名文辞典@専門板

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766名無し専門学校
■2003/08/12/山陽中央新報
【大検制度見直し。大学の遊園地化はもういい】

バケツの底が抜けてしまうのではないか。
高校を卒業しなくても各大学の判断で大学受験を認めるように来春から制度が変わる。
大学入学資格を客観的に判断してきた大学入学資格検定制度を見直し
大検を受けなくても大学を受験できるようになる。
教育の規制緩和の一環だが、あまりにも安易な方向に流れている。
大学の大衆化によって、大学生の学力水準は低下している。

少子化によって大学の門が広くなることが、それに拍車を掛ける。
そこへ大検制度の見直しが加わる。
高卒程度の学力を客観的に証明してきた大検の受験義務を免除することで
学力の低下は底なしとなる懸念が強まっている。
現状でさえバケツの底はザーザーと水漏れしている状況なのに、その底がすっぽり抜けてしまう恐れがある。
大検制度をなぜ見直さなければならないのか。
767名無し専門学校:04/08/03 08:35
大検の受験義務を外す代わりに、高卒程度の学力をどう客観的に担保していくのか。
それらについて文部科学省は十分な説明をしていない。
規制緩和の流れに安易に便乗して、大学生の学力低下に制度的な歯止めを掛けることを放棄し
大学のレジャーセンター化を促すような措置としか思えない。
規制緩和を規律緩和と取り違えているのではないか。
文科省に大検制度見直しの白紙撤回と猛省を求める。

この問題でよく分からないのは、なぜ大検制度を見直さなければならないのか、という基本的な疑問である。
大検は、高校中退者らが大学を受験しようとする場合、高卒程度の学力を証明するために受験を義務づけている。
高校を卒業していない人たちに大学入学資格の取得の機会を公平に提供し、広く開かれた制度である。
幅広い教科にわたって基礎的な学力を検証し、その学力検査の結果は客観的で信頼性も高い。
何より大検合格に向けて努力を重ねることは、その人の人生にとって貴重な体験となり、掛け替えのない財産となる。
門戸が広く開かれ、機会も均等に与えられ、しかも評価が客観的で信頼性も高い。
768名無し専門学校:04/08/03 08:36
そういう大検制度をなぜ見直さなければならないなのか、理解に苦しむ。
制度の見直しでは、大検制度そのものは残す一方で
大学入学資格については大検を受験しなくても大学側の個別判断にまかせる。
大学側の裁量で入学資格を認めるようになる。
しかし、そうなった場合、大学によって入学資格の審査が安易に運用される恐れが強い。
少子化で定員割れを起こし、学生確保に躍起となっている大学が激増している。

そういう大学の学生集めに入学資格の緩和が利用される懸念が強まっている。
教育の多様化や個性の尊重といった美名に隠れて
入学資格の基準が恣意的になり、結果として際限のない学力の低下を招く恐れは強い。
それを防ぐためには入学資格の審査に当たって、高卒程度の学力を客観的に証明し
かつ透明性の高い手段を大学側に義務づける必要性がある。
大学側だけの閉じられた判断にまかせず、第三者機関のチェックを含めた開かれた検証を欠かせない。
そうした課題に大学側がどうこたえるか。生き残りに向けた大学側の実力が問われる。