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832AnonymousCollege
>>831
高々2〜4年程度しか学生と接しない教師が,人の一生を預かっていると思うの
は思い上がり,という点については同意します。

しかし,「先生」と呼ばれることが一般的である職業である以上,そう呼ばれる
にふさわしい人物になるにはどうすればよいか,ということを考えるべきなのに,
考えてない,あるいは考えても答えが出せないまま教師をやっている人は多いで
しょう。

「先生は常に学生・生徒よりも優秀であり,知識も多い」のが誤りであるというの
は,このスレの参加者 (ROM も含めて) には自明だと思いますが,では「先生」と
は何か?という点について,私見を述べます。

「先生が学生・生徒に対して明らかに優位な点」が1つあるなら,それは,「先生
は学生・生徒よりも長く生きている」ことに尽きます (たまに年上の学生もいます
が,とりあえず最後まで読んでみてください)。

「長く生きていること」がなぜ「優位」(アドバンテージという言い方の方が正確か
も) なのかというと,長く生きているだけで,その分のいろいろな人生経験を積ん
でいるので,自分がすでに克服している問題について学生が悩んでいたりすると,
比較的的確な回答を提示することができるでしょう。そういう経験ってないです
か?

結局,「先に生まれた」のが先生だから,そのアドバンテージを有効に活用する
だけでも,優れた教師になることが出来ます。

education という言葉の語源もこういう発想であり,「教育」という言葉とは発
想が違う,ということについて,「あの」東専各の講義にも出ていましたが (教
師が学生の立場を味わえる貴重な時間を無駄にするやつがほとんどというのも大
笑い。内容を覚えてる人がいたらレスください (笑)),この考え方で行けば,
自分より優秀な学生を自分が指導する,ということも十分可能なのです。

結局何が言いたいかというと,高々数年しか付き合わない学生に対しても,それま
でその学生がどういう人生を送ってきて,卒業後どういう人生を送るのか,という
ことを考え,適切な助言を与えることによって,その学生がよりよい方向に向かう
ための方向転換をさせることが出来る,というのが教師の存在意義でしょう。

いったん,よりよい方向に転換できれば,あとは放っておいても学生はその方向に
進むので,教師と学生・生徒が接する短い期間の間に,全員に対してたった1回で
もいいから方向転換をさせることができるなら,その教師は優秀である,と言える
でしょう。

「ゼミ学習」というのは,もともとこういう発想で生まれたものでしょ?教師は
方向転換役だけやっていれば,あとは勝手に自主的に学生が勉強する,という,
ある意味理想の教育形態ですよね。

専門学校卒が大学卒に劣ると言われることがあるとすれば,この「自主性」が身に
ついているかどうかの違いが大きいでしょう。だから,少なくとも自主的に受験勉
強したことのある大学卒と,企業で対等にやりあうことの出来る人間を育てる
(という言い方がおこがましいのであれば,方向転換のきっかけを与える) ために
は,「先に生まれた」という絶対的なアドバンテージ (に加えて,education に
ついて考えている時間が長いというアドバンテージ) をどうやったら生かすことが
できるか,ということについて考えてみてはいかがでしょうか。

ちなみに,私が現在勤めている会社 (創業 10 年) の社長は中卒で,26 歳で会社
を設立しました。というと,よっぽど頭がいいと思うかもしれないですが,逆に
(失礼ながら (笑)) 頭がいいということと独立できるということは,関係ないんだ
ということを教えてくれました (^-^;)。