戦国ちょっと悪い話35

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907人間七七四年
大永7年(1527)、毛利元就31際の時、厳島参拝の折に棚守房顕の屋敷に立ち寄ったが、そこで初めて
山本勘助に出会った。

元就は勘助の容貌を奇として、どこから来たのかを尋ね、さらにをの所志を質問し、しばらく考えた後
帰城したが、5,7日ほど後、使者を遣わして棚守にこう伝えた

『先日一見した所の京都牢人(勘助)は、早くこの地から去らせるのだ。そして日本国中を遍歴させるべし。』

棚守はこの意を受けて、勘助に他所の土地へ興味を向けようと考え、関東の諸将の威烈を語った。
山本勘助はこれを聞くやいなや、棚守に暇を告げて立ち出ようとした。

棚守は勘助があまりに早く暇を告げたことを怪しみ、止めてそのわけを聞いた。
勘助曰く

「私はこの国に仕官を求めるために来ました。貴方もまた、私を推挙してくれたではありませんか。
ところが今、関東の諸将の威烈を語られました。これは貴方の御心が、既に変わったことを表しています!」

「な、何故そう思ったのだ!?」

「関東とは”還当”、すなわち”還る当し(かえるべし)”と読めます。これが私が暇を乞うた理由です!」

棚守は勘助のあまりの明敏さに、感嘆したとの事である。
(軍人頓智叢談)

なにか噛み合っていない気がする。気のせいだろうか?w