1 :
人間七七四年:
信秀、信吉、信好、長次など織田信長の下の息子たちについて語るスレです。
その子孫の話題もOK。
いざ語らん。
2 :
人間七七四年:2012/05/17(木) 03:51:57.24 ID:p1ETKG5L
信長の下の息子たちの中で一番出世したのといえば六男の信秀だね。
大名になってるし侍従に叙任されてる(他の兄弟は諸大夫)。
これで子孫も残っていたら万々歳なんだろうけど。
男系は長男の重治の系統が二代目で断絶、女系が西尾盛教まで続いて、その娘が藤枝重昌に嫁いでるけどそこからが不明。
誰かこれ以降の子孫とか知らないか?
3 :
人間七七四年:2012/05/18(金) 09:48:34.35 ID:j4xqCwVS
小説とかで「信長の息子は馬鹿ばかりだったので秀吉に乗っ取られた云々」の文章を見るたび、
本能寺の変の時点で元服すらしてない下の息子達が不憫でならない。
4 :
人間七七四年:2012/05/18(金) 15:16:25.95 ID:pCZuDZAx
織田家は普通に存続しているのに乗っ取られたって書いてる時点でお里が知れる
5 :
人間七七四年:2012/05/18(金) 20:38:37.10 ID:FzjLPwTm
信長の息子は、信雄を除いて母親が全員不明。
織田信忠(嫡男)生駒氏?
織田信雄(次男)生駒氏で確定(一次資料あり)
織田信孝(三男)坂氏?
羽柴秀勝(四男)不明?
織田勝長(五男)不明?
織田信秀(六男)稲葉氏?
織田信高(七男)高畑氏?
織田信吉(八男)高畑氏?
織田信貞(九男)土方氏?
織田信好(十男)不明?
織田長次(十一男)不明?
織田信正(庶長子)原田氏?
6 :
人間七七四年:2012/05/19(土) 00:48:57.06 ID:LidcU4Yo
>>5 信秀の母親は『稲葉家譜』に載ってたはず。
それから信秀の所領は揖斐じゃなくて西近江(元ブログの記述からするに坂田郡か滋賀郡と思われ)に移されてる。
信秀母の所領が草津付近というからおそらく滋賀郡ではないかと思われ。
7 :
人間七七四年:2012/05/20(日) 18:09:22.23 ID:727/jeeu
>>4 久々に無知を見た
子孫を残らないようにするだけがのっとるだけじゃねーよと釣られてみる
8 :
人間七七四年:2012/05/20(日) 21:08:42.43 ID:p4gqCVmF
乗っ取ったのは織田家じゃなくて織田政権だろ。
どうでもいいとこで争いすんなよ。
9 :
人間七七四年:2012/05/23(水) 17:09:17.43 ID:uOFjeZwl
秀吉の養子に出された於次の母は身分の低い女性が生母だったのでは。
10 :
人間七七四年:2012/05/23(水) 18:20:35.15 ID:OvRf+6Oe
>>7 大名家として残っているのに「乗っ取り」か?
おまえ乗っ取りの意味間違って言ってね?
11 :
人間七七四年:2012/05/23(水) 19:34:01.43 ID:3h45u32S
横瀬氏による岩松氏の乗っ取りのケースでは、岩松氏は明治まで寄合として存続しているな。
12 :
人間七七四年:2012/05/25(金) 07:25:14.70 ID:fLRtxnFA
13 :
人間七七四年:2012/05/25(金) 17:22:17.89 ID:YzYteqOc
14 :
人間七七四年:2012/05/29(火) 23:55:50.40 ID:MhWBus7J
>>6 >『稲葉家譜』によると玉雲院の母は信長の妹であり、玉雲院は信秀とは従兄弟の関係になる。
これかな?なんか違う様な。
15 :
人間七七四年:2012/05/30(水) 00:24:24.85 ID:h8Zmxa+8
>>13 織田家当主としての権限は普通に残ってるだろ何言ってんだ
16 :
人間七七四年:2012/05/30(水) 00:53:03.09 ID:FIObS1te
>>15 どうでもいいのだけど(すこし呆れているけれども)「乗っ取られた」というのは、織田家の天下、または政権を乗っ取られたという意味で使用するのが常識です。
しかも、3さんは、「織田家が乗っ取られた」とさえ書いていない(このように書かれている場合も、織田家(の天下、政権が)乗っ取られたという意味の省略語であることは、常識を持つ人にはわかります。
このスレ、ときどき見るだけだけど、あまりの幼稚な粘着にうんざりするので。
17 :
人間七七四年:2012/05/30(水) 01:06:00.81 ID:h8Zmxa+8
>>16 織田家の天下なんて幻想だから。
あるとすれば右大臣になった織田信長を中心とする政権機構だけど
それは明智光秀が謀叛起こして信長信忠殺した時点で既になくなっているから。
天下取ってないのに「乗っ取られた」云々の話をするのはおかしい。
天下も政権もないのだから、「乗っ取られた」の目的語対象後は「織田家」そのもの
18 :
人間七七四年:2012/05/30(水) 02:26:41.20 ID:qwQm7L4E
>>17さん、
「天下」とは、京を中心とする地域で、京を含めてその地域の支配権を得
ることを「天下を取る」と言います。
また、封建制や、それが変形した戦国時代の一円支配の時代は、各領土に
対する領主の政治権力が(したがって政治的統治)が一定程度あります。
その上位にも権力があって複合的(しばしば縦横に)になっています。
すなわち、政治権力が政府に集中している現在の地方自治体とは全く違い
ます。それぞれが「ミニ政権」の性格を持っています。そのため、それぞ
れの戦国大名領地を「国」というのは、半分、現在の意味と通じています。
その結果、その中の有力者(有力権力)が京の権威を含めた「天下」を手
中にすれば、それは「天下を支配する」「天下を取る」ことを意味します。
それは、各戦国大名の「ミニ政権」以上に、より政権としての性格を持ち
ます。
織田家は、京都所司代(代官)を京において朝廷との関係をつくり、その
権威も背景として京を中心とする支配を形成しました。清洲会議後は、4
家老と信孝が代官を派遣することになっていたところを、それぞれ内政に
力を取られたことなどもあって、秀吉だけに代官派遣をまかせ、これも、
秀吉の天下の布石になっています。
「天下を取る」ことと「全国統一」の違いも知らずに、織田家の天下云々
についてしつこくからむことは、いい加減にしてもらいたいところです。
(「天下」を拡大解釈して「全国」の意味に使う場合があっても、「天下」
の独自の意味=京周辺の意味を否定することにはならない)
「天下」と書けば17のような反応がたぶん出てくるだろうと思っていた
ので、まあ、あきらめて書きました。
細かい点の評価は色々あっても、このくらいは戦国時代をあつかううえで
の前提的な知識です。
こんなところで「天下取ってないのに」などと書いて恥をさらすのでなく、
義務教育をやり直した方が良いでしょう。
なお、これは、上の論議とは別のレベルの問題ですが、秀吉が天下を乗っ
取った時点について、色々な見解があります。
自分は、実質、秀吉が天下を手中にしたことを示したのは、賤ヶ岳合戦の
恩賞を、信雄でなく秀吉が各武将に与えた時点ととらえています。ただ、
これは、実質の掌握で、形式上もそれを裏打ちしたのは関白になった時点
ですが。
………と思っていますが、この辺は、別の解釈もあることと思います。
19 :
人間七七四年:2012/05/30(水) 02:27:50.71 ID:gtQFZaGw
20 :
人間七七四年:2012/05/30(水) 16:10:07.63 ID:h8Zmxa+8
>>18 長々と語るのは結構だが自分で知識のなさを吐露してるだろ・・・
京周辺の勢力圏内は織田信長と織田信忠を殺した明智光秀が奪取している。
ちなみに織田家の京都所司代は村井貞勝だがこいつも本能寺で死んでいる。
要は織田信長、織田信忠、村井貞勝とこの3人が同時に消えた時点で織田政権はほぼ崩壊したといってもいい。
で清洲会議以降の織田家における「京の権威を含めた『天下』」って何?
丹羽長秀(越前守)、羽柴秀吉(筑前守)、柴田勝家(修理亮)、池田恒興・織田秀信(無位無官)、
織田信雄・織田信孝(侍従)
全員従五位以下の官位しかなく、他の大名と比べても大差ないけどこんな連中に「朝廷権威」があるというのか?w
知ったかで恥かいてるのどっちだよw
21 :
人間七七四年:2012/05/30(水) 17:35:15.58 ID:/OyX/9CG
>織田政権はほぼ崩壊したといってもいい
↑そんな感想を語られても・・・
織田信雄が従五位以下というのは?
22 :
人間七七四年:2012/05/30(水) 17:36:54.42 ID:h8Zmxa+8
そもそも本能寺以降の織田家は「織田家」としての存続はあっても「織田政権」としての存続は全くと言っていいほどないと言っていい。
織田家当主として後継者になった織田秀信はあくまで「家臣団の合意」による産物にすぎず
前代織田信忠、前々代織田信長の何の承認も得ていない状況(当たり前だけど)であり、支配政権としての正当性は圧倒的に欠けている。
もちろん前述したように朝廷による織田家の支配容認と言う事項もなく、
「織田家歴代当主」の容認もなく、「朝廷による権威支配」の容認もないまま織田秀信は当主になったわけであり、
信長生前の織田政権とはどう考えても別物なのが容易に手にとれる。
一応織田体制をかつての信長存命期のような「織田政権」にのし上げようと各人努力を惜しまなかったが、
結局家督代行の織田信雄が体制と喧嘩別れして実権を取られ、小牧で事実上の降伏を経た時点で織田政権の再興は叶うことなく、
信長上洛以前の「地方大名の1つ」で織田家は固定化されるに至る
23 :
人間七七四年:2012/05/30(水) 17:40:51.58 ID:h8Zmxa+8
>>21 感想でもなんでもなく事実を述べているだけだが。
織田信雄は1583年に従四位左近衛権中将に任命されるが
織田家臣の佐々成政をして「羽柴秀吉万端御指南」と言わせるほどの
実質的には織田秀信の下による家督代行の織田信雄・筆頭家臣の羽柴秀吉による二人三脚。
ちなみに掲載した官位はどれも1582年6月頃の官位
24 :
人間七七四年:2012/05/30(水) 17:42:53.36 ID:/OyX/9CG
丹羽長秀が1582年6月頃に越前守?
25 :
人間七七四年:2012/05/30(水) 17:46:51.46 ID:h8Zmxa+8
この頃はまだ左衛門尉だったかな、すまんそこは若干曖昧だったかもしれん
いずにせよ高官位ではなかったと言うことだけは確か
26 :
人間七七四年:2012/05/30(水) 17:54:04.94 ID:/OyX/9CG
>織田信雄は1583年に従四位左近衛権中将に任命されるが
これも違うだろ
27 :
人間七七四年:2012/05/30(水) 18:29:09.77 ID:h8Zmxa+8
それはそこであってるだろ
28 :
人間七七四年:2012/05/30(水) 18:38:27.62 ID:DJ0+mGl3
>>22 >一応織田体制をかつての信長存命期のような「織田政権」にのし上げようと
各人努力を惜しまなかったが、
えっ?家臣たち好き放題勝手放題だろ。
29 :
人間七七四年:2012/05/30(水) 18:39:38.95 ID:h8Zmxa+8
>>28 好き放題って具体的には?
まさか織田家臣達が地方勢力と連絡取り合ったりするという
「清洲会議の決定事項」を指して言ってないよね?
30 :
人間七七四年:2012/05/30(水) 18:52:12.33 ID:/OyX/9CG
仮にも北畠当主だった信雄が従五位以下とか・・・
天正三年の家督相続時には中将になってるよ
31 :
人間七七四年:2012/05/30(水) 19:12:45.90 ID:h8Zmxa+8
>>30 逆にどこソースだよそれw
兄貴の織田信忠ですら天正4年に左近衛少将で、その翌年ようやく中将だぞ
自分の嫡男より没落間近の北畠にそんな要職与えるとは思えんが
32 :
人間七七四年:2012/05/30(水) 19:21:01.68 ID:h8Zmxa+8
あああったあったこれか
俺の勘違いだったようだすまん
33 :
人間七七四年:2012/05/30(水) 19:22:39.63 ID:/OyX/9CG
信長公記や系図をソースと言うつもりはないけど
>織田信雄は1583年に従四位左近衛権中将に任命されるが
はさすがに初耳
>>20で「知ったかで恥かいてるのどっちだよw」
と言っているレスの中でいろいろ誤った知識を披露しているのは
お粗末過ぎると思ったので茶々入れました
34 :
人間七七四年:2012/05/30(水) 19:24:04.18 ID:h8Zmxa+8
位階と官職がごっちゃになってただけか
正五位にないからおかしいと思った
35 :
人間七七四年:2012/05/30(水) 19:26:02.50 ID:h8Zmxa+8
>>33 多少誤知識があったのは謝るがこれで誤説扱いされるのは叶わんねぇ
どっちにしろ織田信長、織田信忠に官位で叶う人間が織田家にいないということ、
織田家一門に高官位である人間がいないことには変わりないんだし。
36 :
人間七七四年:2012/05/30(水) 19:28:05.97 ID:/OyX/9CG
>>32で素直に謝っているのに気づかずレスしてしまったが、
軽々しく「知ったか」とか言わないほうがいいよ
ちなみに私は
>>18ではないけどね
37 :
人間七七四年:2012/05/30(水) 19:33:06.47 ID:/OyX/9CG
またまたレスが前後したが、
「こんな連中に「朝廷権威」があるというのか」
という自分の主張を通すために
信長時代からの織田信雄の地位の高さを無視するのはどうかと思うよ
38 :
人間七七四年:2012/05/30(水) 19:33:48.32 ID:h8Zmxa+8
別人なのは大体見当つくが正直
>>18のレベルはお粗末としか言えんだろ。
当主筋に認定された嫡系が誰一人いないのに勝手に政権が存続しているなんて無茶苦茶な話だ。
当主筋が断絶したのに政権が維持されたという事例は8代将軍徳川吉宗や6代将軍足利義教と少数ながら存在するが、
彼らは朝廷のもと将軍宣下という立派な後ろ盾を得て統治をおこなっているだけで
織田秀信には当然そんなものないのだから織田政権なんてできるわけがないのは自明の理だろ。
そんなことも知らずに義務教育だの言い出した
>>18が悪い。まあ人のことは言えんがね
39 :
人間七七四年:2012/05/30(水) 19:38:30.82 ID:h8Zmxa+8
>>37 ちょっとまてさすがにそれはおかしい
織田信雄の左近衛権中将任官は養父北畠具教の官位を存続する形で行われているから
位階自体は決して高くない。さっき俺がやったミスと同じミスを犯している。
織田信忠が「中将」なのでパッと見近いように見えるが、実際織田信忠は「三位中将」で
正五位の織田信雄とは二位くらい離れている
40 :
人間七七四年:2012/05/30(水) 19:41:00.30 ID:/OyX/9CG
なるほど
>>18のレスをちゃんと読んでなかったよ
>>20だけを責めて悪かったね
それでも煽り言葉は止めようね
41 :
人間七七四年:2012/05/30(水) 19:41:43.06 ID:h8Zmxa+8
わかったよ、すまんな
42 :
人間七七四年:2012/05/30(水) 21:33:34.49 ID:3ksjO2TO
こういう一文にもならん言い争いをしている間に秀吉や家康に天下取られたのが織田家なんですね。
勉強になりました。
43 :
人間七七四年:2012/05/30(水) 21:40:59.49 ID:h8Zmxa+8
一応織田家の争いは国境権益に端を発してるから一文にならないわけではないよ
44 :
関連スレ:2012/05/31(木) 00:40:51.13 ID:5UhFmB/Q
45 :
人間七七四年:2012/05/31(木) 02:17:41.69 ID:47/Gay4U
>>14 すまん素で勘違いしていた。
載っていたのは玉雲院のほうだった。
ところで、信秀のwiki見たんだけど、
>衣斐一左衛門尉に対して兵法伝授の起請文を出している。(年代不明、「衣斐文書」)
この「衣斐一左衛門尉」って誰?兵法伝授とあるからには剣術家かなんかだろうが。
46 :
人間七七四年:2012/06/01(金) 06:47:33.58 ID:jSzH6waW
>>4 ほとんど知らない名前ばっかり。
やっぱり偉大な親の子供は、大成しないってことかな?
47 :
人間七七四年:2012/06/05(火) 20:10:13.11 ID:D13xn1sq
>>45 たぶん剣術家。丹石流の開祖衣斐丹石かその息子の光栄だと思われ。
親のほうなら加藤清正や堀直政に兵法を教授した人物。
つまり信秀は武将というだけでなく剣士でもあったということだ。
48 :
人間七七四年:2012/06/07(木) 22:40:29.90 ID:OO1uiFtl
羽柴秀勝に関しては暗殺説もあるよね
49 :
人間七七四年:2012/06/10(日) 22:56:12.10 ID:+wQHPgqX
>>48 死亡時期がタイミング良すぎるから暗殺説が生まれた
50 :
人間七七四年:2012/06/11(月) 07:25:59.56 ID:Yct92oJd
まあ天下人に成るくらい運勢ストップ高状態の時は、周りが全てその人間の都合のいいように
動きがちなんだよな。
51 :
人間七七四年:2012/06/18(月) 23:59:03.18 ID:M4DsetAG
あげ
52 :
人間七七四年:2012/06/23(土) 14:54:34.64 ID:HLuFZSoz
>>48 さすがに暗殺まではしてないだろ。
その後甥に秀勝の名前を継承させているし、幾ら思い入れがあっても
自分が暗殺した養子の名前を使わせないと思う。
53 :
人間七七四年:2012/06/24(日) 01:05:12.37 ID:hohTLHMS
いや、当時顔なんてなかなか知られないし子供だったから、自分の甥とこっそり入れ替えたっつー説だからね
54 :
人間七七四年:2012/07/01(日) 04:13:31.62 ID:SVlSyARz
良スレ
55 :
人間七七四年:2012/07/01(日) 10:07:27.69 ID:DULM+0Bl
>>53 そんなことが可能だと思える脳みそのハッピーさがたまらない説だわなw
56 :
人間七七四年:2012/07/07(土) 22:39:59.24 ID:Hf3ga8hJ
しばしば秀勝暗殺説出るけど、根拠も理由も無いわな。
57 :
人間七七四年:2012/07/21(土) 03:23:56.95 ID:1mWwyd1o
暗殺説はともかく、秀勝の家臣団や所領支配体制はどうなっていたのかを知りたい。
58 :
人間七七四年:2012/07/25(水) 23:14:33.47 ID:YhxiCzrW
「織田信長のオリジナリティ要素とその犯罪性」は、
彼がもし、「明治時代(交通を開いた)に犯罪を犯さずに」今まで来たらば、
その「野望」は達成できたであろう。
彼に必要不可欠だった、
大正時代(総合理学療法の取得)、
昭和時代(資金源となる寝所を築けた)、
平成時代(人脈が成立した)
59 :
人間七七四年:2012/07/25(水) 23:15:04.80 ID:YhxiCzrW
>>1 > 大河で信長を演じた役者
左側のタヌキがどうこうで欠席の多い長男は、お父さんに、おじさんに、その場を
委譲し、「所場」だったわけで。
> ・太閤記(1965年 演者:高橋幸治)
遊郭を逃し、
> ・天と地と(1969年 演者:杉良太郎)
勇敢さを持てず
> ・国盗り物語(1973年 演者:高橋英樹)
要素・有資格が成らず増えず
> ・黄金の日日(1978年 演者:高橋幸治)
愛情のすべてを表さず、青いまま
>>1 (続き)
> 大河で信長を演じた役者
左側のタヌキがどうこうで欠席の多い長男は、お父さんに、おじさんに、その場を
委譲し、「所場」だったわけで。
> ・おんな太閤記(1981年 演者:藤岡弘)
生みの親を知れず
> ・徳川家康(1983年 演者:役所広司)
父親を知れず
> ・武田信玄(1988年 演者:石橋凌)
(生みの親の種類で、武田真眩(甲府)の人の川の人間である武田信玄)=ぶどう農家の次男を知れず
> ・春日局 (1989年 演者:藤岡弘)
ホテル経営も知らず
60 :
人間七七四年:2012/07/25(水) 23:15:41.83 ID:YhxiCzrW
>>1 (続き2)
> 大河で信長を演じた役者
左側のタヌキがどうこうで欠席の多い長男は、お父さんに、おじさんに、その場を
委譲し、「所場」だったわけで。
> ・信長 KING OF ZIPANGU(1992年 演者:緒形直人)
日本を知らず
> ・秀吉(1996年 演者:渡哲也)
日の本人を知れず
> ・利家とまつ〜加賀百万石物語〜(2002年 演者:反町隆史)
子供の部類を知れず
> ・功名が辻(2006年 演者:舘ひろし)
男女愛を知れず
> ・風林火山(2007年 演者:佐久間二郎)
友情を知れず
> ・天地人(2009年 演者:吉川晃司)
舶来のルートも知れず
> ・江〜姫たちの戦国〜(2011年 演者:豊川悦司)
愛の不毛者(15男の左側)が優勝したのも知らず
61 :
人間七七四年:2012/07/26(木) 01:39:18.23 ID:U68/GKTp
勝長の子孫は加賀藩士になったって言うけど、系図とか残ってるのかな。
62 :
人間七七四年:2012/07/27(金) 19:20:25.31 ID:rJ6VYbe2
63 :
人間七七四年:2012/07/27(金) 22:15:57.46 ID:Jmqan/y5
>>62 おおトンクス。
しかし織田家の子孫に長政って名前多いな。
このへんの理由も知りたいところだ。
64 :
人間七七四年:2012/07/27(金) 23:44:20.81 ID:rJ6VYbe2
>>63 >
>>62 > おおトンクス。
> しかし織田家の子孫に長政って名前多いな。
> このへんの理由も知りたいところだ。
織田家には、長い川に、もうひとつ、北条家があるから。
上杉家や武田家もあるよ。
65 :
人間七七四年:2012/07/28(土) 04:16:15.72 ID:r36vQLSi
織田信長(なまくら・のらりくらり)(憤怒者)・タヌキ
66 :
人間七七四年:2012/07/28(土) 04:16:47.77 ID:r36vQLSi
桶狭間の戦いの時には、織田信長の年の頃は、
なんと、「中年豆ダヌキ」ほどでした。
その以前までは、農業に忙しく、
また、肥満症を抱えていた彼は、その解消に積極的でした。
故に、自ら武器を持って戦うことが多かったことに手伝っていたのです。
67 :
人間七七四年:2012/07/29(日) 10:22:55.31 ID:djwLnAAY
>>62 ちょっと調べてみた。津田勝良の禄高は600石か。ってことは人持組ではない可能性が高いな。
誰か詳しい資料持ってない?
68 :
人間七七四年:2012/07/29(日) 11:52:26.90 ID:u07yE0jf
>>67 >
>>62 > ちょっと調べてみた。津田勝良の禄高は600石か。ってことは人持組ではない可能性が高いな。
> 誰か詳しい資料持ってない?
人持ち組をもてるのは670石〜だからだな。
土佐藩端端(はたはし)・津田藩藩主の持ち玉子であるところの津田勝良は、
果たして悪代官であるか。
69 :
人間七七四年:2014/02/21(金) 13:55:39.69 ID:gzq83+km
70 :
人間七七四年:2014/03/09(日) 14:46:16.96 ID:DjzSfPUv
Wikipediaの信雄の人物の記述誰が書いたw
火病ってwwwww
>信忠の同母弟であるにも関わらず、其の容姿は似ても似つかぬもので、キリリと引き締った信忠に対し
>信雄はブヨブヨと太っていたと謂う。また安土城への放火と併せると彼が遺伝子欠陥或いは重度の知的障害を患っていた事が判る。
>信忠の同母弟であるにも関わらず、其の容姿は似ても似つかぬもので、キリリと引き締った信忠に対し信雄はブヨブヨと太っていたと謂う。
>また安土城への放火と併せると彼が遺伝子欠陥或いは重度の知的障害を患っていた事が判る。
>平時から父の叱責を受けていた為に安土城を見て憎悪と怨恨で火病を発症し、衝動的に放火した可能性は否定出来ない。
71 :
人間七七四年:2014/03/11(火) 22:08:34.92 ID:VyEJeH+8
>>70 こういうつまらないマネはやめてもらいたい
72 :
人間七七四年:2014/05/14(水) 16:49:22.92 ID:7BvNbDR5
;
73 :
人間七七四年:2014/06/13(金) 00:24:29.52 ID:0yfK6pUi
てす
74 :
人間七七四年:2014/06/18(水) 00:49:14.28 ID:BYalvUjb
長次の戦死した状況は大体分かるが討った相手の名前も分からんのか…。
これはちょっと難しいのう。
状況的に四将の誰かの兵であることは間違いないだろうが。
この辺の記録から探ってみるか。
75 :
人間七七四年:2014/07/25(金) 02:44:03.00 ID:EclbMKsk
オダノブナリが最近また「信長の末裔ネタ」をバラエティで吹聴しているらしいぞ
未だにw
ノブナリのお馬鹿の場合、親から聞かされて真面目に信じてそうなのも気の毒になってきた
お鍋の腹の信高の孫が幕府から高家にとりたてられて続いたのだが
ノブナリ君ちは幕末維新の家系図欠落してるのに信高系って標榜してるんだったよな
76 :
人間七七四年:2014/08/01(金) 13:47:09.75 ID:0HmmOe65
織田信長は、「接見」をしたのに、「犯罪の所業を当てる犯罪」を犯した。
77 :
人間七七四年:2014/08/01(金) 23:11:09.97 ID:CvTgFZxP
このスレまだあったのか。
78 :
人間七七四年:2014/08/18(月) 20:31:27.09 ID:EMo+NHLm
三法師さまはどうなったんですか?
79 :
人間七七四年:2014/08/21(木) 04:45:02.71 ID:7UXQa7tI
>>78 密かに秀吉の手によって別人にすり替えられた
元服後、岐阜城主になった秀信は三法師ではない
本物は百姓の家に育てられその子孫が織田信成
80 :
人間七七四年:2014/08/23(土) 20:56:24.00 ID:RLbRkTeE
面白んない
81 :
人間七七四年:2015/01/24(土) 21:03:17.28 ID:Y9W/8X+J
82 :
人間七七四年:2015/01/24(土) 22:05:45.87 ID:MCoXLrM7
俺の好きな信孝様は26歳で自害に追い込まれた 憎き猿め!
83 :
人間七七四年:2015/01/25(日) 23:39:28.88 ID:G3jYRhhQ
>>82 秀吉に自刃させられた織田信孝は辞世の句で
主筋である私を討ったお前(秀吉)を決して許さない
必ず報いがあるだろうから楽しみに待っていろ
という意の怨念に満ちた辞世を残して死んでいった
事実その通りになった
徳川家康は秀吉の不義を非難し織田信雄を擁して小牧長久手の戦いで秀吉と戦い
平和の為に一時的に秀吉の元に付き時勢を見て終には豊臣家を滅ぼした
秀吉の豊臣家は不義不忠の報いを受けたのである
織田信孝の辞世の句は気概があり見事である。流石は覇王織田信長の息子である
一方豊臣秀頼の最後は見苦しい。流石は不義不忠の豊臣秀吉の息子である
84 :
人間七七四年:
織田信雄「わしが殺した」