司馬遼太郎風に会話をするスレ2012

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1人間七七四年
CSで「司馬遼太郎と城を歩く」を見て筆者は感銘を覚えていた。
これまで、司馬遼太郎とは、HNKのような温度差のないつまらない小説に見えて仕方なかった。
が、いざ見てみると表現豊かな文章であり、検索してみると「司馬遼太郎風に会話するスレ」を発見してしまったのである。

http://unkar.org/r/sengoku/1213455620

2人間七七四年:2012/05/19(土) 08:27:49.76 ID:fBZW3mYO
戦国版に司馬遼太郎のスレを建てたのに、人影が無いのはどういうことであろう。
一説に彼の本を愛読している者がまだ起きてないことであった。
ゆっくりでいい。そんな楽天的な気長さを筆者は心得ていた。
3人間七七四年:2012/05/20(日) 10:22:29.55 ID:srRH1m6p
余談が過ぎた
4人間七七四年:2012/05/20(日) 19:24:24.13 ID:dnFTMQZ0
何と言うことであろう。
せっかく建てたスレに>>3しかない。
しかも、「余談が過ぎた」と、しかなく、筆者閉口した。
5人間七七四年:2012/05/20(日) 19:25:25.60 ID:dnFTMQZ0
>>1に貼っているスレ主はどこに行ってしまったのであろう。
スレが伸びないのは彼が痛いほど知ってることであり、それと同時に彼とて筆者のような男を待ち望んでいるのが事実
、のはずであった。
6人間七七四年:2012/05/20(日) 19:26:56.99 ID:dnFTMQZ0
司馬遼太郎に話題を移そう。
筆者自身、彼の小説を初めて読んだのは、まだあそこの毛が生え揃えていない中学2年の頃であった。幼馴染が小学生5年で「竜馬がゆく」を読破した事を聞いての影響である。
7人間七七四年:2012/05/20(日) 19:27:56.43 ID:dnFTMQZ0
それにしても、その幼馴染は本当に「竜馬がゆく」を理解出来ていたのであろうか。
筆者自身、中学2年で「竜馬がゆく」を読破したが、読み終えた頃にはチンプンカンプンであった。
そもそも、司馬遼太郎の小説と言うのは、歴史とその人物を理解していることが前程である。
8人間七七四年:2012/05/20(日) 19:28:56.70 ID:dnFTMQZ0
そして、ふと思い出した。
幼馴染の語った歴史の知識は多くが間違っていて、到底あれでは理解したとは言い難い。由緒正しき司馬遼太郎の小説を、小学生如きが簡単に読破したと言ってもいいものか。
筆者の実家での夜8時頃であった。
9人間七七四年:2012/05/20(日) 20:41:17.22 ID:l7xqQnNG
余談が過ぎた
10人間七七四年:2012/05/20(日) 21:42:31.51 ID:dnFTMQZ0
余談ではあるが、筆者は9と言う数字が嫌いであった。
とくに49が嫌いで、4(死)9(苦)だからである。
これほど、縁起の悪い数字は日本歴史史上稀で、時の権力者が極度に恐れたほどである。
11人間七七四年:2012/05/24(木) 18:57:14.40 ID:KieZwN9m
筆者が二度目に司馬遼太郎の本を手にしたのは人斬る以蔵である。
この時「あっしまった!!」
と思った。「竜馬がゆく」を父親に嫌々読まされたその後、二度と読んでやるかと決意したはずだった。
夏目漱石のようなつまらない文章で、こんなモノを読むくらいならドラえもんでも読んだ方がマシ、が本心であった。
(この頃、まだ司馬遼太郎に目覚めていない)
12人間七七四年:2012/05/24(木) 18:58:36.15 ID:KieZwN9m
またもや、失敗する。
今度は「燃えよ剣」である。
筆者は一冊の本を読み終えると、本屋へと走り新しい本を買う。
そのためかまったく読書をしない時期がなく、本代がとどまることがない。
そして、間違えて「燃えよ剣」を購入してしまうのである。
仕事帰りの思考能力が欠けている夜10時前のことであった。
13人間七七四年:2012/05/24(木) 18:59:50.55 ID:KieZwN9m
バイクで事故って入院している時だった。
退屈である。
本でもなければ気が狂ってしまいそうで父に運んできてもらう。
「夏草の賦」であった。
この際、本なら何でもいい。
が、長曽我部元親には興味を持っていて、この時ほど司馬遼太郎に感謝したことはなかった。
14人間七七四年:2012/05/24(木) 19:01:22.28 ID:KieZwN9m
夏草の賦を読破する。
だが、本を閉じなかった。
筆者にとって、この時が司馬遼太郎の始まりと言ってもいい。
「勝って兜の緒を締めよ」。
新たな彼の本を求め、それは筆者の時代の幕開けであった。
15人間七七四年:2012/05/24(木) 19:06:18.51 ID:KieZwN9m
(人生とはおもしろいものだ)
筆者は思った。若い頃は、肉体的刺激を求めるが、年を喰って来ると精神的刺激を求めるらしい。
あれほど嫌っていた司馬遼太郎を今は愛読しているのである。
16人間七七四年:2012/05/24(木) 19:07:36.39 ID:KieZwN9m
次に目指したのが、「国盗物語」である。
長曽我部といい、斉藤道三のようなマイナーな歴史人物を書いてる小説家は少ない。
司馬遼太郎を読めば、歴史の扉が開く。さすればどれほどおもしろい読書が出来るか。筆者は思った。
17人間七七四年:2012/05/25(金) 05:23:17.34 ID:qd/8RWhe
私がこずかいをねだった。すると父から
「だまらっしゃい」
と怒鳴られた。私はゾーッとした。なぜなら、父こそ宇宙を貫く愛であったのに、わが国体を見に行くこずかいすら拒否されたのだ。
「いかさっしゃい」
18人間七七四年:2012/05/26(土) 18:34:31.67 ID:fwE41+zb
>>17
筆者の場合、逆であった。親がゼニを借りに来るのである。それも、ゼニを返さずまた貸してくれと言うのは狂気の沙汰で、その債務は最大で40万に達した。
「ゼニを貸して欲しければ、まず貸したゼニ返せ!!」
こういうのが精一杯であった。
19人間七七四年:2012/05/26(土) 18:35:56.92 ID:fwE41+zb
筆者自身、数ある司馬遼太郎の作品で「国盗物語」ほどおもしろいと感じたのモノはなかった。
斉藤道三と言えば「油売り」と言われて、ラクして出世したと後世に伝えられているが、それは間違いである。
目的を達するために合理的に考え、己の才能で美濃一国を手に入れた。
その行動は小気味の良ささえ感じられ、男ならこう生きたいとホレボレする姿であろう。
20人間七七四年:2012/05/26(土) 18:37:16.22 ID:fwE41+zb
その後、「義経」を読破し、現在は「関が原」中巻の最中である。
余談ではあるが、筆者は関が原の主役は真田幸村と聞いていた。
が、読んでる限りでは島左近か石田三成が主役で少々ガッカリしている。
しかし、それはそれでおもしろく、世に言う直江状の「何でも好き勝手にして、大した御威光ですなあ」と言う訳し方に感銘を覚えている。
21人間七七四年:2012/05/26(土) 18:38:13.15 ID:fwE41+zb
さらに余談であるが、筆者がこれまで司馬遼太郎で読んだ作品は、竜馬がゆく、人斬り以蔵、燃えよ剣、夏草の賦、国盗物語、義経、で、関が原はまだ中巻途中である。
(順番は筆者が読んだ通り)
22人間七七四年:2012/05/26(土) 18:39:02.34 ID:fwE41+zb
現在、播磨灘物語に興味を示している。
されどまだ「関が原」の最中のため先の話になる。
23人間七七四年:2012/05/26(土) 18:40:35.72 ID:fwE41+zb
実のところ黒田官兵衛を知ったのは数年前であった。
とくに、播磨灘物語に記されている家康へのしたたかさには感動さえした。もし、秀吉が如水を退かせなければ家康も好き勝手には出来ず、また違った歴史になったであろう。
24人間七七四年:2012/05/26(土) 23:48:38.22 ID:qIOzdkFm
馬に枚を噛ませ、鎧の草擦りを縄で縛り
25人間七七四年:2012/06/02(土) 18:14:07.35 ID:AfjXAHpP
「馬に枚を噛ませ、鎧の草擦りを縄で縛り」との言葉を筆者は知らなかった。
検索してみると、「王佐の才」のようで浅井長政が関係しているらしい。
26人間七七四年:2012/06/02(土) 18:15:44.58 ID:AfjXAHpP
余談ではあるが、浅井朝倉連合軍と織田徳川連合軍は、信長が不利であった。
古来より革命家と言うのは世論が冷たく、この男も例外じゃなかった。
言ってみれば信長にとってこの戦いは、古い体制に真風を取り入れ中興の祖となった戦である。
それは、戦国時代において新しい時代の幕開けでもあった。
27人間七七四年:2012/06/02(土) 18:16:44.97 ID:AfjXAHpP
さらに余談だが、賤ヶ岳の戦いもそうであった。
戦とは、敵の3倍もの兵力が必要とするのが兵法。
およそ柴田勝家にはそう信じて疑わない。
それがこの男の敗因である。それ以外ない。
大軍で突っ込んだはいいが、秀吉に背後を突かれ、瞬く間に敗去した。
28人間七七四年:2012/06/02(土) 18:19:03.46 ID:AfjXAHpP
言ってみれば、柴田勝家は古い体質の遺物だった戦法が最大の敗因である。
29人間七七四年:2012/06/02(土) 18:20:21.36 ID:AfjXAHpP
司馬遼太郎の話によると、戦国武将で一番強いのは島津らしい。
種子島に近いため鉄砲が豊富なのである。
その次に強いのが、武田、上杉だった。
武田、上杉には熟練した強さがあって信長はそれを極度に恐れた。
30人間七七四年:2012/06/02(土) 18:21:03.59 ID:AfjXAHpP
もともと信長には戦力が無かったため工夫によって対抗した。
ちなみに、鉄砲と言うのは撃つまでに時間がかかるため、そう重要視されてなかった。
時間差攻撃によって鉄砲を最新兵器に変えたのが信長である。
31人間七七四年:2012/06/02(土) 18:21:32.89 ID:AfjXAHpP
余談が過ぎた。
32人間七七四年:2012/06/02(土) 18:22:31.42 ID:AfjXAHpP
(戦国スレも捨てたものではない)
筆者はそう思った。
そもそも、筆者と互角に歴史の話を出来る者など皆無であった。
が、戦国スレを見てみると、想定より互角である。
いや、実際には筆者の知識を凌駕していて、これでは自分が無知識と思わざる得ない。
33人間七七四年:2012/06/02(土) 18:23:37.66 ID:AfjXAHpP
筆者の知識の根源は「その時歴史が動いた」である。
資料を用いた番組進行には司馬遼太郎とてバカにはできない。
歴史の細部まで行き届いたこの番組が、今の筆者を作ったと言っても過言では無い。
が、この番組には時折、司馬遼太郎のパクリがあり、それが残念で仕方なかった。
34人間七七四年:2012/06/04(月) 21:52:11.90 ID:plzP/3h8
筆者が初めて「その時歴史が動いた」を観たのは土方歳三であった。
この頃、新撰組がどのような組織かも定かではない。
人づてに近藤勇や土方歳三と言った英雄がいた、と聞いただけであった。
35人間七七四年:2012/06/04(月) 21:52:52.81 ID:plzP/3h8
余談ではあるが、その当時の筆者は「新鮮組」と思っていた。
「新撰」ではなく新鮮と思っていたのである。
36人間七七四年:2012/06/04(月) 21:53:36.94 ID:plzP/3h8
「沖田総司はブサイクだった」
おそらくこの貴重な情報もその時歴史が動いたからであろう。
沖田総司は農民出身ではあるが、下級農民ではない。
上級農民だったため、近藤勇や土方歳三より上品で、そのためか美男子などとデマが流れた。
37人間七七四年:2012/06/04(月) 21:54:36.67 ID:plzP/3h8
記憶が正しければ、記念すべきその時歴史が動いたの第一回目は桶狭間の戦いであろう。
世論では、信長はイチかバチかの戦いに賭けたと語り継がれているが、それは間違いである。
38人間七七四年:2012/06/04(月) 21:55:35.26 ID:plzP/3h8
今川の大群を分散させ、本隊に突っ込んだ。
天候や情報戦略の一戦で、言ってみれば信長は勝つべくして勝った戦いであった。
が、この桶狭間の戦いは多くの疑問を残している。
39人間七七四年:2012/06/04(月) 21:56:25.20 ID:plzP/3h8
実は桶狭間の戦いは、世に語り継がれるほどの戦いではなかった、
との見解を示す資料も残っている。
東海の覇王今川義元を倒した信長の噂は日本各地で持ち切りであった。
何でも、当初、今川軍10万に対し、織田軍5千と伝えられていた。
40人間七七四年:2012/06/04(月) 21:57:19.39 ID:plzP/3h8
歴史的大勝利にはこのような尾ひれはツキモノで、言ってみればこの大勝利はあやふやなのである。
41人間七七四年:2012/06/04(月) 21:58:45.90 ID:plzP/3h8
余談ではあるが、川中島4戦目もそうだった。
死者2万ほど出したこの戦いも資料にはあやふやな点が多く、何より主力武将の多くが生きていたのも不思議である。
歴史研究者によればこの戦いは武田上杉の自作自演との説も出ている。
(以上は、その時歴史が動いたを参照)
42人間七七四年:2012/06/09(土) 18:24:53.81 ID:Lt4yfbTN
司馬遼太郎は三流大名を褒め称えるところがある。
武田勝頼、徳川慶喜がその典型だろう。
その時歴史が動いたによる「勝頼が実は勇敢な大名だった」は司馬遼太郎のパクリではなかろうか。
43人間七七四年:2012/06/09(土) 18:25:49.21 ID:Lt4yfbTN
信玄ですら取れなかった城を勝頼は奪った、と誇らしげにその時歴史が動いたで解説していた。
それも資料を用いてである。
あたかも番組が探し出した情報と言わんばかりに「どんなもんじゃい!!」と戦自慢をしているようだった。
44人間七七四年:2012/06/09(土) 18:26:44.57 ID:Lt4yfbTN
話は変わる。
あれほどの豊富な知識を貯蓄している司馬遼太郎ではあったが、「本能寺の変」だけは別であった。
確かに、真犯人が長曽我部説を打ち出したのは天才と言わざる得ない。
が、あくまで小説の中では明智光秀を指しており、真犯人については触れていない。
45人間七七四年:2012/06/09(土) 18:27:38.05 ID:Lt4yfbTN
その時歴史が動いたでは、信長殺しの真犯人は義昭と報じている。
義昭の取り得は野望で、将軍の座を追われて尚、天下を狙っていた。
司馬遼太郎も光秀を動かし続けたのは義昭と言っていて、執念こそが強さに繋がると言っても過言では無い。
46人間七七四年:2012/06/09(土) 18:28:11.21 ID:Lt4yfbTN
余談ではあるが、義昭の屋敷に割られた貝九つが置かれていたことがあった。
クガイとは政治を示しており、皮肉にも貝九つを賭けたのである。
47人間七七四年:2012/06/09(土) 18:28:57.77 ID:Lt4yfbTN
筆者の見解ではあるが、信長殺しの黒幕は秀吉が適任ではなかろうか。
「出る杭は打たれる」を恐れた秀吉は、毛利攻めが可能なのにも関わらず信長に花を持たせようとした。
「自分では手に負えない」と言って、信長を誘き出したのである。
48人間七七四年:2012/06/09(土) 18:29:48.94 ID:Lt4yfbTN
京都には、「京で戦争があってはならない」との暗黙の了解があったらしく、そのためか信長は50人ほどの手勢しか連れて来なかった。
言ってみれば、秀吉はこの行為を読んでのことではないだろうか。
49人間七七四年:2012/06/09(土) 18:30:36.61 ID:Lt4yfbTN
家康とも考えられる。江戸時代初期、自分の生涯を記録されることが流行った。
人と言うのは都合の悪い過去には蓋をしたいものである。
そのためか自慢ばかりが記録され、中には偽装の大手柄ですら記録された。
50人間七七四年:2012/06/09(土) 18:31:36.39 ID:Lt4yfbTN
家康もこの可能性がある。
信長殺しの真犯人が天下人にあるまじき行為と考えて、歴史的記録を抹消したのかもしれない。
江戸幕府体制になって、家康の過剰とも言える用心深さは知っているだろう。
51人間七七四年:2012/06/09(土) 18:32:23.03 ID:Lt4yfbTN
それにしても、信長の死体が出なかったことが謎である。
単純に考えれば、あれだけの死体の中、信長と断定することは困難だろう。
が、そんな単純に片付く話であろうか。
52人間七七四年:2012/06/17(日) 18:04:51.86 ID:9um/GuNC
信長の墓は全国に3つほどあるらしい。
信長に限らず、数いる武将で死体無き墓は多くある。
が、信長の墓は特別で、霊感が弱い者でも何かを感じると言うのだから、よほどこの世に未練があったのだろう。
53人間七七四年:2012/06/17(日) 18:06:07.02 ID:9um/GuNC
余談ではあるが、筆者は坂本竜馬の墓に行ったことがある。
目の前に幕末の英雄が居ると言うのは奇妙な気分で、お土産に墓の石を拝借しようとした。
すると、親から猛烈な反対を受けた。
当然であろう。
そんなモノを持ち帰ればとんでもない。
中学1年の夏休みであった。
54人間七七四年:2012/06/17(日) 18:06:48.55 ID:9um/GuNC
話は戻る。
説によると信長の死体は存在したと言う。
正確には盗まれた。
誰が盗んだかは定かではない。
信長の死をうやむやにしようとしたい人物であろうが、筆者の知識ではここが限界である。
55人間七七四年:2012/06/17(日) 18:07:41.69 ID:9um/GuNC
また、本能寺の変があった頃、その真相は公になっていた。
日本歴史史上この上ない武将が死んだのである。
真実を隠せと言う方が無理な話であろう。
はっきりと記録にはされずに、時が経つにつれ忘れ去れたのかもしれない。
56人間七七四年:2012/06/17(日) 18:08:47.07 ID:9um/GuNC
なんと言うことだろう。
我ホストに隣接するホストが荒氏らしい。
おかげで、書き込もうとすると規制になっており、やむえず撤退せざる得なかった。
そもそも、こんなことはしばしばあって、久々に書き込む2ちゃんねるで規制になっていることもあった。
57人間七七四年:2012/06/17(日) 18:09:40.57 ID:9um/GuNC
話は歴史に戻る。
意外に知られていないのが、宮本武蔵のその後である。
その時歴史が動いたによると、佐々木小次郎の戦いの後、消息が不明になったと言う。
一説によると、散って行った男達の墓参りである。
58人間七七四年:2012/06/17(日) 18:10:56.78 ID:9um/GuNC
また、武蔵vs小次郎の戦いには裏の一面があって、この戦い事態存在してはいけなかった。
ゆえに人目の少ない巌流島で戦い、その勝者の武蔵も歴史の闇に葬り去られるはずだった。
吉川英二によると、小次郎の亡骸は笑っていて、このことから勝利を確信していたと伺える。
59人間七七四年:2012/06/17(日) 18:11:42.95 ID:9um/GuNC
以上は余談。
60人間七七四年:2012/06/17(日) 18:12:29.63 ID:9um/GuNC
小次郎の戦いの後、武蔵は伊織と暮らす。
ちなみにこの伊織は名前は違う。
兄の子のようで、武蔵が育てる事になる。
武芸に生きた武蔵に対し、伊織には学問をさせた。
(以上は、その時歴史が動いた参照)
61人間七七四年:2012/06/17(日) 18:13:09.95 ID:9um/GuNC
おもしろい説がある。
古い資料によると、武蔵の戦いの後、小次郎は起き上がってきたと言う。
その後、誰に殺されたかは定かではない。
小次郎が生きているとやっかいな人物、あるいは、武蔵の子分と言う説もある。
62人間七七四年:2012/06/17(日) 18:14:02.86 ID:9um/GuNC
余談だが、現代の武蔵のイメージは吉川英二が描いたもので、当時は新鮮だった。
武蔵のイメージと言えばまるで修行僧のようで、剣士の鏡のような男である。
が、何しろ400年前の話であるから詳細は定かではない。
63人間七七四年:2012/06/17(日) 18:14:40.82 ID:9um/GuNC
武蔵の本性は姑息で、小次郎の戦いも子分を使って勝利した。
顔を見ても神経質である。
まるで一休さんのような面構えで、とても吉川英二が描いた男とは思えない。
無論これは説である。
64人間七七四年:2012/06/17(日) 20:43:06.61 ID:9um/GuNC
潔癖で民衆思い。「義」の旗を掲げた上杉謙信は非の打ち所が無い大名。
およそ多くの者がそう思っている。
たとえばこの「義」、なぜ「正義」ではなく義にしたのか。
戦国時代においてもはや正義など存在せず、義としたことは謙信の心の内がわかる。
65人間七七四年:2012/06/17(日) 20:43:41.46 ID:9um/GuNC
それにしても、これだけの大名がなぜ脚光を浴びないのであろう。
大名としては、武田信玄など足元にも及ばない。
欲がなかったことから領土拡大をせず、もし謙信がその気になれば大きく歴史は変わっていた。
66人間七七四年:2012/06/17(日) 20:44:17.80 ID:9um/GuNC
家臣の欲の争いから、謙信がお家を捨てた、とドラマや小説では出てくるがそれは間違いである。
そもそもお家を捨てたのではない。
言わば、上杉側と長尾側の欲の縄張り争いに嫌気をさし、ストライキと言う形での抗議であった。
67人間七七四年:2012/06/17(日) 20:44:48.02 ID:9um/GuNC
また、謙信は派手好きであった。
実はホモだったと言う話もある。
直江兼継もその相手をしたと言うのだから理解し難い。
潔癖で知られる謙信のこの行為はまさに不潔で、これが本当なら天下に恥を晒したと言えよう。
68人間七七四年:2012/06/17(日) 20:45:24.87 ID:9um/GuNC
余談だが、大河ドラマ「天地人」で、兼継は民衆思いであった。
が、直談判に来たうるさい民衆3人の首を切り落としてしまった事件がある。
これはどういうことか。
また、謙信は一向宗の一揆に悩まされていた。
69人間七七四年:2012/06/17(日) 20:46:17.27 ID:9um/GuNC
つまりは、謙信とて普通の人間である。
ストライキも一興、派手好きも一興。
が、毘沙門天との神の化身に筆者は心を奪われた。話題は変わる。
70人間七七四年:2012/06/17(日) 20:47:07.83 ID:9um/GuNC
さて、武田信玄である。
武田信玄と上杉謙信をどちらが好きかと聞かれれば、10人のうち、7人が好きと答えるだろう。
謙信が不人気なのは欲の無さから地味で、そこへ行くと武田信玄は派手である。
71人間七七四年:2012/06/17(日) 20:47:42.40 ID:9um/GuNC
謙信とは反面、信玄のこの英雄ぶりは何であろう。
信玄と言えば、実の父信虎を追放し、三条の方とも仲が悪く、嫡男義信には切腹をさせている。
これだけ見れば不徳なのは一目瞭然である。
およそ英雄とは程遠く、描かれた絵も見てもまるで山賊のボスのようだった。
(嫡男義信の死の詳細は明らかにされてない)
72人間七七四年:2012/06/23(土) 18:44:09.53 ID:w+BVEQQA
最近の歴史学者の研究によると、信玄の若き時代は「ヘタレ」だったと結論付けている。
武芸嫌いで女好き、そのせいか毎晩夜遅くまで女達と遊び呆けて、起きるのは昼間だった。
これを見かねた家臣の板垣が再三注意を促した。
73人間七七四年:2012/06/23(土) 18:45:29.92 ID:w+BVEQQA
余談ではあるが「板垣死すとも自由は死せず」と唱えた板垣退助は、武田家家臣の板垣の子孫である。
74人間七七四年:2012/06/23(土) 18:46:43.85 ID:w+BVEQQA
また、信玄は家臣をまとめることが出来ず、その兆候は武田最強軍団と唄われた時期まで続いた。
もともと、信虎の独裁体制では家臣は着いて来れず、言わば好き勝手したいために晴信を担ぎ上げた。
75人間七七四年:2012/06/23(土) 18:47:41.49 ID:w+BVEQQA
そもそも、それが戦国時代であって、地方の豪族はおろか家臣であっても主君への忠誠など皆無である。
武士道たるものが成立したのは江戸時代からであり、戦国の世では互いに醜く争いひとつにまとまることはなかった。
76人間七七四年:2012/06/23(土) 18:48:35.62 ID:w+BVEQQA
その救世主が山本勘助である。
「戦を続ければ家臣は団結する」
勘助は言った。信玄にとって勘助は謀友である。
勘助の脚本に信玄が演じ、武田最強軍団はこの男が作ったと言っても過言ではない
77人間七七四年:2012/06/23(土) 18:49:31.42 ID:w+BVEQQA
が、その勘助も川中島2回目の合戦で死ぬ。
上杉の背後をを突こうとして逆にやられた。
大河ドラマ風林火山では、勘助はもっとも激しかった川中島4回目まで生きていたが、間違いである。
78人間七七四年:2012/06/23(土) 18:50:25.64 ID:w+BVEQQA
また、大河ドラマでは「天下」との言葉がよく出てくるが、これも間違いである。
そもそも、天下など狙っていたのは織田信長くらいなもので、信玄など微塵も考えてなかった。
信長以外は自分の領土を守るのが精一杯なものである。
79人間七七四年:2012/06/23(土) 18:51:23.20 ID:w+BVEQQA
信玄は死後3年は自分の死を伏せるように言った。
これだけの偉業は勝頼には無理で、勘助がいたからこそできた。
死後、信長と対峙するようなことがあれば忽ち武田家は滅ぶ、そんな概念が信玄にはあった。
80人間七七四年:2012/06/23(土) 18:52:50.17 ID:w+BVEQQA
余談であるが、勝頼は正式な跡継ぎではない。
諏訪頼重の娘の側室の子であった。
三条の子、義信が死に、また信親が盲目なために跡が継げなかった。
もうひとりいたがまだ幼く、そのためか勝頼が暫定的に跡目を継いだのである。
81人間七七四年:2012/06/23(土) 18:53:45.75 ID:w+BVEQQA
さらに余談だが、諏訪の娘の名前は定かでは無い。
番組によっては湖衣姫とか言っている。
最近の歴史学者の研究によると「梅」らしい。
82人間七七四年:2012/06/30(土) 17:42:27.38 ID:LxyhKOSI
あの当時、武田と上杉は誰もが認める最強軍団で、他の大名はサーベルタイガーの近くにいる猛獣と言えよう。
京上洛のような行為は彼らへの挑発行為であり、なかなか出来なかった。
それをしようとしたのが同盟国の今川であり、それは彼を倒した信長に託された。
83人間七七四年:2012/06/30(土) 17:43:23.27 ID:LxyhKOSI
武田信玄はヤクザにたとえると、山口組みたいなもので、徳川家康などは負けるべくして負けたのである。
言ってみれば、長篠の戦いは信長の鉄砲最強を証明し、もうひとりのサーベルタイガー、上杉謙信との戦いの幕開けでもあった。
84人間七七四年:2012/06/30(土) 17:44:44.59 ID:LxyhKOSI
余談だが、サーベルタイガーとは、1万年ほど前に滅びた肉食系最強猛獣である。
85人間七七四年:2012/06/30(土) 17:45:24.39 ID:LxyhKOSI
補足ながら、筆者は「坂の上の雲」も読破している。
竜馬がゆく、人斬り以蔵、燃えよ剣、夏草の賦、国盗物語、義経、を読破していたと筆者は言っていたが、「坂の上の雲」を忘れていたのである。
86人間七七四年:2012/06/30(土) 17:46:09.78 ID:LxyhKOSI
現在は、関が原下巻途中と播磨灘物語2巻の途中である。
87人間七七四年:2012/06/30(土) 17:46:58.01 ID:LxyhKOSI
数あるすばらしい司馬遼太郎の作品で、「坂の上の雲」ほどの駄作はない。
少なくとも筆者にはそう感じた。
一気に読み上げた天にも舞うあの心地は最高だったが、資料をただ読み上げたような文章は滑稽にも感じた。
88人間七七四年:2012/06/30(土) 17:48:04.88 ID:LxyhKOSI
日清戦争における日本兵は、現地ではお祭り騒ぎであった。
そう司馬遼太郎は語っている。
司馬遼太郎にはこのような筆が目立ち、太平洋戦争の敗戦は、日本人がトラウマ染みたものを感じたような書き方をしている。
89人間七七四年:2012/06/30(土) 17:49:56.14 ID:LxyhKOSI
戦争には裏の顔があって、泣くのは女子供である。
占領兵に殺される者もいれば、人身販売によりその後の人生を送る者もいる。
司馬遼太郎曰くの戦争の華とはそんな屍の上にあり、まさに地獄絵である。
90人間七七四年:2012/06/30(土) 17:50:44.23 ID:LxyhKOSI
第一次世界大戦が起きた時、秋山真之は公務でパリへ行き、この大戦の進行と結末について予想を立て、ことごとく的中させたことぐらいが、この男らしい逸話と言うべきものであった。
91人間七七四年:2012/06/30(土) 17:51:36.11 ID:LxyhKOSI
真之は、中将に昇進したが、すでに健康を損なっていたためそのまま待命となり、その3ヶ月後に死んだ。
慢性腹膜炎らしい。友人宅で、吐血して臨終を迎えた。
92人間七七四年:2012/06/30(土) 17:52:16.40 ID:LxyhKOSI
好古はやや長命した。
陸軍大将になった翌年、故郷の中学校の校長になり病死するまでその職を続けた。
病名は糖尿病と脱疽である。
93人間七七四年:2012/06/30(土) 17:52:58.03 ID:LxyhKOSI
余談だが、夏目漱石の坊ちゃんは秋山兄弟がモデルである。
94人間七七四年:2012/07/02(月) 19:09:06.03 ID:FJu5NMr4
さらに余談だが、ベースボールを野球と名付けたのが正岡子規、と司馬遼太郎は言っていたが間違いである。
中馬庚が正解である。
95人間七七四年:2012/07/02(月) 19:10:12.76 ID:FJu5NMr4
司馬遼太郎ほど正岡子規を斬新的に描いた作家はいない。
実は坂の上の雲では、正岡子規を出す予定は無かったと言う。
司馬遼太郎が取材で松山に行ったときに、偶然、秋山真之と正岡子規が友達だと知ったらしい。
96人間七七四年:2012/07/02(月) 19:11:52.37 ID:FJu5NMr4
真之はガキ大将で、生まれつきの短気で損ばかりしている。
唯一、頭が上がらなかったのが兄好古であった。
子規と遊んでばかりいたところを兄の好古に叱られた。
大人になっても、頭が上がらなかった典型だった。
97人間七七四年:2012/07/02(月) 19:12:40.05 ID:FJu5NMr4
頭が上がらなかったのは、大人になった時からかもしれない。
何しろ、東京に出てからと言うものの好古に学費の面倒を見て貰っていて、言わば兄のおかげで軍人なれたようなものだからである。
98人間七七四年:2012/07/02(月) 19:13:19.70 ID:FJu5NMr4
軍人に戻ると決めた真之は子規に別れの手紙を送っている。
この事を知った司馬遼太郎は坂の上の雲に子規を出す事を決意したのである。
99人間七七四年:2012/07/02(月) 19:14:12.53 ID:FJu5NMr4
それにしても我ブログ、いや違った、「司馬遼太郎風に会話をするスレ2012」に人影がないのはどういうことであろう。
筆者は、独りでも気ままに書くことができるゆとりある男だが、何ともさみしい限りである。
100人間七七四年:2012/07/02(月) 19:14:59.28 ID:FJu5NMr4
余談だが、ツイに100に到達してしまった。
3桁である。
2桁から3桁になったことはまことにめでたい。
が、これを喜んでいいものか。
101人間七七四年:2012/07/02(月) 19:16:53.10 ID:FJu5NMr4
話は変わる。
現在、関が原下巻の途中を進行中である。
「天下を盗んだ」のと産声が多い家康だが、秀吉はなぜ殺さなかったのであろう。
これほどの男が、家康の調略を見抜けなかったものか。
102人間七七四年:2012/07/02(月) 23:31:12.79 ID:ETxmSdmZ
>>100
このまま1000まで頑張るんだ!
103人間七七四年:2012/07/09(月) 00:32:11.26 ID:a7mXJkQp
先日、長州藩を訪れるにあたり、久しぶりに「世に棲む日日」を読み返した。
そしてこのスレを思い出し、来てみた。

――健在だった。
104人間七七四年:2012/07/11(水) 18:52:47.27 ID:nRiFk6Pg
>>102

おそらくこのまま続ければ筆者のみが書き続け、ブログとして統治して行くであろう。
掲示板をよく見てみると、自演でサクラして人を呼び込んでいる。
が、筆者にとってそこまですることもなく、むしろ掲示板など無用の長物なのかもしれない
105人間七七四年:2012/07/11(水) 18:53:44.05 ID:nRiFk6Pg
と、そんなことを考えていると、>>103のような救世主が現れた。
筆者は>>103に一礼し、天にも昇る心地がした。
そして、ふと思った。このお方は>>1で貼ってあるソースのスレ主であろうか。
106人間七七四年:2012/07/11(水) 18:55:05.19 ID:nRiFk6Pg
話は戻る。
加藤清正や福島正則の裏切りである。
とくに秀吉はこの2人を息子のように可愛がり、家康に寝返るなど想定外だった。
両者は家康の好き勝手も許し難い。
が、それよりも石田三成が嫌いで、東軍に着いた。
107人間七七四年:2012/07/11(水) 18:55:49.75 ID:nRiFk6Pg
また加藤清正や福島正則は、たとえ東軍が勝っても家康の時代が来るとは思っていなかった。
あくまでも秀頼の加勢で、家康は筆頭大老で終わると信じて疑わなかった。
108人間七七四年:2012/07/11(水) 18:59:11.19 ID:nRiFk6Pg
関が原の戦いは、賤ヶ岳の戦いに似ている。
この戦いは信長の後継者争いではない。
むしろ信長の直系、三法師(後の秀信)の後継者剥奪の戦いで、秀吉の時代の始まりであった。
109人間七七四年:2012/07/11(水) 19:00:16.13 ID:nRiFk6Pg
家康にとって天下を取るためには戦を始めなくては埒が明かなく、三成を挑発して関が原へと持って行った。
そう考えると、秀吉も後継者を奪うために柴田勝家を挑発したのかもしれない。
110人間七七四年:2012/07/11(水) 19:01:18.82 ID:nRiFk6Pg
余談ではあるが、秀信は後継者剥奪を恨んではない。
むしろ地位を与えたことに感謝をしていた。
111人間七七四年:2012/07/14(土) 18:27:57.89 ID:Hff9I0WQ
話は続く。
家康は武田信玄のことをひどく気に入っていた。
武田家滅亡の後、武田家家臣をことごとく引き抜いたのもそれが原因である。
また、最強軍団の呼び声が多い武田家臣は、それだけで価値があった。
112人間七七四年:2012/07/14(土) 18:31:16.29 ID:Hff9I0WQ
「動かざること山のごとし」
風林火山の「山」の言葉で、その後の家康の性格を物語っている。
実はこの言葉は武田信玄のものではない。
中国の孫子を引用したものである。
これは余談。
113人間七七四年:2012/07/14(土) 18:31:58.98 ID:Hff9I0WQ
ただ、家康は「動かざること山のごとし」と言う消極的な性格ではない。
秀吉死後のあの行動力はご存知だろう。
むしろこの言葉は信長の方が的に当たっている。
信長はあの豪快な性格とは反面、臆病な性格でもあった。
114人間七七四年:2012/07/14(土) 18:32:47.44 ID:Hff9I0WQ
現在の畳の寸法は信長が決めたと伝えられている。
当時の日本男児の寸法では、畳み一畳分もあれば体は隠れてしまい、暗殺を恐れた信長が護身用のため大きさを決めた。
これも余談。
115人間七七四年:2012/07/14(土) 18:33:36.15 ID:Hff9I0WQ
「国盗物語」によると、信長は策が定まらないうちは断固として動かず、ひとたび、こうと決めたら一夜にして千里を駆け抜ける行動力があった。
風林火山を引用すると、山から風と言ったところだろう。
116人間七七四年:2012/07/14(土) 18:34:20.86 ID:Hff9I0WQ
ここで筆を休めたい。
筆者は子供の頃、将棋の天才であった。
子供の頃から大人を打ち負かし、攻撃主体の将棋をしていた。
かと思えば、守りに入るとシブトク、まるで姫路城の要塞だった。
117人間七七四年:2012/07/14(土) 18:35:18.39 ID:Hff9I0WQ
また、序盤で飛車や角行を取られてもシブトサは変わらない。
果敢に金銀などで攻め、飛車、角行を取り戻し、その勢いで王将の首を掲げた。
工夫によって香車、桂馬などを活用し、いつの間にか優位に攻めてるその姿は信長を思わせる。
118人間七七四年:2012/07/14(土) 18:36:41.59 ID:Hff9I0WQ
信長はこのような人間だったのではないか。
筆者にはそう思えた。
織田家と言えば、美濃に斉藤道三、東に今川義元と、脅威に晒されていた。
この窮地を信長は実にしたたかに対処している。
119人間七七四年:2012/07/14(土) 18:37:57.56 ID:Hff9I0WQ
言ってみれば、序盤に飛車角行を取られて、守りはシブトク、金銀香車桂馬で果敢に攻めている内に、いつの間にか筆者は優位になっていた。
これを信長にたとえると、無我夢中に戦っている内に、時代の主役になっていたと言うことである。
120人間七七四年:2012/07/14(土) 18:38:39.38 ID:Hff9I0WQ
勿論、エネルギーがズバ抜けていたことが前程で、信長だからこそ歩めた道である。
窮地をしたたかに凌いだ信長のエネルギーは、安泰になってもその攻撃性は失せず、天下布武を旗印に天下に目が行く。
121人間七七四年:2012/07/16(月) 18:02:44.30 ID:Jc1MZDoY
>>80
はなしは戻る、が
ここで訂正しなければいけない。

勝頼が武田家の正式の跡継ぎでは無かったということを
未だ書きなぐっているのは童門某とかいう歴史作家くらいなもので

まっとうな研究者の間では根拠となる古文書もあげて、
「勝頼神代説」を否定するものがほとんどであり、
勝頼は周辺の戦国大名にも家督相続披露の書状をおくっていた、
武田家の正しい跡取りであったというのである。
122人間七七四年:2012/07/21(土) 18:17:40.51 ID:9M26/vj8
ふむ。>>121の事柄を筆者は既に知っていた。
「その時歴史が動いた」の根拠ある古文書で、暫定的に勝頼を継いでも、そのまま図々しく居座ると筆者は思った。
法的手段がない世にあって、これが戦国時代の真の姿だからである。
123人間七七四年:2012/07/21(土) 18:23:30.29 ID:9M26/vj8
司馬遼太郎の「国盗物語」「播磨灘物語」では信長の姿が克明に表わしている。
国盗物語では若き日の信長の姿が描かれていて、少年時代はコンビニなどで屯っているヤンキーそのものだった。
124人間七七四年:2012/07/21(土) 18:31:59.98 ID:9M26/vj8
若き日の信長の姿を描いた小説家は少ない。
あとがきによると、国盗物語は斉藤道三没までの話の予定で、あまりに反響が多かったため「信長編」が出来たらしい。
が、これは信長が主役と言うよりかは、明智光秀が主役だったのが残念である。
125人間七七四年:2012/07/21(土) 18:37:21.45 ID:9M26/vj8
少年時代の信長は城を抜け出しては、何日も帰って来ない。
食料と言えば、竹筒に入れたお粥だけである。冷えたお粥が尽きるとワル仲間達と一緒に畑の野菜や柿を盗んで喰う。
馬が好きらしく、長距離を駆け回る姿は現代の暴走族を思わせる。
126人間七七四年:2012/07/21(土) 18:39:45.38 ID:9M26/vj8
ちなみに、馬を長距離で走らせる行為が戦で役に立った。
とくに桶狭間の戦いでは、最後の信長の位置の確認で5Km先にも関わらず、一気に本陣を突いた。
127人間七七四年:2012/07/21(土) 18:48:24.94 ID:9M26/vj8
そんな信長の姿を司馬遼太郎は「尾張にはひどく働き者の者がいる」と表現している。
日本歴史史上一番の行動力者で、これほど四方八方縦横無尽に駆け抜けた男はいない、とも言っている。
128人間七七四年:2012/07/21(土) 18:53:23.23 ID:9M26/vj8
余談だが、筆者は少年時代から「行動」が信条であった。
「行動に次ぐ行動は能力を3倍にするものなり」
と筆者は考えていた。
信長はそんな男で、行動とはワルの象徴と言っても過言ではない。
129人間七七四年:2012/07/21(土) 18:56:50.54 ID:9M26/vj8
さらに余談だが、信長は偏食である。
偏食と言っても好きな物ばかり喰べることではなく、むしろその逆で、胃の中に入れば何でも良かった。
そのためか信長像と言えば細身で、細身だからこそ素早く行動出来たのであろう。
130人間七七四年:2012/07/21(土) 19:01:26.83 ID:9M26/vj8
話は変わるが、関が原上中下を読破した。
読破するに至って、関が原は戦と言うよりかは、政治家の総選挙にも見えた。
あの小泉元総理も選挙には強く、「郵政民営化」などとメチャクチャな法案も成立させた。
天下を盗んだ家康そのものだろう。
131人間七七四年:2012/07/21(土) 19:04:22.94 ID:A1znW8TL
余談続く。
信長が騎馬に優れたことにより、彼が騎馬民族的な思考に馴染んだことは、その後の果断な行動をみても、あながち間違いではない。
かたや講談でいうところの、武田騎馬軍団と知られる武田家は主従ともに、どこまでも農本主義であった。
132人間七七四年:2012/07/21(土) 19:05:12.71 ID:9M26/vj8
もし、もしである。
毛利か島津が三成に協力していたらどうなっていたであろう。
とくに島津は、戦略案を却下されたことに腹を立て、西軍を傍観するだけになった。
島津と言えば、朝鮮出兵で20万の大軍をわずかな軍勢で破った実績がある。
133人間七七四年:2012/07/21(土) 19:09:00.11 ID:9M26/vj8
家康は毛利や島津が傍観することがわかっていて、鉄砲の弾一発すら撃たないことがわかっていた。
が、島津の戦略案が通っていたらどうなっていたであろう。
家康は毛利や島津が攻めてくることに終始怯え、攻めてくれば一巻の終わりだと思っていた。
余談だが、関が原は上中下の三巻だけである。
134人間七七四年:2012/07/21(土) 21:26:08.88 ID:9M26/vj8
>>131の話によると、信長は騎馬民族思考に馴染んだと書かれている。
なるほど。信長は少年時代から馬を好み乗りこなしていた。
ひょっとすると、この男は暴走族思考で天下を目指していたのかもしれない。
135人間七七四年:2012/07/21(土) 21:31:40.35 ID:9M26/vj8
が、信長は馬に対し愛情は無かった、と播磨灘物語に記されている。
あくまで馬は道具で現在で言うバイクにたとえていたのであろう。
ただ、古来より騎馬戦法は大人気であって、騎馬戦法を制する者は戦を制していた。
136人間七七四年:2012/07/21(土) 21:39:08.24 ID:9M26/vj8
>>131の記述によると、武田家は主従共に農本主義と書いているが、この意図がよくわからない。
筆者が幼き頃に読んだ伝記では、甲斐には馬が豊富と記されていた。
(伝記とは子供向きの小説で、詳細が信用できるかは定かではない)
137人間七七四年:2012/07/21(土) 21:42:53.18 ID:wEAbru13
>>1頑張れ──。
心の底から、僕はそう思った。

そもそも、僕がこのスレを発見したのは平成24年7月21日の夜である。
簡単に言うと、つい先ほどであった。
他人からの書き込みが皆無であるというのに、淡々とレスを投下し続ける。
僕はその>>1の心意気に、感動したものである。
138人間七七四年:2012/07/21(土) 21:44:09.84 ID:9M26/vj8
筆者は>>131にひどく感謝している。
呼べど叫べど返答無しのこの掲示板に、天から光が注した感覚を筆者は覚えていた。
これは島左近が石田三成に命を預けたことに似ている。
筆者も彼と心中を覚悟し、華々しく散ろうと思っていた。
139人間七七四年:2012/07/21(土) 21:47:45.18 ID:9M26/vj8
>>137
感無量である。
筆者はその身で寝床に入った。
140人間七七四年:2012/07/22(日) 17:53:40.65 ID:/T4R/nFh
騎馬民族
あるいは遊牧民族といい、狩猟民族という。
日本人は、和を尊ぶことから農耕民族的と言われる。
当の日本人が言っていることだが、それは江戸300年の鎖国体制による誤解にすぎない。
日本にとっての草原、それは「うなばら」である。古来より和冦として散発的に大陸に向かい、戦国の世、膨れ上がったエネルギーを発散するために国家的事業として大陸に向かった。
141人間七七四年:2012/07/22(日) 17:57:51.14 ID:/T4R/nFh
明治維新における「外征」も鎖国の反作用ともいえるだろう。あるいは大陸への憧憬への裏返しかもしれないが。
ところで、筆者がモンゴルに滞在した時、ゲルでの伝統的な生活を維持する蒙古の人々は、自分のゲルも他人のゲルも関係なく立ち入り食料などを拝借−彼らにとっては拝借という気もないのであろうが−していたのを見て牧歌的に感じたものだ。
142人間七七四年:2012/07/22(日) 18:06:46.02 ID:/T4R/nFh
愛媛県に今治という地方がある。
越智氏の一族の河野や、さらにその支族の村上氏の支配下にあった。
彼らは水軍である。さらに言えば海賊である。
河野氏はれっきとした守護であり、元冦を退けるのに大功があった。これは筆者の推測であるが、和冦の元締めの一つかもしれない。それゆえに元の上陸の阻止に戦功をあげたのだろう
143人間七七四年:2012/07/22(日) 18:10:22.36 ID:/T4R/nFh
その今治の漁師町では、この平成の世でも、隣人が隣家に無言であがり醤油や味噌を拝借しているという。
水軍的気質つまり狩猟民族としての気質は、この島国も大陸も関係ないらしい。
144人間七七四年:2012/07/22(日) 18:25:05.60 ID:/T4R/nFh
さて信長である。
信長は敵を打倒するたびにその本拠を敵地に移した。織田宗家を倒し那古屋から清洲へ。斎藤氏を倒し稲葉山に移る際は名前すら奪い岐阜とし、後に安土に移りそこで滅んだ。
この土地への執着の無さ、そして他人のものを我が物とすることが当然という気風は、まさに遊牧民族のそれである
145人間七七四年:2012/07/22(日) 18:36:25.10 ID:wEbEJIlL
ネットと言う電波の中で、筆者はルール染みたものを決めていた。
やろうと思えば、ネットに壮大な世界を築き、2ちゃんねらーと呼ばれる者になることも筆者なら可能であろう。
が、それを好まなかった。
146人間七七四年:2012/07/22(日) 18:38:14.90 ID:/T4R/nFh
武田は、
先祖代々の甲府に固執した。
甲州巨摩や信州望月という名馬の産地を押さえながら、軍事的に騎馬を統一兵種として運用することもなく、当然ながら、一族郎党が騎馬で本拠を転々とし近隣を併呑する事もなかった。
147人間七七四年:2012/07/22(日) 18:38:32.57 ID:wEbEJIlL
一筋にして、筆者が欲のない男だからである。
自分の能力を駆使して2ちゃんねるをいじる。
そんな気にはなれない。
それよりも、好き勝手に思ったことを話すブログを書いてみたい。
そんな概念が筆者にはあった。
148人間七七四年:2012/07/22(日) 18:42:36.22 ID:wEbEJIlL
また日本最大と言われる2ちゃんねるにブログを作れば視聴率も高くなる。
そうすればどれほどおもしろいか。
筆者は思った。
筆者とはそんな男である。
149人間七七四年:2012/07/22(日) 18:47:40.21 ID:/T4R/nFh
甲信の地は山岳地帯であり猫の額のような盆地、つまり農地ごとに豪族が割拠し、不毛な潰し合いを恐れた国人達は名家である武田を担ぎ上げた。
武田も担がれつつ四周の敵と対峙した。あるいは和し、あるいは戦ったが占領地に本拠を移すでもなく、戦いが済めば国人連合はそれぞれの本貫地に帰還する
150人間七七四年:2012/07/22(日) 18:56:35.69 ID:/T4R/nFh
名馬は、山城の攻略には全く適さず、四周の諸勢力に相対する各戦線に山間隘路を通じて補給し連絡することに消耗された
武田家のような地勢で戦国に一大強国となった奇跡は、あるいは大日本帝国が軽視した兵站によるものかもしれない
151人間七七四年:2012/07/22(日) 19:03:21.93 ID:/T4R/nFh
信長の後を襲った秀吉は、明に討ち入り、北京に皇室ごと遷都することを夢想し、その途上、朝鮮攻略中に没した。
武田の軍制を踏襲した家康は、大名連合の盟主として鎖国体制を築いた。
歴史の妙を感じるのは筆者だけであろうか
152人間七七四年:2012/07/22(日) 19:04:30.01 ID:wEbEJIlL
大変興味がある話である。
が、このスレでは司馬遼太郎風に文章を変換しなければならなく、それは困難を極める。
そのため筆者はしばしの時間が必要で,またの機会にせざる得なかった。
153人間七七四年:2012/07/25(水) 17:49:30.07 ID:bwrrW7L7
>>142>>143は「坂の上の雲」の記述であろうか。
それでいい。
筆者は思った。
そもそも由緒正しき「司馬遼太郎風に会話をするスレ」は彼の本を片手に会話していくスレである。
これほどの崇高なスレがどこにあろうか。
154人間七七四年:2012/07/25(水) 17:50:22.14 ID:bwrrW7L7
武士と言うのは領地を保障して貰う代わりに、戦となれば命を賭けて主君を守る。
となれば、戦が終われば元の領地に帰宅するのは当然の沙汰である。
何も武田家に限ったことではなく、当時はそれが常識だった。
155人間七七四年:2012/07/25(水) 17:51:23.73 ID:bwrrW7L7
この常識を打ち破ったのが信長であった。
領地の保障の代わりに組織の権利を保障する。
言ってみれば、これは株式会社の株式と同じ理屈で、単身赴任など以前は皆無である。
400年ほど先の合理主義の発想は、いかに信長が天才であった証明であろう。
156人間七七四年:2012/07/25(水) 17:52:21.77 ID:bwrrW7L7
また、組織作りにもその片鱗を見せている。
現在の一線を行っている大企業の戦略会議と信長の戦略会議は酷似しているのである。
それは信長の徹底した省略主義が要因だった。
この男は、情報を重宝している反面、不要な情報を処分する能力にも長けていた。
157人間七七四年:2012/07/25(水) 17:53:54.80 ID:bwrrW7L7
余談だが、信長は当時の鷹狩の名人の3倍の鷹を獲っていた。
形式に拘る古き体質に疑問を抱き、鷹狩に新風を取り入れたのである。
信長はうつけと言われていた。
しかし、信長からみれ世間がバカに見えた。
158人間七七四年:2012/07/25(水) 17:54:58.45 ID:bwrrW7L7
話は関ヶ原に戻る。
黒田官兵衛と言う男がいる。
この男は日本歴史史上最高の軍師とも言われ、晩年は如水と名乗った。
祖父が薬を売り始め、その資金で領土を得る。
姫路城城主としては3代目で、その能力は信長や秀吉もが認める男である。
159人間七七四年:2012/07/25(水) 17:55:54.66 ID:bwrrW7L7
ところがこの官兵衛、関ヶ原の戦いの後、天下を狙ってたと言うのだから驚きである。
現に関ヶ原の戦いには参加せず、家康との戦いに備え領土を奪っていた。
長曽我部、毛利、島津が傍観することを知っており、関ヶ原の後、彼らを率いて家康と一戦を交えようと考えていた。
160人間七七四年:2012/07/25(水) 17:58:52.96 ID:bwrrW7L7
が、たった1日で石田三成が敗れるからどうしようもない。
すると官兵衛はあたかも家康のために領土を取ったかのように領土を譲渡した。
頭のいいこの男にとって、天下とはそんなものである。
161人間七七四年:2012/07/27(金) 03:01:10.63 ID:I9rvshjG
官兵衛続く。
もとより、どちらが勝とうが、この男は身の振り方を処するすべを想定していたに違いない。
江戸時代、武士道が忠義の名の下に形骸化していくが、この時代、表裏比興が大原則であった。
官兵衛にしても嫡子に家康への犬馬の労を取らせている。前田も浅野も蜂須賀も、似たようなものである。
豊臣譜代ではない真田も兄弟を二つに分けて家の存続を図っており、家格の大小を問わず、家名存続には
あくまでも現実主義であった。主君に殉ずる、などという考えはこの時代異端であったのだ。
162人間七七四年:2012/07/30(月) 18:22:29.35 ID:LxpE0pA0
あっ
163人間七七四年:2012/07/31(火) 02:51:43.62 ID:0ZKIF/TX
ここまでは余談
164人間七七四年:2012/07/31(火) 18:12:12.76 ID:y0mV0kqd
>>161

司馬遼太郎によると、官兵衛の智慧は家康を上回っている。
欲の無い男だが、自分の力量で天下をいじってみたい、そう思った。
関ヶ原の最中、わずかの期間に多くの領土を奪ったことは官兵衛にとって勲章で、それだけで十分だった。
165人間七七四年:2012/07/31(火) 18:13:26.07 ID:y0mV0kqd
歴史に「もし」は禁句である。
されど関ヶ原の戦いほどの「もし」があろうか。
島津は戦略案を蹴られた理由で三成には加わらなかった。
そもそもこの戦いは小早川秀秋のおかげで勝てたようなもので、島津が積極的に動けば西軍を裏切らなかったかもしれない。
166人間七七四年:2012/07/31(火) 18:14:35.17 ID:y0mV0kqd
余談であるが、西軍が敗北した瞬間、島津は引き上げようとした。
しかし、そこに福島正則の軍がいたのである。
福島正則は「放っておけ」と言ったが間に合わず、一戦を交える事になった。
167人間七七四年:2012/07/31(火) 18:14:54.48 ID:0ZKIF/TX
作者は今、床からよろぼうて這い出したところである
午前三時が就寝だったのだ

ここで茶など一服しながら作者の話に耳を傾けてもらおうと思う

読者の中には、
「新潮社に移ってからは駄作大杉ね」
「余談や挿話だらで自分の文章少なすぎねw」
って方もいるかと思う

しかし、そこで考えねばならないのは
「講談社のころからたいした作品ではなかっただろ」
という点である

作品中でも書いたことである
ことわっておくが小説には駄作はないのである
しかも作者は新聞記者あがりではあるが文芸作家ではない

余談が過ぎた
168人間七七四年:2012/07/31(火) 18:15:54.07 ID:y0mV0kqd
福島正則と言えば、賤ケ岳七本槍と言われ百戦錬磨のツワモノである。
しかし島津には歯が立たなかった。
これほどの大名が西軍に加わっていたらどうなっていたであろう。
歴史は大きく変わったかもしれない。
169人間七七四年:2012/07/31(火) 18:16:41.96 ID:y0mV0kqd
さらに「もし」は続く。
秀吉はなぜ家康を滅ぼさなかったのか。
「遠慮」とも言っている。
戦国の世にあって「遠慮」だけでいいものか。
170人間七七四年:2012/07/31(火) 18:17:28.97 ID:y0mV0kqd
余談だが、筆者の先祖は殿様である。
そのためか歴史的なモノが家宝として残っている。
また、徳川家との縁の印もあって、筆者もまた家康と血が繋がっていた。
「もし」秀吉が家康を滅ぼしてしまえば血縁関係もそこで途絶えてしまい、筆者はこの世に存在していなかったであろう。
171人間七七四年:2012/07/31(火) 18:18:01.11 ID:y0mV0kqd
貴公(頼朝)と私は友達である。
恥ずかしながら、私はツイ此間まで草鞋兵衛であった。
しかし、常に心を動かし素早く動いたので天下を取れた。
それは私の誇りである
172人間七七四年:2012/07/31(火) 18:18:49.67 ID:y0mV0kqd
秀吉が頼朝を祭っている神社で言った言葉である。
この言葉を聞いた筆者は「常に心を動かし素早く動いた」に感銘を覚えた。
なぜなら「素早く動いた」などは筆者の座右の銘の「行動」と同じだからである。
173人間七七四年:2012/07/31(火) 18:19:31.81 ID:y0mV0kqd
司馬遼太郎によると、この言葉はやや違った。
頼朝には貫目があったが秀吉にはなかった。
だから自分の方が上だ、と秀吉本人が言ったと播磨灘物語で記している。
このことから、欲の無い官兵衛を比較して、秀吉の本音は傲慢だったと言っている。
174人間七七四年:2012/07/31(火) 18:34:38.46 ID:y0mV0kqd
>>167

筆者の場合、司馬遼太郎を読み始めたのが数年前からである。
正確に言うと初めて読んだのが中学生で、大学生の頃に読んでもおもしろくも何ともなかった。
その後、読書をし、歴史を知り、教養を得たからこそ司馬遼太郎の魅力に気付いた。
何とも妙な男である。
175人間七七四年:2012/07/31(火) 19:16:40.65 ID:0ZKIF/TX
自身曰く、司馬遼太郎という筆名は司馬遷への憧れであり
自身曰く、遼としておよばず

と予防線を張ったものである

ジャーナリスト的に史実を語るわけでもなく
見てきたような嘘や妄想に他人を引きずり込むほどの文芸でもない
確かに小説とは言いえて妙である

自身曰く、私の作品は歴史を知らない人が読む教科書なのです
新聞社勤務時の経験から新聞記事を読めない人へ向けた論評や社説
といったとこで歴史読物を著したことであろうと作者は考える

176人間七七四年:2012/08/03(金) 19:31:06.01 ID:rrNP0l4s
>>175

筆者も司馬遼太郎の憧れがあり、彼のような文章を書きたい、と思った。
由緒正しき司馬遼太郎風に会話をするスレなどはまさしくそれで、これ以上にふさわしいスレがあるだろうか。
177人間七七四年:2012/08/03(金) 19:32:27.85 ID:rrNP0l4s
ちなみに筆者の小学生の夢は漫画家であった。
一説にして、不二子富士夫へのあこがれで、「まんが道」などの自分の漫画を一冊にまとめるのは感動を覚えた。
が、思春期である年頃になると、漫画家に何やら柳のような沈む気がしてならなかった。
それでやめたのである。
178人間七七四年:2012/08/03(金) 19:33:25.23 ID:rrNP0l4s
が、大学生の頃までたまに書いてた。
その頃、漫画とはネームが命だと気付いた。
それなら小説家でもいいのではないか。
しかし、そんなものには成る気にはなれず、ほとんど趣味でたまに小説を書いてる次第である。
179人間七七四年:2012/08/03(金) 19:34:00.16 ID:rrNP0l4s
余談だが、筆者の小説を読む者はこの世でひとりしかいない。
180人間七七四年:2012/08/03(金) 19:34:55.47 ID:rrNP0l4s
インターネットとは自動販売機のようなモノで、わざわざこちらが出向かなくてもいい。
云わば一方的に司馬遼太郎風に文章を書いても、流民が通りすぎてくれるのである。
目に映る程度。
筆者にとってそれだけで満足なのである。
181人間七七四年:2012/08/07(火) 06:15:41.65 ID:ohQfIwEQ
最近、歴女なる新たな読者が増えたとのことで
関が原三成書状の一部を現代口語風に修正しました

三成 : 敵は迂闊、味方は臆病、かなしかなし
三成 : 敵は迂闊、味方は臆病、わろすわろす
182人間七七四年:2012/08/08(水) 01:20:37.62 ID:6yT215/y
司馬 : 私は今、人生というものに倦んでいる
記者 : 痔爺乙
司馬 : それは膿むだろ
183人間七七四年:2012/08/08(水) 18:30:07.33 ID:kZqSSRxj
黒田官兵衛の住む播磨では、信長をけして高く評価していない。
尾張の田舎者が成り上がって、勢力を広げたとしか思ってなかった。
現に毛利と対峙した時も、ほとんどの豪族は毛利につき、むしろ蔑んだくらいである。
184人間七七四年:2012/08/08(水) 18:30:54.50 ID:kZqSSRxj
いつの時代も成り上がりに世間は冷たい。
遥か下と思ってた者が突然自分より上になる姿は認めたくなく、それが群集心理として流布していく。
プロ野球界でもその傾向はあり、成り上がった名プレイヤーはなかなか監督になりにくい。
掛布なんかがその典型であろう。
(もっとも掛布は今、破産しているので監督には成れない)
185人間七七四年:2012/08/08(水) 18:31:26.60 ID:kZqSSRxj
余談ではあるが、筆者もそうであった。
少年野球部の猛練習で、運動神経の飛躍的成長を遂げたが、周囲は粗捜しをするばかりである。
突然同じレベルの男が、遥か上に行ってしまう。
妬むな、と言う方が無理な話かもしれない。
186人間七七四年:2012/08/08(水) 18:32:21.15 ID:kZqSSRxj
自慢が過ぎた。
187人間七七四年:2012/08/08(水) 18:33:04.79 ID:kZqSSRxj
信長に対する評価が低すぎたのである。
信長の力を逸早く見抜いたのが、官兵衛であった。
が、播磨周辺を説得するには無理があって、説得はおろか牢にぶち込まれる。
評価以前に、信長の傍若無人な態度が我慢ならなかった。
188人間七七四年:2012/08/08(水) 18:33:37.99 ID:kZqSSRxj
そもそも、浅井長政が裏切ったのも、信長が傍若無人だったからである。
この男はいつも自分の都合で、相手の都合は考えない。
断れば叩き潰すで、そのためか領土拡大しても敵が増えるばかりだった。
189人間七七四年:2012/08/08(水) 18:34:17.16 ID:kZqSSRxj
安国寺恵瓊などは、「信長の時代は後5年もすれば終わる」と予言しており、見事に当たっている。
毛利と信長の軍勢はそう変わらず、おまけに信長の周囲は敵ばかりだった。
安国寺恵瓊ではなくとも予言出来たかもしれない。
190人間七七四年:2012/08/08(水) 18:34:51.95 ID:kZqSSRxj
毛利軍vs信長軍の一騎打ちだけならいざ知らず、秀吉だけで攻略するのはするのはバカげている。
秀吉は光秀とはソリが合わず、柴田勝家とは敬遠の仲で、各々が遠征に出ている最中、信長に援軍を頼むほか無かった。
191人間七七四年:2012/08/12(日) 18:14:01.13 ID:YD6kXS0N
武田勝頼に撃破した信長の敵は毛利だけであり、天下はもうすぐだった。
一説にして4年もすれば天下統一は成し遂げたと様々な歴史研究者は語っている。
本能寺の変など空前の灯火で、信長が非の打ち所の無い天才だったと思ってたのは筆者だけであろうか。
192人間七七四年:2012/08/12(日) 18:14:44.64 ID:YD6kXS0N
「信長公記」の作者大田牛一によると、信長をそう大したことはない、と語っている。
大田牛一は「又助」とのあだ名で最初は足軽だった。
その後、弓の才能を買われ柴田勝家の家来から織田家家臣になった。
193人間七七四年:2012/08/12(日) 18:15:45.11 ID:YD6kXS0N
大田牛一は美濃攻略でも活躍する。
本能寺の変の当時は近江の代官を務め、その後、丹羽長秀、秀吉に仕えた。
晩年は大阪天満で隠居生活をし、慶長18年3月に病死している。
大田牛一の記述している事は、歴史の出来事にことごとく一致しており、歴史学者の中でも、信長研究に対して大きな支持を得た。
194人間七七四年:2012/08/12(日) 18:16:23.17 ID:YD6kXS0N
通常、文筆と言うのは作家が書く。
ましてや教養が必要なかった戦国時代において、織田家家臣にもなった大田牛一はこの時代めずらしい文武両道と言えよう。
195人間七七四年:2012/08/12(日) 18:16:54.64 ID:YD6kXS0N
信長を弁護すべき大田牛一ではあったが、「信長公記」には様々な失態が描かれている。
播磨遠征での荒木村重の冤罪において、集会している農民をことごとく殺した。
「ただ」集会していたけだけである。
196人間七七四年:2012/08/12(日) 18:17:44.48 ID:YD6kXS0N
信長はこれを荒木村重の反乱と考えた。
話せばわかるのに話も聞かず殺したのである。
荒木村重の裏切り(冤罪)がいかに深刻だったことを伺わせる。
197人間七七四年:2012/08/12(日) 18:18:40.73 ID:YD6kXS0N
またこんな話もある。
信長が予定より1日早く城に着いた際、女中がいなかった。
女中にすれば1日前の息抜きだったのであろう。
が、信長はこれに腹を立て、女中の首をハネてしまった。
これらのことを司馬遼太郎は「八つ当たり」と記している。
198人間七七四年:2012/08/14(火) 18:01:03.25 ID:XgsQET5a
補足ながら訂正しなければならない。
大田牛一と書いていたが「太田」であった。
「大」と「太」とでは真ん中の 、 しかなく、左目2.0右目1・5の筆者でも見分けがつかなかった。
500年ほど前に、天下統一間近の信長さえ油断したのである。
筆者が間違えるのも当然の沙汰であろう。
199人間七七四年:2012/08/14(火) 18:01:45.55 ID:XgsQET5a
ツイに二百を迎えた。
5月19日以来である。
歴史に多少心得がある筆者だが、そのまま宝の持ち腐れにしていいものか。
そう思い司馬遼太郎風に文章を書き、ここまで来た次第である。
200人間七七四年:2012/08/14(火) 18:02:26.08 ID:XgsQET5a
そして二百である。
過疎住民が餓鬼寸前まで来て、わずか三ヶ月で二百まできた例があろうか。
この分だと来年の今頃には千まで到達しており、その勢いでこの由緒正しき「司馬遼太郎風に会話するスレ」の続編へと攻め込もうと、筆者は密かに考えていた。
201人間七七四年:2012/08/14(火) 18:04:05.01 ID:XgsQET5a
書き込みも二百を超えており、本来過疎スレに漂うはずの焦燥感に相応うなどはもはやない。
しかもスレの伸びが以前よりよほど高くなっているからか、 本来のゆるりとした流れよりもスレには勢いがあるようにみえた。
202人間七七四年:2012/08/14(火) 19:48:16.35 ID:JOLWTYYG
お前は先から一人壁に向かって何をブツブツつぶやいているのか
203人間七七四年:2012/08/18(土) 01:22:55.09 ID:nlh3cjDh
昌幸 : 多くが加勢したから正義だってオメー馬鹿じゃね? はい、論破っ!!
秀忠 : ムキーッ、糞爺氏ねよっ
幸村 : とうちゃん、釣れたねっ
204人間七七四年:2012/08/18(土) 10:47:19.07 ID:nlh3cjDh
義昭 : おのれ上総介っ誅してやるわっ
藤孝 : ε
藤長 : з
205人間七七四年:2012/08/18(土) 14:19:18.56 ID:nlh3cjDh
金吾 : 勝ちそうな側につけばいいんだよ、俺って賢くねwwwww
206人間七七四年:2012/08/18(土) 14:26:45.14 ID:nlh3cjDh
長政 : 野戦に大砲って治部マジ基地じゃね、オメー先行けよ
重門 : とうちゃんに救ってもらったんだからオメーが先だろ
207人間七七四年:2012/08/18(土) 14:35:44.89 ID:nlh3cjDh
左近 : 毛利はまだ弁当の最中だって
三成 : お前、毛利の陣まで往復したの
左近 : ハッ !!
郷舎 : ワロス
208人間七七四年:2012/08/18(土) 14:41:21.18 ID:nlh3cjDh
家康 : あの老人、誰のために切り取ったのやら…
如水 : 老人…おまえモナー
209人間七七四年:2012/08/19(日) 15:14:28.19 ID:IQmBTTGW
正則 : てか、才蔵よ〜秀家マジすぎね
吉長 : 全登なんか顔真っ赤だよ
210人間七七四年:2012/08/20(月) 01:21:20.94 ID:htmcE2a6
吉継 : 金吾のやつ…やはり寝返ったか
家臣 : 小早川人面獣心なりっ!
足軽 : 小早川人面魚っ!
211人間七七四年:2012/08/22(水) 16:10:47.13 ID:MYVZwAao
信秀 : 吉法師よ、誰が一番偉いかわかるか
信長 : 公方
信秀 : 京の天子よ
信長 : 戦に負けてオデイはオネイになったのか ?
212人間七七四年:2012/08/23(木) 01:33:29.77 ID:mqZ82bR7
家康 : 戦場で尻をからげて屁をひるような大将などいただろうか…
忠勝 : ……自分は糞もらしたくせに…
家康 : 今何か言った!
213人間七七四年:2012/08/23(木) 01:38:28.81 ID:mqZ82bR7
幸村 : とうちゃん、この紐作るのやめようよ
昌幸 : 飽きたのか
幸村 : これのせいでサナダ虫って名前がつくらしいんだよ
214人間七七四年:2012/08/24(金) 20:45:29.80 ID:JXcjXPjy
光秀 : …
信長 : …明智光秀…めいちこうしゅう…デアルカ…ひかりひいでている…禿 ?
光秀 : ナニカ ?
信長 : よい、さがれ………………ぷっ
215人間七七四年:2012/08/24(金) 20:51:34.22 ID:JXcjXPjy
秀吉 : うわっ壁からユバリがっ
信長 : ゆるせ、汝の心を見んがためじゃ
秀吉 : なんと遠まわしの事を、節穴等使わずとも拙者のでよければ御貸ししますのに
信長 : …デアルカ
216人間七七四年:2012/08/26(日) 16:12:24.24 ID:/XqsoNZK
信長 : 火箸を握っても傷つかぬ者の言い分を了としよう
重次 : 握っても大丈夫でしたがナニカ
信長 : イリュージョンでアルカ
217人間七七四年:2012/08/27(月) 18:07:04.71 ID:iQ1lP+ne
>>202
(また、荒らしが現れたか・・・)
筆者は頭を抱えた。
>>202のことは既に知っており、正確に言うならば、>>137の時から知っていた。
おそらくこの男は前スレを閉鎖に追い込んだ張本人であり、ついでながら言うと、相手の返事が無い事が何よりも恐ろしいらしい。
218人間七七四年:2012/08/27(月) 18:07:48.41 ID:iQ1lP+ne
ブログである。
筆者は気ままに書き込むこの空間が好きだった。
同じ事を何度も言わせる>>202に、ほとんど気が沈む思いがした。
219人間七七四年:2012/08/27(月) 18:08:36.12 ID:iQ1lP+ne
>>203-216
この男は>>202の荒らしか?
そう思ったが、>>202には懐疑的な異論は通用しないため、とにかく無視して消えるのを待った。
が、これ以上いたずらに放置しても、時間を失うだけで無用であろう。
ゆえに、再開するに至ったのである。
220人間七七四年:2012/08/27(月) 18:09:12.50 ID:iQ1lP+ne
(もはや、ここには誰も来ぬ。良きスレにして、我名を天下に記憶せしめたい)
これが筆者の妥協であろう。
221人間七七四年:2012/08/27(月) 18:09:50.73 ID:iQ1lP+ne
筆者は、戦略下に己の行動を柔らかに縛り上げようと腐心した。
筆者にすれば、戦国2chにスレを決心した以上、他の書き込みを休止せしめなければならない。
もし、同時進行したならば、両面に忙殺されることになり、それこそ共倒れするしかないのである。
222人間七七四年:2012/08/27(月) 18:10:50.39 ID:iQ1lP+ne
「もう>>203-216 は来るはずだが」
戦国2ch上で筆者は囁きかけた。
小学生当時、真っ黒で足が極端に速かったことから「野生」と通称された筆者は、由緒正しき「司馬遼太郎風に会話するスレ2012」を見ていた。
223人間七七四年:2012/08/27(月) 18:11:32.63 ID:iQ1lP+ne
ちなみに「野生」と言うあだ名は倍率が低く、筆者の通っていた小学校で、運動神経がいいヤツに付けられる名誉あるものだった。
224人間七七四年:2012/08/27(月) 18:12:22.28 ID:iQ1lP+ne
>>203-216は何と言うかヘンなやつだよ。
奇行でもってコントを連スレしているこの男だけが書き込みをしているのみである。
−書き込みさえしてくれればそれで十分だ。
と筆者は平素に言い、裸目でぎょろぎょろとこのスレを見ている。
225人間七七四年:2012/08/27(月) 18:13:13.31 ID:iQ1lP+ne
「だいぶスレが伸びましたな」
と、筆者は立ち止り
「もっと人が来てくれると思った」と言った。
戦国2chの人々に言っているのだか自分に言い聞かせているのか、どちらでも取れる呟き声であった。
226人間七七四年:2012/08/27(月) 18:14:00.48 ID:iQ1lP+ne
筆者の実感でだったであろう。
この日、書き込みを再開する。
筆者自身も戦国2ch上で死ぬつもりで立ち尽くしていたのだし、最悪の場合、独りでブログもろとも心中する覚悟であった。
227人間七七四年:2012/08/27(月) 19:01:56.21 ID:iQ1lP+ne
夏休みである。
筆者はやるべきことを素早くやる男、とは前に触れた。
小学生の頃から、宿題を渡されると、家に常駐してから一週間以内に、各教科のことごとくを終わらせてしまった。
228人間七七四年:2012/08/27(月) 19:02:55.25 ID:iQ1lP+ne
いずれもこれは夏休みを快適に過ごす根回しの良さによるもので、筆者は満足した。
が、一面、親は筆者の生活を見て、
「コイツはこの後ダラダラと暮らすつもりだな!?」
と、かすかながらの不安を思わぬでもない。
229人間七七四年:2012/08/27(月) 19:03:39.69 ID:iQ1lP+ne
宿題を8月31日までに終わらせない素朴な者は多いが、筆者のようにひとつの場所に落ち着くことのない息子を持つ親にとっては、常にどこか不安を感じさせるようであった。
もっとも筆者の親が他の親と違うのは、早く宿題を終わらせたこそあれ、せめて午前中は机に向かわせることであった。
230人間七七四年:2012/08/27(月) 19:04:31.12 ID:iQ1lP+ne
筆者の方はそれが不満であった。
親は宿題を早く終わらせたことを心から評価し、
「時間があるのだから問題集をやれ」
と、筆者のために憂えた。
と言うのは、子育ての質が悪く、暇になった息子の面倒を見るのが嫌なのが本音である。
231人間七七四年:2012/08/27(月) 19:05:03.26 ID:iQ1lP+ne
話は変わる。
232人間七七四年:2012/08/27(月) 19:05:42.98 ID:iQ1lP+ne
「竜馬がゆく」を小学生5年で読破した幼馴染と言うのが、これと言って取りえのある男ではないが、筆者と違ってしたたかで、大人の教戒に対して聴きわけが良かった。
ただ、以下は先になるが、大学の受験勉強が嫌で、親に黙って就職先を決めたことは、口喧しい事への謀反と思われる。
233人間七七四年:2012/08/27(月) 19:06:50.32 ID:iQ1lP+ne
幼馴染の母親は
「大学出て、大企業に入れ」
と勧めたが、幼馴染は毅然とそれを退け、
「この一事は俺の人生だ。地道に勉強して大学に入れなかったらそれこそ無駄だ」と言った。
「だったら家から出て行け」
と、幼馴染の母親は命令までし、息子を落としめさせた辺りはいさぎよいまでの暴君だったのであろう。
234人間七七四年:2012/08/27(月) 22:15:47.72 ID:fDjMuLpv
またも一人壁に向かってブツクサ呟いておる
235人間七七四年:2012/08/28(火) 01:30:31.04 ID:nebmcPhS
代官 : これ、庄屋の主(あるじ)、酒を馳走とのことだがむさいじじいの酌とは無粋であろう
庄屋 : それでは娘で良ければ酌をさせていただきとうござりまする
代官 : なんと娘がおるのか、気の利かぬやつじゃ、さっさと連れてまいれ

次回へ続く
236人間七七四年:2012/08/30(木) 11:46:28.88 ID:ooQbA1Tf

お武家様: これ、そこな豚のように太った娘、ちと物をたず
肥えた娘 : 何よ、いきなり豚のように太ったって!
お武家様 : ああ、これは済まぬ、豚はたいがい太っておるな
肥えた娘 : ブキーッ
お武家様 : おお、済まぬ済まぬ、豚でござったか
237人間七七四年:2012/08/30(木) 18:11:44.74 ID:ZxT5X9uF
>>234は勇気や智慧と言うものにおよそ縁遠い者で、ただスレが伸びぬことを恐れるあまり、自演するにすぎない。
238人間七七四年:2012/08/30(木) 18:12:44.90 ID:ZxT5X9uF
―一 一夜で10は伸びる。
と言う心算が筆者にはある。
また、一夜で10伸ばすだけの鮮やかさを見せなければ、戦国2chの人々への影響は薄い。
筆者は2ちゃんねらーの人柄をよく知っている。
239人間七七四年:2012/08/30(木) 18:13:35.65 ID:ZxT5X9uF
人類も疎らながら進んでいる。
2ちゃんねらーと総称される民族で、>>234はヲタク民族であった。
あらゆる板に侵入し、長い歳月の間に土着した。
>>234が質問をし、2ちゃんねらーが答える。
240人間七七四年:2012/08/30(木) 18:14:06.94 ID:ZxT5X9uF
>>234は質問に答える2ちゃんねらーの粗捜しをし、荒らしと言うものがいかにおもしろいかを知った。
彼は次々と板に進み、ついに2ちゃんねらーに達した。
達することによって、「ここは俺の縄張りだ」と言った。
241人間七七四年:2012/08/30(木) 18:14:41.32 ID:ZxT5X9uF
2ちゃんねらーは好きな話題を追求する開拓者で、縄張り意識が極めて強い。
>>234と戦うだけの力が形成されている。
しかし>>234はいろんな板に接触して、常に誹謗中傷発言を持っていて、そこに居座った。
242人間七七四年:2012/08/30(木) 18:15:13.11 ID:ZxT5X9uF
>>234は長い年月の間、なし崩しの侵入を重ね進み、初めて筆者と接触した。
筆者がバイク事故で大腿骨骨折をし、動けなかった8年ほど前である。
気味の悪さを感じた最初の頃であった。
243人間七七四年:2012/08/30(木) 18:16:38.44 ID:ZxT5X9uF
―一次の日、>>234は死んだ。
244人間七七四年:2012/08/30(木) 18:17:16.61 ID:ZxT5X9uF
>>233の続きに戻ろう。
245人間七七四年:2012/08/30(木) 19:39:00.10 ID:ZxT5X9uF
息子には大学に行って貰いたい。
幼馴染の母親の強い癖として、息子に期待するのに無私であることを望んだ。
無用に反抗する事を憎み、極端に口答えする場合はヒステリーさえしていた。
246人間七七四年:2012/08/30(木) 19:39:37.56 ID:ZxT5X9uF
幼馴染はそういう癖を心得ていて、自分の主張を簡素にして、口答えは皆無と言うところを見せ、いい子を大きく表現した。
「ああいう、不徳な母では・・・」と、幼馴染が密かに就職を決意した時は、そううめいたに違いない。
247人間七七四年:2012/08/30(木) 19:40:20.47 ID:ZxT5X9uF
この不景気に、大学に行っても保証も将来も安定せず、不安のままで進学するのはどうであろう。
むしろ早くに働いて一人前に成りたい、と幼馴染は思ったに違いない。
幼馴染の母親は厳しく説諭したが、遂に首を縦に振らなかった。
この一件について、事態がいかに深刻だった事が想像出来るであろう。
248人間七七四年:2012/08/30(木) 19:40:59.76 ID:ZxT5X9uF
筆者が大学に進学した早々、新しく友達が出来ての下校の帰り道、マシンガントークような勢いのある会話をした。
よほど気が合ったのであろう。筆者はこの時ほど友情を感じたことはない。
249人間七七四年:2012/08/30(木) 19:42:23.91 ID:ZxT5X9uF
名は誠二(仮名)と言う。
「岸和田の俺の家に遊びに来てくれよ」と親切にも筆者に言ってくれたが、これは親切と言うよりも誠二の欲も手伝っていたかもしれない。
家に呼ぶ工作として、その方くつろげるからである。
250人間七七四年:2012/08/30(木) 19:42:58.88 ID:ZxT5X9uF
母方の身内では「ねぶる」と言う用語が使われていた。
「ナメる」と言う意味で、アイスクリームや飴をねぶる、と言うのである。
誠二が遠距離登校のため、新参ながら、方言と思って聞いたのであろう。
251人間七七四年:2012/08/30(木) 21:22:46.62 ID:ZxT5X9uF
調べてみると方言ではなく標準語で古語であった。
誠二は聞き慣れない言葉だけに、説諭されれば謎も融け、なるほどそういうものかと納得するのである。
252人間七七四年:2012/09/01(土) 12:13:20.42 ID:dFHIU3ij

公卿 : これこれ、そこな娘
里娘 : なんでござりましょう
公卿 : この辺りに狸娘とやらがおると草子に書かれてあるのじゃが
里娘 : はぁ ? やんのかゴラ〜
公卿 : あれー、こわや!

253人間七七四年:2012/09/01(土) 17:51:01.30 ID:uotBs+nt
話は高校生に戻る。
筆者は当時、尊敬していた先輩と下校している。
「女を本気で愛せるか?」
と、大人に言うように話しかけてきたのである。
「女とやりたいか、と聞いている」駅に近づく道で先輩は突如言った。
254人間七七四年:2012/09/01(土) 17:52:00.65 ID:uotBs+nt
先輩の名は哲也(仮名)と言う。
決して筆者に硬派な生き方を辞めて、女と遊ぶ軟派を目指せとは言わない。
ただ、当時の筆者には着いて行けぬような事を言うのである。
「クラブで女と話したいとは思わないか?」。
まるで中年のオジサンのようである。
255人間七七四年:2012/09/01(土) 17:52:44.70 ID:uotBs+nt
「俺も甲子園球児になりたいと思ったことはある。が、今もし、金があるならホステスに囲まれて遊びたい」
さらに
「おなじ一生を送るのに、金があるほど良い人生はあるまい」
と、むしろ女と遊ぶように薦める。
256人間七七四年:2012/09/01(土) 17:53:27.83 ID:uotBs+nt
筆者にはよくわからない。
筆者には女を人生の安らぎには思っていたが、それ以上に、自分の才能ひとつで人生を切り開きたいと思っていた。
己を磨くには毎日をやりたいこと一色にすることと考えていたのである。
257人間七七四年:2012/09/01(土) 17:54:15.14 ID:uotBs+nt
「先の事を考えず、今を楽しむのが人生と俺は思っている」
哲也さんは気合いの入った人で、その軟派な思考を渋い表情で言った。
「それともお前の硬派な生き方で金が稼げるか?」
「わかりませぬ」
筆者はそう答えざる得ない。
258人間七七四年:2012/09/01(土) 17:55:08.49 ID:uotBs+nt
「硬派で一生生きるか?」
哲也さんはからかっているのではない。
「女と遊びたいならいつでも言え。いつでも遊び方を教えてやる」
とも言った。
筆者は思いもよらぬ話題に行ってしまっているとは思いつつも、哲也さんが自分をひとりの「男」として処遇してくれていることについては、激しい快感があった。
259人間七七四年:2012/09/04(火) 17:45:39.41 ID:uJB/VTlC
筆者における大学時代のことを触れたい。
大阪にある某大学だった。
大阪と言うのは大規模ながら蜘蛛の巣のような交通事情である。
いろんな企業の電車が寄り集まっていて、人がゴッタ返している場所である。
260人間七七四年:2012/09/04(火) 17:46:22.01 ID:uJB/VTlC
そんなゴッタ返している大学で「目立ちたがり屋の嫌なヤツ」と感じていた者もいたであろう。
なるほど筆者は妙に明るくて、うまれつき人懐っこいところがある。
軽はずみなところがあって、筆者を憎体に思う者も多かった。
261人間七七四年:2012/09/04(火) 17:47:05.23 ID:uJB/VTlC
彼らは、筆者が肉体美をしているために露骨に口を出す事を控えていたが、いつか大事件が起こっても不思議ではなかった。
そういう大阪の者に対し、筆者は配慮していた。
彼らに対し、大小となく話しかけ、あるいは体面を重んじた。
262人間七七四年:2012/09/04(火) 17:47:52.81 ID:uJB/VTlC
筆者はうまれつきの愛嬌ある男である。
人に気を遣う性分は誠二以上だったかもしれないが、しかしときに木で鼻を括ったようなところがある。
たとえば飲食店に入った場合、地元の常識を持ってきて、世の中そういうものだと主張した。
263人間七七四年:2012/09/04(火) 17:48:41.92 ID:uJB/VTlC
大阪の者にすれば、このよそ者が!!
と思うのが当然であった。
誠二ならそうは高飛車に出ず、相手を立て自分の主張をするが、筆者の場合一浪しているため、それだけに垣根があり、相手の態度も大きくならざる得ない。
(尚、誠二も一浪している)
264人間七七四年:2012/09/04(火) 17:49:31.60 ID:uJB/VTlC
ともかくも目立ちたがり屋のさまが大坂の者には気に喰わなかった。
実を言うと筆者の本質は自由奔放であり、好き勝手の生涯であるのかもしれない。
――必死なモノ。
と言うのが筆者の密かな信仰であったし、その説明になるとそれが通常のテンションに違いない。
265人間七七四年:2012/09/04(火) 17:50:15.28 ID:uJB/VTlC
要領についても筆者は一見恬淡としていたし、いつでも必死になれると言う凄みも持っていた。
その凄みは周囲の者もわかっていたし、大学から濃厚な関わりを持つ誠二も、筆者のそういう一面を畏怖していたらしい。
266人間七七四年:2012/09/04(火) 17:51:14.20 ID:uJB/VTlC
「要領でと渡世する者は、必ず鼻を折られる時がある」
学校のセンセや親はしきりに言い、要領より地道な方がよほどか身になる。
絶えず、筆者の青春時代には耳にしていて、漫画やドラマの根性が筆者に重要な影響を与えた。
267人間七七四年:2012/09/04(火) 18:46:18.64 ID:uJB/VTlC
百貨店でランチコートを買って来た。
3000円?
筆者の突然の質問に友達がそう答える。
「これは百貨店の品だ!」筆者は大まじめに言った。
しかし、もし、友達がその品を買うとすれば千円でも不要だと言う。
268人間七七四年:2012/09/04(火) 18:47:00.42 ID:uJB/VTlC
百貨店の紳士服で上着を見る。
筆者が目に付いたのはホストが着そうなコートであった。
スーパーとは違って、値段ならば高くて上限がない。
店の者に話だけでもと思い聞く。
すると店員は機関銃のように話し出した。
269人間七七四年:2012/09/04(火) 18:47:47.96 ID:uJB/VTlC
「貴殿にはお似合いですよ」と言う。
(冗談ではない)
なるほど。阪神百貨店は高級品置いているが、窮屈さを破った自由な対話が出来るのかもしれない。
が、値段がスーパーと同じと言う例はない。
270人間七七四年:2012/09/04(火) 18:49:01.71 ID:uJB/VTlC
通常、スーパーの値段は3万ぐらいが上限で、専門家らしき店員が頼みもしないのに説明に来る。
買い物がいかに自由な形式とはいえ、同席セズ、と言う消費者道徳を店員には皆無である。
これは百貨店でも同じである。
271人間七七四年:2012/09/04(火) 18:49:54.91 ID:uJB/VTlC
やがて違う場所に入って奇妙なランチコートが目についた。
値段は安くない。
これが8万円か。
筆者は頭を掻いた。
値段の高さは庶民にモテはやされるが、百貨店の場合は、紳士服が地味であった。
272人間七七四年:2012/09/04(火) 18:50:47.17 ID:uJB/VTlC
Levisの場合には華がある。
ジーンズも上着も雑多な階級が一同にして礼式を拘らず、目で楽しむことが出来る。
百貨店にはそれがなかった。
「お客様、ランチコートがお好みでしょうか」
と、礼服のような黒いスーツを着た兄ちゃんが親しげに話しかけてくる。
273人間七七四年:2012/09/04(火) 18:51:40.22 ID:uJB/VTlC
筆者はLevisのような庶民の服を着ているだけである。
ランチコートがどうしたかと聞くと、
「これ、今なら半額なんですよ」
さすがに筆者はドキッとした。
筆者は心が顔に表れる方で、まずいと思ってもどうする事も出来ない。
274人間七七四年:2012/09/04(火) 18:52:57.24 ID:uJB/VTlC
店員は筆者を覗き込み、
「8万円が4万ですよ」
と、ランチコートに手を伸ばし言った。
予算が4万である。
筆者が背伸びしなくても買える値段である。
半額ならなびくであろう。――それよりも 
275人間七七四年:2012/09/04(火) 19:22:35.02 ID:uJB/VTlC
――地味すぎる。
しかし、店員の丁寧な言葉遣いの遠慮があり、どうするかと考えた。
肌を合わせてもどこか地味でおもしろくない。
が、半額でイタリア製のブランドらしく、そういうものかと興味が湧いた。
276人間七七四年:2012/09/07(金) 17:52:53.49 ID:1B1xy+PR
高額のブランドモノを売る店は風変わりである。
高いコートだけではなく、安物の服を買うだけでも丁寧な手続きを受ける。
ついでながら、筆者は大のファッション好きでありながら不精で、この手続きがめんどくさくて堪らない。
277人間七七四年:2012/09/07(金) 17:54:02.85 ID:1B1xy+PR
おそらくこのランチコートが百貨店に出向く始まりで、頭をペコペコして店を後にした。
筆者はランチコートをスグには着ず、改めて次の機会に着る男で、そういう話もいかにファッションを大切にしているかを伺える。
Levisを引退した数年前の話である。
278人間七七四年:2012/09/07(金) 17:56:40.81 ID:1B1xy+PR
ド田舎に住む者は交通が不便で、電車など1時間に一本である。
電車に遅れると後がないため、かばんを体に巻き走った。
田んぼの前を走って行く光景を写真のようにはっきり覚えている。
279人間七七四年:2012/09/07(金) 17:57:36.98 ID:1B1xy+PR
この頃の筆者は野球に夢中になって体は随分と褐色であったが、ファッションに目覚めていない。
目覚めたくてもスーパーしかなく、服が売ってる店は少なかった。
ファッションに興味を持ち出したのは街中に越した頃であり、ド田舎に洒落た服など入ってくるはずがない。
280人間七七四年:2012/09/07(金) 17:58:42.29 ID:1B1xy+PR
「チャリ(自転車)で隣町まで走るぞ」
と、筆者のそばで無遠慮に言うのが、悪友の結城(仮名)である。
結城は部落出身の豪傑で、街中で生まれていたら後世に残る暴走族の男として名を残したであろう。
281人間七七四年:2012/09/07(金) 17:59:54.46 ID:1B1xy+PR
豪勇なうえに滑稽な人間味があり、筆者と一緒に先生をおちょくり、その当時よく廊下に立たされていた。
結城と言えば、ノラ犬も黙って土下座する。
282人間七七四年:2012/09/07(金) 18:01:01.63 ID:1B1xy+PR
筆者は愛媛生まれで、4歳の頃このド田舎に越してきたため記憶がない。
名家で長男の息子のために大いに喜ばれた。
親戚の誰もが恐れる婆ちゃんでさえ、本家の息子の長男の理由で、筆者を甘やかす。
283人間七七四年:2012/09/07(金) 18:02:06.21 ID:1B1xy+PR
ある時、筆者は階段から転げ落ちる。
が、泣かない。
「恐ろしい子じゃ」
婆ちゃんは言う。
子供らしく泣かない筆者に将来気性の荒い男になるかもしれない。
その点でも無遠慮に「優しい子に育てねば」と婆ちゃんは呟いた。
284人間七七四年:2012/09/07(金) 18:43:24.52 ID:1B1xy+PR
運と言うのはどうにもならぬ。
女と別れ、筆者の運勢は急変した。
これは運命を変えようとしている。
それまで友達に恵まれ、好きなことも充実していたが、女と別れてからと言うものの筆者を無力にした。
285人間七七四年:2012/09/07(金) 18:44:07.59 ID:1B1xy+PR
絶対なんてありえない。
筆者が荒ごなしに鳴らして「力が正義だ」と言って懸命に進んだ。
「忙」とは心を亡くすと書くため、忙しさに正しい判断かどうかもわからず、しかしながる時は進んでいるのである。
286人間七七四年:2012/09/07(金) 18:44:54.54 ID:1B1xy+PR
運には意思がある。
それを善とするのが人である。
筆者は運の意思に反して行動し、難攻不落の計画をなくしてしまった。
不運は自力で防ぎようがないため、過ぎ去るのを待つしかない。
初めて「運」が存在することを知ったのが大学時代である。
287人間七七四年:2012/09/10(月) 17:58:42.23 ID:4TQQ6E7B
筆者はネットをしていた。
パソコンに向かい「司馬遼太郎風に書いた文章」あれこれ眺めながら、文章について思案していた。
司馬風から自分の文章に編成して、オカシナ文章にならないように苦慮していた。
荒らしの批評などどうでも良かった。
288人間七七四年:2012/09/10(月) 17:59:35.30 ID:4TQQ6E7B
筆者が「司馬遼太郎風に会話するスレ」で、まず熱中したしごとは、歴史を語ることである。
無論知識である。いつ時に何が起きたか。
もし間違ってもいれば戦国スレの指摘が来る。
289人間七七四年:2012/09/10(月) 18:00:26.14 ID:4TQQ6E7B
筆者は毎日のように文章を書いては
「面倒ですな。このしごとは」
と言った。
文脈が間違えている。
訂正しながら手でバシバシ膝を叩いた。
いっそうのこと文章ごと真似ればラクで、妙案である。
290人間七七四年:2012/09/10(月) 18:01:03.38 ID:4TQQ6E7B
筆者は顔が解れた。
筆者は苦しくても精一杯司馬遼太郎風に文章を書かねばならぬ。
これが図式なのである。
291人間七七四年:2012/09/10(月) 18:01:49.40 ID:4TQQ6E7B
女と言うのは、調略がもっとも活動しているときは、かえって退屈そうな顔をしているものらしい。
時は小学6年生。
その日、クラスのボス格の女子達は職員室に入ってきて「○○君(筆者)が石を投げてきました」
と言った。
292人間七七四年:2012/09/10(月) 18:02:35.19 ID:4TQQ6E7B
運動場を挟む校舎の裏には、通称「ジャングル広場」と言う遊び場があって、休み時間になるとそこはにぎあう。
思春期が男子より早い女子達は退屈だった。
察するに、ボス格の彼女達は筆者にちょっかいを出し、何らかの結果を待っているのであろう。
293人間七七四年:2012/09/10(月) 18:03:15.40 ID:4TQQ6E7B
嫌がらせである。
女子達は筆者にちょっかいを出し、手を打つようにしてはしゃいだ。
筆者が仕返しでもしようものなら、先生にそのことを告げる。
学校と言うのは善悪に限らず、男子が叱られる仕組みになっているらしい。
294人間七七四年:2012/09/10(月) 18:03:53.34 ID:4TQQ6E7B
我慢にも限界がある。
それだけのことであった。
しかし、それだけのことで大騒ぎになった。
喧嘩とは日常性からの脱出でなければならない。
女共は筆者の無礼を頂戴して、日常性から脱出しなければならなかった。
それだけでハワイへ旅行するだけの快楽が得られるのである。
295人間七七四年:2012/09/10(月) 20:25:15.12 ID:4TQQ6E7B
「女共の堅苦しさよ」筆者は苦笑した。
女共は遠くから悪口を言っており、罵倒し始めていた。
この頃の筆者は温厚で、と言うよりも人の良さで周囲に溶け込む男だったのかもしれない。
296人間七七四年:2012/09/10(月) 20:26:04.68 ID:4TQQ6E7B
――バカは放っておこう。
筆者は平素に言っている。
女にとって悪口とはコミニケーションのようなもので、いじめとて人間関係の一環だと思っている。
陰口について思案するように、積極的悪口言及は女の掟であった。
297人間七七四年:2012/09/10(月) 20:26:40.89 ID:4TQQ6E7B
女は悪口に酔う。
酔えば何を言い出すかわからない。
女が悪口を言うのは人の噂が好きだからである。
そんな戯言を聞くな。
と、筆者は常々思っている。
女と言うのは昂揚すればほがらかになり、沈潜すれば赤ん坊のように泣く。
298人間七七四年:2012/09/10(月) 20:27:18.69 ID:4TQQ6E7B
ボス格の女共は先生を後ろ楯にし、筆者が怒ると先生に泣きつき、実にしたたかであった。
ともあれ、いらいらの連続であり、何度か――筆者からチクってやろうか、と考えた。
本来、筆者はチクリ癖はなく、自力で解決策を探る。
299人間七七四年:2012/09/10(月) 21:29:35.32 ID:4TQQ6E7B
ところがまた、某昼休みの午後、筆者達がいたジャングル広場に女共が現れて、石を投げて来た。
筆者は仲間内の後方にいる。
女共が現れるや否や放置し無視を続けていたが、石が飛んでくると、警戒し身を潜めた。
300人間七七四年:2012/09/10(月) 21:30:43.73 ID:4TQQ6E7B
「・・・・。」
と、筆者は微笑した。
女なんて怖くない、と言う信仰がある。
事実、石は筆者をよけて飛んでるようだった。
女共としては、相手にしていない、と言う筆者の行動が気に入らない。
301人間七七四年:2012/09/10(月) 21:31:26.23 ID:4TQQ6E7B
しかしこの後、石を投げた行動がクラスメイトの男子全員をも怒らせ、ボス格の女共を壊走させることになる。
302人間七七四年:2012/09/10(月) 21:32:14.51 ID:4TQQ6E7B
「あのバカ女、調子に乗りやがって。そろそろ――」
「――そろそろ何だ?」
悪友の結城は聞いた。
「石を投げ返すか?」
「それがいい。俺もそろそろ頭にきて来た」
と言うなり、筆者は石を投げ返した。
303人間七七四年:2012/09/22(土) 10:27:39.91 ID:Pa4Si63E
すると、女共はまるで筆者達から石を投げてきたかのようにヒステリーを起こした。
結城は笑い出した。
つまり、女共が怒りのあまり、身から出たワサビな行動に笑ったのである。
304人間七七四年:2012/09/22(土) 10:28:40.53 ID:Pa4Si63E
昼休みが終わった頃だから午後1時半頃であろう。
ボス格の女共から吐き出された黒い影がある。
――筆者が石を投げて来た
、である。
筆者は苦笑した。
石なら女共から投げて来たことではないか。
305人間七七四年:2012/09/22(土) 10:30:08.19 ID:Pa4Si63E
その年で30になる女の担任は絶句する。
が、すぐ口を開いて女と男は違うと言った。
「わからぬ」
筆者は即答した。
「小学生6年生にもなってわからないはずないでしょ。わかるまで廊下に立っていなさい」
と、その年で30になる女の担任は、何とも理不尽なことを言ったのである。
306人間七七四年:2012/09/22(土) 10:31:06.12 ID:Pa4Si63E
先生への侮辱罪で筆者と結城だけが廊下に立たされた。
が、風向きはこちらに変わっている。
クラス全員の男子がその年で30になる女の担任とボス格の女共に詰め寄った。
女共はびっくりしている。
307人間七七四年:2012/09/22(土) 10:31:57.13 ID:Pa4Si63E
協調性を重視する女社会は、ツイ立場上、自重論に傾くので、その年で30になる女の担任がボス格の女共を贔屓するのはやむ得ないであろう。
「結城、それなんだ」
と筆者は言った。
道理がわかってる者ほど、物の考えが豊かである。
308人間七七四年:2012/09/22(土) 10:33:13.64 ID:Pa4Si63E
物事を論理的に追求していく能力の高さと、その構成力の堅牢さは筆者の性分のようなもので、その能力が人に向かうとき、恐ろるべき効果を発揮する。
が、長所は常に短所の裏で、人によっては弊害も多い。
309人間七七四年:2012/09/22(土) 10:33:48.90 ID:Pa4Si63E
一般の民衆は、協調性を持って人と接しているが、筆者は倫理的価値観が極端であり、オレ流のためには他の重要なことも犠牲にする。
310人間七七四年:2012/09/22(土) 10:34:30.62 ID:Pa4Si63E
一般の民衆は農耕民族と同様、模範な姿勢やフォローのあり方は、リズムに沿って空気を読んでいる。
極めて柔軟であることを本則としているが、筆者はオレ流を愛する。
311人間七七四年:2012/09/22(土) 11:40:17.11 ID:Pa4Si63E
たとえば、掲示板の書き込みひとつにしても、筆者は好き放題話すために人際目立つ。
こういう姿勢を取ると、なるほど見た目はオカシナ事を言っているように感じるが、見る人によっては威風があっておもしろい。
312人間七七四年:2012/09/22(土) 12:12:34.59 ID:Pa4Si63E
人間の姿勢は不自然な行動に長時間耐えられなくなり、滑稽ではなはだしい。
これに対して筆者は考え抜いた倫理で、出来るだけ話そうとしており、後ろに下がろうとせず、天然でむしろ前に位置つける。
313人間七七四年:2012/09/22(土) 12:13:19.36 ID:Pa4Si63E
これは一例にすぎないが、見る者によっては無理がいたるところがあり、
――鈍重さ 
と定評にもなっている。
あきらかにオカシナ発言なら弊害だが、筆者が尚行動を改正しようとしないのは、何も悪いことはしてないからである。
314人間七七四年:2012/09/22(土) 12:14:03.17 ID:Pa4Si63E
新聞を読まない者が増えている。
理由はわかっている。
新聞は一紙で本2冊とも言うべき文字量が納められているのだ。
筆者なら1日P150は読めるであろう。
本だけ読んでたなら、10冊を越えて、金銭に換算すると1万5千円を超えるに違いない。
315人間七七四年:2012/09/22(土) 12:14:45.35 ID:Pa4Si63E
――新聞は 
筆者は言った。
はじめて新聞を読み始めた頃は、あまりの文字量と言うことに悲噴し、ただひらすら読んで知識を得ることだけを考えた。
その思考が、むしろ疲労感を重くした。
316人間七七四年:2012/09/22(土) 12:15:27.59 ID:Pa4Si63E
――もう新聞を読むのをやめるか。
と何度も思った。
今読むのをやめれば時間が保証される。
しかし、逆に読み続ければ時間を失い、次のステップも遅れるであろう。
――なるほど。筆者はそういう自分の境地に初めて気付いた。
317人間七七四年:2012/09/22(土) 12:16:17.44 ID:Pa4Si63E
知識に貪欲なのだ。
新聞において人々が読むのは自分の知識を賭けている。
知識は利で量られる。
つまり人間社会における能力と功名は、その知行地の多い少ないではかられる。
他人より知識が多ければ名誉であった。
男はこの知識のために命すら捨てられる。
318人間七七四年:2012/09/22(土) 12:16:59.10 ID:Pa4Si63E
それが新聞と言うものだ。
――それは 筆者は続ける。
それと言うのは、老若男女の各々の新聞観のことを言う。
その新聞が、世間では新聞離れにかかっている。
もし、新聞がなくなればどうなる。
言わずと知れている。
319人間七七四年:2012/09/22(土) 13:21:04.70 ID:Pa4Si63E
筆者などは天声人語や社説のような風を読む事項が好きで、時間がない時はそれだけを読んでいる。
二十代半ばに新聞を読み始め、通勤の一部に組み入れられた。
その後読書量が増え、慌しく新聞を読む。
320人間七七四年:2012/09/22(土) 13:21:58.49 ID:Pa4Si63E
が、人によっては、地域欄を読み、社会面、と読む者もいる。
筆者のように政治、経済、国際を読んでいると、尊敬の念を感じられ、何かあると質問に遭う。
新聞に対しての述懐は、同時に日本の津々浦々の思いがあるであろう。
321人間七七四年:2012/09/22(土) 13:22:59.38 ID:Pa4Si63E
インターネットの普及は、日本の心に大いなる広がりをもたらせた。
が、新聞離れは、新聞の長所、即ち、天声人語や社説のような良分を放棄する
、と言う事がわからないらしい。
筆者は新聞と言う、この地上に出現した新奇な存在を教えねばならなかった。
322人間七七四年:2012/09/22(土) 13:27:41.96 ID:Pa4Si63E
野菜嫌い。
と、身内の間では筆者はそう称された。
20歳になるまでは野菜など喰わず、10代半ばの頃には1週間まったく手をつけないこともめずらしくなかった。
野菜を喰べようとの決意にあたって、筆者はひどく張り切る風情を見せた。
323人間七七四年:2012/09/22(土) 13:28:26.07 ID:Pa4Si63E
野菜習慣をつけようと思っても、ざっと1週間がいいとこであろう。
それ以上続かなかったのは、あんな歯ごたえの無い山羊の餌のようであり、同時に喰わなくてもそれほどの支障もきたさない計算だったからである。
324人間七七四年:2012/09/22(土) 13:29:12.66 ID:Pa4Si63E
肉料理もそうだが、野菜料理でも美味を追及する事は忘れない。
野菜料理に対し、フランス料理を用い、その調理法によって歴史的と言っていいほどの習慣がついた。
これがツイ2年ほど前である。
325人間七七四年:2012/09/22(土) 13:30:16.57 ID:Pa4Si63E
――これを機にフランス料理を身に付けよう。
と,周囲の者にも言ったし、自分の端々にまで言い聞かせた。
事実、料理を覚えるとすかさず先に移って拡大することが常軌であったが、それをしなかった。
十分作れるところで止めたのは、筆者の稀代とも言うべき野菜戦略かもしれない。
326人間七七四年:2012/09/22(土) 17:57:43.17 ID:WdpUGdfN
拡大して肉料理に損じるより、野菜習慣をつける方がいい。
と、思ったのである。
10代以降、野菜習慣が長続きしないことを筆者は知っていた。
過去3度ほどことごとく失敗に終わっている。
327人間七七四年:2012/09/22(土) 17:58:54.03 ID:WdpUGdfN
やがて習慣がついて、その時あらためて肉料理に挑戦すれば、飛ぶ鳥を落す勢いでフランス料理を極めることが出来るに相違いない。
余談だが、フレンチの野菜として、セロリ、トマト、アスパラ、ズッキーニ、じゃがいも、茄子などがよく使われる。
328人間七七四年:2012/09/22(土) 17:59:38.78 ID:WdpUGdfN
さらに余談だが、この時期、自称フレンチ見習いと言う男が現れている。
その癖、前菜とそのフレンチの表現もわからなくて、相手の批判だけしたと言う具合である。
329人間七七四年:2012/09/22(土) 18:08:42.33 ID:WdpUGdfN
予備校時代に遡る。
330人間七七四年:2012/09/22(土) 18:09:26.74 ID:WdpUGdfN
(どうやら時代が変わって来ている)
と言う実感を、実際に受験勉強の中で体が知った。
単なる受験勉強ではなく、そういう意識の上で衝撃が大きかった。
1年頑張れば来年は自由だ、とは思えない。
331人間七七四年:2012/09/22(土) 18:10:13.38 ID:WdpUGdfN
筆者は久々に尊敬する先輩に会った。
土方をやっていて堂々としている。
ここ数日来、思ってもみなかった感情が筆者の肌によみがえった。
ふと、高校時代に先輩が言った言葉を思い出した。
332人間七七四年:2012/09/22(土) 18:11:08.84 ID:WdpUGdfN
「いい大学出て、いい企業入ってどうする?本当の競争に勝てるのはごく一部だぞ」
と、突拍子もない言葉だが、さらに
「それより、おもしろいと思った道に進め」
ありありと先輩は言った。
そのことを思い出したのである。
333人間七七四年:2012/09/22(土) 18:52:57.62 ID:WdpUGdfN
余談だが、333である。
334人間七七四年:2012/09/22(土) 18:54:01.43 ID:WdpUGdfN
先輩は筆者よりやや身長が高いくらいだが、そうとは思えないほどの鍛えた大きい体格である。
野球の名門高校から声がかかったほどの男だから体を使うのが好きらしい。
この人特有の圧倒的存在感で話している。
335人間七七四年:2012/09/22(土) 18:54:50.14 ID:WdpUGdfN
「おもしろい人生を送りたければ人より動け」
先輩は筆者に行動力を植え付けた師匠である。
筆者は当時、ひとつのことに集中し過ぎる硬派で、先輩のような世界観がなかった。
336人間七七四年:2012/09/22(土) 18:56:08.90 ID:WdpUGdfN
――おもしろい人生を送りたければ人より動け。
尊敬する先輩から授かったこの言葉を座右の銘に思っている。
現に筆者ほどの行動力のある人物は稀であろう。
337人間七七四年:2012/09/22(土) 20:27:09.29 ID:w20fYQJO
「なんぞ、妙な」
久方ぶりに伸びていることに気づき337はスレを開いたが奇妙な違和感を覚えた
が、やがて腑に落ちた
「――これらは、会話ではないわ。唯の独り語りよ」
338人間七七四年:2012/09/27(木) 17:57:12.10 ID:1woE2yhW
同じ事を何度言ってるのであろう。
同じ事も、ここまで来ると滑稽である。
339人間七七四年:2012/09/27(木) 17:57:58.99 ID:1woE2yhW
さて、そろそろ歴史に話題を戻す。
大河ドラマの中の主役で信長は少ない。
NHKが信長を選ばないのは、家康や竜馬と違い、主役と言うだけの品格がないのであろう。
信長は悪役と思っている。
340人間七七四年:2012/09/27(木) 17:59:03.57 ID:1woE2yhW
筆者はここ1ヶ月余り、「司馬遼太郎風に会話するスレ 2012」で本を片手に自分のブログならぬつぶやきをしていた。
ツイッターとも言うらしい。
「そろそろ歴史に戻るか。
信長の続きでも書くか」とパソコンを開くなり思った。
341人間七七四年:2012/09/27(木) 17:59:47.64 ID:1woE2yhW
信長の評価と言えば、戦に長け、その能力は今も尚、絶大な影響力を与えている。
政治外交にも長じ、その恐るべき鬼才は史上にも類がない。
しかし、本能寺の変以降、生きていればとてもあのような具合にはなれなかったであろう。
342人間七七四年:2012/09/27(木) 18:00:26.37 ID:1woE2yhW
信長は偉なりと言えども、勢力が拡大にするにつれ、虐殺が増えた。
官兵衛や秀吉が止めようともしたが、信長の意向にはばまれ意見が出来ず、ついに荒木村重の身内や家来は虐殺された。
その数1万人を超えていると言われている。
343人間七七四年:2012/09/27(木) 18:01:28.13 ID:1woE2yhW
――信長は終わった。
秀吉や官兵衛は思った。
信長は隣国との抗争に足を取られ、それが一種の暴君の形をなし、まさかここまでの虐殺をするとは思いもよらなかった。
独裁者の末路が悲劇で終わるとともに、信長はそれをやってしまった。
344人間七七四年:2012/09/27(木) 18:02:01.39 ID:1woE2yhW
毛利攻めの頃に、秀吉が信長に花を持たせようと、歴史研究家のあいだで囁かれている。
が、司馬遼太郎の「播磨灘物語」によると、毛利攻めでは苦戦している時、秀吉を援軍出来る者がいなかった。
345人間七七四年:2012/09/27(木) 18:02:59.26 ID:1woE2yhW
このため、秀吉は信長にやむ得ず援軍を頼んだが、信長は面倒くさり軍勢を撤退してしまった。
この行為に秀吉のようないわば主君に柔軟な思考力を持った男でさえ、強く不審を持った。
346人間七七四年:2012/10/06(土) 18:04:55.21 ID:t6XNZ8fd
しかし、日が経ち、信長包囲網は粗方終わった。
食事をしている秀吉は箸を置き
「これで上様を呼ばなくていけない」
と、官兵衛に言った。
秀吉が毛利に苦戦しているとはいえ、本願寺などの小戦闘は終わったのである。
347人間七七四年:2012/10/06(土) 18:06:08.06 ID:t6XNZ8fd
最前線を守る秀吉は、馳走のために信長の存在を忘れてはいけなかった。
毛利が片付けば、突如、信長の気は変わり、秀吉にとって不幸な出来事が起こるかもしれない。
不幸な出来事とは、「秀吉用済み」である。
348人間七七四年:2012/10/06(土) 18:06:57.07 ID:t6XNZ8fd
家来が主君のため美々しく、誇大に戦うのは上等手段だったが、古来より優秀な武将が非業の末路を遂げている事を官兵衛は知っていた。
が、秀吉の場合、忍ぶが如く信長に着いて行く。
それが秀吉の賢さでもあるが、単にそうではなく、天性のものである。
349人間七七四年:2012/10/06(土) 18:07:50.70 ID:t6XNZ8fd
信長が行きていれば、後3年で天下を取れたと歴史学者は言う。
この台本に、ほとんど順調に領土を拡大した
、と筆者は思っていた。
その裏には、毛利vs信長の天下分け目の戦いがあろうとは。
――やがて信長は死ぬ。
350人間七七四年:2012/10/06(土) 18:08:52.75 ID:t6XNZ8fd
信長を語るうえで、今川義元を触れなければならない。
義元は、天皇に次ぐ由緒正しいお家で、天下に聞こえた家柄である。
が、家柄だけがとりえの無能な男
、とは間違いである。
(果たして2万で織田に勝てるか)
と言う疑問が義元にはあった。
351人間七七四年:2012/10/06(土) 18:09:49.02 ID:t6XNZ8fd
兵数を小出しする戦は禁物で、桶狭間の前、各個に撃破された。
(信長は手強い)
義元は思った。
確かに義元をむこうにまわして、信長が勝てる見込みはなかったであろう。
(しかし、戦略家だ)
義元は密かに思った。
352人間七七四年:2012/10/06(土) 18:10:45.49 ID:t6XNZ8fd
桶狭間の数ヶ月前、尾張の近くに陣を張った。
一方、信長は夜昼問わず、義元を攻撃した。
この攻撃には信長のワル友達が多く参加する利点があって、彼らを歩兵からたたき上げて、遂に見出し、ワルが実戦に強いことを証明付けた。
353人間七七四年:2012/10/10(水) 18:38:25.06 ID:ks5FUyE/
(2万は兵を用意しておかなければ)
と、義元が声を失ったほどに信長は手強かった。
兵を集め、規律を正し、義元はvs信長戦に備えている。
しかも、義元と言う男は国を強くさせるため、普段から村々に戦闘の準備をさせている。
354人間七七四年:2012/10/10(水) 18:39:24.23 ID:ks5FUyE/
余談だが、信長は北に斉藤義興、東に今川義元、と、脅威にさらされて気が休まる事がない。
しかし、それに該当する準備をしていた。
誰もが信長のすさまじいばかりの戦略に感動せざる得ない。
355人間七七四年:2012/10/10(水) 18:40:15.44 ID:ks5FUyE/
それにつけても、信長の脳裏に浮かんだのは、斉藤道三の統治思考を貫き、とっさに今川義元の組織作りを真似ると言うことだった。
「今川義元は有能な武将だ」
と、信長は言った。
356人間七七四年:2012/10/10(水) 18:41:01.64 ID:ks5FUyE/
お濃は頷いた。
信長はお濃のそばに寄り、早く体を元通りにせよ、と、父道三の仇は今川義元を何とかしてからにしておく、美濃の方にも探りを入れておこう、と言った。
357人間七七四年:2012/10/10(水) 18:42:02.72 ID:ks5FUyE/
もっとも知られている今川義元の最期は、情けなく討ち取られることである。
が、これは間違いである。
義元がどのように討ち取られたかは「信長公記」に書かれており、義元は激しく抵抗したとされている。
358人間七七四年:2012/10/10(水) 18:43:14.39 ID:ks5FUyE/
続いて、義元は目の前の敵を叩き斬った。
さらに抵抗したが、左膝を割られ、悲鳴をあげて転がった。
筆者の場合これを、「その時歴史が動いた」で見たが、あらたに「国盗物語」でも読み、ほとんど感動するほどに熱くなった。
359人間七七四年:2012/10/10(水) 19:07:41.11 ID:ks5FUyE/
その後、義元は毛利新助に馬乗りにされて首を獲られる。
その首には左指が入っていた。
義元に食いちぎられたとも言われ、抵抗した凄まじさが表れている。
360人間七七四年:2012/10/10(水) 19:08:23.35 ID:ks5FUyE/
信長は小国ながら、今川義元の組織作りを真似た。
義元と言う男は、他の守護大名と違って、金を持っていた唯一の戦国大名である。
さらには、寄親寄子制度を設け、合理的軍事改革のみならず、外交にも優れていた。
361人間七七四年:2012/10/10(水) 20:14:03.01 ID:ks5FUyE/
義元は駿河、遠江、三河の一部まで拡大したほどの器量人だが、組織作りが完璧し過ぎて、それが裏目となって桶狭間で死ぬことになる。

362人間七七四年:2012/10/10(水) 20:14:53.36 ID:ks5FUyE/
信長は敬意の一心で、駿河に義元の首を送った。
れっきとした義元を知っているからこそこの行為に及んだ。
信長ほどの男に、ここまでさせる義元はよほどの器量人だったのであろう。
363人間七七四年:2012/10/13(土) 17:50:37.22 ID:uBdjW8Hq
ここで武田勝頼を触れたい。
勝頼は無能な武将と言うが、別に無能な武将ではない。
不器用な男なのであろう。
しかしながら、勝頼は信玄すら奪えなかった今川義元からの高天神城を奪い、勇敢な男であった。
364人間七七四年:2012/10/13(土) 17:51:15.79 ID:uBdjW8Hq
実は「武田勝頼無能説」は信長の情報操作のよるものとも言われている。
滑稽と言えば滑稽だが、信長にはこういうマメなところがあった。
マメと言うのは緻密な戦略と同義語である。
365人間七七四年:2012/10/13(土) 17:51:56.19 ID:uBdjW8Hq
信長は理論的に調略し、城を奪うと無邪気に喜び、図に乗って無我夢中に行動力を発揮した。
高天神城は武田方の岡部元信がいた。
この城に家康が押しかけてきて、後は降伏を待つだけになった。
366人間七七四年:2012/10/13(土) 17:52:37.36 ID:uBdjW8Hq
「おっちょこいな話さ。勝頼様、俺達、降伏するから、応援には来ないでくれ。来れば共倒れになる」
元信は言った。
が、信長はこれを武田家を葬る絶好の機会と思った。
無論、降伏など許そうとは思っていない。
367人間七七四年:2012/10/13(土) 17:53:22.99 ID:uBdjW8Hq
通常、戦国時代は降伏、と言う名目で、負けを認めれば、それ以上は攻めないとしていた。
その頃、勝頼はすでに家臣団から不信感を持たれていて、高天神城を奪ったことから有頂天になったとも言われている。
368人間七七四年:2012/10/13(土) 17:54:05.13 ID:uBdjW8Hq
高天神城を奪おうとしてやってきた家康に、信長は降伏を認めるな、と言ったのである。
と言うのは、実は信長は勝頼が元信を見捨てたとの演出をし、有様は不信感と言う、武田勝頼を孤立させるのが目的である。
369人間七七四年:2012/10/13(土) 17:54:53.45 ID:uBdjW8Hq
長篠の戦いで、勝頼は戦の催促をしたとみられるが、多くの武将は参加しなかった。
一抹の淋しさはおおえない。
勝頼は限られた武将を連れて、やがて滅び行く長篠で、戦国最強軍団が散っていくのを見た。
370人間七七四年:2012/10/13(土) 17:55:42.32 ID:uBdjW8Hq
信長は勝頼を、孤立させたことを理由に「無能な男」と情報操作したのである。
なんだか変なものだ。
筋が通らない。
一種活性を帯びたものが接着剤となって、勝頼と言う男が、信玄が育てた家臣団をひとつに求めれなかった、との話になった。
371人間七七四年:2012/10/13(土) 23:55:59.03 ID:wAYdkiWf
それには異論を唱えたい。
勝頼は暗愚であった、と筆者は考えている。

余談ではあるが――武田家は代々、源氏を名乗っている。
372人間七七四年:2012/10/17(水) 18:05:39.30 ID:jqQPs+SV
上記のことは、資料と歴史学者の一見である。
373人間七七四年:2012/10/17(水) 18:07:01.91 ID:jqQPs+SV
>>371
勝頼が聞けば腹が立つであろうが、どうせ隣国から見た評判はその程度である。
たとえば、柴田勝家をみれば、勝頼程度の評判に違いない。
――勇敢だけが取り柄の男
と、家康の時代あたりではそう言われていたに違いなく、筆者も器量不足だと思っている。
374人間七七四年:2012/10/17(水) 18:07:46.15 ID:jqQPs+SV
筆者は家柄に興味が無いだけに源氏でも平氏でも良いわけだが、しかし反面、疑い深くもあった。
織田信長が平氏、徳川家康が源氏と自称していたように、天下は家柄が気になるようである。
375人間七七四年:2012/10/17(水) 18:09:07.78 ID:jqQPs+SV
家康が源氏を名乗ったのは、源氏の流れでなければ将軍になれない、と言われていた。
ところが実際、家康はそうではなく、まったく別だとも言われている。
「覇王の家」によると、家康の子孫は地方の豪族でだったらしい。
(覇王の家を読んでないので詳細は不明である)
376人間七七四年:2012/10/20(土) 18:03:40.11 ID:WMC7MjUx
信長の最終章とも言うべき「本能寺の変」について語りたい。
本能寺の変は数々の不明な点があるとはいえ、基本として明智光秀がクロではなかろうか。
あの炎の中で切腹して、50人ほどの屍があって、それを断定して、信長と決め付けるのはあの時代不可能と言っていい。
377人間七七四年:2012/10/20(土) 18:04:18.59 ID:WMC7MjUx
信長の真犯人説には何人か挙げられている。
オカシナこととしては、襲われる午前4時頃、信長が呑気に顔を洗っていたことである。
一万2千の軍勢だけに、半径2km地点では騒音になり、呑気に顔など洗っていられるだろうか。
378人間七七四年:2012/10/20(土) 18:05:48.57 ID:WMC7MjUx
筆者が本能寺の変について疑問を深めるに至ったのはこのことである。
信長と言うのは、現在に至っても英雄であり、生存中すでに信じがたいほどに不思議な伝説を持った男だった。
379人間七七四年:2012/10/20(土) 18:06:30.50 ID:WMC7MjUx
その信長が殺されたのである。
日本歴史史上最大の珍事件と言ってもいい。
最近の研究では本能寺は要塞のような寺をかまえ、天下を据えた拠点だったらしい。
380人間七七四年:2012/10/20(土) 18:07:19.14 ID:WMC7MjUx
秀吉説に触れる。
本能寺の変の頃、秀吉はまだ織田家の重要人物ではなかった。
確かに信長に「人気者」と言われたが、秀吉は農民出身であったため家柄がない。
戦国の世において、この家柄が結束力を持った。
381人間七七四年:2012/10/20(土) 18:07:57.20 ID:WMC7MjUx
秀吉において、この農民出身は深刻な打撃を与えた。
毛利攻めで清水宗治に切腹をさせ、和睦したが、一時は中国切り取りの敗戦とも伝えられた。
382人間七七四年:2012/10/20(土) 18:08:39.04 ID:WMC7MjUx
主君である信長が生涯の望みとなり、以前から壁ととなっていた家柄を撤去出来たのである。
その信長が天正10年6月日戊子、何者かに本能寺で討たれたのである。
秀吉に何の利があろうか。
383人間七七四年:2012/10/27(土) 19:55:09.26 ID:pm67VVdp
本能寺には抜け穴がある。
最近の研究ではそんな説が出ている。
この説は発掘調査と言うだけで、証拠があるわけではなかった。
結局は信憑性があるだけで重宝されている。
384人間七七四年:2012/10/27(土) 19:55:50.81 ID:pm67VVdp
――是非に及ばず。信長が最後に言ったという言葉で、誇張して伝えたとき、さすがに胡散臭かった。
敵は本能寺にあり、信長は炎の中である。
生きていた蘭丸が信長から聞いたと言う。
385人間七七四年:2012/10/27(土) 19:56:25.96 ID:pm67VVdp
それほど危機迫っていていれば、隠し抜け穴を通ざる得ない。
信長は抜け穴を通る途中に殺されたに相違いない、おのおの、このことをどう思うか
―― 余談だが、「是非に及ばず」とは現在語で訳すとやむ得ないである。
386人間七七四年:2012/10/27(土) 19:57:10.59 ID:pm67VVdp
隠し抜け穴を知っていて、毛利を攻略しつつある秀吉は、用済みにされる危険を察し、信長に対し 
――古今東西、優秀な部下は殺される。その前に信長を
と、暗殺ぐらいは考えたであろう。
387人間七七四年:2012/10/27(土) 19:57:49.51 ID:pm67VVdp
信長をまずおびき寄せ、次いで暗殺しなければならない。
本能寺には隠し抜け穴がある。
そこを埋め立て師に埋めさせたらどうか。
秀吉は思った。
数ある決断の中でもこれほどの決断はなかったに違いない。
388人間七七四年:2012/10/27(土) 19:58:33.50 ID:pm67VVdp
秀吉にすれば、天下を獲りたいがために、信長の首がほしかった。
でなければ「中国大返し」などできないであろう。
ところが、そんなことが出来るであろうか。
それがこの男の智慧なのである。
389人間七七四年:2012/10/27(土) 19:59:05.81 ID:pm67VVdp
本能寺の変には妙なところがあり、たとえば1年も経たず取り壊している。
証拠探しが最優先であり、とても1年で取り壊すには理解出来ない。
まず、しっかりとした調査をすべきだった。
390人間七七四年:2012/10/27(土) 19:59:42.57 ID:pm67VVdp
秀吉にとって本能寺そのものが厄介だった。
本能寺の話になると、秀吉は曖昧にするのである。
かつて「信長公記」の著者、大田牛一が本能寺のことについて聞いてみたことがある。
391人間七七四年:2012/10/27(土) 21:27:00.04 ID:pm67VVdp
秀吉は――犯人は光秀だ と言う事を出来るだけ婉曲に言った。
婉曲と言うほかない。
家臣として信長に感謝し、差し出がましく言い出すべきではない、と言うのである。
このあたりは、秀吉の人柄であった。
392人間七七四年:2012/10/27(土) 21:27:40.99 ID:pm67VVdp
以上は、歴史研究者の一説である。
本能寺の変のとき、秀吉と官兵衛は毛利のど真ん中にいる。
天下を天秤にかけていると言うよりも、むしろ危険な状況であり、信長を討つなどと大それたことが出来るであろうか。
393人間七七四年:2012/11/02(金) 18:01:43.29 ID:uKIpsqau
本能寺の変と言うのは、時の権力だったのかもしれない。
大田牛一については、本能寺の変のことがほとんど書かれていなかったという。
大田牛一は信長をよく知っている男であり、信長研究については最も信頼がおける著者である。
これはどういうことであろう。
394人間七七四年:2012/11/02(金) 18:02:37.16 ID:uKIpsqau
秀吉は弟秀長の報告で、信長が死ぬ前のことを知っている。
その上で「中国大返し」が出来た。
「信長が死ぬことはどうしようもないことだ。主君の仇を取れば誰も文句は言えない。これからは秀吉様の天下だ」
そのように官兵衛は秀吉に言っている。
395人間七七四年:2012/11/02(金) 18:03:28.48 ID:uKIpsqau
この文面からすれば、秀吉と官兵衛が絵を描いている。
秀吉が本能寺の変の黒幕であれば
「信長殺しは光秀だ」
と繰り返し言って、汚名を被せることも出来るであろう。
本能寺の変は戦国時代の分岐点で、それが時の権力と気付かない秀吉ではないはずである。
396人間七七四年:2012/11/02(金) 18:04:59.53 ID:uKIpsqau
「その時歴史が動いた」の番組では、足利義照が最有力と話した。
この番組には教えられるところが多い。
稀に可笑しなところもある。
たとえば、信長殺しの黒幕が義照、まことにけしからんことである。
397人間七七四年:2012/11/02(金) 18:05:32.34 ID:uKIpsqau
義照が黒幕であったら、信長と終始敵対関係にはならなかったであろう。
義照が人を動かすには、将軍の地位が確立してたらの話で、戦国時代の事情も、信長がいて辛うじて身動きを察しうるのである。
398人間七七四年:2012/11/02(金) 18:08:27.39 ID:uKIpsqau
義照は信長に抗し、最後は卵が潰されるようにつぶされた。
将軍邸の庭先に、壊れた貝九つが置かれてたことがある。
義照は信長のおかげで将軍に成れたが、そのとき庶民からは無能な男と呼ばれた。
399人間七七四年:2012/11/02(金) 18:13:25.62 ID:uKIpsqau
余談だが、壊れた貝九つと言うのは、クガイを表している。
公廨(クガイ)を貝九つでかけたのである。
役所とか国司などの意味らしい。皮肉にも義照にかけた。
400人間七七四年:2012/11/02(金) 18:14:37.08 ID:uKIpsqau
さらに余談だが、400である。
401人間七七四年:2012/11/08(木) 21:33:04.37 ID:hGRkDiUs
コカ・コーラを買う。
駿河あたりの茶屋であれば最低でも三百円するが、
この時代、堺のスーパーでは六十円と安値である。
二日酔いに効くとして御所でも珍重がられた。
無論、二位様は毎朝、鯨飲する。
402人間七七四年:2012/11/08(木) 21:43:14.26 ID:hGRkDiUs
缶を高々と上げ喉を鳴らして飲み上げる。
女性でなくとも、その男行儀にはっとするかもしれない。
湯漬けもうまいが、コーラ漬けも夏には好まれた。
403人間七七四年:2012/11/09(金) 19:17:05.44 ID:zTsi8QfW
ここで訂正しなければならない。
義照と書いたが、「義昭」の間違いである。
404人間七七四年:2012/11/09(金) 19:18:01.63 ID:zTsi8QfW
室町幕府が滅んだ。元亀2年(1572年)である。
信長によって義昭は京から追放された。
室町幕府滅亡後、義昭は転々とした。
本能寺の変の頃、義昭は毛利輝元のもとにいた。
405人間七七四年:2012/11/09(金) 19:18:45.98 ID:zTsi8QfW
義昭は居候の身であったが、少しも遠慮せず、ごく当然な顔で毛利の城にいた。
義昭は信長討伐に知案している。
輝元が義昭を取りもったのは元将軍だからである。
406人間七七四年:2012/11/09(金) 19:19:25.47 ID:zTsi8QfW
輝元は若輩ながら、気性が勇敢であり、その上仁義に熱い性格で、追放された義昭を放っておけなかった。
義昭は信長を激しく憎んでいた。
当時、秀吉が中国攻めしていたため、共通感情があり結束させていた。
407人間七七四年:2012/11/09(金) 19:21:42.32 ID:zTsi8QfW
――本能寺の変の黒幕は義昭だった!!
と、筆者は別人のように興奮させた。
そのあと、筆者は再び静まった。
秀吉も他の信長の家臣団も、自分達の運命を一転させる大事件が起こるとも知らないまま、戦い続けている。
408人間七七四年:2012/11/09(金) 19:22:39.62 ID:zTsi8QfW
義昭の信長討伐の執着は、才能と言っていい。
信長討伐と言っても義昭自ら兵を出すという意味ではなく、密通で各地の武将に頼んでいる、という意味である。
さらに言えば外交者としての場を作りつつあったと言っていい。
409人間七七四年:2012/11/09(金) 19:23:20.19 ID:zTsi8QfW
信長討伐のためには威厳ある将軍の態度をとり、各地の武将の利害の調整をし、元将軍という一点を空に仮設して、講和を交渉することであった。
すぐれた交渉者が当然取らなければならない態度だが、しかし当然ながら、義昭はいかがわしい印象をまぬがれない。
410人間七七四年:2012/11/09(金) 19:24:02.93 ID:zTsi8QfW
義昭にとって光秀は都合がよかった。
光秀は義昭と信長の板ばさみだったという。
京都追放という決定的な事態のなかで、義昭は講和をもって救うべく、光秀に助けをもとめていた。
411人間七七四年:2012/11/09(金) 19:58:55.85 ID:zTsi8QfW
実際には、将軍職は地上から消え、代わって信長が京に指揮を取る立場にあった。
事態は逆転しているのにもかかわらず、義昭において従前と同じ事を望んでいた。
義昭は光秀に手紙を書いた。
412人間七七四年:2012/11/09(金) 20:00:50.55 ID:zTsi8QfW
――本能寺において信長を襲撃しろ。
光秀は当然ながら教養があり、信長を、この時代の朝敵あたりの感覚が出ていて思慮深い。
やがて秀吉応援の中国地方出陣のなかで、光秀はまったく逆の本能寺にむかった。
413人間七七四年:2012/11/17(土) 18:43:06.25 ID:z1lZuZe2
義昭にあっては、光秀宛の手紙が今も残っている。
京都追放後も手紙を送ったとされ、、本能寺の変の時期も例外ではなかったらしい。
このように手紙が残っていれば、義昭も有力である。
414人間七七四年:2012/11/17(土) 18:44:41.73 ID:z1lZuZe2
義昭は光秀に早い時期から、信長を討つように指示していたが、政治上もあり、思うようにいかず、何より光秀は格段の教養人であった。
そのため、光秀の行動を不自由にさせた。
主君を殺すことなんて出来ようか
と、光秀は思ったであろう。
415人間七七四年:2012/11/17(土) 18:45:26.16 ID:z1lZuZe2
さて、次の黒幕は朝廷である。
まず、動機を説明しなければならない。
信長は古い体質に新風を取り入れて、日本の国王になるつもりだった。
つまりは、天皇は邪魔になる。
416人間七七四年:2012/11/17(土) 18:46:22.45 ID:z1lZuZe2
この天皇に信長の子を養子にさせ、皇族を乗っ取ろうとしたわけだが、朝廷は首を縦に振らなかった。
それをおこなわせなければならない。
次いで、光秀に天皇を拉致させることだった。
417人間七七四年:2012/11/17(土) 18:47:24.49 ID:z1lZuZe2
朝廷方は信長の養子の件をまだ呑むとも呑まないとも言っていないのである。
(天皇を拉致させていいものか)
光秀は迷っている。
朝廷に攻めよって一挙に天皇を拉致し、軍隊を旋回して本能寺に向かわねばならないのである。
418人間七七四年:2012/11/17(土) 18:48:34.58 ID:z1lZuZe2
光秀が本能寺に着いたのは、まだ星の輝いている深夜4時だった。
信長はというと、起きたばかりの夜風の冷たい時刻である。
そういう時刻の顔を洗ってたときに、信長に弓矢が飛んできたことになっている。
419人間七七四年:2012/11/17(土) 18:49:49.47 ID:z1lZuZe2
信長は光秀が来るとわかってたと言っていい。
さらに言えば光秀が来る時刻に顔を洗っていたのである。
光秀が犯人と決定的な予想をさせるこの事態の中で、こんなバカな話があるか。
420人間七七四年:2012/11/17(土) 19:54:28.32 ID:TLPyekbA
信長「みっちゃん、ひどいよ・・・」辞世の句
421人間七七四年:2012/11/28(水) 18:03:34.34 ID:do6IHeVh
戦国時代ながらも、天皇は日本建国以来の国王で、明治から昭和初期まで神様より偉い存在であった。
室町幕府を滅ぼした信長が、朝廷と対峙して、いったんは安土に城を築き、その勢いで上方に拠点を置こうと思ったとき、自ら国王になろうとした。
422人間七七四年:2012/11/28(水) 18:04:31.29 ID:do6IHeVh
上方へは本願寺に出陣して決戦し、苦戦するのだが、この時は一段落がついていた。
――朝廷など無用の長物じゃ。
信長公記によると、安土城城内に皇居を創った、とある。
423人間七七四年:2012/11/28(水) 18:05:19.62 ID:do6IHeVh
安土時代になると、領内は信長好みの文化になり、それまでの中世の世から見れば偏屈であったが、そのうち時が経つと馴染んでいった。
安土城から見下ろした地に皇居がある。
これが信長の創る世である。
424人間七七四年:2012/11/28(水) 18:06:13.49 ID:do6IHeVh
――あってはいけないことだ!!
朝廷が思ったのは、天皇は日本の国王でしかも1500年続いた美しき流れなのである。
信長という、革命者がいるために、その美しき流れが途絶えようとしている。
425人間七七四年:2012/11/28(水) 18:06:47.97 ID:do6IHeVh
――信長を生かしてはいけない。
朝廷は伊賀の忍者の力を借りた。
本能寺に罠を張り巡らし、50人ほどの精鋭の忍者を呼んで、暗殺を考えた。
426人間七七四年:2012/11/28(水) 18:07:45.22 ID:do6IHeVh
伊賀は、信長に酷い目に遭わされた者達も多く、この連中に暗殺させよう、忍者は少人数で大騒ぎにはならない。
暗殺は伊賀の者達だけでやった。
そのことは、最初から光秀に汚名を着せるためであった。
427人間七七四年:2012/11/28(水) 18:08:34.06 ID:do6IHeVh
――信長は死んだ。
との噂は瞬く間に広がり、それならば今後悪しきさまが起きる、
人々は恐れた。
428人間七七四年:2012/12/01(土) 18:44:08.67 ID:m4J2ztLg
午前4時、光秀が到着すると、本能寺は燃えていた。
――いったい何事だ!!
陣中、いよいよ動揺した。
光秀は偵察のために馬を走らせて動きを観察し、ついで自分の諸陣の間を駆け抜けた。
429人間七七四年:2012/12/01(土) 18:45:02.57 ID:m4J2ztLg
この状況は、そのまま総指揮官の光秀の状況と言っていい。
やがて信長の死を聞かされる。
(困ったことになった)
信長が本能寺で死んだ以上、自分が疑われる。
430人間七七四年:2012/12/01(土) 18:45:59.30 ID:m4J2ztLg
やはり、光秀が信長殺しの犯人とは疑わしい。
(光秀は信長を殺してはおらぬ)
と、前回の書き込みから筆者は何となく感じていた。
この点、筆者は敏感な男であった。
この敏感さが、筆者の人間としての特徴であろう。
431人間七七四年:2012/12/01(土) 18:46:56.81 ID:m4J2ztLg
真犯人は家康だ!!
と、思い、この書き込みは筆者が思い切って単独での予想するかたちを取った。
普通、真犯人は秀吉説が多いのだが、しかしそれは、後にこの男が天下を獲ったことが最大の理由であろう。
432人間七七四年:2012/12/01(土) 18:49:03.42 ID:m4J2ztLg
歴史に詳しい男に信長殺しの真犯人を聞いたとき
「本当か!?」
と、胸中、驚く顔をした。
信じられぬ。
そのような説は、よほどの資料――たとえば坂本竜馬殺しが今井信郎のような――証言だけに信憑性がある
、と言った。
433人間七七四年:2012/12/01(土) 18:51:08.13 ID:m4J2ztLg
やがて家康は天下を獲る。
秀吉から天下を盗むと、大名をさしまねき、ほとんど段の下まで近づけ
「信長殺しの真犯人はわしである」
と平然と言った。
続いて、光秀に汚名を着せたことを話した。
434人間七七四年:2012/12/01(土) 18:54:12.46 ID:m4J2ztLg
暗殺の内容は、やはり伊賀の忍者であった。
列座の大名は驚く。
ひと間さがって彼らの家来にも言った。
「おめでとうございます」
と,言ったのは、黒田長政であった。
このようにもてなしをすることによって共犯に仕立て上げた、のであーる。
435人間七七四年:2012/12/09(日) 18:11:34.43 ID:CGMrEqcn
余談だが、服部半蔵は、家康の外交感覚の基調に、忍者のかたちで組み上げられていたが、伊賀出身の忍者ではなかった。
半蔵の父が広忠に仕えて、外交史上における政策的行動を取った。
436人間七七四年:2012/12/09(日) 18:12:11.00 ID:CGMrEqcn
さらに余談だが、広忠は家康の父である。
余談が続くが、半蔵の父は伊賀出身である。
437人間七七四年:2012/12/09(日) 18:12:49.67 ID:CGMrEqcn
半蔵は正式な忍者ではない。
それでもなお、気性が荒く、情け容赦ない性分を持っていた。
のちに、秀吉の戦いのときに、奇襲を仕掛けた池田恒おきの策略を瞬時に見抜き、返り討ちにした。
438人間七七四年:2012/12/09(日) 18:14:13.08 ID:CGMrEqcn
――信長暗殺は伊賀者に間違いなし
だとすれば、天下統一後、家康が黒幕でも不思議がなかった。
家康における信長の外交のか弱さをこれほど象徴させることはなかった。
439人間七七四年:2012/12/09(日) 18:15:21.51 ID:CGMrEqcn
信長という戦国の怪物の妄想は、さらに妄想させ
――機嫌を損なわせればどうなるかわかったものではない 
とまで家康は心配した。
妻築山、子信康、よりも国力の窮迫しているこんにち、信長の命令で殺さなければならなかった。
440人間七七四年:2012/12/22(土) 03:23:28.29 ID:njtPcjnt
まるで幼子が柱の木目に何らかの世界を見出だすかのように、筆者はこのスレを楽しんでいるのである。

以下、余談となるが…
筆者は加藤清正という戦国時代を体現するかのような荒々しさと同時に、その内面に硝子細工のような繊細さを孕んだ珍奇な男に一層の好感を覚えるのである。
441人間七七四年:2012/12/31(月) 21:28:38.75 ID:mguro1v6
司馬遼太郎風に会話するスレは、筆者が跡目を継いだ。
跡目を継いでから、たまに>>440snのような激励の言葉を貰うことがある。
この場を借りて感謝の念を伝えたい。
442人間七七四年:2012/12/31(月) 21:29:20.99 ID:mguro1v6
掲示板というのは、サクラでもしなければ、大抵は過疎化する。
たとえば、奇妙な会話が続いているのはサクラと思っていい。
道端で見知らぬ者に声をかけるのと同じで、そんなことはありようがない。
443人間七七四年:2012/12/31(月) 21:29:54.59 ID:mguro1v6
スレを伸ばすというのは、当然の公理で、過疎化事情も、それを見続けて、辛うじて身動きを察するのである。
前スレの主は荒らしに抗し、最後は無法地帯になった。
444人間七七四年:2012/12/31(月) 21:31:26.83 ID:mguro1v6
このスレの題目というのが、司馬遼太郎風に会話するのである。
が、筆者はブログにしてしまった。
ブログの場合、独り言のようになって、どうもまぎらわしい。
445人間七七四年:2012/12/31(月) 21:32:07.97 ID:mguro1v6
筆者は、司馬遼太郎という共通の友をもとめたが、前スレの民衆が引越したために、ブログあたりに取り次いで、待つという手法で根付かせた。
それがこのスレである。
446人間七七四年:2012/12/31(月) 21:32:48.83 ID:mguro1v6
筆者は、司馬遼太郎の文脈とされる文章を書くのが好きなのである。
このスレを一種の虚構と思っている者もいるらしいが、実は楽しくて仕方がない。
さらに言えば、前スレは、その伝承が触覚となって妄想が膨らんだ。
 要するに思った事を、司馬遼太郎の文脈で書き込み、気付けば戦国スレに土着した。
447人間七七四年:2012/12/31(月) 21:33:43.45 ID:mguro1v6
コンピューターに容量があるように、人間の脳にも容量があるらしい。
他の掲示板の書き込みによって、このスレもおろさかになっていた。
来年がある。
2013年にこのスレを根拠地として、歴史を再び語ろうと思う。
448人間七七四年:2012/12/31(月) 21:34:31.55 ID:mguro1v6
筆者にはおかしいほどの継続感覚があるらしい。
身を自由にし、やってみたいことに、没頭することが出来る。
かつて奔放と言われた筆者は、人生をより自由におもしろく生きているではないか。
449人間七七四年:2013/01/12(土) 18:12:20.14 ID:SNj7VKpX
正月は、日本人の中に、1年の良好を願う日であった。
正月という、このめでたい日は、去年がどうかはべつにしろ、日本歴史の長い伝統のなかで生きてきた。
「酒」というのが、筆者の遺伝体質を興奮させた。
450人間七七四年:2013/01/12(土) 18:13:10.48 ID:SNj7VKpX
去年に、極端に夢中になったのが「司馬遼太郎風に会話するスレ」の跡目であり、その点から言うと、歴史の「もし」を感じずにはいられない。
スレの挫折は荒らしによって、先代達は断念したが、筆者の能力伝説によって受け継がれた。
451人間七七四年:2013/01/12(土) 18:13:55.36 ID:SNj7VKpX
荒らしはこのスレを否定し、否定されることによって由緒正しき流れは壊され、住民達は引っ越して行った。
スレ不在が数年続き、筆者が跡目を継ぐことになる。
452人間七七四年:2013/01/12(土) 18:14:39.69 ID:SNj7VKpX
筆者は正月の挨拶をしたあと、ひとまず「本能寺の変の真犯人」を置いて、別の話を語った。
別の話について「宮本武蔵を語らなければならぬ」と、筆者は言った。
筆者には、永く同じ話をするのをめんどくさがるところがある。
453人間七七四年:2013/01/12(土) 18:15:21.68 ID:SNj7VKpX
すぐさま武蔵の真正に結びつけるほど単純ではないが、すくなくとも何も言わないより、余暇をみつけて語る状態を筆者は好んでいる。
454人間七七四年:2013/01/12(土) 18:16:15.11 ID:SNj7VKpX
(宮本武蔵はさほどの男ではないのか?)
と、筆者は武蔵にそんな気持ちがあり、ともかくも、この男は、実は三流相手ばかりしているのをみて、歴史に残るほどの男ではない
と、思ったりもした。
455人間七七四年:2013/01/12(土) 18:17:18.21 ID:SNj7VKpX
やはり武蔵が、常軌を逸した環境から這い上がってきたという生立ちを考えねば理解出来ないであろう。
しかし、筆者は武蔵の潜在的な才能にやきもきしている。
今、武蔵の話をしなければ、あと、いつ、この男の話をするかわからない。
456人間七七四年:2013/01/12(土) 18:18:05.09 ID:SNj7VKpX
――武蔵の生立ちは、手がつけられないほどの暴れん坊だった。
筆者は言った。
剣豪になるにはいい師匠を見つけなければならない。
その修行のために、師匠に頭を下げ、教えを乞い、様々な葛藤を乗り越えなければならない、筆者は言った。
457人間七七四年:2013/01/19(土) 18:21:34.34 ID:SEJU4OlT
もっとも武蔵からすれば、キチガイのオヤジを持った。
「日下無双兵法術者」と、父無二斉は景気のいいことを言い、将軍義昭から栄誉号を頂いたと自称した。
武蔵にすればともかく無二斉が嫌いであった。
458人間七七四年:2013/01/19(土) 18:22:14.59 ID:SEJU4OlT
無二斉は「日下無双兵法術者」の称をふれまわった。
そのわりに誰にも相手にされず、山深い宮本村でくすぶって、幼い武蔵と親子喧嘩をしていたのはどういうことであろう。
ひょっとすると日下なんたらは、思いつきの法螺かもしれない。
459人間七七四年:2013/01/26(土) 19:52:07.04 ID:RGS5UKof
――吉岡の次男、清十郎は存在しなかった。
という聞き捨てならぬ情報が筆者の耳に入ったのは、司馬遼太郎の「真説宮本武蔵」を読んだときだった。
武蔵は自身の自伝で、清十郎を額に一撃で倒したと記している。
460人間七七四年:2013/01/26(土) 19:52:49.65 ID:RGS5UKof
武蔵が嘘をついたとは言わないが、武蔵以外の「武蔵伝」では清十郎の「せ」の字も書いてなかったらしい。
これはどういうことか。
また、一乗寺の決戦も「武蔵伝」にはなかった。
461人間七七四年:2013/01/26(土) 19:54:03.87 ID:RGS5UKof
と、前置きをし、筆者は、武蔵が自伝した五輪の書の矛盾を語り始めた。
こういう話をすれば、武蔵ファンには立つ瀬がないであろう。
武蔵ファンにすれば、吉川英二の言っている事はすべて正しいのである。
462人間七七四年:2013/01/26(土) 19:55:17.82 ID:RGS5UKof
武蔵は大嘘つき、常に話を膨張して、細川忠利をあきれさせている。
兵法には形式があった。
戦は元来、形式に則ってするべきである。
武蔵は、軍の中でひとりで突走り、ついに敵将の首を獲った。
兵法にはないことらしい。
463人間七七四年:2013/01/26(土) 19:57:12.43 ID:RGS5UKof
と、すれば、五輪書の吉岡一門の一件が、武蔵伝になかったということは、嘘ではあるまいか。
それゆえに武蔵は大法螺吹きではないか。
五輪の書は、あれはあくまで武蔵本人が書いたものである。
464人間七七四年:2013/01/26(土) 19:57:57.86 ID:RGS5UKof
武蔵は、北は津軽、南は薩摩と旅をし、様々な剣豪と戦ったとされている。
(本当か)
筆者はむろん誰もが確かめようがないが、戦った相手のほとんどは三流、いわば雑魚である。
465人間七七四年:2013/01/26(土) 19:58:55.63 ID:RGS5UKof
――武蔵はなぜ柳生宗矩と戦わなかったのか。
奇遇と言っていい。
何でも
「戦う機会がなかったから」
と、五輪書には書かれている。
466人間七七四年:2013/02/09(土) 19:01:31.70 ID:i/2ug+7i
現在の「武蔵像」は吉川英二によるものである。
吉川英二は、最後のあとがきで「新しい武蔵」と書いた。
筆者は読み終わったとき、唖然とした。
世間からすれば、現在の武蔵像こそが真の武蔵と思っているらしいが、そうではなかった。
467人間七七四年:2013/02/09(土) 19:02:48.11 ID:i/2ug+7i
意外と知られてないことがある。
武蔵の幼馴染の又八とお通は実在した者ではなく、架空の者だ。
あとがきに書いていた。
が、他の小説やドラマにはよく出てくる。
それほど定着したキャラで、世に浸透してしまっている。
468人間七七四年:2013/02/09(土) 19:03:35.35 ID:i/2ug+7i
そういう沢庵和尚は実在した人物であった。
しかし、武蔵と沢庵和尚の歴史的接点はなく、もしこのふたりが出会っていればどうであったであろう。
沢庵和尚が、偉大な和尚であることには違いない。
469人間七七四年:2013/02/09(土) 19:04:20.34 ID:i/2ug+7i
――武蔵はさほどの剣豪ではなかった。
という声は、渡辺幸庵の口からも出ている。
なぜなら、幸庵は武蔵と会ったことがあるらしい。
「歴史のもし」が許されるなら、沢庵和尚も同じ事を言うのではなかろうか。
470人間七七四年:2013/02/09(土) 19:05:10.95 ID:i/2ug+7i
ドラマや小説では、伊織のことをそう呼ばない。
「城太郎」とよんでいることが多い。
城太郎は実在した人物ではない。
武蔵を尊敬しているため、一緒に旅をしていたことになっている。
471人間七七四年:2013/02/09(土) 19:06:13.60 ID:i/2ug+7i
伊織は――名などどうでもよいが――実在した人物である。
武蔵の兄の子だった。
「お前は学問の道に行け」
と、武蔵は感情をこめて言った。
戦国時代中期なら武芸を教え、戦に出している。
この時代、武芸は手品のようになっていた。
472人間七七四年:2013/02/12(火) 20:58:58.88 ID:A/jjUGgs
馬を代えながら三日三晩走るのである
こうした者を人間とは呼ばない。人間以上かそれ以下である

みたいな文章をどっかで読んだと思うがどこか分からん
お前ら探してきて
473人間七七四年:2013/02/13(水) 10:19:47.93 ID:b+SHx4Zd
山田智彦の『蒙古襲来』で昔読んだと思う。
たしか3日じゃなくて7日だった。
474人間七七四年:2013/02/15(金) 18:30:34.62 ID:hug9ImHu
――戦国の世は終わった。
剣術は手品、無用の長物になったため、伊織には学問をススメ、その道での出世を願った。
武蔵も出世欲はあった。
たけぞうと言われてた頃、「百万石の主になってやる」と叫んでいるのを村の人々が聞いている。
475人間七七四年:2013/02/15(金) 18:31:32.12 ID:hug9ImHu
戦国の世とは、手柄をたてて出世するものであり、剣術の強さは人生の成功をあらわす。
なるほど、今で言うと東大出というところであろう。
「東大を出てからが、人生のスタートじゃないのか?」
筆者は京大出の親戚に言ったことがある。
476人間七七四年:2013/02/15(金) 18:32:20.77 ID:hug9ImHu
剣術の強さが、武蔵にとって、手でも唇でも触れられぬ最高峰の資格だったと思われる。
しかし、仕官する者は困ったような表情をして
「奥判を見せてください」
と言ったことは、武蔵が現実を軽くみていたのがわかる。
477人間七七四年:2013/02/15(金) 18:32:53.28 ID:hug9ImHu
奥判とは、戦の手柄の証明書である。
戦国時代ではそう使われていた。
江戸時代に入ると、証明文書として使われていた。
478人間七七四年:2013/02/15(金) 18:33:25.19 ID:hug9ImHu
武蔵は出世を夢見ていた。
が、佐々木小次郎との戦いが終わった頃には燃え尽きていた。
やがて永い年月が経つと、武蔵の威光はそこにはない。
60戦無敗の剣豪の印象とは、まったくべつの男になっていた。
479人間七七四年:2013/02/15(金) 18:34:24.37 ID:hug9ImHu
「誰か相手になってくれ」
と、武蔵は言い、適当な者が出てくると
「もっと強い男を出してくれ」
と頼んだ。
細川藩屈指の男がつけられた。
武蔵は木刀を置いて座り込む。
ときに、相手は武蔵に向かって行こうとするが、向かってはならぬ気配があった。
480人間七七四年:2013/02/15(金) 18:35:12.22 ID:hug9ImHu
相手は降参した。
もっとも高い評価の頂に武蔵はいて、長き年月を経てもその威光は、衰えるどころか変わってなかったという。
それにしても、武蔵の座り込みは凄いと言うほかない。
ああいう行動は、修羅場を乗り越えた男が出来ることで、シキタリや伝統に拘る剣豪にはないものだった。
481人間七七四年:2013/02/15(金) 18:35:50.75 ID:hug9ImHu
これもあまり知られていないことだが、武蔵の遺体には鎧がつけられていたという。
剣術というのは、この時代もっとも出世するものだった。
剣術で手柄をたてて、地頭、さらには国人、地侍、農民どもが下から上に這い上がれれたのは戦国時代だけである。
482人間七七四年:2013/02/15(金) 21:06:21.02 ID:bgdHfQCn
出発に先立って、彼は内臓を破裂させないように腹に木綿を巻き、カラコルムからカスピ海まで、
記録によれば僅か十日で到着している。中近東の山野を疾駆し全行程一万二千キロ、
ほとんど地球の半周にも及ぶ距離である。しかし、これを特異記録とするわけにはゆかない。
中世の蒙古民族にあっては、一昼夜の騎走千キロ以上というのは、普通であったからだ。
この場合、内臓をまもるために、茶だけをのんで食事はとらない。しかもそれを十昼夜つづける。
これを他民族の常識では、人と呼ばない。人以上か、人以下である

これだな。最後の括り方が司馬らしい
卓越した知識がありながらそれが文章の為に活きている
483人間七七四年:2013/03/02(土) 18:43:59.88 ID:DBVIvfzU
武蔵は剣術を磨き、力を蓄えて、出世を夢見た。
剣客と戦い、自分より強い男を捜す、というぐあいであったが、浪人止まりである。
しかし、吉岡一門、佐々木小次郎との戦いもあって、英雄となった。
484人間七七四年:2013/03/02(土) 18:52:23.22 ID:DBVIvfzU
もともと百万石の主という原意で、武蔵は剣術をやっていた。
「鎧をつけて葬ってくれ」
などと言って遺言した。
武将が鎧をつけるように、死ぬ時くらい武将になりたかったのかもしれない。
485人間七七四年:2013/03/02(土) 19:00:30.34 ID:DBVIvfzU
少し筆を休めたい。
筆者は歴史を書き続けているが、司馬遼太郎好きもあって、ときに莫大な文章を貼り付けてしまう。
カタギの者などその神経は想像もできない。
486人間七七四年:2013/03/02(土) 19:10:08.55 ID:DBVIvfzU
「司馬遼太郎をどれくらい読んでるの?」
と、筆者の友人は聞いてきた。
「今年になって1ヶ月に3冊読んでいるな」
筆者がそのことを平然というと
「1ヶ月に3冊!?凄えな!!」
と、ノーベル賞でも獲ったように驚いた。
487人間七七四年:2013/03/02(土) 19:13:15.76 ID:DBVIvfzU
「司馬遼太郎の本はP350〜P420くらいだろ?月に3冊って言ったら10日に1冊だから、1日P35〜P42くらいだろ?」
というと、友人はそれでも尊敬のまなざしで
「それでも凄い。俺なんか滅多に本なんか読まないからな。年に1冊も読むかどうか」
と、友人は胸を張って言った。
488人間七七四年:2013/03/02(土) 19:15:43.68 ID:DBVIvfzU
司馬遼太郎の本は文章量が多い。
今では、それが心地いい。
と、筆者は言うのである。
「いくら読んでも終わりが見えないし、終わっても代わりがある。当分退屈しねえな」
筆者は古本屋に行くと、司馬遼太郎の本が並んでいて、いい本を探す。
489人間七七四年:2013/03/02(土) 19:22:08.14 ID:DBVIvfzU
この前、「司馬遼太郎が考えていたこと2巻」が50円で売っていた。
筆者はそれをひどく喜んだ。
しかも綺麗だ。筆者は活き活きしている。
道端を歩いていると、警察に痴漢犯と勘違いされた男が・・・・。
490人間七七四年:2013/03/02(土) 19:44:49.04 ID:DBVIvfzU
その前は、「箱根の坂」「翔ぶが如く」が1冊100円で売っていた。
文庫古本は1冊300円〜350円で売っているから、3冊半で通常の1冊にしかならず、筆者は上機嫌である。
491人間七七四年:2013/03/02(土) 21:00:37.81 ID:DBVIvfzU
筆者の部屋には、未読の司馬遼太郎の本が積まれているから、踊り出すのは言うまでもない。
筆者はそのために、独りで興奮するのだが、それを聞いてる者達はうっとおしくて仕方がないらしい。
492人間七七四年:2013/03/02(土) 21:03:29.67 ID:DBVIvfzU
筆者は正直者である。
司馬遼太郎の小説が好きであること。
それでブログを書いていること。
生活がひとつになっている。
ともすれば体の芯から快感に酔いしれ、高笑いをしたくなる。
それを懸命に堪えている。
493人間七七四年:2013/03/16(土) 18:34:41.63 ID:pFHpV+v8
筆者は、「翔ぶが如く」「箱根の坂」「司馬遼太郎が考えていたこと2巻」を同時進行している。
読書好きであった。司馬遼太郎の本を次々と読破し、勢力圏をのばして図書館に行く始末である。
494人間七七四年:2013/03/16(土) 18:35:33.23 ID:pFHpV+v8
その中で「司馬遼太郎が考えていたこと2巻」を触れたい(まだ読んでいる最中ではあるが)。
筆者は歴史を読みたくて司馬さんの本を買い、50円で売っていた「司馬遼太郎が考えていたこと2巻」を買った。
495人間七七四年:2013/03/16(土) 18:36:18.00 ID:pFHpV+v8
読んでみたところ、司馬さんの日記みたいで、おもしろくなく、いったん買った本を返すわけにはいかなかった。
筆者は失望し、読みたくなかったが、一応読むことにした。
496人間七七四年:2013/03/16(土) 18:38:36.75 ID:pFHpV+v8
腹の中が煮えくり返るような思いをしたが、読んでみると
(もうP200になったのか)
と、筆者は驚いた。
繰り返すが、司馬遼太郎が考えていたこと2巻は、日記のようなものである。
497人間七七四年:2013/03/16(土) 18:39:31.36 ID:pFHpV+v8
「少しだけ読もうと思ったら、癖になっちまったぜ」
筆者がおもしろくないと思いながら読んで、のちにおもしろいと思った例はすくない。
外出用の「箱根の坂」を放っぽらかして、司馬遼太郎が考えていたこと2巻を読んでいる。
498人間七七四年:2013/03/16(土) 18:40:25.69 ID:pFHpV+v8
司馬さんは司馬遷に憧れて、司馬遼太郎、と、ペンネームを付けた。
いや、そう聞いた。
司馬さんは当選されないと思って小説を書いた。
ところが、急遽ペンネームが必要となって、適当に付けた名前が
「司馬遼太郎」である。
499人間七七四年:2013/03/16(土) 18:41:06.49 ID:pFHpV+v8
すでに、ペンネームを付けた以上、変えるわけにはいかなかった。
このことが小説家司馬遼太郎の誕生である。
司馬さんはもっと地味なペンネームを好んだが、「司馬遼太郎」というペンネームがそれを奪った。
500人間七七四年:2013/03/16(土) 18:41:43.91 ID:pFHpV+v8
余談ではあるが、これで500になる。
501人間七七四年:2013/04/13(土) 18:24:41.46 ID:NDo5N0Tf
筆者は家から1kmほど離れている古本屋に行く。
司馬遼太郎の古本を上目で見ても、いつも同じ本が並んでいる。
それだけのものしか売っていない。
502人間七七四年:2013/04/13(土) 18:25:25.65 ID:NDo5N0Tf
しかし、時々あっという本があったりするのだ。
古本の棚には希望がある。
その希望が、いたずらに足を向かせる。
それとも、他に理由があるのか。
それはわからない。
503人間七七四年:2013/04/13(土) 18:26:05.54 ID:NDo5N0Tf
今日も何も無かった。
そのあと、筆者は古本屋を退出し、家に戻った。
(この前は「空海の風景」があったのに・・。)
と、思ったのは理屈ではない。
いい本のありがたさは、恋人にも相当する。
504人間七七四年:2013/04/13(土) 18:26:58.23 ID:NDo5N0Tf
空海の風景は幸いだった。
何も無いと思って、ただ足を向けたということで、そのような偶然があったりする。
筆者は、理屈なしに馳走することが偶然を呼び込んでいる、と思っている。
505人間七七四年:2013/04/13(土) 18:27:52.23 ID:NDo5N0Tf
この頃の筆者には、若年ふと見せた新品思考はない。
古本、しかし図書館の本では嫌だという表情をし、さらには、せっかく出会ったのだから、自分のモノにしたいという美意識を持っている。
506人間七七四年:2013/04/13(土) 18:28:42.23 ID:NDo5N0Tf
(司馬さんの本だけ読んでいていいのか)
と、多少の疑問を残していたが、概して司馬遼太郎の文章が好きなのであろう。
507人間七七四年:2013/04/13(土) 18:29:54.79 ID:NDo5N0Tf
(司馬さんの本だけ読んでいていいのか)
と、多少の疑問を残していたが、概して司馬遼太郎の文章が好きなのであろう。
508人間七七四年:2013/04/13(土) 18:30:48.22 ID:NDo5N0Tf
ただ、最近は図書館によく行っている。
芸能人のエッセーが多い。とびきり有能な人達で、この人達がいなければ世の中が回っていかないような人達の本を読んだりしている。
冷静な人達である。一筋縄にも二筋縄にも掴みにくい。
509人間七七四年:2013/04/13(土) 21:18:36.25 ID:IW+PIrB6
司馬さんの本は、文章量もページ数も飛び離れているので、他の人の本は読みやすい。
と、筆者は思っていたが、しかし司馬さんの本に馴れていると、他の本はあっという間である。
まるで、速読法でも身に付けたようだった。
510人間七七四年:2013/04/25(木) 20:12:02.64 ID:U/4Lbol2
筆者が図書館で司馬さんの「宮本武蔵」を借りようとすると、まるで誰かが邪魔をするように借りていた。
(借りようと思っていたのに。いったい誰が!?)
筆者に衝撃をあたえた。
511人間七七四年:2013/04/25(木) 20:12:33.86 ID:U/4Lbol2
先に借りた男(女かもしれないが)は、筆者が読んでたのに影響を受けて借りたのだ。
先に借りた者は、無類の食わせ物みたいだが、同じ作家を愛した男であるから、筆者は評価した。
512人間七七四年:2013/04/25(木) 20:13:13.44 ID:U/4Lbol2
「俺より先に借りただけだ。それだけのことだ」
と、筆者は思い直した。
何なら、また来ればよい、と、違う本を借りた。
ただし、家から図書館まで遠いから、堪り兼ねて引き上げた。
513人間七七四年:2013/04/25(木) 20:13:43.01 ID:U/4Lbol2
次に図書館に行くと、「宮本武蔵」はあった。
吉川英二しか知らない筆者にとって、司馬さんがどう描いているか興味がある。
すくなくとも、司馬さんは資料をよく読んで書いている。
514人間七七四年:2013/04/25(木) 20:14:26.87 ID:U/4Lbol2
たとえば、無名の者さえ、見てきたように経歴を書き、逸話を書き、登場人物とたがいに談笑する場面が無数に出てくるのである。
そういう話が入りまじっていれば、本も開きたくもなるであろう。
515人間七七四年:2013/04/25(木) 20:15:20.58 ID:U/4Lbol2
いざ本を開いてみると、吉川英二と違う事実が書かれていた。
現代の武蔵にとって、あまり聞かないことだけに、本当かどうかを考えた。
筆者は、武蔵を知っている者達にできるだけ情報を集め、整理し、それをもとに考えた。
516人間七七四年:2013/04/25(木) 20:16:23.15 ID:U/4Lbol2
たとえば、武蔵は晩年、石高を断っている。
司馬さんの話によると、57になった武蔵は、熊本藩藩主という権威のある職にいた細川忠利に、めずらしい職を付けられている。
三千石を望んだ武蔵だが、仕方なくこれを承諾した。
517人間七七四年:2013/04/25(木) 20:17:24.61 ID:U/4Lbol2
めずらしい職というのは
「家老としては認められないが、これくらいで勘弁してくれ」+「寄付」
によるものだった。
忠利は武蔵を気に入ってたため、彼を無視できなかった。
(職の名前は、図書館に本を返したため、忘れてしまった)
518人間七七四年:2013/04/26(金) 07:09:52.13 ID:5VKItICy
余談だが、この細川忠利の息子は、細川光尚である。
細川光尚といえば藩政改革を積極的に行った江戸期の名君としても知られている。
519人間七七四年:2013/04/27(土) 17:49:43.41 ID:bcDYMj1g
脇道のようだが、>>292-307の続きを書きたい。
30の担任の女教師が、一方的に女贔屓をしたときほど、教師にがっかりさせられたことはなかった。
当時、純粋であった。
教師とはなんでも正しいことを教える人のこと、と、思っていた。
520人間七七四年:2013/04/27(土) 17:51:37.63 ID:bcDYMj1g
「相手は女。あなた達は男」
という古い体質が、その頃の教師にはあった。
男と男が喧嘩をすると喧嘩両成敗。
ところが、男と女が喧嘩をすると、決まって男が悪くなるのである。
521人間七七四年:2013/04/27(土) 17:52:31.17 ID:bcDYMj1g
筆者がもうすこし要領のいい人間なら
「女が悪い」空気を作っていたであろう。
しかし、小学生だった筆者には
「女なんて相手にしない」
という、今思えば、ホレボレするような信念があった。
522人間七七四年:2013/04/27(土) 17:53:16.05 ID:bcDYMj1g
しかし女という生き物は、そういう男の信念を足場にして、手を下してくる。
「女は陰湿」というのが、男子の間では常識であった。
やむなく、女子達は次の企てを練って、チクリ戦法に出て来た。
523人間七七四年:2013/04/27(土) 17:54:19.44 ID:bcDYMj1g
「知らねえぞ。そんなこと」
と、思うほどの身に覚えのないチクリであった。
当時すでに、30になる女の担任は、女子のいうことはすべて正しく、筆者達のいうことはすべて悪としていた。
524人間七七四年:2013/04/27(土) 17:55:22.22 ID:bcDYMj1g
これに憤慨したのが悪友の結城(仮名)で、今度はこちら側からチクってやろう、ということになった。
しかしそれも虚しく
「そんなはずはありません」
と、30になる女の担任はこれといった調査もせず、何の効力もなかった。
525人間七七四年:2013/04/27(土) 17:56:16.14 ID:bcDYMj1g
万策が尽きて、その日の帰り、筆者達は先生を無視しよう
ということになった。
女贔屓の先生のおかげで、筆者達は1日中イライラしていなくてはならないのである。
女贔屓もここまでくれば、滑稽である。
526人間七七四年:2013/04/27(土) 17:57:07.83 ID:bcDYMj1g
その翌日、さっそく進展があって、結城が怒られた。
ふざけているのではない。
30になる女の担任が、わかろうがわかるまいが、筆者達が蔑ろにした事実は変わらないのである。
527人間七七四年:2013/04/27(土) 19:23:50.42 ID:bcDYMj1g
結城だけが怒られた。
筆者達は呆然とした。
まるでこの行為は結城だけが悪いようであった。
もっとも、こういう悪知恵が働くのは、結城だけである。
528人間七七四年:2013/04/27(土) 19:26:12.56 ID:bcDYMj1g
やがて、30になる女の担任の叱責が終わると、筆者は結城の肩をポンポンと叩いた。
筆者と結城は戦友であり
「俺がお前を守る。お前が俺を守る。死ぬ時は同じだ」
そんな決意があった。
529人間七七四年:2013/04/27(土) 20:07:15.69 ID:bcDYMj1g
さらに事件が起きた。
「これはひどい」と、筆者は笑った。
女子達はご親切にも、30になる女の担任の教科書を、筆者の机の中に入れたのである。
530人間七七四年:2013/04/27(土) 20:10:42.62 ID:bcDYMj1g
女子のひとりが、筆者の机の中に「同じ教科書が二冊ある」と、いうのである。
やがて、30になる女の担任がこちらに来る。
「知りませんよ」
筆者は平然と言った。
先生は何も言わず教壇に戻って行った。
531人間七七四年:2013/04/27(土) 20:13:04.02 ID:bcDYMj1g
女子達は、筆者を泥棒にさせるつもりだったが、今年30になる女の担任は何も言わなかった。
毎日、骨肉の争いをしては、女贔屓をする先生だったが、純粋無垢な筆者がそんなことをするはずがないと思っていたのであろうか。
532人間七七四年:2013/04/27(土) 20:15:58.33 ID:bcDYMj1g
30になる女の担任は女贔屓をし、それらの行為に引くに引けなくなって、やがて筆者や結城達に反感を喰らった。
今思い出してもけったくそ悪い出来事である。
しかし、筆者は女贔屓をしたから怒ったのではない。
533人間七七四年:2013/04/27(土) 20:18:11.21 ID:bcDYMj1g
女優先に社会が出来ているからそれでいい。
女贔屓もそうだが、30になる女の担任は、それで筆者達に懲罰をあたえ、今なら虐待にあたる。
女子達が騒ぐたびに、廊下に立たされたり、百字をさせられたり、草むしりをさせた。
534人間七七四年:2013/04/27(土) 20:22:46.70 ID:bcDYMj1g
筆者が育ったところはド田舎だっため、このような理不尽な虐待が平然と通った。
街中に引っ越すと、そんなことはなかった。
今やると訴訟モノだが、結城は俄かに授業をボイコットしよう、と、言い出して、筆者と無断下校したこともある。
535人間七七四年:2013/04/27(土) 20:45:29.43 ID:bcDYMj1g
当初、女子達の標的は、筆者だけである。
>>292-307の頃は、筆者だけが怒られているだけで、結城達は横で立っているだけだった。
男子連中も、痴話喧嘩なのか、と見渡すだけである。
536人間七七四年:2013/04/27(土) 21:10:32.12 ID:bcDYMj1g
結城に言わせると、最初の頃は「放っておけ」と、言うだけだった。
しかし、一緒にいると、あの女達だけは許せねえ、と、なったのである。
やがて、筆者達に男子が集まって来て団結決し、30になる女の担任と対峙する時代に入った。
537人間七七四年:2013/05/22(水) 20:38:28.30 ID:7OJQ15ch
話を武蔵に戻す。佐々木小次郎は謎多き人物である。
小次郎は鐘捲自斎の弟子で、その後、放浪し、吉岡一門に身を寄せたりした。
武蔵が活躍すると、小次郎は嫉妬し、悪口を流布した。
538人間七七四年:2013/05/22(水) 20:39:46.15 ID:7OJQ15ch
小次郎は美少年であったのか、これは吉川英二の作った風貌である。
が、現代の武蔵、小次郎の風貌は、吉川英二の「宮本武蔵」がヒットして、それがモトになっている。
539人間七七四年:2013/05/22(水) 20:42:06.93 ID:7OJQ15ch
司馬遼太郎によると、小次郎の師匠は富田勢源となっている。
小次郎は、決闘に勝つには、長太刀がいいと思い、中条流の短太刀をバカにした。
小次郎は兄弟子を叩きのめし、ついには、師匠の弟をも叩きのめして破門になった
と、司馬さんは言っている。
540人間七七四年:2013/05/22(水) 20:52:44.71 ID:7OJQ15ch
ここに疑問がある。富田勢源が活躍した時期は、信長が今川義元を打つ破った時期である。
富田勢源は、斉藤義竜に頼まれ、試合をした。
富田勢源は殺生が嫌いな男で、血の気の多い試合相手が何度起き上がっても殺さなかった。
541人間七七四年:2013/05/22(水) 20:53:58.75 ID:7OJQ15ch
当時、朝倉家に身を寄せていた。
試合を望まなかったが、同盟国の斉藤義竜の頼みを断れなかった。
542人間七七四年:2013/05/22(水) 20:55:09.72 ID:7OJQ15ch
その富田勢源が小次郎の師匠なら、時代が違いすぎる。
司馬さんは資料をよく見て小説を書く男であったが、時々間違ったことを書き、司馬さんも後で気が付いているのではあるまいか。
543人間七七四年:2013/05/22(水) 20:56:27.55 ID:7OJQ15ch
鐘捲自斎については、ほとんど書かれていなかった。
まちまちで、佐々木小次郎、伊東一刀斎の名有る弟子を輩出しているが、鐘捲自斎の腕は大したことはなかったらしい。
司馬さんは、伊東一刀斎のこともほとんど書いてなかった。
あまり興味がなかったのであろう。
544人間七七四年:2013/11/05(火) 20:05:15.66 ID:Tmyb0pVC
宮本武蔵の話が途絶えてしばらく経っている。
この話はまたにしようと思う。
545人間七七四年:2013/11/05(火) 20:06:22.01 ID:Tmyb0pVC
ふりかえってみれば、司馬遼太郎を知ったのは中学2年の頃であった。
筆者に印象には、NHKのつまらない番組にしか映らなかった。
その頃に興味があったのは、推理小説という、江戸川乱歩であった。
つまらないと判断した司馬遼太郎を愛読しているのは、おかしいというほかない。
546人間七七四年:2013/11/05(火) 20:07:32.80 ID:Tmyb0pVC
司馬さんは新聞記者だった。
むしろ、小説家になったことに驚いている
と語っている。
むしろ、小説は趣味であったために、ある種の精神にとって、かえって魅力であったにちがいない。
547人間七七四年:2013/11/05(火) 20:08:24.18 ID:Tmyb0pVC
本名、福田定一。
小学生時代、司馬さんは悪童だった
と、ウキペリアに書いてあった。
548人間七七四年:2013/11/05(火) 20:09:19.90 ID:Tmyb0pVC
が、司馬さんの話によると、地味で、これといったモノに興味がなく、趣味といえば家でゴロゴロすることだと言っている。
これを想像したら、脳裏には悪童とは映らないであろう。
549人間七七四年:2013/11/05(火) 20:11:07.53 ID:Tmyb0pVC
ときが過ぎ、自分が大阪の田舎者とわかったときは、19であった。
司馬さんは、小学生の頃に、初めて海を見た。
田舎者としては海を見ることはできない。
今は交通便がいいが、大昔には、人は一生海を見ることが出来なかったのではないか。
と、司馬さんは言っている。
550人間七七四年:2013/11/05(火) 20:12:10.99 ID:Tmyb0pVC
司馬さんは、大学の第一志望に落ちた。
(俺の一生はここで終わるのか)
という絶望が頭に駆け巡った。
しかも、大阪外国語大学というのは、今でこそそれらしい名前だが、当時はそのような名称ではなかった
551人間七七四年:2013/11/05(火) 20:13:11.44 ID:Tmyb0pVC
司馬さんは大学在学中、徴兵されており、そこで人生は終わったという意識があった。
というのは、その当時、戦場で死ぬことを教育されていたからである。
552人間七七四年:2013/11/05(火) 22:11:17.87 ID:Tmyb0pVC
しかし、司馬さんには未練があった。
片思いの女である。
片思いと言っても、話すらしたことがない。
徴兵されたとき、カミカゼの精神をもって、思いを告げることを決意した。
553人間七七四年:2013/11/05(火) 22:12:15.19 ID:Tmyb0pVC
思いを告げ、必ず女から黒髪を貰う。
黒髪を貰えば、必ず生きて帰る。
というふうに考えた。
554人間七七四年:2013/11/05(火) 22:13:19.33 ID:Tmyb0pVC
司馬さんは、電車で降りたところで、女に声をかけた。
頭で何度もイメージしていたが、しかし、いざ目の前になると、声が出なく、背を後ろに向けて走ってしまった。
555人間七七四年:2013/11/05(火) 22:14:42.33 ID:Tmyb0pVC
ふと、後ろを向くと、彼女は逆の方向を向いて歩いていた。
生まれて20年以上、女はいなく、思いを告げようとしたのも初めてであり、声をかけたに過ぎず、これが青春の終わりだということを、司馬さんは知っていた。
556人間七七四年:2013/11/05(火) 22:16:15.05 ID:Tmyb0pVC
司馬さんは、軍隊に入った。
こういう現実は、軍隊に入らないとわからない。
夜になると、先輩から酒を勧められた。
557人間七七四年:2013/11/05(火) 22:17:16.97 ID:Tmyb0pVC
司馬さんは下戸である。
が、挑発され、馬鹿にされたくなく呑んだ。
酒の場というのは、一部の上戸が基準になっている。
それがすべてで、ほとんどの者は苦しみながら呑んでいる。
と、司馬さんは言っている。
558人間七七四年:2013/11/05(火) 22:18:39.75 ID:Tmyb0pVC
余談だが、筆者は上戸で、日本酒を水のごとく呑む。
筆者はいつも楽しい酒しか呑んだことがなかった。
というより、天性、そういう上戸しか、筆者のようになれないのかもしれない。
もっとも、バイクで瀕死の重傷に遭うまでの話だが。
559人間七七四年:2013/11/07(木) 19:46:45.71 ID:rHPgh8ja
古兵殿と毎晩酒を酌み交わす新兵というものも珍しい。
560人間七七四年:2013/11/08(金) 20:37:39.51 ID:rL9RUTeu
戦争が終わってから、その培った技術でメシを喰おう、
と、仲間から誘われた。
司馬さんは断った。
もし、断らなければ、まったくちがう人生を送っていた。
と、司馬さんは言っている。
561人間七七四年:2013/11/08(金) 20:38:28.60 ID:rL9RUTeu
電信柱に、記者の求人があった。
このとき、同じように求人を見た者がいて、
「俺について来い」
と言われて、一緒に面接に行く。
562人間七七四年:2013/11/08(金) 20:39:19.76 ID:rL9RUTeu
面接では、経験不問と言ってる。
文字さえ書ければ、というのみで、よほど人手不足だったと思われる。
司馬さんは新聞記者となった。
563人間七七四年:2013/11/08(金) 20:40:03.91 ID:rL9RUTeu
司馬さんを誘った者は曲者だった。
現場に行って、名産物を安く買い、他の場所で高く売った。
上司に注意されたが、時間外だ、と言い、それでもなお商売を繰り返した。
564人間七七四年:2013/11/08(金) 20:41:14.61 ID:rL9RUTeu
司馬さんを新聞記者に誘った者の名は大竹照彦という。
565人間七七四年:2013/11/08(金) 20:42:09.34 ID:rL9RUTeu
才能と言えばそうで、こういう抜け駆けは、持って生まれたものである。
上司は抜け駆けで商売をしていたことを知り、
「そんなことを続ければ首だ」
といった。
566人間七七四年:2013/11/08(金) 20:43:12.02 ID:rL9RUTeu
大竹は悪いこととは思ってないらしく、上司と口論をした。
これが理由で、仲間を連れて会社を辞めた。
やがて、司馬さんも誘われ、大竹には義理があったらしく、同じように辞めた。
567人間七七四年:2013/11/08(金) 20:44:08.92 ID:rL9RUTeu
それから、大竹らと会社を建ち上げたらしい。
これ以降のことは書いてなく、あるいは、他の場所で書いているのかもしれない。
ウキペリアによると、その後、新日本新聞に入社したと書いてある。
会社建ち上げはうまくいかなかったのであろうか。
568人間七七四年:2013/11/08(金) 21:32:32.92 ID:rL9RUTeu
趣味で小説を書いていて、適当につけたペンネームで小説家になった。
司馬遷を尊敬していたわけではない。
このことは触れた。
569人間七七四年:2013/11/08(金) 21:33:39.80 ID:rL9RUTeu
当初、司馬さんは小説家になったが、新聞記者をやめてなかった。
アテもなく、新聞記者をやめるのは、愚かにひとしい。
その時期、小説家を取材していた。
570人間七七四年:2013/11/08(金) 21:34:32.10 ID:rL9RUTeu
司馬さんとしては、自分を客観的に見るのが可笑しかった。
目の前に「司馬遼太郎」がいるのに、司馬遼太郎の噂をしている者もいた。
というのは、司馬さんは、人間好きな男ではないだけに、小説家であることを伏せていた。
571人間七七四年:2013/11/08(金) 21:35:45.47 ID:rL9RUTeu
司馬さんの噂が駆け巡る。
「司馬遼太郎は、奈良県葛城らしいぞ」
「司馬遼太郎は京都出身だ」
「司馬遼太郎は、神戸出身だということだ」
司馬さんは、苦笑した。
572人間七七四年:2013/11/08(金) 21:36:41.72 ID:rL9RUTeu
余談だが、筆者もネットの元有名人である。
人々が筆者の噂をしていた。
良い悪いに関係なく快感であった。
筆者は、ネタを脚本し、週に一度、書き込んでいた。
573人間七七四年:2013/11/08(金) 21:37:38.46 ID:rL9RUTeu
さきにふれたとおり、司馬さんは新聞記者を辞めぬまま、いわば小説家であるのに、小説家を取材している。
ある女性作家が、司馬さんに言った。
574人間七七四年:2013/11/08(金) 21:38:39.21 ID:rL9RUTeu
「最近、司馬遼太郎という新人作家に注目しているのです」
女性作家は、目の前に司馬遼太郎がいるとは思ってなく、新聞記者と思って話した。
575人間七七四年:2013/11/08(金) 21:39:37.56 ID:rL9RUTeu
司馬さんとしては、一流の作家に褒められれば嬉しいというもので、小説家としては名誉なことである。
その後、司馬遼太郎として女性作家と会い、笑い話になっている。
576人間七七四年:2013/11/08(金) 22:34:45.58 ID:rL9RUTeu
これよりさき、福田定一、つまり司馬遼太郎は、小説家一本で喰っていくのである。
司馬さんは、小説家になっても生活スタイルを崩さずにいたらしい。
朝7時に起きて夜0時に寝た。
577人間七七四年:2013/11/08(金) 22:35:29.58 ID:rL9RUTeu
朝7時に起きて、朝メシを喰って8時にスーツを着る。
10時までカミサンと雑談をして、そのあと小説を書くのである。
夜8時からは遊びに出て、夜0時に寝たらしい。
578人間七七四年:2013/11/08(金) 22:36:04.61 ID:rL9RUTeu
新聞記者を辞めたとはいえ、だらだらと生活習慣を変えたくなかった。
そう思っていたが、数年も経てば、小説に追われ、時間バラバラになった。
579人間七七四年:2013/11/08(金) 22:37:03.22 ID:rL9RUTeu
小説家司馬遼太郎が考えたことに触れたい。
司馬さんは、コメと金のことについて、しばしば語っている。
筆者は、日本史におけるコメと金の関係をシラナンダ。
580人間七七四年:2013/11/08(金) 22:38:03.97 ID:rL9RUTeu
終戦後、路上生活者が増え、とても救出どころではなかった。
それに、労働者をアゴで使うような金持ちは儲かることしか考えてない。
さらに、治安も乱れ、民衆の生活は困難である。
581人間七七四年:2013/11/08(金) 22:39:09.84 ID:rL9RUTeu
今の日本は、行政がしっかりしている。
と、筆者がおもったとき、あらためて疑問に思った。
なぜ、戦前はどうにもならなかったのか。
と、いうことである。
582人間七七四年:2013/11/08(金) 22:42:40.71 ID:rL9RUTeu
そもそも流通はどう行われていたのか。
日本の流通は、平清盛が宋と貿易していたことも重要である。
貿易する以上、対価を払わなければならない。
583人間七七四年:2013/11/08(金) 22:44:15.61 ID:rL9RUTeu
清盛は、宋の名産物がほしいに違いなく、それを蹴れば当時の繁栄はなかったであろう。
清盛は対価として金(ゴールド)を渡した。
584人間七七四年:2013/11/09(土) 20:32:46.29 ID:9PbIWDNx
実は、藤原氏のころ、金貨を作っていた。
金貨を通じ、貿易に金を使うようになったのである。
585人間七七四年:2013/11/09(土) 20:33:39.15 ID:9PbIWDNx
日本史における流通は、物々交換にほかならない。
物々交換にあたって、コメがよく用いられ、まるでコメ即ち通貨のようであった。
このあたり、日本人にとってコメは特別であり、江戸時代になるとコメで相場が決まるのである。
586人間七七四年:2013/11/09(土) 20:34:36.85 ID:9PbIWDNx
日本の流通の歴史は、コメと金の繰り返しであった。
一時、藤原氏は金貨を流通手段としようとした。
ところが、結局は金持ちの棚に仕舞うかたちになった。
587人間七七四年:2013/11/09(土) 20:35:19.87 ID:9PbIWDNx
次に金貨を使うようになったのは、平清盛である。
その後、北条早雲、足利義満、秀吉が金貨を流通させている。
一時は、金貨で流通するのだが、しかしコメに戻る。
588人間七七四年:2013/11/09(土) 20:36:26.77 ID:9PbIWDNx
司馬さんによると、日本には独裁者がいなかったという。
筆者がそれを読んだとき、天皇はどうなんだと思った。
天皇は古来より権威で、政治のいっさいを、関白や公方が代理している。
589人間七七四年:2013/11/09(土) 20:37:36.38 ID:9PbIWDNx
その後、武士が政権を獲るが、とくに将軍が偉くはなかった。
その将軍が中央政権となったのも、徳川だけである。
しかし、薩摩や長州の弾圧もあったし、江戸幕府が揺ぐ難いということはなかった。
590人間七七四年:2013/11/09(土) 20:38:40.23 ID:9PbIWDNx
江戸幕府による統治の仕方は、家康が考え出したものではなく、五百年ほど前の、平清盛がはじめたことである。
平家において
「平氏でないものは人間にあらず」
というのも、過度の自信ではない。
591人間七七四年:2013/11/09(土) 20:39:34.93 ID:9PbIWDNx
しかし、その平家も公卿と手を結んでしまう。
武士はすくなからず、公卿を憎む心があった。
領土、もしくは収穫において、すべて公卿の借り物である。
592人間七七四年:2013/11/09(土) 21:19:19.74 ID:9PbIWDNx
たとえ、武士が自分の領土と主張しても、気分次第で没収される。
武士が怒るのももっともだが、憤慨させたのは、平家が公卿のご機嫌取りをしたからであった。
593人間七七四年:2013/11/09(土) 21:20:29.71 ID:9PbIWDNx
武士は政権ほしさに、源頼朝を祭り上げてしまった。
さらに、平家があっさり敗けてしまったのである。
594人間七七四年:2013/11/09(土) 21:23:04.54 ID:9PbIWDNx
源の時代になれば安定すると思ったが、北条に政権を奪われ、その北条も公卿の弾圧に苦しんだ。
この政治状況に生ぬるく対応していては、世の中どうなるかわからない。
支配者らしき北条はそう思ったであろう。
595人間七七四年:2013/11/09(土) 21:23:47.62 ID:9PbIWDNx
次に登場したのは、足利尊氏であった。
足利尊氏は、西郷隆盛に似ている。
と、司馬さんは言っている。
596人間七七四年:2013/11/09(土) 21:27:44.53 ID:9PbIWDNx
足利尊氏は気前がよかった。
手柄を立てる者において、気前よく領土を渡した。
これが、室町幕府の絶対的支配者になれなかった足利の悲劇である。
次いで、畠山の後継問題から、応仁の乱を招き、戦国時代到来である。
597人間七七四年:2013/11/09(土) 21:28:36.30 ID:9PbIWDNx
秀吉も人の良さがあったと言っていい。
秀吉は天下を獲りつつも、家康が君臨していたことに、政権を脅かされていた。
598人間七七四年:2013/11/09(土) 21:29:26.30 ID:9PbIWDNx
以上は、司馬さんが考えていた政権構図だが、
これを読んでいる者の中には疑問を感じる者もいるであろう。
これらを書いた筆者も疑問点は多い。
599人間七七四年:2014/04/18(金) 06:56:54.06 ID:PWWsYXl0
5ヶ月前、少し休憩しようと思っただけで、スグ再開するつもりだった。
余計なことをせず、筆者はのんびり書き込みをしていた。
あり余る才能を持ちながら、他のことに熱中するのは、あまりにもったないであろう。
600人間七七四年:2014/04/18(金) 06:57:46.38 ID:PWWsYXl0
いずれにせよ、このスレを再開する。
こういう歴史スレは、今までなかったものである。
かと言って、このスレに書き込みをしているのは筆者だけなのだから、やはり天性の楽天家かもしれない。
601人間七七四年:2014/04/18(金) 06:58:43.15 ID:PWWsYXl0
真田家と家康の因縁は永く、足掛け数十年にも及んだ。
途中、秀吉が死んだ。
同時に、真田家と家康の本格的な戦いがはじまる。
それにしても、幸村の父、昌幸の家康嫌いはどうであろう。
602人間七七四年:2014/04/18(金) 06:59:25.87 ID:PWWsYXl0
家康は、関ヶ原の戦いを睨んだ。
秀頼擁護を口実に、天下を狙う。
と、いうことである。
戦の前、各地の大名を呼んでいる。
603人間七七四年:2014/04/18(金) 07:00:19.37 ID:PWWsYXl0
石田三成に着きたいやつは行け。
恨みはしない。
と、家康は言う。
真っ先に、三成側につくと昌幸は言った。
家康はこれを聞き、昌幸をはっきりと敵とみなした。
604人間七七四年:2014/04/18(金) 07:01:31.63 ID:PWWsYXl0
三成側に着くと言ったのは、
家康ごとき天下が獲れるか!
という含みがあったであろう。
昌幸は家康を好まぬ男であったが、それ以前に3度も勝っている。
605人間七七四年:2014/04/18(金) 07:02:39.78 ID:PWWsYXl0
幸村の兄、信之のおかげで命を助けられたとき、昌幸は
「当然のことだな」
と、ふてぶてしく言ったという。
関ヶ原で西軍は敗れたが、命を狙うなら、戦うつもりだった。
606人間七七四年:2014/04/18(金) 07:05:23.84 ID:PWWsYXl0
家康は昌幸を怖がっている
という意味が篭められている。
このあたり大物と言っていい。
いかなる窮地にせよ、昌幸の心臓には毛が生えているのである。
607人間七七四年:2014/04/18(金) 11:05:26.38 ID:PWWsYXl0
しかし、軽率と言えるであろう。
降伏すれば、領土は没収される。
生板の鯉のようなもので、家康は昌幸をどうにでも出来るのである。
608人間七七四年:2014/04/18(金) 11:06:16.93 ID:PWWsYXl0
真田親子は、比叡山に幽閉される。
他の大名は次々に放免されていた。
家康は、真田親子だけは信用できず、今までにない重い処分を課した。
609人間七七四年:2014/04/18(金) 11:07:11.76 ID:PWWsYXl0
放免されると思っているあたり、甘く見すぎたのであろうが、
ただ違ったのは、
「命だけは助けてやる」
ということであった。
その後、真田親子は、山奥に閉じ込められた。
610人間七七四年:2014/04/18(金) 11:08:15.22 ID:PWWsYXl0
真田幸村は、さほどの人物ではなかったという説がある。
大坂の陣の功績は、昌幸がすべて考えたというもので、それを幸村が実行しただけというものである。
が、幸村にとって、それが父の考えたものであろうとなかろうと関係ない。
真田の名が後世に残るかである。
611人間七七四年:2014/04/18(金) 11:09:02.98 ID:PWWsYXl0
資料に、昌幸と幸村の会話が残っている。
昌幸は、将来、大阪と江戸が戦争になることを見抜いていた。
資料には、篭城戦よりも、野戦のほうがいいとあった。
612人間七七四年:2014/04/18(金) 11:09:49.37 ID:PWWsYXl0
「しかし、兵力が圧倒的に不利じゃないですか」
幸村は言った。
不利だが、虚位とはいえ、守りだけでは到底勝てない。
どれほど兵力があっても、攻めなければ勝てないのである。
と、昌幸はいう。
613人間七七四年:2014/04/18(金) 11:10:25.44 ID:PWWsYXl0
さらに昌幸はいう。
家康の進路で待ち伏せをし、善戦する。
善戦すれば、他の大名も、豊臣家を無視できなくなる。
614人間七七四年:2014/04/18(金) 11:12:01.66 ID:PWWsYXl0
このとき、幸村は昌幸の考えていることがわかった。
要するに、家康と野戦で善戦をして、そのとき初めて、他の大名に書状を送る。
そうすれば、豊臣家に、味方する者も現れるはずである。
と、昌幸はいうのである。
615人間七七四年:2014/04/18(金) 20:08:08.87 ID:olcyagCS
PWWsYXl0
って司馬遼の作品読んだことあるのか?

下手すぎるだろ
616人間七七四年:2014/04/19(土) 05:31:26.81 ID:2I8fhjSm
それは>>615のまことであーる
617人間七七四年:2014/04/19(土) 06:53:33.29 ID:2I8fhjSm
まことは、下手とかレベルが低いとかの表現が多いが、いつもまったく根拠が書かれてないのである。
言うだけなら、誰にでも言える。

( ´,_ゝ`)y―-~~~.はっはっはっ

と、筆者は笑う。
618人間七七四年:2014/04/19(土) 06:56:02.60 ID:2I8fhjSm
数日前、現在の信長像は、司馬遼太郎が勝手に過大評価したものだと、
まことは言った。
さらに、司馬遼太郎の本を読んだことあるのか?
と、まことは言う。
どちらかというと司馬さんは、信長を悪く言っていることが多い。
また、このスレは、司馬さんの本を参考にしている。
いかに、まことが司馬さんの本を読んでない証明でもある。
619人間七七四年:2014/04/19(土) 06:58:23.82 ID:2I8fhjSm
話題を戻そう。

問題は、家康が豊臣家を攻めるとき、昌幸が生きているかである。
無論、幸村は生きている。
家康と豊臣家の戦いに生きていたとしても、昌幸は老いていて、それまでの間、無駄に過ごすのか
と、昌幸は思った。
620人間七七四年:2014/04/19(土) 07:00:13.61 ID:2I8fhjSm
幸村には無理だ。
と、昌幸は言うのである。
豊臣家が家康に勝つのは難しいことだが、何にしても幸村は武将としては無名で、そんな男が戦略を述べても、誰も耳を貸さないであろう。
あるいは、それが昌幸の憂鬱かもしれない。
621人間七七四年:2014/04/19(土) 07:02:11.30 ID:2I8fhjSm
昌幸は、戦国武将離れした戦略家で、この男の言うことなら、豊臣家も耳を貸すであろう。
昌幸に武功があることは紛れもない。
ゆえに、同じことをしても、昌幸と幸村では雲泥の差がある。
622人間七七四年:2014/04/19(土) 07:04:32.54 ID:2I8fhjSm
大坂冬の陣の際、幸村は、真田丸から、先鋒の前田利常らを挑発して、鉄砲で撃ち、出鼻を抉いている。
これには、家康も動揺したと言われている。
家康のおそれたことが起きてしまった。
ということである。
623人間七七四年:2014/04/19(土) 07:05:42.19 ID:2I8fhjSm
これが、さきほど昌幸が言った善戦である。
しかし、徳川に着く大名は動かない。
人は、自分の身を保証する者につくものである。
豊臣家にも、幸村にも、そのようなものがなかった。
624人間七七四年:2014/04/20(日) 09:25:30.40 ID:HCPID+/C
大坂夏の陣のときも、幸村は敏感に戦況を見極め、1万の伊達を3千で破ったのである。
けれん戦略家で、状況が不利なときほど、燃える男であった。
625人間七七四年:2014/04/20(日) 09:26:16.92 ID:HCPID+/C
大坂の陣は、ほとんど豊臣家には勝ち目がないというものであった。
筆者からすれば、昌幸が生きていても、豊臣家は負けていたと感じた。
(なお、やり方によっては豊臣家に勝ち目はあった。これは後で述べる)
626人間七七四年:2014/04/20(日) 09:28:29.05 ID:HCPID+/C
戦国大名の中で、司馬さんは家康のことを一番述べている。
司馬さんは、戦国時代の小説は苦手だと思っていた。
主人公が奔走し、行動と哲学を論じる作家だと感じたことから、領土を奪い合う時代は書けないと思っていた。
627人間七七四年:2014/04/20(日) 09:29:20.31 ID:HCPID+/C
家康が天下を狙ったのは、すで晩年であり、
「自分が死んでも、もう大丈夫だ」
と言うのが、秀吉の考えであったはずである。
家康は老いていて、その時点で天下を狙えるわけがない。
628人間七七四年:2014/04/20(日) 09:34:06.83 ID:HCPID+/C
――秀吉を油断させたい。
油断というか、秀吉が死ねば、天下はどうにでもなる。
と、家康は考えた。
そのためには、秀吉の信頼を得なければならない。
629人間七七四年:2014/04/20(日) 09:34:51.47 ID:HCPID+/C
ここからがむしろ重要であった。
秀吉が吉法師を抱えているとき、家康は行動を監視していた。
秀吉は吉法師を出汁に、天下を我物にしていく。
それを手法に、家康は天下を狙っていた。
630人間七七四年:2014/04/20(日) 09:35:37.71 ID:HCPID+/C
文献を参考にし、秀吉の腹を探り、天下取りの真似をするというのが、
家康の本筋であった。
要するに、家康は、成功例を参考にして、冒険をしない男ということである。
631人間七七四年:2014/04/20(日) 20:38:28.64 ID:HCPID+/C
秀吉に触れたい。
(家康は秀吉の真似をしたのじゃないか?)
と、思ったのは、播磨灘物語を読んだときである。
最後の稿のほうで、司馬さんもそう言っている。
632人間七七四年:2014/04/20(日) 20:39:33.26 ID:HCPID+/C
秀吉には、人のいい感情がある。
いやいや、筆者だけではなく、大方の者はそう思っているであろう。
しかし、天下獲りの極悪非道な行為に関し、底知れぬ執念を感じる。
633人間七七四年:2014/04/20(日) 20:40:31.41 ID:HCPID+/C
他の家臣は、秀吉が織田家を意のままにする行為に対し、憎しみを通り越して妥協をしている。
そういった気持ちには、信長の仇討ちをした、
という感情が動いてる。
634人間七七四年:2014/04/20(日) 20:43:10.15 ID:HCPID+/C
このあたり、秀吉は人誑しの才能を持っていて、常に気を回していた。
それが策であった。
そういった意味での人誑しは、極悪非道さを揉み消している。
635人間七七四年:2014/04/20(日) 20:44:52.50 ID:HCPID+/C
秀吉は、柴田勝家を一蹴する。
が、柴田勝家に着いた信長三男信孝を切腹させた。
このことについて、秀吉の天下への執念が表れている。
この男以上に、主君に反逆した男が、歴史上いたであろうか。
636人間七七四年:2014/04/20(日) 20:47:57.65 ID:HCPID+/C
明智光秀を撃つとき、信孝も合流していた。
秀吉は、信長の家臣にすぎない。
普通に考えれば、秀吉が出しゃばるべきではない。
信孝こそが後継者ではなかろうか。
637人間七七四年:2014/04/20(日) 20:48:47.29 ID:HCPID+/C
吉法師は、信孝のもとにいた。
秀吉は信孝に吉法師を差し出すように言った。
信孝が拒否をすると、挙兵してきたのである。
やむ得ず、吉法師を渡すざる得なかった。
638人間七七四年:2014/04/20(日) 20:51:03.29 ID:HCPID+/C
これは、家康が豊臣家を挑発したのに似ている。
賤ヶ岳は、関ヶ原の構図に似ている。
秀吉も、戦をはじめなければ、後継者になれないのである。
このあたり、戦国の世がよく表れている。
家来が主君を利用する歴史の矛盾であろうか。
639人間七七四年:2014/04/21(月) 18:43:16.32 ID:NqtfckkK
信孝の次は、次男信雄である。
秀吉は、信雄を呼びつけたのである。
秀吉は、吉法師の保護者ではあるが、織田家の家来には変わりがない。
家来が呼びつけていいものか。
640人間七七四年:2014/04/21(月) 18:44:37.89 ID:NqtfckkK
信雄は怒って、秀吉を無視した。
家康にたとえると、秀頼を呼びつけたのと同じで、これは秀吉の真似をしたといわれている。
641人間七七四年:2014/04/21(月) 18:45:22.38 ID:NqtfckkK
信雄には3人の優秀な家臣がいた。
秀吉は人を誑して味方につける。
そういう戦略で出世をした男である。
信雄の家来は優秀だから、味方につければ困ることはない。
642人間七七四年:2014/04/21(月) 18:46:46.90 ID:NqtfckkK
これには、もうひとつ理由がある。
疑惑を持たせることである。
秀吉が信雄の家臣を誘ったあと、彼らは仲間割れが始まっており、殺し合いを始め、予想以上の効果だった。
このことで、信雄の力は半減した。
643人間七七四年:2014/04/21(月) 18:47:59.96 ID:NqtfckkK
家康も、豊臣家家臣、片桐且元らを引き抜いている。
片桐且元は、家康の調略で、豊臣家から疑惑を持たされ、寝返るほかなかった。
644人間七七四年:2014/04/21(月) 18:49:08.07 ID:NqtfckkK
大坂の陣のとき、片桐且元は、淀君や秀頼らの情報を、実に協力的に家康に報告している。
しかし、腹いせとはいえ、元主君をこうも簡単に裏切っていいものか。
と、当時、日本にいた外国人商人が言ってたらしい。
645人間七七四年:2014/04/21(月) 18:49:53.26 ID:NqtfckkK
以上は余談
646人間七七四年:2014/04/21(月) 18:51:14.00 ID:NqtfckkK
以上は余談
647人間七七四年:2014/04/21(月) 19:52:23.37 ID:NqtfckkK
信雄は秀吉に対し、身の危険を感じた。
主従関係とはいえ、戦国の世であり、このままでは秀吉に織田家は奪われてしまうであろう。
秀吉の調略は、気の抜けない一事であった。
648人間七七四年:2014/04/21(月) 19:53:55.30 ID:NqtfckkK
信雄は家康に協力をもとめた。
家康には、主君のためなら、命すら投げ出す家臣団がいる怖さがある。
秀吉はこれをもっとも恐れた。
家康の凄さは、篭城戦を織り交ぜ、秀吉を焦らせたことである。
649人間七七四年:2014/04/21(月) 19:55:21.66 ID:NqtfckkK
秀吉は、信雄と和睦した。
これ以上家康と続けると、秀吉側から寝返る者が出るかもしれない。
数で上回るとはいえ、秀吉に命を捨ててまで信頼する者はいなく、そういう意味では寄せ集めであった。
650人間七七四年:2014/04/21(月) 19:56:09.13 ID:NqtfckkK
信雄に触れたい。
信雄は、本能寺の変のとき、出陣しなかったらしい。
家来が出陣を迫ったが、信長が死んだのは虚報だと言って聞かなかった。
651人間七七四年:2014/04/21(月) 19:57:06.78 ID:NqtfckkK
信雄は性質は臆病だった。
信長の次男という自覚が少なすぎたのかもしれない。
小牧・長久手の戦いのときもそうだが、家康に相談もせず、秀吉と和睦するのは臆病といっていい。
要するに小者だということである。
652人間七七四年:2014/04/21(月) 19:58:10.25 ID:NqtfckkK
その後、信雄は、吉法師の後継人になった。
しかし、秀吉を甘く見すぎた。
秀吉が天下を獲ったとき、初めて騙されたことに気づいた、
653人間七七四年:2014/04/21(月) 19:59:11.62 ID:NqtfckkK
しかし、秀吉は信雄に、尾張100万石を与えた。
天下を盗まれたと思っていたが、100万石は相当なものである。
信雄にすれば、信長次男であるから、むしろ当然のことだと思ったかもしれない。
654人間七七四年:2014/04/21(月) 20:01:25.58 ID:NqtfckkK
その後、秀吉は信雄の存在がめんどくさくなって、国替えを命じている。
信雄はこれを断った。
655人間七七四年:2014/04/21(月) 21:13:48.05 ID:NqtfckkK
――俺は織田家次男なんだぞ
という意味のことを漏らしている。
臆病のわりに、誇りだけは高い表れであろう。
これには、秀吉の機嫌を損なわし、5万石に引下げられた。
656人間七七四年:2014/04/21(月) 21:14:55.87 ID:NqtfckkK
さらには関ヶ原である。
西軍に着いてしまったのだが、もともと臆病な男なために、出陣しなかった。
これは、どちらにも着いていないんだという意思表示である。
そう受け取れる。
657人間七七四年:2014/04/21(月) 21:15:59.52 ID:NqtfckkK
家康の怖さを知るには、関ヶ原当時にいなければわからない。血も涙もない。
ふりかえってみれば、織田家次男ということで、甘く見すぎたことであった。
658人間七七四年:2014/04/21(月) 21:17:03.84 ID:NqtfckkK
信雄は、出陣こそしなかったが、西軍についたことで、領土を没収され、浪人になった。
その後、豊臣家に世話になっている。
659人間七七四年:2014/04/21(月) 21:17:45.97 ID:NqtfckkK
大坂の陣のときは、ひっそりと大阪城を抜けて、家康についた。
信雄の夢は、贅沢はいらないから、老後ゆっくり過ごすことであった。
その後家康に、大和で5万石を与えられている。
660人間七七四年:2014/04/21(月) 21:18:57.82 ID:NqtfckkK
三男信孝は信長に似て、戦好きだったために、調略され切腹させられた。
次男信雄は臆病だが生き延びた。
戦国時代に限らず、出る杭は打たれる。
むしろ、信孝は臆病であったために、生き延びたのであろう。
661人間七七四年:2014/04/22(火) 05:46:10.89 ID:RbBl4zLX
ここで訂正する

むしろ、信雄は臆病であったために、生き延びたのであろう。
662人間七七四年:2014/04/22(火) 08:36:58.33 ID:RbBl4zLX
余談ながら、吉法師のことも触れたい。
吉法師は、風貌が信長に似ていたらしい。
似ていたのは風貌だけだった。
そこに信長の威光はなかった。
663人間七七四年:2014/04/22(火) 08:37:52.70 ID:RbBl4zLX
幼少ながら秀吉に担がれ、その後100万石の主となった。
信雄との違いは、秀吉に感謝していたことだった。
吉法師には出世欲はなく、あるいは秀吉が親切なオジサンに見えたのかもしれない。
664人間七七四年:2014/04/22(火) 08:38:28.73 ID:RbBl4zLX
さらに言えば阿呆であった。
関ヶ原のとき、あっさりと西軍についてしまった。
石田三成に、高価な茶具を貰い、それに酔ってしまい、関ヶ原の重要性が見えてなかった。
665人間七七四年:2014/04/22(火) 08:39:30.55 ID:RbBl4zLX
西軍が負けたあと、家来の将来を見据えて、書状を書いたらしい。
普通なら、自分の保身を考えるものである。
切腹とわかっていて、その行為に及んだ。
並みの武将にできるであろうか。
666人間七七四年:2014/04/22(火) 08:40:11.12 ID:RbBl4zLX
阿呆な一面がありつつも、驚くべき行動である。
ときに見せる器の大きさは、信長そのものだ。
と、言った者さえいた。
吉法師のばあい、信長の存在が大きすぎた。
667人間七七四年:2014/04/22(火) 08:40:54.25 ID:RbBl4zLX
さらに余談だが、丹羽長秀のことも触れたい。
秀吉は、吉法師のためだといって、丹羽長秀を味方につけている。
もともと、丹羽長秀は秀吉の良き理解者で、慎ましやかであった。
668人間七七四年:2014/04/22(火) 08:41:33.17 ID:RbBl4zLX
小牧長久手の戦いを終わると、長秀は首を傾げ
「吉法師のためではなかったのか?」
と、あまりの状況の変化に驚いた。
669人間七七四年:2014/04/22(火) 08:42:14.29 ID:RbBl4zLX
吉法師のためだと言ったのに対し、秀吉の時代になっているのである。
吉法師のためではない。
「話が違うじゃないか」
と、抗議しても、どうなるものではない。
670人間七七四年:2014/04/22(火) 19:33:35.18 ID:RbBl4zLX
秀吉も、長秀のおかげと思い、格別の大待遇を用意した。
が、長秀のばあい、罪意識が強かった。
そういう罪意識の末、切腹してしまったのである。
671人間七七四年:2014/04/22(火) 19:35:07.64 ID:RbBl4zLX
家康が豊臣家から天下を奪ったことに世間は目を見張ったが、その手法は、すべて秀吉の真似をしたわけであって、家康独自のものではなかった。
672人間七七四年:2014/04/22(火) 19:35:58.53 ID:RbBl4zLX
(なんとかしなければ)
という家康には気負いがあり、さらには、悪者にならぬように、とにかく豊臣家を罵った。
673人間七七四年:2014/04/22(火) 19:37:02.55 ID:RbBl4zLX
それでは、秀吉と家康が天下を狙った時期はいつなのであろう。
本能寺の変のとき、秀吉は信長の死に動揺してしまい、泣きじゃくったという。
それを宥めたのが黒田官兵衛である。
674人間七七四年:2014/04/22(火) 19:37:50.53 ID:RbBl4zLX
信長の死を天下にすり替えて
「これからは秀吉様のじだいですな」
ということを説いたのである。
675人間七七四年:2014/04/22(火) 19:39:32.05 ID:RbBl4zLX
官兵衛の魔術のような発言が出ると、秀吉は俄かに声をあげた。
(この男は凄い)
と、秀吉は思い、
さらには、官兵衛を恐ろしい男と思ったりもしたが、かと言って、悠長なことを言っている場合でもない。
676人間七七四年:2014/04/22(火) 20:48:14.56 ID:RbBl4zLX
秀吉が天下を狙ったときはこの時である。
秀吉は興った。
興奮するにつれ、野望が拡大した。
秀吉は、興奮するうちに、いつの間にか天下人になったような心地になった。
677人間七七四年:2014/04/23(水) 07:54:45.66 ID:ZiHjo8K/
秀吉は、背が低く、色は褐色で、眼光が鋭かったらしい。
しかし、人が良くて、人の心を掴むのがうまかった。
考察能力に長けていて、情報の大切さを知っている。
信長に仕官する前、日常のおもしろい話を聞くために、銭を払ったというのである。
無論、情報の重要性を知ってのことである。
678人間七七四年:2014/04/23(水) 07:55:43.22 ID:ZiHjo8K/
秀吉は、信長が偶然拾ってきたとの話だが、そんなことはない。
幼少時代、秀吉は信長の遊び友達だったという。
その頃から、秀吉は信長のカリスマ性を見抜いていたのかもしれない。
679人間七七四年:2014/04/23(水) 07:56:52.28 ID:ZiHjo8K/
それでは、家康が天下を狙った時期はいつであろう。
筆者は、本能寺の変のときだと考える。
家康は、信長が死んだとき、後を追うと発言した
と、記録に残っているらしいが、本当だろうか。
680人間七七四年:2014/04/23(水) 07:59:36.23 ID:ZiHjo8K/
家康は、正室、築山御前と息子を信長に殺されたのである。
一時、気が迷っただけで、信長の忠誠の意は変わらない
というのは、おそらく嘘であろう。
秀吉死後の悪代官のような行動を見ると、信長殺しの真犯人は、家康だったのではないかという思いを深くする。
681人間七七四年:2014/04/23(水) 08:00:53.63 ID:ZiHjo8K/
政治的妖怪と呼ばれる家康は、というよりも司馬遼太郎が言っているのだが、心の片隅ではたえず天下を狙っているようなところがあった。
小牧長久手の戦いも勝算があってのことのである。
秀吉に最後まで抵抗していたし、信長さえ死ねば、と思ってた節がある。
682人間七七四年:2014/04/23(水) 08:02:15.61 ID:ZiHjo8K/
従順したふりをして、事を治めたように見えるが、これは、人質時代や武田信玄の脅威に脅かされ身に付いた芝居である。
従順は形だけのもので――それにつけても筆者の脳裏に浮かんだのは――信長を慕っているというよりかは――むしろ、信長に謀反を考えていたのではないか。
683人間七七四年:2014/04/23(水) 19:27:25.97 ID:ZiHjo8K/
戦国2chだが、義経について触れたい。
義経はひどく純粋な男だったらしい。
さらにいえば、周囲に触発されて、頼朝に対し、素晴らしい良き兄だと妄想が膨らんだ。
要するに、兄に尽くしているうちに、頼朝にカリスマ的能力を恐れられてしまい、最後は殺された。
684人間七七四年:2014/04/23(水) 19:28:18.90 ID:ZiHjo8K/
義経が死んだ報告を聞き
「悪は滅んだか」
と、頼朝は言ったらしい。
純粋さは人にとって、善玉にも悪玉にもなる。
義経は、それがわかってなかった。
685人間七七四年:2014/04/23(水) 19:28:59.64 ID:ZiHjo8K/
頼朝の言葉は、義経が純粋と知りつつも、利益のためのものである。
「正直者は、悪人よりタチが悪い」
と、頼朝は言った。
このばあい、不利益な者が悪である。
人は利益ある者が正義で、不利益な者が悪とするものである。
686人間七七四年:2014/04/23(水) 19:29:49.01 ID:ZiHjo8K/
義経は、人の上に立つ器ではない
と、司馬遼太郎は言っている。
いわば、家来を含めての手柄であるのに、憚るかごとく、義経独りの手柄のように話した。
この純粋な男は、一種の子供染みた一面があった。
687人間七七四年:2014/04/23(水) 19:30:44.85 ID:ZiHjo8K/
純粋だから子供染みてもいるし、戦をゲームのように考えている節がある。
勢い盛んで、戦に勝っても、家来にも手柄を分けてやらなければ、やがて信用を失う。
家来に手柄を立てさせて、褒美を与えてこその主君である
688人間七七四年:2014/04/23(水) 19:31:31.37 ID:ZiHjo8K/
しかし、悪意はない。
悪意があるなら、これだけ滑稽な行為に出るであろうか。
そんな思いを、筆者は誰かに話すとも呟くともなしに、口から出ていた。
689人間七七四年:2014/04/23(水) 21:21:10.10 ID:CXem704t
vipじゃあるましsageにしてほしいと筆者は思った。
690人間七七四年:2014/04/24(木) 08:41:12.56 ID:5pfunxvJ
筆者はこのスレを楽しみ続けているが、そのことがかえってまことを嫉妬させる。
このすばらしいスレを見て、まことは傷ましい気分になる。
691人間七七四年:2014/04/24(木) 08:41:54.54 ID:5pfunxvJ
「1000まで頑張るんだ」
と、まことは言った。
まことにしてみれば、さすがに1000までは、到底無理だと思ったのであろう。
その気持ちとは裏腹に、このスレが、なにを意味しているのかを理解していた。
692人間七七四年:2014/04/24(木) 08:42:37.76 ID:5pfunxvJ
筆者には1000まで行く計算があった。
本を数十冊読んでいて、しかも歴史の知恵を感じさせられる司馬遼太郎の考えていたことは、むしろ1000でも少ないくらいであろう。
693人間七七四年:2014/04/24(木) 08:43:27.13 ID:5pfunxvJ
――まるで幼子が柱の木目に何らかの世界を見出だすかのように、筆者はこのスレを楽しんでいるのである。
と、まことは言った。
ただ、由緒正しきこのスレの跡目を、筆者が継いだことに始末が悪い。
まことはその思いを閉じ込めるべく、難癖をつけている。
まこととは、そういう男である。
694人間七七四年:2014/04/24(木) 08:44:19.20 ID:5pfunxvJ
話に戻る

本来なら、義経の前途には希望に満ちた将来が約束されたはずである。
話が変わるようだが、義経は馬術に長けていた。
その記録は多く残っているが、老熟した戦術が展開されている。
695人間七七四年:2014/04/24(木) 08:45:11.69 ID:5pfunxvJ
この馬術はどこで身につけたのであろう。
これは、義経独自のものかと言いたいのである。
義経は頼朝に追われ、藤原氏のもとに助けをもとめている。
本来、義経を匿えば、頼朝の反逆者と見倣される間違いない。
696人間七七四年:2014/04/24(木) 08:46:01.76 ID:5pfunxvJ
藤原氏は危険と思ったが、義経を匿った。
さらには、義経のために戦争も辞さないと思っていた。
しかし、不幸なことに息子達まで同じ意見ではなかった。
697人間七七四年:2014/04/24(木) 08:47:54.53 ID:5pfunxvJ
「オヤジが死んだら追い出そう」
と、息子3人は語る。
よほど頼朝がおそろしかったのであろう。
されど、オヤジからキツク遺言までされいる。
しかしその遺言を突っぱねて、義経を追い出している。
698人間七七四年:2014/04/25(金) 08:31:43.06 ID:0zXoGQSX
話が逸れたが、義経は言うまでもなく日本歴史史上最高の馬術の達人である。
必要なら、破天荒な馬術を魅せるのが、義経の戦法である。
やらなければやられる。
そういう義があった。
699人間七七四年:2014/04/25(金) 08:32:15.37 ID:0zXoGQSX
藤原氏の住む平泉は、馬が豊富だったようである。
水平線のように緑が広がる土地柄であった。
そういう平泉で、強烈な気質を放つ夢想が出来上がったのであろうか。
700人間七七四年:2014/04/25(金) 08:33:09.86 ID:0zXoGQSX
余談だが、700である。
「もう少しかな」
と、筆者はふと呟いた。
701人間七七四年:2014/04/25(金) 08:35:37.65 ID:0zXoGQSX
また平泉には、モンゴル族の者が訪れることもあったという。
その誰かと話したとも考えられる。
それとも、天才義経が編み出した独自の馬術であろうか。
702人間七七四年:2014/04/25(金) 08:36:44.64 ID:0zXoGQSX
頼朝に邪魔者扱いされていたが、壇ノ浦の戦いに勝利し、
「これで兄上も許してくれる」
と、義経は太鼓判を貰った思いであった。
が、そのことがかえって頼朝をこわがらせ、生かしてはおけない気持ちを強くした。
703人間七七四年:2014/04/25(金) 08:37:40.40 ID:0zXoGQSX
しかし、義経は純粋である。
毎回のように頼朝に尽くし、命令に従う。
しかも朝廷から官位を貰うや、これで源も世間で認められるとはしゃいだ。
頼朝の許可なくである。
大人に成り損ねた青年のようであった。
なんとも純粋な男ではないか。
704人間七七四年:2014/04/25(金) 08:38:25.81 ID:0zXoGQSX
純粋さは、本人が思っている以上に残酷である。
場合によっては感情が乱れ、逆に悪人と言えなくもない。
705人間七七四年:2014/04/26(土) 09:19:35.31 ID:lPaYQrH7
たとえば、女の振る文句である。
「納得して別れて貰うんだ!」
嫌いになったから別れるわけじゃない
ということを踏まえて、誠意ある言葉を並べ、思案なり、説得し始める。
706人間七七四年:2014/04/26(土) 09:20:19.12 ID:lPaYQrH7
純粋な男の説得は永く続く。
だんだんと慢性化し、女が納得してくれなければ、悪魔かと思うようになる。
しかし、見る者からみればわかる。
純粋な男は、純粋な行為に酔っている。
707人間七七四年:2014/04/26(土) 09:20:59.91 ID:lPaYQrH7
その理由はまず、誠意ある行動にっよって、自分が悪人でないことを主張していることである。
そのうち、なんでこの女はわかってくれないんだと思うようになる。
誠意ある行動といっても形だけで、心の奥は違っていた。
708人間七七四年:2014/04/26(土) 09:21:49.31 ID:lPaYQrH7
本当にすまない気持ちで心がいっぱいなら、そんなことを思うはずがない。
結局は自分がかわいいいのだが、誠意という気持ちにすり替える。
これを筆者は「偽善」と呼んだ。
やっていることに、悪人と差はない。
709人間七七四年:2014/04/26(土) 09:23:11.12 ID:lPaYQrH7
女の気持ちを考えていない誠意など、痛み止めのような効力はなく、矛盾した行為である。、
なんとも頼もしい誠意ある男ではないか。
悪いことを悪いと理解しつつも、痛くも痒くもない悪人といい勝負である。
純粋な男
悪人の男
世論は、どちらに同意するのであろうか。
710人間七七四年:2014/04/26(土) 09:28:37.07 ID:lPaYQrH7
頼朝がいう「悪」とは。
義経の純粋さは、日本歴史上最悪の「悪」かもしれない。
「悪は滅びたか」
人々は「悪」について考え討論し合ったであろう。
711人間七七四年:2014/04/26(土) 09:30:20.01 ID:lPaYQrH7
幕末に触れたい。
龍馬は、なぜに評価が高いのであろう。
その評価の高さに筆者は戸惑っていた。
龍馬がした偉業は薩長同盟だけであって、新政府構想では龍馬の名前はどこにもない。
これはどういうことであろう。
712人間七七四年:2014/04/26(土) 09:31:45.79 ID:lPaYQrH7
実は、日露戦争当時、龍馬は忘れ去られていたらしい。
むろん、まったく忘れ去られていたとは言わないが、認知度は低かった。
幕末から時が過ぎている。
聞かれれば、そんなやつがいたな、
これくらいかもしれない。
オカシナ話である。
713人間七七四年:2014/04/26(土) 21:13:57.72 ID:lPaYQrH7
なんでも、亡霊として昭憲皇后の枕元に現れたらしい。
坂本龍馬と名乗ったが、
(坂本龍馬って誰だ?)
と、考えているうちに、いつの間にかいなくなっていた。
714人間七七四年:2014/04/26(土) 21:14:41.03 ID:lPaYQrH7
日本の行く末をひどく心配していたというのである。
この話を踏まえて考えると、龍馬は忘れ去られているのであり――その程度の男は歴史人物としては2流で――これは、司馬遼太郎が過大評価した――好奇心を持った社交的な男ではないか
715人間七七四年:2014/04/26(土) 21:15:28.20 ID:lPaYQrH7
龍馬は、不自由な幕末を自由に生きた。
龍馬も人間で、筆者はそういう話はにわか信じてないが、大胆な男には間違いない。
演技で出来た倫理概念があり、その倫理の中で龍馬は生き抜いた。
716人間七七四年:2014/04/26(土) 21:16:26.26 ID:lPaYQrH7
――龍馬が1万の軍勢で、江戸に攻めてくる。
そんな噂があったらしい。
もちろん嘘だが、龍馬は堂々と江戸を歩いていた。
人の世において、これほど大胆な男はいない。
龍馬の行動のひとつひとつが、寝床時に水をかけられるほどの衝撃だったらしい。
717人間七七四年:2014/04/26(土) 21:17:08.13 ID:lPaYQrH7
「ちょっとは遠慮しろ」
中村半次郎は言った。
こんな緊急時ながら、潜伏もせず、龍馬の心臓には毛が生えていた。
718人間七七四年:2014/04/26(土) 21:17:40.32 ID:lPaYQrH7
が、これは演技だ
と言えばまったく別なものになる。
そのうえで、筆者はこんな結論を出す。
龍馬としては、不自由さに圧迫されるのではなく、自分の意思で動く。
719人間七七四年:2014/04/26(土) 21:18:30.67 ID:lPaYQrH7
なんといっても、自らの意思をもって自由に生きるなら、感情は大いに高揚するが、もし潜伏という暗愚な行動を取るなら、士気はつむじ曲がる。
龍馬はそれを知っていた。
720人間七七四年:2014/04/26(土) 21:19:39.66 ID:lPaYQrH7
その意味で、龍馬は大胆な行動をとり続けたと言える。
しかも、現実として、計算のもとで動いている。
龍馬の行動は、ある程度考えた末のもので、危ない橋は渡ってないのである。
大胆な印象を残し、志士達を安堵させた計算づくの演技だったにちがいない。
721人間七七四年:2014/04/27(日) 15:51:55.76 ID:txoJ2/UK
家康が江戸幕府を開いて265年間、毛利と島津の脅威に脅かされていた。
黒船襲来で、それが形になった。
265年間、毛利と島津を押さえ込むべく、いろんな細工をした。
722人間七七四年:2014/04/27(日) 15:52:30.34 ID:txoJ2/UK
家康は、将来、毛利と島津が脅威になることを知っていた。
それでも権威をチラして威張っていたが、この両家はどうにもならず、課題を残したまま没している。
723人間七七四年:2014/04/27(日) 15:53:46.56 ID:txoJ2/UK
近藤勇について触れたい。
礼儀正しい男だったらしい。
街ゆく人にもきちんと挨拶をしていた。
京都の嫌われ者と名高いが、それが近藤勇である。
724人間七七四年:2014/04/27(日) 15:54:54.63 ID:txoJ2/UK
戊辰戦争がはじまると、近藤勇は故郷に帰り、凱旋帰国をしている。
大歓迎で迎えられ、そのままずっと故郷に残っていたい気分だったであろう。
ただ、新政府軍の手が迫っていた。
725人間七七四年:2014/04/27(日) 15:55:46.11 ID:txoJ2/UK
甲州勝沼の戦いで近藤勇は敗れたが、五兵衛新田で兵を募集し、再び戦いの準備をしていた。
その後、大久保大和と名乗っている。
しかし、その風貌は近藤勇に似ていると噂が立った。
726人間七七四年:2014/04/27(日) 15:56:58.46 ID:txoJ2/UK
似ているだけなのか近藤勇なのか、そのあたりは自分達の目で見るほかないと思い、新政府軍は、近藤勇らを取り囲んだ。
そこで銃撃戦が起きるが、勝てないと思い、銃撃を止めるようにいう。
死を覚悟したのか。
727人間七七四年:2014/04/27(日) 16:00:08.14 ID:txoJ2/UK
香川敬三によると、近藤勇は礼儀正しかったという。
近藤勇は銃撃戦をはじめるつもりはなかったが、若い者が先走ったと言った。
いわば主君のために戦っているということを思うと、彼らも同じと言えなくもない。
728人間七七四年:2014/04/27(日) 16:01:03.20 ID:txoJ2/UK
その後、元隊士で御陵衛士の一人だった加納鷲雄に近藤勇であると指摘される。
このことで、大久保大和の正体が近藤勇だと判明した。
土佐藩では、龍馬暗殺の犯人は近藤勇とされていた。
土佐藩の谷干城は、龍馬を殺されたと思っているだけに斬首を主張した。
729人間七七四年:2014/04/27(日) 20:35:19.23 ID:txoJ2/UK
薩摩藩は斬首に反対したが、谷干城の気は治まらない。
無論、龍馬を殺したのは近藤勇ではないが、聞き耳を持たないばかりか薩摩藩の反対を押し切って斬首にした。
730人間七七四年:2014/04/27(日) 20:36:14.79 ID:txoJ2/UK
もし、土方歳三と出会っていなかったら、近藤勇は歴史舞台には現れなかったであろう。
近藤勇は、カリスマ性を持っているが、しかし、土方歳三にはそれがなかった。
近藤勇の能力を引き出したのはこの男である。
言ってみれば、この男は近藤勇を日本一の男にするために半生を捧げた。
731人間七七四年:2014/04/27(日) 20:36:56.01 ID:txoJ2/UK
優位に立っているとき、近藤勇は数倍の能力を発揮する。
が、劣勢のときは逆だった。
732人間七七四年:2014/04/27(日) 20:37:46.62 ID:txoJ2/UK
むろん、土方歳三がいてのことで、新選組はこの男が育て上げたといっていい。
余談だが、新選組の組織構造は、洋式だった。
この時期に洋式の組織構造はまだ伝えられていない。
どこで知ったのであろう。
それとも、土方歳三という天才は生んだ独自の組織構成か。
733人間七七四年:2014/04/27(日) 20:38:43.80 ID:txoJ2/UK
しかし、ひるがえって考えてみると、幕府の組織構造にも似ていて、これは、出世を夢見た近藤勇と土方歳三をよく表している。
734人間七七四年:2014/04/27(日) 20:41:24.67 ID:txoJ2/UK
――時勢は人を何倍にも大きくするものだ。
と、勝海舟は言っている。
これは西郷隆盛もそうである。
西郷は島津久光を誑かし、軍を江戸に向け、それだけではなく、公家を騙して、徳川を賊軍にした。
735人間七七四年:2014/04/27(日) 20:42:25.54 ID:txoJ2/UK
西郷隆盛と大久保利通は幼馴染だったが、性格は合わなかったらしい。
幕府を倒すという点で意見が一致していた。
たまたま意見が一致したのである。
これだけの同志が、明治になって仲違いする例もすくない。
736人間七七四年:2014/04/27(日) 20:43:24.91 ID:txoJ2/UK
明治に入ると、意見の食い違いで日本が割れると西郷は想定していた。
しかし、西郷は動かない。
薩摩からすると、西郷が動けば簡単に日本を統治出来ると思っていた。
皮肉にも、動かざることで、西郷は自滅することになる。
737人間七七四年:2014/04/29(火) 08:34:34.15 ID:h/V4aUPU
薩摩兵は強い。
戦国時代から名高い。
種子島が近隣にあり、鉄砲が豊富なこともあるが、勇敢な性分が強さである。
薩摩兵にとって、戦場の死こそが名誉なのである。
738人間七七四年:2014/04/29(火) 08:36:32.19 ID:h/V4aUPU
明治当時の薩摩兵の強さは世界一である。
日本一ではない。
世界一なのである。
小さな島国のはずの日本がロシアの勝ったのも、薩摩出身の者達が指導したからであろう。
739人間七七四年:2014/04/29(火) 08:37:14.02 ID:h/V4aUPU
明治以降の日本兵士は、戦場での死が義務付けられている。
生きて帰れるのに、戦場の恥は不名誉とされていた。
(それで腹を切るのか!?)
世界は、そういう日本人をおそれた。
740人間七七四年:2014/04/29(火) 08:38:02.07 ID:h/V4aUPU
ただ、古来、薩摩兵が逃げたことも記録されている。
逃げるときはあっさりと逃げて、戦況をを立て直し、再び戦うところをみると、逃げることも武略のひとつと考えているのであろう。
741人間七七四年:2014/04/29(火) 08:38:54.49 ID:h/V4aUPU
戦国時代、秀吉の命令で、三好、長宗我部の連合軍が、島津と戦ったことがある。
両家ともに戦国屈指の大名だが、秀吉が侵攻するまで互いに争っていた。
(こんなバカバカしいことがあるか)
と、思っても、秀吉の命令だから仕方がない。
742人間七七四年:2014/04/29(火) 08:39:36.15 ID:h/V4aUPU
余談だが、三好は「十河」と名乗っている。
政治上、養子に行くほかなく、一昔の武勇から「鬼十河」と呼ばれていた。
743人間七七四年:2014/04/29(火) 08:40:25.46 ID:h/V4aUPU
長宗我部と鬼十河の連合が、島津を相手するのである。
島津7万、両家連合軍が3万。
両家は戦国屈指の大名だから、案外勝つのではないか?
秀吉は、そう考えていた。
744人間七七四年:2014/04/29(火) 08:41:34.04 ID:h/V4aUPU
驚くことに、両家は大惜敗している。
この戦いで、長宗我部の長男が没し、薩摩の凄まじさが理解できる。
薩摩兵は、死をも恐れぬ勇敢さがあるから強いのであろうか。
745人間七七四年:2014/04/29(火) 18:48:44.24 ID:h/V4aUPU
薩摩には、いつも英雄が現れる。
男が集まれば、一番強い者が決まるまで、争いが絶えない人種である。
喧嘩を歓迎し、弱い者いじめを悪とした。
と、司馬遼太郎はいうのである。
746人間七七四年:2014/04/29(火) 18:49:20.60 ID:h/V4aUPU
筆者はこれに対して否を唱えている。
薩摩人も同じ人間である以上、殴られれば痛いし、自分がかわいいものである。
薩摩人だけが特別なはずがない。
747人間七七四年:2014/04/29(火) 18:49:53.46 ID:h/V4aUPU
戦国最強と言われた武田は、蜘蛛の糸のような情報網があった。
その情報網を駆使して、戦いを洗練させていった。
ところが、その武田より薩摩のほうが断然強い
と、司馬遼太郎はいうのである。
748人間七七四年:2014/04/29(火) 18:50:39.65 ID:h/V4aUPU
薩摩が強いのは戦だけであった。
強いが戦術がない。
突撃兵という感じである。
戦国時代では3カ国しか持たず、西南戦争でも戦術の下手さを伺わせる。
と、筆者はいうのである。
749人間七七四年:2014/04/29(火) 18:51:16.34 ID:h/V4aUPU
その薩摩を手玉に取ったのが、岩倉具視であった。
「岩倉具視は大した人物ではない」
と、筆者の中学時代の社会の先生は言ってた。
しかし、奔走家の岩倉具視が小者だろうか。
750人間七七四年:2014/04/29(火) 18:52:11.38 ID:h/V4aUPU
公卿は武士の上にいるが、戦は武士に任せておけばよかった。
日本の歴史において、公卿で奔走したのは、嵯峨天皇と岩倉具視だけである。
751人間七七四年:2014/04/29(火) 18:52:54.42 ID:h/V4aUPU
明治になってからは話し合いを重視し、議会によって運営されている。
世界でもそうだし、そうあるべきだと、幕末の志士達も思っていた。
議会で決まった以上、それに従うべきである。
752人間七七四年:2014/04/29(火) 18:53:39.10 ID:h/V4aUPU
この時期、征韓論が話し合われている。
西郷は強く征韓論を主張するが、賛成論はすくない。
征韓論反対の岩倉具視は、手を回していた。
753人間七七四年:2014/04/29(火) 20:56:22.94 ID:h/V4aUPU
西郷は影響力が強い。
その中から次々と西郷に同意すれば、日本はどうなる。
岩倉はうろたえた。
754人間七七四年:2014/04/29(火) 20:57:11.87 ID:h/V4aUPU
岩倉は大久保を抱き込み、西郷を無視して話し合っていた。
西郷を含めて話し合えば、みなが彼に伝染する。
と、岩倉は思っている。
755人間七七四年:2014/04/29(火) 20:57:58.56 ID:h/V4aUPU
ある日、西郷を含めて議会を行った。
西郷にすれば蚊帳の外であり、チンプンカンプンである。
むろん、自分を無視して話し合ったとは思わない。
ただ、征韓論のことだけはちがった。
756人間七七四年:2014/04/29(火) 20:58:52.85 ID:h/V4aUPU
故島津斉彬は、征韓論者だった。
島津斉彬を崇拝していた西郷からすると、征韓論は成し遂げなければならないことであった。
意味がわからないが、本人の知らないところで話し合いが行われたのか、
と、ショックを受けた。
757人間七七四年:2014/04/30(水) 18:53:05.34 ID:6VHtHC1q
西郷は、自分を省いての議論を批判した。
これに対し、大久保は
「今頃になって卑怯と違うか?」
と、言った。
西郷はめずらしく憤慨し、目がイっていて,鬼の形相だった。
758人間七七四年:2014/04/30(水) 18:53:51.44 ID:6VHtHC1q
大久保は西郷を邪魔者にし、無視しながら論じていたように思える。
この大久保の「今頃になって卑怯と違うか?」発言をきっかけに、西郷は動かなくなったと言われている。
議会の場合、多数決で決める。
実際は、西郷は不要なのである。
759人間七七四年:2014/04/30(水) 18:54:33.17 ID:6VHtHC1q
西郷は時代を動かした張本人なだけあって、得意げになっている少年のようなところがあり、気がついたら孤立していた。
これだけの大偉業を成し遂げたのである。
得意げになるのも無理はない。
冷静であり続けることは並大抵のことではない。
760人間七七四年:2014/04/30(水) 18:57:57.36 ID:6VHtHC1q
勝海舟は、朝鮮と中国と日本が連合して、ヨーロッパに対抗すべきだ
と、言った。
しかし、そう思いつつもそんな潮ではなかった。
その後、機が熟すまで待つと言った。
761人間七七四年:2014/04/30(水) 19:01:07.97 ID:6VHtHC1q
しかし、勝も西郷と同じく機は熟さなかった。
今は大久保の時代である。
不利な事態になにを言っても無駄であった。
気が熟すまで待つ戦法は、家康であればこそできる戦法であった。
762人間七七四年:2014/04/30(水) 19:01:50.33 ID:6VHtHC1q
しかし、勝も西郷と同じく機は熟さなかった。
今は大久保の時代である。
不利な事態になにを言っても無駄であった。
気が熟すまで待つ戦法は、家康であればこそできる戦法であった。
763人間七七四年:2014/04/30(水) 19:02:38.71 ID:6VHtHC1q
朝鮮はロシアで狙っている。
戦力があるならともかく、対処できない以上、朝鮮をあきらめるのが得策だった。
征韓論の次は、台湾である
764人間七七四年:2014/04/30(水) 19:03:20.83 ID:6VHtHC1q
日本と清が対峙し、やがて明治になって領土争いをするが、その間、台湾がどうなってたかは定かではない。
ただ、16世紀後半に、清が台湾を統治し、自らの領土と主張している。
765人間七七四年:2014/04/30(水) 20:36:25.82 ID:6VHtHC1q
大久保が征韓論を否定した時期、西郷は彼を臆病者と言った。
征韓論を否定したとはいえ、臆病者とはなんだ!と、大久保は思っていたのである。
766人間七七四年:2014/04/30(水) 20:37:29.78 ID:6VHtHC1q
大久保は台湾侵攻を考えた。
台湾は清の領土で、大国とされ、アジアの覇国であり、そのわずかな隙も気をつけなければならない。
台湾侵攻とは、領土拡大という意味である。
767人間七七四年:2014/04/30(水) 20:38:18.03 ID:6VHtHC1q
清は、当然ながら日本を見下していた。
しかしながら、大国ながら平和主義で、戦争を望むべきもない。
清は、日本から仕掛けてくるなど、思ってもなかったのかもしれない。
768人間七七四年:2014/04/30(水) 20:39:03.01 ID:6VHtHC1q
大久保は無断で台湾に行った。
(しまった!!)
西郷はそう思っていたであろう。
征韓論を否定したことが、大久保の勘にさわって、台湾に駐留しはじめたのである。
769人間七七四年:2014/04/30(水) 20:39:57.30 ID:6VHtHC1q
この後、大久保は台湾の原住民と話し、清との関係を聞き出した。
16世紀後半たしかに中国が侵攻してきたが、その後、放置してしまっている。
税金も取られていない。
清にとっての既製事実は崩れ去った。
770人間七七四年:2014/04/30(水) 20:41:23.40 ID:6VHtHC1q
台湾は清の領土ではなかった。
大久保は念書を貰い、清に行った。
清は、とりあえず駐留している軍を撤退するように言い、話はそれからだ、と言った。
771人間七七四年:2014/04/30(水) 20:42:25.99 ID:6VHtHC1q
清には筋目がない。
日本が台湾駐留を撤退して、話し合いになるものか。
実際には、清は日本をナメていて、まともには相手にしていないのである。
772人間七七四年:2014/04/30(水) 20:43:26.17 ID:6VHtHC1q
大久保は、台湾原住民の長の念書を取り出し、清の領土ではないことを話した。
が、清も易易と認めるわけにはいかない。
すると、清は
「いくら払えば台湾から撤退してくれる?」
と、言ったのである。
773人間七七四年:2014/05/01(木) 20:07:51.21 ID:jTnxkndb
大久保は撤退料50万とふっかけた。
50万といえば、現在の貨幣価値に換算して、50億をはるか越えるのである。
どういう計算をして50万なのであろう。
と、清は思った。
774人間七七四年:2014/05/01(木) 20:08:34.50 ID:jTnxkndb
軍の費用も馬鹿にならないし、駐留していてもゼニはかかる。
と、大久保は言った。
このあたり、大久保も強気だった。
しかし、清は大国であり、本当に戦争をしようとは思っていないであろう。
775人間七七四年:2014/05/01(木) 20:09:14.60 ID:jTnxkndb
清もイギリスに痛い目に遭わせられたばかりで疲労していた。
しかし、なんと、清は撤退料50万を払うと言ったのである。
776人間七七四年:2014/05/01(木) 20:10:03.19 ID:jTnxkndb
大久保は驚いた。
50万と強気に出て、値を下げていこうと思っていたのであろう。
大久保にすれば、西郷に征韓論反対で臆病者と言われ、それならば、と、台湾に侵攻したのである。
777人間七七四年:2014/05/01(木) 20:10:58.55 ID:jTnxkndb
しかし、50万は貰い過ぎと思ったのであろう。
大久保の場合、面子のためなので、50万ごと返そうと思っていた。
が、日本も貧困であり、のちに返すつもりが、返せなかった。
778人間七七四年:2014/05/01(木) 20:11:31.23 ID:jTnxkndb
西郷はあれっきり動かない。
動かないことに、誰もが違和感を感じている。
779人間七七四年:2014/05/01(木) 20:13:54.38 ID:jTnxkndb
この時期、西郷を動かそうとして、いろんな人物が奔走している。
佐賀藩の江藤新平もそのひとりである。
江藤も西郷を支持している一人で、動くことを勧めていた。
780人間七七四年:2014/05/01(木) 20:14:47.64 ID:jTnxkndb
しかし、西郷は「今は潮ではない」の一点張りで動かなかった。
自分が動けば、西郷も動く、と、江藤は思ったのであろう。
江藤は反乱をおこした。
781人間七七四年:2014/05/02(金) 09:04:17.10 ID:ESG5cZ+4
佐賀藩は経済面においては他の藩を凌駕するが、軍事は大したことがない。
あっという間に、大久保に鎮められる。
江藤は、反乱をおこす以外に、これといった策がなかった。
反乱を起こせば、なんとなく西郷も動いてくれると思ったようであった。
782人間七七四年:2014/05/02(金) 09:14:22.72 ID:ESG5cZ+4
やがて、江藤は西郷に助けをもとめる。
「今は潮ではない」
西郷はいう。
その言葉に江藤は驚き、再び議論になった。
「今は潮ではない。だから動かない。土佐に助けを求めたらどうかね。それ以外に助かる道はない」
と、西郷は江藤に言った。
783人間七七四年:2014/05/02(金) 09:18:20.70 ID:ESG5cZ+4
川路利良について触れたい。
川路はにわかに、西郷を心の置き場にしているように思えた。
そう思ったのは、西郷に幾度か世話になっているからである。
とくにフランス留学は、西郷の推薦状があってのことである。
この留学が川路の運命を変えた。
784人間七七四年:2014/05/02(金) 09:22:01.23 ID:ESG5cZ+4
現在の警察制度はナポレオンが作ったものである。
直接ナポレオンが作ったわけではないが、ジョゼフ・フーシェの考案のもとに作られた。
フランス在学中、川路はこの警察制度の意欲に燃えた。
785人間七七四年:2014/05/02(金) 09:25:24.43 ID:ESG5cZ+4
川路にすれば、西郷は恩人である。
しかし、西郷を裏切った。
もし、西郷に味方をすれば、念願の警察制度は作れなくなる。
川路は歪んでいながらも自己主張があった。
786人間七七四年:2014/05/02(金) 09:29:26.51 ID:ESG5cZ+4
余談だが、山県有明も、さんざん世話になって西郷を裏切った。
山県は言い訳しようのない汚職事件をおこしたが、西郷が手を回して救ってくれた。
しかし、自己保身のため、西郷を裏切るという心を腐らせる行為に至っている。
787人間七七四年:2014/05/02(金) 09:32:10.56 ID:ESG5cZ+4
話を戻そう。
江藤は逃亡するが、土佐に着くことなくあっさり捕まえられる。
昔なら捕まっていなかったが、警察制度の機密さで江藤は捕まった。
788人間七七四年:2014/05/02(金) 21:21:38.74 ID:ESG5cZ+4
江藤は、死刑にはならないと思っている。
この当時の判例では、反乱罪は死刑にならない。
ところが、大久保は江藤を死刑にしている。
江藤を死刑にしても、誰ひとり賛成はしないであろう。
789人間七七四年:2014/05/02(金) 21:23:54.27 ID:ESG5cZ+4
大久保は批判を受けている。
大久保にしてみれば、こういう意見の食い違いの挙句、起きた反乱と考えた。
西郷を支持したために、反乱がおきた。
考えれば考えるほどバカバカしくなり、ツイには国際法にのっとり、死刑を通達した。
790人間七七四年:2014/05/02(金) 21:28:10.03 ID:ESG5cZ+4
資料によると、江藤の裁判はてっとり早く決まり、てっとり早く死刑にしたという。
てっとり早く死刑にしないとどうなるか。
反対者が出てきて面倒なことになる。
江藤は、日本人初の反乱罪死刑者である。
791人間七七四年:2014/05/02(金) 21:40:37.38 ID:ESG5cZ+4
江藤新平を大絶賛している著者が2人いるらしい。
しかし筆者は、江藤新平を五流の人間だと思っている。
が、支持者がいるからこそ、江藤は大絶賛され、そう考えると、オカシナほどに先を考えていないこの革命者は、誇り高い男だったのかもしれない。
792人間七七四年:2014/05/03(土) 09:13:06.39 ID:O1eocUhk
薩摩では西郷隆盛は英雄で、これほどの英雄は類をみない。
東郷平八郎などの英雄が出るが、西郷に比べると小者らしい。
793人間七七四年:2014/05/03(土) 09:15:10.00 ID:O1eocUhk
西南戦争の最後、西郷は民家を購入している。
その民家は今でも残っていて、宿屋になっているらしい。
西郷最後の拠点と言えば、大きな価値があると思うが、ほとんどの客はそれを知らずに宿泊している。
794人間七七四年:2014/05/03(土) 09:17:37.97 ID:O1eocUhk
その民家で、多くの者が西郷を目撃している。
ついては、敗戦濃厚なのに、西郷の姿を見ただけで、勝てる気がしたという。
その雰囲気も凄まじいのであろう。
795人間七七四年:2014/05/03(土) 09:20:06.83 ID:O1eocUhk
その民家で、桐野利秋も目撃されている。
桐野は普段通りの表情をし、普段通りの行動だった。
その姿は只者ではなく、いかにもサムライで、
死が近づいている男にはみえない。
796人間七七四年:2014/05/03(土) 09:22:09.08 ID:O1eocUhk
というよりも、戦場で死ぬことが、名誉の死と桐野は考えているが、そういうことよりもこの男は常に死に場所をもとめていた。
797人間七七四年:2014/05/03(土) 09:24:18.49 ID:O1eocUhk
桐野は、西郷に夢を見た。
西郷だけが自分の死に場所を見つけてくれる男と思った。
心の奥底では、いつか東京を制圧してくれると思っていた。
798人間七七四年:2014/05/03(土) 09:26:38.97 ID:O1eocUhk
【薩摩は戦術が下手】
桐野は、政府軍を破ったが、港を押さえなかった。
戦術にも形式があり、桐野は形式に拘っている。
港を押さえないのは痛々しく、政府軍は苦笑した。
799人間七七四年:2014/05/03(土) 09:28:59.62 ID:O1eocUhk
もし、薩摩が政府軍に勝つとしたら、このときだったであろう。
桐野は喧嘩には強いが、戦術に関しては無能らしい。
その後、桐野は、無理な戦を続け、ツイには、西郷の弟が死んでしまった。
桐野だからこそ先鋒を任せられると、西郷は常々思っていたが、これほど無能な男なのか
と、歯痒い思いをしていた。
800人間七七四年:2014/05/03(土) 22:03:48.78 ID:O1eocUhk
余談だが、800である。
筆者は、もう800なのかと、7日(なのか)間、銀河の果てをを見据えているであろう。
801人間七七四年:2014/05/03(土) 22:05:55.30 ID:O1eocUhk
桐野は、西郷の弟を死なせた。
さすがに西郷も表情を露わにしたが、そのあと何も言わなかった。
多少イラついていた心内が、秋の空のように滲んでいた。
その後、西郷は桐野と口を聞かなくなったらしい。
802人間七七四年:2014/05/05(月) 20:09:52.92 ID:Yxyv+2hX
西郷隆盛と足利尊氏は似ている。
と、司馬遼太郎はいう。
人間的魅力だけで天下を獲った。
多少違うところはあるが、足利尊氏は九州に堕ち延びて、その後天下をを盛り返した。
同じことをしようとしたが、西郷は盛り返せなかった。
803人間七七四年:2014/05/05(月) 20:10:48.01 ID:Yxyv+2hX
尊氏は鎌倉に抑えたが、新田義貞・楠木正成・北畠顕家に敗れた。
その後、九州に堕ちのびた。
九州から、再び出陣したときは500だったが、その後、各地で尊氏を支持する者が大勢現れ、湊川に着くときは3万を越えていた。
804人間七七四年:2014/05/05(月) 20:11:51.67 ID:Yxyv+2hX
司馬遼太郎によると、西郷は統率能力には長けているが、戦略には向いてない。
司馬遼太郎の言おうとするところは、西郷は人間的魅力だけで西南戦争に挑んだ。
確かに、西郷は元陸軍大将であり、世界にひとつしかない日本陸軍大将軍服を持っていた。
805人間七七四年:2014/05/05(月) 20:13:06.03 ID:Yxyv+2hX
大久保利通に陸軍大将を解任されたのにも関わらず、まだその権威は健在と思っていた。
しかし、いざ戦が始まってみると、なんの役にも立たなかった。
806人間七七四年:2014/05/05(月) 20:13:59.13 ID:Yxyv+2hX
陸軍大将といえば征夷大将軍と同じくらいの権限がある。
その軍服を着たならば、各地で支持を得られ、軍勢も膨れ上がる。
そのまま東京に乗り込み、戦を続ければ、勝利は決まったも同然である。
その点からいえば、陸軍大将解職は、大久保が勝手にしたもの
と、西郷はいうのである。
やがてそんなモノはどこにもないことを西郷は知った。
807人間七七四年:2014/05/05(月) 20:14:39.49 ID:Yxyv+2hX
ひどいものだ。
これでよく江戸幕府を倒したものだ。
と、あらためて筆者はいう。
808人間七七四年:2014/05/05(月) 20:15:14.85 ID:Yxyv+2hX
しかし、薩摩兵は強い、
政府軍の死者が物語っている。
809人間七七四年:2014/05/05(月) 20:16:14.22 ID:Yxyv+2hX
西郷は陸軍大将軍服を焼いた。
焼いたとき、泣いていたというくらいだから、陸軍大将によほど誇りを持っていたのであろう。
西郷隆盛という特異な男は、明治を代表する男だったはずである。
810人間七七四年:2014/05/05(月) 21:47:20.87 ID:Yxyv+2hX
西郷は、幕末という動乱にかけて、同民族とは思えぬほどに駆け巡り、その点では幕末を代表される男である。
811人間七七四年:2014/05/05(月) 21:48:37.84 ID:Yxyv+2hX
さて、「司馬遼太郎風に会話するスレ」も最終章である。
戦国時代については、畠山の後継問題からはじまったものではあるが、解釈によっては、山城の一揆がはじまり
と、司馬遼太郎はいう。
現に、この時代、上が下を押さえきれなくなっていた。
812人間七七四年:2014/05/05(月) 21:49:37.31 ID:Yxyv+2hX
応仁の乱の舞台の荒れ狂う京都で、伊勢新九郎、のちの北条早雲がいた。
早雲の半生はほとんど記録に残っておらず、しかも戦国時代も始まっていなかった。
813人間七七四年:2014/05/06(火) 08:37:08.30 ID:1hogjNo1
早雲は足利政知の子茶々丸を攻めて、伊豆を手中に納め、戦国時代の幕を切った。
早雲は、領民思いで話も聞くし、さらには関所を置き、立候補すれば誰でも地頭になれる制度をつくった。
封建時代なのにどういうことか。
814人間七七四年:2014/05/06(火) 08:40:09.38 ID:1hogjNo1
これは、山城の一揆が原因だという。
その根拠は司馬遼太郎によるものだが、農民が武器を手に入れやすくなったからだという。
武力を蓄えれば、もうお上など怖くない。
815人間七七四年:2014/05/06(火) 08:44:08.07 ID:1hogjNo1
40代半ば頃、浪人をしていた早雲は太田道灌と出会う。
なんでも義理の妹の千萱が危ないらしい。
嫁ぎ先の今川義忠が紛争に巻き込まれ没したという。
816人間七七四年:2014/05/06(火) 08:47:07.99 ID:1hogjNo1
太田道灌は千萱を助けてほしいと言った。
早雲は眉をひそめ、
「俺はただの浪人だぞ」
と、言った。
名門伊勢家の九男とはいえ事実であろう。
817人間七七四年:2014/05/06(火) 08:50:28.65 ID:1hogjNo1
「兄がいるだけでも違うだろ?」
と、道灌はいうのである。
司馬さんの小説では、義理の妹の千萱と早雲は恋仲だと書いてたが、本当だろうか。
落ちぶれた浪人なのに、元恋仲の千萱に会いたいわけがない。
818人間七七四年:2014/05/06(火) 08:53:17.38 ID:1hogjNo1
千萱の命とプライドと、どちらが大切なんだと道灌はいう。
さらに、伊勢家を出た早雲に誰の遠慮がいるんだ
と、言った。
その理論は十分に信憑するに足るとみていい。
819人間七七四年:2014/05/06(火) 08:56:10.98 ID:1hogjNo1
余談だが、江戸城を建てたのは太田道灌である。
もっとも、この時代、八千代城と言われていた。
紛争のため、予備策として、将軍義政が道灌に
建設を命じたものだが、その時代から見てもかなり美しかった。
もともと道灌は城作りの名人である。
820人間七七四年:2014/05/06(火) 21:18:07.67 ID:1hogjNo1
その道灌は、風呂あがりの丸腰のときに殺された。
それを聞いた早雲は衝撃だったらしい。
道灌は、千萱と早雲の恩人であり、この男がいなければ、浪人で終わっていた。
821人間七七四年:2014/05/06(火) 21:18:56.93 ID:1hogjNo1
さらに余談だが、名門家は長男だけ優遇される。
後継は2人もいらないわけだ。
優遇というのはつまり、次男よりあとは養子に行くわけで、長男以外は「厄介者」と言われるのである。
822人間七七四年:2014/05/06(火) 21:20:18.30 ID:1hogjNo1
不幸なのは養子先が見つからないことである。
さらに運が悪ければ、実家で下働きをさせられる。
ところが、早雲のばあい実家から飛び出して鞍作りをした。
この鞍は品質が良く、注文が多かったという。
823人間七七四年:2014/05/06(火) 21:21:41.12 ID:1hogjNo1
今川家の繁栄は北条早雲のおかげである。
事実、この頃の駿河は貧困だった。
駿河だけを見ても、一国切り取らなければ、経済の発展はないと早雲は思った。
824人間七七四年:2014/05/06(火) 21:22:49.27 ID:1hogjNo1
この頃、伊豆では足利政知の子茶々丸が、両親に虐待紛いのことをされていた。
ついに、茶々丸が両親を殺して、家督を継いだのである。
その頃、戦国時代に入ってないから、殺人が許されるほど世は荒れていない。
825人間七七四年:2014/05/06(火) 21:24:21.90 ID:1hogjNo1
このことを口実に茶々丸を攻めようと思い、千萱の子、氏親に許可を取る。
もっともこの頃、氏親はまだ子供で龍王丸といった。
千萱の名は北川である。
826人間七七四年:2014/05/07(水) 09:26:39.16 ID:zLVe4lV4
何度も触れているが、まだ戦国時代に突入していないのである。
(異説はある。戦国時代のはじまりは、応仁の乱や早雲の伊豆攻めからという歴史研究者は多くいる。)
早雲が伊豆を切り獲ったことは、多くの大名に反感を受けた。
827人間七七四年:2014/05/07(水) 09:27:58.51 ID:zLVe4lV4
伊豆に居座ったことで、近隣大名が攻めてきた。
ついには、武田もやってきた。
察するに茶々丸を攻めたことは(たとえ父母を殺しても)足利の反乱だった。
なお、この時期の武田家には、信玄はおろか信虎も、影も形もない。
828人間七七四年:2014/05/07(水) 09:29:08.47 ID:zLVe4lV4
しかし、三浦義同は早雲に好感を持ったらしく、代わりに近隣大名を一蹴した。
三浦家は、鎌倉時代、源頼朝に仕えていた。
名家である。
この一時でわかるのは、三浦義同という男が、義と悪の異常な倫理観を持っていることであろう。
829人間七七四年:2014/05/07(水) 09:30:37.10 ID:zLVe4lV4
三浦義同は、早雲が小田原城を落とすと、てのひらを返して、攻めてくるのであった。
早雲の籠城生活は永く続いた。
その後、早雲は、抵抗してこないと思った大軍の三浦義同の隙を突いて奇襲した。
830人間七七四年:2014/05/07(水) 09:32:16.00 ID:zLVe4lV4
このことについて、今更、語ることもないだろう。
歴史好きなら知っているからだ。
それに800を過ぎて、稿も足りたくなってきている。
831人間七七四年:2014/05/07(水) 09:34:02.53 ID:zLVe4lV4
鹿攻めの件は、簡単に説明すると、直前に小田原城主大森藤頼を油断させて拉致していた。
このとき、一連の早雲の奇妙な動きに、大森側は警戒していた。
そのあと、有名な鹿の話である。
832人間七七四年:2014/05/07(水) 09:35:07.82 ID:zLVe4lV4
早雲が伊豆にいた時期、千萱こと北川殿は死んだ。
葬式のとき、氏親がやってきた。
――幼少の時期から早雲の話は聞いていて、母上の義理の兄なのに関わらず、よく助けてくれた
と、言った。
833人間七七四年:2014/05/07(水) 09:37:15.65 ID:zLVe4lV4
氏親は手を差し伸べて
「これからもよろしく頼むぞ」
と、握手をもとめた。
氏親は、叔父である早雲に敬意を示し、今川家統領らしかった。
普通、握手は目上が差し伸べるものである。
あの龍王丸が、たくましくなったものだ。
今川家は安泰だ。
と、早雲は思った。
834人間七七四年:2014/05/07(水) 22:08:22.77 ID:zLVe4lV4
再び斎藤道三を語りたい。
道三の資料は、あまり残っていない。
信長の資料の傍らに残っている程度である。
835人間七七四年:2014/05/07(水) 22:09:11.07 ID:zLVe4lV4
道三は稀代のワルである。
――女は犯されるために生まれてきたようなものだ
と、ぬけぬけしゃーしゃーと語る。
さらには、元坊主なのに、自らを第六天魔王と言った。
836人間七七四年:2014/05/07(水) 22:11:02.49 ID:zLVe4lV4
道三はこれに誇りを持ち
「さらりとした、そんなワルになりたい」
と、言った。
元坊主のわりに、悟りを否定して、
――悟りは敗北者の都合良き理論
と、いうのである。
ひょっとすると、悟りでいう「魔界」の境地に入っていたのかもしれない。
837人間七七四年:2014/05/07(水) 22:12:25.83 ID:zLVe4lV4
それとも道三は、極悪人のため、逆に純粋な男なのか。
現に、信長のときがそうであろう。
838人間七七四年:2014/05/07(水) 22:13:31.70 ID:zLVe4lV4
道三は、自分の子供には優しい男であった。
それで心のバランスを取っているのか、それともワルに徹していないのか。
いずれにしろ、ワルは慈善を行い、心のバランスを取っているという。
839人間七七四年:2014/05/07(水) 22:17:39.90 ID:zLVe4lV4
ワルは陽のあたる場所には現れない。
常に影である。
本物のワルは黒幕で、甘い汁を吸っているのに逮捕されない。
840人間七七四年:2014/05/07(水) 22:20:10.81 ID:zLVe4lV4
家康や毛利元就がそうであろう。
このふたりはワルを知るうえで重要な人物である。
元就は早々と隆元に家督をに譲り、隠居の身になった。
隠居したあと指示を出しているのである。
841人間七七四年:2014/05/07(水) 22:20:56.75 ID:zLVe4lV4
――関ヶ原の東軍の大将は秀忠だった。
最近の歴史研究者達の説で、司馬遼太郎も同じことを言っている。
つまり、本物のワルは常に黒幕である。
家康も元就も黒幕という影に隠れ、世をなした。
842人間七七四年:2014/05/08(木) 19:37:59.16 ID:u1jq+yFP
ワルの典型な男として、家康と毛利元就を紹介したが、道三もそうである。
美濃の土岐頼芸を利用して、政治活動をしたり、都合の悪い者を殺した。
道三は、酒池肉林のハーレムを作り、土岐頼芸を閉じ込めた。
骨抜きにするのが目的なのであろう。
こういう行為は詐欺師に多い。
843人間七七四年:2014/05/08(木) 19:38:49.53 ID:u1jq+yFP
道三は油売りだった。
若い頃は、美男子で、印象も良かったらしい。
女にもよくモテた。
実力ではなく、人たらしでもいいから、出世を望んだのであろう。
松波庄九郎と呼ばれたときは、奈良屋の娘をたぶらかし、店を乗っ取っている。
844人間七七四年:2014/05/08(木) 19:39:47.81 ID:u1jq+yFP
余談だが、この娘は万阿といって、道三の子孫を残した。
道三が死ぬとき、夢枕に出てきたというは本当だろうか。
845人間七七四年:2014/05/08(木) 19:40:52.76 ID:u1jq+yFP
土岐頼芸から見ても、道三の印象はいい。
戦国の世だというに、全幅の信頼を寄せていたのを見ると、道三はよほどの人たらしだったのであろう。
人というのは担ぎ上げられると、溺れてしまうらしい。
土岐頼芸がそうである。
846人間七七四年:2014/05/08(木) 19:42:03.93 ID:u1jq+yFP
道三は裏工作をしていた。
土岐頼芸は、ハーレムで酒池肉林の生活をしている。
道三の陰謀はそこからはじまっている。
847人間七七四年:2014/05/08(木) 19:43:24.31 ID:u1jq+yFP
もともと詐欺行為のような行動に信念を持っている。
カタギは人を騙すことをためらうが、道三はそれを誇示して、謀叛を起こし、容赦なく土岐頼芸を追放した。
848人間七七四年:2014/05/08(木) 19:44:40.06 ID:u1jq+yFP
要領で権威を奪っても、それを維持するのは難しい。
しかし、道三は大名としても通用するものだった。
土岐頼芸追放という悪行から、浅井、織田信秀に挟み撃ちにされるが、両家を破っている。
849人間七七四年:2014/05/08(木) 19:45:40.24 ID:u1jq+yFP
道三は自分の人生を作品にしている。
常に心を動かし、素早く動き、計画の中で生きてきたのである。
美濃を獲ったことは作品。
帰蝶(=濃姫)の婿候補の明智光秀にそう言った。
850人間七七四年:2014/05/08(木) 21:14:29.00 ID:u1jq+yFP
思えば、松波庄九郎の頃、なにもなかった。
優秀な男のはずの自分に、何もないのはおかしいのではあるまいか。
妄想気味ではあるが、疑問を持った。
道三は道を踏み外した。
851人間七七四年:2014/05/08(木) 21:15:28.16 ID:u1jq+yFP
その時期、奈良屋の万阿に出会う。
庄九郎はツキが回ってきたと考える、
このとき、人と同じことをしているようでは、油売りで終わると思うようになる。
852人間七七四年:2014/05/08(木) 21:16:39.97 ID:u1jq+yFP
信長にもそんな信念がある。
ただ、信長は尾張でうつけ者と呼ばれている。
帰蝶を嫁に送ったのち、誰もが信長をうつけ者と呼ぶことに道三は驚く。
853人間七七四年:2014/05/08(木) 21:17:38.50 ID:u1jq+yFP
うつけ者というのは、一方でうつけと呼ぶ者がいて、一方で擁護する者がいるのが普通である。
ところが、信長を良くいう者がいない。
信長はうつけ者に徹している、
つまり演技か?
と、道三は思った。
854人間七七四年:2014/05/08(木) 21:19:06.21 ID:u1jq+yFP
道三の精神のカラクリはこういう矛盾で成り立っていた。
信長も、常識に縛られるようでは、一国二国の主にしかなれないと思っていた。
855人間七七四年:2014/05/08(木) 21:20:15.84 ID:u1jq+yFP
道三は信長と会った。
「おまえなんか眼中にない」
という目で道三を見たという。
食事をしながらの対談のはずであったが、会話はなかった。
道三はそれを真摯に受け止め、成り上がったすべての手法を信長に授けようと思った。
856人間七七四年:2014/05/08(木) 21:21:24.95 ID:u1jq+yFP
信長は、少年時代から片時も一箇所に留まっていない男だった。
歴史研究者によると、信長の少年時代は、コンビニで屯っている不良学生と同じだ
と、言われている。
857人間七七四年:2014/05/08(木) 21:22:28.34 ID:u1jq+yFP
家督を継いだ信長は、戦好きでしかも戦うたびに上手くなっていった。
「婿殿もなかなかやりおる」
道三は言った。
858人間七七四年:2014/05/09(金) 19:57:51.97 ID:05o8HoxC
斎藤道三は「津波」が旗印である。
大軍勢で敵を飲み込む形式だと考えられている。
もっとも、信長はまだ小勢力だった。
それでも、今川義元を討ったあとは、大軍勢を動かしている。
859人間七七四年:2014/05/09(金) 19:58:57.44 ID:05o8HoxC
ここに疑問があった。
どうやって大軍勢を作れたのか。
一説には道三の商売方法で儲けたこと。
また、同じ信念を持つ集団をこの時代「一味」と呼ばれていて、その信念のもと集めたという。
この件は、司馬遼太郎がそう解説している。
860人間七七四年:2014/05/09(金) 20:00:03.89 ID:05o8HoxC
若き日の信長のやったことは、すべて道三の手法である。
しかし、こういう芸はある程度の実力者がしか出来ないわけで、それを成し遂げた信長はよほどの実力者なのであろう。
信長は天才なのか。
861人間七七四年:2014/05/09(金) 20:00:58.58 ID:05o8HoxC
尾張兵は弱い。
――美濃兵ひとりに対し、尾張兵が3人
と言われてたが、浅井朝倉との戦いはひどかった。
862人間七七四年:2014/05/09(金) 20:02:13.33 ID:05o8HoxC
家康は、幼少時代、山賊に襲われ、尾張に売られた。
しかし、家康は信長を本当の兄のように慕ったという。
浅井朝倉との戦いのとき
――信長が危ない
と、おもい、何の得にもならない戦いに参加している。
すべては信長を慕っていただけの話である。
この戦いは、尾張兵の無様さだけが目立って、家康のおかげで勝てた。
863人間七七四年:2014/05/09(金) 20:03:28.21 ID:05o8HoxC
信長は臆病なのか気性が荒いのか。
状況が不利なとき、器量の大きい大人の発言をする。
気性の荒い人間がそんなことをするだろうか。
864人間七七四年:2014/05/09(金) 20:04:37.93 ID:05o8HoxC
播磨攻めをしているときがそうであった。
荒木村重に裏切られたら大変だから、話を聞き、宥めたりして
「どうしたいか申してみよ」
と、信長は言ったりしていた。
不利なだけに、豹が猫になるのである。
865人間七七四年:2014/05/09(金) 20:05:59.92 ID:05o8HoxC
もともと信長という男は勝てない戦をしないので、準備も慎重であり、今川義元のような戦いはあれっきりで、その後は理論的に戦っている。
866人間七七四年:2014/05/10(土) 20:14:56.91 ID:phD2YYnJ
むしろ、家康のほうがイチかバチかの戦いをしている。
家康の場合、博打のようなことをしていると思うのだが、迷うことなく行動するのは、やはり天才と言える
867人間七七四年:2014/05/10(土) 20:16:07.57 ID:phD2YYnJ
背後に、武田、上杉がいる信長は、貢物を渡し、機嫌をとり続けた。
悪質な信長だが、めずらしい行動ではない。
その後、鉄砲がモノをいう。
――鉄砲で武田を打ち破ったのだから、上杉はもういいのじゃないか?
と、思い、上杉を攻めている。
もっとも、柴田勝家は、上杉謙信の鉄砲破りに敗れたのだが。
868人間七七四年:2014/05/10(土) 20:17:14.62 ID:phD2YYnJ
余談だが、柴田勝家は信長に謀叛を起こしたことがある。
信行に着き、信長と戦った。
信長は戦好きであるし、なにより戦心理を知っていた。
869人間七七四年:2014/05/10(土) 20:18:11.86 ID:phD2YYnJ
こういう信長の巧みな戦いに、勝家は脱帽した。
その後、信長に忠誠を誓っている。
現に、どんな無茶な命令にも従った。
勇敢であったし、建築、農業にも才があって、これだけの男は稀である。
加藤清正に似ている。
870人間七七四年:2014/05/10(土) 20:19:35.97 ID:phD2YYnJ
さらに余談だが、本多正信も家康に謀反を起こしたことがある。
家康が三河で小勢力の頃、大規模な一揆が起こり、本多正信はこれに加担した。
一揆が鎮められるとともに逃亡したが、結局、家康のもとに戻り許しをもらった。
871人間七七四年:2014/05/10(土) 20:20:47.53 ID:phD2YYnJ
本多正信と石田三成は位置が似ている。
一見、知略や調略に長けた優秀な男に見えるが、他の家臣に反感を受けていた。
正純の代までは良かったが、家康が死ぬと本多家は江戸城から追放され家は潰えた。
872人間七七四年:2014/05/10(土) 20:21:31.40 ID:phD2YYnJ
余談がすぎた。
873人間七七四年:2014/05/10(土) 20:23:01.80 ID:phD2YYnJ
信長は生涯4回虐殺を行っている。
しかし、小勢力の時期は虐殺をしていない。
それどころか、不利な時期には相手に媚びて、実にしたたかである。
気性が荒いのか、それとも臆病なのか。
その両面を持っているようだった。
874人間七七四年:2014/05/10(土) 21:22:56.93 ID:phD2YYnJ
しかし、天下統一が近づいてくるとともに、気性の荒らさだけが目立っている。
集会をしているだけの農民を磔刑にしたり、、戦見学をしているだけの農民の首をはねたりした。
話を聞けばわかるであろうに。
信長は、弱い者にやたら強い男なのであろうか。
875人間七七四年:2014/05/10(土) 21:24:22.13 ID:phD2YYnJ
人の心理は、臆病さと勇敢さがバランスを保っていて、勇敢さが強すぎると、臆病さもまた強い。
信長もそうなのか。
876人間七七四年:2014/05/10(土) 21:25:49.56 ID:phD2YYnJ
信長の統治方法は、戦の功績によって領土を決めている。
林通勝 佐久間信盛らは、織田家の古い家臣であるが、
戦の功績がすくないため、高野山に追放された。
織田家では戦の功績が多い者を、働き者と呼んでいる。
877人間七七四年:2014/05/10(土) 21:26:55.67 ID:phD2YYnJ
柴田勝家、丹羽長秀、前田利家、明智光秀、羽柴秀吉は、織田家五大家臣である。
信長はこの5人に目を光らせた。
この5人の背後には、常に信長の厳しい監視がある。
噂をひるがえしても、信長の耳に入るようになっていた。
徹底した管理統治である。
878人間七七四年:2014/05/10(土) 21:27:51.48 ID:phD2YYnJ
家康は信長の同盟国であり、国の主である。
しかし、織田家五大家臣は、家康と同じくらい、いや、それ以上に力がある。
家康は信長に招かれ、接待を受けていた。
879人間七七四年:2014/05/10(土) 21:29:19.89 ID:phD2YYnJ
光秀は家康と話をしていたのだが、気苦労が耐えないと話していると、それを信長に聞かれてしまった。
信長は怒り狂い、一触即発になり、宴会を進行している光秀を追い出した。
880人間七七四年:2014/05/10(土) 21:30:52.81 ID:phD2YYnJ
領土拡大は、信長にとって信長一人の奇跡なのである。
奇跡である以上、気苦労は禁句で、黙っておく必要があった。
信長としては、光秀の発言は、恩義せがましいのである。
881人間七七四年:2014/05/11(日) 19:58:47.43 ID:OZJ06VMG
同じ領土拡大でも、北条、武田、毛利は調略をもし、打撃を最小限に抑えていた。
ただ、勝頼の場合、やみくもに領土を拡大したものだから評判が悪かった。
882人間七七四年:2014/05/11(日) 20:00:41.47 ID:OZJ06VMG
勝頼は、家臣を見殺し(本当は見殺しにしていなかったのだが)にしている。
高天神城にいる武田家家臣、福島だった。
この城には逸話がある。
高天神城は信玄の時代からおとせなかった。
ところが、勝頼がおとしたのである。
883人間七七四年:2014/05/11(日) 20:02:02.77 ID:OZJ06VMG
しかし、家康に奪い取られた。
一説には、福島は勝頼に援軍を断ったという。
とすれば、見殺しとされるのは、オカシイのではないか。
要するに、勝頼に人望がないのである。
884人間七七四年:2014/05/11(日) 20:02:49.77 ID:OZJ06VMG
家康は、北条氏政と同盟を結んだ。
織田、徳川、北条で武田を潰している。
勝頼の最期はあっけなかった。
状況をわかっていない、もともと勇敢だけが取り柄の男だった。
885人間七七四年:2014/05/11(日) 20:03:40.63 ID:OZJ06VMG
織田、徳川、北条が同盟を結んだとき、勝頼は不敵に笑ったという。
「これで、あいつらを倒せる」
と、言ったのは虚勢ではなく、それだけ武田家が強かったからである。
886人間七七四年:2014/05/11(日) 20:05:15.80 ID:OZJ06VMG
勝頼は、家康を破った。
家康は逃げたが、深追いはしなかった。
勝頼が勝つ機会があったとすればこのときで、なぜ深追いをしなかったのか聞きたくなる。
関ヶ原、大坂の陣の家康の陰険さを考えてみると、できればこのとき家康を討ってほしかった
と、筆者は思っている。
887人間七七四年:2014/05/11(日) 20:06:46.68 ID:OZJ06VMG
その後、武田家から次々と敵に寝返った。
多くの家臣が寝返るうちに、勝頼は人間不信になってしまった。
当初、3万いた軍勢が、気がついたら7千になってしまった。
888人間七七四年:2014/05/11(日) 20:07:34.61 ID:OZJ06VMG
未完成の新府城に戻った頃には3千になってしまった。
その後勝頼は、武田氏ゆかりの地である天目山棲雲寺を目指したが、信長に行く道を塞がれ、あえなく切腹した。
889人間七七四年:2014/05/11(日) 21:37:34.79 ID:OZJ06VMG
すこし戻って、北条早雲の話をするが、嫡男の氏綱の「氏「は、甥(?)の今川氏親の氏である。
北川は、早雲の義理の妹のため、?マークをつけてしまった。
890人間七七四年:2014/05/11(日) 21:38:47.61 ID:OZJ06VMG
関東八州統一は、早雲、氏綱、氏康の三代で成し遂げた。
とくに氏綱の功績は凄いが、早雲の遺言だという。
早雲は、死んでもなお、夢を叶えた。
891人間七七四年:2014/05/11(日) 21:40:05.85 ID:OZJ06VMG
氏康の嫡男、氏政は無能だった。
「北条も氏政の代で終わりだな」
氏康はそう言っている。
その対策が終わらぬままに、氏康は没している。
以上は余談。
892人間七七四年:2014/05/11(日) 21:41:20.54 ID:OZJ06VMG
氏政は武田家を滅ぼした祝いに、貢物を信長に送っている。
が、信長はこれを無視した。
信長は、無能な男が嫌いで
「北条はいずれ潰す」
と、言っている。
毛利攻めの前に、北条を攻める準備をしていたほどである。
893人間七七四年:2014/05/11(日) 21:42:38.19 ID:OZJ06VMG
むろん、その前に信長は本能寺で散った。
北条攻めをしている場合ではないであろう。
しかも、毛利攻めもできるはずがなく、仮に出来たとして、信長はどう戦うつもりだったのであろう。
894人間七七四年:2014/05/11(日) 21:44:48.21 ID:OZJ06VMG
毛利元就を語りたい。
毛利家は小豪族で、尼子と大内の2大勢力に脅かされていた。
しかし、不運にも父が早くに他界するのである。
元就の不運はこれで終わらない。
895人間七七四年:2014/05/11(日) 21:45:41.87 ID:OZJ06VMG
元就は次男だから、家督を継ぐことはできない。
しかし、兄が酒の飲みすぎで、早くに他界する。
肝臓がんだと言われている。
896人間七七四年:2014/05/11(日) 21:47:12.26 ID:OZJ06VMG
しかも、兄の子も病気でなくなった。
世間からみれば、滑稽なほどに不幸だが、元就の運命を大きく変える。
897人間七七四年:2014/05/12(月) 21:13:45.19 ID:vEXWdcZa
松寿丸、つまり元就の幼少名だが、父毛利弘元が亡くなった浅日、家臣井上元盛に城を追い出される。
松寿丸は路頭に迷う。
その松寿丸を憐れに思い、世話をしたのが義母の杉大方である。
898人間七七四年:2014/05/12(月) 21:14:17.83 ID:vEXWdcZa
元服した松寿丸は、元就と名乗り分家した。
むろん、井上元盛に毛利家を乗っ取られたからである。
しかし、これが戦国の世である。
しかも、父弘元が他界し元就が幼少なら、家督を奪われないはずがない。
899人間七七四年:2014/05/12(月) 21:18:17.88 ID:vEXWdcZa
吉川家の領土内に安芸守護大名武田元繁が侵攻してきた。
しかし、元就、吉川国経の連合軍でこれを打ち破った。
さらにその後、有田中井手の戦いでも武田を破った。
これは、元就の調略によるものである。
武田元繁を狭い地に誘導して、破っている。
900人間七七四年:2014/05/12(月) 21:19:10.38 ID:vEXWdcZa
余談だが、900である。
スレ1000 2chのうちをくらぶれば 夢幻の如くなり
ひとたびスレを享け 滅せぬもののあるべきか
901人間七七四年:2014/05/12(月) 21:20:30.53 ID:vEXWdcZa
武田元繁は切腹。
武田元繁の子は出家させた。
これが後の安国寺恵瓊である。
902人間七七四年:2014/05/12(月) 21:22:39.28 ID:vEXWdcZa
しかし、安国寺恵瓊は、父の敵毛利元就の下でよく働いたものだ。
安国寺恵瓊は、形式としては悟りを開いている。
悟りは、開いたあとが大変で、悟後は普通の人間より馬鹿になる者が多い。
安国寺恵瓊もそういう類だった。
と、司馬遼太郎はいうのである。
903人間七七四年:2014/05/12(月) 21:24:54.54 ID:vEXWdcZa
この時期、2大勢力尼子と大内のどちらかにつくか、元就は決断を迫られていた。
同じように他の豪族も決断を迫られている。
元就は、当時、西国一の大名と言われた大内義隆についた。
これに怒った尼子経久が攻めていたが、元就はこれを鎮めた。
904人間七七四年:2014/05/12(月) 21:26:17.46 ID:vEXWdcZa
才覚を如何なく発揮する元就に、吉川国経はすっかり気に入り、嫁を送っている。
やがて、元就は吉川に次男元春、三男隆景を小早川に婿養子にさせ、両家を乗っ取っている。
世にいう両家の川である。
905人間七七四年:2014/05/13(火) 19:03:38.61 ID:gHvjkMzD
その後、元就は井上一族を滅ぼした。
毛利家に悪影響を及ぼすと思ったからである。
その時期に、元就は嫡男隆元に家督を譲った。
そこには考えがあった。
黒幕に身を徹して、世に憚かろうと思った。
隆元を統領にし、影で勢力拡大しようと考えた。
906人間七七四年:2014/05/13(火) 19:04:41.84 ID:gHvjkMzD
ここで事件が起きる。
大内義隆が家臣の陶隆房の謀反によって殺害された。
大寧寺の変である。
――義隆様では、大内家を支えていくのは無理じゃ。
と、大河ドラマ、陶隆房役の陣内孝則が言っている。
しかし、歴小説にはそんな記述はない、と、筆者はつぶやきつつ、この男の波乱と悲しみというひとつの次元に着目していた。
907人間七七四年:2014/05/13(火) 19:05:58.58 ID:gHvjkMzD
杉大方、井上元盛、さらには陶隆房と大内義隆との関係が事実とは違うのだが、NHKはどの書籍を参考にしたのであろう。
筆者は、それが残念でならなかった。
――大河ドラマで毛利元就をするのは初めてなのだから、
事実をもとに描いて欲しい。
と、筆者は思った。
908人間七七四年:2014/05/13(火) 19:06:52.18 ID:gHvjkMzD
元就は逆光の中、眠った才能をたたき起こして生きてきたが、窮地である以上、そういういわば調略を、心の倉に閉じ込めておくことができなかった。
909人間七七四年:2014/05/13(火) 19:07:37.98 ID:gHvjkMzD
元就は、陶隆房の謀反を見過ごすことはできなかった。
厳島の戦いである。
この戦いは、大規模と伝えられているがそうでもないらしい。
一説には、陶4200、毛利1200とも言われている。
910人間七七四年:2014/05/13(火) 19:08:22.96 ID:gHvjkMzD
元就は、村上水軍と手を組み、交通に不便な厳島に誘い込んだ。
陸での戦いは不利。
とのガセを流したのである。
元就より3倍以上の軍勢を持つ陶だが、この男をおそれている。
911人間七七四年:2014/05/13(火) 19:09:15.94 ID:gHvjkMzD
妄想なのかもしれない。
たしかに普通の陶なら騙されなかったかもしれない。
相手は調略家の元就なのである。
912人間七七四年:2014/05/13(火) 19:09:49.37 ID:gHvjkMzD
妄想というのは、人が何倍にも大きく見える。
視野が狭くなっているため、正常な判断ができなくなる。
これは大会社の社長でも同じであり、一度妄想に取り憑かれると、正常な判断が極めて困難になり、コロリと騙されるのである。
913人間七七四年:2014/05/13(火) 22:33:00.38 ID:gHvjkMzD
毛利は陶に奇襲をかけた。
鵯越の戦いの、義経の戦法に似ている。
驚いた陶の軍は分散して、海に逃げるが、そこには村上水軍がいて、狙い撃ちを受けた。
逃げ場を失い、やむえず陶は自害した。
この瞬間、毛利は西国一の大名になった。
914人間七七四年:2014/05/13(火) 22:33:46.12 ID:gHvjkMzD
何を惜しみ 何を恨みん
元よりも この有様に 定まれる身に。

陶隆房、辞世の句である。
すべて自分で選択した結果なのだから、惜しんだり恨んだりしない、
という意味である。
辞世の句だけをみると、戦国時代中期の純粋な男気ある武将だったように思える。
915人間七七四年:2014/05/13(火) 22:34:27.45 ID:gHvjkMzD
その後、毛利は尼子に侵攻していく。
尼子経久が没しているため、毛利はラクに勝っている。
これで、中国の覇者になったのである。
916人間七七四年:2014/05/13(火) 22:35:12.52 ID:gHvjkMzD
西国の三大武将として、毛利元就、尼子経久、宇喜多直家がいる。
宇喜多直家は暗殺が多く、他の2人と比べて芸がなかった。
それに対し、本当に言ったかは知らないが、尼子経久は
「謀多きは勝ち、少なきは負ける」
と、大河で語っている。
917人間七七四年:2014/05/13(火) 22:36:44.94 ID:gHvjkMzD
大河ドラマでは、尼子経久と元就がよく語っているが、歴史的接点はほとんどない。
一見、同格に見えるこの二人だが、元就のほうが芸術的で、比較する方が失礼なくらいらしい。
918人間七七四年:2014/05/14(水) 19:23:39.17 ID:WqpbnNLL
前置きと言ってはなんだが、毛利の話が長引いた、
稿も少なくなってきている。
その毛利と織田が戦うのである。
当たり前だが、このとき元就は没している。
919人間七七四年:2014/05/14(水) 19:24:15.86 ID:WqpbnNLL
元就は歯痒かった。
息子達は自分ほど才能がないために、いつか滅びてしまうと嘆いた。
もっとも、息子達はちがっていた。
毛利が滅ぶはずがない。
920人間七七四年:2014/05/14(水) 19:24:49.68 ID:WqpbnNLL
いずれにしろ、城を落とすのは並大抵のことではないのだが、息子達にはそれができないと元就は判断し、これ以上領土を広げず守ることを遺言している。
921人間七七四年:2014/05/14(水) 19:25:26.91 ID:WqpbnNLL
信長が、毛利攻めをしようと思った頃、世論は天下分け目の戦いと思っていた。
勝った方が天下を取ると思っている。
秀吉は信長のために働き、大きな信用を得ていたが、大きな不安を抱いていた。
やがて、天下が安定すると出る杭が打たれるように、使い捨てにされるのではないか。
922人間七七四年:2014/05/14(水) 19:26:07.86 ID:WqpbnNLL
もともと秀吉は、信長に手柄をたてさせるために毛利の陣に呼んでいる。
この件について、歴史に詳しい者ならわかることなので省くが、安国寺恵瓊と講和の話をしているのは矛盾しているのではないか。
923人間七七四年:2014/05/14(水) 19:26:57.82 ID:WqpbnNLL
司馬遼太郎の話すかぎり、日本統一は通過地点にすぎないと信長は思っている。
日本統一の暁には領土の半分を直轄地にし、残り半分を家臣に与えるつもりだっとという。
外様に領土を与える余裕などない。
だから外様は滅ぼすしかなく、その姿は第六天魔王であった。
924人間七七四年:2014/05/14(水) 19:27:42.07 ID:WqpbnNLL
たとえば、信長は世界に目を向けていたわけだから、海外から獲れば外様も生き残れる。
しかし、信長がその談に乗るであろうか。
その反応も横暴で、酷い時には首をハネられる、
925人間七七四年:2014/05/14(水) 19:28:21.52 ID:WqpbnNLL
だから秀吉は信長を殺したのではないか。
織田家乗っ取りは、準備が良すぎる。
926人間七七四年:2014/05/14(水) 22:00:39.73 ID:WqpbnNLL
さて、戦国時代最後の舞台、大坂の陣である。
家康とは当初、豊臣家を滅ぼすつもりなかったという。
理由もないのに滅ぼせない。
と、いえば滑稽になる。
諸大名のすべてが、理由もないのに豊臣家を滅ぼしたことを知っている。
927人間七七四年:2014/05/14(水) 22:01:25.21 ID:WqpbnNLL
豊臣家を滅ぼそうと思ったのは、秀頼の頼もしい風貌が理由である。
江戸幕府にいたって、家康が生きているから安泰なのであって、死ねばどうなるかわかったものではない。
928人間七七四年:2014/05/14(水) 22:02:05.05 ID:WqpbnNLL
家康が言おうとしているのは、豊臣家から徳川家に喧嘩を売ってきた。
ということである。
難癖をつけた男がこのような発言をするのはどういうことか。
929人間七七四年:2014/05/14(水) 22:04:05.21 ID:WqpbnNLL
豊臣家は権力の象徴のようなものだ。
徳川家にとって脅威の存在だ。
そう思うのは当然のことだが、口実がなければ滅ぼせないわけで、だから豊臣家が悪いことにしなければならない。
930人間七七四年:2014/05/14(水) 22:06:05.07 ID:WqpbnNLL
淀君に触れたい。
淀君は、信長の妹の3女で茶々と呼ばれていた。
しかし、政治、戦の道理がわからない。
子を思うその辺のつまらない母親と同じである。
子が危ないなら草むらに隠し、安全なら人に迷惑をかけても無関心なのである。
931人間七七四年:2014/05/14(水) 22:06:53.74 ID:WqpbnNLL
秀頼を公卿に育てようと思っていた。
神ともいうべき存在で、たとえば家来が主君のために死んでいくのは当たり前だと思っている。
江戸幕府を開こうと開くまいと、淀君にとって家康は家来なのである。
932人間七七四年:2014/05/14(水) 22:08:30.63 ID:WqpbnNLL
家康の政治活動は一時的なもので、時期が来れば政権を豊臣家に返してくれると思っていた。
そう思われることが、家康にはそれが厄介だった。
天下は徳川家でなければいけないのである。
933人間七七四年:2014/05/14(水) 22:10:22.17 ID:WqpbnNLL
淀君が勝手にそう思ってるだけならいいのだが、しかし世論がそう思ってたら、これほど困ることはない。
現に、大坂の民衆も多少豊臣家が天下だと思っていて、それは徳川家が豊臣家より格下と言っているようなものである。
934人間七七四年:2014/05/15(木) 20:06:16.75 ID:xqboFPFK
加藤清正と浅野長政は暗殺された
と、筆者は思っている。
このふたりは、秀頼が家康と面会したとき一緒に立ち会っている。
まず、加藤清正は、面会後の3ヶ月後に死んだ。
浅野長政は、面会後の1年後に死んだ。
935人間七七四年:2014/05/15(木) 20:07:09.63 ID:xqboFPFK
偶然かもしれないが、出来すぎているように思える。
しかし、歴史研究者に、このふたりが暗殺されたと思っている者は少ない。
が、このふたりは、面会後、高熱を出している。
出された御膳に毒が入っているのかもしれないのだが、暗殺の証拠にはならない。
936人間七七四年:2014/05/15(木) 20:07:45.01 ID:xqboFPFK
秀頼は、清正の指示で御膳には手をつけなかった。
御膳に手をつけた清正と長政は、やがてひどいものになる。
体調を崩すのである。
清正に限っては、帰り道、高熱で赤黒くなったと記録されている。
937人間七七四年:2014/05/15(木) 20:10:53.28 ID:xqboFPFK
大坂の陣は徳川が圧倒的有利とされていて、豊臣方はなす術がなかったが、真田幸村が奮闘する。
すでに負けとわかっていても奮闘した
本多正純が、六文銭の旗を見たというから、よほど家康に接近していたのであろう。
幸村の戦術には妙に説得力があったが、独自の戦法であったかはわからない。
938人間七七四年:2014/05/15(木) 20:11:37.33 ID:xqboFPFK
大坂の陣は、やり方よっては豊臣が勝った。
まず大阪城はそう簡単に落ちる城ではなく、攻略するのに10年はかかる。
篭城して、その10年の間に徳川に着く者を寝返らせる。
それだけの財力は、豊臣家にはあった。
939人間七七四年:2014/05/15(木) 20:12:29.63 ID:xqboFPFK
また大坂夏の陣の翌年に家康は死んだ。
だとすると、家康が死ぬのを待っても良かった。
(秀忠では天下を治めきれない)
と、家康はそう考えていた。
940人間七七四年:2014/05/15(木) 20:13:24.84 ID:xqboFPFK
なぜ秀吉は優秀な男を秀頼の近くに置かなかったのであろう。
石田三成ら知将を近隣において、加藤清正らを武闘派を遠くにおいた。
もはや、石田三成らで十分と思ったのか。
941人間七七四年:2014/05/15(木) 20:14:37.58 ID:xqboFPFK
秀吉は、万が一を備えて加藤清正、福島正則を最前戦に置いていたのだから、むしろ家康が利口過ぎたのかもしれない。
秀吉は軽率すぎた。
軽率である以上に、大阪城に優秀な男を常駐させなかったのが間違いだった。
942人間七七四年:2014/05/15(木) 21:28:03.39 ID:xqboFPFK
余談だが。加藤清正の母は秀吉に母の従姉妹らしい。
秀吉が姫路城に呼んだ。
外を歩いていたところ、地元のガキ大将に会ったのだが、
「なぜ俺に挨拶にこない?」
と、言われ喧嘩を売られた、
943人間七七四年:2014/05/15(木) 21:29:18.17 ID:xqboFPFK
ガキ大将からすると、清正は大柄で生意気だった。
この喧嘩に清正は勝っている。
喧嘩相手は後に有名な武将になっているが、うかつにも名前を忘れてしまった。
944人間七七四年:2014/05/15(木) 21:30:27.34 ID:xqboFPFK
大阪冬の陣の際、家康は和平は長期戦をおそれたのでなく、最初から計画していたことらしい。
武力での大阪城攻めは、とても理に適ったものではないからである。
945人間七七四年:2014/05/15(木) 21:31:14.76 ID:xqboFPFK
もともと家康は城攻めが苦手だった。
とくに上田城攻めは大失態で、諸大名の間でも知れ渡っている。
946人間七七四年:2014/05/15(木) 21:32:04.92 ID:xqboFPFK
千姫のばあいもそうである。
千姫も大阪城から家康のもとに戻って、秀頼、淀君の命を助けるようにもとめるが、これは大野修理治長の指示である。
余談だが、家康は喜ぶが、秀忠は
「なぜ秀頼と命を共にしなかった」
と、批判した。
947人間七七四年:2014/05/15(木) 21:37:59.29 ID:xqboFPFK
秀頼は意外に大物だったらしい。
このいかにも公卿らしき男は、戦に明るかった。
家康の調略の書状を一目で見抜いた。
とても、大阪城で温々と育った男には見えない。
修羅場をくぐった家康が、若造の秀頼に見抜かれるのは滑稽な話だが。
948人間七七四年:2014/05/15(木) 21:39:19.28 ID:xqboFPFK
秀頼は真田幸村、長宗我部盛親に話にも耳をよく傾けた。
これには浪人は驚いた、
豊臣家にあって、秀頼だけが浪人の話にに耳を傾けたからである。
これも才能であろう。
949人間七七四年:2014/05/16(金) 18:58:52.56 ID:9W2LApqe
消極的な豊臣家の思考は、合理性に乏しい。
しかし、秀頼は後藤又兵衛の話によく耳を傾けた。
大野治長も後藤を気に入っており、戦略を採用することが多かった。
950人間七七四年:2014/05/16(金) 18:59:30.15 ID:9W2LApqe
大阪夏の陣の頃には大阪城の堀は家康によって埋められ、裸城になっている。
大野治長と淀君が、もう戦争を起こさない条件で堀を埋めることを承諾したわけだが、浪人達から見るとひどく滑稽に感じる。
951人間七七四年:2014/05/16(金) 19:00:13.95 ID:9W2LApqe
堀を埋める際に、治長に対して
「あれは嘘で、必ず口実をつけて家康は攻めてくる」
と、浪人達は言ったが聞かなかった。
むろん、淀君に限っては本気で戦争が起きないと思っている。
952人間七七四年:2014/05/16(金) 19:01:05.41 ID:9W2LApqe
秀頼は、世間からみれば温室育ちのお坊ちゃんだが、そのわりに勇敢だったように思える。
家康の陰険な戦略に、最後は秀頼が宣戦布告した。
「古今東西、家来が主君に、これほど卑怯な仕打ちをしたことはない。この秀頼、いつでも死ぬ覚悟は出来ている」
とある。
953人間七七四年:2014/05/16(金) 19:01:33.57 ID:9W2LApqe
この文面は直接秀頼が言ったわけではないが、使いの者が伝えた。
これが本当なら、秀頼は温室育ちの無能な男、という見方は成立しなくなる。
954人間七七四年:2014/05/16(金) 19:02:12.20 ID:9W2LApqe
大坂の陣は、豊臣家の弱腰外交にあった。
とくに本来、淀君に決定権はない。
秀頼の母親ということだけである。
普通、戦争に女が口出しはしないものだが、豊臣家にはそういう認識がなく、淀君が最終決定権を持っていた。
955人間七七四年:2014/05/16(金) 19:02:53.76 ID:9W2LApqe
浪人達の話を聞き、やがて秀頼は覚醒してゆくのだが、治長と淀君が穏健派なゆえに、敗北の一途を辿って逝った。
そういう滑稽さに浪人たちはあきれていた。
「兄(治長)がいなければ勝てる」
と、弟治胤が言った。
956人間七七四年:2014/05/16(金) 19:03:56.68 ID:9W2LApqe
真田幸村、後藤又兵衛が死に、豊臣家の敗色が濃くなったとき、味方が徳川に寝返って大阪城に火を付け炎上した。
大阪城の炎上は、戦国時代150年の終焉を表していた。

家康の残した言葉に
「各々が目先の利益を考えたことが、戦国時代のはじまりである」
とある。
957人間七七四年:2014/05/16(金) 20:07:50.92 ID:9W2LApqe
この由緒正しき「司馬遼太郎風に会話するスレ2012」がほぼ2年を経過する。
このスレをはじめた頃、1年半で終わると思っていた。
「1000でも足りないくらいである」
と、筆者は言った。
実際そのとおりで、話足りないのである。
958人間七七四年:2014/05/16(金) 20:08:26.23 ID:9W2LApqe
スレを連載するが、意外に稿が進まない時期があった。
難しいと言っていい。
人の文章を真似るのは大変で、そのうち誤字脱字が出てきて、困惑しはじめた。
959人間七七四年:2014/05/16(金) 20:09:41.39 ID:9W2LApqe
司馬遼太郎の文面を優先するために不安定になるのである。
司馬遼太郎風に書くためには、原作を片手にするしかないことを前スレ主が教えてくれた。
960人間七七四年:2014/05/16(金) 20:10:33.02 ID:9W2LApqe
司馬遼太郎を意識しすぎるわけだが、文面を優先して、事実と違うことを書いたりもしている。
この行為はやむ得ないだろう。
通過点である。
そうやって、文章も落ち着いていった。
961人間七七四年:2014/05/16(金) 20:11:45.72 ID:9W2LApqe
このスレを建てる以前に、日本史の掲示板を建てた。
しかし、誰もこないことに筆者は驚くのである。
そして、司馬遼太郎風に会話するスレ2012を建てる。
専門性があると思われる2chで、戦国時代を語ろうと思ったのである。
962人間七七四年:2014/05/16(金) 20:12:48.36 ID:9W2LApqe
ところが最後まで誰も来なかった。
来るとすれば、まことぐらいである。
前スレを観た筆者は感動を覚えた。
司馬遼太郎風に会話をする、と、いったあたりに共感した。
そのあたりは、類は友を呼ぶはずだった。
963人間七七四年:2014/05/16(金) 20:14:07.12 ID:9W2LApqe
半分の500くらいになると、妥協からあきらめに変わった。
(だったら、筆者が好きなように書けばいいだけの話じゃないか)
と、筆者は思ったのである。
しかし、いつ司馬遼太郎のファンが現れてもオカシクないから、やるからには全力を以ってやろうと思った。
964人間七七四年:2014/05/16(金) 20:18:52.21 ID:9W2LApqe
このスレの中で司馬遼太郎は生きている。
なるほど。
このスレには誰も来なかったが、司馬遼太郎と会話しているのだ。
スレを進行していく際、ふと司馬遼太郎と会話している錯覚があった。

             完
965人間七七四年:2014/06/13(金) 00:58:27.36 ID:veAV/CNo
しばいたろか
966人間七七四年:2014/06/13(金) 03:28:26.55 ID:HvckzNWX
おつかれ
967人間七七四年:2014/06/22(日) 04:52:33.16 ID:nHJyHRk7
しょせん新聞記者上がりだから
文章に面白みがない
これは小説家として致命的
968人間七七四年:2014/07/28(月) 00:06:00.10 ID:PPo821vQ
数年、ラノベに走っていた筆者の怠慢をお許し願いたい。
「≫1殿、苦労をかけた。ゆるりと休まれよ。」
969人間七七四年:2014/10/26(日) 23:36:34.53 ID:bXA34Eo+
中国というもののなんという奥深さであろうか。
970人間七七四年
ああああああ