952 :
人間七七四年:2013/06/26(水) 10:12:48.28 ID:s/lZUpkv
>950
まあ、そんなふうに幽斎様に戦いを挑んでも勝てないわな。w
953 :
人間七七四年:2013/06/26(水) 12:08:36.22 ID:pORULxaX
一番落書・落首勝負をしかけたら駄目な相手だからな(勝てない的な意味で)w
尚ラスボスにしかけると落命で返ってくる模様
954 :
人間七七四年:2013/06/26(水) 18:47:29.40 ID:Ei9Qmz2B
天正九年の事。織田信忠は能を好み、自身もこれを行った。
身分の高い者も低い者もその腕前を見事と言った。
織田信長はこれを聞いて「武将たる者がむやみに能を好むものではない」
と言い、大変しらけた。
そこで信忠は能道具をすべて取り寄せ、丹波の猿楽師・梅若大夫に与えた。
弟の信雄・信孝もこの道を好んだが、信長はこれについては知らなかった。
――『当代記』
955 :
人間七七四年:2013/06/26(水) 19:18:11.08 ID:90EL/F1K
幸若舞はええんですかそうですか
956 :
人間七七四年:2013/06/26(水) 19:28:49.30 ID:zZJOJp82
しかたないのう
957 :
人間七七四年:2013/06/26(水) 19:54:10.62 ID:efCxEmqq
「面白の乱舞や 其身を捨てぬ程に心掛け」
ほどほどにできず、やり過ぎるくらいなら捨ててしまえ!てことでは
958 :
人間七七四年:2013/06/26(水) 19:56:23.00 ID:dYZuCYsc
>>950 中身のない批判だなぁ
というか批判になってない
959 :
人間七七四年:2013/06/26(水) 20:00:57.52 ID:efCxEmqq
960 :
人間七七四年:2013/06/26(水) 21:05:40.15 ID:tSLvIleb
慶長19年(1614)8月下旬、いわゆる方広寺鐘銘事件が起こり、その交渉のため大阪より派遣された
片桐且元に対し、徳川家康は「御袋(淀殿)か秀頼が江戸に下るように」との要求をした。
片桐且元は大阪に戻り。淀殿・秀頼母子にその通りに申し上げた所、淀殿も秀頼も
「中々江戸に下るということは出来ない」との意見であり、特に秀頼は、且元が心変わりをして
豊臣家を裏切ったのだと考えた。そしてこの件に関しては様々に紛糾し、大阪城の内部では
「福島正則殿に意見を聞きたい。」との声が出た
そこで福島正則は、大阪によしみがある堀田角左衛門という侍を上らせ、自分の意見を述べさせた。
『秀頼公の御袋様(淀殿)が江戸にお下りに成り、家康公にご対面なされて、また大阪に戻ってくるのが
一番良いと存じます。その折に姉妹の方々とお会いになるのが宜しいと存じます。』
しかし淀殿と秀頼はこれに同意せず、大いに腹を立て
「二度とこのような意見を言うな」(重ねてヶ様之異見被申まじ)
と返事をした。しかしこの返事を、正則は見なかった。それは使いの堀田角左衛門に、
『大阪からのご返事を頂いたら、直に家康公にお渡しするように。』
と指示していたためである。
こうして家康は大阪の返事とその様子を堀田角左衛門から逐一知らされし、以ての外に怒り、
早速京都へ出陣することとなった。諸大名衆も悉く大阪に馳せ向かったが、福島正則は
家康に願い出た
「私には秀頼を攻めることは出来ません。そこで大阪には嫡男の備後守(忠勝)を上らせ、
私には江戸で留守居を仰せ下さるようお願い致します。」
家康はこれを、いかにも尤もだと思い、備後守を急ぎ上らせるようにと命ぜられ、
備後守は大阪に上った。
(福島太夫殿御事)
福島正則から見た、大阪の陣前夜の模様である。
961 :
人間七七四年:2013/06/26(水) 23:04:18.59 ID:0LbL04cn
>>958 中身のない批判だから取り合うまでもないとして、こういう返しをしたんだろ
962 :
人間七七四年:2013/06/27(木) 10:58:10.61 ID:bsXfUkG7
こんなおふざけにマジレスしても野暮なだけだしな
殺るくらいマジだとまた別のメッセージを発信するけどさ
963 :
人間七七四年:2013/06/27(木) 16:34:58.11 ID:unbWrIWQ
マジギレした場合は落首が文字通り落とした首の横に貼り付けられるんです
964 :
人間七七四年:2013/06/27(木) 19:21:26.80 ID:+cLt+UhQ
965 :
人間七七四年:2013/06/27(木) 22:36:05.33 ID:P2Wtrpyj
近頃少しばかり話題にのぼる人物がいる。
物事に動じぬ度胸を持ち、才能があり、頭脳鋭く、優れた人物である。
このあいだ、お城で話す機会があったので、
「その方は、頭の鋭さがすべて外に現れていて、
奥ゆかしさに欠けるところがある。
少し鈍くなってみてはどうか。
十の鋭さを三つか四つくらい、内に隠すということは出来ぬか」
と、言ってやったところ、
「無意味でしょう。山本さまの助言でもそれは出来ません」
と返答してきた。
たしかに、うまくおだてて幕府への使いなどさせれば、
なんでも賢くこなしてくるところがある。
しかし、殿のお側役、お国の政治など、
重大なことは決してさせてはならぬと思う。
『あの人物と同じ型の人間である』
頭の鋭さと知恵だけで世の中すべて片づくと思い上がっている。
しかし、その知恵、頭の鋭さほど、鼻持ちならぬものはない。
第一に人々が信用出来ず、心を許すということがなくなってしまう。
これにひきかえ、ある者は不器用ではあるが実直な人物なので、
立派にやってゆける奉公人だろう 【葉隠】
966 :
人間七七四年:2013/06/28(金) 01:57:20.93 ID:eBuGTzxz
「戦国」ちょっと悪い話
967 :
人間七七四年:2013/06/28(金) 10:11:59.02 ID:BsBaG+GJ
>あの人物
お隣のあの人ですね。
968 :
人間七七四年:2013/06/28(金) 13:35:39.15 ID:a1NjDFFP
まあ葉隠の逸話はもうちと時代選んで選んでほしいな的な感じはするかな
969 :
人間七七四年:2013/06/28(金) 17:07:50.49 ID:xlmzqz8w
ある時細川幽斎が、次男の頓五郎殿(興元)に、このような事を語った
「古の、室町将軍義満公の御時、日本の国々の、大小、上下、方角、米高、名物、等を調べさせ、
記録された、その書の名を『封域分数貢税誌』という。
この書は先祖より伝わり我が家にある。今、当国(丹後)の事を調べてみたが、国の形容、
全く違わず書かれていた。」
そう言うと、この抜き書きを頓五郎殿に与えたそうである。
(丹州三家物語)
忠興にはどうしたのだろう…?と思わせる逸話である。
しかし足利義満の時代に本当にそんな書物が編纂されていたとすれば、現在に残っていたら
もの凄い重要な史料になったのに、おしい。
970 :
人間七七四年:2013/06/28(金) 19:19:21.27 ID:la3ElqeK
忠興は別の細川家を継ぐ身で
藤孝の細川家は所領もろとも興元に継がせる予定
少なくとも当時の藤孝はそのつもりだったという事かと
971 :
965:2013/06/28(金) 19:52:49.60 ID:MChiuXB5
972 :
人間七七四年:2013/06/28(金) 21:56:17.04 ID:WzbYBEfU
(大阪夏の陣が始まろうという時、二条城の徳川家康は伏見城にある秀忠からの使い、土井利勝と
酒井忠勝が到着したのを受け、本多正純、安藤帯刀、成瀬隼人らとともに、合戦の軍議を行った)
その日の晩、灯火をつける自分の事である。「日向に御用がある、お城に上がるように」
との上使が下されたので、私(水野勝成)は早速二条城に登り家康公に御目見得をすると、
膝近くまで寄るように、との御意なのでお側まで近づいた。
この時家康公が仰せになったのは、
「藤堂和泉守(高虎)に一番備、並びに伊井兵部(直孝)に二番備を申し付けた。
そして其の方は大和口より押し立て、この両人とその先で合流せよ。
そのため大和衆を其の方の旗本に申し付けるので、召し連れて行くように。」
私は、これを聞いてこう申し上げた
「去年(大阪冬の陣)、私は堀丹後(直寄)を召し連れて参陣いたしましたが、今回も同じく
堀殿に申し付けて頂けますか?」
「宜しい。丹後を召し連れて行くがいい。」
この時私は、去年の大阪冬の陣で、大和衆は藤堂高虎の麾下を仰せつかったのに、彼らは高虎を侮り、
仕寄りの時など高虎の言うことを聞くものがおらず、命令を聞かせても何かと我儘を言って
少しも役に立たなかった、ということを知っていたため、このように申し上げた
「私は藤堂高虎よりも小身であります。であれば私の言うことを、大和衆は聞かないでしょう。
ですのでこの仰せをお請けいたしても、もし前線で役に立たなければ、両御所様の御意に違う
結果となってしまいます。」
家康公はこれを聞くと殊の外機嫌を悪くされ、このように仰せになった
「藤堂と日向を一所にして、大和者共がとやかく申して来ると言うのか!?
もし我儘を言うものがあれば、公儀の命令を心得ぬ者どもは、一人でも二人でも踏み殺していけ!」
私はこの仰せを聞いて、家康公に直に申し上げた
「この上は、どんなことでも御意の通りに致します!」
すると家康公のご機嫌は治られた。御側に在った本多上野介(正純)がここで言った
「日向殿とあの時の藤堂殿を一所にして申すことはできません。今回日向殿は、上様の名代として
軍を率いるのです。ですので、もし我儘を言うようなものが在れば成敗されてかまいません。」
「忝い」と申し上げた。すると家康公が御意に
「良いか?今回は其の方に軍勢を率いさせるために申し付けたのだ。絶対に絶対に、
昔の一本槍の覚悟で身稼ぎをしてはならん!それは曲事であるぞ!」
と仰せられた。
(水野日向守覺書)
水野勝成、家康から大役を仰せつかるも最期に一言釘を差される、というお話。
家康はやっぱり勝成の事良くわかっているのですねw
973 :
人間七七四年:2013/06/28(金) 22:45:28.93 ID:pYm2hN06
>>969 室町幕府の貴重な史料は応仁〜明応のゴタゴタで消失したのが多いからなあ。
974 :
人間七七四年:2013/06/29(土) 00:30:46.73 ID:K2g9GWNi
「細川家には、昔はもっと良い宝物があったんですが、戦争でかなり焼けてしまったんですよ。
いやいや太平洋戦争の時ではなく、応仁の乱の時ですがね」
とのちに子孫が語ったのである
975 :
人間七七四年:2013/06/29(土) 00:42:29.55 ID:a/5/lKhC
細川家が平成の世に天下取るとは忠興さんも予想出来なかっただろう
あっという間に切り崩されたけど
976 :
人間七七四年:2013/06/29(土) 01:14:51.37 ID:SN1Dmahe
こんなの見つけた↓
首切り茂吉
戦国最強は首切り茂吉と言う農民だったらしい。
17歳から戦場で戦い、57歳までの間に40数度の闘いに出て居る。
槍も刀も貸し出し品は一切手にせず、鎌一つで戦ったと記録に有る。鎌一つで一度の戦で7人を殺したとも言われてる。
あまりの残虐性と強さのため武将達から「首切り茂吉」と言われていた。
高禄で召し抱えたいと申し出た織田信長を前に、あさりと断り、年貢を免除して貰いたいと願い出た。
自分の申し出を断られ激怒した信長は斬りかかるも、茂吉は信長相手に蹴りを入れて倒して「やるならやんぞ!!」と
怒鳴りあげたと言われている。
その後信長の領地で唯一年貢を免除された男として首切り茂吉は有名である。
かの秀吉も茂吉を召し抱えようとするも「秋だし狩ろうかな」と言われて引き下がったと言われている。
なぜ茂吉が首切り茂吉と言われるか、その自宅には今まで倒した男達の首が置かれており、その数は500を超えていたと言う。
一体人知れずこの男はどれだけの戦功をあげていたのだろうかと織田家中では伝説的な農民であった。
40数度の戦に出て、生き延びた首切り茂吉。有名ではないがまさに最強であり多数の戦をした男である。
57歳の時、ついに茂吉は関ヶ原にて可児才蔵との激戦の末、首を打たれたと言う。
977 :
人間七七四年:2013/06/29(土) 01:17:07.67 ID:yemwjcXR
これで何人目だろう、釣れたのは
978 :
人間七七四年:2013/06/29(土) 01:55:38.50 ID:nx/UmRQd
979 :
人間七七四年:2013/06/29(土) 01:56:37.48 ID:OzBfaib6
バカ発見器ですか
980 :
人間七七四年:2013/06/29(土) 05:10:48.05 ID:Vjrk4VUD
結城上野守の逸話を載せてるまとめ管理人はこれも載せるんだよな?
981 :
人間七七四年:2013/06/29(土) 07:42:47.59 ID:w0sq+QBS
さすがに典拠もわからない逸話は載せんよ
982 :
人間七七四年:2013/06/29(土) 09:09:47.98 ID:kkx9YAxA
このスレは出典は求められてないだよ。
先祖代々の言い伝えとか、地元の伝承とかでもOK。
最近の古文書そのまま掲載の流れのほうが昔から考えるとちょっと違う感じ。
983 :
人間七七四年:2013/06/29(土) 09:46:57.37 ID:4ydcx/ux
近現代の小説ソースだけは勘弁してくれと言う流れからだからな
984 :
人間七七四年:2013/06/29(土) 15:02:24.00 ID:MqAbeISa
架空戦記でかまわないから誰がこの茂吉でテキトーに小説書け
と思ったけど何だ?小説ソース?
985 :
人間七七四年:2013/06/29(土) 16:52:03.21 ID:l3nEKvPi
そんなのないんじゃない?
適当に作っただけだと思われ
986 :
人間七七四年:2013/06/29(土) 22:29:51.19 ID:OMcQKhey
美濃の住人に、岩崎角弥という若侍があった。
彼の主君は斎藤山城入道(道三)であり、多年その下で仕えていたのだが、
あるいは朋輩の嫉妬からであろうか、道三に角弥についての讒言が有り、道三はそれを信じて
彼の出仕を止めさせた。
角弥はこの事態に大変戸惑い、「私は主君に対し、私が一体どんな誤りをしたのかお聞きしたい!」と
人を介して道三に申し上げたのだが、それに返事もなく、角弥は「この主君とは縁がなかったのだ」と
考え、縁を訪ねて京に上り、時の摂政殿に仕えた。
この岩崎角弥は器量、骨柄、心の様、他に越えて優れていたため、摂政殿は彼を大変に重用し、
その寵愛は並びないほどであった。
そのようにして2年ほど経った頃、道三はこの岩崎角弥の事を聞き、京の摂政殿下に使者を立てて、
『角弥を返してほしい』と申し出た。
摂政殿はこれを聞くと
「呼び返すほど欲しい者を、どうして追い出したのか?その願い叶うまじき。」
と即座に断った。この事を道三に知らせると、『重ねてぜひとも!』とまた申し寄越した。
摂政殿は
「千度百度言ってきても、あの者を返す気はない!」
と仰せられたが、これを聞いた道三は大いに立腹し
「そういう気ならば、討ち手を上らせるべし!」
と、山本伝左衛門・須田忠兵衛という大剛の者を二人、京に上らせ、岩崎角弥の動向を伺わせたが、
なかなか角弥を見つけることが出来なかった。
所がある時、御節会の刻に摂政殿下が禁中に渡るお供に角弥も付いたのだが、この姿を
山本・須田の二人が見つけた。そして岩崎角弥も彼らの姿を見た。
双方は互いに見あって、「あっ!?」と思ったが、殿下は長柄、力者、前駆、随心などが先を
警護し、後ろは五位、六位などの随身で固められており、この行列に出会った人達は、何れも
身を伏していたため、二人も手出しできず、その日は虚しく帰っていった。
しかしそれより、毎日角弥の動向を執拗に伺っていた。角弥もこれに気づいており、『彼らはきっと、
私を討つために上京したに違いない、この事は殿下に申し上げなかれば。』と、ある時御気色を
伺って、このことを申し上げると、殿下は奉行所に、
「こういう曲者が京都に居る。急ぎ詮索して、洛中を平穏にするように。」
と仰せ付けたため、奉行所は洛中に『この者たちを少しでも助けたものは罪に問う!』と
触れを出した。
これを知った二人はどうしようもなく、美濃に帰って道三に「このように成りました」と
報告すると、道三ももはや手の出しようがなく、その場は興がさめて気まずい雰囲気になったそうである。
(室町殿物語)
987 :
人間七七四年:2013/06/29(土) 23:28:27.25 ID:OzBfaib6
988 :
人間七七四年:2013/06/30(日) 15:42:49.51 ID:OoHs8WB4
(大阪夏の陣、道明寺の戦いで水野勝成ら幕府軍は、後藤基次などの大阪方を撃退した)
しかし、敵は未だ藤井寺のあたりから平野道まで軍勢を集結させていた。
そこで私(水野勝成)は伊達政宗に使者を送り
『朝の合戦は早くも我々の勝利となりましたが、敵が撤退している今、追撃を行えば、
平野からこちらの方にある敵は大方討ち取ることが出来るでしょう。
非常に良い形勢なので、ぜひ早々に、そちらも追撃を行なってください。』
そう伝えた所、政宗より返事があり
『あなたの言う事も尤もだと思いますが、我々は真田の軍と3度の競り合いをしたため、
鉄砲の弾薬も残り少なく、その上軍勢の中には負傷者や死者も多く出ました。
そのため、今日追撃を行うことはできません。』
などと言ってきた。考えを変えるためにもう一度使者を送ったが又断ってきた。
諦めず再び使者を送った所、3度目には政宗が自分で直接やってきた。
「出来ねえって言ってるだろうが!!!!!」
激怒している。
しかし私は政宗がやってきたのを幸いに、かまわず説得することにした
「政宗殿、あなたがそう言われるのも尤もだ。だが今日、敵が撤退しているというのに、
それを追撃しなかったら、上様はきっと『どうして敵を追撃しなかったのか。』と
不審に思われるでしょう。そうなればせっかくの身上も相果ててしまうでしょう。
身体が果てるよりも、敵を追撃して討ち死にすれば、上様への御奉公になるじゃありませんか。
だから、追撃しようぜ?」
「いや、だから我々は…」
無視して話を進める
「それでね、作戦なんだけど、我々の前に立ちふさがっている敵は大野修理(治長)と毛利豊前(勝永)の
軍勢で、真田(信繁)の部隊は野中村の小高い山に備を立てています。
真田軍の位置は大野修理達の場所より遥々と離れた南の端で、前面の敵である大野修理の軍を追い崩す事は
簡単なのだが、そこに横から真田軍が救援に入って後ろに回られれば、逆に我々が全滅するだろう。
そこで政宗殿は真田の前面に出て、鉄砲隊に攻撃させて、真田をあしらって頂きたいのですよ。
そうすれば彼らが横から救援に入ることは不可能に成るでしょう?
これでどうか、お願いいたす!」
そう、達て申したところ、政宗は
「だから!さっきから言っているようにこっちは動ける人間も少ないっての!
今日、敵を追撃するのは我々には出来ない!この事は私から御両所様(家康・秀忠)にも直接申し上げた!
とにかくどうしたって、我々に追撃をさせるのは、無用である!
政宗の所は現在、追撃できるような状況ではない!」
(是非是非付候事は無用にて候。正宗事は中々付申間敷候)
そう言い捨てて自分の陣所に帰っていった。
(水野日向守覺書)
ちなみに他の人は官位などで呼んでいるのに、政宗に関しては安心と安定の諱呼び捨て、
しかも『正宗』表記である。追撃を断られた嫌がらせだろうか?w
989 :
人間七七四年:2013/06/30(日) 20:15:29.00 ID:Ex1hHKaY
そろそろ次スレ立てたほうがよさそうだ
990 :
人間七七四年:2013/06/30(日) 20:18:08.39 ID:Ex1hHKaY
991 :
人間七七四年:2013/07/01(月) 08:51:43.63 ID:tc6sVpyT
>>990 乙
埋め代わりに
(天正17年(1589)の天草国人一揆における、小西行長・加藤清正による志岐城攻めの折のこと、
当時小西行長の配下であった水野勝成は二の丸まで乗り込んだ)
私(水野勝成)は二の丸に乗り込むと、二の丸の中の”ひちやう”と言う曲輪に一番に取り付き、堀際まで乗り込んだ。
この時、福島左衛門大夫(正則)の家臣・山瀬久兵衛の弟である山瀬勘右衛門という者も私同様に堀の裏まで
乗り込んだのだが、堀の端から鉄砲が二挺出てこちらを狙っていた所を、一挺は私が引きかなぐり取ったのだが、
もう一挺によって山瀬久兵衛は、股から尻まで撃ちぬかれてしまった。
私は彼に
「今までは一所に進んできたが、それでは最早役に立たない。そういう事だから早く撤退しろ!」
と言って山瀬久兵衛を城の下へ下ろした。
この時、阿波鳴門介が使っている、清吉と言う小姓がやってきて
「鳴門介様にはぐれてしまいました。六左衛門様(勝成)の指物を見かけましたので、ここまで罷り越しました。」
そう言うので、私は
「さてさて心がけも早く参ったものだ。これからこの曲輪に乗り入る所なので、私の傍についてこい」
と声をかけたその所で、清吉は鉄砲に当たり死んだ。
(拙者申やうにハさて々心かけ早く参候。只今乗込申候間、我等傍に罷在候得と申所に、其場にて鉄砲に當り相果候)
(水野日向守覺書)
城攻めの戦場のリアルな様子を伝える記録である
992 :
人間七七四年:2013/07/01(月) 11:22:02.25 ID:GviWTAMs
強い人は運もいいな
993 :
人間七七四年:2013/07/01(月) 13:41:02.24 ID:wu0N9C1I
名のある武将が主人公だとしたら
それに仕える武将等は脇役
その他大勢のエキストラまさしく死に役
994 :
人間七七四年:2013/07/01(月) 14:47:39.88 ID:0U6I1beA
>>991 最後の一文、笑っちゃいけないというか笑いどころですらないんだろうけどなぜか失笑してしまった
995 :
人間七七四年:2013/07/01(月) 16:55:47.73 ID:iA3e6Eqk
さすが勝成、鉄砲の弾も避けて通るとは。
996 :
人間七七四年:2013/07/01(月) 17:13:57.61 ID:tvn1trM5
小田原征伐の時、豊臣秀吉は松田憲秀を斬罪に処したが、
その末子である十三歳の童も同じく生害させた。
彼は多能にして殊に美麗であった。これを惜しまない人はおらず、
見聞の衆は悲しみの涙を拭った。
――『当代記』
997 :
人間七七四年:2013/07/01(月) 18:33:42.26 ID:wu0N9C1I
>>996 果たしてブサイクで有能でもこう惜しまれたのであろうか・・・
戦国時代でも但し※なのかな
998 :
人間七七四年:2013/07/01(月) 18:46:24.94 ID:AfpEMuhk
999 :
人間七七四年:2013/07/01(月) 20:16:26.66 ID:43JejjCc
さよなら
1000 :
人間七七四年:2013/07/01(月) 20:30:25.89 ID:wmwk99fL
で、あるか
1001 :
1001:
/ `ヽ、
ー┬――─‐ァ
/ ̄ ̄ ̄ ̄,l,
_/ ,、r'" _」
. | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
/`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
/ 秀家 ゙ヽ:::::::::', ごくろう。このスレはみごと統一された。
゙|゙゙゙''' ‐‐''""' ';:::;r==,、 さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
. |エi> ,' イiエ> レ'゙,r .,l }
i. / Y./ノ さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
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