戦国ちょっといい話33

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1人間七七四年
戦国のホロリとくるエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっといい話32
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1336017262/

姉妹スレ
戦国ちょっと悪い話32
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鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
2人間七七四年:2012/06/19(火) 20:02:33.73 ID:sSXHDhlz
永禄十年、両川は織田軍に対し十死一生の戦を挑もうとしていた。

そのような時に三沢為虎が羽柴秀吉に通じているとの流言があった。
話を聞いた吉川元長は直ちに為虎の陣に向かった。

元長は為虎の側まで迫り、座して曰く

「あなたが秀吉と通じているとの噂だが真実か。真実ならば
今すぐ私の首を刎ねて秀吉に送るがいい」

これに為虎は大いに驚いて、

「まさか!事実無根の讒言です!」と言うと、直ちに誓紙を献じた。
この元長の行動によって将兵の動揺は収まった。
3人間七七四年:2012/06/19(火) 20:06:58.06 ID:TGDRJFLC
なぜに永禄
4人間七七四年:2012/06/19(火) 20:32:50.56 ID:sSXHDhlz
>>3
天正の間違いでしたorz
5人間七七四年:2012/06/19(火) 21:26:09.29 ID:wgKWxrfB
『婚』は『昏』に通じ、その昔には花嫁は黄昏時、すなわち夕暮れに実家から婚家へ行き、夜に婚礼が行われた。

その日の夕暮れも、細川家の重臣・米田助右衛門の娘と、同じく重臣の牧左馬丞との婚礼が行われていた。
娘は重臣同士の婚姻を気遣った主君の肝煎りで、豪奢な女輿を三丁仕立てて嫁いで行った。


「近ごろは、物事も大げさになったもんだな。(当世ハ、物事結構ニ成タリ)オレのカミさんの親父殿は、
丹波一国と近江に一郡を知行する身分だったが、カミさんは今日と同じように輿三丁でオレのところに来たよ・・・」


主君こと細川忠興は、妻が嫁いで来た夕暮れのことを懐かしそうに語った。
6人間七七四年:2012/06/19(火) 21:28:43.17 ID:LnMuR9a+
>>2
首だけになって秀吉を咬み殺す気かw
7人間七七四年:2012/06/19(火) 21:29:40.97 ID:ta6kVe8E
妻が髪を売って以来、見栄っ張りをやめたからだろうか
8人間七七四年:2012/06/19(火) 22:24:52.66 ID:bVwEYcPh
あー、けち なんだよ多分
9人間七七四年:2012/06/19(火) 22:32:16.72 ID:ALyUSo6K
「名こそ惜しけれ」が武士文化だが、
当時の日本には忍者という集団もいた。
伊賀忍者の藤林保武が編纂した「万川集海」の一文には、
同じ国とはいえ武士の道とはまた違う文化が見える

『人の知ることなくして巧者なるを上忍とするなり。
音もなく、臭いもなく、名を知られることもなく、勇名もなし。
その巧、天地造化の如し』

ちょっと老子っぽい忍者の言葉
10人間七七四年:2012/06/20(水) 02:42:47.94 ID:L9Mi+7VU
三好家
11人間七七四年:2012/06/20(水) 13:09:04.95 ID:DHe3CoqY
だれも、1乙してない・・・・
>>1 大義であった!!
12人間七七四年:2012/06/20(水) 13:49:52.72 ID:3TdD/X3s
「ふうむ、それならそれで>>1乙するフリだけでもしておればよいではないか。先駆けて褒美を得ること、思いのままであろうに」
「仰る通りではございますが、それではズルになってしまいます。わたしはずるをしてまで褒美を得たいとは思わなかったのでございます」

後の親指武蔵こと新納忠元である
13人間七七四年:2012/06/20(水) 14:46:54.99 ID:DbwtBFYH
ネタの投下が始まってるのに乙とか邪魔なだけ
14人間七七四年:2012/06/20(水) 14:49:54.64 ID:yIPIr/Ri
>>9
臭いが無いのはうらやましい
秘伝の薬でも公開してくれ
15人間七七四年:2012/06/20(水) 14:51:57.77 ID:abXknDhf
>>14
肉を絶ちなされ
16人間七七四年:2012/06/20(水) 15:17:31.05 ID:YKSpc3r6
ねねと材木

イエズス会宣教師たちが大坂に教会を作るために材木を発注したところ、うち5本が大坂城の工事用として石田三成に差し押さえられてしまった。
秀吉は宣教師たちにこうした負役を免除していたので、宣教師たちは秀吉に訴えた。
秀吉は面倒くさそうに「この工事では大名たちにも負担させているのだから、材木5本くらいどうということはあるまい」と言った。
そこで北政所は「そういった事をすると殿下の南蛮における評判のためによろしくございません」と言った。
秀吉はこれを受け入れ、材木を返却させた。
17人間七七四年:2012/06/20(水) 16:23:43.70 ID:eOHVsVQ+
>>14
体臭?
メカブを毎日の食卓に取り入れるべし
18人間七七四年:2012/06/20(水) 16:27:55.60 ID:DHe3CoqY
>>16
南蛮人のウザさは遺伝子がいかんのか、
キリスト教がマズイのか。
両方だろうけど
19人間七七四年:2012/06/20(水) 18:11:18.08 ID:VAIjFSU7
今の岐阜県揖斐川町春日六合には、
「教如上人御清水潤いの水」と呼ばれる湧水が存在する。
この湧水は今から四百十二年前、教如上人が美濃で石田三成配下の兵に
追われていた時分に利用したことで知られている。
またこの際、狭い道を歩くため草鞋を脱いだ教如が石に足を突くとあら不思議、
何と石に足跡がくっきり残ったという。
そしてその石は御足跡石と呼ばれ下ヶ流遍光寺に現存している。

教如上人はこの一度の逃避行で
・辞世の句を記した鏡版
・「教如岩」と呼ばれる洞窟
・ゆかりの湧水
・足跡の残った岩
といったように、数々の「足跡」を現在に遺している。
逃げる東照大権現様にはさすがに及ばないものの、付近の民が
彼をそれだけ崇拝し縁を持ちたがった証拠といえるかもしれない。
20人間七七四年:2012/06/20(水) 18:45:56.88 ID:SnkS2fIP
東のカリスマ権現さま 西のカリスマ教如はん
21人間七七四年:2012/06/20(水) 19:45:54.98 ID:0kihgnuH
>>9
伊賀忍者は日本一有名になっちゃったよね。
22人間七七四年:2012/06/20(水) 20:17:51.21 ID:3mwhdrwn
「下のモン煽って一揆起こしたろけ?」て言いに行っただけで事蹟残っちゃうってなんだかなぁ
23人間七七四年:2012/06/20(水) 20:53:25.09 ID:Wh2E6vYr
それを言えるだけの影響力がある人が実際に行くのは大変だろうからねえ
24人間七七四年:2012/06/20(水) 22:44:19.63 ID:NvWFGong
現在の本願寺法主にはオウム事件を一言総括してほしいわ
25人間七七四年:2012/06/21(木) 00:04:53.42 ID:x3xjk6YB
>>24
連合赤軍風に?
26人間七七四年:2012/06/21(木) 12:05:40.74 ID:nS8qbTqT
オウムは表向き宗教問題なだけでいろいろ深すぎるからな・・・

話は変わるが管理人さん2〜3日更新できないって言ってるね
逸話たまってると編集も大変だろうから復帰するまでまったり行こう
27人間七七四年:2012/06/21(木) 14:32:34.43 ID:Ru2AXQFD
オウムを破防法でつぶそうとした時に反対したのが公明党(層化)だろ。
上層部が組織的にやったんだから潰せよと怒りに思ったの覚えてるw

昔はともかく今は宗教分離をキッチリ分けて欲しい。
公明党の党首が池田の使いっぱしりとかアリえん。
28人間七七四年:2012/06/21(木) 16:37:27.51 ID:6e7hrSJW
>>21
仕事がバレなきゃいいんだよ
ハットリくんもあんな顔してるが、
ケンイチ氏の知らないとこではなにやってるかわかったもんじゃないぞ
29人間七七四年:2012/06/21(木) 20:42:46.20 ID:8GMiVA+t
一所懸命の武士と傭兵の伊賀衆との違いかね
30人間七七四年:2012/06/22(金) 16:28:50.65 ID:nocSikKj
>>5
輿三丁でオレのところに来たよ・・・

褌一丁でオレのところに来たよ・・・」
に見えた俺はもうだめかもしれない
31人間七七四年:2012/06/22(金) 22:46:14.06 ID:glKi2lpD
>>27
政教分離なら分かるが
宗教分離ってなんだ?
ユダ教⇒キリスト教⇒イスラム教
みたいなもんか?

それとも日本仏教みたいな↓みたいな事か?
 密   教┬天 台 宗 ┬延暦寺(比叡山)
        |         ├園城寺(寺門派)
        |         └西教寺(真盛派)
        |
        └真 言 宗 ┬古義派┬金剛峯寺(高野山真言宗)
                   |      ├勧修寺(山階派)
                   |      ├泉涌寺(泉涌寺派)
                   |      ├東寺(東寺派)
                   |      ├仁和寺(御室派)
                   |      ├大覚寺(大覚寺派)
                   |      ├醍醐寺(醍醐寺派)
                   |      └善通寺(善通寺派)
                   └新義派┬長谷寺(豊山派)
                     ├智積院(智山派)
                     └根来寺(新義真言宗)

あと政教分離は「宗教家は政治に口を出すな」じゃなくて
「行政・司法・立法(国家機関)は宗教教義のみを国民に強制するな」って意味合いだぞ
例を言うと「12月25日はイエスキリストの誕生日だから祝日にし全国民で祝おう」とか
「牛は聖なる動物だから食べるのは禁止しよう」ってのが当たる
32人間七七四年:2012/06/23(土) 02:47:35.14 ID:Wimoc4cj
政教分離ねぇ。
要は公明党=創価ってのが良いのか悪いのかだろう。
選挙前になると住民票動かしたり
あのデッカイ建物の中で実は公明党の選挙活動してるとか
オウムをかばったり
そういうのがまことしやかに聞こえてくる。
公明党は日本のためじゃなくて創価のための政治をすると思われる。
少数野党ならスルーできるが、今は実際キャスティングボードを握っちゃってるからな。

公明党支持者の8割9割が創価の学会員ってのはまぁ異常だわな。
33人間七七四年:2012/06/23(土) 08:28:48.20 ID:586K6QHq
俺も間違って覚えてたんだが キャスティングボート
34人間七七四年:2012/06/23(土) 08:48:34.53 ID:KTKFoVTo
casting vote だからな。
シュミレーション、コミニュケーション、イマラチオとか、
そういうのよくある。
フィナボッチかフィボナッチかもよく分からなくなる。
35人間七七四年:2012/06/23(土) 09:24:15.87 ID:/Z9YzSVJ
気づいてないだけでいっぱいあるんだろうな
アタッシュケースとかナルシズムとかあまり指摘されないし
36人間七七四年:2012/06/23(土) 10:03:35.00 ID:9lER671k
外国人に通じない英語って存外あるみたいだからな
日本にいるとさっぱりだけどね
37人間七七四年:2012/06/23(土) 12:01:34.07 ID:gPmjTw30
>>32
>>公明党支持者の8割9割が創価の学会員

え?全員じゃないの?
38人間七七四年:2012/06/23(土) 12:13:06.36 ID:E+Y5tmlo
地元だからとかいう理由で訳も分からず入れてる奴がいるんだろうさ
有権者の意識なんてそんなもんよ

信長は比叡山焼いたけど、今悪名を轟かせて命を狙われてまでして宗教団体を潰そうとする政治家はいないだろうな
そもそもそんな強権を発揮できる体制じゃないし
信長も、やるんなら戦乱の世の今しかない、と思ったりしたんだろうか
39人間七七四年:2012/06/23(土) 12:33:52.52 ID:Q84WPWVB
信長は政教分離の理念で戦ったわけではないでしょ。
信長理想の統治モデルにその集団や思想が機能するかしないかって基準だと思う。
信長は超現実主義者であって、イデオロギー馬鹿ではない
40人間七七四年:2012/06/23(土) 12:45:55.68 ID:DfW/ZZA9
超現実主義者w
単純に敵対者かくまってせめて中立でいてくれって頼んだのに拒否されたからだろ
敵を倒しただけだよ
41人間七七四年:2012/06/23(土) 14:25:30.46 ID:wO8699qx
戦国時代の寺は
武装するは、
かってに田畑を私物化するは、
近所の農民をさらうは
近所の娘をさらうは
酒は飲むは
大名領主を無視して近所に課税するは・・・・

まあ、政教分離うんぬん以前に
「なくなればこれほどいいことはない」としか
思ってもらえない振る舞いしてたからね。

捕縛斬首焼却更地化なにされても文句はなかろう・・
42人間七七四年:2012/06/23(土) 14:59:38.81 ID:E+Y5tmlo
比叡山は前もって退去勧告を発してからの焼き討ちだったのに
腐敗した僧侶達が信長をナメて寺に篭っててやられたんだよな
巻き込まれた市民も僧侶に人間の盾にされた状態だったみたいだし
43人間七七四年:2012/06/23(土) 15:11:17.01 ID:6HtTLQ3l
いい加減スレ違いだということに気がついてくれないかな
44人間七七四年:2012/06/23(土) 15:16:39.01 ID:Q84WPWVB
中世日本には寺社勢力が武装するのはおかしいって概念がないからな
公家にしろ武家にしろ今みたいな警察力も発揮できなかっただろうし
45人間七七四年:2012/06/23(土) 15:19:01.81 ID:gutyuri8
>>43
創価の話題はスレ違いだけど比叡山の話題はありでしょ?
雑談はまとめにも収録されてるし
46人間七七四年:2012/06/23(土) 15:23:41.85 ID:wO8699qx
>>45
ID が ぐちゅり、だ。

比叡山があそこまでイカレたのはなんでなんだろうね。
47人間七七四年:2012/06/23(土) 15:32:20.99 ID:UEYSoFyL
最初は立派なもんでも、だいたいのもんは時間が経てば淀んで濁って腐ってグシャグシャですわ
48人間七七四年:2012/06/23(土) 15:34:34.34 ID:dUTd6hu7
比叡山は別にイカれちゃおらん。勅命和議があって朝倉・浅井が引いたら信長が即座に比叡山攻めただけの話。
そもそも所領の支配形態も比叡山など畿内の寺社のほうが「先進的」であり、信長の支配下は過大な軍役と重税で
疲弊していて、一般的な民衆からは信長の政権はほとんど支持されていなかった。

本願寺もそうだが、比叡山に関しても、信長に対して一般民衆レベルで支持を集めている勢力を信長が軍事力で潰した、
と見たほうが正しい。
49人間七七四年:2012/06/23(土) 15:55:01.20 ID:hRp8yU7W
僧兵は信長秀吉でほぼ一掃されたと思っていいのかな
信長に潰された一向宗と比叡山、秀吉に潰された高野山と紀伊の勢力はわかり易いけど
他の僧兵もってた勢力は秀吉政権下の大名が虱潰しに解体していったのかな
50人間七七四年:2012/06/23(土) 16:00:42.23 ID:Q84WPWVB
>>46
グチュリと潰れた後の八で末広がり
吉祥だと理解するわ(笑)

比叡山がイカレたというより、もとから寺社って僧兵という傭兵置いてるし、
現代からみると生臭寺なだけなんじゃないか?
織田信長と利害の合わない集団が戦っただけでしょ
51人間七七四年:2012/06/23(土) 18:10:53.53 ID:8k8uCprT
お山は親鸞の時代から権力に汚染されてたみたいだし、
この頃もやってることは仏教の人を救うという根本からずれてる希ガス
52人間七七四年:2012/06/23(土) 19:16:59.59 ID:gYWjqwiF
洋の東西を問わず、宗教が権力を持ち腐敗していたのが中世という時代でしょ。
53人間七七四年:2012/06/23(土) 19:41:32.48 ID:dUTd6hu7
そもそも中世の宗教勢力は腐敗していたのか、という部分を考えた方がいい。
そういう紋切り型の解釈(しかも手垢のついた共産主義の発展論的歴史観)じゃなくて。
54人間七七四年:2012/06/23(土) 19:55:36.76 ID:Q84WPWVB
オレも宗教勢力が自衛のために傭兵雇ってたことは別に腐ってるとも思わないな
銃刀法も全国にまたがる警察力もない時代に寺社勢力だけは丸腰でいろとか無理だろ
そもそも比叡山て反戦組織でも平和団体でもなかっただろ?(今の比叡山のことじゃないよ)
55人間七七四年:2012/06/23(土) 20:03:56.34 ID:dUTd6hu7
ついでに言うと「宗教」というものの捉え方自体現在と中世では全く違うし、叡山や本願寺などは
宗教団体であると同時に、一種の複合的権力組織である「権門」だったわけだしね。

例えば中世に発展し近世の地域自治の要となった「惣村」は、比叡山の荘園内で特に多く確認されている。
比叡山は近世社会形成の一翼を担った勢力だったと考えることもできるわけだ。
56人間七七四年:2012/06/23(土) 20:07:13.11 ID:4GDzCyS+
室町時代の京で最も安全で信頼できる金融機関は延暦寺だったそうな。
確実な取り立てと資本の防衛が出来る武力とネットワークがあったから。
京に約300軒あった金融業者のうち8割は延暦寺の資本だったとか。
さらに京の酒屋、米屋、油屋、そこに商品を供給する水運、馬借にも資本を出していた。

幕府や朝廷があの様なのに京が大都市として存在し続けたのは延暦寺のおかげ。
57人間七七四年:2012/06/23(土) 20:27:16.81 ID:hRp8yU7W
強訴は内容的にも私利私欲全開だからねえ・・・
強訴の多かった院政期は白河院の政治も酷かったし大寺院の僧兵もこんなだし
今から見ると酷い時代に思えてしまう
末法思想の流行りようを考えると当時の人達も絶望感強かったんじゃあるまいか
58人間七七四年:2012/06/23(土) 21:36:17.45 ID:Q84WPWVB
アレクサンドロス「わたしには希望がある!!」
庶民「わたしには南無阿弥陀仏がある!!」

人間は強い
59人間七七四年:2012/06/23(土) 22:18:37.46 ID:0Drf12UF
森某「だが骨は無い」
60人間七七四年:2012/06/24(日) 09:56:46.43 ID:F/V7u639
宗教団体だけじゃなくて商人も武装してた時代だしなぁ
ライバルの荷止めやったり、傭兵雇ったりして、その上に戦国大名とも癒着してるのもいた
腐敗というか生存競争の手段?
61人間七七四年:2012/06/24(日) 10:19:46.45 ID:xLgXEpF3
自衛のための兵力と経済体制?
これからは織田家が責任もって保護してやるから余分な権益はいらないよな?よこせ
ナニ嫌だ?じゃあ敵か?敵なんだな?じゃあつぶすぞ?いいんだな?

宗教関係無くて一勢力に対する対応は堺衆とかと同じな気がする、現実見てた境衆は屈したけど
62人間七七四年:2012/06/24(日) 11:11:43.58 ID:8pgh7s4d
あ〜織田信長殺してえ。なんとか信忠も殺してえ
63人間七七四年:2012/06/24(日) 11:40:23.42 ID:fid9Wp1y
>>62
日向国島津荘内中郷の領主乙
64人間七七四年:2012/06/24(日) 14:47:57.32 ID:u+6N2JM6
信長の「天下布武」ってなんだったのだろうか?
単純に日本を織田家の武力で統一するのか、
それとも日本の全てを武家文化で機能させるのか?
後者なら比叡山や本願寺の抵抗も、
京都での馬揃え、本能寺もより凄い意味を持ってくるよね
65人間七七四年:2012/06/24(日) 14:53:32.76 ID:26aRAo2S
>>64
当時の「天下」=室町将軍の影響範囲である畿内近国の事。日本全国のことではない。
天下布武は「混乱している将軍の支配領域を私の武力で静謐にします」くらいの意味。
66人間七七四年:2012/06/24(日) 15:13:01.79 ID:u+6N2JM6
>>65
と言う歴史学者もいるけど、京を押えているという限定的な意味で天下布武なのかって疑問がある。
天下布武が禅僧の沢彦から出た言葉ってのも禅僧が「天下」を限定的な意味で使うかな?と思うんだよね

ちなみに古語辞典で天下調べると、
@天の下に広がるすべての空間。全世界。また、この世。
Aその国全部。国中。
B全国土を支配すること。国を支配する権力・政治。
C江戸時代の将軍など、国の最高権力者。
D思いのままにふるまうこと。
E世間。世の中。世の人々。
67人間七七四年:2012/06/24(日) 15:13:48.99 ID:8pgh7s4d
>>64
岐阜の由来に周の文王だしといて
天下布武が武力で天下って意味はヘンじゃね?
68人間七七四年:2012/06/24(日) 15:14:01.30 ID:MvfOiOas
いつまでつこてたんやろか
69人間七七四年:2012/06/24(日) 15:15:03.61 ID:KtcYw5a2
>>65
初めはそうだった。将軍機能してないから取って代わるぐらい。
終盤は部下をはじめ全国支配になってんだろう。
織田のままでも朝鮮征伐までいった気がする。軍を止めるのは難しい。

織田の焼き討ちはいつも全悪のように描かれるからなぁ。
見た目的におもしろいからなんだろうけど、視角を変えたのもやってほしい。
70人間七七四年:2012/06/24(日) 15:15:51.56 ID:8pgh7s4d
七徳の武とかガセなのか?
71人間七七四年:2012/06/24(日) 15:23:11.43 ID:26aRAo2S
>>67
そもそも「岐阜」の地名も周の文王云々は後世のつくり話で、実際には信長以前から
あのあたりの禅寺で、稲葉山周辺を呼ぶのに使われていた、『長良川のほとり』を意味する言葉だった。
それを禅宗的教養に親しんでいた信長が採用したもの。
72人間七七四年:2012/06/24(日) 15:29:34.82 ID:u+6N2JM6
>>70
春秋左氏伝からなんだろうけど、
禅僧は天上天下唯我独尊の自己解釈が激しいし・・・
ただでさえ日本語って歌でもなんでも様々な意味含ませること出来るしな
73人間七七四年:2012/06/24(日) 15:44:32.81 ID:26aRAo2S
>>66
ただ、当時の常識で言えば「天下」といえば京都周辺くらいを指す言葉なのよ。

仮に信長に天下を日本全国とする意図があったとしても、世間は天下布武を見て常識的に、
信長は京都周辺を、具体的には義昭に反対する三好三人衆を討伐するんだな、というくらいにしか
受け取らないわけですよ。世間がそうなのに信長一人が日本全国のことだと思っていても、
それは意味が無いわけですね。

そもそも日本全国を意味するとすれば、信長は書状を出すたびに日本中の大名に
「あなた達はそのうち私が武力で潰します」と喧嘩を売っているに等しいわけで、
そんな無駄に敵を作る事を、いくら信長でもやるわけがない。

なので信長は少なくとも、世間が天下布武の天下を京都周辺位の事と考えていると認識していたし、
それを受容していた、と推測できるわけですね。
その証拠に、信長は上洛のあと京都の周りから三好三人衆を追い出すと、その時点で「天下静謐」を
宣言したりしましたし。
74人間七七四年:2012/06/24(日) 16:24:30.19 ID:u+6N2JM6
>>73
武家として畿内を押さえてることを天下人と言うのが共通の認識だっただけで、
「天下」という単語が即畿内を指していたわけではないでしょう?
75人間七七四年:2012/06/24(日) 16:36:45.96 ID:26aRAo2S
>>74
例えば、割合史料として信頼されている川角太閤記では、秀吉が小田原征伐から京に帰ってきた時
「上様天下へ御帰陣」と書いていたりする。
天下が地域の範囲として把握されていた事を表してると思うよ?
76人間七七四年:2012/06/24(日) 16:54:03.58 ID:u+6N2JM6
>>75
天下人の根拠地を天下と呼ぶのと同時に、
オレが古語辞典で引いた天下という意味も確実にあるでしょ?
ってことを言いたい。
アナタは「天下」という単語が当時は「畿内」のみを指していたと言ってるの?
「天下布武」の「天下」が「畿内」を指していたという主張ならわかるが、
天下即畿内ってのは当時でも違うでしょ
77人間七七四年:2012/06/24(日) 17:22:41.55 ID:cfWXMFj4
まあ、天下はひとつじゃないって事でいいんじゃない?
78人間七七四年:2012/06/24(日) 18:04:56.20 ID:xLgXEpF3
饅頭を三つに割ればいいんだな
79人間七七四年:2012/06/24(日) 18:17:19.58 ID:XlXEwLQX
狭義の意味での天下と、広義の意味での天下、2つ意味があるんだろ
どっちか一方だけに決め付けなきゃいい
80人間七七四年:2012/06/24(日) 18:21:40.07 ID:3vvFVi5U
"天下"の"天"が何を(誰を)指してるか考えれば答えは簡単だろ。
81人間七七四年:2012/06/24(日) 18:23:02.74 ID:WV4MKx/e
天庵…いやなんでもない
82人間七七四年:2012/06/24(日) 18:26:11.47 ID:DJqQQ3PP
だいたい全国のことは「日本六十余州」とか「六十余州」って言われてるね。

天下って「天皇の下」って意味じゃなかったのかな?
だから畿内限定になっちゃったとか。
83人間七七四年:2012/06/24(日) 18:27:14.46 ID:dkLkoNgC
でもなあ、畿内といっても摂津は最後近くまで掌握しきれなかったんじゃないか?
大和も時間がかかってる
84人間七七四年:2012/06/24(日) 18:31:17.76 ID:XlXEwLQX
紀伊も最後近くまで
85人間七七四年:2012/06/24(日) 18:40:46.86 ID:uFw888tO
天下の「天」が天皇指してるなんてあったのか?
天皇を儒教の「天」にこじつけだすのは幕末の国学者くらいからだろ
86人間七七四年:2012/06/24(日) 18:44:58.78 ID:2998xCUq
紀伊を実質的に支配できたのは本能寺後に秀吉が制圧してからじゃない?
当時の意識で高野山より南を機内と認識していたかというと微妙なような気もするけど
87人間七七四年:2012/06/24(日) 18:49:06.59 ID:DJqQQ3PP
畿内=五畿内のことだから山城国、摂津国、河内国、和泉国、大和国に該当する。
いわゆる京阪奈ってことだね。
88人間七七四年:2012/06/24(日) 19:06:40.36 ID:2998xCUq
ああ、そういえばそうだった
でもつい機内=近畿って考えてしまう
89人間七七四年:2012/06/24(日) 20:20:12.48 ID:ei++JYwN
意訳:これは手遅れですわ
90人間七七四年:2012/06/24(日) 20:21:08.91 ID:ei++JYwN
ごめん、誤爆
91人間七七四年:2012/06/24(日) 21:00:41.28 ID:L7BEoLx5
>>90
忠興「もう手遅れですわ(意訳:36人目です)」
92人間七七四年:2012/06/24(日) 21:02:47.21 ID:KNx+oA6x
>>90
長可「もう手遅れですわ(対岸の一揆衆を掃除中)」
93人間七七四年:2012/06/24(日) 21:06:17.09 ID:isvpIpSG
>>90
一豊「もう手遅れですわ(相撲大会実施中)」
94人間七七四年:2012/06/24(日) 21:14:39.69 ID:PCMdbXAz
>>90
直家「もう手遅れですわ(そのお茶飲んだのなら)」
95人間七七四年:2012/06/24(日) 21:16:19.61 ID:2998xCUq
如水「長政よ、もう手遅れだ(お前の左手は何してたんだ)」
96人間七七四年:2012/06/24(日) 21:17:28.28 ID:8pgh7s4d
>>90
一益『もう手遅れですわ(清洲会議)』
97人間七七四年:2012/06/24(日) 21:20:49.71 ID:PCMdbXAz
>>90
久秀「もう手遅れですわ(意訳:君も一緒に木っ端微塵です)」
98人間七七四年:2012/06/24(日) 21:33:29.08 ID:KNx+oA6x
長益「もう手遅れですわ(切腹しとけ、俺は生き延びるけどね!)」
99人間七七四年:2012/06/24(日) 21:36:56.08 ID:9MqWAdn9
>>90
九鬼守隆「もう手遅れですわ(嘉隆切腹)」
100人間七七四年:2012/06/24(日) 21:49:12.24 ID:DJqQQ3PP
元就「もう手遅れですわ(うっそで〜〜す!戦闘準備!戦闘準備!)」
101人間七七四年:2012/06/24(日) 22:03:27.95 ID:2bQdFUfL
(´・ω・`)「梵天・・・」
102人間七七四年:2012/06/24(日) 22:11:14.87 ID:L7BEoLx5
義昭「まだ手遅れじゃない、まだまだ(於 天正十四年)」
103人間七七四年:2012/06/24(日) 22:18:44.21 ID:zf7Fgzes
秀忠「もう手遅れですわ(中山道にて)」
104人間七七四年:2012/06/24(日) 22:45:52.73 ID:G4W9ko1k
信長「もう手遅れですわ(本能寺にて)」
105人間七七四年:2012/06/24(日) 23:02:24.62 ID:u4KHU94P
菅谷「殿もう手遅れです。藤沢に引きましょう」
106人間七七四年:2012/06/25(月) 10:51:52.31 ID:Wsnr87z4
蒲生っておくれですわ(蒲生氏郷)
107人間七七四年:2012/06/25(月) 14:41:31.98 ID:9OpKfu3I
三成「もう手遅れですわ(裏切り続出)」
108人間七七四年:2012/06/25(月) 16:25:30.39 ID:qJDtjjQY
家康「もう手遅れですわ(焼き味噌)」
109人間七七四年:2012/06/25(月) 16:37:18.49 ID:1B8sxJ+d
光秀「もう手遅れですわ(信長への引導的な意味で)」
110人間七七四年:2012/06/25(月) 17:51:49.93 ID:I5042gq4
今スレもう1000までこれでイケよ(笑)
管理人さんも毎日大変だろうし
111人間七七四年:2012/06/25(月) 18:27:53.93 ID:+eCRuhDv
内ヶ島「もう手遅れですわ」
112人間七七四年:2012/06/25(月) 18:49:28.38 ID:Wsnr87z4
島津・加藤『もう手ぐすねですわ』(宗茂へのラブコール)
113人間七七四年:2012/06/25(月) 18:50:16.61 ID:bKPjUPGr
且元「もう手遅れですわ(方広寺鐘銘事件)」
114人間七七四年:2012/06/25(月) 18:58:46.66 ID:iVnGGrGo
特にこれといった逸話が紹介されてないのに悪い話スレを一周遅れにしそうw
115人間七七四年:2012/06/25(月) 19:04:29.87 ID:YnBikQWY
輝元「(人妻誘拐の件)ごめんなさい」
隆景「もう手遅れですわ(鉄拳制裁決定!)」
116人間七七四年:2012/06/25(月) 19:07:14.13 ID:boJI4vlX
元康・宗茂「もう手遅れですわ(大津城で足止め)」
117人間七七四年:2012/06/25(月) 20:51:20.66 ID:XSPdJ4UF
なんだこの流れはw
118人間七七四年:2012/06/25(月) 21:25:50.81 ID:EQh3PZnK
もう手遅れですわ(流れを指摘するには)
119人間七七四年:2012/06/25(月) 21:56:42.48 ID:Wsnr87z4
安西光義『もう手遅れですわ』
120人間七七四年:2012/06/25(月) 22:29:28.53 ID:jHFxV7Ob
誰かと思ったら安西先生かw
121人間七七四年:2012/06/25(月) 23:44:18.84 ID:9OpKfu3I
義政「もう手遅れですわ(京の都)」
秀次「もう手遅れですわ(切腹寸前)」


義姫「(政宗に向って)もう手遅れですわ…」
政宗「(薬を飲んで)まだだ、まだ終わらんよ!」
小次郎「もう手遅・・・ぐふっ!」
122人間七七四年:2012/06/26(火) 00:00:39.89 ID:hXV0Xb2J
いい加減この流れに秋田城介
123人間七七四年:2012/06/26(火) 00:40:49.65 ID:fS2uzXJp
長篠の戦の時、鳶ヶ巣山砦を奇襲する一軍は疲れていた。
そこで、酒井忠次は考えた末、

「踊って紛らわせればよいのじゃ!」

ということになり、松平又七、松平又八の二人とともに「井杭」の狂言を演じて兵の疲れを紛らわしたそうだ。

なお、この松平×2はどちらも「松平家忠」という名前である。
又七が形原松平氏、又八が深溝松平氏で、日記職人は深溝の方。
124人間七七四年:2012/06/26(火) 00:42:54.95 ID:fS2uzXJp
ちなみに又八家忠はこれが初陣で、父伊忠とともに武田勢に突撃しようとしたが、
「お前も一緒に死んでは家が残らない。それでは忠義にならない。生命を全うして主家に尽くせ」
と言い残し、武田勢に突撃して討ち死にしたそうだ。

長篠の戦いにおける松平家忠の話でした。
125人間七七四年:2012/06/26(火) 00:50:22.57 ID:fS2uzXJp
↑訂正。言い残したのは伊忠。申し訳ないorz
126人間七七四年:2012/06/26(火) 00:59:24.00 ID:EPc2kKnn
お前は生き残れって言って実際死んじゃうのか
127人間七七四年:2012/06/26(火) 01:23:19.10 ID:pr+8WZq9
踊るって言うからてっきりebisukuiかと
128人間七七四年:2012/06/26(火) 01:26:22.19 ID:SASjBcuC
>>122
もう手遅れですわ
129人間七七四年:2012/06/26(火) 16:11:32.50 ID:PWbTNTWN
「尾張兵=強い」説

信玄「信長は小身の頃は三河・遠江・駿河の強兵を要する今川義元を全く攻める事ができなかった。
    ところが義元の油断によりこれを討ち取ってからというもの、尾張を平定し、隣国の美濃も七年をかけてこれを切り取った。
    それというのも、上方気質の弱兵ばかりたった信長の軍兵が、今川の東国武士と渡り合って鍛えられたからこそである」



                    by 甲 陽 軍 鑑
130人間七七四年:2012/06/26(火) 16:55:11.39 ID:OZnbw4w/
織田厨歓喜w
131人間七七四年:2012/06/26(火) 17:42:41.15 ID:Vbq5sSgW
強将のもとに弱兵なし
132人間七七四年:2012/06/26(火) 17:58:12.64 ID:bQV1ps4c
関東のおだ(小田)さんも「強将のもとに弱兵なし 」
133人間七七四年:2012/06/26(火) 19:20:48.61 ID:8fFIMdFh
尾張兵はむしろ美濃兵に鍛えられてないか?
134人間七七四年:2012/06/26(火) 19:45:29.23 ID:uNyv+qFC
それをいうなら今川軍じゃなくて三河の松平軍に鍛えられたと思う
135人間七七四年:2012/06/26(火) 20:01:23.77 ID:Vbq5sSgW
織徳同盟時代に尾張兵と三河兵で喧嘩ならなかったのかな?
尾張兵と近江兵みたいに
136人間七七四年:2012/06/26(火) 20:16:35.82 ID:8FV9WQRU
>>135
信長の上洛戦の時、山城に入ってから大略奪大会が始まって、織田軍と徳川からの援軍が略奪品をめぐって
争いになり、少数の徳川軍に織田軍が蹴散らされて、織田軍の連中が信長に泣きつきに行ったら逆に
信長に叱られた、って話があったな。
137人間七七四年:2012/06/26(火) 20:17:02.38 ID:uNyv+qFC
終わり兵の3倍強い三河兵
138人間七七四年:2012/06/26(火) 20:27:39.41 ID:Vbq5sSgW
>>136
あったのかw
まあ、三河は全国区でもトップレベルの強兵だから仕方ない
139人間七七四年:2012/06/26(火) 20:28:58.67 ID:wOCCGGGh
貧乏だから強い…のならば最強は飛騨あたりなのだろうかw
140人間七七四年:2012/06/26(火) 20:41:59.88 ID:8fFIMdFh
>>137
まあそれは立花兵に対抗して作られた江戸期の創作の可能性大ですけどね
3倍の基準が全くないし
141人間七七四年:2012/06/26(火) 20:50:24.70 ID:iJQFR9O9
強兵というと薩摩・大隅・土佐・三河・甲斐・越後あたりか
142人間七七四年:2012/06/26(火) 20:51:28.93 ID:xaPAhqyY
信じてもらえないが、関東も一応強兵・・・
143人間七七四年:2012/06/26(火) 20:51:43.65 ID:xWkrbI/h
>>141
辺境の土地の兵は強いよね

近江兵も強くなかったけ?
144人間七七四年:2012/06/26(火) 20:55:52.62 ID:Vbq5sSgW
>>141
今でもヤンキーが強そうな土地なとこが笑える
145人間七七四年:2012/06/26(火) 21:06:57.32 ID:HY0CmJA3
名古屋第三師団と高田第十三師団は昭和天皇の信頼厚く、
シナ戦線の作戦で「3と13がいるなら大丈夫だね」
と言われたとか。
近代では尾張兵は強かったようだ。
ちなみに三河は豊橋第十五師団。
146人間七七四年:2012/06/26(火) 21:08:26.37 ID:8e/o61JS
辺境といえば日本のロンダルキア甲斐
147人間七七四年:2012/06/26(火) 21:10:03.48 ID:YR9GOeD6
上方ってだけで弱いと言われた八連隊..…
148人間七七四年:2012/06/26(火) 21:44:22.45 ID:Vbq5sSgW
そう落ち込むな大阪
河内源氏に楠木悪党も強いじゃん
なにより石山本願寺最強だし
149人間七七四年:2012/06/26(火) 21:50:57.75 ID:OKX/x9hx
対武田とか対北条見る限りでは三河兵は特筆するほど強いとは思えないんだよなあ
もちろん弱くはないけど
姉川で徹底的に名前を売ったという印象がある
150人間七七四年:2012/06/26(火) 21:54:06.41 ID:C2s0Bf4k
武田と戦っていた時はまだ小大名で兵の規模が違かったからな
151人間七七四年:2012/06/26(火) 22:00:24.00 ID:WsNjgq8D
>>139 エチオピア人みたいで長距離の行軍とかに強そうだぞ、飛騨兵。
隣国の美濃や越中にすら4桁での動員は無理だろうけど。
武田の飛騨遠征時はあまり戦ってないのかな?
小説なんかだと、少数精鋭の飛騨忍軍ってたまに見るね。
152人間七七四年:2012/06/26(火) 22:04:21.11 ID:8e/o61JS
安房峠越えて飛騨に攻め込んだ山県なんか最強だろ 
153人間七七四年:2012/06/26(火) 22:12:50.10 ID:Vbq5sSgW
>>149
武田が席巻してる時代から、
三河兵はやられる時も前のめりに死ぬという評価されてるぞ
154人間七七四年:2012/06/26(火) 22:14:29.26 ID:xaPAhqyY
それは強いか弱いかの評価じゃないだろ
武士として見事かどうかだ
155人間七七四年:2012/06/26(火) 22:25:31.35 ID:F9iZz8Wh
ぶっちゃけ後ろから討たれてもみんな前のめりに倒れるよね。
後ろのめりに倒れるほうが良くないか?
156人間七七四年:2012/06/26(火) 22:29:41.11 ID:tzB0u9t/
あれ、仰向けで倒れている者は足を、うつ伏せで倒れている者は頭を、武田に向けていたんじゃなかったか
ところで、この出典って甲陽軍鑑だったっけ
157人間七七四年:2012/06/26(火) 22:30:53.86 ID:Vbq5sSgW
当時の人間が前のめりに死ぬことを評価しているのを、
パソコンの前の思いつきで覆すのはよくないと思うよ
これはさすがに
158人間七七四年:2012/06/26(火) 22:38:59.44 ID:T62TSFxF
>>149
対北条、
天正壬午の乱でも小田原征伐でも、圧倒的じゃん。
北条兵が弱すぎるというのもあるがw
159人間七七四年:2012/06/26(火) 22:52:06.63 ID:8e/o61JS
黒駒合戦は見事だね しかも家康が率いて無くても勝ちまくるんだから
家康が率いた軍は相当強かったろうね
160人間七七四年:2012/06/26(火) 23:21:49.03 ID:T4h89CuK
>>158
前者は前線指揮官の采配と家康の判断で上野と相模からの挟み撃ちをしのいだことを言ってるのか?
黒駒合戦くらいしか直接衝突してなくない? あとは寝返りばっかり。
後者については山中城攻囲の一翼として落城に貢献した後、早々と小田原に着いたくらいでは?

上杉、武田、佐竹あたりなら対北条の戦果で比較できるんが
161人間七七四年:2012/06/26(火) 23:33:06.61 ID:pr+8WZq9
結論:勝った方が強い
162人間七七四年:2012/06/27(水) 00:17:54.20 ID:rxBlBHxV
>>159
そういう工作は別スレでやっとくれ
163人間七七四年:2012/06/27(水) 00:27:59.88 ID:s3GWM0pb
意味不明なレスは別スレでやってくれ
164人間七七四年:2012/06/27(水) 00:57:24.36 ID:d6xIBFn0
お腹すいて寝れないんですけど…
165人間七七四年:2012/06/27(水) 01:09:15.93 ID:cOiRsS2g
いい話か悪い話か微妙だが、とりあえずこっちに投稿。

大坂落城の日、大坂方の将堀田図書助は深手を負い、城内に引き返した。
これは主君豊臣秀頼の御供をするためであったらしい。

ところが途中で加賀前田家の軍勢が殺到し、そのうちの1人と槍を合わせることとなった。
深手を負った図書助は勝てるわけもなく、あっさり負けてしまう。
166人間七七四年:2012/06/27(水) 01:12:28.10 ID:cOiRsS2g
と、その時、相手から突然「名を名乗れ」と言われた。
せめて相手の名前だけでも聞いておこうという意図だったのかもしれない。
図書助は「堀田図書助」と答えた。

すると、相手はとたんに槍をおろしたのであった。
167人間七七四年:2012/06/27(水) 01:15:33.78 ID:cOiRsS2g
槍を下した相手は、図書助に向かって、
「おお、貴殿が我がいとこの堀田図書助殿か」と言ったのである。

なんと、相手は図書助のいとこの堀田与右衛門であった。
これまでは互いに文通をしていただけであり、実際に顔を合わせたことは今までなかったのである。
168人間七七四年:2012/06/27(水) 01:18:09.50 ID:cOiRsS2g
それを聞いた図書助は笑って、
「さて、縁者の手にかかって死ぬのは幸いである。首を取られよ」
と言い、そこにどっかりと胡坐をかいて座った。

与右衛門は助けたいと思ったものの、図書助の傷を見て泣く泣く首を打ったのであった。
169人間七七四年:2012/06/27(水) 02:03:19.23 ID:zVr+6kbs
と、図書助(´・ω・`)
170人間七七四年:2012/06/27(水) 22:46:43.28 ID:ZTilXqH+
既出の話だが(ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-516.html)、別バージョンを見つけたので初投稿。

ある日、連歌を学び始めたばかりの秀吉がこんな歌を詠んだ。

『奥山に 紅葉を分けて 鳴く蛍』

百人一首にも収録されている『奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の…』という歌をふまえたものだったが、
夏の「蛍」と秋の「紅葉」を組み合わせるのはおかしく、何より蛍は鳴いたりしない。
単に秀吉が知らなかったのかもしれないし、奇抜な歌を詠んでみたかっただけかもしれない。
その場には里村紹巴と細川幽斎がおり、紹巴は「蛍は鳴きません」と秀吉の間違いを指摘した。

不機嫌になりかけた秀吉だったが、そこへ幽斎がこう言って場をおさめた。
「蛍というものも、場所によっては鳴くことがあるようです。何という歌集だったか、
『武蔵野の 篠をつかねて 降る雨に 蛍よりほか 鳴く虫もなし』という歌がありました」

後で紹巴は、「あれは何という歌集に載っている歌なのか」と幽斎に尋ねた。すると幽斎は、
「あなたの首をつなげるために、私が創作したのです。以後はむやみに殿下に逆らわぬよう」と紹巴を諭した。


後日、秀吉は紹巴の前で

『谷かげに 鬼百合咲きて 首ぐなり』

と詠んだが、紹巴は「神妙な句です」と誉めたという。秀吉は、
「蛍は鳴かぬが、鬼百合は“ぐなり”とするか?」と紹巴に聞いた(やはり蛍の歌は知っていて詠んだのかも)。
紹巴は、「慈鎮和尚が『まくずが原に 風騒ぐなり』と詠んでいます」と答えた。
「騒ぐ」+「なり」なので「ぐなり」ではないのだが、秀吉が機嫌を損ねることはなかったという。

相変わらず抜け目ない幽斎さんと、反省した紹巴さんのいい(?)話。

「戦国武将の歌」という本で読んだ話で、出典は『続近世畸人伝』とのこと。
しかし、秀吉の歌のセンスは江戸時代の川柳や狂歌を先取りしているような気がしてならない…
171人間七七四年:2012/06/27(水) 23:09:15.84 ID:n7KUUKt0
本能寺の後に謀反を疑われたり、秀次事件で連座されたりして
何となく紹巴と秀吉は反りが合わなさそう
172人間七七四年:2012/06/27(水) 23:12:41.05 ID:HK80yfd3
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2974.html
この落語だと、公家の間で歌を詠むことになった秀吉が
「奥山に紅葉ふみわけなく蛍」
と詠んでしまい、貴族から笑われるが、曽呂利新左衛門に幽斎と同じアドバイスを貰い、
(万葉集に載っているってことされている)
「しかともみえず、須磨の関守」と呼んで公家から賞賛された、てことに

173人間七七四年:2012/06/27(水) 23:43:20.38 ID:3mbelIJx
>>170
「首ぐなり」ってどんな意味?
174人間七七四年:2012/06/27(水) 23:50:51.37 ID:pYkxG7xv
正解は三条河原で!
175人間七七四年:2012/06/28(木) 01:14:31.20 ID:w2Mmfbqh
> 「首ぐなり」ってどんな意味?

もし訪ねていたら

秀吉「お前の首をそうしてやろう」...
176人間七七四年:2012/06/28(木) 01:22:56.49 ID:DFjGMWq7
蛍って鳴かないんだ…
177人間七七四年:2012/06/28(木) 01:31:00.59 ID:1kIJMIjL
恋に焦がれて 鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が 身を焦がす〜
178人間七七四年:2012/06/28(木) 08:42:16.81 ID:VthakbDF
>ぐなり
ぐにゃり?
179人間七七四年:2012/06/28(木) 11:24:02.60 ID:FiPbTtRk
>>176
蛍鳴かないよ!
鳴かないから、ぴかぴか光って
アピールに務めるんだよ!

それにつけても幽斎先生は如才ねえなあ
180人間七七四年:2012/06/28(木) 18:01:56.10 ID:0E5TL1ZN
紹巴懲りて、首繋ぐなり
181人間七七四年:2012/06/28(木) 18:11:16.25 ID:to5ZHlta
歌詠みなら風物だけではなくて人物の機微にも敏くなくては
182人間七七四年:2012/06/28(木) 20:10:24.81 ID:F1QoftM/
北条氏長殿が江戸で流行っていた人相占いを呼んで、
門弟たちの一人一人、剛胆か臆病かと人相を見てもらった。

北条氏長
「剛と言われた者は今以上に武士の道に励め。
臆病と言われた者は命懸けで武士の道に励め。
臆病と言われたからとて生まれつきの人相であるから少しも恥ではないぞ」

と言い順番に一人一人見てもらっていたとき、
広瀬伝左衛門(12歳)の順番になった。
伝左衛門は人相占いの前に坐ると、声をいからせ、

広瀬伝左衛門
「おのれ、俺を臆病の人相などと判断したなら、一刀に斬り捨ててくれる」

と言ったとのことである


葉隠より
183人間七七四年:2012/06/28(木) 20:23:37.00 ID:f7oesujV
人相占い「あ、あなたは豪胆の相です」
広瀬「この人相占いの相をご覧あれ!これこそ臆病の相でございます」
184人間七七四年:2012/06/28(木) 20:30:55.67 ID:DdCRKXiK
広瀬さんダウトです。
185人間七七四年:2012/06/28(木) 20:33:12.68 ID:A9vrUOyH
>>182
その言葉を聞いて震え上がった占い師だが、
「あなたは臆病の人相でございます」
と、正直に言ったという

これをきいた広瀬伝左衛門、庭に躍り出て庭師を瞬く間に斬り捨ててしまった

後の細川越中守である
186人間七七四年:2012/06/28(木) 20:41:44.42 ID:0E5TL1ZN
>>182
人相占い『ひとつだけ聞こう、北斗七星の横にある星を貴様は見た事があるか?』
187人間七七四年:2012/06/28(木) 21:21:35.52 ID:WCV4SA70
無理にボケる必要はないですから…
188人間七七四年:2012/06/28(木) 23:49:42.09 ID:4s59c1jM
斎藤利宗、波乱?の人生

斎藤利宗という、ちょっとマイナーな武将の紹介。

といっても、お父さんは有名です・・・

あの「斎藤利三」です。
189人間七七四年:2012/06/28(木) 23:56:32.88 ID:4s59c1jM
彼は光秀の謀反に加担し、山崎の戦いで高山右近と戦うも、敗れて畿内に潜伏した。
そののち光秀に加担したとして捕えられ、細川忠興に預けられることとなった。

だが、その後、同族の斎藤兵部入道以密に訴えられ、北野天満宮で神意を問うことになった。
その方法とは・・・熱く熱した鉄を持ち、その火傷具合で非があるかないかを見極めるというものである。
190人間七七四年:2012/06/28(木) 23:58:36.04 ID:4s59c1jM
この結果は利宗の勝利に終わり、今度は稲葉一鉄に預けられることとなった。
その後の彼は小牧の戦いに従軍して活躍し、朝鮮の役では加藤清正に属して活躍。
役後そのまま清正に仕え、5000石で召し抱えられたのであった。

順調にいけば加藤家の重臣になったのだが・・・
191人間七七四年:2012/06/29(金) 00:04:25.51 ID:Z2hCvOqw
しかし、清正の死後、加藤家は分裂してしまう。

そう、「馬方・牛方騒動」である

利宗はこれに直接かかわっていなかったものの、勢力を伸ばした加藤右馬允正方と対立し、ついに加藤家を飛び出してしまったのであった。
192人間七七四年:2012/06/29(金) 00:08:14.13 ID:Z2hCvOqw
しかし、利宗は幸運だった。
妹が於福=春日局であったからである。

そのつてを頼ったかは定かではないが、5000石で家光に召しだされ、幕府につかえることになった。
193人間七七四年:2012/06/29(金) 00:13:15.00 ID:Z2hCvOqw
その後、前半の流転人生がウソだったかのように安定した生活を送ることとなった。

元主家である加藤家の改易の際には、土井利勝、ダブル酒井忠勝、同忠世に混じって密議に加わっている。
その密議ののち、甥の稲葉正勝が城受取に加えられている。
194人間七七四年:2012/06/29(金) 00:17:52.54 ID:Z2hCvOqw
越後の堀家が改易になった際には、城受取の役を務めている。

そして正保4年5月4日、81歳でこの世を去ったのであった。
なお、名乗りは伊豆守だったが、のち佐渡守に改めている。
195人間七七四年:2012/06/29(金) 00:21:04.88 ID:Z2hCvOqw
そんな彼だが、最後に小ネタを一つ。

出版された『寛政重修諸家譜』では、宗利(としむね、とルビがある)と誤表記されてしまっている。
原本はどうなんだろう・・・?

細切れで読みづらくてすみませんorz
196人間七七四年:2012/06/29(金) 03:04:12.71 ID:p3bJYqM8
火起請て勝ち負けによらず下手すりゃ手が使い物にならなくなったらしいがその辺は大丈夫だったんだな
197人間七七四年:2012/06/29(金) 09:18:04.07 ID:M2bMXRSn
そんな危険なものに挑んだのかノブと作左…
198人間七七四年:2012/06/29(金) 09:38:07.07 ID:7uclrbgO
あれって、なにかトリックがあった気がしたけど
199人間七七四年:2012/06/29(金) 10:57:43.12 ID:HGN8hn2A
清正さんとかだと平然とやりそうだ
200人間七七四年:2012/06/29(金) 11:26:05.59 ID:JDqW3Uy+
地味加藤さんならうっかりで火起請みたいなことやっちゃってたな
201人間七七四年:2012/06/29(金) 17:46:41.73 ID:Q+zzDcuz
>>183>>185
このスレ初めて見た人が信じるからヤメれw
202人間七七四年:2012/07/01(日) 02:22:35.11 ID:lC+a+hxf
福島の固定カメラに黄色い閃光が映ってる。
ttp://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=OMpZ-yYxMY0
炎でもなくライトでもない。なんだこれ。
203人間七七四年:2012/07/01(日) 10:50:09.24 ID:XmckbJEX
あつちには何があるんんだろう?
源ハチからは離れてるようだけど
204人間七七四年:2012/07/01(日) 11:25:07.38 ID:yxhD5vKi
>>201
>>183が実話だと思ったw
205人間七七四年:2012/07/01(日) 12:00:57.32 ID:vddH01V5
安土には何があるんだろう
源八(源八郎為朝?)からは離れているようだけど

どういう意味だろう
206人間七七四年:2012/07/01(日) 13:32:42.99 ID:hcC8H0Ai
>>204
たしかに>>183は占い師が一本とられた話として面白いw
207人間七七四年:2012/07/01(日) 14:12:19.25 ID:Jp8Ke8at
>>182だけだと尻切れトンボでオチてない、4コマ漫画の3コマ目で終わってる感じだもんな
まあそもそもがエンタメ目的で書かれたもんじゃないというのもあるけど、当時の感覚では
広瀬の台詞のインパクトで十分オチになってたのかもしれない
208人間七七四年:2012/07/01(日) 20:08:47.66 ID:5Gdm1uI+
大道寺友山とか山鹿素行あたりも門弟だったみたいだな
209人間七七四年:2012/07/01(日) 20:14:20.87 ID:6G2dhB3w
本当に剛胆なら、人相をどう評されようと構わないはず
弱い犬ほど良くほえるってのが広瀬にはぴったり
210人間七七四年:2012/07/01(日) 20:52:32.89 ID:hcC8H0Ai
弱い犬が吠えなかったらイジメられっ子になってしまうではないか。
武士は強さや剣の技術ではなく、心意気こそが大事という考え方の常朝さんは、
広瀬少年の気迫を好ましく思ったのだろうね

ちなみに広瀬さんは弱い犬ではないぞ
211人間七七四年:2012/07/01(日) 20:58:34.83 ID:oW6lHdsL
しかし結果として広瀬さんは師匠の顔を潰してないか?
212人間七七四年:2012/07/01(日) 21:00:12.15 ID:O0ESjtZT
12歳の少年がやったならかわいいもんだろう。
213人間七七四年:2012/07/01(日) 21:05:40.24 ID:hcC8H0Ai
>>211
思春期って現代でも喧嘩の強さとか気になる年齢だし、まして武士だからね
人相見に公開で門弟鑑定させる氏長さんの配慮が足らないような気もするw
214人間七七四年:2012/07/02(月) 12:17:29.13 ID:t4i/ojDP
三河武士には最初からやらんだろうな。絶対面倒なことになるからw
215人間七七四年:2012/07/02(月) 16:48:14.35 ID:tGONjg9K
信長「そんなことより相撲やろうぜ!」
216人間七七四年:2012/07/02(月) 17:08:24.78 ID:pAZgF9/v
では早速山内一豊殿に支度を…
217人間七七四年:2012/07/02(月) 17:26:25.58 ID:t4i/ojDP
(´・ω・`)「相撲、楽しそうだね」
(^-^)「殿、見るだけにしといてくださいよ」
218人間七七四年:2012/07/02(月) 22:37:19.22 ID:ahYKAU7E
松平忠直の家臣の馬場三郎兵衛は息子とともに大阪冬の陣に参加したが、
敵の陣に突撃して討ち死にしてしまった。すぐそばで父の戦死を目の当たりにした
息子は走り寄って、遺体を肩にかついで、戦場から撤退しようとした。
219人間七七四年:2012/07/02(月) 22:40:21.13 ID:ahYKAU7E
>>218の続き
銃弾の飛び交う中を6〜7間ほどさがった時、息子はふと「これでは父親を
盾にして引きあげるようではないか。心得のある武士のすることではない」と
考えて、自分の家来に遺体となった父を囲ませて、敵の銃弾が当たらぬように気を配った。
220人間七七四年:2012/07/02(月) 23:10:10.08 ID:bO8stOcc
大阪冬の陣って事は下手すると初陣か・・・立派すぎる
しかし父としては自分を盾にしていいから生還してほしいと願いそうな気も
221人間七七四年:2012/07/02(月) 23:30:17.93 ID:41/r/Fye
政宗「父を盾にする奴は父と一緒に撃ち殺してしまえ!」
222人間七七四年:2012/07/02(月) 23:49:28.66 ID:pAZgF9/v
家来を遺体の盾にする分にはいいのね…
223人間七七四年:2012/07/03(火) 00:03:30.79 ID:HU9wdxzM
言われてみればw
部隊を率いる者としては一人前とは言えないなw
224人間七七四年:2012/07/03(火) 00:04:15.19 ID:IDaq8dwx
主君の遺骸を守るとか真の忠臣じゃないですか
225人間七七四年:2012/07/03(火) 00:40:45.54 ID:wIlRQ0aT
>>222
人は城、人は石垣、人は濠
盾に使って何が悪い(´・ω・`)
226人間七七四年:2012/07/03(火) 03:14:23.18 ID:8jTMfKbX
>>225
それはどこの人海戦術軍かと。
地雷原?そんなの兵士を散開させて進ませればいーじゃん、ていう考えは北の大国では今も健在なのだろうか…。
227人間七七四年:2012/07/03(火) 03:42:12.05 ID:IUnFH5m1
>>225
「疾き事屁の如く 徐かなる事屁の如く 侵略する事屁の如く 動かざる事屁の如し」

旗印にどうぞ
228人間七七四年:2012/07/03(火) 03:51:52.32 ID:Zxzeslwz
>>226
シベリアのスッカスカぶりに焦ってるらしいから、やんねーんじゃないな
その下の国(除くモンゴル)は、やりかねないけど
229人間七七四年:2012/07/03(火) 12:57:51.83 ID:8jTMfKbX
>>228
下の国も一人っ子政策の影響で兵士が跡取りばっかでうっかり死なせられないって嘆いてるって聞いたな。
その割りにどっちの大国も人命軽視なエピに事欠かないような気もするが(汗
230人間七七四年:2012/07/03(火) 13:28:04.70 ID:sEZ18WdI
共産主義っていうのはいろんなものを停滞させるのかな?
両国とも結局は資本主義、自由経済に飲み込まれたけど人の命の重さもふくめていろいろと
『オマエラもう中〜近世じゃないんだからそろそろ慣れろよ・・・』って言いたくなる時代遅れっぷり
を感じることはよくある、地力はあるだけに隣人としては厄介この上ない
231人間七七四年:2012/07/03(火) 13:40:15.97 ID:wiZ0Tdq2
共産主義以前から、専制国家だった歴史が長いからだろ
232人間七七四年:2012/07/03(火) 14:15:16.27 ID:Mo9SyXmX
>>230
ああいうのは資本主義を利用しても、理念には馴染まないから強いんだよ
マフィアの強さと同類(笑)
233人間七七四年:2012/07/03(火) 20:11:14.99 ID:IUnFH5m1
共産主義こそが堕落した資本主義の一歩先をゆくのだ

そして今や資本主義は崖っぷちに立っている!
234人間七七四年:2012/07/03(火) 20:34:00.71 ID:WQYpVNut
後藤基次が黒田家を去り、京へ上る途中に宮島に立ち寄ったと
聞いた福島正則は老臣の福島治重を使いにして基次を招いた。
基次は「三万石なら仕える」と言い、治重はそれを復命した。

正則は頭をふって曰く「勲功あるお前でさえ三万石に及ばない
というのに、又兵衛に三万石も与えられるわけがない」と。
235人間七七四年:2012/07/03(火) 20:39:40.66 ID:WQYpVNut
これに治重曰く
「又兵衛を三万石で召しだせば私も(尾関)石見も武名が上がる
というものです。

世間はこう考えるでしょう。
又兵衛でさえ三万石で召されたのだから丹波、石見は世間に出れば
四万石の士だ。譜代故に小禄だったのだ、と。所詮、私一人の面目です」
治重はそう言って勧めたが、やはり正則は聞き入れなかったという。
236人間七七四年:2012/07/03(火) 21:21:12.39 ID:bzjMropD
中国の有名な逸話をしらんのか福島は
237人間七七四年:2012/07/03(火) 21:28:28.05 ID:tky2Bg/7
先ず隗より始めよ だっけ?
238人間七七四年:2012/07/03(火) 21:32:23.14 ID:HU9wdxzM
ここで市松が又兵衛を召抱えていたら又兵衛の大阪での活躍はなかった訳だよな
結果的に歴史に名を残したけど、又兵衛本人は安泰な人生とどっちが良かったんだろうか
239人間七七四年:2012/07/03(火) 21:45:39.27 ID:ghqnfhMf
先ず隗より始めよ はちょっと逆の意味っぽくなるのかな?

240美濃の陶工の話1:2012/07/03(火) 22:06:03.32 ID:JXnmWD+J
 美濃の陶工、加藤景延は久尻村(現 土岐市)で窯を開き、古田織部の支援のもとで多数の名品を生み出していた。
1600年、石田三成が決起して諸大名が東西に分かれた時、美濃でも岩村城主の田丸具忠が西軍につき、
東軍に味方している妻木城主の妻木家頼を攻めるために兵をあげた。
241美濃の陶工の話2:2012/07/03(火) 22:10:01.96 ID:JXnmWD+J
 西軍の田丸具忠の軍勢が久尻村を通過して妻木城を攻めることを知った加藤景延は、職人や使用人など
一族のものたちに武器を持たせて、さえぎり戦った。一族の角左衛門景勝は弓をもって後陣の大将松原中兵衛を射落とし、
太郎衛門は鉄砲で敵の勇士である木原清八を撃ちとった。
242美濃の陶工の話3:2012/07/03(火) 22:13:05.71 ID:JXnmWD+J
 怒った田丸勢は景延勢を追い払うと、久尻の窯屋を焼き払ってしまったが、これ以上の進軍をあきらめて、右折して
久々利に向かうことにした。久々利は東軍側の武将の千村良重がいるところである。山間の道を通って五斗蒔、大平、大萱を
経ると久々利に着くのだが、これらの地にはいずれも陶工の窯があった。
243美濃の陶工の話4:2012/07/03(火) 22:17:00.12 ID:JXnmWD+J
 田丸勢が山道を通っていると、大平の陶工加藤景豊が一族を率いて、一枚岩の断崖の上に待ち構えていて、弓矢、鉄砲を
乱射し、なおかつ岩を投げつけて攻撃してきた。これにはたまらず、田丸勢はすごすごと退却していった。
 小なりとはいえ、れっきとした大名の軍勢を相手に陶工の一族が戦って撃退したのは前代未聞の手柄であった。
244人間七七四年:2012/07/03(火) 22:33:52.45 ID:ghqnfhMf
この田丸さんって、小山で西軍につくと言いに来た田丸さん?
まぁ、小山会議に参加してないって聞いたことあるんだがあの話は実に逸話っぽいから好きwww
245人間七七四年:2012/07/03(火) 22:36:32.19 ID:AqYG+ymV
ググったらその田丸直昌さんの父親らしい>田丸具忠
wikiでは隠居してすでに直昌に家督譲っていることになってるけど
246人間七七四年:2012/07/03(火) 22:41:36.69 ID:Mo9SyXmX
土岐は陶工多いんだよな。
隣の多治見と同じく。
多治見には新羅神社あるし渡来系の土地柄なのかもね
247人間七七四年:2012/07/03(火) 23:00:44.07 ID:Rvoq3Uov
>>226


人間なんて10何億のトコは密集突撃で地雷原啓開だお。
248美濃の陶工の話訂正:2012/07/03(火) 23:05:12.16 ID:JXnmWD+J
>>241の話で人名に入力ミスがあったので訂正します。

×→角左衛門景勝
○→角左衛門景定

×→松原中兵衛
○→松原忠兵衛
249人間七七四年:2012/07/03(火) 23:39:13.42 ID:y0G7Djti
>>233
一歩先に崖から落っこちたのはどこのどいつだい?
250人間七七四年:2012/07/05(木) 00:21:29.04 ID:7EbYgKEA
多米氏と大道寺氏

多米氏と大道寺氏は、http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2319.htmlの逸話にあるように北条家の古くからの家臣である

・・・が、その後の処遇は大きく異なってしまう。


大道寺氏が1000貫以上の知行をもらったのに対し、多米氏は本家が約148貫+約42貫という知行であった。
(約42貫の方は血族関係が不明)
251人間七七四年:2012/07/05(木) 00:31:46.39 ID:7EbYgKEA
そして、運命の天正18年。

多米氏は上州西牧城主(あるいは箕輪城主とも)になり、松井田城の大道寺政繁とともに上杉・前田家の攻撃を受けることとなった。
西牧城に籠ったのは多米周防守長宗、そしてその次子家元である。

ちなみに長宗の長男出羽守長定は伊豆山中城に籠っていた。
252人間七七四年:2012/07/05(木) 00:41:53.94 ID:7EbYgKEA
依田兄弟の果敢な攻めに、西牧城は落城してしまう。

奮戦むなしく、多米長宗(72歳!)・家元父子は討死してしまった。
山中城に籠った長定も、落城時に討死してしまう。

さらに、家元の兄弟である左近(実名不明)も4月に討死し、多米氏は滅亡してしまった。
253人間七七四年:2012/07/05(木) 00:45:07.32 ID:7EbYgKEA
一方の大道寺政繁は松井田城開城後、豊臣氏の北条攻めに協力。
のちラスボスによって切腹させられてしまい、結局大道寺氏も滅びてしまう。

・・・が家康によって厚遇され、子孫は福井藩士・尾張藩士・旗本・弘前藩士になっている。


・・・さて、北条家に殉じた多米氏はというと・・・しっかりと再興を成し遂げたのであった。
254人間七七四年:2012/07/05(木) 00:57:17.89 ID:7EbYgKEA
西牧城が落城する前、長定は家臣の山口総右衛門に、孫2人(家元の子、家元は落城前に戦死した模様)を託したのであった。


総右衛門は無事西牧城を脱出し、自分の故郷相模国三浦郡山口村へと避難したのであった。

一説によると、多米家元の妻はこの山口村を領有していた富塚氏の一族であったらしく、総右衛門はその縁で仕えていたらしい。
255人間七七四年:2012/07/05(木) 01:10:34.95 ID:7EbYgKEA
子供2人(忠時、時安)のうち、長男忠時は病弱であったため、仕官することなく山口村で没した。
一方次男時安の方はその後家康に召しだされ、松平忠吉に仕えることとなった。
忠吉の死後松平忠輝に仕える…が彼も改易。
改易後の元和3年に土井利雄に仕え、元和8年古河で没した。
その子孫は代々土井家に仕え、明治維新を迎えることになる。
256人間七七四年:2012/07/05(木) 01:14:22.02 ID:7EbYgKEA
…スタートラインは一緒だったはずなのに、なぜここまで違ったのだろうか…?


なんだかんだで子孫は武士にとりたてられているのでいい話に投稿しました。
257人間七七四年:2012/07/05(木) 01:18:17.00 ID:7EbYgKEA
投稿した後に気付いたのですが、wikiの大道寺政繁のページを見ていたら、彼の子孫も松平忠輝に仕えていたみたいですね^^;

大道寺直繁(政繁子)と多米時安がもし会ったら、どんな言葉をかわすのでしょうかね…?
258人間七七四年:2012/07/05(木) 01:23:55.14 ID:bsrAZrfv
髪切った?
259人間七七四年:2012/07/05(木) 06:46:18.13 ID:HMdk5ig+
ある年のこと。上杉謙信の統治する越後の隣国で一揆が蜂起し、その状況を調べるため
俄に間者を差し向ける必要が出来た。

さて、通常上杉家においては間者を派遣する時、まず毘沙門堂の前にその者を召しだして起請をさせるのであるが、
なにぶん緊急の際であるので、例に無く謙信の面前で起請をさせた。

これに上杉家の老臣たちは「家法に触ります!」と反対したのであるが、謙信は笑って承知をしなかった。
そしてそんな事をいう老臣たちに、不思議そうに

「私があればこそ、毘沙門天も用いられているのだ。つまり、もし私が無ければ、毘沙門天の威徳も無くなるのだ。
そういう事であるから、私が毘沙門天を百度拝めば、向こうも30度か50度くらいは私を拝み返している事だろう。
だから私を、直ちに毘沙門天だと思わせて起請させるのだ。」

こう、当然の事のように言った。
この謙信の言葉に、群臣目を見はって言葉を出すものもなかったという
(上杉謙信言行録)
260人間七七四年:2012/07/05(木) 08:33:14.36 ID:oVUUqFmV
拝む人が居てこその神ですけえの
261人間七七四年:2012/07/05(木) 09:48:07.90 ID:y/Iub8OX
自分を拝ませる為に総見寺に仏像を集めた信長
262人間七七四年:2012/07/05(木) 10:25:43.64 ID:1s8iM5vv
拝むためのご本尊を自国に移動させた信玄
263人間七七四年:2012/07/05(木) 13:10:54.34 ID:kSgdZV6Z
権現様を拝めばよいのです
264人間七七四年:2012/07/05(木) 15:59:49.18 ID:fRaj87lq
何かこの権現臭くね?
265人間七七四年:2012/07/05(木) 16:11:22.33 ID:1s8iM5vv
ベロンッ 
この味は!……クソのついている「味」だぜ……
266人間七七四年:2012/07/05(木) 16:22:35.30 ID:gH08OojO
焼き味噌だよ
焼き味噌なんだよ
うわーん
267人間七七四年:2012/07/05(木) 19:25:43.57 ID:gOW61cH5
徳川家康が大切にしていた駿馬がいたのだが、ある時、家康はその実力を試してやろうと
馬に重荷を負わせて富士山を登らせた。すると馬は少しも疲れる様子がなかったので、
家康はこの馬を「富士の道芝」と名付けて寵愛した。

しかし道芝はかなりの暴れ馬で誰も手懐けることができなかった。そこで金悟秀秋の旧臣で
精騎と名高い村上吉正を乗せてみると、難なく乗りこなしたので感じ入った家康は吉正に
道芝を預け飼わせた。家康は後に吉正が道芝を反した時、馬具を与えその労を賞したという。
268人間七七四年:2012/07/05(木) 19:29:12.37 ID:yVQ3ULla
クソもミソも一緒にするってこれが由来なのかな?w
269人間七七四年:2012/07/05(木) 19:34:13.58 ID:gOW61cH5
>>267
なんだ反したって…
返したの間違いですorz
270人間七七四年:2012/07/05(木) 20:37:13.69 ID:/Uhh2VQQ
馬「人生は重き荷を負うて遠き道を駆けてゆくがごとし」
271人間七七四年:2012/07/05(木) 21:13:47.79 ID:S1vqZhYy
権現様は「実はワシなら乗りこなせるけど大将が駿馬に乗ってもしょうがないし」とか
もしくは「自分の馬術を過信して落馬するとか大将失格だよね」とか考えちゃうんだろうか?
272人間七七四年:2012/07/05(木) 21:37:52.51 ID:HMdk5ig+
権現様は基本的に合理的でドライな考え方だよね。
273人間七七四年:2012/07/05(木) 22:26:00.28 ID:C+cOl4Xe
>>269
金吾もな
274人間七七四年:2012/07/05(木) 22:30:57.69 ID:GviUIa8o
家康「どれ実力を試してやろう。よいしょっと。」

馬「鎧なしで人間ここまで重たくなれるものなのかとあのとき初めて思いました。」
275人間七七四年:2012/07/05(木) 23:07:05.63 ID:WP9uoxZZ
>>267
権現様のネーミングの割には普通じゃないか
276人間七七四年:2012/07/05(木) 23:29:01.60 ID:BfWlqBwk
>>275
あ、ほんとだ。しかも道芝って道案内の意味もあるんだ。
洒落てやがる・・・!?
277人間七七四年:2012/07/06(金) 00:41:12.85 ID:1UViccHM
馬「クソ漏らすのだけは勘弁してくださいよ!!」
278人間七七四年:2012/07/06(金) 02:23:29.80 ID:V6YLX5Kl
父アドマイヤフジ
母シーヴァ

馬主ふじのなんちゃら

よし、馬名決まったな!
279人間七七四年:2012/07/06(金) 09:09:22.46 ID:sug5sgfj
そういや久能山東照宮に家康の愛馬の墓もあったな。
あれが道芝の墓だったのかな?
280人間七七四年:2012/07/06(金) 20:25:21.77 ID:tvLtD7va
南部利直 代官を叱る

陸奥の南部氏領は、浄法寺塗に代表される漆の産地だった。
漆掻きが始まる頃、時の当主 南部利直は家臣の毛馬内三左衛門宛に宛てて書状を書いた。

『漆掻きに良い時期となったので、漆掻きの者たちを代官たちにつけて、急ぎ派遣しなさい。
 最近は(量を取ろうとして)漆を深く掻かせてしまい、木を枯らせてしまう。枯れなかった木も傷んで、実がならなくなってしまう。
 漆は一杯ニ杯少なくても良いから、木を枯らせないようにさせなさい、そう毎年申し付け、奉行にもそれを伝えているのに、奉行たちがそれを理解していない。
もし木が枯れたら、それは奉行の落ち度として処罰するから、よく申し付け、厳重に取り締まるように』

代官の悪い話の気もするけど、資源を大事にした年直のいい話ってことで。
281人間七七四年:2012/07/07(土) 19:55:14.62 ID:KL7roJ0U
どうやら教育委や学校には未確認非行物体らしい。
282人間七七四年:2012/07/07(土) 19:55:58.08 ID:KL7roJ0U
誤爆した。スマン
283人間七七四年:2012/07/07(土) 20:02:33.54 ID:WZeXkCam
漆に実がなるのかよとぐぐったらろうそくの原料の原料か…
284人間七七四年:2012/07/07(土) 20:05:01.51 ID:EPbOlz/G
欲は身を滅ぼす、っていう事の好例だな
285人間七七四年:2012/07/07(土) 20:08:32.11 ID:tIwx5QfD
どっかの記事で森を守るには独裁者が適してるというのを読んだ
286人間七七四年:2012/07/07(土) 20:10:59.58 ID:VdlAuKXN
森を守るのは、信長。
287人間七七四年:2012/07/07(土) 20:40:49.99 ID:zJGl1MAL
もうりまもる、は宇宙飛行士
288人間七七四年:2012/07/07(土) 22:44:45.24 ID:10mCiz8Z
>>286
TERU「信長さんは身を挺して毛利(もり)を守ってくれたんだね。ありがとう!」
289人間七七四年:2012/07/07(土) 22:46:55.83 ID:azH3NmH/
>280
お隣は津軽塗りもあるし、良い漆が取れるんだろうな
290人間七七四年:2012/07/07(土) 23:26:48.37 ID:4t36OVTS
城鍬舞


天文14年(1545年)、大田原資清が新たなる本拠地として建築していた前室城(大田原城)がついに完成した時のこと。
資清はこれまで城の築城に携わった城下6ヶ村の農民たちを労い彼らを招いて酒宴を開いた。

宴もたけなわ、興が乗ってきた所で酔っ払った石神村の藤兵衛という男が鋤や鍬を持ったまま奇っ怪な踊りを披露すると
これが会場で大受けしたが、これが領主資清の目にも止まった。
どうやら資清もこの踊りを気に入ったらしくその後、資清は毎年正月になると彼等を城中に招き、この踊りを演じさせたという。

最初は酔っぱらいの宴会芸に過ぎなかったこの踊りも次第に舞踊として形式が固まっていき、現在に城鍬舞として伝承され、
現在は栃木県の県指定無形民俗文化財となり、例年10月になると上石上温泉神社に奉納されている。
291人間七七四年:2012/07/07(土) 23:30:22.47 ID:zJGl1MAL
大田原スケキヨさんなのにいい話だと
てっきり農民たち全員殺すのかと思った
292人間七七四年:2012/07/07(土) 23:37:59.27 ID:7vQC2XM1
領民に対しては割とフランクで慕われてたりしたんだろうか

293人間七七四年:2012/07/07(土) 23:59:38.97 ID:rKyNG4Yr
那須でスケキヨってw
294人間七七四年:2012/07/08(日) 00:41:19.54 ID:rJ7C71LD
謀将策士といわれるタイプの人は民虐げるの少ない印象が

損得計算できるわけだからねぇ
295人間七七四年:2012/07/08(日) 00:44:18.40 ID:a2+ZtMI9
>>290
てっきり酒宴の後に城の築城に携わった城下6ヶ村の農民たちを口封じのために殺すのかと思ったw
296人間七七四年:2012/07/08(日) 00:48:19.17 ID:Gyn7CuHa
大田原資清なんて普通の人は知らないであろう人物の評価が、
ここでは一定しててワロタw
297人間七七四年:2012/07/08(日) 00:54:24.71 ID:6i5dFhg3
ここはいい話スレなんだからそんな身構えるなよw
298人間七七四年:2012/07/08(日) 01:53:17.66 ID:qE3zdK9J
そりゃ、まず罠だと疑うでしょwww
299人間七七四年:2012/07/08(日) 09:28:54.67 ID:XHsrjdf8
藤堂高虎の神業

大坂夏の役の後。
藤堂高虎は井伊直孝と共に、将軍秀忠から金・銀の分銅を1つずつ賜った。
金銀分銅は一万両の重さがあり、
秀吉が軍用にと大阪城に貯蔵していたものである。

この金銀分銅を領国から江戸へ運ぶ時は、
それはそれはたいした騒ぎであった。
真紅の組紐でこれを縛って金8人、銀4人で担ぎ、
それぞれ数百人が守備についた。
道中の見物人も両側にびっちりであった。


先に江戸にいた高虎は一行が品川に到着した日、
下着した問屋まで出迎えた。

さて、ここの問屋の子は、強力が自慢であった。
「おぬし、怪力自慢と申すか?
もし、この分銅を肩まで上げれば、それをくれてやるろう。」
高虎は試しにそう言ってみた。

よもや持ち上げられまいと思った分銅は、
問屋の子が
「むんっ、こりゃ重いなっ!」
と言うが早いか、肩まで持ち上げられてしまった。
一同、青ざめて問屋の子と高虎を交互に見た。

高虎はしれっとして言ってのけた。
「二つ重ねるのじゃぞー。一つは誰でも持ち上げるぞー。」
問屋の子は
「二つなんて、そりゃ、おらにはムリだー。」
と差し控えた。

一同ホッとして、
高虎のこのような急な切り替えしは神業で、
人知では計り知れない、と妙な讃え方をしたのであった。
                          「高山公言行録」
300人間七七四年:2012/07/08(日) 09:37:23.41 ID:oRCWVHb2
ちょっとズルい話
301人間七七四年:2012/07/08(日) 09:51:03.31 ID:gO6wCZpT
>>299
嘉明「そんなセコイ嘘が神業かよwまあ高虎のような小物程度には神業なのかもしれんがw」
302人間七七四年:2012/07/08(日) 09:54:15.64 ID:HzSNf57R
さすが幕末に裏切るだけはある
303人間七七四年:2012/07/08(日) 10:13:08.39 ID:617gvioD
政治家が嘘をついたらダメだよ
304人間七七四年:2012/07/08(日) 10:16:26.95 ID:GQ5gqTvO
武略にて
305人間七七四年:2012/07/08(日) 10:22:45.35 ID:xi1I8/AM
汚いなさすが高虎きたない
306人間七七四年:2012/07/08(日) 12:17:51.12 ID:QdXWLxud
高虎さんならやれそうだな
307人間七七四年:2012/07/08(日) 12:27:15.70 ID:Y8HMUofu
問屋の息子が空気を読んだいい話のような気がする
308人間七七四年:2012/07/08(日) 12:48:20.13 ID:kV51+Mih
>>302
さすがにそれは、高虎の責任じゃねー
309人間七七四年:2012/07/08(日) 12:51:29.86 ID:CjATsCDz
しかも当主じゃあなくて家臣がやった事だしな
310人間七七四年:2012/07/08(日) 13:01:40.35 ID:gtbuKmxR
藩祖の薫陶が良く行き届いておりますなあ
311人間七七四年:2012/07/08(日) 13:04:31.62 ID:S65OeHS9
1万両=375kg、現在のウェイトリフティング世界記録が263kgか
金銀それぞれ5千両の190kg弱なら当時の在野のモンスターでも
上げる奴いてもおかしくはないなw
100kgくらいなら余裕そうな高虎が、若い頃の自分でもこれは無理と
判断したくらいの重さとしてはある意味妥当かもしれん
312人間七七四年:2012/07/08(日) 19:36:18.43 ID:Zx16X9vo
天正の頃、徳川家康が三河の吉良で狩りをしていたところ、
手負いの猪が家康に向かって突っ込んできた。

その時、馳せ出たのが春田半兵衛将吉だった。
将吉は突っ込んできた猪を見事に組み止めてみせたのである。
その姿に気分を良くした家康は思いついた。

「お前、今日から猪之助に名を改めろ」

その日より将吉は春田猪之助と名乗るようになった。


安直な上に普通のネーミングっすね、権現様。
313人間七七四年:2012/07/08(日) 20:26:36.87 ID:LQjSos2g
武士の名前に猪ってあんまり喜ばれなさそうなんだが
周りの奴らはダセェ!って思わなかったんだろうか
それよりも家康が変なセンスを発揮しなくてホッとしてたのか
314人間七七四年:2012/07/08(日) 20:47:39.84 ID:+SKwhbOx
猪は「後退しない」だからいい名前じゃないかな
315人間七七四年:2012/07/08(日) 20:49:03.93 ID:xi1I8/AM
猪俣邦憲に謝れ!
316人間七七四年:2012/07/08(日) 20:54:29.70 ID:7HwaJRNq
猪武者てのは…なぁ…
317人間七七四年:2012/07/08(日) 20:54:53.90 ID:f7etd30c
>>311
こういう逸話で数字が妥当だとなんかちょっともやっと来る
理不尽だけどw
318人間七七四年:2012/07/08(日) 21:00:01.30 ID:yyV9t9gM
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5543.html
権現様がこの話を知ったら
「おなごの身でありながら見事!これから小松姫をあらため猪姫となのるがよい!」
319人間七七四年:2012/07/08(日) 21:28:20.03 ID:4HxlL9p0
扇子で権現様の顔を・・・
いや、さすがあるまいて・・・
320人間七七四年:2012/07/08(日) 21:28:53.17 ID:sefzcYSH
山中鹿之助「ちょうどいい春田どの!我らと共に尼子再興を目指そうではないか!」
321人間七七四年:2012/07/08(日) 21:30:28.70 ID:2TynslHt
叔父御を屏風の陰に引きずり込もうとする猪姫…
322人間七七四年:2012/07/08(日) 22:00:38.79 ID:4HxlL9p0
>>320
あとは蝶か・・・
323人間七七四年:2012/07/08(日) 22:41:59.85 ID:XX825fYu
帰蝶「・・・」
324人間七七四年:2012/07/08(日) 22:42:41.49 ID:LQjSos2g
>>317
でも金って結構重いんじゃ、と思ってさらに計算してみたが
1万両=375kg、
運搬にかかった人数から単純計算でそれぞれの重さは金8:銀4=金250kg:銀125kg
銀はもちろん金の方もウェイトリフティングの記録を下回ってるから人間の力で持ち上げる事は不可能じゃないという結果に

うむ、もやっと来るw
いかにも昔話って感じの話なのにw
325人間七七四年:2012/07/08(日) 22:49:47.00 ID:FNk8734A
大谷古猪之助なら尼子十勇士にもういるけど
326人間七七四年:2012/07/09(月) 12:37:53.26 ID:/tTwnmwW
>>302
尾張藩・紀州藩「ちょwwww神君裏切るとかありえねーしwwwwwww」
327人間七七四年:2012/07/09(月) 12:58:20.16 ID:pibxpgLD
>>286
信長「わたし鬼武蔵がすき‥世界でいちばん偉大で高貴な生物だと思うの」

・・・いやすまん。夜勤明けで疲れてるんだ。
328人間七七四年:2012/07/09(月) 14:01:00.81 ID:v1qOjcae
( ´・ω・)「それ、ひとつ持ちあげてみようか」
志村「殿、冥土からは出られませぬ」
329人間七七四年:2012/07/09(月) 16:38:00.94 ID:DmjvTnK5
>>312
家康のネーミングって、名前を聞けばどういう功績があったのか
すぐ思い出せるように自分のために付けてるよな。
人名をそのまま付箋紙かメモ帳代わりにしてるのか?
でもまあ家臣も自分の功績が一生モノになるわけだから利害が一致してるか。
330人間七七四年:2012/07/09(月) 22:05:32.93 ID:TAGPVkyK
でも、本多山県はあんまりだと思う
331人間七七四年:2012/07/09(月) 22:09:17.92 ID:Um77HLya
肥後加藤家某足軽「僕なんかキンタマですよ…」
332人間七七四年:2012/07/09(月) 23:00:48.98 ID:eINvvjVN
>>312
一豊「わしも猪右衛門というが…」
333人間七七四年:2012/07/09(月) 23:09:52.25 ID:eINvvjVN
>>312
そういや吉宗にも似たような逸話があったが・・・

あっちは家来(小笠原政澄)が失敗して、結局吉宗自らが倒してたな。

ただ、実紀には「うった」としか書いてないから鉄砲で殴ったのか「撃った」のかわからんが。
334人間七七四年:2012/07/09(月) 23:13:18.81 ID:eINvvjVN
政澄じゃなくて政登だった…
335人間七七四年:2012/07/09(月) 23:31:14.35 ID:hLB8/V2D
猪じゃなくて○気の人が刀持って暴れてるのを素手で組み伏せても、
権現さまは褒めてくれないんだよねorz
336人間七七四年:2012/07/10(火) 00:10:28.47 ID:X6TuHtkM
>>320
>>325
ていうか立川文庫の山中鹿之助読んだら十勇士達のネーミングしたのが
鹿之助本人だったぞ

337人間七七四年:2012/07/10(火) 00:31:46.83 ID:FxyZ0zqO
>>335
え〜っと…「悋気の人」?

権現様から「庭師守り」とか名付けてもらえるかもよ
338人間七七四年:2012/07/10(火) 01:59:49.05 ID:YWbNCk+l
○キってか気が・・・しちゃった人ね
339人間七七四年:2012/07/10(火) 10:18:58.84 ID:qeH6Y9Xu
狂抑右衛門とか来井伏右衛門とか付けられたら嫌だろうという判断だろう、流石は権現様
340人間七七四年:2012/07/10(火) 19:34:50.60 ID:DF+IZ1eT
権現様は好んで何にでも名前つけるよな。
まあ権現様がつけたから有名になっているだけで・・なのかもしれんが。
341人間七七四年:2012/07/10(火) 21:06:50.64 ID:FxyZ0zqO
今度上林春松本店で祖母昔でも買ってみるか…
342人間七七四年:2012/07/10(火) 21:11:41.66 ID:y1u+vsqr
細川幽斎、酒徳狂化

一切の 其の味ひを分ぬれば 酒をば不死の薬とぞいふ
二くさ(憎さ)をも 忘れて人に近づくは 酒にましたる媒はなし
三宝の 慈悲より起こる酒なれば 猶も貴くおもひ飲むべし
四らず(知らず)して 上戸を笑ふ下戸はただ 酒酔よりもおかしかりけり
五戒まで 酒をきろふもいわれあり 酔狂するによりて械せり
六神の 罪をも咎も忘るるは 酒にましたる極楽はなし
七など(質など)を おきて飲むこそ無用なり 人のくれたる酒ないとひそ
八相の 慈悲より起こる酒なれば 酒にましたる徳方はなし
九れず(暮れず)して 上戸をわらふ下戸はただ 酒を惜しむか卑怯なりけり
十善の 王位も我も諸友に おもふも酒の威徳成りけり
百までも なかろふ我身いつもただ 酒呑てこそ楽をする人
千秋や 万歳などと祝ふとも 酒無き時は寂しかりけり

(幽斎公歌集)
343人間七七四年:2012/07/10(火) 23:15:03.15 ID:pjHhYEGa
なんか難しいこと言ってるけど、
要は「酒大好き!!」ってことでおk?
344人間七七四年:2012/07/10(火) 23:18:04.12 ID:Bki0xL3h
大伴旅人「13首の讃酒歌を詠んでいるわしのほうが一首分勝ちだな」
345人間七七四年:2012/07/10(火) 23:34:40.23 ID:5Q6gNBqq
一月は正月で酒が飲めるぞ 酒が飲める 飲めるぞ 酒が飲めるぞ
二月は豆まきで酒が飲めるぞ 酒が飲める 飲めるぞ 酒が飲めるぞ
三月はひな祭りで酒が飲めるぞ 酒が飲める 飲めるぞ 酒が飲めるぞ
四月は花見で酒が飲めるぞ 酒が飲める 飲めるぞ 酒が飲めるぞ
五月は子供の日で酒が飲めるぞ 酒が飲める 飲めるぞ 酒が飲めるぞ
六月は田植で酒が飲めるぞ 酒が飲める 飲めるぞ 酒が飲めるぞ
七月は七夕で酒が飲めるぞ 酒が飲める 飲めるぞ 酒が飲めるぞ
八月は暑いから酒が飲めるぞ 酒が飲める 飲めるぞ 酒が飲めるぞ
九月は台風で酒が飲めるぞ 酒が飲める 飲めるぞ 酒が飲めるぞ
十月は運動会で酒が飲めるぞ 酒が飲める 飲めるぞ 酒が飲めるぞ
十一月は何でもないけど酒が飲めるぞ 酒が飲める 飲めるぞ 酒が飲めるぞ
十二月はドサクサで酒が飲めるぞ 酒が飲める 飲めるぞ 酒が飲めるぞ

を風流な人がやると>>342になんのか
346342:2012/07/11(水) 04:14:23.19 ID:wdttTIl8
>>342
うわ、変な変換ミスしてる。1行目 ×狂化 ◯狂歌 ですねw;
347人間七七四年:2012/07/11(水) 05:11:29.40 ID:baCQLYPq
私は下戸ですが共感できませんね
348人間七七四年:2012/07/11(水) 23:15:43.47 ID:WNCAMhGO
織田信長は将軍足利義昭を擁して上洛を果たした。
そして将軍の御座所の建設に取りかかるため、各家に人夫と世話役を出すよう命じた。
ある時、信長が御座所建設の現場を視察していると、ある一人の世話役が目に付いた。
皆その日の仕事を終えて急ぎ早に帰るのに、その者だけは一番最後まで残り材木の切れ端などを
すべて掃除してから退出するではないか。
気になった信長は翌朝早くに現場を訪れると例の世話役が誰よりも早く出仕してもう仕事の段取りをしていた。
それから信長は現場にくる度にこの者の行動を注視していたが何度見ても決してその真面目な態度を崩すことがなかった。
信長は「こやつできる!」とビビッときて、この者の主君である細川藤孝に是非にもと頼み込んでこの者を譲ってもらった。

信長は早速この者を小姓として召抱え、数々の戦場で指揮をさせた。
するとどうだろう、この者は人一倍勇猛果敢で、その智謀も他より抜きん出ていたため行く先々の戦場で
無数の武功を積み上げて行き、あっという間にその名を知らぬものはないほどに有名になってしまった。
信長はこの者が武功を上げる度に千貫、二千貫とどんどん加増したが、それでも役不足と思ったのか
とうとう近江国の滋賀郡六万石の要衝を与えるまでに至った。

そう、信長がこの時召抱えたこの者こそ誰あろう明智日向守光秀その人である。
349人間七七四年:2012/07/12(木) 00:18:07.08 ID:ncI7Vfx3
残りものにはふくがある。
350人間七七四年:2012/07/12(木) 00:21:13.63 ID:OgQFiKT2
春日局「読んだ?
351人間七七四年:2012/07/12(木) 00:37:33.83 ID:YfobpMyD
珍しく役不足の正しい使い方を見た
352人間七七四年:2012/07/12(木) 01:44:49.42 ID:Onhss/RH
流川「てめーだけじゃ役不足だ」
353人間七七四年:2012/07/12(木) 08:28:49.68 ID:Vh50jt6n
>>348
いつ首はねられるのかビクビクした(´・ω・`)
354人間七七四年:2012/07/12(木) 18:22:55.61 ID:pap5C7me
>>348
ほんまに光秀はんは謎の御人や(感嘆
355人間七七四年:2012/07/12(木) 18:51:33.01 ID:nZbiMRnX
今はサービス残業したら怒られる時代なのでこういうまじめアピールは通用しませんね。
356人間七七四年:2012/07/12(木) 19:23:26.65 ID:i+1WFOep
光秀は仕官前の逸話が豊富だな
357人間七七四年:2012/07/12(木) 19:27:34.34 ID:78torYHO
何回同じ所に就職繰り返してるんだろうな
358人間七七四年:2012/07/12(木) 20:42:39.97 ID:/ZhxeEYf
『ここで話を中断し、尾張の王カンヅカン殿(上総殿)、別名ノブナンガ(信長)と称する人について
少し述べたいと思います。彼については既に堺から長い通信を発送しましたが、それは彼を実際に見たり
詳しく知ったりする以前のことでした。

この尾張の王は年齢は37歳。長身痩躯、ヒゲは少し。声は甚だ高く非常に武技を好み、粗野です。
正義及び慈悲の業を好み、傲慢にして名誉を重んじ、決断を秘し戦術に巧みにして殆ど規律に復せず、
部下の進言に従うことは稀です。彼は書人から異常な畏敬を受けており、酒は飲まず、自ら奉ずること
極めて薄く、日本の王侯をことごとく軽蔑しており、下僚に対するように、肩の上からこれに語ります。
諸人は至上の君に対するように、これに服従しています。

彼は良き理解力と明晰な判断力を有し、神仏その他偶像を軽視し、異教(キリスト教意外の宗教)の一切の
占いを信じません。表向きの宗旨は法華教ですが、宇宙の創造なく霊魂の不滅もなく、死語は何も存在しない
という事を明確に言っています。

彼の事業は完全にして巧妙を極め、人と語る時には、常に紆余曲折となるのを憎みます。
どんな諸侯であっても、彼の前に出る時は帯剣することはありません。
彼は常に二千余りの騎馬の小姓を引率しています。

彼の父は、ただ尾張一国の領主でしたが、彼には大変な才覚があり、またその努力によって
ここ4年ほどで17・8ヶ国をその命令に服従させ、主要なる8ヶ国、すなわち都の所在地である
山城全国、及び近隣諸国は7.8日のうちに征服しました。』

ルイス・フロイスによる、有名な信長の解説である
(日本耶蘇会年報)
359人間七七四年:2012/07/12(木) 21:45:40.36 ID:eXGx44pq
このフロイス評は読むたび毎回「尾張の王」という所でもやもやする
王て
360人間七七四年:2012/07/12(木) 21:56:22.86 ID:5vEol3xs
「王」ってもっと大きな領土を治めてる人に使うイメージがある

尾張くらいの大きさならなら「領主」でいいと思う
361人間七七四年:2012/07/12(木) 22:00:59.97 ID:iAZeGcEf
これって、原文はポルトガル語なんかね?
他のところが領主で信長さんとこだけ王とかなら何か意図があるのか考えちゃうけど〜
362人間七七四年:2012/07/12(木) 22:03:12.34 ID:ZhO/vJec
コレは原文でも「王」だよ。というか宣教師は戦国大名=王、公方様=皇帝、帝=教皇、というふうに考えてたフシがある
363人間七七四年:2012/07/12(木) 22:06:58.41 ID:zMTV6EhK
カンヅカン…
上総守のことだとしたら信長の周辺には親王任国を知らないやつが多かったとか
364人間七七四年:2012/07/12(木) 22:07:08.19 ID:1QwBNHVq
ヨーロッパ的に見るとそれが一番近いっちゃ近いな
皇帝の地位がビミョーな所込みで
365人間七七四年:2012/07/12(木) 22:08:18.60 ID:W4ZurSRM
ノブナンガ

ヒデヨンシ

ミツヒンデ

イエヤンス
366人間七七四年:2012/07/12(木) 23:03:22.77 ID:iAZeGcEf
帝=教皇か・・・
まぁ、そう取れなくもないからな〜
367人間七七四年:2012/07/13(金) 00:42:24.88 ID:3Ebkgk5f
>>342
柿じゃなく酒を出せば憎さを忘れてくれたのか…
368人間七七四年:2012/07/13(金) 01:51:49.26 ID:hJX29DlV
軍権持ってない祭祀の長なら教皇でおかしくないか
369人間七七四年:2012/07/13(金) 09:02:28.12 ID:4bf1DGSo
そんな信長の死後55年経った1637年、

真夏の炎天下に、当時75歳ながら信長の墓のある大徳寺まで参って焼香した男がひとり。
その男は、本能寺の直後から所領の丹後に信長の菩提樹を建立し、
その後も豊前、肥後と領地が替わるたびに菩提樹も移して、毎月忌日には精進を欠かさなかったという。


このクソ熱い夏に、三歳様の暖かいい話。
370人間七七四年:2012/07/13(金) 11:59:15.08 ID:sRqLyuc5
菩提寺?
371人間七七四年:2012/07/13(金) 13:00:39.60 ID:BpbQITHP
元ネタに「建立」ってあったみたいだけど
「植えた」で良い様に思いますね。
「植樹」ではどうも合わないし、「建立」に「木を植える」って意味を
探してみましたけど、詳しい人、どうでしょう?
372人間七七四年:2012/07/13(金) 13:33:57.29 ID:HGlidSbK
玉ちゃんとどっちが大切と聞くと・・・37人目になる?
373人間七七四年:2012/07/13(金) 15:05:10.89 ID:lu8jwE5k
どっちも亡くなってるからどっちも大事で良いのだろう。

あと君、37人目な。
374人間七七四年:2012/07/13(金) 17:07:21.01 ID:vZ+OKWof
忠興「信長さんの一銭切りをさらに高め、私は一目切りやってますよ。謀反人の娘など斬捨てなきゃ」
375人間七七四年:2012/07/13(金) 17:19:27.57 ID:vZ+OKWof
「玉ちゃんとの結婚薦めてくれてありがとう」という気持ち?
376人間七七四年:2012/07/13(金) 18:32:07.34 ID:A/gpt0mc
>>371
そこは菩提樹の方が間違いじゃないか?

↓これを見ると信長の菩提寺というのも間違いのようだが。
http://www.pref.kumamoto.jp/site/arinomama/odakuyou.html
377人間七七四年:2012/07/13(金) 19:26:15.93 ID:BpbQITHP
>>376
なるほど了解しました。
378人間七七四年:2012/07/13(金) 19:32:18.78 ID:7cYMMjhk
>>369
この話最近観たような…
379人間七七四年:2012/07/13(金) 20:06:53.24 ID:C78wCGh4
山本神右衛門はいつも家来どもに、
「博打をやれ、虚言を言え。
一町歩くうちに七度虚言を言うくらいでないと男は立たぬぞ」
と言っていた。
昔は武勇のみを心がけていたから、
正直者では大働きが出来ぬと思い、このように言われたのだ。
身持ちの悪い者がいても、知らぬふりして許しておき、
「よいことをしたな」
と言っておられた。
相良求馬及真なども、盗みや密通した家来どもをそのまま許しておいて、
少しずつ侍らしくなるよう鍛えていった。
「そのくらいの者でないと、ものの用には立たない」
と言っていたとのことだ
380人間七七四年:2012/07/13(金) 20:08:47.79 ID:j0rPLlDY
何と言うスパルタ教育
381人間七七四年:2012/07/13(金) 20:25:32.16 ID:C78wCGh4
もうひとつ葉隠からいきます

高木某が、近所の百姓三人と口論になり、田んぼの中で打ちのめされた。
ボロボロになり帰ってきた旦那を見た女房が、

妻「アナタ様は、人が必ず死ぬということをお忘れになられたようですね」

と嘆いた。高木が、

高木「いや、忘れてはおらぬ」

と言うと、

妻「人は誰しもいつかは死ぬものでございます。
病死、斬り死に、切腹、縛り首・・・色々死に様はありますが、
見苦しい死に様をなさっては無念にございます」

と言い捨て家を飛び出していった。
やがて戻ってくると、二人の子供をよく寝かせつけておき、
松明を作り、日が落ちると身ごしらえをして、

妻「様子を見てきましたところ、
なにやら三人は集まって相談事をしているようでございます。
ちょうどよい頃合い。さあ、おいでなさいませ」

と、夫を先に立たせ、松明を灯し、自身も脇差をさして、相手方へと踏み込んだ。
そして夫婦で斬り立て、二人を斬り倒し、残る一人には手傷を負わせ追い散らしたという。

高木某はその後、切腹をおおせつけられた
382人間七七四年:2012/07/13(金) 21:06:19.78 ID:3Ebkgk5f
>>379
勝成「まったっくもってその通り」
383人間七七四年:2012/07/14(土) 00:21:20.80 ID:zbRMCUWR
>>381
ちょwwwオチがひどいwww
384人間七七四年:2012/07/14(土) 00:44:24.47 ID:JW9kSSsF
>>383
文章は淡白だけど、
百姓にフルボコられてショゲて帰ってきた侍が、
奥さんに励まされて、武士の名誉刑である腹切で最後を飾るいい話だぞ
385人間七七四年:2012/07/14(土) 00:51:48.89 ID:86dQHOtO
奥さんが夫を嵌めた話にしか見えないw
386人間七七四年:2012/07/14(土) 01:17:44.40 ID:RHgNsXw+
百姓にボコられてそのままにしてたら切腹じゃすまないだろ
387人間七七四年:2012/07/14(土) 01:19:10.56 ID:tPNOtMYB
その場で切り捨てるべきだったな
388人間七七四年:2012/07/14(土) 01:21:05.77 ID:CLucpikP
奥さんも一緒に突入してるから、明記されてないだけで処分されてそうだ
389人間七七四年:2012/07/14(土) 01:23:39.73 ID:JW9kSSsF
百姓にボコられた侍よと後ろ指さされて命永らえるか、
ムチャしてなんとか形を取り繕うかの二択か・・・
皆さんならどうするよ?
390人間七七四年:2012/07/14(土) 01:26:30.32 ID:JW9kSSsF
>>387
どの道、百姓斬り捨てたら処分されるんだからそれが正解だと思う
まあ、百姓と口論しなきゃよかったんだが・・・
色々あるんだろうね当時も
391人間七七四年:2012/07/14(土) 01:55:19.29 ID:IywwDwj5
百姓にボコられるとか仕返ししないとガチで家録召し上げ御家取り潰しにあう
あと自藩の百姓斬り捨てても切腹とか普通無い。
392人間七七四年:2012/07/14(土) 02:04:38.40 ID:u5qum9bB
じゃあ最初の負けが響いたんだね、きっと
393人間七七四年:2012/07/14(土) 02:10:02.26 ID:clULgAfH
仮に斬りに行かなかったとしても
最初の口論のときにボコられるがままで刀も抜かずに帰ってきてる時点で
高木に非があると思われて一方的に処分されかねないんじゃないか

しかし当時の武士も多かれ少なかれトラブルは経験してそうなものだが
そのたびに相手やら自分の腹やら切ってたら命がいくつあっても足りなさそうだ
どの辺が相手を斬っていいラインなのかね
394人間七七四年:2012/07/14(土) 02:38:22.16 ID:+fs4nR+b
>>393
今と変わらない・・・と言うと明らかに言いすぎだろうけど
どんな相手だろうと基本相手を切った時点でアウトで
なんやかんやで切腹になる印象
395人間七七四年:2012/07/14(土) 06:41:24.95 ID:u1g3oh1k
>どの辺が相手を斬っていいラインなのかね
これ時期にもよるし藩主の考えにもよる
戦国期なら百姓町人を切っても事情があれば許されたし褒められもした
江戸期に入ると、刀を抜いただけで処分もありえた
(更に刀を抜いて相手を殺せなかった場合は武家の対面という意味でも処分された)

たしか商人に呼ばれて、相撲取りと相撲しろと強要された侍が相撲取りを切り捨てた話があったはず
この人は処分されておらず、切ったのはもっともな話ってオチだったはず
396人間七七四年:2012/07/14(土) 08:53:33.38 ID:kj++Woj/
正当防衛として名誉を傷つけられたその場で叩き切る
あとからやったんじゃただの報復殺人
397人間七七四年:2012/07/14(土) 09:12:38.30 ID:u1g3oh1k
>>396
正当防衛というより自力救済権だな
正当防衛だと守ったモノと守った結果生じたモノのバランスが問われるけど
自力救済権はそういうのはない
398人間七七四年:2012/07/14(土) 09:30:31.36 ID:85NjoChL
鬼武蔵「へっっくしょん」
399人間七七四年:2012/07/14(土) 10:59:29.24 ID:+fs4nR+b
>>395
相撲取り可哀想に商人斬れよ
400人間七七四年:2012/07/14(土) 11:21:44.73 ID:SFJv28dI
商人は教唆で裸芸者は実行犯だからじゃないか?
401人間七七四年:2012/07/14(土) 11:45:00.28 ID:nHgw/Cs/
381のオチがひどいとか言ってる人は
wikipediaの「切捨御免」に結構よく書かれてるから勉強するといいよ
402人間七七四年:2012/07/14(土) 13:28:57.15 ID:ebc2hUti
切捨御免関連の情報は朝日文左衛門が色々遺してくれてるなw

酒によって絡んできた浪人を相手のなまくら刀で撲殺した尾張藩家臣が出奔する羽目になったって
話もあったよな、確か
403人間七七四年:2012/07/14(土) 15:24:54.56 ID:z3rz8M+M
それはやっぱ殺るなら自分のでやれや、とかそういうアレ?
404人間七七四年:2012/07/14(土) 20:08:02.75 ID:XG61SEK/
江戸の町人には町奴みたいなヤンキーいるし
武士は体弱いとやばい。弱そうな武士に因縁つけて
金せびる奴とかもいた(´・ω・`)
405人間七七四年:2012/07/14(土) 20:17:42.36 ID:poa2keyK
>>395
星野茂則のことなら、商人じゃなく某藩の家老じゃなかったか
406人間七七四年:2012/07/14(土) 21:40:30.23 ID:z3/RZvqb
切捨御免は実際にやった後相当に厳しい詮議があったらしいからなあ
たちの悪い相手に絡まれた武士ってのは決断に苦悶するんだろうな
407人間七七四年:2012/07/14(土) 22:12:52.63 ID:JW9kSSsF
>>406
スキ見せると立ちの悪い相撲取りや越後屋(ワル)がニヤニヤしたんだろうな
408人間七七四年:2012/07/14(土) 22:23:10.24 ID:5BRA7Pem
>>406
自分一人の進退だけではなく
一族郎党巻き込むことになりかねないからね
409人間七七四年:2012/07/14(土) 23:00:28.99 ID:z3/RZvqb
これ以外にも突然逃げ込んできた犯罪犯した武士は匿わなきゃいけないとか上意打ちとか
武士の世界には本人そうしようもない理不尽なイベント多いよね
まあ発生率は無視できるほど低かったんだろうが
410人間七七四年:2012/07/14(土) 23:43:45.84 ID:6Dbj7CmE
吉良邸討ち入り事件の時浪士複数人に取り囲まれて斬り合って倒れたにも関わらず
背中に刀傷があるって理由で牢に押し込めとかマジ理不尽
411人間七七四年:2012/07/14(土) 23:48:47.30 ID:kvHodi21
このたび御家(沼田小早川家)又鶴丸(繁平)殿より竹原隆景へご相続ができましたのは全て皆さま方のご好意によるものです
我々はこのことを感謝し尽くしても尽くせません
そこでこのご好意についてはこの元就・隆元親子は言うに及ばず、例え御家が没落したとしても忘れず
長きにおいて粗末な扱いをすることは決して致しません
もしこのことに嘘偽りがあれば、梵天帝釈・四天王・総ての日本国中六十余州の大小の神々
中でも厳島両大明神・八幡大菩薩・天満大自在天の各ご神罰を受けることを誓います

天文二十年 九月 二十八日   
                  隆元 御判
                  元就 御判
         乃美弾正忠殿

小早川家相続について毛利元就・隆元が前主君のアフターケアを小早川家家臣の乃美景興に誓約した
毛利家の真摯度の高さが伺える起請文である。
これにより小早川家中をまとめ傘下に入れることに成功した毛利家はさらなる飛躍を遂げることとなる。

それにしても日本国中の神様に誓約するあたり物凄く神様が大好きな一家である。
412人間七七四年:2012/07/14(土) 23:57:05.58 ID:z3/RZvqb
まあこの時に隆景に嫁いだ繁平の妹を隆景は終生大事にしているしなあ
18の時に5歳くらいの嫁もらったんだっけ
413人間七七四年:2012/07/15(日) 01:12:17.16 ID:68CsjlVo
毛利の三兄弟は誰も側室を置かなかったんだよね。
隆景さんとこは結局それで跡継ぎができなかったわけだけど。
414人間七七四年:2012/07/15(日) 01:15:42.13 ID:p3aX0lDK
そういえば隆元は嫁さんに会うのにも必ず正装してたそうで。
どうも正妻との接し方について、元就は三兄弟に特異な教育をしてたんじゃないかとも思ったw
415人間七七四年:2012/07/15(日) 01:34:29.58 ID:Lo5S5Bcf
元就自身も三兄弟+宍戸へやった娘を生んだ正妻の存命中は側室置かなかったしね
416人間七七四年:2012/07/15(日) 01:35:39.72 ID:eIIROuzv
気のせいかだんだんTERU批判に見えてきた
417人間七七四年:2012/07/15(日) 01:58:01.30 ID:lwkwn9m2
wikipediaの「切捨御免」を読んだが、八幡和郎って大丈夫か?
418人間七七四年:2012/07/15(日) 02:04:54.00 ID:fV1xfvIX
著作数や著作の分野を見てみれば
全部が全部きちんと資料を収集して丹念に調べた上で書いているとはとても思えないが
419人間七七四年:2012/07/15(日) 02:06:17.34 ID:HL7mypb+
八幡って苗字カッコいいな
八幡の大和男て名前としては完璧だね
大津出身の元官僚って以外どういう人なのか知らないけど
420人間七七四年:2012/07/15(日) 07:42:58.19 ID:YQ2Ny3GU
>>411
あと少しで神無月だから滑り込みセーフだね。
421人間七七四年:2012/07/15(日) 08:15:05.39 ID:SmZeOzs0
上杉謙信がかつて師事した僧に、信州岩村田、龍雲寺の法興和尚という人があった。
彼は永禄11年9月の下旬に、武田家よりの密命を帯びて甲州長延寺の実了和尚と共に
和解勧告のため越後を訪れた事のある僧である。

この法興和尚が越後に参侯したある時のこと。謙信は自ら大きな栗を和尚に与え

「この九里(栗)に一里を足して、十里にして食われよ。」と云った。

和尚はそれを受け取ると
「皮を剥いて、五里五里と?み割らせて頂きたい。」と答えた。

この和尚の当意即妙の才に、謙信も嘆賞したのだという。

(上杉謙信言行録)
422人間七七四年:2012/07/15(日) 08:22:48.05 ID:Pc/b83PT
謙信「見事、ほかに所望のものがあれば用意するが」
僧「稚児の尻(四里)はむり(六里)ですかな」
謙信「三里に灸をすえなされ、七里以内にいると斬りますぞ」
423人間七七四年:2012/07/15(日) 08:26:44.81 ID:fxVkWU3x
四里から六里矢理食ってみよ
424人間七七四年:2012/07/15(日) 09:02:52.43 ID:S8Uc4zAO
昆陽「九里四里甘き十三里という食べ物がございましてな・・・」
425人間七七四年:2012/07/15(日) 09:57:52.93 ID:YQ2Ny3GU
>>421
一里=ひとり

なるほど一人で召し上がって下さいって意味か
426人間七七四年:2012/07/15(日) 10:44:20.22 ID:/h/pNf3s
八幡っていうと、ピッチャーなのにキャチャーだった先輩くらいしか思い浮かばないなぁ〜
427人間七七四年:2012/07/15(日) 10:54:37.39 ID:+5QxG8ej
>>424
川越は江戸から十三里あって甘藷の産地だったんだよね(´・ω・`)
428人間七七四年:2012/07/15(日) 12:49:06.54 ID:iinS7Ung
>>413-416
       ____
     /⌒輝⌒\
   /( ●)  (●)\
  /::::::⌒(__人__)⌒::::: \   反面教師にして子孫残すことを図ったんだお!
  |     |r┬-|     |
  \      `ー'´     /
429人間七七四年:2012/07/15(日) 14:33:07.38 ID:c756xxfQ
>>428
祖父様の優秀な息子達に比べTERUの息子は困った息子達だったけどな
430人間七七四年:2012/07/15(日) 17:27:35.50 ID:N0wCnUmP
   / ̄ ̄\    
 /   _ノ  \   まだ足らなかったようだなjk
 |    ( ●)(●)
. |     (__人__) ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\                /⌒l
  |     ` ⌒´ノ   ――--、 \――――----------ノ  /
.  |         }   ・     \ ヽ             /
.  ヽ         }         「 )))――――――――<    __
   ヽ     ノ   ・     /  /             \ / ̄ 輝⌒\
    \         ----―´ /--------―――――ヽ ヽi; ノ  (●) \
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                                    、  ノ:⌒ヽrっヽ:゚/ ぐぇあ
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431人間七七四年:2012/07/15(日) 20:27:41.91 ID:KEpI+rBp
>>429
しかし、TERUが毛利家伝統の長説教をしたためなんとかお家の大事には至らなかったという
432人間七七四年:2012/07/16(月) 20:21:02.68 ID:WjR39epN
ここの住人は織田信奈の野望とか見てるんだろうか
433人間七七四年:2012/07/16(月) 20:30:18.36 ID:wTaK/TWy
文化財クラッシャーネタのあった戦国乙女なら見た
434人間七七四年:2012/07/16(月) 20:49:01.89 ID:cR1B2K2U
織田信菜を見て戦国に興味持ってここに来る人とかも居るのかな?
435人間七七四年:2012/07/16(月) 21:08:35.88 ID:WjR39epN
実を言うとこういうのを割りきって見るのに慣れてしまって
ブヒブヒ言いながら見てるんです

俺は戦国無双ちょっとやってから本家信長の野望やって
改めてこの辺の歴史に興味をもってここに来たクチだけど
436人間七七四年:2012/07/16(月) 21:53:41.64 ID:/z881tdx
アニメから葉隠まで割と幅広い層が集まってるよなこのスレ
資料とかやたら詳しい人もいるし
437人間七七四年:2012/07/16(月) 22:29:38.30 ID:LIVgW9Mf
自分語りなんてどうでもいいよ
438人間七七四年:2012/07/16(月) 22:36:20.81 ID:cR1B2K2U
まあしかし、アニメやゲームにかぎらず一般的な武将イメージの作品で戦国に興味持ってここに来たら、
逸話とイメージのギャップに大概はびっくりするだろうなw
439人間七七四年:2012/07/16(月) 22:59:01.82 ID:CtWg4460
上杉謙信が女じゃなくてびっくりした
440人間七七四年:2012/07/16(月) 23:10:58.89 ID:WjR39epN
美少女化もされずに腐れ外道貫いてる大関さんは希望の星
されてないよな
441人間七七四年:2012/07/16(月) 23:50:41.12 ID:kx+wRB9H
まあ、腐れ外道三兄弟は知名度的にねえ。
それに美少女化されたら多分ある程度マイルドになって腐れ外道じゃなくなっちゃうからねーえ。
腐れ外道やどっかイカレた横暴野郎辺りばかりを集めて美少女化したようなのは見てみたい気がする、どのくらい逸話取り入れるかでw
442人間七七四年:2012/07/17(火) 02:34:09.98 ID:rvJNeATx
いい話スレに投稿するために新選組遺聞を読破してきたからな!近日投稿します
443人間七七四年:2012/07/17(火) 11:36:50.78 ID:hDBpgHJW
>>438
前田利益(慶次郎)は、むしろ小説・漫画とのギャップが少ないのに驚いた。
444人間七七四年:2012/07/17(火) 11:42:38.58 ID:BE3NvtjE
としますはとしいえよりとしした…
そう思っていた
445人間七七四年:2012/07/17(火) 13:25:25.09 ID:qO0HOYjV
戦国BASARAとかで伊達政宗はとんでもない描写をされることが多いが
史実とそんなに違ってなくて驚いた
446人間七七四年:2012/07/17(火) 14:08:40.44 ID:+teTPcFn
>>440-441
戦極姫シリーズならそのうち
大関さんたち三兄弟を美少女化してくれると信じてる
447人間七七四年:2012/07/17(火) 18:34:17.84 ID:jpO8CV/W
>>445
DQN四天王はどれだけ創作されようとも
本人達のリアルなヤバさを越えられる気がしない
448人間七七四年:2012/07/17(火) 18:40:22.33 ID:DiOFImt+
義隆「男だろうが女だろうが関係なかろう。」
449人間七七四年:2012/07/17(火) 18:43:32.97 ID:j4gFWR0m
そういや冷泉さんってなんかのゲームで
陰陽師みたいな雰囲気の大きなお姉さんが好みそうな絵柄の超イケメンじゃなかったか
450人間七七四年:2012/07/17(火) 20:38:45.86 ID:1SuYoxlV
センゴクの権現様と不識庵と顕如さんはこのスレのイメージに割りと近いと思う
451人間七七四年:2012/07/17(火) 22:09:45.33 ID:8z2iOeN4
不識庵じゃなくて不知庵なら
中国語でプーチーアンでますますプーチンぽかったのに
452人間七七四年:2012/07/17(火) 22:36:03.05 ID:1SuYoxlV
孫市さんと土橋さんてゲバラとカストロだよねあの漫画
顕如さんが墨入れて毛皮羽織ってるのも描写として面白い
453人間七七四年:2012/07/17(火) 23:30:16.62 ID:EG++Q5pE
センゴクは柴田勝家がカッコいいんだよなあ
454人間七七四年:2012/07/18(水) 02:24:06.08 ID:bdjR7Vzr
あの漫画の明智光秀と本願寺勢は衝撃的だったなぁ
その頃は一般教養レベルの歴史しか知らなかったもの
455人間七七四年:2012/07/18(水) 19:56:29.46 ID:+dPjCF5H
>>438

戦国BASARAと戦国コレクションで軽く知る

ここのまとめサイトを見て感心したり驚いたり

戦国コレクションのカード解説文と見比べてニヤニヤしてる

ってのがここにいる。
元々歴史は好きな方だけどさ。
456人間七七四年:2012/07/18(水) 19:59:30.28 ID:kcoXtoKE
これだから
457人間七七四年:2012/07/18(水) 20:09:24.37 ID:fWTAZxLP
大井川の辺りに万年三左衛門重頼という富豪の者がいた。
徳川家康が狩りをしている時、ちょうど重頼が農民に命じて田代を
かかせているのを見かけた。

家康は「戯れに奴の馬鍬を取り上げて鼻をあかしてやろう」と思いつき
御供に命じてすべての馬鍬を奪い取ってしまった。

ところが重頼はものともせずに、さらい(竹製の農具)を取り出して黙々と田代を
かき続けた。小高い所から様子を見て興じていた家康は「逸物の万年かな」と


言って重頼をその辺りの代官とし、子孫は代々遠州の代官となり、
江戸に移ってからは後家人となった。
458人間七七四年:2012/07/18(水) 21:18:15.79 ID:JlY5Gguo
泣く子も黙る地主さまって奴だね
459人間七七四年:2012/07/18(水) 22:17:15.01 ID:SLPHHkBL
仕事の道具を取り上げるパワハラ権現様ひどいw
460人間七七四年:2012/07/18(水) 22:52:49.86 ID:Yqpiy80x
御家人なら遠州あたりの富農で居たほうが幸せだったりしないだろうか
461人間七七四年:2012/07/18(水) 22:56:25.49 ID:JlY5Gguo
>>460
たしかに(笑)
維新後の状況みても地主ほど美味しい思いしてるよな
462人間七七四年:2012/07/19(木) 02:32:50.17 ID:RdvG09fR
抜群のネーミングセンスで「万年」って名づけた話かと思ったら
463人間七七四年:2012/07/19(木) 11:56:09.11 ID:eleMkNfs
馬や鍬を奪い取ったのかと思ったら
馬鍬っていう農具のことなのね。
464人間七七四年:2012/07/19(木) 19:09:44.51 ID:ZiRg7sap
本願寺門跡が公卿や大名を招き、猿楽興行を催した時のこと。観客には前もって演目表が配られたが、
それを見たある大名が言うに、

「ふむ・・・この演者の組み合わせなら、『杜若』の曲の太鼓はオレがやろう。」
「!? だ、伊達殿、それは・・・」

プロの楽師を押しのけ、自分が一曲太鼓を叩くと言い出し楽屋裏に入り込んだ伊達政宗に、主催者は狼狽、
観客はみな(また伊達殿のなさることよ)と眉をひそめた。

ところが意外や意外。曲目が始まるや、政宗の太鼓は序・破・急の理にかなうばかりか、逆に楽師たちのほうが
政宗の拍子に誘われる形で、一曲を見事に奏でてのけた。演奏を終えて戻ってきた政宗を、門跡は絶賛した。
「いや、驚きましたぞ!伊達殿がこれほどの芸をお持ちとは・・・」

「フフン、今の『杜若』はもちろん、『獅子』『姥捨』などの秘曲であろうとも、その辺の楽師では
オレの片腕のバチさばきにも足りますまい。」自慢げに答えた政宗は、しかしタメ息をついた。

「・・・とは言え、オレの師匠は太鼓に限らず、数多の芸に通じると有名だったが、己が芸を一生自慢することの
無い人でした。こんなマネや放言をせねば、それと知られぬようでは、オレの太鼓も人柄も、まだまだ師匠の足元にも
及ばぬということでしょうな。」(関原軍記大成他より)


名ドラマー伊達政宗、その師匠の名を細川幽斎という。
465人間七七四年:2012/07/19(木) 20:15:50.90 ID:CO0UcwPx
人柄の方で師匠を超える気は全く無いだろw
466人間七七四年:2012/07/19(木) 20:31:58.89 ID:v/MZOqfB
いかにも逸話然とした話ではあるけど
なんかこう、プロデュース能力で売れたアーティストが実力派に対して抱く劣等感的な妙なリアリティがw

政宗の場合はただの神輿じゃなくてセルフプロデュースだからそれはそれで大したもんなんだが
案外繊細な所あるし審美眼は持ってるだけに、ふと我に返ってこんな心境になることもあったかもねえ
467人間七七四年:2012/07/19(木) 20:36:31.92 ID:FQYaFi2F
ま〜君はなんだかんだ言って繊細でいろいろ面倒臭そう…
三歳さんは嫁以外のことではブレない感じ
まぁ、嫁のことでもブレてはないけどね
468人間七七四年:2012/07/19(木) 21:22:14.56 ID:xvE5VkqM
まぁ師匠超えるのは無理だから。

芸事で幽斎さん超えるとか頭の回転で官兵衛超えるとかは無理ゲー
むしろ政宗はそいつらを親に持ってなかったからそんな慨嘆で済んだ
469人間七七四年:2012/07/19(木) 21:31:15.43 ID:v/MZOqfB
>>468
親が内面的な円熟期を迎える前に自ら葬りました
470人間七七四年:2012/07/20(金) 00:41:49.82 ID:iayw3Lcq
和歌に剣術に・・・数えきれない
471人間七七四年:2012/07/20(金) 00:43:41.65 ID:Hg0l0HvR
DQN眼流「あっそうだ!師匠の事好きだから九曜紋の家紋ちょうだいね。忠興!王義之の書を半分やっただろ」
472人間七七四年:2012/07/20(金) 00:48:06.65 ID:Hg0l0HvR
芸のデパート 細川幽斎
DQNのデパート 伊達政宗
473人間七七四年:2012/07/20(金) 00:49:53.69 ID:Hg0l0HvR
手紙のデパート 細川忠興
474人間七七四年:2012/07/20(金) 01:10:39.66 ID:2yROda39
側室のデパート 島津家久(悪)
475人間七七四年:2012/07/20(金) 01:19:03.64 ID:Hg0l0HvR
SATSUGAIのデパート 森長可
476人間七七四年:2012/07/20(金) 01:20:33.46 ID:Hg0l0HvR
裏切りのデパート 武田信玄
477人間七七四年:2012/07/20(金) 01:29:51.75 ID:gtPt/EJX
滅亡のデパート 日根野弘就
478人間七七四年:2012/07/20(金) 01:33:52.70 ID:2yROda39
乗っかってなんだけど、Hg0l0HvRは少し落ち着いたほうがいいと思う
479人間七七四年:2012/07/20(金) 01:56:23.39 ID:Hg0l0HvR
すみません、書き込み新参でよく分かってなくて
480人間七七四年:2012/07/20(金) 02:07:39.59 ID:13YGG14u
芸のデパート 細川幽斎
食品売り場 伊達政宗
481人間七七四年:2012/07/20(金) 03:23:00.78 ID:FjElpIL3
他スレに書いたんだけどまだ出てなかったみたいなんで転載

細川忠興の石垣感

小倉城主になった忠興は小倉城を築城するにあたり当時主流になりつつある打ち込みハギ(加工石使用)ではなく野面積み(自然石使用)を多用した。
理由は「石を加工するのは誰でもできるが、美しく大きい石を集めさせることは権力者にしかできない」から
利休七哲と言われるだけあって変なところに価値観を見出したらしい

482人間七七四年:2012/07/20(金) 03:32:13.54 ID:FjElpIL3
>>481の関連

さて小倉城築城のため石集めに励む忠興さん。
大谷で巨岩を見つけて家来に引かせていたのだが、あまりの重さに途中で動かなくなってしまった。
そこで忠興さん、いつも通りカッとなって責任者の首を刎ねる。
恐れをなした足軽衆は必死になって石を運び、無事小倉城まで運び込んだ。

その後、細川氏が熊本へ移ってから小倉城主となった小笠原氏の4代、小笠原忠総がこれを聞き
「俺なら動かなくなった時点で二つに割った。それなら死人が出なくて済んだものを」
と嘆いたという。これを2人の性格の違いを示すものとして「細川の大石、小笠原の割石」と呼ぶ。
その石は今も小倉城内、八坂神社の前に残っている。
483人間七七四年:2012/07/20(金) 03:34:05.01 ID:zQe/DhUw

>「俺なら動かなくなった時点で二つに割った。それなら死人が出なくて済んだものを」

そういう問題じゃねーよwww
484人間七七四年:2012/07/20(金) 03:37:48.10 ID:2yROda39
>「俺なら動かなくなった時点で二つに割った。それなら死人が出なくて済んだものを」
なら最初から割って運ばせろよw
とりあえず動かなくなるまで運ばせるって、計画性なさすぎだろwww
485人間七七四年:2012/07/20(金) 03:41:32.68 ID:FjElpIL3
>>484
細川は石の大きさで見栄を張るというか、権力の象徴としてデカい石を運ばせた
小笠原はそこまで石の大小は気にせず、家臣の命の方を取る
とかそういう意味の逸話なんだろうと思う
486人間七七四年:2012/07/20(金) 03:44:12.94 ID:7lfB08jb
>>481-482
早速ありがとう
しかし忠興公はぶれないなー
487人間七七四年:2012/07/20(金) 06:14:26.98 ID:HDcb1mc0
石が動かなくなった時点で家臣を二つに割った三歳様、
動かなくなった時点で家臣を割りつつ直進行軍で町まで割った工場長、
どちらにせよ決してケツは割らんのだ
488人間七七四年:2012/07/20(金) 07:32:25.47 ID:sD9Cgwd+
コレはちょっと悪い話だろw
489人間七七四年:2012/07/20(金) 16:18:41.56 ID:1UvJ3oDg
それにしても、どいつもこいつもよく黙って斬られるな。
細川家に男はいないのか?
一人くらい返り討ちにしてやれよ。
490人間七七四年:2012/07/20(金) 17:09:41.54 ID:y76OiWPe
平野権平(長泰)は賤ヶ岳にまっさきに登った七本槍の一人。
のちに家康公は、旗本におとりたてになった。
あるとき、権平が細川殿のお屋敷へ招かれ馳走になった。
そのおり細川殿が、

「権平殿の武勇は日本中に響き渡っている。
これほどの武勇の士を小身で召しかかえておかれるのは至極残念。
さぞかし、お暮らし御不自由しておられるでしょう。
もし我が細川の家中となられたなら、領地の半分は差し上げてもよいものを」

とおおせになると、
権平は何も返事をしないで、座を立ち縁に出て正面に立ちはだかり、
庭へ小便しながら、

「貴殿の家中になると、ここから小便できなくなる」

と言ったそうである 【葉隠より】

細川家は当時から仕えるのに、堅いというか難しい、
という印象は持たれていたみたいですね
491人間七七四年:2012/07/20(金) 17:31:18.79 ID:FGXS0tgB
家康リスペクトで庭に放尿したんだな
492人間七七四年:2012/07/20(金) 17:46:35.16 ID:92f8CM4C
どこの家であっても主君の庭で小便なんて無理だろうし…
そこはそんなに小便したくなる場所なのか?
493人間七七四年:2012/07/20(金) 17:53:16.77 ID:L+VSPN0f
小身でも直参であり、同格だからね^^ 、
ってことなんだろうけど気骨と礼儀を秤にかけるとかけるとどうなんだろね
494人間七七四年:2012/07/20(金) 18:03:45.45 ID:y76OiWPe
>>492
権現様が人質の身でありながら今川家の庭で小便した前例がありますw
おそらく平野さんがその故事にならって意志を伝えた、
達人が即興で作る歌のような風流なエピソード
495人間七七四年:2012/07/20(金) 18:34:01.99 ID:iayw3Lcq
平野長泰の子孫は幕末を上手に立ち回り一万石の扱いとなり立藩、男爵となったそうだ
496人間七七四年:2012/07/20(金) 19:17:33.52 ID:iu1KjriB
かたくるしいというか37人目になりたくないというか
497人間七七四年:2012/07/20(金) 19:25:32.53 ID:teG7bH2w
権平さんは脱糞もするべきだと思うの。
498人間七七四年:2012/07/20(金) 21:10:50.84 ID:9CqAGcob
そんなのもらったら立小便ができなくなると国民栄誉賞を断った福本さんをおもいだした
499人間七七四年:2012/07/20(金) 22:01:14.21 ID:L+VSPN0f
貰わなくてもするなよと…
500人間七七四年:2012/07/20(金) 22:24:26.88 ID:1w6T348t
政宗「武偏話は小便を垂らしてでも聞け!」
501人間七七四年:2012/07/21(土) 00:21:08.26 ID:mD428EP+
微妙公がなにやらモジモジしておいでです
502人間七七四年:2012/07/21(土) 00:26:20.97 ID:cYKIMDRl
小倉城行った時の資料漁ってたらひとつ見つけた
文章が下手すぎるけど小倉市の見解が面白いからあえて看板内容そのまま転載

(小倉城と)津山城との関わり
当時の津山城築城に関しては、面白い逸話が残されています。
森忠政が慶長8年に美作津山へ入封し、12年の歳月をかけて平山城を完成させた。
津山城築城に際して、小倉城の縄張りに倣った。
忠政は家臣の保田惣右衛門らを密かに小倉へ遣り、密かに小倉城の城郭図を移そうとしたところ、それがばれてしまった。
しかし度量の大きい小倉城主細川忠興は以外にも城郭図を貸し与えたばかりか、城の完成にあたっては朝顔の半鐘と呼ばれる鐘を送った。
この話から、細川忠興が心の広い人物だった事が窺えます。

以上、小倉城天守閣内資料館の看板より、原文ママ。「贈る」が「送る」になってるのもママ。
設置者は確認できなかったけど、区役所か市教委あたりかと
503人間七七四年:2012/07/21(土) 00:31:02.94 ID:p4GgiwN1
DQN四天王の弟とDQN四天王の話なのにいい話だなんて
504人間七七四年:2012/07/21(土) 01:11:06.56 ID:MziHLxEh
>502
この話は前に出てる。細川忠興の5番目に。


871 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/26(日) 12:19:51 ID:kGf0eiUT
森忠政と細川忠興と言えば、小倉城の図面事件もいい話だな

874 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/26(日) 14:41:08 ID:0kJ/dWNR
>>871
どんなの?

876 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/26(日) 17:05:30 ID:g9utkbeq
>>874
忠興「こないだオレ、マイホーム(小倉城)建ててさ、それが…」
忠政「…この手の話ってやたら細かい上に長くてウザイよな」

あまり忠興が吹くのでくやしくなった忠政、家臣の薮田助太夫らに大工をつけて
小倉に派遣し、城の縄張りの絵図面を取らせた(平たく言えばスパイ)。

ところがこの一行、自分たちがヤバイ事をしている自覚はあったのか、
小倉沖で海上生活を送ったのは良いが、灯火が漏れてバレ、小倉城内に連行された。

一行の自白はたちまち城主に伝わったが、忠興は友人のオイタを笑って許したばかりか
本物の絵図面を土産に一行を解放してやった。
後に忠政がその図面を参考に居城・津山城を築いたとき、忠興は祝い品として
秘蔵の南蛮製の鐘を送り、鐘は津山城天守で長く時を告げたという。

↓ちゃーんと細川の九曜紋が入ってる
ttp://www.city.tsuyama.okayama.jp/chikujo400/history/chikujyo/index.html
505人間七七四年:2012/07/21(土) 01:13:22.27 ID:MziHLxEh
戦国ちょっといい話・悪い話まとめ : 森忠政と細川忠興、小倉城図面事件・いい話
 http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-395.html
506人間七七四年:2012/07/21(土) 01:19:05.30 ID:UOXdqfaF
画像が消えてるじゃないか、という事で適当に代わりをはっておこう
ttp://nakatake05.blogcoara.jp/photos/uncategorized/2012/05/12/img_4936.jpg
507人間七七四年:2012/07/21(土) 01:22:40.11 ID:MziHLxEh
>490
この話も前にあった。
戦国ちょっといい話・悪い話まとめ : (品の)悪いいい話 3/3、平野長泰と細川忠興
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1736.html
508人間七七四年:2012/07/21(土) 01:24:26.07 ID:WDdw/f5L
南蛮製なのにちゃんと九曜紋入ってるのか
509人間七七四年:2012/07/21(土) 01:28:33.01 ID:MziHLxEh
政宗(●∀゚)「お、おめえんとこの家紋、cooooolじゃね?」
510人間七七四年:2012/07/21(土) 01:45:08.35 ID:mD428EP+
でも便所ではちゃんと家紋を確認しようね!
511人間七七四年:2012/07/21(土) 01:53:46.22 ID:cYKIMDRl
既出だったのかスマン
ざっと確かめたつもりだったけどさすがに三斎さんは多いからな
512人間七七四年:2012/07/21(土) 04:00:40.06 ID:MziHLxEh
三斎さんの話は今で94もあるし、4年も前に書かれたやつだしな。
俺は四天王の話をたまに読み返すから気が付いたけど。
513人間七七四年:2012/07/21(土) 08:34:00.98 ID:U/bKkmPx
三斎さんのいい話ではあるけど森家はさすがだぜって感じがして好きな話だ
514人間七七四年:2012/07/21(土) 10:32:36.22 ID:dHlN6gEo
まとめブログなら、細川忠興と森忠政で検索できるんじゃないか
しかし逸話が飽和してきたせいか、結構かぶってきたな
ここに投下された逸話のうち、近頃かぶった割合と、まとめブログの逸話の総数を使えば
統計学的手法で戦国時代の逸話のおおよその総数がわかるのではないか
515人間七七四年:2012/07/21(土) 14:40:36.77 ID:/96g64qx
だが逸話じゃなくて「その人の一生」や「雑談」なんかもあるからな。
516人間七七四年:2012/07/21(土) 14:47:14.65 ID:VclUP4Rl
ドマイナーで投稿されてない逸話なんかもまだまだあると思うぞ。
517人間七七四年:2012/07/21(土) 14:55:33.12 ID:ijSPW+5s
石田三成が挙兵し、いわゆる関ヶ原の役が進行する中、伏見城留守居の徳川家康家臣・鳥居元忠は
西軍との戦いを決意し、籠城の準備を進めていた。

と、その頃宇治の茶師に上林竹庵(政重)というものがいた。
この竹庵が籠城の準備をしている伏見城にやってきて言った

「それがしこの数年来、内府様(家康)に御恩を被り奉りました。であれば、この度私もこちらに、籠城いたします!」

これには鳥居元忠も驚き、彼を説得した

「確かに其の方はかねてから当家のお茶の御用を承り、少しの知行を頂いておる。
だがそれは他の者を超えるほどの御恩というわけでは無いではないか。
そうであるのに今回ここで討ち死にすれば、其の方自身は無用なことをしたものだと言われ、また我々は、城中
無勢であるのに困って商売人までかき集めた、などと言われてしまうだろう。そうなってはお互い面目もないではないか。
とにかくそれは止めるのだ。」

そう、言葉を尽くして諦めるよう言ったが、竹庵はまるで納得せず、

「鳥居様の言うことはたしかに道理です。であれば強いてそれに反論しようとも思いません。
だからといって、先に言った一言を無かった事にして再び宇治に帰ってしまっては、それは私という男の恥でございます!
いたしかたない!ここで切腹いたす!!」

そう、顔色を変えて言い放ったので、流石の鳥居元忠も致し方なく、彼が城中にとどまることを許可した。
元忠は竹庵を太鼓丸の守備に当てた。竹庵は喜び、茶袋を集めて自分の指物にしたという。

そして8月1日、西軍の大軍勢に10日以上も持ちこたえた伏見城も、ついに落城の時を迎えた。
竹庵は兜の代わりに赤い鉢巻を着け、太鼓丸に攻め込んだ鍋島勢に一騎、突撃し、
そこで見事に討ち死にをした。
彼の首をとったのは、鈴木善八と言う者であったという。

伏見城で散った、一人の茶師についての逸話である

(関原軍記大成など)
518小松山合戦の関東武者1:2012/07/21(土) 15:15:00.67 ID:PJw4IN28
大坂夏の陣の時、水野勝成を先鋒とする徳川軍は道明寺の小松山に布陣した。
遅れて到着した豊臣方の後藤基次の軍は小松山奪還のため攻めてきた。
猛将の基次の攻撃に耐えかねて徳川軍は退却したが、徳川方の奥田三郎右衛門のみは
悔しがって「彼も人 我も人なり、恐れるに足らず」と手勢を率いて突進した。
519人間七七四年:2012/07/21(土) 15:15:40.74 ID:k3vcaVJN
竹庵の男っ振りに涙。
それにしても、宇治の人が三河武士のような性格になっている…
520小松山合戦の関東武者2:2012/07/21(土) 15:21:08.91 ID:PJw4IN28
荒猪の狂うに似たりと記される戦いぶりで、さしもの後藤基次も顔色を失った。基次は
「撃て、鉄砲で打ち取れ」と鉄砲隊に一斉射撃させた。全身蜂の巣にされながらも
三郎右衛門は突進をやめなかった。これを見た徳川方は奮い立ち、「関東武者の意地を見せよ、
三郎を見殺しにするな」と後に続き、ついに基次の部隊は退却した。三郎は後を追おうと
したが倒れた。三郎の命はとっくに尽きていたのだ。
521人間七七四年:2012/07/21(土) 15:51:35.71 ID:qjCO7XlM
文章はおかしくないけどなんか読みにくいな。
522人間七七四年:2012/07/21(土) 15:56:13.42 ID:xokxdCNh
徳川軍が先に小松山にいたってバージョンがあるのか
523人間七七四年:2012/07/21(土) 17:33:34.39 ID:mD428EP+
>>519
竹庵て権現様から三河の代官だか任されてたから。
524人間七七四年:2012/07/21(土) 20:25:39.47 ID:W2hkamTP
上林って利休と組んでのしあがったんだっけか
525人間七七四年:2012/07/21(土) 20:26:37.51 ID:ijSPW+5s
竹庵さんシリーズ

上林竹庵(政重)が経営する宇治の茶の生産地に、彼の招きに応じて千利休が訪問したことがあった。

利休の訪問に竹庵は大喜びし、自ら手前を立て接待したのだが、喜びの余り手先が震え、茶筅を倒してしまうという
失態を犯してしまった。

ところが利休は茶を喫した後、竹庵に 「日本一のお点前でした」 と、褒めた。

この事を不思議に思った、同席していた利休の門弟が、後でそのわけを聞くと、利休はこう答えた

「竹庵は私に手前を見せようとして招いたのではなく、ただ茶を飲んでもらおうとしただけである。
彼は、湯の冷めないうちにと一心に茶を立てていた。私はその心を褒めたのだ。」

千利休、上林竹庵の茶を褒める、というお話。
526人間七七四年:2012/07/21(土) 22:18:55.89 ID:yLabZzva
ぬかしおる
527人間七七四年:2012/07/21(土) 22:21:17.30 ID:J2/QgrC6
「綾鷹」は竹庵の兄・上林春松の子孫が作ったんだったか
528人間七七四年:2012/07/21(土) 23:24:16.76 ID:mD428EP+
ババムカシ飲みてぇな
529人間七七四年:2012/07/21(土) 23:33:31.13 ID:MziHLxEh
ここに載っている話は、だいたい出ているのかな?
http://www.asahi-net.or.jp/~jt7t-imfk/taiandir/taian02.htm
530人間七七四年:2012/07/22(日) 00:21:17.76 ID:gNqDECaR
初期はまんま転載されてた。
531人間七七四年:2012/07/22(日) 01:22:36.06 ID:GWX0pATe
本当は手前も褒めて欲しかったところだろうけど
敢闘賞に終わった竹庵の残念だった話
532人間七七四年:2012/07/22(日) 01:29:24.33 ID:ptyhgdzq
利休「いんだよ細けぇ事は!!」
533人間七七四年:2012/07/22(日) 07:31:10.89 ID:wwzD/tDe
利休がそれを言うなよww
534人間七七四年:2012/07/22(日) 07:43:20.76 ID:/o+p1fpm
もてなしの心>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>|超えられない壁|>>>>>>>>>>>>>>>>>点前
535人間七七四年:2012/07/22(日) 08:12:26.60 ID:pTzDPTSg
茶道の嗜みがないので茶筅を倒すことがどの程度の問題なのかわからないのが哀しいところ
536人間七七四年:2012/07/22(日) 08:57:34.54 ID:NRG+DqRI
俺もあんまわかんないけど茶碗に突っ込むものを床につけちゃうんだから結構アウトっぽい匂いがする
537人間七七四年:2012/07/22(日) 11:29:22.98 ID:NW+GgggY
ドヤ顔で茶を立てる奴よりは
客の来訪を喜んで一生懸命に茶を立ててくれる方が
後者の方が下手でも飲もうという気分にはなるね
538人間七七四年:2012/07/22(日) 12:00:16.14 ID:0gyyQntj
利休さんも結構な逸話あるんだっけ?
539人間七七四年:2012/07/22(日) 13:30:48.13 ID:xNGl9GzN
ゲヒヒまあちょっと良い悪いスレ見ると
この時代きっての文化人の方々も
癇癪起こして家臣を切ったり、文化財を平気でクラッシュしたり
他人の茶器すら盗んだり等々基本荒大名ばかりですからなw
竹庵さんは前の逸話と合わせても一本気な好漢でござるな
540人間七七四年:2012/07/22(日) 14:39:22.04 ID:xhLTZA02
鼻水がお茶の中に…(´・ω・`)
541人間七七四年:2012/07/22(日) 14:55:32.32 ID:pm1metR1
清正公のヒゲが…
542人間七七四年:2012/07/22(日) 15:22:24.25 ID:Yq2PQCQp
>>539
へうげものでもそんな感じでしたな
543人間七七四年:2012/07/22(日) 15:31:28.69 ID:+AWEQHK5
貴殿の家中になると、ここから小便できなくなる
544人間七七四年:2012/07/22(日) 15:33:32.77 ID:8WIJwihP
茶の湯とは ただ湯を沸かし 茶を点てて
呑むばかりなり 本を知るべし

千利休
545人間七七四年:2012/07/22(日) 15:48:42.09 ID:C++YEqWQ
へうげは明日15巻発売か
546人間七七四年:2012/07/22(日) 19:53:31.75 ID:FUJq/t4F
立花宗茂ちょっと良い話  赤館(1)
慶長8年、御書院番頭、立花左近将監宗茂が5000石の加増を受け棚倉1万石に入部した。
城番より赤館城を引き継いだ宗茂は、城を一渡り検分すると若干の者を城番として残し、
麓の代官屋敷に入った。
その後、宗茂は、米の年貢を減免すると共に木材を年貢として徴収するなど、米の取れにくい
現地の実情と江戸城の大拡張と江戸城下の発展に伴う木材需要の増大を見込んだ政策を行い、
少しでも藩の財政を潤そうと努めた。領民にとっても米を年貢として搾り取られるより、日々の生活
で使う木材が年貢の代わりになるというのは思いもかけない話であり、新領主に対して安堵の思いを抱いた。
棚倉で1年を過ごした宗茂が、江戸に登ると棚倉藩の施政の評判が良いことを快く思わない三河者の某が
江戸城中で宗茂を詰問した。
「左近将監殿は、赤館の城に城番を置くのみで在城されないとのこと、津軽、南部の反目や上杉や伊達の
動きなど、奥州の世情が不安の折り、大樹様のご意向をどうお考えかか?ご存念をお伺いしたい」
「大御所様が大樹様に江戸をお譲りになってより、世はますます平穏となり蒲生様が会津に入り、厩橋に
榊原様が入られたことを考えれば、其れがし如き、小身が赤館に詰める意味はござらん」
「なんと申された!城を大樹様からお預かりする事をなんと考えられるのか!」
「赤館は押し出しの城にて詰の城ではござらん。思うに太樹様は、奥州に事あるときには、佐竹殿の前例に
基づき、水戸より大兵を赤館に送られ、会津の後詰を行われるはず。その折、速やかに城を明け渡すために
城番を置くだけにしたのでござる。我らは、代官所より電光のごとく発して会津への道を守るのが勤めと心得ており申す」
547人間七七四年:2012/07/22(日) 19:55:57.77 ID:FUJq/t4F
立花宗茂ちょっと良い話  赤館(2)
 宗茂の話は、某の口から瞬く間に江戸城中の大名の間に広がり、心得違いと難ずる者あり、
さすが西国無双と呼ばれただけはあると感心する者ありの有様になり、ついには忠義顔で
大御所家康に注進する者さえあった。
 そんなある日、江戸より駿府に来た本多佐渡守が幕府の庶政について、ひと通り報告を終えると
家康が口を開いた。
「佐渡、それだけか?」
「最後に、この度の左近将監の働きにより上杉、伊達も静まり、蒲生の脊骨にも芯が通り申した。
この功を賞し、太樹様より、来年には左近将監に1万5500石を加増するとのことを大御所様に
言上せよとのことでございます」
「ふむ、大樹も左近将監の使い所を心得たようだの。加増の件、大樹の意のままにせよ」
そう言うと家康は、本多佐渡を下がらせた。
 わずか一言で奥州に睨みを効かせた宗茂のちょっと良い話。
548人間七七四年:2012/07/22(日) 20:06:48.94 ID:pTzDPTSg
三河出の旗本以外に宗茂のことを悪く言う人達を思い出せない
549人間七七四年:2012/07/22(日) 20:27:10.16 ID:D36IGPfX
三河武士の中のレベルの低い奴らは敗軍の将を全く評価せずに蹴落とそうとするのが大好きだよな。
わが主君が一番偉い、あとは雑魚って感覚で行動してる。
いわゆる徳川中華思想だ。
上層部が人間できててまともなのが救い。
550人間七七四年:2012/07/22(日) 20:31:05.51 ID:Sv8EYo6C
つーか、当時の宗茂は将軍秀忠の寵愛深い一種の出頭人なので、そりゃどんな組織でも嫉妬はついてくるよ。
551人間七七四年:2012/07/22(日) 20:51:14.73 ID:bPehA7+Z
宗茂の逸話っていい話過ぎてうさんくさい
552人間七七四年:2012/07/22(日) 20:53:49.72 ID:9nK253+4
三河譜代が御家人どまりなのに本気で文句言ってる奴らいるからな
553人間七七四年:2012/07/22(日) 20:59:28.00 ID:7XCPUeUR
立花宗茂のいい話しといえば

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6450.html
「我が立花家には、三箇条の掟がござる。それに照らしあわせて処断したまでのこと」
「して、その三箇条とは!」
「国法に背き、節義に欠け、表裏比興の振る舞いに及ぶものは斬、国法に背き、節義に欠けるものは切腹、
国法に背くものは放し討ちと決まっております。

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6379.html
「当家にて、武士の風上におけぬとは、国法を破り、節義に欠け、表裏比興の振る舞いに及ぶ者のこと。

元ネタの本が同じなのか、それか立花家?の家訓が有名だったのか
三つとも一致してるな
554人間七七四年:2012/07/22(日) 21:09:26.33 ID:GWX0pATe
このスレって出典は明記しなくてもいいの?
小説から抜き出してる人もたまにいるんじゃないかな
555人間七七四年:2012/07/22(日) 21:11:33.87 ID:V2m2g6AR
>>546
棚倉には宗茂が代官屋敷の草庵で茶会を催す際に、自ら屋敷付近の
桜木の下から湧き出る清水を汲みに出かけて客人をもてなしていたため、
その清水が桜清水と呼ばれるようになったって話もあるな。
556人間七七四年:2012/07/22(日) 21:19:42.03 ID:JrjtXvvt
>>554
別に明記しなくてもいいんじゃない?

どっかで見たり聞いたりしたけど出典は忘れたっていう人もいるだろうし
557人間七七四年:2012/07/22(日) 21:25:44.92 ID:8WIJwihP
天性のよい子に最善の環境を与えると宗茂さんが出来上がるのかもね。
ホントに絵に描いたような理想の侍だよな。

ただ、古今東西の天下人に必要だと思われる強烈なコンプレックスがなさそう
558人間七七四年:2012/07/22(日) 21:37:14.38 ID:iYjPe3h0
>>557
実父  : 高橋紹運
義父1 : 立花道雪
義父2 : 小早川隆景

DQNになる要素が全くない
559人間七七四年:2012/07/22(日) 21:42:29.88 ID:iYjPe3h0
>>554
小説どころか他の逸話を家康版に改変してやったぜと堂々公言する人もいたりする。
まあそのへんは各自で判断してくださいってこと。
560人間七七四年:2012/07/22(日) 21:51:40.81 ID:m/b7Hi1D
>>558
実父:島津義弘
祖父:島津貴久
祖父2:園田実明(貴久の忠臣)
叔父:島津義久ら優秀な人たち

DQNになる要素が・・・あれ?
561人間七七四年:2012/07/22(日) 22:05:46.32 ID:UJ7vJx7N
>>560
そこはほら… お国柄からして戦闘民族だし…
562人間七七四年:2012/07/22(日) 22:17:07.91 ID:0gyyQntj
宗茂さんは、ぶっちゃけ一家の頭としては灰汁がなさ過ぎるってか、純粋培養し過ぎな感が〜
(悪)の人は、戦場での指揮官としてはどうだったのかね?
563人間七七四年:2012/07/22(日) 22:18:59.28 ID:pTzDPTSg
戦国時代の島津家は家臣が暴走しすぎだろ・・・
564人間七七四年:2012/07/23(月) 00:14:38.54 ID:+sKn9grY
父:大田原資清
長男:高増
次男:資孝
三男:綱清

まぁ仕方あるまい
565人間七七四年:2012/07/23(月) 00:34:03.99 ID:oS7Mf47h
>>564
父の教育に忠実だったと言える
566人間七七四年:2012/07/23(月) 00:44:50.11 ID:TQBg7kCZ
父:宇喜t…

いや、何でも無い
567人間七七四年:2012/07/23(月) 00:53:35.60 ID:N30iMXxQ
秀家は父の顔も覚えてないだろうし実家ともすぐ離れたから…
568人間七七四年:2012/07/23(月) 00:56:23.51 ID:nGWEP6nZ
父:宇喜多直家
養父:豊臣秀吉
従兄弟:坂崎直盛

秀家さん、まっすぐ育ち過ぎじゃね?
569人間七七四年:2012/07/23(月) 01:35:48.60 ID:9E24BlGw
秀家は誰と仲良かったの?
570人間七七四年:2012/07/23(月) 02:13:08.17 ID:s2FTi/pD
豪姫
571人間七七四年:2012/07/23(月) 04:52:19.21 ID:jHFm9IJN
祖父:元就
父:隆元
子:輝元

どうしてこうなった
572人間七七四年:2012/07/23(月) 05:56:09.39 ID:zplBjgZc
毛利家は頼りないのを折檻&説教育でよく矯正してる方
573人間七七四年:2012/07/23(月) 08:42:59.15 ID:YgDGHCdd
>>568
叔父に似たんだよ
574人間七七四年:2012/07/23(月) 10:07:50.98 ID:kRTDyVmi
秀家はもったいなかったな
直家がもう少し長生きしてたら直家から謀略の指南受けてすごい武将になったのにな
天下も取れたかもしれんよ直家のような人物なら秀吉は相当警戒しただろうけどw
575人間七七四年:2012/07/23(月) 10:23:08.27 ID:s4fhGLHD
まあ秀吉の時代に政敵をじゃんじゃん毒殺とかやばすぎるからなw
576人間七七四年:2012/07/23(月) 11:13:31.81 ID:z5e4np2F
>>572
手紙で延々と説教を垂れ流所まで似てしまったのはご愛嬌。
577人間七七四年:2012/07/23(月) 12:49:09.90 ID:uPft2gzv
鮭さまのエピとかみるとまーくんがやんちゃなのはやっぱ最上の血なんじゃないかなと思う
・・・志村さんは抑え役だけど小十郎さんはむしろ煽ってそうだしw
578人間七七四年:2012/07/23(月) 15:26:59.30 ID:9E24BlGw
似たとこある気がするな。
DQNじゃないけど。
579人間七七四年:2012/07/23(月) 20:06:18.04 ID:WAU8icpn
>>546
ホント三河者の某はうっぜーなあ
580人間七七四年:2012/07/23(月) 21:00:54.39 ID:s4fhGLHD
まあ譜代の三河武士でも家格低いのや有能でなければ冷遇されてるよね。
それが天下を取るってことなんだろうけど。
581人間七七四年:2012/07/23(月) 21:44:58.26 ID:h0Jx8QpT
大久保家は本家がああなったから僻み根性の塊になるのはしょうがない気もするがそれでもちょっとなw
582人間七七四年:2012/07/24(火) 16:25:49.16 ID:Chx9nd01
細川幽斎という人は高ぶる気性のない人であった。

ある時、連歌師の里村紹巴が、他人より常に優れようとする病を持っていると見て取って、

「人というものは心より、形、言葉に至るまで全てへりくだるべきものであるぞ。
お主は能くその心に立ち返らねばならない。」

と、懇ろに教訓した。

またある時、蒲生氏郷がこ幽斎に出会ってこんな事を言った

「貴殿は芸能の誉れがあるためか、あなたの武功について語る人は少ないですね。
であれば、武士にとって多芸に長ずるというのは要らざることではありませんか?」

これを聞いた幽斎、うち笑って

「私は確かに芸を嗜みますが、みな口すさび手遊びばかりで、しかも他人より優れたものなどありません。
いわんや武士としての働きにおいては、一体誰が私に劣るでしょうか?」

そう、返事をしたそうだ。これは、この場面を側にいて聞いた人の物語ったものである。
(関原軍記大成)

氏郷への返事、いかにも京都人らしい、真綿に棘がしっかり入っている言葉ですねw
そんな幽斎様の人格についてのお話
583人間七七四年:2012/07/24(火) 17:14:25.44 ID:IbZESrud
武功の事で蒲生氏郷ごときに言われたら、そりゃ腹も立つわな。
584人間七七四年:2012/07/24(火) 17:16:32.10 ID:ZhMUpG1o
こりゃうまく刺しかえしたな、さすが幽斎様
585人間七七四年:2012/07/24(火) 17:56:12.38 ID:aMTTgEaO
京の風流人の皮肉オソロシス(´・ω・`)
586人間七七四年:2012/07/24(火) 18:03:39.86 ID:+1NTIAmg
氏郷に幽斎をくさすつもりはなかったんだろうけどねえ。
有力者に可愛がられて育ってきたエリートの世間知らずのようなものを感じるな。
587人間七七四年:2012/07/24(火) 19:05:16.84 ID:+siyYB5f
>>582
言ってるそばから上から目線で説教してるやん
同じ穴の狢っすよ幽斎さん
588人間七七四年:2012/07/24(火) 19:09:24.97 ID:gthLpY0h
>>587
いやいや、説教なんてヒトコトも言ってないだろ?
文字通りものすごくへりくだってるだけで。

これはへりくだるというのがどれだけ恐ろしい技術かを言ってるんだよw
589人間七七四年:2012/07/24(火) 19:22:57.54 ID:+siyYB5f
>>588
前者の逸話のこといってるんですけど・・・。

まあ後者の逸話も言葉でへりくだっても心が全くへりくだってないので台無しっす。
590人間七七四年:2012/07/24(火) 19:32:58.06 ID:gthLpY0h
>>589
ああ、そのへんは、里村紹巴は同じ京都の古くからの教養人仲間という”ミウチ”で、
蒲生氏郷はミウチではない、という部分を感じないとわかりにくいかもしれないな。
ミウチにはちゃんと本音を言うのさw
591人間七七四年:2012/07/24(火) 19:38:59.19 ID:GW9DHHV3
工場長言うても幽斎様からすりゃ倅のダチ程度のもんだからなぁ
592人間七七四年:2012/07/24(火) 19:46:38.20 ID:yOkWmfnc
>>591
社長の娘婿だけどな(´・ω・`)
593人間七七四年:2012/07/24(火) 21:22:05.01 ID:+Hk6Ulcz
忠興があんな風に育っちゃったのがわかった気がする。
594人間七七四年:2012/07/24(火) 22:24:58.52 ID:cK+S3Ghl
三歳さんは幼少期に幽斎さんの薫陶をあまり受けてないんだっけ?
595人間七七四年:2012/07/24(火) 22:31:17.50 ID:i8gfB5xJ
三斎様は礼儀正しくて人付き合いも丁寧だよ
ただ感情の振幅が大きすぎるだけで
596人間七七四年:2012/07/25(水) 00:37:13.42 ID:fw9TA9L3
金沢。前田家お抱えの甲冑師が作る鎧は堅剛無比と評判だったそうです。
ときに、ある刀鍛冶が金沢にやってきて評判になりました。
その鍛える刀は鉄石といえども泥のごとく両断せりと、言われたそうです。

ある人いわく「子の矛をもって、子の盾を突かば、いかに」

違うよ! 韓非子は『矛盾』の話じゃありません。
でも結局は似たようなことがあったんでしょう。甲冑師と刀鍛冶は互いに意識し、やがて公然とした不仲になりました。

さて、噂を聞いた加賀公…3代目前田利常ということですが…
( @π@)y─┛~~「「余が裁定してつかわす」

金沢城にて、両名のわざのほど、その対決を披露することになりました。
甲冑師、台の上に最高の出来の兜をすえ、刀鍛冶は同じく最高の出来の刀をもってそれに臨みます。

刀(;`д´)「ぬぅぅぅぅぅ……」
大上段に構え、一撃に全てを叩きつける思いで、気迫を込めてゆく刀鍛冶。

冑( ;゚Д゚)。。。(すげえ気迫だ。これは…負ける?)

刀(;;`д´)「てぇぇー」

冑( ;゚Д゚)「あいや! 兜が曲がっており申す。すえなおすので暫時お待ちを!」


刀(;;`д´)「えっ…?」

一時中断…兜をすえなおして…

刀( `д´)「てやー!」 ペチーン

渾身の気迫を削がれた刀鍛冶、とても兜を割ることはできず、弾かれてしまいました。

刀( `д´)「ふ、不覚…………ンヤーッ!」
憤りのままに、もう一度振り下ろした刀は、なんと、たまたまそばにあった青銅の大水盤を真っ二つに切り裂いてしまいました。

( @π@)y─┛~~「うむ。両名とも、見事である」

戦い暮れて…

冑(  ゚Д゚)「戦いには勝ったが・・・勝負には負けた!」

甲冑師はその夜逐電してしまったそうです。

やがて甲冑師は刀鍛冶に転身、修行を積みなおし、近江は長曽根村で
その名を後世に伝えることになる長曽根虎徹として再登場したということです。
597人間七七四年:2012/07/25(水) 01:07:25.43 ID:dsY+zEn4
Simple is best
598人間七七四年:2012/07/25(水) 01:09:13.49 ID:2QVKN4HU
話を台無しにする書き方だな
599人間七七四年:2012/07/25(水) 01:28:10.73 ID:iQB5lcnJ
俺は嫌いじゃないけどジジイには受入れられなさそう。
600人間七七四年:2012/07/25(水) 04:13:51.97 ID:8GRbEXv0
平和になると甲冑師は失業するんだっけ
五月人形やフィギュア制作なんかでは生活に困るんだろうな
601人間七七四年:2012/07/25(水) 05:36:31.34 ID:dytNYmpf
利常がとんち利かせる話かと思ったら普通に真剣勝負だったでござる
602人間七七四年:2012/07/25(水) 07:40:39.84 ID:v3ikj57y
近藤勇の虎徹は偽物だったらしいね…
603人間七七四年:2012/07/25(水) 11:14:19.47 ID:Sk8GYf3p
徳川の家臣、板蔵勝重が京都所司代に就任する以前の話
ある日、勝重の近所で火事があり、焼け跡から一人の男の遺体が発見された。遺体はその家の住人のもので
官憲は火の不始末から火事を起こし、逃げ遅れたものと判断したが、勝重だけは「これは殺された後に
犯人が火をつけた」と主張した。(続く)
604人間七七四年:2012/07/25(水) 11:17:07.98 ID:Sk8GYf3p
>>603の続き
官憲がその理由を訊くと「生きている間に火事にあったのならば呼吸で鼻の中に煤が溜まっているはずだが全然ない。
殺された後に火をつけられたとしか考えられない」と勝重は答えた。
ほどなくして犯人が捕まり、勝重の推理どおりだったのが明らかになったので皆、その知恵に舌を巻いた。
605603:2012/07/25(水) 11:21:21.78 ID:Sk8GYf3p
>>603は板蔵勝重は正確には板倉勝重でした。書き間違えて申し訳ありません。
606人間七七四年:2012/07/25(水) 11:52:47.09 ID:fpYmWtwa
科総研の男-板倉勝重-
607人間七七四年:2012/07/25(水) 11:56:48.90 ID:8GRbEXv0
官憲の無能な話しという気もするな
608人間七七四年:2012/07/25(水) 12:03:44.61 ID:x9Qp4SZD
自分自身で焼けた遺体の鼻の穴の中を詳しく調べたのか?凄いな。
609人間七七四年:2012/07/25(水) 12:19:40.91 ID:S5hYxbOw
>>607
官憲A「あーこれは火の不始末だね〜(たりーし手続き終えてさっさと一杯引っかけようや)」
官憲B「左様に相違ござらんな(しからばついでに茶屋じでも…ムフフ)」

勝重「だがちょっと待って欲しい
官憲AB「」
610人間七七四年:2012/07/25(水) 12:38:05.77 ID:Sk8GYf3p
板倉勝重は37歳まで永安寺の僧侶だった。葬式で数多くの死体を見てきたので
いつのまにか検死がうまくなってしまったそうだ。
611人間七七四年:2012/07/25(水) 14:12:52.13 ID:wg5p9qWP
大津にもこんな人がいたら
612人間七七四年:2012/07/25(水) 15:34:19.45 ID:ftSbaHiO
板倉さんは安浦刑事的なイメージしかない
とかく悪い話は少ないし
613人間七七四年:2012/07/25(水) 16:45:44.59 ID:rVKlpCgQ
名奉行の起源は板倉勝重
614人間七七四年:2012/07/25(水) 16:50:10.03 ID:8GRbEXv0
勝重はともかくこんな無能な官憲が
豊臣家の不利になる情報を嗅ぎまわって大坂の陣を引き起こしたって事か
615人間七七四年:2012/07/25(水) 16:51:53.44 ID:F9+hV9Hu
でっちあg
616人間七七四年:2012/07/25(水) 16:52:10.69 ID:CL8G2Bac
探偵小説家、久生十蘭の本で主人公が同じことを言ってたが
元ネタは中国の公案(政談)だそうな
うろ覚えだが、豚を二頭、殺したのと生きたのとを小屋の中に入れて
それを焼いた後、鼻と口の周辺に煤がついているか調べたんだと
617人間七七四年:2012/07/25(水) 17:06:56.26 ID:Cn0qOEjH
頭のいい人なら考えつきそうなことを、なんでも○○が起源ていうのもなんだかな
618人間七七四年:2012/07/25(水) 17:59:43.12 ID:txriBbjn
鼻つまってたらどうすんだろうな
619人間七七四年:2012/07/25(水) 18:35:51.78 ID:x9Qp4SZD
>中国が起源
中近世だと、中国は法医学が世界的に見ても進んでいたからな。
検死マニュアル「洗冤集録」が書かれたのは南宋(1247年)だったか。
620人間七七四年:2012/07/25(水) 18:52:46.32 ID:Ynb3pVaw
ある人が甲州を訪れ、国中を見て廻ったところ、片田舎とは思えないほど
立派な家や、住民の富んだ様子を見てとった。

「これは一体どうしたことだ。何故このように豊かなのだ」と地元の人に問うと、

「このあたりは土地が悪く、昔は雑穀さえ実らないほどの有様でしたが、
浅野弾正少弼殿(長政)が当国を治められた時、

『この地は耕作を止め、栗の実を育てて林にすれば利益が出る』と仰せられ、
その通りにしたところ、やがて樹林となりました。

そうして栗の実を食用に、木を材木として江戸に送るようになり、今ではこんなに
豊かになりました。まことに弾正殿はすばらしい仁者です」とのことだった。
621人間七七四年:2012/07/25(水) 19:51:34.49 ID:2RrZYhBW
それまでの為政者は何やってたんだろう?
622人間七七四年:2012/07/25(水) 20:10:55.91 ID:/IrlmrJ4
それまでの為政者って武田信玄、勝頼、鳥居元忠、平岩親吉、大久保忠世あたりか・・。
みんな武骨だったってことかなぁ・・。まあ豪族の領土だったのか。
623人間七七四年:2012/07/25(水) 20:17:30.68 ID:I1TaP2FN
実が採れるまで面倒見てもらえる余裕、すぐそばの巨大な木材消費地
大きな要因はこの2つが生まれたことではなかろうか
624人間七七四年:2012/07/25(水) 20:23:31.68 ID:ck3bn+84
岩波文庫「棠陰比事」の36話目
「焼殺の実験」に
三国時代の呉の張挙の話として、妻が夫を殺した後、放火したのを実証するため、
生きた豚と死んだ豚を薪を積んで焼かせて
灰が口にあるか調べた、とある。

板倉勝重のwikiにも「棠陰比事」の影響をおそらく受けて、
彼を主人公とする政談ができた、とあるし
625人間七七四年:2012/07/25(水) 20:29:41.09 ID:HfGO6pVp
大政所様で検証実験はやっちゃダメですよ、作左さん…
626人間七七四年:2012/07/25(水) 21:27:16.99 ID:mnToEhOc
いや、起源ってのはそういうのを当てはめられる名奉行の方のつもりだったんだけどね
627人間七七四年:2012/07/25(水) 21:30:52.29 ID:zT7VHnbA
wikiの板倉勝重の項目(wikiで語るのはなんだけど)
>優れた手腕と柔軟な判断で多くの事件、訴訟を裁定し、敗訴した者すら納得させるほどの理に適った
>妥当な裁きを見せ、大岡忠相が登場するまでは、名奉行と言えば誰もが板倉勝重を連想した

>勝重とその子重宗は奉行として善政を敷き、評価が高かった。
>勝重、重宗の裁定や逸話は『板倉政要』という判例集となって後世に伝わった。
>その中には後の名奉行大岡忠相の事績を称えた『大岡政談』に翻案されたものもある。
>三方一両損の逸話はその代表とされる。
>また、板倉政要も、中国の『棠院比事』『包公案』などから翻案された話が混入して出来上がっている。

名奉行の起源は板倉勝重、てのもあながち間違っていない気がするが
628人間七七四年:2012/07/25(水) 21:53:15.68 ID:+Z9wKWJX
名奉行の起源って御成敗式目作った北条泰時じゃね?
629人間七七四年:2012/07/25(水) 21:54:08.04 ID:Iy/DHkhq
小姓の逸話が森乱丸で上書きされていったのと同じ感じだな
630人間七七四年:2012/07/25(水) 22:31:49.16 ID:8GRbEXv0
鼻の穴を見ることも知らず
仮想敵国の豊臣や牢人たちの粗探しをして
ポイント稼ぎしようとしていた他の同僚よりも
板倉は多少マシだったということかもね
631人間七七四年:2012/07/25(水) 22:36:43.70 ID:dsY+zEn4
歴史上の人物評価する前にイヤミったらしい自分自身の人格を反省したほうがいい
632人間七七四年:2012/07/25(水) 22:54:30.51 ID:MhYrI14e
夏休みだから仕方がない
633人間七七四年:2012/07/25(水) 23:00:21.86 ID:dsY+zEn4
バカの一つ覚えは一年中だよ
634人間七七四年:2012/07/25(水) 23:08:23.80 ID:fpYmWtwa
夏だからID:dsY+zEn4みたいな奴もでてくるのか
635人間七七四年:2012/07/25(水) 23:13:57.93 ID:dsY+zEn4
>>634
絡むな死ね
死ね
死ね
死ね
死ね
死ね
死ね
死ね
死ね
死ね
死ね
死ね
オマエの家族も死ね
636人間七七四年:2012/07/25(水) 23:15:32.87 ID:dsY+zEn4
>>634
関係ないのに口出したオマエの罪として
関係のないオマエの家族が死ねばいい
637人間七七四年:2012/07/25(水) 23:17:31.58 ID:dsY+zEn4
以降絡んでこなければなにもしないので皆のためスレのために我慢してスルーしてください

↓通常通り再開
638人間七七四年:2012/07/25(水) 23:24:01.99 ID:fw9TA9L3
野中兼山の悲劇はさすがに戦国時代の話にはできないかね。
639人間七七四年:2012/07/25(水) 23:33:23.48 ID:MhYrI14e
だいたい島原までをスレの逸話の範囲にしてるから
兼山のは20歳くらいまでの逸話がスレの範囲内じゃないかな
640人間七七四年:2012/07/25(水) 23:34:34.06 ID:+Z9wKWJX
>>637
ネットのマナーも守れない人は二度と来ないで下さい。
641人間七七四年:2012/07/25(水) 23:39:19.27 ID:dsY+zEn4
>>640
スルー出来ないオマエに命令されたくない
絡んでこなければなんも反応しないって言ってんだろ
なんの権限でそんな命令する?
死ね
642人間七七四年:2012/07/25(水) 23:44:45.25 ID:jXEZYHiS
>>637
絡んで欲しくないならレスするなよ
643人間七七四年:2012/07/25(水) 23:48:59.25 ID:dsY+zEn4
>>642
関係ないオマエが絡んで来なきゃレスしないから
死ね
オマエの大事な人間も死ね
644人間七七四年:2012/07/26(木) 00:16:28.37 ID:h1Cv0iXF
通報しました。
645人間七七四年:2012/07/26(木) 00:19:13.03 ID:exG2/FlA
>>644
逮捕されてもブタ箱の中からでも言ってやる
オマエは死ね
646人間七七四年:2012/07/26(木) 00:22:15.60 ID:exG2/FlA
>>644
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね花ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
647人間七七四年:2012/07/26(木) 00:27:23.57 ID:CUVGuGcS
自分自身の人格を反省したほうがいい
648人間七七四年:2012/07/26(木) 00:32:21.64 ID:exG2/FlA
>>647
オマエはオレを怒らせるより、
スレの秩序のために言いたいこと我慢するべきだろ?
それが大人の態度だろ?

死ね
649人間七七四年:2012/07/26(木) 01:09:55.73 ID:Q3DXuDNQ
こういうことはあんまりいいたくないが言わずにはいられない

夏だなぁ・・・
650人間七七四年:2012/07/26(木) 01:10:18.83 ID:CUVGuGcS
なんの権限でそんな命令する?
651人間七七四年:2012/07/26(木) 01:22:25.82 ID:exG2/FlA
>>649
オマエが嫌みったらしいのも夏だからか?

>>650
単純に死ね
652人間七七四年:2012/07/26(木) 01:25:50.20 ID:exG2/FlA
>>649
オマエの電話番号教えてよ
653人間七七四年:2012/07/26(木) 01:35:29.07 ID:w6CT4mIv
>>652
精神異常者って初めて見たよ

二度と来るなよ
654人間七七四年:2012/07/26(木) 01:37:52.59 ID:eEQJ3T4B
生きたまま焼かれるのやだなぁ…。
655人間七七四年:2012/07/26(木) 01:39:05.12 ID:exG2/FlA
>>653
オマエそれ名誉毀損だぞ(笑)
こっちにも怒る理由があるんだから関係ないなら黙るか、
運営にアク禁依頼するなり正当な手段とれや
オマエもたいがい基地外な反応してんだよ
しっかりやれよレスだけ善人
656人間七七四年:2012/07/26(木) 01:43:52.27 ID:exG2/FlA
小出し小出しでブツクサ言うなら黙っとけばよくね?
関係ない奴がなにも言わなきゃこっちもレスしないんだから
657人間七七四年:2012/07/26(木) 02:19:34.11 ID:w6CT4mIv
なんでいきなり頭おかしい奴が出てきたんだろう

前まではこんなことなかったのに
658人間七七四年:2012/07/26(木) 02:43:16.95 ID:Q3DXuDNQ
推奨NGID exG2/FlA
659人間七七四年:2012/07/26(木) 02:46:29.33 ID:exG2/FlA
>>657
死ね

>>658
オマエが次オレにレスしたら三年以内に死ぬ呪いをかけた
660人間七七四年:2012/07/26(木) 02:48:33.51 ID:exG2/FlA
w6CT4mIvがつぎにオレにレスしたら三年以内に一族郎党すべて死に絶えますように
661人間七七四年:2012/07/26(木) 02:51:44.80 ID:exG2/FlA
オレが言うのもなんだけど>>657>>658もいつまでもしつこいよな(笑)
スルーすれば治まるのに
夏だからスルー出来ないか?
662人間七七四年:2012/07/26(木) 04:15:12.71 ID:w6CT4mIv
>>659
自分があたまおかしいことは自覚しているんだな

オレが言うのもなんだけどID:exG2/FlAっていつまでもしつこいよな(笑)
スルーすれば治まるのに
夏だからスルー出来ないか?
663人間七七四年:2012/07/26(木) 07:17:03.99 ID:9y+9AtVu
結局レスしようがしまいが必ず噛み付いてくるのか・・・
664人間七七四年:2012/07/26(木) 11:54:20.80 ID:t/lfEDCe
>>612
娘役が愛人とか。スレち、御免。
665人間七七四年:2012/07/26(木) 17:38:49.75 ID:exG2/FlA
>>662
オマエずっと起きてたのか(笑)
頭おかしいオレ相手に必死すぎ(笑)
オマエもおかしいよ朝の四時まで

>>663
自演でないならオマエは黙ってろ
なにもなければ噛みつかない
666名誉毀損発言:2012/07/26(木) 17:40:02.60 ID:exG2/FlA
653 人間七七四年 sage 2012/07/26(木) 01:35:29.07 ID:w6CT4mIv
>>652
精神異常者って初めて見たよ

二度と来るなよ
667人間七七四年:2012/07/26(木) 17:41:53.93 ID:exG2/FlA
657 人間七七四年 sage 2012/07/26(木) 02:19:34.11 ID:w6CT4mIv
なんでいきなり頭おかしい奴が出てきたんだろう

前まではこんなことなかったのに
668人間七七四年:2012/07/26(木) 18:00:21.71 ID:uMDCdKr9
流れを戻したいけど逸話が無い
669人間七七四年:2012/07/26(木) 18:04:00.35 ID:Q3DXuDNQ
じゃあ、雑談というか確認を一つ
このスレの適用範囲って終わりは大体島原だけど、
始まりっていつ頃かね
明応の変とか、応仁の乱あたりとか?
670人間七七四年:2012/07/26(木) 18:05:53.10 ID:iW9OmFev
∧_∧
( ´・ω・) みなさん、お茶が入りましたよ・・・・。
( つ旦O
と直 家) 旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦
671人間七七四年:2012/07/26(木) 18:09:43.78 ID:uMDCdKr9
>>669
応仁あたりの逸話は以前もいくつかあったね
672人間七七四年:2012/07/26(木) 18:17:05.93 ID:FghsbONs
戦国ど真ん中の有名人に影響を与えたちょっと前の人の話とか有名人の息子の末路とか
『真田信之の晩年』とか、そういうのは多少時代ずれた所でよほど神経質な人以外は文句言わないよ
673人間七七四年:2012/07/26(木) 18:55:05.11 ID:eUUJ6iG5
明応の政変以降って認識だけどまぁその辺は余程無関係な話でもない限り多少ずれても良いのでは?
674人間七七四年:2012/07/26(木) 19:27:24.10 ID:tkKQMCCS
関東では戦国時代は、享徳の乱(享徳3年・1455年〜)から、というのが定説で、、明応の政変(1493)どころか、
応仁の乱(1467〜)よりずっと早いしなw
まあ足利義政の時代くらいから戦国に入れていいんじゃないかと思う。
675人間七七四年:2012/07/26(木) 20:35:32.60 ID:ARHQDa+N
>>669
応仁の乱はまだ室町真っ只中って感じがする。
やっぱり明応の政変あたりの人物からが妥当なような。
676人間七七四年:2012/07/26(木) 20:40:01.66 ID:px4YSSb4
まぁ、雑談で幕末の話まで脱線することもあるし、
与太話なんだし厳密に期限にこだわる必要はないんじゃないかな〜
と個人的には思ってたり
677人間七七四年:2012/07/26(木) 23:07:14.26 ID:NOSs0RQr
>>670
あり〜!。でもちょっと熱いので
この銀の扇であおることにしよう。
678人間七七四年:2012/07/26(木) 23:51:00.91 ID:WAs/PkaE
>>677
今日は夏真っ盛りでござったな
ついでにその扇で松永弾正様より頂戴した茶にフタをしてみて下さらぬか?
679人間七七四年:2012/07/26(木) 23:53:12.75 ID:AbmUx3BS
>>670
おぉ、それでは早速頂戴しよう。いやーそれにしても父が偉大だと気疲れいたしますなぁ、
うちゃあ弟らもがいに生意気じゃけ困っちょりますわ、今も月山に出張りよる最中じゃっ
たがよいよまぁ(クドクド…
680人間七七四年:2012/07/27(金) 00:30:55.98 ID:sgZiDIYP
燻し銀の扇とは素晴らしい
681人間七七四年:2012/07/27(金) 13:28:53.78 ID:Er1BtRa/
雨の降る日は天気が悪い 伊達政宗 

『ある日、沢庵和尚は千代田城に赴いた折、名うての荒武者伊達政宗に会つた。
政宗が 「雨の降る日は天気が悪うござるが、どうしたものでござるな」
沢庵和尚はヂツと政宗を見た、政宗は瑞厳寺の和尚に參じて禅も出來た武士である。
「左樣、雨の降る日は天気が悪う御座るな」  と同じやうなことを沢庵も繰返した。
     
ある日鷹狩の帰りに一天俄かに掻き曇り、雨は篠を突くやうにザアザア降つて來た。
政宗も家来も濡れ鼠のやうに、眼もあてられない。すると今まで野良かせぎをしていたらしい百姓が

『雨の降る日にや天気が悪い‥‥』と大声で唄つて行つた。

その時、政宗は百姓の声を聞いて「ははあ、ここだな」と、初めて沢庵禅師の言葉の意味が分つた。
その時の彼の心持は家来共が雨に濡れて困つている樣子を見て気の毒に思ふ憐みの情以外の何物でも無かつた。
つまり我を捨てたのである、我を捨ててこそ会得が可能なのである。‥‥』

出展は青空文庫の土井晩翠 「雨が降る日は天気が悪い」 ※一部旧字体を新字体に読みやすく変更しました。
(土井自身の引用先 昭和五年十一月刊行、谷至道さんの著『禪の極致を洒脱に説いた澤庵和尚』から拜借)

自分も濡れて大変なのを顧みず、同じような状態の部下を心配する。 即ち『生仏一如』の境地の会得という事か

ことわざ『雨が降る日は天気が悪い』を調べてたら出てきて結構知られている話だそうですが、まとめになかったので
わかりやすい現代文は『雨が〜 伊達政宗』でggrば、親切な解説のサイトがたくさんヒットしますのでそちらをどうぞ

ことわざの意味は 当たり前のこと、わかりきったことのたとえ。
           当然のことやわかりきったことをもっともらしく言う人に対し、皮肉を込めて言う場合に用いられる。


沢庵和尚は政宗に対して、禅の境地を説いたのか嫌味で返したのかは謎のまま…
682人間七七四年:2012/07/27(金) 14:08:27.58 ID:sgZiDIYP
血の雨降る日は殿の機嫌が悪い
68337人目:2012/07/27(金) 14:21:28.74 ID:/0XdNYsw
よそ見するからさ、38人目さん
684人間七七四年:2012/07/27(金) 17:09:37.98 ID:bvC0d4g5
人は殺されたら死ぬ
685人間七七四年:2012/07/27(金) 18:11:13.97 ID:RRgjrRC5
>>681
沢庵さんの場合どっちもありえるから困るな
686人間七七四年:2012/07/27(金) 18:43:51.94 ID:E/4W4USf
テスト
687人間七七四年:2012/07/27(金) 19:05:42.67 ID:HU47Z6sq
>>681
つまりそれまでは自分のことばかり考えていたと・・・
688人間七七四年:2012/07/27(金) 20:07:11.84 ID:vMUBXukK
>>681
思わせ振りに世(余)を惑わすクソ坊主めがっ!!
って斬るのかと思った
689人間七七四年:2012/07/27(金) 20:26:42.86 ID:zjAUt8Dt
何でもかんでもそっち方面のネタに持ってけば面白いわけじゃないことにも気付くべき
690人間七七四年:2012/07/27(金) 20:29:54.32 ID:8rDevJZW
良くも悪くも夏休みだねえ
691人間七七四年:2012/07/27(金) 20:31:53.19 ID:vMUBXukK
>>689
いやウケ狙いでなく禅話としてもどうかなーて思ったから
あくまでも個人的な感想だけど、
自を忘れて他を思うじゃ片手落ちかなと
692人間七七四年:2012/07/27(金) 20:33:08.35 ID:vMUBXukK
>>690
オマエいい加減しつこくね?
マジで死ねよ
693人間七七四年:2012/07/27(金) 20:40:30.88 ID:E/4W4USf
>>692
お前昨日もいただろw

少なくともすぐ死ねなんていうやつはガキと言われてもしょうがないわ
694人間七七四年:2012/07/27(金) 20:41:20.96 ID:f+jiUPdO
はいはい、その話はここまで
695人間七七四年:2012/07/27(金) 20:43:32.40 ID:vMUBXukK
>>693
ガキで結構(笑)
死ね
696人間七七四年:2012/07/27(金) 21:04:57.56 ID:vMUBXukK
↓根に持っていつまでも同じセリフ繰り返す大人
↓おれが憎いのはこの腰抜けオヤジのみ
690 人間七七四年 sage 2012/07/27(金) 20:29:54.32 ID:8rDevJZW
良くも悪くも夏休みだねえ
697人間七七四年:2012/07/27(金) 22:19:47.38 ID:AICw+2kW
私見だが政宗にとって頭が上がらないタイプは優れた教養を持っていて、
硬骨で厳格さと包容力を兼ね備えた人
師匠たる虎哉宗乙などドンピシャじゃないだろうか

沢庵さんは政宗にとってとても値踏み出来るようなタイプでは無さそう
個人的には素で禅問答になったような感想を抱いた
698人間七七四年:2012/07/27(金) 22:52:28.13 ID:DlPLVeFz
秀吉に妙に懐いていたみたいだが包容力に惹かれたのかな
699人間七七四年:2012/07/27(金) 23:45:13.66 ID:/0XdNYsw
ラスボスに懐いてたように見えるのはさすがにヤバイ相手って思ったからじゃないかとw
700人間七七四年:2012/07/27(金) 23:55:28.73 ID:OzNrzMCi
豊臣秀吉はかつて浅野長政とともに、浅野長勝の世話になっており、
ある時に二人は約して兄弟の間柄となった。

秀吉が出世するに伴って長政は軍国の政務を掌り、吏民の心を得た。
文禄四年、秀吉が長政を甲斐に封じて曰く

「お前とは兄弟であるのに、こうして天下の君主になっても
大国を与えてやれないのは本当に恥ずかしく思う。
しかし、それも天が定めたことだから恨まんでくれよ」

長政は深くその恩を感じ涙を流したという。
701人間七七四年:2012/07/27(金) 23:58:42.99 ID:r171e/L+
天=太閤様ですねイイハナシダナー
702人間七七四年:2012/07/28(土) 00:21:08.87 ID:62+fNDCc
天は太閤様に逆らう根性の持ち主を創造しなかったでFA
703人間七七四年:2012/07/28(土) 00:36:03.23 ID:v/Dk2uxP
いろんな意味にとれるよね、その涙
704人間七七四年:2012/07/28(土) 00:36:46.88 ID:EsVTMv8y
業界誌というか、業界同人誌というか…
おえら方が一席ぶちたいという欲望をかなえるために
血税で作製され関係部署に配布される
くだらないエッセイが載ってる冊子なんだが…

なぜか秀吉の話が載ってた。

後の太閤秀吉、木下藤吉郎は、信長の命を受け、竹を調達したり、炭を節約したりした。
職人を組に分けて競わせたり、余剰分を元手に自分の軍用を揃えたりして

その働きぶりは信長をして
「駿馬に荷駄を引かせるようなものであったな」と言わせた。

秀吉が天下を取ったあと、黒田如水が天下の取り方をたずねたことがあった。

秀吉「別に難しいことはない。目の前の仕事に懸命に取り組んでいただけのことさ」

ちょっと書き手の心情が見えていやらしい気もしますが、
秀吉が言ったと想像するとかっこいいので書いてみる。
705人間七七四年:2012/07/28(土) 00:57:01.71 ID:BdE5jZdf
同僚と夢を語り合ってる際に、周りが国主だなんだと大望を述べるなか、秀吉だけは少しだけ俸禄があがればいいとか言ってたような
欲がないと笑われると、確実に実現できる目標を夢にして、それを繰り返して着実に上へ昇るんだとかなんとか
706人間七七四年:2012/07/28(土) 01:04:29.50 ID:hpvHk+eb
誰の下で働いてるかにもよるよね、信長に仕えてるから目の前の仕事をとにかくこなしていく事が大事だと思ってても
別の所で仕えて上がヘボかったら『燕雀いづくんぞ〜』とかデカイこと言って出奔してたかもしれんし
707人間七七四年:2012/07/28(土) 02:03:42.18 ID:HsaQwquO
実際秀吉は織田以前に今川に仕えていたわけだしなぁ
708人間七七四年:2012/07/28(土) 02:52:32.60 ID:aw5KqHKH
義昭公も目の前の仕事に懸命に取り組んでおられたのだぞ!
709人間七七四年:2012/07/28(土) 05:44:39.01 ID:tgIsd5+9
義昭公はいいんだよ足利将軍として成すべき事をやったんだから
あそこでそのまま傀儡に甘んじてたら問題だ
710人間七七四年:2012/07/28(土) 08:47:16.28 ID:AvJVL4yX
確かに書き手の意図が前に出過ぎてて気持ち悪い文章だな
711人間七七四年:2012/07/28(土) 09:05:46.91 ID:iByU6E0i
義昭公に足りなかったのは剣技の腕前。
712人間七七四年:2012/07/28(土) 09:09:48.47 ID:k0tuG//F
義輝「そんなふうに考えていた時期が俺にもありました」
713人間七七四年:2012/07/28(土) 09:10:58.81 ID:PcS3niN6
この話とちょっと似てる
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-904.html
714人間七七四年:2012/07/28(土) 09:23:19.48 ID:s/bsdWtf
目の前の仕事がなくなったので唐入りしてみました
目の前の仕事がなくなったので女遊びを始めました
715人間七七四年:2012/07/28(土) 12:33:52.68 ID:sMo/1Me7
毛利元就「天下を願ってこそはじめて安芸一国が保たれるはずなのに」
716人間七七四年:2012/07/28(土) 12:44:17.42 ID:ylhSgVVb
>>714
女遊びに関しては、目の前の仕事の合間を縫ってちょくちょく遊んでただろ―
じゃなきゃねねと信長の手紙が残らないからな

始めたのは女遊びじゃなくて、虐殺
717人間七七四年:2012/07/28(土) 12:59:08.02 ID:koBJB9px
>>715
やはり世界制覇をめざすべきだったのだ
718人間七七四年:2012/07/28(土) 14:03:09.21 ID:FIaPbqjl
>>716
虐殺も昔からだな。
中国攻めの時とか結構酷い事してるよ。
719人間七七四年:2012/07/28(土) 16:41:58.22 ID:jKcdyXnU
なんてったって織田家だからなぁ。勝家も光秀も信忠も虐殺たくさんやらかしてるし。
大規模なヒドイ虐殺やらかしてないの家康ぐらいじゃないか。って織田家じゃないけど。
720人間七七四年:2012/07/28(土) 16:51:39.43 ID:1QLSuGI0
まあ家康の場合はそれでも独立大名だから、あまりひどい虐殺したらあとの統治に響くけど、
信長の部将でしかない秀吉たちの場合はそういう責任がないからね。信長に成果さえ見せればいい。
なので恐怖戦略を取りやすかった。
721人間七七四年:2012/07/28(土) 17:04:16.12 ID:ZtVjpC3O
TECHASのペーパークラフト津山城買ったた。
天守と本丸半分は再現できるみたいだ、楽しみ。

俺、これが完成したら美作の民をSAT○GAIするんだ…
722人間七七四年:2012/07/28(土) 17:11:31.72 ID:FIaPbqjl
>>720
新しい国へ攻め込む時は、最初に恐怖を印象付ける必要があるから
どの大名も撫で斬りくらいはやるよ。

家康だって三河、遠江の頃にはやったしね。
723人間七七四年:2012/07/28(土) 17:18:09.39 ID:1QLSuGI0
>>722
程度問題ね。家康はさすがに一郡や一国規模で死体だらけ、なんてなで斬りはやっていないし。
まあそこまでする権力も兵力もなかったから物理的に不可能でもあったがw
724人間七七四年:2012/07/28(土) 17:35:57.59 ID:KP1Dk9Iw
撫で斬りなんて物騒な事したら恨まれるだけではないか。
ここは一つ懐柔策として相撲大会でも開いてだな…
725うっきー:2012/07/28(土) 18:36:51.20 ID:20RfXR8e
お茶あります 
726たかとら・かずとよ:2012/07/28(土) 18:45:11.98 ID:TWC66/Xw
宴の用意しといたよ
727人間七七四年:2012/07/28(土) 18:51:05.98 ID:jKcdyXnU
>>725
おお、これはありがたい・・。このような寂れた橋にこのような上等な茶とは!
むっ、あれに見える奥方は美しい・・あの由緒ある家紋は細川さまの奥方ですな。うむ・・十字架が美しい。
いやいや、このような寂れた橋といえども、天下の要所ゆえ皆が通る地・・これは良い物を見た。
まあ、そんな地であるからゆえに、こないだこしらえた・・橋の門の上にそれがしの木像を飾っておるわけですよ、ゲヒヒ。
秀吉公とてそれがしの股をくぐらねばならぬというわけですわ!ははは!

・・・なんじゃ、あの血走った武骨な侍は・・この橋馬で渡るはまかりならぬ!止めよ、止めよ!

ああ、オハナシの途中でしたな。その相撲大会はそれがしも楽しみにしておるよ・・。
728人間七七四年:2012/07/28(土) 20:49:37.58 ID:y+0Fu6GA
そこまで重なると逆に生き残っちゃいそうな気もするな
729人間七七四年:2012/07/28(土) 20:53:06.45 ID:BdE5jZdf
家康の息子の信吉だったかな
水戸に入ったとき、一揆を起こした連中を一村皆殺しにしたらしい
ほとんど記録が残ってないと嘆いてるサイトを昔見たな
730人間七七四年:2012/07/28(土) 20:59:46.62 ID:pkMYXoN5
撫で斬りをしてなお恨むことが出来るものが生き残っているならばそれは斬りようが足らぬ
731人間七七四年:2012/07/28(土) 21:23:04.23 ID:pJJSAUj+
ガチな話、伊勢長島は本当に無人地帯になったらしいからな
732人間七七四年:2012/07/28(土) 23:28:02.34 ID:YPs5bNeK
宗教系の一揆は他宗派の村を襲うからな。
先に一揆勢が他を撫で斬りにしてるから一揆勢を潰すと何も残らなくなる。
天草の時は他の村が頑張って撃退したから完全に無人にならずに済んだ。
733人間七七四年:2012/07/28(土) 23:39:09.26 ID:pJJSAUj+
>>732
それはない。明確な敵対関係に入っている場合以外は他宗派の権利や財産を侵害する高位は
行わないのがルール。加賀一向一揆も国内の他宗派を、信仰や布教の自由も含めて完全に保護している。

他宗派というだけで攻撃したのはキリシタンのみだよ。
734人間七七四年:2012/07/29(日) 10:39:33.92 ID:bRps1Hqa
法華一揆は?
735人間七七四年:2012/07/29(日) 10:55:47.19 ID:dZETt6C6
>>734
法華宗がどういう教えを説いているか知れば
啓典の民の宗教と同じ振る舞いをしても不思議ではない

それ以前に法華一揆(天文法華の乱)は宗教闘争という側面があるから
>宗教系の一揆は他宗派の村を襲うからな。
みたいな一般論化はできないよ

736人間七七四年:2012/07/29(日) 11:10:23.60 ID:bQCh8446
法華一揆もいわゆる一向一揆への危機感から来たもので、攻撃したのも本願寺派浄土真宗とその同調者に対してのみ。
他の諸宗派に対して攻撃・破壊活動はしていない。
後に細川晴元や木沢長政に扇動された比叡山に攻撃されるが、これは宗教というより実際には京都の経済利権をめぐる
争い(比叡山が大資本として支配している京の流通・金融業vs法華の新興商人層)という面が大きかったりする。
737人間七七四年:2012/07/29(日) 11:48:33.03 ID:yhS3fnrO
宗教観の戦争って信者の奪い合いで殺し合いを目的になんてしないと思う
ただ弾圧してくる政治家には断固戦うけど
738人間七七四年:2012/07/29(日) 12:48:51.24 ID:gOZG/EXP
北陸の一向一揆も、縁戚である政元の要請に従って反政元派の排除を狙った政治行動だったとか
739人間七七四年:2012/07/29(日) 16:47:36.73 ID:IxhoET8D
高虎の「ほととぎす」

藤堂高虎も晩年には和歌をたしなみ、意欲的に創作に取り組んだ。

ある日、帰城した高虎はゴキゲンであった。
「ずっと心に思いとどめておったが、今日、ついに十分に整ったぞ。」
八十嶋道除にそう言うと、四句詠んだ。
そしてさらに
「これは伊達殿に聴いてもらうんだ。」
と、もう一句詠んだ。

なけ聞かん わが領分のほととぎす


これを聞いた伊達政宗は、古今比べるものがないと、再三感心した。
気を良くした高虎は、これを発句に百韻(連歌の一種)を催おし政宗に見てもらおうと八十嶋に提案、
夕食時から初更(午後八時頃)まで八十嶋と二人で吟じあって、記録させた。

さて翌日、脇坂淡路守がやって来た。
「できたてじゃぞー。」
さっそく百韻を見てもらうと、脇坂もひとかたならず感心し、書き写して持っていった。


数日後、脇坂がまたやって来て高虎に言うには、
「あの百韻、花の本昌琢殿にお見せしたところ、
古今にない生きた作品であると頭を振って感心されましたぞ。
句作の参考にと、すべて書き写して持ち帰られた。」とのこと。

高虎はそりゃもう大喜びで、
「で、どの句をそんなに誉めておったのかの??」と
さらに突っ込んだという。
                     (玉置覚書)


手持ちの史料にはこうあるが、ただこの「ほととぎす」は
どう調べても加藤清正の作になっている。真偽のほどはよくわからない。
740人間七七四年:2012/07/29(日) 20:39:32.95 ID:FWAfCW3I
藤堂の 鼻高々の発句して 虎狩武者に とられける
741人間七七四年:2012/07/29(日) 20:47:27.01 ID:FWAfCW3I
ちょい語呂が悪いので書き直し こういうのはさっと書いて逃げるべきなんだが

藤堂の 鼻高々の発句して 虎狩武者に 首(しゅ)とられける
742人間七七四年:2012/07/29(日) 21:13:25.49 ID:GMrEdJ/g
>>741←このおかた ゆうさいさまの 転生か?
743人間七七四年:2012/07/29(日) 21:14:18.94 ID:3BMsO3c2
藤堂高虎を織り込むなら、
鼻高々の→高き鼻して
首とられける→とられける首
な感じで「高」「とら」は最初においたほうがいいかもしれない
自分ではうまく捌ききれなかったけど
744人間七七四年:2012/07/29(日) 21:24:17.30 ID:tM1AqnF1
秀吉「どこもかも わが領分の ほととぎす
なかぬならば なかせてみよう」
745人間七七四年:2012/07/30(月) 01:49:09.15 ID:5bfu0Q5k
「鳴かぬなら 分かっておろうな 不如帰」

こうですか?太閤様
746人間七七四年:2012/07/30(月) 06:38:42.75 ID:ayx0Ezqt
羽柴秀吉が詠んだなら普通に
「じゃあ鳴かせちゃるわ!」
と聞こえるのに、豊臣秀吉だと>>745にしか聞こえない!不思議だね!
747人間七七四年:2012/07/30(月) 17:05:11.63 ID:m2Ls1l1C
豊臣秀吉は吉川広家について曰く

「広家は尋常の者ではない。五万、三万の大将となっても不足はあるまい。
元春が最近、武威を振るっているのは当然であろう。

毛利元就は吉川元春、小早川隆景を先鋒として西国に武威を震わし、
また元春は元長、広家を先陣として敵を破った。

わしは弓箭においては元就、元春の十倍であるが、良将の器ある子を
持つという点では劣っておる。

ああ、もし男子が三人おれば一人に天下を譲り、二人は関東と関西の
鎮として置くのだがなあ」

世の人もまた、たとえ隆景死すとも広家がいる限り、毛利の政道に
邪法なく、弓箭も前代に劣ることはない、と語った。
748たかとら・かずとよ:2012/07/30(月) 18:07:22.20 ID:PHP5Wd49
>>747
然り気無く太閤様が元春様disってる気もするが、最後に広家のみにしか触れてないの
が元春、元長死後の評かな?
749人間七七四年:2012/07/30(月) 19:00:41.98 ID:7Ci8/Lj3
毛利一族はみんなすごいんだお!天下一だお!バカなんていないお!
750人間七七四年:2012/07/30(月) 19:41:07.13 ID:qrNaWWrX
>>749
まあTERUは天然なのか策士なのか、野心家なのかそうでないのかよくわからんところがあるしなあ。
つかみどころがない点では元就以上。
751人間七七四年:2012/07/30(月) 19:46:48.06 ID:Aa25Wzxv
まあTERUさんも馬鹿ではないんだよ。勇み足しちゃっただけで。
関ヶ原は一門や重臣の、当初の反対意見ばかり取り上げられるが、どうも輝元の近習たちは
積極的に参戦に賛成していたっぽいのね。野心あふれる当主近習と保守的な一門重臣という、よくある対立が
毛利家でも起こっていたっぽい。
752人間七七四年:2012/07/30(月) 22:48:43.14 ID:Sv9YTkEF
TERU「鳴かぬなら 部下が鳴かして 俺そうせい」
753人間七七四年:2012/07/30(月) 23:43:46.70 ID:JcTh/gHK
TERUはふつーに東西対立してる間に毛利家の勢力拡大して漁夫の利を得る作戦だったっぽいからなー
上杉と狙いは一緒なんだよね
754人間七七四年:2012/07/31(火) 00:58:44.02 ID:PqUseq/E
誤算は三成があまりに役に立たないかったwってことか。まーくんとクロカンとかもそう思ってそうだけど
755人間七七四年:2012/07/31(火) 01:03:03.14 ID:mgl8fCwQ
一日で負けただと…!?状態だったんだろうな
756人間七七四年:2012/07/31(火) 01:06:55.47 ID:BrrjkW2h
押したり引いたり
城を取ったり取られたりが続くと思ったんだろうね
757人間七七四年:2012/07/31(火) 01:27:27.24 ID:UeWVt17J
そこんとこは家康すごいけど、
あっさり大阪城明け渡したのがマイナスかも。
758人間七七四年:2012/07/31(火) 02:04:41.66 ID:ZLNmB6t4
そもそもどこぞのAKに
「輝元様ご謀反の風聞が立っておりますぞ!至急上阪なさいませ!」
なんてだまされて大阪に引っ張ってこられたあの人に
やる気なんてあるわけがない
759人間七七四年:2012/07/31(火) 02:53:45.13 ID:NN47ay0t
徳川家と豊臣家が不和となり戦が始まろうとした頃
家康に家臣たちは皆「各地に関所を設けて大坂に人が集まるのを食い止めるべきだ」と言ったのだが
家康は「その必要はない」と言って取り合わなかった。
そして「今の日本では景勝なら私の意見に同意するだろう」と言うので
本多正信は上杉に使いを送って景勝の意見を聞いてみた。
すると景勝は「関所など必要ない。大身の者の動向にだけ注意していれば良い。
中心となって率いるべき人間がいなければ烏合の衆など少人数なら取るに足りず
数が多ければ必ず意見がまとまらず対立しあい蹴散らすのはたやすい」
と答えた。


なんでそこで景勝だったんだろう。
760人間七七四年:2012/07/31(火) 07:58:54.00 ID:kqikBUUh
上杉がらみの記録なんじゃないのか?
761人間七七四年:2012/07/31(火) 07:59:46.03 ID:fRaNXw5O
当時はもう少ない実戦経験者の一人で、普段しゃべらないからここぞという時の発言にインパクトがあるから?
762人間七七四年:2012/07/31(火) 09:42:08.95 ID:UeWVt17J
>大身の者の動向にだけ注意していれば良い。
>中心となって率いるべき人間がいなければ烏合の衆など少人数なら取るに足りず

つまり俺は豊臣には行かねってことかな?それとも関が原の皮肉か。
763人間七七四年:2012/07/31(火) 09:53:08.16 ID:SHqZ/elM
10年ほど前に懲りてますねん
764人間七七四年:2012/07/31(火) 10:33:06.12 ID:NN47ay0t
つまり上杉に振ったってのは毛利らは懲りてないと思ってたという…

景勝はそういう「国を纏める事」には慣れてそうだからかな?と思ったけど
なんで大名連中のなかピンポイントに景勝に…と思ったので
765人間七七四年:2012/07/31(火) 10:52:29.09 ID:NPlztew/
戦国生き残りの大名家で、幕閣連中が納得するネームバリューがあると言ったら景勝くらいしかないんじゃね。
766人間七七四年:2012/07/31(火) 11:07:49.12 ID:neGBq095
>>759
関所設けないことで不満分子を大阪に集められるって意味もあるのかな
767人間七七四年:2012/07/31(火) 11:14:03.88 ID:10uOKFPf
家康で納得しないなら誰に言わせても意味ないだろうし既に納得はしてるだろう
768人間七七四年:2012/07/31(火) 11:30:52.96 ID:EKEgfHjO
>>764
皆様ご承知の通り輝元はバカなので。
769人間七七四年:2012/07/31(火) 11:38:41.19 ID:neGBq095
淀君が戦にまで口出すような状態の国に反幕府勢力が一点で集まってくれるなら、
幕府視点で見れば、権現さまや景勝のような歴然の武士じゃなくともおいしいと思うはず
しかも大阪方は人が欲しいばかりなんだから
三方ケ原以降の権現さまは軍神
770人間七七四年:2012/07/31(火) 11:44:08.72 ID:yrIAWaaI
>>751
負けてから俺には負けるのがわかってた上がバカだから〜とか言い出す人は
古今東西よくいるからねえ
酷いのになると戦前は戦煽りまくってといてとかさ・・・
771人間七七四年:2012/07/31(火) 12:22:34.21 ID:D1ARJBNX
戦国生き残り実践派の中では、

政宗だと、内心は家康に賛成でも、ひねくれて変なこと言うかも知れない。
秀家は島まで聞きに行く人がかわいそうだし、輝はしょせんTERU。
藤堂、黒田は「なぜピンポイントで俺に聞く?」と変に裏を勘ぐってくる。
三斎様、スーパー宗茂様は指揮官としては優秀だけど、こっち方面はあまり得意でなさそうだし、
島津の人たちは何行ってるか聞き取れない上、「関所作りまくれ」とかきっと言う。
鍋島さんは多分忘れられてた。

その点、景勝なら必要なことだけ、素直に答えてくれそうだ。安心の景勝クオリティー。

772人間七七四年:2012/07/31(火) 12:30:57.33 ID:TODWIQHa
権現様を使ったよくある藩祖持ち上げエピじゃないのけ?
773人間七七四年:2012/07/31(火) 15:51:00.46 ID:r9Ht9tNk
景勝のこの無難ポジションは見習いたいもんだ
なんというか過不足無い感じ
義父のエキセントリックさが反面教師になったんかね
774人間七七四年:2012/07/31(火) 16:18:15.77 ID:fP6t7Xxr
藤堂黒田はまだしも、この中では確かに一番安全パイだわな
775人間七七四年:2012/07/31(火) 16:19:17.56 ID:dL+82e8W
しかもこの後に戦になったら上杉軍無双だからな
776人間七七四年:2012/07/31(火) 17:22:18.01 ID:UeWVt17J
>>765
(#●ω^)「そうか俺は認められぬか酒井殿、ならば相撲で決着つけようぞ!」
777人間七七四年:2012/07/31(火) 18:22:59.77 ID:jcvCqkK7
徳川家康が織田信長と同盟を結ぶために清洲城へやって来た時、
その行装を見物しようと尾張の人々が城門の辺りに集まって騒がしくなった。

この時、長刀を持って供奉していたわずか十四歳の本多平八郎忠勝が
「元康が両国のよしみを結ぶためにやって来たというのに、汝ら何故このような
ふざけた真似をする!」と一喝すると、その猛威に恐れて群衆は静まった。

本丸へ入るという時、植村新六郎が刀をかかげて家康の後に従っているのを見た
信長の家人が「そのような物を持って入ってくるとは、一体何者だ!」と咎めたところ、

新六郎は「松平の家臣、植村新六でござる。主君の刀を持って従っているだけだ。
何を咎めるか!」と反論した。それを聞いた信長は「新六が参ったか。彼の者は
かくれなき勇士だ。くれぐれも無礼があってはならぬぞ」と言った。

その後、同盟がなった後の様々な催しの時、信長は新六郎を呼び出し「今日初めて汝の
勇気を見たが、鴻門の会の樊カイにもまさっておったぞ」といたく賞賛したという。

新六郎は幼年より多くの戦功をはげみ忠勤も怠らず、御家号を賜るかというほどであったが、
植村の姓は他国にも知られ、徳川にとっても誇るべきものだったので、一字を与えられて
家政(のち家存)とし、軍扇と一文字の刀を与えられ、直参の徒三十騎を付けられたという。
778人間七七四年:2012/07/31(火) 20:14:57.59 ID:cOqgJv/T
>>768
バカなのはお前だ
遠国のTERUに聞きに行く手間も考えることができないのか
779人間七七四年:2012/07/31(火) 20:31:27.53 ID:8bb2Lu8j
だって景勝の意見なら
本多正信→本多政重→直江兼続
身内に聞くだけで終わるし
780人間七七四年:2012/07/31(火) 20:33:59.86 ID:s7aZodH2
>>768
もしもしごときに侮られるとは、輝元公が不憫にござる
781人間七七四年:2012/07/31(火) 20:38:00.24 ID:AAyt2pbo
>>778
>皆様ご承知の通り輝元はバカなので。

これは関ヶ原の後の、吉川広家が出した弁明状の一節だよ。
782人間七七四年:2012/07/31(火) 20:45:53.06 ID:SHqZ/elM
利常公がアップを始めました
783人間七七四年:2012/07/31(火) 20:48:03.15 ID:zYcKjmKT
>>780
この板でもしもしがわかるなんて凄いですね
784人間七七四年:2012/07/31(火) 21:37:01.71 ID:NN47ay0t
>>779
本多政重は1612年には上杉家を離れて前田家に行ってるけど
それなら直接正信→兼続の方が早くないかね?
785人間七七四年:2012/07/31(火) 22:52:48.70 ID:C5u+QLJl
>>781
その書状は毛利家や黒田家が編纂した文書にはなく吉川家にしかないから、怪しい面があるんだとさ。
常識的に考えると確かにあの文章では広家は失脚どころか即粛清されてもおかしくない。
786人間七七四年:2012/07/31(火) 23:01:39.02 ID:ISwUyTeO
本家当主をバカ呼ばわりする文書がとりあえずは吉川家には残ってる、ってのもどうなんだという話な気が…
当時の文書でもアレだけど、後世吉川家の人間が創ったんならそれはそれでTERUに対しての色々積もるモノがあったんだろうなあ
787人間七七四年:2012/07/31(火) 23:05:53.58 ID:NzXCzY+k
>>771
戦国生き残りで関所の事なら、福島正則に聞きに行けば良かったのにな。
伊奈家の誰かを使者にして。
788人間七七四年:2012/07/31(火) 23:26:53.93 ID:G+8R7Gki
>>787
水野勝成でもいいんじゃね?
789人間七七四年:2012/08/01(水) 00:25:38.89 ID:tn5qtDWN
>>785
バカ呼ばわりするならまだしも主君を討ち取る宣言しちゃってるからなあ
家康側からしてもこいつヤバイとしか思えない
790人間七七四年:2012/08/01(水) 00:44:38.06 ID:ONKs8U/g
>>786
あれ吉川家文書には残ってないよ。
791人間七七四年:2012/08/01(水) 12:58:06.93 ID:Zy5iW0+P
景勝の意見じゃなくて直江の回答だろこれ(´・ω・`)
792人間七七四年:2012/08/01(水) 13:16:48.42 ID:Ljew9wdW
景勝「・・・
兼続「それは誤解だ、と殿はおっしゃっております
793人間七七四年:2012/08/01(水) 15:18:14.52 ID:YVFkyYlK
>>777
新六郎はともかく合戦や外交行列には付き物の
見物の衆に突然ぶち切れる忠勝は何なんだw
794人間七七四年:2012/08/01(水) 15:21:13.45 ID:1H29ZaN/
まあぶっちゃけると清洲同盟の時の信長と家康の会盟というのは、実際には存在しなかったとされているw
三国同盟の善得寺会盟と一緒やね。
795人間七七四年:2012/08/01(水) 16:15:19.52 ID:dj1Fvg5z
>>793
戦国時代の見物客だからな・・・・
『みきゃーのとのさんがきとるらしーわ
おださんよりはちいーさー家らしーよーニヤニヤ
ちょーと見にいったろみゃーかニヤニヤ』
な態度丸出しでジロジロ見てたとか
796人間七七四年:2012/08/01(水) 17:10:42.69 ID:ObEW6HMJ
忠興「見たくらいでそんなに怒らなくたっていいのに。」
797人間七七四年:2012/08/01(水) 17:21:48.81 ID:y0v6k/8/
物事をあまり深く考えない人が漫然と思い込んでいる、
 真理・真実・現実・事実・史実は一つだけ
 怒り・憎悪・悲しみ・嫉妬は自然な感情
 戦争・テロ・犯罪・虐め・差別は無くならない
 子供の躾に体罰は必要
 学校を何度変わっても虐められるのは、虐められる側に原因がある証拠
 死刑には殺人の抑止力がある。死刑を廃止すると殺人が増える
 自己チューな人間ほど自己愛が強い
などの論理的間違いをビシッと解説ちう m9(`・ω・)<ビシ
義務教育では教えない 感情自己責任論
798人間七七四年:2012/08/01(水) 19:18:07.70 ID:t6XsuW3I
仙石秀久の戸次川の戦いでの失態に激怒した秀吉は讃岐の領地を没収した。
これについて浅野長政が、

「讃岐の領地を召し上げることは致し方ないことと存じます。

しかし、御旗本の中でも杉原七郎左衛門、荒木平大夫、仙石権兵衛らは
世人に三人衆と称され、武名高き者たちです。

不知案内の地でのことですから、利を失うということは不覚悟ではありますが、
それも勝負の常でありましょう。

いままでの軍功をお考えになって帰参を許されれば、あなた様はもちろん、
天下の武士たちも勢いを得ることでしょう」

と諫言したという。その甲斐あってか、やがて秀久は赦免され、
信州小諸五万石を賜ることとなった。
799人間七七四年:2012/08/01(水) 19:28:17.63 ID:GrmdYFno
羽柴四天王の神子田正治、尾藤知宣「・・・」
800人間七七四年:2012/08/01(水) 19:29:20.95 ID:x5qO8sHC
>>791
この主従は戦に関しては景勝の方が得意だろ…
801人間七七四年:2012/08/01(水) 21:03:36.56 ID:6k0p+BC8
杉原七郎左衛門家次って事務方の人であって武名はそんなに無いんじゃないか?
早くから家老になって京都所司代にもなった人だから重鎮中の重鎮だけど

この人はもう少し長生きしてたらどこか1国貰って大身になってたんじゃないかなあ
802798:2012/08/01(水) 21:52:08.24 ID:t6XsuW3I
>>801
>武名はそんなに無いんじゃないか?
申し訳ない、そこ間違いました。↓が正しいです。

>世人に三人衆と称されたほどで、(権兵衛は)武名高き者です。
803人間七七四年:2012/08/02(木) 05:09:08.02 ID:FmTybvC0
>>800
景勝って、あまり戦には出てこないような
804人間七七四年:2012/08/02(木) 12:35:25.00 ID:XTePmMCp
戦にだって行くさ!
805人間七七四年:2012/08/02(木) 13:03:09.93 ID:DNz8sheP
>>804
茶を一杯進ぜようか
806人間七七四年:2012/08/02(木) 13:26:44.15 ID:zaiaXr1w
直江兼続が>>804のために閻魔様への手紙をしたためているようです
807人間七七四年:2012/08/02(木) 15:52:34.91 ID:3lO6nt6p
家康「おまえの名前は今日から【いくさ】だ!」
808人間七七四年:2012/08/02(木) 18:37:29.46 ID:TcNlhelV
我が殿宇喜多直家が>>804にぜひ娘を嫁がせたいとおっしゃられております
80937人目:2012/08/02(木) 18:49:24.81 ID:J1mbkMnD
38人目ですな
810人間七七四年:2012/08/02(木) 19:57:11.51 ID:iP6kk602
>>804
補佐役に源五殿を向かわせるゆえすべて相談して事を為すように。
811人間七七四年:2012/08/03(金) 05:18:58.37 ID:0NEg8wb4
>>807
ともちゃん「あんたのあだな今日から大阪だ!」
812人間七七四年:2012/08/03(金) 05:51:04.60 ID:n0KvNuBf
このスレ初心者過ぎて>>805-810の意味が全然わからん
813人間七七四年:2012/08/03(金) 06:10:00.74 ID:ycMj0A4v
クズの馴れ合いだから分かる必要ないよ
814人間七七四年:2012/08/03(金) 06:48:31.40 ID:SgnAHkf0
>>812
権現様以外は >>804 に死亡フラグがたったという話
815人間七七四年:2012/08/03(金) 13:21:10.26 ID:HfDf/b5E
権現様はそれらに比べると遥かに人間的にマトモだという事なのか
それとも権現様のネーミングセンスは死亡フラグに匹敵すると言う事なのか
816人間七七四年:2012/08/03(金) 14:40:23.07 ID:rCIZx4JN
志摩殿(鍋島茂里)の家来のある者が浪人を申し渡されたとき、

「浪人ということの意味がわかりません。
それは山の中に蟄居しろという命令なのでしょうか。
そうならば私は蟄居などする気はありません。
不届き者とお思いならば、殺してください。」

と申し上げたところ、お構いなしですんだ。
この家来、後に暮らしが苦しくなり御蔵の米を盗み、死罪ときまったとき、

「そういえば以前から狂歌を詠んでいたな。最後のこの場で一首詠んでみるか?」

と言われ、

『ほのぼのとあかしかねたる世の中に
しまかくれざる米ほしぞ思ふ』

と詠み、許されたとのことである 【葉隠より】
817人間七七四年:2012/08/03(金) 14:51:21.86 ID:rCIZx4JN
ほのぼのと〜は、柿本人麿の、
『ほのぼのと明石の浦の朝霧に
島がくれゆく舟をしぞ思ふ』
にインスパイアされたもので、
『しまかくれざる米』と『志摩が呉れざる米』がかかっている歌。
家来の逆ギレなのか、盗みに入るほど米を与えなかったのかはどうなんでしょな話
818人間七七四年:2012/08/03(金) 15:21:35.56 ID:NL7dFSAK
なんか盗みバレた時は人麻呂の歌のパロディ詠んだら赦免されるとかいう不文律でもあったのか
819人間七七四年:2012/08/03(金) 15:55:58.74 ID:BSYfjS6Q
>>818上手いこと言えたらな。>>804殿の様な場合は自身の処分に留まらず……
820人間七七四年:2012/08/03(金) 17:02:54.65 ID:04flXWcx
幽斎さま「俺ってば超貧乏で灯油買えないから夜に勉強できないんだぜ。
 神様ならそんな俺の心意気をわかってくれて泥棒と区別してくれるはずだから問題ない」
821人間七七四年:2012/08/03(金) 17:06:03.74 ID:Pk4Pks/a
忠興「玉は俺の気持ちが分かっているから、何をしても問題ない!」
822人間七七四年:2012/08/03(金) 19:27:21.33 ID:NL7dFSAK
>>819
御家断絶は勘弁な、オウイェ
823人間七七四年:2012/08/03(金) 20:58:49.25 ID:BxSqh2A+
>>822
【審議中】
    |∧∧|       (( ) )   (( ) )  ((⌒ )
 __(;゚Д゚)___   (( ) )   (( ⌒ )  (( ) )
 | ⊂l     l⊃|    ノ火.,、   ノ人., 、  ノ人.,、
  ̄ ̄|.|.  .|| ̄ ̄   γノ)::)  γノ)::)   γノ)::) 
    |.|=.=.||       ゝ人ノ  ゝ火ノ   ゝ人ノ
    |∪∪| メラッ     ||∧,,∧ ||∧,,∧  ||  ボォオ
    |  ノ火.,     ∧ (´・ω・) (・ω・`) ∧∧
    |  ゝ人ノ    ( ´・ω) U) ( つと ノ(ω・` )
   ~~~~~~~~     | U (  ´・) (・`  ). .と ノ
              u-u (    ) (   ノ u-u
                  `u-u'. `u-u'

824人間七七四年:2012/08/04(土) 12:11:54.17 ID:j2ykJrHH
>>821
DV だんなw
825人間七七四年:2012/08/04(土) 18:44:53.28 ID:ER64TAbU
天正10年、本能寺の変を知った羽柴秀吉はいわゆる中国大返しを行う。そして敵中を突破し、
ついに当時の秀吉の本拠地、播磨へと入った。

播磨の首府である姫路の近くまで来ると、秀吉の配下は上下を問わず、私宅に帰って一宿したい、と望んだ。
さらには秀吉すらもそのように考えているようであった。

この時黒田官兵衛は秀吉に言上する

「姫路に寄ることなく、直に上方に向かって上られるべきです。
たとえ仮初の旅であっても、家を出立するのはグズグズと遅くなってしまうものです。あまつさえこの度は戦です。

大和の筒井順慶、細川与一郎(忠興)などは日向守(光秀)昵懇の者たちです。特に細川に至っては
その婿です。もし彼らが光秀の味方に付けば、これは難しいことになります。
たとえ彼らが心底、光秀に味方しているのだとしても、合戦の場に乗り込まないうちは、双方の勝負を
見守ることになるでしょう。
また、光秀に時間を与え、しっかりと備えを固められてしまっては、これも重大なことになります。

この度は少しでもお急ぎなさること。それが肝要です!」

秀吉はこれを聞いて「よく言った!私もそのように思うぞ!」と賛同し、『下々の一人たりとて姫路に寄れば、討ち捨てる』
との軍令を出した。

さてその時勘兵衛、実は1日前に姫路に飛脚を出していた。彼は姫路の町人たちに

『河原に出て、粥をこしらえ、諸軍勢に残らず食わせることは可能か?』と尋ねた。
これに町人たちは

「筑前様は新しい領主であるので、我々も何か御馳走を行うべきだと考えていたところです。
何故なら、第一に筑前様は末頼もしきお殿様です。その上今回は、勘兵衛様のご差配でございます。
いよいよ以って、願うに幸いの所にございます!」と大いに喜んだ。

そして彼らは鍋・釜・諸道具を河原に持ち出し、事々しく粥を調理し、数万の軍勢に残らず食わせた。
もちろん町人のうち顔役の者たちは、酒樽に折紙を付け、恭しく秀吉に捧げた。
秀吉は馬上にてこの酒を飲み、

「今回のお前たちの心付け、別して満足に思っている!よって姫路町中の地子(固定資産税)を、永代赦免する!」
と宣言し、

「今度の御弔い合戦は必ず勝利を得る!しかるにおいては、ますます褒美を与えるつもりである!
であるから、我々への協力を諸事怠けることの無いよう、皆で申し合わせるように!」

この秀吉の発言に、姫路の町人たちの喜ぶこと、限りなかったという。
(古郷物語)

黒田官兵衛の智謀の光るお話である。
826人間七七四年:2012/08/04(土) 18:55:36.71 ID:hkpUt3eI
>大和の筒井順慶、細川与一郎(忠興)などは日向守(光秀)昵懇の者たちです。特に細川に至っては
>その婿です。

筒井定次もそうだった気がするが
827人間七七四年:2012/08/04(土) 22:49:03.15 ID:Cpx7/nmK

渡辺勘兵衛「仕官したばかりだというのに、さすが姫路の民は分かっておるな!」

828人間七七四年:2012/08/04(土) 22:54:42.19 ID:aNaivOgn
忠興「主君を討つなど許せぬ! 玉ちゃん〜 会いに行くから待っててね!」
829人間七七四年:2012/08/04(土) 23:15:34.73 ID:Zv17eWpn
昔より主を内海の野間なれば…
830人間七七四年:2012/08/05(日) 00:16:27.94 ID:OyoEl3Cp
秀吉の口約束か…
831人間七七四年:2012/08/05(日) 02:01:39.01 ID:8pfN3Wrj
立花宗茂ちょっと良い話  苛政死すべし(1)

天草島原の乱が籠城した老若男女の殲滅をもって終結して数か月後、三代将軍家光の御前に罷り出た
立花飛騨守宗茂が、討伐軍の司令官として誹謗中傷の嵐にさらされていた松平伊豆守を救ったという
逸話は有名だが、もう一つの逸話はあまり知られていない。

「飛騨守、そちは伊豆の神髄は、その知恵に非ずというのだな」
「御意、伊豆殿の心魂は突き詰めれば、本田佐渡殿と同じ、上様一人への忠の一字に尽きもうす。
忠を貫くためには、いかなる泥をも被ることを厭わない覚悟は見事というほかありません」
「・・・・・・あいわかった。以後、伊豆のことをとやかく言う者がいても、余は聞き流すぞ」
家光が知恵伊豆こと松平伊豆守の安堵を請け負ったことを確かめると飛騨守は、言葉を継いだ。
「このたびの乱を切支丹一揆と言う者があると思いますが虚言ござる」
「なに!首謀者は天草四郎という小僧を担ぎ上げた切支丹たちではないというのか?」
「首謀者は切支丹ですが、しょせん切支丹は、一揆の神輿にすぎません。それを見越して、切支丹から
一揆の衆を内応させようとした手を尽くしたのが伊豆守殿でござる」
「???」
腑に落ちかねるといった家光の顔をまっすぐに見つめながら飛騨守は、話し始めた。
832人間七七四年:2012/08/05(日) 02:03:18.99 ID:8pfN3Wrj
立花宗茂ちょっと良い話  苛政死すべし(2)
「大和には、蓑踊りと水牢という松永久秀由来の悪習がござる」
「悪習か、詳しく申せ」
「年貢を納めざる者は、理由の如何を問わず油漬けの蓑を被らせ、火をつけて躍らせるのが蓑踊りにて、
孕み女を腰まで水を張った牢に漬けて子を流させるのが水牢でござる」
水牢で子を流させるという話を聞いた家光の眉宇に怒りの色が浮かぶのを見てとった飛騨守は語気を強めた。
「そもそも蓑踊りは、隠し田をした者を処罰するために、水牢は一揆の首謀者の種を絶やすために考え出された
ものだそうで、それなりに理屈は通り申す。しかしながら、このたびの一揆の直前まで島原で行われていたものは
払えぬ年貢を払えという無理難題が通らないための憂さ晴らしと、余分な米を食らう孕み女の腹の子を流させて
口減らしするとためのものでござる」
「・・・・・その領民の苦衷に切支丹が乗じたのか!」
「一揆の衆は、生きるに望みなく、今日の命も繋ぎがたくなったために領主に牙を剥かざる得なくなっており申したが
神輿がないために立ち上がれなかったわけで、切支丹は一揆の衆に己が身を神輿として差し出すだけで乱の頭領
になり得たのでござる」
一気に言い切った齢70過ぎの老将は、さすがに疲れたのか肩で息をした。
833人間七七四年:2012/08/05(日) 02:04:36.41 ID:8pfN3Wrj
立花宗茂ちょっと良い話  苛政死すべし(3)
「飛騨守、疲れたであろう。茶を飲め」
「いや、島原の一件をお伝えするのが先にござる。そもそも家格を上げるためだけに、
無理に打ち出しを行い、内高が10万石になったなどと公儀に申し出た松倉の振る舞い
を許しては、公儀そのものが苛政の主と民からみなされ一揆が続発しましょう。
民を苦しめる領主に領地を公儀より預かる資格はなきことを示すことこそ公儀の義と思われます」
「あいわかった。伊豆も同じことを進言していたが、保身のためと申す者が多く、判じかねていたが、
そちの話を聞いて納得がいった。松倉の件、伊豆の申す通りにしよう」
家光の言葉を聞いた飛騨守は、再び背を伸ばすと語気をさらに強めた。
「それだけでは足りません。戦なき世を作るために大御所様、台徳院様、御両所がなされた努力を
無にしないためにも、仁を政の根本として民に臨むよう諸侯に伝えるだけでなく公儀が範を示すべきです。
上様に、このことをお伝えいたしたく、本日、参上した次第でござる」
そう言うと老将は、冷めた茶を美味そうに飲み干した。

834人間七七四年:2012/08/05(日) 10:28:01.94 ID:TyAo2wLO
これ逸話というより小説じゃね?
835人間七七四年:2012/08/05(日) 10:49:03.64 ID:PZ72GiaS
逸話をだしに自分を出したがる奴はうざいな
836人間七七四年:2012/08/05(日) 12:26:38.90 ID:RSKh5C4+
批判に応えるには出典を添えるべきだな
837人間七七四年:2012/08/05(日) 17:23:19.76 ID:lwmMR0o/
本来は出典なんか気にせず気楽に進行するべきだけど、小説からの引用とか酷いのになると完全に自分の創作の時もあるからなぁ

可能であれば出典は欲しいよね
小説だろうと妄想だろうとそう書いてあれば問題ないし
838人間七七四年:2012/08/05(日) 17:39:19.90 ID:LluSzvQo
出典明記するなら古文書とかでない、研究本とかでもいいの?
839人間七七四年:2012/08/05(日) 17:41:52.75 ID:yAXPKXQK
>>838
もちろん
840人間七七四年:2012/08/05(日) 19:54:26.70 ID:0xXrdLjx
>>832
>>松永久秀由来の悪習
これは事実なの?聞いたことないんだけど。逸話とか全て事実のものを載せるようにとは
言わないけど(元からそんな場所じゃないし)あんまり酷いと出典明記必須にしないといけないじゃ?
841人間七七四年:2012/08/05(日) 19:56:33.09 ID:8PdmPbHU
蓑踊りを松永久秀がやってた、てのはよく聞く話だが
842人間七七四年:2012/08/05(日) 20:11:24.80 ID:3+ne/uan
多聞院日記か何かの記述なんかねぇ?
843人間七七四年:2012/08/05(日) 20:32:37.98 ID:NXqrzemR
自分が聞いた事ないから「酷い」レベルの捏造なのではないかと疑うってのも
すごいな
844人間七七四年:2012/08/05(日) 20:52:50.11 ID:LluSzvQo
>>839
レスありがとう
盆休みに向けて準備しとくよ
845人間七七四年:2012/08/05(日) 21:37:08.29 ID:VmSSSJRT
家康公の命による立花攻めの前日、
立花方に申し入れることがあり、
大家太郎左衛門を使者とするように直茂公が命じた。
鍋島の者はみな、
「太郎左衛門はブサイク(醜男)の上、言葉に詰まる者ですから使者にはどうかと・・・」
と申し上げたが、直茂公は、
「今回、立花への使いは男ぶりや弁舌はいらない。
気骨ひとつですむ案件なのだ。
太郎左衛門の気骨の逞しさは、日頃から見抜いている」
と仰せになって、立花方へと遣わされた。
さて太郎左衛門は立花家へおもむいて、
「このたび、家康公の御命令により、
明日、当地へと攻めよせます。
もし、釈明なさるのなら、
早々に黒田、加藤両検使までお申し出になるとよろしかろう」
と、つかえながらもなんとか口上を申し述べた。 (1/2)
846人間七七四年:2012/08/05(日) 21:54:07.02 ID:VmSSSJRT
返事を待っていると、襖一つへだてた隣の部屋で、立花の侍たちが、
「なんという生ぬるい口上か。
西国無双の立花とまで言われる当家が、
この期におよんで釈明をするなどと思っているのだろうか。
それにつけても、あの使いの男の見苦しさはなんなのか。
口上もろくに喋れず、鍋島にはよほど人がいないらしい」
など、さまざまに悪口を言った。
さて返事を聞いて、立ち帰るときとなり、太郎左衛門は大声をはりあげ、

「ただいまそちらでの御評判の内容、
こちらへもはっきりと耳に聞こえました。
鍋島の槍が手ぬるいかどうか、明日皆様方へお見せしよう。
畳の上での御批判とは、ちと違うことがおわかりになると思います。
さてまた、拙者が醜男で口上が下手だとの批判はもっともと思います。
しかしながら、武士にとって男ぶりや弁舌が役に立つとお思いですか。
私の戦場での働きもあわせてお目にかけましょう。
見事この醜男と立ち合ってみてください。
もし、今すぐにでも私が本物か確かめたいのであれば、参られよ。
ひと働きいたしてお目にかける」

と断言し、しばらく待ったうえで、立ち帰ったとのことである

葉隠より (2/2)
847人間七七四年:2012/08/06(月) 01:23:13.96 ID:PUboeWhc
過去に、龍造寺四天王が五人もいた鍋島家を舐めるなよ!
848人間七七四年:2012/08/06(月) 07:49:03.88 ID:0LN+yIEo
四天王の数なら最上も負けてないな
849人間七七四年:2012/08/06(月) 09:11:35.86 ID:WzSuK31I
直茂は「立花相手には弁舌より気骨が大事」って言って
太郎左衛門をチョイスしたわけだけど
この場合、その気骨は通じてるの? いないの?
最後の啖呵を聞いた立花側の反応が気になるわー
850人間七七四年:2012/08/06(月) 10:32:27.18 ID:OhhBUc+k
>と断言し、しばらく待ったうえで、立ち帰ったとのことである

反論や失笑が無いようだから、相応に気骨は通じたんじゃないの?
851人間七七四年:2012/08/06(月) 10:57:31.13 ID:Eshz7pim
いや、実際に開城してるから通じたんだよ。
852人間七七四年:2012/08/06(月) 21:19:38.95 ID:TE77SgVU
IMEに「モンガマエに言」の字がない…orz

〜ギン千代出陣〜お方様は俺たちのアイドル

関ヶ原の戦いによって天下の情勢は決定づけられ、
西軍に組した立花宗茂には東軍側九州諸勢が攻め寄せることになった。
大敵と戦うは武人の誉れ、宗茂は領内に兵を配置し、迎え撃つ体制を整えた。
しかし兵が足りない。どうしても国境の一角が手薄になってしまう。

その間隙を埋めたのが宗茂室、不仲で有名なギン千代が腕に覚えのある女中を率いた部隊である。
逸話によっては大活躍しているが
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-365.html
それはこの際関係ない。

それにしてもこのギン千代、ツンデレである。(「世界丸見え」風に)

それはそうと、ギン千代が出陣すると、宗茂が配置した他の部隊から、
「お方さま守備」と称して勝手にギン千代の部隊の近くに行ってしまう武士が続出した。

立花武士1( ゚皿゚)「殿が軍略を駆使して構えた備えから離れることなど許されるはずありません。
聞けば不忠になるので、勝手に離れたのです」

立花武士2( ゚皿゚)「我が殿はかくれなき名将。しかれども、お方様は…お方様は…
道雪様の忘れがたみでございまするぅぅぅぅっ!」

それらの口上を聞いた宗茂がどんな顔をしていたか、本には書いてない。
853人間七七四年:2012/08/06(月) 21:23:32.12 ID:6ZImYZmB
>>843
乱が終息してて数十年してようやく天草の石高の見直しが行われた、というのを知ってたから嘘くさいと思ってたよ。
出典は小説か自作だろう。
854人間七七四年:2012/08/06(月) 21:32:41.63 ID:v+qQfvwr
ァ千代

表示されるかしらん?
855人間七七四年:2012/08/06(月) 21:51:34.17 ID:2OTs5u5a
>>852
出典書かないといけなくなったらしい

というかそれ小説じゃないか?
856人間七七四年:2012/08/06(月) 21:52:12.32 ID:qBz7FJDO
>>854

俺のPCでは表示されてるよ
857人間七七四年:2012/08/06(月) 21:57:04.67 ID:y16USDnQ
ァ千代くらいは辞書登録してるのがスレ住民のたしなみ(キリッ
858人間七七四年:2012/08/06(月) 21:59:24.56 ID:UGL/iYwy
鳩巣小説が出典だとどうなんだろ
859人間七七四年:2012/08/06(月) 22:03:02.26 ID:M00fcbP3
所詮逸話だから出典に拘る必要は無いと思うけどな
860人間七七四年:2012/08/06(月) 22:32:22.73 ID:3wVk/fI+
いくら逸話スレといっても小説は勘弁
出来るだけ出典明記というのは有る程度真偽のほどというか信憑性を計りたいだろ
861人間七七四年:2012/08/06(月) 22:42:11.00 ID:nsoh7Q6t
>>859
誰でも気楽に愉しめるスレであってほしいけど、
なんでもかんでもゆるしてしまうと、
嫌いな武将に対して悪意ある逸話創作する人が出ないとも限らない。
だから出典を求められたときは投稿者は答えるべきだと思う
それが現代小説だろうと出典さえ明かしてくれれば問題ないわけだし
862人間七七四年:2012/08/06(月) 22:48:49.22 ID:6vtntBpC
まあ怪しい逸話だったら最初からそう断っとけば問題ないわけだしね
863人間七七四年:2012/08/06(月) 22:56:40.32 ID:MIbUOV7J
堅苦しくなるからってのは理解できるが
出典求められて、それはできませんってのはアカンと思うな。
求められて現代の小説or雑誌から云々ってオチでも一応はケリが付く訳だから
できれば出典は書いておいた方が荒れにくいし投稿する側も気が楽だと思うけどね。
特に逸話を現代口調で面白くしようとする人は必要だと思う。

出典無しでゴリ押しするのは某国がやってる事と変わらんと思うよ
逸話によって自分の好きな武将がageもsageもされるんだし…
出典無しで贔屓の武将創作されると良い気持ちしないよね。
864人間七七四年:2012/08/06(月) 23:18:20.46 ID:TE77SgVU
>>852
海音寺潮五郎の短編集「剣と笛」収録「立花宗茂」
865人間七七四年:2012/08/06(月) 23:26:39.88 ID:nsoh7Q6t
>>864
Thanks
男気あるね!!
866人間七七四年:2012/08/06(月) 23:42:29.13 ID:h0IqQKS0
>>853
小説だと思うならそれがなにか答えろよ
867人間七七四年:2012/08/07(火) 00:00:01.63 ID:voU5H9QG
>>866
嘘くさいからどうせ何かの小説とかだろ

と言った所じゃね
868人間七七四年:2012/08/07(火) 01:02:35.53 ID:QNl4P9+2
1位 小松 315(16.12%)
2位 愛姫 150(7.88%)
3位 ァ千 112(5.78%)   ← 現在ここ!
4位 義姫 104(5.73%) 
5位 直虎 92(4.71%)

第1回・戦国女性キャラ投票!〜8/31
869人間七七四年:2012/08/07(火) 01:42:17.41 ID:KTSC0n7w
>>864
ぐぐったら結構前の小説なんだね。
そーいやこの間BSで島原の乱はキリシタン一揆じゃないってやってたな−。
(何故か山犬の中の黄色い人が出てた)
870人間七七四年:2012/08/07(火) 01:52:48.41 ID:aJsrHJ1K
俺は亀寿様に投票しようか…といわれるとそこまでではないが
871人間七七四年:2012/08/07(火) 05:59:10.70 ID:xdocKTRo
872人間七七四年:2012/08/07(火) 07:26:51.55 ID:SCWxnsKk
謙信って選択肢があってもいいと思いますの
873人間七七四年:2012/08/07(火) 08:41:38.16 ID:x4aJAY0d
この手の人気投票で、鶴姫の名前はまず出てこないよな…
それとも俺が異端者なのか
874人間七七四年:2012/08/07(火) 08:43:09.87 ID:hNpqwvb+
>>871
それもそれなのか?
875人間七七四年:2012/08/07(火) 08:44:21.57 ID:Z3wAhhjg
戦国女性「キャラ」って表現に違和感あるわ
何かのゲームやアニメの人気投票みたい
876人間七七四年:2012/08/07(火) 09:55:47.75 ID:79iPMk9L
そういう輩の集まりだろ。興味ない。
お玉とかじゃなくて小松や直虎あたりがランクインしてる時点で
ちょっと歴史かじってるうれし共だろ。

俺なら11歳で180cmのヤンキーに種付けされた幼女とかがいいなあ
877人間七七四年:2012/08/07(火) 10:46:44.22 ID:IObjAl/L
>>875
オレも同感だけど、そういうノリで楽しむ人がいてもいいのかなと最近思うようになった
>876が何を言ってるのかは理解不能ではあるが
878人間七七四年:2012/08/07(火) 11:01:35.87 ID:GJtNFa2a
>876は最後の一行以外ノイズ
879人間七七四年:2012/08/07(火) 11:11:51.37 ID:ZlACesvl
>>876は自己紹介だろ

まあ幼女云々はともかく、嫁の鑑だからな、まつは
ああいう嫁がほしい
880人間七七四年:2012/08/07(火) 11:35:52.21 ID:cN9q46nx
>>876
だってお玉さんがランクインしたら三十六どころじゃなくなりそうだし…
881人間七七四年:2012/08/07(火) 12:25:55.38 ID:bHJhD/3s
ケータイやスマホ、パソコンの画面から三斎様が出て来てコンニチハしそうだな
882人間七七四年:2012/08/07(火) 12:42:13.18 ID:IObjAl/L
リングの貞子を思い出した
883人間七七四年:2012/08/07(火) 15:46:34.41 ID:QNl4P9+2
>>875
「キャラ」って表現に俺も違和感あるけど、他に適当な良い表現がないような。
884人間七七四年:2012/08/07(火) 18:13:20.87 ID:azm89L91
愛姫とかそんな上にくる話無いだろ、
ゲームなりマンガの影響なんですかね。
885人間七七四年:2012/08/07(火) 18:38:16.04 ID:XgbIpB8F
DQN四天王に関係のある女は人気がある説
ガラシャ、義姫、愛姫、亀寿
886人間七七四年:2012/08/07(火) 19:34:18.62 ID:ZZY5uFh2
伏見城の普請を急いでいた頃のこと。
そろそろ十月にさしかかり、日々の作業も寒かろう、
普請の大名衆には風邪をひいてはなるまいということで、
太閤秀吉より紙子の差し入れがあった。
秀吉は手ずから大名衆に渡しては労を労っていた。

さて、政宗は知っての通り物好きであった。(政宗は兼て物好きの由御諚にて)
その日も襟は紺地の金襴、袖は摺泊入りの染め物、裾は青地の緞子という
ど派手ないでたちである。
またその時は大坂御上下の御召船(原文ママ。御座船のようなものか?)を
拵えて進上したので、秀吉はたいそう喜んで忠光の脇差を政宗に与えた。

翌日のことである。
同じように秀吉が普請場へやってきたところ、政宗は昨日拝領した忠光を早速差していた。
政宗が役所で御目見得のために待っているのを見て、秀吉は小姓衆へこう言った。
「昨日、政宗にあの脇差を盗まれた。お前らちょっと行って、取り返してこい」
さっそく小姓衆4〜5人が取り返すべく政宗に取りかかる。
驚いた政宗、何故か逃げた。半町くらい逃げた。
逃げたのだからやっぱり盗んだに違いない! と小姓衆はいきりたったが、
秀吉は笑って「まぁまぁ、もうよい」と許した。

またあるとき、秀吉は御所柿を差し入れに持ってきて、手ずから大名衆に渡していた。
政宗は御所柿が大好物だったので、「一番大きい柿を下され」と言った。
秀吉はそれならば、と取って返し、大きな柿を持ってきて、
「これより大きい柿はないぞ」と言って政宗に手渡した。

これを見て、近所の役所の大名衆は、政宗は遠国の大名で、
近頃奉公しはじめたばかりなのにこれほど秀吉に気に入られている。
冥加の仁である、と噂したという。

成実記にある、政宗と太閤殿下のハートフルな交流。
それにしても相変わらず、従弟殿は政宗の描写にに容赦がないw
887人間七七四年:2012/08/07(火) 20:01:41.49 ID:jLbjAgjc
朝鮮役までの秀吉はすごいスケールなんだけどねぇ
888人間七七四年:2012/08/07(火) 22:08:08.80 ID:m1DIKEeU
ふむふむ伊達殿も柿が好きと・・・φ(`д´)メモメモ...
889人間七七四年:2012/08/07(火) 22:13:17.75 ID:9s9+LtLL
>>875
実在したかどうか怪しい人がちょくちょくいるから
「人物」とか付けたりするとかえって語弊が生じるんじゃない?
890人間七七四年:2012/08/07(火) 23:03:02.47 ID:Y8fEnYne
この時期は人たらしオーラがあったんだな、まだ
891人間七七四年:2012/08/08(水) 00:51:41.82 ID:7TV831EW
堺三大茶人と言われる津田宗及の茶会記には織田信長をはじめ荒木村重、明智光秀など天正を代表する武将が茶会を開いた記録が残る。
その茶会記に秀吉が初めて登場するのが天正6年6月、播州三木城付近にて天目茶碗を用いて茶会を主催したと記されている。
この宗及茶会記や町衆の日記に当時の世間の秀吉への対応が急速に変化するさまが読み取れる。

892人間七七四年:2012/08/08(水) 00:54:43.29 ID:7TV831EW
初登場から山崎合戦までは『羽柴筑前』『羽筑』と半ば呼び捨てのように記されているが山崎合戦後には『筑前様』『筑州殿』と敬称で記されるようになる。
賤ヶ岳合戦後には『秀吉公』『秀吉様』となり官位を略されるに当たり目まぐるしく昇進したことが窺える。
天正十五年に遂に『関白様』と記され僅か九年の間に天下人に認知された秀吉の立身が記録されていて大変興味深い。
893人間七七四年:2012/08/08(水) 00:56:17.83 ID:BUl5Dmp1
羽筑なだけに破竹の勢いで出世したと
894人間七七四年:2012/08/08(水) 05:13:02.28 ID:bvZQLNg7
895人間七七四年:2012/08/08(水) 07:10:03.74 ID:g0OcOUuq
そして政宗は始めから終わりまで政宗
896人間七七四年:2012/08/08(水) 07:11:32.14 ID:kUb+rSUr
>>892
秀吉の官位が急上昇しはじめたのって、天正12年に信雄と講和する
直前くらいだと思う。

それ以前のは公卿補任の辻褄合わせっぽい。
897人間七七四年:2012/08/08(水) 10:13:53.43 ID:FWGx8qE2
>893様、宇喜多様からお茶のお誘いが来ましたぞ
898人間七七四年:2012/08/08(水) 10:29:47.66 ID:eXaOyBTq
>>896
そのあたりで政策の大転換があったと言われてるね。
いわゆる惣無事令体勢への移行という。
899人間七七四年:2012/08/08(水) 10:57:03.14 ID:AA1g/LZi
>>897
羽柴は筑前

ワシは逐電
900人間七七四年:2012/08/08(水) 10:59:29.83 ID:odlsP3u2
>>892
出世が早すぎると名前で呼ばれるのかw
901人間七七四年:2012/08/08(水) 12:08:50.66 ID:FWGx8qE2
というか諱で呼ばれるってバカにされてねえか?
902人間七七四年:2012/08/08(水) 12:35:32.40 ID:cu3uAtem
尊称付いてるだろ
903人間七七四年:2012/08/08(水) 12:51:34.83 ID:Mds0W+dQ
まあ秀吉って呼び捨てしたら即殺されても仕方がないが、「様」「公」がついていれば諱も尊称として使えるからな。

そもそも「筑前守」だと筑前は上国であり、従五位下相当の受領名で、従五位上相当の大国受領である陸奥守や大和守と
比べて格下で、右大臣信長の事実上の後継者の呼び名にするにはやはり問題があるのね。

なので覇権を握った状況の秀吉が、しっくり来る官位を得るまで、暫定的に「秀吉様・秀吉公」としたのだろう。
904人間七七四年:2012/08/08(水) 21:04:51.97 ID:EJrvxqvE
>>852の該当箇所を>>864の海音寺潮五郎「立花宗茂」から
(ァ千代が宮永村で警備を厳重にしていると聞いた場面)
>ァ千代の召しがあったという以上、家中の侍どもは皆知っているはずであるのに、自分にはまるで
>黙っているのが不愉快であった。
>彼等は自分とァ千代との間にへだてを起き、ァ千代を立花家の標的(象徴)として、
>自分以上に重く見ている証拠だと思った

(鍋島勢に続いて黒田勢、加藤勢が柳川に攻め寄せてくる場面)
>三面から同時に進撃して来るつもりと予想された。宗茂は益々防備を厳重にするよう命令を下した。
>ところが、それから間もなく、家臣等の少なからぬ者共が、宗茂にはことわりなく、ァ千代様ご守護と
>言い立てて、宮永村に行っていることがわかった。その中には重臣級のものもいる。
>願い出て許されなかったら主従顔を赤らめて口論しなければならない、それではかえって申し訳ないことになる
>と思案してのことであろうとは思うものの、やはり煮湯を飲まされたに似た気持ちであった。

たぶんここらあたりから書いたんだろうけど、ちょっとアレンジしてないか
905人間七七四年:2012/08/08(水) 21:08:08.53 ID:EJrvxqvE
あと、すくなくとも「立花宗茂」には
>>831の話はなかったから>>871は違うっぽいな
906人間七七四年:2012/08/08(水) 21:14:14.42 ID:XH7TY4VB
あー、これはもう、事実(?)を基にした創作に基づいた創作やなあ
こんな解釈されたら海音寺センセもびっくりだろ
907人間七七四年:2012/08/08(水) 21:50:35.52 ID:bvZQLNg7
なぜおもしろくもないのに下手にアレンジするのか

出典明記にしてもこういうのがあると信用できなくなるな
908人間七七四年:2012/08/08(水) 22:38:38.12 ID:Q5K7fTKu
小説を逸話扱いしてしゃーしゃーと書き込んでくるなよって思うけど・・・正直
909人間七七四年:2012/08/08(水) 22:43:03.37 ID:7TV831EW
>>900
町衆の日記に秀吉の官位昇進が早過ぎて官名がころころ変わり戸惑っていることが現実に記されている。
また一時官位が上だった家康との関連で官名を意図的に省いている。細々した説明は省いたがその程度の事は分からないとな。
910人間七七四年:2012/08/08(水) 22:47:32.23 ID:2pUyioVy
海音寺潮五郎でも、歴史関係の随筆ならいいとおもうが小説はどこまでが想像かわからないからなあ
鎌倉ちょっといい話のスレに、
「蒙古来る」でペルシャの王女が来日してるって海音寺潮五郎の創作を
そのまま逸話として書くのもOKになってしまう
911人間七七四年:2012/08/08(水) 22:51:23.93 ID:o1YlFD6e
逸話ベースに小説家が膨らませたのとかは別にいいと思うんだよね。
昔の文体でそのまま書いてもわかりにくいから、結局書き込んでる人が砕いてるわけだし。
912人間七七四年:2012/08/08(水) 22:58:42.98 ID:V1MseDbz
過去に司馬や吉川の小説だと指摘された逸話もあったけど
昭和平成当たりに作られた逸話ってのも何かなあ
認められるべきではないと思う
913人間七七四年:2012/08/08(水) 23:47:55.01 ID:7TV831EW
『政宗の野望』

伊達政宗は徳川家の盤石な体制が固まるまで密かに天下を狙っていたという数々の逸話を残したが、そのひとつに仙台城がある。

豪壮華麗な天守閣、大手門には黄金の菊桐の紋を打ち、本丸の門は旭日、鳳凰、鳥獣など無数の彫刻が施され終日眺めても飽きないところから日暮らし門と呼ばれた。
そんな仙台城には『帝座の間』と密かに呼ばれる間があった。
その天井は黄金を張り付け四季の花が極彩色で描かれ、更にその奥には『鳳凰の間』があり床は金箔を張り付け、これまた極彩色で松竹梅と鳳凰が描かれていた。
実はこの二間、再び戦乱の世になった暁には天下を取り天皇をお迎えする玉座であったと言われる。
(奥羽永慶軍記)

政宗が本気でそのような事を考えていたのかはたまた夢として作ったのか。
政宗本人しか知るよしはない。
914人間七七四年:2012/08/08(水) 23:51:13.03 ID:kUb+rSUr
>>912
それを言い出すと武功夜話とかどーすんだよって話になるだろう。
結局、投稿者の自制心に頼るしか無いんだよ。
915人間七七四年:2012/08/08(水) 23:51:25.15 ID:2pUyioVy
本気で天下狙ってるのなら
そんな見えないところに金かけずに軍備にまわしそうだが
916人間七七四年:2012/08/08(水) 23:55:07.55 ID:S926cK8O
>>912
昭和がダメと言われると柳川藩叢書3に収録の昭和10年出版の「武神立花宗茂」収録の逸話は?でFA?
917人間七七四年:2012/08/08(水) 23:59:43.41 ID:o1YlFD6e
>>916
それってさらに原点になった逸話はないの?
昭和10年に造られたのがはっきりしてる?
918人間七七四年:2012/08/09(木) 03:28:52.01 ID:iFQX9rv5
個人的には江戸までならどれだけファンタスティックな逸話でも小説でもいいと思うよ。

同時代、あるいはすぐ後の時代の人たちがどう見ていたかとか、参考になる。
勿論信憑性について断ってくれてると嬉しい。見る方の贅沢だけどね。
出典は忘れたがどこかで聞いた〜という逸話も数多く投稿されてるが、普通に受け入れられてるし。
小説でも小説だってことを明示すれば元になった逸話とかないの?とかワイワイできる。

絶対ダメなのは投稿者の創作だなぁ。これはダメだろ。まとめサイトに半永久的に保存されてるわけだし。
919人間七七四年:2012/08/09(木) 05:43:05.44 ID:3gqbyJV6
>>917
柳川の三柱神社の作成委員会が数次の編纂を経て作った本で
逸話は、神社に柳川藩創立時から伝承している記録から採ったものだそうだ。
920人間七七四年:2012/08/09(木) 06:48:17.69 ID:xA63r+qG
最近立花系列の逸話投稿でこういうの増えたね(というか同一人物だろうけど)
最上みたいな空気になるの嫌だから止めてほしいなあ
それが狙いなのかもしれんが
921人間七七四年:2012/08/09(木) 07:45:40.57 ID:k4MGqq70
100〜200年後には司馬や吉川の小説も逸話扱いされるだろうし、現代では自重してくれってことで
922917:2012/08/09(木) 08:10:05.47 ID:Ykof/ka4
>>919さん、ありがとう。 ということで、なんの問題もないでFAです。わかりましたか、>>916さん?
923人間七七四年:2012/08/09(木) 08:31:34.63 ID:i1BWcaQF
>>918
時代は違うが、汗血千里駒を出典に逸話を展開してもええということかいな?

924人間七七四年:2012/08/09(木) 08:48:07.27 ID:k3cBJfJV
世間の歴史観が変わるほどのあまり出来のいい小説も罪だよな。
真田太平記なんてその最たる物だ。
925人間七七四年:2012/08/09(木) 08:57:50.15 ID:NPX0D/56
>>913
東武皇帝かなんかはその部屋に入ったんだろうか
926人間七七四年:2012/08/09(木) 09:08:08.39 ID:Xxdo6C06
>>924
戦国とはちょっと離れるけど三国志演義も罪深さでいえば相当なものだと思う
戦国時代に主流だったのもこっちらしいし
927人間七七四年:2012/08/09(木) 09:59:12.12 ID:9A92fhY5
では、きちんと出典のある宗茂さんのちょっといい話を

関ヶ原の後しばらく加藤清正のもとにあった立花宗茂は、遊覧のためとして京に上ったのだが、この京の滞在中、
にわかに江戸に下向すると言い出した。
供の者たちはいずれも、これは先ず清正公に相談し、全てはその後で決めるべきでしょうと言ったが、宗茂は、

「清正は柳川退出の取り扱いこそ致してくれたが、私の今後の身の上について、考えているようには全く見えない。
ここは決断すべきである。」

と、江戸に向かって京を出立した。ただこの時、お供の侍たちは路銀を全く持っていなかった。宗茂も
もちろん金のたぐいは一切持っていなかった。よって当然ながら江戸までの道中、言語を絶する難儀となった。
道中巡礼の体で食事などを恵んでもらい、ようやく駿府まで着いたが、こんな状況でも宗茂は、肥後に居た頃よりも
機嫌が良かった。

ここで清正の使者、大脇左太夫と申す者がが宗茂の元に来て、関東まで共に行かせてほしいとして、宗茂に
銀10枚を進上した。京都において宗茂が関東に下向することを知り、駿府まで追いかけてきたのだという。
ともかくもこの銀のお陰で、江戸までは少々楽な旅となった。

さて、それより以前、将軍徳川秀忠は本多佐渡守正信を以って駿府の大御所様(家康)にこの様に相談させた
「今度立花宗茂を召し出そうと考えているのですが、これについていかがお考えでしょうか?」
これに家康

「なかなか良い思し召しである。立花が一旦我らに敵対したのは、秀吉公への忠義のためだけが理由である。
彼は既に恩を報じた。この上はなにか苦しかるべき。」

一方で秀忠は、宗茂が自分に仕えることをなかなか承知しないと考えていた。立花宗茂といえば既に豊臣秀吉から
九州一の者と、その感状にも書かれたほどの武士である。召抱えようとすれば、宗茂は大きな望みを要求すると
考えていたのだ。奥州棚倉の小池のような城のない領地では宗茂は納得しない。秀忠はそう思った。

宗茂達は駿府にて、本多正信まで遣いを出した
『私は去年以来京にあって、洛陽の所々を遊山して回っていたのですが、関東は未だに見たことがないため、
見物のため罷り下ることにし、今、駿府の御城下まで着いたところです。江戸まで行けば、当然お咎めも
あるでしょうが、ならばその時までと覚悟しております。』

戸塚まで来ると、正信からの返事が届き、高田の宝勝寺にお入りになるように、とだけ指示された。
これにお供の者たちは、何も解らず京都から江戸まで下向してきた。両御所様(家康・秀忠)が宗茂に対し
どんな感情を持っているかもお構いなく勝手に下ったのだから、きれはきっと切腹を申し付けられるのだと
皆思い、この後お供として従ったのは11人だけだったという。
これはどこにも書き残されていないが、誰もが知っている話である。

宝勝寺に入り、旅の疲れから行水を浴びて前後不覚になるほど寝ている所に、本多正信が自身で訪ねてきた。

「宗茂殿のこと、秀忠公は召抱えたいとの御意で御座る。しかし本多平八(忠勝)はどうしたわけか
あなたのことを、『伏見以来親しくしていたが、立花の奴は憎い働きをした』などと度々言っています。
そうではありますが両御所様共に、あなたについて別儀はありません。』

そして宗茂に詳しく話を聞き、彼に何の問題もないことを確認すると、米味噌などを進上して帰った。
お供の者たちも、これでようやく安堵した

さて、本多正信は土井大炊頭利勝と相談し、利勝は本多忠勝に、立花宗茂を召抱えることをどう思うかと
尋ねた。忠勝は一言

「敵にて強い者は、味方になっても強いものだ。彼を召抱えることに異存は全くない。」

ここに宗茂は家康、秀忠に御目見えを許され、堪忍分として棚倉一万石を拝領した。
その後赤楯を拝領したことは諸人御存知の通りである。尤も江戸にあって、堪忍料だけの
ご牢人の期間も、3,4年もあった。
(浅川聞書)

立花宗茂、秀忠に召し抱えられるまでのいきさつである。
928人間七七四年:2012/08/09(木) 11:00:20.54 ID:2zdOeasM
十時さんが虚無僧姿で頑張る必要はなかったのか
929人間七七四年:2012/08/09(木) 11:47:44.04 ID:tkyYskIk
堪忍料がどれくらいかにもよるんじゃないか
930人間七七四年:2012/08/09(木) 12:10:07.21 ID:Jnst0NbO
ちなみに現在の十時さんの子孫は大分に住んでる一般人。
二十代後半のカワイイ女性。
931人間七七四年:2012/08/09(木) 17:26:47.29 ID:g2ezj/r4
最近、立花宗茂人気だな
なんか理由でもあるのか?
ゲームかアニメで取り上げられたとか?
勿論魅力のある武士だけどこんなメジャーに知られてはいなかったような
932人間七七四年:2012/08/09(木) 17:45:15.95 ID:G8q1lgcT
ゲームっぽいね。ァ千代とセットで女子に大人気。
933人間七七四年:2012/08/09(木) 17:47:35.17 ID:Ni9BpR7B
立花宗茂とかいう完璧超人

なお夫婦関係は
934人間七七四年:2012/08/09(木) 17:48:48.95 ID:RKCgMTMz
最近ネタ投下は多いけど人気は前からっしょ
935人間七七四年:2012/08/09(木) 18:01:50.94 ID:NPX0D/56
昔は義父、妻、本人の順な感じの知名度だった気もするわ
936人間七七四年:2012/08/09(木) 18:11:58.98 ID:RKCgMTMz
地方の武将とかほとんど知らない頃に信長の野望やると
能力値そこそこだけどさほど目立たない吉弘さんの息子の高橋さんが元服してきてえらく強くて
その息子の立花さんが出てきたらさらに強くて、それはさておき家系がワケ分からなくなる大友家臣団
937人間七七四年:2012/08/09(木) 18:14:50.13 ID:x8j+iAU0
NOBUYUKI「夫婦仲の妻には聞かれちゃいけないお話しと聞いて飛んで来ますた( ゜ω゜)ノ」
938人間七七四年:2012/08/09(木) 18:22:29.73 ID:g2ezj/r4
なるほどなー
今のゲームは八頭身で美形だから女子人気でるかもな
オレは信長の野望天下創世のオマケで、
歴史上の戦いを戦闘できるのあって、
その九州編のトリが岩屋城の戦いで、
紹運で持ちこたえると援軍宗茂到着の胸アツ展開てのが楽しかった記憶がある
939人間七七四年:2012/08/09(木) 18:30:45.02 ID:oPIa8GaJ
信長の野望天翔記でのインパクトが強過ぎるわw
えげつない顔グラで滅茶苦茶強くすぐに足軽Sになって突撃してくる立花道雪
布団を頭からかぶってる引き籠りの高橋珍種さんこと高橋紹運さん、調べると親父は↑の人
でそのチンシュの子がやたらと強い上に寿命も長く使い勝手がいい立花宗茂

大名復帰した所からも人格者ではあったんだろう事はファン以外でも十分伺えるな
しかし立花宗茂はあと一つ足りないんだよなぁ
戦も無難にこなし内政も良いらしいし親父や祖父は超有名で血筋も良い。
でも物凄く地味な印象が付きまとってるわ
戦った武将で一番有名なのが京極高次なのが悪かったんだろうか。(明攻めは省く)
940人間七七四年:2012/08/09(木) 18:34:29.20 ID:oPIa8GaJ
間違った、調べると親父は↑の人は立花宗茂に変更

それと祖父じゃなくて養父
941人間七七四年:2012/08/09(木) 18:38:11.34 ID:n6oOfjVF
宗茂について初めて知ったことは改名を繰り返したことだな
942人間七七四年:2012/08/09(木) 18:56:23.07 ID:mqw3w0b9
宗茂人気だったら、「最近」がいつかによる
五年前だったらマイナーだったかもしれないけど
ここ二、三年のことだったら、2009年に無双3でキャラ化した時「ついに!」って言われる程度には人気あった
943人間七七四年:2012/08/09(木) 19:00:27.16 ID:UlLtdoWF
西国無双3
944人間七七四年:2012/08/09(木) 19:03:22.33 ID:ujWit6QZ
東国無双の名前も>>927で出てるというのに
945人間七七四年:2012/08/09(木) 19:15:06.92 ID:Ni9BpR7B
>>938
スレ違いなんだけど天下創世でそんなシナリオあったけ?

946人間七七四年:2012/08/09(木) 19:29:17.25 ID:EmOIXzu0
このスレ最初来た時、ベッキーだの高橋紹雲だの、高橋統増トーマスだのギン千代だの、
大友には立花宗茂含めいろんな武将がいるんだな〜とおもった
…まさかみんな同じ一族だとは思わんかった
947人間七七四年:2012/08/09(木) 20:01:46.84 ID:g2ezj/r4
>>945
パワーアップキット版についてた合戦トライアルモード。
ゲーム本編のシナリオではなくて歴史上の合戦を戦うモード(内政とかはなく合戦のみ)。
三英傑それぞれと信玄編、九州戦記編、日本史編とあって、
日本史編には八幡太郎様、清盛さん、鎌倉殿、尊氏さん、楠木兄弟と登場して、
本編以上に楽しめた
948人間七七四年:2012/08/09(木) 20:14:28.76 ID:Ni9BpR7B
>>947
三英傑、信玄、日本史編は知っていたけど九州戦記編があったのか・・・

もう一回遊んでくる
949人間七七四年:2012/08/09(木) 20:16:51.18 ID:Jnst0NbO
『幸村の実像』

講談やゲームの影響で美形と思われがちの真田幸村だが久度山から国元に送った手紙に「去年からにわかに歳をとり身体も弱くなり歯も抜けました。髪も白くなりました。」と言っている。
また、大阪城内で幸村を見た者が「真田左衛門佐は四十四、五に見えた。額に二、三寸の傷があり小兵な人だった」と言っている。
(長沢聞書)

つまりこの板の住人周知の通り初老の醜男だったのだ。
また、娘の身を案じる手紙、姉に宛てた手紙など数多く残しており心優しい人であったことが察せられる。

では伝説的な武勇はどうか。
幸村を評する手紙が二人の大名によって残っている。

「真田左衛門佐、合戦場にて討死。古今にこれなき大手柄。首は越前宰相殿鉄砲頭取り申し候。さりながら、手負ひ候いて、くたびれ伏して居られ候を取り候に付、手柄にもならず候」
(細川忠興)

「五月七日に、御所様の御陣へ、真田左衛門佐仕かかり候いて、御陣衆を追いちらし、討ち捕り申し候。御陣衆、三里ほどづつ逃げ候衆は、皆々生き残られ候、三度目に真田も討死にて候。真田日本一の兵、いにしえよりの物語にもこれなき由、惣別これのみ申すことに候」
(島津某・たぶん家久)

日本最強の大名の一つと言われる島津家に日本一の兵と称されている。
950人間七七四年:2012/08/09(木) 20:25:04.67 ID:2zdOeasM
でその「日本一の兵」だがwikiには

>島津忠恒(ただし、この戦いに島津氏は参加しておらず、伝聞から信繁の奮戦ぶりを推測して話した)
>「五月七日に、御所様の御陣へ、真田左衛門仕かかり候て、御陣衆追いちらし、討ち捕り申し候。
>御陣衆、三里ほどずつ逃げ候衆は、皆みな生き残られ候。三度目に真田も討死にて候。真田日本一の兵。
>古よりの物語にもこれなき由。徳川方、半分敗北。惣別これのみ申す事に候。」注[12]

>注[12] 薩藩旧記雑録(伊地知季安著、明治30年完成)に収録されるとするが、
薩摩藩士の得能通昭著(宝暦8年)島津久光写(天保13年)の島津編年史の『西藩野史』
(『西藩野史』鹿児島私立教育会 明治29年 国会図書館 近代デジタルライブラリ)では、
大坂の陣における真田の記述は一切なく、当然、島津家久の発言もない。

となっているわけで(真田信繁をディスる気持ちはない)
951人間七七四年:2012/08/09(木) 21:25:41.97 ID:gz1TSNYd
細川忠興の文章って後藤基次も賞賛してなかったっけ?
952人間七七四年:2012/08/09(木) 21:40:57.78 ID:2jLWQZvi
幸村をあげるのはそんな強い奴に勝った徳川はさらにすげえってことにしたいだけ
953人間七七四年:2012/08/09(木) 21:46:11.35 ID:ayM7CWMo
>>952
まあそうにしても、何で「幸村」が選ばれたのかも謎なんだよなw
そもそも「幸村」って名前もどこから来たのか謎だが。
954人間七七四年:2012/08/09(木) 21:46:53.45 ID:xE8G+nBm
そういう立場に選ばれたってこと自体が
一定以上の評価はあったことの証拠になるんでね
955人間七七四年:2012/08/09(木) 21:49:38.16 ID:e8TeZ/K+
徳川ageの為とは言っても雑魚じゃ持ち上げてもかえって皮肉めいちゃうしな
956人間七七四年:2012/08/09(木) 21:51:33.40 ID:g2ezj/r4
義経さんも判官贔屓の代表格だけど戦の天才であることは疑いないからな。
957人間七七四年:2012/08/09(木) 22:04:45.46 ID:gz1TSNYd
というか信繁は冬の陣の活躍を自ら大げさにアピールしてたみたい
どっかの研究本では後藤基次の部下が、出丸の戦いでは真田の他に
長宗我部も活躍したんだっていう証言をしてたと書かれていた
958人間七七四年:2012/08/09(木) 22:11:52.88 ID:RKCgMTMz
>>949
それ、実年齢(48,9)より若く見えたってことでは
959人間七七四年:2012/08/09(木) 22:14:21.30 ID:9yi8ay1P
岩見重太郎という人気豪傑となった橘武者さんよりはましだと思う
960人間七七四年:2012/08/09(木) 22:16:45.99 ID:e8TeZ/K+
>>957
そりゃまぁ、真田信繁ここにあり!と天下にアピールして
華々しく活躍して後は討ち死にすりゃいいやって思ってるような状態だから
自分の活躍は大いにアピールするわな
そういう意味では信繁は後藤、長宗我部、明石、毛利といった
名だたる連中を凌ぐ名声を手に入れたんだから
情報戦で勝利したと言えなくも無い
961人間七七四年:2012/08/09(木) 22:20:06.34 ID:ayM7CWMo
まあ正直な所、上手く講和をして生き残りたかった豊臣家にとっては迷惑極まりない
存在でもあっただろうね。条件闘争の場を自分のオンステージにしちゃうんだものw
962人間七七四年:2012/08/09(木) 22:29:37.07 ID:gz1TSNYd
>>958
信繁の実年齢って実際はそのまんまみたいだよ
理由はそのままだと元服が遅すぎるという矛盾と
49という享年は講談がはやり始めてからの史料しか載ってない情報の事など
963人間七七四年:2012/08/09(木) 22:41:21.70 ID:G8q1lgcT
>>951
たしか真田だけじゃなく後藤や明石も賞賛している
964人間七七四年:2012/08/09(木) 22:43:39.14 ID:FTokgxxo
>>953
十勇士からしておそらく山中幸盛(ゆきもり)からだろうと思われ。
やってることがどことなく似ているし。
965人間七七四年:2012/08/09(木) 22:46:38.23 ID:seYMkW8B
細川忠興が後藤又兵衛を賞賛する理由って
NGMSへのあてつけの気がしないでもない
966人間七七四年:2012/08/09(木) 22:48:44.41 ID:gz1TSNYd
>>965
なるほど
967人間七七四年:2012/08/09(木) 22:53:30.90 ID:VqAOPgdZ
死の直前に書いた幸村署名の書状の写しと
子孫の家でも記述は幸村であり信繁名が使われていないから幸村の本名は幸村
って真田幸村の実名は幸村だった スレで言ってた。
968人間七七四年:2012/08/09(木) 23:07:30.18 ID:seYMkW8B
>>949
細川忠興「古今これなき大手柄」
島津忠恒「日の本一の兵」
伊達政宗「子女はわしが引き取る」

あれ、この人たちって
969人間七七四年:2012/08/09(木) 23:08:56.18 ID:Ni9BpR7B
>>968
???「肝心な人がいない・・・おかしい・・・こんなことは許されない」
970人間七七四年:2012/08/09(木) 23:13:20.46 ID:UlLtdoWF
>>961
幾ら講和したくても相手が端からToyotomi delenda est.ちうて吹っかけて来てるから
それなりに暴れてアピールもせんと交渉のテーブルにもついてくれんだろうけどね
971人間七七四年:2012/08/09(木) 23:16:08.71 ID:gz1TSNYd
>>967
あれは花印がないからそれ以前の問題

>>968
伊達家のは結構あやしげなんだよなぁ
972人間七七四年:2012/08/09(木) 23:18:11.19 ID:RKCgMTMz
>>962
そういう説もあるのか。
で、特に反論したいとかではないんだけど単純に気になるのは
講談でわざわざ爺化させて何が嬉しいのか(人間50年的な演出?)
それと、1567年生まれの場合武田滅亡→真田スーパー綱渡り→そのまま人質
でぶっちゃけ捨て駒気味の次男の元服なんぞ放置されてた可能性とかw
973人間七七四年:2012/08/09(木) 23:20:14.14 ID:2zdOeasM
>>969
出浦盛清「あなたからもらった脇差、真田家で評判だよ」
974人間七七四年:2012/08/09(木) 23:22:56.73 ID:e8TeZ/K+
>>972
真面目な話、あの時期は急転直下の動乱期だから
元服が大いに遅れた可能性は十分あると思うが
975人間七七四年:2012/08/09(木) 23:23:27.84 ID:gz1TSNYd
>>972
ぶっちゃけ好敵手とされている伊達政宗の年齢と合わせたものと思われる
大谷吉継や明智光秀と似たようなもの
976人間七七四年:2012/08/09(木) 23:33:28.86 ID:e8TeZ/K+
>>968
三歳「真田マジパネェ!手紙に書くしかねぇだろ」
悪久「大御所の陣崩すとかマジかよ…。日本最強じゃね?すごくね?(まぁ俺は被害受けてねーし」
政宗「気に入った。うちに来て小十郎ファックしていいぞ!」

何かこんなノリな気がしてならない
977人間七七四年:2012/08/09(木) 23:44:29.60 ID:PnVeyMfH
>>972
お市と同じようなもんだと思うよ
978人間七七四年:2012/08/10(金) 01:12:18.75 ID:OQ3zvEtU
『綱成の必勝法』

北条家の関八州制覇に大きく貢献し、北条姓を与えられる程の武勇を持つ北条綱成には野戦で必ず使う必勝法があった。

綱成は大将であるのにも係わらず先頭になって常に「勝った!勝った!」とおらびながら突撃した。
これには味方も奮い立ち、敵方はいつも総崩れになった。
この辺りは蒲生氏郷に似てなくもない。

常勝を誇る綱成の地黄八幡の旗を見ただけで敵は戦慄して意気消沈したという。
(名将言行録)
979人間七七四年:2012/08/10(金) 04:07:17.63 ID:q3WwlswE
「ヒャッハ〜!ヒャッハ〜!」

…こうですか?
980人間七七四年:2012/08/10(金) 04:42:32.52 ID:ZfC0qa9S
そろそろ新スレ立ててみる
981人間七七四年:2012/08/10(金) 04:44:39.10 ID:ZfC0qa9S
出来た。ここ埋まったら移動して下さい

戦国ちょっといい話34
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1344541435/
982人間七七四年:2012/08/10(金) 07:10:33.88 ID:8e3KaaCg
>>959
節子、それ橘ちゃう、橙や
橘みたいな格好の良いもんちゃう
983人間七七四年:2012/08/10(金) 07:59:19.24 ID:Ryr+cPBW
>>981
984人間七七四年:2012/08/10(金) 08:00:26.40 ID:QiRCOUcY
>>979
「うぬら、ワシに続けぇい!!」

内海賢二さんの声で脳内再生してください
985人間七七四年:2012/08/10(金) 08:40:34.89 ID:bTTFcxLi
綱成って北条姓を与えられたんだっけ?
与えられたみたいな話あったっけ?
986人間七七四年:2012/08/10(金) 08:58:39.05 ID:DglvCBsT
使えるやつだから一門にしようってことじゃなかったっけ?
987人間七七四年:2012/08/10(金) 08:59:54.52 ID:ZCX9dULq
>978
黒田さん家も先頭に立って戦ってたのにこの評価の差はいったい
988人間七七四年:2012/08/10(金) 09:41:24.08 ID:w7Q4AuU3
綱成ってもしかしたら北条家3代目当主になってたかもしれないんだよな。
989人間七七四年:2012/08/10(金) 09:47:43.14 ID:hzrsj5qo
>>985
たしか、氏康さんの妹婿じゃなかったかな?

>>987
「一人しかいない跡取り」と「能力を買われた入り婿」じゃ、その地位に求められる行動はおのずと違ってくるわな〜
って、マジレスしてみるわ
990人間七七四年:2012/08/10(金) 11:30:22.86 ID:q3WwlswE
氏郷さん、あなたには求められていませんよ…
991人間七七四年:2012/08/10(金) 12:16:33.85 ID:OQ3zvEtU
北条氏綱の娘を娶っているね。
後に名将になる氏康は幼少時は才気乏しく氏綱を擁立しようとする声もあったらしい。
992人間七七四年:2012/08/10(金) 12:55:45.86 ID:WLFh4AEK
親父とされる福島正成の福島をくしまと読むと知った時は驚いたな
993人間七七四年:2012/08/10(金) 14:25:24.10 ID:q3WwlswE
ふがいないな
994人間七七四年:2012/08/10(金) 14:55:45.72 ID:ZUyl9vmV
>>993
太閤殿下の思し召しにより三条河原にて一献つかまつる

ささ、遠慮は御無用。とくと参られよ
995人間七七四年:2012/08/10(金) 16:18:50.52 ID:VQpBggNm
うまいじゃん
ラスボスも思わず笑って赦免するわ
996人間七七四年:2012/08/10(金) 18:08:56.08 ID:bTTFcxLi
綱成って入り婿でよかったんだ
いつか氏綱の娘を娶ったが一門ではないみたいのを見たから普通に福島から北条へ改姓しただけだと思ってた
997人間七七四年:2012/08/10(金) 19:47:16.16 ID:IE1HN//i
>>982
橙、格好良いじゃん。
998人間七七四年:2012/08/10(金) 21:05:14.60 ID:ZH26C3W8
福島正成と言えば2度死んだ(※死亡年が2説ある)人だな
999人間七七四年:2012/08/10(金) 22:31:50.24 ID:j/7Ns+y2
綱成も伊勢氏出身説あるからなぁ
1000人間七七四年:2012/08/10(金) 22:51:05.88 ID:ZfC0qa9S
北條研究界隈だと、伊勢宗瑞の一門である伊勢氏出身説が有力だね>綱成
10011001
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