秀吉は三成や小西や大谷に大版図やるべきだった

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56人間七七四年
家康は、実力・肩書・名声、いずれも大老奉行10人で突出しており、道筋をつけたのは秀吉自信。
自らが助長した圧倒的な実力差、この状況で合議が機能すると秀吉が本気で考えていたと思うか?
余程の政治音痴でない限り、あり得ない話だ。