実は最強政権室町

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13人間七七四年:2012/08/10(金) 22:33:05.83 ID:kpkYWY8s
奉公人を無くされた時点でほぼ終わってるのにすごい粘ったよな
14人間七七四年:2012/08/11(土) 07:00:57.95 ID:mM2VBHfL
公武合体政権だったからだろ。
公家の荘園保護して荘園横領する武家を将軍が追討してるから京洛の支持を得ていた。
15人間七七四年:2012/08/17(金) 01:54:52.32 ID:auurulem
実は日本を統一できてない糞政権
16人間七七四年:2012/08/17(金) 02:37:09.51 ID:NrSxlvan
「いい国」に文句つけるなら室町幕府開府なんてどうなるんだろ
17人間七七四年:2012/08/17(金) 06:46:09.89 ID:MdgtsCEY
軍事政権が「いい国」なわけないし
18人間七七四年:2012/08/18(土) 01:32:24.80 ID:qac3jHJR
>>17
あなた読解力無いねって言われるでしょ
19人間七七四年:2012/08/19(日) 10:02:21.96 ID:u++1454v
足利義量と義勝の存在感のマイナスっぷりがすごい
20人間七七四年:2012/08/19(日) 20:40:31.14 ID:A3CcxZt9
将軍大空位時代とかあって面白すぎ。
21人間七七四年:2012/08/20(月) 03:00:05.43 ID:KiQL8B6t
そもそも鎌倉幕府からして2代目以降は傀儡将軍だもんなあ
そりゃ足利将軍家も舐められて当然だろ
むしろ藤原や皇族を迎える事なく足利だけで将軍職繋げられたんだから大したもんよ
22人間七七四年:2012/08/21(火) 08:15:04.22 ID:p0ZU9yRL
鎌倉に関しては頼朝が親戚縁者を些細な理由で殺しすぎたのが原因だろ。
だから頼朝死後に頼家を守ってくれる身内が誰もいなかった。
室町は尊氏死後もかなりの数の親戚縁者が残っていたので義詮でもなんとかやってこれた。
23人間七七四年:2012/08/21(火) 08:40:01.55 ID:a+rJ85dL
鎌倉府という対立軸があるのが
新鮮だな。しかも義満が奥羽の管轄権まで譲渡しちゃうし
当時の坂東観が垣間見れる。
24人間七七四年:2012/08/23(木) 07:21:18.77 ID:Yg1gqkXv
鎌倉府を基氏の血統による代々継承にしたのは失敗かもな。
北条の六波羅探題みたいに中央からの派遣交代制にすれば持氏の反乱は起きなかったかも。
25人間七七四年:2012/08/23(木) 08:39:13.64 ID:r1HSE+H8
尊氏の子が求心力になってたわけで、
それでは南朝に関東を奪われちゃうんじゃね?
26人間七七四年:2012/08/23(木) 20:32:47.82 ID:Yg1gqkXv
関東武士が南朝になびくわけないだろ。
27人間七七四年:2012/08/23(木) 22:24:40.78 ID:J0/sCaeB
江戸は倒幕勢力が一致団結したけど室町は周りが
潰し合いする中の動乱に呑まれていった…。

という印象ですね。
28人間七七四年:2012/08/24(金) 01:17:22.27 ID:/2wCl7Os
>>26
武家も公家も利害対立がある奴が属しているのと反対の朝廷につくのが南北朝時代
関東でもそれは変わらない
29人間七七四年:2012/08/24(金) 19:48:47.31 ID:CNMCCXM0
関東もかなり流動的だったからね。
越後や上野の新田や北条残党が暴れてたし
やはり尊氏の子がいなければ関東を統御できなかっただろう。
南朝側が海難で皇子の関東下向に失敗したのは痛かったな。
30人間七七四年:2012/08/24(金) 23:56:14.99 ID:SJ7xxrh/
関東武士は建武新政で新田以外はみんな冷遇されたから南朝には行かないだろ。
31人間七七四年:2012/08/25(土) 00:33:23.72 ID:GXCoKmI+
>>30
南朝の三木一草ともてはやされた結城宗広とか
32人間七七四年:2012/08/25(土) 00:42:31.52 ID:GXCoKmI+
三木一草は子の親光だったスマソ

というか建武新政での待遇はたしかにポイントの一つだけど南朝につくかどうかはまた話が違ったりする
観応の擾乱とか調べてみことをオススメする
33人間七七四年:2012/08/25(土) 07:01:14.13 ID:pFsN4f/m
もう南北朝の頃から関東の小田家って負け組街道突っ走ってんだよねw
その集大成が戦国末期不死鳥の様に何度も復活し、佐竹やら多賀谷やら真壁やら太田に敗れ続けた常陸の常敗王こと小田天庵公
34人間七七四年:2012/09/01(土) 01:20:48.18 ID:2jGNAUnS
実は佐竹も結構負けてる
35人間七七四年:2012/09/08(土) 19:22:50.19 ID:zHniuhOD
「御狂」
信長公記に3回登場
日葡辞書による「狂う」の語意=「ふざけたわむれる、遊ぶ」

有岡城攻めと三木城攻めを嫡男信忠に任せた信長。
鷹狩にも飽きたのか、次には「御狂」してしまう。
要は近習・馬廻たちとの戦争ごっこ。これに近衛前久や細川信良も加わる。
前関白や京兆家惣領まで模擬合戦に興じる面白さ。



36人間七七四年:2012/12/08(土) 09:20:30.85 ID:FHSBNd6S
>>8
南北分裂してたからねー
37人間七七四年:2012/12/13(木) 18:16:48.21 ID:qZncw10x
―あの世での会話―



慶喜「我々のときは薩長の横暴と土佐の裏切りによって滅びましたぞ」
家茂「異国人どもにも無理矢理異国の品々を買わされて大損させられました」


義昭「薩長って島津と毛利のこと?
我々の時代は島津は南の僻地で暴れていたし毛利は
僕が信長に追い出された後に随分お世話になったし毛利さんはいい人だよ
毛利さんが横暴だなんて以外だなぁ」
義輝「異国人って宣教師達のこと?
僕キリスト教のことはよく分からないけど宣教師達に
京都での布教を許しちゃったよ」



慶喜「・・・・・・」
家茂「・・・・・・」
38人間七七四年:2012/12/14(金) 11:50:17.72 ID:s/CeUSD5
>>8
どちらかと言えば、朝廷(もっと言えば皇室)の息の根を止める一歩手前まで踏み込んだのが足利幕府だろうに
足利高氏なんか右翼(絶滅危惧種たる日本人の右翼)からは未だに評判が悪い。
室町幕府末期は、内乱が起きたから無政府状態が長く続いたのに対して、
江戸時代末期は、市民(ブルジョア)革命が発生した結果明治革命政府が早期に樹立しただけだろ
(ブルジョアとプロレタリアの区別がつかない人は多いよなw)
39人間七七四年:2013/06/26(水) 11:01:20.76 ID:ryND/NSu
実際、天皇も将軍も資金難とは言え影響力はけっこう所持してた。
40人間七七四年:2013/06/26(水) 21:58:21.36 ID:KLqoCTQR
全体的に権力構造が緩やかだったから、大名などを強く支配はできないけど、逆に足利を滅ぼそうと考えるような敵も出てこない
41人間七七四年:2013/07/28(日) NY:AN:NY.AN ID:6SOkJLLD
足利義満は100メートルを超える七重の大塔を建てたりと幕府の権力を見せ付けた。
実はこの時代は、日本史上では第二次大規模建築物ラッシュで、これはみんな将軍の指導の下で作られた。
早島大祐氏は室町幕府が弱い体制と誤認されてきたり、研究が少なかったのは、
皇国史観、南北朝正閏論のせいであり、この大塔の存在もいままで忘れ去られたものだった。
42人間七七四年:2013/07/31(水) NY:AN:NY.AN ID:FFWZMqHW
大覚寺統と持明院統の権力争いの内乱で
室町幕府はそれを仲裁した公武合体政権だからこそ
京を本拠地に据える事ができた。
43人間七七四年:2013/07/31(水) NY:AN:NY.AN ID:qv75XCZ+
ならば足利義満に至る道筋をつけた義詮をもっと評価しよう!!
44人間七七四年:2013/08/02(金) NY:AN:NY.AN ID:yVSc22/N
室町政権は守護大名が公家や寺社から荘園を横領しまくる行為に怒り
返却の要求をたびたび出しているし
それでも返さない大名を討伐しようとして
近江で客死した義尚みたいな将軍もいるからな。
京を治めるためには公家や寺社の心をつかまないとならんから
日野氏との婚姻や、嫡子以外を寺社の元へ出すんだよな。
45人間七七四年:2013/08/02(金) NY:AN:NY.AN ID:qmqi1UWe
>>44
寺『社』?
足利って『神社』にそんなに気を使ってたっけ?
46人間七七四年:2013/08/03(土) NY:AN:NY.AN ID:ACRRFkDI
揚げ足取りしか能のない低能猿は黙ってろ糞がw
47人間七七四年:2013/09/10(火) 00:23:23.88 ID:FLLpn1s0
部下に国与えすぎ
全国66か国中11か国の守護職ってどんだけ大盤振る舞いだよ
山名、細川、畠山、土岐、武田、上杉、斯波で全国の3割くらい行くんじゃねーの?

でも信長も似たようなものか。軍閥でかすぎ。
48人間七七四年:2013/11/09(土) 20:42:59.62 ID:R7YfMt1T
まあ、室町幕府の守護なんて、それほどの権限があるわけじゃないけどな
49人間七七四年:2013/11/10(日) 12:09:35.76 ID:w8i5Lz+v
守護って実際なにやってるの?
今でいう知事?
50人間七七四年:2013/11/20(水) 11:53:12.95 ID:E1UeYEwB
>>49
今で言う県警本部長+県単位で税務署が合ったと仮定した場合のそこのトップ+その県にある地方裁判所のトップ
あとは軍勢催促と知行宛行は今の時代には言い換えられないかな。あえて言えばその県のやくざ組織の組長だろうか
51人間七七四年:2014/06/01(日) 10:48:32.66 ID:5v5oNV3i
-
52人間七七四年:2014/08/04(月) 02:34:20.70 ID:izKhrTYf
>>47
そうしないと幕府が維持できなかったんだよ
北条の領国拡大御家人離れで鎌倉幕府が崩壊し、
建武の新政の大失敗で武士の支配層に対する不信感が最高潮に達してる時、
大盤振る舞いして部下の機嫌を取らないと政権維持できないだろ
時代の流れを読めって

>>10
お前バカ??
戦国時代がなかったら誰も日本の歴史に興味持たんだろww
大河ドラマとかネタ切れでとっくの昔に終わってるわ

最低なのはお前のそのポンコツ頭だろ
53人間七七四年:2014/08/05(火) 09:07:28.48 ID:TkWNhA6Y
皆自分達の利益のために戦い大義名分もそのために利用しているから全てが混沌
北条征伐、建武の新政への反抗などは武家の身勝手でしかない
南北朝の争乱では双方共に大義があるからもはや何のための戦いかすら分からない
結局民のためを思い政治・戦争を行う人が一人もいなかったから世は静まらなかった
54人間七七四年:2014/08/05(火) 09:29:18.12 ID:TkWNhA6Y
太平記っていうタイトルがまた皮肉だな
尊氏が天下を取っても全然平和になってないw
55人間七七四年:2014/12/30(火) 19:03:48.25 ID:eoT9AW2D
鎌倉府とか、守護代とか、奉公人とか、全然うまくいかない制度ばかりだったよな。
56人間七七四年:2015/01/14(水) 22:03:58.56 ID:dw46ckXp
ポンコツ政権 室町
57三尺入道:2015/02/08(日) 14:50:12.46 ID:PL7XwfBM
結城合戦おつかれさま。
うちの庭の池にかわいいカルガモの親子がいるので見に来ませんか(´・ω・`)?
58人間七七四年:2015/02/11(水) 12:35:35.95 ID:M3d5ARQ3
法律の裏付けが無い原始的な超独裁体制は、反動で逆に政権の崩壊を早める。
足利義教や、フランスの絶対王政が良い例。
59人間七七四年:2015/02/27(金) 03:08:05.54 ID:4mqw6bTv
最 強 足 利 家

足利義輝・・・武芸はダメだが戦国一の知略で調略を仕掛け
敵武将を内応させ周辺の城を次々と陥落させる
敵武将をそそのかせて謀叛を起こさせ敵大名の力を弱めることなど
朝飯前の戦国きっての知将


足利義昭・・・政治知略はからっきしダメだが剣豪仕込みの恐ろしく高いレベルの武芸で
同じく超武辺者の松永久秀を一刀両断にし瀕死寸前にまで追い込む
戦のときは勇敢で常に部隊の先頭に立って戦う


細川藤孝・・・義昭と同じく武辺者
和歌などの教養を身に付けるのは非常に不得意で戦での槍働きでしか
主家に貢献することしかできない
鉄砲の名手で三好軍との戦で1000丁の鉄砲を使い
三好軍を壊滅寸前にまで追い込む
60人間七七四年:2015/02/27(金) 03:20:25.20 ID:4mqw6bTv
三好長慶・・・政治知略ダメの武辺者
常に三好軍が戦国最強の軍勢だと思い込んでいる
戦国最強の三好軍が足利軍なんぞに負けるわけないと思い足利軍に戦いを挑むが
細川藤孝を中心とする足利軍に1000丁の鉄砲で蜂の巣にされ
三好軍を壊滅寸前の状態にしてしまう


松永久秀・・・長慶と同じく超武辺者
自分こそ戦国最強の武将だと思い込み足利軍との戦で
同じく戦国最強との誉れが高い足利義昭に単騎で駆け付け一騎討ちを挑むが
逆に義昭に一刀両断にされ返り討ちにあい一時は瀕死寸前の状態になる
しかし後に自身の驚異的な体力により回復



wc2014.2ch.net/test/read.cgi/base/1416733216/

元ネタのスレ
61人間七七四年:2015/02/27(金) 03:23:44.24 ID:4mqw6bTv
>>59-60 のコンセプトは横浜強すぎというスレから
62人間七七四年
>>15
それ言ったら江戸幕府も統一できてないじゃん
明治時代からだぜ