ちゃんの第一発見者になったらしい。
俺は、ほとんど抹殺された記憶の中で土間に駆け込んだら、姉ちゃんがぶらさがって、とんでもないくらい
大泣きした。それからだったかな、しっこちびりぐせが、だいぶ長い間とまらなかったのは。

近所にあった食用蛙が居た田んぼも、今はマンションになってる。
凧揚げしてて50円玉落とした田んぼも今じゃコンクリで固められてる。
それから3年して小学校3年の時に祖父が死んで今のところに引っ越した。

アパートはまだあるけど、俺は、記憶が戻るといけないから近寄れない。
一度戻りかけて、苦しかった。
191大人になった名無しさん:04/06/06 00:03
二度と辿り着けない祖父母の家。

小学校の頃、よく泊まりがけで行ったっけ。夏になると二階は暑くて、窓を開けて寝た。
窓には紺色の金魚柄のレースのカーテンが下がっていたよ。
夜、二階の窓から見える景色を思い出す。貨物列車の汽笛が聞こえた。
遠くに見えるテレビ党の赤いライトの点滅が、なんとも物寂しい雰囲気だった。
そこは今は亡き、叔母の女学生時代の部屋で、叔母が描いた絵なんかが
無造作に置いてあったりした。小さな鏡台。古くて大きくて重そうな和箪笥。
座机。

応接間で夜、テレビを見た。見ている途中、ソファで本を読みながら
叔母さんは寝てしまっていたね。お祖父ちゃんはいつも自分の椅子に座って
新聞を読んでいた。その場面が蘇り、夢に出てきたら、目覚めた時、私は泣くかも
しれない。
192大人になった名無しさん:04/06/06 00:47
去年、4年付き合った彼女と結婚した。
今年のゴールデンウィーク、どうしても見せたい場所があるからと
帰省ついでに大昔住んでいたアパートに連れて行った。俺が産まれ、育った場所。
もうすぐ着く頃に、アパートの屋根が見えた。
まわりに高い建物なんか無いから、すぐにそれだと気付いた。
看板こそ以前よりも新しいものに変わっていたけど名前もそのまま、
だけど俺と家族が住んでいた部屋のあった1階は、いつのまにか駐車場に変わり
そこに俺の思い出は無かった。
「ここが見せたかった場所?」とカミさんが聞いた。
「そうだよ、俺が産まれて育ったのがこの場所。アパート自体はあっても
部屋が無くなってる・・・思い出が無くなっちゃった感じで寂しいな」
そしたらカミさんが微笑んで「思い出が無くなったってのは違うでしょ?」と。
「時間が経って部屋は無くなったかもしれないけど、心の中の大切な思い出が
無くなってないから、ここに来たんだよね?
大切な思い出だから、連れてきてくれたんだよね?」
そう言われて涙が出た。
なんとなく、だけど、この人と結婚してここに一緒に来れて良かったと思った。
193大人になった名無しさん:04/06/21 22:51
ホッシュ age
194大人になった名無しさん:04/06/22 22:02
>>192
エエ話ヤ・・・
195大人になった名無しさん:04/06/26 19:06
俺は今日の朝方押し入れの奥を探していたら古びた仮面ライダーの人形を見つけて思い出した。

ひいばあちゃんが最後に買ってくれた物だった
・・俺の家庭は共働きな為に良くひいばあちゃんの家に行っていた。

狭いながら居心地の良い部屋、畳の匂い漂う床。
何時も行くとアイスクリームを買ってくれた。

百円のアイスクリーム、今は安っぽいと思うが昔は一番のご馳走だった。
そして当時の俺は叶うはずも無い夢をひいばあちゃんに語っていた。
「大人になったら仮面ライダーになって皆を守る」

こんな夢を語っていた少年時代。
で、ひいばあちゃんは何時も真剣に聞いてくれた。
そしてひいばあちゃんが死んだ日。

ガキの俺には何が何だか分からなかった。
一つ覚えているのはひいばあちゃんの棺桶に大事なもう一つの仮面ライダー二号の人形を入れたこと。

そして久々にひいばあちゃんの家へ行ってみた。
まだ借家として残ってた・・胸が痛くなる。

そして周りを歩いていった・・・
お菓子を買ってくれた駄菓子屋。
一緒に金魚を放流した小さい川。
流石に駄菓子屋は潰れていたが家だけは残ってた・・・

あの時夢を聞いてくれたひいばあちゃん。
有り難う。
196大人になった名無しさん:04/06/26 21:37
>>195
ばあちゃんはご健在ですか?
197大人になった名無しさん:04/06/27 14:06
>>196、はい今も健在です。
198大人になった名無しさん:04/07/03 21:12
俺が育った賃貸マンション
今は駐車場になってる
家を建て直したときに数ヶ月だけ借りてた家が広くて大好きだった。
数年後に懐かしくなって見に行ったら、893らしき連中が出入りしてた。
そのまた数年後には空き地になってた。
200大人になった名無しさん:04/07/04 23:43
郊外の庭付き一戸建(借家)。
そんなに大きな家ではなかったけど、久しぶりに行ってみたら、
同じ敷地に2軒の家が建っていた。
201大人になった名無しさん:04/08/01 13:58
良スレage
202大人になった名無しさん:04/08/01 13:59
良スレage
203大人になった名無しさん:04/08/01 23:58
ずっとレスないんだな、自分も文章まとまったら書き込もうと思う。
みなさんのレス感動しました、ありがとう。
0歳から7歳まで住んでいた家・・・

今、そこを郵便配達してます。
205大人になった名無しさん:04/08/26 00:13
小学一年まで住んでた家。
二人くらい見えない同居人がいたらしいけど、
家族もいた。
あれ以来帰るべき家がありません。
206アブソルート乗り:04/08/26 01:01
小学6年の春までその家に住んでいました。
平屋でせまくて、シャワーもなくて、でもいい思い出ばかりです。
友達をみんなあつめて誕生日会を開いたり、おじいちゃんが遊びにきたり、
でもいまはシルバーのインプレッサーがとまっていました。
引っ越す前日の夜、「おもいでぽろぽろ」がやっていて今までこのうちであった出来事
をおもいだしていました。
かべのらくがきはまだあるかな...
207大人になった名無しさん:04/08/26 03:14
16歳の冬、僕はこの家に引っ越してきた。
僕の部屋の窓からは前住んでいた団地が見える。そんなに近い思い出の家。
産まれた時からずっと暮らした団地は本当に小さかった。
キッチンと6畳の部屋が1部屋に3畳の部屋が1部屋。廊下も無く襖だけで区切られていた。
よくそんな家で家族4人生活していたものだと感心してしまう。
そんな狭い家の中は、常に家族の笑い声が響いていた。
あんな小さな家だったからこそ家族仲良く暮らせたのかな。

引っ越して5年。前の家の付近は引っ越してから一度も行っていなかった。
近いから特別昔を懐古することもなかったし、行く機会も無かった。

そして今年の成人式の日の夜。
当時同じ団地に住んでいた幼馴染と一緒に団地に行く事になった。
懐かしい話に盛り上がる僕達を待っていたのは変わり果てた団地の姿だった。
横の道には放置自動車の列。1Fのテナントの店は「貸し店舗」と書かれたシャッター。
ボロボロになったポストに見覚えのある苗字など無く、代わりに見慣れない文字で綴られた名札。
入居者は全戸数の3割にも満たない。
僕達は言葉を失ってしまった。
懐かしい景色はそこになかった。
家中に響く笑い声は聞こえず、頬を刺す冷たい風の音だけが響いていた。
 俺が新宿に住んでいたのは今から30年も前、幼稚園のときのことだ。
大通りからは奥まった所にあって、家の前の小道の出口には花屋と焼き鳥屋と
駄菓子屋があったのを覚えている。駄菓子屋ではよく仮面ライダースナックを買ったもんだ。
 家は木造の平屋で、結構広かった記憶があるが、とにかく古い家だった。
トイレはくみ取りで、トイレットペーパーではなく「ちり紙」だった。
俺は毎晩、赤いワニのぬいぐるみを抱いて寝ていた。ある日、軒先に干しておいたら
雨が降ってきてグショグショになり、そのまま親に捨てられてしまった。
その悲しさと怒りはお袋となぜか軒先の板に向かい、板をぶち割ったりもした。
友だちのことは覚えていない。近所の子どもの中で年が一番下でイジメられてたし。
 家の裏には小学校があった。卒園したらそこに通うはずだったけど、卒園前に引っ越した。
俺の住んでいた家が無くなるなんてその頃は思いもしなかった。
親と同じように永遠にあるもの、と錯覚していたから、小中高大、就職してからも
一度も戻って見てみようなんて思わなかった。というか、毎日が忙しすぎた。

 時が過ぎ、俺は結婚式を新宿で挙げ、その晩、散歩がてらに妻を連れて生家に向かった。
「運動会の時期は裏の小学校から歓声が聞こえてきてさ……。
 花屋の隣に焼き鳥屋があって、おでんの屋台を引くおじさんが……」
と、なんとなくワクワクしながら歩いて行った。
やめときゃよかった。
 家のあった場所は、よく言えば資材置き場、正直、産廃置き場みたいになっていた。
花屋も焼き鳥屋どころか、小学校さえも跡形もなく消えていた。
時代に取り残されたように家の周辺は寂れに寂れ、地上げの後遺症が見えるようで痛々しかった。
ふと顔を上げればそびえ立つ都庁やビル群が間近に見える場所なのに……。
 新婚の妻が隣にいるにもかかわらず、呆然と立ちつくして声もださずに涙を流した。
子どもの頃にいつも抱いて寝ていた赤いワニのぬいぐるみが、なぜか心によみがえってきた。
6才から高1まで過ごした家は、狭くて暗くて汚くて
友達にも見られたくなかったけど、
流行ってる商店街の真ん中に立ってたんで
あの汚い家があいつの住んでるとこだぞってバレバレだった。
実家はもっと広かった、もっと明るかったと愚痴ばかりこぼしていた母
潜水艦に住んでいると思えば楽しいじゃないかと笑っていた父。
広くて明るい家に引っ越したときは、それはそれは嬉しかったよ。

阪神大震災で、あの家は商店街ごと燃えてしまった。
お向かいのおばちゃんも、裏のおっちゃんも焼け死んでしまった。
あの家に住み続けていたら、俺も死んでいたんだろうな。
毎年1月半ばになると、関西では震災特集番組が流れる。
それを見ながら俺は一人で泣く。
何に対して泣いてるか自分でもわからんが、
大切な大切な何かを失った気がして、涙がこぼれる。
泣ける2ちゃんねるからきました。
もう涙が止まらない。良いスレをありがとう。
良スレですね。私も便乗させて戴きます。
昨日、付き合っている人と生まれ育った団地を見てきました。

中学生のときに引っ越すことになり、
当時私は「絶対もうここには帰ってこない」と誓いました。
ここへ来たら絶対に、もう戻らない幸せを求めてしまうと思ったからでした。
それなのに昨日その家へ戻ったのは、もうそろそろ大丈夫かと思ったのです。

物心つく前から10年以上住んだその団地には、
懐かしさや幼心、決して帰ってこない家族団欒や冒険心の全てが詰まっていました。
ふざけて兄と掘った落とし穴、食べた果物の種を植えた花壇、
毎年咲くのを楽しみにしていたあじさい、薄暗い階段……。

昨日行ったのは夕方だったのですが、家族の笑い声なんかどこからも聞こえない。
夕飯のしたくの音も、匂いもしない。
辺りは空き家が目立ち、花壇は全く手入れがされておらず、
まるでゴーストタウンのようでした。

建物も変わっていないし、私の掘った落とし穴はまだあるのに、
私の植えた木が大きく育っているのに、
私の幸せな空間は、やはり永遠に失われてしまったのだと感じました。
悲しくて寂しくて戻りたくて、苦しくなりました。

だけど隣にいてくれた恋人が私の代わりに何故か泣いてくれ、
私も素直に子どもに戻れた気がしました。
何か無性に苦しいけれど、大切な忘れ物をとりに戻った気分でした。
212210:04/08/28 01:09
3年前の大学時代、付き合ってた彼女。すごく明るくて、笑顔の可愛い人でした。
そんな彼女の住んでたアパートは6畳一間のぼろいアパートでした。
当時同じくらいのボロアパートに住んでいた僕。
いつも彼女の家にいて半同棲状態でした。

二人で買出しいって彼女の作る料理を食べた後
いっつも発泡酒飲みながら、くだらない話や将来の事とか
語ってました。そういえば初めてキスした場所も彼女のアパートでした。
結婚したら、もっと大きな家に住みたいって彼女はよく言ってました。

そんな生活を続けて3年、大学卒業まじかになって
彼女は突然僕の前からいなくなってしまいました。
信号無視の交通事故でした。彼女を失った僕は
大学も辞め、自暴自棄な生活を送っていました。

213210:04/08/28 01:10

彼女が死んでから僕は一度も彼女のアパートを訪れませんでした。
けどこのスレを読んで、僕は今日彼女の住んでいたアパートに
行ってみようと思いました。電車で一時間程いくと彼女と暮らしていた
あの街に着き、あの交差点を過ぎると彼女の住んでいたアパートというところまで
来て、僕は足を止めてしまいました。僕は何の為にここにきたのだろう?
何を見に来たのだろうと急に言いようのない不安に襲われ怖くなってしまいました。

勇気をだして彼女のアパートの前に来ると、彼女のアパートはそこに有りました。
しかしアパートを見た瞬間彼女の顔、声、思い出が一斉に僕の頭の中に吹き出してきて
僕は涙が止まりませんでした。

アパートは良く見ると新しい塗装がしてあって、彼女住んでいた部屋には
新しい住民がいるようでした。僕は彼女との時間を思い出すと同時に
この三年間で僕以外の周りの時間が進んでいる事に初めて気がつきました。

すこし新しく見えるアパートを眺めているうちに、なんとなく彼女から
励まされているような気になりました。うまく言えませんが
「私はいないけど、私との思い出はここにあって、
けどあなたの時間は確実に動いているのだから、立ち止まってないないで
しっかり前を向いてね」と彼女が言ってくれた気がしました。

このスレ読んでよかった。本当に感謝します。

瞳へ

僕はまだ瞳を完全に思い出にするには時間がかかりそうだよ。
けど、明日から僕は前を向いて生きていこうとおもう。きっと
瞳がそう思ってくれてると今日感じたから。
少し自分の心に整理がついた気がするよ。明日から少しでも
変われるように頑張ってみるよ。

長文&駄文すいません。でも書かずにはいられなかった。

・゚・(ノД`)・゚・
215大人になった名無しさん:04/08/29 20:14
・゚・(ノД`)・゚・
・゚・(ノД`)・゚・。
217大人になった名無しさん:04/09/02 23:47
感動age
218大人になった名無しさん:04/09/11 22:00:11
今度アップしてもイイ?
219大人になった名無しさん:04/09/12 23:20:59
・゚・(ノД`)・゚・
220大人になった名無しさん:04/10/02 00:42:33
age
221大人になった名無しさん:04/10/02 01:09:55
浜松市高町の半僧坊の側に祖母の家はあった。
今はその寺の駐車場となっている。
戦中、祖母が朝鮮に行ってる間、
家族が壺に貯金通帳や現金、貴重品を入れて庭に埋めたと聞く。
しかし、浜松には二十数回も空襲があり、
建物は松菱百貨店と公会堂以外は殆ど潰滅した。
徳川時代に建てられ文化財であった五社神社社殿も灰燼に帰した。
敗戦後、祖母は家のあった所へ行き壺を探したが見つからなかった。
222大人になった名無しさん:04/10/02 14:33:46
数年前、俺が大学生で他県で一人暮らしをしている時、
祖父母が暮らしやすいように、と両親は家を建て替えた

帰省し新築された家を目の当たりにした瞬間、
何か頭が真っ白になった

「ただいま」

が不自然に感じられた……

荷物は全部とってある、とは言っていたが
今はまだベッドとドレッサーしかない新しい俺の部屋
新築ならではの部屋の香りに違和感を覚える

寝っ転がって天井を見ていたら涙が出てきた……
223大人になった名無しさん:04/10/05 11:15:56
>>222
元気だせ。心の中の家はちゃんと「おかえり」と言ってるよ。
224大人になった名無しさん:04/10/05 11:37:35
もうそろそろ築30年は経とうかという我が実家。
むかしは家族8人で、いつもどこかで人の声がしてた。
笑い声、怒る声、そんな声の絶えなかった家も、
兄弟姉妹は嫁いだり一人暮らし始めたり、
祖父祖母はあの世へと去っていったり、
そして自分も実家を後にして20年。

久しぶりに帰ったら、あの広い家に老いた父と母の二人きり。
あ、この家の役目は、もう終わりかな。
そう思った。
225大人になった名無しさん:04/10/05 22:06:07
>>183
列車砲の窓から 見える赤い屋根は
小さい頃僕が 住んでたあの家
庭に埋めた白骨死体 骨になったかな
クレヨンしんちゃんの埋め込み まだ壁にあるかな
今はどんな人が 住んでるあの家

という替え歌を作った香具師がいました。
226大人になった名無しさん:04/10/06 08:46:00
白骨死体が骨になるのか(w
227大人になった名無しさん:04/10/07 00:06:51
そのくすんだ写真の中で 大きく目をみひらいているのは 幼い日のわたしだ 
わたし自身の瞳に 未来はどのように映っていたか

家族というのは 欠落した枝の部分が 最もかがやいている樹木だ

父親はかって樫の木の 幹でもあっただろう
母の面差は林の奥の 小さな泉のようで そこだけが静かな光の輪だ

雀色時を風が吹いて 同じ方角に顔を向けたまま 家族は寄り添っている

母乳の足りない弟妹や 生まれてこなかった姉
守護霊としての祖父母まで加わって 一葉の写真の中
いつか離散するためにこそ しばらくそこに 団欒している
228大人になった名無しさん:04/10/08 11:00:12
高校生まで住んでいた家はかなり古くて、風呂なんてなくて銭湯。雨漏りもしてた。
子供ながら友達呼ぶのが恥ずかしくて、呼んだ記憶がほとんどない。俺の部屋は
4畳半の仏間に勉強机を持ち込むというちょっとした荒業の上に成り立っていた。

いよいよ、立て替えしようかという頃に、俺は大学受験で1週間程不在になったんだが、
まさか俺がいない時に立て替え施工するとは思わなかった。帰ったら家が更地になってて
途方にくれた記憶がある。近所のおばちゃんに、近くの空家に仮住まいしてると聞いて帰ったけど。
もう一度更地に帰って、何故か、ちょっと悲しくなった。立て替えた家も、今は道路になっている。
229大人になった名無しさん:04/10/11 20:48:32
リゾート地に東京から越して来た女の子。
仲良かったけど中学を卒業してから誰として会ってない。
今日、彼女が住んでいた家の前に行ってみた。
大きい邸宅は今も変わらなかったけど
新しい住人が住んでいた。
出て来たシャム猫とじゃれていたら住んでいるというおじさんが出て来て
話をした。
5年前に越して来たというおじさん。
彼女一家は今、海外にいるという。
彼女は再びこの家に戻る事はないんだな・・少し寂しかった。
230大人になった名無しさん:04/10/16 10:51:38
おとつい昔すんでたあたりをうろうろしてたら元同級生に会った
向こうは気づいてない様子だった
かつて俺より大人で落ち着いてたあいつは、
背中に龍の大きなロゴのついたジャンバーを着たチンピラのようになっていた
231大人になった名無しさん:04/10/16 20:12:40
>>225
懐かしい・・・!!俺のところにもいたw

電車の窓から 消える赤い屋根は
小さい頃 僕が死んでたあの家
庭に埋めた 父の死体 土になったかな
・・・(失念)・・・ まだ壁にあるかな
今はどんな人が 死んでるあの家
232大人になった名無しさん:04/10/21 15:48:53
小学生の頃の話、住んでいたアパートの裏手は高さ2階以上の土手になってて、土手の上には
友人の住んでいたアパートがあって、ゴミ捨て場からゴルフクラブ拾ってゴルフ遊びやら
花火やらして遊んでいた。

それから20年の歳月流れ現在、ふと郷愁の思いに駆られその場所に言ってみると
自分の住んでいたアパート、当時新築だったそれは至る所錆びまみれだったけど顕在。
でも、裏の土手はコンクリートの舗装がされ、登れなくなっていた。
遠回りし、友人の住んでいたアパートの改札には知らない人の名前がかかっていた。
もう会えないんだろうなぁと考えると悲しくなった。
233大人になった名無しさん:04/11/01 05:18:15
保守
234sage:04/11/13 00:18:52
小学生の途中まで住んでいた社宅に、3年程前行ってみた。
壁の色は塗り替えられていたものの、残っていた。
窓には明かりが灯り、誰かが住んでる様子だった。
同時に祖父母(両方とも現在あの世)が住んでいた家にいってみたら、
家は跡形もなく、新しい大きな家が建っていた。
でも、庭の奥にあった桜の木だけは残っていた。
235大人になった名無しさん:04/11/13 00:22:29
すまん、ageてしまった。
236大人になった名無しさん:04/11/13 11:29:41
むかしの家を見に戻るのはたいてい男
帰巣本能があるんだ・・・・たぶん
237大人になった名無しさん:04/11/22 11:47:08
ここの >>30 です。
久々に帰ってみました。
なんだか立派な集合マンションになっていました。
もう見たくない、帰りたくない。
でも、自分が撮った昔のばあちゃんちの写真が残っていました。
母が渡してくれました。
できるならもう一度あの家を建てたい。でも、無理だね。
238大人になった名無しさん:04/11/22 19:55:23
墓参りに行かなくても、墓参りに行ける事ができる
という気持ちが安心感なんだと思った
239大人になった名無しさん:04/11/28 08:33:35

ずいぶん長い時間 あたしは夢を見ていたの
今はもうない あの家の小さな木によじ登って
縁側で揺れる白いブランコ
その向こうにはおじいちゃんの自転車
洗濯物に今日もじゃれては
大好きだった犬がほえている

2階の広い窓からは大きな川が見えたの
この部屋でよくあたしは写真を撮ってもらったの
テーブルのレースを肩までかぶって
鏡の前ですましていたら
父さんの描いた 母さんの絵が
ミロのビーナスの横で怒ってた
ひとり床に転がっていたら
「ごはんだよ」って声が響いてきた

あなたに見せたかったな
この家で過ごした日々を
もう少し傍にいてね このまま
あなたが思い出させてくれたの

by 服部祐民子 「家」
240大人になった名無しさん:04/12/17 21:12:22
捕手
241大人になった名無しさん:04/12/17 22:41:31
いっとき石原プロモーションの近所に住んでました。
そこにあった車庫は管理がずさんだった為
しょっちゅうそこで「西部警察ごっこ」してました。
242大人になった名無しさん:04/12/22 23:21:23
久しぶりにここに来てみた。
この切ないスレは、元気にしてたんだね…。
243大人になった名無しさん:05/01/07 13:52:12
高校まで住んでいた社宅を引っ越してから5年後、取り壊された。
以来6年経つが取り壊し後によくその場所と周辺を散歩するようになった。
引越してから取り壊されるまでは近くだったにも関わらずほとんど行かなかった
のが今となっては悔やまれる。
244大人になった名無しさん:05/01/16 12:24:57
生まれてから小学3年まで住んでたのは港区の三田の首都高沿いにある白い大きなマンション。
どんなに変わってるかと思い最近20年振りに見に行ってみたら、あの頃よりもキレイになってた。
聞くと大規模改修したらしく、ロビーもピカピカになってた。ノスタルジーのかけらもない・・・。
245実話:05/01/19 10:23:54
15年前に立てた豪邸をあさって引き渡します。
21部屋・2台分のガレージ・広い庭・・
みんな過去の思い出に・・・

人間、いつどこでどうなるか分かりません。
毎日を悔いのないようにに生きてください。
                  
自称『落ちぶれても元上流階級』の貧ぼっちゃまより。
246大人になった名無しさん:05/01/21 11:31:57
>245
今日が引き渡しか。あまり気の利いたことも言ってやれないが、まあガンガレ。
そういえば、文化っていうのは「落ちぶれた元上流階級」から生まれるのかもしれん。
247大人になった名無しさん:05/01/21 11:50:10
>>245
おつ…

まぁ俺なんて元々実家も借家だし、しかも引越し繰り返して転々としてて
思いでも糞もないさね、元気をおだし_| ̄|○
248迷い込んだリア厨:05/01/31 23:43:55
生まれた時から住んでいた豊中の団地。
6年ぶりに来てみると(と逝っても近くだが)かなり美人の新婚夫婦が住んでいた
249大人になった名無しさん:05/02/19 22:04:57
母が作った借金でもうじき夜逃げすることになりそうです。
ありがとう。11年住んだこの家。
生まれた時から住んでいた 古いマンションの一部屋
そこから引っ越してもうすぐ1年になるのだけど、
こないだ前を通ったら、工事していてびっくり。
今日聞きに行ったら、たて壊して新しいマンションにすると教えてくれた。
信じられない。
工事の人に聞きながら涙が出た。

家を出る日、押入れの壁に私の名前を書いたのだけど、
その壁も取り壊されちゃったかな。
251大人になった名無しさん:05/03/08 21:04:58
>>50のリンクで俺の住んでたところを調べてみた。

・・・・更地じゃねえか。
252大人になった名無しさん:05/03/14 22:25:14

あなたの月収は 手取り17万円 以上ですか?

 今の月収を 稼ぐために 苦労していますか?
    外国人である 在日韓国人、在日朝鮮人は 苦労せずに 毎日遊んで 暮らしています 
    生活保護で 【毎月17万円】 もらえるからです
    生活保護で 仕事もしないで 優雅に 遊んで 暮らしています
 
 日本人では なかなか 生活保護は認定されず 餓死した人もいますが
    外国人である 在日韓国人、在日朝鮮人は なぜか 簡単に 認定されてしまいます
    日本国籍をもつ 日本人では 100人に1人もいない 生活保護なのに
    外国籍である 在日韓国人、在日朝鮮人では 【4人に1人】の割合で 認定されています
 
 外国人である 在日韓国人、在日朝鮮人が 役所の窓口で 生活保護を 断られると
    認められるまで 徒党を組んで 「差別だー!」と 叫び続けます
    役所の担当者の 自宅にまで押しかけ 家族をも脅迫します
    在日韓国人、在日朝鮮人には 暴力団の組員が 多いのです
253大人になった名無しさん:2005/03/30(水) 19:31:36
昔、学校の寮に住んでたんだ。
その建物はめちゃくちゃ古かったな。
兎に角、高度成長期を想わせるような感じだった。

学校卒業してから全然、寮があった街に行く事も無く
そのまま年月が過ぎていった。

つい最近、近辺の街に行く用事があり、
ついでだから寮があった街も行ってみる事にした。

駅前周辺の様子は全然変わっていない。
某ドーナツ店があった所が某牛丼屋に変わっていたくらいだ。

寮があった場所にも行ってみる事にした。
途中、在学中に良く行ったコンビニやゲーセン、スーパーも健在だ。
凄く嬉しかった。
寮があった所に着くまでは。

自分が住んでいた寮はとっくに取り壊され
そこには大きな高級マンションが建てられていた。

自分の居場所がここにはもう無い事を悟った。
他は何も変わっていないのに、凄く悲しかった。
そんだけ。
254大人になった名無しさん:昭和80/04/01(金) 00:48:04
牢獄予備校?
255大人になった名無しさん:2005/04/30(土) 02:20:15
昔住んでた2階建ての一軒家。
小学6年生のときに親の借金で夜逃げしたままもう数年・・・。
学校帰ってきてからすぐに家族全員で出かけるからなんだろうとは思ったけど。
数日して全てを話してもらった時には本当に泣きました。

あのころの友達、家、町並み、今はどうしてるんだろう・・・

256大人になった名無しさん:2005/05/06(金) 02:24:39
50のリンク先で○○道○石を調べた。写真番号でいうと28番目だ。 そこには当時よく遊んだ同級生の家があった。
仮にそれならそこにあるはずの小学校や生協や古い方のジョイや高台や当時1000歩前後でたどり着いていた幼稚園があるから理論的に間違いない。そしてそれを手掛かりに家を見つけた。
すると驚いた事に屋根の色が違うではないか!。 年代としては俺が2歳の頃のもので、確かに遠い日の晴れた眩しい時間にレシプロ機が飛んでいた感覚が薄ら残っているので撮られたのは間違いない。
でも記憶では何歳かハッキリしないが屋根は赤茶色だった筈だ。 なのに。
そして親に聞くとどうも塗り替えた事があるらしい。
するとどうも屋根に上がって、太陽熱で加熱された屋根が焼けるように熱かった記憶は少なくとも1歳のものという事になる。
2歳の頃か、家の床を剥がしてグラスウールを敷き詰めたり風呂場を砕いたりして自分で改修していたのはよく知っている。
それによりタイルの浴槽がプラスチックになった。 こうして書いてる最中にも記憶が甦ってくる。
親がいる部分の床をダンダン踏み鳴らして遊んでいた。 これは当時以来思い出して来なかった記憶だ。
257大人になった名無しさん:2005/05/06(金) 02:25:47
このころのドラえもんのエンディングは「ごらんよあのそらをながめてると だれかさんのえがおにみえてくるよ」ってやつだった。
○平川を見ると、当時父が八目うなぎを獲った場所がわかった。そしてその日を断片的に鮮明に思いだした。
当時山公園と呼んでいた、上空から見て三角形をした山のある公園も見つけた。 でもこれは1976年の空撮ではただのさら地だった。
そこからさらに下ると画面右下の方に大きめの建物が見える。 これは幼稚園入園前に一度だけなんかの手続きなのか行った所だ。
ここのカーペットの床は色は赤と灰色のスペクトルを感じる感触がして、汗くさくまるでパソコン室みたいな匂いがしたがそれがいたく気に入った俺は
床に抱き着いて匂いを堪能した。 そしてその時何かを質問されて、床が気持ちいいという答えを返した。
また、他には白赤青黄色の小麦粉粘土で遊ばされた。これも匂いがいたく気に入った。
青いビニールと骨格で作られたトンネルも潜った。
たしかそこの建物の近くでセロテープを買ってもらった。
258大人になった名無しさん:2005/05/06(金) 02:27:33
そこの建物の近くには母親が聾者の同級生の家がある。さらに画面右下の一番端には公園が見える。
この道の右端は激しく隆起をつけた作りだったが隆起の登頂から落ちる事を激しく恐れた俺は何時も皆の様にそこをたのしんで自転車で走る事が出来なかった。
そこの公園には白い筋が見えるがそれは白と黒の斑模様の石で出来た滑り台で、3〜4歳の頃そこに556を撒いた所、知らずに滑った奴が猛スピードで地面にキスをするという自体が起きた。 夕方頃だった。
ただ、そこには緑の敷物があるのでたいした痛みも怪我も無かったようだ。
家の近くにはゴルフ練習場らしき所があるが、これが変に印象に残ってたりする。
山公園にたどり着く前にも公園があるが、実はそこの木を素手で倒したガキは俺です。w 際限なく木を揺らして遊んでたら地面が割れてきて揺れ方も大きくなってきて
それでも止められなくて続けてたら倒れました。w
実はこれら移動範囲はたいした距離とは感じてはいなかった。なのでそれらはもっと近接していると思っていたので探す時感覚の不一致から非常に苦労した。
自分が思うよりは広い行動半径をもっていたとわかりました。
心底この頃に戻りたいと切望しています。
何故なら(知能の正常な)自閉症だった自分が、自分らしく自分だけの世界に自分の時間で生きていられたから。
259大人になった名無しさん:2005/05/08(日) 18:33:32
昔住んでいたアパートは狭くてボロボロで当然お風呂もなくて
友達を呼ぶのが恥ずかしいくらいの家だった。
そんな私達姉妹の心情を察してか、両親(特に貧しかった母)が
無理をして郊外に一戸建てを買った。
「これでお前達がお嫁に行っても帰ってくる家がある。
友達もたくさん呼んだらいいし彼氏ができたら連れておいで」
と母は引越しの日、嬉しそうに行った。

私も20代半ばになり、何度目かの彼氏ができてその彼もうちに遊びに来た。
結婚の話をするようになって昔住んでいたアパートがなぜか急に見たくなり
夜になっていたが一緒に行ってみた。
15年以上も経っていたのにそのアパートはまだあった。そのまま。
私が住んでいた頃は満室だったそのアパートももう人気はほとんどなく
住んでいた202号室もドアが打ち付けられていた。
時間に置いてきぼりにされたようなその空間の周りは大きなマンションが立ち
新しいスーパーやきれいな民家が立ち並んでいた。
一緒に遊んだ友達や学校の先生を思い出して何とも言えない気持ちになった。

それから少しして籍も入れる予定で私はその彼と一緒に住みはじめた。
山の手沿線すぐそばの都内の古めのマンションは彼がもともと住んでいた所。
でも住みはじめたら「私の家」にもなっていた。
それから数年経った。
私達の家になるはずだったこのマンションから私は再来週出て行く。
戻るのは両親が用意してくれた帰る家。
すぐに都心に出られるここに比べたら本当に何もかもが不便な実家。
でもこっちに来たばかりの頃は田んぼしかない実家が恋しかったっけ。
いつ帰ってきてもいいようにといつもきれいに掃除されていた自分の部屋に戻って
多分、私は泣くんだろう。

あのアパートにように
このマンションが「昔私が住んでいた家」になるのはいつなんだろう。
260大人になった名無しさん:2005/05/30(月) 02:48:00
・・・・。
ほしゅ。
261大人になった名無しさん:2005/06/09(木) 14:15:56
20歳の誕生日をもうすぐ迎える。
最近はセンチメンタルな気分になって昔の写真を引っ張り出したりしている。
見てるうちに昔住んでいた家のことがとても気になった。
近隣の市に引っ越したにも関わらず、一回も訪れていない。

今は誰が住んでいるんだろう?今もあるのだろうか?

むしょうに知りたくなった。
朝、大学に行くために家を出たのに気付いたら反対方向の電車に乗っていた。

住んでいたのは3歳までだからほとんど覚えていない。
でもあそこに住んでいたことが確実にその後の人生に影響している。
三つ子の魂・・っていうやつだろうか。

駅の南口を出て住所と写真を頼りに進んでいく。
海のニオイが強くなってきた。何人ものサーファーの人とすれ違う。
写真で見覚えのある八百屋さんや魚屋さん。
ちょっと皺の増えたおじさんの変わらない笑顔がそこにあった。
私のことなんて知ってるはずがない。分かってるけど、なんだか嬉しかった。

住宅街に入った。住所も近くなってきている。
この辺のハズ・・・・ふと視界に住所のプレートが目に入った。

あった、ここだ!

そう思った瞬間、次に飛び込んできたのは高層マンションだった。

見るからに新しい。まだ所々工事中という感じだった。
考えていた範囲ではあった。元々社宅であったし、
私たちが出た後は景気に合わせていろんな会社に渡っていったという噂は聞いていた。
最近の不景気ぶりと高層マンションブームを考えると当然のことかもしれない。

「すいません。このマンションっていつ頃建ったんですか?」
思わず通りかかった近所の住人に聞いてしまった。
入居が始まったのは今年の春という答えだった。

遅かった、ほんの一足遅かった。悔しい。悲しい。空しい。
なんともいえない感情が渦巻いた。

まったく変わってしまった風景から面影を必死に探す。
あのたくさんの写真はどこから撮ったものなのかを必死に探す。

なかった。なんにもなかった。
マンションの影響か周りは道路を含め全て整備されていた。

帰りがけに一番の遊び場だった海で、
その時一番好きだったアイスをコンビニで買って食べた。
苦かった。
262大人になった名無しさん:2005/06/09(木) 20:58:42
良スレ age
263大人になった名無しさん:2005/06/09(木) 23:32:40
50さんに教えてもらった空中写真。
見たよ。昭和50年の自分の実家。今でも健在。その頃は12歳か。
新しくなる前の小学校も写ってた。そうそう、こんな建物だった。
あれから30年、田んぼばっかりだったところに道路ができ、住宅が建ち
大型ショッピングセンターができ。。。ずいぶん変わったけど
おれの実家だけは昔のまま。この写真の中には、小学生だったころの
想い出の風景が残ってた。涙が出てきたよ。
今年の夏は転職したばかりでお金がないから帰省するのは無理かなぁと
思ってたけど、やっぱり帰ります。
264大人になった名無しさん:2005/06/19(日) 03:17:30
私が育った家。それは家賃35000円のちっぽけな2Kの借家。
雨漏りは当たり前。トイレはもちろんぼっとん便所。
玄関の鍵はドラクエの鍵。
そこに家族4人で10年前まで住んでました。
先日、用があって実家に帰った時、借家のあった場所へ行ってみました。
影も形も無くなっていたけれど、玄関のそばにあった柿の木だけは残ってました。
住んでいた頃は貧乏なあの家が嫌で嫌でたまらなかった。
でも今はあの頃に戻ってみたいと思う。


265大人になった名無しさん:2005/06/19(日) 15:19:16
4畳半一間と台所に親子4人
極貧でした
266麻奈:2005/06/19(日) 15:21:28
アタシちょー金持ちだった。屋敷在住だもん。
267大人になった名無しさん:2005/06/24(金) 21:56:19
小さい頃母親が離婚して、親戚が持ってるボロボロのアパートに住んでた。
中はリフォームしてあって全然綺麗だったけど、外観がボロかった。
友達に「○○君の家ってどこ?」って聞かれても、教えるの恥ずかしかったから
近所の普通の一軒家を「ここが俺の家」って嘘ついてた。

親子でがんばって建てた今の家が宝物です。
268大人になった名無しさん :2005/06/25(土) 01:31:55
>>50にあった空中写真を見て来た。
今はもう引っ越してしまった我が家、草をちぎり石を蹴りながら歩いた
小学校の通学路、高学年で友達同士で行ったちょっと遠くのプール、
バス通りの渋滞振り・・・。あの時のあの町の姿だ・・・。
ああ、涙が止まらないよ。
50さん、ありがとう。
269大人になった名無しさん:2005/07/06(水) 08:39:42
昔住んでいた地域を通りかかったついでに
小学生から高校生になるまで住んでいた自分の家を見て来た。
知らない名前の表札がかかり、きれいに改築されていた。
懐かしいはずの町がよそよそしく感じた・・・。
270256 :2005/07/06(水) 13:48:12
昔幼稚園の遠足で行った公園やよく行った手稲プールやサンピアザを新たに発見した。
271大人になった名無しさん:2005/07/07(木) 01:17:47
最近、機会があって小学生の頃住んでいた団地を見に行って来た。
17、8年振りかな?
丁度、団地群の端から次々と解体されていく現場だった。
もちろん、住んでいる人はもう誰もいない。
その名残りを見られて幸運だったというべきかもしれない。

当時小2、住んでいた家を不審火で失い、
あまりのショックで呆然としていた俺。
(今にして思えば、家族全員無事だったことに感謝すべきだが)
もともと内気で友達も多い方ではなかった。
その町へ引っ越して転校した学校での初日、
不安でどうしようもなかった俺に、
「家はどこ?」
「一緒に帰ろう!」
と、帰り道は十数人でゾロゾロと帰った。
家が反対方向の奴も居たはずなのに。
あんなに「救われた」という気持ちは、その後も経験することは無かったよ。
その中の何人かとは、仲の良い友達になってずいぶん遊んだ。
音信が途絶えて久しいが、奴らは今どうしているだろうか…

工事現場の中で、当時住んでいた家を見つけることができた。
茂った雑草をかき分けて窓から中を覗いてみた。
思っていたのとは少し違って見えたが、何となく面影は残っていた。
当時は全く感じなかったが、5人家族で住んでいたにしては
狭すぎるんじゃないかと思った。
でも楽しかったなあ…。
あの頃は毎日が輝いていた。
今とは大違いだ… orz
思い出してちょっと泣きそうになったけど
同行した弟(当時は幼く記憶がない)には悟られない様に
「お前、覚えてねーのか?俺たちこんなきったねー所に住んでいたんだぞ。」
と嘯いて、帰りました。

もう記憶の中にしか存在しなくなったが、
確かにあの時は存在していた。
人生はもう終わったと半ば絶望していたけれど、
もう少し、ほんの少しだけでも頑張ってみようと思いました。

長文すいませんでした。
272大人になった名無しさん:2005/07/07(木) 14:08:07
生まれた時から東京町田市の公社の団地に27年住んだ。
2DKで一家四人 とにかく狭かったな。
今から5年前に引っ越したけど、荷物を運び終わったその晩は
何もない部屋で4人川の字に並んで寝たっけな。
染み・カビ・害虫で大変苦労したけど、狭い所に4人で長年いたわけで
家族は未だ仲がいいよ。
で、引越し先も公団賃貸だけどなorz
273大人になった名無しさん:2005/07/07(木) 18:57:41
この前仕事で子供のころに住んでいた町に行った
あんなに大きかった赤い土管、今ではすごく小さく見える
274大人になった名無しさん:2005/07/10(日) 22:20:42
この前万博に行ったついでに小3まで住んでいた名古屋の公団団地に行った。
13年ぶりだったのだが、補修されたようで自分が住んでいた時よりも幾分きれいになり、
エレベーターがなかった棟には真新しいエレベーターが設置され、ぼろぼろだった
遊具も新しくなっていた。
野球やキックベースで遊んだ広場は当時広く感じていたのだがこんなに狭かったのかと驚いた。
東京へ転校する自分を新幹線のホームまで見送りに来てくれた友達が住んでいた
部屋に行ったが、そこに表札は無く人が住んでいる気配はなかった。
275大人になった名無しさん:2005/07/11(月) 09:26:21
小さな頃に、近所の駄菓子屋にいたおっちゃん。
一日中暇なのか、ずーっと外を見てるらしくて
いつのまにか私の祖母の顔まで憶えてた。
「さっき、あんたのばーちゃん通ったで?」
しっかり当たっているのである。子供ながらに凄い観察力だと思った。
このおっちゃん、スゲェ!いつもそう思ってた。
すぐ隣りに綺麗なお菓子の店があったのに、
向かうのはいつもその駄菓子屋だった。
お小遣いを数10円しか握ってない子供には、
1個10円とかの駄菓子が、めちゃくちゃ嬉しかったから。

でもある日、その駄菓子屋は閉まってて
次の日に行っても閉まってて…。
おかしいなとは思ってた。でも、深く考えてなかった。

数ヶ月後、夜が更けた頃だったかな?
ずっと閉まったままだった駄菓子屋の扉が開いてた。
「開いてる!」そう思って中を覗いてみた。

病院から、おっちゃんが帰ってきてた…。
冷たい、姿になって…。

おっちゃん。おっちゃんは戻ってきたけど…
もう「あんたのばーちゃん通ったで?」って
言ってくれないんだな。ビビらせてくれないんだな。
「これいくら?」ってのが聞こえなくて
「え?!」「え?!」って何度も繰り返す時も
ずーっと微笑んでくれてた、おっちゃんの顔
もう、二度と見れないんだな…。

私は、おっちゃんが入院してることさえ知らなかったけど
うん…、お疲れ様。 そして、おかえり…。

私は大人になって、今でもその場所を通ることがあるけど
なんでだろ…、おっちゃんの姿を何度か探したよ。
もういないって、わかってるんだけどなぁ。
おばちゃんも、何だか急に年老いて…寂しそうだよ。

もう駄菓子屋じゃないけれど、今でもその場所は存在してる。
なのになんでだろう。ものすごく寂しい…。

ありがとうって、言えなかったからかな。
ばいばいって、言えなかったからかな。

ちょっと耳が遠くて、面白くて、優しくて
凄い観察力のおっちゃんのことを思い出すと

今でも時々…
ちょっとだけ…、涙が出そうになるんだ。
276大人になった名無しさん:2005/07/19(火) 02:10:45
5年前、生まれてから17年間住んでいた家を引っ越した。
家族のみんなは引っ越すのがうれしかったみたいだ。
設計段階から大騒ぎで。
でもおれはうれしいどころか悲しくて仕方なかった。
ものごころつかない時からずーっとおれを育ててくれた家なんだから。

引越しはおれの関係ないとこで進んでるみたいだった。
新しい家は住んでたとこから電車で15分、しかも同じ路線だったから、
引越し当日は朝古い家を出て学校へ行き、で帰りはそのまま新しい家へ直行。
全然引っ越した実感がなかった。

新しい家に着いた日の晩、おれは家族に隠れて泣いた。
もう誰も住んでない家が、一人取り残されたようでかわいそうでかわいそうで・・・
本当に大泣きした。

次の日もまたおれは泣いた。
で三日目、住んでいた駅にある床屋に行きがてら、数日前まで確かに生活してた家に寄ってみたんだ。
当たり前だけど誰もいなくて、なんにもなかった。
そこでおれはまた大泣きした。
泣きながら思ったんだ、たぶんおれにとってこの家も含めて「家族」だったんだろうなって。
ちゃんとお別れを言わなきゃって思った。
今まで本当にありがとうって。また寂しくなったら来るからって。
引越しの日は言えなかったことを言えたような気がして、おれは本当にすっきりしたのを覚えてる。
その夜からもう泣くことはなくなった。

本当に狭い家で、おれの部屋で家族みんな寝てたけど、
試験勉強のときとかみんなを起こさないかひやひやしてたけど、
洗面所もなくて、テレビも1台しかなかったけど、
そんな家のおかげでウチの家族は仲がよいのかもしれないな。
今あらためて思うわ。
ありがとう、おれの家。
277大人になった名無しさん:2005/07/20(水) 00:58:56
>276自分も2回引っ越したことがあるけど、あのさびしさはたまらない。たまに昔の家の近くまで行って遠くから眺めてる。すでに他人が住んでいるので中は覗けないのがもどかしい。引っ越す前に、家の中を写真に収めておけばよかったと思う。
278大人になった名無しさん:2005/07/21(木) 18:45:23
何この良スレ
279大人になった名無しさん:2005/07/21(木) 18:56:30
ツッ込み所が無いからだよW
280大人になった名無しさん:2005/08/07(日) 01:18:31
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                    ■■■.  ∵   (●  ●)∴│<修行するぞ、修行するぞ
                    ■■■    丿■■■(  │ \_________ 
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     r=‐"‐、           -~`、    \ } ` 、    ̄~`ゝ、 ヽ.,,  ̄ )
     (    `''7ヽ、__     ヾ,l      / ,、_,ゝ、,,,,,,,、-'~`'',  ヽ  ,)
     `i.   ,'    ヽ、,,__    `i      ̄\ _       }_,,,,,,i ノ
      ヽ-、. ,'       ヽ,,__ :}`ヽ.      _,>―-=''"ノ-‐`'二=、
         Y          ', :i   ` ‐、 r=二-‐、、-;;=ー'´   , ‐',,-'" {i;;;;;、
         ヽ、   /     R'   ,、‐'"_,,,、、r-‐'"~   _,∠,,;;;;;,=-、{,{,_ `''‐;,、、./⌒'、__
           `('",' ,'      :|、`‐i'/´ ,/ / ,、---=;、‐'"    `ミ;;、  ヾ~~`''>' ./、; `'r‐、
            `i       | `''y' /  ,、-‐'":::::::::::::::::::::.     ヾ)     (__.ノ  {  ,' .,':、
            |         .| .r',〆'"´         ''''''、:::::...     ‖   }:....    ヽ__) 、{、 ヽ、_
            |       ;;i、‐"            ` ‐ ゝ.     ‖   ノ"       `'''´ `、_) `'‐ 、
            |:::::::::::::::, -"                   ヽ   !. /                 `'‐ 、
            !::::::::; '                       \,',' ','/.                     `': 、
            |;/          .               ,'ヾ;;;ノ; ;                       `:
            /                           ,',' Y υ                         `: 、
         /.               ι           ι  }
        /                              .    }::.       ι
      , '                                  ノ::::::
     , '                          υ      ,、‐' ヽ 、::::::::..... 、_
     , '                ι           ,∠, 、 -‐'´     ~`'' ‐ --‐‐`‐、_         ',',      υ
   , '                            ,、‐'"                     `''‐ 、   ι
.  /                          ,、‐' ´                          ` ' ‐ 、_
281大人になった名無しさん:2005/08/09(火) 03:08:24
>>274
俺も小5まで名古屋の公団団地にすんでた。
去年、15年ぶりに行ったけど、通路がこんなに狭かったっけ?
と感じた。当時、ドロ警などで遊び回った時はかなり広く感じたよ。
野球や、キックベースなどで遊んだ広場もかなり狭く感じた。


282大人になった名無しさん:2005/08/09(火) 15:04:26
前の家は3LDK。
自分の部屋すらもなくて、試験勉強中なんかどこでするか必死(w
テレビも一台しかなかったし、誰かが泣けばすぐ分かるようなとこだった。
自分の部屋もお風呂のテレビもいらないから、前の狭くて小さい家に戻りたい。
マンションのみんなと知り合いで、緑も少なくて、排気ガスだらけだったけど私はあそこが大好きで仕方なかったのに

引越しして初めて分かった前の家の良さ。
283大人になった名無しさん:2005/08/09(火) 18:22:04
自分の名字と同じ地名に住んでた
マンションも駅名も小中学校も名字と同じで愛着が凄くあったが
引っ越した後に開発されて見る影も無くなってしまった
284大人になった名無しさん:2005/08/09(火) 23:32:59
285大人になった名無しさん:2005/08/15(月) 02:04:30
北海道に住んでた人は公園検索で現在の姿を確認出来るよ。
そいで懐かしいわが家を探したらまだあったよ。
当時山公園て呼んでた公園はむつき公園て名前だった。 当時とほとんど変わってなかった。 自分が2〜3歳の頃、シーソーはエメラルドグリーンぽい色だった。
それから20年がたって赤になっていた。 変質者に声をかけられたブランコもあった。 女便なのに何故か男便の小便器を小さくし丸みを持たせた形したものがあったトイレもあった。

少なくとも15年前は空き地の土手だったとこには当時兄と共に遊んだ○松って人と関係ありそうな建物が立っていた。(泣)
あそこはたしか私が3〜4歳位の頃○松って人が蜂に足刺されて泣きながら家に帰って行ったり上松って人が熊蜂を蹴って即死させて遊んでた所だ。 だけど今は建物に潰されている。(泣)
自閉症者である(と近年ようやく判明した)私にとってはこういった変化は非常に苦痛だ。
北○小学校もあの体育館が潰され、木製アスレチックとスキーの坂があった所になんか変な建物があって発狂しそうな程怖い。
二年の9月頃の曇りの日に運動会の練習をしていてその時私語で、み○かわびだんしと名乗り何時も竹刀を持ち込み、一年の時私の名前の一文字を変えて皆の前で笑い者にした
先生に号砲で頭を殴られ血だらけになり先ず誘導されたのは体育館だった。
この学校の近くにある公園の写真でトイレが写ってる写真は正に当時の風景だった。 一年の時あのトイレの裏でつくしを鼻に入れて遊んで取れなくなってなきかけた所で取れたやつがいた。
むつき公園のすぐ近くにある公園はまるで別物になっていた。 今から14年と10ヶ月程前にそこの公園の木を揺すり続けてたら倒れた。
曜日感覚の無い私はある朝休みと思い七時からそこであそんでいた。 そしてその公園の真ん前にある人んちに遊びに行ったら
そこの母さんに言われたので気付いた。 鼻につくし入れたのはそこの(ry
286大人になった名無しさん:2005/08/20(土) 15:10:36
昭和か・・・何もかも皆懐かしい・・・
思えば、子供の頃が一番幸せだったな・・・
親に護られていたことの幸せに最近になって気付いた・・・
287大人になった名無しさん:2005/08/21(日) 01:07:20
親が死んだ事に比べりゃ甘っちょろい
288大人になった名無しさん:2005/08/28(日) 00:48:02
クレストール上松が激しく邪魔。 あれが建ったから昔の記憶が引き千切られた。
2歳の秋頃の夕方頃そこの少し凹んだ砂利の所で壊れたドンキーコングのソフトのケースを破壊した。 中身が見たかったから。
ICの左上が欠けた。
289大人になった名無しさん:2005/09/02(金) 02:17:28
学生時代に住んでいたボロアパート。
子供の頃から何かと辛く当たる親についに切れ、殴り合いの大喧嘩の末、
バイトで貯めた貯金をはたいて家出同然に出てきた。
家賃が凄まじく安いかわりにほとんど日の差さないようなところだった。
意地で学校は辞めなかったから、早朝バイト、昼中学校、夜遅くまでバイト、
と疲れてたけれど、「いつまで寝てるんだ!」「何でこんなに早く寝るの!」という
罵声におびえずに眠ることができ、粗末ではあったけれど「何でそんな嫌そうに食べるの!
だったら今日は何も食べるな!」と怒鳴られることなくゆったりとご飯を食べることができた。
風呂に好きなだけつかれたのも初めてだった。
それに、大家のおじいさんおばあさんが本当に優しくしてくれた。
すぐそばで酒屋さんをしていて、家賃を払いに行くと「お酒飲む?店のもので悪いけど」って
ビールやおつまみ、調味料やはては「夕食の残りだけど」とおかずもくれた。
風邪引けば病院連れて行ってくれて、お粥や玉子焼きを差し入れてくれた。
熱のある身体で動かなくてもいい、という幸せを初めて知った。
就職して東京へ行くことになり、アパートを出るとき、「綺麗に住んでくれたからいいよ」と、
わずかだったとはいえ敷金を全額返してくれた。それどころか、「就職のお祝い」とビール券までくれた。

あれから10年。たまたま大学のある街を訪ねる機会があった。
大家さんが経営していた酒屋も、アパートも月ぎめの駐車場になっていた。
何があったのかは判らずじまいだった。

今はあの部屋よりずっと綺麗な部屋に住んでいる。
けれどあの部屋が無性に懐かしくなる。初めて安息と、人の優しさが身にしみた
あの部屋が。
290大人になった名無しさん:2005/09/13(火) 00:49:37
小学二年生まで住んでいた町に行ってみた。
そこにはノスタルジーに溢れたオンボロ団地は存在せず、
豪華なマンションに生まれ変わっていた。
よく久し振りに行ったら小さく感じたと聞くが俺の場合は大きくなってしまった。
かつての友達ももうほとんど住んでいないと聞く。
みんなで野球やサッカーにドッヂボール、ローラースケートにスケボーをした公園や原っぱもなく、
友達が落っこちて大怪我を負ったジャングルジムもなかった。
習字で行っていた集会所も今では別の場所にあった。
住んでいた当時は行われていた夏祭りも町内会が主催する町ぐるみの運動会も
今では行われていないらしい。
入学した小学校も改築され記憶の中のそれとは違っていた。
町を流れる川以外は想い出と写真の中にしか存在しない。
あの頃に戻りあの頃の友達とあの頃のように日が暮れるまで遊びたい。

291大人になった名無しさん:2005/09/28(水) 12:48:14
いいスレですね。
292大人になった名無しさん:2005/10/03(月) 14:51:48
私が小学校の時住んでた家は当時通っていた学校から見えたのに
30年も経ち見えなくなってしまった・・。
8年程前に不動産の広告に妙に懐かしい間取りが出ていた。
今も時々ふらっとあの家の下を通ってみるがあの家の回りだけ当時のまま、セピア色な世界。
293大人になった名無しさん:2005/10/03(月) 16:00:33
俺の生家は、駐車場になってた。
294大人になった名無しさん:2005/10/03(月) 16:49:08
>>50のリンクにあった航空写真で小3まで住んでいたアパートを見つけました。
昭和49年、まさに小3当時の北区滝野川がそのまま残っていました。
アパートのとなりの酒屋。その角を曲がったところの友達の家。おんぼろ屋敷。
路地を挟んだ反対側にあった習字教室。材木屋。
突き当りを左に折れたところにあった銭湯と貸し本屋。
その前にあった金魚やと床屋。
明治通りから板橋駅方面へ通じる商店街通り。
やばた公園とプール、やばた市場。たい焼き屋さん、時計屋さん、おもちゃ屋さん、本屋さん。
肉屋さん、帽子屋さん、大きいほうの時計屋さん、家具屋さん。
セピア色の写真には建物の屋根しか写ってないけれど、
家族と私自身が暮らしているのが見えました。
295大人になった名無しさん:2005/10/03(月) 16:52:28
>>294
その>>50のは私、お気に入りに入れて時々見てるよ。
296kkk:2005/11/06(日) 14:04:52
あんたたちばかじゃないの。ぜんぶうそでしょ。私は。霊能力者の下よしこ です霊をばかにするとろくなことおこらないよバーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーか
297kkk:2005/11/06(日) 14:06:12
ばか
298大人になった名無しさん:2005/11/20(日) 13:14:16
キチガイはスルーしましょうね。
299大人になった名無しさん:2005/11/22(火) 17:09:09
50で今住んでいる家のところの地図を見たら
ここらへんはただの田んぼだった。今はもっと家が建っているのに・・・
あの頃のこの町にも今と変わらず建っていたのは
オヤジの家と二つ隣の家と今は20代の若者であろう子供たちが
遊んでいる小学校だけだった
300大人になった名無しさん:2005/11/22(火) 18:04:22
300
301大人になった名無しさん:2005/11/22(火) 22:29:12
20年位前、小学生の頃は母子家庭だったし便所も汲み取りだしすげえボロい家だった
今は普通に会社で働いてるだけだが、その時から考えたら殿様以上の生活だな
やっぱり今のほうがいい
302大人になった名無しさん:2005/12/03(土) 11:34:46
昔住んでいた家
地震で半壊になって、それでもなんとか修理して暮した家
祖母との思い出が詰まった家
今はもう家族誰も住んでいない家
借りてくれる人もいなくなった
手放さなければならなくなった
「もうおばあちゃんがいいよって言ってるんだよ」と母は寂しそうに言った

買ってくれた人がいた
大工さんだった
この家を修理しながら住んでくれるそうだ

まだまだ家族で住んだ家はなくならない
これからも新しい家族にかわいがってもらいながら
ずっとそこに在り続けてくれる

ありがとう
どうか、かわいがってあげてください
古いけれどとても優しいお家です
幸せに暮してください
よい思い出をいっぱい作ってください
303大人になった名無しさん:2005/12/15(木) 01:17:23
子ども時分、20年の長きに渡り住んでた団地が建て替えとなるそうで、
車で出かける用事のついでに見に行った。

敷地内の交通標識に「日本住宅公団」の文字を発見。
それから何回あの法人は名前が変わったんだっけ?うちの家族が入った頃は
まだこの名前だったかなあ??

一応3児の父親になって一戸建てに住めるようになったけど、この団地に一緒に
住んだ親父もオフクロも既に亡い。
「日本住宅公団って表示がまだあったよ〜」なんて話をできる相手が家にもういない。
そのことに気付いたら、ちょっと寂しくなった。
304坂井輝久:2005/12/15(木) 06:15:11
改良住宅ですが何か?
305大人になった名無しさん:2005/12/16(金) 23:20:51
生まれてから27年住んでいた団地
2DKでの4人住まいだけど、周りも団地だらけなので狭いって感覚はなかったな
1階って事で湿気が多くて押入がカビだり、夏場蟻が大発生したり、
飼っていた小鳥が野良猫に襲われたり、仕舞には猫飼ってみたり・・・
あの団地からお別れして7年ぐらいしか経ってないけど、近くを通ると思い出すよ。

つい最近の事件で全国区で有名になってしまったけどorz
306大人になった名無しさん:2005/12/20(火) 04:30:45
家の横の道一本で隣の市になる辺鄙な町外れにあった。雑木林の中に市営の
焼き場があって、時々葬式の列がやって来て煙が上がってた。 住んでいた
のは、ある会社の木造社宅長屋だった。 幹部用に2階建てではあったが、
下は6畳間と台所と2畳の玄関間だけ。 2階は6と3畳間。 20年振り
に近くを通ったので寄って見たら、さらにボロくなって残っていた。 あの
2階の窓の手摺に、毎朝のように寝小便布団をダラリと干されていたんだと
、しばらくは昔の映像をダブラセて感慨に耽ってしまった。 お袋がキレて
「おしめして寝ろ!」ってことになった一時期、赤ん坊もいない洗濯竿にヒ
ラヒラとおしめを干されていた物干しも、朽ち果て寸前だが残っていた。
307坂井輝久:2005/12/20(火) 09:03:07
>306

近所に火葬場があるってことは同和地区ですか?
308大人になった名無しさん:2005/12/24(土) 01:35:09
>>305
町田の団地か?
309大人になった名無しさん:2006/01/15(日) 21:32:01
google earthで、小学生の頃住んでたアパートを探してみた。
15年以上前に引っ越したきりの場所だ。
アパートは残っていたけど、家の前にあった空き地も、
入っちゃだめだと怒られた資材置き場もマンションになっていた。
友達が住んでいた、平屋建てが密集していた地帯は全部大きな
駐車場になっている。
もう随分変わっちゃったんだな。
310大人になった名無しさん:2006/01/20(金) 21:31:32
関係ないが、長渕剛の「ふるさと」って歌が長渕が昔住んでた家の歌でこのスレにぴったりだよ。
聞いてみてね。
311大人になった名無しさん:2006/01/22(日) 02:54:53
おれの親父は二部上場の証券会社営業マンだったから景気に左右されて住むところが露骨に変わった
1984年 3LDKの団地
1986年 3LDKの新築アパート (課長に昇進)
1988年 埼玉県の4LDK郊外型新築マンション(会社所有) バブル期
1992年 会社が傾き住宅手当が出なくなるから実家から通えと祖父母と同居 バブル崩壊
1995年 親父退職 今の家に永住することに 証券大不況
312大人になった名無しさん:2006/01/22(日) 12:32:15
玄関を入って左が台所。
4畳位で床はコンパネに色を塗ったような物だった。
その奥は風呂。
ガス釜だ。
水を張って沸かす時は
ハンドルがあって、それを一旦右に捻って戻して、
また半分右に捻って
外の機械から「ボッ」って聞こえたらOKだった。あと6畳が3部屋あったな…。
平屋の市営。
今はもう、高速道路の下だ。
懐かしくてもそこに思いではない。
313大人になった名無しさん:2006/01/22(日) 12:53:37
>>ガス釜
ナツカシス…
314大人になった名無しさん:2006/02/09(木) 23:21:57
>>312
そのハンドルって浴室内にあって、釜は外なんだよね?
うちは公団の団地だったけど、風呂の釜ってのがバーナー状の部分が取り出せるような仕様だった。
真ん中に口火、両側がバーナーで、ガスコンロのあの炎の噴出し方が直線になったようなやつ。
それに浴室内にある元栓からガス管がつながってたなあ。定期検査があったけど、今にして思うと
よくあんな環境でゴムのガス管なんか使ってたもんだ。それに浴槽の方がその部分の断熱がやばくなって
回りが炭化してたりして。
口火は半開きで着火させるんで、「ここまでひねって火をつける」とかいう位置の表示が炎の絵で
付いてたような記憶がある。一度しくじって家中に響き渡るような爆発音(音だけで衝撃はなかった
んだが)を出して親をびっくりさせたことが。

貧乏だったけどみんな元気だったよなあ。
ボタン一つで湧かせる家に住んでるけど、親父もオフクロもこんな便利な風呂も知らず逝っちゃったから
315大人になった名無しさん:2006/02/09(木) 23:35:41
>>308
マジ?町田で事件あったの?まだ友達が住んでるはずなんだけど…最近音信不通の…
316大人になった名無しさん:2006/02/16(木) 21:17:56
多分>>308はこないだの男子高校生が思い込みで女子高生殺した事件のこと言ってるんジャマイカ
317大人になった名無しさん:2006/02/22(水) 18:45:29
トイレは汲み取りで風呂は薪で沸かしてた
家は鍵が無く 隙間風が入るような家だった
しかし庭は広かった
318大人になった名無しさん:2006/03/02(木) 14:38:35
45万部のベストセラー『嫌韓流』の第2弾

『嫌韓流2』発売中

駄作か傑作かは、買って自分で確かめよう
319大人になった名無しさん:2006/03/07(火) 15:45:17
>314
正にその物が我が家では現役です。

現在築60年以上、その前は隣町に建ってた物を、ばらして運び、組立て直したと。
市内の博物館に「昔の家です」とうちと同じ様な造りの民家が保存されてて、、、orz
320大人になった名無しさん:2006/05/06(土) 22:50:25
ひさしぶりに家族がそろったので車で1時間ほどかけて、20年前に住んでた社宅まで出かけてみた。
周りのスーパーも空き地も無くなっていたけど、社宅はかろうじて残っていた。
「うそー幼稚園こんなに近かった?地の果てにあるんじゃないかってくらい遠かったのに!」
「うっわ社宅ちっさ!ベランダ狭いよ!」
「いつもここで買い物するときに連れてきてたの覚えてる?」
車内で大騒ぎしながら社宅を見た。今はばらばらに生活してるので、
すごく懐かしくて切なくて楽しかった。
321大人になった名無しさん:2006/05/07(日) 21:09:12
私がお嫁に行く前に両親と住んでた家は
とても小さい建売り住宅だった。
よくその家の近くを母と散歩した。
その散歩の途中、母が「もうすぐ一緒に散歩も行けなくなるねぇ。」と
寂しそうに言った。
私にとってあの家は「初めての持ち家」という嬉しさと、
「寂しそうな両親を残していく」悲しさの両方の思い出のある家。
今は両親もそこには住んでないけど
母はその家から引っ越す前、ちゃんと写真におさめていた。
その写真を最近見せられたのだけれど、
胸がいっぱいになった。
庭もなく、ベランダも狭い本当に小さい家だったけれど
私ら家族にとっては「お城」だった。
322大人になった名無しさん:2006/05/07(日) 21:14:30
永黒市営アパート
323大人になった名無しさん:2006/06/10(土) 20:02:03
保守あげ
324大人になった名無しさん:2006/06/12(月) 00:33:40
一生同じ家(場所)に暮らす人にはこういう感覚ってないんだろうなぁ、、、
325大人になった名無しさん:2006/06/14(水) 18:53:49
>>324
一生同じ家に暮らせる人は、それだけで幸せである

住む家すらなくしてしまったり定められない人が、今は大勢いる
326大人になった名無しさん:2006/06/17(土) 21:36:43
生後三ヶ月まで→牛乳屋の二階に間借り。
三ヶ月〜7才→社宅。
8才〜23才→小さい一戸建て。
23才〜アパート、マンションを経て、現在市営住宅住み。
327大人になった名無しさん:2006/06/18(日) 00:19:22
映画「夏の庭」に出てくるおじいさんの家みたいな
どうしようもなく草木ボーボーの一見怪しげな家に住んでいた。
今は取り壊されちゃってただの雑草地帯になっちゃってるけど。
かなり古い家だったよ。
328大人になった名無しさん:2006/08/01(火) 22:05:29
2階建てビルの空いてる2階に間借りというか、一室しかないアパート状態
(住所の末尾に「−2F」なんて付けるような)で住んでたことがあった。
1階は小さな会社の事務所が入ってたなあ。親共と直接のつながりはなかった
はずなんだが。
まだ幼稚園上がるか上がらないかの頃で、親子3人貧しいながらも、今思えば
いい思い出しかないあったかい家庭でした。
三十数年ぶりに前を通ったら、建物は残ってたが、

 ……アヤシゲな新興宗教の本部になってたw
329大人になった名無しさん:2006/08/11(金) 20:57:55
久しぶりに帰省をしたが、家の周りは空き家や空き地になっていた。
子供が少なく、ジジババの多い地域になってしまっているのが哀しかったな。
あと、幼少の頃遊んだ雑木林は宅地に変わっていたし。 がっかりだ。
330大人になった名無しさん :2006/08/11(金) 21:06:40
329
ジジババゆうな
331大人になった名無しさん:2006/08/28(月) 09:20:41
上の方にも似たようなのあったけど、漏れも昔住んでた団地がとうとう建て替えと
聞いて行ってみた。退去は数年前から始めてたと聞いたが、もう築五十年届いてるはず。
全体を大きく矢板みたいなので囲って、言うなれば鉄でできたベルリンの壁状態。
団地内を完全に封鎖してあって入れなかった。
けど、隙間から見たら、自動点灯装置がまだそのままなのか、共用部分の街灯が煌煌と
灯っていた。もう夕方だったからなあ。
なんだか悲しかった。

団地のはずれにワンボックスカーで来て出張出店してくれる自転車屋さんがいて、漏れの
住んでたときと同じオジサンだった。声をかけて事情を話したら「そうですか、私も
ここへは三十年以上かよってますからねえ」
今度はなんだかうれしくなった。
33298:2006/10/20(金) 21:39:12
未だこのスレ続いてたのか。ここの時間の流れはまったりとしているんだろうな。
お盆に久しぶりに墓参りに帰った時、家があった場所を通ってみたら一応道が出来ていました。
野ざらしな場所が残っていて、最初どうなってるのかわからなくてうろうろ歩きまわって、
目印になる近くの公演から逆に歩いていって、家があった場所までたどり着きました。
でも、どんどん過疎が進んでいる地域なので、どう考えても無意味な道でした。
333大人になった名無しさん:2006/10/21(土) 20:01:39
。・゚・(ノД`)・゚・。
334大人になった名無しさん:2006/11/05(日) 05:49:52
航空写真で実家付近を探してみた。
昭和49年の姿がそのまま残されていた。
立て替え前の実家、秘密基地を作った空き地、ザリガニ釣りをした沼まで
はっきり写っていた。
そして、初恋の彼女が住んでいた市営住宅も、一緒に学んだ改築前の中学校も。

季節は初夏のようだ、建物の陰の方角から考えると時間は正午少し前。
この校舎の中で今、彼女も僕も勉強している。
黒板にチョークで書く音。
もうすぐ弁当の時間か(給食は次の年から始まった。)。
弁当箱の色まで思い出した。
部活で泥まみれになったバレーコートも、体育館も、全て懐かしい。

卒業後、彼女との行き来はなくなった。
後で聞いたところ、高校卒業した頃、家を建てて引っ越したらしい。
市営住宅は平成の始めに建て替えられ、空き地には病院が建った。

この前の同級会で、彼女は東京に嫁いだと言っていた。
相変わらず明るく振る舞い、澄んだ声で笑った。
次の同級会には、この写真を持っていこう。
335大人になった名無しさん:2007/01/03(水) 19:17:11
保守
336大人になった名無しさん:2007/01/03(水) 19:32:51
駅から歩いておよそ5分。
市役所の南側に昭和5年に建てられた元医院、
そこが私の家でした。
医者だった祖母が体調を崩して介護生活に入ったのを機に
当時別のとこに住んでた父母がそこに移り、
増改築して家らしくなり、間もなく私が生まれました。
かつての待合室は寝室となり、診察室は居間に変わり
そして増築した部屋の一つが祖母の部屋となりました。
数年後祖母が死去し、さらに2年後、立ち退きとなって
思い出深いこの家と別れる事となったが、
引っ越し当日は雨が降ってて、まさしく涙雨でした。

あれから四半世紀が経ち、すっかり変わってしまって
しまい、家の跡は大きなオフィスビルとなっているが
再び近くに住むようになった私はあの思い出を大切に
して生きていきます。
337大人になった名無しさん:2007/02/10(土) 00:23:36
保守
338大人になった名無しさん:2007/02/10(土) 02:01:50
おれも、東京に憧れて田舎からこっちにきて
最初に借りたのが、もうみなさんが言うボロアパートなんですよ。
壁紙とかはがれてて、で1年ぐらいは、黙って住んでたがある晩
ゴキブリ君もう10匹は、いたかな?
部屋中走り廻ってるんですよ。
で、おれも、頭にきてゼネコン勤務のおれは、現場から仕上げ材を片っ端から
持ってきて新築同様までリホームせてやったぜ。
そんなおれも、今では、それなりのマンションに暮らしてる。
けど、自分の部屋をリホームする楽しみがないから、ちょっと寂しい
339大人になった名無しさん:2007/03/05(月) 19:47:26
捕手揚げ
340大人になった名無しさん:2007/03/12(月) 15:51:05
中2の最後まで住んでたマンション
今思えば物凄く景色が良いいんだね
海が見えて遠くの町も見えて。
最上階まで上れば市外まで見渡せた。
・・・マンションは市の端っこだったんだけれどw

一回、夏休み最終日、宿題が終わった明け方に
ベランダにキャンプの椅子持ち出してねw
明かりが消えてくのとかずっと見てた。
他の人家となった今ではもう叶わないけど。。
・・毎日見とけばよかった。

愛着は、人にはすぐにわいても、
土地とか家にすぐわかないんだよね。不思議。
14年間住んだからこそ、の、この感覚。
341松平 晃:2007/03/12(月) 22:26:18
小学3年生まで住んでいた家、吹雪の夜、窓を閉めていてもカーテンが揺れて、
雪が入ってきた。天井には雨漏りの染みの跡が無数にあった。
あんな厳しい環境のなかで僕を育ててくれた親に感謝している。
今、僕は住宅ローンで苦しんではいるものの、隙間風の無い、暖かい家で子育てをしている。
それでも愚痴を言ったり不満をいったりしている。今は亡き両親はどう思っているだろう。

342大人になった名無しさん:2007/03/21(水) 18:44:29
343大人になった名無しさん:2007/03/21(水) 18:57:46
国土地理院の航空写真
今は無いモノが。。。

毎日お菓子を買いに行ったお店、初めて補助輪なし自転車に乗った空き地、
殆ど記憶に残っていない祖母に連れられて行った花園ラグビー前の空き地、
就学前に、よくお菓子やラーメンを食べさせてくれた兄ちゃんが働いていた工務店、
今は建売になっている「文化住宅」、今はイトーヨーカドーが建ってる社内保育園、
そして、僕の家。
344大人になった名無しさん:2007/05/18(金) 17:51:00
ホシュ
345大人になった名無しさん:2007/05/28(月) 00:48:37
自分が住んでたわけじゃないけど、母方の祖父母の家。
祖父が表具店をやっていたので作業場と生活スペースは薄いガラス戸を隔てたすぐ隣。
夕飯の時間になると戸を開けて祖父を呼んだ。
戸を開けるときのきゅるきゅるという音が独特で、今でも薄れることなく記憶に焼きついてる。
柱には従兄弟や自分の身長を計った傷跡。
庭に続く裏口はかつて飼ってた3匹の犬の部屋。
庭の先には8年前に他界した曾祖母が住んでた家。
さらにその先には祖父の弟夫婦が住んでた家。
昔は鯉がいた庭にあった池は、干上がってた
いつも遊びに行くとくしゃくしゃの笑顔の祖父母と一緒に迎えてくれ、
3歳の頃から今まで19年間親しみ続けたその家は、
昨年10月に取り壊された。

祖父母の引越しの際荷物を運ぶ為に行ったきり、
その家のあった場所には行ってない。
346大人になった名無しさん:2007/06/02(土) 21:35:01
小学生まで住んでた家。

父親が子供療育センター(障害児の寮や病院・訓練施設)の小児科医をしてたから施設内の家に住んでいました。
丘全体がセンターになっており、気軽に出入りできない様、厳重な門がしてあった。
センター内には全く同じ作りの家が2件。(無番地)
ひとつは私達家族が住んでいて、隣のおじさんは外科医。
偶然にも、私&弟と同じ歳の子が住んでいたから、お互い、相手の家庭に入り浸り。
「どっちで寝てもいい」状態でした。

周囲から孤立した様な場所だったけど、施設の中は何でもあり、遊ぶのには困らなかった。
毎日、毎日センターで車椅子や歩行器具、ピンポン玉のプールで遊び倒し。
「センターには来るな」と言われる事もなく、逆に、先生達が飴を用意してくれて
いたり、○○するからおいで〜と声掛けてくれたり・・・
最も、センターの子もうちに気軽に来るから(父親は車ボコボコにされてたw)
そういう区別をつけられる場所ではなかったけど。
私は障害児と健常児の違いを比べる為に実験台にされてたし。

車椅子マラソンの練習に行ったり、夜釣りに連れて行ってもらったり、
冬は雪がふるから丘の上からソリで爆走したり、先生に鎌倉作ってもらったり・・・
幸せでした。

でも、外の世界に出た時、違いに凄くとまどった。
他の人の家に気軽に入ってはいけないとか、そういう事が新しい発見だったりw

今でも車椅子凄く上手いですw
たまに、懐かしくなってセンターのHPとか見たりするけど、
今はあの家に誰が住んでいるのかな〜って思う。
347大人になった名無しさん:2007/06/11(月) 19:45:36
17年前にかつてお袋とその両親・兄弟(俺からすると祖父母・伯父貴・伯母)が住んでいた家の後に行ったんだが
公園になっていて地元の人々の憩いの場になっていた
348大人になった名無しさん:2007/09/16(日) 17:44:11
>>344
オマエのようなチョソはとっとと帰れ!!
349大人になった名無しさん:2007/12/16(日) 16:27:29
ほしゅ
350大人になった名無しさん:2008/04/06(日) 02:22:27
age
351大人になった名無しさん:2008/04/12(土) 19:25:24
アントニオ
352大人になった名無しさん:2008/05/04(日) 01:41:36
ひのき
353大人になった名無しさん:2008/05/04(日) 05:37:35
赤猫
354大人になった名無しさん:2008/05/31(土) 11:57:17
age
355大人になった名無しさん:2008/06/06(金) 16:58:23
age
356大人になった名無しさん:2008/06/14(土) 21:37:36
昔家族で住んでた家は取り壊されてビルが建ってます。
もう10年もたつけど家の中の事鮮明に覚えてる。
貧乏だったけど家族仲良く暮らしてた。

でもあることがキッカケで歯車が狂い始めた。そして離散。幸せなあの頃はまさにまぼろし…
357大人になった名無しさん:2008/06/26(木) 15:10:52
2歳から13歳まで住んでた家は今の住まいから車で30分、電車で40分ほど。
よく車で行くけれど、今の住まいになって初めてあの家見に行ったときは
ドキドキした。
500メートルほどのうちまでの長い道の片側は昔は田んぼだったのに
家がぎっしり建ってしまい、道がとても狭く感じた。
そして階段の下から見上げた我が家だった家は全く変わらず、
近所の家々もそのままの家やリフォームされた家などさまざまだった。

それから3年後、新聞の不動産チラシを見ていたら見覚えある間取りの家が。
そう、あの家だった。
2000万で売りに出されていた。
358大人になった名無しさん:2008/08/02(土) 17:41:40
昔住んでた家は、今はオヤジがリフォームして事務所にしている。
でもトイレを潰しちゃったみたいで、いつも糞のたびにウチに帰ってくる。
今住んでる家が近くて良かったが。客人が来た時はどうしているのやら。
359大人になった名無しさん:2008/09/17(水) 20:28:11
ちょうど小学生の6年間、住んでた団地。
山手線の駅のホームが見える公団の団地だった。
ということはつまり、山手線からもうちが見えたわけで。
一度くらいはホームに帰宅するオヤジの姿を見つけたような気もする。

リストラ食らって再就職先探したら、その駅の隣の駅が最寄りという会社に
拾ってもらえた。
ある日、仕事が早く片付いたので、思い立って通勤経路とは反対の、
かつての住まいが見える駅の方へ一駅乗ってみたら、

……丁度取り壊してる最中でした。
360大人になった名無しさん:2008/09/17(水) 22:23:40
同じだけど、雰囲気や何もかもが変わってしまったな
361大人になった名無しさん:2008/09/18(木) 02:18:47
親父が潰してマンションにしてしまった
今よりはマシになると思ってたんだろうな
362大人になった名無しさん:2008/09/18(木) 03:11:44
昔って学校帰りにかなりの確立で気の荒らそうな野良犬が
ウロウロしてて怖かったもんだが
最近、野良犬って見ないね。
まぁ安全上、いい時代になったんだろうけど。
363大人になった名無しさん:2008/12/01(月) 20:53:21
今もあるよ。
山間の田舎町に。今は違う家族が住んでる。
2年前たまたま通りがかった時に、ついでに見に行った。
ちっちゃい頃こんなでかい家に住んでいたのかと信じられない気持ちになった。
364大人になった名無しさん:2009/01/05(月) 18:32:45
まだこのスレあったんだな・・・
365大人になった名無しさん:2009/02/20(金) 14:11:13
最初の家:人手に渡り、今は知らない人が
次の家:兄夫婦が売り払って自分達の家の資金に(縁もゆかりもない土地にいる)
故郷とは完全に切れた、親戚が少しいるだけ
結構裕福だったけどもう没落離散状態w
366大人になった名無しさん:2009/02/20(金) 18:21:42
小学2年まで住んでいた田舎のボロ一軒家

当時は父親も健在で、貧しいながらも満ち足りた生活を送らせてもらっていたと思う。
誕生日に初めて1ホールサイズのケーキを買ってもらった日には夜中まではしゃいでいた。

父が事業に失敗して自殺してからは、母と妹と弟3人で何とかやってこれた。

たまたま仕事の関係で当時の自宅の近くまで来た時、ふと自分の住んでいた所を見たくなって行ってみた。

俺たちのボロ一軒家はすでになく、近代的で立派な家が建っていた。
中からは子供の笑い声も聞こえてきた。

不覚にもボロ泣きしてしまった。
当時の思い出、親父の手のひら、1ホールのケーキ、家族の笑顔、色んなものが浮かんでは消えて、車の中でしばらく大号泣した。
367大人になった名無しさん:2009/02/20(金) 18:31:16
>>366
後に住んだ家族の幸せが
その場所が抱えた悲しみを
供養してるのかもね
368366:2009/02/20(金) 18:44:59
>>367
ありがとう
そう考えると楽になるよ。

来年俺も結婚だから、子供ができて誕生日きたらでっかいケーキ買ってやろうと思ってる。
369大人になった名無しさん:2009/02/20(金) 21:53:26
楽しかった思い出があったからこそ、今の幸せがあるんだよきっと。
そんな俺は>>366にもらい泣き…
370大人になった名無しさん:2009/02/21(土) 00:07:47
366さんの気持ちはよくわかるよ。
371大人になった名無しさん:2009/02/23(月) 23:33:50
最初の家は取り壊し後、ずっと更地だったがユニクロが建った。
二番目に住んだ家はとり壊れた後、精神科の病院が建った。

両方ともよくお世話になってます。
372大人になった名無しさん:2009/03/08(日) 16:47:33
電車の窓から〜見える赤い屋根は〜
小さい頃ボクが〜住んでたあの家〜
373大人になった名無しさん:2009/03/09(月) 17:55:17
庭に埋めた柿ーの種〜
大〜きくなったーかな〜
374大人になった名無しさん:2009/03/09(月) 18:17:21
何年振りかにこのスレに来た。
育った街は、今も同じ市内だから、たまに通る。

あまり意識していないけど、小さいころと大きく変わっていると思う。
このスレが立った時点と比べても変わっている。

身近だった田んぼやアパートはどんどんなくなり、文化住宅(死語)なんてものは絶滅寸前。
代りにマンション、建売住宅が増えた。
家風呂が当たり前になって銭湯は数年前に廃業した。

イオンみたいな大型スーパーが増えたせいもあるのか、太刀打ちできない個人商店はどんどん廃業。
商店街は集団で立ち退いて、跡地は商業施設になっている。


パン屋の夫婦は、
文化住宅に住んでいた兄ちゃんは、
どこにいったんだろう?

今度の休みに、昔の面影を求めて自転車でw回ってみたい。
375大人になった名無しさん:2009/03/10(火) 01:34:04
おお〜っ!このスレまだあったのか!
最近「アルバムの家」という本を読んだ。で、このスレ思い出したんだよ。
子どもの頃住んでいた家とその思い出を、30人くらいの女性建築家がエッセイにしている。
間取りや写真も載ってたりするので面白いよ。
子どものころの記憶ってそれぞれ違うはずなのに、他人の思い出でも懐かしいと感じるのは
何故なんだろう。

自分の住んでいた家も古くて、晴れた日の朝は、雨戸の節穴から斜めに光が差し込んで
ホコリがきらきら光ってきれいで、蒲団のなかからじっと見つめていたりした。
後にそれが「チンダル現象」という現象である事を理科で知った。


376大人になった名無しさん:2009/03/21(土) 21:49:41
5歳まで住んでた家、16年ぶりに見に行ったら、
玄関周りをぶち抜いて向かいの親戚家が車庫に使ってた。
でも土間以外の室内は、ダイヤル式4脚テレビも黒電話もぼっとん便所もそのまま。
ちょっと感動したと同時に、こんなボロい家に住んでたのかー、とびびった。
漫画の浦安鉄筋家族に出てくるのり子の家を平屋にした感じの家だた…。
377大人になった名無しさん:2009/03/22(日) 06:34:52
東京の狛江市に住んでいた。
幼稚園の時から人見知りで、やっと苦労しながら人間関係が出来上がった時に卒園。
小学校に行ったら、不適合で鬱病を発病し、友達も作らず、いつも一人でいた。
そんな時、何かと優しくしてくれて、一緒に遊ぼうとしてくれた近所の女の子たち。

2年生になった時、転機が訪れた。近所に海外からの帰国子女姉弟が引っ越してきたのだ。
378大人になった名無しさん:2009/03/22(日) 06:40:02
彼らにとって、おれの持っている物が物珍しく、彼らの持ち物も物珍しく、
何かと一緒に遊ぶ様になった。その頃から鬱病も治り、友達も出来だした。
学校も近所でも全てが順調に進み始めた頃、転機が訪れた。

転校だった。全てがリセットされてしまった。

再び狛江市の、あのアパートを訪れたのは、10年後、高校を出て上京したとき
だったが、大企業の社宅故に、当然当時の友達が住んでる訳も無かった。
そして、地元の友達の家も覚えていたが、どうしても訪ねて行く勇気が無かった。

そして、全てが信じられない位小さいのに、また驚いたものだった。
379大人になった名無しさん:2009/06/19(金) 22:58:14
ttp://www.youtube.com/watch?v=7WMN0DMxr0Q
「さるもも」
きっとここに相応しい動画だと思うので。
380大人になった名無しさん:2009/06/28(日) 17:36:18
チラ裏だけど、ちょっと書かせて・・・

俺の家、親父が10年前に改築してるんだけどさ
俺当時大学3年で家出てて、その後も家にいなくて
いまも一人暮らしなんだよね
だから、実家に帰っても俺はいまだにお客さん状態・・・

俺の中では、自分の家というものは
今の改築した家じゃなくて、高校まで住んでた小さなボロ家なんだよ
いまでも夢に出てくるのはその小さな家
ついさっきもうたた寝して、夢に出てきたのはボロ家で・・・

・・・
ごめん
いまだけ、昔の思い出に浸ってもいいよね・・・
いかん、涙出てきた・・・
381大人になった名無しさん:2009/06/29(月) 21:47:26
涙は心の汗です。
382大人になった名無しさん:2009/09/20(日) 21:58:36
良すれ あげ
383大人になった名無しさん:2009/09/21(月) 03:33:22
>>380
38歳のオサーンですねんけど、おとんの仕事の関係で(つまり転勤族)
引っ越しをよくしたで。
おとんも定年を迎え東京に住んでるが

実家に帰っても落ち着かへんな。
384大人になった名無しさん:2009/09/22(火) 00:43:02
生まれてから17年間暮らした団地が、この前見に行ったら取り壊されてた。
ちょっと悲しい気持ちになった。
385大人になった名無しさん:2009/09/24(木) 18:47:49
小学校に上がる前直前まで住んでいた長屋があったが今はもう無い。
幼稚園の時の友人が住んでいたアパートが妙に古くなって残ってる。
386大人になった名無しさん:2009/09/28(月) 07:59:24
電車〜の窓から〜見える〜赤い屋根〜は〜
小さ〜いこーろ僕〜が〜住んで〜た〜あ〜の〜い〜え〜♪

387大人になった名無しさん:2009/09/28(月) 17:09:04
幼いころ住んでた家の家屋はないが、
庭の井戸だけが残っている(使われていないが)。
近所の飲み屋のオヤジが「井戸が祟らないように
残しておくんだよ」って言ってた。
その井戸があるんで、なんかよみがえってくる
ようで複雑(スイカ冷やしたとか、体を洗ったとか、
雑巾がけのバケツに水くんだとか・・・生活が
思い出される)。
388大人になった名無しさん:2009/10/04(日) 10:23:45
近所に住んでいた祖父母の家が取り壊された。
そのご近所の方も高齢なためお亡くなりになり、家が取り壊されて、付近一帯が空き地に・・・・

子供の頃よく遊びに行っていただけに、切ない思いになったよ。
389大人になった名無しさん:2009/10/04(日) 13:54:21
生家跡がパ○ンコ屋とかラ○ホテルとかになってたら嫌だろうな
390大人になった名無しさん:2009/10/08(木) 22:25:37
立ち退きで跡地が銀行になってる。
391大人になった名無しさん:2009/10/09(金) 20:05:54
新しい家に引っ越したばかりの時。
しばらくは新居の匂いに戸惑いながらも眠りについた。
そして、半分夢を見ているかのように目覚める時、必ずいつも寝ていた古い方の家の寝室が、目の前に広がっているかのような錯覚を起こしてた。
しかし、完全に目が覚めてしまうと、何か味気無い新居の寝室で、「ああ、そうだ。もうあの部屋じゃないんだったっけ」と自覚して、よく涙を流してた。
392大人になった名無しさん:2010/02/09(火) 15:58:50
みんな前世はぬこだったんだよ
393大人になった名無しさん:2010/03/20(土) 08:01:48
    \     毛       /
  腿  \_  |   _/
          彡彡彡
          ミミミミ クリトリス
         ミミミミ / ̄ ̄ ̄ ̄
         ノ σ ヽ 尿道
       / / ゚ヽ ̄ ̄ ̄ ̄
大陰唇 / //\\ \
 ̄ ̄ ̄ ̄  ( ( 膣 ) ── 小陰唇
      \ \\// /
         `   \/  '
\         *──肛門
  \_____/\_____/
394大人になった名無しさん:2010/03/25(木) 19:14:50
マンションだったが,俺の持ってきたカラタチを植木鉢に植えてちょうちょがいっぱいいた。
ストリートビューでちらっと見えるんだが,初めて見たときに泣いた。
395大人になった名無しさん:2010/05/29(土) 10:50:42
|ω・) ちらっ
396大人になった名無しさん:2010/10/08(金) 20:53:07
    \     毛       /
  腿  \_  |   _/
          彡彡彡
          ミミミミ クリトリス
         ミミミミ / ̄ ̄ ̄ ̄
         ノ σ ヽ 尿道
       / / ゚ヽ ̄ ̄ ̄ ̄
大陰唇 / //\\ \
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      \ \\// /
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\         *──肛門
  \_____/\_____/
397大人になった名無しさん:2010/10/08(金) 21:13:43
バカばっかり
398大人になった名無しさん:2010/10/10(日) 12:03:08
転勤族で何度も引っ越したから、
「子供の頃に住んでいた家」というのがたくさんある。
社宅や賃貸アパートばかりで風情も何もないw
399大人になった名無しさん:2010/11/05(金) 11:35:05
約30年ぶりに5歳〜18歳まで過ごした長屋の中の一軒を見てきた。
風呂も無いし、狭いし、ネズミが天井を走るしで、俺のコンプレックスだった家。
金持ちの友達は呼びたくなくて、家まで来そうだと何か用事を作って断ってた。
小学生の頃は玄関に行水用の風呂桶を置いて、瞬間湯沸し器でお湯を溜めて順番に
家族で風呂に入ったものだ。
夏は毎日汗をかくし、風呂屋に行く金を両親が節約したんだろうな。
かなりの貧乏だったのに、中学に入ってアマチュア無線の免許を取った俺に
小さい無線機を買ってくれた両親には本当に感謝している。
天国の父さん、あの趣味のおかげか、俺は工業の教師になったよ。
小学生の頃一緒に遊んでくれた兄ちゃんの家は空き地になっていた。
ビー玉で遊んだ路地はアスファルトで固められてた。
小学生の頃に友達とじゃんけん遊びをしながら階段を上がった近所の文化住宅は
建物自体がなくなり駐車場になっていた。
でも俺の住んでいた長屋はまだあった。誰か住んでいるみたいで植木があった。
見た瞬間に泣きそうになった。今の方が10倍立派な暮らしをしているが、
あの家に入れば元気な父、足のまだ丈夫だった頃の母、遠くに住む姉が居るような気がした。そしてその中にいる小学生の俺…。
あの頃に戻って泣いたり笑ったり甘えたりしてみたい。でももう何もかも戻らない。
400399:2010/11/05(金) 11:45:21
399ですが、今日は代休日で、学校から書き込んでません。だから通報しないでw
401\__________________/:2010/11/10(水) 22:39:01
          V
           ___                _
       / ____ヽ           /  ̄   ̄ \
       |  | /, −、, -、l           /、          ヽ きみ頭だいじょうぶ?
       | _| -|○ | ○||         |・ |―-、       |
   , ―-、 (6  _ー つ-´、}         q -´ 二 ヽ      |
   | -⊂) \ ヽ_  ̄ ̄ノノ          ノ_ ー  |     |
    | ̄ ̄|/ (_ ∪ ̄ / 、 \        \. ̄`  |      /
    ヽ  ` ,.|     ̄  |  |         O===== |
      `− ´ |       | _|        /          |
402大人になった名無しさん:2010/11/11(木) 08:39:11
オレの心を奪った罪で通報するw
403大人になった名無しさん:2010/11/12(金) 23:13:30
    \     毛       /
  腿  \_  |   _/
          彡彡彡
          ミミミミ クリトリス
         ミミミミ / ̄ ̄ ̄ ̄
         ノ σ ヽ 尿道
       / / ゚ヽ ̄ ̄ ̄ ̄
大陰唇 / //\\ \
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      \ \\// /
         `   \/  '
\         *──肛門
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404大人になった名無しさん:2010/12/04(土) 08:17:48
    \     毛       /
  腿  \_  |   _/
          彡彡彡
          ミミミミ クリトリス
         ミミミミ / ̄ ̄ ̄ ̄
         ノ σ ヽ 尿道
       / / ゚ヽ ̄ ̄ ̄ ̄
大陰唇 / //\\ \
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\         *──肛門
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405かばとっと:2010/12/28(火) 10:08:58
年賀状の配達は無事すんだかどうかわかりますでしょうか。
406大人になった名無しさん:2011/10/26(水) 13:30:09.85
あちこち転校したから、住んでた家はいっぱいあった
でも取り壊されてもうひとつも残っていない

ボロい家ほど思い出深い
雨戸を閉めてるといつも外れて道路に落ちたり、雨漏りが20ヶ所
ぐらいある家だった
407大人になった名無しさん:2011/11/04(金) 05:41:51.77
府営の2戸続きの木造
20年位前に鉄筋に立て替えられた

同居していた祖父・祖母とも老衰でこの家で看取り、送った
爺ちゃん子だったのでよくあそんでもらった
小さい自分が庭に掘った浅い落とし穴に、だまされて落ちる振りをしてくれたり・・・

今は建て変わった鉄筋に両親が健在なのが何よりありがたい
懐かしいあの家は写真と記憶の中でしか会うことはできないが
両親の部屋があるのは、丁度建て替え前の家と同じあたりだ
408大人になった名無しさん:2012/02/05(日) 02:30:14.15
台風が来るとよく床下浸水したな。
水が引いたら役所の人が消毒に来てた。
今は区画整理されて役所の分庁舎が建っていた。
409大人になった名無しさん:2012/02/05(日) 06:05:52.70
>>407
じいちゃんは落とし穴に落ちて死んだのか?
410大人になった名無しさん:2012/06/25(月) 01:33:12.00
久しぶりに昔の家の前を通った。取り壊されて駐車場になっていたが驚くほど狭かった。
411大人になった名無しさん:2012/06/25(月) 21:13:26.27
幼少時代に住んでいたあのアパート・・・
義務教育時代に住んでいたあのアパート・・・
もう一度だけ、あの時の部屋に入ってみたい気もするな
412大人になった名無しさん:2012/07/11(水) 02:45:27.75
静かな郊外の建て売り住宅。少し離れた場所から聴こえる踏切の音、カエルや蝉の鳴き声。
降り注ぐ太陽、母が言ってた "お日様の匂い" がする家。何もかもが懐かしい。
優しかった両親と三人で暮らした家、今はどうなっているんだろう? 一度、見に行きたいな。
413大人になった名無しさん:2012/07/11(水) 03:04:49.43
>>409
そうです
414大人になった名無しさん:2012/07/24(火) 23:13:50.95
>>63
俺もそう原風景刷り込まれてるボロ屋や雑木林が夢に出てくる。
と8年越しのレスw
415大人になった名無しさん:2012/07/25(水) 12:20:58.99
3歳頃に住んでた一軒家を当時はものすごく広い家だと思ってたけど
当時の間取りを聞いたら2Kで、とんでもなく狭かったらしい
どのくらい狭いのか見に行ってみたいが、まだ残ってるかどうかも分からない
416大人になった名無しさん:2012/08/17(金) 16:58:09.67
"確かこのへんだったよな"と産まれ育った街へ、新しい家が建っていたり、取り壊された家が有ったり。
すっかり古くなった生家の前の家ではお葬式。庭に柿の木が有って、毎年おばあちゃんが柿をくれたのはもう少し後の季節。
集団登校の集合場所、日が暮れるまで父と遊んだ公園、何もかもが懐かしかった。
417大人になった名無しさん:2012/08/24(金) 00:20:47.24
【サッカー/U-23】五輪 日本、モロッコに1−0勝利で準々決勝進出! またも生きた永井のスピード、権田と守備陣が守り切る★13
1 : ◆YKPE/zzQbM @ゆきぺφ ★:2012/07/30(月) 17:04:36.72 ID:???0
2012 ロンドン五輪 男子サッカー グループステージ 第2戦

◆ D組
 日本 1−0 モロッコ  [ニューキャッスル]
1-0 永井謙佑(後39分)

◆ U-23日本  関塚隆監督
GK 1 権田修一(FC東京)
DF 2 徳永悠平(FC東京)
   5 吉田麻也(VVV/オランダ)(Cap)
   12 酒井高徳(シュトゥットガルト/ドイツ)
   13 鈴木大輔(アルビレックス新潟)
MF 3 扇原貴宏(セレッソ大阪)
   7 大津祐樹(メンヘングラードバッハ/ドイツ) → 15 齋藤学(横浜F・マリノス)(後33分)
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1343635476/
418大人になった名無しさん:2012/08/25(土) 11:39:27.43
10歳までに7回引っ越ししてるから逆に懐かしさが無いよ。
記憶があやふやで、どの思い出がどこに住んでる時の事だったのか全然思い出せない。
419坂井輝久 ◆C6YlvmPsWE :2012/08/25(土) 21:48:14.85
そりゃ仕方がないよ
420大人になった名無しさん:2012/08/26(日) 02:21:02.86
ウンコの美味しいポットン便所最高!
421大人になった名無しさん:2012/11/19(月) 00:45:51.69
生家の有った街そのものがすっかり姿を変えていた。
422大人になった名無しさん:2012/12/08(土) 00:25:19.67
昔はよくあった都市・近郊型の住宅。
古い日本家屋だが、玄関の反対側の応接間だけが洋館(もどき)の造り。
壁のマントルピース(もどき)に小さなガスストーブがはめ込まれて、
無名の作者の安物の油絵(辛うじて写真印刷ではない)が掛っていた。
この部屋に入ると、なんだか異界に来たようで、俺もいつかは「西洋」に
行くんだと、漠然と考えていた。
本当にヨーロッパに行けた翌年、老朽化で取り壊された。
423大人になった名無しさん:2012/12/13(木) 00:09:04.56
>>422
なんか大正ロマンやな。
ええなぁ。
424大人になった名無しさん:2013/02/09(土) 00:01:33.78
ええな
425大人になった名無しさん:2013/02/10(日) 00:23:08.25
こない家いうたら、夙川あたりの阪急側へ行きよったら、今でもぎょーさん有るで。
426大人になった名無しさん:2013/03/04(月) 01:34:47.21
親父が連帯保証人になっていて競売で取られた。
427大人になった名無しさん:2013/03/04(月) 22:50:29.57
>>426 俺の息子か?娘の方か?あれから何年たった?大きくなったんだな・・・・
428大人になった名無しさん:2013/03/07(木) 19:09:52.53
バラックの様な長屋だった
429大人になった名無しさん:2013/03/08(金) 00:17:03.14
プロパンガスだろう?
430大人になった名無しさん:2013/03/15(金) 01:08:42.90
豪邸だったお
431大人になった名無しさん:2013/03/18(月) 22:34:57.32
風呂も電話もない長屋の借家だったな。。。
432大人になった名無しさん:2013/03/19(火) 00:36:02.16
>>425
阪神沿線には絶対におまへんがな。
433大人になった名無しさん:2013/03/25(月) 16:31:32.08
http://video.fc2.com/content/20130325u9eNmUAV 長屋の借家に住んでるニート57才w
434大人になった名無しさん:2013/03/26(火) 23:59:08.64
>>433
こらボケ老人
スレチうぜーぞ
435大人になった名無しさん:2013/04/13(土) 21:52:19.55
15年近く暮らした家。思い出いっぱい、幸せいっぱい。
もう一度 "ただいま!"って帰りたい。
436大人になった名無しさん:2013/06/28(金) 21:18:33.35
http://imepic.jp/20130628/761200

昔、住んでいた家
中央広場から撮った写真です
この広場では、夏になればラジオ体操や盆踊り
秋口になれば運動会

正月には凧上げしたり、近所の友達と鬼ごっこやかくれんぼ
庭球を使った野球で遊んだっけ

今でもたまに夢に出てくる風景
朝起きてふと思う
「ああ・・夢だったんだ・・・」

なんか書いてて少し泣いた(´Д⊂ヽ
437大人になった名無しさん:2013/06/29(土) 00:31:23.78 ID:O30EiXaD!
他人が見ると暗くて不幸そうな光景だけどな
438大人になった名無しさん:2013/07/02(火) NY:AN:NY.AN
>>436
真ん中の向こうに見える塔みたいなやつは何?
439大人になった名無しさん:2013/07/03(水) NY:AN:NY.AN
>>438
給水塔
440大人になった名無しさん:2013/07/04(木) NY:AN:NY.AN
>>436
背後の団地も三方向に向いた独特な形ですね
三方向型って昭和の一時期流行してたみたいですね
自分の住んでる隣町にも残存してます
441大人になった名無しさん:2013/07/11(木) NY:AN:NY.AN
>>440
崩壊寸前だったりして
442大人になった名無しさん:2014/07/02(水) 23:11:10.90
>>440
私の住んでいる隣町の都営住宅にも一棟だけあるよ
おそらく昭和六十年代から平成初期のもの
敷地に制約がある為に星形になったみたいだ
443大人になった名無しさん:2014/09/15(月) 10:32:41.97
街道騒音異臭mannar原価液問題BOXNHKONE

街道騒音異臭mannar原価液問題BOXNHKONE

街道騒音異臭mannar原価液問題BOXNHKONE

街道騒音異臭問題
麻婆豆腐
444大人になった名無しさん:2014/09/18(木) 18:00:29.59
0〜4 おばあちゃんち
4〜11 公営団地
11〜中学卒業まで 2階建ての一軒家
15〜 ただの2dkのマンション
18〜 独り立ちし、アパート暮らし
23の時だけ実家
現在 寮生活
445大人になった名無しさん:2014/10/19(日) 22:54:46.53
このスレまだあったんだな
なんか嬉しいよ
446大人になった名無しさん:2014/12/11(木) 06:48:05.71
2年前まで敷地200坪、延べ床90坪の家に住んでた
今は建て替えて同じ敷地に賃貸併設の自宅になった
相続税なんてなかったらよかったのに…
447大人になった名無しさん
ちょっと人生疲れた40代後半オヤジです
東京の端で小学校時代を過ごした
戦後直ぐ建った平屋の汚い戸建て
明日が来るのが楽しいことだらけだった記憶と
あわせるとあの家あの部屋に一瞬でも良いから
戻りたい・・・

1975年の航空写真見つけたけど隣の家の影で
当時の自宅が隠れてよく見えない・・・
とりあえず忘れない様手帳に当時の家の間取りを
書きとめました。

スレ汚し失礼