【軍師】呪術と占星の戦国史【易学】

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1人間七七四年
日本の歴史上、最も占いや呪術に頼ったのが戦国武将達。
武将達に召し抱えられた軍師の重要な仕事は、合戦の日時や方角を
占ったり、戦勝祈願の加持・祈祷を行うことなのでした。

密教や軍師に使われた易学、修験者や忍者、祈祷、調伏、占い、護符
などについて語りましょう。
2人間七七四年:2013/04/24(水) 09:32:05.74 ID:mNN3xV3q
オカ板行け
3人間七七四年:2013/04/24(水) 10:57:30.31 ID:HFTEhgcq
西国はまだまだシャーマニズム的な呪術的な戦場判断が一般常識として存在してたから畿内や東国の軍勢の機を見るに敏な用兵には敵わないよね。
毛利・大内・尼子・大友・島津あたりはみんな論理的ではなくて戦場や城かた立ち上る気や天文が地上に与える影響やら
呪術やクジ引きおみくじの神託やら悪日や大凶日や易や暦を盲信してるからね。
島津の上井覚兼の日記なんてみたら笑っちゃうw
あと大友側の角隈石宗の占いとかなw
立花道雪が戸次鎮連に忠義を示さないと怨霊になって祟るぞって言ったり、
耳川敗戦後に家中に対して道雪が景林にと言う易者に占わせてから戦ったら勝てたから今後もその習慣を守れと言ったり
大友吉統は関が原での大友復興作戦で豊後上陸の場所を戦略面を考えずに
宗麟が運を開いた縁起のいい場所であった立石に上陸して結果的に黒田如水の派遣した軍に大敗してるしw
元就も山吹城を攻めようとした時にどこぞから家臣が連れてきた呪術者に易をさせたら
「占ったところ食料2年分に水も豊富にあるよ」と言われ見事に騙されて攻めずに安芸に帰ったり
陶の怨霊封じの儀式もやってたな元就w
元就が元春が暗殺した本城常光を暗殺した為に出雲の国衆が尼子側に戻ってしまった時に尼子調伏の呪法やったり、
尼子側も出雲大社や佐久佐社や伯州の大山権現で毛利降伏の祈祷やってたな。
もう呪術合戦状態www
西国の戦いってのはこういう素地が背景にあってのアホレベルの戦いばっかだからマトモに考えちゃダメだよ。
4人間七七四年:2013/04/24(水) 11:13:32.00 ID:HFTEhgcq
呪術的占いが大好きな野人隼人の島津は、鎌倉の昔から相も変わらず占いで豊後侵攻路を決めたあげくに大苦戦したんだよ。 
島津が大好きな神様に騙されたよねw 
そういや上井覚兼は秀吉が大友に味方するって決まった途端に改めてくじ引きをまた引き直しやがってと激怒してるしね。 
西国のくじ引き軍が畿内以東より強いわけがないね。
大内義隆が陶の謀反を知り調伏の護摩焚いてたらマジに陶が殺しにきた→陶が山田事件起こす→石見国人謀反→討伐中に元就火事場泥棒→ 
厳島でなにやら占いや気をみたりする陶がここ数日は大凶だから休戦日だな!→大凶?関係ねーよと元就襲撃→卑怯なり元就ぃ! 
→石見銀山ゲット!ってあれ晴久突然死→20歳義久は毛利をビビリ石見を毛利にプレゼントするから和睦しよ♪→石見の国人見捨てられる→ 
うっひゃひゃ銀を出雲国人にばらまけ和睦なんて関係ねーし侵略じゃ! 
5人間七七四年
最近はネットの普及でこういう知識もだいぶ浸透したね
10年前だったら戦国板といえど書き込めば即池沼扱いだったからね