日本では普及しなかった道具・文化、総合考察スレ 5

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1人間七七四年
何故か日本で普及や継承のなかった物全般について語ろう。

持ち盾、弩、投げ槍、尾布付きの手投げ剣、フレイル、両刃の直剣などの武装から、
街道・馬車・戦車・市壁・靴・牧畜などまで、何でもOK。

前スレ
盾・弩などは何故日本で普及しなかったのか 4
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1242040799/

過去スレ・過去関連スレ
盾・弩などは何故日本で普及しなかったのか 3
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1218900522/
盾・弩は何故日本で普及しなかったのか 2
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1199439541/
なぜ盾は日本で普及しなかったか
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1168827785/
何故弩は一般化しなかったのだろうか
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1168695630/
2人間七七四年:2014/07/17(木) 23:18:16.55 ID:mM3uA50n
>>1

世界史板の食スレでちょっと出た話題だけど
水牛は普及しなかったね。牛耕も角製品もあったのにね。
3人間七七四年:2014/07/17(木) 23:23:32.04 ID:aT/z6Rrx
宦官
4人間七七四年:2014/07/18(金) 00:11:34.02 ID:niaBBpdw
城郭都市

日本の例は少数だし「その程度?」って規模
5人間七七四年:2014/07/18(金) 00:17:07.60 ID:8iVOCxl2
>>3
他にも纏足とか、体を不自然に矯正する技術や文化は受け入れなかったみたいだね
6人間七七四年:2014/07/19(土) 14:51:14.82 ID:IpNEs2/x
胡椒
7人間七七四年:2014/07/19(土) 20:02:24.20 ID:Nq4dCuAu
コショウはわりと使ってたぞ、ウドンにもかけてたし
むしろいつ和食に使わなくなったのかという方が気になる
8人間七七四年:2014/07/19(土) 23:59:56.66 ID:nGbwjI5j
遊牧民風の野営用天幕が取り入れられなかったのはなぜなのか
寺院等に宿営すればよかったからか
9人間七七四年:2014/07/20(日) 00:11:56.12 ID:8QItkxBx
もともと天幕は雨宿り風除けできるものが周辺に本当に何にも無い地域のものだからなぁ
当時のものは嵩張るしかかる労力に見合わなかったのだろう
10人間七七四年:2014/07/21(月) 21:52:56.63 ID:PgxZSa3k
大将級はプレハブをバラして組み立てて仮設して野営したみたい。テントみたいのが流行らなかったのは、日本が夏湿気が多く冬は寒いからであろう。
11人間七七四年:2014/07/21(月) 23:10:13.54 ID:kKPN8zH4
>>4
のメリットがいまいちよくわからんのだが

余計な非戦闘員多数を抱え込んでも重荷とリスクになるだけで
必要な戦闘要員と物資だけ城塞に置いた方がコスパ良くね?

城に入らない人は敵が来たらどこかに逃げてもらって、敵が帰ったら戻って来てもらってさ
え?そのまま戻ってこないって?でも日本中どこでもやってるフツーのことじゃんコレって?何かおかしい?
12人間七七四年:2014/07/22(火) 22:03:03.52 ID:fgr9wMvT
多民族との攻防だと、殲滅戦になるからっしょ?
日本のように新支配地は農民とセットではなく。
最近はアメリカのように紳士的に・・原住民のオンナは無理やり不妊手術するとかになってきてるが。
13人間七七四年:2014/07/23(水) 15:31:23.73 ID:4bB+JxC9
投石機はなぜ流行らなかった
14人間七七四年:2014/07/23(水) 16:08:14.67 ID:JczCLDS8
カタパルト、バリスタあたりはなぁ・・・
15人間七七四年:2014/07/23(水) 16:31:11.09 ID:eevm1ku+
>>13
石やレンガの壁で囲まれた都城が無いから
16人間七七四年:2014/07/23(水) 17:05:21.73 ID:/EaWxTUM
石関連だと石垣ですら一般化してきたのは戦国末期になってからだしなぁ。

古代にはカタパルト、バリスタ、石垣など大陸的なものはかなりあったのに、
中世以後に断絶しちゃった感じ。
17人間七七四年:2014/07/23(水) 17:38:44.92 ID:4bB+JxC9
日本には大陸のような壁で囲った砦はないにしても、石垣や白壁をぶっ壊すには投擲器が有ってもよかろう。
18人間七七四年:2014/07/23(水) 18:59:54.17 ID:Jgim49nc
戦国後期になるまでの武家の都市は鎌倉や一乗谷みたいな天然の要害に拠点を置く省エネ路線だったよね
大阪も都市としての立地自体は良いのに、防備に使える自然物・地形がないってだけで大掛かりな都市にならなかったのが、
戦国後期に秀吉が城下町ごと囲う大外堀を作る事で大都市としての歴史が始まった訳だし
19人間七七四年:2014/07/23(水) 21:38:26.48 ID:CbTEmChO
割礼
勃起した男性器を祭ったりするのに、なぜか包皮を切除して男性器を露出させるという風習は起こらなかった。
20人間七七四年:2014/07/24(木) 11:38:37.12 ID:dP7ZQ82K
>>17
中世の城ってだいたい小規模かつ、やたらと数があるんだから
そんなのを攻略するのにいちいち大掛かりな攻城兵器作ってたら大赤字じゃん
石垣や白壁が出てくる時代にはもう火器があったし
21人間七七四年:2014/07/24(木) 12:15:50.48 ID:S/qAexcu
だから大坂藩を攻めるときは有効でしょ
22人間七七四年:2014/07/24(木) 15:09:13.15 ID:4LTVroRh
リカンベント
23人間七七四年:2014/07/26(土) 01:22:56.23 ID:H868JUgD
あんだけ焼き物の文化があるのに、煉瓦作りの建物や塀が発展しなかったのも不思議だ。
24人間七七四年:2014/07/26(土) 01:43:17.37 ID:fl2zL669
キリスト教
25人間七七四年:2014/07/26(土) 02:20:26.92 ID:2vFqI8sL
>>23
瓦屋根
26人間七七四年:2014/07/26(土) 06:41:48.36 ID:McHYapLC
ウリスト教
27人間七七四年:2014/07/28(月) 02:59:01.21 ID:NuNQEtm4
モーニングスター
28人間七七四年:2014/07/29(火) 11:12:52.53 ID:SfLemZuc
>>27
乳切木があるで
29人間七七四年:2014/07/30(水) 12:33:38.35 ID:LvdrfuKu
>>23
土壁や漆喰等も有るには有ったが
城や寺社、蔵とか豪農や豪商など力が無ければ資材が高価になりすぎるんじゃ無いかと
良いと分かってても庶民はやっぱり安価で資材が豊富な方を選ばざるを無かったかも
30人間七七四年:2014/07/31(木) 23:12:32.34 ID:1dXgnhTK
ここは4スレ目か。
どうして盾は日本になかったの?
結論は出た?

中国や西洋のような城塞都市がなかったのは、異民族の侵略がなかったからだよね。
チンギスハンとか、都市ごと皆殺しにしてるしね。
31人間七七四年:2014/07/31(木) 23:27:22.91 ID:5eeMizwT
>>30
明瞭な結論は出てないけど、有力と思われる説としては、
元々弓や長柄武器などの両手武器を扱う機会が多かったせいで、自然と盾を使わなくなったって所かな
室町時代までは盾を使う武者も極稀にいたけど、あくまで例外的少数だったしね
32人間七七四年:2014/07/31(木) 23:45:51.52 ID:1dXgnhTK
>>31
ふーん、そうか。
古代ローマやギリシャの映画を見ていたら、盾とか使っているよね。
ヨーロッパも時代が進むに連れて盾を持たなくなって来たかもしれないね。

あと、日本には奴隷がいないよね。
それに近いものはいたかもしれないけど。
これも民族同士の戦いがなかったのが原因かな?
33人間七七四年:2014/08/01(金) 00:57:42.58 ID:xdieu68w
奴隷はいたけど大規模じゃ無いな。供給源もないし。
34人間七七四年:2014/08/01(金) 14:19:59.78 ID:ewjnRkdy
>>30

> 中国や西洋のような城塞都市がなかったのは、異民族の侵略がなかったからだよね。
> チンギスハンとか、都市ごと皆殺しにしてるしね。


それなりの防御力があったはずの大宰府が藤原純友にあっさり占領された件について
何か言いたいことがある人はいるかな?
35人間七七四年:2014/08/01(金) 19:02:26.46 ID:xdieu68w
これは触らん方がいいかな。
36人間七七四年:2014/08/01(金) 23:15:44.07 ID:fWYw4axg
37人間七七四年:2014/08/02(土) 05:15:00.47 ID:qrUKap4E
>>31
縦で防いでその合間から槍や長刀を繰り出す、て戦術もあって良さそうだけどなあ
まあ良くないから使われなかったのか
38人間七七四年:2014/08/02(土) 06:35:55.29 ID:pipASZpl
>>4
日本の都市は基本的には城塞都市
領主の館を中心に家臣の屋敷が配置され
それを取り巻くように城塞が作られている
民衆はほとんど農民で農村に住んでいるため
都市にはいない
市は特定の定められた期間に都市周辺に臨時に設置される
39人間七七四年:2014/08/02(土) 08:57:03.53 ID:HamG5cvY
戟はどうだ
40人間七七四年:2014/08/02(土) 09:23:50.28 ID:dwxVR95R
昔、TVで日本刀と海外の刀で海外のが頑丈みたいなのやってたけど
なんで日本刀みたいに手間かかりそうなのに発展したのですか?
ローマ時代の刀みたいなのが大量生産できそうなのですが
41人間七七四年:2014/08/02(土) 10:31:03.98 ID:5YEXliuk
日本刀が誕生したころのメインユーザーである武士が騎馬戦やってたから
馬で走りながら切りつけるのに便利なため
外国でもほとんどの地域で騎兵は反りのある湾刀使ってる
42人間七七四年:2014/08/02(土) 13:51:22.85 ID:4L18rqIm
同じ日本刀でも、歩兵が両手で使う打刀は、
騎兵が片手で使う太刀よりも反りが浅いもんね
43人間七七四年:2014/08/02(土) 16:03:09.73 ID:7SrFwTdx
そして戦国時代、江戸時代、と時代が下って騎馬戦が廃れると刀の反りも浅くなってくる
44人間七七四年:2014/08/03(日) 01:56:29.49 ID:qfp9opwt
衣装でみると、日本では毛織物が発達しなかった。
冬の寒さを凌ぐために、羊毛で作った服の需要もあったはずなのに、
なぜか羊を飼ってその毛を織物に使うという発想は生まれなかった。
45人間七七四年:2014/08/03(日) 03:17:33.53 ID:e2JQoDFc
その代わり蚕産が結実した
46人間七七四年:2014/08/03(日) 05:15:49.67 ID:cXuLxkZp
47人間七七四年:2014/08/03(日) 13:55:05.62 ID:F0XS5Me3
スレタイ変えたの良い判断だなw
48人間七七四年:2014/08/03(日) 15:40:48.28 ID:hMKi/PrU
>>36
弩は、射程距離が広いけれど再装填に時間がかかる。
日本の場合、射程距離を広げるために弓自体を大きくして対応した。
49人間七七四年:2014/08/05(火) 13:19:57.40 ID:TWdXO505
弩は重くてかさばるし湿気で機械部分がいかれるからだろうな。悪条件他にも多いし。
泥田に落としでもしたらもう使用不能。
50人間七七四年:2014/08/05(火) 13:46:46.29 ID:eGYlsYCd
>>49

中国でも呉のあたりは、日本と変わらず高温多湿で田んぼが多いが
それでも弩はあったのではないだろうか?
51人間七七四年:2014/08/05(火) 14:50:55.48 ID:TWdXO505
それもそうだな。
やっぱり持ち運びに不便なのが最大の理由かしらん。
52人間七七四年:2014/08/05(火) 15:23:11.22 ID:eGYlsYCd
製造できる技術者が倭国にどれだけいたのか?

ここが疑問。
53人間七七四年:2014/08/05(火) 16:50:51.01 ID:fspC4f56
>>32

日本はファランクスとかの伝統が無いので盾は発展しなかったのでは。
あと槍が長く(両手持ち)なって盾を持つ余裕が無くなったのだと思う。
54人間七七四年:2014/08/05(火) 22:09:21.26 ID:q6GEkyyX
前スレまでの簡潔まとめ

集団密集戦術の律令軍は使ってる。軍団制が終わると瞬く間に廃れた。
弩も同様だが武士による騎乗戦が主体になったころにはさらに廃れた
ただし防衛用にその後も長く使われはした。狩猟用には一部の地域ではずっと使われている。
55人間七七四年:2014/08/05(火) 22:37:58.19 ID:CC/iTl5X
えっ、律令軍はレギオンみたいなことやってたの?
56人間七七四年:2014/08/06(水) 07:09:09.12 ID:5nSTVpRt
>>52
鉄砲ですら僅な間に大量生産できたのに弩が作れないとは到底思えない
57人間七七四年:2014/08/06(水) 13:00:26.58 ID:zx2wjdeR
話題がループするから

律令制下における軍隊編成に関する基礎的考察

鎮守府弩師考

あたりをググって読んで自得してくれ
58人間七七四年:2014/08/06(水) 13:25:40.36 ID:wkIQVAyp
多賀城(官庁街と倉庫を木の柵で囲んだだけのような、あっさり味の造り込み)
があっさり占領されたことがあるが
あれは周囲に空堀を掘って弩を用意しておけば良かったように思う。

結果論だが。
59人間七七四年:2014/08/06(水) 20:16:26.62 ID:0JSonBs0
何でも外国の真似したがる日本に
江戸以前に中華料理が全く入ってこなかったのは大いなる謎
60人間七七四年:2014/08/06(水) 20:23:01.41 ID:nVIZzjbM
石炭の高火力が必要だから別に謎でもない
61人間七七四年:2014/08/06(水) 20:51:06.36 ID:wkIQVAyp
奈良の菓子に、中国の影響を受けているものがあるはず。
62人間七七四年:2014/08/06(水) 23:13:33.72 ID:nVIZzjbM
饅頭も麺類もありますがな
63人間七七四年:2014/08/07(木) 06:38:00.64 ID:Th8apNpc
何でも真似なんてしない
むしろ日本ほど取捨選択が極端な国はあるまい
64人間七七四年:2014/08/08(金) 19:17:37.61 ID:DQkQ+fEJ
天文学は今一つ振るわなかった感があるのう
西洋キリスト教文明圏やイスラム教文明圏に比し
やはりギリシャ・ローマの自然科学の伝統の影響の有無なのかのう
65人間七七四年:2014/08/08(金) 19:56:45.57 ID:waIXO2je
日本人はあまり長旅をしなっかたからかもね。

舟で長旅、しかも陸地が見えない場所を航海すれば嫌でも天文の知識は上達したとおもうけど。
66人間七七四年:2014/08/10(日) 20:48:53.40 ID:0zTgQDoW
天文学は長らく歴や占いで飯を食ってた人たちが独占してた感じ?
でも確かに海の人は航海技術ノウハウを持ってたかも知れん
67人間七七四年:2014/08/10(日) 22:42:10.71 ID:zK7iNSJp
暦の大本を握ってたのは朝廷やね。
68人間七七四年:2014/08/10(日) 23:22:01.25 ID:eHLU9N1T
民間だと江戸時代にグレゴリオ暦よりも精度の高いカレンダー作った人がいたけど、普及しなかったんだっけ?
69人間七七四年:2014/08/10(日) 23:44:40.51 ID:NJGKlOZB
天測や羅針盤は江戸初期の朱印船時代には一部で使われたけど、鎖国後の沿岸航行の時代になると廃れた。
その後は磁石の使用すら保守的な船乗りにはなかなか広まらず、江戸後期になってようやく根付いた程度。
70人間七七四年:2014/08/11(月) 00:00:40.57 ID:CI0Sl4Qc
暦は祭祀なんかの予定表でもあるからね、そのへんの移行ができないと
天文学的にいくら正確でも流行らないでしょ
71人間七七四年:2014/08/11(月) 00:01:26.75 ID:fnKzRSwk
暦は800年同じのを使っていてもうズレズレで、江戸時代初期に幕府が朝廷から取り上げて
その間30回近く改定されていた中国の最新の暦(グレゴリオ暦同精度)を導入したけど
地理距離的な要因でちょっとずれてたのでさっくり修正して正式採用。初の日本独自の新暦
去年だかこれを元にした映画をやってた。
72人間七七四年:2014/08/13(水) 02:39:55.50 ID:QrDaG6dC
片手で持てるくらいの盾って何で日本では普及しなかったんだろな
73人間七七四年:2014/08/13(水) 06:25:32.01 ID:HVtrRBAs
盾は甲冑に付いているから手に持つ必要はない
その方が両手が空いて合理的だし
74人間七七四年:2014/08/13(水) 07:42:21.20 ID:QrDaG6dC
鎧+槍 軽装+盾+槍

これって軽装のほうがいい気もするんだがな、世界的には歩兵に盾を持たせるケースってそれなりにあるのに日本では全くと言っていいくらいない
一応歩兵に盾を持たせるって概念は伝わってた、あったのか?少しくらいは登場してもいいんだが
75人間七七四年:2014/08/13(水) 13:07:02.60 ID:AOdFaiKC
今までの流れみるに、常駐(専門職業として)の大規模歩兵が廃れて、集団歩兵戦術が無くなったり雑兵扱いされて盾やイシユミが無くなったみたいだね
76人間七七四年:2014/08/13(水) 14:10:13.74 ID:gPyCWXGh
いや、盾は普通に使ってるから
鉄砲の登場までは木製の盾を使い、鉄砲の登場以後は竹製の盾を使った
77人間七七四年:2014/08/13(水) 23:06:33.18 ID:TbA0OqHb
文脈から置き盾ではなく手盾のことを書いていると分かりそうなもんだが
78人間七七四年:2014/08/14(木) 00:09:44.92 ID:kXFsBCkW
戦国時代主力武器は槍や弓、その後鉄砲が加わるって感じだが。最前線の歩兵ぐらいは盾持たせたほうがいい気もすんだが

殺傷率が高い武器って確か弓だったよな、鉄砲ならまだしも弓なら防御効果期待できそうなのに
79人間七七四年:2014/08/14(木) 01:34:21.34 ID:UVfhuPWD
だから置き盾は使ってる
80人間七七四年:2014/08/14(木) 06:11:26.64 ID:0XzyYDNB
織田軍は「土のう」積んで、その影から射撃したことがあったはず。

これは野戦ではなく攻城戦だが。
81人間七七四年:2014/08/14(木) 07:17:11.07 ID:5bwfGyhG
だから、両手使えるように甲冑に盾着けたのに更に盾持ち歩いてどうするのかと
メイン武器の弓が使えないだろ
勿論、槍も鉄砲も使えない
盾持ってウロウロしていても邪魔なだけ
82人間七七四年:2014/08/14(木) 09:32:04.62 ID:PenjWNOU
>>82
一般的な歩兵は甲冑に盾なんかついてない。付いているの騎馬武者クラスの高位のものだけ
83人間七七四年:2014/08/14(木) 12:25:10.65 ID:t1TUZXiG
いや、付いてるから
付いてないのは雑兵ぐらい
84人間七七四年:2014/08/14(木) 16:30:10.26 ID:HwK2RFrF
槍が長くなるとどの軍隊でも盾は廃れる。
6m級の槍を片手で持って、もう片手で盾など持てない。
85人間七七四年:2014/08/14(木) 17:39:00.82 ID:UVfhuPWD
つサリッサ
86人間七七四年:2014/08/15(金) 07:46:29.24 ID:mw8B5SnY
最前列の兵は大楯+槍
二列目は鉄砲隊+刀
三列目は弓隊+刀
四列目に指揮官+騎馬隊

この隊列なら最強やろ
87人間七七四年:2014/08/16(土) 16:08:48.11 ID:cMoWtpPn
西洋でも盾は鎧が発達すると廃れた
88人間七七四年:2014/08/16(土) 17:42:15.80 ID:IAdfx4zY
>>68
普及はした
初めて朝廷外作成の暦が採用された

その数十年後、天文知識が「下手の横好き」な将軍吉宗の命令で
新たな暦を作り、精度の劣るものへ改悪された
89人間七七四年:2014/08/16(土) 22:53:27.27 ID:02pAfSBD
そういえば、本能寺の変の直前、信長が朝廷と揉めてたな
閏月をいつにするかで
90人間七七四年:2014/08/22(金) 21:28:00.02 ID:fr01M5PT
>>89
揉めてない。揉めたというのは結論ありきの恣意的な解釈
91人間七七四年:2014/08/26(火) 12:52:55.56 ID:cnYVl74o
>>86
何メートルもある長槍を片手で振り下ろす人間がいたら見てみたいぞ
92人間七七四年:2014/08/27(水) 07:13:24.00 ID:nJJZSp0N
徒歩で片手持ちは無理だわな
93人間七七四年:2014/09/02(火) 15:40:40.42 ID:FnljsfCI
>>85
まさかマケドニア歩兵が片手に盾もってもう片手でサリッサを構えたとか思ってるのか?
盾はどう装備してたか知らないのか?
94人間七七四年:2014/09/02(火) 15:44:54.72 ID:FnljsfCI
>>78
>殺傷率が高い武器って確か弓だったよな、

合戦後に生存者が自己申告した傷の種類で矢傷が多いというだけの話
基本的に死因ではなく負傷

矢傷を申告した数日後の合戦に参陣していることが確認できる武士もいるので
軽いものも含まれているし、意外と矢傷だけでは簡単に死なないという
証明にもなっているかもね
95人間七七四年:2014/09/02(火) 15:49:56.50 ID:9JhTP8b1
>>93
持ち盾装備でも片手オンリーになるわけじゃないってこったろ
96人間七七四年:2014/09/02(火) 15:55:35.85 ID:FnljsfCI
>>95
ああ、なんか根本的にわかってない人が来ちゃったね
アレクサンドロス大王時代のマケドニア歩兵は
盾をどう装備していたか知ってますか?
97人間七七四年:2014/09/02(火) 16:06:00.02 ID:9JhTP8b1
腕につけてたんだろ
98人間七七四年:2014/09/03(水) 07:18:18.28 ID:4tAa2mWA
自分でやってみれば簡単に分かるけど、武器が身長の80%程度の長さになると
片手で甲冑を付けた相手に殺傷力を持つほどの攻撃は不可能
どんなに訓練しようと物理的に無理
99人間七七四年:2014/09/04(木) 14:49:27.40 ID:kMJuL93l
持ち盾で相手を殴ったり倒したりすることは可能だと思う。

鴻門の会に乱入してきたハンカイ(犬殺し→将軍)がそういう感じ。
100人間七七四年:2014/09/04(木) 20:17:19.60 ID:GdN/FjT7
シールドバッシュ知らないのかな
101人間七七四年:2014/09/04(木) 23:57:54.61 ID:IH3AqJsJ
戦国時代で盾を持つ係の人っていなかったっけ? 置き盾と大差なさそうだけど
102人間七七四年:2014/09/05(金) 01:13:19.00 ID:pb2HMIwR
ここで言う持ち盾とは違う
103人間七七四年:2014/09/05(金) 07:21:19.33 ID:49Jtgl6I
殆ど違わないと思うけど
むしろ置いて使ったり持って使ったり出来る分、便利かもしれない
104人間七七四年:2014/09/05(金) 10:47:56.10 ID:YIGPknf8
掻楯や竹束は片手間で使うものではないので持ち盾に比べて防御が段違いという特徴も
105人間七七四年:2014/09/07(日) 14:09:17.88 ID:7Ywab9TA
パンは既出?
米より安く作れるし携帯に便利なのになぜ流行らなかったんだろう
106人間七七四年:2014/09/07(日) 15:02:00.65 ID:Wa/ipWey
麦は玄米に比べ栄養価が格段に低い。米が取れない所がしょうがなしに食べるもんだぜ?
保存食としても乾飯(アルファ米)ちゅう優れたものがあるし、嗜好品以外にパンの入る余地がない。
107人間七七四年:2014/09/07(日) 16:07:23.76 ID:e5A27X/f
>>105
真逆だと思うけど
アメリカ軍も大戦時の研究で米食の優位性を説いている
米は水と飯盒さえあれば30分程度で温かい炊きたてのものが食べられるしエネルギーの吸収効率も良い
パンは作るのに数時間かかるし専用の設備が必要
そして嵩張るので輸送に手間取る
だが、これはあくまでインスタントイーストや無発酵パンが普及した近代の話
18世紀ごろまでは天然酵母で作っていたので種起こしから焼成まで一週間程度はかかった
また、天然酵母は湿度に影響されやすく春から秋にかけて湿度が高い日本でエアコンや冷蔵庫もなく管理するのは難しい
焼き上がったパンもせいぜい三日程度しか保存がきかない
大航海時代にほ水分を飛ばして長期保存に耐えるパン、つまりビスケットを作って携帯したが
蛆が湧き易く、そのままでは固くて食べられないので
薄暗い場所で(蛆を見ると食欲無くす為)酒などに浸して食べる憂鬱な食事であったそうだ

そもそも小麦は雨に弱いので日本で作るには適していないし
欧州ですら小麦のパンが一般的になったのは18世紀以降
日本で小麦粉は高級で、うどんなどは贅沢品であった
とてもではないがパンを普及させるのは不可能
108人間七七四年:2014/09/09(火) 10:49:09.68 ID:oJtpp7B7
古代にはあったけれど、平安時代以降廃れたものだと椅子と装身具だな。
安土桃山時代に宣教師から新たに伝わったのに、江戸時代でも使われず
明治時代になってから日本では使われるようになった。
109人間七七四年:2014/09/09(火) 13:05:03.39 ID:be2PsSim
椅子はまぁ外では使ってたから。ベットくらいにしとけば?
110人間七七四年:2014/09/09(火) 14:06:14.03 ID:yCKyDrOh
あまり肉食しなかったせいか革製品は普及しなかった感じだな
靴とか
111人間七七四年:2014/09/09(火) 14:31:26.98 ID:be2PsSim
鎧・馬具等必要なら使ってたがね。
靴は温暖湿潤、軟弱地盤、険しい地形の日本じゃデメリットも多いからまた別問題
112人間七七四年:2014/09/09(火) 14:37:07.50 ID:B71B1Gaf
今でも、特に夏場は大々的にサンダル使っているわけだしなぁ。
113人間七七四年:2014/09/09(火) 16:44:35.21 ID:3qfVC2vz
香港は日本より高温多湿な上靴文化になっちゃったから水虫率世界一だとさ
114人間七七四年:2014/09/09(火) 21:12:43.34 ID:lh0bggcD
>>111
山仕事用のエッタ沓(綱貫)という革靴があって
江戸後期には近畿の百姓の間でもわりと普及していたらしい
もっともエッタという名が示す通り正式な場に履いて行けるものではなかったが
115人間七七四年:2014/09/10(水) 11:01:55.65 ID:2JXcBjwp
>>108
椅子は禅宗で使われているので廃れたとはいえない
116人間七七四年:2014/09/10(水) 21:42:34.38 ID:BLcWT9CK
甘い食べ物
ポルトガルから来たカステラ、ビスケット、ボーロ、金平糖など信長は好きだったが庶民まで普及しなかったことから、当時の日本人に甘い物は口に合わなかったのかな
117人間七七四年:2014/09/10(水) 21:48:17.23 ID:iiaVFTFg
高くて手に入らなかっただけでは
118人間七七四年:2014/09/10(水) 22:33:45.52 ID:jX9JJJgZ
砂糖は平安時代からずっと輸入品だったからねぇ。庶民に食えと言っても無理。
119人間七七四年:2014/09/10(水) 23:45:34.15 ID:u5O+GtqC
馬車

科挙
120人間七七四年:2014/09/11(木) 00:56:47.13 ID:iGW1TASU
馬車は平坦で雨の少ない地形じゃないと使いづらい。
121人間七七四年:2014/09/11(木) 18:17:30.56 ID:I7ZONuGQ
科挙は公平と見せかけて歴代王朝のガンになる罠制度だな

登用といえば律令時代の軍防令にも弓馬に秀でた者が上級兵士に登用されるような
ことが書いてあるが実際どれだけ実行されたんだろうか
122人間七七四年:2014/09/11(木) 18:45:18.70 ID:DAvsj1i8
律令時代はなんちゃって科挙も実施されてたからそれなりに実行されてタンじゃないかなぁ
まぁどの道強力な中央政府が無いと無理無理だから中国様とその属国以外は科挙制度は維持できなかっただろうけど
123人間七七四年:2014/09/11(木) 21:27:05.77 ID:OkBeXW57
日本は昔から負け犬負け組を出さない為に、乱世などの必要性に迫られない限りは、
競争も含めた争い事自体を極力避けて馴れ合い話し合いの社会を作ってきたけど、
そんな和風文化の担い手である朝廷のエリート層にとって、実力学力を競う場となる科挙は、
たとえ合理的なシステムであろうとも受け入れがたかったのかも
124人間七七四年:2014/09/11(木) 22:17:02.00 ID:IGgGugWW
奴隷らしい奴隷も無かったから、中国やヨーロッパより人道的で民度の高さも証明できるね
日本って世界的に見ても唯一平等主義だったんだね
125人間七七四年:2014/09/12(金) 06:37:41.48 ID:u//Vun6a
日本は有史以来、外国のように強権を振るう独裁政権が存在した事はないし
身分制度も徹底されず流動性が高かったからな
良く言えば良心的、悪く言えばいい加減
126人間七七四年:2014/09/12(金) 18:47:45.29 ID:KXZQyWYM
日本に破城槌みたいなのはないの?
なんか集団で丸太をかついで門破りみたいなのはドラマとかで見るけど
せいぜいあんな程度かな?

亀甲車はあったみたいだしそれと組み合わせればいわゆる破城槌みたいに
なりそうなんだが
127人間七七四年:2014/09/12(金) 19:07:15.55 ID:urNP3sx6
日本は平地が少ない上に山城じゃ無用の長物だよ
それに付け城が沢山あるから破壊力があっても丸太より重いんじゃ効率が悪い
128人間七七四年:2014/09/12(金) 19:11:36.81 ID:KXZQyWYM
確かに亀甲車だって唐入りでの使用ばかり有名だしね…
129人間七七四年:2014/09/13(土) 06:36:35.62 ID:8ADFu8TV
でもよく考えると、山城とかどうやって攻撃したのだろう
何かしら道具がないと門や塀を破る事は出来ないよな
殆どの戦いでは城兵の逃走で勝負がついているようだが
曲輪を一つずつ落とす様な激戦になった例も少なくはないし
130人間七七四年:2014/09/13(土) 08:32:58.94 ID:s/k4oZcK
南北朝に打物として使われた掛矢とか鉞とかは建造物の破壊にも使ったと言われてる
壁を破って城内に攻め入ったりするわけだから破壊するための道具は絶対必要だよね

「烟田時幹軍忠状写」
・鳥栖太郎三郎貞親壁を切り破り、城内に責め入り、散々に合戦を致し、
切り捨てせしめおわんぬ。
131人間七七四年:2014/09/15(月) 18:39:01.08 ID:goiLOQtB
日本は天皇制が続いたおかげで権威と権力のあるところが別で、強権的な独裁政権が生まれなかった
132人間七七四年:2014/09/15(月) 18:43:25.04 ID:y4jijLvH
>>129
よほど膠着すると井楼なんかも作って工夫したようだが、基本は弓鉄砲で相手を沈黙させてから肉弾突撃
133人間七七四年:2014/09/15(月) 21:59:02.80 ID:d0J8uEuJ
>>131
つ 豊臣政権
134人間七七四年:2014/09/15(月) 22:20:54.75 ID:LFADPCFX
>>133
実質、奥州仕置から関ヶ原まで10年しか政権握れなかった
135人間七七四年:2014/09/16(火) 03:26:16.34 ID:+sTWtLyY
日本など東アジアにイスラム教が根付かなかったのは、何故なんだろう?
東アジアに根強い先祖信仰(先祖を祭る)、功利主義(信じることで儲かる)、大乗仏教(信じるだけで救われる)が、
イスラムの偶像崇拝否定、利子否定、強い戒律には、相容れなかったといったところかな。
136人間七七四年:2014/09/16(火) 06:31:58.68 ID:1jy7m085
根付くもなにもムスリムの往来なんて殆どなかったし
特に日本は
137人間七七四年:2014/09/16(火) 09:43:24.68 ID:ubqJvWx+
日本にムスリムの伝道師が来ても根付かなかったとかの理屈ならわかるけど
そもそも布教すらされてないのにね
138人間七七四年:2014/09/16(火) 12:26:37.18 ID:JvZBJTdZ
イスラム教はフィリピン南部までだな
それ以上伝播する前にスペインやポルトガルが
キリスト教を布教してしまったので北上しなかった
139人間七七四年:2014/09/16(火) 17:11:45.57 ID:tTYRTug8
まあ、仮に大挙して押し寄せても広まらなかったろうな
おかしな行動とればキリスト教の様に弾圧されたろうし
普通に布教したとしても、日本人は自分達に合った形に変えてしまうから
本来のイスラムとは全く違うものになってしまっただろう
140人間七七四年:2014/09/16(火) 19:23:29.72 ID:Wasu/eev
>>139
キリスト教だってキリスト像はお守り、聖書は呪文と
キリスト教をもとにした民間宗教に変わっていったらしいしな
141人間七七四年:2014/09/16(火) 22:58:54.69 ID:bNwPi0Uw
カトリックは布教のため速攻で教義代えたからな。だからある程度は普及した。
142人間七七四年:2014/09/17(水) 00:38:50.93 ID:Uky2hsKE
日本は外来の宗教や思想のローカライズが他国と比べて激しいもんねえ
143人間七七四年:2014/09/17(水) 00:50:41.84 ID:kR3paidG
>>142
宗教なんだからローカライズしちゃだめだと思うが
ガラパゴス化させるのが得意なのは国民性だったんだなw
もともと日本には八百万の神がいてその中の一つとしてキリスト教も受け入れたとも聞いた
144人間七七四年:2014/09/17(水) 01:09:02.31 ID:SPumIiob
宗教なんか世界中でローカライズされまくりの見本じゃん
145人間七七四年:2014/09/17(水) 06:28:45.87 ID:jq7i8EHV
キリスト教も南北アメリカなどではかなりローカライズされているね
日本の某宗派のように毎年みんなで伊勢神宮に初詣に行ったりするほど極端かどうかは知らないけどw
146人間七七四年:2014/09/19(金) 17:49:16.97 ID:HOpRBn8l
キリスト教もヨーロッパの中だけでも無数に宗派があるぞ
147人間七七四年:2014/09/21(日) 09:35:01.62 ID:Lpg/YPD5
そもそもカトリック自体現地の風習や信仰を大幅に取り入れたローカライズ宗教だ。
中東での原キリスト教とは全く別物
148人間七七四年:2014/09/23(火) 17:37:36.24 ID:VOtK2esh
イスラムも多数派生したがスーフィー然り戒律軽いとこは軒並み潰されたな
149人間七七四年:2014/10/08(水) 00:50:27.44 ID:5UO6/6Kj
今からすると逆に思われるかもしれないが元々イスラムはキリスト教に比べ
戒律の遵守度は割かし緩かったらしいから日本に入ってきた場合案外日本教の
一部にされたかもしれない。

厳格な一神教という点を除くとイスラムってキリスト教に比べれば割と神道と
相性はよかったりするよ。清浄を重んじるあたりなんかね。
ただそうなった場合は仏教は今ほど日本で力を持っていたかは微妙だけどね。
150人間七七四年:2014/10/08(水) 18:17:11.58 ID:QLvGHmja
なぜ歩兵操典がないのか
151人間七七四年:2014/10/08(水) 18:27:33.14 ID:mXd2xuQa
散兵だから
152人間七七四年:2014/10/12(日) 18:36:04.31 ID:afud+X2+
弓で弾く、胡弓、馬頭琴、バイオリンのようなタイプの弦楽器。
153人間七七四年:2014/10/15(水) 16:55:04.01 ID:2HOp/eUX
>>119
馬車以前に、日本には車輪自体が江戸後期まで普及していない

>>152
胡弓
http://www.co-q.com/image/kan'ei_kokyuu.jpg
154人間七七四年:2014/10/15(水) 17:07:59.08 ID:2V3bxkyq
>>153

牛車の車輪は?
155人間七七四年:2014/10/15(水) 19:05:58.86 ID:YWMn/mop
何十回目か分からんが

牛車もふくめ車輪は昔からあった。
馬車が普及しなかったのは道が悪かったから。
街道が整備された江戸時代は兵員の大量輸送に使われるとまずいから幕府に禁じられた。
156人間七七四年:2014/10/16(木) 13:41:19.60 ID:WdD058HU
>>155
徳川幕府は戦国時代の再来を恐れるあまり過度にイノベーションを規制してきたことが
今に響いていると思う。
157人間七七四年:2014/10/16(木) 14:15:32.16 ID:oS6NA0Lc
橋作っちゃダメ、渡しにしろとかだったからなぁ。
158人間七七四年:2014/10/16(木) 17:48:28.12 ID:HQkJ3JZN
>>156
例えば、本能寺の変で明智軍が通ったルートは整備された街道みたいだし、
伊賀越えの恐怖を覚えてる家康にとって、整備された街道は交通の便が良いメリットよりも、
敵の進撃を早めるデメリットの方が大きく感じられたかもなあ
159人間七七四年:2014/10/17(金) 21:22:08.11 ID:+GUUSQsG
>>153
ホントだ、胡弓は和楽器だったね。ありがとう。
自分が見たことなかっただけで、ざらに転がってる楽器だった。
おわら風の盆の映像見たら、普通に和楽器してた。
160人間七七四年:2014/10/17(金) 21:42:30.72 ID:W8gh8xKd
しかし胡弓が持って歩ける琵琶や三味線は勿論、
置物でかさばる琴よりもマイナーなのは確かだろうし、
何故メジャー化できなかったんだろう?
161人間七七四年:2014/10/17(金) 21:43:09.10 ID:lfQYypKK
難しいのかな?
162人間七七四年:2014/10/18(土) 07:03:00.87 ID:+hdQDfmT
難しい事もあるだろうね
だが、江戸時代までは結構盛んだったようだ
メジャー化できなかったというより廃れたと言うべきかと
平安時代に流行った琵琶が廃れたように
163人間七七四年:2014/10/18(土) 10:06:12.50 ID:G+QdN4kV
馬の尾毛を楽器に使うのが発達しなかったとかかな?
164人間七七四年:2014/10/18(土) 12:55:44.31 ID:keiNq0Pz
弓で弾く楽器の系譜だけど、胡弓が廃れた後の隙間にヴァイオリンが入ってきてスッポリ収まったのか、
それともヴァイオリンが入ってきた事で胡弓が駆逐・廃れたのか、どっちだろうね
165人間七七四年:2014/10/18(土) 13:17:49.93 ID:V+2tWAMR
さすがに板違いじゃね
166人間七七四年:2014/10/24(金) 17:28:39.55 ID:11GwR580
扱う話題が広くなりすぎてスレがつまらなくなり始めてる
俺もそういうのはいらんと思う
167人間七七四年:2014/10/26(日) 10:24:40.25 ID:5TngsumA
>>59
現在和食だと思われてるものが、実は大陸伝来の物とかあるんじゃないの?
俺もよく解らないけど。
168人間七七四年:2014/10/26(日) 10:42:45.79 ID:5TngsumA
牛乳は?
あと仏教は伝来してるけどヨガのあの奇妙なポーズをやる住職とかインドのシタールとか奏でる坊主とかはいなかったのかな?
169人間七七四年:2014/10/26(日) 10:54:11.22 ID:+0H3TQuc
>>167
石炭と鉄があまり採れなかったからじゃね?
中華なべみたいな鉄鍋は普及してないし、火力も薪じゃたりないし。
170人間七七四年:2014/10/26(日) 11:32:55.59 ID:5TngsumA
なるほど。
琉球なんかは多少入ってきてるというか中華の影響受けた食べ物ありそうな気が、武術みたいに。
171人間七七四年:2014/10/26(日) 17:05:33.53 ID:3hrWTvgp
大陸からの影響⇒饂飩、饅頭、ういろう
172人間七七四年:2014/10/26(日) 19:10:58.24 ID:dyT9XCQc
ういろうもそおなの!?
てっきりヨウカンが進化したやつだと思ってた。
あとオランダと国交してたのにワインとか洋酒はこの頃に根強かなかったんですかね?ソバの屋台に「ワインやってます」みたいな張り紙あってもよさそうなのに
173人間七七四年:2014/10/26(日) 19:19:01.16 ID:dyT9XCQc
今思い出したけど綱吉の時代に儒学者達の集会がてっきり中国酒と中華風の豚料理を食するサロンと化してたのを綱吉が嘆いていたと井沢さんの本に書いてた。中華料理といっても自分達の妄想で作ったモドキかも知れないけど。
174人間七七四年:2014/10/26(日) 20:26:06.43 ID:0S4AoPF/
ロバが普及しなかったのは国産馬が小さく起伏に富む日本の国土に合ったからなのか
175人間七七四年:2014/10/26(日) 21:26:23.97 ID:PEW7V1RR
>>174

多分そうだと思う。

土佐馬なんかロバみたいな大きさで、しかも粗食に耐える。
176人間七七四年:2014/10/26(日) 22:54:51.58 ID:/sSF/BRt
>>172
ぶどうを絞って醸すだけだからそんなに難しいものではないよね>ワイン
美味しいのを作ろうと思ったら大変だろうけど。
177人間七七四年:2014/10/28(火) 12:44:58.22 ID:bJuUDNMI
>>172
明治以前はワインなんて舶来品の珍し物で、一部の金持ちくらいしか飲む機会が無かったんじゃないか
一般人は飲む機会が無い、そもそもワインって何ぞや?ってな感じで根付くとかいう以前では

あと、外国産ワインは渋くて酸っぱい辛口なのが多くて、逆に日本酒は甘い(まぁ辛口なのもあるけど)
当時の日本の呑んべえが仮にワインを飲んだとしても口にあわないんじゃないだろうか
178人間七七四年:2014/10/28(火) 13:40:43.86 ID:h2XSlL/L
オランダとの交易は江戸時代だから板違い
179人間七七四年:2014/10/28(火) 20:46:14.50 ID:JtJLp0zQ
戦国時代の人たちは葡萄美酒夜光杯の詩は知ってたのかな。
180人間七七四年:2014/10/29(水) 07:01:56.08 ID:Zw/51zgq
そもそも欧州でもワインが一般に広く普及したのは江戸時代だし
渡来してから日が浅く、また葡萄の栽培に不適な日本で普及するのは無理がある
更にワインはキリスト教によってもたらされたものであるから
禁教令が下った日本では忌避されていた可能性もあるかもね
181人間七七四年:2014/11/01(土) 22:57:21.20 ID:912fDwAO
聖餐式には、キリストの血を記念して葡萄酒を飲み、
キリストの肉を記念して、パンを食べる。
キリシタン大名に、パンの製法くらい伝わっていても良さそうだけど。
182人間七七四年:2014/11/02(日) 03:52:00.32 ID:qgC6gzA1
>>181
キリスト教で食べるパンって、種無しパンで、どちらかというとビスケットに近い
食べて美味しいものじゃないから、広まらないだろうし、もしキリスト教が広まってれば煎餅か何かで代用されてそう
183人間七七四年:2014/11/02(日) 12:56:54.72 ID:I4evyCLH
正倉院の文書に「煎餅」という記述があって、それは
小麦粉を油で練って焼き上げたとあるそうだから、
もともとは、クッキーのようなもんだったんだろうなあ。
中国語で餅(ピン)というと、なんかパリパリした食感を連想する。
184人間七七四年:2014/11/03(月) 07:13:51.87 ID:Sxsx63Dw
水戸黄門は糀だかで発酵させたパンを作ったらしいけど、やはり全く普及しなかったな
以前、鉄腕DASHで手法を真似て作っていたけど長瀬が不味いと絶叫していたしw
185人間七七四年:2014/11/03(月) 08:01:16.97 ID:2MHNXuPK
米とその加工物あるのにわざわざ麦に手間かけて要りもしないパン作っても意味ないし
186人間七七四年:2014/11/03(月) 20:20:10.32 ID:cbDvIO6A
日本酒は米にものすごい手間暇かけて作るけど、
ブドウは潰して発酵させるだけ。
手間だけでいうなら、パンに葡萄酒のほうが簡単かも。
187人間七七四年:2014/11/03(月) 20:30:37.26 ID:2MHNXuPK
何時の時代の日本酒と比較してるんでしょうかねぇ
188人間七七四年:2014/11/03(月) 21:22:31.34 ID:CZnLwq7q
>>186
無かったことにされたドブロクくんかわいそう(´・ω・`)
189人間七七四年:2014/11/04(火) 00:46:44.34 ID:6vnSmxcG
どぶろくも、清酒ほどではないけど、
炊いた米に、米こうじや酒粕に残る酵母などを加えて発酵させる過程が
何度も混ぜたり寝かしたり蒸したりして大変みたいよ。
190人間七七四年:2014/11/04(火) 01:21:21.20 ID:d8QMzJsm
だから何時の時代の何と比較してるんだよ。
191人間七七四年:2014/11/04(火) 07:14:08.96 ID:CAtwzOJW
いずれにせよ食べ物の普及に手間は関係ない
どうしてこわな手間かけてまで食べるのだろうと思う食物は世界各地にあるし
日本の場合はそもそも小麦の生産量が少なすぎる
192人間七七四年:2014/11/04(火) 10:12:42.48 ID:d8QMzJsm
米の作れない畑の主力品種であり二毛作ではコメの裏作であり
日本の小麦の生産量は十分多いです
製粉技術の発達で手間が減ったことから戦国末期から江戸時代にかけて
うどん・すいとん・おやきなどの従来とは違う小麦の利用法が普及したわけで
一部の嗜好品を除いて主食においては手間は最大の要素です。
193人間七七四年:2014/11/04(火) 11:16:21.21 ID:6vnSmxcG
島原の乱には、そうめんが大活躍したというし。
保存がきいて、調理は一分ゆがくだけという簡便さが籠城に向いていたんだとか。
194人間七七四年:2014/11/04(火) 11:32:19.42 ID:6vnSmxcG
>>190
>何時の時代の何

米から酒を造るのに。いつの時代でも、コメのまま発酵は無いから。
ぶどうは皮にいる微生物が発酵を助けるので、潰すだけでワインは出来るが、
コメは蒸して、麹を混ぜ、温度管理も大変な製法で大昔から作っている。
古代では、沢山の生米を噛んでカビを発生させたというからどっちにしろ大変な手間。
195人間七七四年:2014/11/04(火) 11:48:51.65 ID:d8QMzJsm
足軽が配布米利用して行軍中に作っちまうどぶろくもあるでよ
現代の清酒一歩手前まで進めるどぶろくもあればビンキリ
ワインも同様。あまりに手をかけなければ酸っぱくて飲めなくなる

そもそもワインが高級輸入嗜好品として入ってきたのは江戸時代で板違い
そもそもワインはブドウ畑作りからやらなければならないから手間半端ない
そもそも江戸時代ならキリシタンもいないからワインの需要もない
196人間七七四年:2014/11/04(火) 11:54:44.38 ID:d8QMzJsm
だいたい手をかけてないワインは生水が飲めないから保存の効くブドウジュースみたいなもので酒ともいえない
水飲める日本でいるかそんなもん。もうもんめんどくせ
197人間七七四年:2014/11/04(火) 13:16:38.74 ID:d8QMzJsm
あ、ごめん。
>もうもん←これ唯のタイプミスで差別用語言ったんじゃん無いから
気を悪くしてたらごめん
198人間七七四年:2014/11/05(水) 04:40:09.36 ID:tRGnW3Sa
指輪、ネックレス、ブレスレット、イヤリング、ピアスといった装身具が発達しなかったのは、何故だ?
簪など髪飾りは作られていたから、細かい金属細工の技術が無かったわけではないのに。
199人間七七四年:2014/11/05(水) 12:29:54.44 ID:BWW7Ul1G
宝石がとれなかったからじゃないの?
ただ金属の輪っかだけじゃあアクセサリとしてあんま魅力無いというか
真珠は主に薬用として消費されてたみたいだし
200人間七七四年:2014/11/05(水) 12:35:13.51 ID:wG/NflWx
発達しなかったというより廃れただな。古代はじゃらじゃら付けてた訳だし・
理由は上流階級の肌を出さない方向への服装の変化くらいしか思いつかんが
201人間七七四年:2014/11/05(水) 12:38:00.45 ID:reADG1U+
それらは持出用財産。
異民族との戦争が多く二度と土地に帰れなくなるがデフォのような地域で発達したアイテムだろ

ある程度農耕が広がり土地に定着が多くなった日本国内は財産は戦争が始める前に埋めておき戦が終わったら掘り出すだデフォだったし
近江は戦国時代は京に近く戦も多かったけど、戦が始まる予兆があれば財産船に積んで琵琶湖に避難してた

大和朝廷に追い詰められていった関東や東北などの蝦夷はその辺どうだったのかね
202人間七七四年:2014/11/05(水) 18:54:15.69 ID:wG/NflWx
呪術的装飾具が消えた当たりのミッシングリンクが残るが
ふむ、まぁなるほどねぇ
203人間七七四年:2014/11/05(水) 21:19:39.10 ID:NtaU2eic
>>201
極端な例がユダヤ人だよな
204人間七七四年:2014/11/09(日) 22:50:32.53 ID:+ddWGtSw
黥面
205人間七七四年:2014/11/12(水) 09:15:54.00 ID:iiZuQFOQ
スレ違いかもしれんが戦国時代での天竺(インド)の扱いってどんなんだったんだろう?
仏教は伝来して来たは良いけど日本に入って日本仏教とか言われるぐらい変質しちゃったらしいし
そこんとこ分かる人いない?
206人間七七四年:2014/11/12(水) 12:57:22.54 ID:fKjG73a2
戦国時代も長いが、ポルトガル人が日本と貿易を行う頃にはインドはもう植民地になってたし、
マラッカなどにはインドからの入植者の街になってた
当時日本に寄港した船の船夫はインド系も多かった


正確に現状分かってたんじゃないのか
207人間七七四年:2014/11/12(水) 13:55:50.20 ID:iiZuQFOQ
>206
レスサンクス
けど調べてみたら1550年後半頃だとムガル帝国のある意味最盛期っぽいんだよなぁ
当時のヨーロッパにムガル帝国を植民地化出来る程の力なんてあったか疑問だし
ムガル帝国がイスラーム国家だからインドじゃないって事なら納得だけど
208人間七七四年:2014/11/12(水) 17:24:28.96 ID:iiZuQFOQ
>207
もうちょっと調べてみたらゴアってのがあったのね
戦国時代当時の頃のヨーロッパって実は大した勢力じゃなかったってイメージ強かったから、
ムガル帝国相手に戦えるのかって思ってた
209人間七七四年:2014/11/13(木) 06:58:08.46 ID:DKB48Uwd
欧州は基本的に間接支配だし、世界的に見て国家の形成が未発達だったから
一都市を占領したからと言って地域全体と戦争になる訳でもない
だから僅かな兵力で富を集める事が出来た
欧州人はこの手の支配に関しては極めて有能で狡猾だからな
210人間七七四年:2014/11/15(土) 00:33:02.81 ID:8Vu+Js+a
>>205
仏教は日本仏教以前にいろんな段階で変質してるよ

なんだかインドをひとまとめ前提で話してるようだが、さほどまとまり
ある地域じゃないからな。
>インドはもう植民地になってたし
>…正確に現状分かってたんじゃないのか
インド人すら自分の故郷周辺しか把握してない。その範囲である程度正確
ってのはありうるけど。
211人間七七四年:2014/11/15(土) 00:41:32.50 ID:8Vu+Js+a
>>207,208
209さんも言ってるけど前近代の国家は現代と感覚が違うよ。
国土をしっかり把握する気がない。領地の中に外国人街があっても、
明確に敵対せず立ててくれれば緩く君臨する。
212人間七七四年:2014/11/21(金) 09:29:51.04 ID:8tJaGX1/
208です
少し時間が空いたけどみんなありがとう

最初は西遊記でも三蔵さんが天竺までお経を取りに行った話があったから
一応は仏教徒である日本の坊さんやら神仏にすがってた部分もある武将たちにとっての
天竺がどんな感じだったのかが気になったんだよね
けど、聞いた話からだと大した影響力はなさそうな感じだなぁ

むしろ宗麟なんかを筆頭としてバチカンの方が影響を持ってそうな気さえするほどだね
213人間七七四年:2014/11/21(金) 10:32:27.09 ID:zpAAL7/Y
まあそうだな。

秀吉の朝鮮出兵の時も
「任那は日本領土だから取り返す」
とか
「任那日本府を復興する」
とか言った人は、ひとりもいなかったからな。
214人間七七四年:2014/11/21(金) 20:39:24.69 ID:q57w44D8
>>213
秀吉の時も明治の併合も、大陸への通り道としか思ってなかったしな。
215人間七七四年:2014/11/21(金) 21:37:07.30 ID:zaJ4rvMj
古来から存在を知られてながら、日本に普及・定着しなかった物の一つとしてはレンガがあるね
建材として自由度が高いメリットよりも、地震に弱いデメリットの方が日本の国情にとってデカかった

>>214
明治の頃はそれに加えて対露・対ソ防波堤の意味合いもあるよね
半島は峠道やトンネルみたく、それ自体は交通の要衝なのに経済的発展を見込めない厄介な土地
216人間七七四年:2014/11/22(土) 07:10:26.03 ID:1mnMTF6E
朝鮮はあくまで日本があっての要所だけどね
そうでなければ単に大陸の端のどん詰まりだし

>>215
気候的にもレンガや石造りはあまり適していないと思う
まあ、石造りに関しては良質の石が手に入りにくい事が最大の理由だろうけど
217人間七七四年:2014/11/22(土) 09:33:13.46 ID:eIxvTgWP
>>215

床暖房も、その存在は知られていたが日本では導入されなかった。
218人間七七四年:2014/11/27(木) 01:18:28.76 ID:x4IWF0ME
三びきのこぶたで丈夫なレンガの家と言われてもピンと来なかった
219人間七七四年:2014/11/27(木) 07:23:15.39 ID:pSItm7il
高温多湿な日本で煉瓦は色々と辛そう
220人間七七四年:2014/11/27(木) 21:18:39.58 ID:AQDuC0BL
>>217
オンドルかな?
家の作りやうは、夏をむねとすべし(兼好法師)
という国だしなあ。
221人間七七四年:2014/11/27(木) 23:08:36.94 ID:ES8ycioI
奈良の清水谷遺跡でオンドルの遺構が出土してるから
確かに日本には伝わったはずなのに結局は消えたんだなあ
222人間七七四年:2014/11/28(金) 07:01:56.18 ID:eGwhBGT9
オンドルの起源を主張している某国の学者が
「日本は古くから畳文化だったからウンコ漏らすと汚くなるので掃除好きになった。我が国はオンドルと床張りで清潔なので掃除する必要がなかった。」
とか謎の説を唱えていたな
日本で庶民の家まで全ての部屋が畳み張りになったのって近代になってからなのに
そもそも部屋でウンコ漏らす事が前提になっている謎
223人間七七四年:2014/11/28(金) 18:55:03.24 ID:PJBu2piN
農業地帯では糞尿はそれなりに貴重なものなんだが
224人間七七四年:2014/11/30(日) 10:56:26.05 ID:EyDwHNXh
平安時代までは、人々はテーブルで食事をし、スプーンを使って食べていた。
とヒストリアで知ったが、その後の個別の箱膳に変わった理由がよくわからなかったなあ。
大皿に盛ると客が遠慮してとらないからとかかな。それとも収納の問題か?
225人間七七四年:2014/11/30(日) 16:44:31.58 ID:4+dTxvQd
>>224
収納の問題、というか、災害対策じゃないかな。
洪水が来た時にすぐ待避させられるように、定置式の家具は好まれなかったんじゃないかと
226人間七七四年:2014/12/10(水) 00:03:25.28 ID:ljRSCKPH
和音。複数の楽器によるアンサンブルや、筝曲での分散和音はあるけど、
ハーモニーのある歌唱を聴いたことないなあ。
227人間七七四年:2014/12/12(金) 22:14:29.02 ID:2205J4a0
暖房も発達しなかったねぇ
司馬遼太郎も日本の最高権力者の暖房器具が火鉢というのはキチガイレベル
みたいな事、書いてたし…
228人間七七四年:2014/12/12(金) 22:32:04.42 ID:FPqqv0Ls
コタツがあるじゃん
229人間七七四年:2014/12/13(土) 06:55:58.03 ID:HdubPomX
確かに天皇や将軍でさえ真冬に陽も当たらない閑散とした大広間で、暖房器具もなく長時間きちんと座って謁見してたのだからな
日本人は寒さ以上に精神力を鍛えてしまったようだ
230人間七七四年:2014/12/13(土) 11:20:24.40 ID:FByokLCd
京男のうちの父が天皇の男の子は広間に四方衝立囲った寝かされてたのだからそりゃ育たない。とか言ってたが
乳母が添い寝とかしなかったのだろうか
231名無しさん@そうだ選挙に行こう:2014/12/14(日) 18:18:38.88 ID:irT9roaK
京都も奈良も盆地で冬は寒いから、床暖房を採用したほうが良かったと思う。
232人間七七四年:2014/12/14(日) 22:19:36.75 ID:hDPCvodJ
戦国時代って今より寒かったんだろ
よくあんな布の着物だけで耐えられたよな
家だってすきま風だらけだろうし
233人間七七四年:2014/12/14(日) 23:07:36.24 ID:SrxH/nWg
冬の寒さより夏の高温多湿を重視した作りだからな
木造建築で火事が怖いから轟々火を炊く事も不向きだし、冬は我慢しろとw
234人間七七四年:2014/12/15(月) 06:49:05.55 ID:YC6q8Bc8
我慢強さを変なところでも発揮してるなw
235人間七七四年:2014/12/18(木) 16:33:10.68 ID:0Y93Gfqr
気候が我慢強さを育てたとかw
236人間七七四年:2014/12/23(火) 22:20:15.83 ID:tepKaNyL
一応ここまでの結論としては
『弩』
1.倭国の技術力ではワンメイクはともかく量産は不可能だった
 そして量産できる技術が整った頃には鉄砲が導入されていた
2.常備軍が平地で正面決戦する中華と違い、倭国では山岳ゲリラ戦が主で長射程で連射できない弩は使い物にならない
237人間七七四年:2014/12/24(水) 06:41:36.98 ID:CJUBnQfp
何の根拠もなく結論とか出されても
238人間七七四年:2014/12/24(水) 18:42:37.78 ID:rQCin5Ug
ですねぇ
239人間七七四年:2014/12/25(木) 19:06:57.65 ID:5Al+PKc3
連弩とか中国でも有効とは思えん
240人間七七四年:2014/12/26(金) 10:14:05.34 ID:NcTIcz0p
>>174
あと同じような理由で蹄鉄は戦国期の九州で少し使われたがなくても問題がないのであまり流行らず
明治に入るまで古来からの馬沓が置き換わることはなかったそうな
241人間七七四年:2014/12/26(金) 20:32:31.59 ID:jdwILHnc
草原性のモンゴル馬系の和種はひづめが固いから蹄鉄要らなかっただけだぜ
242人間七七四年:2014/12/30(火) 14:15:11.88 ID:cxLj8QwI
ライフル入ってこなかったのはなぜだろう
15世紀の発明品で欧州では16世紀には実戦で使われてただろうに
243人間七七四年:2014/12/30(火) 15:00:19.37 ID:tMiua5hz
流通してなかっただけで、入ってきてない訳ではないよ
244人間七七四年:2014/12/30(火) 15:04:33.23 ID:cxLj8QwI
>>243
それじゃあなんで流行らなかったの?
245人間七七四年:2014/12/30(火) 15:18:35.89 ID:tMiua5hz
逆に何故流行る必要があるのか聞きたい
日本に銃の火打ち方式が入ってきた頃は江戸時代だし
ライフルがしこたま普及したアメリカ独立戦争は18世紀だし
密輸してた諸藩にしてもしかり
246人間七七四年:2014/12/30(火) 15:24:23.79 ID:cxLj8QwI
攻城戦の時とかに防御側は相手を狙撃できるから
狭間筒とかあったわけだしライフリングを施してさらに命中精度上げたっていいじゃない
あと火打ち式かどうかは全く関係ないしヨーロッパでも16世紀には攻城戦で守備側が使っていた
247人間七七四年:2014/12/30(火) 15:28:11.18 ID:tMiua5hz
そうなのかライフルと言うもののの認識が違ったようだ。
248人間七七四年:2014/12/30(火) 15:32:15.97 ID:cxLj8QwI
>>247
火縄だろうが火打ちだろうが雷管使おうが線条が銃身内についてればなんでもライフルだからな
良く勘違いしてる人が多い
俺もしてた
249人間七七四年:2014/12/30(火) 21:20:52.60 ID:E2B7WE/w
>>244
戦がない世で流行るわけないじゃん
250人間七七四年:2014/12/30(火) 21:33:38.52 ID:cxLj8QwI
>>249
戦国時代やってた頃にはあって欧州では実戦にも使われてたんだけど
251人間七七四年:2014/12/31(水) 01:32:24.81 ID:9ThfplN6
ライフリングすると摩擦で威力がダダ下がりになるから、火薬の性能向上無いと厳しい
252人間七七四年:2014/12/31(水) 09:25:07.28 ID:YvClClnT
>>250
使われたと言っても極一部であって、欧州でもその後300年は滑空銃が主力だったよ
253人間七七四年:2014/12/31(水) 13:15:52.71 ID:FfSDYwB2
此処で言うライフルとはライフル砲のことか?
254人間七七四年:2014/12/31(水) 14:11:39.75 ID:yNqlu/7Q
>>251
日本には火薬の粒化法か火薬を細片状にする技術が伝わってなかったってこと?
それはないだろいくらなんでも

>>252
装填に時間がかかることからさすがに野戦ではほとんど使われなかった
ただ攻城戦で守備側が使うことはよくあったみたいだぞ
あと17世紀後半にはフランス軍の近衛騎兵隊、フランス騎兵隊、王立騎銃兵隊に
ライフリング付カービン銃が支給されてるからそれ以前から結構広く使われていたとみるべきだろう

>>253
ライフル銃のこと
255人間七七四年:2015/01/01(木) 22:19:27.57 ID:UMfbQ4oC
欧州では銃身を中ぐりで作ってたからライフリングも出来たけど
巻き張りで銃身を作る日本では技術的に難しかったとか
256人間七七四年:2015/01/01(木) 22:50:54.56 ID:guIkWyy6
銃の大改良が始まる前に戦乱がオワタからだろ。
257人間七七四年:2015/01/01(木) 23:56:59.09 ID:BrzE+LAA
戦国時代には隆盛を誇った忍者組織も、家光の時代までにはかなり衰退したもんねえ
258人間七七四年:2015/01/02(金) 09:22:49.09 ID:y5nAndkr
素地は出来上がっていたから技術が入ってくれば直ぐに量産始まったと思う
鎖国が始まって貿易が制限され幕府は新技術に全く関心を持たなかったからガラパゴス化したけど、独自の発展は遂げている
それと余りにも改良し過ぎる国民性も災いしていると思う
欧米は割と不完成なままで使い続けるから、それに替わる全く新しい物を開発して入れ替える傾向がある
日本の場合はとにかく完成させる事に注力するので、不便しない程度の実用性を持つから新しいものを開発しようと言う考えが薄い
それで逆に発展が遅れてしまう場合が良く見られる
259人間七七四年:2015/01/02(金) 16:51:37.17 ID:LHk7AV3g
やっぱり何らかの技術的な困難があったって可能性が一番高いか
そうじゃないと精度を重視する日本の砲術でライフリングを発明できなかった理由がないし
260人間七七四年:2015/01/02(金) 17:42:24.76 ID:03/1GyNv
需要が無くなったが正解だろ
261人間七七四年:2015/01/02(金) 17:48:38.37 ID:yBisKRHm
そう考えるのが妥当だわな。
改良が止まったのもライフリングだけじゃなくほぼ全ての面でだし、もっと言えば火縄銃以外も同様
262人間七七四年:2015/01/02(金) 17:58:25.93 ID:LHk7AV3g
江戸期にも砲術は盛んで全国には400以上の流派があった時期もあるし
精度を求める傾向があったんだから精度の高い銃を求める需要はあったと思うが
263人間七七四年:2015/01/02(金) 18:30:16.92 ID:yBisKRHm
じゃあまずその需要を探してみれば?
264人間七七四年:2015/01/02(金) 19:25:57.96 ID:03/1GyNv
実用技術としてではなく様式美となって生き残っていったわけなんだな
265人間七七四年:2015/01/02(金) 19:35:07.99 ID:yBisKRHm
さすがにそこまでじゃ無い
266人間七七四年:2015/01/02(金) 20:28:02.19 ID:LHk7AV3g
>戦国時代が終わり、江戸期の鉄砲は今で言う、スポーツ射撃に変換した。
>標的射撃と狩猟だ。また各藩は独自の調練を行い、指南を雇用した。殆どの流
>派の目標は射撃の命中率にこだわった。
http://www.日本の武器兵器.jp/thesis/101213/ron_sugawa20101213_1.pdf
267人間七七四年:2015/01/03(土) 07:25:37.04 ID:lkeZPxB6
そもそも砲術って戦乱が終結して食い扶持を失った砲術家が仕官先を得るために始めたパフォーマンスだからな
だから大筒の抱え撃ちや遠距離射撃など、見た目が華やかな技術が流行った
とてもではないが実戦向きのものではない
あくまで自分の腕を見せ付けるのが目的であるから、実戦に即した銃の改良などは考慮されなかった
268人間七七四年:2015/01/03(土) 12:36:42.63 ID:nC9Vqx1N
つまり、御稽古事の域を出なかったわけね。
科学技術、またはテクノロジーは、おおむね戦争のたびに進歩するって言う事も
あながち間違いではないらしい。
269人間七七四年:2015/01/03(土) 13:25:35.09 ID:ABQqRNNs
実戦向きかどうかは関係なくないか
270人間七七四年:2015/01/03(土) 15:51:05.54 ID:L+ebz97s
○○道を確立したがる
271人間七七四年:2015/01/13(火) 15:07:48.12 ID:eckkHi6V
投げ槍って無かったのかね?
投げ矢は存在してたのに
272人間七七四年:2015/01/13(火) 15:27:47.41 ID:2aBHRN9i
ローマのピルムが有名だけど、あれって盾潰しがメインだそうだから
盾の無いの日本じゃ無用じゃないかね。そもそも同時代の西洋でも使ってなさそうだし
273人間七七四年:2015/01/13(火) 18:58:03.34 ID:Ulp0LsQi
古代ローマでは体の大半をスッポリ覆い隠せる大型の盾で密集陣組んでたから、
重量のある投げ槍で厄介な盾を潰すのは重大事だったんだろうなあ
274人間七七四年:2015/02/07(土) 18:16:52.50 ID:4sh4S3eG
日本で一番槍が普及したのは、菊池千本槍が最強過ぎたから
275人間七七四年:2015/02/07(土) 19:12:32.78 ID:xBHpl07X
疲れた時杖代わりに使えるからだよ
276人間七七四年:2015/02/09(月) 18:39:03.00 ID:q6atkNKN
果実酒の類いはあまりないよね、縄文時代や弥生時代にはあったようだけど
エールみたいな麦酒もあったのだろうか?
277人間七七四年:2015/02/09(月) 19:38:43.51 ID:IVI+1hnH
鎌倉時代に酒に高税が掛けられて主力の米酒は残ったがそれ以外は作っても損だから廃れたという説を聞いた
278人間七七四年:2015/02/09(月) 20:39:32.67 ID:hkK5TgZU
今と違って民間の開発力もあまりないだろうし、そう簡単に新品種とか作り出せる訳じゃないもんね
279人間七七四年:2015/02/17(火) 13:51:01.13 ID:aP79zDMU
紅茶、烏龍茶みたいな発酵茶が普及しなかった。
280人間七七四年:2015/02/19(木) 06:46:27.60 ID:QwcyDh/q
>>271
槍を投げるは卑怯って考えがあったような・・・・
281人間七七四年:2015/02/19(木) 07:26:24.21 ID:AaTTdr7S
>>280
投げた後どうやって戦うの?って問題があるんじゃね?
282人間七七四年:2015/02/21(土) 04:14:18.07 ID:FAQe8D3m
どうせ当たんないし相手が拾ってリベンジしてくるから投げたくないよな
283人間七七四年:2015/02/21(土) 06:55:41.80 ID:kdQ1qwTW
投擲は犬槍だからな
まあ、作法抜きにしてもあまり効果的じゃないしな
普通に弓使った方がいい
284人間七七四年:2015/02/21(土) 13:50:32.54 ID:fDie5rUL
投げるならそこら辺に落ちてる石で充分だしな
285人間七七四年:2015/02/21(土) 15:59:12.96 ID:MK7kCp7R
槍投げられたら隣の奴が迷惑するからな
投げた奴のとこに穴が開くわけだし
286人間七七四年:2015/02/21(土) 16:09:37.95 ID:N/SPfcge
槍投げるのだってそれなりに練習は必要なはずだから、そっちの手間もあるしな
石や矢の方がよほど汎用性高いだろうし
287人間七七四年:2015/02/21(土) 16:20:02.61 ID:Zp3RcTeI
戦国時代だと、飛び道具の中で投石が一番死傷者多かったじゃなかったっけ?
288人間七七四年:2015/02/21(土) 16:31:04.58 ID:MK7kCp7R
負傷者率な。
ソース元が畿内での城攻めの事例が大半だから
投石と言っても野球ボールサイズじゃなくて、漬物石サイズを上から落としてくるタイプ
289人間七七四年:2015/02/21(土) 21:22:48.90 ID:04eEn51R
関東でも佐竹の資料で見たことあるな
伊達と内通していた小野崎氏を攻めた時に、小野崎配下のなんとかって武将が城内から茶臼をぶん投げたら
前線で指揮をとっていた義重の兜に上手く当たり、前立が壊れて義重が激怒したという
290人間七七四年:2015/02/28(土) 22:48:52.81 ID:ggr4z1XJ
天下普請の石垣とか切り出してあのサイズだから
昔の日本って巨石がゴロゴロしてたんだなぁ
291人間七七四年:2015/03/01(日) 00:08:47.62 ID:aMyE4hOm
石切り場って見たこと無いのかな
292人間七七四年:2015/03/01(日) 05:53:00.39 ID:UVbPE8oY
山よりも海岸沿いの方が露出している場合が多いと思う。
有名どころだと、東尋坊とか
293人間七七四年
>>290
少ないから天下普請なんだよ
全国から集めないといけなかったからコストがかかり諸大名に負担させた